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今までは風邪をひくと、「あぁ、やっちゃったかな・・・・」ときっかけが分かる場合がほとんどだった。今回はそのきっかけがわからないまま、風邪をひいた。高熱がでたりひっこんだりして脱力感と関節の痛み、オマケにお腹にもきた。グルグルのお腹で、なおかつ吐き気がする。食事は出来ない。周りにうつしては申し訳ないと思い病院に行って検査をするが、インフルエンザではないようだ。熱用とお腹用と2種類の薬をもらう。薬剤師さんが種類と効能を説明しながら言った。「両方ともかなり強力な薬です・・・・そうとうお具合が悪いんですね・・・・」どのように強力かは分からないが、1錠で現在の症状を押さえ込むとの事。だが、飲んでから4時間は経つのに変化はない。午前中の打合せもなんとか頑張ったが、食事も出来ないし、昨晩の睡眠不足もたたって頭がいつもよりボケている。こんな日記など書いていないで早く帰って寝ることにしましょう。皆様、風邪にはご用心ください。
2004.01.28
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お騒がせの、古賀潤一郎衆院議員(45)のホームページにアクセスしてみた。予想したとおり混んでいるらしく時間がかかる。あったあったU.C.L.A.(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)C.S.C.B.(カリフォルニア州立大学ベーカースフィールド校)Pepperdine Univ.(ペパーダイン大学)ちゃんとアメリカの大学名が並んでいる。但し「卒業」とはどこにも書かれていない。初めから、「留学経験」と明記しておけば良かったのだろうが、それにしても卒業していないことを誰が調べたんだろう?一番考え安いのは、今回落ちてしまったあの人だろうか・・・・(あくまで個人の想像)それにしても男らしくない。女々しい。(女性にはごめんなさい)自分が卒業したかどうか分からずにいる人間などいないだろう。卒業できていないことを知っているから、履歴に「卒業」の文字を入れなかったはずだ。ただの「留学経験」だけではプライドが許さなかったのだろう。外国の大学を出たかどうかで投票した有権者は皆無に等しいはずだ。テニスの優勝記録も幾つか載っている。同じように疑われているが、単純な私などは「おそらくこれも嘘だ、テレビで見た彼のフォームでアメリカの大学選手権に優勝出来たらマッケンローに失礼だ・・・」と思ってしまう。嘘も方便とは言うが、分からなければ嘘で塗りたくっても良いはずがない。根本は彼の精神の居場所だ。知っていることを誤魔化し、自らを飾り立てる道具を用意し、自分がいかにすばらしく鏡に映るかを演出している。鏡の中の人物には表情はあっても心が無いことを彼は忘れてしまったのだろう。議員秘書や自らの県議会議員経験の中で、身につけてしまった技かもしれない。迷惑をかけた民主党を離党するとのことだが、政治は党のためにあるのではなく国民のためにあることも彼は見失っている。国民への謝罪が第一であり、二の次にする姿にはやはり真実がない。残念だが、根本的に国政を任せられる人間ではない。泥棒になる前に彼には辞めてもらいたい。生まれ年で人を分析することには無理があるが、私の弟も彼と同じ年の生まれだ。人間としての中身はペラペラだがプライドは人一倍高く、自分を美化することに努力し、他人が見た虚像を賛美されることに価値観をいだき、不始末は誤魔化し、反省はせず、同じ過ちを幾度も繰り返す・・・のが私のバカ弟だ。古賀さんがここまでひどい人間では無いことを祈りましょう。
2004.01.27
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フランスからお客さんが来る。彼らは英語も話せるのだが、私は話せない。通訳をお願いしてあるが直にコミュニケーションが取れないことはつまらない。もっと英語を勉強しておけばよかったのにと事あるごとに思うのだが、いつまでたっても後悔するだけで終わってしまう。前回外国人と話をしたのはもう2年も前のことだし、従ってこの2年間は英語を必要としなかったのだから仕方がない。以前、大阪の外国人女性がいるお店に連れて行ってもらったことがある。崩れたところの微塵もないお店で、一流企業のトップが出入りしていた。独特のジェスチャーを交えて滑らかに英語を話すし、会話を楽しむ。ただそれだけなのかどうか、本当のところは分からないが・・・・。日本も外交官は英語及び外国語の達人なのだろうが、政治家が満足に英語をしゃべっている姿は見たことがない。