全19件 (19件中 1-19件目)
1
ベンタイン市場につきました。いよいよお買い物ですが、何しろ広大な市場に膨大な数の店舗。4人で気の済むまでゆっくり品定めをしながらお店を回ったらおそらく日が暮れても終わりません。2人ずつに分かれ、集合時間と場所を決めて、その時間までに終わらせることにしました。集合場所はここです。スマホでここから外の写真を撮って、場所がわからなくなったら一旦外に出て外の道を壁沿いに歩いてその写真の景色の場所に戻れば会えるはずと打ち合わせ、わたしはYちゃんと、いざ出陣。わたしが買いたかったのはこの二つ。歩き出してすぐ、ポーチなどを売っているお店をYちゃんが見つけてくれました。売っているポーチは、仕立てもしっかりしているし、刺繍も手刺繍で結構豪華。でも、お店のお兄さんに値段を聞くと電卓に40,000ドンと打ち込んで見せました。計算も早くなって、2,500円とこちらは脳内電卓。一個の値段?と確認したら、そうですって。高いよね?とわたし。そうだねとYちゃん。お兄さんに「わかった。他のお店も見てみるわ。また後で来るかも」と告げて歩き出すわたしに、なんか安くするって言ってるみたいよとYちゃんが言うので、戻ってみると、10%引きますって。それでもまだ2,000円以上なので高すぎると思って首を振ると、「いくつ欲しいですか?ひとつ?たくさんならもっと値引きします」とお兄さん。時間もないし、そういうめんどくさい駆け引き好きじゃないんだけどと思いつつ、「たくさんはいらないわ。欲しいのは4つだけよ。」そこでまた電卓登場。今度は28,000ドンです。30%オフですね。換算すると1,700円くらい?そう言えばガイドブックに書いてありました。市場などで買い物する時、値段交渉するのは良いがあまり法外に値切るのは良くない。30%くらいが目安、と。値切りたいわけじゃないけど予算オーバーです。もう少し安いのが欲しいから、やっぱり別のお店も見てみるわと言おうとお兄さんをみると、また電卓の上を指が動き25,000という数字が入りました。1,500円くらいね、とYちゃんに言うと、いいんじゃない?と目顔でお返事。実は3つで4,000円ぐらいと思っていたのですが、良いことにして、OK、買うわ。ということで商談成立でした。値段交渉は苦手と思っていたけれど、できてしまいました。お嫁ちゃんとお嫁ちゃん母、お嫁ちゃん妹に一つずつ。もう一つは男子メンバーWKくんが奥様に頼まれたというので代理購入。ミッション、まずひとつ完了です。後はベビー服ですが、良さそうなお店が見つからないうちに集合時間が近づいてきたので、とりあえず集合場所に行ってみると、その向かい側にお洋服のお店が集まっていました。早めに全員揃ったので、その一角を探検したいとお願いして見に行きました。ワンピースやブラウス、パンツなどレディースがほとんどでしたが、モノもデザインもいいものが多かったので、ベビー服はあるか聞いてみると、案内してくれてたくさん品物を見せてくれました。それで写真のパンツとワンピースのセットを買うことにしました。わたしがベビー服を見ている間にワンピースを見ていたC子さんが1着買うと言い、2人で合わせて2着買うけどディスカウントできる?と聞いてくれました。すると、返ってきた答えは、「このお店は国営店なので値札の値段でしか売れません。NOディスカウントです。」というものでした。彼女が天井を指差すとそこにはFIX PRICEと書かれた板が下がっていました。そんなルールもあるの!?しかもこんな市場に国営店!?ほんとにびっくりでしたが、品物は気に入ったし、値段も高くはないので買いました。ベビー服は、刺繍も手刺繍っぽいし、綿100%のとても肌触りの良い生地で、後で計算したら1,000円弱、とても良い買い物でした。でも、ベンタイン市場のお店は、ドンコイ通りなどにあるような高級店に比べれば安いので観光客には人気だけれど、市民の人たちは高いと思ってるって前日のツアーのガイドさんが言っていました。国営店では市民もあの値段で買うのでしょうし、他のお店も市場の外の露店みたいなお店に比べればやはり高いのかもしれません。とはいうものの、わたしたちは「でも、良いんじゃない?わたしたち観光にきて、ここでたくさん楽しませてもらってるんだし、その分くらいはお金使わないと申し訳ないわよね?」と意見が一致したのでした。
2024.03.31
コメント(7)
自由行動というと旅っぽいけれど、この日のわたしたちのテーマは買い物でした。要するにお土産の調達なのですが、買い物というだけでテンションが爆上がりでした。買い物はベンタイン市場というホーチミン最大のマーケットでする予定ですが、その前に高級店が軒を連ねるというドンコイ通りで高級な方のお値段など偵察し、それから行くつもりなので、その開店時間を考えてのんびりしていたら男子軍はもうとっくに出発してました。年寄りはせっかちです。とはいえ女子軍もあまりのんびりしてはいられません。前日、前々日とバスで街中を何度も行ったり来たりしたので、少し土地勘はできています。スマホでGoogleにナビしてもらいながら繁華街を目指します。でも、さっそくベトナム語の洗礼。マップは英語なので、ベトナムの文字が読めないとやはり自分たちのいる場所がわからなくて、結局市場にたどり着くだけで精一杯、偵察は叶いませんでした。そうはいってもやや暑すぎるきらいはあれど快晴だし、街の中心部は建物も美しく最高の街歩き。ベトナムはこの日までお正月で、今年が辰年ということもあり、龍の飾り物がいい感じでした。街は建物もお花も綺麗。上の左は人民委員会庁舎という建物。忘れがちですが、ベトナムは社会主義国です。人民委員会が政府?で、大統領はいなくて委員長がいるということのようです。下の3枚は市民劇場です。これらの美しい建物は、フランス統治時代の建築物だそうです。こちらは上段が市民劇場と統一会堂。中段は国立歌劇場(オペラハウス)、下段左がパークハイアットホテル、右は前日ランチを食べたバインミーニューランです。中央郵便局とか教会とか、ほかにも見処はあるのですが、見つけ切れず、キョロキョロしながらなんとかベンタイン市場に辿り着きました。2000軒ものお店が入っているという巨大マーケットです。上段左はお肉屋さん。二段目左は貴金属屋さん。食べ物、アクセサリー、生地、靴、洋服、とにかくありとあらゆる種類のお店があるようでした。見て歩いているだけでもワクワクしてきて、綺麗だったり可愛かったりはしても何にするものなのかわからないとか面白いもの満載で、十分に楽しめました。ベンタイン市場でわたしがゲットしたもの、手刺繍の小さなポーチと孫の洋服です。この買い物もとっても面白くて楽しかったので、その話は明日また書きますね。
2024.03.30
コメント(9)
