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「人生において何が正しいかなんて誰にもわからないのだから、自分の思うとおりに進んで、その結果を他人の責任にしないことが大切ではないかと思う。」あたり前の言葉だが、曽野綾子が言っていた。私生活において、このあたり前が通用しない肉親に苦しめられている。誰が見ても間違った人生を歩み、全て他人の責任とする馬鹿な男だ。「お前達の前途がどうぞ多難でありますように。多難であればあるほど、実りは大きい。」壇一雄が言った。彼が知っているとは思わないが、自ら前途を多難にする生き方をして権利の主張だけは一人前の人間には、大きな実りなど無いことを教えてやらなくてはならない。「人生は戦場なり。戦いを宣告したうえは、書に向かっては書を征服し、人に向かっては人を征服し、事業に向かっては事業を征服するまで止むべからず。何物、何事、何人に対しても仇討ちの覚悟をもって戦うべし。死すとも勝つの覚悟あれ」國木田独歩の言葉どおり、あだ討ちの覚悟をもって挑もう。
2004.10.28
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こんな時間になってしまった愚図愚図仕事をしていたら・・・・・・それでもなんとか9割終わった外は寒いだろうな・・・・・・感じてはいたが他部署はずいぶん前から静かだ私だけかな?ネズミに引かれるといけないから帰ろう
2004.10.27
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「雨が空から降れば 思い出は地面にしみ込む雨がシトシト降れば 思い出はシトシトにじむ・・・・・・」雨の街を見ていて、何となく口をついて出た小室等作曲別役実作詞のなつかしい歌1970年頃の別役実「スパイものがたり」の劇中歌だった戯曲収録本は「不思議の国のアリス」何故かその頃は彼の本を読んだ「そよそよ族の叛乱」「マッチ売りの少女/象」今も本棚でほこりを被っている当時は小室等が劇中歌を担当していたのだろうか「街と飛行船」なんていうのもあった鬱陶しい雨だが思い出も、憎しみも、みんな地面にしみ込ませたい気分ださてさて、もう一仕事出かけてきましょう・・・・・・
2004.10.26
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今週で神無月が終わる出雲へ集まった神々が帰ってくるそろそろ斐伊川の神立橋あたりで待機しているに違いないお願い事をするなら月が変わってからがよさそうだふと思ったのだが出雲でも今月は神無月なのだろうか?神様いっぱいいるのに?つまらないことを考えてしまった今日は余裕があると言うことか
2004.10.25
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仕事で 足立区の「大師前」に行ってきた初めて降りた駅西新井駅から単線で一駅目が大師前改札所はあるが駅員は誰もいない自動改札機なんてしゃれたものもない出入りは自由だ10分間隔で 両駅間を ただ行ったり来たりするこの電車僕が近所のサラリーマンだったら昼寝の場所に使うかもしれない・・・・・・と思ったりした私的なことで嫌ーなことがあり厄除けついでに 西新井大師に寄ってみた遥か天長の昔に弘法大師が立ち寄った場所だった十一面観音を作り 二十一日間の祈祷を行ったすると お堂の西側にあった枯れ井戸から 清水が湧き流行っていた疫病から 村人を救ったと・・・・・・そこから「西新井」の地名になったそうだお線香を上げて お賽銭も入れた護摩奉修は毎日行われているらしく今日も大勢の方が熱心に拝んでいたその後ろで 私もそっと手を合わせてきたが滅多にしない私には 御利益があるか 定かではない追記、わら人形は売っていなかった
2004.10.23
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今週は 月・水・木と外出もあり バタバタだった明日も 東京の外れまで出かけるその準備までは 何とか追いついた決して 満足な出来栄えではないが・・・・・・来週からの 仕事の準備やその先のことが 公私に渡り山積みだどこかで息を抜かないと 危ない弟は うつ病 だと言ううつ病には 歩き方が遅い という症状があるらしい最近歩みが遅くなった気がする只単に 歳のせいではないようだ台風がどうなっているか分からないがせめて日曜日に天気が良かったら少しだけ 汗をかきたいと思っている
2004.10.22
