うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
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9連敗していた阪神が昨夜のゲーム、3対2でやっと勝った。その前日は押さえのエース藤川が巨人先頭の高橋にヒットを打たれてがたがたと崩れ、まさかの逆転負けをきっしてしまった。負け続けている時は何をしても勝てないものである。打てない、投手陣が悪いなどの原因があるかもしれないが、調子が狂うと実力以外のものも作用して、中々そこから抜け出せなくなってしまうものである。ゴルフの練習で玉が飛んでいたのに、当たらなくなると、どんなに考え、努力しても当たってくれない。その一旦不調になったところから抜け出す力を持っている人が上手な人で、連敗という不調から抜け出す力をもったチームが強いチームということになるが、力のない人は玉が当たらなくなってしまうとそれが続いてしまい、連敗していると勝てる気がしないものである。昨日も途中まで3対2で勝っていたが、最終的に勝てると思っていた人はどれだけいたであろうか?最後、藤川が内心はらはらしながら、前日までの直球勝負のパターンを改め、カーブを交えた投球で、最後の打者、昨日やられた高橋も討ち取ってひやひやの勝利をつかんだ。心からおめでとうを言いたい。よく勝ったと思う。外からは「連敗してもいつか抜け出せるさ」と思えるが当事者にとっては、どこまで続くか全く分からず心は闇である。10連敗にならずによく9連敗で止めた。アッパレ、アッパレ!よくぞ勝ったものだ!それと阪神フアン、なんというすごさだ。負け続けているにも関わらず甲子園球場は満員だった。信じられなかった。他のチームでは負け続けていれば誰も行かなくなって、球場はがらがらである。私も自分がフアンにしているチームが負け続けていると、監督の采配や、知恵、情熱が足りないなどと不満をたぎらせ、球場は勿論、テレビも新聞も見る気がなくなってしまう。それにひきかえ阪神フアンは違う。時折映る岡田監督の落ち込んだ顔。他のチームのフアンなら「お前が悪いから負け続けているのだ」と憎しみの対象にされ、そっぽを向かれてしまうものだが、阪神フアンはそんな監督も許し、大観衆が詰め掛けて応援するのだから、信じられない気持ちだったし、まだまだプロ野球も捨てたものではないと思った。連敗脱出した阪神と、阪神フアンに心からのアッパレを送り、我々に勇気を与えてくれたことに感謝する。
2007.05.11
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49歳の時、国際的に活躍するには少なくとも英語くらいは自由に使えなくてはいけないと思って朝6時50分からのNHKのテレビ英会話の視聴を始めた。その時家内から、語学は年齢に関係するから、49歳ではもう遅い。止めといた方がいいのでは?!と言われた。 シドニィ・シェルダンのドリッピィのテープを聴いたり、アルク、DHCなどの英会話教材殆どといっていいくらい試みた。英語字幕映画のビデオやDVDもかなり観た。アメリカにも5ヶ月行ってきた。49歳から16年間欠かさずNHKのテレビ英会話も視聴してきた。5年前から週に1回1時間半の英会話教室にも通っている。その結果今どうか?洋画を見て殆ど分からない。学会などで英語の発表殆ど理解できない。英語での質問や討論も出来そうにない。要するに殆ど実力がついていないのである。16年前の家内の忠告が正しかったのであろうか?もともと語学の才能がなかったのであろうか?どちらも当たっているのかも知れないが、私はまだ諦めていない。だめだと思ったことでも努力を続けているといつか突然目の前が開けることがある。英会話に限らず、世の中には様々なことに挑戦しておられる方がいると思う。先が見える前に自分には才能がないと途中で止めた方も多いと思う。私など本来もっと前に諦めるべきだったかも知れないが、それでは悔しい気持がある。先が見えても見えなくてもいいから「いつか出来るようになる」を信じて努力を続けていこうと思っている。
2007.05.09
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今朝の朝日新聞に産業能率大学の松村教授が、自分の授業を受けている学生について、教室で座る位置によって成績や授業に対する評価が違うかを調べて、その結果が載っていた。結果は、座る位置を前、中ほど、後ろと分けた場合、期末テストの平均点はそれぞれ、51.2、43.9、30.9点で、前と後ろでは20点もの開きがあった。プリントが良かったか、教師に熱意があったか、分かり易かったか等の授業に対する評価は、前、中、後、それぞれ、ほどほど、よい、あまり良くないの評価で、後ろに座る人は、先生の授業はあまりよくないと評価していたとのことである。その先生の授業が面白くないから後ろに座るということもあるかもしれないが、一般的にその授業だけでなく、どの授業でも、前に座る人と後ろに座る人は決まっているので、前に座る人は勉強熱心ということだと思う。私は前の方に座る学生だったので、同級生達からはできる学生と思われていたらしい。だから、たまに60点がとれなくて追試験で一緒になると、楽天星が追試験を受けるとは思わなかったと驚かれた。追試験に来るメンバーを見るとやはり後ろに座っている人が多かった。前の方に座っていて、追試験をよく受けていたのは私くらいだったかもしれない。少し言い訳させていただくと、もともと頭はあまりいい方ではなかったが、試験の時やまをかけて、集中的に勉強することをしないで、満遍なく全てを勉強しようとしたために成績が悪かった面もあると思う。松村教授のコメントに、「後ろに座る人は、教師と距離をとって、気楽に講義を聴きたいと思っているようだが、前も後ろも同じように目に入るのですがね」というのがあった。私も非常勤講師として時々講義してきたが、そう言われてみると、階段教室で、前に座る人も後ろに座る人も同じように目に映るので、学生はこちらからは同じように平等に見えていることを知らないことを教授の言葉によって初めて認識した。学生諸君、教師からどうせ同じように見られているのなら、前に座った方が成績がよくなるのだから、先を争って前の方に座ろうではないか!
