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基本、SF好きでは「ない」Mizumizu。今日本ではファンタジーは流行るが、SFは廃れた感がある。それでも、NHKで藤子・F・不二雄の短編SF(少し不思議な物語)がドラマ化されたりと、また徐々に人気が復活する「かも」しれない。で、手塚治虫の『ドオベルマン』だ。これは1970年に「SFマガジン」に発表されたものだという。だが、Mizumizuが読んだのは最近。こちらの電子書籍にて、だ。https://tezukaosamu.net/jp/manga/302.html一読しての感想は、「?????」。なんじゃ、コレ。意味分からない。説明的なわりにはラストシーンが何を意味しているのか、いまいちはっきりしない。多分、宇宙人の侵略を暗示しているのだろうけど、それにしては曖昧だ。「SFマガジン」に描いたということは、コアなSFマニア向けだから、基本SFに疎いMizumizuにはハードルが高かったよう。ドオベルマンの遺作の絵の構図とラストシーンの星空の関連をつかみたくて、それらが絵か描かれている数コマは穴のあくほど見たのだが、直接的な関連は示されておらず、やっぱり分からないままだった。逆に遺作に描かれた複数の〇の位置が、コマによってズレてることを発見してしまった。ま、手描きですからなぁ、忙しい手塚治虫なので、ササッと描いたんでしょう、たぶん(だが、後から考えると、同じ絵なのに、〇の位置が見る時間によってズレて見えるのは、「あえて」そうしたのかもしれないとも思った)。ただ、何となく忘れがたい作品なのだ。ラストシーンの星いっぱいの夜空の冷たさが妙に心から離れない。小品だし、昔の作品だし、覚えている人もそうはいないだろう――と思っていたら、実は、いた。2024年6月5日のエントリーで紹介した松浦晋也氏のエッセイでも触れられている。https://news.yahoo.co.jp/articles/dc55cf24410ecb08952a1ed9092f4aa2b3d34e4d?page=5(ここから引用)手塚治虫にも「ドオベルマン」(1970年)という、尋常ならざる速度で絵を描く画家が登場する短編がある。「サンダーマスク」同様に手塚本人が語り手だ。 手塚はある日、コニー・ドオベルマンという外国人の貧乏画家と知り合う。彼は奇妙な絵をものすごい速度で大量に描いていた。手塚は、その奇妙でデタラメな絵画にある規則性があることに気が付く。 ラストで手塚は夜空を見上げ、まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会うことになる。手塚治虫漫画全集の『SFファンシーフリー』に収録されているので、気になる方はどうぞ。(ここまで引用)これを読んで、「あ、やっぱりかー」と解答を教えてもらった気分だ。「まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会う」というのは、松浦氏の解釈だが、素晴らしい。こういうふうに読める読者がいるのが、実は手塚マンガの凄いところなのだ。描いてあるのは、冷たい星の輝く夜空だけ。だが、その前の〇の並んだ絵から想像するに、隊をなしてやってくる宇宙船がまさに、地球に到達した瞬間を手塚が地上から見てしまった、ということなのだ。その後、何が起こるのか? それを考えたうえでで、「世界が今までとは全く変わる瞬間」と解釈してみせる優れた読者。これはまさしく、作家と読者による共同創作だ。「どこからそれらを見るか」の視点の違いがあるから、絵の構図と夜空に関連がないのは当然。松浦氏の文章を読んで、スルスルっと謎が解けた。そういえば、『サンダーマスク』の侵略者も、宇宙空間から見ると〇で描かれていた。ナルホド。答えが分かると、このラストシーン、ジワジワと怖い。夜空のぞっとするような冷たさが暗示する「その後」の物語を、読者が自分で作っていけるようになっている。で、ググッてみると、ブログやX(旧ツイッター)この『ドオベルマン』について書いている人、案外多い。説明的なようでいて、「謎」が散りばめられていて、明確な答えが書かれていないから、想像するしかない。たとえは、こちら↓http://gom47.blog97.fc2.com/blog-entry-104.htmlこの方の疑問に、今はMizumizuはMizumizuなりの解釈で答えられる。1つは物語上の意味ある設定(ある役割をもった機器)。もう1つは、手塚治虫が時々やるという、あるモノを連想させる絵的な「お遊び」。あえて答えは書かないことにしよう。じっくり読めば、多分、Mizumizuと同じ答えにたどりつくはず。「お遊び」については、『手塚番 ~神様の伴走者~』にヒントがある。
2024.06.13
