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近年は「年上女の恋」を描いたドラマが多い。古くは、大森美香の初期作「きみはペット」とか?!あのときは、小雪が28才で、松潤が20才という設定でした。最近では、さらに女子の高齢化と男子の若年化が進んでいて、「逃げ恥」の石田ゆり子や、「恋する母たち」の吉田羊や、「あな番」の原田知世などは、アラサーもアラフォーも超えて…、もはやアラフィフ!日本もだいぶフランス化してきましたね。一方、「はじこい」の深キョンや「中学聖日記」の有村架純は、ピチピチの男子高校生をお相手にしています!それからフジテレビの「推しの王子様」は、比嘉愛未が36才で、渡邊圭祐が23才という設定です。そういえば、テレ東の「ラブコメの掟」も年上女と年下男子の恋でしたね。これはタイトルのとおり、ラブコメのお約束設定をパロディにして、ウブな年上女がイケメンの年下君に翻弄されるお話。栗山千明の "膝乗せハグ" がちょっとツボだった。おそらく制作サイドは、女子目線の視聴者層をターゲットにしてるだろうけど、なかには綺麗な年上女に憧れて、男子目線で見てる視聴者だっていることでしょう。◇今回の「プロミス・シンデレラ」は、二階堂ふみが27才、眞栄田郷敦が17才という設定。同じくTBSの「中学聖日記」のときは、岡田健史がまだデビューしたばかりだったし、実際に10代の俳優だったので、しかも、役柄上も真面目でウブな高校生だったので、やたらと「禁断の恋」みたいな背徳感が際立ちました。それにくらべて、今回の眞栄田郷敦は、実年齢がすでに21才だし、役柄上も、やんちゃなマセガキでありながら、なんだかんだ「花男」的な良家のおぼっちゃんなので、さほどの背徳感もなく、気楽に見ることができた。◇とはいえ、最終回は、かなり攻めた内容になっていました。アラサー女子と高校生の恋にとどまらず、最後には"結婚"まで匂わせたりして、これは従来のドラマの良識を破ってる気もする。ちなみに、わたしは原作をまったく読んでいませんが、今回のドラマは、いろいろ腑に落ちないところもあります。たとえば、早梅(二階堂ふみ)と壱成(眞栄田郷敦)が結ばれ、菊乃(松井玲奈)と正弘(井之脇海)も結ばれ、まひろ(松村沙友理)と洸也(金子ノブアキ)も、いずれは結ばれるっぽい感じなのですが、他方で、成吾(岩田剛典)や、アルバイトのさくら(畑芽育)は報われないのです。このあたりの納得感が乏しい…。そもそも早梅は、なぜ成吾でも正弘でもなく、高校生の壱成を選ぶのですか?まあ、「人を好きになるのに理由なんてない」のですけど、どうも物語としての納得感に欠けるのですね。◇貧しい虐待家庭に育った早梅と、容姿が醜かった明(=のちの菊乃)は、それぞれに恵まれない境遇を背負っていました。前者が「家なき子」の安達祐実だとすれば、後者は「野ブタ。」の堀北真希って感じ。ある意味では、どちらも似たもの同志なのです。そんな2人が敵対した原因は、成吾との潜在的な三角関係でした。菊乃が早梅に向けた憎悪は、いわば「隣の芝生」みたいな逆恨み。菊乃は、整形して美人になったんだし、成吾とも愛人になれたんだからいいじゃん!と思うけど、どうやら「愛人」という自らの立場を恨んだらしく、成吾の想い人である早梅を、いちど成吾と結びつけてから無理やり破綻させ、早梅にも自分と同じ「愛人」の哀しみを味わわせてやろうと、なかなか面倒くさい攻撃を仕掛けていたのでした。成吾と早梅をくっつけようという意味でなら、それは大女将(三田佳子)の企みにも近いのだけど、そもそも早梅は、成吾に恋愛感情を抱いていませんでした。◇成吾も、正弘も、父に虐げられていた貧しい早梅のことを救い、さらに醜かった明(のちの菊乃)のことも救った男性です。どちらも煮え切らない優柔不断な男ではあるし、菊乃と愛人関係になったのもマズかったけれど、基本的には優しい男性のように思える。正弘のほうは、いちどは早梅と結婚できたわけだし、最後は菊乃と結ばれて終わるようなので、それなりに報われた感じですが、成吾のほうは、いっとき菊乃と愛人関係になったのみで、早梅とはいちども触れ合うことすらなく、最後はひとり取り残されて終わります。◇菊乃は、せっかくなら最愛の成吾と結ばれりゃいいのに、なぜ最後に正弘のほうへなびくように終わるのでしょうか?そして、なぜ早梅だけが、成吾も捨てて、正弘も捨てて、拾いものみたいな金持ち高校生と結ばれて終わるのでしょうか?結果的に見ると、2人の女子がそれぞれに別の男性と結ばれ、なぜだか成吾だけが一人取り残されるという不思議な結末。タイトルの「プロミス」って、なんの約束だったの?兄の約束を、弟が代わりに果たすってこと?兄をないがしろにして?◇たしかに早梅は、真っ直ぐで正義感の強い女性ですけど、彼女だけが独り勝ちするようなオチにはなかなか共感しにくい。なんらの「プロミス」も果たされた実感はない。たまたま金持ち高校生を拾ってラッキー!ってだけ…。見方を変えれば、幼少期に母親に捨てられた淋しい壱成くんを、年上の早梅が優しく受け止めた感じでもあるのだけど、それって、成吾や正弘が、早梅や菊乃を受け止めた慈悲心にも近いし、そもそも貧しい家庭に育って、ろくに家事も出来ないし教養もないバツイチ女が、2人の男性を捨てたり、老舗旅館の御曹司を選んだりできる分際なのか?ってのもある。◇原作はまだ完結していないらしいけど、わたしが思うに、原作のアウトラインだけを脚本家が借用した結果、いろんなところで整合性が崩れてしまったか、もしくは、細部の説明不足のために、かなり納得感の乏しい展開になった気がしてなりません。原作者としては、「とりあえずドラマ化してもらっただけでありがたい」ってな弱い立場かもしれませんが、本心のところでは、このような脚色に納得しきれていないのでは?◇…それはそうと、眞栄田郷敦は、最近の若手には珍しいインパクトの強い顔立ちでした。このタイミングで亡くなった千葉真一どころか、かつての三船敏郎みたいな目力の強さ。渡辺謙とか、阿部寛とか、そのあたりに連なる"大型俳優"の雰囲気があります。いっぽうの二階堂ふみは、ほぼ実年齢と変わらない役どころだったけど、こんな可愛くてキレイな既婚女なら、きっと男子高校生でも恋しちゃうでしょうね。…今回のドラマは、和モダンな旅館を舞台に、蛇女みたいな松井玲奈が人間関係を掻き回すという、いわばサスペンスタッチのラブコメだったので、日テレの「わたどう」とか「高嶺の花」にも通じるところがあった。上記2作よりは、まだしもマシな脚本だったかもしれませんが、なかなか大満足とまではいかないのが正直なところです。
2021.09.18
日テレの「ボクの殺意が恋をした」が終了。なんだかんだで全話視聴しました。新木優子は美しかったし、映像もなかなか綺麗だったし、愛し合ってる男女が敵対しあうという設定は、「奥様取り扱い」や「ルパンの娘」などを踏襲するもので、それ自体は魅力的に感じていたのだけど…脚本の出来があまりよろしくない。点数としては50点ぐらい。コミカルパートがおおむね滑っていました。むしろ真面目なテイストにしたほうが面白くなったと思う。◇まあ、前提となる背景や動機の設定がいい加減なので、コミカル要素でお茶を濁す以外になかったのでしょう。つまりは、脚本を緻密に練り込むだけの能力に欠けているのです。この作品のように、動機や背景をきちんと練り込まず、ひたすら上っ面の展開だけをこねくり回し、ツッコミどころをコミカル要素で誤魔化しながら、どんでん返しによって視聴者を翻弄していく手法は、日テレの「あな番」やら、TBSの「天国と地獄」やらに共通しているところだし、武藤将吾の一連の作品にもいえることです。制作側としては、おおかたSNSの考察合戦に期待しているのでしょう。しかし、いいかげん、設定の底の浅さばかりが見え透いてバカバカしい。◇この路線で、唯一成功したと思えるのは「シロクロパンダ」だけでした。まあ、今回の作品も、「シロクロパンダ」を意識したふしはあるし、頑張って入り組んだ物語を作ったのは分かるけど、思想性が弱いし、細部の詰めも甘いし、コメディのセンスもパッとしませんでした。なにより前提となる設定がテキトーすぎて、男女の愛憎の切ない展開には十分に乗り切れなかった。やはり、作り込む努力をしなければ、いい脚本にはなりません。あまりにも当たり前の話ですけども。◇また日テレは秋元康の企画でドラマをやるようだけど、同じようなパターンの作品になる気がしてなりません。日テレは、この種の安易な企画に手を出すのではなく、ちゃんとした脚本の書ける作家を確保すべきだと思います。今季の「ハコヅメ交番女子」を見れば分かるように、日テレは、まともな脚本さえ確保すれば、ちゃんと名作を作れるポテンシャルがあるのだから。映像が美しかっただけに、惜しい。
2021.09.16
名実ともに、日テレひさびさの大ヒット!永野芽郁、最大の当たり役!!ついに「半青」のイメージも乗り越えて、個人的には「のだめ」の上野樹里にも匹敵する当たり役だと思う。共演陣のキャスティングも非の打ちどころがありませんでした。ロイ-RöE-の音楽を世に出したのも本作の功績!オープニング曲は、ヘタレな永野芽郁のイメージにぴったりです(笑)。◇フジの「朝顔」シリーズもそうだったけれど、なんといっても、根本ノンジの脚本が素晴らしい。やたらと大仰な展開に堕すことなく、むしろ、ささやかなエピソードのなかに、じんわりとした味わいをもたせるのがとても上手い。それに加えて、本作では笑いの要素が抜群に冴えていて、女子ペアのラブラブ感なども、男性作家とは思えないセンスで描いていました。最終回、川合ちゃんのアホな小芝居によって、さくらを警官に復帰させるエピソードは、なぜだか笑いと涙が同時に襲ってくるような秀逸な展開。さらに最終回には、執念で追い続けた犯人逮捕の場面もありましたが、手錠をかけられたのは、けっして絵に描いたような悪人ではなく、普通の人。そこらへんも一般の刑事ドラマとは違って、とてもリアルだったし、勧善懲悪ではない世の中の悲哀と複雑さがありました。ちなみに、タイトルの「ハコヅメ」はダブルミーニングで、"交番勤務"のことであると同時に、未解決事件の"箱詰め資料"のことだったのですね。◇ドラマを見始めた当初は、こんなに弱ッチイ警官を見せちゃって大丈夫?と思ったものだけど、この物語の根底にある、「警官だからこそ人間性が求められる」という視点は、いろいろと考えさせられる部分が多く、矛盾をはらんでいるからこそ訴える要素も大きかった。実際、警察はけっして軍隊ではないのだし、たんに人間性を圧殺して暴力をふるう組織では許されない。コメディとしての楽しさを前面に出しながらも、社会的な意義や現代的な意義も有していた作品だといえる。◇脚本さえよければ、日テレはいいドラマをちゃんと作れますね。そのことが、あらためて分かった。かつては「女王の教室」や「ごくせん」など、数々の名作を連発していたのだし、むしろ演出力は他局よりも優れているのです。ただし、いかんせん、最近は脚本の出来に左右されている面が大きいし、近年の日テレの不作っぷりから考えて、この「ハコヅメ」のシリーズ化は確実ではないでしょうか?日テレは、このコンテンツを逃すべきではない。続編どころか、パート3、パート4ぐらいまでいけるのでは?
2021.09.15
24時間テレビ。そーかー。こういう伏線だったのかー。これからまだ舞台裏のネタとか出てきそう。空の技に驚く碧(ウチカレ)そして、昨夜の天璋院様と慶喜殿っ! まっこて、こげん ちゃちなお方じゃったとは…(呆)そうです。わたしが ちゃちなオジサンです。さらに『千尋』の告知がっ!
