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前の日記からの続き。そのまま、空港から懇親会という名の送別会へ殴り込み。ここは普通に飲んで喰っての飲み屋なので、割愛。(ま、ここは、値段の割には美味しくて、良いところではありますが)そのまま、泉南ではいつものワインバー・和へ、ワイン好きの上司と、この職を離れ、次のステップへ進む後輩などを連れて。↓過去のバー・和の履歴はこちら。2005/08/26の日記2005/10/21の日記2005/10/23の日記2005/12/04の日記 ・・・等々。【飲んだの】 ・・・気の合う仲間とゆっくり飲めれば、もう語る語る。(^_^;・今回のグラスワイン特集はフランスへ。ブルゴーニュ・ルージュ(失念)をもらう。 ・・・大変華やかな印象で、500円ほどで気持ちよく飲めた。華やかな田舎の長閑な花畑という感じ。・ペリッセロ・バルバレスコ・ヌビオーラ [2002]Pelissero Barbaresco Nubiola [2002] ペリッセロ社はピエモンテ州のバルバレスコ生産地区の中心に畑を持つ家族経営のワイナリーです。 この土地で葡萄栽培を始めた現オーナー、ジュルジュ・ペリッセロ氏の祖父は、栽培した葡萄をほとんど大きな醸造元へ売っていました。時代の移り変わりと共に少しずつ自らの手で醸造を始め、1960年始めてペリッセロの名でボトリングし、現在では全ての葡萄を自社セラーでボトリングまで行っています。 クーネオ県トレイゾに所有する20ヘクタールの自社畑ではバルベラとドルチェット、そしてバルバレスコに使用するネッビオーロを中心に、いくつかのピエモンテの土着品種を栽培しています。<インポーター資料より抜粋> ・・・値段は4,000円ちょっと。今日すぐに飲むんだったらと、店主のお薦め。オススメしてくれただけあって、安心して飲める。ばるばれ~すこ、って感じ(?)で大変美味しく飲める。コーヒーとカシス・ベリーの熟成された陽射しサンサンの明るい飲み口。気に入ったので、また今度買うことにする。 寮に帰宅して、若手君には華やかな花束の様なつもりで、ストックしていたコイツを振る舞う。・ニュートン ピノノワール ナチュラリー ファーメンテッド スペシャルキュヴェ 2000■【日本初上陸!】日本限定たったの【100本】そして今後輸入されるかは全くの【不明!】小売店では当店ヤナギヤだけでしか手に入らないという≪激レア・コレクターズピノ≫ ・・・\(^o^♪エイッ!!と開けてしまいました。もったいないかもとも思いましたが、2000年だし、良いときに開けておかないとね。で、最初は堅かったのですが、抜栓1時間ほどして、素晴らしい香りと味わいに。もう1,2年は楽しめたかもという、アルコール臭のきつさはありましたが、暗いルビー色の液体の底には、おいしさが沈んでいました。 バラの香りに、プラムやベリー系の味わいとほどよいタンニンがありましたが、やはりピノ。大変華やかなものでした。・・・これがもう飲めないなんて、飲み終わった後にやっぱりもったいなさが残ってしまった。 でも、若手君には良い餞の花束替わりのピノとなりました。 今日も酩酊。
2006年02月28日
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もう、帰国。こんなに短時間で行ったり来たりできるとなると、国内出張と変わらない。本当に中華人民共和国はお隣、大変近い。新幹線で東京-大阪を往復している間に、中国で仕事ができます。恒例の写真も。(*^。^*)【前菜】たらば蟹錦紙巻き、帆立貝粕漬け、鮭真丈【お凌ぎ】四季の麺【主菜】ふぐ唐揚げ銀餡掛け、白身魚西京焼き、俵御飯【香の物】【和菓子】鶯 さて、もう2月も終わり。今年もあっという間に2ヶ月が経つ。会社勤めとしては、そろそろ年度末の追い込み。いろいろと忙しくなりそう・・・。 そして、帰国早々、送別やら、いろいろと。そのまま、飲み屋へ直行する。この続きは後ほど。
2006年02月28日
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今日は朝も早くから、中国へ出張。大阪は大陸から流れてくる寒気団のお陰で、底冷えして寒い。・・・ということは、中国も寒いのか・・・。仕事での往復なので、当然楽しみは仕事の合間の食べること。今日の機内食は、と。(^^ゞ【前菜】海老芝煮、ふぐ西京焼き、白子豆腐【お凌ぎ】四季の麺【主菜】ぶり照り焼き、牛フィレ肉治部煮、俵御飯【香の物】【和菓子】椿そして、機内での暇つぶしのお供は、こちら。 新編・男の作法/池波正太郎 ま、いつも会社の書類ばかりでなく、たまにはね。 仕事先では、そろそろ春に向けた海外異動組の動向とか、いろいろと話をしてくる。そろそろ、日本国内も異動が気になってくる頃。それでいて、海外の事業所なんてものがあると、もっと早めに動くことになる。今度は、東京の時の上司などが異動してくるので、たまの出張の時なんて、ものすごく仕事がしやすくなりそうとわかり、安心したりして。(^_^; 中国語教育なんて、会社も支援してくれて、勉強できるが、まだまだできる人なんてごくわずか。やはり、そんな人が中国へ行くことに。しかし、文化や労働やサービスに対しての違いがあるので、苦労がまだまだ多いとのこと。初めて住むとなると、なおさらだろうなぁ。
2006年02月27日
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昨晩は更新後、先輩との飲みでナンバまで出る。いつの間にか、真夜中なので、あわてて帰宅。(^_^;明日というか、今日は朝から出張なので、更新のない間の暇つぶしにマンガを紹介します。 神戸在住(8) ココでも何度か紹介していますが、気持ちの良いマンガです。作者の人柄が出るというか、かなり経験や身の回りのことが出ているんだろうな、という感じのまるでブログのようなマンガです。 感受性豊かで、とても優しい人が書いている、そんな感じで、トーンとか使わないので、機械的でなく、とてもホッとします。デッサン力もあるので、街並みとかが風景画のようで、しっかりと、緻密に描かれています。 このマンガで、扁炉(ぴぇんろー)鍋も知ったし、いろいろな情報も得ているかも。 今回は、主人公も大学4回生。そろそろ物語も終わりに近づいているような気がします。関西の良い雰囲気というか、憧れていた神戸の街並み。(いざ引っ越すと、なかなか行けませんが) 美術、文学、街並み、グルメ、いろいろな要素があり、きっと、神戸に行ってみたいと思うこと間違いなし。神戸に限らず、東は東京から、西は明石まで、関西近辺も大体押さえてあります。学生時代のほろ苦い恋愛とか、友情の話とかも、共感できます。 今回はこれを読んでいて、明石の鮨も食べに行きたいなぁ、と。その中で、紹介されているのは、「明石は日本一、魚がうまいということになっている。」/司馬遼太郎(街道を行く)という一文。どこでも、おらが街の魚が「一番うまいことになっている」のだろうが、こういう感じで全シリーズ、なにげなく歴史と文学と生活がリンクしている、マンガ版の池波正太郎という感じの作品といえるかも。 こういう風情のあるマンガもたまにはいかがですか?
2006年02月27日
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何気なく、テレビを見ていたら、なんか見たことある人が歌っている。 ・・・あ、木村カエラだけど・・・、さ、サディスティック・ミカ・バント!?オリジナルメンバーだし。なんか、嬉しいかも。CD出たら、買うなぁ。 加藤和彦、高橋幸弘、高中正義、小原礼と当時のメンバー。年は取ったけど、こういうサウンドが作れるって事は良いことだよね。しかも、木村カエラのボーカルって、合っているし。 夏のドライブに掛けてみたい曲、「タイムマシンにお願い」。なんか、パフィが歌って良いかも。(^_^; しかし、このセットは横浜スタヂアム近くなのかね。見覚えのある照明灯が後ろに見える。 また別のバージョンは、寺尾聰/ルビーの指輪だし、懐かしい。こちらのメンバーもスゴイよ。 詳細はキリンラガーのHPにて。 寺尾聰と言えば、SHADOW CITY、出航 -SASURAI-、Long distance callも良かったなぁ。
2006年02月26日
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今度はたまたま、空に引き続き、地上の鉄道の話があったので。東京駅から姿消す湘南色 東海道線、半世紀の歴史 (共同通信) オレンジと緑のツートンカラーが特徴の「113系」電車が今春、発祥の地である東京駅から姿を消す。国鉄時代の1950年に車体塗装の先駆けとして東海道線に登場して以来、半世紀以上にわたり沿線風景に溶け込んだ「湘南カラー」は3月半ば以降、すべてステンレス製車両に代わる。 この塗り分けは、中長距離では初の電車として東京-沼津間で運行を始めた「80系」電車で採用されたのが始まり。地味な茶色が当たり前だった当時、目にも鮮やかな配色は国民の戦後復興に向けた期待にもつながり、話題を呼んだ。 色の由来についてJR関係者は「警戒色のオレンジとその補色の緑と聞いている」と話すが、ファンの間では車窓の風景から「ミカンと葉の色」と言われてきた。 この色の電車あってこその東海道だったような。無くなると寂しいこと、この上ない。学生時代は金もないから、鈍行各駅停車でひたすら東海道やら、東北本線、宇都宮線をこの電車で乗っていったような。毎日これで通勤している人もいるわけですが、私にとっては、青春の一ページを飾る電車ですね。カシオペア・向谷さん制作、列車運転ソフトを東急が採用 朝日新聞・2006年02月22日 運転士養成用の列車模擬運転ソフトを操作するカシオペアの向谷実さん 日本を代表するフュージョンバンド「カシオペア」のキーボード奏者向谷(むかいや)実さん(49)は、音楽活動の傍ら、列車を模擬運転する家庭用ゲームソフトの制作会社を経営してきた。その技術の高さは鉄道会社も認めるほど。東京急行電鉄(本社・東京都渋谷区)が教習所で運転士を養成する模擬運転ソフトの注文を受け、このほど納品を済ませた。 向谷さんの会社の作品 「電車でGo!」は有名だが、趣味の世界が高じて、自分でココまでの作品が作られるように。記事は続く。 中学時代からSLの「追っかけ」をしていたという向谷さんは77年にカシオペアを結成、79年にデビュー。発表したアルバムは約40枚に及ぶ。 家庭用模擬運転ソフトの第1作は95年の「中央線201系」。シンセサイザーで様々な音色を作り、そのデータの整理や編集にパソコンを使っているとき、ふと運転台の風景が頭に浮かんだ。「音楽も映像も同じデータ。模擬運転ソフトは、作曲の延長という感じだった」と振り返る。 企画やシナリオなど骨格部分を向谷さんが考え、自らが設立した会社「音楽館」のスタッフがプログラムなどを担当。以来、東海道線、阪神電気鉄道など、計28タイトルを制作した。「本物らしさ」にこだわり、実際に運行している列車にカメラを据え付けて撮影。車輪とレールの摩擦音や、速度で変化するモーター音も録音し、再現した。 東急に納めたのは、田園都市線(渋谷~中央林間)の模擬運転ソフト。東急では、関連会社が20年以上前に制作したソフトを更新するにあたり、リアルな実写版を求める声が強く出た。路線の風景や線路状況などを覚えるためだ。だが、関連会社が現在得意とするのはコンピューター・グラフィックス(CG)版で、実写版だとコストがかかる。「ではゲームソフトのあの会社に頼んだら」という案が、職員の間で浮かんだ。 向谷さんは、プロ向けだけにハイビジョンで撮影、実写にCGも合成し、雨や霧など天候の変化も経験できるようにした。「列車の運転は、ピタリと停止位置に止める職人芸の世界。そんな人たちの訓練をサポートできるなんて、こんな名誉はない」と話す。 ゲームアナリストの平林久和さんは「音楽館はゲーム性より運転感覚の再現を狙ったソフトを作ってきており、技術水準は高い。列車の模擬運転ソフトでゲーム会社がプロ用を制作するのは、おそらく日本で初めてだろう」と話している。 こだわりにこだわり抜いて、飛行機のシュミレーションもそうだが、最近のこだわりの一品がプロの仕事を奪い取ってしまう、一例。 しかし、この人、趣味が仕事になるなんて楽しいんでしょうね。テレ朝系の「タモリ倶楽部」でも、鉄道系のネタになると必ず出てくるこの人、結構知られています。何処かの特集でも、テレビでキーボードを社内に持ち込んで、その実体験、路線の雰囲気に合わせてその場で作曲をし、そのゲームソフトのバックグランド・ミュージックに取り込む、なんてこともやっていましたね。 しばらくしたら、この人の作曲のホーム発信音なんて、出てくるのではないだろうか・・・。
2006年02月26日
