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シベニクの聖ヤコブ大聖堂は、クロアチアの【世界文化遺産】に2000年に登録されました。英語での世界遺産名はThe Cathedral of St James in Sibenikでありますが、世界遺産でありながら・・・この教会には、面白い彫刻がいっぱいあります。 『クロアチア旅日記』・・・大聖堂の彫刻 【世界遺産】ヤコブ大聖堂は、とっても大きいが これが【世界遺産】 平凡な大聖堂だと・・・思うでしょ? 私は、この教会は面白い いや~すっごく面白い それは・・・ むっちゃ~ぁ 変わった彫刻があるからであります。 左側に周って 「教会の門」の彫刻は、素晴らしいんですが よ~く見ると・・・両脇に アダムと イヴが アダム氏イチジクの葉っぱでおさえるしぐさが不自然だし イヴさん=太目なのに・・・お腹と胸が、見えてるし 顔が・・・芸術的か? って言うより・・・申し訳ないけど 高級感が無い 笑える彫刻ですよね・・・おっと 【ユネスコの世界文化遺産】に向かって失礼です。 ゴメンナサイ ひときわ目立つ白亜の教会 「聖ヤコブ大聖堂」には、 世界的に珍しい彫刻があります それは並んだ「顔」 老若男女の顔が71個 大聖堂の壁に刻まれた顔の彫刻 当時の王さま? 王さまの家族? 貴族? ああ~聖書に出てくる「聖人」? では・・・無くって 全員が、違う顔だし・・・71人も 職業も違う・・・普通の市民 どうも? 71人の顔は、 大聖堂建設に情熱を燃やした 普通の「シベニク市民」の顔らしい? それを大聖堂の目立つ所に貼ってある! これは、教会としては、 ありえない事であります! 見た事も、聞いた事も無い話であります。 これは、イエス様も許して下さったのでしょうか? 大聖堂の一番高い所に「大天使ミカエル像」が、気高いお姿で・・・ あああ・・・そっか~下の人間達は、少し普通が 普通の人間で良かったのか~そっか~そっか~(勝手に納得) マリアさまにもポチっとなう。→
2011.01.31
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テーマ世界遺産紀行ブログを書いているのに・・・・【世界遺産】が、全然出てこないじゃん!なんて言われそう~ですから・・・・クロアチア・シべニクの2000年に登録されたカトリックの大聖堂をご紹介しようと思います。 『クロアチア旅日記』・・・ヤコブ大聖堂 シベニクの聖ヤコブ大聖堂 Cathedral of St. James Sibenik ザダルの大聖堂と同じじゃん!って言わないで・・・ こちらは・・・ 2000年にユネスコ【世界遺産】に登録された豪華な大聖堂 その理由は、 レンガや木の補助を全く使わずに建てられた 石造建築の教会としては、世界で一番大きい事 シベニクの都市景観ディザインを高める芸術である事 だそうですが・・・・ 大きな大聖堂を立てた理由は? 近くの都市に立派な教会が建ちはじめたのに・・・ 「おらがシベニクには、地味~な教会しかない!」 と言うので・・・どこよりも大きな教会をと シベニクが、1298年に市になった事もあり計画 もともと市民の声により始まった工事は、 ベネチァの職人と シベニクの市民との努力により 珍しい装飾が施されたのであります。 他では、見たことが無いユニークな装飾 そして、市民がいっぱいある そんな珍しい~大聖堂とは、如何なる建築なのでしょうか? ぼちぼちとよろしくなう。→
2011.01.30
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シベニクは、クロアチアのとっても古い街で、ダルマチア地方の中央に位置しています。住民のほとんどがクロアチア人であります。そんなクロアチア人の多く住むシベニクの歴史について・・・少しだけ♪そして素晴らしい「聖ヤコブ大聖堂は、【世界遺産】に登録されています。 『クロアチア旅日記』・・・シベニクの歴史 赤い屋根 白い壁 緑の窓 シベニクの街並 シベニクの港へ向けて大砲が向けられています シベニクを守る大砲何故に必要だったのでしょうか? 歴史(ウィキペディアさま参照) シベニクが初めて 今の名前で登場するのは 1066年 クロアチア王=ペトロ・ウラジミール4世の時代 他のダルマチアの町と違い シベニクのイリリア人と ギリシャ人と 古代ローマ人が建設した街 アドリア海東岸の クロアチアの都市では最古の町 1298年シベニクは「町」の地位と独自の司教区を与えられた。 それ以来 クロアチア人が 実際に定住する前の長い間 聖アンナの城の洞穴は 居住に利用されてきたと証明されている。 他のダルマチアの都市のように「シベニク」は 1412年まで ヴェネツィア共和国に抵抗し 15世紀の終わりには オスマン帝国がシベニクを脅かしたが 征服するには至らなかった。 16世紀には 聖ニコラスの要塞が建築され 17世紀までには、聖ヨハネ(Tanaja)と スビチェビッチ(Subicevac(Barone))の要塞によって シベニクの要塞化が再び促進された 1797年のヴェネツィア共和国の滅亡によって シベニクは ハプスブルク帝国の支配下に 第一次世界大戦後 ユーゴスラビア王国の一部となり 第二次世界大戦の間 イタリアファシスト政権とナチスに占領され 戦後は 1990年のクロアチア共和国の独立まで ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 の一部であった。 1991年~1995年 クロアチア紛争 クロアチアのユーゴスラビアからの分離独立および クロアチア人とセルビア人の民族対立をめぐる紛争 街は、破壊されたが、市民の努力により徐々に復興へと ざっくり歴史を理解し世界遺産ポチっとなう。→
2011.01.29
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クロアチアのダルマチア地方を旅する事は、随分と昔からの夢でありました♪アドリア海に沿って個性的な古い街を訪ねる・・・そんなワクワクする胸の鼓動が聞こえて来ますでしょうか?全然聞こえない・・・あら~残念ですがっ!? 『クロアチア旅日記』・・・黄昏のシベニク シベニクに到着した時には、 お日様は、アドリア海の向こうへ落ち 冬のヨーロッパの日暮れは早く・・・ ダルマチア地方の古い街シベニクの冬 港の風は、もう~少し冷たいです。 夏ならば、カフェで足を組みお茶を楽しんだり♪ 海を見ながら、ここに坐ってまったりしたいけど 今はクローズですね・・・・残念です。 これから素晴らしい【世界遺産】を見る為に 街の中へ吸い込まれて行きますポチっとなう。→
2011.01.28
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クロアチアのザダルからアドリア海の景色を見ながら1時間半バスは、国道8号線に沿って南下し・・・シベニクに到着。冬至に近いので、そろそろ黄昏時です~黄昏の【世界遺産】との対面を果たせるのでしょうか?まずその前に・・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・トイレの女神さま ザダル発→シベニク到着 夕方 シベニクとは、どんな街なのでしょうか? ウキウキワクワク 何は、ともあれ・・・・ グループ旅行の基本はトイレ シベニクの有料トイレ トイレの入口には必ず・・・ 「トイレの神様」が トイレの女神さま このお姉さんの机の上にお金を置く 女神さまのお陰で・・・クロアチアのトイレは、 どこでもピカピカ気持ち良いです 日本にいるとトイレと水はタダだけど 海外旅行に出かけると・・・普通に有料であります。 黄昏時の【世界遺産】へポチっとなう。→
2011.01.27
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先日は、新宿の駅弁をいっぱい食べて大満足だったのですが・・・その中で一番人気は「いかめし」だったそうであります。そんなに美味しいのかと・・・疑うきらり。500円で安から一番人気なんじゃ~ないの?と思ったのですが・・・ ♪一番美味しいお弁当を求めて・・・さまよう旅♪ 新宿から京王線で20分(特急)くらいで府中駅の伊勢丹百貨店? 府中競馬場と言えば・・・漠然と全国区でしょうか いかめしGET!!! 潮騒の宴GET!!! いかめし(500円)出来立てで・・・美味しかった さすが・・・NO~1 贅沢な「潮騒の宴」1280円 【札幌市・雑魚亭】 ざこてい かに・うに・あぶりサーモン・かに・いくら醤油漬けなど・・・ 美味しいに決まってるじゃん 場所=伊勢丹・府中店「冬の大北海道展」にて いかめし醤油顔のイケ面求むポチっとなう。→
2011.01.26
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ザダル旧市内のドナット教会やローマ時代の広場からは、すぐの所に・・・・真っ青な海に出会う事が出来ます。冬だから真っ青なのか・どうかは分からないのですが海と空の青さに感動するのですから♪真夏のヴァカンスで訪れる事ができたとしたら♪happy~ 『クロアチア旅日記』・・・新しいザダル ザダルのドナッド教会やローマ時代の広場の すぐ近くには、信じられない程の真っ青な海が「アドリア海」 大きな観光船が出航 ヴェネチア行きかな~ぁ? 港を歩いて行くと・・・・ 不思議な世界が おっと背中のデッカイ兄さんが20m先で お邪魔していますいつも私の20m先でお邪魔なお姿 私の事を「昔、酷い目に遭った女に似ている!」と言った 美しい景色がダイナシに! これが ザダルの新システム ウォーターフロントの 「シーオルガン」Sea Organ 海岸には、階段があって・・・ 階段には、四角い穴が! 打ち寄せる波と風が 穴から入り・・・パイプを通り 丸い穴から出る時に・・・音が パイプオルガンみたいな音を奏でる ♪ぼぉ~ぼぉぉ~ん ♪ぼぉ~ぼぉぉ~ん なんと~不思議な音であります。 波と風に寄って鳴っている ♪ぼぉ~ぼぉぉ~ん 大聖堂のパイプオルガンみたいに神聖な音 そんな音を鑑賞するのにピッタシな木のベンチ あらぁ~ピアノの鍵盤になっていますね 学生時代ピアノを少々嗜んだ者として嬉しいベンチ そんな北風を受けて鳴り続けるシ-オルガンを聞きながら あら~っ? あの先にある・・・どデカイ丸い物は何? 「太陽の記念碑」Monument to the Sun と名づけた・・・ 新しいシステム ソーラーパネル 昼間に太陽のエネルギーを集め 夜に青く光るらしい? 公園のランプも これで光らせるのだと言う!? 2005年に完成したこのシステムは、 新しいザダルをアピールするものなのでしょうね。 広くて、明るい広場となったザダルの港は、 夏には、楽しいイベントが沢山企画されるそうであります。 そんなイベントを、ピアノの鍵盤ベンチで鑑賞したいと 思うきらりでありましたポチっとなう。→