2021.08.23
24時間テレビ。予告では、萌音と環奈の「千尋コンビ」の共演ってことだったけど、いきなり、何の前置きも説明もなく、萌音と美波の「シンデレラ同期」までしれっと並んでいました。何なの??唐突すぎて、逆に怖いわ。左から橋本環奈、上白石萌音、浜辺美波、菅野美穂結果的には、環奈と美波の「docomoコンビ」も並んでるし、美波と菅野美穂の「ウチカレ母娘」も並んでるし、環奈と平野紫耀の「かぐや様ペア」も並んでるし、そのうえ、萌音のワイプ画面じゃMISIAの「アイノカタチ」が流れたり、ちょうど萌歌がJ-WAVEで喋ってる時間帯には、美波が井之脇海とドラマで共演してたり、桜田ひよりともボキャブライダー共演したりしていました。もう番組の趣旨がよく分からない(笑)。でも、結局、番組のなかで萌音と美波が話す機会はありませんでした。『生徒が人生をやり直せる学校』ご視聴ありがとうございました!!24時間テレビにも少しだけお邪魔しました!!天使2人に真ん中で写真撮って貰えてしまいました👼萌音ちゃんとお仕事現場で一緒になったのは何気に初めてでちょっぴり泣きそうでした👼 pic.twitter.com/lILDIU0NxW— 浜辺美波 (@MINAMI373HAMABE) August 21, 202124時間テレビ初めて出演させて頂きました!ありがとうございました!引き続き放送をお楽しみください〜!萌音ちゃんとゆっくりお話しする事が出来て嬉しかったぁ。沙保里さんともお久しぶりにお会い出来て嬉しかったです!みーちゃんは毎日連絡取ってます。笑 pic.twitter.com/9B0eHkPPiE— 橋本環奈 (@H_KANNA_0203) August 21, 2021 10年前。
2021.08.22
なにげに「にほんごであそぼ」とか、実験番組の「すイエんサー」とか、Eテレの子供向け番組をけっこう見てるほうなので、服部隆之の「シェイクスピアのうた」を歌えるだけでなく、奥森皐月ちゃんのことも前から知っていました。◇全国いいとこコンサートで踊ってるときも、それはそれで可愛かったのだけど、じつは彼女がとても頭のいい子だということを、わたしはちゃんと知っていた。わたしの目に抜かりはない!◇そして、彼女は、いよいよ今年のはじめあたりから、本格的なポテンシャルを開示しつつあって、いきなり伊集院光とか、藤井青銅とか、かなりディープなところと交流してるみたいです(笑)。まだ17才だけど!先日はゴールデンのクイズ番組で、驚異的なオタクっぷりを見せつけていました。思ってた以上に頭よさそう。
2021.08.17
NHKドラマ「六番目の小夜子」が再放送されてました。2000年の作品です。21年も前って…古い!わたしは、今回が初視聴。絶賛、NHKプラスで後追い中です。鈴木杏、栗山千明、山田孝之、松本まりか、山崎育三郎、勝地涼、…というスゴい面子!しかも、当時はまだ無名だった若い6人が、主要キャストで勢揃いしてたってのが凄い。◇山田孝之は、この翌年の『ちゅらさん』で有名になりました。栗山千明は、2003年の『キル・ビル』で有名になりますね。鈴木杏は、いまや日本を代表する舞台女優ですが、わたしは、03年の『Stand Up!!』で彼女を知った。勝地涼を知ったのは04年の『ちょま神』かなあ?ちょうど、このブログを始めたころ。松本まりかは、06年の『純情きらり』に出てましたが、わたしが彼女を認識したのは、わりと最近です。山崎育三郎は、このときは、まだ渡米前だったようで、帰国後にミュージカル俳優として大成するのですね。教師役では、村田雄浩や小日向文世が出演していますが、わたしが村田のことを知ったのは『ちゅらさん』だったし、小日向のことを知ったのは08年の『喜多善男』だったと思う。そう考えると、当時はほんとに無名の役者ばかり。◇恩田陸の原作は、眉村卓の『なぞの転校生』あたりを基礎にしてると思うけど、日本産SFジュブナイルのエッセンスをうまく取り込んである。NHKもさすがに要領を得ていて、その作品の意図をきちんと汲み取って映像化しています。こういうジュブナイル系のドラマは、たいていは内容が荒唐無稽で稚拙なのだけど、なんともいえず懐かしくて胸がキュンとするのは、昔の『七瀬ふたたび』やら『時をかける少女』やらを思い出すから。実際、2000年に作られたドラマにもかかわらず、見た感じはもっと古めかしくて、その映像の古臭さは、あきらかに1970年代の「少年ドラマシリーズ」を彷彿とさせます。画面の大きさも、昔のブラウン管に収まるようなスタンダードサイズになってるし、母親役で『七瀬ふたたび』の多岐川裕美も出演している(笑)。◇もともと日本のジュブナイル作品は、少年少女の出てくる米国のSF怪奇作品あたりをモデルにしつつ、戦後に作られはじめたのだろうと思います。そして、筒井康隆や眉村卓の小説を、70年代の「NHK少年ドラマシリーズ」が映像化し、さらに80年代の角川映画がそれを引き継いだことで、美少女萌えの要素を強めたジャパニーズスタイルに発展しました。この「六番目の小夜子」も、謎めいたホラーっぽい物語もさることながら、鈴木杏と栗山千明の美少女ふたりの危うい友情があり、そこに山田孝之や松本まりかが交わり、さまざまな三角関係に錯綜していくあたりに、ドキドキするような胸キュン要素があって、…そこに思わずときめいてしまいます。各話30分という短さは手頃だけれど、それでいて全12話という長さは見応えがあります。これも昔の少年ドラマシリーズと同じですね。
2021.08.02
今季いちばん面白く見ていたドラマ!ひさびさの日テレのヒットと思ってたのに!何話まで撮り終えたんだろう?ちゃんと最後まで放送してよ~!
2021.07.24
朝ドラ「おちょやん」の総集編を見ました。本放送のときは飛び飛びの視聴だったので、ようやく全貌を把握することができましたが、あらためて「すごいドラマだなあ…」という感想です。◇めちゃくちゃな家庭に育った千代。めちゃくちゃな家庭に育った一平。そして千代と一平がつくった家庭もまた瓦解する。家族幻想がことごとく打ち砕かれる。思えば「スカーレット」の主人公も、ろくでもない父親のもとで苦労しながら、結局は自分でつくった家庭も壊していました。あたかも家族幻想を粉砕することが、いまのNHK朝ドラの主要な任務だと言わんばかりに、このテーマを朝っぱらから容赦なくお茶の間に叩きつけています。◇実際問題、世の中には、テルヲなんぞよりもっとひどい親があふれていて、意地悪な継母や、虐待男を家に連れこむような親もたくさんいる。もはや「親孝行」を美徳に出来る時代じゃなくなってる。場合によっては、ろくでもない親を捨てなければならない。子供は、親のために生きるのじゃなく、なによりも自分のために生きることを考えなければならない。そういう時代です。もともと、わたしは、やれ「親孝行だ」などと言って、親のために生きることを暗に強いるような社会は、はなっから疑ったほうがよいと思っているし、そういう社会はとても嘘くさいと思っている。むしろ、親を捨てねばならない子供のほうを、社会は積極的に支えていかなければなりません。今回の朝ドラからは、そういうメッセージを感じます。◇まあ、救いらしい救いもなかった「スカーレット」に比べれば、まだしも「おちょやん」のラストには救いがありましたが、それでもなお、物語全体の壮絶さは、その「スカーレット」さえも上回っていたように思います。父に裏切られ、最愛の弟にも裏切られ、そして信じた夫にも裏切られる女性の半生。もちろん、そこには、大正モダンの欧風文化に感化され、イプセンの「人形の家」の台本を手離さなかった女性の、いわゆるフェミニズム黎明期の姿も託されているでしょう。◇もともと「スカーレット」も「おちょやん」も、実在した成功者をモデルにしているのだから、たとえば「わろてんか」や「あさが来た」のように、あるいは「ゲゲゲ」や「まんぷく」や「エール」のように、理想的な家族を軸にしたサクセスストーリーにも出来たはずです。しかし、そうはしなかった!そんな話はつまらないし、嘘くさいから!現実の人生は、努力すれば報われるような単純なものではないし、血縁家族は、無条件に信頼できるような帰るべき場所じゃない。だからこそ、「おしん」も「純情きらり」も、「スカーレット」も「おちょやん」も、人生の成功だの、家族の愛情だのといった安易な幻想を叩きのめすのです。主人公は子供のころから成熟しているけれど、周りの大人はガキみたいなクズばっかり。血縁家族より赤の他人のほうがよっぽど信頼できる。いくら努力をしたって報われるわけでもない。そうした逆説が、これらの作品の世界観を作っています。◇もしも努力して成長して成功する話が見たいのなら、シルベスター・スタローンの『ロッキー』でも見てればいいのだし、ひたすら理想的な家族像だけを見たいのなら、マイケル・ランドンの『大草原の小さな家』を見ればいいわけで。しかし、現代のNHK朝ドラの存在意義は、そういう甘い幻想を否定し尽くしたところにこそある。実際のところ「おちょやん」は、浪花千栄子をモデルにしながらも、彼女が映画やテレビで成功するまでの人生を描いてるわけではないし、かといって、吉本の歴史を描いた「わろてんか」ように、藤山寛美へいたる松竹の歴史の栄華を描いてるわけでもありません。ただ、ひたすらに、女性が直面する「家族幻想の崩壊」と「成長成功の逆説」を描いたのです。◇さて、今回の脚本は「半沢直樹」を手がけた八津弘幸でした。TBSの「半沢直樹」は、なぜか演出の福澤克雄ばかりが注目されがちだけど、この朝ドラ「おちょやん」をとおして、あらためて八津弘幸の脚本の実力が認知された形です。原作なしのオリジナル脚本ってことが信じられないほど、エピソードが豊富だったし、その中身も充実していました。そして申し分のないメッセージ性を湛えていました。たぶん八津弘幸は関東の人だと思うけど、そうとは感じさせないほど、泥臭くてアクの強い関西芸人の世界を、見事なほどリアルに表現できていたと思います。わたしは関西人じゃないから分からないけど(笑)その泥臭さやアクの強さを嫌った視聴者も多いでしょうが、そこにこそ凄みや醍醐味があったわけだし、演技と物語のダイナミズムもあったのだし、スペクタクルとしての面白さもあったのだし、朝っぱらから濃厚な映画を鑑賞させられるような見応えがありました。いちおうは史実に沿っているので、京都の山村千鳥一座や映画撮影所パートも必要だったのでしょうが、それらは大阪パートの迫力に比べると、正直、ちょっと見劣りがしたのも否めません。やはり大阪の道頓堀パートこそが本作の主軸であり、岡安の家族的な温かさと、大阪芸人の豪胆で破天荒な生き様が、最大の魅力になっていたと思います。◇シズと延四郎の悲恋物語。ロミジュリ的なみつえと福助の戦争悲劇。一平とお夕との悲しい母子物語。千之助と万太郎の因縁のライバル物語。…などのサブストーリーも非常に印象的で、それだけでスピンオフドラマを作ってほしいと思うくらい、胸に深く刻まれるような内容のものでした。これらは史実というより、かなり脚色された部分だとは思うけど、そこにこそ八津弘幸の作話手腕が光っていたと思います。ちなみに、千代、千鳥、千之助、千兵衛…と名前をそろえたのは、やはり「千両役者」の意味合いを込めてであり、そこからすると、さしずめ須賀廼家万太郎や万歳は「万両役者」であり、かたや一平は、たったの「一両役者」ってことでしょうか?(笑)千秋万歳なんて言葉もありますね。◇そして、ドラマのダイナミズムを生み出すこの脚本家の巧みさは、養女の春子を「父と継母の孫」と設定したところに、もっとも顕著に表れていたと思います。じつは史実では、浪花千栄子の養女(南口輝美)が誰の娘だったのか、明らかになっていません。「弟の娘」という説もあれば、「母の親縁の子」という説もある。かりに愛する弟や母に縁のある子ならば、主人公にとっては、だいぶ受け入れやすかったはずです。…にもかかわらず、よりによって、もっとも憎むべき父と継母の孫と設定したところに、八津弘幸のすぐれた作劇術と思惑とがうかがえます。つまり、半沢直樹は「復讐の物語」ですが、おちょやんはまったく逆なのです。千代は、自分を裏切った夫にも、その不倫相手にも、まして、その不義の子にも復讐ができません。それだけではなく、幼い自分に不幸な運命を強いた父と継母にも復讐できないし、それどころか(=だからこそ)、ついには彼らの孫娘を養女として受け入れ、自分の唯一の家族にするのです。千代自身が、血縁ではない岡安の人々に支えられたように、春子もまた、血縁ではない人々に支えられて生きていくのでしょう。◇人間は成長などしないし、努力したって報われないし、お芝居は、台本どおりには進まない。むしろセリフを忘れたときにこそ芝居が活気づき、台本と違うことを喋り出したときにこそ感動が生まれ、禁じられた接吻によってこそ公演が成功し、出ないと思ったラッパの音が出た瞬間にこそ笑いが生まれ、そして、もっとも憎むべき人間との再会や、ラジオドラマに誘うおっさんのアホみたいな楽天性こそが、人生を諦めてしまった主人公を、奇跡のように救い出すのです。人生とはそんなものだし、感動とはそんなものだし、お笑いとはそんなものですよね。そこに八津弘幸の脚本の真骨頂がありました。◇話は変わりますが、噂によると、トータス松本が「俳優を目指す」と言ったとき、井上陽水は賛成し、奥田民生は反対したそうです。ですが、トータス松本の俳優業の展望は、ここで「朝ドラ史上最悪の父親」を演じたことによって、一気に広がっていくのだろうなあと思うし、それが良いか悪いかは別として、「もう歌わなくても食ってけるんじゃないかなあ」って気もします。むしろ奥田民生のほうが音楽だけでやっていけるのかどうか。そっちが心配になりますね。◇他方、大阪のアクの強い芸人たちのなかで、杉咲花と成田凌の主演コンビの演技は堂々たるものでした。杉咲花には、「いだてん」のときにもかなり泣かされましたけど、意外にも彼女は、民放以上にNHKで実力を発揮しています。セリフのない演技にも圧倒的な説得力があって、成田凌との掛け合いにも盤石の安定感が出ていました。そのほか、篠原涼子、名倉潤、宮田圭子、片岡松十郎、ほっしゃん、板尾創路らの演技も素晴らしかったです。