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今日の大阪は雨。せっかくの休み、最近はハズレが多いなぁ。(T_T)朝起きたら、なんとも、またか、と言うニュースが。鹿児島空港でこんな事があった。【追加】一番下には新しいA380という機体のニュースも。こんなんでいいのか!?「携帯命」の不届き乗客、JAL機の出発1時間遅らす (読売新聞) 鹿児島空港で24日、羽田行きの日本航空1864便(エアバス300―600型機、乗客・乗員274人)に乗った30歳代の男性が携帯電話を使い続けたため、客室乗務員が何度も注意したところ、トラブルとなり、出発が約1時間遅れた。 同社によると、男性客は、同機が滑走路へ向けて動き出した後も、女性乗務員の注意を聞かず、座席で携帯電話の電子メールを打ち続けた。繰り返しの注意で、やっと携帯電話の電源は切ったが、給湯室まで乗務員を追ってきて胸ぐらをつかみ、「もう出てくるな。顔も見たくない」と言ってつばを吐きかけたという。 このため、機長判断で同機はいったん搭乗口に引き返した。 乗務員が男性客を機内から連れ出し、再度注意したところ、男性客が「もうしない」と約束したため、男性客を再び搭乗させ、約1時間遅れの午前11時41分に出発した。 ・・・相変わらずな餓鬼がいますね。しかも、同い年っぽい、いい年をした大人のようにも見えるが気のせい!? →skyflyerさんの日記へ 私は、注意しますよ。だって、あなた一人のために一緒に心中したくないもの。(^_^; 何が起きるかわからないですから。 携帯を折りたたんだだけで、電源を切ったと思いこんでいる、そこのあなた!! 何か勘違いしていませんか!? それは折りたたんだだけ。電源がONのままなら、常に電波は自分のいる場所を発信し続けていますから、高周波を機内から発信し続けていますよ。携帯を契約したばかりの10年前は、そんなことも言われなかったので、飛行中の機内から携帯電話を掛けたり、掛かってきたりしていたけどね。・・・相変わらず、携帯電話業界のアナウンスも弱いし、ねぇ。私は製造者、業界の義務を果たし切れていないように見えるのですが。 さて、その法的根拠はこちら。↓参考・国土交通省・航空機内における安全阻害行為等(機内迷惑行為)の防止のための改正航空法の施行について2.改正航空法の概要 安全阻害行為等の禁止規定を創設するとともに、便所における喫煙など国土交通省令で定める安全阻害行為をした者に対し、機長が当該行為を反復・継続してはならない旨の命令(以下「禁止命令」という。)をすることができることとし、命令に違反した者には50万円以下の罰金が科されます。 3.禁止命令の対象となる行為 禁止命令の対象となる行為として、国土交通省令には以下の行為が定められております。(中略)(2) 便所において喫煙する行為(3) 航空機に乗り組んでその職務を行う者の職務の執行を妨げる行為であって、当該航空機の安全の保持、当該航空機内にあるその者以外の者若しくは財産の保護又は当該航空機内の秩序若しくは規律の維持に支障を及ぼすおそれのあるもの(4) 航空機の運航の安全に支障を及ぼすおそれがある携帯電話その他の電子機器であって国土交通大臣が告示で定めるものを正当な理由なく作動させる行為→告示の内容は以下のとおり 常時作動させてはならない電子機器●次に掲げる物件であって、作動時に電波を発射する状態にあるもの 携帯電話、PHS、トランシーバー、無線操縦玩具、ヘッドホン、イヤホン、マイク、※パーソナルコンピュータ及び※携帯情報端末 ●離着陸時のみ作動させてはならない電子機器 常時作動させてはならない電子機器であって作動時に電波を発射しない状態にあるもの、テレビ受像機、ラジオ、ポケットベル、ビデオカメラ、ビデオプレーヤー、DVDプレーヤー、デジタルカメラ、カセットプレーヤー、デジタルオーディオ機器、ワードプロセッサー、電子手帳、電子辞書、電卓、電子ゲーム機、プリンター及び電気かみそり ・・・という風に、車の運転による飲酒運転や事故の判例から考えると、50万円以下の罰金というラインから、訴えられたり、逮捕されると、確実に50万円は国から罰金を取られるものと思います。今回はそういう訴えをしていないように思われますが。 興味のある方は、以下のコラムもお読みください。空の“珍事件” マナー違反は“騒動”の火種 All About Japanより、「世界のエアライン」 ガイド:秋本 俊二 2001年04月04日 アメリカ・デトロイト郊外の空港では昨年、ハイジャック騒ぎで警官隊が機体を取り囲む事件もありました。 発端は、乗客の一人が飛行機に乗り込んだ際のパイロットへのあいさつ。たまたまパイロットが顔見知りで、「ハーイ、ジャック」と声をかけたところ、ちょうど管制塔と交信していたパイロットが直後に無線スイッチを切ったため、管制官はハイジャック事件発生の通報だと早とちりしたらしい。慌てた管制官は地元警察に連絡。ただちにテロリスト対策の特別機動隊や連邦捜査局(FBI)が空港に駆けつけ、配置につきました。 狙撃隊が遠巻きに銃を構えるなか、パイロットは「何も異変は起きていない」と懸命に説明を続けたといいます。 騒ぎがおさまったあとで、地元警察署の署長は笑いながら言ったそうです――「おかげで、ハイジャック事件のまたとない初動訓練ができたよ」 たしかに離陸が数分遅れたことを除けば、このハプニングで実害は何もなかったから、笑い話で済むのかも知れません。しかし現代のハイテク旅客機の運航では、ちょっとした乗客のマナー違反がフライトに影響をおよぼすことがあります。たとえば──。 航行中にコクピット内の計器の一つがいきなり狂い始める。急いで原因を調査しても、理由が見つからない。機長が機内電話でキャビンに連絡し、スチュワーデスを呼んで「乗客一人ひとりにもう一度当たってみてくれ」と指示。やがてスチュワーデスがコクピットに戻ってきて、報告する。「キャプテン、解決しました。やはりお客様の一人が……」 そんなことが希に起こるそうです。原因は、そう、携帯電話。機内では必ず携帯電話のスイッチを切るよう呼びかけても、ときどき指示に従ってもらえない乗客がいるらしい。たかが携帯電話ぐらい、と思うのでしょうが、コクピット内の計器類や自動操縦システムは、ほとんど電波だけを頼りに動いています。携帯電話も立派な電波発信機で、そこから発信される電波は飛行機が受信すべき電波に影響を与えてしまう。現に、乗客に携帯の電源を切ってもらったとたん、狂っていた計器の針がピタリと正常に戻るということがあるそうです。 機内で繰り返し携帯電話を使用していた日本人乗客が、民間航空安全法違反の疑いで空港警察に逮捕される──外国ではそんな事件も現実に起きています。みなさん、フライトの際は必ず携帯電話の電源を切りましょう。そして、乗務員に「ジャックさん」という知り合いがいる人は……いや、そこまで心配する必要はない、かな? さて、新しい2階建ての大きな飛行機がデビューするが・・・。エアバス社 大脱走!、A380型が853人の緊急脱出実験へ 2006/02/24 (Fri) エアバス社はA380型の、緊急時を想定した脱出の実証実験を、3月末に行う。トゥールーズで今週初飛行する4号試験飛行機(製造番号007)を使用する。エアバス社のハンブルグ工場で、本来はギャレーが設置されるスペースなどを含めて、853座席を配置し実証実験を行う。実験に立ち会う航空当局筋の話では、脱出実験は3月26日(日曜日)に予定されている。 新しく開発された民間機は実際に緊急脱出の実証実験を行い、航空当局からの承認を得る必要がある。機内からは乗客、及び乗員の全てが、90秒以内に脱出できなくてはならない。米国の連邦航空局(FAA)は1972年から1991年までに、19回の実証実験に立ち会っているが、5,797人が参加し、約4.5%の269人が負傷したとしている。 この90秒間では、全ての乗客がけがなく脱出することは求められていない。FAAは、4.5%は許容できる割合ではないとしているが、1991年のMD11型の実証実験では、ひとりが障害の残る重症を負ったものの、死者は出ず、90秒以内に全員脱出できたことで、機体の許容乗客数410人で承認している。 ボーイング社は1969年にB747-100型で499人、1986年にはB747-400型で540人の実証実験を行い、クリアーしている。実証実験に参加する“乗客”は、抱きかかえて避難する乳児や幼児は人形を使うものの、通常の運航便と同様の、男女比、及び年齢構成が求められる。90秒以内の脱出に成功しないと、再度、別の参加者を集めて、やり直すことになる。 初めて総2階建ての客室を持つA380型では、緊急時に乗客がどのような行動を取るのか注目されている。設計上は、2階の乗客は2階の非常口から脱出することを想定しているが、階段付近の乗客は階段を駆け降りたり、昇ったりして、脱出することを試みるかも知れない。米国では1997年9月から1999年6月までの間に、機内からの緊急脱出が平均で11日間に1度起きていた。 90秒で脱出って、しかもあんた、実証実験で「障害の残る重症を負った」って、それでいいんかい・・・。【さらに追加】 電波、で思い出したので。違法無線で運転手書類送検 陸自と同じ周波数で混信 (共同通信) 大型ダンプカーに無免許で無線機を搭載して使用したとして、警視庁保安課は22日、電波法違反(無線局の開設)の疑いで、東京都府中市の会社員(29)ら23人の男性運転手を書類送検した。 周波数が陸上自衛隊のものと偶然一致していたため、混信するなどの影響が出た。「周波数が同じとは知らなかった」と話しているという。 23人は東京都調布市内の同じ建設関連会社に勤務。工事現場への出入りを円滑にするため、無線機で連絡を取り合っていた。 調べでは、23人は電波法で定められた免許がないのに、それぞれのダンプに無線機を勝手に設置。昨年10月ごろ、調布市などで無線機を操作して、無線局を開設した疑い。 バカだなー。周波数を確認しないで使っていたところがすでに電波法違反。その行為や機械自体も違反ですがね。 都内を車で走っていると、後ろのダンプカーの違法無線がバンバン、車のFMラジオ(しかも、TOKYO FMと同じ周波)に入ってきますが、大丈夫かいな。そのラジオを通して、謝られたことがあったが、アレも立派な電波法違反と交通法違反(携帯電話の使用と同じ)ですからね~。・・・というか、ヤメレ。
2006年02月26日
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いつの間にか、トリノも終わりそう。で、気になっていたことが記事になった。NHK刈屋アナ また金絶叫 「トリノの女神は荒川にキスしました」 24日早朝のトリノ五輪フィギュアスケート女子の生中継で、荒川静香選手(24)の金メダル獲得の瞬間を実況したのは、NHKの刈屋富士雄アナウンサー(45)。一昨年のアテネ五輪男子体操団体でも、「栄光への架け橋だ!」の名ゼリフで日本を世界の頂点へ導いた刈屋アナが、再び金メダル実況を繰り広げた。また芸能界も、アジア初の快挙を成し遂げた荒川選手の祝福ムードに包まれた。 最大のライバル、スルツカヤ(ロシア)のポイントが発表された瞬間、一気に声を張り上げた。 「トリノのオリンピックの女神は荒川静香にキスをしました! 日本の荒川静香、金メダル!」。冷静だった声のトーンがグングン上がる。「アジアで初めて、アジアの選手が初めて、冬のオリンピック、フィギュアスケートの頂点に立ちました!」。 04年アテネ五輪でも、名実況が話題となった。「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」の名調子で、男子体操団体の28年ぶりの金メダル獲得の瞬間を彩った。それから2年―。アテネの時と同じ早朝に、再び日本のお茶の間を熱くさせた男は「ショートプログラムが終わった時、荒川さんが金メダルを取れるかもしれないと思いました。最後の公式練習のとき、トリノ五輪の女神が荒川さんを指名するイメージが浮かび、その通りになって感動しています」と話した。 入局24年目のベテランは、94年のNHK杯からフィギュア実況のスペシャリストとして活躍。荒川とは長野五輪直前の9年前に出会い、栄光と挫折を実況席の内外から見守ってきた。それだけに実況中も思いがあふれ出た。「さあ、ここからの2分15秒が荒川静香、長野から8年の思い」。演技が終了すると「9年前から見てきましたが、最高ですね…」とため息をついた。 トリノ中継はNHK5人、民放6人のアナが担当しているが、中継本部には視聴者から「実況がうるさすぎる」との声が殺到していた。そうした意見は現場にも伝えられたが、刈屋アナは抑制された実況で演技を見せることに重点を置いた。歴史的瞬間に刈屋アナあり―。もう1つ五輪の伝説が生まれた。 いやはや、運が良いというか、さすがと言うべきか。私が言いたいのは、一番下の、「実況がうるさすぎる」との声が殺到というところ。確かに大した順位でもないのに(成績としては良いのだろうが、それがわからないまま、盛り上げるだけ盛り上げる)アナウンスはうんざりするほど。アレで盛り上げているのだろうが、綺麗な日本語でも充分盛り上げられると思うのですが。よって、深夜のカーリングなんて、実況も静かで、ホントに癒し系。(^_^; しかし、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」も結局は当時のNHKオリンピック・テーマ曲の題名から持ってきたような感もあり、結局、賛否両論あったのだが。タイアップはNHKをもむしばんでいるのだなぁ、と当時はあまり良い感じはしなかった。今は何にせよ、当時は、NHKの度重なる不祥事は思いもしなかったのだが。 私にとっての実況ベストは、日本テレビ(現・ラジオ日本、出向中)の吉田填一郎アナの、確か、第23回スーパーボウル[1989/01/22]時のモンタナからテイラーへの大逆転パスを彩った実況。山下末則アナウンサー、小川光明・元アナの箱根駅伝など、落ち着いてみていられる方も多いが、吉田さんのこの時の実況は頭に残っている。 どっちにしろ、感動させようとしているのか、最近は実況がうるさい。・・・が、感想。
2006年02月25日
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今日は大阪市内某所にて、研修というか、試験というか。会社の先輩方と、ひいひい、言いながら(^_^;。早朝からのお出掛けだったので、ちょっとお疲れ気味。これで今年度はあと、3月末に向けての自己業務のラストスパートだけ。(皆さんもそうなんでしょうが、コレが大変なんですよね。) で、最後は大阪・キタで飲み会をしてきて、慰労会を中華で。ま、これは普通だったので、ちょっと気分転換に、2月5日以来の北新地の「Bar,K」へ。最初に覗いたときは、土曜日と言うこともあって、普通な客の入りだったのが、同時に入ってきたお客さんでほぼ満席に。今日は、私のお薦めと言うことで引っ張ってきたので、ゆっくりと飲んでもらう。 先輩方はウィスキーでロック、マルガリータ、などなど。私は、ボデギータ・モヒート、ざくろのキール・ロワイヤル、うらんかんろさんのことを思い出してレッド・アイとか。これに、結構腹一杯だったので、ナッツ、おかき、ガーリック・トーストなどで一人頭、5,000円ほどで〆。 ちょっと気分転換をして、気分良く帰宅しました。・・・というわけで、復帰です。(^_^;
2006年02月25日
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今朝は朝から試験なのですが、現実逃避をしています。何をしてんだ。>俺 本も好きだし、結構作家先生との対談がおもしろくて、よく見ている番組があるのですが、それが日テレ系深夜番組「爆笑問題のススメ」。 先日、見ていたら、眞鍋かをりさんがいうわけですよ。「外食、ほぼ毎日フレンチばかり」・・・ってな、趣旨のことを・・・。 私ゃ、驚きましたよ。それでその体型を維持してるんですかっ!? 妹さんのフレンチ初体験の話も笑いましたが。(^_^; 田中さんもつっこむわなぁ、「食べ過ぎっ!」 というわけで、今晩のブログの方にはそのフレンチの事を書いていたので、思い出したのですが、美味しいのはわかるが、そういう生活もなー、と。いや、私が最近、ゆらぎのない食生活をしているためなので、何か美味しいものを食べたいなぁ、と思っているだけなのです。なんか、忙しいしなぁ。眞鍋かをり嬢はおひとり様も平気らしいが、最近、おひとり様の食事もつらくないですか!? なんか、ワインも随分と飲んでいるようだし、一緒に食事に行くと、おもしろそうですね。というわけで、是非、自分も出かけたいと思うのと、大阪でも何処か美味しいところを見つけないと、と、思った早朝朝4時。 ついでに、モスバーガーが発売当初の店舗とレシピを復活!とのニュース。東京新橋・汐留の日テレサイト内に当時の規模の店舗と当時のレシピで作ったメニューを復活させた。創業当時、70年代。ぜひ、いっとく?
