うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
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The Pakistani school was attacked by the Pakistani Taliban on Tuesday, December16. Militants stormed the military-run school in northwest Pakistan, killingmore than 140 people, most of them children. More than 100 people wereinjured.That was the most miserable evildoing. I couldn't know how to say about thedevilish seven militants. They were called as the principle group of Islam.I couldn’t understand why they did such atrocious behavior. Someone saysthe principle group might misunderstand the doctrine of religion.Many terrorisms were drawn out by the believer of religion. I think the blindbelief of religion is the most dangerous in the world.The Nobel Peace Prize winner Malala Yousafzai said in a statement "I condemnthese atrocious and cowardly acts"She said the most important thing for the world peace is education for theignorant blind believer in the past speech.I think the worst and most dangerous people in the world were blind believerwho were not educated.The religion guides the people to unbelievable evildoing if the believerwere not educated rightly.I think also the most important thing for the world peace is the righteouseducation as like Miss Malala said.パキスタンの学校がパキスタンのタリバンによって12月16日火曜日に襲撃された。暴力団はパキスタンの北西にある軍運営の学校に押し入り、殆どが子供の140人以上を殺し、100人以上が怪我をした。それは最も残虐な悪行であった。私はその極悪7人について何といったらいいのか分からなかった。彼らはイスラム原理主義者と呼ばれている。私は何故彼らがそのような残虐行為を行ったのか理解することができなかった。ある人は、原理主義者は宗教の教義を間違って理解していると言っていた。多くのテロは宗教の信者によって引き起こされてきた。宗教に対する盲信ほど恐ろしいものはないと思う。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユザフザイさんは、「これらの残虐で卑劣な行為を強く非難する」との声明を発表した。彼女は過去のスピーチで世界平和にとって最も大切なことは無知で盲信的な信者に対する教育だと話していた。私もこの世で最も悪辣で危険な人々は教育を受けていない盲信者だと思う。宗教はもし信者が正しく教育を受けていなければとんでもない悪辣な悪行に導くことになる。私もマララさんが言ったように、世界平和にとって最も重要なことは、正しい教育だと思う。
2014.12.17
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Fame, and not wealth or knowledge, was the goal toward which youth had tostrive.To shun shame or win a name, samurai boys would submit to any privations andundergo severest ordeals of bodily or mental suffering.They knew that honour won in youth grows with age.Life itself was thought cheap if honour and fame could be attainedtherewith, whenever a cause presented itself which was considered dearerthan life, with utmost serenity and celerity was life laid down. It is a sentence in Bushido published in USA by Inazo Nitobe in 1899 (Meiji32) . it was written by English and had a subhead as The soul of japan.This book was translated in Japanese, German, Spanish, Italian, French,Polish, Norwegian, Hungarian, Rumanian, Russian, Chinese, etc. and has been read in japan and in many foreign countries widely, and hasinfluenced to young Japanese or foreign readers deeply.Young Japanese had confidence to their spiritual origin of nation and hadpride to their country.Foreigner realized the soul of Japanese and understood why the Japan washigher level than another Asian country. They believed Japanese had verystrong backbone built by Bushido spirit. After 42 years later since the publication of that book, Japan declared towar toward USA having a pride of Bushido. But the Japan was beaten. After the loss of the battle, Japanese haveforgotten the Bushido sprit.But the movement of reading that book again have been happened recently. I think it is extremely important to study the spiritual base of the nation. 富や知識ではなく、若者が勝ち取らなければならないものは名誉である。恥をかかないようにして名を上げるためには、侍の子供は、どのような貧乏にも耐え、肉体的にも精神的にも最も厳しい試練を引き受ける。彼らは若い時勝ち取った誉は長ずるに従い大きくなっていくことを知っていた。もし名誉や名声が得られるならば、生命は安いものだと思われた。それゆえ命より重要と思われる根拠が示されたなら、直ちに平穏に素早く命が捨てられたのである。 これは新渡戸稲造が1899年(明治32年)にアメリカで出版した「武士道」という本の一説である。この本は英語で書かれ「日本人の魂」という副題がついていた。この本は日本語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ポーランド語、ノルウエー語、ハンガリア語、ルーマニア語、ロシア語、中国語等に翻訳され、日本や多くの外国で読まれてきて、日本の若者や外国人読者に多大な影響を与えた。日本の若者は自国の精神的源流に自信を持ち、自国に誇りを持った。外国人は日本人の魂を理解し、何故日本が他のアジアの国々より高いレベルにあるのかが分かった。彼らは日本人は武士道精神によって培われた非常に強いバックボーンを持っているのだなと信じた。その本が発行されてから42年後、日本は武士道の誇りを持ってアメリカに宣戦布告した。しかし日本は打ち負かされた。敗戦後は日本人は武士道精神を忘れてしまった。しかし最近再度「武士道」を読む動きが起こっている。私は国民の精神の源を勉強することは非常に大切なことだと思っている。
2014.12.06
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日本人3氏がLEDの発明でノーベル物理学賞を授与されることになったという大変めでたいニュースの対極に26歳の北大の学生が殺人集団である「イスラム国に」就職しようとしたとして事情聴取を受けているというニュースがあった。イスラム国は石油利権を略奪し莫大な金を持っていると言われており、イスラム国に就職して戦闘員として働けば法外な給料を出すと宣伝している。その誘いに乗って世界中から暴力的な連中が集まり、世界一危険な無法な集団が形成された。イスラム教に基ずく主義主張もあるのだと思うが、兵士の募集方法などから超過激な集団となり、捕虜の外国人の首を切り落とすところを放映したりしている。まさか日本人の中にはそのような募集に応ずる人間はいないだろうと思っていたがいたというのである。それが北大生だというのだ。今朝、家内が、「北大は困った大学だね、とんでもない学生を生み出している。ここにも一人今でもアフリカに行くなどと言っている変な人がいるしね」とちらりと私の方を見た。私も北大卒業でクラーク博士の「少年よ大志を抱け」にあこがれて北大を選んだ。そしてシュバイツアー博士のようにアフリカに行って恵まれない人たちのための医療をしたいと思っており、今でもそのための語学勉強などを続けている。それで北大は困った大学と言ったのだと思う。私は笑っていたが「イスラム国」と「アフリカ」はだいぶ違うと思う。前者は破壊であり、殺人であり、極悪である。後者は人類に尽くす気持である。北大でも一人ノーベル賞をもらった人がいるがクラーク博士の願いは必ずしもノーベル賞を取ることではない。人類に尽くす人間になってくれよと言う願いである。その26歳の学生はイスラム国にいけば人類に尽くせるとでも考えたのだろうか?人にはそれぞれの考えがあり、彼にとってはそれが大志なのかもしれないがよくよくイスラム国の内情を調査し考えてもらいたいと思う。高校にも、大学にもそれぞれ校風があると思う。早稲田には大隈重信、慶応には福沢諭吉、北里大学には北里柴三郎の影響があると思う。北大にはクラーク先生の影響がある。私の脳裏には、日本を去る時に学生たちに向かってBoys Be Ambitious!! と叫びながら懸命に手を振っていた姿が鮮明に浮かんでくる。AmbitionはAmbitionでもその意味をしっかり考えてもらいたいと思う。
2014.10.07
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夏休み子供電話相談室を聞いた。千葉県の小学4年生の女の子が「犬や猫には心があるように感じられるが魚や昆虫などには心があるのか?」と質問した。直接質問された回答者は難しい問題ということで、スタジオにいた他の4-5人の回答者の意見も聞きながら回答していた。心をどういうものかと決めることによって違ってくるが、心を敵や嫌なものから逃げる、好きなものによってくるなどと決めれば全ての生物には心があることになる。泣いたり、悲しんだり、喜んだりするのを心とするなら、犬や猫には心があると思うがどの動物まであるかという線引きは難しいと答えていた。その他色々難しいことや訳のわからないようなことを答えて、〇〇ちゃん分かりましたか?と聞いていた。その子は「なんとなくわかりました。今飼っているカブトムシにも心があると思って大事に育てます」と答えていた。賢い子供だなと思った。鳥類、特にカラスなどは意地悪された人には何らかの仕返しをするし、しつこく追いかけたりする。心があると思える。観賞用の魚を水槽の中で飼っていると仲間同士で殺し合いしたり食べてしまうことがある。喧嘩するということは心があると考えていいのだろうか。心がある動物とは心を通わせて付き合うが心がない動物なら乱暴に付き合っても相手は感じないからいいかなと思うが、どこで線を引くかは難しい。家の中に蟻が這い込むことがある。捕まえて外に逃がしてやることが多いが、あまりに多いと殺虫剤や手で殺すこともある。女の子はカブトムシを大事にすると言っていたが、蟻や蚊、蛾や蜂、蠅や虻など、人間に害を与える昆虫もある。彼らにだってきっと心があるだろうから、殺さないと言っている人もいる。私は自分達が生きるためには私達に害を与える昆虫は殺しても已むおえないと思っている。人間は哺乳動物や鳥、魚などを殺して食べている。時々それでいいのかと思うことがあるが、人間だけでなく肉食動物は他を殺して食べている。そのように神様が我々を創ってくれたのなら受け入れざるを得ない。食べたり、殺したりすることもあるが彼らに感謝し、彼らの分まで幸せになるように考えるしかないと思う。
