うたのおけいこ 短歌の領分

うたのおけいこ 短歌の領分

2024年11月19日
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谷川俊太郎さんに、思春期に魅了されて以来ずっと大ファンであり、ものすごく尊敬していた。92歳の天寿を全うされた。

谷川氏が遺した厖大な、きわめて豊穣で多面的な作品群について、何かひと言で覆うというのはどだい無理な話だけれど、あえて僕の勝手な印象でいえば、「言葉とは何か、詩とは何か」を一貫して、いい意味で執拗に問い続けた作風の生涯だったと思う。

その探求の道程が、また優れた詩作品として呈示されるという、ある意味で至福のループを持つ天賦の詩人だった。
言葉の表現者として最も根源的で真摯なその姿勢によって、現代日本と世界に屹立しつづけた。

一見シンプルだが、研ぎ澄まされた清澄な文体は、現代日本語でありながら、時に古事記や万葉集、ギルガメシュ叙事詩やホメロス、タゴールの詩のような古拙(アルカイック)な響きの気品を纏い、詩に必須の深みと、一定の謎めいた難解晦渋性・解釈の余地をも孕んでおり、僕はそういうところに特にわくわくさせられた。
晩年には、俳句、とりわけ芭蕉的な感性にも接近、肉薄しておられた。

宮沢賢治『雨ニモ負ケズ』を発見した一人である父で哲学者・文芸評論家だった谷川徹三氏に半ば捧げられたと見られる詩集『世間知ラズ』なども面白かった。
結婚直前に、4℃の指輪と一緒に、この詩集を妻にプレゼントした。
ちょっと気障だったかも知れないが、彼女も感動していた。
その劈頭に置かれた力作『父の死』は異彩を放っている。

詩歌は、よく(天から)降りてくるというが、谷川氏の場合は、(床の下の)地面から上がってくるのだと、どこかで言っていた。これが何を意味するのか、何も意味していないのかは皆目分からないが、さすがに面白いことをおっしゃるなと思った。

家庭的にはあまり円満ではなかったようだが、天才と平凡は両立しない。ある意味でやむを得ないことだったかなと思う。
(・・・僕くまんパパの詠む短歌がだめなのは、家庭的に幸せすぎるからなんだよな~と、薄々気がついているのである

ご冥福をお祈りする、みたいな紋切り型の定型文は書きたくない気分だ。
谷川氏はこれからもずっと、この胸に永遠に生きつづける。

以下はマスメディア報道の引用コピペである。ご寛恕を希いたい。



■ 詩人の谷川俊太郎さん死去、92歳
「二十億光年の孤独」や「鉄腕アトム」主題歌など親しみやすい詩
【読売新聞 19日】




 1931年、哲学者・谷川徹三の一人息子として生まれた。東京都立豊多摩高在学中に書きためた詩のノートを父親が三好達治に見せたのがきっかけで、20歳の時、「二十億光年の孤独」を出版した。大岡信、茨木のり子らと詩誌「 櫂(かい) 」に参加。「六十二のソネット」「愛について」など次々と詩集を発表した。

 アニメ「鉄腕アトム」の主題歌をはじめ、ラジオドラマのシナリオや戯曲も執筆。英国の伝承童謡の訳詩集「マザー・グースのうた」(日本翻訳文化賞)や、「ことばあそびうた」「わらべうた」など、ひらがなを使った子供向けの詩も多く手がけた。

 また、犬のスヌーピーが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」シリーズの翻訳を続け、「朝のリレー」が国語教科書やテレビCMに採用されるなど、幅広い活動で知られた。

 83年に「日々の地図」で読売文学賞、85年「よしなしうた」で現代詩花椿賞、93年「世間知ラズ」で第1回萩原朔太郎賞、2010年「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞を受賞。英語や中国語など世界20か国語以上に作品が翻訳された功績がたたえられ、19年に国際交流基金賞が贈られた。

 私生活では3度の離婚を経験。元妻に童話作家の岸田衿子さん、前妻は画家の佐野洋子さん。長男の賢作さんは作曲家。



■「僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれる」
谷川俊太郎さん92歳で死去
【読売新聞 19日】


