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大洲の駅から少しだけ離れたビジネスホテルに泊まり、朝目覚めると愛媛3日目の朝は大雨でした。この日は内子の町を歩く予定で、内子町のボランティアガイドさんと9時30分に内子座という劇場の前でお会いする約束です。なので、伊予大洲駅を8時25分の特急で出発しようと思っていました。内子駅は特急だと伊予大洲の次の停車駅で、10分しかかかりません。前日疲れ切ってビールを飲んでカエルの声がすごいなあと思っているうちに寝てしまったので、余裕の早起き。でも窓の外は土砂降りです。とりあえずチェックアウトして傘を買おうとフロントに降りてコンビニのありかを聞いたら駅と反対に歩いて10分とか15分とか。タクシーを呼んでもらおうかと考えていたら、あまりいいのじゃないけど、返さなくていいのでよかったら使ってくださいと奥から傘を持ってきてくださいました。ありがたやー!何度もお礼を言って駅に向かいました。駅までは5分くらい。駅前に早くから開いているパン屋さんがあるそうなので、朝ごはんはそこで仕入れます。パン工場KISAさん。入ってみると、パンの種類も多くおいしそう。しかもお値段が、えっ???というほどお安いのです。3点選んでトレイに載せてざっと計算すると合計200円足らず。なんだか申し訳なくなって少しお高いアップルパイを追加。これを足しても320円、レジのところにあった野菜ジュースも入れてワンコインでお釣りが来ました。伊予大洲駅のこんな可愛らしいベンチに腰かけていただきました。雨は強まったり弱くなったりしていて、内子駅についた時は小止みになっていました。駅舎の左側は売店兼観光案内所でしたが、まだ開いていませんでした。他に何もない駅前広場にはSLがポツンと展示されていました。何故かはわかりませんでした。また降り出した雨の中をスマホのナビを頼りに内子座に向かいます。早く着きすぎて待ち合わせまでまだたっぷり時間があるので、美味しいコーヒーの飲めそうなお店が開いていないかと探しながら歩きましたが、こんな感じの道。見つけたお店も開店前で、キョロキョロしながらダラダラ歩いているうちに内子座の前についたしまいました。この内子町は大洲市と同じ、木蝋で大変に栄えた町でした。大洲市は貿易で、一方この内子町は木蝋の製造で隆盛を誇った街でした。この内子座はその頃のこの街の賑わいと暮らしの豊かさを象徴する物の一つで、櫓もついた立派な劇場でした。ボランティアガイドさんを待って建物の前でウロウロしていると高齢の女性に声をかけられました。内子座の目の前のお宅にお住まいの方で、雨が降っているから玄関前の屋根のあるスペースに入りなさいと声をかけてくださったのです。内子座のことや、離れて暮らす娘さん、息子さん、お孫さんのお話、日課のお散歩のこと、内子座に来る観光客の方との交流などなど。先日はドイツ人のご夫婦に声をかけられて、スマホの翻訳アプリを使ってお話しされたそうです。その後一緒に撮った写真を送っていただいたとか。そんなお話をしているうちにあっという間に時間が経ち、タブレットを首からかけた熟年の男性が1人で歩いてこられたので、ガイドのFさんですか?と声をかけたら、どんぴしゃり。なんか、まさにボランティアガイドという感じの、優しく生真面目そうな方で、この方のおかげで内子の街の観光も、王座と同様に大変充実したものになりました。ツアーは内子座の内部探検から始まりますが、そのお話はまた明日にでも。
2024.05.31
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今朝、去年お墓を建てさせてもらったお寺に年会費を払いに行ってきました。平日でないと受け取れないというので、会社に行く前に寄りました。行きがけに、通り道で見つけたフェンスに絡ませたお花。それが勘違いの1件目でした。何と思ったかというと、トケイソウ。パッションフルーツが生る、あれですが、よく見るとちょっと違うような。葉っぱを見ると。。。うーん、テッセンかな?ということで、Googleレンズで確認したら、やっぱりトケイソウではなくて、クレマチス。クレマチス・ビオネッタという種類だそうです。満開とこれから開くのとの微妙な違いが面白いですね。そしてもう一つは帰りがけにみつけました。スマホに着信があり、自転車を止めたところに咲いていたのです。もしかして月下美人、かと思ったのです。まだ朝のうちだったし、白だし。でも、調べてみたら、月下美人は夜明けどころか20時ころ咲き始め数時間で萎んでしまうそうです。なので、こちらはクジャクサボテンのようです。よく見るとまだ蕾もいくつかついていて、お家の方はしばらく楽しめそうですね。今日は帰りが遅かったので、旅レポの続きはまた明日書かせていただきますね。
2024.05.30
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臥龍山荘を出て、ガイドツアーの拠点になっている大洲まちの駅あさもやまで歩きます。午前中に見た3箇所でツアーのメインは終了で、あさもやまでは大洲の街歩きです。大洲はこうして観光開発に力を入れ始める前から明治の街並みが残る街として有名で、古くは朝ドラ「おはなはん」のロケ地になったことで話題になりました。明治の面影を残したそのロケ場所が「おはなはん通り」として、観光名所になっています。男はつらいよにもここを舞台にした作品があります。嵐寛寿郎演ずる大洲藩のお殿様の末裔と真野響子演ずるその息子の嫁と寅さんが紡ぐ物語でした。他には東京ラブストーリーや最近のアニメ映画(すずめの戸締り)など。映画すずめの戸締りより(ネットより拝借)大洲城と川、鉄橋、そこを走る列車のコラボがいいと、評判になった場面だそうです。そんな風情ある街並みを通って解散場所まで行きます。あさもやはお土産売り場もあり、バスターミナルにもなっているということで、そこで午後の予定を立てるつもりで、歩きながらガイドさんから街並みの説明やその他の観光情報を仕入れながら行きました。ネットからお借りした写真、左があさもやです。正面テントの奥が事務所で右側はお昼をいただいた分油谷(わけあぶらや)さん。息子からリクエストのあったソラマメの味噌とシイタケオイルは見つからなかったので、しらチョビ(しらすのアンチョビ)などを買い、お昼ご飯です。戴いたのは大洲で最近話題のご当地グルメ「とんくりまぶし」です。