2021.06.30
テレ朝の「桜の塔」が終了。正直なところ、期待したほどの内容ではありませんでした。キャストにも演出にも不満はないけれど、どうにも脚本がガキっぽいのですよね。これは武藤将吾の特徴なのでしょうが、やっぱり仮面ライダー臭さが抜けないのです。ストーリーをこねくり回すのに腐心しているだけで、人物造形が薄っぺらいし、テーマにも深みがない。大人版の仮面ライダーとして消費できれば楽しいかもしれないけど、そう割り切って楽しめるほどのユーモアも感じません。◇最後に復習を遂げた玉木宏が生きる力を取り戻し、広末はめでたく岡田健史と婚約して、椎名桔平はしぶとく生き続けている…という終わり方は、ストーリーとしては上手く収めたつもりだろうけど、正直「だから何?」と思うだけで何も残らないし、「仲里依紗の殺人は夫への愛のためでした」とか、「頭から転落した森崎ウィンも奇跡的に生還できました」とか、取ってつけたような嘘っぽさにも程があって、さすがにシラケました。一部のバカな評論家は、「正義とは何かを問いかけた作品だった」などと、もっともらしい論評をしているけれど、仲里依紗に罪を押しつけた玉木宏と椎名桔平が、平然と警察業務を続けている時点で、この物語の正義が破綻しているのは明らかだし、たんに面白おかしく話をこねくり回しただけのドラマに、まともなテーマなど見出せるはずはないのです。当初は「警察版の白い巨塔」という体裁だったけれど、実際には「警察版の仮面ライダー」として、暇つぶしに消費すれば事足りる内容のものにすぎません。◇テレ朝やフジは、「未解決の女」とか「朝顔」とか、新しいサスペンスドラマの制作に取り組んでいて、この「桜の塔」もそんな試みの一つだったとは思う。そのこと自体は評価するけれど、今回にかんしていえば、フジの「イチケイ」のほうが上でしたね。
2021.06.14
恋ぷに最終回。・海洋保護の主張が国際的に評価されて、会社の方針が変わる。・海音が「持続可能な開発コンセプト」の素案を示す。・倫太郎の手腕が社内で評価されて、家族が和解する。・瀕死の倫太郎をキスの魔法で助けたあと、海音は海に帰る。…という内容でした。◇視聴者に投げかけた作品のメッセージは、「これから先の海のこと、倫太郎さんにお任せしてもいいですか」という海音のセリフに込められていると思う。基本的な脚本のコンセプトは悪くありません。でも、個々のエピソードに具体性が乏しいし、演出にも説得力がない。中盤までの素晴らしかった内容とは裏腹に、あきらかに尻すぼみの終盤でした。なぜこうなったのでしょう?◇第一に脚本が改変された感じがあります。視聴率が悪かったのと、バカな評論家たちが「幼稚なファンタジー」だと、変な言いがかりをつけたことも影響したかもしれません。高視聴率だったTBSの「天国と地獄」や、好評価だったNHKの「きれいの国」を挙げるまでもなく、テレビドラマにおいてファンタジーはかなりの割合を占めるし、ファンタジーにはファンタジーなりの楽しさと深さがあります。わたしはそこに期待していたのだけど、終盤のちぐはぐさを見ると、ファンタジー部分の追求よりも、いわば「TBS流のラブコメ路線」を優先した感がある。これは非常に悪い傾向です。◇萌音の「恋つづ」が放送された当初は、ボロクソに言っていたはずのバカな評論家たちが、いまや手の平を返したように、TBSのラブコメこそ正義であるかのように言ってます。視聴率主義にもほどがある。今回の「恋ぷに」でも、最終回の直前で倫太郎が交通事故に遭います。頭を打って、しばらくしてから気を失う。これは「恋つづ」の天堂先生と同じパターン。次週へつなぐための無意味な方便です。さらに悪いのは、海音が、瀕死の倫太郎を生き返らせるために、魔法のキスをして眠っているうちに去ったというのに、海辺でまた再会して、またもやキスシーン。「とりあえずキスすりゃいい」ってのも、やはりTBS流ラブコメ路線の悪しき影響なのでしょう。しかも、魔法のキスをしてから、蘇生するまで時間が長すぎるので、ほんとうにキスの効果で生き返ったのかどうか、よく分からなくなっている。本来なら、海へ帰る直前に息も絶え絶えに病院へ忍び込んで、確信をもって魔法のキスをしたら、倫太郎が目覚める前に去っていくべきなのです。視聴率優先のご都合主義のために、話の中身がどんどんちぐはぐになっている。◇TBSのラブコメを模範にしすぎるのも考えものです。テレビドラマのクオリティがどんどん落ちてしまう。むしろカンテレの「まめ夫」のように、国際的な展開を視野に入れて独自路線を行くほうが、はるかにテレビドラマとしての将来性があるのだけど、局の上層部の人間や、バカな評論家たちは、そういう展望をまったくもってない。無能な評論家にかぎって、一つ覚えのように「ファンタジーの幼稚さ」を指摘するけど、本来の脚本のコンセプトをおざなりにして、安易なラブコメ路線を優先するほうが、よっぽど幼稚なのです。◇海音が最後に示した持続可能な開発コンセプトは、「海を埋めるのではなく、陸を掘る」という発想でした。それ自体は悪くないけど、それ以上深まらなかったのが残念。そして、3年後、蓮田トラストの開発担当を任された栄太郎は、最後に再生可能エネルギーの話をしていたけれど、たんに風力発電の写真が後ろに見えただけで、とくに目新しい開発ビジョンの要素は感じられない。そもそも、なぜ栄太郎が開発プロジェクトを進めているのでしょうか?海音が「海の未来」を託したのは倫太郎だったのだから、倫太郎こそが持続可能な開発を追求しつづけるべきだし、国際会議での代理講演も、椎木や染谷ではなく、ロンドン生活の長かった倫太郎がおこなうべきでしょう。◇海音の研究の成果が、英語の論文ではなく、日本語で演説した動画によって、国際的な影響力をもってしまうのも変な話だし、海音のうったえた海洋保護の思想が、なぜか栄太郎に引き継がれていて、研究室の職員にいまいち共有されていないどころか、倫太郎にいたっては海辺で焼き芋屋をやってるだけ、というのも変な話です。ここらへんのちぐはぐさも、脚本改変の結果でしょうか?◇ちぐはぐといえば、海岸の名前は「星ヶ浜」なのに、「月の光で海の中まで明るくなる」とか、「満月の夜に人魚が陸に上がる」とか、エピソードとして出てくるのは「月」の話ばかり。だったら「月ヶ浜」にすべきでしょ。ちなみに、海音が海へ帰ったら、ウツボも一緒に帰るべきだとわたしは思うのですが、あのまま水槽に飼ってていいんでしょうか?◇ついでに、もうひとつ。蓮田家の母の誕生日と命日は一緒らしくて、その日に父と息子たちが集まって和解してましたが、これも唐突すぎて不自然でした。本来なら、倫太郎のそれまでの功績が評価されて、ようやく家族の和解へ至るべきなのですが、その順番が逆だからです。◇いろいろと不満はありますが、とりあえず最後の映像だけ貼りつけて、あとは物語の内容を脳内変換することにします。
2021.06.11
恋ぷに第8話。先週ほどお粗末な演出ではなかったけど、結局なんだかよく分からない話でした。終盤に来ても、謎が解けているという実感がまったくない。先週の博物館のシーンや、足から鱗が落ちていくシーンや、今週の会議室でのシーンは、物語にとって重要な場面になるはずだけど、あまりにも説得力に乏しいし、ほとんど印象にすら残らないし、ミッシングリンクが繋がっていく満足感はない。最後の3兄弟の会話も、まったく要領を得ない。演出が悪いような気もするし、脚本自体に問題がある気もするけど、全体的にぼやっとした物語になっています。前半のような輝きは戻ってこないし、ファンタジックな驚きや楽しさも見られないし、社会派としてのメッセージにも手応えを感じない。残念だけど、最終回への期待感もかなり薄まりました。
2021.06.03
恋ぷに第7話。なんだか演出のクオリティがだいぶ低かった。無理やり継ぎはぎして、どうにか埋め合わせたような感じ。カメラの動きが悪いし、キラキラした光をとらえていないし、今までのような美しい画面も見られない。車内の映像は合成っぽかったし、「昔から変わってない」という海辺の博物館は、ぜんぜん古そうには見えなかった。◇脚本の出来が遅くて、撮影が突貫工事になったのかしら。話の流れもやや唐突だったし、回想シーンが多すぎるのも気になりました。例によって、視聴率を気にした上層部が、制作に横槍を入れて内容を歪めてる可能性もある。だとしたら、またしても同じパターンの繰り返しですね。こうなると、終盤はどんどん悪くなっていきます。日テレがいちばん悪いときのパターン。いずれにせよ、第7話は捨て回でした。
2021.05.27
恋ぷに。第6話。今週は、半分ちかくが、まるでリゾートホテルみたいな、倫太郎の自宅のシーンで占められていました。とくにキスに至るまでのツーショットの場面は、回想もふくめてかなりたっぷり時間をかけていた。美しいシーンだったので、いくらでも長く見ていられたけど、物語的には何の意味があったのかよく分からない(笑)。◇全般的に、第6話は、あまり大きな進展がありませんでした。3兄弟がそれぞれ何を目指しているのか、まだ見えない。誰が本当の意味で海音の味方なのかも、まだ見えない。海音と倫太郎は、ほぼ結ばれたけれど、かつての仁子と南原教授がそうだったように、海中展望タワーの建設については喰い違ったままです。いまだに錯綜した複雑な物語になっている。そうこうしているうちに、海音は、ウツボと意思が交わせなくなりました。だんだん人間になりつつある?倫太郎と何度もキスしたから?美しい建物、美しい音楽、美しいツーショット。
2021.05.22
テレ朝「桜の塔」の第1部が終了。まあ、なんというか、椎名桔平がぜんぶ持ってった感じです…。◇当初、玉木宏は「白い巨塔」的な側面を見せてたけど、これはむしろ「竜の道」的な復讐劇であり、椎名桔平こそが「銭ゲバ」的な悪党にちがいない。…ってのが、わたしの予想でした。その予想は、まあ当たったといえば当たったのだけど、いくらなんでも当たるタイミングが早すぎるし、むしろ、今後は、裏の裏をかくようなどんでん返しが待っている、…という可能性のほうが強まってきた。◇実際、玉木宏が、「白い巨塔」的な悪役ぶりを見せていたのは、せいぜい最初の2話ぐらいまでで、いまや椎名桔平にやられっぱなしのヘタレですから、どこにもダークヒーローの片鱗は見られません。こうなると、かえって悲劇的な結末は予想しにくく、むしろ最後は弱々しい主人公が報われる形で、ハッピーエンドに終わる可能性のほうが高まってくる。同時に、いまのところ極悪人のように見える椎名桔平が、本当の意味で悪の権化なのかどうかは疑わしい。◇一方、恋愛パートのほうはちょっと先が読めません。第1部のラストで、玉木宏は仲里依紗と結婚してしまいました。そして第2部は、その5年後から始まります。この展開はちょっと意外。広末涼子の立ち位置はどうなるの?わたしとしては、玉木宏&広末涼子の、つかずはなれずの思わせぶりな関係が、最後の最後までずっと続くと思っていたし、それがドラマを牽引する力だと思っていたのだけど、まさか、玉木宏と仲里依紗のハッピーエンドなんてある?まして、岡田健史と広末でハッピーエンドなんてある?ここらへんについては、まだまだ関係が動いていくものと予想します。◇ちなみに本作は、テレ朝の刑事ドラマとしては、なかなかの新機軸になってるし、物語の構成もよく出来ていると思うけれど、なぜか…そこはかとなく…どこかしら「仮面ライダー」的な漫画っぽさが漂ってしまうのは、よくもわるくも武藤将吾の個性なんだろうねえ。その部分さえ小慣れてくれば、きっと手応えのある大人向けのドラマになると思うのだけど。
2021.05.19
テレ東の冷ダンが最終回。床下の死臭について考察しますね。ちょっとグロい話なので、苦手な人は控えてください。(画像が多めで重いかも)じつはお肉が大好物だった主人公。すでに2人食べました。※3人目以降も冷凍庫に戻して食べる予定。その事実を知っていたクジャク先生。はたして美味しいのかしら?奏でも亮でもどっちでもいいの。食べてしまえば一緒だから。右から1本、2本、3本、4本…冷凍庫も花瓶も足りないなー。青い葡萄の文鎮がステキね!ヤバい秘密は火にくべて燃やしましょう。もったいないなー。以上です。
2021.05.18
恋ぷに。あいかわらず爆走中。演出は3人目の伊藤彰記でしたが、まったくクオリティが落ちる気配なし。ほとんど欠点が見当たりません。ここまで来て、捨て回がない。いままで色んなドラマを見てきたけれど、こんなことは初めてのような気がする。◇第5話のハイライトは、倫太郎が母の指輪と再会したときの、綾野剛の迫真の演技。ファンタジーがファンタジーではなくなる瞬間でした。このとき、菅野祐悟の音楽がやけに扇情的になり、わたしはふいに、17年前のNHK「ちょっと待って神様」の、小六禮次郎の音楽を思い出しました…。海音は、海からの使者であるのみならず、倫太郎の母の生まれ変わりの女性ではないかと思えてくる。つまり、これは、人魚と人間の禁断の恋の物語であるだけでなく、母を恋うる息子の物語であるようにも見えてくるのです。◇脚本は本当によく出来ている。恋愛パート、蓮田家パート、開発パートが、たくみにシンクロしつつ、絶妙な速度とバランスで進行しています。第5話は、ここまで展開のなかで、いろんなことが明らかになってくる重要な回でした。倫太郎を失脚させた光太郎と、いがみあう兄弟の様子を見つめる父親。その家族の姿を見ると、だれひとり悪人ではないように思えてきます。しかし、そうかと思うと、いちばん無邪気なはずの末っ子の榮太郎の企みが、もっとも怪しく見えてくるのですね。鴨居研究室は、蓮田兄弟の確執に振り回されているけれど、その一員である椎木は、やはり裏で榮太郎と繋がっているようで、彼は、海音の正体にも疑問を抱き、その経歴偽装をマスコミに売ったのかもしれません。錯綜した関係性が徐々に浮かび上がってくる。◇そして、2年前の鴨居教授のデータ改ざん問題。これは、いうまでもなく、16年前の「不機嫌なジーン」の南原教授の再現です。ちょっとエロすぎない??