外国を知る上で、外国人の考え方を知る上で、外国語は必要不可欠のはずだがいつまでたっても互角に英語で通じ合える政治家は出てこない。子供達が今なぜ勉強をしなければならないのかといえば、将来社会の一員として生きていくための基礎学力をつけるために学校で学んでいる。自分もそうだったが、子供の頃にはそんな能書きは理解できなかったが、政治家は違うはずだ。世界の中の一員である日本の代表者なのだと言う自覚に欠けているのだろう。日本全土を見渡して、広い視野に立ち仕事をしている政治家が果たして何人いるのだろう。日本をアピールし、諸外国との交渉をよりよいものにすることは二の次で、地元に幾らお金を持ってくるかが政治家の職務というスタイルは変わりようがないのだろうか。いつまでたっても日本は井の中の蛙だ。その職務を選んだ以上、日本を憂い、人を愛する心を持ち、もうひとつ英語ぐらいは達者な政治家がでてきてもらいたいと思う。
2004.01.23
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競売物件の活用方法を特集したニュース番組を見た。差し押さえとなり競売に出された不動産を落札して商売にしている話だ。住宅を落札しリフォームして販売している全国ネットの会社組織と、アパート物件ばかりを落札し同じく手を入れて貸すことを現職としている個人の例を紹介していた。後者のアパート専門の方は凄い。全国ばらばらだが10数棟・60数室(だったと思う)持っている。勿論初めは1棟からだがきっかけに勇気を感じた。競売物件をリフォームして販売することを会社に提案したが通らなかった。それではと彼は自家用車を売り生活を切り詰めて最初の資金を作り1棟目から数棟目まで、自ら事例を作ったが同じく彼の勤める会社は採用しなかった。その後も彼は二足のわらじを履き続けたが、先に倒産したのは彼のアイデアに耳を貸さない会社の方だった。やったね!そう思ったのも束の間、その先が悪い。番組制作者の意図が曖昧な作りだ。成功者の彼は成功事例を本にして出版しているそうで、講演もしていた。独り占めせず多くの一般人に方法を伝授するのはよいことだが、参加者のコメントに疑問がある。「将来の年金にも不安があり、不労所得が欲しいと思いました・・・・」だと。特集中には税金の言葉は一言も無かった。土地を買ったり維持していれば黙って税金をとられる。初回のリフォームにはお金がかかることは盛り込まれていたが、その後のメンテナンスに必要な資金はノーコメントだった。第一「不労所得」とは何事だ!!アパート経営・管理にはそれなりの労力と資金を必要とすることを知らないのかしら、番組制作者は?コメンテーターが特集終了後にお粗末ながら「不労所得ではない事」を付け加えていたが、いかにも中途半端な番組だった。単に競売物件の活用方法だけを伝えることではなく、テレビ局のアイデアやポリシーを打出してもらわないと視聴者はついて行かないよ。ニュースは事実を伝えるものだが、局・番組としての意思表示があっても良いでしょう。どこのチャンネルも同じ事しか話さない。嫌われるのが嫌なんでしょうが、カラーを出して欲しいと思っているのは私だけだろうか?
2004.01.20
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EZ!TV だったか「おじさん達のロック」が流行っているようだ。同年代のおじさん達が30年40年前の音楽を焼き直している。クラプトン、ディープパープル、イーグルスそしてビートルズ。一様に若い頃バンドを組んだことのあるおじさん達だが、なかなか様になっていた。長髪にサングラスのスリムだった若者が、今はすっかりおじさん風情が似合うようになってもハートだけは変わっていないのだろう。燻っていたものに火をつけて燃焼させている姿を見て微笑ましく感じるのは私だけだろうか。最近も若いストリートミュージシャンがたくさんいるが、音楽を嗜む若者はいつの時代も存在してきた。本格的に習わなくても、おたまじゃくしなど読めなくても皆うまくこなしているが、プロになれる人はごくごく僅かで大方が趣味で終わってしまう。3度の飯よりも好きだったものが、仕事や家庭や子供を持つ過程において脇に置かれ、そしていつしか封印されてしまう。その封印を解きたがっているおじさん達が神田の楽器屋に足を運ぶ。若者よりもおじさんの方が圧倒的に多いそうで、陳列されたエレキ・ギターを愛しそうに眺めている。24万円のエレキ・ベースが欲しくて家に帰り、奥さんに交渉する人をカメラは追っていた。