翌日の最終日は未明に出発なのでこの日が実質的に最終日、予約していたオプショナルツアーは全て消化して、幹事のNくんからは今日の日中は自由行動と言い渡されています。そうは言っても言葉もなかなか通じないこの街で1ひとりで自由に動き回るのはなかなか難しいです。出発前はスマホのナビもあるし、英語なら少しはわかるし、一人歩きをしたくなってもなんとかなるんじゃない?と結構お気楽に考えていましたが、実際に現地に立ってみるとそれがとんでもなく能天気な考えだったと痛感しました。何日か前にMoMo太郎さんがベトナム語のことをコメントに書いてくださいました。外語大のベトナム学科の卒業生に教えてもらったけれど、メッチャ難しかったと。わたしも実は少しくらい勉強していこうと思いはしたのです。でも、我が家近くでベトナムのサンドイッチ「バインミー」を売っているお店を見つけてランチの調達に出かけ、店先のメニュー看板を見た瞬間に無理だと諦めました。もちろん日本語は書いてありましたから、メニューはわかりましたが、原語の方は全く読めなかったのです。文字自体はお馴染みのアルファベットですけれど、まず母音の上や肩に見慣れない記号が付いています。恐らくその記号の種類だけ発音があるのだろうとは思いましたが、お店の青年に読み方を尋ねてみたら、なんと!!!真似すらできません。ホーチミン市2日目に晩御飯に行ったお店、ホアンイエンでした。綴りは下の写真の通り。これは母音に記号が付いているとは言え、比較的やさしいですよね。アルファベット通りに近い。でもその次の日のランチのお店、Bahn Mi Nhu Lanはこれでバインミーニューランと読むそうですが、読めないですよね?ネットに出ていたものですが、ベトナムの五十音表みたいなもの?これを見ただけですっかり心が折れました。それなら数字だけでもと思ったのですけど、これがまた難しくて、覚えたのは3、バーだけ。これは333というベトナムビールがあって、バーバーバーと読むので覚えました。じゃあ、挨拶ぐらいは!そう思いますよね。だけど、ありがとうもコンニチハも聞いた時はそうかと思うのに、耳慣れない言葉って胸の中で落ち着いてくれないのでしょうね、少し経つとあれ?ってなる。忘れちゃっているのです。でも、オプショナルツアーでガイドさんから何度も聞いたので、ひとつだけ覚えたことばがあります。シンチャオ、綴りはXin chao(母音のどれかに何かの記号は付くと思いますが)です。これは朝昼晩のいつでも使える挨拶だそうです。で、街歩きの話に戻りますが、○○通りから○○通りを通って○○というお店に行きたいと思って地図やナビを持って歩いているとすると、通りの名も店名も表示はベトナム語なんですよ。なので、今自分がどこにいるのかを地図上で探すのも一苦労なわけです。というよりほぼ不可能でした。ということで、この日は自由行動とは名ばかり、かろうじて男子軍と女子軍に別れはしましたが、2グループでの団体行動でした。、わたしたち女子軍はまずホーチミン市最大のマーケット、ベンタイン市場へ行って2000軒あるというお店を見て回り、お茶でもした後C子さんがぜひ行きたいと言っている民芸品?のお店に行き、どこかでお昼を食べてスーパーマーケットを偵察するというコースを決めました。夜は全員で晩ご飯ということなので、夕方までたっぷりホーチミンを味わおうと意気込みながらホテルを出発しました。続きはまた明日。
2024.03.28
コメント(9)
水上人形劇の後は、この晩のオプショナルツアーのもう一つのイベント、サイゴン川に浮かぶ船上でのディナーです。これ、ビルじゃなくて船なんですよ。インドシナクイーンっていう名前です。揃って船に向かいます。テンション上がってます。ワクワクです。中段下段はホーチミン市を流れる川、サイゴン川の夜景です。綺麗でしょ?船はこの川の埠頭に停泊していました。船内ではこんなショーも見られます。お楽しみの始まりです。テーブルにたくさんのお料理が並び、みんなでシェアしながら戴くのは今までのお店と同じですが、こちらではパーサーさんがお料理を取り分けてくれます。お魚の丸焼きも鮮やかな手捌きで切り分けてサーブしくれました。着いた時間が遅かったようで、他のテーブルはもうみなさんお食事を始めていました。出遅れたわたしたちは、お腹いっぱいになった頃ふと窓の外を見たら、なんだか景色が動いています。あれ?この船動いてる?と誰かが言って、皆、部屋を飛び出すと、あらら、船はもう元の停泊位置にゆっくりと戻っていくところでした。急いで写真撮影。なんだか写真がダブってますけど、お気になさらず。そんなこんなでバタバタと下船でしたが、美味しいお料理でお腹いっぱい、気分も上々。盛りだくさんな3日目はこうして終わりました。
2024.03.27
コメント(11)
この日は夜のオプショナルツアーも予約していたので、遅いランチを食べた後のんびりホテルに戻り、夕方ロビーに集まる時間を決めて、それまでは各自自由行動となりました。後で聞いたら男子達は散歩に行ったそうですが、わたしとYちゃんはお部屋でまったりしました。この日も湿度は低くても最高気温34℃の真夏日でしたから、連日10℃台の東京から来た高齢者にはやはり堪えます。シャワーを浴びてさっぱりし、Yちゃん持参のコーヒーを淹れてもらってのんびりガールズトークならぬオバサントークです。高校同期とはいえ同じクラスになったこともなく、進路も全然異なるわたしたちでしたから、共通の友人はたくさんいて、彼女達を通して知っていることは多いものの、お互いに知らないことの方が多くて、おしゃべりの種は尽きません。集合時間まではあっという間でした。時間にはロビーに全員しっかり集合して、今夜の冒険は、まず水上人形劇(民俗芸能らしいです)、それからサイゴン川に浮かぶ船でクルーズディナーという段取りです。ホテルを出たバスはホーチミン市内のホテルをいくつか回って参加者を拾い劇場へ。小さな劇場の派手なお出迎えにびっくりの一行。中に入りますと、狭い劇場の中にはぎっしりのお客さん。人形劇ですから舞台も小さいです。その舞台の左右には楽団席。人形劇版オケピ?文楽風に言うと「床」ですね。そこにバンドの方達が座って開演を待っていました。舞台後方の幕が開いてお人形達が出て来ます。小さなお人形で、精緻な動きをするものではありませんでした。バンドの演奏や歌に合わせて舞台の上を小さな人形がちょこまかと動き回りますが、お祭りとか、船のレースとか、種まきとか、そんなタイトルで、しっかりストーリーがあるようなものではありません。ただ、このお人形、操り糸とかないんですよね。だから細かい動きができないのだと言うことは分かりましたが、でも誰かが操っていることは確かです。どう操っているのかがわかりません。もう一つ不思議だったのは、この舞台に、写真では分かりづらいと思いますが、お水が張ってあることです。疑問が解けたのは全部終わって外に出てから。同行の友の1人が教えてくれました。人形達は舞台後方の幕の後ろにいる人形遣い達が棒のようなもので操っていて、その操り棒?は水の中にあり客席からは見えないようになっているんですって。上段が、フィナーレに舞台に現れて手を振る人形遣いさんたち(ってこの時はまだ「誰?」でしたけど)です。腰の下まで水に浸かってますから、結構深い、子供プールくらいの深さがありますね。勉強不足でよくわからないまま見ていたもので、楽しかったようなそうでもなかったような。。。バンドさん達の楽器や歌も調べていたら、もっと楽しめたかもしれません。ちょっと勿体無い事をしました。それでも雰囲気は味わえ、結構満足して次のイベント、ナイトクルーズとディナーに向かいました。