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センターポジションに置かれなくても、ダイアモンドのような輝きを放ち、観る者の目を釘付けにしてしまうジュード・ロウ。その魅力がもっとも冴え渡った作品はやはり、アンソニー・ミンゲラ脚本・監督の『リプリー』ではないかと思う。『リプリー』はルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』のリメイクだと紹介されているが、違うと思う。もっと言えば、『太陽がいっぱい』も『リプリー』も、原作の『The Talented Mr. Ripley(才能あるリプリー氏)』を下敷きにしてはいても、それぞれ相当の脚色がなされている。まずは基本的な人物設定からして違う。『太陽がいっぱい』も『リプリー』も、主人公のトム・リプリーとディッキー・グリーンリーフの容姿は似ても似つかない。だが小説での2人の容貌は、「よく似ている」ことになっている。『The Talented Mr. Ripley』でトムがディッキーを殺して彼になりすまそうと考えるのは、2人の背格好が同じだったということも大きく影響しているのだ。『太陽がいっぱい』では、アラン・ドロンが主人公のトムを演じた。まさに水もしたたるいい男。『リプリー』のトムはマット・デイモン。初めてジュード・ロウ演じるディッキーとビーチで顔を合わすシーンなど、生っ白い肌に黄色いデカパンがア然とするほどダサい。『太陽がいっぱい』では主人公のトムが美貌の青年だったが、『リプリー』では美形はディッキーのほう。『リプリー』のトムは、そのディッキーに屈折した激しい恋情を抱く。『太陽がいっぱい』でもっとも魅力的なシーンの1つは、トムがマージを誘惑する場面だろう。アラン・ドロンの悪魔的な美貌を際立たせるカメラアングルといい、哀愁をおびた音楽の盛り上がりといい、監督のルネ・クレマンはここを最高の見せ場の1つとして描いているが、実はこれも『太陽がいっぱい』のオリジナル。小説はそんな筋書きにはなっていないのだ。一方、『リプリー』で青春の残酷さと美しさを担うのは、ロウ演じるディッキー。たとえば、コレ↓南イタリアの海が見える部屋で、サックスを吹くディッキー。窓の下の青い海を小船がゆっくり通り過ぎて行くのが見える。この絵画的な哀愁をおびたシーンは、ちょっかいを出した女の子が妊娠したうえに自殺をしてしまったあとに来る。このエピソードも小説にはない、『リプリー』のオリジナルなのだ。そして、マージとディッキーの関係。『リプリー』ではマージとディッキーはステディな関係であり、そこにトムが割り込んでくるカタチになっている。ところが小説は必ずしもそうではない。『The Talented Mr. Ripley』はトムの視線で語られるストーリーになっているのだが、トムの目を通して見たマージとディッキーは最初、それほど近しいものではない。トムとディッキーが急速に親しくなり、一緒に旅などして「やや特殊な関係」になってきたとたん、ディッキーがトムによそよそしい態度を取り始め、それまで大して関心のなかった(とトムには見えた)マージに接近していく。小説では、それをディッキーの裏切りと感じたトムが殺意を募らせるという筋書きになっている。『リプリー』では、トムがディッキーに抱く憧れと欲望がないまぜになった激しい感情は、これでもかというくらい露わに描かれているが、ディッキーには一見、そのケはないようにも見える。ところが小説ではそうではない。ディッキーは明らかに、「ボーダーラインをうろうろしている」セクシャリティの持ち主なのだ。彼はトムとの距離が縮まってくると急に警戒し始め、「自分はゲイじゃない」とトムにわざわざ宣言し(←まるで『ブロークバックマウンテン』のイニス)、ビーチでアクロバット芸を見せている「明らかにゲイの」軽業師に露骨な嫌悪感を示す。そして、マージという女性の性格づけ。小説でトムの目を通して描かれるマージは、相当嫌な女だ。トムのことも嫌っていて、ディッキーへの手紙に「彼は何の取り柄もない人」「ゲイではないかもしれないけど、ゲイ以下」「なんらかの性生活が送れるほどノーマルな人ではない」「彼と一緒にいるとき、あなたはなんだか恥ずかしそう」(河出文庫『リプリー』パトリシア・ハイスミス、佐宗鈴夫訳より)とクソミソに書いている。事実、小説のトムは、マージが手紙に書いたとおりの人間なのだが。だが、ミンゲラの作り上げたマージ像は、小説とは違って、非常に魅力的だ。神秘的ですらある。『リプリー』のマージは女性的な優しさと寛容さを併せ持ち、トムに対しても穏やかに、好意的に接する。ミンゲラ+ロウの最後のコラボレーションになった『こわれゆく世界の中で』のリヴにも共通したムードがある。北欧的な美貌といい、ミンゲラの理想の女性像なのかもしれない。『コールドマウンテン』のヒロインも同じ線上にいる女性だろう。『リプリー』のマージは、ディッキーがトムに「飽きて」、邪険にし始めると、「彼っていつもそうなの」とトムをなぐさめたりする。マージはこれまでディッキーにトムと同じように扱われた男友達の名前を挙げる。ディッキーが積極的に友達になろうとするのは、いつも…マージは女性特有の勘で、ディッキー自身ですら気づかずにいる、彼のある種の嗜好に気づいている。このとき、マージが挙げたディッキーの男友達の中に、『リプリー』の後半でトムと重要なかかわりをもってくるピーターの名があるのだ。『リプリー』ではディッキー亡き後、トムとピーターが「ほとんど一線を越えそうな」関係にまで発展するが、小説ではそんなエピソードはない。わずかに、トムがピーターに対して、ディッキーとの間に流れたような微妙な空気を感じて羞恥心を覚えるだけだ。