2011.01.25
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ザダルの街は、城壁に囲まれています。何故に・・・?それは、3方を海に面していたから海からと陸から攻めてくる侵略者から街を守るためであります。出入りをする為の門の装飾は、ローマ風でしょうか?ギリシャ風でしょうか? 『クロアチア旅日記』・・・海の門 旧市内には、個性的な民家が・・・階毎に住民が違うのかな? 何百年もの歴史がある建物に住んでいる市民のこだわり 大きな教会が・・・ 小さな教会も・・・ つい入ってみたくなりますが 街は、城壁に囲まれています・・・外側から見た城壁 それは、侵略者から市民を守る為 歩いて行くと出入口・・・門がっ! これは『海の門』 門をくぐると・・・ 青い海が向かえてくれます。 アドリア海 海なのに・・・潮臭くない♪ さて、ザダルの海には、 最新のシステムが登場したのであります。 紀元以前からの歴史を保つ古い街に 21世紀の世界を見る事ができる・・・・ さてそれは・・・・何でしょうか? ランキングポチっとなう。→
2011.01.24
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旧ユーゴスラビア各国のホテルでは、日本行きの切手が置いてありません!普通は、あるよね?クロアチアは、どこのホテルにもエアーメール切手が売ってませんが、ザダルの郵便局で買うことが出来ました。その後は、買えなかったからダザルで10枚。買っておいて良かったです♪ 『クロアチア旅日記』・・・ザダル郵便局 旧市内で、少しだけ自由行動があり郵便局へ 日本までの絵葉書に貼る切手を購入 1枚=6、1R(約98円) 細長いのはエアーメールの青いシール すでに絵葉書に何枚か書き込んでいるので・・・・ 貼る所がっ無いじゃん! 何とか貼って投函 おお郵便局の出口で 「ダルマチア地方の絵葉書」発見! 絵葉書3枚GET!!! 絵葉書は、こちらで ピンクさまブログ と ひでわくさんブログ これで、ホテルの長い夜退屈しないね この切手のおじさんが誰なのか?・・・気になりWikipediaで、調べてみました。 マルコ・ドミニス (クロアチア語で書いてありますが)マルコ・アントニオ・ドミニス Marcus Antonius de Dominis 1560年 (ラブ島生まれ)~1624年 16世紀から17世紀にかけてのアドリア海出身 哲学者・科学者 アイザック・ニュートンが1704年の著書「光学」のなかで ドミニスの虹の研究を紹介したことで知られる。 来歴 1600年スパラート大司教 パドヴァで大学の教授になったが、のち英国国教会に改宗し 1616年からイギリスにわたり 6年間そこにとどまり ケンブリッジとオクスフィードで教えた。 1617年、著作「De Republica Ecclesiastica」で教皇を非難 1618年から ディーン・オブ・ウィンザー(Dean of Windsor) ローマに戻り、英国国教会を捨てるが、異端審問で有罪になり、獄死した。 著書は焚書された。 切手に歴史ありですねランキングポチっとヨロピクなう。→
2011.01.23
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クロアチア共和国のザダルには、ダルマチア地方で一番大きな教会があります。旧市内の広場の裏手にある「ストシャ教会」は、市民に一番人気の守り神である聖ストシアーさまがご本尊であります。その後、周辺の権力者が、ご利益の噂を聞き集まって栄えた街ザダルは 『クロアチア旅日記』・・・聖ストシャ教会 ストシャ大聖堂 Cathedral of St Anastasia ロマネスク様式の大聖堂 4世紀~5世紀頃の教会に起源し 12世紀に建造 1202年 ベネチアの差し向けた十字軍の攻撃を受ける ザダルの街は、破壊と略奪に見舞われ ストシャ教会も破壊され 街は、ヴェネツィアの支配下に 1324年に教会・・・再建 南側にある「聖ドナッド教会」の右に トンガリ帽子が、カワイイ聖ストシャ教会の塔 聖ストシャは、ダルマチア地方の支配者たちに支持され ダザルは、この時期に黄金期となり、とっても栄え 守護聖人(守り神)として大人気になったのであります。 その後・・・ 1797年 ナポレオンにより ヴェネツィア共和国が滅亡 1805年 ダザルは、イタリア王国の一部に フランスから オーストリアに譲渡 ナポレオンの失脚後は、 オーストリア帝国の一部となったり・・・ 第一次世界大戦では オーストリア・ハンガリー帝国が 敗れたため 新たに建国された ユーゴスラヴィア王国の一部となり ダザルは、イタリア王国に譲渡された。 聖ストシャ教会は、 第二次世界大戦の時も 連合軍に攻撃され 大きな被害にあい・・・再建 大戦後の 1947年 イタリアと連合国の平和条約で ユーゴスラヴィア領となる。 1991年 クロアチア独立戦争でも セルビア軍の攻撃で街は大きな打撃を受ける。 複雑で、苦しい時代を乗り越えて今 よくぞ・・・ここにと 改めて「平和」になったからこそ逢えた教会に感動であります。 苦しく辛い歴史はもうおしまいポチっとなう。→
2011.01.22
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国内旅行だったら絶対に「駅弁」を買いますが、いま新宿の京王百貨店で「駅弁大会への道」駅弁をやっていますね・・・・それで旅行した気分には、とてもなれないけど・・・なんと~きらりは今回、4つの駅弁を食べましたよ!えええ・・・一度に4個って・・・そりゃ~私でも無理ですが(^-^)♪ 新幹線が青森まで行った事熊本にも行くらしい 青森県「海鮮ひつまぶし」1100円新作 新鮮な帆立とイクラにめかぶでご飯を半分食べて 後の半分は、ホタテのとろみ汁をかけて2度美味しい 熊本県「鮎屋の極薦」1100円新作 鮎のパートと、焼いた鶏肉のパートに別れていて・・・ 意外にもご飯の味が抜群 北海道釧路駅「いわしのほっかぶり」990円 酸味が効いたいわしのお寿司 うす~い大根が巻いてある・・・これが「ほっかぶり」だ シャッキッと歯ざわりが 北海道旭川「まんざいどん」 蟹とウニが、いっぱいのってます・・・・ 下には、蟹の酢飯かな~これが美味しい TVで何度か宣伝していましたが・・・あと4日で終わりで残念 食べ過ぎ注意ポチっとなう。→
2011.01.21
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クロアチアのザダルの歴史は、紀元前9世紀に始まります。その後、紀元前1世紀ころからローマ人がやって来て自分好みの大きな建物を次々と造っていったのですが・・・私が、何より感動したのは、意外な物であります♪~♪ 『クロアチア旅日記』・・・ピッカピカの道 ザダル旧市内の道は・・・ ピッカピカに光っています 道が、ピッカピカ? そりゃ~ぁぁ雨が降った後でしょ? なんて・・・またぁ 今日の東京地方みたいにカラっカラ天気でも 濡れているみたいなんです! この石の正体は・・・・ 「大理石」です。 それが、ザダル旧市内の道 横丁まで・・・・ほとんど大理石の道 それが、 2000年以上に渡り・・・・ 人々が歩く事に寄って ピッカピッカツルンツルンになり 磨り減って・・・丸くなっています なんと 長~~い歴史が作り上げた 素晴らしい道 だからザダル市民はお散歩が好きなのでしょうか? そして、道にはカフェが 大昔からあったそうで 道を見ながらお茶を楽しむ事が 大昔から オシャレな ヨーロッパ人のこだわり だったのであります。 ザダルは、大理石の道だなんて、 むっちゃ~贅沢じゃん! そうそう~クロアチアは、大理石の産地で この辺り・・・ダルマチア地方の古い街は 大理石の道が時折あるんですが・・・ ザダルのピッカピッカ状態は、お見事であります。 ここの大理石は、近くの島から運んだ物だと聞きましたが あっちゃ~ その島の名前が、思い出せませ~ん! 何でもすぐに忘れてしまう今日このごろ・・・・ おっと~思い出した事が ローマ時代の広場にあった唯一残っている柱の名前 『恥の柱』・・・はじのはしら 日常に置いて、小さな罪を犯した罪人を このローマ時代の柱に 縄で くくり付けて 道行く市民が、それを見て笑ったそうであります。 なんて~事を思い出して、そんな光景も 人の噂も お茶を飲む時の楽しみだったのでしょうか? 思い出したらポチっとなう。→
2011.01.20
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クロアチアのザダルは、今でも文化の香り高い街であります。夏には、大きな音楽祭が開催されたり、写真展なども開催されるそうであります。それは、古い歴史と伝統、そして色々な国の支配下に置かれたからでしょうか? 『クロアチア旅日記』・・・聖ドナッド教会 ザダルは、古い都市で、ユニークな 中世ダルマチア建築の宝庫 だそうで・・・ その中でも 一番有名なのは 白い大きなケーキみたいな 『聖ドナット教会』 ビザンチンの建築様式の影響を受けていて それは ヴェネチアの依頼を受けた「十字軍」に街は攻められ 支配下に置かれたからだろうか? 色々な国の支配下に置かれたので・・・どうも複雑!? 基本は、ロマネスク様式で 上部がゴシック様式の 聖ドナッド教会は、 おおきな 8本の柱で 丸いドーム型の屋根と 大きなケーキみたいな建物を支えている。 約2000年前のローマ建造物をリサイクルして 1324年に完成した。 内部は、音響効果が抜群な為に 夏に、ザダルで「音楽祭」が開催され その音楽祭は、 街の オープンスペースや 教会など あちこちが 会場になるそうですが 「聖ドナッド教会」が、メイン会場になります。 ザダルの街や市民にとって 「聖ドナッド教会」は、特別な存在なんですね 文化の薫り高いザダルの街をお散歩しながら ランキングのお散歩にポチっとなう。→