2014.08.27
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麻生太郎副総理が6月21日栃木県で自民党関連の政経フォーラムで「学校で一番いじめられてるやつはといえば、けんかは弱い、勉強できない、しかも貧しい。 3つそろったら丸腰。いじめの対象になります」 「しかし、勉強ができない、けんかが弱い、だけど金持ち。これが一番やられる。わかりますね」という様な発言をした。麻生議員は深く物事を考えない軽薄な発言が多く、論評に価しない人だと言っている人もいるが、私にとってはいじめは重大関心事なので本欄で論評させていただくことにした。まずいじめられる条件として喧嘩が弱く、勉強ができなくて、貧乏を挙げて そのあとで、貧乏の代わりに金持ちだともっとやられると言っているが、金持ちは幾重にも防御態勢を取っていていじめがあるような学校には入れないだろうし、子供ながらも金持ちには一目置いて手出しはしない傾向にあると思う。氏は、自分が金持ちの息子だったからかここで金持ちを一番いじめられるとしたが皮相的な見方だと思う。勉強ができても運動神経の鈍い子はいじめられることもある。喧嘩が弱くても心が優しくていじめっ子のような子供にも思いやりがある子は虐められない。いずれにしてもいじめと言うといじめる側ばかり取り上げて、いじめないようにしようという発言がほとんどだが、麻生議員の発言はかなりピント外れだが、いじめられる側の問題を取り上げた点では評価してよいと思う。いじめは、いじめる方が絶対に悪いという論評が圧倒的に多く、いじめられる方にも問題があるなどと言うと袋たたきにあってしまう。しかし、いじめはいじめる側といじめられる側があって初めて成り立ち、いじめる側だけを問題視しても問題は解決できないと思う。ボクシングの元世界チャンピオン内藤大助氏は虐めぬかれていたが、強くなりたいと思って、ボクシングを習い、いじっめっ子達をはるか下に見下す世界一の人間になった。虐めをばねにして努力を重ねて大成功した例だが、「虐めないようにしよう」「虐めないようにしよう」と消極的なことばかり言っていないで、虐められたらどうするか反撃の仕方なども教えていくべきだと思う。韓国の兵士が骸骨の絵などで自分を虐めた同僚兵士を銃を乱射して何人も殺害したが、虐められた時はどうするかという基本教育が必要だと思う。私は虐められる条件は学力や体力や貧富よりも、性格的な要素が大きいと思っている。社交性がなく、依存心が強く、自己中心で思いやりのない子がいじめられやすいと思っている。社交性を出して積極的に隣の子に話しかけ、友人を思いやっていく気持ちを育てることが必要だと思う。虐める子は大体レベルが低い子である。そのような子を軽蔑するのではなく、世の中にはいろいろなタイプの子供がいることを教え、全ての子供を大事にする気持ちを家庭でも学校でも指導、育成していくことが大切だと思う。虐め対策は虐める側だけでなく、虐められる側についても十分に教育や政策立案していく必要があると考える。
2014.06.28
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今週の月曜日から日本の小学校に入れて頂いた7歳のT子、月、火は集団登校で帰りも途中まで集団下校で無事学校に行ってきた。3日目の昨日の水曜日、「迷子になって泣いている子がいると学校に連絡が入った。お宅の子供ではないか」と連絡が来た。探しに行かなくてはと右往左往していたら近くの上級生が帰りがけに泣いているT子を見つけて連れてきてくれてほっとしたが、話を聞くとT子がかわいそうで担任を許せないと思った。話によるとその日は午後から父兄参加の日で父兄が学校に来ていて、帰りも各児童は父兄に付き添われてそれぞれ帰宅したので前日までしていた途中までの集団下校はなかった。T子は一人学校に残され心細くなりどうしてよいかわからなかったがとにかく帰らなくてはと歩き始めてみた。アメリカから来たばかりで土地のことは分からない。どのように帰っていいか分からずわんわん泣き出してしまったというのがいきさつだった。母親は「連絡してくれれば自分だって父兄参加に行ったのに、何も連絡してくれなくて子供を一人ぼっちにしてしまうなんてひどすぎる。Tちゃんがかわいそうだ。ひどすぎる!!」と何度も酷い、酷いと言っていた。恐らくT子が入学する前にその日のことは父兄に連絡されていたのだと思う。T子は3日前に入学なので知る由がなかったのだが、担任はそのことをわきまえて遅れて入って来た子には連絡してしかるべきだった。母親が怒るのは当然だと思った。入学前に私も担任の先生にお会いしているが悪い人ではないとの印象を持った。恐らくうっかりミスだと思うが、取り返しのつかない大事故につながったかも知れない。母親が酷い!酷い!と叫び、悪い先生だ!と言っているのをべそをかきながら聞いていたT子の気持ちはどうだったろうか?あんな怖い思いをしたのでもう学校にいかないと思っているだろうか。自分の受け持ちの先生を母親は酷い先生で悪い先生と言っている。そんな先生に明日から教わる気が湧いてくるだろうか?と思った。幼い時に先生や友人から受けた酷い仕打ちはそれからも大きな影響を残すと思う。でも彼女は泣きながらだが漢字の宿題や算数の宿題を私が組の会議に出席する前から母親に言われて一生懸命していて会議が終わって帰ってきてからも漢字を何回も書いていた。偉いと思った。そして今日、朝七時半の登校、嫌そうな顔をしていたが近所の上級生と登校して行った。そして私が勤務を終えて帰ってき他時には、昨日の泣き顔はさらりと忘れて明るくふるまっていた。母親があんなに言っていたが本人は先生を憎んだり、恨んだりしなかったのだなと思った。このようなことでぐれたり、登校拒否になったり、引きこもりになってしまう子もいるがしっかりした子でよかったと思った。今回のことは過ぎたことで仕方ないが、先生がまた同じ過ちを犯さないようにきちんとお話だけはしておこうと思う。小度胸で人をとがめる様なことを言うのは大の苦手でうまく言えるかなと今からドキドキしているがT子のためにそれだけは言っておこうと思う。
2014.06.19
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シャクヤクラジオの「日本全国8時です」の木曜日のゲスト月尾嘉男さんの話題をいつも楽しみに聞いている。昨日の話は国が消滅するかもしれないという話だった。先ごろ、人口、なかんずく出産可能年齢の女性が減ってしまって市町村が半数近くなくなってしまう危機があるという発表があったが、月尾嘉男さんはそれを受けて人口が減ったために滅びた国の例をあげ、日本もこのペースで減って行くと国がなくなってしまうかも知れないという話をしていた。なぜ人口が減ってしまうのであろうか?国の構成割合で高齢者が圧倒的に多くなり、子供を産む若い世代がどんどん減っていることが原因だが、なぜ 減ってしまったのであろうか?文明がすすむにつれて避妊法が発明された。後進国では人口が増えているが先進国で減っているのは避妊法が普及したためである。子供を産む産まないは、人間の意志で自由に調整できるようになったからである。日本では戦時中「産めよ増やせよ」の政策があり、国策として出生を増加させた時代があった。今は自由である。個人が結婚するしないも自由だし子供を何人産むかも自由である。そうなるとどうなるか?低いほうに水は流れる。楽な方に楽な方にと世の中は流れる。子供を産んだり育てたりするのは大変である。その直接な当事者である女性が次第にそれを敬遠しつつあるというのが先進国での出生率減少の真因である。このまま黙って成り行きに任せ、市町村がなくなったり国がなくなってもいいのだろうか?今は個人主義の時代である。国や市町村はどうでもいい、自分が幸せに生きられればいいと考えている人たちが多い時代である。そして女性の方が勝ってきている時代である。女性の意思が世の中を支配しつつある時代である。男性が結婚相手を選ぶ時代から女性が相手を選ぶ時代になり、子供の数も女性が決める時代になった。少子化対策として育児手当や出産手当、その他さまざまな手当てが考えられているが、それらは全くの的外れではないとしてもほとんど効果を上げていない。本質は女性の意識の変革である。自分は一生のうち子供3人以上産むというように意識変革する必要がある。今では一人か二人でいいと思っている女性が多い。一人も生まなくてもいいと思っている女性もいる。これでは人口はどんどん減るばかりである。女性の意識改革こそ人口減少に歯止めをかける本質的な対策である。
2014.05.23
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カーネーション本日リホームのお金を払うために銀行にお金をおろしに行った。簡単におろせると思ったら、少し待って下さいと言われ、警察官が来るまで待たされた。警察官は私の生年月日、住所氏名、家族構成、勤務先を聞きだし、本所に連絡して本所から自宅の家内に電話して、金をおろしに来た目的が正しいか確認していた。さらに支払う業者に電話して請求額などについて詳しく聞き、やっと金をおろしてよいと許可が出た。その間約1時間、大変な時代になったものだと思った。振り込め詐欺の被害者を出さないための対策だと思うが、悪いことをする人がいると、何時間も調査を受けなければ金をおろすことができなくなってしまったのだ。インターネットのウイルスを作る悪人たちがいるおかげでパソコン使用者は常にウイルス対策で莫大なお金と時間を費やしストレスで悩まされる。人を殺したり盗みをしたりする悪い人もいる。人を差別したり自分だけ儲かればいいと思う人等もいる。何故このような悪い人たちが生じて来たのであろうか。 小学校、中学校で義務教育がある。そこでは悪い人間になってはいけないことを教えてくれてるはずである。家でも両親が悪い人間になってはいけないと教えているはずである。それなのに、悪いことをする人達がかなりの数いる。なぜ彼らは悪くなってしまったのだろうか。あるいは悪いことをしても平気になってしまっただろうか?と思う。どこでどうして悪い人間になってしまったのだろうか?やくざになって幹部から悪事を教えてもらったのだろうか?悪くなる遺伝的要素を持っていたのだろうか。普通ならお金をだまし取ったら相手の人が困ると考える。しかし悪人はその感覚がマヒしてしまっている。お金がなくて生活できないので悪いことをするのであろうか?悪人を生む原因は色々考えられる。その原因を一つ一つ検討して対策を立てることが必要だと思う。やくざは悪人を育てる温床ともいわれる。やくざ組織を次第に解体して行くことも必要だ。中学卒業時、高校卒業時に、悪い人間にならないように特別授業をすることも必要だと思う。大学を卒業してから悪いことをする人もいる。大学卒業時にも悪い人間になってはいけない教育をしっかりやってもらいたいと思う。悪いことをする人間がいなければこの世はかなり住みやすくなる。国を挙げてその対策を立ててもらいたいと思う。
2014.05.21
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今朝の庭のチューリップ医学部の入学定員が増え、地域優遇枠等も作られて以前より入学が易しくなったので学生の質が落ちたという声が聞かれる。実際はどうであろうか?7年くらい前から山梨大学医学部では早期臨床体験実習を実施している。入学して1年目の学生が9月に県内の病院に数人ずつのグループを作って2-3日看護業務等を見学したりその一部をさせてもらう実習である。まだ医学的なことは何も知らない学生さんが、病人を見たり看護師、薬剤師、検査や放射線技師等の仕事ぶりをみて医療業務に対してモチベーションを高めてもらいたいというのが主目的だと聞いている。先日昨年9月の実習報告をまとめた冊子が送られてきた。参加者全員が実習の感想を書いていた。まず看護師の業務がいかにハードなものか驚いたと多くの学生が書いていた。それから当院院長が学生と一緒に昼食を食べた時のコメント「医師は上から目線でなく水平目線でなければならない」を多くの学生が取り上げ、感銘を受けたと書いていた。ともすると医師は難しい入学試験を突破し、医学的知識を学ぶにつれ、プライドが高くなり、上から目線になりがちで、実際にそのような人もかなり見られた。それでは患者さんとの真の信頼関係が築けず、病気を治してやることもできない。それは患者さんとの関係だけでなく、一緒に働く看護師、薬剤師、事務職など様々な職種の人達に対しても水平目線が大切で、自分がえらいと思って見下すようなことがあってはならないと言うのが院長の話だったが、ほとんどの学生がそれをよく理解して素晴らしい文章力で水平目線の医師になることを誓っており、読んでいて感銘を受けた。学生の質が落ちたどころか優秀な人達が入学してきていることを実感した。又この実習を通じてチーム医療の大切さを学び、将来頼もしい医師になってくれそうな気がしてうれしくなった。これから真剣に学んで、水平目線の素晴らしい医師になってくれることを心より願うものである。
2014.04.13