2024.03.26
コメント(11)
今日もバネ指は絶賛継続中です。親指の関節が滑らかに動かず、曲げるのも伸ばすのもカックンカックンとまるで機械仕掛けのよう。力を入れると痛いし、左手で助けてあげないと親指が曲げ伸ばし出来ないときもあります。あ今日もスマホ入力は少ししんどいので、仕事場のパソコンで打ちました。ブラインドタッチだと、タイピングには右の親指ってあまり使わないのです。むしろマウス操作の時が痛みます。というか、仕事中は、それよりボールペンを握るのが一番きついです。ベトナム旅日記、遅々として進みませんが、今回は三日目の遅めのランチのことを書きます。クチトンネルのオプショナルツアーが終わり、前日と違ってランチはついていないツアーでしたので、ホーチミンに戻って遅いランチです。ツアーのガイドさんが教えてくれた中からWくんが選んだバインミー(ベトナムのサンドイッチ)のお店に行ってみようという事になり、お店の前でバスを降ろしてもらいました。お店の名前はBanh Mi Nhu Lan (バインミーニューラン)。かしこまったレストランではないけれど、店内にテーブルがあって座ってお食事できるお店でした。左の上がガイドさんのおすすめ料理のメモ by Wくん。右はお店のメニュー。読めませんけど。中段は多分春巻きと野菜(というか草っていう感じ)にベトナムのハム、ソーセージみたいなもの。下段の左がお店の名前にもなっているバインミーです。一本を半分にしたもの。飲み物はやっぱりビールでした。選んだのかこれしかなかったのか忘れたけれどこの日もサイゴンスペシャルです。注文したお料理です。みんなでシェアして戴きました。どれが何というお料理でどんなものだったか、よく覚えていませんが、多分ガイドさんのメモにあったものだと思います。どれもお野菜たっぷり、あっさり味で、美味しかったです。ベトナムはフルーツの種類が多くて美味しいし、スイーツもほとんどのガイドブックでそのページが設けられてるくらい美味しいというので、絶対食べたいと意気込んでいたのですが、その前に誰かがこれを2個ずつ注文していました。ストローが刺さっている方はココナツジュースで、こちらはイマイチでしたが、もう一つの方は、刳り抜いたヤシの実の中にプルンプルンのナタデココみたいなのが縁までいっぱいに詰まっていて、まず見た目でテンションが上がりました。味も美味しくて、これは正解だったと喜んだものの、見た目よりずっとボリュームがあって、みんなで分けて食べたのに別腹のスペースもなくなってしまい、他のスイーツは諦めました。このお店も、ガイドさんが推薦するあって大繁盛でしたし、なかなかの有名店らしいのですが、安くてサービスも早く、親切だし、お料理の味も良くて、ホーチミンのお店の評価がまた上がったねえと話しながらのんびりホテルに戻りました。
2024.03.25
コメント(11)
右手の親指がばね指になって3週間くらい経ちます。ここ数日、痛みが強くなっているし、動きもすごく悪いです。力も入らないので、何をするにも不自由です。わたしはブログをスマホで書いていて、入力は人差し指ですが、親指にも力がかかっていたことがこうなってわかりました。ここまで書いただけで、親指が少し痛むくらいです。長いベトナム日記を入力したり、写真の編集をするのはちょっと辛いので、今日はブログをお休みします。
2024.03.24
コメント(10)
昨日書いたように、クチトンネルはベトナム戦争の戦跡です。わたしと同じくらいの世代の方ならかこのクチという地名に覚えがあるかもしれません。クチには南ベトナムゲリラ軍の基地がありました。この辺りが「鉄の三角地帯」と呼ばれるほど難攻不落の基地で、手を焼いたアメリカ軍は枯葉剤を撒いてジャングルを消し去ろうとしたり、農民をゲリラとして殺したり、それが世界に知られることになり、アメリカ国内でもベトナム戦争に反対する声が上がることになった、そんな土地でした。南ベトナムゲリラ(ベトコン)は、地下トンネルでアメリカ軍に対抗しました。全長200kmを超えるこのトンネルは単なる通路ではなく、基地であり、生活空間でした。ゲリラたちの半数はこのトンネルの中で暮らし、半数がジャングルに身を隠して暮らしていたそうです。なのでアメリカ軍にトンネルの位置を特定されないよう様々な工夫をしていて、その一つが有名なこの出入り口です。人間1人がギリギリ立てる大きさの穴で、蓋は上に土や葉っぱなどをかけてカモフラージュされています。入る時は、肘が引っかからないように両手をまっすぐ上に伸ばして蓋を持ち、膝を曲げていきます。蓋がピッタリハマったら手を離すそうです。他にも、槍のような刃を並べた落とし穴や色々な罠が仕掛けられていてアメリカ兵を苦しめたそうです。トンネルの中には調理場や作戦会議室、倉庫などもあり、作業場もあって、ゲリラたちはそこで不発弾を解体して手に入れた金属でそれらの武器を作っていたそうです。わたしが聞いた説明では、ゲリラはカーキ色の服を着ていて、黒い服を着ているのは農民だとのことでしたから、これはクチの農民の人たちがしていたことなのかもしれません。米軍が放置して行ったものか、戦車なども置いてありました。トンネルのごく一部が保存されていて、中に入れるようになっていました。狭くて低くて、ここで生活するのはチョットと思ってしまいました。右上の写真は日本製のタイヤから作られたサンダルで、鼻緒が変な向きについています。それを履いて歩くと足跡の前後が逆になって、跡を辿られないように考えられたそうです。こうして見てくると、1955年から20年間もこうしたことを続けて、大国アメリカに抗い勝ちを収めたベトナム人に敬意すら感じてしまいました。最後に、ベトコンの人たちがお昼に食べていたという蒸かしたキャッサバ芋を食べさせてもらいました。ほとんど全部食べてしまった後でごめんなさい。砕いたピーナッツを混ぜた塩をつけていただきました。ほんのり甘くて、決して不味くはありませんでしたが、トンネル内に調理場があったと言っても、お料理というのはこの程度のものだったのかなと思いました。それから戦争当時の映像を見ました。プロパガンダフィルムなのですけど、若い人たちが歌ったり踊ったりしているところとか、単なるプロパガンダではない当時の日常の貴重な記録と感じました。これでトンネルツアーは終わり。1時間半かけてホーチミンに戻りました。そうそう、この日は、枯葉剤で消滅してしまった元ジャングルに再生した(植えられた?)木々の間を歩き回りましたので、たっぷり虫除けスプレーをまぶして出かけましたが、やはり虫はほとんど見かけませんでした。あ、もう一つ書き忘れました。クチでは、有料で実弾射撃の体験ができます。わたしは近寄りませんでしたが。
2024.03.23
コメント(10)
