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「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がユネスコに提出する世界遺産登録の暫定一覧表に入ったまま、別の候補が登録申請となって、なかなか進展していません。そんな中、天正遣欧使節団の千々岩ミゲルは従来棄教したと言われていましたが、実は隠れキリシタンだったのではないかとの新説が出て来ている様です。長崎大村空港に渡る箕島大橋の袂に天正遣欧少年使節像が建っていて、手前から、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの順に並んでいるそうです。帰国後はキリシタン禁教令が施行され不幸な後半生だった様で、伊東マンショは司祭となり比較的早くに逝去しましたが、千々岩ミゲルは諸般の事情で棄教、中浦ジュリアンは壮絶な殉教、原マルチノは国外追放されてマカオで死亡となりました。しかし、棄教者とされた千々岩ミゲルは、実は隠れキリシタンとなったのではないかと言うのです。諫早市多良見町に、ミゲル夫妻の墓とされる場所があり、古い石碑には仏式で男女の名が刻まれている。発掘すると、石碑の下には、長持ち状の埋葬施設らしき穴があり、5色ビーズが59個、半円形のガラス板が見つかって、キリシタンの聖具とされると言うのです。人間の骨も見つかって、25~45才の女性の墓とされ、もしミゲルの妻なら、隣接してミゲルの墓がある可能性が高いとも言うのです。千々岩ミゲルは、日本と言う異文化に適用しなかったイエズス会に異を唱えて、脱会はしたが、信仰は捨てた訳ではなかったと解釈も出来るとされ、ミゲルの復権と通説の再検討を促しつつあることは確かだ。来夏には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ世界遺産委員会で審査されるが、もし、千々岩ミゲルが生涯信仰を胸に秘めていたとしたら、彼はその先駆けだったかも知れない。
2017.11.16
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先日、ふるさと納税をインターネット処理しました処、長崎県新上五島町から謝礼品カタログが郵送されて来ました。納税額1万円ですと、50ポイントであるらしく、調べてみますと「五島うどん」返礼品が圧倒的に多いのです。「五島うどん」は、新上五島町滞在中に、親しい知人に宅急便処理しますし、帰京時には近所や知人へのお土産で、多数購入して来ますので新鮮味が無いのです。それではと、「五島の塩」か「塩あご」がないものかと探してみますと、50ポイントの「五島の塩」は品切れ、「焼きあご」はありますが、昔懐かしい「塩あご」は季節限定品であるらしくカタログには見当たりません。別に、謝礼品目当てに納税した訳でもありませんので、椿の木工製品を選ぶか、有効期限2年とのことで来年度のふるさと納税に向けて貯めておくのか、未だ決めていません。ふるさと納税では、謝礼品競争が全国的に話題になっていますが、返礼額は通常の慶弔料に倣って納税額の約半分ですが、当該ふるさと産業の活性化に寄与していると思えば、積極的には親しみの無い地方自治体へのふるさと納税を行っても良いのだろうと判断することにしました。
2017.10.30
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お気に入りBlogにしている福禄さんが「ふるさと納税を検討」と言う記事をアップしておられましたので、私も「ふるさと納税」でネット検索してみました。すると、全国津々浦々の市町村何処にでも、簡単に出来るWebサイトが見つかりましたので、長崎県新上五島町を探して入ってみますと、納税額やら返礼品の指定が出来る様になっていましたし、クレジットカード決済を選択しますと、納税手続きは完了となりました。そして、折り返し次の様なメールを受領することになりました。本メールは、「ふるさとチョイス」において、ふるさと納税をお申込みいただき、決済が完了した際に配信される自動配信メールです。ふるさとチョイスをご利用いただき、誠にありがとうございます。長崎県新上五島町への寄附申込みの決済が完了しました。五島の新上五島町には、妻の実家の空家管理の目的で、1ヶ月滞在して、庭の草木や使わない衣類・寝具を燃えるゴミとして大袋60袋、空き瓶・空き缶等は燃えないゴミとして大袋10袋、を廃棄しています。有料ですので所定の額は支払っているのですが、やはり、ふるさと納税する必要性を感じていたのです。ポイントが付いて返礼品を選べるのでしょうが、その内に連絡があれば、その際に処理すれば良いかと考え、昨日は納税手続きのみとしました。
2017.10.21
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毎年、五島に1ヶ月滞在して空き家の管理をしていますが、広い家でもあり、押入れや箪笥・段ボールに入ったままの物も多く、近頃は廃棄処分が主な作業となっています。今年もそんな作業が中心ですが、偶然TVの前にフィルムケースの中に、壊れた指輪が入っているのを見つけました。TV下の抽斗にあったものかも知れませんし、偶々それを私が置き直したものなのか記憶は定かではありません。珊瑚は、白のグラデーションがある赤、そして薄い緑色の2種類でしたが、多分義母が普段使いに嵌めていたものと思われます。普段使いですから、価値が高いものとは思われませんが、将来孫娘達の普段使いに変身することもあるかと持ち帰って来てみました。古くから地中海産のベニ珊瑚を支配していたイタリアの珊瑚商人が、日本の土佐や長崎・五島近海からモモイロ珊瑚が出た、という知らせに狂喜して来日し、買い叩いたそうです。柿の実のような朱色がかったピンクのモモイロ珊瑚が、珊瑚の最高位に格付けされました。牡牛の血のように鮮やかなアカ珊瑚も決して見逃せませんし、これも土佐や五島の日本特産です。 海底深くから連れて来られた、人魚姫のくちびるのような艶っぽさです。近年中国の経済成長に合わせ、需要の増大とともに取引価格も大幅な値上りをしています。珊瑚は鉱物ではない有機質起源の、しかも珊瑚虫という動物が群生して固化した宝石で、炭酸カルシウムが主成分ですが、貴重珊瑚は、骨軸が引締まって密度が高く、表面硬度も真珠と同じになります。
2017.10.06
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此処8年は、五島行は6月末の梅雨時に行きますので、雲の上を飛ぶことが多く、地上風景を観賞することが出来ません。しかし、4年前の2013年は瀬戸内海上空で、丁度雲が切れて地上を観ることが出来ました。1万m上空からですから判然とはしませんが、明石海峡大橋は渡ったことがありますので、多分児島・坂出ルート(瀬戸大橋)か、尾道・今治ルート(瀬戸内しまなみ海道)のどちらかと思っていましたが、ネット検索してみますと、児島・坂出ルート(瀬戸大橋)と思われる様でした。1988年4月、児島・坂出ルート(瀬戸大橋)が全面開通。 歴史上初めて本州と四国が事実上陸続きになった。皇太子夫妻を招き、香川県坂出市の与島で記念式典を開催、JR瀬戸大橋線・瀬戸中央自動車道が営業開始となった。児島・坂出ルートは本四架橋の中で一番短い架橋ですが、何か小さな橋が連続して繋がっている様な風景はまるでジオラマを見る様で、人間の生活の営みとは本当に細く、小さいものだと感じてしまいます!