 戦後の日本の詩を 牽引(けんいん) してきた谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが92歳で死去し、国内外の多くの読者の間で悲しみが広がっている。「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など、70年以上にわたって親しみやすく柔らかな作品を発表してきた。

 新潮社などによると、谷川さんは13日午後10時5分、老衰のため東京都内の病院で死去した。葬儀は近親者で済ませた。

 谷川さんは東京生まれ。1952年、20歳の時、詩集「二十億光年の孤独」を出版した。「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」などのフレーズに代表される詩は、終戦の傷痕が残る時代に、宇宙的な感覚と生きる喜びを表現した作品として高く評価された。

 大岡信、茨木のり子らと詩誌「 櫂(かい) 」に参加。戦争の時代を踏まえた硬質な作品が目立つ戦後詩壇の中で、みずみずしい感性を持つ新しい世代の詩人として注目された。

 作詞や翻訳など様々な分野でも活躍。アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけ、犬のスヌーピーが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」シリーズの翻訳を続けた。「朝のリレー」の詩は国語教科書やテレビCMに採用された。

 93年「世間知ラズ」で第1回萩原朔太郎賞、2010年「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞を受賞。世界20か国語以上に詩などが翻訳された功績がたたえられ、19年に国際交流基金賞が贈られた。

 詩人のねじめ正一さん(76)は「詩のグラウンドを広く使えた人で、谷川さんに袋小路はなかった。(戦争体験者を中心とした)『 荒地(あれち) 』派が身構えながら硬質な言葉を繰り出したのに対して、柔らかく分かりやすい言葉で難しいことを伝えることができた人だった」としのんだ。

「詩を書くしか能がないんです」
 口にした言葉がそのまま、詩になる人だった。

 2019年11月に行われた国際交流基金賞の授賞式。車いすで記者会見の場に現れた谷川さんは、詩を70年書き続けた感想を聞かれ、「うんざりしてますけどね……。詩を書くしか能がないんです」と周囲を笑わせた。

 「僕は権威になるのが嫌。できれば道化役みたいになりたい」と穏やかに語り、「人間の成長を木の年輪にたとえると、中心に生まれた自分がいて、3歳、5歳と周りに年輪ができ、最後の年輪が今の自分。自分の中に常に幼児である自分もいる」。みずみずしい詩を生み続ける秘密を明かした。

万有引力とは

ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる

それ故みんなはもとめ合う

 「二十億光年の孤独」は1950年、18歳の若さで文芸誌に発表した。一人っ子で大切に育てられた幼年時代、軽井沢の別荘で見た満天の星などを想像させる。戦争の傷痕が残る時代、清新な詩は多くの人に受け入れられた。

 でも、谷川さんはどんな自分の言葉も勝手に心から離れ、詩になってしまう 哀(かな) しみを抱えた人のようにも見えた。

 <何ひとつ書く事はない(略)本当の事を 云(い) おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない>。65年に発表した詩「鳥羽」の一節だ。詩人は言葉を超えた、本当の人の魂との触れ合いや 詩情(ポエジー) を求めてさまよった。家庭生活のうえでは3度の離婚を重ねた。「高村光太郎は智恵子を狂わせ、中原中也は女性トラブルを経験した。詩的な生き方を貫くと、世間とどうしてもぶつかってしまう」と言った。

 ひらがなの詩、定型詩、極端に短い詩。様々な技法を試した。本当の詩を探す旅を続け、90歳を超えておむつをつけるようになった自分もまた詩に詠んだ。

これを身につけるのは

九十年ぶりだから

違和感があるかと思ったら

かえってそこはかとない

懐かしさが 蘇(よみがえ) ったのは意外だった (「これ」より)

 書いた詩は、発表しただけで2500編以上といわれる。「最近、宇宙は目に見えない、ビッグバンのエネルギーに満ちているように見えてきた。僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれると思う」

 その詩は、日本語の夜空に永遠に瞬き続けるはずだ。
(文化部 待田晋哉)