子供二人と奥さんを前にして雑誌を開き、「おとうさん、このベースが欲しいんだけど・・・・・・」と陳情するが、「大人のおもちゃにしては高すぎるわよね・・・・・同じようなのを持ってるじゃないの・・・・」簡単に却下された彼は、弦の1本足りないボロボロのベースを持ちうつむき加減に弾いていた。財務大臣の奥さんに却下されてはいたし方の無いことだし、世の中のほとんどの家庭が同じように財政難だと思うと一人身の私は少々後ろめたい気持ちになる。バブルが弾けてゴルフ場の料金も格安になったようだが、「それでも行く回数は減ったよ・・・」とゴルフを趣味にするおじさん達が寂しそうに話すのを居酒屋で耳にしたことがある。給料カットやリストラの続く現状では趣味などにお金を使うことはご法度なのだろう。それにしても・・・と一人思っていたところで、「私も若い頃やってたんだ・・・・24万円のギター、奥さん何とかしてやってくださいよ・・・・・」最後にキャスターが問いかけた。ブラウン管の向こうで見ているであろうあの夫婦にはどう聞こえただろうか。音楽を愛する者の発言としては情に訴えるものは感じるが、他人の家計にまで立入る言動とも捉えられる。「ほら、○○さん(キャスター)もああ言ってるでしょ、買ってよ・・・・・・」「仕方無いわね、ご近所や会社の人も見てるでしょうし、恐妻なんて言われたくないし・・・・・・」などと言う会話の結果、やり繰りをして手に入れるかもしれない。但し、リストラ・倒産も明日はわが身の不安定な経済状態の今日では何が起きるかわからない。そうはならない事を祈るばかりだが、後で後悔するのは夫婦であり、○○さんは助けてはくれない。そして、キャスターも言動に悔いを残すこととなる。
2004.01.19
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また出張に出かける。出かける前だけではなくて日々そうだが、社内の業務や打合せにも時間がかかり嫌になる。もう少し物分りや歯切れのよい社員さん達なら嬉しいのだが。つまらない外線も入ってくる。失礼なのは、先物・商品相場の会社。平気で向こうから電話を切る。ガシャリと切る。今度かかってきたら先に会社名と同様、電話番号も聞いておこうと思いながら、いざとなると忘れてしまう。焦ると忘れ物をするようになった。10年前は焦ってもそうそう忘れ物などしなかった。などとこんなことをしている場合ではなかった。夕方のアポイントも遅らせたんだった。早くしないといけない。掲示板に書き込みを下さっている方々には申し訳ありませんが、戻り次第お返事をいたします。ご容赦ください。
2004.01.13
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正月に亡くなった営業社員の葬儀も昨日終わった。延期していた社内の賀詞全体会と交歓会を本日行った。交歓会と言っても、部署ごとに頂きもののビールを少々飲むだけだし率先して参加するつもりは無かっが「お先にやってますから・・・」と営業さんが声をかけてくれた。「亡くなった社員の話になるのも嫌だな・・・」と思いつつも「折角声をかけてくれたしな・・・」と一時ビールを飲んだ。想像どおり彼の生前の話に花が咲いたが、まじめな顔で怖い話をした社員がいた。「昨日ですね、遅くまで仕事をしてたんですよ。12時にですね、ブーンブーンって何か音がするんです。どこで鳴っているのか探してみると、●●さんの髭剃りがブーンブーンって動いてるんです。慌てて止めた瞬間に社内のキンコンカンコンっていうベルが鳴ったんですよ。僕は●●さんの机の上の水を替えましたよ。一人でこの部屋にいるのが怖いです・・・」そういって彼は問題の電気剃刀をみんなに見せた。普通の電気剃刀だ。会社のチャイムも、朝昼晩の定時になるようにセットされていて、夜中に鳴るようなことは無いはずなのに・・・。そう言えば私の部屋でも、鳴るはずのない外線ブザーが1度鳴ったりした。49日までは三途の河の手前にいるのかもしれない。「ちゃんとやれよ・・・」とメッセージを送っているに違いない。営業部の彼の机の上には花とビールが乗っている。疲れたでしょう、ゆっくりおやすみなさい。
2004.01.08