2007.05.05
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本日の関口宏サンデーモーニングで長崎市長銃撃事件を取り上げていた。伊藤一長市長は核兵器廃絶に向けて国連の会議でも堂々と核兵器の違法性を訴えており、信念、情熱、実行力の人だった。その人を衆人環視の中で銃撃した暴力団幹部はとうてい許すことはできない。工事中の市道で自分の車が損傷したことに対する市側の対応に不満をもっていたことや、市の発注工事に自分が関係する企業が参入出来なかったことなどから、経済的に困窮して自暴自棄に陥っていたなどが取りざたされているが、金に困ったから人を殺すとする神経には戦慄する。金に困っていた中で背後の大きな勢力が金をちらつかせて殺人をそそのかした可能性もあり、背後関係を徹底的に調べる必要があるが、頼まれたにしろ、なににしろ、殺人を実行する人間をこの世からなくしたい。戦争では殺人を正当化しているが、正当な殺人などある訳がない。死刑は犯した殺人等の償いとして、認められてきたが、その執行は容易にはなされないし、死刑制度を廃止した国も増えてきた。殺人は絶対悪として、戦争は勿論、そそのかしや恨み、欲望等からの殺人衝動をひきとめる、強い心を一人一人にがっちり植え込む必要がある。暴力団員だって可愛い小学生だった時もある。いつから暴力団員になったのか分からないが、学業その他、社会の荒波の中で落ちこぼれてしまったのかもしれない。小学校から一人一人に命の大切さと犯してはならないものであることをくりかえし教えてもらいたいと思う。暴力団員の方々は屈強な若者が多い。反社会的な行動をするので、恐れられたり、取り締まられたりするが、屈強な体力を生かして災害救助や、農作業や工場作業の手伝いなどに生きる道を見出してもらいたいと思う。暴力団も会社形態をなしているが、今のままでは仲間同士の喧嘩や社会からの拒絶で、運営が大変だ。組の目標を設定して、この組の目的は人助けだと明記して活動していけば徐々に社会からも理解されていくと思う。暴力団員に限らず、人を殺す人は、心が貧しく弱い人たちである。そういう人間にならないように、幼稚園や小学校の時代から、強く正しい心が培われるような教育をしっかりしてもらいたいと切に願う。
2007.04.22
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長崎市長が銃撃された事件も大事件だったが、アメリカ工科大学で銃乱射事件が起きて、32人の犠牲者が出たこともショックだった。犯人は23歳の韓国籍のチョ・スンヒと言う学生で、犯行の動機をアメリカNBCに送っており、「お前達が数えくれないくらいおれを迫害したから、俺はこうするしかなかった。この状況を避ける方法はいくらでもあったはずだ」「弱く無防備な人々を奮起させるためキリストのように俺は死ぬ」とまるで殉教者、英雄気取りで他人を殺めて自分も死んだ。高校時代いじめられたこと、大学に入学しても孤独だったこと、ストーカーをしたと言って訴えられたことなどが原因だろうと推察されているが、銃乱射事件の犯人の多くは学校でいじめられた経験をもつ者が多い。日本でもいじめが問題になっているが、アメリカでもいじめは大問題である。いじめは心を捻じ曲げさせていつか復讐してやろうという気持ちを起こさせる。しかし手当たりしだいに同窓生達を殺すとは残酷この上ない。前途有為な学生達やその家族のことが頭に浮かばなかったのであろうか?自分が格好よく死ねればいい。他人はどうでもいいと言う考えが根底にあったと思われる。悔しい、復讐してやりたいと思っても、実際に行動する人は少なく、殺すまでいくケースはまれである。チョ・スンヒ自身の人格的未熟さ、思いやりの無さなど大いに問題があったと思われる。しかし、社会や教育現場での、いじめが遠因になったことも事実だろう。この不幸な大事件を教訓にして、アメリカでも日本でも、いじめ対策に甘ちょろい気持ちでなく命をかけて取り組んでもらいたいと思う。
2007.04.20
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7日の朝7時半の甲府発大阪行きの高速バスに乗って滋賀県守山市に行ってきました。バスは途中40分の昼食休憩などもありましたが、京都に午後2時着なので、7時間半かかりました。終点の大阪までは8時間15分かかることになっており、運転手さんは大変だと思いました。40人乗りのバスで、14人しか客が乗っていなくて採算がとれるのか心配でした。夜10時10分発で、大阪あべの橋に7時45分に着く便は混んでいると聞きましたが、この昼の便は土曜日でこれだから大丈夫なのかずいぶん心配しました。何はともあれ、京都からびわ湖線で午後3時前に守山に着きました。家にウイイ(Wii)と言ってテレビと接続して、ボーリングや、テニス、ゴルフなどが楽しめるソフトがあったので、今度入学の女の子とその下の女の子達とボーリングをやりましたが、彼女達の方がはるかに上手でした。さて入学式の当日私は当然学校まで行くつもりでしたが、家内はマンションの入り口で見送ればいいと言っていました。私は写真を撮るように頼まれている等と言い訳して学校まで行くと言い張りましたら、結局家内も4歳の女児をつれて学校までついてきました。入り口では整理の先生が立っており、桜が綺麗に咲いて、天気もよくまさに和やかな入学式日和でした。入り口付近で、写真は撮りましが中には入りませんでした。帰ってきて聞いたところでは、女児は名前を呼ばれた時、「はい」と元気よく返事をしたそうです。母親は最初に呼ばれた子が、元気よく答えたので後に続く子供も元気よく返事してよかったと言っていましたが、本人は「最初がどうでも自分は元気よく大声で返事するつもりだった」と言っており、頼もしいと思いました。これからどのような人生を歩むのか分かりませんが、小学1年生という人生のスタートともいえる大きな節目を迎え、これから大きく、美しく、逞しく育ってくれと思いました。帰りは新幹線で静岡まできて、静岡から甲府までの急行ふじかわ号で帰ってきました。電車では約5時間で、バスの7時間半より短かったですが、バスと電車では一長一短があると思いました。入学式の受付付近を撮影した写真を添付します。ウィークデーにも拘わらず付き添ってきた父親が多く、時代の流れを感じました。