2006年02月25日
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今日は、昨日から夜勤。というわけで、話題の女子フィギュアはさえた頭で見ることができそう。 今回のオリンピックははっきり言って、マスコミが煽り過ぎ(メダル予想、甘甘)なので、余り興味なし。こちらも仕事が忙しいし。…しかし、女子フィギュアは別。 早朝の休憩時間は、安藤選手の演技の時間。残念ながら、4回転に挑戦しましたが、失敗。あと、スタミナ不足はあったのだろうが、笑顔なし、元気なしで、がっかり。 ▼安藤美姫の話 本当に疲れた。4回転は回った瞬間はいいと思ったのだが…。練習中は4回転を入れずに滑っていたので不安だったが、五輪という大舞台で挑戦できてよかった。この舞台に立てるだけですばらしいと思うが、できれば最後まで笑顔で滑り切りたかった。 半年前の元気な状態では、メダル圏内に手が届くかもという期待はあるが、厳しいが、もうちょっときれいな終わらせ方があったような。4回転がダメでも、最後までしっかりと終わらせようと、そういう意味で高校生らしい若さの、潔さと元気さが欲しかったので、ちょっと期待はずれ。・・・なんにせよ、あの舞台であれだけできる精神力は認めるが、次回は期待して良いのか。次は何が起こるかわからないし、確実に出れるわけではないのだから。そして、もうちょっと、マスコミも落ち着いて、ゆっくりさせてあげて欲しい(モーグルとか、スノボチームにも言えた)かも。安藤選手も就職先とか、将来が見えてきて、安住しすぎたかな?(<ちょっとわざと煽るような書き方ですが、トヨタさん、厳しいですか?安藤美姫、あなたの評価は?) ちょうど仕事を急いで終わらせて、村主選手は見ることができなかったが、仕事の終了後、休憩室にて荒川選手は見ることができた。 しかし、スゴイ。あの3人の中では、一番上位に行くとは思っていたが、まさか、「金」を取るとは。Σヾ(゚Д゚)ノ・・・ハイ、正直、思っていませんでした。堂々とした演技とあの落ち着きで確実にジャンプなどをこなす、やはり、「金」を取れる人は違うんですね、と、思わされました。それに、なんか、楽しそうだったんだもん。村主選手はなんか、回転が足りなかったそうですが、あの2選手って、安心してみていられるんですよね。・・・詳しくはノラ妻さんに解説してもらいましょ。(^_^; ▼荒川静香の話 まさかメダルがとれるとは思ってなかったので、信じられない。あす、あさってになれば実感がわいてくると思う。8年ぶりの五輪では楽しめればいいと思っていた。今回の五輪では楽しく滑れたし、ショートプログラム(SP)のときから冷静に臨めた。(共同) さて、日本人初、アジア初のフィギュア金、そして、日本で冬季大会9個目の金メダル。(皆さん、冬季大会はまだ9個目なんですよ。マスコミ予想のようにバカバカとメダルが取れるとは思ってはいけません。長い目で冬のスポーツは育成してあげてください。)スケートとか、スキージャンプとか、メダルをいっぱい取っている印象もありますが、まだまだ、実はこれからの世界。ということで・・・、 荒川選手、おめでとう!! そして、村主、安藤両選手、お疲れ様でした。 ・・・これで、今大会、最初で最後のメダルかな。
2006年02月24日
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更新しないと言いつつ、ちょびっと更新。大阪は久しぶりに日差しが刺す天気。でも相変わらずの曇り空。ちょっとブログも退却気味。退却気味なので、退却気味なこんな動画ブログを今日は紹介。蚊に刺されたり、子猫にさらわれたり、大変です・・・。(^_^;↓音が出ます。作画・作曲・作詞を一人でやっているらしい。こういう才能を持っているって、憧れてしまうなぁ。耳から離れません。(^_^;やわらか戦車・1やわらか戦車・2やわらか戦車・3
2006年02月22日
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しばらく忙しいので、更新がままならないかも。というわけで、動画ネタで、癒されてください…。↓猫画像板より、「夢の中へ」佐藤竹善さんのところでも、時々、飼い猫ネタがありますが、かわいいですよねぇ。
2006年02月21日
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今日は遅番で仕事。しかし、もう随分と太陽を見ていないような気がしませんか!? 全然天気も良くならず、バイオリズムが改善しない。寒いしね。 今日は、こんなスゲー技術もあるけど、今の理系離れってどうなっているんだろうと、ふと思った新聞記事から。マイクロメートルの穴、シャープペンの芯にも 三菱電機が開発 2006年02月19日15時57分 新型放電加工機を使い、シャープペンシルの芯に90マイクロメートルの微細な穴を開けた様子の拡大図(三菱電機提供) 放電によってステンレスなどの鋼材を高速で超微細加工できる機械を、三菱電機先端技術総合研究所(兵庫県尼崎市)が開発し、公開した。試作機は、シャープペンシルの芯程度の厚さ0.8ミリのステンレス材に約15秒で直径80マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の穴をあけることができる。加工速度は従来機の約2倍で、世界最速という。 微細穴加工は主に自動車用の燃料噴射ノズルに使われている。ノズルの穴を100マイクロメートル以下に微細化できるかが燃費向上を左右する。放電による高熱で穴をあける放電加工機は、超極細ドリルよりも直径の小さい穴を加工できるが、加工速度がずっと遅いのが難点だった。 課題を克服するため、同研究所は放電加工に用いるワイヤ状の極細電極を磁力で制御。リニアモーターカーと同じ原理で、電極を少ない摩擦で上下に高速移動させ、すばやい加工を可能にした。 三菱電機は放電加工機では世界シェアの約3割を握る。今回の試作機を06年度中に製品化し、市場シェア拡大を目指したい考えだ。 スゲー、三菱電機。車の工場性能とか、みんなの生活の近くにこういう技術が使われている。こういうものがあってこその、日本の繁栄。理系離れが進んでいると言うけど、こういう開発力が失われて、日本は没落していくのだろうか、という短絡的な思想もふと浮かんだりして。
2006年02月21日
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一つの大好きな詩がある。自分の感受性くらいぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮しのせいにはするなそもそもが ひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい自分で守ればかものよ今の自分と今の時代に必要な言葉。最初に知ったのは、日テレ・ズームイン!朝の一コーナー、「朝のポエム」の中から。コレができたのは、戦時中だったとのこと。今の時代にも充分、伝わる言葉ではないか。好きな詩人の一人、茨木のり子さんが亡くなった。また、素晴らしい感性の持ち主、綺麗な日本語遣い、清廉な精神が逝ってしまった。ご冥福をお祈りいたします。茨木のり子さんの紹介・1茨木のり子さんの紹介・2言の葉 茨木のり子・詩集自分の感受性くらい・新装版 詩集「対話」自立した知性で見つめた戦後日本、茨木のり子さん死去 (読売新聞) - 2月20日3時10分更新 戦後の日本を鋭い批評精神と自立した知性で見つめてきた詩人の茨木のり子(いばらぎ・のりこ、本名・三浦のり子=みうら・のりこ)さんが19日、東京都西東京市内の自宅で亡くなっているのが見つかった。79歳だった。 大阪府生まれ。1953年、投稿仲間の川崎洋氏(故人)と同人誌「櫂(かい)」を創刊。のちに谷川俊太郎、大岡信、吉野弘氏らも加わった。主婦業と詩作を両立させ、「対話」「見えない配達夫」「自分の感受性くらい」などの詩集を発表した。 社会的な問題意識を持ちつつ、戦後女性の希望や感じ方を、歯切れのいいリズムとメッセージ性の強い言葉で詩にしてきた。99年に刊行した詩集「倚(よ)りかからず」は新聞コラムで紹介され話題を呼ぶなど、作品は詩壇にとどまらず、広く愛唱された。また、50歳でハングルを学び始め、12人の韓国詩人の作品を翻訳した「韓国現代詩選」で91年、読売文学賞を受賞している。 子供はなく、夫を亡くしてから一人暮らしだった。 親交のあった詩人の新川和江さんの話「戦後、社会的に目覚めてから詩作を始めた茨木さんは、戦前のしがらみを一切もたない『戦後現代詩の長女』。新しい感受性がまぶしかった。切れ味がよく、言葉を新鮮によみがえらせる、まれに見る日本語の使い手で、人前に出ることが苦手なシャイな面もあった。亡くなられたことは大きな衝撃です」
2006年02月20日
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今日は仕事の日。とにかく、眠たくてしょうがない。そろそろ試験も近づいているので、勉強もしなくちゃ。しかし、大阪だけではないんだけど、天気が悪いですね。もっと寒いと雪なんでしょうが、こうして少しは暖かくなっていくのでしょうか?今日はちょっと暖めていた話題。(^_^;↓これ、なんだと思いますか!? もう無くなっているかも知れないけど。博物館に予期せぬ“展示物”…ハト衝突で窓に“鳥拓” 魚拓のようにガラス窓に残った、ハトが衝突した跡=19日午後、千葉市の千葉県立中央博物館 魚拓ならぬ鳥拓? 千葉県立中央博物館(千葉市)のガラス窓に、ハトが衝突した跡が、釣り人が作る魚拓のように白く残り、来館者の注目を集めている。羽を広げた状態で、頭や足、胸の羽毛の様子まではっきりと分かる。 ハトの衝突跡は職員が15日に発見。ハトの体には防水などのため、「粉綿羽」と呼ばれる羽からできる粉が付いており、ガラス窓にぶつかった際に付着、鳥の姿を浮かび上がらせたとみられる。 ハトの衝突跡は2つ。1つは着地寸前で、頭から窓ガラスに衝突した状態。もう一方は、羽の形から飛び上がる途中とみられ「窓ガラスに当たって落ち、動転して飛び上がる際に再び衝突したのではないか」と担当者。博物館は来館者に鑑賞してもらうため、窓掃除は当面控えるという。 よく、学校とかで見たことはあったけど、ココまで残るのも珍しいかも。(^_^; おっちょこちょいで、お茶目な・・・。初代王者は富士宮やきそば 「B-1グランプリ」閉幕 (共同通信) - 2月19日 青森県八戸市で開かれていた全国的な知名度はないものの、地元で愛され続けているご当地のB級料理の王座を決める「B-1グランプリ」最終日の19日、入場者の投票の結果、初代王者に「富士宮やきそば」(静岡県富士宮市)が輝いた。 グランプリは入場者が、使ったはしを気に入った料理に投票し、はしの重さで決定。2695グラムを獲得した富士宮やきそばが、2位の「横手やきそば」(秋田県横手市)に40グラムのわずかな差で競り勝った。3位は「室蘭焼きとり」(北海道室蘭市)。 出品した「富士宮やきそば学会」には「金のはしトロフィー」が贈られ、来年のグランプリ開催権が与えられた。マルモ食品工業さんの富士宮のやきそば8食セット そういえば、焼きそばというと、必ずココが出てくるなぁ。2004.02.022004.09.052004.02.29 会社の先輩やその家族、大所帯でキャンプによく行っていたが、富士山周辺でキャンプするので、必ずこの焼きそばは買い出しに出たような。
2006年02月19日
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いつも遊んでいるか、飲んでいるかしているようにしか見えないので。(^_^;何となく、最近疲れがたまっていて、雨も降っているし、またまた寒いしで、今日は動かず。ちょっと試験も間近なので、おとなしく勉強する日にしないと、なかなか試験勉強も進まない。みんなからいろいろなお誘いを受けるのは嬉しいけど、たまにはね。(^_^;しかし、なかなかスキッと晴れた日がないですね。テンションやバイオリズムがバリ下がりすぎ。寒い所為か、生体リズムが悪いなぁ・・・。性格が暗くなってしまいそう・・・。とりあえず、昨日の写真をアップしておきますか。皆さんはお休みでも、私は仕事に行ってきます。m(_ _)m
2006年02月18日
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ちょっと今日は所用で世田谷へ。その前には深夜から自身の業務でトラブルあり。メールやら、電話やら、いろいろと忙しかった。今日の行程は、横浜→砧→深沢→自由が丘→横浜東京・大阪の二重生活、自分で選んだこととはいえ、いろいろあるなぁ。気分転換になって、いいけど。 まずは深沢へ。以前、住んでいた場所なのに、後になって随分と教えられることが多いのですが、バスを途中下車し、akikomodokiさんに教えてもらった、深沢のパティスリー・ナオキへ行ってみた。 結構、手広くやっているような感じ。ケーキを並べてあるカウンターの目の前で、ケーキをみんなが作っている。ちょっと変わった、ケーキのオープン・キッチン。 甘さは、尾山台のオーボンビュータン>深沢のパティスリー・ナオキ>先日のソネット(泉佐野)という感じで、まぁ、甘さ控えめな方。 まだまだ、深沢にも知らない店が多いなぁ。【買ったの】・イチゴのショート・カプチーノ(これは結構甘い。) 自由が丘にバスで移動して、昼飯。もうここは、目黒区なので、今日のテーマとは違うが、ここってちょっと歩くともう世田谷なんですよね。久しぶりにうろうろして、めぼしいところを探してみる。ここも久しぶりに来たが、学生時代に比べると、またまた変わったなぁ。結構新しいビルやショッピングセンターが建っている。学生時代によく行った、食堂とかないしな。 南口の路地に、ハイアニスポートという、ちょっと雰囲気の良いお店を見つけるので、そこで昼食を取ることにする。yahoo!グルメはこちら【食べたの】・煮込みビーフボールのライス添え ・・・ランチタイムで今日のサービス。サラダ、コーヒー、紅茶のシフォン・ケーキが付いて、1,100円。お得で美味しかった。ちょっとビーフ・シチュー的なところも良いし、ライスは白とコンソメで炊きあげたもののどちらかが選べた。パンもあり。 ハイアニスポートとは、アメリカ・ケネディ家の別荘がある土地の名前らしい。うちのパソコンの変換辞書はATOKだが、「はいあにすぽーと」と打てば、「Hyannis Port」と変換してくれる。ジャストシステムの辞書に入っていると言うことは、それなり知られた土地なのね。 スコーンやケーキが有名らしく、お茶をしに来る地元の女の子や奥様方が多いみたい。軽食もそれなりにあり、店のカウンターやメニューを見ると、夕方からはちょっとしたパブになるようだ。雰囲気が良いので、一度ここで飲んでみるのも良いみたい。イギリス風のパブが似合う店。
2006年02月17日