四国らしい甘辛い味付けの豚肉とご当地名産の栗を載せたご飯をおひつからお茶碗に盛り分けて、最初はそのまま、次にだし汁をかけてどうぞ、ということで、そのように戴きました。とてもしっかりした味付けで丼だったら持て余したかもしれませんが、出汁をかけると味が変わり、また食べられて、それでも少し残してしまいました(多分若者向けのボリュームです)が、大変美味しく戴きました。お腹がいっぱいになったところで街歩きです。今日は大洲泊まりですから、時間はたっぷり。のんびり行きます。こちらもネットからお借りしました。先ずはおはなはん通りから明治の街並みへ。左は大洲神社への階段。お参りしたかったけれどこれを見たらごめんなさいってなりました。階段の下で手を合わせておきましたよ。右は2軒とも市内に点在するNIPPONIA HOTEL、素敵なのでパチリ。赤レンガ倉庫。という名前のお店なのですが、買い物をしようと入ったら、数分後に出発する肱川の遊覧船(大洲お舟めぐり)に乗れるというので、チケットを買って川まで走りました。走る途中で見た別のレンガ倉庫を必死ででぱちり。帰りがけに地図で確認したら醸造会社さん、パンも売ってたらしい。味見したかったなあ!パン大好きなわたしの呟きです。中段左は肱川の岸に降りる堤防です。すごく頑丈でしょう?この肱川、とんでもない暴れ川だそうで、今でも数年に一度氾濫するとか。チョット見にはかっこいいけれど、よく見るとめっちゃゴツい防水扉(でいいのかしら、なんて呼んだらいいのかわかりません)や水門などがたくさん目につきます。下段はお舟めぐりの船です。船端からパンをちぎって投げたらトンビが取りにきました。一周45分、ゆったりのんびりな時間です。写真を撮るのも忘れていました。おまけですが、大洲のマンホール蓋、きれいでしょ?夏の大洲の風物詩、鵜飼に因んで鵜が描かれています。この後またのんびりあさもやまで戻り、ぐるりんバスという小さなコミュニティバスに乗ってその日の宿に。駅に近いビジホしか予約が取れなかったので、レストランも大浴場もありません。この日は午前午後とものすごく歩いて、この時点でかなり足が痛かったので、お部屋の小さなお風呂ですが、まず湯船につかって脚をマッサージ。その後身支度して一階に降り、フロントでお店を教えてもらって夕飯を食べに行きました。お勧めされたお店はホテルから徒歩10分?15分?の「との町たる井」さんでした。(まだ歩く!)こんな感じのお店でした。わたしより少し先輩らしい女性がこのカウンターでビールを飲んでいらして、1人客のわたしもちょっと心強かったです。せっかく四国に来ているのに和食、お魚食べてないわ〜ということで、戴いたのはお刺身定食でした。お醤油が甘かったですが、後は普通でした。ビールは?飲みたかったのですが、ホテルが割と遠かったし、せっかくなので肘川縁を散歩しながら帰りたかったので、ビールはホテルまで我慢。我慢した甲斐?ありましたよ!肱川の土手を歩いて遠回りして帰ったら、こんなに素敵な大洲城の眺めに出会えました。小鳥の鳴き声をお聞かせできないのが残念!それでね、ほら、空模様がだんだん怪しくなってくるのがわかりませんか?風はどんどん強くなるし、それでもめげずに、土手から看板の見えるイオンに向かって歩き続け、スプリングバレーのシルクエールをゲットしてホテルに戻りました。もう一度お風呂に入ってそれから飲みました。これ、美味しかったです。お勧めです。そしてこの晩は、驚いたことに、カエルの大合唱を聞くことになりました。ホテルは広い道路沿いで、田んぼの真ん中とかではなかったのに。けれど、それもそのはず、翌日は土砂降りでした。なんでも警報級の雨だったらしいです。これでようやく大洲の巻が終わりました。美味しいビールでほろ酔いになり、疲れ切ってぐっすり眠ったmamatamでした。
2024.05.29
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お待ちかねの臥龍山荘です。左は庭園。これらの踏み石もなにやら謂れみたいなものがあったりするらしいです。灯籠だってなんだかいわくありげですよね。そして、素晴らしい表札?のかかった門の手前にちょこっと見えている石積み、これが実はもうすでに圧巻!石積みの中に埋め込まれた丸い鉢、これは石臼だそうですが、月を象徴しているとのこと。臥龍山荘は月や夕暮れに関りのある部分がとても多いのです。そして石積みから木が生えていますよね。これはここにこの山荘を建てるときにここにすでに生えていた木で、それを傷めないように石を組んで石垣を作ったそうです。さりげなく見せながら何と手の込んでいること!上段は母屋の臥龍院、書院造りです。下段はその臥龍院に付属する建物で書庫、どちらも重要文化財です。母屋の部屋です。上段の写真は、邸内に入ってすぐにある清吹(せいすい)の間です。東西南北に四季を表す意匠が施されていて、この欄間は透かし彫りにより水の流れが表現されています。庭からの光が入ることで庭の四季が映し出されます。高い天井には屋久杉が使われ、桂離宮様式と言われるものだそうです。下段の座敷には入らないでくださいという札が立ててありますが、これはこのお部屋に敷かれている畳が非常に貴重なものだからだそうです。一見どこがすごいのかわかりませんが、よく見ると畳の目が極めて細かいのです。素材は普通の藺草だけれど使用量がとんでもなく、これを作れる技術を持った職人さんがもういないそうで、破損や劣化があっても同じものを制作することは二度と出来ないと言われているため立ち入り禁止にして保存に努めているということでした。ところがある時文化財保全の専門家をお招きしたところ、畳は大事にするばかりではだめで、時々は踏んで人間の足の脂を与えてあげないとかえって傷みやすいと言われたと、ガイドさんが笑っていらっしゃいました。こちらは霞月の間。濡れ縁に仙台松の一枚板が使用されるなどここも贅を尽くした作りです。その縁側の木材を留めてある釘、一列に10本ずつ数列打ち付けられているのですが、もちろんこの釘も一本一本手作りです。今その釘を注文すると一本の単価は恐らく数万円だと仰る見学者がいらしたそうです。また、こちらの襖の修復の際、京都の表具店で見積もりをとったところ、襖紙が特注品なので図柄の版を作るところから始めなくてはならず、値段は一本200万円以上、工期も数年必要との回答だったそうですが、運良く愛媛の会社で襖の版が見つかり、そこまでの費用も年月もかけずに修復できたということでした。お茶室です。浴室を改装してお茶室として使ったと聞きました。そして、3棟目の重要文化財、不老庵です。