2021.05.13
冷ダン第3話。元刑事の探偵とか、経歴偽証の半グレの話になったので、サイコホラーというよりも、奇天烈サスペンスの可能性が出てきた感じ。でも、やっぱり恐怖のクリームシチュー…!それいらなーい!温め直さなくていいし!由貴ちゃん「じゃ聞かない。二人で黙ってお茶しましょ」(*T▽T*)
2021.04.26
すっかりハードボイルド路線が板についた玉木宏。汚れ役なのに美しいし、色気があってカッコいい。今回はテレ朝ってことで、若干、内容的にゆるいところもありますが、いつものテレ朝のなんちゃって刑事ドラマにくらべれば、むしろ緊張感があるほうかもしれません。◇脚本の武藤将吾は、どうやら「白い巨塔」をモデルにして、警察署内の出世闘争を描いていくつもりみたい。今回の登場人物たちを、かりに「白い巨塔」に置き換えると、玉木宏 :財前広末涼子:里見椎名桔平:東教授仲里依紗:東佐枝子少路勇介:菊川高岡早紀:花森ケイ子…ってことになります。◇ただし、このドラマを、たんなる「白い巨塔」の警察版だと考えるのは、それはそれでオッチョコチョイな早合点というもの。そういう人ほど、すぐに「パクリだ!」と騒ぎ立てます…なぜなら、この主人公の生い立ちは、あきらかに去年のフジの「竜の道」を意識してますから、これは、むしろ父の無念を晴らすための復讐の物語なのです。◇タイトルに「塔」の字があるからといって、中身まで「白い巨塔」と同じだと思うのは短絡的。これは釣りにすぎません。ちょうど、TBSの「ボス恋」が、映画「プラダを着た悪魔」の設定を借りながらも、しだいに差異化を図っていったように、このドラマも、名作「白い巨塔」の設定を入り口にしながら、まもなく独自路線へ入っていくに違いありません。◇もっとも重要なことは、「白い巨塔」の里見にあたる人物が、今回は、男性じゃなくて女性だということ。そして、もうひとつ重要なことは、警察組織のなかに、父を死なせた巨悪が存在するってことです。いまのところ、玉木宏と広末涼子は対立してるように見えますが、まもなく巨悪の存在を知って共闘していくはずなのです。そこが、財前と里見の関係とは大きく異なるところです。ちにみに、今回の椎名桔平のキャラクターは、日テレの「銭ゲバ」を想起させるところもある。◇◇…とはいえ、今回の主人公も、財前と同じダークヒーローには違いないので、やっぱりハッピーエンドは期待できませんよね。おそらくは「竜の道」のときと同じように、またしても壮絶な悲劇に終わるんじゃないかと予想します。それと同時に、幼馴染みでもあり、ライバルでもあり、やがて同志になっていくであろう玉木宏と広末涼子が、どんな男女の物語を繰り広げるかも見どころです。◇第1話では、玉木宏が背負い投げを喰らわして、広末涼子が受け身を取るシーンがありましたが、第2話では、広末涼子が、玉木宏に銃口を向けました。二人とも色気があってカッコよくてドキドキする。今後も、そんな男女バトルに期待します。でも、きっと最期は、広末の腕に抱かれながら死んでいくんじゃないかな…。
2021.04.23
グロいよぉぉこわいよぉぉでも、映像はすこぶる美しい。ソーセージどうなったのぉぉ?◇占い師のクジャク先生はミステリー作家でしたね。
2021.04.18
私の夫は冷凍庫に眠っている。原作は読んでませんが、第1話を見直してみると、いろいろな謎があります。◇観てない人にはネタバレだけど、気になったことを書き出してみます。・主人公は冷たいものが好き。冷たい水で手を洗う場面からはじまる。アイスフリーザーの冷気を顔に当てて恍惚となる。殺人のあとで冷たい夜風に当たりながら、「Dancing In Solitude」という曲で恍惚と踊る。「寂しさは人を綺麗にする」というクジャク先生。男性との接触を嫌う。極度の潔癖症?・主人公の過去昔から唸るような声が聞こえて目を覚ます。ずっと悪い子だった。母親とは別居。セーラー服を着た学生時代に祖父の家に転居。祖父が駄菓子屋から譲り受けたアイスフリーザー。亮が来るまではあの家に一人暮らし?・謎の婚約者亮が家に転がり込んだのは半年前。亮は夜間清掃の派遣登録員。生まれて初めて安らぎを感じた異性。主人公は性交渉を嫌うのに婚約。結婚前に、古い家具をネットで売っている。・殺害と復活死んだ亮と生き返った亮が同時に存在。何度殺しても生き返る?生き返った亮にも首を絞めた傷。ここ一週間無断欠勤、職場からは音信不通になる。生き返った亮は悪魔(デーモン)ではなく天使(ミカエル)?・サイコな環境。母親はメンタルクリニックの先生。向かいの家に住むクジャク先生は占い師。母親は亮のことを内偵。クジャク先生は原稿を書いている。クジャク先生はプッチーニの「私のお父さん」が好き。・カニバリズム殺した亮を生き返った亮に食べさせる?クジャク先生の家にカニバリズムの本。…それにしても、放送前に有料で全話配信するのはやめたほうがいいと思う。
2021.04.13
何、このドラマ。すごい。気持ち悪いけど…めちゃくちゃ面白い。今まで見たことのないタイプのドラマです。最近のテレ東がだいぶ攻めてるのは感じてたけど、それにしても予想を超えてきた内容。サスペンスなのか、ホラーなのか…強いていえば「ツインピークス」みたいな感じ?理解不能な怖さ。原作も、脚本も、演出も、知らないスタッフの名前ばかり並んでいて、映像はわりとNHKのテイストに近いけど、演出のスタイルは、いままでのどのドラマとも違う。なにを見せられてるのか全然わからない。本仮屋ユイカの顔も、浅田美代子の顔も、まるで別人みたい。いい意味で素人みたいなリアルさが出てます。ほんとに何だろう?このドラマ…初回を見た限りでは、今季ベストの予感大です…。 ひさしぶりにツインピークスの音楽が聴きたくなった
2021.04.12
TVerで再視聴。ハイスペックイケメンが貧乏女子に恋をする逆ツンデレドラマ。まるで「トム&ジェリー」みたいな世界。映像も綺麗だったけど、なにより池永正二の音楽がお洒落でカッコよかった。
2021.04.01
一年前に書いたことがほぼ実現してて、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202001120000/まるでわたしが決めたみたいになってますが、まあ、それなりの根拠があって書いてるわけなので、たんなる当てずっぽうというわけではない。むしろ姉の萌音のほうの予想外の展開に驚嘆しています。◇ただ、薩摩出身の萌歌が、沖縄が舞台のドラマに出るってことになると、それがどんな背景で描かれるのかという問題は出てくる。薩摩の琉球支配はともかく、沖縄の日本復帰があり、尚家の沖縄文化復興があり、女が働いてて、男が遊んでるとか、ヤンキーのカルチュラルスタディーズとか。糸満出身の黒島結菜のドラマを、やんばるを舞台にすることの意味とは何か。やんばるといっても、東と西では大違い。ジュゴンと泳ぐために東海岸へ行くのかどうか。ちゅらさんで華麗にスルーしたように、実際は、ヤンバルクイナがちょろっと歩くだけで、ほとんど横浜の鶴見区のお話になる可能性もある。だとすれば、かなりの確率で、ちゅらさんの二番煎じでしかなくなってしまう。◇それはそうと、萌歌と結菜は、写真をパチパチ撮って、ダブルで個展でもやりませんか?ーー黒島さんは上白石さんの師匠的な存在
2021.03.31
フジテレビの「朝顔」が終了。卒園式の「マイウェイ」には、さすがに総ツッコミが入ってましたね。いくらなんでも渋すぎる(笑)。でも、つぐみちゃんは、あんなに小さいのに、まったく演技とは思えない調子で、けっこう長い台詞も喋るのが不思議です。◇このドラマの魅力のひとつは、主人公たちの生活がものすごく庶民的なこと。今回も、「どうしてホテルのクッキーはこんなに美味しいの?」みたいな会話がありましたが、この感覚にちょっと懐かしささえ覚えてしまう。そして、近年のテレビドラマには珍しいくらい、主人公の家屋が周囲にくらべて際立って古いです(笑)。◇◇もうひとつ、このドラマの最大の特徴は、周りの人たちが底抜けにノーテンキなのに、主人公の父と娘が、いつもどこか沈んでいることです。口では言わずとも、どこかでずっと震災の記憶を抱え続けている。そのことの重さが、この作品の稀有な要素になってます。◇今回の第2シリーズで、いちばん印象的だったのは、先週の第18話でした。無実であるにもかかわらず、松本教授が「私が殺した」と自首してきた回。彼女はこう言いました。>動物の自殺は、人間ほど多くない。>人間は、些細なことで、>幸福な記憶を思い出しもするけど、>不幸な記憶を思い出しもするから。もし、記憶なんてものを失うことができれば、人間は、こんなに自殺などせずに済むのですよね。◇これと対比されるのが、アルツハイマーで記憶を失くしていく父の物語。彼が失っていくのは、おそらく大脳皮質の「人間的」な部分です。ほかの動物には備わっていない機能であり、たぶん生存そのものには支障がない。彼は、記憶を失うことで、幸福な経験も忘れていくけれど、同時に不幸な経験も忘れていくはずです。家族や共同体の記憶を消し去っていく。それは、人間としては悲しいことのように見えるけど、動物として見れば、ごく普通のことなのかもしれない。「記憶の喪失」というのは、人間レベルで見れば "病気" かもしれないけれど、動物レベルで見れば、むしろ "健康" なのかもしれない。これって、けっこう哲学的な問いです。案外、AI時代になったら、人間は記憶を必要としなくなるかもしれない。動物として生きるのには邪魔ですから。◇◇ちなみに、わたしなら、痴呆老人のために結婚式を挙げたりしません。式の翌日に、また「式はいつやるんだ?」とか言われそうだし。それに合わせてたらキリがないよね。でも、写真を撮って目の前に置いておけば、しばらくは忘れないのかなあ…?覚えてるうちに話をさせて録音しておくのも、ひとつの手なのかもしれませんね。 ↓折坂悠太も庶民派です。
2021.03.23
TBSの「天国と地獄」が終了しました。全体的な感想としては、ズコっっ、、って感じ。そんなに熱心に見てなかったので、細かいところまでは確認できませんが、ほんとに、これで伏線が回収されたの?最終回だけでも、分からないことだらけです…。◇まずもって、日高がいったい何を背負おうとしてたのか分からない。最後は真相が明かされて、望月は警察学校へ異動になりましたが、それを回避するために死刑になる必要ってあったの?自分が死刑になってまで、兄の罪を背負おうとしたり、望月の罪まで背負おうとしたりしてたけど、そんな奇特なほどお人好しで自滅的な人が、よくもまあ会社の経営なんてしてましたね。感心しますよ。っていうか、社員さんが気の毒かも。◇最終回は、なにやら日高と望月のラブストーリーっぽくなって、陸はいさぎよく「身を引いた」みたいになってたけど、え?日高ってゲイじゃないの??つーか、そもそも陸は、なぜ望月と同居していたのでしょうか?望月の恋人だったっけ? ただの居候なのでは?◇◇◇ラストシーン。満月の歩道橋の上で、奄美大島の丸い石を手渡すと、日高と望月はふたたび入れ替わりました。でも、すぐに戻って石を返せば、また簡単に元に戻ると思うよ。満月まだ出てるし。もう階段落ちをやる必要もないのだし、ちょいちょい入れ替わりができると思う。便利な世の中です。サントラがアマゾンで聴けます。
2021.03.22
日本アカデミー賞。さして権威ある賞とは思われてないし、わたしもさほど信用してないけど(笑)、今年は「ミッドナイトスワン」が作品賞だったりして、ちょっと意外な印象も与えているようです。◇まあ、審査うんぬんの話はともかく、わたしとしては、長澤まさみのスピーチを聞いていて、ちょっと感じるものがありました。名目上は「MOTHER マザー」での受賞だったのですけど、彼女のスピーチそのものには、コロナ禍での映画制作全般についての思いがあふれていました。もしかすると、竹内結子や三浦春馬を失くした悔しさも、ちょっと頭をよぎっていたのかもしれません。◇それと同時に、わたしは、ついつい、現在の綾瀬はるかと長澤まさみの活躍を見比べてしまう。綾瀬はるかも、長澤まさみも、もともとの性格がクソ真面目なうえに、アスリートみたいにフィジカルな印象も強いので、べつに戦闘してるわけじゃないんだけど、その姿が、文字どおり”全力を尽くしてる”ように見えてしまうんですね。年齢的には、綾瀬のほうが2つ年上で、「海街diary」のときにも、綾瀬が姉役で、長澤が妹役だったのだけど、2人の主要なキャリアは、2004年の「セカチュー」のときに、ほとんど同時にはじまった。東宝の一番手だった長澤まさみは映画版に出演して、綾瀬はるかのほうは、まだホリプロ二番手みたいなグラビアタレントでしたが、一躍、ドラマ版のほうに抜擢されたのでした。◇「セカチュー」の映画版は、坂元裕二と行定勲の実力者コンビで成功したのだけど、その後の綾瀬と長澤の道のりの違いを思うと、むしろドラマ版の成功が大きな意味をもちました。当時、森下佳子はまだ新進の脚本家で、平川雄一朗はまだ若手の演出家だったのだけど、綾瀬はるかにとっては、このTBSタッグとの活動が、現在の「天国と地獄」にまでずっと続くものになるのです。綾瀬がテレビドラマ界の女王として君臨している現状は、このTBSタッグでの活動があるからに他なりません。もしも、2004年に綾瀬のほうが映画版に出て、長澤のほうがテレビドラマ版に出ていたら、その後のキャリアも、まったく逆になってたかもしれない。◇長澤まさみは、東宝という大映画会社の看板ってこともあり、いまや上白石姉妹や浜辺美波の先輩ってこともあって、とくにここ数年は、自分自身に大きな責任を背負わせていたように見えます。場合によっては、プロデューサー的な役回りまで果たしてたように見える。たぶん、綾瀬はるかがテレビで成功すればするほど、長澤まさみはいっそう映画に向かうんだろうと思う。もしかしたら、それと同じことは、一世代下の"すずもね"にも当てはまる気がして、萌音がテレビで成功すればするほど、広瀬はいっそう映画に向かっていくのかなぁ、と思わせます。もちろん、今後、長澤まさみがテレビで活躍する余地だってあるし、逆に、綾瀬はるかが映画で実績を残す可能性もあるんだけど、とりあえず一昨日の授賞式を見てたら、2人の活動はそれぞれのピークを迎えましたよね… (T_T)みたいな感慨に浸らされたのでした。ってことで、今夜は「天国と地獄」の最終回です。 ↓プライムビデオでも見れます
2021.03.21