ピーターとのかなり突っ込んだエピソードは、映画『リプリー』のオリジナルなのだ。『リプリー』の中で重要な意味をもつのは、浴室のシーン。そして、もちろん、ジュード・ロウの十八番のキラー目線。余談だが、トムがディッキーから、「別れよう」と言われるのは、ナポリにあるガレリアを出たところだ。ガレリアの階段を降りて、「サン・レモでさよならだ。それがぼくらの最後の旅」とディッキーがトムに告げる。Mizumizuは同じ場所で、道行く人に愛想を振りまいている捨て犬を見た(詳しくは、2007年10月28日のエピソードを参照)。『リプリー』を観たのはその後なので、捨てられつつあるトムの姿が、捨てられた犬のイメージに重なって、胸が痛んだ。小説でのディッキー殺しが、ある程度計画的に行われるのに対して、『リプリー』の殺人は突発的なアクシデントだ。サン・レモでボートを借り、海上に出たところで、トムとディッキーが言い合いになる。「マージと結婚する」と言うディッキーに対して、トムが並べ立てる台詞は、「一見」あまりに一方的で、思い込みの激しいストーカーのよう。「マージのことなんか、愛してないくせに」「きのうは別の女の子を口説いていただろ」「浴室でチェスをしたあの夜、君も特別なものを感じたはずだ」「ぼくは自分に正直なのに、君はそうじゃない」… あげくに、こんなことまで言い出す。そして、「君は一体何がやりたいんだ」とトムに言われると、ディッキーが激昂し、2人は取っ組み合いになる。このときにディッキーが見せた常軌を逸した暴力性が、結局はディッキーの命を奪う結果になるのだ。映画はこのあと、完全犯罪にすべく奔走するトムの姿を描き、サスペンス映画としての面白さを十分に堪能させてくれる。フレディ殺しにまつわるエピソードに関しては、『太陽がいっぱい』のリメイクと言ってもいいかもしれない。だが、結末は『太陽がいっぱい』とはまったく違っている。『リプリー』では、物語の終盤になって、意外なディッキーの過去がトムに明かされる。アメリカにいた大学時代、ディッキーは「女のことで」男友達とケンカになり、相手が障害者になるほどの大怪我を負わせていたのだ。それゆえに、ディッキーの父親は、息子が「また」同じような経緯から、友人のフレディを殺してしまい、自殺したと簡単に信じ込む。だが、マージだけは、ディッキーはトムに殺されたのだと確信していく。周囲はディッキーの過去をマージには伏せている。ゆえに、こう思う。「マージは本当のディッキーを知らない。だからトムが犯人だと誤解しているんだ」と。一方で観客は、真実を見抜いたのはマージだけだということを知っている。ここに、不思議なパラドックスが生まれる。ディッキーは一点の曇りもない、太陽のような男だった。少なくとも、この過去が明かされるまでは、そう見えた。過去に友人を半死の目に遭わせたなど、そぶりにも見せなかった。トムはディッキーに「自分は大学時代の知り合い」だと偽って接近する。そのトムに対しても、自分の引き起こした不祥事について知っているのか、どう思っているのかなど、探りを入れることさえしなかった。トムがディッキーの筆跡占いをして、「誰にも言えない秘密を抱えている」と言ったときも、まるでピンときていない様子で、「本人にもわからないなんて、たいそうな秘密だな」などとごくごく自然に答えている。だが、ディッキーには、大きな秘密があったのだ。アメリカにどうしても帰りたくないわけも。ヨーロッパにとどまることで、ディッキーは自分の過去から逃げていた。そして、トムとディッキーがボートの上で殺し合いになってしまうケンカを始めたのは? やはり、マージという女性をめぐってのことだった。トムのような男友達を、ディッキーは作っては捨てていた。妊娠して自殺したイタリア人の女性はファウストというディッキーの男友達の婚約者だった。だとしたら、アメリカで起こった事件も、同じような経緯で生じたのではなかったのか? 「本当の自分から逃げ、やりたいことをやらないまま、たいしてやりたくもないことには次々に手を出す」――こういう自分の本質に触れられると、ディッキーは理性を失うほど怒り狂うのではないか?だからもしかしたら、サン・レモの海の上でトムがディッキーに言った台詞は、すべてがトムの一方的な思い込みではなく、ディッキーの真実、あるいは真実の一部だったのかもしれない。ディッキーの心の奥深くに隠されたセクシャリティをうかがわせるのが、ディッキーの死後、トムに積極的に近づいてくるピーターの存在だ。もともとピーターはディッキーの男友達。映画ではつまびらかにされないが、マージの台詞から、トムと同じような立場だったことが暗示されている。トムとピーターは、ディッキーを通してつながるのだ。ディッキーという太陽が隠れたあと、2人は隠花植物のようにひっそりと愛を育もうとする。だが、ピーターは薄々、トムの心に「消せない誰か」がいることに気づいている。サスペンス映画としてのテンポの良さや、ハラハラする展開の面白さで観客を惹きつける一方で、ジュード・ロウというたぐいまれなダイアモンドをディッキー役に配することで、原作者のハイスミスが追究した「隠されたセクシャリティ」というテーマを別の手法で織り込んだ、なかなかに深い作品。のちにハリウッド映画界を代表することになる名優が、こぞって参加しているのも頷ける。
