うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
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甲府で行われた東日本歌謡連合祭に出演してきた。プロ歌手36人、一般参加者94人が熱唱した。一般参加者94人の内訳は地元山梨が最も多くて50人、次いで東京17人、以下長野15、神奈川10、埼玉2人であった。一般的には歌謡祭に出演したくらいでブログに取り上げる価値があるのか疑問だが、私の場合は特別な事情があるので取り上げさせて頂いた。私は生来の音痴で、忘年会や歓送迎会その他で歌うとあまりに音が外れていて、殆どの人が転げまわって笑っていた。音痴だから仕方ないと思っていたが、まともに歌えたらどんなにいいだろうか?の気持はあった。でもそれは絶対不可能でありえないことと思っていた。ある時、健診を受けた男性が音楽教室を開いているとのことで、歌えるようになるのはまず無理だと思いつつ、試しに、月に2回、土曜日の午後4時から1時間通ってみることにした。あまりに音程が外れていて、先生もさぞかしたまげたここと思うが、辛抱強く教えてくださって、なんとか歌えるようになったのである。自分としては奇跡的なことだと思っている。以来色々な大会に出させて頂いている。NHKのど自慢の予選会にも出演した。家内も時々大会に応援にきてくれるが、終わった後、自分ではまあまあだったかなと思っても「曲に遅れていた」「どなればいいというものではない」「歌手が歌うのを聞いて練習しないの?」「いつもどなるような歌ばかり選んでいるけど、別の歌はないの?」など大体否定的な評価で、帰り道はふさぎこんで帰ることが多かった。今回は「男鹿半島」を歌った。歌って観客席に戻ったら、家内と応援に来てくれていた義姉から「よかったよ、あまり外れていなかったよ」と言われた。通勤の車の中で練習した成果が出たのかなと思ったが、初めて褒められて(褒められたといっても大変よかったというのではなく、あまり外れていなかったといった程度)気分は悪くなかった。どんなに音痴でも、正しく練習すればいつかは歌謡祭に出演できるまでになることをお知らせしたくてこの記事を書かせて頂いた。
2009.09.20
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アメリカの医学教育は4年間の一般大学を卒業した後、4年間のメディカルスクールに進学して、その後インターンをして3~6年の臨床研修を終えて、一般内科医、一般外科医などの称号が与えられ、さらに専門医資格を得るには3~10年の専門医研修が必要となり、その後の試験に合格して循環器内科専門医などの称号が与えられる。一般大学からメディカルスクールに進学するには2年間のボランテア活動が必須とされており、試験も難しく狭き門と言われている。めでたくメディカルスクールに進学できてもその後の4年間の専門教育と臨床実習を受けたあと臨床実習を受けなければならず、ざっと計算しただけでも医師になるには一般の4年生大学+4年の専門教育+インターン、臨床実習 3~6年+専門研修3~10年で高校卒業後医師になるまでには15~25年かかる。翻って我が国の医学教育では6年の医学部教育を修了して国家試験に合格すれば医師になれる。最近2年間の臨床実習が義務ずけられたので、6+2で実質8年で実地診療医師になれるがそれに比べるとアメリカのそれは気が遠くなるように長い。長ければいいというものではない。我々の学生時代は6年の医学部を終えて国家試験に合格すれば、内科でも、耳鼻科でも、外科でも何科でも開業できた。実際には卒業後大学医局とかその他の病院の専門科で数年経験してから開業する場合が多いが、その年数には決まりはなかった。卒後3年位で開業した人もいた。アメリカではいっぱしの医師になるまでには高齢化してしまい、若い人に比べて能力的に下り坂になってしまう。また教育年限が長いのでその分給料も高くしなければならず、アメリカの医療費が高い原因にもなっている。定年をなくしたとのことだが、高齢医師ばかりでは技術的に高いところが望めなくなってしまうことが問題で、私はアメリカはもっと医学教育期間を短縮すべきだと思っている。日本の医学部の2年間の一般教育課程に相当するアメリカの4年間の一般大学は2年以下に短縮すべきだと思う。若いうちに教育することが必要で、若くて吸収力旺盛な時代を一般教養の時代だからと称して漫然と過ごさせるべきではない。我々の医学部時代は6年のうち、最初の2年間を一般教養として高校の延長のような授業で、その後の4年間が医学専門教育だが、そのうち解剖学や病理学、生化学等がかなりの比重をしめ、実地診療技術の訓練期間は短く、実際に診療できる実力がないまま卒業していた。最近10年位前から教養の2年間にも医学的授業を少しずつ組み入れるようになり、後半の4年間も臨床実習を多くして、卒業後はある程度診療できる実力をつけさせた上で卒業させるシステムをとってきた大学も多い。どの職業でもそうだが、少しでも若いうちから訓練した方がいい職人になる。長い間漫然と教育を受けて頭でっかちになっている高齢医師候補者達に難しい医学的技術を教えてもものにならない。若くて吸収力旺盛の時代に、大切な医学教育を修了して、早く現場に出せるような教育がベストと考える。現場に出てそこで様々な症例や場面に遭遇しながら力量を上げていくことができる。アメリカの医学教育の年限は、半分以下にすべきだと思っている。日本でも現在必須の臨床研修2年を加えて8年になっているが、6年の医学部教育の中で実地診療能力を高めていけば余計な2年は必要なくなると思う。日本でも諸外国、というよりアメリカのマネをして2年の臨床研修を必須化したが、教育年限を長くするのではなく、若いうちに必要なことをいかに身につけさせるかが重要で、如何に効率的に教えられるかを考えながらカリキュラムを作ってもらいたいと思う。
2009.08.16
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私は49歳の時に、医師として個人の病気を診るだけでなく、戦争や貧困、いじめ等人類の病根を治す社会の医者を目指すなら最低限英会話ができなくてはならないと思って英会話の勉強を始めた。家内は私のその動機を知ってか知らなくてか「年をとってからの語学の勉強はだめに決まっているじゃない。無駄な努力だから止めなさいよ」としばしば言われた。何を言われようとお構いなしに私は英会話の勉強を始めた。テレビの英会話教室、家出のドリッピー、ヒアリングマラソン、スピードラーニング、TOEICのスコアアップ講座、字幕つきの映画のビデオやCD, 数えきれないくらいのカセットテープ、テキスト、ビデオ、CD,DVD 等を購入して勉強してきた。しかし家内の言う通り、殆ど進歩は見られなかった。全ての英会話教材は「これで勉強すればたちまち貴方もぺらぺらに」等と宣伝しているが、それは嘘だった。でも詐欺とは思わなかった。なぜなら「自分は特別感が鈍く、学習能力が低いのだから仕方がない」という気持があったからだ。でもそのために投資した金額は相当のものだ。私のおこずかいのほとんどは英語教材に使ってきたと言っても過言ではないと思う。今日パソコンでVOA(ボイスオブアメリカ)を検索してみたら実に沢山のニュースをビデオ動画で提供してくれる番組http://www.voanews.com/english/newsnow.cfmに遭遇した。今までで最高の生きた英会話教材だと思った。しかも無料である。英会話を勉強している方でいい教材を探しておられる方がいたら、世界ナンバーワンの英語教材がここにあるので、まずVOAと入れて検索してみて頂きたい。
2009.08.09
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7月23.30日号のメディカルトリビューン紙に、小児期のいじめは思春期に精神病性症状を発現する傾向が強いとの研究論文が紹介されていた。英国のアンドレア・シュレイアー博士らは6,437人の子供について継続的に調査し、8~10歳の小児では46.2%がいじめに遭っており、13.7%が広範囲の精神病性症状を発現したとしている。この発現リスクは、家庭の不幸、子供のIQ,他の精神病等とは無関係にほぼ2倍の頻度で出現し、いじめが常習的、または重度であるほど関連が強かった。とのことである。いじめはいけないと言われながら、それがその子の将来にどのように影響するかの研究は少なく、この研究も方法論やデータの出し方などに問題があり、素晴らしい研究とはいえないが、それでも将来に目を向けた研究として注目される。教育の目標は知育、徳育、体育、だが、体育というとスポーツで優れた成績を残せる児童生徒を育てることに目がいきやすいが、病気にならない健康な体に育てることも重要である。いじめが精神病性症状を出現させるとするなら、国語、算数などの教科カリキュラムと並んで、いじめをなくす教育基本カリキュラムをつくって、健康な子供を育てる教育体制を確立してもらいたいと願う。
2009.07.28
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4月に男の子が生まれてその子が落ち着くまでということで、母親と2歳半の女の子が出産里帰りで、我が家で生活している。お姉さんになった女の子は思いやりがあり、物分かりのいい賢い子だが、母親が授乳その他で赤ちゃんに関わっているとママ、ママと甘えたり我がままを言ったりする。今はおばあちゃんがいるので、甘えの矛先をおばあちゃんがかなり、吸収してくれているが、やがて親子だけで家に帰った時はどうなるだろうかとおばあちゃんは案じている。もともとおばあちゃんがいない夫婦だけの子育ても多く、いなければいないでそれなりにバランスがとれていくと思われ私は心配していない。人間の心の中には嫉妬心があるが、その最初の萌芽は、弟や妹が生まれた時ではないかと思う。やがてその赤ちゃんが生育すると母親がお姉さんに関わっていると、お姉さんに対して嫉妬を感ずるようになる。一人っ子の場合は、嫉妬を感ずる対象がなくてよかったと思うかも知れないが、幼稚園や保育園に行ったとき、保育士等の他の幼児に対する扱いに嫉妬を感ずるらしい。社会に出てからは兄弟がいる家庭より、むしろそれが強い一人っ子もいる。育児環境の中で嫉妬心は学ばれていくが、もともと人間の遺伝子の中にそれが組み込まれており、生育していく中でそれが様々な形で発現してくるのではないかと考えられている。嫉妬心が強い人とそうでない人がいる。遺伝的素因と生育環境の組み合わせの中でそれが強くなったり弱くなったりするのだと思うが、最初に芽生える家庭環境での嫉妬心の扱いが、成人後のその人の人格に大きく影響することが考えられ、母親および周りの大人や保育士等の公平な愛情ある態度がきわめて重要と考えられる。
2009.07.08
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世界のスーパースター マイケル・ジャクソンさんが亡くなった。小さい時から他の兄弟と共に厳格な父親に育てられ、歌や踊りを仕込まれた。他の兄弟も歌が上手だったが、マイケルは群を抜いており、世界中の音楽フアンの心を魅了して天文学的なお金を稼いだ。近年は、性的児童虐待事件や、自分の子供をバルコニーで吊るして見せたりして訴えられたり捜査を受けたり、借金もかさんでいた。2度結婚しているがいずれも数年で離婚している。美容整形を繰り返し元の自分の顔の面影は全くなくなってしまっていた。もとより歌や踊りの才能は素晴らしく世界のトップスターには間違いないが、その私生活はみじめで荒れており、決して幸せな人生ではなかった。その原因は、幼くして有名になり、フアンに囲まれ、莫大なお金を稼ぐようになってスポイルされた面もあるかも知れないが、父親による幼児虐待が大きく影響していたと思う。物を投げつけられたり壁に叩きつけられたこともあるという。マイケルは母親は尊敬していたが、金儲けの道具として子供たちをこき使っていた父親は憎んでいたという。マイケルの才能や性格の大半は親から受け継いだものだが、結婚した妻に対する態度や、子供たちに対する態度は父親から受けたネガテブな教育がかなりの割合で影響していたと考える。稀に見る芸術的才能に恵まれ、世界中からもてはやされ、巨万の富を稼いだが、心は幸せではなかった。芸能の道に案内してくれたのは父親だが、心を暗くして生きなければならなかった原因の一つも父親故である。教育の名を借りて暴力をふるうような父親には絶対なって欲しくないと思う。