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なんとなく出勤してしまった家で片づけるつもりだったが気分的には職場の方が良いそれでも来てみたら違う仕事も待っていた後からあとから やってくる明日も忙しいなぁ
2004.10.17
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常務が珍しく出社して直ぐに帰られた「すみませんが・・・・・・悔しいけど歳には勝てないね・・・・・・」そんな言葉は 私には不要なのに蓄積疲労と風邪のようだ専務は明日から出張資料をそろえて 手渡す昼食を付き合って 雑談私は ワンタンを食べて 薬を飲んだ午後になって 胃は回復の兆し今日は 会社の仕事しか考えずにいたからかもしれない「日曜日に少しだけ出てくれよ」と専務が 平取締に言う「良いですよ、どうせ暇ですから・・・・・・」専務が私の顔を見る「暇だってさ・・・・・・いいよなぁー」「同感」暗黙の目線夕方になって「行ってくるよ 宜しくな」と帰って行ったご苦労様だかく言う 私もご苦労様だ偉い方がいない間に 仕事をしてしまいましょう
2004.10.14
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出社するときに買った コーヒーが今日は まだ机の上に残っている食欲はなかったが上司に誘われて 昼食は出前を取った1時間待って 届けられたが臨時の打合せを始めたところだった30分後に 冷えたチャーハンを 胃に押し込んだ即座に 次の打合せ人を集めて 指示を出してやっておくべき事を始めたらまた別の仕事に嵌まってしまう休みたいとは思わないが 時間が欲しいもう少しだけ 仕事の出来る社員が欲しい贅沢かなぁ一日中 胃が痛かった今もまだ痛いあと二口のコーヒーさよならしよう
2004.10.13
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「なんで こんな大事なことを隠してたんだ!!」親父に怒鳴られた。「これ(母親を指さして)にも黙ってたんだろう、これに言えば俺に黙ってるわけはないんだ!!」そうとうな剣幕だ。「いや、お袋にも相談してるし弟にも話しているよ。ただ親父の病気にさわると思って言わなかっただけだよ・・・・・・」私は一生懸命に謝った。「お前達で解決できるのか!!!」親父の怒りは収まらない。昨晩嫌な夢を見た。きっと寝言を言っていたと思う。親父が生きていたら・・・・・・願望が夢になったのだとも思う。今日は振り替え休肝日だ。でも、飲みたいなぁー。とりあえず、19時からの会議が終わってから考えよう。
2004.10.12
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こんな時間になってしまった。もう少し早く帰ろうと思ったが・・・・・・光陰矢のごとし
2004.10.08
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あっち こっちから お呼びがかかりなんだか バタバタと 疲れる一日だった気分転換に 他部署を通りかかると話し掛けてみる先日 テレビでやっていた 質問「マラソンをしていて 前を走る 3位の選手を 貴方が追い抜くと 何位でしょう?」小学生は皆 間違えたが我が社の社員も大勢間違えるそういう私は 一番に間違えました今日 10月7日は 「ミステリー記念日」だそうだ1849年、ミステリー小説(推理小説)の先駆者・エドガー・アラン・ポーが亡くなった日のようだ。40歳。ちなみに、1845年に発表された『モルグ街の殺人』が、世界初の推理小説と言われているらしい。
2004.10.07
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昨日は毎月の定例検査に行った。大雨にもかかわらず 病院は混んでいた。採血室の前もいつもどおりで泌尿器科の待合場所にいる患者の三分の二も採血待ちのはずだ。(何度か通った私には一目でわかる)「○○ですが、あとどのくらいかかりますか?」そう言って、待ち時間を窓口に聞きに行く患者も多い。「私より後に来た人が先に呼ばれたんですが・・・?」(何か理由があるんだから、そんなことわざわざ聞くなよ)「尿検査のある方は、先にお小水を採っていただきますから・・・」(ほーら、言われた。おとなしく座って待ってろよ)「△△さーん、△△さーん・・・お入りくださーい」ナース嬢が呼んだ。「聞こえないよ、もっと大きな声で言いなさいよ」泌尿器科の方から歩いて行くオヤジが怒鳴る(怒るなよ、ちゃんと聞こえてるじゃないの)「部屋の外へ顔をだして言ってくれなくちゃ聞こえないよ」(一理あるが、それでもやっぱり聞こえたから返事したんでしょ)「申しわけありません」ナース嬢は丁寧だった。