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STAP細胞の発見で一躍時の人になり、世界中から注目された小保方さん、今やねつ造や不正をしたのではないかと勤務先の理研で調査され喚問されている。今朝起きがけになぜか小保方さんの顔が浮かび、お気の毒にと言う気持ちになり目が覚めた。小保方さんの論文が載ったのはネイチャーだが、それはランセット、ニューイングランドジャーナル等と並んで世界的に権威のある雑誌である。私もそれらの雑誌に投稿しようとしたことがあるが、審査が厳しくて採用されるのは並大抵のことではない。それだけに採用されたことに大喜びしていたが、実はその内容が杜撰だったというのが今回の騒動である。私も投稿しようとした人間なので応募者の気持ちは良く分かる。何とか採用してもらおうと研究を重ね、推敲を重ねるが、データーをごまかしたり、他人の論文から引用の断りなしで引用したりすることは研究者倫理として絶対許されないという認識が前提である。しかし、小保方さんの論文には随所にそのようなところが見られるというのだ。もしSTAP細胞が本物だったとしても論文の中に写真などでごまかしがあったなら、棄却されても仕方ない。小保方さんはネイチャーに採用されたい一心で電気映像画像に手を加えたり、昔の博士論文の時使った写真を載せてしまったのかもしれない。やる気は十分にある有望な研究員なので、研究者としての原点に帰って、今度こそ絶対ごまかさない姿勢で、地道に研究を重ねて誰からも文句のつけようがない素晴らしい論文を書いていただきたいと心から願っている。
2014.03.14
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大学入試センター試験が始まった。この試験での得点が志望校入学への大事な布石になるだけに受験生のみなさんは必死だと思う。明日も落ち着いて実力を発揮してもらいたいと願う。昔と今では受験戦線は様変わりした。昔は大学は狭き門だったが今は子供の数が減少して広き門になり、より好みしなければ誰でも大学に入れる時代になった。昔は4当5落と言って、4時間以内の睡眠は合格で5時間以上寝る受験生は不合格などと言われていたが今はそれもあまり聞かない。今の受験生にとって重要なのは何を学びたいかを明確にすることと、入学してからいかに学び、いかに実力をつけていくかの自立心を持つことだと思う。昔の受験生はガリ勉型で受験以外は目もくれない生徒が多く、偏った人が多かった。今は適度に遊び、幅広い人間性を身につけており、総合力では昔の受験生より上のような気がする。こせこせしないで堂々と普段の実力を発揮してもらいたいと心から願う。私は昔の4当5落時代のガリ勉受験生のなれの果てである。硬くて融通が利かず、世間の常識が分からない人間であった。それを自覚して世間のことも学び、ピアノや歌を習ったりしているが、その頃のガリ勉体質は抜けていない。明日の日曜日は病院の当直なので今夜中にやるべきことをやらなければならない。喪中のはがきをくれた人たちに寒中見舞いを書かなくてはならない。4当5落で仕上げようと思っている。冒頭の絵は寒中見舞いのはがきに載せる椿の花である。2月になれば咲き始める。ガリ勉人間の私にはいつになったら花が咲くのであろうか。
2014.01.18
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パキスタンの16歳の少女、マララさんの特集を7時半からのクローズアップ現代で観た。女性も教育の機会を与えられるべきだという強い信念と行動力に強く動かされずっと涙が止まらなかた。タリバンに頭を撃たれ危篤状態の中から奇跡的に助かって、その後もひるむことなく男も女も平等、イスラムもヒンズーもその他の宗教の人も平等に同じ机で勉強できるべきだという不屈の信念を持って行動している姿に感動した。イスラム教徒はイスラムの教えは最高で、それが女には教育はいらないと言えば、その通りだと思って従うのが当たり前のことだった。それなのにこの少女はそれに敢然と立ち向かったのである。イスラム教は最高で他の宗教は邪教、法のためなら邪教の彼らは殺してもいいというイスラム教の中にいながらヒンズー教も平等、他の宗教も平等と言い切る勇気と知性、すごい女性がいたものだと驚き、蚤の心臓の私などとは比べ物にならない桁違いの勇気に圧倒された。今も彼女はタリバンに命を狙われているという。世界中で彼女を守り、女性の権利向上と世界平和のために彼女と共に戦うことを願う。
2014.01.08
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音符も読めないし、指の動かし方も知らない全くの初心者が今日からピアノのレッスンに通うことになった。昼間仕事している時も夜のレッスンのことをチラッと思うと、大丈夫だろうか?と不安で、重苦しい気分になった。でもよく言われるが「案ずるより産むが易し」で、先生はこちらが全く何も知らなくても基本を分かりやすく教えてくれて、教えられた通りにたどたどしく弾いたら、できたできたと手をたたいてくれて、筋がいい、手の形ができているなどと褒めてくれた。自分が人一倍音痴でブキッチョなのはよく分かっているが、褒められるのは悪い気はしなかった。家内は習字を習っているが、そこの先生が怒ってばかりいて習字が楽しくなくなってしまったと言っていた。ピアノの先生は嫌になってやめないようにとの配慮から私を褒めてくれたのかもしれないが褒められて悪く思う人はいない。おかげで楽しくレッスンをすることができた。次に行ったとき思ったより下手だと思われないために家に帰ってからも教わったことのおさらいをした。学校や塾の先生、教育熱心な親等が子供に教える時、できない子供に何度教えても理解できない時にはイライラして叱り飛ばすこともある。教育は飴と鞭で行なえと言われるが、叱るだけでは子供は反感をもち、勉強や練習を止めてしまうかもしれない。褒めながら教える方が、先生と生徒の間でいい関係が生まれ、成果も上がる。反対に叱ってばかりいたら成果は上がらず信頼関係も崩れてしまう。10中8、9は褒めて教えて、叱るのはよっぽどの時に、たまに叱る程度がいいと思う。
2013.09.20
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アメリカは9月から新学期が始まるので数年前に父親の仕事の関係でアメリカに渡った孫がこの9月1日からアメリカの小学校に入学した。日本では入学式というと桜咲く小学校に両親だけでなくおじいちゃんおばあちゃんにも見守られながらランドセルを背負って校門をくぐる最高のイベントで本人にとっても家族にとっても感動的な瞬間だが、向こうでは普通に学校に行き盛大な式もないとのことだった。勿論桜も咲いていない。今朝i-podで家内に電話があり、小学校が楽しいと言っていた。時代は変わったものだと思う。昔は同じ日本の中の小学校なのに親から離れてしまうので泣いて帰った子供もいた。今ではよその国で周りは外人ばかりで言葉も全く違うのに楽しいといってくる子供もいる。エレメンタリースクール(小学校)の次は中学、高校と進むがいつまでいられるのかは分からない。国際感覚のある、スケールの大きな女性に育ってもらいたいと思う。
2013.09.06
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今朝出勤時のラジオでパキスタンの少女が国連演説した時のニュースを再放送していたので聞いた。既に何回か聞いたニュースだが重要なことなので本欄で取り上げることにした。ニュースの大要は以下の通りである。「差別されている女子への教育を訴え、タリバンに頭を銃撃されたパキスタンの10代の少女マララ・ユスフザイさんが、けがと闘って健康を取り戻した。彼女は全ての子供は教育を受ける権利があるという信念を持ち続け、今や、そのメッセージを国連に伝えるという形でテロリストに挑んでいる。16歳の誕生日に国連での演説に立ったマララ・ユスフザイさんは「彼らは銃弾で私たちを沈黙させようとしましたが、それは失敗しました。弱さや恐怖や絶望は死に、強さと力と勇気が生まれたのです」と述べ、(世界の)指導者たちに女性と子供の権利を擁護するよう求めた。そして女の子にも男の子にも学校へ行く機会を均等に与えてほしいと強く訴えた。」日本では男女平等、機会均等で、男も女も同じように教育を受ける権利がありますが、パキスタンでは女子は学校へ行くことさえできません。マララ・ユスフザイさんはその不合理をブログに書いて訴えました。それを知ったタリバンに銃撃されましたが奇跡的に助かって国連演説するまでになりましたが、その演説には鮮烈な信念が貫かれていると思いました。女の子には教育を受けさせないとはとんでもないことです。男も女も貧乏人も金持ちも、全ての人は教育を受ける権利があり、それは誰人も妨げることはできないと思います。日本にいるとそれは当たり前のことですが、世界にはパキスタンだけでなく、多くの国で子供たちが均等に教育を受ける機会を奪われています。マララ・ユスフザイさんの勇気ある発言に感動し、世界中の子供たちが平等に教育を受けられるように努力し、応援していかなくてはと思いました。ところで教育は重要だと言いますが、ただそれを受ければいいというものではなく、その内容こそ重要だと思います。教育には国語、社会、算数などの教科教育もありますが、それ以上に重要なのが人生の指針教育だと思います。自分や家族、生まれた国を愛し、尊び、守ることは重要ですが、それと同じ位に周りの全ての他人、全ての国の人達を大事に思い尊重することが大切です。地域性や主義主張、宗教などにとらわれないで何が最も大切かという教育を世界中で行ってもらいたいと思っています。私は「自分と他人」「ラブラブ思考で世界は変る」という本を書きましたが、自分と同じように他人や他国人を心の底から大事にする思想、これが最も大切だと思っています。教育の最重要目標はそこになければならないと思っています。
2013.08.24
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朝8時からの「日本全国8時です」の木曜日担当は月尾嘉男さんです。いい話をしてくれるのでいつも楽しみにしています。今日のテーマは人口問題でした。世界中ではものすごい勢いで人口が増えている。その一方で日本は人口が減っている。人口が減って栄えた国はない。ベネチア共和国の例をあげ、やがて滅亡していく運命にある。このままではいけない。生き残るために工夫努力していかなければならないと述べていました。少子化担当大臣がいるが何の対策も立てていないし、成果も上げていない。国がダメならと各県でそれなりに工夫している。福井県では会社ごとに職員の子供が何人いるかで評価して、平均点が2.0以上の会社は表彰して特典を与えて成果を上げているという。小さな会社ほど点数が高いという。上記は一例だが各県、各地町村で工夫努力していく必要があると思う。少子化の最大の原因は若者が性に関心を示さなくなり、結婚する人が年々減少し、結婚しても子供を産まないカップルが増えていることである。教育が最も大切だと思う。何の役にも立っていない少子化省は廃止して教育省を充実させてその中で将来を担う若者教育をみっちり行うべきだと思う。若者になる前には中学があり、小学校がある。小学校から英語等を教えても何の役にも立たない。小学校から子供を産むことの大切さを教えて行くべきである。
2013.07.11
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今日のテレビでDV(家庭内暴力)の特集をしていた。結婚してすぐ暴力が始まったケースもあるし数年して始まったケースもあり、1回暴力が始まると止まらなくなりエスカレートしてくることが多い。物を投げつけられたり、倒されて骨折することもある。離婚したり、別居して逃げてもストーカーのように追い回され休まる時がない。その恐怖と苦しみは想像を絶すると思う。今度法律が改正され結婚していなくて恋人同士の場合でも暴力があれば新しいDV法が適用され、刑事罰や保護の対象になるようになったとのことだが、いくら罰を重くしたり監視体制を強化してもDVは無くならないと思う。それは心の問題だからだ。DVの夫は、結婚するまでは普通の青年だったケースが多い。結婚してからも対外的、社会的にはまともな人間のことが多いが、奥さんに対しては人間でなくなってしまうようだ。奥さんとは自分の思うように動いてくれるものと思っていた人が多く、反抗したり、自分の思うようにしてくれないとかっとなり暴力を振るうことが多いようだ。彼らは力持ちで暴れん坊的人間ではなく気が弱くて内気な人間が多い。彼らには元々結婚する資格がなかったのに、それがわからなくて結婚してしまった女性たちは本当に気の毒である。女性にも悪いところがある。という人がいる。会社から疲れて帰ってきたのに優しい言葉もかけずに自分勝手なことをしていた。それにかっとなり最初の暴力が始まり、エスカレートしていったというケースもあるからだが、奥さんというものは常に自分をちやほやしてくれると思ってる幼児性や、未熟性が問題で、女性の態度が頭に来ても普通は腹の中に治めるものである。社会では腹に収める機会は多いと思うが自宅では表に出してしまいそれが許されると思ってしまうのが問題である。親の育て方が最も大きな原因だと思うが、法律を厳しくするだけでは問題は解決しない。結婚しようとする男女が結婚後の同居生活をイメージすることなく結婚して悲劇が生まれていることが多い。未熟性格の人が結婚しようとするなら、未熟性格を充分克服してからでなければ結婚は認めないようにするべきだと思う。
2013.07.02