2009.05.05
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5月8日に放送されたNHKのクローズアップ現代『”AI兵器”が戦場に』。この内容を起こした記事"AI兵器"が戦場に 自律型致死兵器システム開発の現状は - NHK クローズアップ現代 全記録を読んですぐに脳裏に浮かんだのが、手塚治虫の『火の鳥 未来編』。ここでは人類は5か所の地下都市でのみ生きながらえている。支配者として君臨するのはコンピュータ。そして、ささいなコンピュータ同士の対立から2つの都市が戦争になる。「計算」に基づいたコンピュータの判断は絶対で、その命令には人は誰も逆らえないのだ。そして、戦争は2つの都市のみで起こったはずなのに、残りの3つの都市もなぜか同時に爆発して消えてしまう。コンピュータがどういう「計算」をしてそうなったのかは分からない。一瞬の、あまりにあっけない人類の滅亡だ。『”AI兵器”が戦場に』では、以下のように問題を提起している。AIの軍事利用が急速に進み、これまでの概念を覆す兵器が次々登場しています。実戦への導入も始まり、ロシアを相手に劣勢のウクライナは戦局打開のために国を挙げてAI兵器の開発を進めます。イスラエルのガザ地区への攻撃でもAIシステムが利用され、民間人の犠牲者増加につながっている可能性も。人間が関与せず攻撃まで遂行する“究極のAI兵器”の誕生も現実味を帯びています。戦場でいま何が?開発に歯止めはかけられるのか?”究極のAI兵器”とは100%自律的に動作する殺戮機械のこと。人間が判断し、指示する必要がなくなり、「正確な計算」に基づき「効率的・効果的」に敵を倒すことができるようになるというのだ。ヤレヤレ…実に不愉快な話。いや、不愉快ではすまない、ぞっとする話だ。元米国防総省 AIの軍事利用政策に携わる ポール・シャーレ氏「AIシステムは、より多くの任務を果たすことができます。その性能は時間とともに向上しています。機械は民間の犠牲を考慮せず、単に計算をして攻撃を許可・実行してしまいます。結果、人々により多くの殺戮(さつりく)や苦しみをもたらしかねません。人間が命の重さを考えることができなくなれば、向かうのは暗黒の未来です」(以上、『クローズアップ現代』の記事から引用)手塚治虫が常に世に問うてきた「命の重さ」。それを考えることができなくなる、暗黒の未来が来るというのだ。規制を求める声は、当然ある。しかし、かつての核兵器開発競争と同じく、AI兵器の開発競争も、止めることなどできない。ウクライナ デジタル変革担当 アレックス・ボルニャコフ次官「技術革新は私たちが生き残る手段です。ロシアは躊躇(ちゅうちょ)することなく、より致命的な兵器の開発に取り組んでいるのです。いつ、この開発競争が終わるか分かりません。総力戦に向かうことが、人類にとって正しい道だとも思っていません。それでも開発を続けねばなりません。さもなくば、彼らが優位に立ってしまうからです」(『クローズアップ現代』の記事より)「人類にとって正しい道だと思わない。でも、やらなければ敵が先に開発を進め、優位に立ってしまう」――この理屈、この恐怖。それが人類を破滅へと導く。『火の鳥 未来編』が描くのは、完全自律型AI兵器のさらに先に待ち受ける、完璧(だと人間が思い込んでいる)コンピュータが支配する世界なのだ。まさに手塚治虫の「予言」どおりに、世界は進んでいる。NHKは昨夜(2024年6月11日)Eテレでアニメ『火の鳥 未来編』のワンシーンが流れる番組を再放送していた。「なぜ機械のいうことなど聞いたのだ! なぜ人間が自分の頭で判断しなかったのだ」そう誰かが叫ぶのは、遠い未来なのか、あるいはそう遠くない未来なのか。火の鳥(2(未来編)) [ 手塚治虫 ]
2024.06.12
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Mizumizuは現在、ペッパーミルはプジョー製、ソルトミルはコール&メイソン製を使っている。ソルトミルのほうはもうずいぶん長く――おそらく15年以上は――同じものを使っている。毎日使うほどではないが、といってほったらかしということもなく、常に食卓の上にあり、切れることなくピンクソルトが入っていて、しばしば使うという感じ。ペッパーミルのほうは、ソルトミルより少し早く、ウサギ形のものを買った(メーカー名は失念)が、数年で壊れてしまい、次におしゃれっぽい小物を売っている店で、1000円ちょっとの安いものを買ったが、それもすぐに胡椒の詰まりがひどくなり使えなくなってしまった。そこで、質に定評のあるプジョー製に替えたら、それ以来ずっとトラブルなく快適に使えている。コール&メイソン製のソルトミルはオーストリアのバートイシュルの岩塩専門店でピンクの岩塩を買ったときに、それ用ということで買ったもの。話が逸れるが、ここで買ったピンク岩塩は、日本でよく売っているヒマラヤのピンク岩塩なんて及びもしないほど美味だった。塩の味の中に不思議な甘みがあり、まろやかな味。記憶の中で美化されている部分もあるとはいえ、その後、あの味を越える塩にはお目にかかれていない。で、ミルに話を戻すと、壊れないのでずっと使い続けていたのだが、先日、ピンク岩塩が切れて、たまたま気まぐれでクリスマス島のクリスタル結晶の塩を買ってみた。