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旧勤め先に復帰してからは、会社のパソコンを使っている。以前は自前のを持参していたのだが、家への持ち帰りが面倒だったりで「これでいいや」とVAIOを借りている。前の使用者はわかるのだが、地方で使っていた機会だ。このVAIO、会社のネットワーク管理者M氏に見てもらったが、断固ネットワークへの接続ができなかった。昨年末最終日に必要があり倉庫から引っ張り出してきて別のパソコンを修復していて気がついたことがあり、試してみると見事オンボロVAIOが繋がった。なぜネットワークに固執したかといえば、インターネットを見るためではなく、単なる印刷に困っていたからだ。一々外付けフロッピードライブを付けて、コピーしてから他人の機械を拝借してプリントアウトしていた。面倒で仕方がなかった。さてさてネットワークには入れたが、次に待っていたのがプリンタドライバを探すこと。この会社は管理が本当に行き届いていて(皮肉)、なんでもかんでも無くなる。無くなってあたりまえ。あれば拾い物状態だ。結局メーカーのホームページからダウンロード。これがまた素直に完了してくれない。デバイスがどうたらこうたら、フォントがエラーになったり、試行錯誤30分。何とか成功した。昨日は別会社のカラープリンタのドライバを入手。前回の知識・経験が活きてすんなり完了。何事も経験することが財産になるのだが、ジョギングといっしょでしばらくやらないと忘れてしまったりする。私の場合パソコン修理が仕事ではないからいいが、パソコンに限らず各セクションに分かる専門社員がいない現状に大いなる不安を感じている。
2004.01.07
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会社の社員が亡くなった。2日に具合が悪くなり、かかり付けの医者に転がり込んだが対応できず、救急車で大きな病院に転送されたが間に合わなかったようだ。喘息の持病を持ち毎週通院し、通常休患日であろう年末30日にも診断に訪れていたそうだ。47歳、本人にとってもご両親にとっても不本意な死であったと思う。在職中に幾人かの社員の方が亡くなられたが、私が彼らについて思い起こすことはほとんどない。転職や退職をしていった方々に関しても同じで、冷たいかもしれないが年々私の記憶の中から薄れていく。それでも、肉親の死だけは明確に覚えていて仏の生前もよく思い出す。死して残せるものなど私には何もないが、思い出してくれる人が一人ぐらいは欲しいと思う。忘れ形見等、形として残るものは容易いが人の心に残り続けることは難しい。親兄弟であれ他人であれ、どれだけその人の役に立ったかが問題なのだろう。人の為と書いて偽りと読む。人の為と言いながらも実は自分の為が一番なのは今に始まったことではないようだ。疑わずピュアでいることには危険も伴う。それでも私生活だけは、駆け引きなく純粋でいられたらと思う。
2004.01.05
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今日も走った、というか走ったり歩いたりブラブラしてきた。昨日ほど暖かくはなかったので、ウォーミングアップもそこそこに走り出して体を温めたが、足は思いのほか軽かった。この時計の前から本格的に走り出すのが、3ヶ月前までのことだった。もどってきた時のタイムを確認するのもこの時計だ。日によってコースや走り方が変わるが、帰りの時刻は2分の誤差以内に予測できる。勿論途中の肉屋と八百屋の時計でカンニングをするが、それらの時計が数分狂っていることも僕は知っている。環状線を越えるとそこからはアップダウンの繰り返しだ。東西南北どの方向へも上ったり下ったりしている。走り始めた頃、人通りのない裏道を走るとつい立ち止まってしまう軟弱な自分を勇めるために、あえて人通りの多いこの道を走ったために今もここを通っている。豆腐屋やペット病院はまだ休みで、酒の安売り店は開店休業状態、大型回転寿司の駐車場は満車だった。2件ならんだ焼肉やの入りはまあまあで、店長がいつも表に立っている暇なラーメン屋は休んでいた。この道の両サイドは地図が書ける。知らない間に立派になった病院。ちなみに僕が生まれた病院だ。弟も小さい頃、腸閉塞でお世話になった。そして、言いたくないことでもお世話になった。(注:女性に自分の子供を下ろさせたと言うことではない)感謝の念と後悔と反省をしながらなぜかこの前は必ず走り抜けている。(注:今日は勿論立ち止まった)ご存知駒沢オリンピック公園。小学生の時、オリンピックを見に来た。中学生の時、区の総合体育祭とやらをここでやった。こっそり抜け出したのを見つかって怒られたのが昨日のようだ。テニスを始めた頃、毎晩のように壁打ちにもここに来た。僕のお気に入りだった場所は駐車場になっている。今日も駒沢通りの両側はぎっしりと路上駐車の列が出来ている。凧(カイト)揚げや家族でのバトミントンやらアベックの散歩やら相当な人出だった。有名なテニスクラブの入り口。昔は完全会員制でおまけに高額年会費、僕など入会不可能。外からはコートが見えないようになっているが、隙間から恨めしげに眺めていたのが僕でした。今はスクールもやっている様子で一般人も使えるようだ。この先には「東京学芸大学教育学部世田谷中学校」と言う長い名前の中学がある。