2017.09.08
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五島を離れる2日前に、自転車の後輪タイヤがパンクしていました。空気を入れると一晩で、フラットになってしまいますので、浦桑地区の自転車修理屋に電話して、持ち込むので修理してくれる様に頼むことにしました。前輪タイヤは数年前にパンクしましたので、浦桑地区のDIYの店でチューブ付きタイヤを買って来て自分で交換したのですが、後輪はチェ-ンギアもあって面倒ですので、修理依頼をすることにしたのです。この自転車は青方の自転車屋で購入して、15年程経っています。この写真は2003年夏に家内と従妹を撮った時のもので、自転車がありますから、少なくとも14年は経過しているのです。其処で、パンク修理ではなくタイヤ交換してくれと再依頼したのですが、「手持ち在庫が払底しているのでタイヤ交換は出来ない。パンク修理なら請け負います」とのことで、仕方なく言われる通りにすることにしました。数時間は持ちますので、若しかしましたら虫と呼ばれる給気バルブの生ゴムが硬く劣化しているのかも知れないと思い、DIY店で虫セットを購入してから、修理自転車屋に行きました。すると虫部をチェックし、「生ゴムが劣化しているので、取り替えましょう」と直ぐに修理完了となりました。やれやれ、修理が出来たと喜んだのですが、数時間後又、タイヤがフラットになってしまい、空気圧持続時間が給気する度に段々短くなって行くので、やはりパンクの様なのです。自転車は変速ギヤも無い単純な構造ですので、来年の五島来訪時に、自分でタイヤ交換することにして、放置したまま、五島を去ることとなりました。
2017.08.11
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焼失した奥社の琴平宮の直ぐ下に、樹齢数百年とも思われるタブノキが2本生えていて、神社の神木になっています。2本の大木の内、下に位置するタブノキの根元近くには大きな洞があるのです。其処はアオバズクの巣になっている様で、昼間にアオバズクが木立に出ているかと思いつつ、例年見に行って見るのですが、未だ発見するに至っておりませんが・・・梅雨時は子育てに季節らしく、カラスの来襲に備えて警戒心が強くて昼間はじっとしているとのことでした。それでも、鳥目のカラスが寝静まりますと、夜行性のアオバズクは「ホーッホーッ!」と何時もながら鳴き声を響かせて健在ぶりを知らせてくれますし、早朝までその鳴き声を聞くことが出来ます。この鳴き声は冬になって聞こえると言うことですので、アオバズクは夏に日本へやって来る渡り鳥とされていますが、此処のアオバズクは対馬暖流の影響で比較的暖かい冬を越冬して過ごす留鳥となっている様です。鳴き声は、YouTubeでもアップロードされていますので、お聞き下さい!アオバズクの鳴き声五島に滞在したことを思い出すことが出来ます。
2017.08.10
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榎津神社は菅原道真を祭る天満宮であり、奥の宮には地場産業である漁業の豊漁を願っての琴平宮が設置されているのでしたが、今年不審火によって焼失してしまっていました。下から見てみますと、神社の木々の一部が茶色に枯れています。奥の宮まで登ってその現地に行きましたら、神殿は完全に焼失し、黒い木材と化して畳まれていて、周辺の木々は炎を受けて無残にも枝が枯れていました。奥の宮ですからその高さは20m程、放水も困難を極めたことでしょうし、よくも山火事にならなかったものだと驚きました。周辺の人達によりますと、南風で山火事になるだろうと懸念し、何とかホースを繋げて消火活動をしようとしていますと、急に風向きが北風に替わって、山火事への延焼を防ぐことになったと言うことで、神の仕業はあるのだと実感したとのことでした。榎津神社も、榎津郷が限界集落となって氏子の数も激減しましたので、再建は困難とも思われますが、家内の実家も氏子でしたので、献金の要請があれば多少とも応じて行きたいと思っている処です。
2017.08.09
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庭に面している外板が劣化していましたので、水性塗料をペイントしたのは3年前のことでした。庭の此処は、隣家に接していて日当りも良くないので何時も湿気に満ちていますし、隣家の方が空き家の庭だと言うことで、アジサイやらバラやらシラン等を植えて楽しんでいますので、刈り取ることも出来ず、尚のこと湿気がありますので、外板は腐食してシロアリの餌食になっている様です。物置にある外板を探してみましたが小さな板しか見つかりませんし、仕方なくDIYの店に行ってみましたが、近頃は杉の薄板は家の外板には使われない様で、売られていないのです。すると、近所の方が、「プラスチック合板の余りがあるので使って下さい!」と差し入れてくれました。其処でDIYの店に行き、少し長めのビスを買い、プラスチック合板で蓋をして、隙間にはシール材を塗布し、灰色の水性塗料でペイントしてみました。腐食部分の全てに蓋は出来ませんでしたが、ボロボロと崩れる状況を少し改善出来た気がします。やはり、空き家で住んでいないと言うことは、家の管理維持には不適なのですが、来年まで何とか耐えてくれるのでしょう!
2017.08.08
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昨年は格子窓の一枚のスリガラスが、小石を投げられて割られていましたが、今年は加えて4枚以上のガラスが割られていました。近くを通行する子供達が空き家と思い、割れる音を楽しんでいる様でした。ガラスを取り替えるのが一番良いのですが、ガラスを留めている桟のビスが錆付いていて交換出来ません。其処で、半透明のプラスチック段ボールを買って来て、全面裏打ちして、台風来襲でも風が通らない様に工夫しました。ベニヤ板を貼り付けるよりも、部屋が暗くならずに良いと思ったのです。それに加えて、空き家では無いのだと言うことを明示する為に、桜色の水性塗料で格子にペイントしておきました。空き家は築130年ですので年々劣化が酷くなっていますが、住む訳ではなく夏の間1ヶ月間滞在する別荘ですので、大幅改築はせず、近所迷惑にならないことを旨としています。
2017.08.07
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1ヶ月滞在中、殆どが庭を綺麗に戻すことに終始しました。先ずは勢いの良いイタドリを切り落として通路を確保しますが、此処の生息環境が良いのか、背丈が1mを超えていますし、太い根が縦横に地中を這い回っているのです。又、石垣に沿って植えられていた竹の伐採、竹の根は石垣を崩しに掛かっていますので、その勢いを止めなければなりません。次は延び放題の雑草を抜き取り、漸く庭木の剪定となります。持ち込んだ充電式電動トリマーで、皐月等の潅木類を丸く刈り込みました。高枝の剪定が不足して、庭が暗くなってしまい数種の潅木が枯れてしまいましたので、高木に梯子を掛けて、多すぎる枝の剪定を行います。3週間掛けて、漸く庭も少し明るさを取り戻し、築70年の庭の一部が黄泉帰りました。近くの高所から家の様子を観てみますと、何とか格好が良くなって来た様な気がしますが、私が帰京しますと、この状況も1ヶ月の命でイタドリ等の雑草が蔓延ることになります。住んでいない家の庭管理には限界がありますが、近所迷惑にならない程度に整備したことで、自己満足することにしました。
2017.08.05
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義父は1985年12月に亡くなりましたので、今年は33回忌の年となります。本来であれば11月頃に法要をお願いするのですが、五島滞在中にお願いすることにしました。義父葬儀の和上から3代目の若い住職ですが、平日でも結構と言いましたら、7月2日の月曜日午後1時となりました。浄土真宗なので、お寺に過去帳があって、何も持参する必要は無いのだろうと手ぶらで出掛けましたら、位牌をお持ち下さいとの要請があり、家内の実家に戻って仏壇から位牌を取って来ました。義父は人格的に優れた人で、南満州鉄道でも、40才代前半で重役一歩手前まで昇進し、敗戦後の事務処理に残され、遅れて帰国、その後帰国した五島で定置網魚団の長として、鰤漁の成功で郷里の隆盛に貢献しました。そんな折、得てして部下の不祥事が発覚、責任感も強い立派な人でしたので、魚団長として部下の管理責任を認めて、辞任することとなりました。今時の上司には出来ない処し方でしたが、残念なことでもありました。家内を含めて、直系の子供達は全て鬼籍に入っていますので、義理の関係にある私が法要をお願いするしかありません。2年前の義長兄の33回忌法要と同様に、近くに住んでおられる知り合いには何も通知せず、私だけの親族列席となりました。次の法要は義母の25回忌法要が2年後となりますが、特に健康不安も無いので、多分列席出来ると思っています。
2017.08.04