2007.04.10
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4月9日が滋賀県に住む息子の長女の小学校の入学式である。明日の朝それに合わせて家内と甲府から京都までの高速バスで出発する予定だ。入学式にも当然出席するつもりでいたら、家内から「おじいさんが入学式に参列するなんて聞いたことがない。馬鹿なこと言わないで」と言われた。別に参列しても悪くないとは思ったが、だめというなら、門の所まででも一緒に行こうと思う。自分にもそういう時があったが、小学校に入学する頃が花だと思う。その晴れ姿を一目見てみたい。
2007.04.06
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今生後40日の孫娘がまだ我が家にいてくれている。最近少し眼が見えだしたようだが、それまでは眼は見えない、手足をばたばたさせることは出来るが自ら移動することは出来ない、ただ泣くだけである。世界中の全ての赤ちゃんがそうだと思うが、その赤ちゃんの大半が無事育ってきていることに驚嘆し、母親の偉大さをあらためて実感した。目が見えず動くことも出来ないのだから放っておかれたら確実に死んでしまう。泣き声が唯一の命綱で、捨てられても誰かに拾われて助かることもある。その泣き声は親の都合のいい時ばかりとは限らない。夜中に何回も泣くこともある。それでも母親はあたりまえのこととして、抱き上げおっぱいをあげる。中にはそれに耐えられないで育児ノイローゼになる母親もいる。お姑さんその他の家族と一緒ならカバーしあえるが、夫婦だけでしかも旦那の協力も得られないような場合には心身共に想像できないくらいの消耗だ。それでも皆育ててきたのだから、育児は当に神業だと思う。母親は天から使わされた天女なのだ。育児ノイローゼになりかかっている人がいたら、それは自分を人間と思っているからで、本当は天から使わされた使者ということを思い出してもらいたい。子供はそのようにして育てられたとは知らない。皆、当たり前に簡単に育ってきたと思い、当然のような顔をしている。今、生を受けているということは極めて不思議なことなのだ。母親をはじめ家族の愛がなかったらこの世にいなかったのである。感謝しながら生きなければと思う。
2006.12.21
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土曜日は朝8時から夜7時半まで、日曜日は8時から4時半まで2日間に渡っての乳がん検診のX線フィルム(マンモグラフィ)読影講習会を受けてきました。きちんとしたカリキュラムにそっての全体講義、7人ずつ分かれてのグループ学習、いずれも大変勉強になり、読影の基本を学ぶことができました。 講習の最後に試験があり、100症例(乳房は左右あるので200枚)を120分で読影する試験がありました。講習会やセミナーは沢山ありますが、その最後に試験を課すのは受講者の心構えも違いますので大変いいことだと思いました。試験で85%以上取れた人はAランク、80%以上はBランク、70%以上がCランク、それ以下がDランクですが、私はBランク以上はとれると思っていましたが実際はCランクでした。 落胆して落ち込み、自信をなくして、気力もなくしてしまいました。鰍沢で友人達との忘年会があり、電車でそこの会場まで行きましたが、気分は忘年会どころではなく、打ちひしがれていました。待ち時間に家内に電話しました。試験の結果を話しましたら「Cランクでも受かればいいではありませんか。くよくよしないで」と言われました。家族はいいものだなと思いました。少し元気になって忘年会で歌を歌って帰ってきました。 大変有意義な講習会で講師の先生方も熱心で素晴らしい体験でしたが、試験結果で落ち込んでしまいました。人生様々なことがあります。まだまだ挑戦していかなければならないことが山ほどあります。うまくいくことばかりではありません。くじけずに立ち上がって前を向いて歩いて行こうと思います。
2006.12.10
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昨日テレビの番組で、ある外国人が「いじめる子は放任又は虐待されて育った子、いじめられる子は過保護で育てられた子」と言っていたが、例外はあるかも知れないが、基本的にはそのパターンだと思った。他人の痛みが分る子だったらいじめなどしない。親や社会から愛情を注がれなかった子がいじめっ子になる確率が高いと思う。いじめは世界全国共通にあるが、その方法は国によって多少違うようだ。日本のいじめは陰湿と言われている。いじめっ子がそのまま大きくなったら社会に害を与える困った人間になりかねない。じめられっ子もいじめられたことをばねにして強い人間にならなければ、社会の落伍者になりかねない。外国では、いじめられたことを根に持って大きくなってから学校に銃を持って浸入する人間になることもあるという。いずれにしてもいじめっ子にもいじめられっ子にもならないように育ててもらいたいと思う。方や放任、方や過保護である。どちらも子供にとってはありがたくない育て方である。愛情を注ぎつつもその子の将来を考えて、人間として大切なことは何かを厳しく教え、毅然として育ててもらいたいと思う。それには親としての自覚の向上と親自身がさらに成長しようとする姿勢を持ち続けなくてはだめだと思う。
2006.11.28