何の気なしにソルトミルに入れると…あれ? 削れない。なんだか滑ってしまっているようだ。調べてみると、ソルトミルは厳密には岩塩用と海塩でギア(刃)の作りが違うようだ。それはそうかもしれない。だが、Mizumizu所有のは刃はセラミック。セラミックなら海塩でも大丈夫な気がする。ま、もし海塩が原因で削れないのなら、岩塩にすればいいだけだ。というわけで、いつものピンク岩塩を買って入れてみた。が、結果は同じだった。滑ってしまっているようで、削れない。「ソルトミル 削れない」で検索してみたが、たいした妙案はなかった。塩を全部出して、構造をじっくり見る。バラすことはできないが、中にバネが入っていて、頭部のツマミを閉めるとその圧力で、上下になっている下のほうのギアが移動し、噛み合わされて削るというシンプルなものだ。下のギアの部分を見ると、だいぶ塩がついている。単純に、これで削れなくなっているように見える。だったら、水洗いして、しっかり乾かせばよいだけの話ではないか?バラせないから乾燥させるのがちょい難しいかな、とは思ったが、もし水洗い→乾燥で直らなかったら、それは壊れたということだし、コール&メイソンはギアを交換してくれるという話もあるので、聞いてみてもいい。というワケでお湯を勢いよく流し、そのあと少しお湯につけてセラミックのギア部についた塩を除去してみた。これが洗浄後。こびりついていた塩はきれいに取れた。そして、内部の乾燥には、コレ↓ダイソンのヘアドライヤー! コイツがすんばらしい働きをしてくれた。このドライヤーは、元来のドライヤーとしても、心からおススメできる。あっという間に髪が乾いて、しかもふんわりとボリュームが出る。値段は飛び切りだが、実にGOODなドライヤー。コイツをコール&メイソンのソルトミルの開口部に近づけて、中の水滴を次々と飛ばしていった。ドライヤーだけでほぼ乾いたといえるぐらいになったが、それでも念のため、数日放置して自然乾燥。で、ピンク岩塩を再度入れたら…おー! ちゃんと削れる。新品に戻ったようだ(って、新品時代のことは実はもうよく憶えてないのだが)。これでまた使える。めでたし、めでたし。こんなことなら、もっと早く、というか、もっとマメに水洗いするべきだった。コール&メイソンのセラミック・ギアは、実に秀逸なのだなあ…と改めて感心した。クリスマス島の海塩が削れるかどうかは、実はまだ試していない。大丈夫な気がするが、万が一、せっかく直ったミルなのに、海塩が原因で削れなくなってもイヤなので、海塩用のソルトミルをもっとしっかり調べてから、ピンク岩塩が終わったあとにこのミルに海塩を入れて使うか、あるいは別に海塩用のミルを買って、同時に違う塩を楽しむのもいいかな、とも考えている。もちろん、次に買うのも、定評あるミルメーカーのものにするつもり。
2019.01.26
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萩尾望都に漫画家になることを決心させた手塚治虫の『新選組』。作家の藤本義一も好きな手塚作品にこれを挙げていた。萩尾望都は分かるとして、藤本義一が『新選組』を選んだのは意外。ただ、藤本氏は『雨月物語』の現代語訳をやった作家…と考えれば、少しつながるかもしれない。で、今日はちょっとしたトリビアを。現在、手塚治虫『新選組』を原案とする『君とゆきて咲く』が放映中だが、主人公の名前、深草丘十郎。この丘十郎というネーミング、おそらくはあるSF作家から来ている。それは海野十三。日本のSFの始祖の一人と言われている作家だ。手塚治虫は『のらくろ』の田河水泡と海野十三を「ボクの一生に大きな方針を与えたくれた人」だと書いている(『手塚治虫のエッセイ集成 わが思い出の記』立東社より)。海野十三には別のペンネームもあり、そのうちの1つが丘丘十郎なのだ。少年手塚治虫は海野十三の小説を寝食を忘れて読みふけった経験があるという。海野も大阪で頭角を現してきた青年漫画家、手塚治虫のことは知っていて、妻に、「自分が健康だったら、この青年に東京に来てもらい、自分が持っているすべてを与えたい」と語っていたという(中川右介『手塚治虫とトキワ荘』より)。海野は1946年ごろから結核にかかり、1949年5月に51歳で死没する。手塚治虫+酒井七馬の『新宝島』発売が1947年1月。1947年に『火星博士』、1948年に『地底国の怪人』と『ロストワールド』。『メトロポリス』が1949年9月だから、海野が読んでいたのはおそらく『ロストワールド』まで。手塚治虫と海野十三には個人的なやりとりは何もない。それでも海野は、手塚治虫という青年漫画家が自分の影響を受けていることを作品から読み取ったのだろう。手塚治虫が医師国家試験に合格し、東京のトキワ荘を借りるのが1952年。海野が亡くなって3年後だ。もう少し海野が生きていたら、二人の対面もなっていただろう。1950年前後の日本に、SFという言葉はない。SF作家と呼べる人もほとんどいなかった。星新一や小松左京が出てくるのはもう少し先の話だ。手塚作品と海野作品の共通点については、Mizumizuは海野作品を読んだことがないので語ることはできないが、タイトルが、明らかに海野十三オマージュだと気づく作品が多い。