■ 詩人の谷川俊太郎さん死去
「二十億光年の孤独」「生きる」など
【NHK 19日】


「二十億光年の孤独」や「生きる」など鋭い感性で生み出した親しみやすい詩で知られる、現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月13日に老衰のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。

1931年に東京で生まれた谷川さんは、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビュー。

広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現し、一躍脚光を浴びました。

鋭い感性から生まれる表現やテンポのよいことばあそびなどが特徴で、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。

生きるすばらしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」など国語の教科書に掲載された詩も多く、親しみやすいことばで表現された谷川さんの詩は時代をこえて読み継がれてきました。

また、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけたほか、絵本「スイミー」や「マザー・グースのうた」、それにスヌーピーの漫画「ピーナッツ」など海外の名作の翻訳を多く手がけたことでも知られています。

NHK全国学校音楽コンクールでは過去5回にわたり課題曲の作詞を手がけ、ことばの持つ力で日本の文化を支えてきたとして、ことし放送文化賞を受賞しました。

谷川さんの事務所によりますと、今月13日の午後10時すぎ、老衰のため都内の病院で亡くなったということです。92歳でした。

□ 息子の賢作さん「詩はずっと皆さんと共に」
谷川俊太郎さんの息子でピアニストの谷川賢作さんは、SNSのXで「私は中国からの公演の帰途についているところで間に合いませんでしたが、妹が駆けつけてくれて、最後をみとってくれました。穏やかな最後だったということです。皆様と同様私も、俊太郎の詩に驚き、感心し、クスッと笑わされ、ほろっと泣かされ、楽しかったですね。紋切り型ですが、彼の詩はずっと皆さんと共にあります。ありがとうございました」などと投稿しました。

谷川さんはことしの1月から体調を崩していたということで、NHKの取材に対して賢作さんは「10か月にわたって大変だったな、お疲れさまと声をかけてあげたいです」と話していました。

□ 放送文化賞を受賞 3月にメッセージも
3月に開かれた放送文化賞の式典では、息子の賢作さんが出席してメッセージを代読しました。

この中で谷川さんは「私は詩を原稿用紙に書くことから始めましたが、まもなくその詩を声に出して朗読することが求められるようになり、自作の詩を自分の声で読むようになりました。初めは恥ずかしかったけれど、そのうち慣れて、活字とは違う詩の広げ方というものが自然に自分でもできるようになりました。そして放送で自作を読んだりすることが自分の仕事としても成り立つようになったと思います。放送のジャンルで仕事をすることは私にとって自然なことで、誰かの声で自分の詩が広まることは新鮮な経験でした。まもなく私は文字だけではなく声で自分の書いたものを広めることにエネルギーを注ぐようになりました。私は自分では演奏はしませんが、音楽が大好きで、自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました」と思いをつづっていました。

□「二十億光年の孤独」とは
谷川さんのデビュー作の詩集「二十億光年の孤独」では、宇宙を題材にした詩が詠まれています。

同名の詩では「宇宙はひずんでいるそれ故みんなはもとめ合う宇宙はどんどん膨んでゆくそれ故みんなは不安である」などと、宇宙に生きる孤独な人間の姿などが表現されています。

□ 俵万智さん「やさしいことばで深いこと伝える お手本の方」
谷川俊太郎さんと30年以上前から交流があるという歌人の俵万智さんは、谷川さんの印象について「私と谷川さんはタイプが違う人間なので、かえって話が弾むという感じでした。谷川さんは東京の同じ場所にずっと住まれている一方で、私が引っ越していろんな土地に住んでいることに驚かれたり、谷川さんが音楽を日常的に必要とされている一方で、私は音楽がなくても全然平気で『音楽で泣いたことのない女に初めて会った』と言われたこともあったりしました。谷川さんは自由な詩を書いて、私は定型詩を書いていて、そういう違いがあるからこそ、何かひかれ合うというとおこがましいですが、すごく魅力を感じることばの使い手でした」と振り返りました。