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例年泳いでいる、新上五島町榎津郷の海辺、川野家の先の岩場に小さな砂利浜があります。昔は、突き出ている磯のこちら側は海藻が生い茂って黒い海辺でしたが、今は磯焼けで海藻が死滅してしまい、貝類がいなくなり、泳ぐ魚も見えなくなりました。離党振興で、海岸には突堤を築き、周辺には夥しいテトラポッドを置き、落ち込む山の麓には土砂崩れ防止のコンクリート柵を敷設すると言う、公共事業が永年行われて、山の栄養が海に流れ込まなくなり、又海流が停滞して新鮮な潮が供給されなくなって、磯焼けが進行してしまったのです。それでも、突き出ている岩場には潮が流れて、適当な数のサザエやシッタカ貝がいたのですが、今年は其処も海藻が減って、磯焼け状態となってしまいました。仕方なく、其処の突き出た岩場の向こうに、小さな二つある岩場に泳いで行きましたら、海藻も残っていて、何とかサザエを見つけることが出来ました。昨年までは、其処では多数のクロダイやタカハダ鯛が泳ぎ回っていたのですが、今年は少なくなりました。しかし来年は、其処にも磯焼けが進行してしまい、サザエ採りも出来なくなる様な気がしています。
2017.08.02
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津和崎を家内と最初に訪れたのは1999年のことでしたから、もう18年も前のこととなりました。駐車場から椿の潅木の中に観測所らしき小屋があって、その道を通って津和崎灯台に行ったのです。今回行きましたら、潅木は鬱蒼とした林になり、雑草が生い茂っていてとても歩けるような雰囲気ではなくなっていましたので、駐車場から舗装道路を通って行き止まりまで車を動かし、そこから階段状のアクセス路で灯台に登って行きました。一帯は「椿公園」となっていて、この時期沢山の赤い実がなり、秋には椿油の元となるのでしょうが、人気の無い処で収穫する人達がいるのでしょうか?灯台脇の四阿(あずまや)からは、野崎島が目の前ですし、小値賀島の全貌もよく見えますし、少し遠くに宇久島もくっきりと観えました。野崎島は1990年代に住民が去って無人島となったのですが、小値賀町から渡船もあり、夏の合宿村を開設、全島芝生とも言われ山が無く丘陵主体の小値賀島と相俟ってリゾート活動が盛んになって、成功している様です。宇久島は五島管轄から離れて、佐世保市に編入される道を選んだのですが、果たしてどのような未来になるのでしょうか?昔は、北回り航路で佐世保から、宇久島平港、小値賀、野崎島を横目に見て、立串港を経て榎津港、有川港となっていたのですが、その航路は無くなって久しいものがあります!
2017.07.30
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何しろ、1階に8部屋もある広い家なので一人で整理するのは大変です。2年前までは足の踏み場も無いほど段ボールが押し込められていた納戸、昨年に引き続き整理することにしました。3年前には、タンス部屋の4つの洋服ダンスから義父母の洋服を全て廃棄して空にしたのですが、納戸の段ボールには未だ多数の古い洋服類が残されていました。申し訳無かったのですが、燃えるゴミ収集の日に40リットル大袋4袋で廃棄させて貰い、漸く納戸内に通路が確保出来ました。其処で、下の戸袋を開けてみますと、古い布団とマットレスが押し込められていますので、何とか引きずり出しました。これらは月1回第4木曜日とされる粗大ゴミ収集日しか出せませんので、それまで滞在して処置することにしました。下の戸袋には替わりに、多数あった花器類を入れようとしたのですが、吃驚するほどの重さで、古い家には沢山の華道機器類があるのでした。兎に角、納戸内に通路を確保、上の戸袋を開けてみますと、多数の寝具類がきちんと収納されていました。昔は十人以上の来客があっても支障の無いほど、揃えてあったのでしょう。観てみますと解れも見られず、どのように処置しようかと迷いましたが、今回手を付けるのを止めにしました。これで、手を付けていない部屋は、中2階を含めてなくなりました!
2017.07.29
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往きの飛行機では、Port Side(左側)の窓際に席を取り、富士山を撮影することにしていますが、今回は雲が広がり見えないかと懸念していましたが、流石の日本一の高嶺、雲の中から突き出ていました。五島では台風来襲もありましたが、南側を通過して長崎市に上陸しましたので、五島では殆ど雨も降らず空梅雨、長崎市内、隣の平戸島、佐世保市等では豪雨でしたのに不思議なことでしたが、お蔭様で、真夏の島を満喫出来ました。日本の快水浴場百選に選ばれている蛤浜から、対岸に見える新上五島町榎津郷、限界集落ですが、築130年の古い家での別荘生活も乙なものでした!
2017.07.28
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新上五島町の菩提寺から郵便封書が届きました。来年の年間行事と共に法要通知が同封されていました。私は外戚ですから、家内の実家には権利も義務も無いのですが、面倒を見る方々が無いので、毎年空き家となっている家の管理をしている私宛に通知が来ることになっているのです。義父の命日は1985年12月11日なので、来年は義父の33回忌だと言うのです。墓掃除も毎年欠かさないのですが、来月に75才となりますので、年々体力の衰えを感じつつ何時まで面倒見られるのか多少の不安を覚えつつあります。菩提寺から要請もあって、10年以上前に家内と相談して墓地をコンクリート敷きにしたのですが、施工が悪く、墓石とコンクリート敷きの間からカラムシ等の雑草が蔓延り、驚くほどの雑草畑となってしまうのです。昨年からは除草剤を撒き始めましたが、1年を通じて利くものでは無いので、殆ど状況は変わらないのです。
2016.12.17
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昨年も7月に小さな台風が五島直撃となりました。有川湾は奥が深いので、あまり海が荒れないのですが、それでも岩場では白波が立っていました。NHK定点カメラのある新魚目役場支所から北に行って、丸尾の外れから有川湾を見た処で、普段はよく見える頭ヶ島も雲の中に遠く霞んでいました。翌日から数日経ちますと、道路端の強い雑草、カラムシやイタドリは海岸に沿って潮風にやられて、多くが茶色に枯れてしまったのです。塩害は、家屋や道路標示塔だけでなく、植物にもあることを認識しましたのも、初めてのことだったかも知れません。今回も五島直前で右旋回して、北東に向かう様ですので、被害は無いか軽微なものと思っています。
2016.09.04
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今年は、永年開かずの間であった納戸の整理をし始めました。入り口近くの段ボールの中から、陶器の古い花瓶が出て来ましたが、欠けた縁が修理されているのです。床の間の部屋にも、段ボールが置いてあり、その中に同じ花瓶が見つかりましたが、そちらの方は傷もなく完全な形でした。直径15cmの花瓶ですが、万全な形では無いので、納戸に放置されていたのでしょう。我が家の仏壇の横に置いて、時々は花で飾ってあげるにも良いかと持ち帰って来ることにしました。地合が地味でもあり、縁に傷があって置物には向きませんが、却って花が引き立つと思うのです。銘もありませんが、京都の信楽焼きの狸の置物の風情もするので、若しかしましたら信楽の花瓶かも知れません。
2016.08.13
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この墓所を清掃し始めてから5年となります。お盆には五島を離れていますので、少しでも綺麗にしておこうと今年も清掃をすることにしました。20年余、手付かずであった墓所は、蔦草が這い回り、墓碑も読めない程荒れていましたが漸く見られる状態になりました。それでも1年間御無沙汰した墓所は、コンクリートの隙間から、生命力の強いカラムシが多数生えていて、何とも情けない姿でもありました。隙間に緑に見えるカラムシは、麻の様に繊維を取るべく輸入された外来植物で、全国的に蔓延ることになりました。折角ですから、バケツに水を入れ、束子で墓石を擦り、石黴をそぎ落とすことにしましたが、それは頑固で、金属ヘラでもなければ剥ぎ取れません。少し墓碑が読めるようになりましたので、読んでみますと「大正9年、東京戸塚で寓没、52才」と記されていました。人の歴史と言うものは数奇なもので、実態は分かりませんが、それは仕方が無いものだと詮索はしないことにしました。
2016.08.12
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五島うどんは椿油を練りこんで、細く伸ばして乾麺とするのが普通で、茹でて喉越しも良く、そのまま置いておいても、普通の乾麺と違って延びて食感を失うことはありません。多分、高価な椿油が効いているのでしょう!飛魚は五島を含む北九州から山陰地方では「あご」と呼んで、「干しあご」として食べたり、「焼きあご」を粉末にした出汁と利用されたりします。出汁粉としては、全国的に使われる鰯の煮干より美味しいのです。五島には、人の好みに応じた種々製麺所がありますが、「五島うどん」と「あご出汁スープ」はセットでないと本来の味が発揮出来ず、普通の煮干の麺汁では、美味しく食することが出来ないのです。其処で、数年前から「あご出汁スープ」付きの5人前「五島うどん」セットが売り出されて、知人・友人に贈るのに重宝しています。又、あご出汁粉に和布とゴマを混ぜて、お湯をかけて戻すだけの袋が4袋入った「飛魚スープ」は美味しいスープで、お茶漬けにも最適です。五島から帰京してから、近所の方々、立川や大田区下丸子、遠くは静岡県富士市まで、挨拶方々、11名の方々に配って五島うどんを賞味して頂くことにしました!