『日本発狂』(手塚)『地球発狂事件』(海野)のように。もっとも、猫が重要な役割を果たす手塚作品『ネコと庄造と』のタイトルは、『吾輩は猫である』なんて目じゃないほど猫の生態に精通した作品『猫と庄造と二人のをんな』からだから、手塚治虫という人の博覧強記ぶりには驚かされる。いや、『猫と庄造と二人のをんな』と『ネコと庄造と』は、全然似ているところはない作品なんですがね、話の内容は。ただ、谷崎潤一郎という人の猫に対する愛情と理解の深さは、夏目漱石なんて足元にも及ばない。というか、夏目漱石は明らかに人間に興味はあっても、猫については無知だ。話を手塚版『新選組』に戻すと、この作品、テレビドラマが始まってから初めて読んだのだが、なかなか面白かった。萩尾望都と『新選組』については、このYou TUBE番組が面白い。https://www.youtube.com/watch?v=Z1q21iHz-Y4Mizumizuが惹かれたのは、その様式美。花火を背景にした一騎打ちはそのクライマックス。そのほかにも、下からアングルで描いた橋の下での魚釣りとか、上からアングルで見た階段での襲撃とか面白い構図があちこちに出てくる。物語として惹かれたのは、あまりに「語られないエピソード」が多すぎて、逆にこちらが二次創作してしまう点。例えば、大作は、人並みはずれた剣の技を持ちながら、なぜああも虚無的なのか。彼はおそらく死に場所を求めてスパイとなった(と、頭の中で妄想)。そして、ワザと丘ちゃんに負ける(と想像)。親友の手にかかって死ぬことを選ぶまでに、彼の前半生に何があったのか。長州のスパイだというから、吉田松陰の薫陶を受けたのかもしれない。だが、志を抱いた倒幕の志士と考えるには、彼はあまりに傍観的だ。過去が何も語られないからこそ、自分でそのストーリーを補いたくなる。ここは是非、萩尾望都先生に鎌切大作を主人公に、その生い立ちから丘十郎との出会い。出会ってからの彼の心の揺らぎを描いてほしい。丘十郎の純粋さが鎌切大作の内面をどう動かしたのか。ある意味、大作は丘十郎の純粋さに命を奪われるのだから。丘十郎に海外留学の手筈を整える坂本龍馬のエピソードは、あまりに飛躍しすぎだが、もしかしたら坂本がフリーメーソンと関わりがあったというのがこの突拍子もない展開の背後にあるのかもしれない。そのあたりも語れそうだ。手塚治虫はあとがきで、「時代考証メチャクチャ」「異次元の新選組」と言っているが、時代考証完全無視の異次元時代劇は今大流行りなので、手塚治虫がその元祖だったということか(笑)。あまり人気が出なくて途中で打ち切ったという手塚『新選組』だが、全集を見ると、それなりに版を重ねていて、不人気作品とも思えない。なにより1963年の作品が、2020年代になって歌舞伎になったりドラマになったりしている。ドラマ『君とゆきて咲く』もイケメンがダンスする、異次元・新選組になってる。将来的には、こうした「特別な友情」にキュンキュンする層をターゲットにした、ミュージカルにもなるかもしれない。新選組 (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]
2024.05.04
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「11日ひきのねこ」で有名な馬場のぼるは、朝日ジャーナル1989年臨時増刊4月20号『手塚治虫の世界』で、手塚さんは、どんなところでも原稿を描いた。列車の中でも、蒲団の中でも……。あれは人間わざではないです。と手塚治虫の超人技を追悼している。言わずもながだが、馬場のぼるだってめちゃくちゃ巧い人だ。ねこたちの描き分けなど、手塚治虫に勝るとも劣らない。だから、今でも馬場のぼるのねこキャラは人気だ。その馬場氏をして「人間わざではない」と言わしめる手塚治虫の作画の技量よ。しかも、蒲団の中でも描ける、つまり「寝そべって延々と描ける」というのは、後にも先にも手塚治虫だけではないだろうか。寝ながら描けたらラクだと思うかもしれない。でも、やってみたらすぐ分かる。寝ながらでは、逆にすぐ疲れてしまうし、そもそもうまく描けるものじゃない。「寝ながら手塚」のイラストは、それを目撃した漫画家によってあちこちで描かれている。こちらは馬場のぼる(前掲書より)。ふたりが親しく交流できた、おそらくは初期のころのイメージだろうと思う。ニコニコ顔で楽しそうに描いている手塚治虫。それを「へーーっ」という顔で見ている馬場氏本人。どこか牧歌的なほのぼのとした雰囲気が漂うのは、時代もあるだろうけれど、馬場のぼるのイラストならでは。これはコージィ城倉の『チェイサー』より。これは、福元一義著『手塚先生、締め切り過ぎてます!』中の著者本人によるカット。若き日の手塚治虫に編集者として出逢い、その後一時漫画家として売れるも、最終的には手塚プロに入社し、チーフアシスタントとして長く手塚漫画を支えた人物なので、締め切りに追われながらシャカリキになって描いている手塚治虫の姿は、さすがに臨場感がある。ちなみに右下で待っているのが、「手塚番」と呼ばれる編集者たち。福元一義氏は、基本的に「描く」側の人間なので、『手塚先生、締め切り過ぎてます!』も、描き手としてのアプローチで手塚治虫の実像に迫っており、非常に読んでいて面白い。