2009.06.26
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今日の午後は大腸鏡検査の日で2例の検査を行ってきた。比較的やさしいケースだったので難無く行えたがS状結腸が長い例や、手術歴等によっては大変難しくて難儀する。大腸鏡は大腸がんを見つけるのを主目的にした検査だがそれが痛かったり苦しみを与えるものでは受診者が敬遠してしまい、どうしても受けなければならない人でも、あの検査は苦しいからと受けないでいて進行させてしまうこともある。従って検査する側としては如何に苦痛少なく検査するかが至上課題である。大腸の走行は人によって異なり、特に直腸に続くS状結腸が長い人では中々先に進まず大変難しい。それでも多くの先達が様々な挿入法を工夫して後進達に教えている。私が見学に行った島根県の出雲中央クリニックの宮脇哲丸先生は、勤務医時代、ボーナスと給料をはたいて、車等には目もくれず、個人で何百万円もする大腸スコープを買い、勤務が終わった夜10時から12時まで大腸模型を使って毎日練習を繰り返したとのことである。 右手でスコープを持って挿入し左手で、スコープの先端を上下左右に動かすチャンネルをうごかすので、左手で箸をもって、左手が自由に使えるように何か月も訓練したそうである。私が見学に行った時は十数人の大腸鏡検査を行っていたが、誰にも全然苦痛を与えないで患者さんと話をしながら楽々と検査をしていた。大腸鏡は苦しいものと思っている人にとっては大きな驚きだと思う。しかしそこに到達するまでには何百万円もするスコープを始め、各種の講習会やセミナーなど莫大のお金と訓練の時間を使っているのである。当に学問に王道なしで、一見優れた技術や能力を持っている人は、そこに到達するまでに並大抵ではない労苦と訓練を重ねてきていることを思い知った。私の技術はまだ未熟である。技術向上のための講習会等への参加費等それなりのお金は使っているが宮脇先生の比ではない。自宅で大腸鏡の本を読んだり、目をつむってイメージトレーニングなども行うが、毎晩2時間も模型を使っての実践トレーニングなどは行っていない。その時間は晩酌のお酒を飲んでパソコンを見て寝てしまうのが関の山で、えらい違いである。でも宮脇先生の目的に向かっての火のような情熱と不動の信念に触れ、技術はともかく、心構えは向上したと思う。少しでも痛みの少ない検査を目指してひたむきに努力していきたいと思っている。
2009.06.23
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茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺で昨年3月、通行人ら8人が殺傷された事件などで、殺人罪などに問われた金川(かながわ)真大(まさひろ)被告(25)の第3回公判が3日、水戸地裁(鈴嶋晋一裁判長)で開かれ、金川被告に対する被告人質問が行われた。金川被告は弁護人から一連の犯行の動機を問われ「死刑のため」と述べた。(産経新聞)公判記録を読むと、高校時代から死にたい気持になることがあり、今回複数の人を殺せば死刑になるからと殺人を行ったとのことである。この事件以外にも残虐な殺人犯の何人かが死刑になりたくて人を殺したと言っている。人を殺したらすぐ死刑になると思ったのに、何回も裁判して、こんなに長引かせられるはたまらない意味のことも述べている。人道的立場から今世界では死刑廃止論が盛んである。しかし凶悪犯罪の抑止力として死刑を存続している国もある。また被害者の家族の心情としても自分の最愛の妻や子供、親等が殺されたのに犯人がのうのうと生きていることに耐えられないという気持もある。しかし今回のケースのように、自殺の一手段として死刑制度を利用する人も後を絶たない。そんな犯人は無期懲役にしろという意見もあるが、無期懲役は実際には20年前後で出所するケースが多い。死刑を自殺の手段として選んだ犯人にはそれでもその20年は耐えられないかもしれない。刑罰としてはその方が苦しいであろう。死刑制度がなければ「何をしてもどうせ殺されることはないのだから」と凶悪事件が増えることも予想されるが、死刑を廃止した国で凶悪犯罪が増えたということは聞いていない。死刑廃止論の根底には人が人を殺してはならないという考え方がある。それを言うなら犯人は殺人を犯しているではないか。その報いを受けるのが当然だというのが死刑存続論である。どちらが正しいのか分からないが、今回のような事件が続くようなら死刑制度を見直し、それに代わる刑罰を考える必要があると思う。
2009.06.03
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ブルースター:ガガイモ科多年草、原産、ブラジル、ウルガイ、花言葉「信じ合う心」今日のテーマも昨夜聞いてきた坂本昭氏の環境問題と芸術に関する話である。配布されたアートアンドエコロジーのパンフレットに「環境を考える原点は個人であり、自分に優しくなることである。その優しさが、自然、地球への優しさにつながり、情操、信じ合う心へとつながっていく」「芸術は、対象物の美しさを知りそれを心に宿すことである。自然を美しいと感じた時、人に自然と環境への配慮が生まれてくる」とあった。木炭は絵画の基本であり、最も表現豊かな素材である。山梨県では毎年桃の剪定をする。その際、沢山の捨て枝ができる。それを使って木炭を作り、木炭画を描くワークショップがアートアンドエコロジープロジェクトによって昨年山梨県内9ヵ所で、大人から子供まで総勢200人が参加して開催され、アートを楽しみながら自然環境の大切さを学んだ。自然破壊が叫ばれている今日だが、破壊は自然だけではなく、今や社会環境や心の環境も破壊されつつある。ブルースターの花言葉は「信じ合う心」だが、自然環境、社会環境、心の世界の三つが互いに信じ合い、尊重し合い、美を見出していく(芸術)ことが必要であろう。以上アートアンドエコロジーの基本精神を紹介しながら、山梨県の木炭画活動について書かせて頂いた。他県でもこの自然尊重の木炭画活動みたいなものが行われていたらお教え頂きたい。
2009.05.30
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松葉牡丹:スベリヒユ科スベリヒユ属、ブラジル原産、花言葉「可憐」「無邪気」炎天下の砂利の上に美しく咲いている松葉牡丹今頃から秋口まで咲いてくれる。可憐で美しい花である。今日のテーマは母親の大変さである。それと松葉牡丹との関連は、松葉牡丹の花言葉が無邪気で、赤ちゃんは無邪気そのものだからである。泣き叫んでいる赤ちゃんは可憐とはちょっと結びつき難いが、赤ちゃんは我々を困らせようとして泣いているのではなく、泣きたいから泣く、本質的に無邪気なのだ。好き好んで泣き叫んでいるのではなく、おっぱいを欲しくてか、眠くて泣くのだと思うが、それ以外で理由が分からない時もあり、それはひっきりなしにオギャー、オギャーと泣いている。抱いて歩いていると泣き止むことがあるので、私も時々抱いて歩くが、中々泣きやまなくてかえって猛烈に泣かれると困ってしまう。私らは勤務から帰った夜とか日曜日とかに鳴き声を聞かされるが、それ以外は解放される。だが母親は大変である。四六時中泣き声に責められるのだ。おっぱいをやったりしてその子に関わってやると、2歳のお姉ちゃんがからまってきて、いろいろぐずる。片手で抱っこして赤ちゃんに母乳を与え、片手でお姉ちゃんの世話をしなければならない。母親はよっぽど強くないと育児ノイローゼになって、潰れてしまうなと思った。昔の母親は何人もの子供を産んでこんな苦労を次から次にこなしてきたのだ。想像を絶する苦労だと思った。産みの苦しみも大変だが育ての苦しみも並大抵ではない。今は一人とか二人とか、かなり子供が少なくなっているが、昔の母親より苦労している人が多く、育児ノイローゼになって自殺や事件を起こす母親もいる。ひっきりなしに泣き声を聞かされていると、これではノイローゼにならない方がおかしいと思うが、実際はノイローゼになる人はほんの少数で、本質的に母親は強っかったのだ。我々には想像も出来ない強い力が母親には湧いてくるのだなと思った。子供を産んだ時、母親には神が宿るのだろうか?2歳上の子は熱を出し、咳をしたりして苦しがっている。あかちゃんはひっきりなしに泣いている。子供の病気が早く治り、二人とも健やかに育ってくれることを心から祈っている。それと同時に最も大変な母親の健康も祈っている。
2009.05.21
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庭のチューリップである。チューリップ:ユリ科、チューリップ属、原産:トルコ、中央アジア、花言葉「博愛」「思いやり」誰でも赤ン坊の時は可愛い。色々な人が「かわいいね」とか「りこうそうだね」とか言ってくれるものである。私の子供の時も色々言ってもらったらしい。中にどこの誰だか知らないが「この子はいい顔をしている。10年に一人生まれるかという子供だ。大事に育てた方がいいですよ」と言われたとのことだ。両親がそれを信じたかどうか分からない。でもそれを子供に言うということは意識していたのかも知れない。それを聞いた子供もどこかで意識したかも知れない。10年に1度は100年に1度に比べスケールが小さくなるが、いずれにしてもそれなりの人間にならなければならないという意識がどこかで働いていた。教育とは親、幼稚園、学校、社会によってなされるが、その子が自分をどのように認識するかにかかっていると思う。「この子はろくな人間にならない」との意識で育てられたらその子も自分はろくな人間にならないかも知れないという意識を持ってしまう。教育は全ての子供に、10年に1度でも100年に1度でもいいから、そのくらい尊く優れた子供なのだという認識を持たせるように育てるべきだと考える。もう残り少ない人生になり、10年に一人のダメ人間で終るのか、博愛、思いやりがきちんと実践できた人間で終るのかの立場に置かれている。今までにも増して色々勉強しているのは両親の「10年に・・」の言葉があったからである。死ぬ最後の時までぎりぎり努力していきたいと思っている。
2009.04.01
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庭に咲いているレンテンローズ(春咲きクリスマスローズ):キンポウゲ科クリスマスローズ属、ギリシャ、トルコ原産、花言葉は「いたわり」この種族はなぜか下向きに咲く花が多い。感謝の気持を表しているのであろうか?アメリカ大統領オバマ氏は2歳で黒人の父に棄てられ、5歳である意味では母親から捨てられ、母親がインドネシア人と結婚してその後次々に妹や弟が生まれている。10歳でハワイの母方祖父母の元に引き取られて育てられたが、この祖父母がオバマ少年を心から大切に育ててくれた。共和党のマケイン氏を破って大統領に当選した時の勝利演説で、「自分を育ててくれ、現在の自分を作り上げてくれた祖父母に口では言い表せないくらいの限りない感謝の気持で一杯です」と述べている。いまオバマ氏は大変な状況の中で戦っている。日本では大変だと言って投げ出した総理大臣がいた(細川、安倍、福田)が、オバマ氏は大変であればある程がんばってくれると思う。素質もあるかもしれないが、祖父母に対する感謝の気持が投げ出すなどということは絶対させないと思う。祖母は亡くなってしまったが、天国の祖母に対して絶対恥ずかしいことはできないという気持がある。「おばーちゃん見ていてください!!」の気持ちは熾烈である。私には才能もないし、怠け癖もあるが、この年でなんとか頑張っているのは、父母に対する限りない感謝の気持である。もう亡くなっているが、見ていて下さいの気持ちで努力している。オバマ氏の演説の中でインドネシア人の継父の話は一度も出てこない。一般に継父は継子に暴力をふるったり死に至らしめたりして虐待することが多く、ニュースになることも多い。オバマ氏の父親の場合はそれほどでなかったと思われ、幸運だったと思われるが、祖父母の存在がなかったなら、今のオバマ氏は確実になかったと思われ、祖父母に対する感謝の気持の威力をしみじみと思い知っている。教育の根幹は何か?それは感謝の気持だと思う。感謝の気持は犯罪行為にブレーキをかける。感謝の対象は祖父母でも、両親でも、先生でも、先輩でも、配偶者でも誰でもいい。心から感謝の気持を持っている人は強いし、大丈夫だと思う。感謝の心がはぐくまれる教育、これが国造り、世界作りの基本だと思う。