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「ひでゆき君」へのメッセージ、コメントにしろ、メールにしろ、また、見えない形でも送っていただいた方、ありがとうございました。m(_ _)m さて、昨今の勤務パターン、仕事の都合、出張やら、研修・訓練やらで、乱れに乱れていまして、ここは休みの、会社から見て、エア・ポケットに入ります。昨晩は遅番が終わって、ちょっと用事もあったので、そのまま車を飛ばして、横浜に戻ってきました。眠。ちょっと勉強もしないと行けない。 深夜の高速道路もおもしろいのですが、気をつけて、走破。ついつい飛ばしすぎてしまうからね。初めて走った、伊勢湾岸道路は、名古屋を大きく迂回する道路。大変広くて、綺麗でした。今度からよく使うことにしよう。 で、ちょっと生活パターンも崩れる。体に良くないよね。
2006年02月16日
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フジテレビの昼の番組ではない。(^_^; よくご存じの方は、ずいぶん前にTBSラジオの永六輔さんの提起された、「いただきます」の論争についてご存じだろうが、ここで改めて。 永さんといえば、昔はNHKの「テレビファソラシド」で知った存在。坂本九の楽曲でも非凡の才があり、日本語の使い方や古来の文化に対して大変造詣が深い方だと思うし、一目置く存在です。最近は日テレ深夜の「にさんが六輔」なんてテレビ番組もあって、学生時代、深夜のおともだったりもしました。(^_^; 元・フジテレビ女子アナの永真理さんはその次女。 ちなみに、私のスタンスは基本的に家でも社食でも(外食でも)言う方です。飲み屋とか、レストランでは、言ったり言わなかったりしているかもしれないが。出典/毎日新聞・考、「いただきます」って言ってますか?考:「いただきます」って言ってますか? ~「給食や外食では不要」ラジオで大論争 【毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊】 TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半~、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。【文・遠藤和行、写真・米田堅持】 ◇「私の場合」を募集 手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。 《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》 番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。 また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。 永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。 ◇ ライフスタイルの変化で、家族がいても一人で食事をしたり、外食や市販弁当を食べる機会も増えています。その時「いただきます」と言っていますか。あなたやあなたの周囲の「いただきます」は変わりましたか。その理由は何でしょう。 さて、「いただきます。」は個人の好き勝手と言っていいのか、という点では、言うようにすることがまず、日本社会でのモラルだと思うが。私は親に「食べ物、作ってくれたお百姓さんたちに感謝しましょう」と教わってきたので、まずはじめに、感謝の念が念頭にあると思うのだが、いかがだろうか。「ひでゆき君」のことにも共通するのだが、他人やその食物の命があってこそ、私たちが美味しいものを食べられる、生きていける、ということが、根底にある。 ・・・しかし、そう考えると、宗教的行為にも見えるが、そこに結びつけるとは私は驚いた。政治と宗教の分離の方が重要課題だと思うが、「いただきます」は宗教と同一視しない方が良くないか? 「お金を払っているから、言わなくても良い」は、あまりにも自分中心すぎるような感じがするのだが。せめて、給食費をいただいている「お父さん、お母さん、ありがとう」の気持ちで言わせる位のことはしないのだろうか。 私の職場では新入社員が「いただきます」と言っているのが大変気持ちよく、「至極、当然」と、上役や重役も見習っていたものだがなぁ。 さて、この記事の後、永さんにインタビューした後日談が続く。宮崎県ではこの運動もあるそうだ。「大切なのは食べ物を大事にできているか」--永六輔さんに聞く 番組のリスナーと共に考えた、永さんの「いただきます考」を聞いた。 --「給食費を払っている」という理由について、どう感じましたか。 学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。自然の世界と人間のお付き合いの問題です。 「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。 --永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を。 「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。 貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。 --言っても、言わなくてもいいと。 普通に会って「こんにちは」、別れるときに「さようなら」。何かの時に「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」という、普通の会話の中に「いただきます」は当然入ってくると思うんです。特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします。言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、思うだけでも、いいことにしましょう。============== ◇「食を見直す問題提起に」--宮崎では推進運動 宮崎県では昨年11月から、食事の際に「いただきます」を言うことなどを呼びかける運動が展開されている。 市町村やJAなど142団体でつくる「みやざきの食と農を考える県民会議」(会長・安藤忠恕知事)が、農産物の恵みに感謝するのに最も分かりやすい活動として取り上げた。「いただきますからはじめよう宣言」をし、「県民が食事の時にいただきますの言葉に乗せ、命の恵みを感謝する」などの方針を掲げた。 事務局の同県営農支援課は「子どもが朝食を抜いたり、家族全員の食事の機会が減っている中、食を見直そうという問題提起の意味もあります」と説明する。県内の公立小学校では給食時に「いただきます」「ごちそうさま」を唱えている。・・・ここまで読んで、私もほぼ永さんと同じスタンス。やるな、宮崎県、という感想。みなさんは、どう思われますか?
2006年02月15日
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昨晩は遅番で仕事。私のトップページでちょこちょことお知らせしていた「ひでゆき君」。仕事中にメールが入っていたようで。!!緊急連絡!! 平成18年2月14日 ひでゆき君を救う会 代表 遠藤 穣 いつもひでゆき君を救う会を応援していただきありがとうございます。 本日2月14日、午前11:40頃(日本時間)、「ドナーが見つかりましたと」お父さんより連絡がありました。14:40(日本時間)手術が始まりますとのことでした。手術に要する時間は5時間~8時間だそうです。 ドナーが見つかった病院で確認されたところでは、移植される心臓の状態は良いとのことです。 ひでゆき君は特に怖がることもなく「手術がんばる!」と話して、麻酔を受け、手術室に入っていったそうです。 また、お父さんからは以下のコメントがありました。「いままで不安な毎日をすごして来ましたが、ドナーが現れいよいよ手術ができるこの時を迎えて、手術が成功し元気なひでゆきの姿を想像することができ不安が吹き飛びました。あとは、ただ手術の成功を祈るだけです。」 救う会一同も、絶対に手術が成功してひでゆき君が元気になれるよう心から祈っております。 どうか皆様も、ひでゆき君の手術が無事大成功しますように、応援よろしくお願いいたします。【日記より抜粋】 ドナーが現れたの知らせがあり、病院へ。ドナーの心臓の状態は良いとのことで手術実施が決定。 ひでゆきは準備を全て終えて、心臓が届くまでベットで待ちました。 やがて届いたとの知らせがあり、速やかに手術室へと入っていきました。 頑張れよ ひでゆき! 待つこと約8時間。何の問題も無く無事大成功に終わったとの知らせが届く。そして手術室から出てきたひでゆきに、まだ眠ったままだけど、 良かったねひでゆき、よく頑張ったね! と声をかけた。 応援をしてくださった多くの皆様の願いや、祈りが叶いました。本当に有り難うございました。 二転三転しましたが、何とかドナーが見つかり、緊急手術。・・・そして、15日の12時ちょうどにメールが来ました。心臓移植が無事に大成功に終わりました。皆さんの誠意と真心と祈りのおかげだと感謝の思いで一杯です。ありがとうございました。 心臓の移植という子供としては体に大変負担のかかる手術ですが、ひでゆき君は何とか無事、生き残ることができました。 本当に嬉しい。私の周りでもメールとか、コメントとか、協力していただき、ありがとうございました。そんな皆様のおかげです。 まだ手術が終わったからとは手放しには喜べませんが、感染症や術後の経過をしっかりと見送って、彼が一人前に育ってくれることを祈るばかりです。・・・大切な一人に一つの心臓をいただいたのですから・・・。
2006年02月14日
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先日の分のお店、11日分のブログに追加しました。 コレに引き続き、また何か食べたくなって、またまた行ってきました。銀座6丁目の「雲酔(うすい)」。泡盛をお供に、・(突き出し)どて焼 ・・・おでんのやわらかーい牛すじをベースに。・おでん(長崎の地の練り物を中心に)・沖縄の島らっきょ ・・・残念ながら狙っていた海ぶどうは明日入荷とのこと。でも、コレも美味しかったよ~。・紅鳥の唐揚げ~揚げ出し風・馬刺しレバーの竜田揚げ ・・・これはこれでこういう食べ方もあるか。レバー臭くない、癖のない味。熱いうちに召し上がれ~。・五島うどんのカレーうどん・・・などなど。帰りは、BAR保志に立ち寄り、グラスホッパー、イチゴざく切りのプリティウーマンなどなど。先日のお礼も兼ねて、ウスイさんと伺うが、月曜日にしてはお客さんも多い。・・・あ、白アスパラを喰い損ねた!!ともかく、濃~い4日間でした・・・。
2006年02月13日
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最近、東京で飲んだくれていた(^_^;ので、更新をさぼっていました。あとで、ここ数日の飲み食いをアップします。昨日までの片付けはぼちぼちと。そんな中、TVをつけていたら、「ポンキッキ」の後番組か、関連番組だろうか、やっていた。いつだったかこのブログでも触れたが、「食育」についての話題が。その中の話が、「口中調味」と「三角食べ」について。 簡単に言ってしまえば、日本古来の食べ方でいろいろな皿を並べ、少しずつ取って食べて、口の中でいろいろな味を混ぜて、自分の口の中で風味を作って食べる、という食べ方。 これが、給食の時によく言われた「三角食べ」でいつの間にか実践できていたのだが、これが最近の子供たち、というか、私と同じ世代の若い親の中でもできないという。つまり、これが日本人にしかできない(東洋人にはできていると思うが)という食べ方で、日本食の基礎であるとか、日本人の食文化の礎を作ってきたものであったらしい。例えば、西洋人にカツ丼を出すと、カツだけを食べてしまって、後でご飯だけを食う、つまり、一つの皿を食べきらないと次のさらには移らない、「ばっかり食い」という食べ方を今の日本人はするらしい。 そういう食べ方をして、美味しいか!? 今、「食育」という言葉が叫ばれているのは、日本で培ってきた体に優しく、美味しい食文化を取り戻そうという働きかけであって、何かを押しつけるというたぐいのものではない。だから、最近のお母様たちは「残されるよりは・・・」とか、「美味しく楽しく食べてもらいたいから」とか、そういう理由で食べ方をあまり指導しないらしい。それは放任ではないか?と思うのだが。そういう「口中調味」や「三角食べ」をしなくなった子供たちは、味覚の働きも弱くなり、考えて味覚を口中で作ることもなくなるので、食文化の低下や脳の力の低下がデータとして最近の子供には出ているらしい。 また、そういう子供たちを育てているのが、バブル以降、自分たちだけは美味しいものを食べたり、京都で美味しい和食を食べたーい、なんて言っている、自分たち世代のお父さん、お母さんなんだろうなぁ。 気になる方は、「口中調味」とグーグルで、ググってみてください。結構いろいろなHPや資料が出てきます。和食普及研究会「和食と健康」健康60「日本の食文化の危機!?」食の専門家からいまどき!ごはん「ご飯食ならではの食べ方」噂の!東京マガジン
2006年02月13日
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いつものお仲間でワイン飲みの昼酒飲み会。(^_^;昼からゆっくり飲もうとしていましたが、今朝の朝帰りで少しだけスタートが遅れる。【飲んだの】・Cuvee Vieilles Vignes CHATEAU De NOUVELLES 1994 FITOUフィトゥー、キュヴェ ヴィエイユ ヴィーニュ シャトー ド ヌーヴェル 1994 抜群の評価を誇るスーパーラングドック生産者『シャトー・ド・ヌーヴェル』。南仏でも最古の部類、1834年に現在のドォーラ=フォール一族の所有となってから、フィトゥー地区で最高の品質と謳われるのみならず、ラングドックのパイオニア・けん引役としても敬愛される素晴らしい造り手です。 10年以上の眠りから、このワインを起こしてあげてください。飲む30分以上前からの抜栓をおすすめします。様々なスパイスの香りやドライフルーツが練りこまれたパウンドケーキのような華やかで落ち着きある魅力的な香りとともに、10年の熟成を感じさせるなめらかな口当たり。豚肉にオリエンタルなスパイスを効かせたお料理などに抜群の相性。 何も考えず、そろそろ潮時だからと開けたのですが、やはり、時間が経ってからの方が美味しかったです。スパイスの香りと言うよりは、コーヒー・フレイバーが際だっていたような。確かに、豚肉と合わせると良いかもね、と。 ちょっと熟成期間を過ぎたかな、と、あまりぱっとしない感じで皆さんの飲みは終わってしまいました。もう一本あるので、次は、ぴぇんろーと合わせてみますか?・シャンボール・ミュジニー [2000] ジョルジュ・ルーミエ←画像は2001年、リンクは2000年へ繋がります。 最初に楽天に出た頃はもっと安かったらしいですが、さすがに、お値打ちがここまで上がってくると、当時買っていた方はラッキーかと。 シャンボール・ミュジニー[2000]ジョルジュ・ルーミエ「2000ヴィンテージの大成功ヴィラージュワイン!」 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエは、1924年からシャンボール・ミュジニィに続く高名なドメーヌで、今日のコート・ドニュイで最も輝いている造り手の一人として知られます。 