その上で、「『いつ詩が完成したと思うんですか』と聞いたら『それは締め切りだよ』と身もふたもないことをおっしゃいますが、逆に締め切りがなかったらいつまでも完成しないということの裏返しで、ことばの使い手としてすごく誠実だと思います。本当にことばで詩が書けるのか誠実に疑い続けた使い手というところは、心から尊敬しますし、自分もそうありたいです」と話していました。

また、谷川さんの作品について「ある詩のフレーズに『泣き顔を見せずに泣きたい』というものがあります。今の時代のことばの使い方は泣いて見せないと泣いたことにならない感じがありますが、泣き顔を見せずに泣けるのが詩人だと思い、印象に残っています。難しいことばで難しいことを言うのは簡単だと思いますが、やさしいことばで難しいこと、深いことを伝えることができるというのがことばの使い手だと思うし谷川さんはお手本のような方だと思います。海外でもたくさん翻訳されて愛されているのは、人間の普遍的なものにまで届くことばだからでこれからも作品は残るので読んでいきたいです。谷川さんが同じ時代にいてくれたことは宝物のようなことなので、その日本語のすばらしさを少しでも受け継いでいけたらと思います」と話していました。

□ 元宇宙飛行士の山崎直子さん「心にしみる詩」
元宇宙飛行士の山崎直子さんは、旧ツイッターのXに、「谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』に高校時代に出会い、心にしみる詩で宇宙を表現されていることに衝撃を受けました。たくさんの優しい言葉で想像力を広げていただきました」などと投稿しています。

□ 林官房長官「敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」
林官房長官は閣議のあとの記者会見で「謹んでお悔やみを申し上げる。戦後日本を代表する詩人として幅広く活躍された谷川氏の功績に敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」と述べました。



■ 谷川俊太郎さん 生きることを問う言葉の数々
つむぎ続けた70年余 【毎日新聞 19日】


 現代日本を代表する詩人で、絵本や作詞、エッセーなど幅広い著作で親しまれた谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日、老衰のため死去した。92歳。葬儀は18日に近親者で営んだ。お別れの会を後日開く予定。

 東京都生まれ。父親は哲学者で法政大学総長を務めた谷川徹三。1952年に詩集「二十億光年の孤独」でデビューし、既存の戦後詩と異なる清新な作品が注目された。53年、茨木のり子、川崎洋が創刊した詩誌「櫂(かい)」に参加し、大岡信、吉野弘ら同世代の若い詩人たちと活動。以来、70年余にわたり人間の根源や生きることの意味を問う詩作を続けた。

 絵本「ことばあそびうた」(73年)など子ども向けの作品も熱心に書き、「もこ もこもこ」(77年)は100万部を超えるロングセラーとなった。世界の人々の営みと連帯を表現した詩「朝のリレー」は教科書にも掲載された。

 活動分野は多岐にわたり、62年に「月火水木金土日の歌」で日本レコード大賞の作詩賞を受賞。64年の東京オリンピックでは、公式記録映画の製作に脚本家として参加した。テレビアニメ「鉄腕アトム」やアニメ映画「ハウルの動く城」の主題歌の作詞も手がけた。

 詩集「世間知ラズ」で萩原朔太郎賞(93年)、「シャガールと木の葉」などで毎日芸術賞(2006年)、「トロムソコラージュ」で鮎川信夫賞(10年)、「詩に就いて」で三好達治賞(16年)など多くの賞を得た。近年はスマートフォン向けの詩集アプリ「谷川」や、郵便で詩を送る「ポエメール」など詩の可能性を広げる新たな取り組みも始めていた。

 作品は英語、フランス語、中国語など二十数カ国語に翻訳。平易なことばを用いた詩は外国人向けの日本語教育に活用され、国際相互理解の促進に貢献したとして19年度の国際交流基金賞を受賞した。

 私生活では3度の結婚と離婚を経験。長男で音楽家の谷川賢作さんのピアノ演奏に合わせて詩を朗読する“父子コンサート”も開いてきた。





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最終更新日  2024年11月22日 05時50分50秒
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