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ラムズイア(羊の耳)世の中には様々の人がいる。人は皆全く平等だが中には自分は人より偉いと思ったり、差別したり、人を見下す態度を示す人もいる。どの職業の中にもそう言う人はいるが、医師や教官、スポーツの指導者、マスコミ関係者、金持ちなどの中にそう言う人が多い。人より努力してその地位を掴んだとして優越感や差別感を持ってしまったのかも知れない。医師の中には患者さんより少しばかり医学知識があるからと威張った態度をとる人がいる。その知識を使って少しでも患者さんのお役にたちたいと懸命に努力している人が大半だが、中にはどうしたことか俺は偉いと思ってつんとしている人もいる。金持ちの中には貧乏人より自分は偉いと思っている人がいる。努力して金を貯めたのだ。貧乏人は虫けらだ。悔しかったらお前らも努力して金持ちになれと思っている人もいる。マスコミ関係の人の中には「おれがどのように報道するかであんたがたの人生はどうにでもなる。社会から葬りさることだってできるのだぞ」と内心思っている人もいる。その職業の人が全てそうというわけではないが、中にはそのように差別して人を見る人がいる。一方貧乏人の中には自分を卑下している人もいれば、金持ちは悪い連中だ。悪いことをして金を貯めたのだと逆差別感を持っている人もいる。いずれも人は本質的に全く平等で尊い存在であるという認識に欠けている人たちだと思う。全ての人はどのような立場にいようとも、原点に帰り、人は平等、どの人も最高に尊いのだとの認識を失ってはならない。
2013.06.06
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35年前甲府に家を作り、父母が同居したがその時南アルプス市の実家から持ってきた芍薬で今も毎年春になると咲いている。本日は午後から市内の中学校の教員の健康診断に行ってきた。待っているあいだに会場にあった教師向けの道徳教育の参考書をチラチラと読ませてもらった。今は小学校3年から中学3年まで毎週1時間道徳教育の時間があるとのことである。道徳教育というと愛国主義の復活だとか言って反対する人もいたが、参考書に書かれた内容をみて、今の我が国の道徳教育は健全で素晴らしい内容だと思った。国によってはその昔帝国主義の日本が自分たちの国を攻めてきて、国民を辱めたり苦しめた。その恨みは絶対忘れてはならないと徹底的に教えている国がある。よその国のことなので他国の我々が、とやかく言う事ではないかもしれないがそれでは子供たちが可愛そうだと思う。人間のあるべき姿や道徳を教えなくて憎しみや、復讐を教えている。情操豊かな子供を育てることを最初から放棄しているように思える。教育とは何か?の原点に立ち返ってもらいたいと思う。少し前までの我が国の教育も、それら外国の教育に同調するかのように、かっての日本は悪い国で近隣諸国に筆舌に尽くし難い苦痛を与えてきた。それを反省しなければならないということばかり教えていた時代があった。日本は悪い国でそんな国に生まれて不幸だ。希望が持てないという若者もいた。今日読んだ参考書ではその反省はもちろん必要だがそのことだけを教えるのではなく、日本には偉大な先輩たちがいて、偉大な文化や伝統を築いてきたし、戦後いち早く民主主義を取り入れて持ち前の勤勉さで世界第一の経済成長を成し遂げた底力等は世界に誇っていいし、国際スポーツ大会でも多くの名選手が活躍しており、日本人の様々な素晴らしい点なども書いてあった。嫌な国だ、悪い国だと思って人々が成長することは悲しい。周りの国々に振り回されないで、本物の日本人、世界人を育てるべく学校の先生方に大いに頑張ってもらいたいと思った。
2013.05.27
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庭のバラいまアメリカに行っている6歳の孫はすごいらしい。アメリカの新学期は9月なので9月から小学1年生の予定だが、飛び級の試験を受けていきなり2年生からスタートするかもしれないという。言葉がわからない東洋人の子が幼稚園のクラスに入ってきて1~2年の内に言葉を覚え今ではクラス内で先生役になって30分くらい赤と黄色を混ぜれば橙色、赤と白を混ぜればピンクなどの講義をしているという。自分は十何倍も年輪を食い経験も積んでいるのに外国語のところで未だにお話にならない。英語で講義をするどころか向こうの人達が話すのを聞き取れないし、質問されてもその意味が分からない。情けない。その孫と自分とは天と地の違いで全く関係ない間柄だと思える。でもよく考えてみたら彼女の遺伝子の4分の1は私からのものなのだ。馬の血統を見る時、その馬の親の能力以上に祖父母馬の能力の有無をみると聞いたことがあるが、人間の子供も4分の1ずつ祖父母から遺伝子を受け継いでいる。結婚する時は親を見て嫁に行けなどと言われるが、確かに婿さんは父親から50%、母親から50%の遺伝子を受け継いでいるので親は重要だが、祖父母も25%づつの遺伝子を提供しているので、重要になってくる。今回の孫の例では、孫が優秀なのは祖父である私の遺伝子4分の1が行っているからであろうか?違うと思う。祖父母は4人おり、各人が4分の1づつの遺伝子を提供している。4人の内どなたかが優秀だったのだと思う。少なくとも優秀さの遺伝子は私からではないと思う。4人の祖父母が4分の1ずつの遺伝子を提供するが、その祖父母一人一人にはさらに4分の1づつ提供している祖父母がいる。従って私らの世代を通過してもっと先の祖父母から受け継いでいる素質かもしれない。人間の能力は遺伝だけでは決まらなくて教育や努力によっても左右される。でも遺伝の影響もあるので自分の祖先についても時々は思いを致すことも有意義だと考える。(本稿の参考文献「親からのDNAで人生は決まるのか?」鳥影社)
2013.05.08
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本年4月から介護認定審査員に任命され月2回午後7時30分から9時まで審査会に出席することになり、今帰ってきたところである。手足が不自由だったり認知機能が傷害されている人たちの介護度を決める会議で、今夜は29人の審査を行った。障害の程度を点数化してコンピューターで介護に要する時間数をあらかじめ算出して、本日の会議で最終的な介護度を決めるのだが、大変な調査と審査が行われるのだなと改めて思った。本日は上記のことをメインテーマに書こうと思ったが昼休みに表題の新聞記事を読んでそのことが強く印象に残っていたのでそちらの方をメインテーマで書く事にした。高校間でもレベルの違いがあり、同じクラスの中でも理解力に違いがあり、出来ない子はついて行けないのではないかと思ったが、記事によるとすでに実験的にそれを行った高校があり、そこでは1年生で赤点つまり50点以下の生徒は30%位いたがその日本語なしの授業を受けて2年生に進学した場合、その割合が20%位に減少したとのことである。それに対して従来の授業法だと30%と変わりなかったとのことである。最初は抵抗あるかもしれないが慣れたら英語力向上に有効かもしれないと思えてきた。英語の授業はただやればいいというものではない。せっかくやるなら実力が向上するやり方でしてもらいたいと思う。この方法は意外といいかもしれない。生徒に分からせるために教師も色々工夫するだろうし、生徒も分からなければ授業にならないのでわかろうと努力するだろう。今年はとりあえず1年生だけにして翌年以降2-3年生にするとのことだが、どうせやるなら全学年一緒にそうした方がよいと思った。今夜帰りにラジオを聞いてきたら基礎英語をしていた。日本語の解説や説明が長々しく邪魔だと思った。ラジオ講座こそ(テレビ講座も)無駄な日本語解説はやめて英語だけの基礎英語とかラジオ英会話にしてもらいたいと思った。
2013.04.08
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庭に咲いている水仙医師国家試験合格者が発表された。その中に66歳の合格者の方がいた。そのことについて医師投稿サイトで批判が相次いだ。66歳で免許をとってもその後の医師としての活動年限が短い。それまで税金で教育を受けてきた分十分社会に還元できない。高齢者は研修病院でも快く採用してくれないだろうし病院に就職しようにも一般的に定年を過ぎており、何を考えてそんな年で医師になろうとしたのだろうか?その人が医学部に入学したおかげで若い人が一人落とされている。その人は自分の自己満足だけを考えるとんでもない人だ。といった論調が圧倒的に多かった。年取ってから医師免許をとることがそんなに悪いことなのか私は疑問に思った。若ければいいのか?人を評価する基準は若い、年寄りには関係ないと思う。金持ち貧乏これも関係ない。教育があるない関係ない。人気があるなしこれも関係ない。頭がいい悪いこれも関係ない。美人不美人、これも全く関係ない。体が健康、弱いこれも関係ない。力があるなしこれも関係ない。手術がうまい下手これも関係ない。ゴルフがうまい下手全く関係ない。スピーチが上手下手これも全く関係がない。ならば何を持って自分なり他人を評価して優劣の判定をするか?それは人のために尽くそうとしているか否かで決まる。どんなに金持ちで美男子で頭が良くてもそれがない人は下の下の人だ。冒頭の年寄りだからダメと言っている人たちは本当に自分たちは社会に貢献しているのだろうか?まずその反省をしてもらいたい。人間の価値は年寄り、若いでは決まらない。その66歳の人の、人類を救いたい、人のために尽くしたいという気持ちが誰よりも強いなら、批判している若い医者よりはるかに優れているのだ。自分を評価する場合でも他人を評価する場合でも表面的なことで見ないで、本質的なこと、つまり本気で人のために尽くそうとしているか否かで評価してもらいたいと思う。
2013.04.07
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本日は身体障害者に診断書を書いて等級を決める講習会が午前10時から甲府市のアイメッセで開催されたので時々患者さんから診断書を書いてくれと頼まれるので勉強しておいた方がよいと思って参加してきた。午前9時頃家を出て車で会場に向かう途中カーラジオを聞いていた。子供の電話相談の番組で小学校6年の男子生徒が相談していた。最初はふざけ合いのような感じだったが今は数人に毎日いじめられており、顔を殴られたり、お腹を蹴られたりすることもある。お母さんはフィリッピン人だが、いじめの相談をしたくてもそれに近い話をしただけですごく悲しそうな顔をするので、いじめられていることを話してお母さんをそれ以上悲しませたくないので相談できない。お父さんにも言い出しづらくて相談していない。30~40歳位の担任の男性教師に相談したら、いじめられるお前が悪いような事を言われた。それでも再々のいじめに耐え切れずこんなに酷いことをされたと担任の先生のところに言っていったが前と同じように相手にしてもらえなかった。相談する友達が誰もいなくて本当に苦しいという内容だった。小学生にしては非常にしっかりした話ぶりで、唯一の見方だと思っていた同級生も実はいじめ仲間の一員だったと知った時には死にたい気持ちを通り越した絶望状態になってしまった。裏切りのその子が私立中学に行くと言っているのでそれを妨害して復讐してやりたいとも話していた。前の校長先生は話しやすくて色々話したことがあったがその先生は転校してしまって今は全く相談できる人がいなくて電話相談したとのことだった。いじめ、自殺などの報道を時々記事として目にするが、いじめられている子の生の声を聞いたのは初めてでかわいそうで涙が出た。特にお母さんを悲しませてはいけないから打ち明けられなかったと聞いた時は母親思いの優しい子がなぜこんな目に遭わなければならないのかと世の不条理を思った。この電話相談を聞いていて重要なポイントは学校の先生だと思った。その担任の先生にも言い分はあると思うが、2度もその子が相談に行っているのに親身に相談に乗ってくれなかった。学校の先生も大変だとは思うが、児童生徒の相談には真剣に対応してもらいたいと思う。相談に来る子はまだいい方で相談に来れない子もいるかもしれないのである。今いじめや暴力がこんなに話題なっているのにそれに真剣に向き合っていない先生がいるのだなと思った。学校の先生だけでなくすべての職業人はその義務と責任を果たしているはずである。職業人は誰もプロフェッショナルでなければならないが、中でも学校の先生は児童生徒の生長や将来に関わる重要な仕事なので、人一倍心を澄ませて情熱あふれる仕事をしてもらいたいと願うものである。
2013.03.17
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いま受験シーズンたけなわでもう受験を終えて発表を待つだけの人もいると思う。その中には医学部を受験した人もいるが、数日後合格か不合格に分かれる。不合格の人は来年再度挑戦するかもしれないので、ここでは合否にかかわらず医学部を志した全ての受験生に一先輩の言葉を捧げたい。入学定員が1.5倍に増え門戸が格段に広くなったが逆に難しくなったと言われている。昔は医者の子弟か変わり者が医師を目指したので元々志望者は少なく他の学部に比べてそれほど倍率は高くなかった。しかし近年の就職難で確実に就職できる職業として医師の人気が高まり、テレビドラマやドキュメンタリーなどでかっこいい医師像等の紹介もあり、志望者が増え今や最難関の学部となってしまった。志望者が増えることはそれだけ優秀な人が選抜される可能性があり、いいことには違いないが医師にふさわしくない人まで志望するようになった結果、受験倍率を高めてしまっている傾向がある。今夜、新潟大学医学部を卒業して医師になったが、ケニアで保育園を開いて子供たちの教育に当っている男性のことをテレビで見た。動機はアフリカの子供が飢餓でやせ細った姿の写真をみて何か自分にできることはないかとアフリカにきたことがきっかけだったとのことだが、様々な生き方があるものだと思った。医学部を卒業しても臨床医になる場合、ノーベル賞の山中先生のような研究者になる場合、予防医学で公衆衛生的仕事をする場合など、様々である。臨床医でも教授、准教授等の道を歩む人と町医者になる場合と様々だ。諸君は今医学部という漠然としたものを目指しているが、その中でも何をやりたいかを明確にしたほうがいいと思う。もし山中先生のようになりたいと思ったら必ずしも医学部でなくても薬学部や、理学部でもいい。もし医学部に落ちても、それらの学部でも本人次第で同じような研究はできる。天皇陛下の手術をした天野先生のようになるのだと思ったら、きめ細かな技術を磨かなければならない。手が器用でどこまでも諦めないで向上目指していける人間か自らに問いかけてもらいたい。そしてなにより苦しんでいる人のために、命懸けで尽くし、頑張る気持ちを持っているか自問してもらいたい。臨床医になるにも研究者になるにも、教育者になるにもそれが原点である。その点を自問して、自分にはそれがあると思えたら一層邁進してもらいたい。でもそれらがないと思えたら自分に向いた別の道に進まれた方がいいと思う。