2016.08.08
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鯛の浦湾にある九州電力の阿瀬津ディーゼル発電所が整備員の不足から停止されてから久しく、結局電力需要を賄うべく、九州本土からの海底ケーブルで電力供給されています。風力発電は有川地区の丘陵地帯に10基を越えて設置されていますが、あまり風が吹かず、稼働率が良くない様で、新上五島町の電力需要には対応出来ていないと見ています。昨年あたりから、需要に少しでも応えるべく、国道384号線の海岸線の低地に太陽電池基地が複数個所に整備されています。今年、榎津滞在中に、魚の目小学校の裏山に太陽電池基地があるのが見えました。220m榎津城山から360m似首番岳に至る林道に設置されていると聞きましたので、車をレンタカーして行ってみました。東斜面の杉林を切り開いて、凸面上にかなりの太陽電池パネルが設置されていました。現在は南にある杉林が邪魔にならず、日中も太陽光を吸収出来ていますが、早晩木が伸びて日当りが良くなくなるのは目に見えています。何故、設置場所が此処であったのか定かではありませんが、狭い林道で車の往来にも支障があって整備もしにくく、適切な設置場所でないことは確かです。
2016.08.06
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特定空き家とならない様に、家の内外管理の為では無く、夏に1ヶ月夏の別荘として楽しく暮らし始めてからもう5年となりました。4年前に潮風で劣化した外板に水性ペンキ塗料で劣化防止をしたのですが、水性塗料は耐久性が弱いのか剥げた処が散見されましたので、追加タッチアップで補修し、窓枠や軒先等は桜色ペンキで塗り、2トーンカラーでメリハリをつけました。1年間押入れに仕舞ったままの寝具類は、夏の強い日差しで虫干しして、カビが生えない様にしてから、再び押入れに仕舞いました。今年は義母が独り住まいしていた時から「開かずの間」であった納戸の整理をすることにしましたが、衣類や不用品が部屋一杯で大変でした。衣類などは「燃えるゴミ40リットル袋」7袋に入れてゴミ集積場に出しましたが、整理度合いは20%と言った処でしょうか?石油ストーブは300円シールを貼り、電気コードや傘骨、空き缶類は「燃えないゴミ40リットル袋」に4袋に入れて、毎月2回の所定日にゴミ集積場に出しました。家の内外管理は、作業量が多すぎて、今年も遣り残したことも多いのですが、これで何とか「特定空き家」にならないだろうと思いつつ、多少自己満足を味わうこととなりました。
2016.08.04
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此処の庭は造園されてから65年余経ちます。菩提寺の造園工事に来た造園家が此の家を寝泊りに利用した際、広島から持ち込んだ庭石、灯篭、敷石が多々あるので、序の造園申し込みがあって、義父が発注した経緯があった様です。五島にも友住石はあるのですが、砂岩で庭石には向かず、わざわざ広島県から海上輸送したもので、相当の費用が掛かったのでしょう。当初は庭木も沢山植栽されて、池もある見ごたえのある石庭だったのですが、築島の松も枯れ、銀木犀、泰山木、モミジ数本も倒れて、神社仏閣にあるユスノキ、ナギなどが残される寂しい庭になりました。100年物の梅ノ木も中心部が腐って倒れたのですが、15年前に家内の手助けで添え木をして生き残っていますが、今度倒れましたら伐採を免れません。それでも、3週間を掛けて、草刈をして高木の枝剪定をしますと、石灯籠3個が良く見えて、庭の風情が戻ることになります。石灯篭に至る9ケの敷石もはっきりとして来て、造園家の意図が見て取れます。その先の石組みの塀は竹の根やサボテンの根で崩れて来ていますが、これは復旧出来ず、放置するしか無いのが残念ですが、独り作業では仕方がありません!