いちおう最終回を前にして、どんでん返しの可能性についても考えてみたいと思います。◇なぜ十和田は自殺したのか?かりに朔也が実行犯だったとしても、なぜあそこまで猟奇的な殺し方をするのか?「あな番」や「恐怖新聞」みたいに、犯罪や不幸を数珠つなぎに強制する装置として、あの空集合のマンガが機能している…なんてパターンも考えられないわけではない。「仁」のときに、バニシングツインの謎を放り投げて終えたように、「天国と地獄」でも、空集合の謎を放り投げたまま終わる可能性はあります。その場合、ほんとうの黒幕は闇の中…って感じでしょうか。◇一方で、「サイコな2人」というタイトルが、かりに "サイコパスな二人"という意味ならば、「殺人鬼としての特性を二人で分け合った」ということになります。その場合は、やっぱり日高(もしくは望月?)が実行犯じゃなきゃいけないし、彼が送ってきた動画もフェイクじゃなくて本物ってことになるし、ボストンの連続殺人も彼の仕業ってことになります。かたや、彩子という名前が「サイコ」とも読めるとか、さらには、co.earthの社名が「陸とともに」とも読めるとか、そこらへんに仕掛けが隠れてる感じもないではない。ただ、わたしとしては、たんに "サイコロジカルに結びついた二人"という意味で、あくまで「日高は手を汚してない」という解釈が成り立つと思いますけど。◇今回のドラマは、過去の森下作品にくらべてイロモノ的な要素が強いし、最後の最後に、かなり大胆などんでん返しをやらないともかぎらない。しかし、そうはいっても、すでに入れ替わりのSFになってる時点で、もはや「ナンデモアリ」な設定なわけだし、あまりにも荒唐無稽などんでん返しというのは、サスペンスとしての側面を台無しにしかねないし、かえって視聴者の失笑を買って終わる可能性もあります。つまり、どんでん返しってのも程度問題であって、あまりにもバカバカしいどんでん返しは禁じ手なのですよね。そこらへんの兼ね合いで、許容範囲内のどんでん返しがありうるか。それによって最終話の内容が変わってくるのかなあ、と思う。
2021.03.16
やっぱり、完全に「白夜行」の図式ですよね。ただし、いまだに「北村一輝=武田鉄矢」と思ってる人も多いようです。それは、たぶん物語の構図を見誤っている。立ち位置としては、あきらかに「綾瀬はるか=武田鉄矢」です。(なぜなら「日高&朔也」こそが「雪穂&亮司」に相当するからです)◇とはいえ、2人の罪を知った刑事の演技としては、さすがの綾瀬はるかも、武田鉄矢の凄みにまでは及びませんでした。これは、脚本自体の弱さに起因すると思うのですが、そもそも東朔也の罪には、亮司ほどの切実さが感じられないのですよね。亮司は、あくまで雪穂を守るために罪を背負ったのですが、東朔也の場合は、私怨と、余命わずかになった自暴自棄から、かなり衝動的に犯罪に走っているにすぎない。しかも、あろうことか、その罪を、弟の日高にまで背負わせようとしています。亮司と雪穂のあいだには、純粋すぎるほどの「愛」があったのですけど、朔也と日高のあいだには、なんらかの「兄弟愛」はあるものの、複雑な「妬み」や「逆恨み」の感情も混じっている。その感情は、たしかにリアルといえばリアルであって、理解できる部分もあるのですけど、亮司ほど痛切なものではなく、共感もしにくいのです。武田鉄矢の演技には、亮司に対する強い情愛と共感が宿っていました。しかし、綾瀬はるかは、東朔也の罪には共感しにくいだろうと思います。むしろ、共感するとすれば、兄の罪をすこしでも引き受けようとした日高のほうにでしょうが、彼は、結果的にはたいした罪を犯していませんし、亮司ほど悲劇的な運命にはありません。そこが「白夜行」の物語にくらべて、ちょっと弱い。◇◇さて、物語の図式はほぼ明らかになりました。最終回には、いったい何が残ってるんでしょうか?おおよそ決着はついた気がするんですけど(笑)。せいぜい残っている話があるとすれば、奄美大島の秘密ぐらいかなあ。でも、奄美に上陸する前に、兄弟は船上で確保されてしまいましたし、もう兄のほうは死んでしまったかもしれない。いったい東朔也は、奄美に来て何をしようとしたのか?奄美で兄弟が知るべきこととは何だったのか?日高と望月を入れ替わらせた奄美の伝説とは何だったのか?…もしかすると、望月やセク原が、それを後日談のような形で辿っていくのかもしれませんが、森下佳子のいままでのパターンからすると、そこらへんを放り投げたまま終わらせる可能性もあります…(笑)。
2021.03.15
ともに罪を背負ってきた日高と朔也。彼らの関係は、「白夜行」でいうならば、雪穂と亮司の関係に似ています。そして、2人の罪を知る望月の立場は、「白夜行」でいえば、笹垣(武田鉄矢)の立場と同じです。これまでは、雪穂=望月、亮司=日高だと解釈していましたが、それは、おそらく違うのですよね。◇亮司は雪穂に、「あなたは俺の太陽だった」と言いました。日高と朔也こそが、文字どおり「太陽」と「新月」の関係にあり、彼らのあいだに立つ望月は、文字どおり「満月」の象徴なのですよね。◇当初、《天国》と《地獄》というのは、《望月》と《日高》の関係を意味している、と思われました。つまり、善と悪の対比を意味してるように見えた。しかし、そうじゃない。おそらく天国と地獄というのは、異なる運命をたどった《日高》と《朔也》の関係を意味している。つまり、それは幸福と不幸の対比なのです。◇「白夜行」の最終話、雪穂と亮司は、歩道橋のもとで別れました。そして「天国と地獄」の物語は、日高と朔也が歩道橋で別れたところから始まっている。おそらく森下佳子は、2人の運命に何らかの決着をつけようとしています。
2021.03.14
たぶんコロナの影響だと思うけど、今季は橋部敦子のドラマが2作放送されてるので、ついつい見比べています。テレ朝の「モコミ」のほうは、いわゆる《僕シリーズ》の女性版って感じで、正直、今までの焼き直しという印象もあります。一方、フジの「知ってるワイフ」のほうは、韓国ドラマのリメイクということもあり、従来の橋部作品とはだいぶ趣きがちがうし、物語のダイナミズムがかなり激しい。◇しかし、2つのドラマには共通性もあって、どちらも主婦に対して厳しいのですよね。「モコミ」でいえば母親役の富田靖子。「ワイフ」でいえばモンスター化した広瀬アリスや瀧本美織。彼女たちは、つねに夫や家族に苛立っていて、自分の価値観を周囲に押しつけては責め立てます。彼女たちは、ほんとうは被害者でもあるんだけど、それにもまして加害者としての面があぶり出されている。おそらく、女性の視聴者の多くは、つい主婦の側に同調してしまうので、夫や家族のほうに「非」を見ようとするけど、橋部敦子は、そのような一方的な見方を許さないのです。◇橋部敦子の脚本は、主婦だけでなく、どの登場人物に対しても厳しいですね。一方を悪者にする描き方ではなく、どちらが間違っているとも言いにくい描き方をしている。それは、視聴者にとっては、ちょっとフラストレーションのたまる描き方だし、もっと単純な善悪の図式を望む視聴者は、このフラストレーションを脚本家のせいにしたり、場合によっては韓国社会のせいにしたりしてるようです。しかし、単純でないところにこそリアルがあるわけで、それは脚本家のせいでも韓国社会のせいでもありません。それが現実です。2つのドラマはSFファンタジーなので、最終的にはSF的な解決が与えられるのかもしれませんが、それでもなお、物語で示された困難なリアリティは、視聴者の実際の生活に投げ返されることになります。そういう厳しさがある。◇◇ところで、今季は、主演女優賞の最有力候補として、池脇千鶴と広瀬アリスの名前が挙がるはずです。わたしとしては、綾瀬はるかも素晴らしいと思うのですが、彼女の場合は、もう十分に評価が確立してますから、やはり今季は池脇千鶴か広瀬アリスに絞られるでしょう。わたし自身は、「知ってるワイフ」の広瀬アリスの演技にかなり驚いてて、今回は大倉忠義とのW主演賞もありえるんじゃないかと思ってる。◇正直、わたしは、これまで広瀬アリスに対して、「コメディ女優」のレッテルを張っていました。パワフルで面白い役には向いてるけれど、ストレートな恋愛ドラマには不向きだと思っていた。でも、その思い込みは、みごとに覆されました。もし、わたしが、このドラマの制作者だったとしても、まず大倉忠義を主演にするなど思いつかなかったろうし、まして広瀬アリスをヒロインにしようとは考えなかったと思う。かりに候補に挙げられたとしても、わたしなら、たぶん広瀬アリスと瀧本美織の役を逆にしたはずだし、大倉忠義と松下洸平の役も逆にしてしまったかもしれない。そのくらい、大倉忠義と広瀬アリスの主演という発想は、かなり奇抜で冒険的なものだったと思います。でも、蓋を開けてみれば、この配役は大当たりでした。このキャスティングを考えた人はお見事です。◇わたしは朝ドラの「わろてんか」のころから、広瀬アリスの演技を目にするようになりましたが、考えてみると、彼女はどんな役でも魅力的に演じていて、まったくハズレがないです。思っていた以上に、演技のキャパが広いのかもしれないし、もしくは作品の選び方が上手なのかもしれません。↓韓国版
2021.03.12
NHK-Eテレのドラマ「ハルカの光」。脚本は矢島弘一。黒島結菜も好きだし、古舘寛治も好きだし、映像も綺麗なので、なんとなく見ていました。第4話では、古舘寛治の弾き語りも聴けてよかったです。◇ただ、このドラマでやや物足りないのは、肝心の名作照明についての紹介が、いかにも借りもの的な通りいっぺんの説明に終始して、物語のなかへ十分に消化しきれていないこと。そこだけは、妙に「Eテレ」的なのです。毎回、ひとつの名作照明を取り上げるのですが、その説明を聞いた後でも、その照明の個性や魅力は、いまひとつ伝わってこない。上っ面の知識を伝えるだけで終わっている。◇わたしが思うに、ほんとうに掘り下げるべきなのは、照明の「光」についての認識ではなく、むしろ「陰翳」についての認識なのだろうと思う。照明器具の個性や魅力は、その周囲に創り出される陰翳によるものだからです。そもそも、どんな照明器具であったとしても、光源そのものには、さほど大差はないのです。同じ発電所から引いた電気エネルギーを、ただ光エネルギーに変換してるだけであって、せいぜい、蛍光灯か白熱球かLEDかの違いでしかない。むしろ重要なのは、その照明器具が、いかに光源を覆い遮って、その周囲に独特の陰翳を作り出すか、ということなのです。◇陰翳についての認識を、物語のなかで深めていかなければ、その照明の個性や魅力も十分には伝わらない。ひとりの人生の陰翳に、その照明の陰翳がいかに寄り添っていくのか。そのことこそが、ほんとうは大事なのだと思います。このドラマのもうひとつのテーマは、東日本大震災からの復興なので、物語の焦点が最終的に「光」へ収斂するのは、あらかじめ必然なのでしょうが、かりにそうだとしても、まずは陰翳についての認識が深まってこそ、それぞれの光のもつ意味が見えてくるのだろうと思います。◇もし次回作があるのなら、そのことを考慮した物語を目指してもらいたい。そのためには、Eテレの教科書的な説明だけでは、おそらく不十分だろう、と思います。
2021.03.02
天国と地獄 〜サイコな2人〜。第7話まで来て、奄美のシヤカナローの花と丸い石、被害者の名前の数字と抜けた歯の完全収集。まだ未回収の謎は散らばってる。森下佳子の物語の構造も、まだはっきりとは見えてきませんが、おそらく、今作は、なんらかの意味で、「白夜行」と「JIN−仁−」の変奏なのだと思う。◇まず「JIN−仁−」には、《階段落ち》と《双子》の要素がありました。満月の夜に階段から落ちると、現代の南方仁は、幕末の南方仁に入れ替わる。そして脳内から摘出された胎児型腫瘍は、いわゆるバニシングツインであり、すなわち「生まれなかった双子」でした。いっぽうの「白夜行」には、《太陽と月》や《歩道橋》の要素がありました。亮司と雪穂が「太陽のもとで歩く」という夢は、黄昏時の歩道橋で交錯しつつも破れ、結局、彼らの運命は月の支配から逃れられません。◇ちなみに、大林宣彦の「転校生」は、階段落ちからの男女入れ替わりの物語であり、新海誠の「君の名は。」は、黄昏カタワレ時の男女入れ替わりの物語なのですが、両者に共通していたのは、思春期の男女が異性の体を手に入れるという、淡いエロティシズムでした。しかし、今回の「天国と地獄」には、そうした側面が希薄です。なぜなら、そもそもゲイである日高陽斗には、女の体への関心がほとんどないからです。つまり、これは「男女」の入れ替わりの物語というよりも、やはり「善悪」の入れ替わりの物語なのであり、もっといえば、人間の運命が善と悪へ分岐するまでの、本来なら代え難い「境遇」の入れ替わりの物語なのです。そして、そこに、自分であるかもしれなかった「双子」の物語も交差します。◇日高と望月は、《太陽》と《満月》の隠喩だったのですが、望月と朔也は、《満月》と《新月》の隠喩にもなっています。新月とは、存在しているのに見えない月のことです。それは、存在したのに生まれなかったバニシングツイン、もしくは空集合のような存在だともいえる。太陽は満月だったかもしれないし、さらに満月は新月だったかもしれない。この入れ替わりの物語は多重構造になっています。そのうえで、オッフェンバック/黒澤明的な天国と地獄の対比を、ベートーベン的な運命の物語に組み直しています。月は、完全に満ちたときに太陽と入れ替わり、完全に欠けたときに闇と化すのです。当初、わたしは、このドラマにとても期待していたのだけど、正直いって、あまり乗りきれてはいない。駄作とまではいわないものの、過去の森下×綾瀬の黄金コンビの名作群に比べると、最高傑作とまでは言いがたい気がする。一般には、高橋一生が絶賛されてますが、わたしは、さほどいいとは思えない。綾瀬はるかの男っぷりは、いままでになく色香に満ちててカッコいいけど、高橋一生のオネエ演技は、ちょっとコミカル要素が強すぎるし、綾瀬はるかの雰囲気へ寄せているようにも見えない。これは、おそらく演出の問題であって、思えば、大林宜彦の「転校生」のときも、小林聡美の男っぷりが見事だったのに対して、尾美としのりの女々しさはわざとらしくて、かなり違和感があったのを覚えています。◇今作は、綾瀬はるかのカッコよさを見せることについては、申し分なく大成功してると思うけど、コミカルな演出はあまり有効ではなく、むしろ「白夜行」的にシリアス度を高めたほうが、ドラマの緊張感ははるかに増しただろうと思います。そして、森下佳子のオリジナル脚本の説話手法が、従来のような原作のある脚色ものにくらべて、ちょっと無理があるかもしれないなあ、という気もしてます。
2021.03.01