2009.03.22
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庭のモクレンが咲き始めた。これは私が25年前に医学博士号を取った記念に植えた木である。最近では医学博士号の指導教官や審査教授に謝礼をしたとか受け取ったとかで話題になったあの医学博士である。今ではどちらかというと専門医資格の方を重視する人が多くなり、医学博士の価値も下がりつつあるが、昔はある程度の価値があり、無給、つまり給料なしで多くの医局員が何年も働いていたのは医学博士号をもらうためであった。でもその当時も「博士号は足の裏についたご飯粒のようなもの」と言われていた。こころは取らないと気になるし、取ってもそれほどのことはないという意味だ。私の場合も、博士号があるからと言って給料が高いわけではなく、何のメリットもないが、自己満足にはなっているかも知れない。博士号を取るには大学卒業後大学院に行って4年間勉強して論文を提出するか、大学またはその関連施設で5年間研修して論文提出資格を得た後、論文を提出して審査を受けて合格する必要がある。私の場合は後者だが、一般診療業務をしながら、学会発表や論文発表を行っていた頃が懐かしく思い出される。研究論文の多くは多数のデータを集め、その平均値を出し、グラフに書いたりすることが多いが、夜遅く、明け方近くまで家内にデータを読んでもらい、私が自分で作った表の中に記入し、平均値や標準偏差を計算していた。今ではパワーポイントがあり、簡単に計算できたりグラフ化できるが、当時はいちいち自分で物差しを使ってグラフを書いていたので、大変だった。主論文はひとつだが、副論文が何本かないといけないので、いくつも論文を書いた。医学博士号は足の裏のご飯粒かも知れないが、自分にとっては家内との共同作業の結果であり、ささやかな誇りであり、挑戦したことへのいい思い出になっている。
2009.03.15
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今アメリカでは諸外国に比べ学習レベルが低いとのことで優秀な教師の獲得や再教育に力を入れているとのことである(今夜の衛星放送)。日本では東京の教師が足りなくて地方の学生をバスツアーで東京の小学校の見学にきてもらっているとのことである。学習レベルというのは、数学や理科、語学などの学習到達度を示すものだが、それも大切かも知れないが最も大切なもの、つまり人間としての基本、人に親切、仕事に誠実、平和への努力、異性の尊重、先輩への敬意、他国との友好、等等をしっかり教育していない国々が多い。たとえどんなに勉強ができようとも人間としての基本が身に備わっていないならば教育は充分になされていないと考えてよい。今麻生首相の後継が取りざたされているが、これぞという後継者はいない。世界平和、国内経済、国内犯罪の減少、国際友好、教育理念の確立、など確たる見識と確たる信念、確たる実行力を備えた人がいない。他国の教育体制を批判する前に我が国の教育体制を見直す必要がある。失礼だが我が国のトップが麻生首相でその後継もいないとは我が国の教育体制の不備そのものが露呈されていると言ってよい。首相候補は雲霞のごとくおり、その中から優秀な人が首相に選ばれるのがきちんとした教育がなされている国家だと考える。国会で教育体制や教育の基本理念は決められるのでその国会にきちんとした教育を受けた人、きちんと勉強してきた人がいないのでは将来は厳しい。国会議員でない人も、国会議員だけに教育体制、教育理念の決定を任せるのではなく、色々なところで教育の大切さを訴え、行動を起こしてもらいたいと願っている。
2009.02.28
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昨日からセンター試験が始まった。以前は共通一次試験と呼ばれており、各大学で実施する二次試験と合わせて合否が判定されるが、この試験での成績で志望校を変更する場合もあり、極めて重要な試験である。昨日、今日と2日間行われる訳だが、昨日の問題とその回答が新聞各紙に掲載されていた。ちらっと見てみたが、大変難しく、時間内にこれだけの分量を回答するのは並大抵のことではないと思った。今までこの日のために猛勉強してきた受験性の皆さん、精神を集中して、実力を発揮してもらいたいと願う。英語の第4問をやってみた。読解問題である。文意は、8000年前には6千万平方キロあった熱帯雨林が人間による破壊によって、3千5百万平方キロに減ってしまった。それは主として肉牛や乳牛の牧場や飼料生産のためで、その方が金になるためであった。狭くなってしまった熱帯雨林の中には少なくともこの世の全生物1千万種の半分以上が生息しているはずだが、研究者によるとその1%も見つかっていないという。熱帯雨林は現地人や生物達にとって大変住みづらい環境になりつつある。この状況の中でブラジルは今世紀始め、熱帯雨林を守るため、伐採禁止などの強力な法律を作った。それにより2004年頃から熱帯雨林の破壊率が減少してきた。というものである。熱帯雨林の減少は地球温暖化にも関わっており、それをせき止めなければならないが、牛肉が高く売れる世の中が続く限り、世界規模での熱帯雨林増加は望めない。最近アメリカ国民の肉食離れが進んできたので、それが世界に波及すれば、人類の将来も明るくなるかもしれない。受験生にとっては、熱帯雨林も、温暖化も、動植物の種族が極端に少なくなったことも、あまり関心はないかもしれない。試験問題が解けるか否かが最大関心事だと思うが、晴れて大学生になれたなら、今回試験場で読んだ熱帯雨林減少のことを思い出し、それに関する勉強をしてもらいたいと願う。
2009.01.18
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私は消化器内視鏡学会の専門医である。今まで胃カメラは6万件位検査してきた。大腸鏡も20年以上前から手掛けてきた。胃カメラはずっと継続してやってきて今もしているので自信があるが、大腸鏡はしばらく実践から遠ざかっていて、昨年新しい病院に就職して再度やり始めたが大変だった。そこの病院には旧式の太い大腸鏡しかないので、その扱いに馴れていなかったこともあって、検査は困難を極めた。受診者に大変痛い思いをさせたり、大腸の最後まで到達できずに途中で中止せざるを得ないこともしばしばで、体も心もずたずたに疲れ、最後まで到着できなかった日は落ち込んで、夜のご飯も食べられない位だった。胃と違って大腸にはいくつも曲がりがあり、その曲り角をクリアするのが大変難しかった。これではだめだと強く思って、大腸鏡が上手な人がいると聞くと島根県の出雲中央クリニックにも、東京の半蔵門胃腸クリニックにも見学に行った。上手な人は受診者に殆ど苦痛を与えないで、楽々と最後まで到達している。帰ってきて、自分でやってみるととてもそのようにはできない。見るのとやるのとでは大違いである。悩んだ。何とか上手になりたいと願い、日々苦痛と反省の連続で今日まできた。今日は大腸鏡検査の日だった。79歳と76歳の女性の大腸鏡が簡単に出来た。先週も86歳の方の大腸鏡が簡単にできた。高齢者は腰も曲がっているし、大腸が長くたわんでいることが多く、若い人より難しいのに、難なくできた。受診者を苦しめて申し訳ない!上手くなりたい、何とかしなくてはと思い続けてきたが、やっとこの頃、意外と簡単にできるようになってきたのである。大腸鏡に限らず他のことでも、どんなに努力しても中々上手になれずに悩んでおられる方もいることと思うが、上手くなることを願い、諦めないで、ひたむきに努力していけばきっと結果がでるので、それを確信して努力して頂きたいと願う。
2009.01.13
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昨日同僚医師から聞いた話である。その先生は信州出身で、土日には信州に帰られる。数か月前信州から84歳の認知症の患者を自分の車に乗せてつれてきて山梨県のわがF病院に入院させた。その方は小学校の時の恩師で病気だと聞いたのでお見舞いにいったら、精神病院に入院させられていて、両手をしばりつけられている状態だった。話をしたら山梨に来てもいいとのことだったので、自分の病院に連れてきてリハビリテーションを受けさせた。少しづつ効果が出て、歩けるようになってかなり元気になったので、また自分の車で信州までお送りしてきたとのことである。その先生は自分がぐれて不良少年になるのを救ってくれた大恩人とのことだった。というのは小学校4年の担任がひどい先生で死ぬような苦しみを味わっていたがその次に担任になったのが当該教師とのことだった。その先生は立派な方でその先生のおかげで自分は生きてこれたし、こうして医師にもなれたとのことだった。その前の担任は希望の希という字を書くとき、ノを先に書かずに右にはねる点のような棒を書いてからノを書いたが父親が書道の師範だったので、先にノを書いて正しい書き順で希を書いたところ隣の生徒がY君は変な書き順をしていると先生に告げ口した。先生の言うとうりに書かないのはどういうことだとかなり叱られた。家に帰ってからそのことを父親に話したら、手紙を書いてくれて息子の書き順の方が正しいのではないかとただしたら返事がきて、今度文部省の指導要綱が変わって書き順も変わったとの返事がきた。そのことを別の国語の先生に聞いたらそんなことはなく、希の書き順はノが先とのことだった。そのこと以来先生のY少年へのいじわるが始まった。野球をしていてバッターボックスに立っていれば「Yにぶっつけてやれ」と大声で怒鳴るし、アウトかセーフの判定で明らかに違うと思ったので数人で、「先生は間違った判定をした」と話し合った。それを聞いていた漢字の書き順を告げ口した生徒がまた先生に告げ口した。4人が並ばされ吹き飛ばされそうな激しいビンたをくらった。数え上げればきりがない位体罰や言葉の暴力を受けた。幼な心にも自分はどうなってしまうのか分からなかった。先生にこんなに叱られてばかりいるのはよっぽどだめな人間なのかもしれないとの考えも浮かんだ。将来は真っ暗だった。希望もなにもない、どうにでもなれ、うんと悪い不良にでもなるしかないのかと思ったとのことである。そんな時次の担任になったのが恩人の先生だった。先生は生徒を差別しないで、ひねくれていた自分をも平等に扱ってくれた。希望がわいてきて、その後のまともな人生へのきっかけを作ってくれた先生とのことだった。それにしても4年生の時の担任はひどい先生だった。あれから何十年も経っているが、もし遭遇したらY医師はその元教師にモノ申してやりたいと言っていたが、モノ申すだけでいいのだろうか?どの職業に従事している人も職業倫理を思い、人間を差別しないで、プロ意識に徹し、社会に貢献してもらいたいと心から願う。
2008.12.23