2011.01.19
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クロアチアのダルマチア地方に、とても古い都市ザダルZadarがある。旧市内の中心には、広いローマ時代からある広場があります。4ヶ月くらい前に綺麗に整備されたらしいのでご紹介しておこうと思います・・・・・・・・ 『クロアチア旅日記』ローマ時代の広場 クロアチアの ザダル郡 ザタル市の 旧市内の真中に 約2000年前 ローマ時代からある広場 長~い 修復作業が終わったのは、4ヶ月ほど前 お散歩が 大好きなザダルの人たちですが・・・ 今日は、何故か? ガラ空き! 広場の向こうに見えるのが 『聖ドナット教会』 まるで・・・ 真白で四角いケーキみたいです。 ローマ時代からある この広場には、 2000年前の ローマ時代の列柱の 基礎部分が 並べられました。 ローマ時代の建物は、すでにありませんが 聖ドナッド教会の隅にあるこの柱1本だけで 後は、 聖ドナッド教会を建設する時に使われたらしい? 2000年前のローマ遺跡の材料で 1200年前に「聖ドナッド教会」を作った訳ですね。 ちなみに 柱の向こう側にある茶色い屋根の家が、 聖ドナッド教会の司教様のお宅だそうですヨ。 ランキングがた落ちがっかりぽちヨロピク→
2011.01.18
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ザダルの歴史を少しだけご紹介したので、どうせなら古い順番に、ザダルの一番古い時代のお宝が収められている博物館と、その前の広場にゴロゴロと並んでいた古い古い時代の彫刻を見てみましょう・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・古そうなザダル ザダルの一番古い物が、収められているのは 考古学美術館だと思われます。 高い文化を誇る ザダルご自慢の 古代文化における カップ、椀、水差し、ガラス 薬品や、化粧品の容器など・・・あるらしい? すぐ隣のトンガリ屋根の 聖母マリア教会は なんと・・・11世紀の修道院で 宗教美術館があり、 特にご自慢は、 金銀細工だそうで・・・ザダルは、優れた匠を生んだ歴史がある。 宝石、珠玉、エナメル、水晶 十字架、聖遺物箱や 聖具などが 美術館の闇の中に輝いているらしい・・・が、 そんなお宝を鑑賞する時間も無く 私たちは遠くから建物を眺めたのみ 考古学美術館の前の広場には、 古い古い遺跡の一部らしき・・・ 興味深い「石」が、整然と並べられているが 夏に訪れたベテランコンダクター広重さんは、 「4ヶ月前までは、工事中で、ああ・・こんなに綺麗になってる!」 と声をあげていた! それに貸切状態だなんて・・・素晴らしい! 夏には、市民や観光客でいっぱいですよ! 信じられない幸運であります。 古い古いザダルでも一際・・・古い そして広場の中央にあるのはパンフレットの表紙 このザダルで一番有名な・・・・これは、壁部分の 聖ドナッド教会がおっと~説明が長くなりそうなので、 また明日にポチっとなう。→
2011.01.17
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江ノ島のイカ焼きを食べたレストランの2階で、まかろんちゃんが「ザダル市観光局の日本語パンフレット」を見つけました。なんと~それが無料でGET!まかろんちゃんは、ぶらぶらしているみたいに思うけど、目ざとい子です♪この無料のパンフレットの内容は・・・ ザダル市観光局「さまざまな発見のある街・・・ザダル」 無料でGETした観光案内 ザダルという街 ザダルは、特別な 時代的精神の息づく 街である。 その地中海的な 魅力は、 長い歴史を持つ 街の個性にある。 ザダルは、当初から栄えた街だった。 リブルニア人 古代ローマ人 ビザンチンや 独立都市コミューンから ベネチア ナポレオンのイリュリアや オーストリアーハンガリー帝国、そして 現在のクロアチア共和国を含め いつも 街として 重大な役割を果たしてきた。 ザダルは、非常に興味深い街である。 そして、昔から 現在まで変わらずに、 ずっと 素晴らしく 過ごしやすい街だった。 ザダルは、 いつから 存在しているかという問いには、 950年に ビザンチン帝国の コンスタンチン・ポルフィロゲネットは、 次のように答えた。 彼は、「ザダル」という言葉がギリシャ語で、 diadoraといって、 「前から存在していた」という意味になっているので、 古代ローマ市の前に存在していたと結論を出した。 ザダル半島で、発見された 次から次へと 発見された居住地の遺跡は 紀元前10~9世紀に遡る。 昔の人々が この街に住み 宗教や 娯楽を共にしてきた 巨大な神殿や 印象的な ローマの広場フォラムの遺跡は、 今でも 街の人々や 観光客で賑わっている。 非常に島の多い 東アドリア海の地方として ザダルは、地理的な位置として ヨーロッパの最も古い地図に記されている。 街が面している 深い青色の海に 三連の真珠ネックレスのような島々 街の背景にもなっている 地中海の穏やかな谷 遠くに現れる ヴェレピット山の峰 自然からもたらされた多くの贈り物の中に パクレニッァ山 プリトヴィツェ湖 コルナティ群島 テラシュチツァ湾 クルカ河 ヴラナ湖など といった自然国立公園は、特別な位置を占めている。 ザダルの名前は1330年の 「世界をめぐる旅」という ヨーロッパの最も古い観光ガイドブックに見出される。 ある1323年以降の観光ガイドブックには ザダルが、面している島々の数が 1年の日数に当たっている といように描写されている。 さらに、バネチアから出発し ザダル クレタ ロードスや キプロスを経て パレスチナに着くといった 中世期における最大の巡礼を語る旅程は すべてザダルを描写している。 現在、ザダルは 大型クルーザーにとって欠くことのできない寄港地になっている。 この街の時代的精神は、 千年の記憶を込めて、 優秀な船員であった 古代のリブルニア人と 現在の非常に優れた ザダル群島出身の船員とを ある神秘的な力で結んでる。 古代、 この群島だけから 永遠の街といわれた古代ローマ市へ 自然な方法で保存された白い魚が供給されており ベネチア共和国の時代に 塩漬けの鰯が ローマ教皇まで運ばれていた。 昔、ローマ向けの食物が揃えられた場所は、 現在、日本へ輸出するマグロが養殖されている。 ・・・・・・・・・・以上ザダル市観光協会「さまざまな発見のある街・・・ザダル」より クロアチアのザダルについて、何も知らなかったのですが・・・・現地の観光案内は、ザダルから見た歴史を知る貴重な資料であると思うので、ここに書き移しました。さて、古い古い歴史あるザダルの街は、今でもザダル市民が普通に暮らす街でありますが・・・私たち日本人がビックリするシステムを実行している街でもあります。そんな興味深い街については、素晴らしいお天気に恵まれた写真に寄って進めて行こうと思います。 長~いブログを読んでいただきランキングにもポチっとなう。→
2011.01.16
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ザダル(ザダール)に到着したのは、そろそろ昼ごはん時でした。ザダルはヨーロッパの重要な港町であり、その歴史もまた複雑でありますが(そんな説明は置いといて)ここでは、ザダルで一番美味しいらしい?イカ焼きを食べる事になっていたので・・・・いざいざ 『クロアチア旅日記』・・・江ノ島のイカ焼き? ザダルは港町です。旧市内の城壁をくぐり 元は、造船所だった建物に レストランは・・・・ドッグヤード 広~い!横浜のドッグヤードに比べると小さいけど・・・ 2階から見るとお舟を作っていた事が想像できます。 私たちは、2階の席でレストランの「イケ面」が、働く姿を見ながら 江ノ島のイカ焼き?を食べる♪ クロアチアのイカ焼き? バテランコンダクターが、昔「江ノ島で食べたイカ焼き」に似ている って言うのですそれが大盛りでレモンを絞り 2杯のイカ焼きあら~香ばしくて美味しい オニオン風味のほうれん草みたいなお野菜も美味で・・・白ワインに 確かに「江ノ島のイカ焼き」風~ サザエのつぼ焼きってあったと思うけど・・・・ 江ノ島にイカ焼きあったかしら? まかろんちゃんのご主人が、ありますよ と新しい「食いしん坊」情報を披露して大笑い 多過ぎるイカ焼き完食 ロールケーキは別腹 日本人ならイカ焼き好きランキングにポチっと→
2011.01.15