採血室に入ってから「いやー、昨日から急に変化しちゃってねー・・・・・・」オヤジは ナース嬢とおしゃべりを始めた。「ほんとに まいっちゃうよね・・・・・・」(さっさと採血してもらえよ、ったく)「それは大変ですね、お大事にしてください」なんてナース嬢も気を利かせるものだからオヤジの話は止まらない。私は順番が近づくのを、まわりの状況と時間とから判断し上着を脱いで、両袖をまくって待機している。夏場は半袖の患者が多いからいいがこの時期は皆、長袖の上に、上着を着用している。検査室に入ってから準備をしているから、その分待ち時間が増える。採血後も同じだ。キッチリ身支度を整えてから、皆 出てくる「表で袖を伸ばせばいいじゃないの」そう思うのは私ばかりか・・・。始末に悪いのは「本人確認カード」だ。採血前に提出を促されるが手に持っていない患者がほとんどだ。ポケットや鞄をゴソゴソ探しまくる。採血にかかる時間より、患者の準備時間の方がはるかに多くかかっている。それでいて「遅いわね・・・・・・」「今日は看護婦さん一人みたいよ」「えー それじゃ待たされる分けだわねー」待合所の患者は勝手なことをしゃべっている。「採血担当者はチャンと二人いるよ 声でわかるでしょ」「遅いのは君達のせいだよ」「だいたい 1時間は待つと思っていなよ」「嫌なら別の病院に行きなさいよ」「その分 ここが空くからいいよ」なーんて 口に出しては言わず私は黙って待った。それでも受付をしてから45分後に私は呼ばれた。確認カードをテーブルに置いてまくった両腕を、ナース嬢の前に出す。「どちらでもやりやすいほうでお願いします」私の血管は分かりにくい。ナース泣かせだ。他の病院で集団検診を受けたとき「後がつかえるから 他の検査が終わってからまた来てください」と後回しにされたことがある。失礼な話だ。今の病院は どのナース嬢も手早く採血してくれる。右腕のときもあれば 左腕のときもある。ナース嬢の見極めにより選択される。選択に困ったナース嬢は聞いてくる。「いつもはどちらで採りますか?」「右が多いです でも前回は左でした」私は少々意地悪な返事をするがナース嬢は必ず多数決を選択する。さてさて採血も終わり 更に待つこと2時間いよいよ 女医さんとの面会だ「お世話になります」そう言ってS先生の前に腰掛けるや否や「すばらしいですね・・・・・・」血液データをヒラヒラさせながらS先生は笑顔を向ける。(そうかい? 先月は禁断の日本酒も結構飲んだぜ 良い訳ないんだけどな??)「ありがとうございます」(とりあえず言葉にしておく)「もうこのデータでは全く悪いところはありません、全て正常値ですね」(ホンマかいな? 本人驚き桃の木山椒の木だ)「先月は日本酒も飲んでしまいましたが 不思議ですね」(本音を話す)「休肝日は?」「変則ですが、一応、週2回は飲まないように続けました」「頑張りましたね、良く我慢できましたね、お仕事がらみもあるでしょうに・・・」(そうそう、そのお褒めの言葉を待ってたのさ。先生との約束だからとは勝手に決めたことだから言えない)「エコーも異常ないし、その他も悪くないし・・・年齢にしては珍しいくらい健康ですね」(おいおい バカってことじゃないか?)「目はいかがですか?」「はい 半年に一回視野の検査をするように言われています」「その程度? 視力は?」「普通です」「老眼とかは?」「新聞を読むときには(メガネが)必要です」(何とか悪いところを探したがっているご様子に私は少々不満)「ストレスもおありだろうしするのに、文句の無い数値ですよ」「おかげさまで・・・・・・」(数字には表れないことも人間にはあるんですよ、心までは数値化できません)言いたかったがやめにした。連れ合いから「今回は聞いて来るんだよ」と言われていたことがあった。「S先生はお酒、召し上がりますか? 酒飲みの気持ちを理解してくださるようにお見受けしているのですが・・・」(聞いたよ)「はい、飲みますよ、疲れると欲しくなりますね、飲んじゃいますよ」(いいじゃない、いいじゃない)「宿直なんかすると疲れますね、この歳になると・・・・・・」「宿直あるんですか? 先生も」「ありますよ、週1回ですが」(大変なんだ女医さんも)後から待っている患者のことを考えて私は腰を上げるつもりでいたが、別の話題を振られた。「○○さんは、以前慶応にいらっしゃいませんでしたか?」(ムムムム????)「いいえ」(私はそんな大そうな大学には行っていないし、頭もよくないよ)「いえ、以前お見かけしたような気がしたものですから・・・・・・」(心当たりがあれば嬉しいが、残念ながら全く無い)「お仕事は?」(大学の次は仕事かよ)「営業です」「どんな会社ですか?」(潰れそうな会社なんだから言いたくないね)「出版社です」「どんな本を出されているのですか?」