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■現在品切れ中の本を図書館で借りて読む。平凡社刊。単刀直入に言って、すばらしい本だった。あまりにすばらしかったので、さっと読むのがもったいなくて、図書館の貸し出しを3回も延長してしまった(^_^;)。■本書は、『音楽の友』(音楽之友社)で連載されていた、著者の対談を集めたもの。中世から現代まで歴史を追いつつ、それぞれの時代の専門家と著者が対談する。■平凡社のサイトからコピペさせていただいたが、内容は以下の通り。 祈る人、戦う人、働く人―中世文化の担い手たち(中島悠爾) 書きしるされた音楽―中世の楽譜と音楽理論(皆川達夫) 聖と俗の共存―中世美術に描かれた楽師と楽器(名取四郎) 二つの宇宙のはざまに―ヨーロッパ的なるもの(阿部謹也) 不動の視点―イタリア・ルネサンス(高階秀爾) 地中海へのあこがれ―北方ルネサンス(樺山紘一) 生き切った時間の想い出―ルネサンスの祝祭(若桑みどり) 多視点のマニエリスム―シェイクスピアの世紀末(高橋康也) 真実よりも真実らしく―魂を揺り動かすバロック芸術(坂本満) 節度と型―フランス古典主義演劇と宮廷バレエ(伊藤洋) 〈良き趣味〉をもとめて―楽譜と演奏習慣(有田正広) 音は宇宙を宿す―自然科学と音楽(村上陽一郎) 世界は一冊の書物―啓蒙主義と音楽(鷲見洋一) 立ち遅れたドイツ―ゲーテの時代(小栗浩) 瞑想の伝達、内面の解放―ドイツ・ロマン派の絵画と音楽(有川治男) 浪費の復権―19世紀パリの文化(横張誠) カタルシスの放棄―リアリズム演劇(毛利三彌) ひび割れた生命の杯(三光長治) 影から影へ―フランス印象主義(平島正郎) 夢と現実―世紀末ウィーン(千足伸行) 西欧との出会い―帝政ロシアの文化(川端香男里) 保守的な革命家―ドイツ表現主義(土肥美夫) ユニヴァーサルな卵―未来への展望(武満徹) イメージとしての音楽―なぜ音楽を語るか(三宅幸夫)■音楽の歴史を、社会や文化の中において考察する。話題は音楽を中心にしつつも、美術、文学、演劇、哲学、社会とさまざまな分野へ広がっていく。それに対応する著者の幅の広さにも脱帽してしまう。■そういえば、以前著者を含めた数人で飲んでいて、ヴァーグナーのオペラの解釈をめぐって議論し、ぼくがバルザックの『谷間の百合』を例に出したとき、それに反応してくれたのは本書の著者だけだった。それはともかく、ぜひ本書のような良書は復刊してほしい。
2009.03.31
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音楽と文学の間■ピアニスト・アファナシエフの著書。といっても、彼が書いた雑文と、彼へのインタビューを集めたもので、これといったまとまりはない。■本のタイトルそのものは、まさにぼくの関心のあるところだけど、少なくとも今回は(?)あまり得るものはなかった。■とはいえ、こだわりをもって選曲し、こだわりをもって演奏するピアニストが、どのように曲をとらえ、また、どのように音楽と文学に接点を見いだしているのかは、興味深く読める。■ちなみにアファナシエフがとりわけ評価している作家は、プルースト、ジョイス、ムージル、ベケットといった、いわば近代小説を作り上げた人たち。そこで描かれた人間の無意識や直線的ではない思考や認識は音楽の聴取や認識を考える上でも大いに参考になるものだろう。■そのほかバルザックやチェーホフといった名前が挙がるのがうれしい。
2009.03.31
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文化としてのシンフォニー(2)■更新が滞っているが、本はほぼ毎日読んでいる。それについてはいずれ書くかもしれないが、ともあれ本書について。■本シリーズ(?)の第1巻が非常によかったため、第2巻の本書にも期待が高まるが、第1巻ほどの感動はなかった。ただこれは著者のせいだけでもないだろう。■というのも、ベートーヴェン以後の交響曲を大局的に整理するというのは、どうしても大部な本にならざるをえないからで、、それをこの分量にまとめるならば、当然、内容は広く浅くなるのも仕方ないだろう。■とはいえ、重要な問題提起は多くなされており、いろいろ刺激を得ることができた。例えば、ベルリオーズの「シンフォニー」の意味。また、チャイコフスキーの《マンフレッド交響曲》評価と音楽学の立場や歴史記述の問題。などなど。今年度中に、ある作曲家のある交響曲について、論文を書く予定なので、参考になった。
2009.03.20