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永遠に憧れであるヨーロッパの地中海♪イタリアの長ぐつの型、その東側(地図では右)そこにあるのが「アドリア海」であります。アドリア海を見ながらノンビリとバスに乗って4時間の旅は、閉じ込められた71歳の上品なおばちゃまとの同席・・・・さて。どんな旅 『クロアチア旅日記』・・・ザダルへ クロアチアのオアパティアからザダルまでは、4時間バス旅 アドリア海を右手に見ながら南へ下る快適な 最近、新しく出来た高速道路を走る 海沿いの美しい町が、いくつも 窓ごしの写真が・・・ 窓が、きちゃないから・・・(;残念;) アドリア海は、風が強いから すぐに窓が汚れる! イケ面ドライバー「ドーマンさん」窓拭きは、嫌いらしい? そんな汚い窓越しの 写真にがっかりしながら・・・ 4時間のバス旅 窓際に坐らせてあげた おばちゃまの話を聞いている私。 おばちゃまは、2人旅 同行しているのは、高校時代のクラスメィト 60歳の還暦の時に「クラス会」をし 彼女とは、42年ぶりの再会 お互いが 旅行好きだと言うので 10年以上も 海外旅行を楽しんでいる♪ そんな静かで お上品なお話は、 4時間の旅を 退屈させるものでは無かった きらりも、おばちゃまに あら~良いですね~ここらに別荘でもいかがです 真面目なおばちゃまは、 ここまで来るのは遠いですからねぇ それに お庭は、石ころだらけで・・・ 家庭菜園も出来そうに無いし・・・ クロアチアの景色は、美しいけど風が強い ドライブインで休憩 むっちゃ~寒い ドライブインの地図を見ると 見えないけど左がイタリアで アドリア海がありクロアチア 地中海も アドリア海も 冬は、荒れ狂うが クロアチアの向かいには、島がある為に 強い風と波が弱くなるらしいが、 ダイレクトに風を受けると・・・ 高速道路は、閉鎖になるのだと言う! もう一度 帰りにも通る予定だった この高速道路は 帰りには、強風の為に閉鎖され 私たちは、内陸の一般道路で帰る事になるのであります。 石灰岩で出来たみたいな山は、 アドリア海の強風を受け益々冷たく感じる 休憩が終わり バスに乗って走っていると アッと言う間に・・・・・車窓は、 雪景色へと変わる これから・・・ワニが見えるらしい? ああああ・・・・・・・・・・・・・っ!ワニの形の大きな岩山 左が頭目玉が2個のってる右側が背中からしっぽ ワニに・・・・・・・見えるかな? なにやら伝説ありげなワニさんを車窓から見て いよいよザダル到着 ザダルは、アドリア海に面している為に 対岸のイタリアの領地「飛地」になっていた歴史があるそうで 興味ある歴史を思いながら「ザダル」にて お昼のランチは、なんと「江ノ島の焼きイカ」だって? ザダルが江ノ島?ランキングもポチっとなう。→
2011.01.14
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19世紀のホテルで私は、恥ずかしい「吸盤温泉事件」を起こして、誰にも言わずに(秘)自分で解決したのですが、ホテルのフロントで「クーナ計算表」のコピーをお願いしていると、いつも冷静なベテランコンダクター広重さんが、大慌て真赤な顔をして走って来た! 『クロアチア旅日記』閉じ込められ事件 きらり「吸盤温泉事件」解決し コピーを待ちながらフロントに居ると バタバタバタ コンダクター広重さんが 走って来て 「緊急事態です!閉じ込められたぁ~」 フロントに飛びつくように やって来て 説明をすると・・・また走り去って行った ええ・・・・・・・・・誰が? どこに? 高校時代のお友達同士のおばちゃま(共に71歳) お部屋から出られなくなった! 旅慣れたおばちゃま2名は、 コンダクター広重さんの部屋に電話して 「どうしても部屋から出られなくなった!」と コンダクターが、駆けつけると 確かに部屋は、開かない 古いホテルでは・・・たま~に こんな騒ぎがあるらしいが・・・ これでは扉を壊さないと駄目だと言う大騒ぎになり 結局は、鍵を壊して 無事、救出 ほぅ~ 設備が古い東欧のホテル 危ないですよ~ おばちゃま2人も 置き去りにされるって事は、無いけど・・・ やっぱし スラブ語の国ですもん ☆☆2つ星ホテルだから 言葉が心配 71歳で 旅慣れたおばちゃま達でも 不安だった事でしょう。 さて朝食は、昨夜と同じホテルのバイキング 7時から朝食 8時ロビー集合 8:05出発 アドリア海を右手に見て・・・ウキウキと 【世界遺産】を満喫であります。 ☆yuriyu♪♪さんのアドバイスで、海が見える右側席をGET! そうしたら・・・閉じ込められたおばちゃまの1人が 坐る席が一番後ろの真ん中なので・・・コロコロ転がったら怖い! と、言うので 「私のお隣に、どぅ~ぞ!」と呼んで まんまと坐ったきらり。だけど アドリア海一望の右側座席の窓席を譲った! おばちゃまが、申し訳ないわね~窓際に坐らせてもらって あら~景色が良いですね~本当に嬉しいわと大感動 そして閉じ込められ事件の説明を聞いたのであります。 色々あるランキングにポチっとなう。→
2011.01.13
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どうも子どもの遠足状態が何日も続く傾向があるきらり。ですから寝られない!寝てもすぐに起きて眠れない状態になるのですが、これに悩まず♪それでこその楽しみを見出すきらり。であります・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・眠れぬ乙女 クロアチアのオパティアホテル 手前のベッドで3時間睡眠 昨日買った「絵葉書」書きましょう 今回は、住所録を持参したので ぼ~っとしながら書いたけど 5枚も書いたよ! スロベニアの冬の風景「ブレッド湖と聖マリア教会」 まだまだ朝までは、長い 両親ともA型で きらりもガチガチA型の気質 毎晩の楽しみは荷物整理♪ これが・・・・意外と時間を要する 荷物整理完了 ほ~っ そうだぁ~ クロアチアのお金「クーナ」 1クーナ=16円 もう算数が、何より苦手なきらり。 インド人なら 「16の段のかけ算」できるから便利だよね! 「クーナ計算表」作ろう 夜中に「16の段」暗算は、厳しい ・・・・え~っとクロアチア 1クーナ=16円 ○玉(貨幣) 10リッパ(小玉)1、6円 50リッパ(小玉)8円 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1クーナ (中玉)とり1匹=16円 2クーナ (大玉)さかな1匹=32円 5クーナ(特大玉)くま1匹=80円 「さつ」 「10クーナ」兄さん顔=160円 「20クーナ」ハゲひげ横顔=320円 「50クーナ」アフロヘア=800円 「100クーナ」ハゲひげ正面向=1600円 「200クーナ」ハゲひげおじさん=3200円 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クーナ かけ算表 1=16 6=96 2=32 7=112 3=48 8=128 4=64 9=128 5=80 おおお・・・・これで明日からのお買い物準備 そうだぁ~この「クーナ」計算表 お金の区別が分からないって・・・いちいち広げて私に見せる あの おじいちゃまと おばあちゃまに渡そう♪ 朝フロントで、コピー1枚をお願いしたら・・・ 即、1枚 「おいくらですか?」と、聞いたら 「いや~お金は、いらないよ!」と言われ ラッキー あのおじいちゃまと おばあちゃまが 通りかかり 渡していると・・・ そこに・・・ ブレッド湖で怒った おばちゃま軍団がいらして そうだ~無料なら・・・ 「ああ~すみません!あと5枚お願いできますか?」 とフロントで聞いたら・・・嫌な顔をされるかと思ったけど ニコニコ笑顔 あと5枚のコピーをしてくれた。 なんと優しい~フロントマン あと5枚の「クーナ計算表」は あっという間に大人気で 面白いね~表現が最高だね ハゲに ヒゲに アフロヘアー・・・分かりやすい 玉(貨幣)のお金も くま さかな とり おじいちゃま達も理解して・・・さぁ~出発! その時新たな事件勃発ポチっとなう。→
2011.01.12
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旅に出ると経済観念が欠乏してしまう私ですが、星2つのホテルが、元貴族の古い古いお屋敷だったなんてステキだな~と思うのであります。どう考えてもコーヒーよりも水よりもワインが安いなんてクロアチアは、ステキ過ぎる・・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・オパティア温泉事件 19世紀の貴族の館でお姫様気分になろうと思ったけど 古いお屋敷で設備も古いから(ホテルのサイト) 私たちは、新館に宿泊 入口ドアーを開けると ふつう~ (地味) ベット2つ 今度は、カラーテレビ 化粧台 窓の外には、バルコニーに椅子 あちゃ~お姫さま気分は・・・? 旅立つ前に「寒いから入浴剤」を持って行くと良いよ! とのアドバイスをいただいた「元気なパパさん」→ぽちっと、ブログなう。 スロベニアのホテル☆☆☆ バスタブが無かった ここオパティアの☆☆ホテル バスタブあります やったぁ~ 入浴剤 良いですね~ ただし・・・バスタブが あった時だけ 雨あられに歩き続けこんな時は 温泉気分です~ でも、この温泉はちょっと小さくて深い 向こうを向いてとっぷり浸かった ええ・・・・・・・・背中がっ ペッタン! ええ・・・・・・・・張り付き! 何で? どう言う事? 吸盤、きゅうばん状態 ええ・・・・・吸盤ですよ! きらりの 超~柔らかい お餅みたいな背中が バスタブの後ろ部分(背もたれ部分)に キュ~~~ッと。 張り付いて 身動きできませ~ん! バスタブの真ん中辺りが 微妙に へこんでいるからです。 多分、このお風呂は、こっち向きに入るんだろうな~ それで足を上げて入るのかな? と後悔したけど・・・ 背中がバスタブに張り付いて出られないなんて・・・ 誰にも見られたく無いし・・・ そんなアホな事 ありまへんがな~ぁ ううう・・・・・・・・こんな時は 落ち着いて このまんま 温泉に浸かって のんびり。。まったり~ あああ・・・・力が抜けたせいか 私の人間吸盤は スッポン! とれた・・・・ の話ランキングポチっとなう。→
2011.01.11
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クロアチアの第1泊目は、オパティアと言う都市で、19世紀の元チェコ貴族の館であります。クロアチアとハンガリーとオーストリアは、当時、同盟関係にあった為にチェコの貴族がオパティアの高台にお屋敷を造ったのかしら? 『クロアチア旅日記』貴族のワインで乾杯 クロアチアのオパティアの高台のホテルでディナー バイキングなのでこんな感じで持って来ました 貴族の館は、ホテルに改装 元貴族の館なのに ☆☆2つ星ホテル 庶民的な・・・予感 でも外観は、オーストリアの宮殿みたい HOTEL OPATIJA(オパティア・ホテル)の写真 お庭は、ベルサイユ宮殿の中庭風 高台だから・・・憧れのアドリア海も見える 部屋の仕切りや扉は ヨーロッパの宮殿に似ています 19世紀の貴族が、住んでいた時と変わらない ディナーは、バイキングでだったけど ワインは7クーナ(112円) ええ・・・安いんじゃない? クロアチアもワインの名産地 でもお勘定書きには、 サービス料込み8、5クーナ(136円) あちゃ~136円 安くない? クロアチアの貴族のワイン むっちゃ~庶民派? それにしても・・・ 円高で、 1ドルが 82円 1ユーロが 111円 1クーナが 20円だったのが 16円に 円高 7クーナが 112円だょね! 円高が、こんなにありがたいとは・・・・ まくら銭も7クーナで・・・よろぴく♪ええ~2万円も両替何処で使うのポチっとなう。→