2013.03.01
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私の甥もバスケット部員だった。県内では強い方だった。でも話に聞くと先生の暴力は日常的で鼻の骨を折ったり、耳が聞こえなくなった生徒もいたという。今時そんな暴力が許されるのかと思ったが、生徒はじっと我慢して練習していたという。恐らく入部前から噂でその厳しさは充分承知していたが、想像以上でそれに耐えられなくて自殺してしまったのだと思うが、この機会に指導者の暴力について一般人も良く知ってよく考えるべきだと思う。甥の話だと殆どどこのバスケット部でも暴力はあり、強いところほど暴力は凄まじいとのことだった。指導者のタイプに日ハム栗山監督のような人もいる。おそらく暴力は振るわないと思う。しかし暴力を振るわないおとなしい指導者では強くなれない現実があったことも事実である。楽天の星野監督は熱血指導で有名だ。叱り方も尋常ではなさそうだ。叱られるのを怖くて緊張して練習して強くなるというのがスポーツ界の常識だったように思う。桜宮高校の顧問も強くなりたい一心で想像を絶する厳しさで生徒に接していたのだと思う。ここで二つの問題を提起したい。ひとつは暴力がなければ強くなれないのか?もう一つは体育の目的は強くなることか?である。ひとつめは自分は体育会系の人間ではなかったので体験的なことは言えないが、絶対そんなことはないと思う。暴力で成功した高校があるとそれを真似してあたかもそれがないと強くなれないという迷信を産んでいるだけだと思う。栗山監督のように理論的に熱意を持って指導すれば暴力高校以上に強くなれることを示してもらいたいと思う。二つ目のことはスポーツをやる限りは強くならなくてもいいという命題は成り立たないだろう。暴力がなければ強くなれないとするなら強くならなくてもいいということで掲げた命題である。暴力がなくても強くなれるという実績を各校で示してもらいたいと強く願うものである。
2013.01.11
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今春の秋田大医学部を受験した女子受験生が筆記試験は9割以上の得点なのに面接0点で不合格になった。点数配分はセンター試験550点、2次の英語100点、数学100点、面接200点の合計950点で合否が判定された。面接重視は大賛成だがその内容に疑問を感じた。食べ物は何が好きだとか、高校卒業資格認定試験合格までの経緯などあまり入学に関係ないことを聞いている。恐らく何故医学部を志したのかなども聞かれたと思うので受験生の言い分のみ聞いたのでは片手落ちになるが、面接の採点基準は公表すべきだと思う。大学はそれを拒んでいるという。近年医学部志望者が増えている。高校でも成績の良い生徒に医学部はどうだと指導している学校もあるという。医学部志望者が増えることはいいことで優秀な受験生が集まることは歓迎だが、適性というものがある。あらかじめ適性を考えて進路指導や自己志望してもらいたい。その意味で面接試験は重要な意義があるが、その採点基準が明らかにされていなければ本人も高校側も対応できない。面接の採点基準が示されていれば本人も高校側も対応できる。私の面接基準を書いてみる。以下のような心がある人が医学部を受験して欲しいという意味である。あらかじめ入試要項に書いて欲しい。1.貧富、成績、老若男女、宗教、国籍、いかなる人も差別しないで対等にお付き合いしょうという気持ちがあるか。2.自分が優越したり得をすることだけを考えるのでなく、貧困や困難、病苦に直面している人たちのために命を注ぐ気持ちがるか。3.学問の道は険しい。常に研鑽して行く気持ちがあるか。4.なにごとも自分一人でできることはない。周りと協力しながら仕事をしていこうとする気持ちをもっているか。5.その他(姿勢や態度の印象など)大体1~5で各40点づつとして配点すれば、5での自由採点40点での変動はあるが、200点全てが自由配点では0点か200点になってしまうことがあり不公平である。ちなみに気分を和らげようとして聞いたのかもしれないが「食べ物は何が好き」の質問はナンセンスでそれは入学とは全く関係がない。
2012.12.24
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11月14日のブログに載せた白い菊と同一のものだが、花の周囲がピンク色になっていたので義兄に聞いたら、皆このように色が変わっていくと教えてくれた。不思議だなと思った。野田首相が父親から「バカ正直」を褒められたことを今になっても覚えていて、それを公衆の面前で言った。恐らくそれを常に意識しながら育ったのだと思う。私は小学校の時に女の先生から○○君は「花のように美しい心」とクラスの皆の前で言われた。自分は決して美しくはなく、却って醜いと思うことの方が多いが、そう言われたことは覚えていて、時々思い出してはそれを意識して育ってきたように思う。けなされたり、馬鹿にされたり、叱られたりしたこともあるが、それらはみんな忘れている。人間は褒められたことだけを覚えているものだと思う。いじめをする子や、悪いことをする人間がいる。彼らはきっと褒められたことのない人なのだろうなと思う。現在の自分がどうであれ、褒められたことのある人はそれにそむかないようにしなければの意識が働く。人をいじめたり、苦痛を与えようとしたり、悪事をしようとするとその言葉がよみがえってきて悪事はできなくなってしまう。野田さんも嘘をつきたくなった時には、必ず父親に褒められた「バカ正直」が頭に浮かんで、嘘が言えなかったのではなかろうか?子供を育てるには厳しく叱って育てなければ立派な人間にならないとの考えもあるが、私は必要な時には叱るが基本的には褒めることのほうがその子を伸ばすと考えている。隣のおじさんに「誰々君は賢いね」と言われたのをずっと覚えていて誇りにして立派な人間になった人もいる。今政治不信で閉塞感があるが、国は政治家のみによって決まるものではない。国民の底力や、裾野の広さで国は決まるのだと思う。国民一人一人が花のような美しい心を目指し、正直な人間を目指していれば誰が総理大臣になってもビクともしない磐石な国家になると思う。世の親御さんたちよ、隣近所のおじさん方よ、学校の先生方よ、おじいさん、おばあさん方よ(子供の時おじいちゃんに褒められたことをずっと思って生きている人もいる)、子供は褒めて育てて頂きたい。賢いね、優しい子だね、粘り強いね、野球がうまいね、走るのが早いね、なんでもいから、思いつきでもいから褒めてやって頂きたい。褒めた方は忘れていても、褒めらた方はずっと覚えていて立派に成長する。反対に「ダメな子だね」「馬鹿でどうしょもないね」「嘘ばかしつく子だね」などと言われて育った子は、いじめっ子になったり、犯罪を犯す人間になってしまう。選挙で素晴らしい人を選ぶことも大切だが国民一人一人が自分の子や他人の子を大事に育てていくことこそ日本再生の本道だと考える。
2012.11.25
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今朝3時頃、愛知県の信金立てこもり事件は無事解決した。犯人は野田政権の総辞職を求めての犯行声明を出した。解散しており次の選挙で野田政権が再選されるか分からないが、新政権誕生までは当然野田政権が維持される。ある意味では死に体内閣なのに、高圧的なTPP発言等で、反発を感じて即時退陣すべきと思った人もいるかもしれない。しかし、そのために人質を取って立てこもる等は当然許されることではなく、厳罰に処されるべきだと思う。事件は解決したがここ数年の政治不信は解決されていない。小選挙区比例併用制等の選挙制度に問題があると指摘する人もいる。内閣総理大臣を直接選挙できない現体制に問題があると考えている人もいる。私は制度も重要だが政治分野での人材不足に大きな要因があると考えている。今は少し陰りが出てきたが科学技術や工学分野では世界のトップとしての人材を次々と輩出して世界に誇る製品を作り経済成長を促進してきた。その土壌は国民全体の裾野が支えてきた。もともとの器用さとか研究心などの国民性によるところもあるかもしれないが今までの教育に寄るところが大きいと考える。現今までの教育を総括するなら、結果として科学技術分野は伸ばせる教育だったと言っていいのではないか。所が政治の分野では一向に有能な政治家が生まれてこなかった。これは今までの教育にその原因があると考える。科学技術等は個人の才能をそのまま伸ばせば良い面があるが、政治分野では世界観、平和観、国民生活の理解など基本的なことが幅広く身についていないと応用は難しい。世界をどうする、経済をどうする、他国との連携はどうする、国を守るとはどういうことか?等、基本に関わる教育は今までなされてこなかったように思う。自立国家として責任感のある国を作り、世界をリードしていかなければならないとの教育理念が欠けていた結果が、政治分野での人材不足を招いているように思う。国を思い、世界を思い、我こそはと思う人が日本国土全体に広がっていればその中から人材は続々と生まれてくるはずである。教育は全ての面で非常に大切だと思っている。
2012.11.23
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毎週木曜日朝8時からはラジオでの月尾嘉男さんの話を楽しみにしているが、今回は日本の大学についての話だった。人口が減り、高卒者の数が減っているのに小泉政権の規制緩和政策により、どんどん増えたタクシー同様自由に大学を作ることができるようになり、増加の一途をたどってきた。現在800近い大学が乱立することになり、定員割れの大学が多数出現し、潰れる大学もある。子供の数は減っても進学率が向上したのである程度は入学定員を満たすことができたがこれほど増えてしまうと助成金(税金)で維持していくのは大変である。我が国の大学レベルを世界評価でみると業績が少なく評価が低い。教育的にも入学するとあまり勉強しなくても卒業できることが多く、充分教育的成果を上げていると思えないところもある。世界の大学では入学はできても途中で落第させ、卒業出来る学生は半数くらいまでになることが多く、それだけに大学卒業は権威がある。日本では就職に有利になると思って大学に行く人が多いが、今の不況では必ずしもそうではない。専門技術などを身につけた方が今は有利である。諸外国では一旦社会に出た人が年取ってからでも学びたくなると大学に入ってくることが多いが、日本では社会人の入学は少ない。遊ぶために大学に入ったという人もいて大学とは何かをきちんと見直していく必要がある。ざっと以上のような内容だったが、聞いていて今後大学を改革していく必要があると感じた。まず大学の質を高めること。学びたい気持ちのある人は社会人でも積極的に受け入れること。入学したらところてん式に安易に卒業させないこと。世界の大学との交流を図り、国際的レベル向上に努めること、これからの大学設立認可にはより厳密な認可基準を作ること等が頭に浮かんだ。大学は入れ物で本体は学生なので学生の自覚が第一だ。高校卒業時に何になりたいのか?何を学びたいかをよく考えて入学することが必要と考える。
2012.11.17
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山中さんがノーベル医学賞を取った。原因不明の難病の治療や、脊髄損傷で一生車椅子生活の人が歩けるようになるかもしれないヒントを世に提供した功績は大きい。難病で苦しんでいる人達は多い。治らないと言われていたその人達を救う方法を見つけ出すことは素晴らしいことで、若者よ!山中さんに続いてくれと願う。ノーベル医学賞と言っても医者がもらうとは限らない。1987年に免疫を成立させる抗体の遺伝子の研究でノーベル医学賞をもらった利根川進さんは、生物学者だった。薬学や化学の研究をする人でも医学に応用できる研究はノーベル賞の対象になる。要するに誰でも医学に貢献する研究をした人はノーベル賞候補なのだ。若い時からそれを目指して努力してもらいたいと願っている。1956年にノーベル医学賞をもらったドイツのヴェルナー・フォルスマンは27年前は国家試験に合格したばかりの研修医だった。もしチューブを人間の血管から心臓に挿入できれば薬剤を直接心臓に注入できてより効果的な治療ができるのではないかと考えた。そこで彼は自分の腕の血管にゴム製のチューブを差して徐々に心臓へと押し進めていった。そして腕からチューブをぶら下げたまま階段を降りて、レントゲン室で撮影したらチューブの先端は確かに心臓内部の右心房まで到達していた。しかし周囲の目は冷たく教授からは「サーカスの見世物だ」と罵倒され、研究室から追放された彼は失意のうちに大学を去り、町の開業医になった。しかし数年後アメリカの二人の研究者が心臓カテーテル法を実用化させ、その源はフォルスマンが自分の体を使って実験したことがヒントになったとして二人の研究者と共にノーベル賞をもらうことになったのである。フォルスマンは研究者でもなんでもない。一人の町医者に過ぎない。その彼が27年前に若気の至りで自分の体を使って無鉄砲な実験を行ったことが評価されたのである。ソーベル委員会はよくそんな昔の実験を覚えていてくれたと感心した。フォルスマンは教授には評価されなかったがどこかの雑誌に発表していたのかもしれない。論文がなければ評価しようもない。若者よ!実験したり研究したデータは世間が何と言おうともどこかの学会とか雑誌に発表しよう。「人にいうだけでなくお前だってやれ!!」と言われそうだが、この年にななってしまうと研究もままならない。それだけに、若者に大いに期待して彼らの健闘を祈っている。