ベトナム3日目もオプショナルツアーを申し込んでありました。前半のメインはベトナム戦争の記憶を残す史跡クチトンネルです。ツアーではクチに着く前に障害者の方が手工芸品、主に漆製品を製作しているという施設を訪ねました。ベトナム戦争当時散布された枯葉剤の被害者の方もおいでになるとも聞きました。施設に入るとすぐに説明があり、作業の見学ができます。板に漆を塗り、砕いた貝を図柄に合わせて嵌め込んでいき、何度も丁寧に磨きをかけます。緻密な作業を丁寧に行われていました。未完成ですが、完成に近い作品です。さらにしっかり磨いて、商品として陳列します。こうした壁掛けのほかに、器や花瓶なども並んでいました。お値段は、まだ計算がうまくできなくて正確にいくらなのかはわからなかったものの、そこまで高くはないようなかんじでした。なので、超工芸品ラブ❤️なわたしとしてはmamatamさんへのお土産に買う気満々だったのに、綺麗な作品がたくさんありすぎて集合時間になっても決めきれず、後ろ髪をひかれながら集合場所に急いだのでした。ちなみに、後でいろんなお土産屋さんとか空港の売店とかでもここのと似たような商品をたくさん見かけましたが、ここで売られていたのが一番品物が良かったような気がしました。この漆工芸品と言い、生ローヤルゼリーと言い、ベトナムの旅のお土産には「失敗!残念!」が多いです。それも、買えば良かった、残念!の失敗。これって、むしろ買って失敗より悔しいものですね。さて、ここからまたしばらくバスに乗ってクチに行きます。「ベトナム戦争の記憶に触れる!ホーチミンから北西へ約70km場所に位置する、クチ。ベトナム戦争当時、「鉄の三角地帯」と呼ばれ難攻不落といわれたこの街を支えたのは、全長250kmに及び地下にはりめぐらされたトンネルでした。VELTRAのツアーでは、現在も一部残されたトンネル内部や、当時の生活が再現された場所を見学することができ、ベトナム戦争の歴史に肌で触れるこができます。」旅行会社ベルトラのオプショナルツアーのページでは、こんなふうに説明されています。その様子は明日ご紹介します。
2024.03.22
コメント(9)
春のお彼岸なので昨日はお寺にお墓参りに行ってきました。実家と婚家のお墓の両方が同じお寺にあるのはすごく便利です。雨が降りそうだったのでお昼雨に急いで出かけ、急いで掃除とお詣りをして帰ってきたら、雨がぱらつきだしたのは家に着く直前。ラッキーでした。でもすごい風で自転車がとばされそうでしたよ。そして今朝、大谷選手の専属通訳の水谷一平さんが解雇というニュース。どうやら違法な賭博に関係していたらしく、その掛け金(の一部?)日本円にして6億円以上が大谷選手の預金から支払われていたらしいということも。水谷さんは翔平は何も知らないと言っているそうで、横領の疑いもあるのかも。お仕事だけじゃなくプライベートでも、信頼関係で結ばれているベストパートナーという印象でしたから、大谷選手はさぞショックだろうと思いました。でも、先日結婚され、こんな時にしっかり支えてくれる本当のパートナーができていたことは不幸中の幸いでしたね。さて、旅日記を続けましょうか。2日目からなかなか先にいきませんが、昨日書いたランチの楽しそうな写真が一枚見つかったので貼り付けておきます。外の景色がジャングルっぽくて良いですよね。ガイドさんが写してくれたので8人勢揃い。なので、ギュウギュウです。ご飯を食べて、ミトーの船着場に戻ってきました。メコン川の川幅って2kmとか3kmとかあるんですよ。そうそう、クルーズに出る前に刺激臭にゲホゲホ言いながらみんなでもう一度虫除けスプレーをかけたのですが、乾季でボウフラがわかないのか蚊の姿は見ませんでした。kopandaさん、ヒルもわたしたちが歩いたコースにはいなかったみたい。感染症も特には注意されませんでした。ホーチミン市内でも蚊はいませんでしたよ。最近海外旅行に行ってトコジラミを連れて帰ってきちゃう人が増えているなんてことも聞いていたので、ベッドにも、念のため持って行ったそれ用のスプレーを撒いたりもしましたも。でも、蚊以外で気をつけるように特に言われていたのはお水でした。みなさんよくご存知と思いますが、それは水(水道水)を飲まないだけでなく、生野菜や(水道水で洗ってその水ががそのまま残っている可能性があるから)、飲み物に入っている氷も要注意ということでした。わたしの友人に、中東に旅行に出掛けて、ピロリ菌に感染した人がいましたが、原因は野菜サラダ以外考えられないと言っていました。とにかく、水道の水であっても、そのままで飲み込んではいけないということなので、入国後2日ぐらいは、歯磨きは?うがいは?洗顔は?とやたら神経質になっていました。だんだんそこまで気にしなくて良いか?になりましたけど。とは言え、一見綺麗な水道水ですらそうなのですから、いくら蛍が住むと言われてもあのメコン川の水には手を触れないようにしましたし、もちろん口に入れる気にはなれませんでした。話がそれましたが、2日目は17時頃にホテルに戻りました。最高気温35℃のこの日、日本の夏に比べれば湿度はずっと低くてカラっとしてはいるものの、暑いのは暑かったので、少しホテルで体を休めてシャワーなども浴びてから、ロビーに集合、幹事のNくんが調べてくれたレストランに晩御飯を食べに行くことになりました。行ったお店はホアンイエンという春巻きレストランです。有名店らしいです。大きなテーブルにお皿を並べ、その前に家族や友人がぎっしり並んで好きなお料理を、好きな調味料で味変して賑やかに食べるというのがベトナム流だそうです。わたしたちが選んだお料理は生春巻きと揚げ春巻き。生春巻きの脇の四角い小皿に赤いものが載っていますが、これ、唐辛子です。辛いものラブな女子が端っこを一口噛んで悶絶していました。わたし?もちろん手も触れません。あげはるまきのわきにたくそんの草?葉っぱ?が盛ってあるのは、これから出てくるスープ類に好きなだけ入れて!というハーブです。そして一番下はベトナムのビールです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ベトナムで最もポピュラーなビールは333(バーバーバー)という銘柄ですが、このサイゴンスペシャルも良く見るビールです。写真一番上の「ビアサイゴン チル」、これもキリッとして美味しかったです。その下のピンクっぽいものは紫芋のスープで、このお店の人気メニューだそうです。付け合わせのお漬物、奈良漬みたいな味で美味しかったです。誰かがご飯が食べたいというので頼んだら、丼どころか大きなボールみたいな鉢に山盛り出てきました。長粒米なのだろうけど、甘味もあって、不味くなかったです。一番下はフォー。野菜たっぷりのスープと麺が別盛りで出てきました。このスープも優しい味で美味しかったです。フォーはベトナムの素麺って感じ。他にも食べたと思うのだけれど、写真を撮り忘れ、メモも忘れました。このお店はホテルまで歩いて5分くらい。みんなで回り道して夜のホーチミン見物しながらかえりました。ホーチミンの満月。あちこちのビルがライトアップされて綺麗。ベトナムの人たちはお花とかキラキラとかが大好きみたい。あちこち綺麗に飾りつけられていましたね。ホーチミンには日本のコンビニも結構あって、この晩はホテル近くのサークルKに寄り道、20,000ドン(!)の某アイスを買って帰りました。
2024.03.21
コメント(12)