2016.08.03
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榎津に滞在する間、五島随一の海水浴場である蛤浜に行くことも無く、近くの川野家の先の小さな砂利浜で毎年2~3日海水浴を楽しみます。此処はテトラポッドも切れ、土砂崩れ対策の砂防柵も切れて、自然の磯が残されていますので、磯の周りでは、キビナゴを追うクロダイ、岩場の下にはタカハタダイ時にはイシダイも見えて、楽しい水浴びが出来るのです。しかし、今年はそんな魚が見えず、僅かに小さなベラが見えるだけで、毎年採っていたサザエやシッタカ貝も激減していました。防災対策で海浜が整備されて、山の栄養が海に流れ出ず、海浜が白くなる「磯やけ」が深刻化しているのです。其処で、奈摩湾の先端にある奇岩、矢堅目公園に行って、その周囲の海を上から見てみますと、磯には海藻が無く、真っ白に磯やけしているのです。此処には、テトラポッドも無く、砂防柵も無いので、昔ながら海岸が残されている筈なのに、磯やけが進行しているのです。次世代に美しい自然を残すには、抜本的な改善策が必要だと痛感することになりました。
2016.07.31
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新上五島町榎津には、人口流失と共に空き家が多く、家主が出て行ったままで管理されないままで、付近の住環境を悪くしています。庭木が大きく伸び過ぎて、苦情が出ていると言うので、確かめてみることにしました。其処は、榎津城山の東斜面裾野にあって、朝日が当たって気持ちの良い場所ですが、坂道ですので、老齢になると上り下りが億劫になる場所でもあります。その家は、義母が誇りにした秀才実弟が結核療養を1944年から1964年まで20年間行っていた家なのです。当時、結核は死に至る病で、病状が悪化して、諫早の病院に転院しましたが、その1年後に亡くなってしまい、奥様も五島に戻らず諫早で生活することになりましたので、空き家になって50年以上となります。瓦屋根の劣化は無く、多分ある程度の期間、貸家としていた様に思われますが、庭はまるで密林状態で真っ暗、坂下の住宅から大木が伸びて垂れ下がり迷惑していると言うのです。家主の奥様も諫早在住で老人施設に入り100才となり管理出来ませんので、その親戚の方が樹木伐採の見積もりを得て、作業依頼をすることになりましたので先ずは一安心です。玄関へのアクセスも、萱や羊歯が生い茂り、潅木が邪魔して通行することが出来ませんので、責めてものお手伝いと、剪定鋏と鋸で伐採し通行可能とさせて頂きました。しかし、早晩、特定空き家となることは避けられない様です。
2016.07.29
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新上五島町榎津の朝は気持ちが良い。波止の突堤から似首番岳に朝日が当たって存在感を見せています。僅か364mの標高ながら、北風を防ぐ防風の役目を果たしていて、狭い平地ではありますが、住環境は良好に見えます。嘗ては、海産物流の集散地として反映したのですが、漁業不振で人々が流失して限界集落となりました。夕刻、メーン通りを見てみますと、店が建ち並んでいた昔を思い起こすことは難しく、酒屋と雑貨店を営んでいた店も、店主が脳梗塞の後遺症で車椅子生活を余儀なくされ、老々介護で閉まってしまい、遂に店が皆無となり自動販売機が数家個散見されるに過ぎません。義父母が健在で、小学校入学前の息子2人を連れて行く頃は、病院も薬局も、スーパーや生鮮食料品、菓子類を売る店もあったのですが、人口流失で皆無となりました。今後は、全国に先駆けて、良好な住環境を利用して、「介護の島」として特別区申請をして、老人のみならず、介護士家族も呼び込んで空き家に住んで貰い、過疎化の島の活性化を図ることが、限界集落を脱する方策として求められそうです。
2016.07.27
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6月25日の長崎行きの飛行機から撮った富士山、雲の合間に見える久しぶりの富士山、山頂付近に残雪も見えて、魅力に溢れています。雲の合間には駿河湾、伊豆半島も見えますが・・この後は、長崎までは雲が覆って下界が見えず、残念な飛行機旅となりました。長崎は雨、五島に渡っても小雨、台風1号の影響もあって豪雨続きで、新上五島町榎津では3週間は雨の中で過ごすこととなりました。
2016.07.26
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長崎県新上五島町役場から、家内の実家の固定資産税納付書が郵送されて来ました。土地が3区分合計280m2で評価額が290万円、家屋は築100年を超えることから160m2でも評価額は16万円に過ぎませんのは、多分償却期間を過ぎて5%程度の残存価値しかないのでしょう。土地は住宅地として1/6に減額され、課税標準額は48万円と記載されていて、家屋課税標準額は評価額のまま16万円となっています。免税措置が土地で30万円以下、家屋で20万円以下とされていて、土地への課税だけとなった様です。義父母が亡くなってからは空き家となっていますので、崩れないように屋根瓦を葺き替えたり、ペンキ塗りをしたり、室内では畳交換、等をして劣化を防いでいるのです。新上五島町榎津郷は限界集落で、崩れたままの空き家が増え、更地も増えて来ましたのが気になりますが、劣化を防いだ結果として宅地として1/6減額で課税標準額とされた様ですが、あと何年世話が出来るか自信が無くなって来ました。200m2以下の住宅用地では、固定資産税の価格(地価公示価格の70%)の1/6が課税標準額となります。又、200m2を超える部分が一般住宅用地として1/3の減額になります。都市計画税は、200m2以下が1/3に、200m2を超える部分が2/3に減額されます。納税通知書では年間7000円ですので、年金生活でも支払い可能と昨日納付させて頂きました。序に、熊本地震への日本赤十字義捐金口座に些少な金額を振り込みさせて頂きました!
2016.04.19
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私は1948年小学校入学で、戦後の自由教育で育った所為か、家に対する柵を感じず、従って家紋についても関心が無く、母が無くなる迄家紋を確かめることがありませんでした。家内は満州国大連の生まれ、五島育ちでしたので、国境近くの地では、日本人が意識されるのか、家の由来や家紋に関心があったのかも知れませんが、亡くなって6年の今となって分かりません。家内の両親は、大網元で地主の家に嗣子が無かったので夫婦養子となったらしく、戦前は家を大事にする柵に縛られたのですが、満州鉄道に就職して敗戦後帰国した経緯があり、農地解放で小作地や所有土地を失い、苦労した様です。そんな関係を明らかにすべく、家内の親戚の方が姻戚関係にある家系連携図を作って頂きましたのは5年前のことでした。それによると、義父の実家の家紋は「丸に立ち沢瀉(オモダカ)」で、我が家の家紋と同じだったのです。実際の義祖父の墓がありましたが、30年放置されたままで、門柱も石柵も大部分崩れていて、ガジュマルが生え、雑草の巣窟になっていました。翌2011年から、墓所の清掃を行って数年掛けて、何とか墓参出来る状態にしました。>墓に刻まれている家紋を確かめますと、「丸に立ち沢瀉(オモダカ)」ではなく、「丸に川の字」になっています。家系連携図を調製した方が、今年今月、五島の友人に墓の紋を調べて貰う様に依頼したのですが、義祖父の本家の家紋は「丸に立ち沢瀉」で間違いなく、義祖父は長男で無いので、家紋を変えたのだろうと言うことになりました。家紋には表紋と裏紋があり、家を出る女子には裏紋が使える様にするとの慣習もある様ですので、義祖父には裏紋の「丸に川の字」使用が許されたのかも知れませんし、自由に変えたのかも知れませんし、もう古い昔のことで真実はよく分かりません。
2015.09.07
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五島から戻って1ヶ月以上が経過し、五島の夏を懐かしく思い返しています。榎津城山は標高220mに過ぎませんが、城址があることでも分かるように付近の眺望が良いのです。城址にはコンクリート製の城型展望所が設けられていて、アクセスの為に林道を舗装した自動車道も設けられているのですが、地元の人たちも訪れることが少なく、整備が疎かになって、年々木々が伸びて来て視野が狭められていて残念です。しかし未だ其処から、新上五島町随一の白砂青松の蛤浜を遠望することが出来ます。今年は、天候が悪くて景色が際立ちませんが、貝の粉で白く見え、遠浅の蛤浜は素晴らしいとの一言でしょう。左端に見えるのは長瀬と言う岩礁地帯、海岸からは500mは離れているのでしょう。今は海水浴場の沖に遊泳禁止のロープが張られて行くことが出来ませんが、40年昔に泳ぎ着いた時には、対岸の榎津が眼前に見えて驚いた覚えがあります。夕方6時頃、榎津の突堤から観る長瀬、その向こうには蛤浜、木造の海の家も見えますが、泳ぐ人達もいなくなった風情で、夕日に照らされた景色も乙なものです。ここ数年は、単独での生活ですので、わざわざ蛤浜で海水浴をすることもなくなりました。
2015.09.06
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新上五島町では、家々の境界に多くの石垣が設けられています。100年以上の耐久性を考えると、コンクリート製やブロック製の塀よりも、自然石を積み上げた石垣の方が排水対策など優れているのだと思われ、妥当とも言えます。しかし、その隙間を利用してツタ草が蔓延り、石垣の堅牢さを揺るがせてしまいますので、適切な管理は欠かせません。数年掛けてツタ草を7割程取り除いて、堅牢さを取り戻したとも見えます。数年前には其処から蛇が出て来たこともありましたが、今年は見かけませんでした。隣家からの目隠しに植えてある竹林、その根が石垣に入り込んで、崩れ出していました。又、其処には鳥が運んで来たと思われるウチワサボテンが、大きくなって石垣のを崩れを助長していたのです。ウチワサボテンは鋸で切り落とし、根はハンマーで潰したつもりですが、来年蘇生しているのかも知れません。石の積み上げには石工として専門知識が必要ですので、仕方なく転げ落ちている石を適当に上の方に乗せて置くことしか出来ません。石垣に食い込んでいる竹を除いて、竹林は全て伐採、石垣の崩れを防止した積もりですが、地下茎は掘り起こせませんので、来年も竹林が蘇生している恐れが十分あります。
2015.08.27
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夏の別荘と位置づけて、榎津の空き家で夏の1ヶ月を過ごすことにしていますが、築130年となりますと劣化が進んでいるのが気に掛かります。外板は芯のみで煎餅の様になっていますので、数年前から水性ペンキで塗装していますし、家の中でも畳も駄目になった藁製畳床を、スチロール製に換えて来ました。今年は、ペンキ塗装の追加程度で良かろうと思っていたのですが、昨年畳表を取り替えた居間で、黒カビが生えていたのです。縁側床下の石板が外れていて、雨が降り込む様な状態でした。この石板は、頭ヶ島近くの友住郷で産出される砂岩で、今でもDIY店でも販売されている新五島町に特有の石材で、約30kg位の重さがありましたので、近所の方に助けを求め、何とか復旧させました。しかし、黒カビの元凶は、石板脱落よりも、縦の雨樋からの雨水が地中に浸み込まず、床石板の間から床下に浸入して、床下浸水が起きていたのではないかと疑われました。エルボーとストレート管で、雨水の排出場所を誘導して変え、床下浸水を防いだつもりですが、果たして上手く行ったのか否かは定かではありません。来年、黒カビが発生しないことを祈るばかりです!