2011.01.11
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クロアチアの難しい歴史を少し理解しただけでもオパティアのホテルが、何故チェコ貴族の館が、ホテルに変わっているかと言う疑問さえ容易に理解できるのであります。何も知らずに、ぼ~っと旅をしていると、旅の楽しさも半減であります♪ 『クロアチア旅日記』・・・貴族の館に宿泊 スロベニア・ポストイナ鍾乳洞から・・・国境を越え クロアチアのオパティアに到着宮殿でディナー なんと~今夜のお宿は、 19世紀のチェコ貴族の館 ええ・・・クロアチアなのに? どうしてチェコ貴族の館があるの? はい その理由は、前回のブログで・・・なんとなく? 19世紀には、同盟関係にあったらしい? オーストリアのハプスブルグ家もであります。 この辺りには、チェコの貴族の館が、いっぱい このホテルは改装し、19世紀のもので 黄色い館は、確かにオーストリアのお城みたいだし お庭は、ベルサイユ宮殿のミニュチゥアっぽかった! え~凄い秘密がありそうですね・・・ ランキングは没落ポチっとなう。→
2011.01.10
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クロアチアの歴史をさら~っと さらって見ると・・・・・・・クロアチア共和国(Republika Hrvatska) クロアチア 首都=ザグレブ 東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家西にスロベニア北にハンガリー東にボスニア・ヘルツェゴビナセルビアと国境を接している 南はアドリア海に面し飛び地のドゥブロヴニクでは、東にモンテネグロと接している 1991年 ユーゴスラビアから独立 ・・・・・・・・・歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【クロアチア統一】 9世紀、北方・西方からフランク王国南方・東方から東ローマ帝国の圧力が強まる。 カール大帝治世に、フランク王国に含まれ、カトリックを受容 両勢力を牽制しつつヴラニミルがクロアチア統一を進め、879年にローマ教皇ヨハネス8世から独立国家として認められた。 その後、トミスラヴ1世のもとで発展をとげるが、彼の死後しばらくして後継者争いから内乱へ突入した。 【同君連合】 このことがハンガリー王ラースロー1世の介入を招き 次のハンガリー王カールマーン1世が、1102年クロアチア・ダルマチアの王として戴冠を受けた。 これによって、クロアチアとスラヴォニアはハンガリー王国との同君連合の枠組みの中に組み込まれハンガリー王はクロアチアに広範な自治を認めた。 【オーストリア・ハンガリー帝国】 15世紀にはオスマン帝国に征服されその領域に組み込まれる 18世紀末までに、オーストリア、ハンガリーによって回復されてる。これ以来ハプスブルク体制寄りの姿勢をとり 1848年の三月革命の際にはクロアチア人の軍人イェラチッチがハンガリーなどでの革命の鎮圧に活躍している。 1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立実態的には「オーストリア・ハンガリー・クロアチア三重帝国」 アドリア海沿岸のダルマチアは他2地域とは別の歴史をたどった。 ダルマチアは10世紀末にヴェネツィア共和国の植民地になった。 複雑な海岸とそれに連なる島々で構成されるダルマチアは天然の良港の宝庫であり、 海洋国家ヴェネツィアにとって非常に重要な地域となった。 1815年のウィーン会議においてオーストリア帝国直轄領になるまでヴェネツィアの支配が続く。 【ユーゴスラビア】 1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。 離脱したクロアチアは、セルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国の成立に参加。 1929年 国名をユーゴスラビアに改名 しかしこの連邦国家にはクロアチア人側から、セルビア人に対して政府をコントロールしているのはセルビア人であるとする反発が大きく1939年にはこの不満を解消する目的で、広大なクロアチア自治州を設定したが不完全な対応であった。 クロアチア自治州の設定だけでは満足しないクロアチア人勢力は、アンテ・パベリッチを中心として、クロアチアの独立を掲げる民族主義団体ウスタシャを設立。 1941年反独クーデターによる親英政府打倒の為ユーゴスラビアに侵攻したナチス・ドイツの支援を背景として、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一部に跨るクロアチア独立国を成立させる。 セルビア人勢力のチェトニックとの間で凄惨な戦闘が繰り返される。 1945年に戦闘が終結するまでの4年の間セルビア人が強制収容所などで70万人が虐殺されたとセルビアは主張している。 クロアチアはその数はおおげさだとしており、ほぼ同数のクロアチア人がセルビア人によって虐殺されたと主張している。 この論争は後のクロアチア紛争の火種となり、クロアチア紛争でも同じような論争が繰り返されることになった。 ユーゴスラビアの混乱状態は、ユーゴスラビア共産主義者同盟が指導するパルチザンによってユーゴスラビアが自力開放されることによって収束された。 戦後、以前のユーゴスラビアの枠組みの中で国家の再建が目指され、以降このパルチザン闘争を主導したヨシップ・ブロズ・チトーの巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家ユーゴスラビアは維持されたが、 1980年にチトーが死去するとそれまで押さえ込まれていた各民族の不満が噴出しはじめた。 クロアチアでは歴史的な経緯も含めてセルビアに対する反発が強く、 特に1980年代半ばからセルビア民族主義を掲げるスロボダン・ミロシェヴィッチが登場するとその不満はピークに達した。 【独立】 東欧革命以降、旧東欧地域でそれまで一党独裁の地位にあった社会主義政党が自由選挙を認め民主化の気運が高まると ユーゴスラビアでもこれを認め1990年に戦後初の複数政党制による自由選挙が実施 クロアチアではユーゴスラビアからの分離独立を掲げるスティエパン・メシッチが政権を掌握 以降ユーゴスラビア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。 1991年3月2日には、西スラヴォニアの帰属をめぐってユーゴスラビア連邦軍とクロアチア警察の間で睨み合う事態となり 3月31日にはプリトビツァで両者が衝突、死者を出す事態となった。 クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており 6月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、78パーセントの賛成。これを受けて6月25日、スロヴェニアと同日に独立を宣言した。 一方で、ユーゴスラビア連邦軍は、クロアチア領内でもセルビア人が多く クロアチアの独立に反対していたクライナ・セルビア人自治区のセルビア人保護を目的にクロアチアに侵入 クロアチア軍は9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突となりクロアチア紛争の激化に繋がった 1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者と難民を生み出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上ウィキペディアさま参照落ち込がっかりモードのランキングにポチっとなう。→
2011.01.10
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旧ユーゴスラビアのスロベニアから無事に国境を越え「クロアチア」に入国しました。スロベニア通貨はユーロになっていますが、クロアチア通貨は「クーナ」であります。国境を越えた所にある両替所は、レートが、まあまあなそうで旅の間に使うお金を全部両替しました。 『クロアチア旅日記』・・・クーナに両替 国境を越えるとすぐに・・・ 両替所が レートは、銀行並みだと言うので 旅の8割が使える通貨 クーナ 食うな く・う・な・・・・じゃなくって 「クーナ」に両替 以前は、1クーナ=20円だったらしいが 最近の円高の為のお陰で・・・嬉しい事に 1クーナ=16円 むっちゃ~儲かって嬉しいけど・・・ 5日間も ×16をするのは 文科系のきらり。にすると ×16 ×16は大変なストレス お買い物をしないコンダクターでも5000円は、必要らしい? それでも、旅慣れた方々は、3000円~1万円を両替 旅慣れないきらり。 日本円からの両替は、この先難しいし・・・心配は、カードも使えるか? 思い切って2万円を両替 5日間の酒代クリスマス・マーケット路上のお店 物価が安いって言うから・・・2万円分も楽しめそうウキウキ えええ・・・きらちゃん!2万円も何買うの? って聞こえました・・・ 何買うか分からないから・・・2万円であって 何を買うって・・・どうせ他人には、下らん物だけど 戦争を経て生き残った人たちからのお買い物は、 路上の市場であって・・・クーナしか使えないはず 個人的国際親善大使として・・・活躍のための資金これは 善いお金の使い道・・・ ご苦労な地域に還元ランキングポチっとなう。→