ハチミツ農場の島の見学を終えてクルーズ3艘目の手漕ぎのボートに乗り込みます。一艘に4人ずつ乗った乗客に円錐形の編笠が手渡されました。ノンラーと呼ばれる笠です。降りる時に回収されて使いまわされるため、ビニールがかけられていたりしました。絶えず川底から巻き上げられる泥で水は濁っていますが、蛍も住むという綺麗な水を進んでいきます。希望すれば櫓を握らせてくれます。NHKのネイチャー番組のスタッフに入ったみたいな気分でした。運良く乾季の旅だったおかげで一日中この青空でした。のんびり進む手漕ぎボートを、本当にいろんな表情で迎え送ってくれます。この後ランチが待っているということで良いところで折り返し、元の船着場に戻ってきました。テーブルが少し狭すぎましたが、8人分のランチです。奥の方にあるまん丸いものは揚げたお餅です。隣はスープでその隣はエレファントイヤーフィッシュというメコン川の魚を丸ごと揚げたもの。身を外して野菜や調味料と合わせて春巻きの皮で巻いていただきます。これはこの辺りの名物料理だそうで、テーブルの4辺に可愛く並んでいる丸い容器に入っているのが調味料です。お醤油(多分魚醤)とか、タマリンドとか、あとはなんだか忘れましたが甘辛しょっぱい酸っぱいでした。手前の左はなんだか忘れましたが、真ん中は炒めたご飯。右は空芯菜の炒め物です。手前の半円形はバインセオ、お好み焼きみたいな感じです。この後、生春巻きとか揚げ春巻きとかも出てきました。フルーツはスイカ。美味しかったです。この波止場食堂みたいな感じで、実はお味には全然期待していなかったのですが、どのお料理も期待以上のお味だったんですよ。もう、ほとんどびっくり!ベトナムのお料理は出汁などはしっかり効いていますが、基本あっさりした味付けで、日本人にはかなり馴染みやすいお味と思いました。テーブルに並んだ調味料で、甘辛塩酸を自分の好みの味に味変していただくのが普通のようです。食材も、お肉(牛豚、鶏)、海鮮に川魚、お野菜と、とっても豊かで、何よりフルーツがめっちゃ豊富で美味しいのが女性には嬉しいポイントです。この日のランチは、幹事のN君からまだクルーズもあるのでビールは控えめにとくぎをさされたのにみんな好きなだけビールをお代わりして、ご機嫌で終了。そのあとは、いわどんさんお待ちかねのワニさんとのご対面です。メコンの鰐は小さめな気がしました。わたしと同室のYちゃんがワニさんの餌やりにチャレンジするというので、(釣りしてるんじゃありません)写真を撮っていたら、わたしの傍に立っていたおじさんがベトナム語でなんか言っています。はい?と聞いたら、good!good!とニコニコしなが、口に指を当てて美味しいのジェスチュア。下手な映画で、美味しいの?ワニが?と聞くと、ウンウンと、あちらも下手な英語で、チキンみたいな味だよ。最高だ。ですって。参考までに承っておきました。近くにはナマズの養殖池もあり、餌をやっている人がいましたが、すごい食欲で、コ、コワイ。これも美味しいと言われましたが、いやー、これ食べるの?うーん、考えておきます。そんなこんなで島を後にします。大中小と乗り継いできた船を反対に中→大と乗って帰ります。あ、どうやら写真がこれ以上入らないみたいです。今日はこの辺で、続きはまた明日。
2024.03.20
コメント(10)
ベトナム旅行記のつづきをアップしたらなぜか2月19日分となってしまいました。編集で日付を変えようとしたのですが、一旦アップした記事の日付を変えることはできないようです。それならと、ここに全文をコピーして今日の日付でアップしようと思ったのですが、スマホだと記事全体のコピーは無理みたいでした。こんな感じの記事です。時間のある時にパソコンで編集します。今はとりあえずリンクを貼っておきますので、よかったらこちらも読んでいただけたら嬉しいです。
2024.03.19
コメント(4)
タクシー騒動やら、C子さんのお部屋の移動やら、セイフティボックス騒ぎやら色々あって、ベトナム最初の夜は気づいたら日付けが変わって現地時間の午前1時でした。でも体感は日本時間の23時ですから、体力的にはまだ余裕。とはいえ翌日はリアルジャングルクルーズの「メコン川クルーズ」でロビーに7時半集合ですから、身支度をし、朝ごはんをたべるには6時には起きなくてはなりません。日本時間なら4時ですから、これは大変!と、アラームをセットしてYちゃんとシャワーを交代で浴び、就寝しました。セイフティボックス、電話、テレビと御難続きでも、建物は古くても、お部屋は清潔だし、熱いお湯がたっぷり出るシャワーがあり、トイレのお水もきちんと流れて、空調もしっかり効いたホテルはアラームが鳴るまで安心して休ませてくれました。2人ともスッキリ目覚め、落ち着いて身支度。事前情報では蚊が媒介する伝染病(デング熱やマラリア)に注意ということで、日本で季節外れの虫除けスプレーを探して買って来ましたので、まずはお互いに掛け合って対策その1終了。一階というかG階ロビー裏の朝食会場に。あら、皆さんすでにお揃い! HPから拝借こんな風にパン、飲み物、ヨーグルト、フルーツ、おかずなどが並べてあるので自分でお皿に取り分けます。その日の朝ごはんはこんな塩梅。右にある丼の中身はフォー(米粉を使ったベトナムの麺)です。お部屋の隅に屋台みたいなのがあってお願いするとサッと作ってくれます。麺が日替わりで美味しかったです。コーヒーはベトナムコーヒー。ベトナムは世界的なコーヒーの産地ですが、普段わたしたちが飲んでいるのとは品種が違うそうで、インスタントコーヒーのような苦味の強い濃いコーヒーでした。さすが熱帯のホーチミン、バナナやドラゴンフルーツなどの果物がとても美味しかったです。あまりのんびりはしていられないのでそこそこで切り上げてお部屋に戻り、荷物の確認をしてロビーに。バスの乗車時間が長いので、持病持ちの高齢者であるわたしはマスクも装着。対策その2も完了です。待つほどもなくなくバス到着。ベルトラ(VELTRA)という現地の旅行会社主催のオプショナルツアーで、永長寺というお寺を見学してからメコン川へ。メコン川へはホーチミンからはバスで2時間ほどだそうで、早速出発です。ホーチミン市内にはフランス植民地時代に建てられた、西洋風の古いけれど美しい建物が何棟もあります。もちろん今風のビルもあります。そういえば、昨日の記事にクマタツさんからいただいたコメントは、「ベトナムは今もばっちょ笠をかぶった人が町中あふれているのでしょうかね。」でしたが、この写真に小さく写っている人たちの姿を見ていただければお分かりの通り、あの特徴的な笠を被った人はホーチミンでは1人も見ませんでしたよ。それと、ここに写っている白い車体のVINASUN TAXIは、乗っても大丈夫なタクシーなうちのひとつです(これはガイドブックにも載っているし、ガイドさんも断言したので間違いのない情報のようです)。車体の色とドライバーさんが皆制服を着ているのがOKの印だそうです。サイゴン川のほとりには、こんな超現代的な眺めの一角があり、市の中心部を離れると、立派なタワーマンションなどもありました。市街地から出ると田んぼや果樹園の続く田園地帯で、さらに離れると崩れかけた廃墟のような建物に洗濯物が干してあって住宅とわかるものや、小さな間口の外にたくさんの商品の並べられた古びた商店などが増えて来ます。