2015.08.26
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今は客船就航が無くなった榎津港ターミナルから望む門松山、標高は124mに過ぎません。ターミナル機能が無くなりましたが、ターミナル内には食堂・みやげ物店に加え、昨年からキリスト教の文化遺産の準備として教会巡礼センターが開設されました。門松山の麓には榎津神社があり、中腹まではその境内とも思われるのですが、確かではありません。元来は式年遷宮1100年を超えた天満宮ですが、奥の院には琴平宮が祭られていて、その奥には神木となっているタブの木が2本鎮座しています。樹齢は数百年を超え、幹には大きな洞が出来ていて、其処にはフクロウの1種コノハズクが宿鳥となって、夏の夜には鳴き声を聞かせてくれます。その上には、宮司が植林させたヒノキ林があり、その周辺には段々畑があったのですが、人口減少と共に荒れ果ててしまいました。50年昔にはその中腹にヒノキ林を通って「風の浜」に抜ける山道もあったのですが、「風の浜」海水浴場は離党振興事業によるテトラ設置で砂利浜が流出してしまいましたので、山道は行き交う人々も絶えて樹木に覆われ、イノシシの生息地に変貌してしまいました。
2015.08.21
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五島には、関東では見ることが珍しいアゲハ蝶が多く観られます。黒い羽であって下羽に白い斑点を持つモンキアゲハは、大きさも大きく、個体数も多い様な気がしますし、その他の黒い羽を持つアゲハ蝶、クロアゲハ、カラスアゲハも多数飛び交っているのですが、シャッターチャンスを見つけるのが難しいのです。偶々、停まっている黒い蝶、上の羽が薄いので、カラスアゲハの様な気がします。上の黒羽に青緑が塗られた様な蝶も飛び交っているのですが、知識不足でその種を特定することは出来ません。時々、関東でもよく見かける青筋アゲハも飛んでいるのですが、黒いアゲハ蝶に比べて、大きさの小さいことに驚かせられます。五島の黒いアゲハ蝶類は、アゲハ蝶の中でも大きさが大きい種なのかも知れません。
2015.08.19
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東京から1200km以上西方にある新上五島町は、東京に比べて時差が1時間遅れますので、午後7時過ぎてからも、夏の夕暮れを楽しむことが出来ます。午後6時になりますと、榎津城山に陽が翳りますが、海上には陽が残っていて、西海国立公園の外ですが、将に風光明媚を満喫させられます。有川湾の奥に位置する矢倉岳、夕日に照らされる浦桑漁港、長瀬の向こうには蛤浜が見えて、見飽きることがありません。午後7時を過ぎますと、対岸の有川郷が夕日に照らされて輝きます。有川湾の入り口に位置する有川郷が、暗くなりつつある中で、夕日の最後の輝きを見せてくれるのです。今年も、有川郷の花火大会が7月下旬に開かれ、榎津の突堤からもよく観賞出来ました。それ程遠くない昔には、浦桑・浦浜地区、榎津でも花火大会は行われていたのですが、人口減少による町の財政状況から、今年は有川郷と南端の奈良尾郷の2ケ所に絞られたとのことでした。
2015.08.18
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義母が、除草剤が嫌いで「草が生えたら刈れば良い」と言うことでしたので、20年来使ったことが無かったのですが、墓所にカラムシと言う雑草が蔓延り年々その数を増して来ましたので、2ケ所の墓所に除草剤を使ってその勢いを抑制することにしました。カラムシは昔、麻の様な繊維を取る為に輸入されたものですので、茎が茶色になる時期となりますと、根も張り茎も硬くて処理しにくくなってしまいます。義父母の眠る墓所には、13基を超える墓石が立っていますが、昔は土葬で個人々の墓石を立てたので、そうなっており私には特定出来ません。他は義祖父の墓、5年前から世話をしていますが、周囲を白い自然石の石柵を設けて門柱もあった立派な墓ですが、半分以上が崩れてしまい往時を偲ばせるだけとなりました。2ケ所の清掃に、毎年3日ずつを要しその後は元の木阿弥状態となりますので、せめて数ヶ月は綺麗でいて欲しいものだと、義母の生き方に逆らって「農地にも使える除草剤」と称する薬剤を散布することにしたのです。そうは言いましても、その効果は生えているカラムシだけで、地下根には有効ではありませんので、数週間だけなのかも知れません。ついでに、空き家の庭のイタドリも滞在中100本近く生えて来ていますので、発芽した小さな葉に散布して、その効果は極めて限定的なのだと分かってはいるのですが、少しは繁茂を抑制することにしました。
2015.08.14
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1年の不在で、草木が蔓延る様は驚くほどで、足の踏み場も見つかりません。毎年のことですが、やる気を挫くほどの状態でしたし、蛇やムカデが潜んでいるのですから大変です。東側の台所・物置付近には2m程のイタドリや雑草が生えて、空井戸も見えません。全て切り落とし根も掘り起こして除去、2週間後には綺麗になりました。中央の池付近には蔓草が繁茂して、暗くて池も見えません。奥の椿の枝を剪定、躑躅も伸びた枝を整えて、漸く築山も見える様になりました。西側は100本以上の竹で、竹林と丈の高い雑木で密林となっていました。その内50本は、近所の方が後で燃やすからと親切な申し出がありましたので甘え、残り50本は小さく刻んでゴミ袋に入れて、何回かに分けて収集所に出しました。40リッターの大袋で合計60袋以上を出しましたので、結局庭の手入れに2週間を要しましたが、元来の見応えある石庭が蘇りました。しかし、五島を去る1ヵ月後には、イタドリの発芽スウィッチが入り、50本以上が生えて来てしまいましたので、来年も同様に足の踏み場も状態になると思うと憂鬱です。
2015.08.13
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魚目小学校で県道32号線を左に折れると、此処は丸尾郷に抜けるバイパスとなります。この黄色の校舎は建て替えられて10年を過ぎましたが、小高い位置にありますので、遠くの蛤浜海浜からも目立って見えるのです。城山に至る農道もありますがそれに入らず、小学校横の幼稚園を過ぎて行きますと、榎津浄水所に行き着きます。貯水池が浦桑ダム湖に移ったことで、この浄水所は役目を終えた様で、浄水処理割には水が無く稼動していませんでした。そのまま、バイパスを進みますと緑濃い鬱蒼とした風情になり、城山頂上に再現城を望むことが出来ます。右下に中学校が見えて来ましたので、丸尾郷には行かず、県道32号線に戻ることにしましたが、此処が榎津郷の北端の様です。マンションビルが3棟あり、若者世代は家の管理や庭の管理が不要ですので、人気がある様で、少なくなった子供の数は此処に集中しているのです。魚目中学から見る丸尾港、公民館や町民プールが整備されて、離党振興で突堤を延長したことで、昔の「風の浜」は砂利や砂が流出してテトラ帯となって消え去ってしまっているのは寂しいことです。
2015.08.12