天国と地獄〜サイコな2人〜。森下佳子×綾瀬はるか。おなじみTBSのゴールデンコンビ。サスペンスとしては「白夜行」以来、SFとしては「仁」以来って感じでしょうか。毎回ジャンルは違うけど、どこかしらテイストは似てるので安心感がある。それに、さすがは人気作を手がけてきた脚本家らしく、サスペンスであっても、物語の叙述はとっても分かりやすく、難解なところがありません。◇今回は、階段から転げ落ちて男女が入れ替わるという、大林宣彦の追悼を兼ねた「転校生」以来のジャパンSF伝統芸。NHKの「転・コウ・生」(コウの転生?)では、柴咲コウとムロツヨシにもやらしてたけど、いわゆる萌音の声で「入れ替わってるぅ~?!」ってやつ。…かと思ったら、むしろ「仁」のタイムスリップのセルフパロディっぽかったですね。◇作品のテーマは、まだよく分かりませんが、とりあえずは、オッフェンバックじゃなくて、生誕251年目のベートーベンによる天国と地獄・・・って感じでしょうか?「白夜行」や「仁」でもこのあいだの「転コウ生」でも満月が出てたけれど、やはり満月の夜に男女が入れ替わるのですね。日高と望月の入れ替わり。太陽と満月の入れ替わり。奄美大島のシヤカナローの伝説。そこらへんが物語のベースにあるようです。◇ちなみに、感染予防も重要な危機管理だと思うのだけど、警察署内で誰もマスクをしてなかったのは、どういうことなんだろう?それから、女に変身してしまった高橋一生は、いかにも女々しい演技をしていたのですが、もともと綾瀬はるかは男勝りなキャラなので、あんまり似てないのが気になった。NHKで柴咲コウと入れ替わったときは、わりと似てたのにね。
2021.01.19
テレ東の「共演NG」を最終話まで視聴。とにかく鈴木京香が美しかったです。◇内容は、まあ、秋元康がふだんからやっているような、「炎上商法」のネタバラシみたいなもので、たしかにコンセプトは面白かったんだけど、中盤以降は同じパターンの繰り返しなので、案の定、全6話でとっとと終了してしまいました。◇でも、とにかく鈴木京香が美しかった。どうしてテレ東の鈴木京香はこんなに美しいんでしょう。そして中井貴一とのキスシーン!こんなにも美しい59歳と52歳のキスシーンって世界にありますか?ふつうなら「オエッ」てなっちゃう年齢なのに。考えてみれば、NHKの「君の名は」で真知子役を演じた鈴木京香と、1953年の「君の名は」で春樹役を演じた佐田啓二の息子。菊田一夫や古関裕而の業績をふまえた、なかなかに由緒正しいキスシーンなのでした。◇業界的には、共演NGという裏事情をドラマ化したことが、革新的だと面白がられていたようですが、一般の視聴者にとっては、そんな業界の裏話なんぞ別にどうでもいいわけで、むしろ美しすぎる50代の恋愛のほうに、はるかに事件性があったと思います。
2020.12.26
TBS「危険なビーナス」が終了。全体をとおして、とても面白かったです。できれば、最終回は、もっとゾクゾクするくらいに、たっぷりと盛り上げてほしかったけど!◇楓の正体は、明人の妻でもなければ、真犯人でもなく、なんと警察の女スパイだった!という驚き。ショックを受けた伯朗。そのまま助手の陰山元美と結ばれるのかと思いましたが、これまた、最後は奇想天外などんでん返しで、そのスパイ女と結ばれてしまいました!なかなかに夢のある結末です(笑)。後日譚も見てみたいですねえ。スパイ女と獣医師との結婚生活。陰山との三角関係も、まだまだ続くと思う。◇欲をいえば、最終回の内容は、もっともっと盛り上げてほしかったな。寛恕の網が燃えてしまうまでのエピソードと、楓の正体が判明してからの伯朗の逡巡のエピソードを、2回に分けて、じっくり描いてもよかったと思う。素数フラクタルの「寛恕の網」の絵については、その凄さがイマイチ伝わらなくて、ちょっと食い足りなかったし、ラスボスが小日向文世ってパターンも、いいかげん使い古された感じがあって、正直「またかよ…」と思ってしまいました(笑)。◇楓の正体が分かって落ち込んだ伯朗が、彼女への思いを断ち切れずに、元美とのあいだで揺れ動く様子は、もっと時間をかけて描いても良かったと思うし、明人との兄弟愛や、両親との家族愛を、事件の真相を振り返りながら確認していく過程も、もうすこし丁寧に描いてほしかったですね。せめて最終回は拡大スペシャルにしてほしかった。妻夫木聡/吉高由里子/ディーンフジオカ/中村アン戸田恵子/染谷将太/坂井真紀/小日向文世/斉藤由貴堀田真由/麻生祐未/安蘭けい/田口浩正/池内万作/栗原英雄ウラム螺旋/フラクタクル図形/サヴァン症候群/研究記録
2020.12.16
フジテレビ「ルパンの娘」が終了。第2シリーズでは、橋本環奈と小畑乃々ちゃんが加わって、大貫勇輔のミュージカルシーンもかなり増量された。その一方で、泥棒一家と警察一家は和解してしまったので、ロミジュリ的な要素に乏しく、第1シリーズのようなインパクトや緊張感には欠けました。全体的に、画面が暗いのも気になった。第1シーズンのときは、あんなに暗かったかなあ?華やかさよりも、むしろ泥臭さが目立った感じ。◇加藤諒は、メインキャストから外れていたし、テントウムシが飛び立つときの、ジョン健ヌッツォみたいなダバダバ音楽が、あまり効果的に使われていなかったのも残念。最後のほうでは、両家の爺ちゃんが登場して、渉がついに肉声を解禁させて、娘の杏が泥棒デビューしたけれど、期待したほど大きな盛り上がりにはならなかった。◇そして、ルパンとホームズの関係は、まだまだ分からずじまい。北条美雲と三雲玲の謎も、ナターシャとかいう修道女との関係も放置されたまま。ルパンのファミリーネームと、ホームズのファーストネームが、おなじ「MIKUMO」である理由は何?渉と美雲を結婚させて「三雲美雲」にさせたいだけ?◇映画の制作が予告されましたが、スクリーンでどう化けるかは、ちょっと未知数ですね。個人的には、ぜんぶ円城寺親子のミュージカルでもいいけど!華麗に踊りながら敵をやっつけるとか、素敵すぎました(笑)。深田恭子/瀬戸康史/グレーテルのかまど
2020.12.15
朝ドラ「エール」が終了です。今作の内容には、おおむね満足しています。とくに戦争以降の描き方は見応えがありました。◇ただ、最終週を見て、あらためて思ったのは、このドラマが、当初の予定とは、かなり違ったものになったのだ、ということ。今年は、東京オリンピックが延期になりましたが、ドラマのほうも、やはりオリンピックをすっ飛ばしてしまった感じ(笑)。開会式をテレビで見るシーンでは、東京の友人たちや、福島の家族の姿が映ったのに、豊橋にいる梅や五郎の姿が映らなかったのも残念でした。もしかして、森七菜のスケジュールが調整できなかったのでしょうか?◇◇今回の朝ドラは、1.脚本家の降板によって、2.志村けんの死によって、3.東京オリンピックの延期によって、かなりの改変を強いられたと思います。NHKのディレクターみずからが脚本を手掛けたのは、朝ドラ史上初めてのことかもしれませんが、ある意味では、NHKに対する自己批判もふくむ形で、かえって忖度のない内容に仕上がった気もします。◇最終週の脚本の変更。たとえば、小山田耕三(=山田耕筰)の手紙のシーン。これは、そもそも実話ではないはずだし、当初の脚本にすら無かったものだと思います。おそらく、志村けんが生きていれば、主人公に対する謝罪の場面は、もっと早い段階で描かれていたはずですよね。しかし、そのシーンが撮影できなくなったために、やむなく「死後の手紙」という形になったのでしょう。結果として、このドラマにおける山田耕筰の立ち位置は、かなり分かりにくいものになってしまいました。けっして、ただの悪役ではなかったはずですが、本来はどう描く予定だったのでしょうか?◇◇オリンピック開会式のシーンにも、大幅な脚本の変更が加えられたはずです。この開会式の場面は、すでに第1話で予告されていましたが、最終週で描かれた内容は、それを受けたものにはなっていませんでした。たんに、うわべだけ「伏線の回収」と見せかけたにすぎません。第1話で、主人公は、自分の曲が受け入れられるかどうかに自信がもてず、トイレに引きこもってしまうのですが、「長崎の鐘」を聴いたという青年の言葉に救われ、ようやく気を取り直して、指揮台へ向かうのですよね。本来、この場面は、作品全体のテーマにもかかわるような、きわめて重要な意味をもっていたはずです。おそらく、林宏司の当初の構想において、主人公は、オリンピックが開催された1964年になっても、いまだ戦争に加担したことの罪悪感を、完全には脱しきれずにいたはずなのです。だからこそ、長崎出身の青年の言葉を足掛かりとして、オリンピックに「夢と希望」を託し、その戦争という過去を乗り越えようとしたのでしょう。そう考えるならば、主人公が「オリンピックマーチ」を指揮するシーンは、このドラマにおける最大のクライマックスになったはずです。◇しかし、脚本家が降板し、さらには、今年のオリンピックが延期になったことで、このシーンの意味合いは大きく変わってしまいました。主人公が指揮台に立つシーンは省略され、「オリンピックマーチ」の演奏は一部分に短縮され、開会式のエピソードそのものが、かなり淡白なものに終わった。つまり、このエピソードは、本来の重要性を失ったのです。戦争に加担したことに対する主人公の罪意識は、すでに「長崎の鐘」を書くことで克服されており、「オリンピックマーチ」を書くときには、さしたる葛藤も逡巡もなくなっていました。作曲に時間がかかったのは、その作業があまりに「幸福だったから」にすぎません。◇今回の朝ドラは、コロナの影響で10話分ほど回数が減ったのですが、たとえそうだとしても、削るべきエピソードは他にいくらでもあったはずです。けれど、脚本を引き継いだディレクターの吉田照幸は、あえて、もっとも重要だったはずのオリンピックパートを、大幅に削ったわけですね。作曲のエピソードについていえば、「オリンピックマーチ」よりも、「長崎の鐘」や「栄冠は君に輝く」のほうに、より重心を置いて、熱を注いだ形になりました。◇結局、「いだてん」のクドカンも、「エール」の吉田照幸も、本来のNHKの思惑とは反対に、オリンピックをほとんど美化しなかったのです。わたしは、それでよかったと思います。オリンピックを美化しようという当初の構想のほうが、むしろ間違いだったのだから。そもそも、古関裕而が、”オリンピックマーチの完成によって戦争の罪を克服した”という安易な解釈にもとづく物語は、あまりにも御都合主義的な創作だというほかありません。ドラマの考証を担当した刑部芳則によれば、「オリンピックマーチ」の曲の構造は、「皇軍の戦果輝く」という軍歌の構造につながっているらしい。刑部は、このことを、古関の創造のための「忘却」によるものだと述べています。しかし、たとえ忘れていたにせよ、忘れていなかったにせよ、「戦争のための国威発揚」と、「オリンピックのための国威発揚」とを、同じような発想、同じようなメンタリティで、作曲してしまっていること自体が、やはり微妙な問題を孕んでいるというべきなのです。それを安易なかたちで美化するのは避けたほうがいい。◇本来なら、今年は、2度目の東京オリンピックが開催されるはずであり、この朝ドラも、現実のオリンピックに並走させるつもりだったのでしょう。しかし、正直なところ、現在の日本人は、オリンピックなんぞに「夢と希望」を託す気分じゃありませんし、吉田照幸による脚本の改変も、こうした状況と気分を的確に反映したものになったと思います。◇◇さて、この朝ドラの最終回は、NHKホールでのコンサートでした。多くのミュージシャンやミュージカル俳優を、メインキャストとして起用したドラマですから、このコンサートは、おそらく当初から予定されていたものでしょう。それどころか、本来なら、無事に閉幕したオリンピックを振り返りながら、観客も入れた大規模な公演をおこなうつもりだったと思います。しかし、コロナの影響もあいまって、だいぶ控えめなコンサートになってしまった。◇わたしとしては、井上希美や小南満佑子のソロ歌唱による曲も聴きたかったし、野田洋次郎が、古賀政男の曲を歌うところも見たかったです。ちなみに、わたしは、最後の最後まで、二階堂ふみの歌唱場面が"吹替"だと思い込んでいました(笑)。彼女の歌った「長崎の鐘」にビックリです。あんなに歌える人なんですね。
2020.11.29
今季は、「危険なビーナス」「恋する母たち」「リモラブ」の3作品に注目しているのですが、なかでも「リモラブ」は、かなり内容が斬新かつ意欲的で、独創性が高い。おバカな変人ばかりが登場するところは、ちょっとアメリカンコメディっぽいけれど、このテイストにもすっかり慣れました(笑)。◇第6話では、ついにお互いの正体が判明。美々のなかでは、SNSのなかのイリュージョンの恋と、現実世界のなかのリアルな恋がめでたく重なったのですが、青林のほうは、やはり草モチと美々とのギャップに混乱して、いちどは「ごめんなさい」と拒絶。このとき美々は、檸檬と青林の双方を一気に失いました。イリュージョンとリアルの両方で失恋した。それでも、なんとか平静を装い、いつもの産業医として気丈に振舞って、その悲しみを表さずに去った場面は、このドラマ最大の神シーンだったと思います。◇とはいえ、やっぱり檸檬との幸せな日々を忘れられない美々(笑)。「恋とは幻想である」とか、「恋とは勘違いである」とはよく言うけれど、むしろ「幻想こそが恋なのだ」ということを、美々は、あらためて確認した形です。現代は、リアルが勝つ時代ではなく、イリュージョンこそが勝つ時代なのです。イリュージョンのなかにこそ、見える真実がある。最後には、めでたく両思いになれた二人。このときの青林の心の変化は、あいかわらず唐突でよく分からないけれど、まあ、来週へ繋ぐためのサービスシーンだとも言えます。とにかく、これによって、リモラブはもはやリモラブではなくなり、めでたくリアルラブの世界に突入したわけですが、はたして、このままほんとうにリアルラブを発展させるのか、それとも、あくまでリモラブの世界を追求しつづけるのか、まだまだ分かりません。わたしの予想では、リモラブとリアルラブの「ずれ」を、さらに浮き上がらせていくのではないでしょうか。◇ところで、世間では目下、コロナウィルスの第3波で混乱していますが、ドラマの中では、むしろ感染の緊張がだいぶ緩和して、ラーメン屋台の場面などでは、ソーシャルディスタンスが急速に縮まったりしています。このへんにも、ドラマと現実のずれ、イリュージョンとリアルのずれ、撮影時期と放送時期のずれが生じてしまっていますが、…まあ、仕方ないですよね。
2020.11.19
