JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.03.18
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カテゴリ: JINさんの農園
「伊豆の国市」のホテルに1泊し朝を迎えたこの日は、 伊豆・河津桜 へ向かう。
国道414号 をひたすら 南下 し、「 旧天城トンネル 」に立ち寄ることにする。
「水生地下駐車場」先を左折し、「​ 天城路・ 踊子歩道 ​」👈️リンク に車で入る。



踊子歩道 総合案内
踊子歩道は、小説「伊豆の踊子」の舞台となった天城路を歩く、「浄蓮の滝」から「湯ケ野」
までの約18.5kmのコースです。
東海道三島宿から下田へと続く古くからの伊豆の主要道であった下田街道をたどることが
できます。
今でも小説に描かれた当時を偲ぶ道標や天城隧道(旧天城トンネル)や宗太郎杉並木などの
見どころがそのまま残っており、四季折々の自然、温泉、歴史文化を楽しめます。
踊子歩道は整備された歩道ですが、距離が長いので自分の体力に合った無理のない計画をたてた
うえでお楽しみください。」

踊子歩道の案内板

踊子歩道 地図。



そして狭い「踊子歩道」しばらく進むと、カーブの先にあったのが
苔生した「 川端康成の碑 」。
1981(昭和56)年に天城山隧道に向かう旧下田街道沿いの林のなかに建てられた。
二つに切り左右を少しずらしてつけた巨大な自然石に 「伊豆の踊子」の冒頭部分 川端の
レリーフ がはめ込まれていたのであった。
名作『伊豆の踊子』誕生秘話
川端康成は、一高生であった大正7年(1918年・106年前)、20歳の時に初めて伊豆へ旅をした。
修善寺から湯ケ野へ向かう道すがら、旅芸人の一行と出会い、14歳の踊子が川端に好意を
寄せていく。その時の体験を綴った『湯ケ野での思ひ出』が、のちに不朽の名作『伊豆の踊子』
となる。踊子歩道には今も、彼が目にしたのと同じつづら折りの道や杉林、旧天城トンネルなどの
風景が点在するのであった。
この踊子歩道は平成27年に新日本歩く道紀行『文化の道100選』にも選ばれている。
踊子の面影を追って、名作の詩情あふれる旧天城街道を進んだのであった。



伊豆の踊子
道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、
すさまじい早さで麓から私を追ってきた  川端康成 」と。
川端康成の 名作『伊豆の踊子』の書き出し である。
この石碑は自筆 によるものと



「川端康成」のレリーフ



斜めから。



「踊子歩道」から見上げて。



その先の急カーブの場所にあったのが 「日本の道 100選」碑



「​ 日本の道100選 ​」👈️リンク は、1986年に8月10日が「道の日」と制定されたことを記念し
選定された104本の道路。
建設省と「道の日」実行委員会によって1986年度(昭和61年度)に歴史性および親愛性を
基準に53本、次に1987年度(昭和62年度)に美観性および機動性を基準に51本の道路が選定された
と ネットから。

道 日本の道100選 天城路 昭和61年8月10日 」と。



手前にあった各種案内板。



遊歩道と国有林歩道の案内図
湯ヶ島国有林
この一帯の国有林は、昭和天皇在位50周年を記念して昭和52年3月に
「昭和の森・天城山自然休養林」に指定されました。
八丁池やブナの原生林、「伊豆の踊り子」で名高い天城隧道や狩野川源流など、優れた景勝に
恵まれており、国立公園第2・3種特別地域及び水源かん養・保健保安林の重複指定も受けて
います。
森林のもつ癒し効果を求めて訪れるハイカーや登山者は多く、遊歩道のほか、国有林も利用されて
います。
当署では、森林の快適性増進効果をより多くの方に味わっていただくため、生活環境保全林
整備事業として周辺の整備を行いました。
         林野庁 伊豆森林管理署」