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今年は、庭の草取り・高木剪定、2箇所の墓地の清掃、家の雨樋・床下石板修理に追われ、中2階部屋の整理が疎かになりました。それでも、少しでも廃棄する物を出しておこうとしていましたら、右の書棚の上から埃に塗れた油彩が出て来ました。これは、最初に描いた油彩で覚えていますが、絵の具も劣化し埃を被った暗い絵で、記憶していたより拙いものでした。下記の2枚も、榎津の空き家にあったもので、上の44才の絵は一昨年、下の26才の絵は昨年、東京の我が家に持ち帰りました。>これで家内を描いた油彩は3枚、劣化した部分は上から加筆するべきなのかも知れませんが、近頃描いていませんので、甚だ自信がありません。
2015.08.10
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此処は昔、表通り角から酒・雑貨屋、診療所、印刷所、郵便局、薬局、食料品店、理髪店等が建ち並んでいて、榎津銀座とも呼ばれた通りでした。今は、角の酒・雑貨屋以外は閉鎖されて見る影もありませんし、周りが更地になって潮風で外板の劣化が激しくなりましたので、水性塗料で防護し始め、今年で3年目となりました。今年は玄関周りを中心に、元来茶色に塗装されていた場所を桜色に変えてみました。3年前の玄関周りはこの様な状態でした。東側は、薬局があった場所は更地になりましたので風が直接当たりますので、目の高さ迄、アイボリー色の水性塗料で塗り込めました。3年前には、外板は木目が剥き出しで、これ以上耐えられないと思われる程でした。このような補修塗装で寿命がどの程度延びるのか分かりませんが、近所迷惑を掛けなくなったと思っています。
2015.08.07
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榎津に行っての楽しみは、朝に晩に下駄履きで散歩する突堤で、南は蛤浜が良く見え、北には似首番岳の向こうに見える青空が本当の夏を感じさせます。高い様に見えますが標高は360m足らずですが、存在感に溢れているのです。榎津城山は周囲を見渡せる展望所なのですが、木々が伸びて見通しが利かなくなっていますが、整備が行き届かずに放置される状態となっているのは残念です。コンクリート製の展望城から見える景色は、一望の価値があります。それでも、白眉の景観は対岸の蛤浜から榎津遠望となります。右に見える竹の小島は、天然の防波堤で荒れ海でも榎津郷を守っているのですが、離党振興の名の下に突堤が延長されて、貨客船の操船が難しくなり、遂に定期船の往来が無くなってしまいました。今年の夏は、梅雨明けが遅れて毎日の様に雨が降る天候が続いた上に、台風の間接的来襲が2回もあってすっきりしませんでした。
2015.08.01
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家内の実家も空家になってから21年を経過しました。毎年1~2回、新上五島町を訪れては、開けて家の中に風を入れ、庭の草取り・樹木の剪定を行って来ています。家内が亡くなって6年経ちますが、その習慣は変わっていません。私には家に関する権利は一切無いのですが、固定資産税は支払っていますし、安全の為ブレーカは落としてありますが、電気料金、水道料金は基本料金を払っていますので、空家と言うよりも夏の別荘と位置づけて管理している状態でして、後何年続けられるか懸念もありますが、兎に角特定空家の対象にはならないと考えています。住宅などの敷地は、固定資産税が課税標準額の1/6~1/3、都市計画税が1/3~2/3に軽減される措置。建物を除却して更地にすると特例が使えなくなるため、管理状態の悪い空き家が放置されていた。居住していない基準としては、建築物の状況、人の出入りの有無、電気・ガス・水道の使用状況、所有者の登記や住民票の内容等から客観的に空き家か否か判断し、そして常態化の基準は、年間を通して使用されていないことなどから判断することを挙げている。国土交通省は、「空家等対策の推進に関する特別措置法」が2015年5月26日より全面施行されたことに伴い、適切な運用を図るためのガイドラインを発表した。全国で空き家が増えており約820万戸にも及ぶ。ガイドラインによれば、「倒壊等著しく保安上危険となる状態」、「著しく衛生上有害となる状態」、「適切管理が行われず景観を損なっている状態」、「周辺環境の保全に放置が不適切な状態」の4つを「特定空家等」と定義。市町村長は「特定空家等」の所有者に対して、適切な対策を行うように助言、指導、勧告、命令をすることができ、不十分な場合は、行政代執行法に基づいた適切な措置を講じ、措置に際して発生した費用は、所有者に対して請求可能。これまでは、建物があれば固定資産税等の特例が受けられたが、今回の法律施行で特例から除外する。地域実情に照らした適切な措置を市町村長が行っていく形になる。
2015.06.22
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新上五島町の役場から固定資産税納付通知書が来状しました。家内の実家周辺は、今は寂れてしまっていますが、此処は榎津銀座とも呼ばれていて、種々の店舗が営業していた通りでもありました。有川湾の奥で天候の影響を受けない榎津港が、海産物の集積所として栄え活気のある町でしたが、定置網を中心とした漁業が不振となり、職を求めて人々が去ってしまい、今は限界集落となっていて、そんな面影は昔の夢となってしまいました。明細書に依りますと、土地は3箇所280m2で評価額300万円余・課税標準額50万円余、家屋は156m2で評価額16万円・課税標準額は同額でした。土地は30万円未満、家屋は20万円未満ですと免税となるとのことで、家内の実家は土地分についてのみ課税され、課税額7000円を4回に分けて納付すると言う通知でした。家内の実家は、入母屋造りの大きな家で、1階に8部屋もあり、中2階は小作米等の物置と子供の勉強部屋として使われていたのですが、税法上にて中2階は員数にはカウントされない様です。財産相続をしないまま、義父名義や義祖父名義のままの状態で、義次兄も8年前に家内も6年前に亡くなりましたので、昨年から私が納付する様に変更したのです。依頼人の項目には、私様方として義父の名前が記載されています。家内が亡くなって私は財産相続権は無いのですが、家内の代わりに納付しようと思っていますが、限界集落の固定資産税は驚くほど安く、町の運営も難しく思えます。従って、今年は「ふるさと納税」をして少し貢献度を増やそうかと思っています。
2015.05.15
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NHKBSの「こころ旅」はよく拝見しています。今年秋編の長崎県縦断最後の訪問地は五島列島新上五島町の岩瀬浦でした。奈良尾港から高井旅までの上り坂は、車で乗ったのは良いのですが、岩瀬浦までは二つの峠を越えて行かねばならず、音を上げる程の自転車輪行でした。岩瀬浦郷は日本で最初に魚群探知機が導入された漁船があったことで知られ、NHKの「プロジェクトX(エックス)」で紹介されたことがあります。此処の戸村水産で造られる、新鮮な鯵を使った昆布巻き蒲鉾が好きなのですが、水産業の衰退も激しく、多くあった水産加工業者も二軒に減ってしまっているのは残念なことです。高齢化が進み限界集落となった岩瀬浦は、人影もなく寂しい限り、紹介された「尻岩」は認識したことがありませんでしたし、11月に五島を訪問したことはありませんでしたので、興味深く拝見させて頂きました。三方を山に囲まれた岩瀬浦郷入口には、高さ約100メートルの断崖から落下する瀑布は五島列島と言うより長崎県随一の「芦山(ろざん)の滝」があります。五島行(8)-芦山(廬山)の滝11月は渇水期ですので、流れ落ちる流れも無い岩肌だけで、注意を惹くこともなく紹介されなかったのは残念です。