道路に面したお店だか住居だかわからない建物の前にテーブルと椅子が置かれ、その前では必ず男の人(たち)が飲み物を前にタバコを吸っています。ツアーの日本語ガイド、ドゥックさん曰く「ベトナムの女の人はよく働くけど、男は働かない」そうです。でも、ツアーバスのドライバーさんも日本語ガイドのドゥックさんも男性だし、ホーチミンでもたくさんの男性が仕事をしていました。わたし自身、旅行という短い期間の中でしたが、ベトナムの人はよく働くし真面目と感じる場面に何度も出会いました。ただ、道の両側に植えられた木には綺麗な色のお花が咲き、ココナッツやマンゴーらしい実が生っているのが走るバスの窓から見えるし、お米も大した手をかけなくても1年に3回収穫できるというし、そんな恵まれた気候のおかげで、一生懸命働かなくても最低限生きていくことはできてしまうものだから、向上心の強い人、出世欲のある人とそうでない人とで、生き方に大きな違いが出るのかもしれないと思いました。お店や市場の多くのスタッフには英語はもちろん日本語を上手に話す人も多いですし、この日の日本語ガイドのドゥックさんなんて、日本に来たことは一度もないそうなのに、日本語でジョークや流行語まで言うし、ベトナムの歴史を日本語で説明できちゃうほど、日本語が上手なのです。頑張り屋さんが多いのじゃないかと思います。さて、観光です。バスはまず、お寺に到着しました。永長寺です。1849年に設立され、この建物は1907年に改築された、割と新しいお寺ですが、永長古寺という額がありました。この建物も、かつての宗主国フランス建築の影響を受けているそうです。これ、ブーゲンビリアだと思うのですが、この木、源平咲きなのです。珍しくないですか?時間がなくて、歩きながらだったのでこんな写真しか撮れませんでしたが、写真を拡大するともうすこしはっきりわかると思います。境内にはたくさんの仏像が置かれていました。この弥勒菩薩像は、ようやくお座りできるようになった孫の後ろ姿にそっくりで、思わずシャッターを切ってしまいました。このお寺の見学に充てられた時間はとても短くて、今思えばかなり残念でした。おそらくメコン川でのクルーズに組み込まれたランチをあまり遅くはできないので、お寺見学の時間が端折られたのかもしれません。もう少しじっくり見たいところがまだまだたくさんあったので、クルーズの後お寺に寄ってくれたら良かったと思いましたが、本当に残念至極、ここはチャチャっと一回りしただけで、バスはクルーズ船の乗り場のあるミトーに向けて出発しました。ミトーに着けばいよいよメコン川クルーズ。そのお話は、次回に。
2024.03.18
コメント(11)
先ほど、珍しく夫がドラマを観てると思ったら、NHKの日越外交関係樹立50周年記念ドラマ「ベトナムのひびき」でした。あまりテレビを見ないわたしなのに、ベトナムの旅から帰って来て以来、ふとテレビを見ると「ベトナム関連の番組が流れている」率がとても高いのです。何か訳があってベトナムが取り上げられる機会が実際に増えているのか、そういうわけではなくただの偶然なのか、もしかしたらわたしの気のせいなのかわからないけれど、不思議な気がしています。それらの番組を見て「あ、そうそう、懐かしい!」と感じることと、逆に「へえ、こんな所もあったの?見たかった(行きたかった)なあ!」って思うこと、どちらもありますが、今日のドラマでは、ベトナムの交通事情のことを思い出しました(ドラマのテーマは音楽で交通事情ではありませんでしたけど)。わたしが知っているのはホーチミン市だけですが、公共交通機関が少ないため、移動手段にバイクを利用する人がすごく多くて、自動車も少なくはありませんがバイクの台数たるや半端ではありませんでした。それも2人乗りは当たり前、3人乗りも普通、4人乗りも結構いました。わたしが見た最高人数は子供3人とご夫婦らしい5人乗りでした。ホーチミン滞在中のわたしたちの移動手段は、観光(現地ツアー)の時はバスでしたが、どこでもたくさんのバイクに囲まれて走っている状態でした。みなさん(特にバイクは)結構奔放な走り方だけれど、都市部はもちろん郊外でも、車もバイクもそこまでのスピードは出していなくて、だからあまり事故も多くはないかもと思いました。実際にはバイクの事故は時々あるらしく、大丈夫?大丈夫?と確かめ合って、お互い無事と分かれば、OK、じゃあねで終わるみたいだと、帰って来てから読んだどなたかのブログに書いてありました。そのおおらかな感じは、彼の地に滞在中、よく感じていたように思います。例えばバスで移動中も徒歩での移動中も、とにかく日本では考えられないほどクラクションの音が聞こえて、それは、日本だったらそこらじゅうで小競り合いや喧嘩が起きていそうな勢いですけど、そういうことはなくて、思い返してみると、ベトナムのクラクションには緊迫感?イライラ感?みたいなものをあまり感じなかったような気がするのですよね。危ないだろっ!!というクラクションじゃなくて、あぶないよ〜♪なクラクションという感じ。市内では歩いて移動でしたが、街中もあまり信号がなくて、でも車もバイクもそこそこ多いので、歩行者は横断したくてもボーッと立っていてはいつまでも道を渡れません。だから最初は緊張して、恐々、間を空けないように塊になって小走りで渡っていましたが、そのうち慣れてくると先頭の人が車の隙間を見つけて渡り始めたら、続く人は車やバイクのドライバーを見ながら手で止まってねと合図をしながら、結構悠々と渡るようになっていました。すると車は止まってくれるし、バイクは止まりはしなくても避けながら走っていきます。きっと元来優しくて、細かいことを気にしない国民性なのかなと思います。何しろ、種を蒔けばほっておいても年に3回お米が実るといい、道端では椰子やマンゴーの木に実が生っているお国柄ですから。でも20年以上にわたって大国アメリカに屈せず戦い続け、最後には勝ちを収めた人たちです。その根性、気力は侮れない、決して侮ってはいけない人々でもあるのでしょう。それは、ベトナム戦争の戦跡のあるクチを訪れたオプショナルツアーでも、強く感じたことでした。余談が長くなりました。次回は旅の2日目のお話に戻りますね。
2024.03.17
コメント(12)