ジョルジュ・ルーミエのワインは、土壌の特徴を反映するワインとして有名ですが、なおかつ、エレガントで柔らかなピノ・ノワールの特性も精緻に表現し、「非の打ち所のないワイン」と評価されています。■シャンボール・ミュジニィ■ 村名格のシャンボール・ミュジニィは、グラン・クリュとプリミエ・クリュの西側の、丘陵の上部と東側に広がる丘陵の下部から造られています。 丘陵上部の北向きや石灰質の豊な土壌からは、素晴しいフィネスを備えたワインがうまれ、丘陵下部の緻密で厚みのある堆積土壌からは、しっかりした骨格と力強さを持ち合わすワインが生まれ、一般的に典型的な村名格シャンボール・ミィジニィには、丘陵上部とかぶの2タイプがブレンドされています。 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエが所有する3.704ha畑は、粘土石灰質の丘にいくつかの区画に分かれ、エレガントでしなやかな女性のようなキャラクターのワインが造られています。 ブルゴーニュ地方コート・ド・ニュイ地区シャンボール・ミュジニィ村のピノ100%のワイン。おいしい、けど、ちょっと早いのか!? あと、2,3年は待って飲むと美味しくなっているかも。幸い、持ってきてくれたRichebourg氏のところにはまだ買い込んだのがあるような感じなので、是非とも楽しんでいただきたい。(^_^; カシスとか、ベリー系の果実味が楽しめるが、まだまだ、果実っぽさが出てくれないと。ピノを楽しめる方には値段も上がってきていますが、今のうちなら、買い、だと思います。 豚肉料理とか、いかがでしょうか・・・。・ALLIANCE Shiraz [2002] Langhorne Creek ← 残念ながら当該の2002年は在庫無し。 リンクは2004年のヴィンテージです。 このワインを造るのは、オーストラリアのいくつかの生産者が集まってできた『オーストラリアン・ドメイヌ・ワインズ』という小さな共同体ドメーヌ。1998ビンテージで『アライアンス』(パーカー91ポイント/スペクテイター93ポイント)。『ハットトリック』(パーカー95ポイント/スペクテイター90ポイント)。オーストラリアの指折りの生産者『マクギガン』のワインメーカー、トマス・ユング氏が醸造を担当しています。 ワインはしっかりとした構造のオークに支えられ、15ヶ月にもわたる大樽熟成。まさしく爆弾のようなアタックにスパイシーさと果実の甘みがぐるぐるとまざりあった驚きの味わい。飲んでいくとブラックチェリーとプラムの風味が折り重なる層のように奥からどんどん現れて、そこに複雑味や滑らかさもあります。 南オーストラリアのアデレードにある“ラングホーン・クリーク”という豊かに堆積した肥沃な土壌にある、ファーブル・ヴィンヤードという傑出した葡萄園のシラーズを使用。今飲んでももちろん、おそらく5年ほどは美味しく熟成するでしょう。 ということで、今回別の意味で驚きを持って、他の、より値段の高いワインよりも話題をかっさらってしまった、オーストラリア・ワイン。 気軽に飲んだんですよ。ま、値段も値段だし、先日、ブログにも書いたので、オーストラリア・ワインも飲んでおくかと。 香りは甘く、「ぷっちんぷりん」だ!と笑いを取り、飲んでみるとがちがちのシラーで、茎っぽさとか、まぁ、こんなものかと。で、じゃあ、何に合わせて飲んだら良いんだろうと、いろいろ話しているうちに、脂っぽいものかなぁ、と。ノラ妻様のところで書かれているとおり、ピーナッツ・バターかなぁ・・・なんて話をしていると、ピンっ!と来ました。そういえば、うちにアレがあったなぁと。←これはチーズサンドですが、このときはたまたま昨年の9/10のJFK空港にて機内でつまもうと思って、買って帰った、2ドルもしない「リッツ・ピーナッツ・バター味」を出してみました。・・・ら、ビンゴ!!で、今日最高のマリアージュになってしまったのです。(^_^; このリッツの塩味と、独特の脂と甘さのピーナッツ・バターのハーモニーが何とも、アライアンスにマッチしてしまって、思わずみんなで笑っちまいましたがな。・・・じゃ、他に甘いものだったらいいのか!?と、悪乗りして、これまたその場にあったスウィート・ポテトのビスケットとあわせると、酸味がでて、ボルゲリのSGみたいになってまたまたビックリ。さすがに先ほどのピーナッツ・バターほどのインパクトはありませんでしたが。 結論、まともな料理としては、棒々鶏とか豚のごまだれしゃぶしゃぶとか。ああいう感じと合いそうなワインです。興味のある方は、アメリカの空港で売っている安ーいピーナッツ・バターのリッツと合わせてみてください。直径たった1センチのリッツにやられた1日でした。Asti Spumante D.O.C.G. "La Selvatica"- 醸造に関して- 非常にアロマに満ちたモスカート種のブドウは、フルーティな香りを保つために特別な醸造技術を必要とします。厳しく選別して手で収穫した直後のブドウを優しく搾り、出来たモスト(果汁)を数回ろ過にかけ、不純物を取除きます。その後、厳密に温度管理されたステンレスタンクで保管し、厳選した酵母を加えてオートクレーブで発酵させ、瓶詰めを行います。- テイスティングノート - 軽快感があるわりには泡が豊かで、長く続く"Perlage"が認められます。濃密な麦わら色で、黄金色に近い香りがします。アロマティックで複雑、濃厚な香りが特徴です。味わいは、甘味の中に心地よい絶妙な酸味があり、長く続くまろやかでボディのあるヴェルヴェットのような滑らかな味わいは印象的です。甘味の中に絶妙なバランスで溶け込んでいる酸味を考えると、デザートワインとしてもいただけるほどよい味わいは素晴らしいものです。イチゴや桃のコンポート・マカロン添え、ジャムのタルト、ヘーゼルナッツのケーキなどと一緒に召し上がってみるのはオススメ。 最後にさわやかなデザート・ワインを。このあとは、それぞれ、適当に泡盛など飲んでもらって。 旧~い、ミュージック・ビデオなんて持ち出して、わいがやと。バックグラウンドは、マイケル・ジャクソン・ミュージックテレビとか、Y.M.O.とか、懐かしいものを。【喰ったの】・悶絶オリーブ・テールスープ、菜っ葉のリゾット・トマトソースのショートパスタ(ペンネ)・サラダ・チーズを載せて、軽く炙った、バケット 今日も美味しくいただきました、ごちそうさま。
2006年02月12日
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昨日のお約束で、今日もBAR保志へ。(^^ゞ 土曜日なのでゆっくり飲めるかと思いきや、意外にもお客様が多い。しかも、今日はスタートは堀川君と佐々木さんのコンビで始まったので、店は忙しい。保志さんは夜遅くになるとのことなので、思い立ち、保志さんに紹介いただいた、食事処へ出撃。 夕飯替わりだし、保志さんが美味しいと言えば、今まで間違いもなかったので。しかも、ご主人は長崎にしばらくいて、やはり飲み屋をやっていてこちらに戻ってきたらしい。長崎の地のものを食べられる期待大。焼酎バー「雲酔」 (「うすい」と呼びます。) 中央区銀座6-2-6ウエストビル1階 TEL.03-3573-8070 ・・・営業時間は夕方6時から朝の6時までと、夜明かしにはちょうど良い営業時間!? あとは店主の気分次第・・・。 場所は、銀座6丁目はコリドー通りの近く。泰明小学校の近くの細い路地の泰明通りに入って、飲み屋が軒を連ねる、ビルの中の路地の一番奥にある、連れて行ってもらわないとわからない、本当にわかりづらい店。(^_^; 入り口は場末のスナックか喫茶店のようであります。 しかし、入ってみると、確かに狭いのですが、すでにこちらもお客さんで一杯。カウンターとテーブル席が2つ、こじんまりとした店です。入るといきなり、どでかいおでんの鍋がお出迎え。一番奥の厨房前に控えるはご主人の「うすい」さんです。 まずは自己紹介して、いろいろとお話を聞いてきました。焼酎を中心に据えた、日本酒、泡盛、ビール、ワイン、何でも飲める店ではありますが、焼酎に力が入っていること、長崎のコネクションを活かして、長崎の地のものを中心に九州・沖縄料理が主体であること。料理は800円前後が主体で、普通に飲み食いすれば、3000円を超えるくらい。お店のくくりはそんなところでしょうか。【飲んだの】・長崎麦焼酎青一髪 ・・・解説はこちら。 ひたすらロックで。3杯くらい飲んだが。・宮崎焼酎「杜の蔵のしそ梅酒」純米酒仕込み ・・・最後の口直しとゆっくり飲むために、隣の女の子が飲んでいて、美味しそうだったので。宮崎にこんなに紫蘇の香り爽やかな梅酒があったなんて、知りませんでした。720mlボトルも発売中【喰ったの】・おでん ・・・なんといっても、入った途端に美味しそうなおでんが見えたら、喰うでしょう。(^_^;しかも、長崎から直輸入の練り物と来れば、食べないわけにはいかない。長崎の練り物の、おでんの出汁に一役を買うあの脂と、そのもののコシは何者にも変えられない。 食べたのは、大根・厚揚・玉子・ゴボウ天・野菜天・揚げ出し・牛すじなど。これだけでもお腹いっぱい。・カレーライス ・・・もともと食事をしに来たので。(^_^; しかーし、このおでんの出汁を使って、ハバネロをしっかり効かせたスパイシーなカレーはこれまたうまい。(*^。^*) 「煙事」のカレーは当然だけど、また別の方向性で、銀座のうまいカレーの一つに挙げよう。ここからは話が盛り上がって、少しずつ、いろいろと味見をさせてもらう。・鯨 ・・・お、と思った方、あなたは古来からの長崎人です。(^_^; 五島から取り寄せた鯨の湯引き、刺身を食わせてくれます。しかも、自分としては、地元・長崎でもこういう質のイイものがあるのに巡り会ったことはない。基本的に、鯨や保志さん紹介の会津産馬刺しを売りにしている店ですので、こういうのが好きな方はどうぞ。 食べたのは、さえずり、さらし、百ヒロなど。もひとつ、赤身の串揚げなんぞも。「さえずり」は舌、「百ヒロ(尋)」は小腸のゆでたもの。子供の頃は親に出されても喰えなかったが、酒飲みになった証しか(^_^;。 大分でも小学校の給食で、昔は良く鯨の竜田揚げなんてものも出たなぁ。 このあたりでBAR保志へ移ろうとするものの、カウンターは一杯とのこと。保志さんも飲みに来るから、待ってて~とのことなので、まだまだ雲酔にてくだを巻く。あ~、こりゃ、今日は帰れんわ。・油揚げ納豆包み・カレーうどん(五島うどんで) ・・・隠れメニュー。保志さんのご相伴にあずかる。土曜日の閉店間際のため、ホッと息をつく瞬間。この細麺に、今さっきのカレーとおでんの出汁を使った、カレーうどん、うまいねぇ。(まだ、喰うか。) このあと、お客さんのひいたBAR保志にて、保志さんと先ほどの店主・ウスイさん、バーテンダーの若い衆と朝まで飲んだくれる。オリンピックのノーマルヒルの悲劇やら、モーグル女子の応援(→残念な結果)など見て、四方山話をしながら。結局、私は新橋の始発朝4時を待って、帰宅しました・・・。 ・・・とにかく、銀座の「雲酔」は掘り出し物の食事がうまいバーでした。まだまだ開店したてなので、これからも応援していこうかな。(*^。^*)と、このまま、12日の日記へなだれ込みます・・・。
2006年02月11日
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今日は夜勤明け。仕事はまたまたより多く、しかもヘビーに。だけど、きっちりとこなして、朝まで残業しましたが、終了。帰りの飛行機では爆睡していました。しかし、私の仕事をしているときだけだと思いますが、大阪の雪や寒波は尋常ではない。実は毎日、雪を見ない日はなかったのだが、東京について、暖かいので驚く。で、目が覚めてから、いつものBAR保志などへ。 先日、大阪の「Bar,K」のお礼とか、またお手頃な銀座のバーを教えてもらったりとか、「TO THE BAR」の話とか。 この作者の複製切り絵展が汐留の共同通信社のビルでやっているとの情報もブログで得たので、明日行ってみようかとか。明日は、青山の表参道ヒルズもオープンするし、どうしようかな・・・。 あとは、ゆっくりと飲み、カウンターの他のお客さんと話したり。 そうそう、ここのブログを見て、BAR保志に来ていただいている方、結構多いようです。ご来店、ありがとうございます。m(_ _)m 一言、ブログを見てきました、のお言葉がうれしいです。 また、別のブログでも常連さんが書き込み中。保志さんに教えてもらいましたので、リンクします。 → Cocktail Art YusanのBAR【飲んだの】・ソルクバーノ・バンブー・ソルトニック ・・・グレイグース(ウォッカ)で。 →【喰ったの】・白アスパラ、軽くゆでて ・・・大変美味しい。こういうアスパラを食わないと。 ちゃんとした白アスパラを今まで食ったこと無いんだな、と実感。 アスパラの持つ、滋味と旨味が大変美味しい。 おつきあいのあるフレンチのお店から分けてもらっているらしい。 写真を忘れたのが残念。・パスタ、トマトソースにアンチョビで ・・・アンチョビの香り付けがパスタを口にすすったときに感じられて美味しい。 アンチョビの香りと苦み、それに自家製トマトソースのほどよい酸味が美味しい。・定番に、ふかふかガーリック・トースト ・・・これは食べて帰らないと。余談・・・今日の「ちゃんぐむ」は最後に韓国の「ほんお・ふぇ」の話題が・・・。よりによって、あれを紹介するか。「かぐわしい香りが・・・」って・・・。(^_^;「ほんお・ふぇ」が何か知りたい方は、簡単でわかりやすい解説はこちらに・・・。 もやしもん(1)
2006年02月10日