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新研修医制度等で、医師不足になり医学部定員が増えることになった。優秀な医師が一人でも増えることは喜ばしいことである。しかし定員を増やしたからといって必ずしも優秀な医師が増えるとは限らない。だめな医師も増えるかもしれない。現在の医学部入試は、高校生の中でも成績優秀な生徒が医学部を志望し、中でも優秀な生徒が合格するような現状にある。学業成績優秀な者はできない生徒、勉強しようとしない生徒を見下す傾向がある。病人は弱者である。できない人を見下す傾向のある人は病人をも見下すかもしれない。このことから成績優秀者は医師には向かない面がある。しかし、だからといって勉強のできない生徒ばかり集めても6年間の大学生活についていけなくて試験に落第して、留年や、退学ばかりでは困る。6年間の大学生活(試験)に耐えられて、しかも人を見下すような性格でない人を選抜することが必要だ。それには筆記試験だけでなく、適正テストや面接を重視してもらいたい。現在は全ての科が医師不足だが、中でも産婦人科や小児科の医師、それに僻地の医師が不足している。もともと成績優秀だった人たちなので、恵まれた所に行きたい。わざわざ僻地などに行きたくないというのが、現在の医学部選抜試験の産物なのだ。地方の大学は地元の受験生の合格枠を10人とか20人確保するところも出ている。それも一つの方法である。大都会から受験にきた成績優秀な生徒のみでその学年が占められたら、新研修医制度のもとではその地域に残るものはほとんどいない。地元の田舎の生徒が合格すれば地元に残ってくれる確率は高くなる。しかし地元だったら文句ないと言う訳にはいかない。地元でも田舎ではトップだったという鼻持ちならない生徒もいる。やはり、適正テストと、複数回の念入りの面接テストが必要だと考える。
2008.12.01
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今医師不足をもたらした新研修医制度が、医師不足の観点のみから大きく取り上げられているが、それも必要だが、その内容をも取り上げて、論議してもらいたい。医師になるにはまず6年間の医学部を終了して、国家試験を受け医師免許を受ける。この段階では何科の医師になってもいい。以前は2年間の研修期間はあったが、それを受けなくても医師免許さえあれば内科、外科など何科でも開業してよかった。しかし実際には大学や大病院の内科とか、耳鼻科等の医局に入って、その科について教えてもらって、5年とか10年して一人立ちしていく場合が多かった。新研修医制度では2年間の研修期間は必須で、その間国から修学金として給料をもらいアルバイトなどはできないことになっている。また色々な科目を勉強した方がいいとして、内科、外科、産婦人科、精神科、小児科などをローテート(順繰りに回る)することが義務ずけられている。また旧制度では研修医も処方箋も書けたし、注射の指示も出せたのに、新制度では先輩医師の監督のもとでないとそれができなくなってしまったので、実質の医師不足になってしまった。(2年間で研修医約一万五千人)ローテートすればいい医師になるのか。給料をもらいながら学生気分で各科を見学して歩いても実力がつくとは考えられない。私は若いうちから、いや若いからこそ各専門の医局に入って苦労すべきだと考えている。整形外科、産婦人科、眼科、脳外科、内科など身につけなくてはならないことは山ほどある。全てを身につけることは不可能だろう。それなら、まず救急処置法、外科的処置、点滴が入らない時の中心静脈栄養法を習うべきだと思う。それを終了したら内科とか、婦人科とか各専門科に入局して専門を学べばいいと思う。昨夜90歳の点滴が入らない女性患者について電話があり、外科系の当直の先生に中心静脈栄養のルートを確保してもらった。いつもその先生には外科的縫合などでもお世話になっており、自分があまりその方面の訓練を受けてこなかったので、悲しく、面目なく思い、研修医はすべからく上記外科的処置などはマスターしておくべきだと思ったので私見を書かせて頂いた。
2008.11.30
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元厚生次官等を殺したと出頭した小泉容疑者は大学に入学するまでは動物をかわいがり心やさしい少年だったという。その優しかった人間が工事がうるさいと言って工事会社の社長の実家まで行っていやがらせをする人間になってしまった。今度の事件はまだ捜査中だが、もし真犯人だとするととんでもない人間に変わってしまった。ペットが殺されたことについては何十年も前の事件だが、可愛がっていた犬を無断で、保健所に連れていかれ、保健所にもらいに行ったら検査中ということでまだ生きていると思って喜んだら殺されてしまった。父親と保健所に対する激しい怒りと憎しみは相当のもので、その後もその怒りは消えることなくずっと増幅していったものと思われる。大学に入ってから高級官僚は悪だとの考えに取りつかれる。その考えが増幅され、犬が殺された怒りと重なって今回の事件につながった可能性が考えられるが、素質として持っていたやさしい性格も、ある一つの大きな事件やその後の環境によって百八十度も変わってしまうことがある典型だと思う。人の性格は生れつきで、基本的には変わらないと思われているが、生育途中での事件(トラウマ)や環境要素などによって性格が変わっていくことが考えられ、特にトラウマで性格がどのように変わりうるのか調べてみたいと思う。
2008.11.26
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以前から2年間の研修期間はあったが、それは先輩医師の下働きとか、早朝の採血とか、給料も安い、十分な研修もできない等の理由で、それを改善する目的で、2004年に新臨床研修制度が発足した。それは2年間の研修期間は同じだが医師免許を持っていても処方箋も書けないし、当直もできないし、健診のアルバイトもできなくしてしまったのである。その代り月約30万円給料を与えて臨床の勉強に専念させることになったのである。その結果、実は最も働いていた研修医が毎年7000人医療現場からいなくなってしまったのである。2年間で1万4千人いなくなり、さらにその後の後期研修に入る医師も多く、現場に医師が帰ってこなくて、空前の医師不足現象が起こってしまった。外国から医師を迎えろなどの意見もあるが、言葉も通じない、レベルも分からないような外国人医師を迎えて員数ばかり合わせても役にたたないと思う。日本の将来の医療界をになう優秀な医師を育てる目的で新臨床研修制度がスタートしたが、研修先は自由に選べることもあって、診療科の偏在、診療地域の偏在は益々進むことが考えられ、この制度のマイナス面が目立っている。そして単なるマイナスでなく、空前の医師不足という致命的な欠陥を有している以上、即座に再検討しなければ、第2、第3のたらい回し事件が起きる可能性がある。1万4千人の医師を即時に集めることは不可能である。研修医は医師免許を持っているのだから、健診部門とか、採血とか、出来るところはやってもらうようにすべきだと思う。給料を与えて2年間研修と勉強に専念させれば優秀な医師になるというものではない。医師は一生勉強だと思っている。一生かけてやる勉強を、医師不足という大変な犠牲を払って2年間だけ閉じ込めて勉強させて、それで効果が上がるとは考えられない。
2008.10.29
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今日は年金振込日ということで、全国で振り込め詐欺予防対策が取られた。ある警視庁の方が「彼らはゲーム感覚でやっている。徹底的に取り締まらなければいけない」と言っていたが、その悪事をしている人達の姿が見えないだけに、暴力団関係、詐欺団関係など色々推測されているが、案外身近な人たちがゲーム感覚でやっているのかもしれない。コンピューターウィルスには多くの人達が苦しめられ、そのセキュリティシステムのためにコンピューターのメモリの大半が消費され、アンチウィルスソフトに沢山の金がかけられている。この悪事をしている、ハッカーとかクラッカーと言われる連中はどんな悪者達かと思うが、主に、高校生達がゲーム感覚でやっているとのことである。振り込め詐欺にしろクラッカーにしろ、顔は見えないがとんでもない悪者だと思う。顔が見えないのをいいことに、ゲーム感覚で仲間と競争で、それほど罪悪感を感じないで庶民を苦しめているのである。振り込め詐欺の主なターゲットは高齢者である。年金生活者のお金をむしり取ってなんの痛みも感じないのだろうか?直接手を下さなくても老人の懐から金を盗みとることである。パソコンとか銀行の振込み機を介すると悪いという感覚がマヒしてしまうのであろうか。人を傷つけてはいけない、人のものを盗んではいけない、人を騙してはいけない、他人のもの(パソコン)を壊してはいけない、は身につけてき筈の人たちでも直接手で盗み取らないと罪は軽く感じてしまうのかもしれない。想像力の貧しい人たちだと思う。振り込め詐欺を働いている人達やクラッカーは断固として取り締まってもらいたいが、姿が見えないので、大変難儀な仕事である。そのような人間の心を正すことが先決問題だが、それも中々難しい。でもそのような人間が少しでも少なくなるように、国の教育をもっと真剣に考える必要があると思う。とりあえずは振り込め詐欺にひっかからないことが重要で、啓蒙活動や、今回のような予防対策を十分とってもらいたいと思う。
2008.10.15
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大阪個室ビデオ店で放火があり、15人が亡くなった。火災報知機は設置してあったがあまり役に立たなかったみたいだ。火災報知機には熱に感ずるタイプと煙に感ずるタイプがあるとのことだが、亡くなった人はみな一酸化炭素中毒でなくなっている。火に焼かれれて亡くなったのではない。熱感知式だと、周囲の温度が65度以上にならないとならないらしい。煙感知式の方が早く教えてくれるが、このお店の報知機はどちらのタイプだったのだろうか?熱感知式だと報知器が鳴る前に一酸化炭素中毒で意識を失ってしまうこともありうる。火災発生時3人の店員がいたとのことだが、あまりの煙に驚き、客を避難誘導するでもなく、自分の身を守るために必死で脱出したと言う。ビデオを貸し付けたり返却を受け取ったりする仕事は申し受けていたが、まさかの時の対応についての業務心得はなかったものと思われる。学生アルバイトだったのかも知れないが、災害時の客への連絡誘導は必須業務と考える。彼らはパニックになってしまい、ただ逃げることしか頭に浮かばなかったのだと思う。私たちがその店員の立場だったらどうだろうか?同じように逃げてしまった人もいれば、勇敢に各個室に連絡して歩いたり、スピーカーでどなって歩いた人もいるだろう。放火した男は到底許すことはできないが、火災が発生した直後の避難、誘導は極めて重要である。それができなかったことも被害を大きくした要因である。私たちも日頃それぞれの職場で、日常業務を行っているが、そこで火災に襲われた時どんな行動がとれるか、いつも自分の心に問いかけ、訓練をしておいて、まさかの時に対応できる人間になりたい。
2008.10.02
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シュウメイギク:キンポウゲ科、中国原産、花言葉「忍耐」「薄れゆく愛」今日で医学部の学生の3日間の研修が終了した。今日は最終日で、午後から私が行った大腸鏡検査を見学してもらい、最後に当院で学生指導に関係した者7人と学生5人で意見交換を行った。学生側からは、「看護師の立場で医療チームの一員を経験できたのは恐らく今後一生できない貴重な体験で、大変有意義だった」「医師の指示がないと何もすることができないシステムになっているが、その指示が読めなかったりして意思の疎通が十分なされていない面があった。文章や言葉は分かり易いを基本にして、患者ー医師、医師ー他の医療スタッフ、他の医療スタッフー患者との関係をよりよくすることが、最も重要なことだと学んだ。分かり易い字を書くことや言葉使いをよくしなければと思った」「スタッフの皆様が将来いい医者になるようにと様々なアドバイスをして下さり、責任の重大さを痛感した」等様々な感想が述べられた。一方こちら側の看護師や理学療法士、事務職、医師(院長と私)からは、「初めての体験で生意気な生徒らがきて、つまらない研修になるのではないかと思っていたが、真面目な学生さん達で、自分達も勉強になり、大変有意義だった」「今一年生だが、やがて6年を修了し、研修2年を経て8年後に1人前の医師になった時にも今の初々しい気持ちを保っていてもらいたい。そのためには今回研修した時の気持ちをしっかり書きとめておいてもらいたい」「一般的に今の医師はサラリーマン化している。患者さんのために何があっても尽くすのが医師の使命だと思う。8年後にもそのように考えられる人間であって欲しい」など様々な期待が寄せられた。3日間という大変短い期間だったが、彼らにとっても私たちにとっても大変楽しい有意義な交流であった。彼らが患者さんや他のスタッフを心から思いやれる優秀な医師に育ってくれることを心奥から願う。