2012.10.29
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今あちこちで医学会総会が開かれている。私もあす神戸で開かれている日本消化器病週間に参加するために出発する。今朝、内視鏡検査をしていたら姉が脳梗塞で救急病院に運ばれたとの電話がかかってきた。病棟の患者さんが車椅子に載っていて意識がなくなって倒れたという。検査をしていても気が気ではない。午後の外来には重症の人が次から次に来た。腎機能が急激に悪化して緊急透析をしなければならない人、発熱して嘔吐している人、肺炎が疑われる人、重症だから明日も来てくれと言えない。自分は学会参加のため不在である。他の医師も学会に参加していて、自分の代わりに託そうにも不在である。最近はその学会が大型化している。例えば消化器病週間(DDW)では消化器病学会、内視鏡学会、肝臓学会、消化器集検学会等いくつもの学会が一緒に合同で学会を行うことが多い。参加する方からするとDDWに参加すれば同時にいくつもの学会に参加できて、一挙にたくさんの参加証をもらえるので参加者には都合いいので多勢参加することになる。結果として医者がいなくなり重症患者さんが困ることになる。学会等に行かなければいいのだが行かないと単位が貰えない。最新医学からも遅れてしまう。参加したいが外来予約患者さんや入院患者さんのために学会参加を諦めている人も多い。医学会総会は当に医師達のための総会である。患者さんの為ではない。新しい医学知識を身につければ間接的に患者さんのためになるではないかという人がいるが、患者さんのためという視点は学会開催者の頭の中にはこれっぽちもない。病院を空っぽにして患者さんのためになるわけがない。医師は患者さんのためにあるのではないのか。その彼らが患者さんをほっぽり出して学会を開いていていいものだろうか?今はインターネットという便利なものもある。それらも有効に使って病院を空にするような開催の仕方は止めてもらいたいと思う。医師は何のために存在するのかを常に考えてもらいたいと思う。
2012.10.11
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山梨大医学部1年生が火、水曜で1班4人、木、金で2班4人当院に研修にきた。私は研修担当係なので、第一日目の火曜と木曜には8時に行ってオリエンテーションを行った。研修内容は主に看護師業務で、入浴、排泄、検査介助、食事介助、検温、血圧測定等の見学だったがかなり疲れたとのことだった。本日午後4時半からは学生と指導スタッフで反省会を行った。将来は医師になるが今回は看護師サイドに立ち、看護師がどんな仕事をするのか見聞きして大変勉強になったと述べていた。昔の医者はこのような経験もしないで医学部を卒業して看護師や検査技師がどのような仕事をしてどんなに苦労しているかも知らないで怒鳴ったり威張ったりしていることが多かった。このような経験を積んだ彼らはきっと他職種の人達を大事にしてチームワークの大切さを学び、患者さんのために最高の医療を実践してくれるのではないかと思った。
2012.09.14
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私達の頃は講義があって、5年、6年生になるとポリクリといって6人くらいの少人数グループで各科の勉強に回るというシンプルなもので、講義などは居眠りしている人が多く、試験の時だけ一夜漬けで、先輩が回してくれた試験に出そうなところだけ勉強して何とか単位はとるが何も知らない、何もできない状態で卒業する人が大半だった。卒後入局した教室でいろいろなことを教えてもらって徐々に一人前になって行くというのがかなり長く続いてきた医学教育のパターンだった。最近医師不足がクローズアップされ、医学部入学希望者が増え、医学教育も見直されて、1年生の頃から病院で実習するコースを取り入れている大学もある。日医ニュースに埼玉医大の稲葉先生が書いていたが、最近は到達目標が提示されていて居眠りしていても卒業できる状況ではなくなり、知識の習得のみでなく、採血や傷の縫い合わせ方等の基本手技の習得もカリキュラムに入っており、態度等についても教えているとのことだった。従来は6年間も医学部にいて卒業時に採血や傷の縫合が出来る人はひとりもいなかったが、今の教育では全員がそれができるようにして卒業させるとのことである。素晴らしいと思うし当然のことだと思う。今や医学部の入学定員が1.5倍に膨らみその広くなった門に多くの受験生が殺到する現象が起きている。そのため偏差値が高い人が合格する傾向が顕著になっており、女性合格者が年々増えている。平成12年以後の国家試験合格者の女性の割合は30%を超えており、医学部入学者が40%を超えている大学も多く、これからも増え続けて女性が50%を超えて、60%、70%になって行くのも時間の問題かもしれない。それは高校生では女性の方が成績が良いからである。自著「親からのDNAで人生は決るのか?」にDNA的には男女で頭の良さは違わないと書いた。女生徒の方が成績が良いのは真面目に勉強するからで男生徒だって同じように勉強すれば負けるはずはないとも書いた。男と女は頭脳的には全く差はない。最近の高校生の男女の学力差は遺伝的なものではなく、真面目に取り組むか否かにかかっているので各々ひたむきに努力してもらいたいと思う。
2012.08.16
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綺麗に咲いているのに家内が半分くらい刈り取ってしまった後に残った芙蓉の花今日は日曜日だが、入院患者さんの容体が悪くなり、点滴や検査の指示を出しに病院に行って今帰ってきたところである。先日受験生の親と話す機会があり、入試の難易度等が話題になった。医学部については入学定員が今までの1.5倍とゆるゆるになったのでかなり易しくなったと思っていたら、その人が言うには却ってメチャメチャ難しくなったとのことである。門戸が広くなったので今まで医学部を念頭に入れなかった層まで目指すようになり、国公立、私立を問わず医学部ならどこの大学も大変難しくなってしまったとのことである。一般入試で受かることはまず無理で、地方大学等が一定数入学枠を確保している県内生徒を優先入学させる地域枠で入学するしかまず望みはないとのことだった。自分たちの時代は医学部志望者はあまり多くなかったので医学部が難しいとの認識はなかったが、入学定員が史上最高になった今はとてつもなく難しくなったとのことなので、医学部を目指している諸君にいくつか注文や助言をさせて頂こうと思う。まず一定の学力が必要である。医師は頭より心だから頭はよくなくていいとも言われるが、点滴する場合の成分や濃度、点滴速度等は体重に応じて細かく計算しなければならないこともあり、計算力や推理力、応用力等が要求される。でも共通一次試験に受かるような学力があれば問題ないと思う。上記とも関連するが、頭の良い悪いに関係なく、常に勉強する姿勢があるか否かが重要である。分からない症例に遭遇した場合等にその病気の本態や治療法について夜を徹してでも勉強する意欲があるかどうかである。朝ドラ「梅ちゃん先生」で住民の中に溶け込んで暮らす町医者(開業医)と松岡医師のようにがんの研究に没頭する研究医者を目的が違う別の医者と区別していたが、目的は同じだと思う。町医者は直接患者さんに触れながら病気を治療するが、研究医者は、直接患者さんには触れていないが、患者さんの治癒を願っての純真な心は全く同じだと思う。つまり基本的心情は自分以上に他人を大事にできるかどうかだと思う。他人はともかく自分が栄誉をもらい、ちやほやされたいという人がいたならこの進路は止めてもらいたい。人様のために自分の全身全霊が注げる人に医者になってもらいたいと思う。偏差値が高くてもその心がない人は別の道に進んで貰いたい。本を読んだり、サークルに参加したり、人間の心をふれあいの中から学び、社会や世界についての見識が広められる人に受験してもらいたい。いくら頭が良くても社会や世界のことが全く分からず、人情の機微も分からない人は心身の悩みを抱える患者さんを救うことはできない。医学のことも人の心のことも社会や世界のことも常に学ぼうとする柔らかい心を持った人に医学部を受けて貰いたいと思う。
2012.07.22
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大津市の中学2年の男子生徒がいじめられて自殺した。その辛かった心中を思うと涙が出る。今朝の朝刊では2度にわたっていじめられている現場を目撃した女生徒が担任に報告して担任が駆けつけて、いじめられていた生徒に事情を聞いているが「大丈夫、これからも友達でいたい」と答えたためいじめでなくけんかと結論したとのことだった。周囲にいじめっ子がいた時に聞いたのか、職員室なりに呼んで詳しく聞いたのか分からないが、いじめられている子にもメンツがあり、簡単にいじめられていますとは言えなかったのだと思う。昨日の朝日朝刊に、いじめられた体験のある内藤大助さんが、「いじめられている君に」を書いていたが、「俺は一人で悩んでいたが、その反省も込めていうが、親でも先生でもチクったと言われてもいいから言うべきだ。それはカッコ悪いことではない」と書いているが、いじめられている子はチクることがいじめられていることよりカッコ悪いことと思っていることが多い。またチックっても問題は解決しないで却っていじめがエスカレートするだろうと考えてしまう。今度のことで徹底的に問題点を整理し、チクっても不利にならないで必ず問題が解決していじめのない学校にする、もしくは転校など具体的な解決策を示せるようにしてもらいたいと思う。それにしても内藤大助さんのいじめはひどかった。ぼろ服を着ていたことから中学2年頃からぼんびー(貧乏)とあだ名をつけられて馬鹿にされ様々にいじめられた。3年になってもいじめられ高校を出てからもいじめられた。上京して就職してからも帰省したらいじめっ子に会うのではないかと怖かった。下宿の近くにボクシングジムがあり、ジムに行ってると言うだけでもいじめっ子をビビらせることが出来ると思って始めたら楽しくて自信がついてきた。ボクシングの練習が辛い時にはいじめに比べたら大したことはないとがんばったとのことである。おそらくいじめは世界最悪、宇宙最悪に辛いことだと思う。それに比べれば人生の様々な障害など問題にならなかったのだと思う。いじめをバネにして世界一になった人間だが「いじめられてよかった」なんて一度も思ったことがないとのことでいかにいじめが悪いことか分かる。いじめを生み出さない教育がいかに大切か親も教師も、文部省も、国会議員も真剣に考えて対処してもらいたいと思う。
2012.07.15
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ラムズイヤー(綿チョロギ)シソ科イムゴマ属先日娘に車を貸してやり、私が帰る時には迎えに来てもらった。車中医者にも色々な人がいるだろうねという話になった。医学部に入るにはある程度偏差値が高い必要があり、自分は偏差値が高いのだと思ってスポイルされる人がいる。そして医師になってからは何故か「先生」と呼ばれるので偉くなったような気になってスポイルされる人もいる。確かにその職務内容から尊敬に値して先生と呼ばれてもおかしくない人もいるかもしれないが実際にはそれに値しない人が大半である。それなのに医師になったら誰もが先生と呼ばれるものだから自分がえらい人間になったように思ってしまう人もいる。患者さんに対したり、看護師、薬剤師、検査技師、事務職等に対して自分の方が偉いと錯覚して横柄な態度を取る人もいる。一般的に先生とは師匠のことであり、尊敬に値する人の呼称だが、医師とか、国会議員、弁護士、お坊さん、学校の教師なども先生と呼ばれるものだから自分が偉いと錯覚してしまうことがある。学校の教師は生徒にとっては絶対的な存在であり、先生には違いないが、その呼称に惑わされて生徒より偉いんだと思ってスポイルされている教師もいる。よく「先生と呼ばれる人にはろくな人はいない」と言われるが、それは、その言葉のイメージから自分を偉いと思ってしまう人がいるから気をつけろという戒めの言葉かもしれない。
2012.06.21
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一時帰国していた娘と子供たちが明日いよいよ成田からアメリカのアイダホ州ボイジーに帰ってしまう。山梨県立美術館で小うさぎミッフィーで有名なディック・ブルーナ展をしているので家内が子供たち喜ぶのではないかと連れて行った。帰国前の忙しい状態なのでゆっくりは見てこなかったが、かなり沢山のミッフィーちゃんを見てミッフィーのぬりえも楽しんで来た。これからまた異国での生活で大変だなと思うが本人たちは意外と平気で、明日おうちに帰るのと言っており、いまやアメリカが自分たちのおうちのように感じているようだ。どこの国で暮らしてもいいが元気で心の優しい人間に育ってくれよと祈る。
2012.06.20
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今アメリカから一時帰国した孫たちが我が家に来ている。この写真は土曜日に孫のお友達も加わって庭で飲んだり、食べたりした時の写真である。シクラメンのかおりの歌詞に「疲れを知らない子供のように♪?」というのがある。私は、今夜も歓迎会で飲み会だった。歓迎は大切なことだがそこへ出向くのはおっくうだなとの気持ちがあった。この歓迎会のつぎには医師会の勉強会、同窓会の役員会と続く。勘弁してもらいたいと思う。でも子供たちは全く疲れを知らない。アメリカから10何時間飛行機に乗ってきてもヘッチャラで、今日は関西、明日は関東の親戚とあちこ連れ回されても何の文句も言わない。空港で出迎えてくれた時には5歳なのにごろがついているとはいえボストンバックを自家用車のところまできっちり運んでくれて、他にまだ何か手伝いたいという。皆で武田神社上の温泉に行った時も着替え等の荷物を必ず持ってくれた。限りなく親切で疲れを知らない。何でも嫌とは言わない。歓迎会や、医師会勉強会は億劫だ。できれば避けたいと思っていた自分が恥ずかしい。幼子のバイタリティを身近に感じて自分も若くなった。どんなことでもいやだなあと思わないことにした。幼子から大きなものを教えてもらっている。