2011.01.10
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生まれて初めて車で国境を越えたのは、10年以上の前の事だった。オーストリアからバスでチェコへ入国する時だった。バスに国境警備のお兄さんが乗り込んできて入国スタンプを押してくれた!EU連合になる前は、そんな車の入国スタンプも多かったけど、今では、懐かしい話。 『スロベニア・クロアチア旅日記』・・・国境越 EU圏内 スロベニアから、 クロアチアへの国境越えは、 冬至も近いヨーロッパの日没は 4時20分ころだから 国境に到着した頃には、 もう~真っ暗 コンダクター「スロベニア国境ですから、 パスポートを出しておいて下さいね あと、写真撮影は、禁止ですから~」 車で国境を越える・・・・ドキドキ 昨日のオーストリアから スロベニアへの入国は、 EU圏内だったので、国境は通過しただけだったから 今度こそ 車スタンプが押してもらえそう・・・ウキウキ だけど・・・ドキドキ だって国境警備のお兄さんたちは、武装しているから 不思議な動きをしたら・・・ズド~ン! なんて事が、絶対に無いという保障は、ありません! 高速道路の 料金所みたいな ゲートに着くと 私たちのイケ面ドライバー「ドーマンさん」慣れた感じで降り 手続きをするBOXに顔を入れて話をしている 私たちは、固まったまま見守る・・・ドキドキ それが、意外にも それ程の時間を要さないで話は、終わり ドライバー「ドーマンさん」は、バスに戻ってきた 内緒でOKサインを出すと、やっとニッコリ どうも ここは、何もしないで・・・ (無罪放免) 通れるらしい? スロベニア国境をバスが出ると・・・ほ~ ここは、スロベニアでも クロアチアでもない 真中 コンダクター「良かったですね~日本人だって言ったらOKだったみたいです。 これが、何処とかの国の団体だったら 中国とか 韓国とか・・・ だったら、散々 止められ 調べられ 延々と待たされるんですよ! と、特定の国の名前を言っては、いけないから 言えませんがっ」 えええ・・・・・・・・全然、言ってますよ! 中国とか、韓国って! まだ、中国や韓国からの 観光客が ほとんど無いから とても調べられるそうであります。 とりあえず・・・・スロべニア出国は、完了。 クロアチアの国境ゲートに到着 またしても、バスの中の空気は、凍りつく ドキドキ 今度こそ・・・スタンプ欲しいよ! 今度は、紺色の征服を着た国境警備隊のお兄さんが バスにポン!と 乗り込んできた・・・・・ドキドキ 怒った顔は、していない よ~く見ると 右手にスタンプを持っている もしかして? バスに乗った まんま 入国スタンプを押してくれるのかな? (ラッキー) 国境警備隊のお兄さんのご機嫌をそこねたら大変 おとなしく・・・ 前の席の椅子の背もたれにパスポートをのせ 自分の写真を見せるのでなく スタンプを押すページを開いて待つ 国境警備隊お兄さんは、 正しく「めくらバン」をポンポン押して 真中の黒い縦の車マークがあるスタンプ さっさとバスから降りた もう暗くなって寒いから面倒くさかったのだろうか? これは、ラッキーです 国境警備隊の検問は、気分次第で変わるそうであります。 夏のシーズンだと2時間待ちは、普通だそうであります。 みんな内心ラッキーと思いながら 国境が見えなくなってから 大拍手でありました。 スタンプラリー好きポンとなう。→
2011.01.09
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そうそうツアーで旅すると変わった人間に遭遇する事が多々あるのであります。その変わった人間って言うのは「ひとり旅」に多いのであります。おや~ぁ確か?きらちゃんも今回は、ひとり参加旅だったよね・・・・ドキッ私じゃなくて 『スロベニア旅日記』・・・変人の話 話は、また前後してしまいますが・・・ どうしても話しておきたい 心残りが、ありました。 ポストイナ鍾乳洞は、撮影禁止だったのですが・・・ 添乗員の作戦で、 フラッシュ無しなら、撮影OKが出て 私たちは、鍾乳洞の中で堂々と記念写真 おっと~きらりも記念に 誰か 写してくれないかなぁ~ ああ~ 目の前に 背中を向いてるけど・・・ デッカイ兄さんが 立ってるぞ! この兄さんでも 良いや~ 背中を向いている デッカイ兄さんの 肩をトントン 「すみませ~ん!写真撮って頂けますか?」 と、むっちゃ~ギャルっぽく言ったのに 背中を向いた デッカイ兄さんは、 きらりの方を向かないで・・・ あっちを 向いたまんま 「ここは、撮影禁止ですから」 って言う! ええ・・・・・・・・っ! こいつアホちゃうか? たった今、 英語ガイドが、 「ノーフラッシュならOK」 って、言ったじゃないの? それに、あっちを向いたままで デッカイ背中を見せたままで断るとは、 レディーに向かって失礼センバンだ! 叫びたくなる心を抑え・・・ こいつ~絶対に許さんぞ! と思う相手に向かって結局は、 むっちゃ~親切にしてしまう きらり。 であります・・・・これは、不思議な性格 (とりあえず・・・危ない兄さんって事で、近寄らないで過ごす) このデッカイ背中の兄さんは、 旅の間もスッゴイ迷惑な存在となるのであります。 (それは、ありえない非常識な存在) しかし、きらりは、いつも皆さんに 「○○さんは、良い人だよ!」 と、弁解して歩くのであります・・・ 話した事も無いのに あの「ブレッド湖」で大声で怒った おばちゃまなどは、 最後まで、イジメのターゲットとして大声で怒り なかなか面白い旅を演出してくれました。 背中のデッカイ兄さんときらりは、 旅の最終日まで、会話する事が無く それは、背中のデッカイ兄さんが 帰国時にミュンヘンの空港で 「昔、そっくりな女に酷いめにあったから」 と、 きらりに、そっくりな女? そっくりって・・・・ 私じゃ~無いじゃん! どうして、あんな態度に出るんだ! そう叫びたい気持ちを抑え終始笑顔のきらり 内心は・・・ いったい きらりに似た女に何を?されたんだ! 問い正したいが・・・聞いたって 全然、好みじゃ~無いし・・・ しかし、背中のデッカイ兄さんは、独身 ええ・・・・・独身かぁ~ そうだろうなぁ~ 若く見えるが、42歳位らしい? もう世界中 行く所が、無くなって しばらく旅行していなかったと言う 今回は、98回目の海外旅行なんだとさぁ 超~変わった人間って多いよね・・・旅好きには 特に ひとり旅には、 私も例外とは、言えないのが残念だけど 自由なきらりにポチっとなう。→
2011.01.08
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おいおい『スロベニア旅日記』すでに18回も書いてしまったのに今頃になってスロベニアの基本的な情報を書くなんてオカシイけど。首都リュブリャナには、この旅の最後の方で訪問しますから、ザッと調べてみたんですが↓長いので読まないで下さい スロベニア共和国の首都リュブリャナのクリスマス写真 スロベニア「スロベニア共和国」すろべにあきょうわこく 中欧の共和制国家 首都 リュブリャナ ユーゴスラビアから独立した国 場所= 西~イタリア 南と東~クロアチア 北東~ハンガリー 北~オーストリアと接し 南西~アドリア海 スロベニアは、イタリアやオーストリアに隣接しており 冷戦中にあっては、西側諸国に近いという地理的条件にあり スロベニア人の気質は、勤勉で秩序的 文化的には、ドイツ語圏の影響を強く受け こうした条件のために ユーゴスラビア連邦時代は 最も経済的に豊かな先進地域 ユーゴスラビア連邦から独立した後 初期の経済的混乱からすぐに立ち直る スロベニアとスロバキア・・・間違えそうに似てるけど!? スロベニアの語源は・・・スラヴ(SLAV)であるという説があって これは・・・スロバキアと同じであって 言語は同じ「スラヴ語」を話すと言う意味もある 【中世の歴史】 6世紀ごろ 「南スラヴ人」定着 7世紀 初の南スラヴ系の「カランタン人」による国家であるカランタニア公国が成立 カランタニアは、その後「バイエルン人」 ついでフランク王国の支配下に その後 フランクの遺領 14世紀以降 東フランク王国(後の神聖ローマ帝国に編入)神聖ローマ帝国領 チェコともども西方文化やカトリック教会の影響を強く受け 他の南スラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロベニアにもたらす 15世紀 ハプスブルク家の所領・・・以降オーストリア大公領 1867年 オーストリア・ハンガリー帝国が成立(オーストリア帝国領) 19世紀はじめ ナポレオンのフランス帝国による支配(フランス統治下) リュブリャナ フランス第一帝政イリュリア州の首都 イリュリア州が設置され、スロベニア語が州の公用語 1809年~1813年 リュブリャナ(フランス第一帝政イリュリア州の首都) ○これは、スロベニア語が公的地位を得た初めてのことであり文語としてのスロベニア語の発展は勢いづいたナポレオンが去り オーストリア領へ戻る【近代の歴史】 1918年 第一次世界大戦が終了し オーストリア・ハンガリー帝国が解体 セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加 セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わる この際 スロベニアの一部地域では オーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため オーストリアに帰属するか? スロベニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するか? 