肱川の崖に寄りかかるように建てられており、目の下は臥龍淵という絶景ですが、出入りは写真奥の庭園側から普通に歩いて行えます。お茶したと伺いましたが、明るくて開放的で爽快感のある雰囲気がお茶室とは思えず質問すると、煎茶道のお茶室なのだということで、その違いを知り、また驚きました。これらの建物は、木蝋の輸出で大成功を収めた元大洲藩士河内寅次郎が、京都から職人、工人を招き、10年の歳月とほぼ全財産をかけて建てたものだそうです。こちらもお城同様、記録がほとんど残っていないため、どの部分の何を作るためにどういうことが行われ、どれだけの金額がかかったのかといったようなことが何一つわからないと聞きました。ただ、前述の襖や釘のエピソードから推し測れば。。。もし現在これを建てるとしたら億、それも桁が3桁なのか4桁なのか、もしかしたらもっと?などと下世話な憶測をしてしまいました。これほどの巨額の富をもたらした木蝋というのは、櫨の実を原料とする、いわゆる蝋、和蝋燭の原料になるアレのことで、それがこれほどの富をもたらしたということがとても信じられませんでした。木蝋の産地は江戸時代からそのおかげで大変に財政が潤ったのだそうですが、明治に入ってクレヨン、ポマードやワックスなどの整髪料、化粧品、カーボン紙などの文具、艶出しや防水材、さび止め、減摩剤など広い用途に使われて世界的に需要が増え、しかも日本の木蝋はジャパニーズワックスとと呼ばれてその品質の良さが認められたことで、世界を相手に貿易を行う豪商が生まれたようです。しかし、それほど隆盛を誇った木蝋の需要は、コストの安い石油由来のパラフィンに取って代わられ、また原材料不足もあって、明治40年代をピークとして、大正時代には産業自体がほぼ消滅したということでした。今日で大洲レポートは終わりにしたいと思っていましたが、これだけ書いてもまだ半日分ですので、とりあえず今日はこの辺で切り上げ、明日また続けさせて戴くことにします。
2024.05.28
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大洲城を後にすると、まず目についたのはNIPPONIA HOTELという、古民家を宿泊施設として再生したホテルでした。そこはSADAと名付けられた宿泊棟で、大正時代に大洲城の敷地内に建てられた建物だそうです。このSADAのほかにも豪商の邸宅、料亭、店舗、実業家の本宅、武家の屋敷などの素晴らしい歴史的建造物が修復されNIPPONIA HOTELとなって観光客を迎えてくれているといいます。(HPより拝借。真ん中がSADA。)この古民家再生ホテルは現在市内に26棟あり、客室数は31とのこと。このホテルの存在はわたしも知っていて、とても素敵そうだしお食事やサロンなどの評判も大変良いので、大洲に泊まると決めた時一応チェックはしたのです。けれども、1人でも大丈夫だったし宿泊料も想像した程ではなかったもののやはり高嶺の(高値の)花でした。ガイドさんからホテル開業の苦労話などを聴きながらホテルの前を過ぎ、どこか懐かしいような街並みを見つつ、わたしたちが向かったのは「盤泉荘」という建物でした。明治期に木蝋という耳慣れない品物の輸出で財を成した貿易商が作った別邸だそうです。盤泉荘の石垣です。すごい!ステキ!!と思わずパチリ。その下は玄関とお庭です。こちらは室内の様子。上段は応接室、下段はお茶室と廊下?です。用材は主に松で、あちこちに凝った意匠が凝らされています。この日は有料でコーヒー(お茶菓子付き)がいただけるとのことで、お願いしました。どこでも好きなお部屋でとのことでしたので、こちらのお部屋で飲ませていただきました。お金持ちになった気分をちょびり味わいました。お茶菓子は大洲の名物の一つ、しぐれです。あずきを米粉や餅と混ぜて蒸したものだとか。コーヒーにもよく合い、美味しかったです。こちらはネットから拝借した写真。上段は全景、中段は玄関前のお庭から見た前景、下段は室内です。これが個人の邸宅、しかも本宅ではなく接待用の別邸だというのですから、成したという財がどれほどのものか、mamatamごとき庶民の想像の域を超えています。次の見学先は、「臥龍山荘」。やはり明治の同時期に木蝋の貿易で成功された方の別邸です。山荘なんて言うと、ログハウスのようなものを想像されるかもしれませんが、実はこちらは盤泉荘よりもっとすごくて、邸内に重要文化財に指定された建物が3棟あるというのです。こちらのレポートはさらにさらに長いものになりそうです。今日はいつものお墓参り兼会食にでかけるため、稿を改めてお伝えしたいと思います。どんなすごいもの?早く知りたい!という方はリンクを貼っておきますので、Wikipediaで予習をなさってください。でも、それを読んだら、mamatamのレポートなんていらなくなりそうですが。大洲のレポート、ちっとも終わりませんが、悪しからず。では、また、次回。
2024.05.26
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去年咲いているのを見つけたお宅で、今年も見られました。カルミアです。ほんとは(ネットから拝借)アポロチョコみたいな蕾いっぱいのこの状態で会いたかったのですが、旅行など色々あってバタバタしてたので目に入らなかったようです。こんなお花(東洋蘭?名前がわかりませんが)が咲いていました。季節は春を飛び越えて夏に進んでいるようですが、お花たちは粛々と時を刻んでいるようですね。どれも少し急ぎ足だけれど。旅レポ、今日こそ続きを書きますので、少しお待ちくださいね。
2024.05.25
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今週は毎晩かなり早くベッドに入ってしっかり眠っています。睡眠が足りている証拠に、毎朝、アラームが鳴る前に目が覚めるくらいに早起きです。でも、よほど疲弊し切っているようで、午後になるとだるくてうすら眠くて、夜になればまた早くから眠くなります。昨日はブログアップもせずに寝てしまいました。今日も、まだこれからお風呂に入るので起きてはいますが、写真を整理して文章をまとめる気力が湧きません。より早い回復のために、あと一息、怠けておこうと思います。ここで、おやすみなさいというところですが、一つだけ。今読んでいる本なのですが、この子が可愛くてたまりません。いつものようにガンガン読めなくてゆっくり読んでいるのが良いのか、読めば読むほど、この子がいい子でますます可愛くなるのです。この気持ちを長く味わうためにもゆっくりゆっくり読もうと思います。あ、この子は警視庁に所属しているファシリティドッグのピーボです。警察犬ではなくて、病院で、ってうまく説明できないので、お知りになりたい方は「ファシリティドッグ」で検索してください。では、本当におやすみなさい。