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今朝日新聞朝刊に「いじめられている君へ」が連載されており、著名人が様々な角度から書いている。ある人は「死んでいじめた奴らを困らせてやろうと思っても彼らはちっとも困らない、返って馬鹿な奴が死んだと思うだけだ。死ぬな!逃げて逃げてにげまくれ。きっとどこかに安住の地があるはずだ」と書き、ある人は「自分の中だけにしまっておかないで、誰かに思い切り話して相談しなさい」と書き、今日はノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さんが、「これをやりたいと思うものを見つけなさい。それが見つけられれば他の子にいじめられても死のうとは思わないはずだ」と書いていた。大人は相当数読んでいるかもしれないが、いじめられている子の何人がこれを読んでいるか分らない。青少年の自殺が相次いでおり、いじめられて死ぬことだけは止めてくれとのメッセージが込められているのだと思うが、その効果のほどは分らない。 今連鎖反応的に自殺が相次いでおり、結局は追い詰められてどうすることも出来ない状態から死を選んでいるのだと思う。彼らが苦しんでいる実情をキャッチして周りから手が差し伸べられればよいが、それをキャッチするのは極めて困難なので、苦しんでいる彼らから相談できるシステムを社会の方で作ってやることが必要だと思う。今いくつかの悩み相談システム(電話やメール)が立ち上げられているが運用のしかたによっては効果が期待できる。 次にいじめる側だが、大勢で一人の子をいじめるのは卑怯で許し難く、彼らに懲罰を加えることも真剣に考えるべきだ。青少年の自殺予防は、社会に相談の窓口を作ることと、集団でいじめた場合には、いじめた彼らに懲罰を加える権利を教師に与えることを提案したい。
2006.11.19
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文化連情報11月号が去る8月22日に96歳でお亡くなりになられた若月先生の追悼特集を組んでいた。多くの人が若月先生の偉大さを書いていたが、佐久総合病院長の夏川周介氏は「大地を揺るがし天に昇る竜神」にたとえられていた。 私も学会や講演会などで何回かお会いした(遠くからだが)が、いつも低姿勢でにこにこしておられ、怒る事なんてないと思っていた。所が実際は職員には大変厳しく、夏川氏も何度も激しく叱責されたことがあるそうである。「激昂され烈火のごとく怒った」という表現が他の人の文章の中にもあり、表面上は優しそうだが内実はかなり激しい気性の持ち主だったことを知った。 怒るのは農民をないがしろにする姿勢、保健予防活動を軽視する姿勢に対してのことが多かったが、いかにそれを重視し、命を賭けていたかが垣間見れた。戦時中何度か検挙され、昭和19年には1年間目白所の留置場に入れられていたというから若い時からよほど根性の座った人だった思われる。 「温顔だが細い目の奥には人を射抜く鋭さがあった」と書いていた人がいたが、若月先生のことを思えば、「自分の目は細くてパッチリしてなくていやだ」などと言ってる場合ではないと思った。若月先生は確かに巨人だが、巨人たらしめたものは、農民に対する半端でない、天にも通ずる大慈愛心だったのではないかと思う。
2006.11.03
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茨城県の県立高校の58歳の校長先生が生徒に済まないという遺書を残して自殺したという。今年4月に校長になったばかりだというから、実質上はあまり関っていなかったと思われるが責任を感じていたのだと思う。その思いがいかばかりだったかは外部からは計り知れないが、つらいことは人生にはつきものだ。他人から意地悪されてつらいこともあれば、自分がミスしたり、悪気はないのに他人につらい思いをさせてしまったり、悲しいことや、どうしたらいいのか分からなくなってしまうことは必ずある。しかしそれに耐え、それを乗り越えて初めて一皮むけて成長できるのだと思う。同じ履修もれの学校の校長でも平然としている人もいるのに、この人は真面目で責任感の強い人だと評価する人もいるかも知れないが、真に責任感が強かったならどんなにつらくても生ききって事後処理に当たってもらいたかったと思う。中学生などがいじめにあったといっては簡単に自殺している。いじめられてつらいかもしれないが、いじめる奴なんか脳足りんでそんな奴なんか相手に出来ないという気持ちが湧いてきてそれを乗り越えることの重要性を先生に教えてもらいたいと思う。教える立場の校長先生が自殺したのでは、何があっても生き切り、本質を究め、責任をとることの大切さを教えて頂けなかったと思う。先生も生徒もどんなにつらいことがあっても歯を食いしばって生き抜いてもらいたい。そして死んだつもりで、世の中のために役立つことにどんなことでもいいから挑戦してもらいたいと思う。
2006.10.31
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今日の新聞に56才の主婦が群馬大学医学部に合格点以上とっているのに不合格になったのは年齢差別ではないかと訴えた裁判の地裁判決が出て、「差別があったとは明確に認められない」として棄却された。学科と面接の合計点が合格ラインより10点も上だったのに不合格なのは何故かと問い合わせたのに対し、年齢がネックになったのではとの担当者の言葉があったとのことだが今回の判決では差別はなかったとなった。 たしかにこの方が合格しても卒業時には60歳を超えており、若い生徒の方が将来性があると考えたのかもしれないが、受験の時に国籍、性別、年齢差別を唄っていたのならさておき、それがなかったのに合否判定で年齢を差別するのは明らかに違法である。今回の裁判長はあきらかな差別があったとは認め難いとして却下したが、その証拠は脆弱だ。客観的には差別は明確だと思われる。医学部を卒業しても誰もが臨床医になるとは限らない。保健所の医師や産業医、医学研究者など様々な道がある。それを年齢を理由に差別して道を閉ざすのは正当ではない。控訴すべきだと思う。
2006.10.28
