JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.29
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

「大曲神社(旧十二神社)」を後にして次に訪ねたのが「正一位お稲荷さん」。
神奈川県高座郡寒川町大曲1丁目7−12。



立派な社殿。



南に進むとT字路の角に石仏が。



「道祖神」であろう。
神奈川県高座郡寒川町大曲1丁目18−38。



そして次に訪ねたのが「大曲地蔵堂跡(大曲共同墓地)」。
東福寺(廃寺)地藏堂(廃堂)があった場所とのこと。
神奈川県高座郡寒川町大曲1丁目17。



当初の札所地蔵堂は宝永4年(1707)円心が建立したもので、東恵山 東福寺(今は廃寺:
古義真言宗岡田村安楽寺末、本尊薬師)持ちであった。新編相模国風土記稿に
「地蔵堂、宝永四年(1707)四月僧円心建、東福寺持」とあるとのこと。
現在、大師石像は共同墓地の一角の小堂に六地蔵と共に一番右端に納められていた。



相模国準四国八十八ヶ所札所第14番の「弘法大師坐像」。



六地蔵 享保5(1720)年:6体の地蔵が六道を巡り、六道衆生を救済すると信じられている。
第1:地獄・・・大定智悲地蔵 第2:餓鬼・・・大徳清浄地蔵
第3:畜生・・・大光明地蔵  第4:修羅・・・清浄無垢地蔵
第5:人道・・・大清浄地蔵  第6:天道・・・大堅固地蔵



観音講供養塔(右) 
不動明王坐像(左)



再び現在の「大曲共同墓地」を見る。



「大曲地蔵堂跡(大曲共同墓地)」を後にして県道45号線・中原街道を南方向に進む



「大曲地域集会場」の敷地内にあった石碑群。



この場所は「下大曲神社跡」であると。
「下大曲神社の碑」。



「下大曲神社の碑
昔は下大曲の地は下大曲村として独立し一七〇〇年に大岡忠相が領主となり 氏神様として
「下大曲神社」が建立された  当時は十戸足らずの小さな集落であった その後 明治に入り
田端の貴船神社と合祀されたものの大正時代に入り再び下大曲 の地に戻された 
昭和四十九年(一九七四年)七月「大曲児童館」建設のために境内敷地の一部を寒川町に貸与し 
今般 同 施設の老朽化に伴い「大曲集会所」として 建て替えることとなり地域発展の為に
協力することとなった
しかし境内の相当部分を提供することとなり、また下大曲神社の建物も老朽化が進み 更に
神社前の道路は交通量が急 増し境内で祭典を催すことは非常に危険な状況となった 
一方 大曲地区の世帯数は壱千世帯を超えたものの氏子の数は減少を 続け 将来的に神社の
管理運営が困難な状況に陥る可能性も出てきたた等々を勘案し氏子の同意の元に 
今般 合祀すること となった」



「庚申塔」碑。



「庚申塔
寒川町指定重要文化財第十四号」
昭和六十二年六月三十日指定
承応ニ年(一六五三)九月銘のこの石塔は、四臂の青面金剛像と二猿、雌雄の鶏が
刻まれた庚申塔としては全国で最も古く、茅ヶ崎、藤沢、平塚、寒川で確認されている
七体の中でも最古のものである。
石造笠付角柱型 塔高九十センチメートル」。



ネット情報によるこの庚申塔は現在、この庚申塔は寒川神社方徳資料館で保管されて
いるとのこと。


  【http://chikyodokai.wp.xdomain.jp/?p=10592】より

そして「大曲地域集会場」。



更に東に進み、「聖天橋(しょうてんばし」の手前の住宅街の路地を左に折れて進んだ場所の
墓地の中にあった「地蔵尊」。



墓地の隅には宝篋印塔や多くの石仏が並んでいた。



小出川の堤防の下にあった「地蔵堂」。
神奈川県高座郡寒川町大曲2丁目6−28。



「舟型光背地蔵尊 寛文3年(1663)」(右)
「地蔵尊 明和8年(1771)」(左)



「光明真言供養塔 文化7年(1810)」
塔身の正面上部に弘法大師坐像が陽刻されていた。



陽刻された弘法大師坐像に近づいて。



「小出川」の堤防側から「地蔵堂」を見る。



「東福寺跡 大曲共有墓地」碑。



地蔵尊
・舟形光背地蔵尊 右 江戸時代(寛文三年・一六三三)

 風雨にさらされていたにもかかわらずきれいに遺っていた。
・地蔵菩薩立像 中央 江戸時代  明和八年・一七七一)
・光明真言供養塔  左 江戸時代 文化七年・一八一〇)
 塔身の正面上部に弘法大師坐像が陽刻されていた。
東福寺跡
新編相風土記稿に「東恵山と号す。古義真言宗岡田村安楽寺未、本尊薬師」とあります
墓地が聖天橋の北側にあり、歴代住職の墓石(無縫塔または卵塔)も残っています。」



堤防上から「小出川」を見る。



そして「小出川」に架かる「聖天橋」を渡る。



「小出川」銘板。



「半夏生(はんげしょう)」   
夏至から数えて11日目(もしくはその日からの5日間)「半夏生」と呼ぶが、その頃に花
が咲くことから「半夏生(はんげしょう)」 の名が。



上の方の葉っぱが、ペンキをべったり塗ったように 白くなるのがおもしろいのであった。



白い葉っぱと花をズームして。



「聖天橋」を渡る。
この橋に「聖天橋」の名前がついた理由は?



そしてこの日の散策、そして「寒川町」の全ての散策を完了し、「香川駅」に
到着したのであった。



「寒川町」の散策では、この香川駅から2度スタートしたのであった。



そしてこの日に、 私の住む神奈川県藤沢市と市境を接している6市1町
鎌倉市、横浜市戸塚区・泉区、大和市、綾瀬市、海老名市、
茅ヶ崎市、 寒川町、
寺社旧蹟巡りを全て完了したのであった



以下にその散策リストをリンク付きで。

★​ 藤沢市歴史散歩

(116)

★横浜市泉区歴史散歩

(39)

★​ 大和市歴史散歩

(16)

綾瀬市歴史散歩

(13)

★​ 鎌倉市歴史散歩

(175)

★​ 海老名市歴史散歩

(50)

★​ 茅ヶ崎市歴史散歩

(84)

★​ 寒川町歴史散歩

(27)

                              ・・・​ もどる ​・・・


 ⛩⛩⛩  寒川町 完  ⛩⛩⛩





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Last updated  2022.07.29 11:06:12
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