住民投票で決めた地域が存在するこの王国は、1929年にユーゴスラビア王国に改称した1941年 ユーゴスラビアに枢軸国が侵入 スロベニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた 西に接するイタリアはスロベニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため ムッソリーニ指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され 北東の一部の地域はハンガリーの占領下となり スロベニア人の住む地域は3つの勢力によって分断された 占領に反対した右派の抵抗者たちは ロンドンに逃れたユーゴスラビア王国の亡命政府を支持したが 後に枢軸勢力の影響下となった共産主義者たちは、ヨシップ・ブロズ・ティトーのパルチザンに加わり、ドイツ軍などと戦った パルチザンは スロベニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した 大戦前はイタリア領とされていたイストリア半島 (イストラ半島)は ユーゴスラビア領となり スロベニアは コペル周辺で海岸線を手に入れることとなった スロベニア人が多く住むオーストリアのケルンテン州の一部も求めたが、この要求は認められなかった【社会主義時代】 1945年 社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰 ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる ユーゴスラビアでは、政治・経済の分権化が進められた 社会主義のユーゴスラビアは ソビエト連邦の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとっていた 政治の分権化と自主管理社会主義 政治においては、連邦から共和国そして自治体へと権限が移管され経済でも末端の職場に大きな権限が与えられていた その地域性を生かした独自の経済政策を採ることが可能であったユーゴスラビアがソビエト連邦と距離をおき西側諸国との友好関係を維持していたこともスロベニアには有利に働いた 中央の意向に縛られることなく西側諸国に隣接する先進的工業地帯というスロベニアの利点を最大限に発揮 スロベニア経済は大きく発展 1980年代になると 他のユーゴスラビア内の諸地域に大きく差をつける 【政治】 ユーゴスラビアでは比較的言論の自由が認められ 地方分権政策によってスロベニアをはじめ各共和国は大きな裁量を手にしていたスロベニアでは更なる独自の権限を求める声、連邦からの独立を求める声は次第に高まっていった1980年代にユーゴスラビアが経済苦境に陥る スロベニアでは、その原因が連邦にあると考えた 連邦は通貨発行など一部の経済政策のみを握っていたが 経済改革を進めるために過度に分権化した経済政策の集権化を求めていた 経済先進地域であるスロベニアが連邦に支払う負担金が コソボやマケドニアなどの貧しい地域のために使われているという不満から スロベニア共和国は連邦政府の経済改革を妨害し 連邦に対して支払う負担金を一方的に削減し 連邦に対する反発をあらわにしていった セルビアでは ユーゴスラビア連邦におけるセルビア人の支配力拡大を狙うセルビア民族主義者のスロボダン・ミロシェヴィッチが台頭し ミロシェヴィッチは モンテネグロ、ヴォイヴォディナ、コソボの政府を乗っ取って支配力を強め スロベニアに対しても圧力を強めていた スロベニアは連邦からの離脱を決意 連邦からの離脱権を明記した新しい共和国憲法を制定する 議会での決定と住民投票を経て 1991年6月 ユーゴスラビアとの連邦解消と『スロベニアの独立』を宣言 【独立後】 短期的、小規模な十日間戦争を経て スロベニアは完全独立を果たした 1992年5月 連邦構成国だった隣国クロアチア 同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟 同時期に連邦を離脱したクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナでは激しい内戦が続いた中 スロベニアでは、ユーゴスラビアという市場を失ったこともあり 1991年~92年にかけて経済不振が続いたものの その後はヨーロッパ志向を強め、経済は回復に向かった 政治面においてはユーゴスラビア離脱前から民主的な制度の整備が強力に進められてきたこともあり 他のどの旧ユーゴスラビア諸国よりも早く民主的体制が整えられていった 2004年3月 NATO加盟 2004年5月1日 欧州連合 EU に加盟 2008年(2004年に新規加盟した国々の中で初めて)欧州連合の議長国を務める 同年2月にコソボが独立を宣言したことによる一連の危機の対応にあたる 議長国として欧州連合の中で指導力を発揮 【独立後の政治】 ユーゴスラビア末期の壊滅的な経済苦境 台頭するセルビア民族主義への反発 スロベニアは、ユーゴスラビアからの独立を志向するようになった 1989年9月 ユーゴスラビア連邦から合法的に離脱する権利を記したスロベニア共和国憲法の改正案が共和国議会を通過する 1990年4月 第二次世界大戦後初の自由選挙を実施 共産党政権は過半数の票を集めることができず野党連合のデモスが勝利した 首相には 第三党のスロベニアキリスト教民主党のロイゼ・ペテルレ党首が選ばれている 同時に、共産党の改革派だったミラン・クーチャンが大統領となった 1991年6月に独立を発表 スロベニア国内に基地を置いていたユーゴスラビア連邦軍と戦闘状態に入るが7月 停戦に成功 同年10月には連邦側が独立を認めた 12月23日 現在の憲法が有効となり 複数政党制と大統領制が確立する 1992年12月 独立後、第1回となる大統領選挙を実施ミラン・クーチャンが選ばれた 同氏は1997年11月にも再選 2000年10月の総選挙では 自由民主主義党が第1党となったため 連立政権が発足した2002年12月の大統領選挙 ヤネス・ドルノウシェク首相が当選 2007年12月 リュブリャナ大学法学部副学部長のダニロ・テュルクが大統領に就任【政治制度】 国家元首の大統領は任期5年で、国民の直接選挙によって選出される行政府の長である首相は 議会の下院が総選挙後に選出し 大統領によって任命 立法府は両院制 下院(国民議会)定数90 うち40議席を小選挙区で、残る50議席を比例代表で選出する 小選挙区比例代表併用制任期は4年 上院(国民評議会)は定数40各種団体による間接選挙で選出される 任期は5年 上院の立法権限は下院よりも弱く 諮問機関としての性格が強いが 国民投票を行うか否かの決断を下す権限を有する 有力な政党は スロベニア自由民主党 スロベニア人民党 スロベニア社会民主党 スロベニアキリスト教民主党 【政治問題】 スロベニアはユーゴスラビア時代から経済的な先進地域であり ユーゴスラビア紛争が収束する中でセルビア人、クロアチア人労働者を受け入れてきた しかし、EUではEU内の労働者の移動、就労は自由化されるが 一方でEU外の労働者の受け入れは厳しく制限される 2004年のEU加盟に前後してセルビア人労働者を制限する方向に転換しており大きな政治焦点になっている 【観光】 ポストイナ鍾乳洞のコンサートホール 竜 ズマイ はリュブリャナのシンボル首都リュブリャナ アルプス山脈 トリグラウ山2864m ブレッド ボーヒニなど アドリア海コペル ピランカルスト地方の洞窟 シュコツィアン洞窟群ポストイナ 温泉 【世界遺産】 シュコツィアン洞窟群 1986年登録 以上ウィキペディア参照スロベニアそうだったのか納得してポチっとなう。→
2011.01.07
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そうか~ぁ順番が、あるね!一昨年、パスポートを更新したきらり。 イランのビザが、貼ってあったり・・・ エジプトやモロッコに渡航経験があって たかが、グアム旅行で、むっちゃ~嫌な思いをしたし・・・ パスポートを更新したばかりだから・・・・ 中東・・・・シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル・ドバイ・サウジアラビアここは、英国や 米国方面をまず旅してからにしないといけないんだぁ~ そうなると・・・旅の計画は、どうなる? そうそう~昨日、 決まりました! サムくんと出かける海外旅行第1回目 2月 3月は、すでに遅し 第一に、有給がもう~1日も無い 4月になれば有給が発生します。 だから、4月に早速、有給を使い サムくんと出かけます! はぁ~これで目標が出来ました♪ 海外旅行依存症の特効薬投与完了です! 皆さま~暖かいお言葉をありがとうございます(^-^)♪ きらりとサムくんは、これで晴れてハネム~ンに飛び立てます!そんな二人へ餞にポチっとなう。
2011.01.06
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目標50カ国・・・100カ国も行く気は、無いし 50カ国が、フィニッシュ・・・だと思いたくも、無い しかし、あと4カ国と思うと・・・それは、大事な4カ国だと思う。 1年に3~4回も旅したら・・・当然の事だけど 今年か?来年には、目標を達成してしまう・・・これは 勿体無い気がして来た・・・これは、どうなの? 「海外旅行依存症」の病に、とりつかれて・・・10年あまり 一心に目標に向かって来たのだけども サム君と言う同行する方を得て・・・もっと落ち着いた旅人へと 2日に出会ったサム君方向を変えて行った方が良いのだろうか? 今回の旅で、私は、あわて者で、治らないドジである事を再確認し 「静かで、大人っぽい旅」は、絶対に無理だと思い サム君と出かける事になったし今まで旅した事が無い国で・・・絶対に行きたい所 練りに練った、緻密な、濃度の濃い旅がしてみたい・・・ 一番行きたい所に こだわりの季節に 一人旅で(ツアーだけど) こんな・・・長~く「つぶやき」結果、何を言いたいのか? 別に何も言っていないけど・・・人間の心って・・・弱いよね新年早々、何をブツブツ・・・・ これは、仕事が忙しくて疲れているせいだろう・・・いや~いや昨年から楽しみにしていた2月の旅行が、参加者が集まらないでキャンセルせざるを得なかったからだろう?きらりの病は、自分の思っている以上に進行している・・・結局サム君に相談しようランキングを覗きに行ってから→