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高校の必須科目不履修者には補習等をして単位を取らなければ卒業を認めないと言っていた文部科学省が、対象者があまりに多いのと政治的圧力に負けて前言をひるがえしてその救済策を検討することになったとのニュースを今ラジオで聞いた。生徒には罪はないので何とか救済してもらいたいと思うが問題は教師である。受験に便宜をはかったなどと言っているがとんでもないことである。内申書に履修していない科目を履修したかのように記載して虚偽の公文書を書いていたとは言語道断である。指導要綱そのものが詰め込み主義で、無理があったなどの言い分もあるかも知れないが、人間を作る教育の中枢で規則を守らずうその申告をしていた責任は極めて重い。無理があるならそれを申し立て、戦っていくべきである。それもしないでごまかしていた教師は、教師の資格があるのであろうか?教員免許剥奪にも相当する大罪だと思う。教師たるもの襟を正して人間教育に当たってもらいたいと切に願う。
2006.10.28
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ロシアの文豪ゴーリキー(1868-1936)は「仕事が楽しみならば人生は極楽だ、苦しみならばそれは地獄だ」と言ったが、仕事を単なる金儲けの手段と考え、楽しみは休日に味わうと割り切って考える人達が増えている今、その言葉をじっくり味わってみたいと思う。 ゴルフは様々な困難を乗り越えて各ホールを出来るだけ少ない打数で終了させるゲームだが、下手な人にはバンカー(砂場)等いろんな障害があるだけに結構楽しい。私の主な仕事は胃カメラ検査をすることだが、これも一例一例様々な困難があり、それを乗り越えて一例終了することがゴルフに似ていて楽しい。ゴルフ以上に困難があり、その分ゴルフ以上に楽しいかも知れない。 家庭の主婦の仕事は大変だと言われる。その仕事を月給に直せば20~30万位ではとても出来ない位大変だとも言われる。しかしこれも考え方だと思う。掃除や洗濯、食事の支度などを好きなスポーツなどになぞらえて工夫しながらやれば結構楽しく出来るものだと思う。 ゴーリキー氏は主に文筆を業としており、書くことが楽しければ人生は極楽だったに違いないが実際は苦しみの連続で、地獄と感じていたのでこのようなことを言ったのだと思うが、仕事に真剣に取り組めば苦しみは当然あるものだ。私はその苦しみの中に喜びを見出すのが人生の極意だと思っている。胃カメラだって毎日毎日同じことの繰り返しだと「泳げ鯛焼き君」の歌ではないが、いやになってしまうに違いない。仕事なんて殆ど同じことの繰り返しである。同じことをやりながらその中で工夫していく。そこに喜びがあるのだと思う。最近私はどんな仕事、どんなつらいことでもその中にゴルフが見えてきて楽しい。ゴルフなんて暇人がやるものと馬鹿にしていた時があったが、今では結構いいことを教えてくれるものだと思っている。
2006.10.24
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今朝7時15分頃、車を運転しながらラジオを聴いていましたら、面接試験の受け方という解説番組(NHK第2)がありました。メモをとった訳ではないので不確かな所もあるかも知れませんが、感銘を受けたので紹介します。これは入社試験における面接だと思いますが、入学試験にも共通することだと思います。 まず現在はその人の熱意、もしくはやる気を最も重視しているそうです。どうせ受からないと思うけど受けてみるでは何処も受からないそうです。会社の内容を調べ、自分は何をしてみたい、入社できたらこうするというビジョンをはっきり話すことが必要とのことです。次は学生時代に何を学び、何に打ち込んできたかが聞かれることが多いですが、此処では目的観と根性をテストします。例として、ホテルでのアルバイト経験のある女性が160人分位の料理を一人で運ぶことになり、途中で、疲れて階段にあっちこっちぶっつけてしまいました。それを上司にみられ誰かと交代するように言われました。交代要員を探しましたが他の人も別の仕事をしており、みつからなかったので、又その場に戻って今度はぶっつけないように気を配って全部一人でやり遂げました。その時、上司に「お前中々根性があるなあ」と言われたことがありますなど具体例を挙げて話すとよいそうです。マニュアル本の通りに答えるのではなく、自分のありのままの姿(等身大の自分と言っていました)を誠実に語ることが必要で、誰にもある挫折経験を具体例を挙げてどのように克服してきたか話すのが面接管の印象をよくするそうです。自己PRについては誰でも欠点と長所がありますが、欠点の方にかたより過ぎてはだめで、あらかじめ自分の長所を書き出しておいて、自信を持って自己PRすることが必要だと思います。面接の極意は熱意、誠実、そして進取の気持だと思いました。受験生の皆さん、がんばって下さい。
2006.10.22
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10月12-13日と名古屋で行われた日本農村医学会のシンポジウムで、医学部を卒業するまでに国立大学の場合一人1億3千万かかり、私立大学の場合は自分達が授業料とか施設費などとしてかなり払うがやはり国から上記の半分位は出してもらっているとのことだった。国立大の1億3千万というのは授業料を除いて国が払う金なのか授業料も含めた額なのか確かめられなかったが、いずれにしても1億円以上国が負担しているとのことである。これは工学部にしろ教育学部にしろ授業料だけで教育はまっとうできないので、国からかなりの補助金を頂いており、医学部ばかりが特別ではないがその額が高額のため注目される。私は北海道大出身だが、公衆衛生の安倍先生が「君達は自分の払う授業料で勉強させてもらっていると思っていたら大まちがいだ。何千万というお金を国から出してもらっているのだ。国民にご恩返しする気持ちを忘れてはいけない」といつも言っていた。上記学会で、今医師不足で、特に僻地病院の医師がいなくなってしまって、市長等がかけずり回っているが、医師の確保がむずかしいことに関連して、将来開業しようとする人は一定期間の僻地勤務を義務として、その証明がないと開業を許可しない制度をつくるように主張した人もいた。国からお金を出してもらって医師になった人達、自分の生活もあるかも知れないが、国民のために尽くしてもらいたいと願う。安倍先生はまた「北海道の大学を卒業した人は内地に行くと使いものにならない、馬の目を抜く大都会での競争に勝てない。特に東京、大阪の私立医大の卒業生のバイタリティは相当のものだ。積極性を出してがんばってもらいたい」とよく言っていた。そう言われてみると、ネパールの医者になったような変わり者はいるが、内地でがんばって有名になった人はあまりいない。有名になることが勝者とは言えないが、今は亡き安倍先生が言わんとした真意目指して内地でもがんばっていこうと思っている。