2024.05.24
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歳には勝てないですね。2週間休みなしはやはり堪えたようで、今日は身体に力が入らず、最低限の仕事を片付けて早退。早めに家に帰ってきて1-2時間ゴロゴロしていたら少し元気が出たので、書きかけていた旅レポを仕上げてアップします。大洲に到着したところからですね。でも、この街に来るべき時は本当は今ではありません。それは、秋から冬にかけて。晴れた日の朝、上流の大洲盆地で生まれた冷気が霧を伴って一気に流れ出す珍しい現象「肱川あらし」を見ることができる(もちろん運がよければ、ですが)、それが10月から3月なのだそうです。川霧が町をのみ込み、うねりながら海へと扇状に広がる肱川あらしの様子は、幻想的で息をのむ美しさ。なあんて、講釈師よろしく見てきたような嘘をついてみました。もちろんこの季節に見られるはずはなく、わたしの妄想です。はあ、見たかった!ということでまずは大洲城。とても有名だけれど、実際に見ると端正な姿ながら小さな可愛いお城です。ではなぜ有名か、それをじっくりガイドしていただきました。ここは1994年(平成6年)から10年かけて復元された木造のお城で、四層の天守閣の高さ19.1mは木造のお城としては日本一だそうです。本来ならその規模の木造建築は建築基準法で認められないのですが、建築時の棟梁(江戸時代の人!)が命懸けで自宅の屋根裏に隠していた城の精密な模型や三方向からきっちり撮影された明治時代の白黒写真などの素晴らしい資料が存在し、築城当時の姿を構造まで正確に再現可能という文化的価値が認められて、例外的に建築が許可されたそうです。というのも、昔は築城後は模型はおろか図面を残すことも、内部について記録に残すどころか人に話すことさえ堅く禁じられており、秘密保持のため建設に携わった人たちが殺されることも珍しくなかったので、こうした資料が一切ないことの方が普通だったそうなのです。ですので、今後も、この大きさの城郭が完全な木造で再建される可能性は非常に低いということでした。こちらがその資料。左が明治時代に撮影された写真3枚のうちの1枚、右は発見された建築当時の模型です。復元に使用された木材は全て国産で、全ての木材の産地と提供者の名がパネルに明示されています。小さなお城とはいえ、立派な木組の内部です。再建には、総工費約13億円が見込まれたのだけれど、そのうち5億円が大洲市民の寄付で賄われたんですって。すごい!当時の市の広報紙。右側の中段を拡大すると見える振り込み依頼書、この用紙が各家庭に配布されたとガイドの方が言っていました。寄付すると市民は市民税の控除が受けられ、記念品ももらえたそうです。高額の寄付者は名前と金額を刻んだ額が掲げられていて、さらに驚いたことには、このミニチュア、築城当時の様子を描いたもので、お人形は当時の領民なのですが、近づいてみるとそれぞれに名札がつけられています。この名札に名前を入れてあげますよと別口で寄付を募ったところ、もちろんお人形の数が限られているので、名札の数も限られており、先着順の受け付けだったそうですが、秒で、はないにせよ、とにかくあっという間に定員になったとこれもガイドの方のお話でした。天守閣から出ると、正面に大洲市のシンボル冨士山(とみすやま)が見えました。まさに富士山のような綺麗な形をしているでしょ?でも、ごく低いお山なので、富士山を名乗るのは烏滸がましいと、富の上の点を取ったワかんむりにして、冨士山と書くことにしたそうですよ。お城に巡らされた石垣がとてもいい味出していましたので、思わずパチリ。大洲観光はまだまだこれから山場を迎えるのですが、わたしはここらで一休みさせていただきますね。続きはまた明日。
2024.05.22
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昨日、夫の姉妹が3人大阪からやってきました。昨年の暮れに鹿児島にあった夫の実家のお墓を墓仕舞いして家の近くに移したので、そのお墓参りに来てくれたのです。もちろんいきなり来たわけではなくて、前からの約束でした。夫はいいところを見せたいのか、お金のことも含めて何でもかんでも面倒を見たがります。でも、実際にいろんなことを手配するのはわたし。支払いも、「オレが払う!」と威勢が良いのは予約の時だけで、実際にはお金はわたしの(家計の、ですけど)お財布から出て行き、戻ってきたことはありません。当日のお世話も、計画を立てている時は自分がすると言うのですが、それは2ー3日前までのことで、いつの間にあれもこれもわたしがすることになっています。 今回も前日には担当がほとんど入れ替わっていました。でも、昨日の日曜日、朝10時に家を出て品川で出迎え自宅まで案内するのは、流石に急に言われても無理だとわたしは突っぱねました。仕事を持つ主婦が週末に朝から出かけるにはかなりの前準備が不可欠です。でないと、翌週の生活も体調もめちゃくちゃになります。それでもまだ何だかごねているので面倒になり、それならわたしが行くから、いない間にお花屋さんに行ってお墓のお花を2組4束買って、和菓子屋さんでお茶菓子を5人分買って、5人分のお茶の支度もしておいてねと言ったら、急に行く気になりました。というわけで出迎えは夫が行きましたが、夫がそれ以外にしたのは移動のための車の運転だけでした。それもあーでもないこーでもないのおまけ付き。今日も大阪に帰る3人に、東京駅まで同行して、はとバスに乗るまでアテンドするのは夫だったはずなのに、昨夜、翌朝の段取りを姉と確認するのを聞いていたら、わたしがすることになっていました。わたしは、今日中に仕上げなくてはならない作業が金曜日のうちに片付かなかったので、月曜日は休めないと金曜日から何度も言っておいたのに。姉妹を気遣う優しさはあっても、妻を労る気持ちは毛ほどもないのでしょう。究極の外面人間。東京駅ではとバスに乗るのを見送り、朝のうちにお別れして出社のはずが、お天気が悪かったのではとバスには乗らないことになり、結局お土産の買い物から丸ビル見物、新幹線の改札口までお付き合いしました。改札口に入る時には、良かった、ありがとうと何度もお礼を言ってもらいましたが、東京駅は行くたびに変わっていて案内するのも超緊張、正直疲れ果てました。会社に着いたら14時30分。そこから発送作業をし、残っていた仕事を片付けて、会社を出たのは20時前、さらに疲れて帰宅でした。 というわけで今日は皆様のところへはご訪問できないと思います。悪しからず、ごめんなさいです。