曇りがちの空の一角が急に開けた。東京の青空。建設中の建物は近隣の猛反対にあっている。電柱やバードレールには看板や横断幕がベタベタ。玄関やベランダにまで反対の垂れ幕を下げている個人住宅まである。僕には判断がつかない。「都立大学」の跡地に建てられた区の施設。僕らの税金のおかげでこんな立派なものが建てられた。区民皆が使える施設だから許してやるが、区役所の移転には断固抗議する。とんでもない大金使って、中古のボロビル買いやがって。ともあれ、今ここには以前の大学正門の1つが歩道に残されている。学生運動の頃の面影は完全にない。最後の楽しみ場所。坂下の2階屋の屋根だって視線の遥か下にある、コースで一番の坂道だ。600メートルほどを一気にいける日は相当具合がいい日だ。ほとんど僕は坂下からの上りだけを走ることにしている。坂下から100メートルが一番角度があってしんどい。ここをダッシュで抜け、残りのどこまでダッシュがもつか自分との勝負をする。ほとんど終点。公園の池をまわってチェックポイントの時計を見て終了だ。今日この写真を撮っていたら、そばで犬が糞をしていた。ヒモを持っているオヤジはシャベルを入れたビニール袋を持っていない。案の定そのまま失礼の体制でオヤジは歩き出した。「オヤジさん、犬の糞、片付けていかないの?」僕は2度オヤジの背中から声を掛けたがオヤジはシランプリだった。「マナーは守った方がいいんじゃないですか!」前に回って言ってやった。子供の頃、何度も犬の糞を踏んづけて嫌な思いをしたものだ。子供の頃ばかりではない、大人になってからも革靴をやられた。「すいません」「すいませんじゃ困るよ、みんなが迷惑するんだよ、片付けないの?」「すいません、紙がないから・・・ブツブツ・・・」「持って出るのが常識でしょ。取りに行ってきなさいよ、俺、オッサン帰ってくるまでここで待ってるよ。もし戻ってこなかったら豪い目にあうよ。」このところ自分の中に溜まっていたあるストレスを発散させるように、無意識に彼に絡んでいた。もう少し歯ごたえのありそうな男に見えたから、あえて絡んでみたのに暖簾に腕押しだったからしつこくなったのかもしれない。正義感と言うオブラートに包んではいても虐めだと自覚していた。「早く行ってきなよ、一緒に行こうか?」はなから待っているつもりも、一緒に行く気もない。家までは10分程度だとオヤジは言っていた。顔もしっかり覚えた。犬がいる限りまたこの公園にはやってくるだろうし、見つけることは容易なことだ。今度見かけた時にチャンとシャベルを入れたビニール袋をオヤジが提げていることを期待すればいい。オヤジが視界から消えるのを確認して僕は家路についた。
2004.01.04
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実家に新年の挨拶をしに来た。地元の八幡様に初詣にも行った。出かける前に、「ダイエーまでペットボトルもって行ってよ・・・・」とお袋から、空のボトルが詰まったビニール袋を手渡された。どの道初詣の後は3ヶ月ぶりのジョギングのつもりで軽装だったから、ゴミを持って歩くことは全く気にしないが、主婦は偉いと思った。毎回ペットボトル等をリサイクル収集場所に置きに行っている。今日も私が置いている間に3人の主婦がテキパキと仕分けをして出していった。私など一度もしたことが無い。ボトルもキャップも一緒に不燃物の収集日に道路に出すだけだ。出張等でなかなか不燃物の日に出せずにいるから、部屋の一角は不燃物袋が占拠している。今度近くのスーパーに出しに行ってみようと思ったが、はたして何処のスーパーにも回収ボックスはあるのだろうか?ともあれ初めての不燃物処理を無事済ませ、参拝を済ませ、走り出す頃に私は嫌な予感がしていた。ここまで早足で歩いてきているのにまだ足が重い。お札を焼いている焚き火の傍でしばらく柔軟体操をして、無理やり汗をだして思い切って走り始めたが足の重さが変わらない。わずかな上り坂がこんなに負担になるなんて、心臓はまだついてきているのに足が上がらない。たった、3ヶ月休んだだけなのにこんなに鈍ってしまった自分の足腰を恨んだ。それでも騙し騙し1時間の早歩きとジョギングを繰り返して帰ってきた。正月でも何人かのウォーカーとすれ違った。皆日々努力しているんだと思った。継続しなくちゃいけないと思った。今年の目標出張の時は仕方無いが、本社勤務の日は定時に帰ってきて走ることにする。朝起きてすぐの運動は体に悪いから、やはり夕方にする。はてさて、いつまで続くことやら・・・・とりあえず明日も走るよ。
2004.01.03
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