富士箱根伊豆国立公園 踊子歩道 」案内板。



ここにも「 踊子歩道 総合案内
踊子歩道は、小説「伊豆の踊子」の舞台となった天城路を歩く、「浄蓮の滝」から「湯ケ野」
までの約18.5kmのコースです。
東海道三島宿から下田へと続く古くからの伊豆の主要道であった下田街道をたどることが
できます。今でも小説に描かれた当時を偲ぶ道標や天城隧道(旧天城トンネル)や宗太郎杉並木
などの見どころがそのまま残っており、四季折々の自然、温泉、歴史文化を楽しめます。
踊子歩道は整備された歩道ですが、距離が長いので自分の体力に合った無理のない計画を
たてたうえでお楽しみください。」。



踊子歩道全体図・周辺図 」。



湯ヶ島国有林」案内板 」。



八丁池 」案内板。



八丁池 」の写真をネットから。
八丁池は標高1,173mにある池で、以前は天城火口の火口湖とされていましたが、最近の調査で
湖と断層のズレに水がたまって出来た池であることがわかりました。
周囲がスズタケに覆われていたことから別名 「アオスズの池」とも呼ばれ、「モリアオガエル」
の産卵地としても知られています。
池の名の由来は周囲が八丁(870㍍)あるところから名付けられた と。
※実際には560m程度、この場所から歩いて、4.8km、3時間以上かかるようであった。



近くにある「水生池」からの水の流れはなかった。



苔生した四阿風の休憩場所。



熊出没注意
「令和5年10月20日河津町の梨本国有林内にてツキノワグマが捕獲され、
放獣されました。
入山の際にはご注意ください。
   昭和の森・天城山自然休養林管理運営協会」と。



「旧天城トンネル」まで1.0km と。



そして「旧天城トンネル」北入口の手前右側にあった石像は「 江藤延男追慕碑 」。
天城山での遭難者救助のために、昭和38年に設立された「天城を守る会」の初代会長 との事。
天城山中では、昭和32 (1957) 年12月、満州国皇帝溥儀の姪の愛新覚羅慧生(あいしんかくら
えいせい)と、同級生大久保武道が、ピストル自殺を遂げた事件が起こった。
このことが、「天城山心中」、「天国に結ぶ恋」とマスコミに騒がれたことで、天城山に
やってきて自殺する男女が多く、その捜索活動もしていたと。
環境省の地域環境保全功労で大臣賞も受賞。
『昭和の森』で定期的に自然観察会を続けるとともに、学校や地域住民への環境教育にも
力を注いだ人物であると。



近づいて。



江藤延男追慕之碑 」。



そして正面に「 旧天城トンネル(天城山隧道) の北口 が現れた。



旧天城トンネル北口園地
こは「旧天城トンネル北ロ園地」です。
トンネル辺には、天城の豊かな自然を満喫する様々なコースがあります。
これよりトンネル横を登って行くと、数々の自然歩道の分岐点でもある「天城峠」へと出ます。
峠を左へ行けば「八丁池」へ、右へ行けば「ニ本杉」を経て「仁科峠」へと続いています。
事前計画を十分にたててから利用してください。」



トイレ休憩を。



冬季には利用できないようであった。



入口に近づいて。



「天城山隧道」と。



入口左側の石碑、そして案内板。



重要文化財 天城山隧道
天城湯ヶ島町湯ケ島
河津町梨本
この隧道(トンネル)は下田街道の改良工事の一環として、明治三十四年(一九○一)に貫通、
同三十七年に完成した。
全長四四五.五メートル、幅員四.一メートル、トンネル両端の坑門及び内部全体が切石積で
造られ、川端康成の小説「伊豆の踊子」をはじめ多くの文学作品に登場するトンネルとして
広く親しまれている。
平成十三年六月十五日、わが国に現存する石造道路隧道の中で、最大長を有する土木構造物で、
技術的完成度が高く、明治期を代表する隧道であるとして、道路隧道としては全国で初めて
重要文化財に指定された。
平成十三年十二月建立
             静岡県」