「トンカツなのに檸檬」とか、「ビーフジャーキーなのに檸檬」とか、「キャベツなのに檸檬」とか、何が何やらわからなくなってますが、要するに、それぞれの食材に檸檬をしぼった感じ?あるいは、主人公がほんとうに愛しているのは、トンカツでもビーフジャーキーでもキャベツでもなく、あくまでも檸檬なのだというところにこそ、一定の真実があるのかもしれない。この先、世の中でVRとかARが普及すると、他者イメージの概念が変わってしまって、「檸檬」とか「草モチ」のようなアバターのままで、一生を添い遂げるカップルだって出てくるのかもしれません。実際、「ビーフジャーキー」や「キャベツ」といった外見のイメージよりも、「檸檬」として接してるときのほうが、その人の本質に触れている気がしないでもないし、「檸檬」のような男性こそが自分の理想だという厳然たる事実は、どんなことがあっても変わらないのかもしれない。川栄李奈が、セフレとのリアルな関係よりも、ソーシャルディスタンスを保った松下洸平との関係のほうに、本物の関係を見ようとしてるのは、そういう未来を暗示してるのかもしれません。#リモラブ ~普通の恋は邪道~/波瑠/松下洸平/間宮祥太朗/川栄李奈/髙橋優斗(HiHi Jets/ジャニーズJr.)/福地桃子/渡辺大/江口のりこ/及川光博
2020.11.03
「#リモラブ ~普通の恋は邪道~」第3話。予想をこえて奇想天外!かなりおかしなドラマ!常識のはるか上空を飛んでいます。でも、水橋文美江の作家性が強力に出てきた気もします…。◇主人公のキャラが理解しにくいと思ってましたが、理解しにくいのは、波瑠だけじゃありませんでした。すでに恋人がいるのに、見知らぬ女と5ヵ月もSNSで会話しつづけていた、松下洸平もかなり理解不能だし、そんな松下洸平になりすまして、波瑠とつきあいはじめた間宮祥太朗もだいぶ理解不能だし、川栄李奈にいたっては、もはや何喋ってるのか意味が分からなすぎて、宇宙人並みに交信不可能なレベルでした(笑)。思わず「セフレ 南アフリカ」で検索してみましたが、べつに南ア共和国にそういう文化があるわけじゃなさそうです。◇奇想天外なコメディではあるけれど、なにか妙にリアルな部分もある。SNSに依存して、四六時中そればかり気になってしまうとか。SNSでやりとりしてるうちは楽しいけど、リアルに繋がりはじめると、デートの準備やら時間の拘束やらで疲れて、やっぱり元の生活に戻りたくなるとか。自分の部屋に友人を招いてみたものの、早く帰って欲しくてたまらないとか。結局、ひとりでテレビ見てる時間がいちばん大事とか(笑)。◇極端な設定のなかに、現代的なテーマが露骨に浮かび上がってきます。実際、面と向かって彼氏には言わないまでも、セフレまがいの関係を別にもってるような人は、きっと現実にも存在するのだろうし、彼氏に言っちゃう分だけ、まだしも川栄李奈のほうが正直なのかも…(笑)。そういえば、モーリー・ロバートソンみたいに、おたがいオープンにしてるカップルもいますよね。◇来週は、間宮祥太朗のウソがばれるはずです。でも、偽物の相手が偽物なら、本物の相手も本物とは言いがたい。とにかく全員が狂ってるのだから。タイトル通り、普通の恋は、どこにも期待できそうにありません。もはや誰が本命とかいう次元の話ではなくなってる(笑)。リモートを媒介にしただけで、「本物の人間関係」というのものの行方が、哲学的・SF的なまでに分からなくなってるのですよね。そこに現代社会のリアルを感じます。波瑠/松下洸平/間宮祥太朗/川栄李奈/髙橋優斗(HiHi Jets/ジャニーズJr.)/福地桃子/渡辺大/江口のりこ/及川光博
2020.10.29
この朝ドラは、当初、脚本家の降板騒ぎがあり、バラエティ系の演出家が脚本を兼ねるということで、ややイロモノ的な作品になるのかと思っていました。実際、前半はそういう面もありました。でも、戦中のパートになったら、いままでの作品にはないほど硬派な表現を見せて、それは戦後のパートになっても続いています。このような展開は、とても予想外だったので驚きです。◇戦後になって大きく変わったことは、人々の姿が、とても下品になったということです。これは、かなりリアルな戦後の表現なのだと思います。戦前は、とても上品で優雅な人々の生活が描かれていました。しかし、戦後になると、汚い建物、汚い服装、人々の粗暴な行動、品のない言葉遣い、そういったものが目立つようになりました。実際、戦後というのは、けっして明るい時代ではなかったと思います。「明るい時代にしよう」という希望をもった人はいたけれど、けっして誰もが明るく生きられる時代ではなかった。市街には戦傷者や孤児があふれていたし、物資や食料は不足していたし、家族が死んだ記憶や、人を殺した記憶が、多くの人々のなかに生々しく残っていたし、なりふりかまわずに、他人を押しのけるような人間でなければ、生きていけなかった時代だと思います。そういう人間ばかりが生き残ったともいえます。日本人は、戦前のような端正な美しさを失って、醜くなったと思います。本来の礼儀正しさや品のよさは、失われてしまった。バブル期にも、悪徳業者やヤンキーが増えたのですが、戦後にも、詐欺師やチンピラが町にあふれかえって、社会は荒廃したと思います。◇お金持ちのお坊ちゃんだった久志が、酒や博打に溺れるようになったのも、けっして例外的なことではなかったのだと思います。
2020.10.28
今回も美しい女性たちがたくさん出てきて、女の嫉妬とやさしさをふりまいて、妻夫木聡を翻弄する展開。楽しい(笑)。事件の真相には、いっこうに近づいた気配がありません。強いていえば、勇磨(ディーン)や百合華(堀田真由)は、犯人候補から外れたのかなあ、と思うけど、本当にそう言えるかどうかは、まだまだ分からない。今回は、兼岩家(小日向文世&坂井真紀)の出番はなし。矢神家のシーンも少なかったけど、看護師の杏梨(福田麻貴)に焦点が当たりましたね。伯朗は、シングルマザーの彼女にも色気を感じてる!陰山(中村アン)も、相変わらず出番が多いけど、彼女の素性はまったく見えてこない。傍観者にしては出番が多すぎる。いちばん怪しい(笑)。妻夫木聡/吉高由里子/ディーン・フジオカ/染谷将太/中村アン/堀田真由/福田麻貴(3時のヒロイン)/R-指定(Creepy Nuts)麻生祐未/坂井真紀/安蘭けい/田口浩正/池内万作/栗原英雄/斉藤由貴/戸田恵子/小日向文世
2020.10.26
カノブツ。遅ればせながら見終わりました。脚本は「心の傷を癒すということ」の桑原亮子。ももクロのれにちゃんが好きなので見てたのですが、なんだかボンヤリした内容の物語でした。断片的には面白い要素も散りばめられてましたが、見終わってみて、結局どんな話だったのか、いまいち整理しきれない(笑)。とくに終盤の展開は分かりにくく、描くべき内容が全6話に収まりきれてなかった気もする。脚本家は、周到にいろんな伏線を配置してたようだけど、それがスタッフに共有されていたのかどうか怪しい。視聴者にとっては、かなり分かりにくいドラマでした。◇あらためて、物語の内容を時系列で整理してみます。7年前、女性漫画家の小鳥遊玲は、南貝荘の部屋で『氷の武将』の連載に取り組んでいましたが、右手が動かなくなったため、連載終了を決意します。しかし、玲の想い人であった編集者の中路は、「君が描かないなら別の漫画家に引き継がせる」と告げます。絶望した玲は、父親の開発した不老長寿装置コールドスリープに入って、自分自身の肉体を凍らせてしまいます。それ以来、南貝荘の部屋には、玲の幽霊=生霊が現れるようになり、押し入れの中はお札だらけになりました。それから7年後、漫画家を志望するミャンマー人のエーミンが、南貝荘に入居して玲の幽霊と共同生活をはじめます。一方、漫画『氷の武将』は、かつて玲のアシスタントだった千春が、ゴーストライターとして連載をつづけていました。しかし、千春は、玲から引き継いだ漫画も、想い人の中路のことも、自分のものにできずに苦しんでいました。千春は連載を断念しそうになりますが、エーミンと玲の協力によって危機を乗り越え、それ以降は、ゴーストライターとしてではなく、自分の作品として連載しつづける決心をします。かたや玲の幽霊は、生前(?)の自分のことを完全に思い出して、いったん姿を消します(成仏?)。しかし、1年後、プロの漫画家になったエーミンのもとへ、コールドスリープから蘇生した玲がおとずれます。…以上が物語の大筋です。◇これは、たぶん、冷たい海の底に沈んでいた氷の武将が、南の海で蘇生するまでの物語なのだと思います。冷たい海を象徴するのが、「コールドスリープ」という肉体冷却装置であり、南の海を象徴するのが、インド洋に生息するという「ウミウサギ」の貝殻です。ウミウサギの貝殻は、玲から千春の手に渡り、それが南洋の彼方からミャンマー人のエーミンを引き寄せた。そんな図式になっています。そして、この物語の内容を暗示するのが、『氷の武将』という劇中の漫画であり、その舞台となったのが「南貝荘」というアパートなのです。たぶん「氷の武将」は「氷の微笑」のパロディなのでしょう…(笑)ちなみに、不老長寿装置「コールドスリープ」を開発した玲の父親は、いつも亀を連れていますが、これはたぶん「浦島太郎」とか「亀は万年」の隠喩なのでしょう。◇結局のところ、中路をめぐる恋の行く末については、決着が示されません。おそらく、千春が中路と結ばれて、玲はエーミンと結ばれたのだろうと思います。千春は、ウミウサギと、連載漫画と、中路とを、すべて玲から受け継いで、自分のものにしたわけです。『氷の武将』の登場人物に当てはめるならば、玲は武将であり、千春は鎖奈ということになります。(玲=鎖奈ではないのです)武将は、鎖奈に向かって、「そなたの心のままにワシの首をもっていけ!」と託すのですね。その結果、千春は、玲のすべてを受け継ぐのです。◇しかし、恋の行く末よりも、もっと大事だったのは、玲と、エーミンと、千春と、中路の、4人の連帯の物語です。エーミンは、海岸を眺めながら、水平線のうえに4つの丸いものを描きました。これは、おそらく白いウミウサギなのですが、つまり、南の海で蘇生した4人が、たがいに協力しあって生きていく未来を暗示しています。ここらへんの伏線は、とても分かりにくいのですね。◇ちなみに、終盤には、ミスリードになるような台詞があり、これは物語のなかで覆されていくのですが、ここらへんの展開も、かなり分かりにくいです。ひとつは、「わずかな可能性に期待するより、落選したほうが100%あきらめがついて楽だ」という玲の消極的な言葉。これは、漫画賞を獲得しようとするエーミンに投げつけた言葉なのですが、実際は、かつて連載を放棄して漫画を諦めた自分自身のことを言っています。けれど、じつは玲は、けっして漫画を諦めて自殺したのではなく、いったん凍ることで未来の自分に託したのだということが、やがて明らかになります。◇もうひとつ、ミスリードになっていた台詞は、「僕の好きな人が、僕のことを全然好きじゃない」「この世は、少ない幸せを椅子取りゲームみたいに取り合ってる」というエーミンの消極的な言葉。お寺の僧侶でもあるコンビニの店長も「それが世の理だ」と言います。しかし、これを覆すのが、草野とドゥアンの恋のエピソードです。「草野が妻子を連れていた」というのは勘違いで、じつは妹と甥だった、という話です。これをきっかけに、それまで「起・承・承・承」の漫画しか描けなかったエーミンは、はじめて「起・承・転・結」の漫画を描くことに成功します。そして、ここから玲との関係も「転」に回りはじめるのですね。玲とエーミンが、ミャンマー風の仏塔パゴダで何を祈ったか分からないのですが、日本の仏教(コンビニ店長)には実現できなかったことが、ミャンマーの仏教(パゴダ)の力で実現できたのかもしれません。このへんの流れも分かりにくかったです。◇最終的に、エーミンが漫画賞に入選したのかどうか分からないし、蘇生した玲の右手が治癒したのかどうかも分かりません。玲が「父をモデルにした漫画を描く」と言った意味も分からない。そもそも右手が動かなくなった原因は何だったのでしょうか?そして、なぜコールドスリープから蘇生できたのでしょうか?凍っていた玲の体は、エーミンへの思いの力で暖かくなっていたともいうのですが、ドラマを見ていると、たんにエーミンの体温を吸い取っただけのように見えてしまう。実際、エーミンはどんどん冷やされて弱っていったのだし、玲はそれを恐れて、いったんコールドスリープに戻ったのです。もしかすると、その後も玲の体はどんどん暖かくなって、ついには凍っていた右手も溶けて、2人で新しい作品に着手できるようになったのかもしれません。しかし、そう解釈するには、かなりの脳内補完が必要ですね…(笑)。森崎ウィン/高城れに(ももいろクローバーZ)/和田正人/村上穂乃佳/中島広稀/白鳥玉季/高橋努/ブラザートム/古舘寛治
2020.10.23
「#リモラブ ~普通の恋は邪道~」第2話。いままでのドラマにないほど、無様にジタバタしすぎる女性を描いてて、かなり斬新で面白いお話だとは思うけど、しばしば台詞がベタすぎるのと、主人公のキャラと行動がちょっと極端すぎて、ついていけないところがあります。登場人物がありえないほど鈍感すぎたり、悪い意味で、ツッコミどころも多い。◇檸檬くんの正体は、もしかしたら最終回まで分からないまま?かとも思いましたが、ラストで種明かしがありました。赤の他人を檸檬くんと勘違いするのもイタイけど、檸檬くんに恋愛感情が皆無というのは、もっとイタイですね。松下洸平の役どころは、「スカーレット」の八郎よりさらに煮え切らない男!優柔不断なヤサ男のおかげで、周りの女性は惑わされて被害を受ける。◇松下洸平の誘いに応じて、あのまま居酒屋に行って、間宮祥太朗のことを檸檬くんと勘違いする展開もありえたけど、あえてそうしなかったのは、今後あらためて間宮祥太朗との絡みがあるからでしょうか?そもそも檸檬くん候補は、4人ぐらいしかいないしね(笑)。波瑠/松下洸平/間宮祥太朗/川栄李奈/髙橋優斗/福地桃子/渡辺大/江口のりこ/及川光博
2020.10.22