2014.11.30
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榎津神社は門松山の麓にあって、郷全体を鎮守しています。階段を登りますと本社ですが、本社の横を道なりに更に行きますと奥の院と言うか奥社に至ります。其処には、樹齢数百年とも思われるタブノキが2本生えていて、その根元近くに大きな洞があってアオバズクの巣になっている様で、昼間にアオバズクが木立に出ているかと思いつつ、例年見に行って見るのですが、未だ発見するに至っておりませんが・・・どうも、梅雨時は子育てに季節らしく、カラスの来襲に備えて警戒心が強くて昼間はじっとしているとのことでした。実は、私にいる間にも、夕刻十数羽のカラスが大挙してタブノキに集まって、幼鳥を餌としたいのか、アオバズクを天敵として追い払いたいのか、ガーガーと大騒ぎとなったことが数度ありました。それでも、鳥目のカラスが寝静まりますと、夜行性のアオバズクは「ホーッホーッ!」と何時もながら鳴き声を響かせて健在ぶりを知らせてくれたのです。アオバズクは夏に日本へやって来る渡り鳥とされていますが、此処のアオバズクは対馬暖流の影響で比較的暖かい冬を越冬して過ごす留鳥だと思っています。
2014.08.19
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今年はよくスズメバチが家の中に入って来ました。梅雨明けが遅くて7月下旬に漸く明けたのですが、梅雨時はスズメバチが巣作りをする季節で、雨を防げる場所を探索していた様です。庭に面するガラス戸は開けておきましたので、雨を防げる場所を探して家の中も候補の一つであった様で、2週間の間に少なくとも4匹が飛び回っていました。それらスズメバチは女王蜂であり攻撃的ではありませんので、ハエ叩きで叩き落しますが失神するだけで、痙攣しているだけなのです。庭に掃きだしてゴム草履で踏みつけ絶命させますのは、可哀想なことですが近所迷惑を避けるには仕方がありません。その死骸には蟻が群がり、翌日には硬い頭と尻の針部分を残して、その食料となってしまいます。強いとは言え、スズメバチが蟻の餌になってしまう自然の営みは厳正です。結局、庭の植栽で2匹を加えて、6匹を退治したことになりますが、今年は異常にスズメバチ来襲が多かった気がします。春から初夏にかけて、越冬からさめた女王バチが巣を作ります。始めは、巣は小さく、女王バチだけなので、比較的簡単に巣を取り除くことができます。6月中旬から働きバチが羽化しはじめると巣が急速に大きくなり、9月下旬から10月上旬ごろには最大になり、ハチの数も増え攻撃的になります。冬になると働きバチは死に、女王バチは巣を離れ木の中や土中で単独で冬を越します。巣は1年限りで捨てられ、翌年には利用されることはありません。
2014.08.15
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榎津郷から中通島南端の奈良尾地区に行くには、浦桑郷で国道384号線に入り、青方地区に出て若松瀬戸の風景を楽しみつつ行くのが普通ですが、浦桑郷から七目隧道を経て鯛の浦港に入り、そのまま道なりに急勾配の山道を越えて神ノ浦郷と言う小さな漁港を通過し、県道22号線で五島灘を楽しみつつ南下する方法もあります。神ノ浦郷は人口減少の影響を大きく受けて学校閉鎖ともなり、今では人影も疎らになりましたが、海の透明さは昔のままです。海抜0mの神ノ浦郷から船隠峠に至る対岸には、砂利採石場があって未だに活動中でした。もう山の片斜面の半分が削り取られてもいる様で、限界集落となった神ノ浦郷に、僅かに経済効果をもたらしているのかも知れません。
2014.08.11
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家内の実家は空き家となって20年経ちました。元来が築130年を越えている頑強な入母屋造りで、土間部分を台所と物置に追加増設したのは義父母が満州から帰国してからですので、その部分は築65年となります。戦後の混乱期に追設した張り出し部は右に15度程傾いていますので、朽ち果てつつあるのかと心配したのですが、左右端には三角板が貼り付けてありますので、当初の基礎土台工事に問題があった様に推定されます。台所床板も傾斜していましたので、今年は厚さ2cmの平板をビス止めして、食器棚を垂直に戻しました。家内と共に15年、私一人となって5年間何とか家の内外を管理して来ましたが、今後はどうなって行くのかは何とも判断し兼ねるのです。これまでは、近所に迷惑が掛からない程度に、雑草に覆われた庭の草取り、3年毎の業者による高木枝伐採を行って来たのですが、3年前から家の中での畳替え、障子張替え、不用品の廃却を行い、夏の別荘として誰でもが住める環境にしようと考えを変えました。LPG契約はしませんが、電気・水道は止めずに基本料金支払って、直ぐに住める様にしておくのに年間3万円程必要です。一昨年は高木伐採に加え冷蔵庫・流し台換装で15万円、昨年は座敷の畳取替えや外板ペンキ塗りで10万円、今年は居間の畳表交換、LEDペンダント照明、便所臭気ファン換装のみでしたので5万円程で済みました。少なくとも75才までの3年間は、こんな作業を進めて、木造家屋の劣化を防いで夏の別荘として整備して行こうと思っています。
2014.08.10
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例年暑くて堪らなくなりますと、家で海水パンツを穿いて、ゴム草履を履いて川野家の先の小さな海浜で泳ぐことにしていました。砂浜でなく砂利浜であり、休憩場所もありませんが、涼んだら家に帰って、シャワーを浴びてさっぱりすることが出来ますので、新上五島町随一の蛤浜海水浴場に行く必要性も感じなくなったのです。今年は梅雨明けが遅く、台風8号来襲前後には大雨で、半日で300mmを超える雨量があったのですが、リアス式海岸で川が短くて直ぐ海に流れ込みますので氾濫などの被害は無いのです。結局、川野家の先の小さな海浜に行きましたのは、7月21日、五島を離れる2日前となりました。リアス式海岸とは言え、あまりの集中豪雨で門松山の林から土砂崩れが起きていて、舗装道路に覆い被さっていたのです。川野家の処までは、土砂崩れから家屋を守る砂防ダム、イノシシや鹿除けの金網が整備されているのですが、その先へのアクセス路は自然のままで、昨年はその海浜でイノシシのウリボーを見かけた程で、土砂崩れが起きても不思議はありません。砂防ダムや海岸一体を埋め尽くすテトラポッドで、海流が変わり、山からの土砂流入が無くなって、海藻が死滅する「海やけ」が酷くなっていますので、土砂崩れで山の栄養が海浜再生の一助になるのではないかとも思われました。突堤の先では、サザエやシッタカ貝が結構な数、発見することが出来ました。今年の収穫は、タモ網で掬ったサザエ2個でした!
2014.08.07
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