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昨晩から未明にかけて、大変寒かった。夜勤も終わり、帰宅すると、訃報が入っていた。ある一時代と、多くの著名人に影響を与えた、巨匠に黙祷。<訃報>伊福部昭さん91歳=作曲家 ~映画「ゴジラ」も作曲 (毎日新聞) - 2月9日【梅津時比古】 「ゴジラ」などの映画音楽、北海道の原野を思わせる雄大な民族色豊かな交響的作品などによって幅広い人気を持つ作曲家、伊福部昭(いふくべ・あきら)さんが8日、東京都目黒区内の病院で死去した。91歳。自宅は世田谷区尾山台2の7の7。 北海道・釧路生まれ。北海道帝大専門部卒。林務官を務めながらアイヌ音楽や樺太のギリヤーク民族の音楽を研究、「民族の特異性を経て普遍的な人間性に至る」ことを作曲理念に据え、ほぼ独学で民族色豊かな作品を作り出した。1935(昭和10)年、「日本狂詩曲」でパリのチェレプニン賞に入選。同曲は翌年米国でも演奏され、国際的な脚光を浴びた。来日したロシア出身の作曲家、チェレプニンに近代管弦楽法を師事。「土俗的三連画」「交響曲 オホツク海」など独自の交響作品を次々に完成させた。>x1wandさんから、ご指摘と情報をいただきました。「交響曲 オホツク海」については、この記事の記者さんにも取材した詳細な考察がリンク先にあります。正しい歴史を残したいというコメント、身にしみます。 時代の趨勢(すうせい)にかかわりなく民族的な作曲姿勢を貫き、「交響頌偈(しょうげ) 釈迦」などを作曲。東京音楽学校講師、東京音楽大学学長などを務め、故・芥川也寸志、故・黛敏郎、松村禎三、故・石井真木、三木稔など多くの作曲家を育てた。 また、約400曲の映画音楽を作曲、なかでも54年、東宝映画「ゴジラ」では、重厚な行進曲風のテーマで強烈な印象を与え、以来「ゴジラ」シリーズの多くの音楽を担当、大きな人気を得た。 ここ数年、体調を崩していた。「ビルマの竪琴」で毎日映画コンクール音楽賞。 ゴジラのテーマは、怪獣ものに限らず、決して手を抜かない、重厚な音楽として立派でした。弦楽器の濃厚、多重的で、悲鳴に近いボーイング。管楽器の重厚で低音を駆使した技法には、脱帽です。 本:伊福部昭音楽と映像の交響(上) CD:本名徹次/伊福部昭の芸術(6)参考文献・・・日経アーカイブ「ゴジラよ、永遠に。」 ワーグナーばりの「ゴジラ」。クラシックでも鑑賞に堪えうる音楽を・・・。ウィキペディアより伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年5月31日 - 2006年2月8日)は作曲家。2003年文化功労者。1980年紫綬褒章。1987年勲三等瑞宝章。1996年日本文化デザイン大賞。 1914年、北海道釧路町幣舞の、因幡の古代豪族を先祖とする警察署長の三男として生まれる。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1935年北海道帝国大学(現北海道大学)農学部林学実科卒業。 早坂文雄らと独学で作曲法を習得し、伝統的な日本の音楽に根ざした作品造りに取り組んだ。大学を卒業した1935年に「日本狂詩曲」がアレクサンドル・チェレプニン賞第1位に入賞し、世界的評価を得る。1938年に「ピアノ組曲」がヴェネチア国際現代音楽祭入選。 1946年から1953年まで東京音楽学校(現東京藝術大学)作曲科講師。1974年東京音楽大学教授就任、1976年同大学長、1987年同大民族音楽研究所所長を経て、同大名誉教授。教育者として芥川也寸志、黛敏郎、矢代秋雄、三木稔、石井真木、松村禎三(東京芸術大名誉教授)など多くの作曲家を育てた。アツケシザクラの発見者でもある。 管弦楽曲、バレエ音楽、歌曲、室内・器楽曲など数多くを作曲した。また代表作のひとつである『ゴジラ』のテーマ曲をはじめ、1947年の『銀嶺の果て』以来、『座頭市』『ビルマの竪琴』など多くの映画音楽もてがけた。主な著作に『管絃楽法』、『音楽入門』などがある。 父は警察署長や音更村(現音更町)村長を務めた伊福部利三。構成作家の伊福部崇とは親戚関係にある。工学博士で北海道大電子研究所教授や東京大先端研教授を歴任した伊福部達は甥。伊福部 昭・「映画音楽と純粋音楽」 携わった音楽、ゆかりの地などのレポート。学生時代の街に、意外と近くにお住まいだったようで。 現在のお住まい。戦後日光から等々力に移転され、現地に落ち着かれてから50年以上が経ちます。大きな楠が生えています。「災害時井戸水提供の家」とありますので、次の関東大震災の時は水を飲ませてもらいに行きましょう。また、庭には池があるようです。 隣は某酒造会社の社宅。すぐ近くに武蔵工業大学のキャンパスがある。東急大井町線の駅から徒歩で約10分。毎晩、道に一番近い書斎には、遅くまで灯りが点っている。(97/11) 玄関脇に小さなゴジラの人形がさりげなく飾ってあります。最近、書斎の明かりが灯っていない日も多くなりました。(01/5)
2006年02月09日
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今日の大阪・泉南は相変わらず強風。晴れて暖かいかと思うと、急に曇って、小雪がちらついたり。最近、雪が降らない日はないみたいです。積もらないのは助かるけど。残念なことにこれから仮眠を取って、今晩は夜勤。きっとまた、降るだろうなぁ。(T_T) ワイナート3月号 31号 ワイナート31号が出ていたので購入。今回は「今さら聞けない、今こそしりたい、ワインの基本」。これからワインを始めたい、基本を知りたい方はいかが? ワインをどう飲むか、どう選ぶか、の指針になると思います。また、ワイン文化の根底を知ることで、選ぶときの役に立つことも。 人生の潤いのために、お薦めの一冊。 さて、気になるニュースが。【オーストラリア】ブドウ豊作の見込み、余剰ワイン増加か ~(NNA) - 2月7日 昨年過去最高を記録したブドウ収穫で今年も豊作が予想される中、ワイン製造大手各社は在庫の増加を心配し始めている。今年分の買い入れを控える計画もあり、ワインメーカーと契約していないブドウ農家は売却先の確保に困る可能性もあるという。 国内第2位のハーディーは、今年のブドウ買い入れ量を前年比約10%減にすることを決定。同社のウッズ社長は「需要と供給が合致しておらず、昨年までのワインが在庫として残っている。ダブつきを解消するまでに3年かかるかもしれない。」と述べた。 業界団体の豪ワイン&ブランデー(AWBC)もこうした状態が少なくとも向こう2年間続くとみている。 政府統計局(ABS)によると、昨年度(2004年7月~05年6月)ワイン用ブドウの収穫高は過去最高の192万5,490トン。ワインも同様に新記録となる14億2280万リットルが製造された。 だが、昨年6月末時点でのワイン在庫量も前年度比11.3%増の20億6,320万リットルと過去最高に達しているという。 ■不作なら「朗報」 「今年の収穫量は前年比20%減になる」(パースのワイン会社エバンズ&テート)という楽観的な見方がある一方で、AWBCは前年比5%減と予想しつつも、現時点では分からないとしている。 日本国内の新幹線内での消費用にワインを輸出している東海旅客鉄道(JR東海:名古屋市中村区)の稲川シドニー事務所長はNNAの取材に対し、「契約先ブドウ農家は今年も豊作になると予測している」と述べた。また、豊作になった場合は、価格が下がり農家の収入が落ち込む可能性があると指摘している。 国内第3位のマクギガン・シメオン・ワインズは、猛暑となった今年の夏の天候により収穫量が減少するという一部の見方を否定。 むしろ、ヒョウが降ったり霜が降ることがなかったことから、「記録を塗り替えることがなくても、再びかなりの収穫量になるのではないか」と余剰解消がなかなか進まないことを懸念している。 国内販売量は、ここ数年、年間3~3.5%の増加率で伸びているほか、1人当たりの消費量も03/04年度で27.5リットルを記録し、順調に伸びているという。 一方、輸出量も80年代から急激に増え、04/05年度は前年度比14.6%増の6億6,970万リットルとなっている。 6日付地元各紙が伝えた。 ・・・今年のオーストラリア・ワインは買いかなぁ。新世界好きの方には、葡萄の質もまあまあそうだし、昨年のだぶつきもまだあるので、普段飲み用に美味しいワインが手に入りそう。 だぶついているのなら、どんどん持ち込んで、オーストラリア・ワインのファンを今の内に増やせばいいのに。・・・って、簡単にはいかないか。ヤナギヤさんでは、オーストラリアのワインが結構ありますよ。ちなみに、去年飲んだのはこちら。アライアンスなんて手頃でイイかも。 カノボラス スミス アルケミー 1994 アライアンス シラーズ 2004 シャンパンなら、★グリーン ポイント NVとか、普段飲み用には結構輸入量が多い、●イエロー テイル シラーズ 2004 【12本で送料無料! バンドルセール対象商品】なんてのも、いかがでしょうか?
2006年02月08日
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今日はお休みな訳ですが、深夜遅くまで録画のスーパーボールを見ていたため、昼近くまで爆睡。ちょっと書類作りや勉強もしなくちゃならんが、たまの休みなので・・・。 今日の大阪は朝から、晴れたり、大雨になったり、強風だったり・・・。雪が通り過ぎて、小春日和、っていう天気予報は何処!?って感じ。トップページも少し、入れ替えたりなんかして。 えーと、いろいろと気になった記事を。 昨晩は、割と近くの、世界遺産にも登録された熊野速玉大社の摂社にあたる、和歌山県新宮市の神倉(かみくら)神社にて、約1400年前から伝わる神事、女人禁制の勇壮な火祭り「お灯(とう)まつり」があったらしい。昨日の感じだと、あいにくの氷雨だったろうが、約1700人の男たちが燃え盛る松明(たいまつ)をかざして山上から駆け下り、勇壮なお祭りが実施されたようだ。 コレは聞いていただけに、一度見に行ってみたい。「第10惑星」、直径は3千キロ 冥王星より巨大 2006年02月02日左から「第10惑星」、冥王星とその衛星カロン、月、地球の大きさの比較図=ボン大学提供 米科学者らが昨夏に発見を公表した太陽系の「第10惑星」は直径約3000キロで、冥王星(直径約2300キロ)より確実に大きいことがドイツ・ボン大学などの観測で確かめられた。太陽の周りを回っていても小さな天体は惑星とは認められず、「第10」を惑星と認めるかどうかは今夏の国際天文学連合で議論される。研究グループは、「これに惑星の地位を与えなければ、冥王星を惑星と呼ぶ正当な理由がなくなる」としている。2日付の英科学誌ネイチャーに論文が掲載された。 スペインにある直径30メートルの電波望遠鏡と、高感度熱検知器を使い、「第10惑星」から届く波長1.2ミリの電波を精密観測。この波長の電波の強さは表面温度と大きさで決まるといい、太陽からの距離から表面温度を求め、大きさを算出した。 測定誤差は400キロ程度で、最も小さく見積もっても「冥王星より大きいことは、疑いの余地がない」という。観測結果からみると、表面は冥王星と同様に氷で覆われているらしい。 「第10惑星」は米カリフォルニア工科大のマイケル・ブラウン教授らが03年10月に見つけ、昨年7月に発表した。冥王星よりも遠く、太陽から56億~145億キロ離れた楕円(だえん)軌道を、約560年の周期で回っている。 これは大変興味深い。名前はどうなるかわからないが、当然、冥王星自体を惑星と呼んで良いのかという話が当該の学会内では議論があるわけで、これからどうなる事やら。しかし、太陽系の全貌が明らかになって来るというのはおもしろい。広くなると何か良いことでもあるのだろうか。 しかし、世界史の年表に乗るような、惑星発見のニュースが私が生きている間に起きたこと自体、大変希有なこと。とても大変なことなんですよ、皆さん。
2006年02月07日
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今日は遅番の日。大阪はめちゃ寒い。大阪に来てから一番寒い日かも。しかし、それは当然、外で働いている所為か。時々、ミゾレ交じりの大雨と大風に紛れて、寒波が来る。--------------------------------【今日は一部の人にしかわからない話題です。ごめんなさい。】 今日は帰宅して楽しみにしていた、録画放送のNFL・第40回スーパーボールを見ることに。バブルの頃は、民放でもフルで生中継していたモノだが。 しかし、今年は意外におもしろかった。だいぶ選手がわからなくなってきているが、今年は「老舗」ピッツバーグ・スティーラーズ対「新参」シアトル・シーホークスと、割とおもしろい組み合わせ。40回の記念大会なので、今までのMVPが一堂に会したり、スタートの盛り上げた方もアメリカらしいエンタテイメントで楽しい。ハリソン・フォードをメインに過去のMVPがフットボールのおもしろさを語り継いでいく、abcのコマーシャル(オープニング・ビデオ?)なんて、要保存かも。(ちょっと、小学生が卒業式の時に交互に台詞を読んでいくヤツみたいな。(^_^;)年を取ってもかっこいいねぇ、ジョー・モンタナとか。よくよく考えると、自分が中学の時に、彼は大学生で日本の後楽園で行われた学生選抜のオールスターとかに日本でプレーしに来たんだよねぇ。 それはともかく、スーパーボウルには時として大差が付いて終わってしまう凡戦も多いが、今年はなかなか見応えあり。前半拮抗した緊迫感のある試合だったのが、後半に入って、ロング・パス、インターセプトの応酬と、派手なプレー合戦に。ま、審判にもいろいろ言われたけど。 スティーラーズRBウィリー・パーカーのスーパーボウル記録の75ヤードTDラン、スティーラーズの、リバースからWRがロングパスを通す鮮やかなトリック・プレイなど、あれこれ見所も多し。お祭りだから、ああいうプレーもイイよね!? お互いに大事なところでやらかしたインターセプトも結構あった。シーホークスのCBケリー・ハーンドンは、1977年にウィーリー・ブラウン(オークランド・レイダース)が記録したインターセプトリターンTDを1ヤード更新するスーパーボウル最長のインターセプトリターンをやらかし、派手なプレーが多かったかも。 色々とおもしろかったが、第3クォーターだったかな?、つまらない反則でシーホークスがロングパスを無にして、次に続くプレーでインターセプトを受け、自滅。ここで勝負あり、といったところか。 写真=ロイター共同 (C)NFL 結果的には21-10で、スティーラーズの勝ち。通算5回目のチャンピオンは、あの49ers、カウボーイズに並んだ。個人的には初出場初優勝という偉業をシーホークスに取って欲しかったが。 MVPはスティーラーズのWRハインズ・ワードが受賞。韓国人を母に持つ韓国人プレーヤーとは知らなかった。(ということはお父さんは在韓米軍? 正確には生まれが韓国)米国外人がMVPを取るのは過去から2回目とか。 その他の話題といえば、やはりアメフトの解説は後藤さんだよね、とか、ハーフタイム・ショーはローリング・ストーンズとか。後藤さんもタッチダウン編集長の時に比べると随分と年を取った感もあるが、まだまだ元気。あの声を聞かないと、日本のアメフト中継じゃないよね。 しかーし、ミック・ジャガーは今年62歳とはとても思えない元気ぶり。日本だと定年を過ぎているんだけど、皆さんの周りの62歳と比べて!? しかも、洋楽系で良くある口パクじゃないし、すごく元気。 ミック・ジャガー=ロイター 2006(C) オープニング、「スタート・ミー・アップ」は、中継とか、キックオフの時にスタジアムで流れたりするNFLではお馴染みの曲。コレがかかると、NFLだぁ~という感じ。(*^。^*) 随分と総集編とか、オープニングでも見たしなぁ。コレがTV中継で流れると、血湧き肉躍るという感じ。 それにしても、あのスティービー・ワンダーがスーパーボールのスタート前の前座コンサートをしたあと、というのも恐れ入る。結局、生中継とは別に5秒遅れの中継を実施し、過激な歌詞を削ったりしたものの、ノーギャラでこれだけやるとは、アメリカらしい。 そして、スゴイのが日本人初の快挙といえる、アシスタント・トレーナーの磯有理子(ありこ)さん(35)が夢のピッチのラインサイドに立つと言うこと。NFL初の女性トレーナーとなって4季目で、スーパーボウル出場を成し遂げた。過去に日本人のチアリーダーはいた(49ersのチア、安田愛さんも驚いた)が、チームスタッフとしての出場は初めて。 東京出身。バスケット部にいた中学時代にひざを痛め、手術とリハビリを体験。トレーナーを志し、高校卒業後に渡米した。州立オレゴン大などで学び、州立ポートランド大で実務を経験。夏季インターンとして働いた縁から、02年にスティーラーズに迎えられた。 選手の治療やリハビリの手助けが仕事だ。いつも親身になって接する。試合中も休みなく走り回る。直接の上司のノーウィッグ・ヘッドトレーナーは「性別や人種は関係ない。彼女が最高の人材だから採用されたのだし、実際、チームにすっかり溶け込んでいる」と目を細める。 (朝日より) ・・・ということは、スタッフも何かあるとして、日本人初のチャンピオンズ・リングももらえるのかな!? なにはともあれ、スティーラーズ、おめでとう!!