SUITS/スーツ2が終了。米版や韓国版はおろか、シーズン1も見ておらず、萌音が参加した最終章から見始めただけですが、およその内容は理解できました。13話では、女性昇進差別を証明する決め手に欠いていたものの、原告側の女性たちから人事評価表をかき集めて、7掛け採点や画一的な評価パターンの実態を暴いて逆転。14話では、上杉の横領・不倫についての秘密保持契約が足枷になって、尾形を解雇した正当性を証明できずにいましたが、あらたに上杉の不倫についての証言を周辺からかき集めて逆転。わりと話は単純です(笑)。ハーバードだの、東大ロースクールだのと、えらいエリートたちの法廷闘争の中で、さぞかし高度な頭脳戦が展開されるのかと思いきや、やってることは、そこらの刑事ドラマと大差ない(笑)。まあ、それでも、ファームの中であーだこーだとやってる姿が、なんとなく見てて楽しいという、そういう類のドラマだと思います。萌音&小手の(最後には結婚するんじゃないの?ってぐらい)無駄すぎる藤蟹バトルも、馬鹿っぽくて楽しめました。◇◇しかし、最終回は、ちょっとツッコミどころが多すぎた気がする。蟹江が、ロースクールの試験に落ちた真琴を、これまた無駄な嘘で慰めようとしたのも解せないし、そのことで真琴が鈴木を責めたてるのも、(経歴詐称をカミングアウトさせる伏線だとはいえ)あまりの逆ギレじゃないかと思いました。◇「ダービー」とかいう外資系ファームにかんしても、そもそも観月ありさしか表に出てこないので、その実像がまったく見えてこない。たんに元恋人とバブルを回顧するような話になってる。甲斐と鈴木は、「ダービー」のことを悪しざまに言うけれど、どのぐらい悪どい企業なのか具体的に見えないのです。甲斐は、「自分たちは正攻法で行く」みたいなことを言ったけど、実際にやってることは、メールを盗み見たうえで敵にカマをかけるという、なんとも泥臭い戦法でした(笑)。端から見ると、何が正攻法で何が悪どい手法なのかよく分からない。◇甲斐が辞任するしないの問題は、ダービー側が「上杉の過去の横領・不倫」を問題視したおかげで、棚ボタ的に解決したようなのですが、わたしが思うに、すでにファームを去っている人物の過去の話なんぞより、現役で経歴詐称のニセ弁護士が働いてることのほうが、よっぽど問題でしょ。それに、幸村と甲斐は、今回の件で互いの信頼を決定的に失ったと思うのですが、そこらへんも、なし崩し的に終わってしまいました。織田裕二/中島裕翔/新木優子/中村アン/小手伸也/上白石萌音/鈴木保奈美/伊東四朗/吉田鋼太郎
2020.10.21
危険なビーナス。第2話もなかなか好調です。今季いちばん面白いかも。前回よりはコミカルな要素が抑えられて、そのぶん、緊張感が増しました。見たところ、コミカル担当は妻夫木聡だけっぽい。ディーン・フジオカが出てくると、主役の存在感を喰ってしまいそうだけど、わたしはそれでも構わない(笑)。妻夫木&吉高由里子は敵の裏をかいたけど、ディーン&麻生祐未はそのまた裏をかいていた、というところで今回の話は終わりました。◇美女が犬猫病院におとずれるたび、ちょっとドキドキな展開になるのも笑えます。助手の中村アンもかなり魅力的だし。わたしはネタバレ情報には接してないので、謎解きを純粋に楽しんでるのですが、事件には直接関係なさそうな中村アンや、小日向文世&坂井真紀夫妻の登場が、不自然に多くなればなるほど、じつは彼らも怪しいんじゃないの?って感じがします。妻夫木聡/吉高由里子/ディーン・フジオカ/染谷将太/中村アン/堀田真由/福田麻貴(3時のヒロイン)/R-指定(Creepy Nuts)麻生祐未/坂井真紀/安蘭けい/田口浩正/池内万作/栗原英雄/斉藤由貴/戸田恵子/小日向文世
2020.10.20
事実上、途中で終わってしまった「カネ恋」。10月20日発売のシナリオブックには、未放送回をふくむ全話の内容が完全収録されるそうです。それを読めば明らかになるとは思うのですが、いちおう、この作品の全体的なテーマを、わたしなりに考察してみたいと思います。◇このドラマのテーマは、「ほろこびは繕うほどに愛着が増す」ということだったと思います。お金があるうちは、新しいものに買い替えればいいけれど、お金がなくなったら、ほろこびを繕いながら使っていくしかないし、大事に繕うことで、物への愛着もわいていく。人間関係も、たんに新しいものに取り替えてしまうのではなく、いろんなほころびを繕いながら、欠点を直したり、過ちを許したりしながら、大事に育んでいくことで、愛情が生まれていく。「おカネの切れ目が恋のはじまり」というのは、そういう意味なのだと思います。◇すべての登場人物が、ほころびを繕うことの大切さに気づいたとき、何がどう変化して、誰と誰が結ばれることになったのか。それまでの慶太は、お金で新しい物を買っては、古い物を平然と捨てていました。まりあは、古い人間関係を捨てて、新しい人間関係に取り替えていました。しかし、玲子は、母とともに鎌倉の古民家で暮らし、古く壊れたものを繕いながら生活し、さらには、早乙女のことを許し、父のことを許しながら、人間関係を大事に繕っていこうとしていました。欠点や過ちを繕うほどに、人や物との関係がむしろ深まっていきます。たとえば子供のおもちゃも、ただ新しいものに買い替えるのではなく、なんども修理しながら使えるような、あるいは修繕するほど進化していくような形が、ありうるのかもしれません。ぬいぐるみは、洗濯や綿の入れ直しをして長く愛し続けられるし、AIのロボットは、知能や経験をアップデートしていくことができる。慶太が開発すべきなのは、そういう玩具だったかもしれません。◇それにしても、なぜ慶太は「猿」だったのでしょうか?ヘラヘラした三浦春馬が、なんとなく猿っぽかったからでしょうか?方丈記の文章に「猿」が出てくるのは偶然でしょうか?猿渡一族の経営する玩具メーカーは、その社名が「モンキーパス」で、その主力商品はAIロボットの「サルー」で社長の相棒は「猿之助」で、息子の慶太の相棒は「猿彦」でした。玲子が幼いときに父に買ってもらったのは、ラケットで空振りをする猿の玩具だったけれど、その製造元がモンキーパスだったことが、玲子がそこへ入社するきっかけだったようですし、彼女が猿の絵皿に恋をしたのも、どこかで猿に愛着をもっていたせいかもしれません。◇ちなみに、わたしは、せいぜい「せかほし」を時々見ていた程度で、あるいは歌って踊る姿がスゲーと思ってた程度で、とくに三浦春馬のファンでも何でもありませんが、『カネ恋』最終回の放送後に、ほかのファンサイトなどを差し置いて、なぜかこのサイトが検索上位に挙がってしまったのは、かなりビビッたと同時に、なんだか申し訳ない気持ちでした…。読んでくださったみなさん、ありがとうございます。そういえば、最終回でミスチルの主題歌が流れてきたとき、わたしは、ちょっとしたデジャヴにおそわれました。よくよく考えてみたら、わたしは『14才の母』というドラマを、リアルタイムで見ていた人間なので、今回の「turn over?」という曲が、あのときの「しるし」にどこか似ている気もして、それが脳味噌のどこかでつながったのかもしれません。
2020.10.18
今回の朝ドラがはじまったとき、森山直太朗と野田洋次郎というミュージシャンの出演は、大きな注目を集めました。しかし、今にして思えば、これはたんに「ミュージシャンが俳優として音楽ドラマに出た」というだけのことではなかったと思います。この2人の起用には、制作者側のかなり強い思惑を感じます。◇森山直太朗の代表曲は「さくら」ですが、これはもともと軍歌「同期の桜」を想起させる面がありました。歌詞のなかで「あの日の唄が聴こえる」の後に、こう続くからです。さくらさくら 今咲き誇る刹那に散りゆく運命と知ってさくらさくら ただ舞い落ちるいつか生まれ変わる瞬間を信じ泣くな友よ 今惜別の時さくら さくら いざ舞い上がれ永遠にさんざめく光を浴びてさらば友よ またこの場所で会おうさくら舞い散る道の上で軍歌の「同期の桜」では、次のように歌われます。貴様と俺とは 同期の桜咲いた花なら 散るのは覚悟みごと散りましょ 国のためあれほど誓った その日も待たずなぜに死んだか 散ったのか離れ離れに 散ろうとも花の都の 靖国神社春の梢に 咲いて会おう「同期の桜」における桜とは、靖国神社の桜のことを意味しています。かつて作詞家の阿久悠は、歌詞のなかに愛国的な要素を盛り込むのを嫌って、「国旗はもちろん、桜の花ですら耐えられない」と語ったそうです。戦中世代にとって、桜とは軍国主義の象徴だったのです。◇ちなみに、靖国神社の桜は、昭和41年以降、例年の「開花宣言」のための標本木になっています。気象庁は、あえて靖国の桜を標本木に指定した根拠を示していませんが、靖国神社の桜から「過去の記憶」を払拭し、国民の親しみを取り戻すための政治的な方策とも見えます。ゆずの北川悠仁などは、「ガイコクジンノトモダチ」という曲のなかで、君と見た靖国の桜はキレイでしたと書いたりしていますが、すくなくとも戦中世代にとって、靖国の桜は、たんなる美しい花ではなく、強烈なまでに政治的・歴史的な意味を帯びていたのです。◇森山直太朗が演じた藤堂先生は、かなり複雑なキャラクターでした。若い頃には、軍人である父に反発し、生徒たちに「好きな道へ進め」と教えましたが、自分の子供が産まれると、軍人だった父の生き方を見直して予備役将校となり、ビルマでは、部隊長として戦闘の指揮をとり、最後は、愛する妻子を残して死んでいきます。鉄男や五郎は、裕一に対して「軍歌など書かないでくれ」と言いましたが、藤堂先生は、裕一にそのようなことを言いませんでした。あくまで架空の人物ではありますが、もしも藤堂先生が裕一にむかって、「本当に好きな音楽を書くべきだ」と諭していたら、裕一は軍歌を書くのをためらったのではないかと思えます。しかし、藤堂の死後には、鉄男までもが軍歌の制作に意欲的になります。モデルの野村俊夫も、古関裕而とともに戦時歌謡をいくつも手掛けています。◇森山直太朗と、藤堂先生は、どこか重なり合う部分があるのかもしれません。藤堂先生の人物像が複雑だったように、森山直太朗の「さくら」には両義性が見て取れるからです。ちなみに森山良子は、「さとうきび畑」のような反戦歌で知られていますが、息子の直太朗は「夏の終わり」のことを反戦歌だと述べています。◇一方、野田洋次郎の演じる木枯正人は、軍歌を書くことに消極的でした。モデルである古賀政男が、実際にそうだったのかは疑わしいのですが、一般的に、古賀政男は、軍歌や戦時歌謡によってではなく、あくまで叙情的な歌謡曲の作家として認知されています。◇しかし、RADWIMPSの野田洋次郎は、2018年に「HINOMARU」という曲を書いて、その国家主義的な内容の歌詞が物議を醸しました。アメリカ育ちの彼が、みずからのアイデンティティを希求するあまり、ある意味では素朴に、ある意味では安易に、国家や国旗への同化に傾いてしまった結果とも見えます。これは、台湾系であるユーミンが、しばしばコンサバな姿勢を見せるのにも似ています。◇森山直太朗にせよ、野田洋次郎にせよ、彼らはたんなるミュージシャンではありません。同時代において、それなりの政治性をも負ったソングライターです。彼らが、今回の役柄の重さを、どれだけ承知して引き受けたかは分かりませんが、同時代のソングライターである2人にとって、それぞれが演じた人物の生き方、そして古山裕一=古関裕而のたどった運命は、けっして他人事ではないだろうと思います。
2020.10.17
「エール」の戦争描写が衝撃的すぎて、視聴者のあいだに物議を醸しています。わたし自身、藤堂先生の死や、弘哉くんの死は、ある程度予測できましたが、梅にまで死の危機が迫る展開は予想外でした。結局、朝ドラ的な配慮もあって、豊橋の登場人物が命を落とすことはありませんでしたが、それでも梅の死をいったん意識させたことは衝撃的でした。◇「エール」の戦争描写が、視聴者に衝撃を与えたいちばんの理由は、日常との落差がきわめて大きかったことだと思います。このドラマは、基本的にはコミカルな演出で、おだやかな日常を描いていました。太平洋戦争がはじまると、さすがに服装や食事は質素になりましたが、それでも、日常のおだやかさは失われませんでしたし、演出にもコミカルな要素は残っていました。…しかし、主人公の裕一がビルマに派遣されたことで、ドラマの描き出す世界観がいっきに変わりました。画面が急に暗くなった感じがしました。その時点で、なんらかの悲劇が起こることは予想できたのですが、その内容は、想像をはるかに超えるものでした。わたしは、てっきり、「今週は外地の悲劇が描かれるだけ」と思っていました。内地で空襲などが描かれるのは、きっと来週以降だろうと勝手に思い込んでいたのです。むしろ、外地の悲劇的な状況と、内地の穏やかな状況が対比して描かれると思っていました。ところが、実際には、水曜から木曜とたて続けに、「外地の悲劇」と「内地の悲劇」が描かれました。見ている側に心の準備をする余裕はありませんでした。聴き慣れたテーマ曲やクレジットロールも省略され、いきなり視聴者は「日常」から「非日常」へ突き落とされました。外地の悲劇と内地の悲劇が、わずか2日間に凝縮して描写され、あっというまに終戦を迎えてしまいました。これは予想外でした。◇すくなくとも、藤堂先生や弘哉くんにかんしては、それなりの「死亡フラグ」が立っていたと思います。しかし、梅には、どこにも「死亡フラグ」など立っていませんでした。そこに最大のリアルがあったと思っています。なぜなら、現実の世界には「死亡フラグ」など存在しないし、悲劇に対しても「心の準備」などありえないからです。◇ちなみに、戦争というのは、一般的に「4年ぐらいで終わるもの」だといわれています。(双方の国力がそれ以上もたないからです)太平洋戦争があったのも、昭和16年から20年までの4年間です。最初の2年くらいは、大きくは変化のない日常が維持されます。ドラマのなかでも、登場人物たちは、優雅に音楽を演奏したり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしていました。しかし、後半の1~2年のあいだで、あっという間に日常は崩壊します。生活必需品までがいっきに枯渇し、軍人でない人まで戦地に送られるようになります。実際の戦争でも、そういう状況に陥ります。かなり急激に日常が崩壊していくわけですが、多くの国民は、ギリギリまでそのことに気づかないのです。そして、崩壊しはじめて気づいた頃には、もう遅いのです。もちろん、誰も「心の準備」など出来ないし、誰にも「死亡フラグ」などは立ちません。にもかかわらず、もっとも死んでほしくない人が死んだりします。それが戦争のリアルだと思います。今回のドラマの衝撃は、そのような戦争の現実に近い体験を与えました。唐突ともいえる形で、おだやかな日常が一気に崩壊し、予兆に気づく暇もなく、非日常の状態へといきなり突き落とされたのです。それが視聴者のはげしい動揺につながったと思います。
2020.10.16
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