2008.09.26
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タマスダレ:ユリ目 彼岸花科、タマスダレ属、ペルー原産の球根草で、有毒成分を含む。花言葉「純白な愛」「汚れなき愛」「期待」今日から金曜日までの3日間医学部1年生5人が当病院で見学・研修することになった。朝8時に会議室に集まってもらい、オリエンテーションをした。男性3人女性2人だった。病棟で、食事の介助や、排泄、清拭の介助、リハビリテーションや、血液透析の見学なども予定している。大学に入学したばかりの学生で、今は教養科目などを勉強しているのだと思うが、将来医師になるにあたって実際の医療現場で、体験、学習することによって、自らの目標をはっきりさせ、医師、看護師、コメディカル等の連携を学んでもらうことが目的とのことだ。私は将来彼らが医師となった時のあるべき姿について話をした。注射や検査、手術、診断、投薬など知識や技術を磨いていくことは勿論重要だが、その前に、患者さんのためにとことん尽くす、その気持ちを養っていくことが最も重要だとの話をした。技術が先にあるのではなく、患者さんへの同苦が真っ先にあり、患者さんのお役に立つために薬学や、技術を深めていくのだの気持ちを忘れないでもらいたい。と話した。タマスダレの花言葉は「純白な愛」であり、「期待」である。正に彼らにぴったりの花だと思った。患者さんに対する心からの愛情が持てる人間に育ってもらいたいと思う。心から期待する。
2008.09.24
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今Y大学第一内科同窓会から帰ってきたところである。最初の会長挨拶で、「医療崩壊をもたらした新研修医制度を見直す動きがやっと始まったが、それが成立した時、殆どの医療関係者はお上のすることだからと黙って見過ごしてしまった。その結果このような惨状をもたらしてしまい、その責任は我々にもある。その研修医制度でいい医者が育つなら黙って目をつむって我慢するが、この医者不足の中で、先輩達はきゅうきゅうとしているのに、研修医達は実際の診療もしないで給料をもらってぬくぬくと生活している。それでいい医者が育つ訳がない。きちんと物事を見極め、堂々と意見の言える医局であり、同窓会でなければならない」と述べた。その後の懇親会で、ある市立病院の院長をしている同窓生は「常勤医が二人になってしまい、院長自ら月7回以上当直している」と涙ながらにせつせつと訴えた。このような例は全国至る所に数えきれないと思う。研修医期間を1年に短縮して、その後は実際の診療資格を与えるなど、抜本的に見直すべきだと思う。この制度により、診療資格を持つ医師が年々4~5千人減ってしまったのだから、医師不足になるのは当然の成り行きだった。医師不足で苦しんでいる人たちの本音を聞かされて涙ぐむこともあったが、みな飾らない言葉で思いのたけそれぞれの思いをしゃべって同窓会は楽しかった。15年間勤めた会長職は今回新しい会長が選任されて、放免されたが顧問職として、今後も同窓会発展のために尽くしていきたいと思う。
2008.09.13
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アイビー(ヘデラ)ウコギ科 ヘデラ属 常緑つる性低木、原産、ヨーロッパ、北アフリカ、花言葉「永遠の愛」「友情」「不滅」「死んでも離れない」洗面台の上の花瓶にさしてあったので、そのうちに枯れるだろうと思っていたら、1週間経ち2週間経ち、2ヶ月になっても枯れないので、家内にその名前と枯れない理由を尋ねたら、花瓶の中に根を出しているとのことだった。「不滅」、「死んでも離れない」とはよくつけた花言葉だと思った。オリンピックの選手も不滅ならいいのだが、アイビーのような選手はそういるものではない。北京オリンピック18日の110メートルハードル予選で中国期待の劉翔 (りゅうしょう)選手が途中棄権で予選敗退した。金メダル確実と言われていただけに中国国民の落胆は分かるが、その集中非難には驚いた。売国奴、敵前逃亡、金持ちになって練習しなかった、体調管理をしなかった、二度と見たくはない、等々あらゆる罵詈雑言が書き込まれ、表に出たら殺されかねない状況だ。日本の野口みずき選手もほぼ同じ状況だったが、非常に残念だとは思ったが、彼女を攻撃する人は殆どいなかった。北島選手が金を取れずに予選落ちしても恐らく劉翔 選手のような罵詈雑言は受けなかったと思う。日本と中国の国民性の違いだと思う。日本にも昔、今の中国のような時代もあったのかもしれないが、現在の両国文化の違い、成熟度の違いをまざまざと見せ付けられた。何年か後に、中国人が、「昔は失敗した選手をあんなふうに攻撃したことがあったよね」と反省をこめて述懐する時代が早く来てもらいたいと願う。
2008.08.19
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加納治五郎(1860~1938年)今女子柔道の谷本選手がオリンピックで金メダルをとった。世界でナンバーワンである。すごい。試合後泣いていたが、此処に来るまでには並大抵の苦労ではなかったと思う。柔道は日本に発祥した。武術の一つとして古くから柔術が受け継がれてきたが、東大の学生だった加納治五郎がその柔術を学び、後に柔道と改め、東京に講道館道場を作り、広く柔道の普及活動に努めた。加納治五郎は1911年に大日本体育協会を設立して会長になり、日本が1912年のストックホルムオリンピックに初参加した時の団長を務めた。その後柔道はオリンピックの正式種目となり、世界中でその愛好者が増えており、オリンピックに出てくる選手の国を知らないことが多い。そんな国があるのかと思われる国からもエントリーされているということは、世界中で柔道が受け入れられている証拠だと思う。今、日本では相撲部屋に入門する少年は少ない。厳しい訓練が敬遠されているようだ。同じ理由で柔道をする青少年も少ない。柔道発祥の国ではあるが、競技人口が少なく、裾野はかなり狭い。サッカー、野球、バスケット、バレーなどの方が遙かに裾野が広い。競技人口が少ない柔道で、内柴、谷本両選手が金を取ったことは極めて素晴らしいことだと思う。私も講道館の昇段試合で初段になり、黒帯を持っている。大学時代対外試合で東京にも遠征にきた。私は弱い選手で対外試合で勝った記憶がない。今のようにポイント制でなく、投げ技か、優勢かで勝敗が決まるが、殆ど投げ技か押さえ込みで勝負がついていた。その頃は姿三四郎の映画などの影響か、柔道人口はかなり多かったと思うが、今は激減していると聞いている。(柔道着が)臭い、汚い、危険の3Kのスポーツだがもっと多くの若者に柔道を練習してもらいたいと強く願う。
2008.08.12
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昨夜のNHKのテレビ英語番組「リトル・チャロ」月曜夜11時半、(再放送 火曜午後7時25分、日曜0時45分、月曜朝6時40分、同12時10分)で通訳の人が特別出演してくれてシャドウイングが英会話勉強には最も効果的だとの話をしてくれた。それはテレビでも、レコードでも、カセットテープでも、CDでもどんな媒介の英語でもいいいから、それを聞きながらそれをまねて発音することだという。最初は英文を見ながらでもいいが、慣れたら英文を見ないで英文を聞きながら意味が分かっても分からなくてもいいから真似して発音していると、抑揚、呼吸、発音が身につき英語が上手になるとのことだった。カラオケでも最初歌えなくても歌手の歌に合わせて歌っているうちに次第に歌えるようになるのと原理は同じだと思う。わが国の英語の学力は北朝鮮と並んでアジアで最下位だという。シャドウイングで学習して実力アップしてもらいたいと思う。私も通勤に30分位かかるのでその間にテープを聴きながらシャドウイングして実力を高めたいと思っている。
2008.08.05
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アメリカフヨウ(アメリカ芙蓉):アオイ科 ハイビスカス属、原産 アメリカアラバマ州花言葉「日ごとの美しさ」毎日みているが花言葉通り、毎日、日ごとに美しく咲いている。人間も日ごとに美しくなれればいいなあと思う。7月19日に内閣府から生涯学習に関する世論調査結果が発表された。内閣府調査は、全国から統計的に選ばれた数千人について、調査員が訪問して面接して調査した結果である。その結果は学問やスポーツなど生涯にわたって行う生涯学習について「今後してみたい」と答えた人は70.5%と初めて70%を超えたとのことである。3年前の前回調査に比べ6.5%上昇しており、生涯学習に対する意欲が高まっていることが明らかになったと報じている。そしてこの1年間にしたことがあると答えた人は47.2%で、実行に至るのは半数に届かなかった。調査対象の年齢層が書いてないが各年齢から平等に抽出した母集団が考えられ、国民の平均的傾向といえると思う。スポーツジムに通っている人、英会話や舞踊などを習っている人、サイクリングや山登りをしている人、ボランテア活動をしている人、ピアノやバイオリン、歌唱を習っている人など様々だと思うが、学習と言っても学校でいう勉強を連想する必要はないと思う。それが自分にとって楽しく、それを積み重ねていくことにより、自分の成長と社会貢献ができるものであれば何でも「実行している」と答えていいと思う。今、約半数の人が実行していると答えているが、中々の数字だと思った。さらに多くの人が何らかのことに挑戦してもらいたいと思った。
2008.07.21
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木立ベコニア:ショウカイドウ科ベコニア属、原産は全世界の熱帯及び亜熱帯地方、花言葉は「片思い」「ていねい」「親切」甲府のホテルクラウンパレスで本日1時から行われた能力開発セミナーに参加してきた。私は1時までが勤務時間なので、それが終わってから駆けつけたので30分位遅刻したが、それほど人も集まっていないだろうと思っていたら、超満員で県外から来た人もいたみたいだ。男女ほぼ同数位で、年齢は若い人が多かったが、年配の人もいた。私が到着した時には米国ナポレオン・ヒル公認インストラクター 久家邦彦氏の講演が行われていた。私は途中からだったが、興味ある話で良く分かった。価値あるものが何かを見つけることが大切だ。価値あるもののためなら勇気と智恵が湧いてくる。何かをしようとしても自分にはとても無理だとの無意識の抑止力が働いているが、本当に大切なものだとの潜在意識を含めての確信があればそれをも振り払ってばく進することができる。人間は脳の3%しか使っていない。火事場の馬鹿力で脳をフル活動させたら、この世で不可能のことはない筈だ。鉄鋼王アンドリューカーネギーは、スコットランドからの移民の子で貧乏だったが世界一の金持ちを目標に努力して、成功し、15兆円の遺産を残した。成功してからは、人を育て、教育することに情熱を注ぎ、実験的に507名を選んで教育し、20年間追跡調査した。1908年の秋、25歳のナポレオン・ヒルと会い、507名についての調査研究プログラムをまとめてくれないかと打診した。金は一銭も出さないとの条件であったが、ヒルは29秒考えて受諾した。決断するのに1分以上かかる人は行動も遅い。カーネギーは29秒のヒルなら大丈夫と見込んで、20年間の追跡調査を任せた。決断、行動は素早い人が成功する。結果はエジソンなどの科学者やルーズベルト大統領、テッド・ターナーなどのテレビ司会者、自動車王フォードなど各界を代表する偉人が続続と誕生し、カーネギーの信念、教育の力のすごさをまざまざと見せつけた。その教育内容はナポレオン・ヒル成功法則として世界中に普及されている。インドにナポレオン・ヒルを広めたのはマハトマ・ガンジーとのことである。カーネギーはお墓に「自分より優れた人々を身の回りに集める法を心得し者ここに眠る」と書かせ、自分が生きた目的は自分以上の人材を世に出すことだったと遺言した。このあとスポーツ心理学者の豊田一成氏の講演とSSI創業者の田中孝顕氏の講演があった。豊田氏の講演内容は別のブログとして以下に書いたので此処では、省略する。田中氏の講演は自らの挫折とナポレオン・ヒルの成功法則に出会ってからの体験を飾らない言葉で話してくれた。最後に、理論より情熱、情熱とねばりが成功のエッセンスであるとの言葉でまとめてくれた。
