つきあたりの陳列室

つきあたりの陳列室

2009.11.11
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カテゴリ: Other topics



このあたりまで読むと,第二帖で語られた「雨夜の品定め」の内容や,第三帖での空蝉とのやりとりが伏線として効いてきます.こうなってくると,四苦八苦して読んできた甲斐があるし,もっと読むぞという気分も高まるというものです.

また,光源氏が葛藤や逡巡を見せる場面は近代小説みたいで,古典を読むときに感じる独特の違和感や抵抗感も薄らいできました.




しかしこの古い文章を四苦八苦してでも読みたがるモチベーションは何だろうと改めて考えてみると,それは,古今東西の源氏物語ファンたちが味わった世界を追体験してみたいということです.とくに 「源氏物語の時代」 という本を読んでからというもの,そこに書かれた人物たちにえらく感情移入してしまったのです.

この本を読むとまず,誰でも一条天皇と,その后の定子に肩入れしてしまうのではないかと思います.それに対して,成り上がり的に権力を伸ばしてきた藤原道長の娘である彰子には,最初あまり魅力を感じません.

彰子はまさに箱入り娘で,上品だけれど個性というものが見えない娘でしたが,その彼女が,父も困惑するほどの異常な執着を見せたものこそ,源氏物語だったそうです.

幼く無個性だった后が,源氏物語の何によって触発されたのでしょうか.そもそも彼女たちが生きていた時代の宮廷とはどんな場所で,宮廷に生きた女性たちとはどのような存在であり,その背後にはどのような歴史が横たわっていたのでしょう.そんなことが気になりはじめたのです.




源氏物語には,漢詩や仏教や物語や和歌や日記文学のエッセンスが注ぎ込まれていますが,彼女は単純なあざといパロディというものを徹底して嫌ったようです.深読みしようとする読者たちの期待をことごとくかわしながら,一方で彼らの意表をつき,度肝を抜き,魅了していったらしいのです.

また後世には,新古今和歌集や百人一首で,また能や歌舞伎や落語の中でも,源氏物語は形を変えつつ歌われ演じられています.そうして何度も書き足され消費されたりしながらも,滅びること無く命脈をたもちました.

その末端のさらに末端に,漫画をはじめとしたサブカルチャーがぶら下がり,その漫画にぶらさがっているのが私であり,その私がようやく,自分のぶら下がる小枝の根元方面に,目を向け始めたというわけです.

漫画 「ちはやふる」 で百人一首のいくつかを思い出しました.「花よりも花の如く」で能を知りました.そして「源氏物語の時代」などを読んで,ようやく日本史や国語の授業で習ったことと,今この時代の自分とが地続きであることをかすかに実感しました.




けっきょく,古典の楽しみとは,連想ゲームの幅がひろがるということなのかもしれません.いろんな人たちが楽しんだ物語とは,将来自分が楽しみにありつける可能性を多く含んでいるということでしょう.

時代が違うから感覚も違うし,読むだけでも大変だけど,だからこそ,今まで解り得なかったものを解ったときの感覚は強烈です.「これが定家の感激したアレか!!ちょっと解った(気がする)(かも)!!」みたいな.

聖書の民もすごいけど,私らにも戻るべき古代の書はあるのです.ちょっと頑張れば,千年前のエロスも鬱展開も,いちおう読んで楽しめるのだ.逆の意味でSFだ.ぼくたちは未来から,彼や彼女を覗いている.源氏や惟光が,垣根の隙間から夕顔の衣や髪をちらりと見たみたいに.








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Last updated  2009.11.12 00:16:38
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inalennon @ Re[1]:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子(09/19) フィンちさん >この世は なんてままなら…
フィンち@ Re:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子 「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,…
inalennon @ Re:4年はあっという間(03/04) ハオさん >バーチュー&モイヤー組見…
ハオ@ 4年はあっという間 バーチュー&モイヤー組見ました。 優雅…

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