中でも「スピードの秘密」として書かれたエピソードは、手塚治虫の作画手法がいかにユニークなものだったかを明かしている。手塚治虫が生涯でもっとも多忙をきわめた昭和49年~51年のある日、アシスタントの福元一義に先生が話しかけてくる。「福元氏はペンだこの痛いことがあるかね?」「あります。とくに、締め切りに遅れて徹夜した時など、疼くように痛みました」「僕も、ここのところ疼くように痛くてかなわないんだ。ホラ、こんなに堅くなっている。触ってごらん」と右手を差し出すので、人差し指と中指のグリップ(握り)のあたりを触ってみましたが、それらしい部分がありません。そうすると先生は不思議そうな顔で、「君、どこを触ってるの? ここだよ、ここ」と手裏剣をかざすような仕草をしました。唖然としながら見つめると、なるほど小指から手首にかけての部分が少し赤紫色になっており、触ると堅くごわごわして、デニムのような肌触りでした。ふつうペンだこといったら、少々の個人差はあっても人差し指か中指のどちらかにできるものですが、先生の場合は違っていたのです。(福元一義著前掲書より抜粋)ここで面白いのは、手塚治虫は普通の人は、「ペンだこ」と言ったら、人差し指か中指にできるものだと思う――ということを知らなかったことだ。そして、この多作の漫画家のペンだこは、「小指から手首にかけての部分」にあったということ。この独特のペン使いを見抜いた漫画家がもう一人いる。『鉄腕アトム』の人気エピソード「地上最大のロボット」をリメイクした、天才・浦沢直樹だ。ごくごく最近だが、『手塚治虫 創作の秘密(1986年初放送のNHK特集)』で原稿を描く手塚治虫の映像を見て、浦沢直樹は、「小指が浮いてるね」「手首を中心にして描いているみたい」と指摘していた。こんな描き方は普通できない、というような話になり、その場に同席していた堀田あきおが、「浦沢さんならできるかも。僕はできない」と言っていた。福元一義は、さすがに元漫画家のチーフアシスタントだけあって、(手塚)先生は、手首を支点に、手先全体を使って大胆にサッと描かれるのに引き換え、私たちの場合はグリップを中心に小さなペン運びで描くので、その違いがペンだこのできる場所の違いになったのだと思います。(前掲書)と端的に説明している。『手塚治虫 創作の秘密』では、残念ながらペン入れ時の手塚治虫の手元はあまり鮮明には映っていない。だが、手塚治虫の筆致の大胆さと繊細なディテールと比べ合わせると、Mizumizuは氏の描き方が中国の伝統的な墨絵(日本で言う水墨画の本家)に似ていると思うことがある。中国の伝統的な墨絵(Chinese ink painting)の描き方は、日本の今の水墨画の描き方とは似ているようで異なる。さまざまな技法があり、一概には言えないのだが、以下の描き方は、手塚作画に非常に似ている気がする。https://www.youtube.com/watch?v=UAmZ3Hb0aQM中国人のChinese ink paintingのプロが、壁に張った紙に墨絵を描いて見せる動画もYou TUBEにはたくさんあがっているが、手塚治虫もよく講演などで、観客に見えるように大きな模造紙を床に垂直におろして、そこに即興でキャラクターの絵を描いて見せていた。こうした手塚ショーは観客の驚きを誘い、いつも場は大いに盛り上がったそうだが、みなもと太郎氏によれば、こういうことができる漫画家は1960年以降は、ほとんどいなくなったようだ。そのエピソードが載っているのが、以下の『謎のマンガ家 酒井七馬伝』だ。酒井七馬は手塚治虫を一躍有名にした『新宝島』の共作者であり、手塚本人はそうとは思っていなかったようだが、ある意味、手塚治虫の師匠と言ってもいい存在だ。【中古】 謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影 / 中野 晴行 / 筑摩書房 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】酒井七馬(1905年~1969年)が活動していた時代には、漫画家なら似顔絵ぐらい描けて当たり前で、よく漫画家がイベントに登壇し、大きな模造紙に即興で似顔絵を描いたりするショーは人気。実は若き日の手塚治虫も酒井七馬とこういうイベントに参加していたのだという。ところが、酒井七馬の晩年、たまたまこうしたイベントに参加したみなもと太郎は、酒井氏の司会で、呼ばれた漫画家が大きな模造紙に即興で漫画を描くように言われても、まるで原稿のひとコマを描くように、チマチマとした絵しか描けない姿を見て、酒井氏が当惑する様子を目撃している。「似顔絵を描いて」と酒井氏に促されても「描けませ~ん」と言われたそうで、当然、場は盛り上がらない。『謎のマンガ家 酒井七馬伝』の著者である中野氏は、みなもと太郎から聞いた、この「盛り上がらなかったイベント」の終焉が、酒井七馬が「自分の時代が本当に終わった」ことを実感した瞬間であろうと、大いなる寂寥を込めて書いている。酒井氏は、若い漫画家に筆で描く練習をするようにとアドバイスをしていたという話だが、そんなことをする漫画家は彼の晩年にはいなかったのだろう。ちなみに、漫画を描き始めたころの手塚治虫は墨を自分ですっていた。使っているペンはガラスペンだったという。