2008.06.21
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ベルガモット(タイマツ花)シソ科常緑多年草、北米東部原産、芳香があり、葉や花はサラダやハーブティーに使用される。花言葉は「豊かな感受性」数ヶ月前まだ花の咲いてない鉢植を500メートル位離れた牛乳屋さんのおばさんが、家内が昨年「きれいですね」と言ったのを覚えていて、道を歩いていたら声をかけられ、くれたのだという。腰や肩の悪い家内は、自宅までの坂道をその鉢植の花を持って歩いてきたとのことで重くて辛かったと言っていた。その時はまだ花も咲いていなかったので、「そんなに苦しかったのなもらってこなければよかったのに!」と思ったが、こうして綺麗な花をみると、痛さや苦労以上のものだったのだなと思った。スポーツ心理学者豊田一成氏は、イチロー、小野伸二、中村俊輔選手らトップアスリートのメンタル指導をしてきた方で、スポーツで結果を出すには呼吸(腹式呼吸)、独り言(勝てますように、打てますようにではなく、必ず勝つ、必ず打つと自分に言い聞かせる)、イメージング(勝ってインタビューを受けている自分をイメージする)、そしてそれらを心身統一して「気」をみなぎらせることが大事だ、との話をしてくれた。高校や大学を卒業して、スポーツの世界に入ってきた選手が物になるか、ならないかは数分話しただけですぐ分かるとのことだった。二人の自分を持っている人はたとえ才能があってもあっという間に消えていくとのことだ。都合が悪くなればもう一人の自分に逃げ込むような人はだめで、ゆるぎない一人の自分をもち、逆境にあっても努力し続ける人が成功する。到達点が100だとすると仮想目標は130位に置いて訓練しないと勝負にならない。成績を目標にすると、それが達成できないと、落ち込んだり、燃え尽き症候群になったり、敗戦を人のせいなどにして進歩がない。熟達を目標にすると、レベルが上がれば満足できるし、負けたり、記録に届かなくても次に頑張ろうとの気力が湧く。目標は成績目標でなく、熟達目標でなければならない。スポーツだけでなく人生全般に当てはまることで、さすが一流選手を育ててきた人だなと思った。人生スポーツに熟達目標を掲げてがんばっていきたいと思う。
2008.06.21
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ラベンダー:シソ科 ラベンデュラ属、原産 地中海沿岸、花言葉「繊細」「優美」昨年6月30日には北海道富良野でラベンダー摘みをしたが、これは家の庭のものである。昨夜山梨大学の女子学生の話を聞く機会があった。出身は新潟県とのことだが、中学の時の先生についてである。いつもにこにこしていて、廊下ですれちがっても声をかけてくれた。受け持ちだった時もあるがそうでない時もあった。勉強のことやクラブ活動のことなどいつも心にかけてくれた。父親のように思っていたとのことである。そしてその先生を見ているうちに自分も先生になりたいと思った。そして今、山梨大の人間教育学部の障害者教育コースで学んでおり、卒業したら障害者の教育に携わっていきたいとのことである。秋葉原で無差別殺人事件を起こした青年にたいする両親や学校の先生、社会のかかわり方が問題になっている。親や社会も大事だが、学校時代、親身に自分のことを思って心にかけてくれた先生がいたならあんな事件を起こさなかったかも知れないと思った。教育の中心はやはり教師だと思う。今の時代、教師受難の時代と言われており、教師にとって厳しい環境にあるが、生徒一人一人に対し、将来のことを思い、勉強のことだけでなくて、何でもいいから全ての生徒を心にかけてもらいたいと思う。そのことは、将来、教師は忘れても、児童、生徒はずっと覚えているものである。
2008.06.14
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6月2日に出雲中央クリニックで大腸鏡の見学研修を受けてきた。インターネットで調べて同クリニックの宮脇哲丸先生が大腸鏡が上手とのことで、見学を思い立ち、土曜日(5月31日)に「明日出雲に大腸鏡の見学に行ってくる」と家内に告げた。家内は「遠いんだよ出雲は、何もそんな遠い所でなくても東京にないの?見てきたからと上手になるものではないよ」と、かなり文句を言っていたが、お金を下ろしてきてくれて、「こんな老人に教えても先が知れてると思われても困るから、少しでも若く見えるように髪を染めてやる」と髪を染めてくれた。見学研修の約束の時間は11時だったが、島根大の病院長との面会が、病院長が外来中だったので、おみやげを渡してすぐお暇して中央クリニックに向かったので10時半頃中央クリニックに着いてしまった。大腸鏡は午後からとのことだったが、今外来をしているので、よかったらとのことで、外来に行ってみたら宮脇先生が、ベットに寝ている患者さん一人一人に順番にまず超音波で腹部を検査し、適切な診断をして、その後の検査や治療方針を立てていた。外来が終わったら休みなく続いて胃カメラで、それは全て鼻から入れる経鼻内視鏡で検査を行っていた。胃カメラ約10例位終わったら昼休みになるかと思ったらそのまま大腸鏡で休みはなかった。私は緊張してずっと立って見学していたので、耳がガーンと塞がったようになり、声も出なくなってしまった。それでもその内に昼休みになり、御飯を食べればこの症状も治ると思っていたが、一向に休む気配はなかった。患者さんはずっと待っているので自分達は休んでいる暇はないとの感じであった。大腸鏡も10例位あり、外来、胃カメラ、大腸鏡全て終了したのは5時を回っていた。私はお礼を言って失礼して、駅で食事を食べたが、先生とスタッフはまだかたずけなどの仕事があり、まだまだ昼食にありつけていないだろうなと思った。クリニックから駅に向かうタクシーの運転手さんが、このクリニックの先生は大腸鏡が上手で全く痛くない。でも医大で受けると痛くてたまらない。おまけに途中までしか入らなかったといわれることが多いとのことだった。私が見学中も痛がった人は一人もいなかった。長い技術の修練の上に築かれた技だと思うが、見事なものだと思った。何より患者さんのために全力をつくしていることが感じられた。そのためには痛い思いをさせてはならないと様々な工夫をしていた。一朝一夕に身につく技術ではないが、その基本操作と患者さんをとことん思う心を学ばせていただいた。
2008.06.03
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ネギ:ユリ科ネギ属、原産中国西部、花言葉:愛嬌者、微笑み。畑の食用ネギを食べ残して大きくしてしまったらこんな花が咲いた。可愛いし、よく見ると綺麗だ。私はこんな質素な花も好きだ。でも私の家内は贅沢好みで、牡丹とかバラとかユリとか芙蓉とかゴージャス好みでネギの花などには一瞥もくれない。「そんな花をブログに載せてはだめですよ」と言われていたが、反抗的な私はこっそり載せさせて頂いた。先日石和温泉旅館組合で1年間受け入れる19歳から22歳位までの中国の女子学生40人位の健診の診察を行った。ガイドなどの観光業やホテルの客室係や管理職を目指している学生とのことだが、さすが選抜試験をパスしてきた人達で、愛嬌はあるし、微笑みはあるし、魅力的な女性ばかりであった。日本に来る前に少し日本語の学習をしてきたとのことで日本語がかなり上手な人もいた。私は少し中国語を勉強したことがあるが、私の中国語は全く通じなかった。彼女達は今でも日本語がかなり出来るが1年間いると日本語がぺらぺらになるらしい。語学の勉強は若いうちから始めるのがいいと言われるがその通りだと思う。私は歳をとってから始めたので英語も中国語も学んだ時間からすると殆ど上達していない。英語は49歳から始めたので17年間も学び続けているが、英語の映画など未だに聞き取れない。その人の才能や勉強方法にもよると思うが、17年間も殆ど毎日朝早く起きてテレビ英会話を聞き、アメリカ映画のビデオを何本も買ってみた。でもだめだった。最近勤めが変って車で約40分通勤にかかる。通勤の往復に、簡単な英語の物語のテープを繰り返し聴いている。その結果聞き取り能力が少し上達したかなと思える。語学の勉強は分かっても分からなくても外国語のテープを繰り返し聞くことが年齢に関わらず有効な方法ではないかなと思う。
2008.04.28
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ハナミズキ:ミズキ目ミズキ科ヤマボウシ属、落葉高木、原産:北アメリカ、1912年に日本がアメリカ、ワシントンDCに桜を贈ったお返しに1915年にアメリカから返礼として贈られたのが始まり。花言葉:私の思いを受けて下さい。返礼。今日もテレビで硫化水素自殺を報じていた。1月頃からインターネットで洗剤等を用いての硫化水素の作り方や自殺の方法が紹介され、3月頃から自殺者が増え始め、4月に入ってからはほぼ毎日自殺者が出ている。インターネットは誰でも情報を発信することが出来、また誰でもそれを利用することが出来る。情報は生活に利するものから、生活を破壊するもの、自殺を勧めるものなど様々である。どんな情報があっても健全な人は悪いサイトは開かないし、開いたとしてもそれを実行しようとは思わない。勿論そのような情報を発信する人は悪いが、それをみて実際に自殺する人がいることが問題である。特に硫化水素は自分だけでなく他人も害する毒素である。そのようなものを作って、自分を殺し、他人をも巻き込むことは大罪である。死にたいと思っていた人がこんなにもいたことが悲しい。生きていて辛いこと悲しいことが多いのだと思う。冬が来ればその次は必ず春になる。辛いこと苦しいことの後には必ず幸せが来るものである。しかし、その辛さが耐えうる限界を超えていたり、希望が全く見えなかったりすると絶望して死を選んだりするのだと思うが、その冬の時代、何とか死んだつもりになって時間の経過を待ってもらいたい。どんな問題も時が来れば必ず解決するものである。硫化水素による自殺は許し難い重大犯罪である。若人よ、何があってもそのような罪は犯すな。
2008.04.27
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昨日、埼玉県内の市立高校の校長が卒業式で、「自覚と責任ある行動を」と訓示した夜、かって別の高校で教頭をしていた時に関係を持っていた教え子の女性に再度交際をせまり、「つきあわないと何があっても知らないよ」などと何度も脅した疑いで逮捕された。教頭時代に教わったことのある女性達は「何でも気さくに話せる人気のある先生だった。脅迫なんて信じられない」と話しているが、欲望にかられると、自分の立場や相手のことなど考えられなくなってしまうのだろうか?56歳とのことで分別のあるはずの年齢なのに、社会的にも教師に対する信用を著しく傷つけてしまった。教師に限らず、全ての職業人は、その職業で社会に貢献し、つながりを持ち、社会に対する責任を負っているが、一方で私生活もある。家庭もあるだろうし、愛人もいるかも知れない。社会できちんと仕事をしていれば、「私生活はプライバシーだから他人が関わるべきではない」と考える人もいる。愛人がいてもいいと思う。その人を愛し、その人のことを心より思いやる関係ならいい。今度の場合はその女性を苦しめ、その苦しんでいる様子を見かねた両親が警察に届けて明るみになったとのことで、許せない行いだ。教育者なのに、自分の教育はどうしてきたのかと思う。学校を卒業してからも、絶えず自分を見つめ、自らの成長のために努力してくるべきではなかったのか!