天城山隧道
天城山隧道(田方郡天城湯ヶ島町~賀茂郡河津町)ー天城湯ヶ島町と河津町をつなぐトンネルである。
陸の弧島を嘆く南伊豆の人達の熱い思いによって、総工費10万3,016円の巨費を投じて明治38
(1905)年に開通した。地元上河津村では1万2,361円余(実際には郡費補助の名目で賀茂郡が
支出)を負担した。さらにトンネルまでの道路工事費も1万円余を負担した。
このトンネルの完成によって北伊豆と南伊豆の距離は一挙に短縮し、難所の天城越えは解消した。
延長        446.00m
幅員    3.50m
有効高   3.50m
標高    708.74m」


日本の道100選( 昭和61年8月)
登録有形文化財(平成10年9月)
重要文化財(平成13年6月)
切り石巻工法
工事は石巻といって、石を積み上げていくエ法で施工され、石は、大仁町吉田地区の吉田石が
使われた。」

標準横断断面図



すると、入口で準備中の工事関係者の方から、この「 天城山隧道 」は工事中であり、
隧道を出た所から通行止め になっているとのこと。
今日は隧道内の電気工事のため、隧道内の照明は消える可能性もあると。

よって慌てて車に戻り「​ 天城山隧道 ​」👈️リンク の中に入ったのであった。
静岡県伊豆市と、河津町を結ぶ国道414号(旧道)のトンネルで、1900年(明治33年)に起工、
1904年(明治37年)に竣工 1905年(明治38年)に開通 しました。 全長は445.5メートル で、
トンネル壁面や入口アーチなどはすべて切り石で作られています。 現存する石造トンネルでは
国内最長 であるとのこと。
1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された(登録名「旧天城隧道」)。
その後、 2001年(平成13年)に「天城山隧道」の名称で道路トンネルとして初めて、国の
重要文化財(建造物)に指定 された。
※この指定にともない登録有形文化財としての登録は抹消された と。



ズームして。



工事は石を積み上げていく「切り石巻」工法で施工されていることが
確認できたのであった。



設定を変えて。
工事は石巻といって、石を積み上げていくエ法で施工され、石は、大仁町吉田地区の吉田石が
使われたのだと。
路面に近い石は、上方の石と比較して表面の粗さが目立っていると感じたのであった。



南側出口が大きくなって来た。



そして出口へ。

下田散策~河津~天城峠~修善寺】「ゆるキャン△」舞台訪問 ロードバイクで秋の伊豆半島を巡ってきた Part 2/2 | TAMAISM

天城トンネル南入口の先で駐車。



登録有形文化財
旧天城隧道
この隧道(トンネル)は、明治三十八年に築造され、川端康成作「伊豆の踊り子」の
トンネルとして広く親しまれている。
トンネル入口や馬蹄形をしたトンネル本体とともに総石造構造のものは珍しく重厚な構えと
なっている。
明治末期を代表するこのトンネルは、国土の歴史的景観に寄与しているとして、平成十年
九月二十五日 有形文化財に登録された。
  平成十ニ年三月二十四日建立  静岡県」



登録有形文化財 第22-0013
この建造物は貴重な国民的財産です。
文化庁」



旧天城隧道の南側入口 を望む。



踊子歩道 案内図 」。



全面通行止め のお知らせ
国道414号(旧道)寒天橋から天城山隧道(河津川入口)まで。
伊豆市側(水生地下)からは天城山隧道は通れます。
天城山隧道を通り抜けた駐車場でUターンできます。



そして 河津川方向へは全面通行止め



そして我々も引き返して、「 旧天城隧道 」を通過し、来た道をひたすら引き返したのであった。
そして伊豆市側(水生地下)からは天城山隧道は通れます。
天城山隧道を通り抜けた駐車場でUターンできます。  との 表示があった のだ。



ハングルの案内板も置かれていたのであった。



                                ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・







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Last updated  2024.03.18 19:08:18
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