2024.05.20
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5月11日(土)、2日目の朝も快晴です。この日は大洲(おおず)へ移動、宿泊も大洲にホテルをとってあるので、1日たっぷり大洲の街を楽しむ予定です。9時に大洲城前でガイドの方と待ち合わせをしており、7時25分に道後温泉駅発を出て、JR特急に乗り継ぎ、伊予大洲8時45分着の予定なので、7時前にチェックアウトしました。翌々日12日の夜にここにもう一泊するので、キャリーバッグは預かってもらえることになり、とても助かりました。重い荷物がなくなり身軽になって駅まで歩いて行くと、なんと営業しているパン屋さんがありました。ユノマチベーカリーですって。そこでパンを買って特急の中でいただきました。パンのお値段は東京並みでしたよ。駅前では7時を過ぎたばかりなのに、もう足湯に浸かっておしゃべりしている方が。気持ちよさそうです。わたしはこの電車に乗って松山駅へ。松山からの特急はアンパンマン列車でした。車内までもアンパンマンです。もう直ぐ伊予大洲駅、車窓の景色が素敵です。大洲市は観光で町おこしをしようと本気で頑張っているみたいで、観光事業の企画、運営をするための組織も法人化(営利団体)しているらしく、だからお約束しているガイドさんも、街の住民の方ではあるのですけど、他の街と違ってボランティアではないようで、料金も観光タクシーの料金とかに近い感じだし、雰囲気も少し違う気がしました。この日は、大洲城で待ち合わせ、大洲城見学の後、明治時代に「木蝋」の貿易で財を成した方が建てた建築物を二棟見学する予定です。どれも本当に楽しみです。再建された大洲城です。この続きの、大洲での中身の濃〜〜い観光のオハナシはまた明日。ではでは。
2024.05.19
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さて、はらぺこさんは晩御飯です。備え付けの浴衣でのレストランへの出入りはご遠慮くださいとのことで、着替えもせずにレストランに向かいます。1人なのですみっこの小さなテーブルに案内されました。一人分のテーブルセットがされていて、ここで、あれ?フルコースなの?と気づいたわたし。度胸を決めてまずは道後温泉ビールをオーダー。黒ビールでした。ビールと一緒にこの日のお品書きを持ってきてくれました。かぼちゃのムース(なぜか単独)はなかなか濃厚でしっかりした硬さ、なめらかなクリームやバターの風味の中にかぼちゃの味もして、美味しくいただきました。野菜のテリーヌ(下)は、わたしはこの日のお料理の中で一、二を競う味と感じました。お野菜はどれもきちんとお料理されていて、でも濃い味付けはされていなくてお野菜それぞれの自然な味がしっかり残っています。お野菜自体の力強さもあるのだと思います。四国、お魚だと思ってたけど、四国の野菜、侮れないかも。色とりどりのソースもそれぞれ味が違って美味しかったです。冷製コンソメは、ジュレも穴子も美味しかったのだけれど、薬味のカイワレスプラウト?が辛くてわたしはちょっと苦手でした。上のソルベは、お魚とお肉の間に口直しとして出てきました。さっぱりしていて、確かにお口直しにぴったりでしたが、何味だかちょっとわからずでした。パンはまあ普通に美味しいパンでした。上はお魚料理。スズキのポワレでした。そして下はヒレステーキのマデラソース。お肉の味がとても濃くて、マデラソースも程よいコクと甘みで、絶品でした。そしてデザートです。飲み物はなんとなく勘が働いて、珍しく紅茶にしてみたらこれが大正解!とってもおいしくて、レモン入れなければよかったと思いました。デザートはシェフの特製とメニューにありますが、なんだったか忘れちゃいました。美味しかったですよ。そうそう、この日のツインルームは、予約ではセミダブルでした(シングルがないホテルなので)。理由は分かりませんが、グレードアップしてくれたみたいです。で、この日は晩御飯はつけてもらいましたが、翌日朝ごはんの時間より早く出かける予定だったので朝ごはんはないプラン。それで料金は、クーポンを使って税込15,000円弱でした。その料金であのお部屋、このご飯。びっくりですよね。ということで、お腹もいっぱいになったけれどまだ時間も早いので、夜のお散歩に出掛けてみました。ホテルのアプローチ、夜は感じが違いますね。そして駅前へ。駅舎と坊っちゃん列車のツーショット(上)、下の左は駅舎を正面から。下の右はライトアップされた坊ちゃんからくり時計。この後からくりが動き始めました。動画のアップの仕方がわかればお見せできるのですけどねえ、残念!からくりを見てから夜景を見に。神社はもうしまっていましたが、その先に足湯があり、上段右は、その足湯から見た夜の道後温泉です。そして道後温泉本館と三日月の共演です。お月様、実際には大きくて綺麗だったんですよ。頑張って見てあげてくださいね。道後温泉本館はまだ温泉にも入れる時間でしたが、あまり遅くなるのも怖いので、ここで切り上げてホテルに戻り、ホテルの温泉に入って寝ました。ホテルの大浴場入り口です。手前が男性用、奥が女性用のお風呂場です。赤ちゃん用のベッドの場所も配慮が行き届いているなと思いました。温泉は透明なつるっとしたお湯でした。
2024.05.18