(たいした本を出してるわけじゃーない、聞かんといて欲しいわ)「教育関係です」「それじゃー今度、何かお見せください」だって・・・・・・(困るよそれは、お見せできるような本なんて無いんだから)会社関係のことは聞かれたくなかった。話したくも無かった。「S先生、来月の予約をお願いします」(本日の面会を終わらせようと切り出した)「これなら3ヶ月ぐらい様子を見てからで結構ですよ」(えっえっ、3ヶ月後かい・・・・・・楽しみなくなるじゃんか)「年明けは忙しいので、12月に1回検査をお願いしたいのですが・・・・・・」「そうね、じゃー忘年会などもあるでしょうから、その前にしておきましょう」(忘年会なんか何年もやってないよ、やらないよ、お医者さんにはあるんだろうな)と言うわけで、今度は2ヵ月後になった。こんな風に書くと、連れ合いが焼餅を焼くが、実際12月には眼科にも検査に行かなくてはならないのだ。一石二鳥を考えただけのことだよ。挨拶をして出ると、又呼び止められた。「これ、お持ちになりますか?」入った時と同じように、データをヒラヒラさせている。今までもらったことが無いので今回は受け取ってきた。心配性のお袋にでも見せてあげよう・・・・・・と思っている。今日は色々と忙しかった。速攻で書いたから誤字脱字が多いと思っている。
2004.10.06
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啄木の戸籍名は 「一(はじめ)」と言う 僧侶であった父 「一禎」の1字をうけた 従って啄木も我が子を 「真一」としたのだろう 啄木の晩年は 苦労だった「二月二十日(火) 日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上がつた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。 さうしてゐる間にも金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立て直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。 母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。」 (明治45年 啄木の最後の日記) 母子同時に入院を余儀なくされたが それでも最大の親孝行は 母より先には逝かなかったことだろう 明治45年3月7日 母カツ肺結核で死去 享年65歳1カ月 同年4月13日 啄木肺結核の為死去 満26歳1カ月 僅かに1ヶ月の差ではあるが 死の4日前 第2集となる啄木の筆を 又しても東雲堂書店に売る 悲しいかな 原稿料僅か20円 それでも歌集『悲しき玩具』として 彼の死後ではあれ 出版され現在も生き続けていることに 彼は満足していることと思う「神無月 岩手の山の 初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ」 (石川啄木:一握の砂)より 北国は雪の季節がそこまで来ている 啄木は天国でも自分の歌を読んでいるに違いない さてさて 私は 何を残すか残せるか 酒でも飲んで考えよう
2004.10.05
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函館なる郁雨宮崎大四郎君 同國の友文学士金田一京助君 この集を兩君に捧ぐ。 予はすでに予のすべてを兩君の前に示しつくしたるものの如し。 從つて兩君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知る人なるを信ずればなり。 また一本をとりて亡兒眞一に手向く。 この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。 この集の稿料は汝の藥餌となりたり。 而してこの集の見本刷りを予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。 著者 あめつちに わが悲しみと月光と あまねき秋の夜となれりけり 「石川啄木:一握の砂」より 若くして亡くなった啄木だが たった 24日しか生きられなかった息子がいた 病児の為 東雲堂にこの原稿を売り 見本組みを荼毘の夜に手向けた 歌も息子も 命の破片 児の名は 真一だった 真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児のあり (明治43年)
2004.10.01
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