2006年02月06日
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突然ですが、祝・開設!! 大好きな歌い手の一人、佐藤竹善さんが楽天上にブログを開設しました。題名は佐藤竹善の「おくらの軍艦巻き」。 さて、今日は大阪も天気が良く、昨日までの雪がちらつく天気からうってかわり、小春日和に。でも、風は冷たいなぁ・・・。これから遅番に行ってくるので、お兄さんは相も変わらずお仕事です。もしかしたら、夜はまた雪がちらつくかも・・・。-------------------------------- さて、堂島薬師堂のお水汲みも大体ぐるっと見てきたので、雪のちらつく中、寒さを凌ぎにお目当てのバーへ行くことに。なんと、薬師堂の目の前の建物に看板がありました。 大阪転勤時に、銀座・BAR保志のオーナー・バーテンダー保志さんに教えてもらった大阪のお店の内の一店。大阪での本格的バー、一店目はココに決めました。 うらんかんろさんに教えてもらい、先日ご紹介した本「To THE BAR」の108ページにも紹介されている名店です。 To THE BAR/成田一徹 この看板を見上げると、地下とのことなので探しましたが、最初は入り口がどこにあるのかわかりません。ビルのメインの入り口から地下の各店舗に入る入り口はいろいろあるようです。・・・お水汲みの騒がしい中、周囲をうろうろすること数分、メインのエントランスから離れた、そのビルの横にその看板を見つけました。 Bar,K、確かにそう書かれています。バーというものはなかなかわかりづらい入り口を持っていて、たどり着いてもなかなか度胸がないと最初のお店には入れないものです。ましてや、この長い階段を下り、折れ曲がって、街の喧噪から離れたこの扉の前に立つと。とても良い雰囲気のある店頭です。 扉を開けると、金曜日にしては若干早い時間のためかお客さんは常連らしき一人。バーテンダーさんの「お、見ない顔だな。」という顔が見えます。「一人なんですけど、いいですか?」と一声かけて、店内の静寂の中に滑り込んで、奥のカウンターを間借りする。保志さんのバーに比べて一回り広く、カウンターの奥もちょっと広いようですが、落ち着いた調度品と一本木のダークオレンジっぽい10席ちょっとを抱える大きなカウンター。後ろの壁際には4人のテーブル席が2つ。店内には落ち着いた音楽が流れていて、外のお水汲みの行列とタクシーの車列のせめぎ合い、曽根崎新地の喧噪からは切り離されたようです。 まずは、はじめましてとご挨拶、大変柔らかな印象の笑顔をなさる方でした。もしかしたら、オーナー・バーテンダーの松葉さんかと思い、「銀座・の保志さんの紹介で来店しました。」と返す。そうすると、驚いて、「それは遠くから、ありがとうございます。」と。やはり、応対していただいたのは、バーテンダー・松葉氏でした。・・・詳細は色々話しましたが、昨春から大阪に転勤してきて、近くには住んでいること、ようやく探し当てたこと何ぞを話して、まずは最初の一杯を注文。 ブルーベリー ダイキリ オススメのものを一杯とお願いしたところ、ちょっと思案して、保志さんもフレッシュ・フルーツをお得意にしているので、色々と提示してくれた中で、カクテルでは初めて飲む印象のブルーベリーを振っていただく。保志さんとは違い、お顔とは違った印象の若干力強いシェイキングを披露していただく。できあがったのは、とても目に鮮やかな臙脂というか、日本古来の紅色というか、とても美しいカクテルができあがってきました。 飲んでみると、鼻に抜ける芳香がとても爽やかなブルーベリー。酸っぱすぎることもなく、大変美味しくいただけます。教えていただいたのは、毎日一日分のフルーツ・ピューレを作り、それを出しているとのこと。このあと、フルーツを色々と使っていただきましたが、柑橘系などは丁寧に手動の絞り器で果汁を取り出し、普段の仕事ぶりを垣間見る。 ブルドック・ハイボール その後、何かつまめるものを探しつつ、次の一杯へ。 何かオレンジで、とお願いして、さて、それに合わせて何が良いかな・・・と、美味しそうな牡蠣を見つける。 タスマニア産生牡蠣のアイラウイスキー蒸し このタスマニア産の生牡蠣(キャッツアイ・オイスター)については「年中ご用意させていただいています。」とのこと。嬉しいじゃないですか。(*^。^*) 良い時期に取り寄せたものを冷凍して適時出しているとのこと。(そういえば、昨年の旅行のNY・オイスターバーでも、キャッツアイ・オイスターって出たよな・・・)また、蒸す時に振りかけるアイラ・ウイスキーの香りも素晴らしい芳香を放つ。料理の香りをしばらく楽しんでいたら、その使用したアイラ・ウイスキーを少し出していただきました。グラスもちゃんと選択して、「ちょっとワインみたいに。」とワイン・グラスで。ウィスキーだけでも充分楽しめ、感謝。水と1:1のそのグラスも大変美味しく、牡蠣と両方を楽しむ贅沢な一時をいただきました。アイラ・ウイスキーって、意識して飲んだことはなかったのですが、大変美味しいのかも。まずい、ついにモルトにまで手を出すか!?(そういえば、うらんかんろさんはアイラ島の土地のオーナーになっていましたよね!)また、ココに来れば、この牡蠣をいただくのも定番になりそう。 ここで、電車の中でのお供に持ち歩いていた先ほどの文庫本、To the barの話になり、それでは、その中の一つ、「ボギデータ」のモヒートを次にいただくことに。松葉さんがキューバで飲んできたものを忠実に再現し、ちょっとだけ日本に合うように松葉氏のアレンジを加えたものだという。 わかりづらいかも知れないが、マドラーには沖縄のサトウキビを使用。一杯の茎付きミントの束を入れ、「ボギデータ」モヒート松葉バージョン。サトウキビを時々かじりながら甘すぎず、嫌みのないキビの甘さを楽しんだり、その囓った後のサトウキビの果汁をマドラー替わりにかき混ぜて、モヒートの中にしみこませつつ、風味が変わるのを楽しみながら飲むのがイイ感じ。(*^。^*) 「サトウキビをぐちゃぐちゃにして、だんだん短くなっていて、混ぜ込んで、下品な感じに飲む方もいらっしゃるが、それがまた良いんです。」とは松葉氏の弁。確かに。(^_^; この場合は行儀悪くも許される。最近で言うと、チョイ悪オヤジ風!? ホワイト・レディ 最後に小腹も空いていたので、Bar,K風のガーリック・トーストをいただきつつ、ボンベイ・サファイアのボトルも見えたので、それにてホワイト・レディを作ってもらい、雪も気になったので、本日は〆。 なんと、今日の雪の一日らしい、良いカクテルではないか。 帰り際には、To the barにも出てくる成田一徹氏の切り絵が飾られていたので、驚いた。額装されていて大変美しい切り絵。また今度、じっくりと見ないと。 松葉さんも大変明朗な方で、楽しく飲むことができ、感謝。保志さんのおかげで大阪でも良い店に巡り会えた。大阪での拠点もできたし、また、来よう。またの来店を約束して、今晩は帰宅。大変有意義な2/3の一日でした・・・。 Bar,K〒530-0002 大阪市北区曽根崎新地1-3-3 好陽ビルB1 電話・06-6343-1167 月~金/18:00~26:00、土/18:00~24:00、日・祝/休み
2006年02月05日
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今日は早番の日。なんとなく、昨日の飲み疲れが残っている。冬場って、朝早くの空気感が好きなんだけど、人間の本能?が許さないのか、朝は早く目が覚めないし、生体リズムが崩れていて、目がなかなか覚めないのよねぇ。大阪に来て、無茶な仕事が激減して、生活のリズムが良くなって体調が良かったんだけど、冬場はやっぱりダメか。寒いのは苦手ではないんだけど。 さて、昨日の話題の続き。(皆様、トラックバック、ありがとうございます。)------------------------------- 中之島から堂島川・堂ヶ島を眺める 中之島・国立国際美術館を辞去し、中之島沿岸を歩き、渡辺橋から四つ橋筋を北上、堂島アバンザを抜けて、バーへ立ち寄ろうかとしたところ、予想もしていなかった雪がちらつき始める。ふと上空を見上げると確かに灰色の低い雲が立ちこめている。道理で寒いと。 で、その堂島アバンザにて、振舞酒というか、御神酒を配っていたので、いただくことに。あ、そうか、今日は節分。明日から立春で大阪の春を招く、「堂ヶ島薬師堂お水汲み」をやっているんだ。ついでに、大阪のお祭り気分を味わって行くことに。寒いので、地元の方の振る舞いのお汁粉をいただいて暖を取りながら、色々と眺めていく。 お香水(おこうずい) 「お水汲み」は水に感謝する大阪・堂島薬師堂のお祭りです。 かつて、堂島薬師堂には井戸がありました。この井戸水を汲み、薬師如来に水を供えて、身体健全、開運招福、家運隆昌、などの信仰を集めて参りました。 この度の「お水汲み」の水は、奈良薬師寺金堂に1300年にわたり渾々と湧き出る井戸水を薬師如来の御宝前に供えた「ご香水」と大阪の「堂島薬師堂の上水」を合わせた「堂島お薬師さんのお香水」であります。 現在、堂島薬師堂には井戸の「遺構」が残されているのみですが、今後、「水都・大阪」の原点とも言える、この堂島薬師堂の地に井戸を復活し、「堂島お薬師さんのお香水」をいつでも汲める状態にしたいと考えています。・・・との解説があった。 大阪の繁華街であり、もともとそこに住む人たちの古来からの習慣や文化が息づくならではの、大阪の粋が残ったお祭りであったような感じが見て取れました。雰囲気が大阪らしいのですが、粋の文化を残すところはお江戸も変わらないような。芸者、芸奴、町衆の威勢の良い掛け声や闊歩が見られる粋な街でした。 薬師堂の井戸にお水汲みに行く行列を再現したのか、もともと続けられていたものなのか、提灯とお囃子を先頭にした町衆の行列が町内をグルッと一周して戻ってきました。曽根崎や新地のきれいどころも寒い中、行列に混ざっています。一番右側の春節の蛇(長崎では蛇踊りというので蛇としますが、やはりこちらでは龍がいいか?)も附いてきています。せっかく私のデジカメの前でポーズも取ってくれたのですが、そちらは残念ながら露光不足で変な写真になってしまいました。残念。 と、随分と見学しましたが、寒くなってきたので、本来の目的地であるバーへ退散。なんとこの堂島薬師堂の目の前でした。・・・この続きはまた明日。
2006年02月04日
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大阪は大変冷たい寒気に覆われているようで、肌を刺すような寒さが。 昨日、考えていたとおり、大阪・中之島にある国立国際美術館で開催中の「プーシキン美術館展~シチューキン・モロゾフ・コレクション」へ行ってきました。東京では行けなかったのですが、遅ればせながら。 さて、私は1月8日の日記に載せた写真の建物が国立国際美術館だと思っていたのですが、なんとココは地下式の美術館。左の写真の金属のモニュメントみたいなものt(設計:シーザー・ペリ、これ自体も結構迫力のあるものですが)が入り口で、ここから地下3階構造の美術館になっているとは全く知りませんでした。後ろの丸い建物は「市立科学館」。 今日はあのマティスの金魚やドガ、モネなどを見たくて、やってきました。残念ながら、夕方近くになってしまったので、常設展示はあきらめましたが、真っ直ぐ地下3階に下りて、今回の特別展示へ。 いきなり最初が「踊り子/ドガ」。(作品名:写真スタジオでポーズする踊り子)ドガの踊り子は、凛としたというか、その動きの緊張感や動きの布擦れ、トゥシューズのきゆっという音が聞こえてきそうで、そして、いつも窓からの陽光が踊り子を照らす(人工の灯りの場合もありますが)その空気感が好きだったりします。 「黒い服の娘たち/ルノワール」 「白い睡蓮/モネ」 そして、ルノワール、モネとたたみかけるように出てきます。ルノワールのやさしく、柔らかな感じと色彩も良いのですが、そこに出てくる人物のほほえみなどの表情、そして、社交場のしゃべり声が聞こえてきそうな楽しい雰囲気が好きです。だから、大人数が出てくる絵が良いのかも知れません。 モネは再三触れていますが、「積みワラ」も出展されていますが、やはり、「睡蓮」です。今回は「白い睡蓮」。うっそうと茂った森の中の、深遠な沼の映り込みの中に、白い睡蓮が浮かび上がる見事なコントラストも今回のものが大変キレイに写ります。 左の写真は、昨年9月のメトロポリタンの睡蓮。期せずして構図が一緒ですが、水面の映り込みを森の中の静寂と共に切り取ったような、澄んだ色遣いではこちらの方(上の睡蓮)が上かな。 その後、新印象派とセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」、ゴーギャン、ゴッホも見ることができた。特に、何かというと、ゴッホは必ずひまわりのモチーフが来るが、今回印象に残ったのは、薄暗い展示場の中で何故か真ん中の男の顔の顔が浮かび上がり、明るく存在感が浮かび上がってくる「刑務所の中庭/ゴッホ」を見れたことだ。 ある版画家の挿絵版画をモチーフにするが、予備知識が無くとも、その男がゴッホに見えてしょうがないというくらい、存在感がある。やはり、当時のゴッホの狂気にまみえた心理状態を表しているのだろうか。 そして、様々な作品の中、ついに赤く輝き、生き生きとした「金魚」の前にたどり着いた。結構目立つのは、意外に大きな作品だったという所為か、それとも、ここだけ周りの作品に比べても、赤い色が目立った所為か。 下手をすると、子供の落書きにしか見えないのかも知れないが、何気ないタッチで、赤い金魚を描き出すというのはマティスにしかできないのかも知れない。