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旅から帰って4日も経ってしまいましたので、記憶が少しでも確かなうちに旅日記を書き始めようと思います。何しろ歩いて歩いて歩いた旅でしたので、普段ほとんど歩かない暮らしをしているわたしには予想外に過酷な旅となってしまい、実はまだ膝には湿布を貼って暮らしていますが、それでも体調は少し落ち着きました。旅の初日は5月13日金曜日。まあ!13日の金曜日だったのですねえ!!(ごめんなさい、往きと帰りの日にちをごっちゃにしていました。往きは10日の金曜日でした。)連休明けで仕事がどうなっているか、旅の計画をした去年の秋頃には全然予想できませんでしたので、何かトラブルがあった時に備えて出発は14時55分の便を予約していました。松山空港は16時半頃の予定です。1日目はほとんど夜から始まるような感じになってしまい、多分何もできませんが、それはOKとしました。往きは元気なつもりでしたが、飛行機が動き出した途端にウトウトしてしまったらしく、そのあたりの記憶が全くありません。ふと目を開けたらもう南アルプスらしき山々が見えていました。とても良いお天気で眼下の山がとても綺麗でした。しばらくすると、海と海岸線が見えてきました。瀬戸内海です。まさに多島海です。傾きかけた陽の光を反射して海がとても美しいです。この後、海面がずいぶん近くなったと思ったら、いきなり草原が目に飛び込んできて、あっという間に松山空港に着陸でした。四国初上陸です。リムジンバスで道後温泉に向かいます。初上陸を迎えてくれた新緑です。道後温泉は日本最古の温泉の一つだそうです。道後温泉駅は伊予鉄道の路面電車の駅ですが、こんなレトロで素敵な外観です。駅前を見回すと坊っちゃん列車そして有名なからくり時計。これ、夜8時まで毎正時にからくりが動くのです。わたしも動画を撮ったのだけど、アップの仕方がわからん。残念。で、駅前から少し歩くと、道後温泉本館があります。重要文化財です。旅館みたいだけど宿泊はできなくて、いわゆる温泉銭湯なのです。ただいま修復工事中で、余計なものが写ってますけど、先月までは建物に覆いもかかっていたので、今はまだだいぶマシなのです。何枚写真を撮っても全貌を伝えられた気がしません。ここを通り抜けて、今日のホテルに向かいます。「道後温泉オールドイングランド 道後山の手ホテル」という、長すぎて、正確なフルネームがよくわからないホテルです。山手というだけあって結構な急坂を登っていきます。見えてきました。はい、着きました。中に入るとロビーです。ロビーにワインセラーがあって、見学もできるそうなのだけど、遠慮しときました。エレベーターが二基。ドアと、中のライト、床のモザイクです。宿泊階のエレベーターホール。そして、1泊目のお部屋です。ドアを開けて、あまりの素敵さにぼーぜんとしました。自分で選んでこの部屋を予約したのですけど、それがだいぶ前のことなので、なぜこの部屋だったのか、忘れてしまいました。この広さのツインをシングルユース!って、なかなかの贅沢ですよね。思わずいろんな角度から写真を撮ってしまいました。お部屋だけでなく洗面室やバスも素敵です。ホテルにチェックインしたのは17時半過ぎくらいだったのですが、なぜかお腹がぺこぺこで、すぐご飯にしていただきました。一階ロビー脇ののレストランに行くと、そこがまたとってもいい感じ。外のテラス席では大きなテディベアさんたちがくつろいでいるし、壁にはウィリアムモリスのパネル、別のテラスには可愛いバーカウンターが設えてありました。そして、夕飯はまさかのフレンチフルコースだったのです。なんだかわたし、ものすごいリッチなマダムになった気分でした。まだ1日目が終わっていませんが、長くなったのでここで一旦休憩させていただきますね。
2024.05.17
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旅行からは13日に無事帰宅しました。国内2度目の一人旅、1人の良さを満喫できた旅でした。というか、満喫しすぎて、今はちょっと変。お洗濯と荷物の片付けだけはようやく終わったものの、生活ペースはギクシャクだし、4日も休んだら、頭がなかなかお仕事モードに戻らないし、帰ってきて3日も経つのにまだ疲れてます。足指の押された痛みはほぼ消えましたが、膝はまだ少し痛むし、痛む膝と同じ左のくるぶしから先がなんとなく浮腫んでいるみたいな感じです。なにしろ四日間歩きすぎました。普段2-3000歩しか歩かないわたしの、旅行中の歩数は5月10日はお昼前に家を出たので、その日は半日分ですが、そこからの四日間の旅行中の歩数と、それ以降の歩数、違いすぎますよね。最初の日はまあ良かったのです。泊まったのが道後温泉でしたし、ホテルの温泉にしっかりつかって、翌朝は元気いっぱいでした。翌2日目は16,000歩以上もあるきましたので、流石に夕方にはヘロヘロでした。この日はビジホしか取れなくて、大浴場もなかったのですけど、そのビジホの狭いバスで、夕飯前と夕飯後の2回もお湯につかってしまいました。温泉でもないただのお湯でしたけれど、それなりに効果はあったみたいでした。翌朝、足が元気になっていたのは幸いでしたが、不幸だったのは、朝から雨だったことでした。天気予報では警報級の雨が降るっていうことでしたが、そこまでの雨ではなく、でも結構強く降る時間帯もありつつでしたので、靴もびしょびしょになってしまい、足のダメージはかなり大きかったのです。この日はもう一度道後温泉に戻ってきましたので、有名な道後温泉にはいって、ゆっくり丁寧に足をマッサージしました。けれど、普段の1週間分くらいの歩数を続けて2日も歩いたのですから、だいぶ堪えました。膝も少し痛みましたし、あしも浮腫んでいたらしく、4日目の最終日は靴がきつく感じるほどで、歩くのも痛くて、ちょっと辛かったです。脚は丈夫な方だったのですが、年齢と運動不足、本当に侮れませんね。時間がなく、ウォーキングをする時間がないので、その代わりにシックスパッドのフットフィットプラスで3日に2日ぐらいのペースで歩くトレーニングをしていたのですけど、全然足りてませんでしたね。もっと鍛えないとと、改めて反省しました。
2024.05.16
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去年の春の津和野と萩への一泊旅行を覚えていてくださるブロ友さんもおいでになるかもしれませんが、あの旅は、家を出てから戻ってくるまでずっとひとりという、初めての本当の一人旅でした。始まりは、息子から、消えてしまうマイルがあるんだけど、1人分の往復チケットなら買えるくらいでも良かったらあげるよと言われたことでした。一人旅にはさほどの抵抗はなかったのに、それまでしたことがなかったのは、1人だと夕食付きの宿の予約が取り難いからでした。素泊まりだと、知らない街で、夜、お店を探して、知らないお店でひとりで晩御飯。。。は無理!と思っていました。ビジホとかではなくて食事付きで1人客でも泊まれる宿は中々見付からないだろうし、あってもきっとすごく高いだろうしと想像するだけで終わりだったのです。でも、航空券が無料なら話は別。1人でも泊まれる宿が見付からないか、希望日に予約が取れないか、トライしてみる価値はありますよねえ。そこで、まず、都合の良い時期にチケットが取れる空港をピックアップ、その中から行きたい町を選んで、一泊二食おひとり様OKで、その時期に空いている宿があるか調べました。