2012.06.15
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アメリカに行っている娘一家がしばし日本に里帰りして昨日パパさんがアメリカに帰り孫たちはもう少し日本に居てからアメリカに帰るとのことで昨夜我が家に再来した。今夜は家の近く、武田神社を少し超えて相川小学校より少し先の相川の近くに蛍が沢山いるとのことで夜7時半から見に行った。子供たちがせっかく来たのに見れなくてはかわいそうだと思っていたがその内に何匹も現れてくれてよかった。これは足元に飛んできたホタルをどこかのおじさんが捕まえて3歳の孫に渡してくれたのを孫が手に持っていたのを写したものである。その後は川に戻してやった。今は明りは原発などと言われているが、その前はランプやロウソクで明りをえた。ランプやロウソクのない時代は焚き火で明りを得たのだと思う。ランプやロウソクのある時代でも貧乏でロウソクが買えない人はホタルをたくさん捕まえてきて袋に入れてその明りで勉強したらしい。勉強する気力さえあれば、金がなくても何がなくても勉強はできるものだよとのたとえかもしれないが、世界の子供たちが、世界平和実現のために、ホタルの光で勉強した人たちのことを思い、大いに本を読み、世界通、人類通の立派な人間に育ってもらいたいと願っている。
2012.06.13
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ハクラン(白蘭)入学試験や、入社試験、オーディションの合否、デートの申し込みの返事、歌手やスポーツ選手の事務所やチームからの合否通知、様々なやきもきする合否がある。私はいつも母から「昔の入社試験の面接で、そこに行く廊下にわざとゴミを落としておいてそれを拾った人は合格で見向きもしないで面接室に入った人は不合格になった」と聞かされてきた。これが本当なら合否は簡単で周囲に注意を払い、清潔、清掃に心がけていれば合格の可能性が高かったと言える。でも会社によって合否基準が決まっていてそれだけで合格できるとは思われない。どのようにして合否は決められているのだろうか?私は医学部の入試で、あまり筆記試験はよくできなかった。今回も不合格だろうと覚悟していたら合格通知がきた。今でも不思議な気がしているがもしかしたら面接で受かったのかもしれないと思っている。当時は「なんで医学部に入って医師になろうと思ったのか?」の質問に対する定番の答えはシュバイツァーのようになりたいと思ってで、多くの受験生がそのように答えていたと思う。私もそのように答えたが、続いての質問「なぜシュバイツァーのように生きたいのか」等に対する私の返答を試験官(4~5人いたと思う)が評価してくれて合格させてくれたのではないかと思っているが、本当の所は分からない。デートの返事やオーディションを受けた後の合否の返事、ドキドキしながら痩せる思いでその結果を待っているが受かる人と受からない人がいる。「入社試験も、入学試験も、オーディションも野球のドラフトも実力があるかないかだよ!合否の決め手は努力して実力をつけているか否かだよ。それ以外にはない」と割り切って考えている人もいるが、私には実力だけではなく、別の何らかの力で合否が決まっているように思えてならない。デートに関しては、その人に好かれたい一心で様々な贈り物をしたり心を込めた手紙を書いたり、自分の全てを捧げるが、OKの返事は中々貰えない。努力だけで合否は決まらない。なら合否の本当のカギはなんだろうか?私にも分からない。でも母から聞いたゴミの話、私の医学部入試の経験、何百というオーデションを受けて全て断られて最後にやっと受かった人の話、有名な作家が自分が書いた作品を出版社に持って行ってことごとく断られたが、死後に認められた話や、補欠でやっと入れてもらった選手が大活躍している例等から、努力は勿論大切だが、それ以上に限りない熱意と誠実さが必要ではないかと思っている。またもし限りない熱意があっても運がなくて合格できなかったとしても、本物の知性や人間性ある作品や、業績なら、いつか必ず、例えば死んだ後でも合格通知がくることもあるのではないかと思っている。
2012.06.02
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アメリカのアーチーズ国立公園での姉弟三つ子の魂百までもの言葉は三歳位までの性格は年取ってからもその基本的性格は続くので三歳までの子育てが大事だという意味で使われるが、その三つ子の魂は教育で形成することが出来るのか疑問に思っている。ある部分は教育で造ることができるかもしれないが基本性格は持って生まれたものでどうしようもできないのではないかとも思える。上の写真の姉弟は5歳と3歳である。3歳の弟は甘えたで、抱っこするのも、ベビーカーを押すのも母親でないと泣いたりわめいたりするわからん人である。ところが次のようなことがあって驚いてしまった。アウトレットに買い物に行った時、親が姉に好きなものを買ってやるよと言った時その子はひらひらのついたかなり派手なスカートを選んできた。ところが親はそんなのはダメでこちらにしなさいと言う。その子は泣いてしまったが親はなぜ泣いたのか分からない。ところが弟は泣いてる理由を察知してそのひらひらを持ってきてしきりに「とわちゃんはこれがいいんだって」と言って何度も何度も親のところにそのひらひらを持ってきた。いつもはよく喧嘩してお互い泣かしあっている間柄だが、この時ばかりは姉を救おうと必死の姿が感じられ心をうたれた。この写真にあるアーチーズ国立公園を歩いていた時強い風が吹いてきてあまりの強い風に姉がふらつき泣きそうになった。その時も弟がすかさず姉を抱きかかえ僕が守ってやるという。少し風がゆるくなったら手をつないで行こうねとエスコートしてやる。信じられなかった。自分の3歳の頃の記憶はないが5歳6歳の頃はわずかに覚えているが、姉を守ろうとしたという記憶は全くない。周りをみても3歳、4歳の子が誰かを守ろうとしている行動はあまり見かけない。その姉は魅力的なところがあり、可愛い子は守るという本能がでたのかもしれない。大きくなってもきっと騎士道精神で綺麗な女性は守る人になるだろうなと思った。自分には全くそのような義侠心、思いやり、男気といった要素が感じられずその子を羨ましく思い尊敬してしまった。この年になると3歳、5歳位の小さな子が将来どのような人間になるか興味がある。3歳までの教育で将来の人間性が決まるならそれに越したことはないが、実際には本来持ってるものがそのまま大人につなっがっているように思う。
2012.05.20
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日本医師会雑誌3月号の特集は「医師の倫理・資質の向上にむけて」であった。医療事故や心無い医師の反社会的行為などの報道などから社会と医師との信頼関係が悪化している。苦情や暴言のモンスター患者や暴力を振るう患者まで現れ医師が戦々恐々しているケースもある。悪い患者もいるが、医師側にも反省すべきことがある。子供の鼻水が止まらないと受診すると「なんでスポイトですってやらないのだ。母親失格だ」「泣くなら診てやらぬ、しずかにさせろ」。鼻水、喉の痛みで2日続けて受信したら、「その程度の症状でくるな」などと言われたとの苦情もある。患者の態度にイラついての発言だったのかもしれないが、医師としては恥かしいと思う。医師とは本来豊かな人間性と生命の尊厳観を持ち、人の命と健康を守る職業人として、常に患者中心の立場に立つものだと思う。しかし実際には少しばかり成績がよいと医学部でも受けてみるかと受験してみて合格すると医学的な教育は受けるが医の倫理教育カリキュラムはない。学生は医の倫理は重要ではない。知らなくても医師になれるといった誤った観念をもって卒業して医師になっている者もいる。どの職業に就くにしても技術だけでなくお客さんに対する接遇態度など基本的な職業教育を受ける。医師も同じで病気のこと等を習っても職業意識が欠けているなら医師にはなれないのではないか。医学部に入ってからの教育だけでなく小学校や、中学校でも基本的な職業教育が必要である。今まで我が国の医学部では医師とは何か?プロフェッショナルとは何かを教えてこなかった。これからはそれこそ医師の基本であるとしてその職業教育のカリキュラムをきちんと作って教育して行くべきであると多くの先輩医師たちが述べていた。本当にその通りだと思う。医師になろうと決意したらその時からそのような教育が必要だと私も思う。
2012.04.23
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庭のムスカリである。だいちゃんに名前を教えて頂いたので写真をアップしました。昨夜男ばかり3人で話し合う機会があった。ある人がテレビで観た話をしてくれた。「暴走族で暴れん坊で人の迷惑を考えない青年がオートバイで転倒して頭を打って記憶障害になった。その後回復して健康になったが自分が暴走族で人の迷惑を考えない自分勝手な人間だったことは全く知らないで真面目で思いやりのある人間になった」とのことである。事故で頭を打って狂った回線が正常になったことも考えられるが、私は記憶が消えたことが原因ではないかと思った。それまで様々な悪い要因を環境から受けてその中で不良青年になっていたが、その要因である記憶を失ったためにまともな人間になったのではないかと考えたのだ。そこで私もかって同僚だった医師の話をした。その人は小学校4年、5年の受け持ちの先生に徹底的にいじめられた。きっかけはある漢字の書き順で先生が黒板に書いた書き順は父に教わった書き順と違うので違うのではと言ったことからだった。以来ことごとく虐められ、差別され、無視され、殴られた。子供心はすさみ勉強もしない不良児になり、喧嘩、いたずらなどどうしょうもない少年になっていた。自分でもダメな人間でこのままダメ人間として大きくなり暴力団にでも入るしかないなと考えていた。ところが6年の受け持ちがいい先生で厳しかったが自分を認めてくれて、他の児童と差別しないで平等に接してくれて激励もしてくれた。すさんでひねくれていた心がまともになり勉強もするようになった。その結果クラスで1番になってしまったのである。そのひどい先生に受け持たれていた時と6年生の時では全く性格がちがったのである。その子は中学、高校でも勉強をよくしてやがて医師になったが、4年、5年の頃のその子からは全く考えられことだった。性格は生まれつきではないと思った。悪い環境(先生等)にいればすさんで悪くなるがいい環境になればがらっとかわることもあるのである。
2012.04.11
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昨年9月山梨大学医学部1年生の早期地域医療研修があり、当院にも6人来て看護業務やリハビリ、検査、手術等を見学研修していった。その研修報告のまとめがこの度送られてきたので読ませてもらった。1年生といえば浪人もいるかもしれないが高校を卒業したばかりの人たちである。その彼らが口々に入浴や清拭、検温、点滴管理等の看護師業務の大変さを述べて心から感心し、リハビリ、検査技師、薬剤師、放射線技師などとのチームワークの大切さを書いていた。医療は医師一人で出来るのではなく様々な業務の人たちとの協力で成り立つことを身にしみて感じたとも述べていた。素晴らしいと思った。我々が1年生の頃はそんなことはまず考えなかった。学年が進んでも自分たちの医学的な勉強はしても他職種の人たちのことはあまり考えておらず、医師が一番偉いと思っていた人たちが大半ではないかと思う。1年生の時にたった2日間だがこのような研修を課した大学にも賛辞を送りたい。私どもの時代にもこのような研修があったなら医師の意識もかなり変わっていたかもしれないと思った。時代は進歩しているなと思った。昔ではどこかの大学でこのような試みをしても、ほとんど他大学に広まるようなことはなかった。今はインターネット等があり、ある大学でいいことをしていれば直ちに広まる。おそらくこれに似たことは他大学でもきっとしていると思う。新しい時代に新しい教育を受けた心豊かな優秀な医師が陸続と育ってくれるだろうと期待を膨らませている。
2012.04.04
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今入試のシーズンである。合格した人もいれば失意の人もいる。不合格の人は来年に向けて捲土重来を期している人もいるだろう。合格した人もこれから飛躍するためのスタートラインに立った状況だ。親や教師の立場で彼ら受験世代への対処法を考えてみた。一生懸命勉強しているのでそっと見守ってやっている場合もあるし、あの大学へ行け、この予備校にしろ、いい会社に入れる大学にしろ等あれこれ注文をつけている親や教師もいる。問題はいかにモチベーションを高めてやるかだと思う。大いに期待され激励されると人間はがんばるものだ。死に物狂いで頑張ることもある。反対に「君のレベルではだめだと思うがまあがんばれよ」だとやる気は湧かない。「君ならどこに行ってもきっとやってくれると思う。心から応援しているよ」と言われるとがんばるエネルギーが湧いてくる。親戚の子でもいい、友人の子供でもいい。期待を込めて激励してやろうではないか!!