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本は10冊同時に読め!■副題は「本を読まない人はサルである!」。さてと。実はこの本、一度書店で手にしたが、あまりたいしたことは書いてないな、と思って買わず、それでも、と思って買ったもの。■成功者はさまざまな分野の本を、同時並行的に読んでいるものだ、という主張は、確かにその通りだろう、と思う。しかし、本書を通じて嫌悪感をもったのは、著者が「経済的成功」を至上主義としており、そうではない人間に対して、差別的感情を示していることである。■とはいえ、ぼくが著者に対してもった疑問は、もう少し別のところにある。つまるところ、著者が同時に10冊読む本のなかに、文学・小説のたぐいが入ってないのである。■そもそも、文学・小説といった本は、10冊も同時並行的に読めるものではなく、むしろ一気に勢いをもって読むことが、必要だったりする。だから、この著者は、人生を通じて何度も読み返すことのできる文学に出会うことはないだろう。■なおこの著者は、過去に読んで感動した文学の例として、村上春樹の『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』を挙げている。ぼくも村上春樹を全面的に否定するわけではないが、この程度の小説を読んで、感動しすぎて危険だから読まないようにしている、というのは、あまりにも文学的素養がなさすぎる。むしろ、感動したなら何度でも読み返しなさいよ。読み返して、それが本当に再読に耐えうる作品なのかをしっかり吟味しなさいよ、と言いたい。■文学・小説を人並み以上に読んだうえで、本書のような本を書くのであれば、大賛成である。
2009.03.13
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■『坂口安吾全集14』(ちくま文庫)を読む。久々に坂口安吾を読んでいて、少し嫉妬してしまった。ぼくもエッセイを書くなら、こういう文章を書きたいと(^_^;)。それはともかく印象に残るのはやはり、タイトルにも挙げた「FARCEについて」「堕落論」である。■「FARCEについて」から印象に残る文章をひけば、例えばこんなのがある。 「感じる」ということ、感じられる世界の実在すること、 そして、感じられる世界が私達にとって これ程も強い現実であること、 此処に実感を持つことが出来ない人々は、 芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはならない。 (強調の点は省略)そしてファルスについては、こう書く。 ファルスとは、人間の全てを、全的に、 一つ残さず肯定しようとするものである。 凡そ人間の現実に関する限りは、 空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、 矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、 何から何から肯定しようとするものである。■徹底的に堕ちることを推奨する「堕落論」。これについてもはや付け加えることはないが、最後の一文が効いている。 政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。優れた視点をもって書かれた文章は、いつの時代に読んでも新鮮である。
2009.03.10
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■辻邦生の短篇集『異邦にて』(新潮文庫)所収。ただしこの小説は中篇ぐらいの長さ。実は今、ほとんどの文庫が引越しの段ボールの中で、今日、雨が降ったことで電車のなかで読む本を探し、たまたま出てきたのがこの文庫。もともとこの文庫は読みかけのままだったので、ちょうどいいや、と持って出かけた。■まずは最初の電車待ち、それから電車内で。さらに乗換の駅で40分待ち(^_^;)。引き続き電車内で読み、その後、読み継いだ。こうして電車に乗ったり、また電車を待つ間にする読書というのは楽しい。(以下、ネタばれあります。ご注意ください)■小説は、中仏のP**大学というのが舞台。西洋中世関係の夏季セミナーに出席する主人公(日本人)が大学に向かう旅程で、ある若いポーランド女性と会う。その彼女テレーズも同じセミナーに参加するということで、大学でも徐々に親しくなっていく。■しかし、そのセミナーに参加する、さまざまな国の若者たちの関係が次第にぎくしゃくし始める。その大きな原因が、第二次世界大戦における各国の関係だった。■テレーズに惹かれる日本人男性(主人公)、やたらと自殺願望をひけらかすイタリア人男性など、さまざまな個性が集まるなか、セミナーが終わって最後の晩のパーティで、ドイツ人男性が悪ふざけをしてヒトラーのまねをし、彼はテレーズに拳銃で撃たれてしまう。■テレーズの可憐でぼんやりとした存在と、大学を取り巻く環境の穏やかな雰囲気と、その背景にある歴史的な暗さのコントラストが妙に印象に残る。
2009.03.06
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批評理論入門■ここ数週間、目が回るくらい忙しい生活を送っている。大学の業務と原稿執筆、それに引っ越し(^_^;)。そんなさなか、ちょこちょこと読んでいたのが本書(中公新書)。副題は「『フランケンシュタイン』解剖講義」。■相変わらずこういった類の本が好きなのは、ぼくの分析好きと関わっていると思う。そしてもちろん考えていることは、こうした視点と音楽研究との融合なのだけど、そうした研究がすでに時代遅れであることも分かっており、それがかたちになるにはもう少し時間がかかるかも。■ともあれ本書は、フランケンシュタインを例に、さまざまな視点から分析した好著。手際よくまとまっていてよかった。
2009.03.05
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