2011.01.05
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ポストイナ鍾乳洞を歩きながら探検していて、きしめん・パスタ・そうめん・デザートにソフトクリーム?見るもの全てが美味しそうに見えてしまう!?どうも今回の旅もラブロマンスには、程遠いきらりでありますが、若~いまかろんちゃんご夫婦とお友達に♪ 『スロベニア旅日記』不思議な生物に遭遇 帽子が、白と黒・・・かぶって、かぶってるよ 白い帽子のきらり 黒い帽子のまかろんちゃん まかろんちゃんの強い希望で顔に目線を入れてます。 まかろん夫妻とお友達に スロベニアのポストイナ鍾乳洞には、 地上では・・・・ 見る事が出来ない生物が居るそうであります。 探検をしながらも 不思議な生物を探しながら歩く 色々な鍾乳石を見ながら探す 100m以上の高さ 坂を下り・・・ロシア兵が作った橋からも カーテン・ゾーン(きしめんブラブラ) ピンク・ゾーン スパゲティー・ホール(素麺か~ぁ) 巨大ソフトクリーム ラブロマンス(ロミオとジュリエット) キョロ キョロ~して探したけど・・・ 不思議な生物に出会う事が無い 最後に到着したのは・・・ 鍾乳洞の 一番深い層 大きな水槽がある どうも不思議な生物は、 ここに捕獲してあるらしい? それもそのはず・・・不思議な生物は、 観光客の歩くコースには、居ないのだそうで もっと、もっと深い深い・・・ 本物の探検隊にしか捜索でない深い場所 そこに住んでいるからだった! なぁ~んだ・・・キョロキョロと 水の中を覗いた1時間半の きらりの努力は、何だったのさぁ~ と、英語ガイドに詰め寄るも はぁ~???? でも・・・・見たいぃ~ぃ 大きな 大きな水槽にその生物が・・・ いち早く見たい・・・ しかし、今度こそ「撮影禁止」 絶対 絶対の「撮影禁止」であります。 なんでぇ~良いじゃん! フラッシュ焚かないからぁ~ それでも絶対の「撮影禁止」 地底 深く深く全く光の届かない世界で生まれ育った不思議な生物は、目が退化してしまい僅かな光を浴びただけで死んでしまうのだそうで・・・・仕方ないかぁ だから、優しくガラスなんぞ~叩いて 「こっち~向いて!?」なんて行為も禁止 そぉ~っと 寄って行き 「何処何処?あああ~見えない!何処何処?」 結構~皆さん声が でっかい! 「あああ~この白い~小さな蛇じゃ~なくて魚?」 体長10センチ~20センチくらいの・・・ ああ~目が無いよね・・・ でも、こんな暗い所で何を食べているんだろうね? 不思議だよね~ 撮影禁止・・・・・・・でも見たい写したい知らせたい お土産屋さんの看板にあった写真 正しくこれです。白い不思議な生物 不思議な生物を見て何となく納得した所で 激走トロッコ列車に乗って帰ります。 またしても凄いスピードで大喜びのきらり。 同じ駅かと思ったけど・・・今度は、違う駅 出口に到着 駅の下には、大きな川がゴーゴー流れている トロッコ列車で行った鍾乳洞は、 この大きな川の下の下にあるのだと言う えええ・・・・・・・どうなってるの? セメントみたいな濁った川から ポタリ ポタリと落ちてきた 石灰分が多い水は、この川からしみ出た水? そうか~そう言う仕組みだったのか~ とてつもなく雄大な大自然の装置にビックリ 素晴らしいです・・・凄いなぁ♪歩きながら 出口のクリスマスイルミネーションをくぐり・・・ スロベニアからクロアチアへとポチっと移動なう。→
2011.01.04
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スロベニアのポストイナ鍾乳洞には、ピンクや白や灰色の鍾乳石があります。中に含まれる成分に寄って色が異なるそうであます。閑散期なので、私たちが通る時だけ照明をつけて英語ガイドさんは、楽しげな解説をしてくれます。 『スロベニア旅日記』・・・美味しそうな鍾乳洞 ポストイナ鍾乳洞は、歩いて1時間半の探検 英語ガイドが「ピンク・ゾーン」だとの説明 確かにピンク色っぽい ピンクや 白や 灰色のゾーンもある! これは、含まれる成分に寄って色が決まるそうです。 天井を見ると真っ白な 英語ガイド「スパゲティー・ホール」との説明 天井から 真っ白な スパゲティーがっ! いっぱい いっぱい ぶらさがっていますね 照明が暗いから灰色っぽいですが・・・・純白 スパゲティー? 私たちは日本人だから 真っ白だもん! 素麺に見えちゃいますが・・・・ 今度は巨大なソフトクリームが これは、ポストイナ鍾乳洞のイメージマーク 美味しそうな ソフトクリームですよね 大きなソフトクリームを食べたつもりで どんどん坂を登り 上から 下から 英語ガイド「ラブ・ロマンス=ロミオとジュリエット」との説明 上から垂れ下がった鍾乳石 その雫を受けて もっこり盛り上がった鍾乳石が、合体する瞬間 愛の成就だと言っているのでしょうね! 欧州の人たちの美意識と日本人の美意識は、 微妙にずれている事を確認する探検であります。 食いしん坊の探検隊にポチっとなう。→
2011.01.03
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ポストイナ鍾乳洞の絶叫マシーンに乗って到着した鍾乳洞探検の入口からは、厳しい「撮影禁止」の立て札があり、ああ・・・残念と、思ったらベテランガイドの作戦で奇跡が起きたのであります。ですから奇跡の写真をご紹介できるのであります・・・ 『スロベニア旅日記』・・・奇跡の写真 考えられないスピードで走るトロッコ列車絶叫マシーン 到着したのは・・・ここからは、絶対に 絶対に撮影禁止です! だから ゴメンナサイ~ と言う場所に到着 ポストイナ鍾乳洞は、まだまだ日本人が来る事が少ない・・・・だから 現地スラブ語ガイド フランス語・スペイン語・ドイツ語・英語のガイドしかありません! だから とりあえず、英語ガイドのグループに参加 ガイディングマシ-ンで、ポイントを通訳してくれる ベテランのコンダクター広重さん 英語ガイド・チームは、私たち38名に 12人位の英語圏の人々 英語ガイドの説明が楽しげにあり・・・ きらり。理解度は・・・微妙で 写真撮影は絶対に禁止くらいは理解 ベテランガイド広重さん 「撮影禁止」知っているはずなのに・・・ 「写真撮影をしても良いですか?」と聞く 英語ガイド「駄目ですよ!絶対に・・・」 英語ガイド 少し間をおき考え 「ああ・・・そうですね~ 遥々 遠い ジャパーンから この寒い中やってきて 今日は、人が少ないし フラッシュを炊かなければ・・・ 絶対にノーフラッシュを守ってくれるなら・・・ 今回に限り、撮影してもOK」との 大負け!大サービス!大・大・閑散期サービスの許可がっ! 奇跡であります! 写真 未公開の場所で・・・ これって凄い事です 英語ガイドの後をぞろぞろ50人ほどが歩く 説明ポイントには、マイクが設置してあり 英語ガイドが、冗談まじりで説明をする。 鍾乳洞は、下からモリモリモリ・・・と盛り上がっているみたい? だけど・・・これは、石灰分が多い地質の天井から ポタリ ポタリ 雨水と共に落ちてきて なんと・・・・その速度は 1cmが積もるのに・・・100年間もかかる 100年かけて1cm なんと このモッコリは・・・何百億年もかかるんだ!? 写真で見ると分かりにくいが・・・広い空間で 高さ100m以上もある モッコリもある そして、上から垂れ下がる鍾乳石と その水滴が落ちてモッコリする鍾乳石が 出会いつながる寸前を「ロミオとジュリエット」 と説明している・・・なぁ~るほど! ETじゃなくって ロミオとジュリエットか? 坂があり、その下には、深い谷が 鍾乳洞は、とても深く 50人の英語ガイドグループは、ぞろぞろ下り 戦争時代にロシア兵に作られた「ロシア人の橋」を渡り 更に下層部分の探検へと進む 自前の防水ベンチコートを着ていて 気が付かなかったのだけど・・・ お気に入りの白い毛皮の帽子が、かなり濡れている 下層部分は、特に湿気が多く 水滴も小雨と変わらない程だ! コートのフードをかぶり・・・歩く これ程の水滴で坂道を下っても滑りにくいのは 滑らない様な、コンクリートで道を作り 排水溝が、あちこちにあり 水溜りが出来ない様にしているから だそうだ! さて、下層部分に到達すると 「きしめん」が、天井から・・・ぶらさがっていますね 英語ガイド「カーテン」と説明していますね! そっか~プリーツになったカーテンね~ 確かに見方に寄っては、見えるかな!? 探検隊さらに奥までポチっとなう。→
2011.01.02
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2011年もめでたく「明けましておめでとうございます」こんなに気持ちが良い新年を迎える事が出来たのもブログを通じ沢山の方々が優しく見守っていて下さっているからだと思うのであります。今年も迷いながら、手探りの思いつくまま大ドジきらりでありますが、ああ~それは違うよ!こうした方が良いよ!とご指導いただけたら幸いであります。 明けましておめでとうございます☆(^-^)☆ 今日~買っちゃいました名前は、サムちゃん! 憧れのサムソナイト 4Kgの軽量タイプです サムちゃん!超~渋いです! そろそろ大人の旅をしたいし・・・・まず形から なぁ~んちゃって ベルトはショッキングピンクナンジャイ? そしてお詫びは・・・2月末から出かけるつもり満々だった 3カ国を旅する話が・・・駄目になりました! なんと・・・参加者が集まりません そんなに変わった所へ行くつもりでも無いのに・・・ 【クイズ】は、中止となりました! 新たに計画を練らないと・・・・どこに行こうかな? 一人旅で、15万円以内で2カ国行ける場所を探しています。 無理か? う~50カ国まで、あと4カ国・・・・ 年内に50カ国達成したい・・・ だけど じっくり1カ国を周りたい国を残しているきらり。 じっくり1カ国づつ・・・4回かぁ~ それもどうでしょう? 新しい旅の道連れは・・・・渋いイケ面サムちゃん! 最終的に サムちゃんに相談してみよう~ 今年もよろぴくねポチっとなう。→
2011.01.01
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