そうしたら萩が残ったのです。萩に行くなら津和野も行きたいと欲張って出かけた旅は最高に良い思い出になりました。なので、今年もマイル使って良いよと息子が言ってくれた時は、一も二もなく飛びつきました。今度は、結構大冒険です。行く先は四国、愛媛県。松山市と大洲市と、漠然とそんなふうに目的地は決めて、宿の予約だけはしましたが、忙しい忙しいばかりで下調べも何もしないでいるうちにあっという間に1ヶ月前になってしまい、計画は手付かず、旅の予定は何も決まっていませんでした。大まかには松山市は道後温泉と松山城、萬翠荘。大洲市は大洲城と古い街並み。ていうか、それがわたしの知っている全てでした。ゴールデンウィークにしっかり調べてきっちりスケジュールを決めるつもりが、あれよあれよという間に。。。でも少し調べたら、大洲市では地元の市民ガイドさんの案内で街歩きや施設見学ができるとわかったので申し込み、ちょっと遅かったのですが、親切にもOKしていただけました。それを調べている過程で、すぐ近くにある内子町にもガイドツアーがあるとわかり、これも申し込んでみたら大丈夫でした。松山は、申し込み期限が過ぎているとのことでガイドツアーはダメでしたので、着いてからホテルの方に相談して考えようと思います。出発は明後日です。なのに、自分の旅支度も、留守中の夫のあれこれもまだなにもしていないのです。今回は3泊4日なのですけど、明日1日で準備が間に合うでしょうか?不安ですが、まあ、なるようになるでしょう。
2024.05.08
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今日は連休最終日。思えば、前半3連休のあと1日出社し、後半は6連休で、なんと9日もお休みしてました。その間にできたことといえば、初日に整体に行き、後半は血液検査のために採血に行き。。。5連休くらいだったらそれで終わりだったでしょうが、今回は違いました。そのあと一旦ぐだぐだしたものの、四日には昭和記念公園に行き、五日はベッドを動かして模様替えをし、今日六日はずっと溜めていた大物の洗濯をしにコインランドリーに行き、来週旅行に行くのでその下調べを(今ごろ!💦)しました。なんて盛りだくさんなんでしょうと自画自賛。特に、模様替えついでに2階の部屋の床をかなり徹底的にお掃除が出来たことが素晴らしいと実に清々しい気分で自画自賛中です。今日、コインランドリーと自宅で並行して大量のお洗濯をやっつけながらスマホで色々情報集めをした旅行の行き先は愛媛県です。今年も息子がマイルをくれたのでセールの時にチケットを予約したのです。松山市と大洲市を訪ねる予定で、松山は道後温泉、萬翠荘、松山城。できたら坊っちゃん列車にも乗りたいというくらい。大洲は街並みと大洲城を訪ねてみようかという感じの実に大雑把なスケジュールしか出来ていないので、もし、ご存知の方がいらしたら、ぜひ良いコース、素敵なお店、一推しスポットなどご教示くださいませ。よろしくお願いいたします。
2024.05.06
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今の家に引っ越してきたのは2017年7月末のことでした。その時は1階と3階の半分を仕事で使い、2階と3階の半分が住まいということになっていました。でも住み始めて数ヶ月で3階を仕事に使う具合の悪さにわたしが耐えられなくなり、その仕事が本業とは違うものだったこともあってお断りすることにしてを、仕事場は1階だけで、2、3階を住まいとして使うようになりました。60代半ば、まだまだ体力もしっかりあって、2階と3階を行ったり来たりするのもさほど苦になりませんでした。けれど、年を追うごとに3階に行くのが億劫になってきて、ここ2年ほどは3階はすっかり物置です。息子も結婚以来わたしたちの家に来ることはほとんどなくなり、家族で会う時は息子の家かお店に行くようになりましたので、近頃は部屋の用途も、引っ越し当初に考えていたのとはすっかり違ってしまいました。それに、ここ何年かは夫のアレルギーが酷くなってかぶれた皮膚が剥がれるので掃除もすごく大変で、というより家具が壁に押し付けてあったり、隙間なくあった置いてあったりすると掃除がしづらくて、時間がかかるばかりできれいにならず、困っていました。そんなこんなで、このゴールデンウィーク中に模様替えをしたいと思っていて、少なくともベッドの移動だけでもしたいと思っていました。でも、洗濯機の廃棄の時にも階段の造りが悪くて人力で下ろすことができないと書きましたが、実は造りが悪いのは階段だけではなく、この家全体がそうなのです。寝室として使っている部屋は安いビジネスホテル並みの広さで開口部の幅も狭く、家全体が柱ではなく壁で強度を保持する構造だということで、リビングの変なところに壁があったりして、家具の移動も簡単ではありません。夫にも声をかけて頼んであったのですが、ゴールデンウィーク中も仕事があるとかで待っていてもどうやら当てにはならないことがわかったので、最終日目前の今日、1人でできるところまでやってみようと、取り掛かりました。まずはビジネスホテルの部屋より狭い寝室に、ぎゅうぎゅうに2台並べてあったベッドを1台ずつ別の部屋に置くというミッションです。1台は置き場所はそのままで方向を変えます。2台目はリビングに移動、それに伴って他の家具も多少移動しないとなりません。動かすのは、引っ越しの時大工さんに頼んで狭い寝室に合わせて作ってもらった特製の狭小ベッドですが、木製のため重いし、間取りのおかしい家なので、動かしたいものを動かしたい場所に動かすためには、パズルみたいにいろんなものを少しずつずらして、動かしていかなくてはならず、ぎゅう詰めになっていたためきちんと掃除ができていなかった場所が姿を現したら掃除機をかけて水拭きして綺麗にしてから次を動かすなんていうのを繰り返しながらジリジリと家具の場所を変えていくのですから、まさに持久戦です。細々した家具を動かしては、掃除機やら雑巾掛けやらをし、綺麗になったらベッドをずらし、また小さい家具を動かしてスペースを作りを繰り返してベッド2台を移動するのはI日がかりで、終わった時はもうクタクタでした。実は昨日、流石に歩き疲れたようで、今日は膝に湿布を貼っていたのですが、うんとこどっこいしょと重いものを押したり引いたりしていた時には感じなかった痛みが、あー、疲れた!と座った途端に襲ってきました。でも、模様替完了後のお部屋は。。。ビジネスホテルより狭い寝室も、ベッド一台だけなら余裕です。もう一台はリビングに。リビングが無くなっってしまったけど、どうせほとんど使ったことがなくてほぼ通路になってたから、なくても大丈夫じゃないかと思います。使い勝手がどうかは、この状態でしばらく過ごして様子を見ないとわからないけど、少なくともベッド周りが広々しましたので、気持ちはいいです。今夜から気持ちよく寝られるでしょうか?気分よく休めば膝の痛みもどこかへ飛んでいっちゃうかなと思っています。