2008.03.09
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医者の悪筆はよく知れ渡っている。私を含め、私の知ってる医者の殆どは字が下手で、読むのに苦労する。(但し女性医師は別できちんとした字を書く人が多い)カルテはその下手な日本語とドイツ語、英語がまざり、さらに略語などがあり、一般の人は勿論医師が見ても読めないことが多い。看護記録はきちんと読める日本語で書かれているので、医師は必ず読んで参考にするが医師のそれは読めないので始めから無視されている。日本には江戸時代に長崎の出島を通じてオランダ医学が入ってきた。明治になり、ドイツ医学が入ってきて、教科書などもドイツ語(クレンペラー)だったのでカルテもドイツ語交じりで書くことが多かった。数十年前からはアメリカ医学が世界を席捲し、ドイツ語に代わって英語が幅を利かすようになってきた。従って古い医師はドイツ語を用い、最近の医師は英語を用いるようになってきた。昔は医師に特権意識があり、患者や他の者にカルテに書いてあることを分かってもらう必要はなかった。分からないからご利益があるのだの風潮があり、ドイツ語にしろ英語にしろ、日本語にしろ、ぐちゃぐちゃと書いて、わざと分からないように書いているのではないかと思われるような節もあった。しかし最近、求められたらカルテを開示する義務が決められた。開示しても読めないのでは意味がない。また昔と違って医師一人で治療しているのではない。看護、薬剤、検査、栄養、リハビリ、ケースワーカー全ての職種が協力して一人の患者を診ているのである。情報交換するのに一職種だけ読めない字を書いていたのでは診療にさしつかえる。従って医師もカルテは日本語で分かり易く書くことになった。大変いいことである。診療内容がだれが見ても分かるようになれば、診療内容そのものも透明になり、レベルも上がってくることが期待される。今は、分からない字を書いて、患者や他職種を煙に巻いていた時代ではない。今日は医師国家試験の日である。合格者は医籍に登録される。国家試験問題は4択とか5択で4つの中から正しいのはどれかとか間違っているのはどれかなどを選ばせる問題が殆どだ。カルテを日本語できちんと書ける力がなくても合格できる。それではだめだと思う。マルバツや選択問題もあってもいいが、日本語で課題患者の既往歴や現症、検査結果、治療方針等をきちんと書かせて、日本語でカルテが書ける力があうかどうかを合否の基準に含めてもらいたいと思う。今日は試験日で合格発表はまだ先になるが、合格して医師の仲間に入る諸君はあくまでも謙虚に、病者のために自分の全てを捧げ、他の職種と力を合わせ、患者の健康回復に尽力してもらいたいと願う。
2008.02.16
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5歳の孫がこどもの国で難しい鉄条網トンネルに挑戦している写真である。トンネルは空中に浮かんでいるので最初怖いと言って泣きべそをかいていたが、一歩一歩踏み出すにつれて自信がついて、長いトンネルを全行程走破して得意満面で下りてきた。怖いと言ってしり込みし、姉がすいすい渡っているのを羨ましそうに見ていたのなら最後の喜びは得られなかったと思う。私にも上手になりたい願いがあった。一つは趣味のゴルフである。上手になりたいと思うがいつも自分の思いとは裏腹に下手の極みの結果になって苦しんだ。先日行ったゴルフでは初めて前半、後半とも60を切った。私にとってはすごいことで心から嬉しかった。仕事上も技術的に上手になりたいことがある。中々思うようにいかなくて苦しかった。表面的に笑っても心の底は真っ暗で苦しみの人生だった。そして今日。今日は上手くできた。嬉しくて廊下ですれ違う人にも思わず笑顔がこぼれた。見るもの聞くもの周りの人が全て輝いて見えた。今までも笑顔での挨拶を心掛けていたが心は苦しかったのできっと引きつった笑顔だったと思う。何かが成就できた時には、心の中から自然に喜びが湧いてくる。接する周りの人も気持ちいいと思う。苦しみが心にある人は表面的に笑っても周りの人をも暗い気分にさせてしまうのでないかと思う。孫の話から書き始めたが、幼児、少年、大人、老人、全て同じだと思う。やりたいと思うことが上手にできたことほど嬉しいことはない。教育とはその喜びを教えていくことではないかと思っている。
2008.01.18
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庭に咲いているノースポール(北極)である。キク科、クリサンセマム属、半耐寒性1年草原産北アフリカ、日本には約38年前(1970年)渡来、12月、1月の厳寒期から5月頃まで咲く、花言葉は誠実、清潔昨夜電力を使いすぎてブレーカーが下がってしまった。何時もはそのまま上に上げればまた電気がついたが、今度ばかりは何度上に上げても戻ってしまって、電気をつけることができなかった。困って東京電力に電話したら、当直の人が、技術関係の電話番号を教えてくれて、そちらに電話したら、寄るところがあるので少し時間がかかるが来てくれるとのことで、暫く待っていたら2人の若者が来てくれた。結果は「電力オーバーでブレーカーを何度も何度もダウンしているので留め金が磨耗して、上げても引っかかってくれないで下がるのだと思うので、いつか電器屋さんに言って新しいのに替えてもらった方がいいと思います。とりあえず今夜はゆっくりスイッチを上げてみます。ゆっくり上げると引っかかるところがありましたので戻らないで上に固定することができました。次のブレーカーダウンまでは大丈夫でしょう」とのことで電気がついた。夜中に尋ねてきてくれた若者二人、すごく頼もしいと思いました。心から感謝申し上げます。私はスパーに買い物に言っても心の中でレジの人に感謝し、外食する時にもウエイトレスなどに感謝します。そして我が身を振り返ります。「皆さんがこのように親切にしてくれている。自分は人様に親切にしているか」と常に反省しながら仕事をしています。同業者の中には威張っている人もいます。昔は威張っている人が多かったみたいですが、最近は親切で優しい医師がかなり増えてきていますが、中には特権階級のように威張っている人を見かけます。旅行するにも、電気器具の故障でも何時も色々な人にお世話になっています。自分が人様のお役に立たせてもらう立場になった時にはそのことを思い出して誠心誠意つくして貰いたいと願っています。
2008.01.09
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加古川市の小2少女が殺された。まだ犯人は捕まっていない。多くの学校で、誘拐や殺人防止策として集団登下校や、部外者の校内立ち入りには身分証明書が必要など、様々な防御策が講じられているが、今回は自宅に帰ってきた直後に殺されたとの事である。私の長姉は6歳の時、小学校に入る直前の3月に肺炎で亡くなった。その子のことを話す時は決まって両親は涙ぐんでいた。その子との別れがつらく、思い出す度に、平常心を失っていたことを思うと、幼子との別れがいかにつらく口では言い表せないくらいの衝撃を受けるものであるかを両親の姿から身に沁みて感じていた。そのような深い悲しみを残す、幼い児童の誘拐や殺人が頻回に起こっている。犯人にはその悲しみが分かっているのだろうか?変質者や変態性欲者の仕業ではないかと言われることがあるが、その定義は定まっておらず、むやみに使うと差別用語として、注意される。患者さんの人格を損なうような病名はよくないとして、精神分裂病は統合失調症に、痴呆は認知症に、名称が変更されているように、その呼び名が差別や軽蔑をもたらすような言葉は禁止されつつある。最近の風潮では、ある個人に変質者や変態のような言葉を用いるのは人格の軽視であり、侮蔑であり、差別であるとされる。しかし子供は殺されているのである。犯人はどういう人か考えると、人格尊重の立場からは不適切かも知れないが、どうしても上記のような人達を想像してしまう。犯人を速やかに逮捕してもらいたいことは勿論だが、予防策を講じてもらいたい。予防策として、社会や教育現場で、そのような事件を起こさない、情操豊かで思いやりのある青年が育つような、がっちりとした教育システムを構築して貰いたいと願う。
2007.10.17
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これは熊本の友人が送ってくれたダリアの花写真である。キク科ダリア属の球根植物、原産はメキシコで、日本に伝わったのは江戸末期、花言葉は優雅と気高さ、移り気、エンジ色のダリアの中心に昆虫が止まっているのが分かりますかな?土、日、月の連休につくば市に住む娘の旦那が信州での自転車レースに出るとのことで、娘ともう少しで1歳になる0歳児の女児が私の家に滞在してくれた。ハイハイが出来て、なんとか掴まり立ちが出来る状態だが、何でも掴んだり、舐めたり口の中に入れたりする。殺虫剤でも何でも口の中に入れてしまうので、ハラハラしどうしである。窓際まではっていくと、落ちては困るので、ガラス戸を閉めておくと、そのガラスを支えにして立ち上がるので力が加わって割れては困るとハラハラする。食事中は皿でもコップでも何でも自分の方に引き寄せて落としてしまうのではないかと心配する。娘は子供が床の上で、ビンの蓋やスリッパを口に入れたりしているのを横目で見ながら、台所仕事をしていた。神経質になったら、親の方が生きていけないと思った。それにしても子供が汚れたものでもなんでも口に入れて大した病気にもならず、墜落や転倒で死に至るような大怪我もしないで大半の子供が育つのはまさに奇跡だと思う。私の子供は私は殆どの時間病院内で働いていたので、妻が一人で育ててくれた。いまさらながらその大変さを思った。よく育ったものだと思うし、よく育ててくれたものだと思う。世のお母さん、お父さんに心よりご苦労様と言いたい。祖父母が育児に関わってくれている家庭もあると思うが、すごく助かるのではないかと思う。今少子化が問題になっている。それには色々原因があると思うが、一つには育児が大変だからと多くの子供を生まない夫婦もいると思う。祖父母と同居していれば嫁姑の問題もあるかもしれないが、難事中の難事の育児には助けになるので、子供数が増える可能性があると考えた。
2007.10.09
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今朝通勤途中の車のラジオで、海外報告として、ノルウェーの自然に優しい刑務所の話を聞いた。ノルウエーでは死刑は廃止されており、無期懲役でも30年以内に刑務所から出れるとのことだった。環境を重視し、発電は殆ど水力発電に切り替えている国柄だけに、今度新しく作った刑務所の受刑者に、太陽エネルギーを用いた電力造り、野菜作りや、酪農、家具作りなど、全て自給自足でまかなえる生活をしてもらいながら、更正を期しているとのことだった。刑務所の役割は罪を犯した人への懲罰とその人達の更生を目的としている。最近世界的に犯罪者が増加し、刑務所の収容能力がまにあわない状況にあるという。警備、運営には多額な税金が使われており、その額も年々増加している。そのような中でノルウエーの刑務所では100人以上の受刑者に係員は5人位で人件費がそれほどかからず、自然に触れ、創造の喜びや生きがいを感じながら、食料も衣服も住居も電力も全て自分達でまかなっている。受刑者だって人間だからその人間性を尊重しなければならないとするノルウエーのお国柄から考えだされた施設だと感じた。更生にはそれでいいかもしれないが、懲罰の方はどうなるのか?の疑問が湧くと思う。悪いことをした人には罰が与えられなければならない。「鎖に繋いで暗い牢獄に死ぬまで入れておくべきである」との考えもある。昔は更生より懲罰の考えが強く、それでもよかったかもしれないが、最近は人権尊重が叫ばれ、更生が重視されている傾向にある。自分を含め何人にも罪を犯してもらいたくないと願っている。しかし不幸にして罪をおかしてしまった人は、自ら反省し、社会奉仕に身を捧げてもらいたいと思う。極刑に処せば、被害を受けた人が救われ、問題が解決する訳ではない。自ら反省して、悔い改め、新しい生き方に挑戦していくことに意義があると考えている。その意味でノルウエーの試みは人類が少し進歩した証ではないかと思った。
2007.09.20
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九州熊本のM先生から送って頂いた「空とコスモス」の写真である。九州の佐賀北高が夏の高校野球で全国制覇したので、九州の先生から送って頂いた花を表紙にすることにした。コスモスの原産はメキシコ。日本には明治初年に渡来し、日本名は秋桜。キク科、コスモス属、花言葉:ピンクは少女の純潔、赤は調和、白は美麗、優美昨日の高校野球決勝で、無名だった佐賀北高が広島広陵高校を下して日本一になった。8回の表を終わって、4対0、点差以上に広島広陵のワンサイドゲームで、力の差は歴然としていると思っていた。8回の裏に佐賀北がワンアウトからヒットでランナーを出したがとても点が入るムードではなかった。その後予想に反して、ヒットとフォアボール2つで1点、その後満塁ホームランが出て5対4で佐賀北が逆転勝利した。見ていた人の何人がこの結末を予測したであろうか?一人もいなかったのではないかと思う。広陵投手が投げたストライクと思われるボールがボールと判定されたりして、佐賀北には目に見えない有利な力が働いたとしかとても思えない。佐賀北の監督は、選手達に「絶対諦めるな」と教えてきたとのことだが、この展開では絶対勝ち目がないと思えたので監督自身は諦めていたという。それが正常の判断だと思う。ところが生徒が諦めずに奇跡の勝利をもぎ取ってしまったのである。観客も驚いたが一番驚いたのは監督だと思う。「諦めが肝要」など、諦めることの重要性を説いた諺があり、だめと分かっていることに何時までも綿々としないで気分を入れ替えることも大切である。しかし、この日のために連日猛練習してきた生徒たちにしてみれば力の差は歴然としていても、簡単には諦めきれない。こんな時でも諦めなければ、目に見えない力が働いて、勝てる可能性があるのである。佐賀北は他のイニングでは完全に負けていたが、ワンチャンスをものにして勝った。最後の土壇場で勝ったのである。私達も「もう完全にだめだ」と思える時でも将来には何が起きるか分からないのだから、最後まで諦めないで挑戦するべきだと考える。