2006.10.20
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高校2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した。いたたまれない気持ちだ。普段は明るい子で、周りの人はあまり深刻に受け止めていなかったらしい。表面は明るくしていてもその心はずっと苦しんでいたのであろう。 1年生の時の担任がいじめを助長するような言動をしていたことが明るみに出て、問題となっている。「からかいやすい子だったのでからかった」と言っているが、教師とは生徒一人一人の成長を考えて指導するもので、ふざけたり、からかったりして、生徒の自尊心を傷つけたり、他の生徒にいじめの言質を与えるようなことがあってはならない。自殺の原因について本人の性格、家庭環境、いじめの内容などこと細かに調べて真の原因を追求して再発防止につとめるべきである。 日本中の教師、父兄、そして生徒自身が強い心をもって、自らを反省していじめ環境を改善し、二度と自殺などがおきないようにしてもらいたいと願う。
2006.10.16
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昨日もNHKで医師不足の特集を組んでいたが、今日もNHKで日本の医療の特集を組み、ゴールデンタイムの7時半から10時半まで討論とレポートの超大型番組を放送している。これほど大きく取り上げられる最大要因は医師不足である。昨日の日本農村医学会のシンポジウムで、島根大学医学部付属病院病院長の小林祥泰氏は医師不足で割り当てられた地域推薦枠を生かして優秀な人材を確保した体験を報告した。僻地出身者で、高校の成績は平均3.9以上あればよいとのことなので、まずまずの成績なら受験資格OKである。僻地診療所で体験学習して、評価を受け、市町村長などの面接を受けた上で、大学で面接と小論文の試験をして合否を決めるのである。今年の入試では最後に8人残り、自分としては全員合格させたかったが最終的に6人合格した。医学部面接試験の受け方という参考書もあり、型にはまった回答が多いものだが、今年の受験生は地域を巡回して啓蒙しながら医師になりたい生徒を集めてきたこともあり、どんな質問をしてもメッキがはげることなく、本物の生徒達ばかりで将来が楽しみと述べていた。学力テストで受かった学生ではないので、途中で学力不足で脱落する学生がでるかもしれないが、いい試みだと思う。島根以外でも同じような試みをしているところもあるかもしれないが、この試みが成功したなら、全国の医学部入試はかなり変っていくと思う。もし青少年諸君で医師になりたいと思いながら、学力がないからと諦めていた人がいたら、このように入試も変りつつあるので、諦めないで挑戦してもらいたい。なおお金がないからと諦めていた人にも十分な奨学金がでるのでその心配もない。要は人間性とやる気である。
2006.10.14
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今日の午後は休みだったので、「英語耳」と相田みつをの「新版にんげんだもの」を読みました。私は中学から大学まで、浪人時代まで含めると10年以上英語を勉強してきましたが、会話や聞き取りがあまりできないので、49歳の時に英語にチャレンジすることにしました。家内からは年取ってからは無理ですよと言われながら早朝のテレビ英会話は毎日、日本語の入っていない洋画のビデオカセット10本以上、通信教育、TIME紙購読などありとあらゆる努力を続けて、あれから15年経ちましたが未だにあまり聞き取れない状況でした。「英語耳」を読んだら外国語の発音が頭の中にないと聞き取れないと書いてありました。発音練習を殆どしたことがなかったので、そうだったのかと思って少し発音練習してから英語放送を聞いてみたらかなり聞き取れたような気がしました。急がば回れで、初心に帰って発音練習からしていこうと思いました。相田みつをさんは、自分のことを「気の小さい、ちからの弱い、だらしのない、このわたし」と表現(詩三人分の中で)していますが、まさにこれは私にもあてはまることだと思いました。様々なことに挑戦してきましたが、気が弱く、つい怠けてしまい、才能のなさをカバーすることができないでもがいています。相田さんは67歳で亡くなりましたが、人の心を動かす見事な詩や書を残しました。同じように気が小さくてだらしのない私は何が残せるのかなとふと思いました。
2006.09.30
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日の丸・君が代の強制は違憲との判決が東京地裁であった。教育基本法10条1項:教育に不当な支配をしてはならないに違反し、憲法19条の思想・良心の自由にも違反するとして違憲の判決が出た。東京都は公訴するとしており、まだ高裁、最高裁とあり、最終判決ではないので従来通り、教育委員会を通じて管理していくとしているが、地裁で出た判決を全く無視することは許されまい。このまま争いを続けていて、最高裁までいって、やはり違憲となったら、日の丸・君が代に対する認識が今以上に下がってしまうと思う。日の丸・君が代が国会で制定された時に、時の官房長官が「これは強制されるものではない」と明確に述べており、それは明白な事だと思う。しかし都の教員の中には日の丸・君が代を否定してそれを生徒や同僚に強制した者もあったという。これも明らかな違憲で、国の象徴である日の丸・君が代を尊重したり、否定したりするのはの国民一人一人の自発的思いによるものでなければならない。処罰した都も悪いが処罰されるような行動をとった者も咎められなければならない。思想・良心の自由は守られなければならないが、それによって反国家的行動を起こしてよいとはならない。心で思うことは自由だが、日本国民としては、国旗・国歌を尊重していくことは当たり前のことである。本件は裁判で争う問題ではなく、日本国民として、いかに対応するかの問題であり、これ以上対立を大きくしたり混乱をまねいてはならないと思う。都は控訴しないで、今後強制はしませんとはっきり言うのが賢明だと思う。その代わり国旗・国歌に反対の態度を示すものには厳重注意する権利があり、それは強制ではなく不当な支配でもなく、違憲でもない。国の象徴を大切にするのは当たり前で、それをないがしろにしようと思う人達も心の中では何を思ってもいいが、それに反対の態度や行動を示すことは許されないことだと思う。