マティスの中でこれだけ大きく金魚を描いていて、口の動きとか、目をぎらつかせて泳ぐ様子が見て取れるのは、これが一番良いのかなぁと思う。よく見ると、金魚の赤色を取ってみても、色々な紅色が組み合わさっているのも見て取れる。 ルソーやピカソのサルタンバンクも見ることができたし、先日の兵庫県立美術館同様の、心に栄養補給ができたなぁ。じっくり見ることは本当に疲れるのだけど。 恒例の美術館巡りの最後にあるお土産は、またまた絵はがきを買ってきたけど、その中で、今回のプーシキン展にあたり、ロシアのプーシキン美術館を取材し、タイアップで本を出している、画家のMAYA MAXX(マヤ・マックス)さんがおもしろそうな本を書いていたので、今回、購入。 絵が「ふるえるほど好き」になる 今回の絵についても触れているし、ロシアに何故名画が集まったのか、ロシアの旅行記なども一緒になっているので、おもしろそう。MAYA MAXXさんの解釈もおもしろそうです。 ココは金曜日に限って、19時まで開館しているが、今回、ラッキーだったのは、金曜日の特別企画として、地下一階の入り口ホールで、「金曜無料コンサート」に巡り会えたこと。 東京の美術館では考えられないようなコラボレーションでしたが、プーシキン展記念コンサートは別途、特別観覧付きで2/14に「Creative Jazz Unit Beat's Up」(2,000円)というのがあるようなので、プロの演奏を聴きたい方はそちらで。 今回の無料コンサートは「イーゼル芸術工房」という関西の大学生のグループがやっていて、今日がたまたま初日とのこと。拙い演奏ではありましたが、地下の展示場まで吹き抜けを通して、ジャズや映画音楽が聞こえてきて、良い感じではありました。次回は、2/17,3/3,17,31にあるそうなので、興味のある方は行ってみては!? 金曜日はゆっくりと夕方遅くまで、閲覧できるってのも良いですね。 と、そうこうしているうちに、夜も更け、閉館時間に。ライトアップされた美術館を眺めつつ、帰途へ・・・な訳もなく(爆)、近くの新地へと繰りだしたのでした・・・続く。(^_^; ・・・って、寒い寒いと思ったら、雪もちらついてきたし、この寒さは雪の前触れだったか~。(>_
2006年02月03日
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今日もお休み。詳細は後にして、昨日予告したとおり、今日は大阪市内、中之島、北新地を中心に。国立国際美術館・プーシキン展↓堂島薬師堂の節分行事、お水取り。(偶然)↓Bar.K新地の街はお水取りなどでお祭りムード。時期的に中国の春節祭見たい。事実、蛇踊りも一緒にパレードしていたし。(せっかくデジカメにむかって、ポーズを取ったり、かみついてくれたのに、露光不足で映ってない~(>o
2006年02月03日
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本日の日記は、東京と大阪、お題を2つ。 表参道ヒルズが完成披露を行ったようだ。友人が住んでいて、遊びに行き始めて街を知ってから随分と経つが、あの同潤会アパートも良い雰囲気で好きだった。 しかし、また新しい街並みが東京に増え、喜ばしい限りでもあるし、また、楽しく飲み食いできるところも増えそう。(*^-^ゞ まだまだ、六本木ヒルズも歩き足りないし、六本木の防衛庁跡地の再開発も完成していないし、いろいろと楽しみは多い。表参道ヒルズが完成 同潤会跡地に、施設を公開 (共同通信) 東京・表参道の同潤会青山アパート跡地を再開発した住宅・商業施設「表参道ヒルズ」が完成し、11日のオープンを前に2日、内部の商業施設などが報道陣に公開された。 建築家安藤忠雄氏の設計で、地上6階、地下6階。内部は吹き抜けで、表参道の坂とほぼ同じ緩やかな傾斜のらせん状のスロープが階段代わりに設けられている。 商業施設は、ファッション感度が高く都会的な男女をターゲットにしており、日本初出店も含む計93店舗がそろう。イタリアの高級ブランド「ドルチェ&ガッバーナ」やジュエリーの「ハリー・ウィンストン」のブティックなどが入り、カフェやギャラリーもある。 安藤氏は記者会見で「表参道の中に、もう一つ街ができるようにと考えた。ここから世界に新しい情報を発信してほしい」と話した。 なんといっても、またまた安藤忠雄氏の設計。なんとなく、氏の設計する建物は好きだ。この写真を見ただけでも、行ってみたくなる。先日の神戸の美術館といい、香川の地中博物館といい、うまく地下の感じを利用しているところもあるような。イメージとして、そう、栃木の大谷石の採掘場のような。それと、スロープと壁をうまく活かした写真のような建物が良い。・・・しかしまた、森ビルかぁ。 フードコートも良いが、色々な買い物も楽しみだなぁ。個人的にはソニー・ファミリー・クラブが本格的に出店するBEYESが楽しみ。確かに、ソニプラもおもしろいが、あそこはちょっと女性向けすぎるというか、子供っぽいというか。大人の男向けの買い物ができる、楽しい場所になりそう。11日の本格オープン以降、是非とも、行ってみたいです。
2006年02月02日
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今日は休みではあったが、会社がらみの所用で大阪・梅田へ出る。早く用事が終われば、脚を伸ばして、中之島の国立国際美術館で開催されているプーシキン美術館展も見たかったが、さすがに閉館時間近く、ゆっくり見ることができそうにもないので、あきらめる。明日は金曜日の夜で19時まで開いているようなので、明日ゆっくり来てみるか・・・。 で、かなり遅い昼食を取りに、今年頭の1/3の日記でもちょっとだけ触れたつるとんたんの北新地店へ行ってみた。これで、関西も初参上。 転勤時に是非美味しいから行ってみて、と言われていたのではあるのだが、確かにうどんは普通に美味しい。しかし、麺好きの麺喰いには何かが物足りない。・・・なんだろう・・・。その答えはまた今度行ったときにでも考えてみるか。とりあえず前回と一緒で、六本木店だけかと思ったらこの店発祥の大阪の地でもゆで方というか、麺の質は一緒らしい。 文章でどう表現するかと言われれば、麺が「ねちょ」としているというか、これを「モチモチ感」だと表現すればそれまでなのだが、私の大好きな讃岐うどんのコシと「つるっと感」がいまいちなのだ。うどん、そばという日本の麺は「ずるっ」と音を立てて、一気に飲み込むようにすすれること、またうどんに関しては、コシと喉越しも大事だと思うのだが、味や盛り込みにこだわりすぎてそこが物足りなく感じるのか、もう一つ何かが足りないのだ。 もう一つ気になったのは、コレが売りなのだろうが、器のでかさ。これは大き過ぎなのでは!? この器の大きさならば、もう少し、浅くした方が食べやすいんでないの!? この量と味ならば、充分やっていけるだけにもったいない。 またコレが一番気になった所為で落ち着いて食べられないというか、「おもてなしの」と銘打っている割にはこれまた接客業として物足りないというか。昼のピーク時を過ぎて気が緩んでいたのか、客の食べている動きに注意を払っていないよね。お茶なり、お水なり、最初に素早く持ってくるのだが、メニューを見て注文するときとか、食べている最中に何かを頼みたいときとか、店員が気づいて素早く出てくるとか、客の動向を気にしていないとか、接客業の基本ができていないし。 美味しくいただいて、美味しくいただいてゆっくりしようとお茶をもう一杯とお願いしたのだが、お願いするまでに店員の顔を見つけられないのと、お茶を注文しても10分以上出てこないので、意地悪な私はあきらめてお勘定を済まして出て行ってしまいました。>>女優の夏木マリがあまりのおいしさに感動して,自分で六本木店をプロデュースしてしまったという人気のうどん屋さん。・・・考え直した方がよいと思います。北新地店はなんとなく、日本料理屋っぽく、落ち着いた感じでイイ感じなのですが、六本木店はもとイタリアンか何かの店の後らしく、少しお洒落すぎで、その厨房の後を利用したのか、オープンキッチン。それを利用して威勢の良い感じを押し出そうとしているのですが、店員のだらだらした感じとか、がちゃがちゃした感じが見えて、ちょっとうんざりで、フロアの店員さんが今回の北新地のように目が行き届いていなかった印象が非常にあるのです。大阪から鳴り物入りでオープンしただけに、残念。オープンキッチンって、そこに立つ人間の気合いとか、ホスピタリティが足りないと、そのお店の価値が下がってしまうので、難しいですよねぇ。 と、久しぶりに小言はこのくらいにして、保志さんから紹介された、オススメの大阪・新地のバーの位置が夜だとわかりづらいので、この機会に曽根崎新地、堂ヶ島の探検をして帰宅することにした。ちょうど時間的にお店のお兄さんや姐さんが出勤してくる時間帯で、まぁ、まったりとした良い雰囲気であったことは確か。バーの場所もわかったので、今度また、バーのレポートもしてみたい。 TO THE BAR/成田一徹 今、この文庫も読み進めている最中。切り絵が、その特徴として白黒だけで表現され、またバーの持つ特徴や陰影、空気感を見事に切り取っており、大変美しい。
2006年02月02日
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早くも2月に突入してしまいました。皆さん、いかがお過ごし?今日は遅番の日。昼からはずっと雨に降られっぱなし。しかし、湿度が高く、寒くはなかったので、助かった。(^^ゞしかし、夜になると、一時間ほど、冬の綺麗な夜空が見えて、オリオン座が見えた。明日は晴れるといいな。さて、今日は大変感心した話題。DMV これって列車?バス? 北海道で営業運転へ (2/1・毎日新聞)2台を連結して線路上を走るDMV(上)、連結を解いて2台のバスになったDMV(下)=斎藤誠写す 線路と道路の両方を走る世界初の新型車両が06年度中にも北海道で営業運転を始める。JR北海道が開発中のデュアル・モード・ビークル(DMV)。少子高齢化で将来的に利用者減が見込まれる各地の鉄道会社や自治体も、その低コストと機動性に注目している。【斎藤誠】 両用車両は鉄道マンの長年の夢だった。20世紀初めに英国が試作し、日本でも旧国鉄が開発を試みたが、いずれも失敗した。「当時は重量のある鉄道車両を道路を走らせる発想で、タイヤがもたなかった。周辺技術も未熟だった」と話すのは、DMV開発を指揮したJR北海道副社長(技術担当)の柿沼博彦さん(62)。 軽いバスを線路に乗せるという逆の発想で、02年から開発に着手。03年春に試作1号車が完成した。全長7.3メートルで乗客17人乗りの車両は、線路では四つの鉄輪を油圧で下ろして時速約70キロで走る。連結も可能だ。道路に出る時は鉄輪を引き込み、わずか10秒でバスに変身する。 JR北見駅-女満別空港間で昨年10月に行った走行試験では、連結した2両が北見-西女満別駅間は列車で、同駅と空港間を2台のバスとして走った。軽量化と積雪期の安定走行をテーマに試験を重ねる。 JR北海道は日高線などでの営業を検討。観光に活用し、旭川空港と紫のラベンダー畑が広がる富良野地区までを乗り換えなしで結ぶ構想も描いている。 ◇課題は安全基準 開発の背景には、赤字ローカル線に悩む経営事情がある。DMVは1両2000万円とディーゼル車の7分の1で、燃費は4分の1。車重も7分の1と軽く線路保守の負担が軽減できる。 残る課題は法令に基づく安全基準。例えば、鉄道車両はトンネル火災に備えてシートや塗料を燃えにくい素材にする基準がある。DMVを列車と考えるか、バスと見なすか。国土交通省は実用化に向けた基準づくりを急いでいる。 私鉄や第三セクター鉄道の赤字に悩む地域の関心も高い。過疎地の鉄道利用者減は、これから一層深刻になるとみられるからだ。「それでも鉄道が必要という地域の皆さんがどんな工夫で交通網を残すのか、DMVは一つの提案」と柿沼さんは言う。 熱心なのが静岡県富士市。東海道新幹線新富士駅と東海道線富士駅の2.7キロをDMVで結び、私鉄の岳南鉄道を加えて環状線を作る長期構想を描く。鈴木尚市長も北海道に試乗に訪れた。千葉県は私鉄の小湊鉄道と第三セクターいすみ鉄道を結ぶシステムとして関心を寄せる。 昨年3月に名古屋鉄道が路面電車を廃止した岐阜市では、線路を残してDMVを導入出来ないか検討中。海外では、東欧のスロバキアが線路敷設が難しい山岳地帯での導入を目指し、JR北海道に打診している。 こういう取り組みこそ、社会に必要なものだし、企業価値を上げる活動で、JR北海道にとっても社会貢献度の高い素晴らしい仕事ではないでしょうか。・・・しかし、鉄道の上に車両を乗せる発想はあったにしろ、以前失敗した理由が、「当時は重量のある鉄道車両を道路を走らせる発想で、タイヤがもたなかった。」事だったとは・・・。鉄道会社だけで考えてやったことだろうから、鉄道会社らしい失敗。もしかすると、自動車メーカーが開発していたら、もっと早かったかも。 何にせよ、税金を使った無駄な土地の収用であるとか、設備投資、これらがまるまる削減でき、鉄道のない田舎でバスとして、そのまま都市部の鉄道に乗り入れれば素晴らしい。すでに、外国からも引き合いがあるということは素晴らしいなぁ。こういうイントラの整備こそ、田舎に無駄に立派な道路を造ることよりも、社会の役に立つと思うのに。ウチの田舎にも走らせてもらいたい・・・。
2006年02月01日
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