2007.08.23
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これはゼラニユムである。南アフリカ原産、フウロソウ科、4~11月開花、日本には江戸時代にオランダから渡来、花言葉:慰め、真の友情、決意、君ありて幸福、ブログに家内が庭に植えている花を順次載せるようになってから、今まではさっぱり興味がなかった花に興味がわき、名前を教えてもらったり、調べたりしている。そして今までは殆ど気づかなかったが、どの花も、どの花も信じられないくらい美しくて驚嘆している。人生観も変った。町を車で走っていても道行く人達が一輪、一輪の花に見えて、なるほどこれがそれぞれの特徴をもった人間花だったのかと思える。一人一人が美しい花を咲かせているのである。でも花と人間は全く同じではなく、違う所もあると思う。花は花壇の中でそれぞれ自分の花を自分らしく美しく咲かせればいいが、人間は人と人とのつながりがある。このつながりを含めて美しいか否かが問われるのである。そのつながりには、親子や夫婦の愛情、正義を貫く、思いやりなどの要素があると思うが、人間にあって花にない重要な要素の一つに師弟のつながりがあると思う。花は自分だけ美しく咲けばいいが、人は人とのつながりの中で美しくもなれば、醜くもなるのである。人間花を美しく咲かせるには素晴らしい師匠にめぐり合うことが必須ではないかと思っている。師とは自分を教え導いてくれる人で、両親の場合もあるだろう、学校の先生のこともある。書物の中に師を見出した人もいる。歴史上の人物のこともある。宗教上の師匠のこともある。いずれにしても自分を最高に咲かせてくれる指導者のことである。悪い師にめぐり合ったら悪い醜い花しか咲かない。その理から言うと親は最高の師になるべく努力していく必要があるが、子としては、芸術でもスポーツでも、人生でも、ビジネスでも自分を最高に咲かせてくれる師を見つけることが、極めて大切だと思う。師弟不ニ(師弟が一体になること)は美しい花を咲かせるための不可欠の要因と考える。
2007.07.25
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サルスベリ(百日紅)中国原産落葉樹、江戸時代に日本に渡来、ミソハギ科木の幹はつるつるしてサルもすべる。花言葉は雄弁、潔白、私が昨年末に、全ての枝を切り落とし、幹だけにしたのに、春になってこのように枝を伸ばし綺麗な花を咲かせたのである。道立高校の5月の健診で胸郭のゆがみを見る目的で女生徒の乳房の触診をしたとして生徒124人が苦情をいい、校長が釈明し、後の半分の検診は延期になっていたとの記事が配信され、その記事に対するアクセスが1万以上あり、コメントも81あった。コメントの大半は健診でブラジャーを外させたり触診したりするのは当然だ。そんなことで問題視するのはおかしい。今後診察拒否すべきだとか、今時の女子高校生は自分を何様と思っているのだとか高校生や学校側を非難するものが多かった。大学から派遣された30歳代の男性医師がどのような基本姿勢で診察したのか分からないので、どちらが悪いと断定できないが、女生徒のみを非難するのは適切ではないと思う。私もこの春頼まれて女子中学生と女子高校生の健診をした。高校1年生までだったので、少し道立高校のケースと違う所があるかもしれないが、彼女達は純朴で自分から前をはだける生徒が多かった。彼女達にははそんな悪い生徒は一人もいなかったように思う。私の個人的感想はその大学から派遣された30歳代の先生の診察姿勢に問題があったのではないかと思う。しかし実際のところは分からないので、その先生は真面目に丁寧に診察しただけなのに、騒いだとするなら女生徒が悪い。断固学校にも抗議するし、医師会としても2度と学校健診はやらないと断言してもいいと思う。
2007.07.13
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モントブレチア(ヒメオウギズイセン)アヤメ科、クロコスミア属、南アフリカ原産、花言葉は陽気、芳香今回は人の才能とその育て方について書いてみる。サマーセット・モームの小説「人間の絆」で主人公のフィリップが絵画の勉強をするためにパリに行き画室で勉強していた時、週に一回教師が回ってきて各人の描いた絵を批評してくれるのだが、20歳くらいの女性画学生ファニー・プライスの絵の順番が来た時、教師は、彼女のデッサンをみて、「5歳の子供でも君よりは上手く描ける、ラクダに教える方がまだましだ、絵を止めて洋裁でもやってみろ」と散々こきちらして帰っていった。実際にもこのような教官はいる。「お前は才能がないのだからとっとと消えうせろ」とどなるタイプだ。多くの人はそれでしょぼんとなり、その道から去っていくことが多い。ファニー・プライスも真っ青になり、荷物を纏めてしょんぼりベンチに座っていた。彼女はもう2年もそこで勉強してきたのに能力がないので止めろと言われたのだ。その後フィッリップが彼女の本心を聞いたところ、彼女の絵にかける情熱はゆるぎなくあんな教師が何を言おうが絵の勉強は続けるとのことだった。才能のあるなしはあると思う。無駄な時間を浪費する前に諦めた方がいい場合もあるかもしれない。その判断は自分でする場合もあるし、先輩である教師から引導を渡される場合もある。しかし上記のようなケースはひどすぎる。芸術の評価の基準は変化しており、頭から能力がないと決め付けるのは教師の想像力の欠如だと思う。スポーツなどでは能力が数字とし現れるので、能力のあるなしは自分でも判断できるが、芸術や学問の世界では自分でも教師にも分からないことが多い。だから先輩教師は才能があるなしをいうのでなく、その生徒の才能がどの方面にあり、それをのばすにはどうしたらよいか教えていくのが教師の役割だと思う。また生徒の立場からいうならば、一人の教師から駄目と言われても諦めない方がいいと思う。別の教師は褒めてくれるかもしれない。自分が本当にその道に進みたいなら、いい師匠を見つけることが最も必要なことだと思う。成功者の殆どはいい師匠に恵まれた人たちである。
2007.07.11
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6月16,17日と消化器病学会、消化器内視鏡学会の甲信越地方会がアピオ甲府で開催された。両学会とも昼休みの時間に評議員会が開催されたので、17日の消化器内視鏡学会については招待状が来ていたので問題なかったが、16日の消化器病学会については招待状が来ていなかったがどこかに紛れたのだろうと思って、当日少し遅れて評議員会の会場に入った。各自、席の上に弁当が置いてあるのだが満員で、どこにも弁当が見当たらなかったが、隅の方を少し譲ってもらって、会議に参加し、会議資料をチラとみたら、評議員名簿から私の名前が落ちているではないか! 評議員会への出席状況、会費納入状況など、欠格条件があるが私はその条件はクリアしていたので、会議終了後司会をしていた会長のところに名前が落ちてると文句を言いにいった。担当者が調べてくれて私は定年で名簿から外れたとのことだった。昼食を食べ損なったのはいいとして、評議員でもないのに評議員会に座っていたのは惨めで恥ずかしい思いをした。翌日の内視鏡学会の定年はその消化器病学会の定年より5年長いので問題はなかったが、消化器病学会では定年でシャットアウトされていたのだ。今まで自分を年寄りと思ったことはない。これからも新たな気持ちで挑戦していく気持ちでいたが、今度ばかりは自分の年齢を思い知らされた。スポーツや肉体労働では年齢は関係するかもしれないが、知的職業や仕事では年齢は関係なく、その人がいかに勉強し、工夫し、努力するかによって差が出てくると思っていたので、医学者のステータスである評議員を年齢によって排除するのは不合理だと思ったが、国会議員にも定年があるし、後輩を育成する意味でもしかたがないかなと思った。それにしても自分の暢気さに呆れた。評議員会の規約を注意深く読めば定年のことが書いてあった筈だ。定年も知らずに、暢気に評議員会に出席していたとは、死んでからも、いるべきではない所にいて、「もしもしあなたは既に死んでいるのですよ」と注意されかねないと思った。これは今撮影してきた庭のペチニア(ツクバネアサガオ)である。原産は南アメリカ、メキシコである。ナス科、花言葉は「貴方と一緒なら自然と心が安らぐ」
2007.06.19
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英会話とか英語の勉強に苦労している方が多いと思います。英会話の教材は多数出ていますし、無料のメルマガやブログも多数あります。無料ということで英会話のメルマガ等にとびつく方も多いと思いますが、無料といっても英会話のことだけでなく多くの広告を含んでおり、一度配信を申し込むと色々な広告がきたり、迷惑メールの原因になったりします。でもメリットとデメリットの兼ね合いでメリットの大きいものは採用していかれるのがよいと思います。石田健さんのメルマガ「1日1分英字新聞」http://blog.mag2.com/m/log/0000046293/は英文が大変短かいので、毎日送られてきても目が通せる長さですので、忙しい人には最適だと思います。宣伝も多数ありますが、チェックを外して申し込まなければいいので、英語の勉強だけできると思います。毎日読んでいれば英字新聞がかなり読めるようになると思います。1日1分の英字新聞を読むのは無料ですが、もし希望があれば月千円チョットのお金を払うと一週間分を音声付で配信してくれます。今日の英字新聞の記事は日本の15歳の少年が日本オープンプロゴルフで優勝した話です。時事問題にも強くなりますし、解説つきなので英語に強くなることがかなり期待できます。解説がありますので中学生から大学、社会人まで幅広い人が対象になると思います。英語は苦手だという人にもかなり分かるのではないかと思います。URLアドレスを記載しましたので気に入りましたら登録して1日1分英語の勉強を始めてみたら如何でしょうか?
2007.05.22
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今朝の新聞に高校3年生が母親を殺した事件が載っていた。詳しい事情は分からないが心を暗くする事件である。同じページに他の殺人事件も載っており、殺人がない日はないくらいである。事故や過失で人を殺すこともあるが、その場合は一生後悔しながら暮らし、償いがなされることが多いが、自ら意識して他人を殺す場合は法的裁きを受ける場合とそれから逃れてどこかで暮らす場合があり、この場合は後悔しているのかしていないのか分からない。人を殺してはならないことは、本能ではないようだ。人食い人種や好戦的人種もあり、人殺しをなんとも思わない人達がいたことは事実である。平和で愉しい生活をするためには人を殺してはならないという教育や法的制裁によって、私達は人殺しを恐ろしいこと、絶対してはならないこととして、魂に刻み込んでいる。しかし、戦争では多くの人を殺すとかえって勲章がもらえる。ロシアの文豪トルストイは「文読む月日」のなかで、「戦争は人々が、いかなる暴力行為にも参加せず、その為に蒙るであろう迫害を耐え忍ぶ覚悟をした時初めて止む。それが戦争絶滅の唯一の方法である」と書き絶対非暴力の思想を貫いている。しかし自分は絶対人を殺さず、戦わなくて殺されてもいいが、同胞が殺されては困るので、戦う備えはしておかなければならないとの考えもあり、戦争及びその準備は全ての国で行われている。殺人はいけないとするなら戦争も絶対いけないことだが、そこまで憲法上到達している国はまだ日本、コスタリカ以外にはない。少年の殺人はゲーム感覚が現実と混同して行われることがあるとされる。ゲーム機では敵を殺したりすることが、日常茶飯に頻繁に行われている。そこには感情がなく、制裁もない。そのことが現実と区別されずに実際の殺人事件を起こしてしまうケースもあるという。教育的立場からゲーム内容を健全、適切なものにしていく必要があると思う。人を殺すと殺された本人及びその家族、殺した本人及びその家族や国家が大変な苦しみを受けることをしっかり認識し、教育する必要がある。また殺すことは肉体的に殺すだけでなく、人格の無視や、精神的に追い詰めることも、それに順ずることだと思う。単に殺さなければいいのではなく、虐待し、追い詰め、無視し、隷属させようとすることも絶対あってはならないことだとの教育が必要である。人間尊重、自分と他人を心より大切にする教育の徹底を心より念ずる次第である。
2007.05.16
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