1日目、2時間の時差が頭から抜けていたわたしはホーチミンに夕方到着すると思い込んでいたのですが、飛行機が1時間も遅れたこともあって、ホーチミンに着いた時はもう真っ暗でした。わたしたちはホテルまでの送迎バスを予約していたので、空港ビルの外でガイドの方と合流しました。ところで、この旅行には、全ての予約が済んでから参加を決めたメンバーが一名いて、幹事のNくんと彼女自身の頑張りで、往復の飛行機やホテル、オプショナルツアーは皆と同じものをほぼ同じ金額で手配できたのですが、空港とホテルの送迎バスだけは人数追加のOKが取れないまま現地入りしていました。幹事のNくんは、空港に着いてから送迎バスのドライバーに交渉すれば問題ないはずと言っていたし、実際、ガイドの人も最初は追加OKと言ったので全員でバスの乗り場まで移動したのに、乗車という段になって人数の変更はできないと言い出し、結局、彼女と男子メンバーの1人がタクシーでホテルに来ることになりました。送迎バスがいくつかホテルを回ってホテルに着いたのは現地時間で23時近くなっていました。タクシーの2人はもう着いているかと思いましたが、ロビーにはまだいなくて、チェックインが済んでも姿を現しません。1人はロビーに残り、他のメンバーは部屋に入って荷物を片付けながら、2人を待つことにしました。最初に申し込んだときは女子が3人、男子5人でしたので、その女子3人は同室で、広めのツインにエキストラベッドを入れた3人部屋でした。部屋に入って先ず貴重品をセイフティボックスにしまおうとすると、扉が開きません。背面に書いてあるロック解除の方法を何度試してもダメ。フロントに行って事情を話すとおじさんが来てロックを解除してくれました。日本語も英語もダメらしいおじさんは、扉を開けてからまた閉め、背面の注意書きを指さしてOK! OK!と言いながら出て行きました。では、改めて、収納!と、扉を引くと、ロックしていないのにやはり開きません。どうしようと言っていたら、少し前に到着していたタクシー移動のEちゃんが取り敢えず荷物は置いたけど、部屋が気持ち悪いと言ってやって来ました。お部屋はツインだというので、C子さんがその部屋に移ることにして、荷物を持って移動、なんてしているうちにセイフティボックスのことは忘れてしまいましたが、貴重品は翌日からEちゃん達のお部屋で預かってもらうことにしました。その後、EちゃんとC子さんの部屋に電話をかけようと受話器をあげると発信音がせず、電話死んでる!とわたしがいうと、テレビのスイッチを入れたYちゃんが、こっちも壊れてるかも!見れば画面は白黒の砂嵐。時間も遅いから放送終了かもと言ったものの、翌朝も同じ画面で、やっぱり壊れていました。翌朝、フロントにそう言って修理をお願いしてから出かけましたが、戻っても修理はされていませんでした。Yちゃんと交代でシャワーを浴び寝支度を済ませたころ、EちゃんとC子さんがまた私たちの部屋に戻って来ました。Eちゃんはタクシー移動の顛末をみんなに話さずにはいられない!様子です。彼女はバスには乗れないだろうと思って出発前にホーチミンのタクシー事情をしっかり調べて来たそうです。一番安全に安く(ボラれずに)ホテルに着くにはどの乗り場でどこの会社のタクシーに乗ると決めていたのに、相棒は彼女がダメ!と言ってるのに耳を貸さず手近な乗り場に停まっていたタクシーにさっさと乗り込んでしまったそうです。なんとか乗る前に金額だけは取り決めたそうですが案の定遠回りされて、ココ!って止まったら、最初に行ったのより高い金額を言われ、彼女がノーノー!と叫んでいるのに横を見ると相棒はお札を数えてる。何してるの?って思ったら彼は最初の約束はこれ、でもチップと言ってお札を一枚乗せて渡したそうです。予定より数百円高くなるだけだったので、まあいいかと思ったけど、ドライバーはトランクを開けただけで、運転席に座ってる。これは私たちが降りたら荷物を乗せたまま逃げるつもりだと思って、荷物下ろしてと言いながらホテルの看板を見たらWHITE HOTEL。わたしたちが予約したのはWHITE LOTUS HOTELです。ここじゃない!と言ってるのに、ドライバーは、車は近くまで行けないけどホテルはすぐそばだから降りて歩けというのですって。彼女は相棒に、「待ってて!このホテルのフロントでポリス呼んでもらうから!!」と車を降りようとしたそうです。ポリスはドライバーにも解ったらしく渋々車を出して、泊まるホテルの2、3軒先の角まで来て止めたそうです。そこで再度運賃のことですったもんだした挙句、彼女の予定より少し高いお金を渡して降りて、ホテルまで来たというのです。わたしは知りませんでしたが、もっと酷い目に遭った話もあるそうなので、それで済んでよかったくらいらしいのですが、Eちゃんの憤懣は冷めやらず、ことあるごとにポリス!ポリス!を蒸し返してはみんなの爆笑を誘っていたのでした。ベトナム旅行1日目は大騒ぎのうちにこうして終わりました。
2024.03.16
コメント(8)
今日は取引先が誤って出荷した原料を引き取りに来たいというので、いつもより2時間早く出勤でした。それだけでもわたしには結構な大仕事で、道がメッチャ混んでたあ!と言って約束の時間に10分ほど遅れてG社のKさんが姿を現し荷物を積んで帰られたらもう1日分の仕事が終わったような気分でした。ところが、それは今日という多難な1日の始まりにすぎなかったのです。幕開けは朝確かに持って出たはずのスマホが入れたつもりのバッグの中に無かったことでした。 夫に電話して見つけて持って来てと頼んだのですが、1時間ほどして、夫からスマホが家にないという電話があり、真っ青になりました。スマホケースにカード類を何枚も入れていたからです。スマホを機種変したときに、あまりの大きさと重さに、ストラップ付きのケースに入れて、バッグに入れずに肩にかけるようにしました。その新しいケースはとてもよくできていて、カードが数枚、それぞれの磁気が干渉し合わないように収納でき、そのポケットがボタンやファスナーでいい具合に留まるようになっていたので、すごく安心してカードを納め、とても便利に使っていたのです。肩掛けなので落とすこともないと思っていたのに、今朝は一体どこで無くしたのか、見当もつきません。朝、早起きしてまだ寝ぼけ気味だったし、着いてバタバタ鍵など開けたときにおき忘れたかと工場中探しましたが見当たらず、自宅でも夫がダイヤルして着信音が聞こえないかと家中探してくれたそうですが無かったといいます。とりあえず朝通った道を逆に辿って家まで戻り、落ちていないのを確かめて交番に遺失物の届出をしました。クレジットカードや交通系ICカードを止めたり、電話も紛失届を出したり、いろいろしないといけないので、一旦会社に戻って何からどう手続きをしようかと考えながら、ふと、夫のiPhoneでわたしの iPhoneを探せるはずでは?と思いつき、やり方を調べ始めました。30分以上かかりましたが、ようやくやり方がわかり探してみると、わたしのiPhoneが反応したのです。マップで見るとどうやら自宅の近くです。急いで自転車に跨りマップを辿りました。我が家の周りを見回しても大きなスマホケースが落ちていたりはしないので、家の中の再捜索することにしました。電話をかけながら、着信音が聞こえないかと家中、トイレやお風呂場、箪笥の中まで見ましたがありません。1階も探したけれど無かったと夫は言いましたが、階段を降りて玄関の方に行くとかすかに着信音らしきメロディが聞こえました!音を頼りに見つけたのはなんと靴箱の中でした。朝、まだ半分寝ぼけていたのでしょうね。靴箱を開けて靴と引き換えにスマホを置いて来たようです。なんとか無事にスマホを回収して会社に戻ると、もう13時でした。お昼も食べずな走り回っていたのでお腹もぺこぺこ。買っておいたランチを食べ、ようやく仕事を開始しましたので、当然残業は必至。またまた19時退社コースでした。それにしても一瞬の無意識のおかげで、実働11時間という、お疲れな1日となったわけで、本当にうっかりは恐るべし!ですね。
2024.03.13
コメント(11)