2024.05.05
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ずいぶん前から行きたいと思ってなかなか行けなかった東京立川市の昭和記念公園にネモフィラを見に行ってきました。ブロ友のnaominさんにお願いして付き合っていただいて、2人で。JR中央線の立川駅の改札口で待ち合わせ、お弁当を買ってから入園。それはそれは広い公園なのですけれど、さすが国営、入園料はわたしたちはシニア割引でなんと210円(一般の大人は450円)でした。安近短のゴールデンウィークを楽しもうという人たちで早くもごった返していました。無事ゲートを潜り、真夏のような日差しと気温の中、てくてくとそれはそれはよく歩きました。よく歩いた証拠写真、今日の歩数は14,898歩、普段の3日分くらいですね。お目当てのネモフィラは本当はもっと人がいっぱいでしたが、なかなかいい感じに撮れました。本当はこんな、いいえ、もっと人がいっぱいでした。ベストショットはこのアップの写真かな。ネモフィラを堪能したあとはお昼です。こちらはnaominさんの釜揚げしらす弁当。こちらはmamatamの牛しぐれ飯弁当。そしてお弁当のお供はもちろんこれ!さらにデザートの抹茶かき氷。のんびりご飯もおしゃべりも満喫して、帰りは疲れたので(ホームページより)名乗ってあんなか。半周しながら帰ってきました。最後に、おまけの画像立川市のマンホール蓋です。辛夷の花でしょうか?
2024.05.04
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昨日アップしたスマホで楽天ブログのアップがしづらい問題、コメントでいただいたアドバイスを見て、早速パソコン版を確認してみました。残念ながら、パソコン版に表示を変えても起きることは同じでした。昨日の追記にも書きましたが、結局同じアプリなので、変わるのは表示形式だけということかなと思います。しかも、パソコン版だと文字がやたらに小さくて、とてもじゃないけれど老眼で読めるサイズではありませんでした。わたしの老眼、急速に進んでいるのかしら?読み易い大きさまで文字を拡大したら、今度は1行の文字数が少なくて書いている文章の全体が読めず、使い勝手最悪でした。それならと横向き表示にすると、文字は大きくなるものの、1行の文字数が多すぎていくら横スクロールしても終わらず、表示される行数は少なすぎて、こちらも使いづらいことこの上なし。結論→スマホ版の方がまだマシ、なのでした。で、今朝、落ち着いて、スマホ版で入力の時に起きることを確かめてみました。『文字を入力していて、前の方に入力ミスを見つけた時、以前は変換前でも打ち直したい文字をタップするとカーソル?がそこに動いて打ち込んだ文字の訂正ができたのですが、今は変換し終わっていない文字列でそれをすると入力した未変換の文字列全部がひらがなのまま固まってしまいます。ひらがなに未変換を表すブルーの下線が付いてカーソルも末尾で点滅する「入力未完了」状態のまま固まって、カーソルの移動もできなくなります。できるのは入力中の文字列を✖️で末尾から削除していくことだけです。それなら、一旦全部ひらがなのまま確定させ、その後で訂正する方が早いかと「完了」をタップしたら、あらら、ひらがなで表示されていた文字列が全て消えてしまいました。』おそらくこれが事件の全貌です。対策は、細切れに一言ずつ入力して変換していくことでしょうか。こうすればほぼ問題はなさそうですが、うっかりして長文を一気に入力したりしてしまうと、もう最悪です。しかもこのうっかりがとても多くて、常に意識してこまめに変換してないと、あらら!の直後にまたアララ!、その連続になります。一番困るのは、以前は長い文章を一気に打ち込んでから一区切りずつ変換できたのに、それができなくなったことですかね。すごく面倒です。LINEとかメールとか、他のアプリではこういうことないと思うのですけど。。。これは、「ブログは短く簡潔に。ダラダラ長く書かないでください。」という、楽天ブログからのメッセージなのでしょうか?ちなみに、コメントをスマホで書くときは、↑とは違っていました。本文と同様、入力途中の文字列をバックスペースの要領で修正することはできませんし、打ち込んだ文字列を細かく一区切りずつ変換することもできなくなってしまいましたが、前の方の文字をタップしても固まったり消えたりはしませんでした。同じアプリなのに、本文とコメント欄では挙動が少し違っているようです。
2024.05.03
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ブロ友さんはご存知のことですが、わたしはスマホでブログを更新しています。楽天ブログアプリを使って日記を書くのですが、ここ1ヶ月くらいかな?文字変換がうまく行きません。それだけならいいのですが、うまく変換できなかった文字列が消えてしまうという事件が頻発しています。それ以前と入力の仕方を変えた記憶はないし、変わってはいないはずです。でも、事件が現場で起きています。困ったことに、何をしたからそうなるのかという法則?規則性?が全然わからないのです。もう、ほんとにストレスです。わたし以外にスマホで更新をするという方は、わたしのブログ界隈にはほとんどいらっしゃらないようなので、ここにこんなことを書いてアップしてもただの愚痴にになってしまって、あまり意味はないかもしれませんが、もし何か思い当たることがあったら教えていただけると、大変嬉しいです。お心当たりのある方、どうぞよろしくお願いいたします。追記パソコン版でもやってみましたが、同じ症状でした。パソコンタイプなのは見え方だけで、動かしているのはアプリだから、そうなるってことでしょうか?このままスマホ仕様で、慣れるまで使って行くのがいいのかしら?
2024.05.02
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