2006.09.24
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今私達の施設には医師免許を得て2年目の研修医が6週間交代で、2人乃至3人づつきている。今度の研修医は真面目だとか、今度のはだめだとかステレオタイプで見がちだが、実際一人一人全て違う。ここで6週間研修して来年からはそれぞれの専門科医局に入局していく。昨年私達のところで研修した研修医が、本年産婦人科に入局して、この7月から週一回婦人科健診の担当医として当センターに派遣されてきた。最初来た日に私を必死で探してくれたと聞いて嬉しかった。立派になった姿を見てもらいたかったのだろう。消化器内視鏡(胃カメラ)等も研修してもらっているが、一人一人全く違う。かなり上手に出来る人もいれば汗びっしょりで奮闘するが、とてもとてもという人もいる。一人一人皆違うので当たり前のことだが、出来る人だけを重視することはない。将来胃カメラを専門にする科に進む人もいるが、多くは様々な科に入局する。将来一人前の医者になるための大切な期間、手抜きは出来ない。特に胃カメラは受診者の苦痛、病変の見落としなど大変なリスクのある検査である。これには技術だけでなく、受診者に対する態度など人間性が大きく関わってくる。それらが教えられたらと思っている。研修医の指導は心身が大変疲れる。しかし将来の赤ひげを育てていると思うとすごく楽しい。世の中には楽なことで楽しくないことと、心身が磨り減るくらい苦しいことだが楽しいことがある。研修医の指導は後者である。一人でも多くの優秀な医者を世に送り出すべく明日からもがんばっていこうと思う。
2006.07.27
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私は二十年来胃カメラ検査に携わってきた。胃カメラは手で行うものと思っていたがゴルフで優勝して以来、何事も手先、口先だけでやってはだめで、体全体でやればいい結果が出ると思い、最近は体全体を使って胃カメラするように心がけている。朝起きた時何も運動しないのに体全体が痛いのはそのせいではないかと思っている。今日は午前中胃カメラ、午後大腸カメラを行ったが全身を使って検査したら、今までとは一味も二味も違った良い検査が出来た。口先ではだめだ、手先だけではだめだとよく言われるが本当にそうだと思った。何かをする時には体全体でやること、しゃべる時には体全体でしゃべることの重要性が実感できた。明日の結婚式で主賓として挨拶するよう頼まれている。口先だけでなく体全体でしゃべってこようと思っている。
2006.06.09
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本日は午前中の内視鏡検査が12時40分くらいまでかかってしまったので、1時10分から4時10分までの看護学校講義に間に合わせるために、昼食抜きで行ってきました。「お腹が空かなかったか」とある人に聞かれましたが、私の場合人から不思議がられる位、食べなくて調子悪いことはなく、返って食べた後眠くなって調子が悪くなることがあります。昨夜は講義の準備で12時頃まで勉強しました。昨日若旦那さんから書き込みを頂き、忙しいというが、業務と個人的な趣味などで忙しいことを一緒にしないで明確にしなさいなどの助言を頂きました。この講義はどちらに入るのか考えてみましたが、私の場合全てがつながっており、区分できない所もあると思いました。私が忙しいのは、年のせいもあるかもしれませんが、何時死ぬか分らない事実が実感としてあるからです。だからそれまでに目標を少しでも達成したいと思ってあれこれ努力しているからだと思います。ホリエモンさんは「生き急いだ」と言ったそうですが、私は死に急いでいるのかも知れません。「人生は目標達成だけでなくゆとりを持ってエンジョイしながら生きることだ」とおっしゃる方もいます。私の場合「この世に生を受け、大地に帰っていくまでに、責任を果して帰りたい」という気持ちが強くあります。才能がなく、老化がどんどん進んでいる人がたわけたことをとお思いの方もいると思いますが、出来るだけ挑戦して帰りたいと思っています。
2006.06.02
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毎週月曜日夜7時から8時半まで市内の英会話教室に通っている。今帰ってきたところだ。日本人と結婚して日本に住んでいるアイルランド人に教わっている。毎週テキストに入る前にWhat did youdo week end?(週末には何をしましたか?)と皆に聞いてくれる。将来映画制作を希望している大学生は日曜日に3本の映画をみてその感想をまとめていたと言い、奥さんの実家が牧丘町にある男性は牧丘町に行って、実家の車の冬タイヤを夏タイヤに替えてきたと言い、二人の女性は母の日に自分の母親と旦那の母親に花とプレゼントを贈ったと話した。私は昨日ホリデーというスポーツクラブに行って簡単エアロビクスと青竹踏みをやってきたと話したら勇気がある(you are brave)と褒められた。彼、彼女らは潜在的にそういうところにいってみたい気持ちがあるが、時間がなかったり、勇気がなかったりして行けないのだということが分った。いずれにしてもこの「週末は何しましたか?」を皆が勝手に色々話すのが楽しい。その後教科書に入ってしまうとちっとも楽しくないので、ずっとそのまま続けて欲しいと思うがそうもいかないらしい。この教室は英語の勉強ということになっているが、学生、建築家、主婦、婦人警官、医師、県庁職員など様々な職業、年齢の人達が集まっており、勉強より様々な立場の人との交流の方が楽しい。そのためかあまり英語上達していないがそれでもいいと思っている。