今日も残業して19時も過ぎて夕飯の買い物をしていたら、携帯が鳴りました。見ると、取引先G社のKさんの携帯番号が表示されています。こんな時間の電話、イヤな感じしかしませんが、仕方がないので出てみれば案に違わずトンデモなオハナシ。G社さんからは今朝原料が届いたのですが、明日使用する予定だったものを除けて荷造りしないといけなかったのに、うっかりまるっと全部出荷してしまったというのです。今からでも引き取りに行きたいけど、そういうわけにも行きませんよねって、あったりまえじゃありませんか!G社さんからどんなに車を飛ばしても1時間以上かかります。今からそれを待てと?イヤイヤ、わたしも一応主婦なのでねえ。でも、Kさん、すごく困っています。明日の朝イチで作業を始めないと納期が間に合わないと聞けば、同じ製造業、知らん顔はできません。じゃあ明日の朝早めに会社開けましょうかと、ついつい言ってしまいました。惻隠の情ってヤツです。おかげで明日の朝、8時に会社に行かないといけなくなってしまいました。いつもより2時間早く出ないとなりません。なので、帰って来て急いでご飯を食べて、お風呂の支度をしながら洗濯機を回してできる分だけの洗濯をして、寝支度も済ませました。本当は今日はベトナム旅行記2回目を書く予定だったのですが、ブログを書くのは明日の夜に延期させて戴きます。ということで、今日は早寝します。おやすみなさい。
2024.03.12
コメント(12)
2月に高校同期の友人たち総勢8人で4泊5日のベトナム旅行に出かけました。帰ってきてからすぐにそのうち一人がコロナと診断され、残る7人中5人が体調不良となって、コロナでは?と大騒ぎ。結局体調に全く問題なしだったのはわたしともう1人の女子の二人だけでした。体調には問題なかったとはいえ、わたしも旅疲れにコロナ騒動疲れが被さって、しばらくぐったりでした。会社も土日に続けて3日休暇を取ったので、そちらも帰ってきてからてんやわんやの後遺症が続き、もう今にも力尽きてしまいそうでした。でも、月も変わってもう三月弥生、いつまでもグダグダしてもいられません。そろそろ重い腰を上げて旅日記を書いてみます。4週間近くたってしまってだいぶ記憶も薄れていて心もとないですが、頑張って書いていきますね。怪しい部分は想像で補いながらついて来てくださるとうれしく存じます。では参りますので、よろしくご協力のほどお願い申し上げます。出発は成田空港。2月16日14時55分発のベトナム航空でした。メンバーはそれぞれ自宅で事前チェックインを済ませていたので、空港到着後はみんなのんびり。でも、ベトナム航空の事前座席指定は摩訶不思議で、26Hを指定してモニターにもその座席でOKという表示が一度出たのに、GOのボタンを押したら、座席指定完了22Aって。なんでやねん!他のメンバーは反対側の列(Hの側)を予約していたので、チェックインカウンターに行って座席変更をお願いしたのだけれど、カウンターのお兄さんは日本語話しているにもかかわらずいまいち意思が通じず、座席表も見せてくれなくて埒が開かないので、たかだか4時間、大丈夫と思って、ウェブ予約の座席で行くことにしました。おかげで往きの機内は一切会話なし。朝から装着していったマスクを外したのは、食事と飲み物合わせて20分足らずだけだったので、後にコロナ感染のニュースが飛び込んできた時、初日の感染の可能性は99%ないと確信できたのは瓢箪から駒?の僥倖でした。その食事ですが、写真をお見せするほどのものでもないのですけど、この日は他に何もないのでまあ賑やかしに。お肉とご飯とサラダ、フルーツ。デザートとベトナム風のプチパンです。飛行時間は4時間ほどと思っていましたが、2時間の時差を計算に入れてなかったのと、強風の影響か1時間ほど遅れたのとで、到着したのはなんと7時間後でした。その7時間、わたしは映画も見ず、日本で読む暇のなかったガイドブックを一冊丸々読み切ってしまいました。宿泊はホワイトロータスホテル。バスで送迎があったから迷わず着けたけど、あまりに小さくて目立たないので自力で辿り着くのは❓難しいかも。お部屋は広めのビジホという感じ。バスタブはなくてシャワーだけだけれど温度も湯量も問題なし。古くて決しておしゃれでも美しくもないけれど、お掃除などは丁寧で、タオルもゴミ箱も毎日キレイになっていたし、印象は悪くないです。でも、テレビは映らないし、電話も死んでた。どちらも使わないから許しましたが。許せなかったのは金庫が使えなかったこと。ロックが解除できず、修理に来てくれたけど、係の人がいなくなったらまたロックされてしまって結局使えず、パスポートやお財布は別の部屋のセーフティボックスで預かってもらいました。宿泊費には朝食だけは含まれていて こんな感じに並んだものを自分でお皿にとっていただきます。反対の隅に屋台みたいなのがあって、注文すると温かい麺(フォー)を作ってくれます。これがとても美味しくて、朝ごはん、ポイント高かったです。ちょっとビロウなお話ですが、ベトナムで嫌だなと思ったことはあまりなかったのですけれど、トイレに紙が流せないのは違和感でした。どこのトイレも、ゴミ箱が置いてあってそこに捨てるのです。こればかりは最後まで慣れることがありませんでした。これは、多分アジアのどこにいってもそうなのでしょうね。思い返せば台湾もそうでした。それ以外はお食事も心配したほどの異国感はなく、というかきっとわたしの嗜好に抵触するものが少なかったということなのでしょうが、ほとんどのお食事が美味しかった!ごちそうさまでした!!で終わることができました。そのことはまた詳しく書きますね。
2024.03.11
コメント(12)
またまたご無沙汰でした。3月になったというのに寒い日が続いています。今日も雲ひとつない晴天ながら強い風が身に染みる日でした。月末を挟んで忙しい日が続いており、旅日記も書けていないのに、今日は早くもベトナム旅行反省会が開催されるということで、パスポート受け取り以来2ヶ月?ぶりに銀座に行ってきました。会場はこのショッピングモールの中のこのお店。11時開店というのでその時間に待ち合わせでした。少し早めにおみせのまえについたのですが、もう開店していて、既にほとんどのメンバーが入店して着席していました。コロナに感染した人も疑いだけで終わった人も、揃って皆変わりなく元気で、心配はしていませんでしたがそれでもやはり安心しました。ジジババ集団とは思えないほど大量に飲んで食べて、反省とは名ばかりの馬鹿話。その、あーでもないこーでもないのよもやま話の中で、思いもよらず全員の意見が一致したのは、「この同期生海外ツアーは今回で終わりと思っていたけど、まだもう少しできそうじゃないか?」っていうことでした。次回は、後期高齢者になる頃にと幹事が言うと、残りの全員が異口同音に「そんなに時を空けたら動けなくなる!」。で、次回は来年にでも。行く先はやはり近場でアジア。それならマカオ!バンコク!台南!台中!とまあ賑やかこの上ありません。来年のいつになるかはわかりませんが、またお誘いがあるかも知れません。いよいよ、本腰を入れてお仕事を任せられる後任探ししないといけませんね。
2024.03.10
コメント(7)
全19件 (19件中 1-19件目)
1