2012.03.15
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今夜6時半頃甲府着で東京の超音波勉強会から帰ってきた。講習会は五反田のユーポート5階で行われた。参加者は40人くらいで大半は若い女性であった。男性は数人で私より年配らしい人が多かった。トイレでそのうちの一人に声をかけたらその方は家がすぐ近くなので参加したとのことだったが私が甲府から来たと言ったら朝早かったでしょうと驚いていた。講義の内容はあまりよくなかった。スキルアップを期待して全国から集まってきた人たちも期待はずれだったと思う。講師はある大学の教授とのことだったが、あまり必要でないことにだらだらと時間を使って肝心なこと(肝臓の8区分の描出の仕方等)はあまり教えてもらえず、結局自分で勉強しなさいとのことだった。やはり自分で苦労して勉強しなくてはダメだなと思った。私も非常勤講師として大学で講義したこともあるし、ホームヘルパー2級の受講生等に講義したことがあるので、講義の難しさは知っており、人のことは言えないと思っているが今日の講義にはがっかりした。おそらく知識はある方だと思う。しかし集まってきた受講生一人一人に何か一つでもお土産になるようなことを教えてやろうとの気迫が感じられず残念だった。人の振り見て我が身を正すで、今度自分がどこかで講師を頼まれた時には、スライドももう少し見やすいようにつくり、受講生一人一人に何かが残るように精一杯情熱を持ってお話しなくてはと思った。
2012.03.11
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メディカルトリビューン紙にオランダに留学した人の見聞録が掲載されていた。オランダ人は世界で最も優秀な国民と信じきっているとのことだった。確かに九州と同じくらいの面積しかないオランダからは多くのノーベル賞受賞者が出ているし、古くは江戸時代に難攻不落と言われた遠く離れたアジアの鎖国政策日本と交易を行った唯一の国だし、誇り高い国民だろうなと思う。日本もその昔は世界一優秀な民族と思っていた人が多い。しかし戦争に負けてその後は世界一だめな国民と思っている人もいる。それは戦争に負けて不滅と信じられていた神が崩壊してしまったことと、戦勝国であるアメリカの巧妙な占領政策で日本人に劣等意識を植えつけたことにもよる。桜梅桃李の原理で、すべてが優秀ということはありえず、ある面で優れていれば他の面では劣り、優れていると言っても上には上があり、印象で誰が優れ、誰が劣っていると思ったり、言ったりすることは間違いである。しかしオランダ人のように世界一優秀だと思っていればいい業績を上げているが、ある種の日本人のように世界一ダメな国民と思っている人たちは業績を上げられないで足の引っ張り合いをしている。優秀かどうかはその人の心にかかっている。今回の東北大震災に対してい何らかの形で義援金や寄付をした人たちは70%を超えていると言う。誇るべき国民であり、世界一だと思ったが、被災地のがれき受け入れはノーと言っている市町村が圧倒的と聞いてやはり、劣等民族なのかなと思った。自分だけ安全で豊かであればいいと思っている人達は優秀でも何でも無く、劣等な民族と言えるだろう。私は「ラブラブ思考で世界は変る」や「親からのDNAで人生か決まるのか?」の本の中にも書いたが人間を見極める唯一の基準があると確信している。ノーベル賞を沢山取ったから優秀か?違う。経済力があるから優秀か?違う。教授になったから優秀か?違う。戦争に強いから優秀か?違う。オリンピックで金メダルをたくさん取ったら優秀か?全く違う。個人としても民族としても優秀の基準はただひとつである。人のために尽くせるか否かである。自分さえよければよいと考えている人は劣等である。世界一優秀な国民目指して努力して欲しいし、行動でも示して欲しいと願っている。
2012.03.09
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昨日のブログには縄張り争いから殺し合いをするような原始人状態からは人類は少しずつ進化してきたように思われると書いた。今夜の帰り路、カーラジオで8月6日に広島に原爆が落とされた時の状況を描写した小説を紹介していた。市民20万人をあっという間に大変な苦しみを与えながら殺した。戦争のさなかとはいえ、原爆を落とすことがどういうことか分かっていたはずである。それまで焼夷弾を日本各地に落として市民を次々に殺してきたので原爆もただそれが大きい爆弾だっただけで格別の罪の意識を感じなかったのかもしれない。時の大統領ルーズベルトが最終的にゴーサインを出した。人間ではないと思った。戦争になると人の心は狂ってしまうので、冷静な判断ができなくなってしまうと言われるが、止める人はいなかったのだろうか?日本も戦争中は、中国や東南アジア各地で残虐な行為や殺人をしてきた。戦争になれば敵国民は虫けらと同じでいくら殺しても心は痛まなかったのだろうか?今平和な日本に住んでいる私にはアメリカ政府や日本軍が行ったような、残酷な事を私がするとはとても考えられなかったが、もし戦争中だったらもしかしたら状況によっては原子爆弾をも落としたかもしれないと思った。人間の心は弱いし移ろい易いもののように思えた。戦争中なら敵は殺せば殺すほどいい。原爆で一度に大量殺せば効率がいい。今でこそ戦争反対などと言っているが、その状況に置かれたなら自分も大量殺人の片棒を担いだかもしれないのだ。恐ろしいことである。今でも日本以外の他国では縄張り争いからいざとなったら戦争をしようと思っている人たちがいる。人間とは愚かで残虐な動物である。私は平和な日本に住んで64年が経過したなかで、平和ボケして人間を少し楽観的に見すぎていたかもしれない。国の方針や教育で人の心は変わる。日本は平和教育が徹底されてきたので問題解決は話し合いでしようと思っているが、他国は必ずしもそうではない。人間の本性は原始時代からあまり変わっていないようだ。それだけに教育の重要性を再認識して世界に向かって平和と教育の重要性を強く発信していかなくてはと思う。
2012.02.20
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今夜7時半からのクローズアップ現在で柔道の死亡事故を取り上げていた。本年4月から中学で武道が必須化されるという。柔道、剣道、相撲のいづれかを取り入れれば良いとのことだが圧倒的に柔道を選択する学校が多いという。現状では柔道をしたこともない教師がその指導に当たることになり、講習などを受けているという。問題は死亡事故だが、そのような教師に死亡事故を防ぐ備えがあるであろうか?必須化は4年前に決まったとのことだが、その理由が日本の古武道を通じて礼儀正しさと体力強化を目指すとのことだが、礼儀正しさは柔道したり剣道したり相撲したりすれば得られるのか?柔道マン、剣道マン、相撲取りが一般の人より礼儀正しいだろうか?国会の先生方は何を考えてこんなことを制度化したのだろうか?オリンピックで勝ちたいためか?汗臭い、不潔、乱暴者が多い等で敬遠されているスポーツが授業に取り入れられたら急に競技人口が増えるだろうか?死亡事故防止にどう取り組んだらいいか具体的な指針はない。ある指導者は危険防止のために3年間受身の練習だけでもいいと言っていたが、受身だけでは体力もつかないし気力も涵養できない。面白みがなければ継続は難しい。体力作り目的ならラジオ体操とかジョギングの方がはるかにましである。国会議員の先生方が決めたことで取り消すことはできないとすれば、まず安全第一で、受身から始めて危険の少ない技から徐々に教えていくようにしたらいいと思う。技では送り足払いをお互いが掛け合うところから始めたらいいのではなかろうか?
2012.02.06
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今NHKでリーダー不足の日本にリーダーを生み出すにはどうしたらよいかを内外の学者や経営者を集めて長時間討論を行っている。エリートを集めて徹底的なエリート教育を行うべきだとか、教育内容を改めて違いの分かる教育を行うべきだなど、様々な意見が出されている。しかしリーダーというのは教育によって生み出すものなのだろうか?たしかに今の日本には信頼に足る強力なリーダーがおらず、街の声でも殆どの人が日本にはリーダーがいないと答えている。しかし、だからといって教育でリーダーを育てようというが本当に育つのであろうか?リーダーというのは教育で生み出すものではなく、自力で這い上がりリーダーになっていくもののよな気がするがいかがなものだろうか? 信長や秀吉、家康らは強力なリーダーだったが育てられたリーダーではなく、自分で這い上がってきた人達である。彼らは足軽とか人質などを経験する中で様々なものを学んで天下をとった。天下人への飽くなき欲求がリーダーへの階段を登らせた動機であり、リーダー教育で生まれたものではない。今の日本にはそのようなものにあこがれる人がいないということだと思う。ドイツのヒトラー、ソ連のスターリンらは強力なリーダーシップを発揮したが、民衆は幸せではなかったし世界をも地獄に突き落とした。彼らが出て来る背景にはリーダー不在で民衆が強力なリーダシップを渇仰していた土壌があった。私は日本も今危ないと思っている。リーダー不在で強いリーダーを求める風潮が高まっているからである。このような時には反社会的なとんでもないリーダーが現れないとも限らないからだ。優れたリーダーによるトップダウンの社会にいれば自分たちも楽で安心だからと考えている人が多いが、とんでもないリーダーが出現したら日本はどこにいくか分からない。封建国家なら兎も角、文化の進んだ我が国のような国にはトップダウンが可能な強力なリーダーはいらないのだ。それより教育の裾野を広げ、誰もが相手のことを思い、他人を大事にし、尊敬していく社会を作って行くことの方が大事だと思う。エリート教育でリーダーを作る(それで本当にリーダーが生まれるかも疑問だが)よりも教育の基本方針を確固たるものにして違いの分かる人間を育てていくことこそ重要と考える。一人一人が他人のことや他国のことを考え、人々の幸せのために真剣に努力する人間を作って行くことこそ最も重要で、エリートを試験で選抜して徹底的なエリート教育をすることではないと考える。
2012.01.21
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