2006.05.15
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セラミックスを作っている京セラと言う会社の設立者 稲盛和夫氏の書かれた「生き方」を昼ごろから読み始め、面白かったので246頁の本でしたが夕方には読み終えました。氏は仕事の成果は考え方、情熱、能力の積であると述べています。私はいつも自分の能力の低さを嘆いてきましたが、能力がなくても情熱や考え方の点数が高ければ成功することが出来ることを実感しました。また「夢を描けない人には創造や成功がもたらされることはなく、人間的成長もない。夢を描き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていくことを通じて人格は磨かれていく」「今日一日を懸命に、真剣に生きることによっておのずと明日も見えてくる」と書いてありました。いたずらに馬齢を重ね、かなり老齢になってしまいましたが、これからも夢を描き、一日一日を懸命に生きていこうと思いました。今日は良書に巡り合えて幸せでした。
2006.05.04
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中教審外国語専門部会の最終提言を受け、文科省は2006度にも小学校の学習指導要領に英語必須化を盛り込むことになったとのことである。昨日の朝日新聞でその是非について論争していた。部会委員長の先生は勿論国際化の中で、使える英語を身につけるためには小学校から教えるべきだと言い、対するTV英会話教室の講師などでお馴染みの鳥飼先生はグローバル社会だからこそ国語をみっちり教えるべきだとの反対意見を述べておられた。私は中学から英語を習い始め、現在でもTV英会話を欠かさず視聴しており、週に一回英会話教室に通っている。かれこれ51年間学んでいるがものになっていない。もっと早くから学べば身についていたかも知れないと思ったこともあるが、分別心のない幼時や小学校時代に他国語を無理やり教え込まれて日本人だか何人だか分らなくなっていたなら困ると思った。TVやラジオや民間で英語を教え、学ぶのは良いが、国民全体が一律に他国語を小学校から学ぶのは日本人魂を希薄にしかねないという懸念がある。決まったことなので、これから全国の小学校で英語教育がはじまるが、問題は日本人としての自覚と誇りである。分別がついてからの外国語の勉強は、日本人としての自覚をがっちり持った上での学習であったが、それ以前ではよほど日本語をしっかり教え、外国語との違いの中で日本語をみなおし、日本語を磨き、日本人としての誇りを持つように教育していくことが必要だと思う。なお現在のTVやラジオの語学番組は早朝とか深夜が多く、少年達が学習しにくい時間帯である。少年達に人気がある「クレヨンしんちゃん」等と同じ時間帯に放映してもらいたいと切に望む。
2006.04.25
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本日は新年度スタートということで、全国で、入学式、入社式が行われたと思う。私の職場も18人の新入職員が入ってきた。ほぼ男女同数の職員数の職場だが、ここ数年女性の新入職員が多く、今年は全員女性であった。各人が新入職員としての抱負を話したが、他の職場で数年経験してきた人もおれば、学校卒業直後の人もいた。それぞれしっかりした口調で挨拶し、頼もしいと思った。同時に昇任昇格や配置換えも発表されたが、最後に私は、「受診者に直接接する仕事の人も、事務の仕事の人も、受診者や地域住民の健康を守ることが私達の仕事であるということを片時も忘れないで貰いたい」と挨拶した。新入生はフレッシュな気持ちで情熱をたぎらせて入ってくるが、時の経過につれてその情熱が失われ、何をしたらいのか分らなくなってしまう人も多い。何処の会社に入った人でも「人の為に尽くす」これを根幹にしていれば迷子になることはない。入学式も同じだ。何のために入学したのか?遊んだり、アルバイトしたり、ライセンスをとるために入学したのではない。「人の為に尽くせる人材になること」そのために入学したのである。迷子になったらここに戻ってきてもらいたい。必ず方向が見えてくるものである。
2006.04.03
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今日医学部4年生の学生に講義をしてきました。特別講義で年に一回やりますが、もう20年やってきました。準備にはかなりの時間をかけてスライドなどを作ります。しかし講堂に行ってみると出席をとるのですが、学生は半分位しか出席しておらず、出席している学生もいねむりや内職(別の科目の試験勉強)でがっくりしっぱなしでした。「お前の講義が面白くないから居眠りなどするのだ」とお思いの方もいるかもしれませんが、他の先生の時も同じようです。自分も学生時代は同じようでしたので文句は言えないかも知れません。でも年に一回なので、少しでもよく聴いてもらおうと毎年色々工夫します。今年は家内に絵手紙を書いてもらいそれをスライドにして講義の冒頭に出しました。学生は不意をつかれた感じで、しばらくは集中してくれましたので成功だったと思います。家内にお礼を言いました。90分の講義ですので講義する方は準備してきて張り切っていても、聞く方は退屈するのだろうなと思いながらも、毎年何らか目を覚まさせることを考えてきたことがいい思い出になっています。
2006.01.10
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