ガラスペンの形は筆の穂先に似ていて、滑りは軽く描き具合は良好だが、1回分の浸けるイングの量が少ないので、しょっちゅう浸けていなければならず、時間のロスが大きいので、手塚治虫が東京に出て連載を持ってからはお役御免となったという(福元一義、前掲書より要約)。手塚治虫の登場で、ストーリー漫画は隆盛を極めていき、さらに発表する雑誌も月刊誌から週刊誌へとスピードが速まっていく。その経過の中で、「漫画家」という者に求められる技量が変わっていったということだ。実際、石ノ森章太郎は、自分を「漫画家」ではなく「萬画家」と称している。伝統的な呼称との決別は、自分の描く世界は「漫」ではなく「萬」だという自負もある。手塚以前・手塚後で変わったものはあまりに多いが、マンガ家に求められるものが変わるにつれ、消えていった描き手の素質もあったということだ。消えていく技量を高いレベルで維持していたのが手塚治虫本人だった、革新者でありながら実は伝統の継承者であったというのも、あまり指摘されることはないが、まぎれもない事実だろう。手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書) [ 福元一義 ]
2024.02.02
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信憑性の薄い神話がまことしやかに語られるのは、歴史上の人物になった有名人にはありがちだが、「カルティエのトリニティリングはジャン・コクトーがレイモン・ラディゲに贈るためにデザインした(あるいは、デザインさせた)」という逸話は、その最たるものだろう。このエピソードがあたかも既成事実のように書かれているサイトがもっとも多いのは実は日本語サイト。フランス語や英語のサイトでは、あまり見ない。主にカルティエのトリニティリングを扱うショップサイトで、表現に多少の違いはあれど、「トリニティリングは、ジャン・コクトーがレーモン・ラディゲ(「愛する人」とぼやかしているサイトも多い)に贈るために、『この世に存在しないリングを』と注文を出してカルティエに制作させた」というように書かれている。ちょっと前までは「コクトーがデザインした」という話が多く流布されていたのだが、それはさすがにありえないとわかってきたらしく、最近では「ラディゲのために、コクトーがカルティエに制作させた」説が幅を利かせている。さらにそれを見た(のだろう)、素人のブログでも、この逸話は爆発的に広まっている。カルティエのトリニティリングといえば、「コクトーが恋人のラディゲに贈るために作らせたんですって! 知ってました?」「コクトーがラディゲに贈ったもので、若くして亡くなったらラディゲの分も合わせて2つ、晩年まで肌身離さずつけていたのは有名な話ですよね!」などと書いてあるブログもある。「有名な話ですよね」なんて言われると、よく知らなくてもついつい、「そうそう、知ってる知ってる」などと相槌を打ちたくなってしまうようなものだが、このエピソード自体、Mizumizuはそもそも「ほとんどありえない話」だと思っている。ブランドにまつわる話は、もちろんそのブランドの公式サイトを読むのがいい。カルティエ社はトリニティリングの誕生についてどう説明しているのだろう?www.cartier.com/en/Creation,B4038800,,Trinity%20de%20Cartier-Rings ↑ここの英語の説明を読んでみると、プラチナ+レッドゴールド+イエローゴールドからなる3連のリングに関する最初の資料があるのが1924年。3色ゴールド(「3色」としか書いていないが、つまりプラチナのかわりにホワイトゴールドを使ったということだろう)の3連リングについての記録が残っているのが1925年。ジャン・コクトーがはめていたことは書かれている(もちろん、それは事実だからだ)。コクトーという人が1920年代の時代の寵児であったこと、彼がトリニティリングのフォルムを非常に気に入ったこと、そしてコクトーといえばトリニティリングというイメージが広まったこと、それによってこの指輪のカルト的な人気が高まったことなども紹介されている。だが、「コクトーが制作を依頼した」なんてことは一言も書かれていない。そもそもラディゲが亡くなったのが1923年。トリニティリングの発表が1924年。もし、日本のネット上にはびこる神話が事実だとしたら、1923年以前にコクトーがカルティエに制作を依頼し、できあがったのがラディゲの死の翌年だったということになる。ナルホド、まあそれはあるかもしれない。だが、それならば、コクトーは1924年からこのトリニティリングを、贈れなかったラディゲの分も含めて2人分はめていなくてはおかしい。だが、若いころのコクトーの写真を見ると、トリニティリングと組み合わせて小指にはめているのは、別のリングなのだ。ネットでは見にくいかもしれないが、これが若いころのコクトーのはめていた指輪で、ボリュームのある平べったいリング、その上にトリニティリングを1つ組み合わせてはめている。若いころはほとんどこのコンビネーションだ。これはジャン・マレーと暮らし始めて間もないころの写真だが、上の写真と同じく、平べったいリングの上にトリニティリングを1つ計2つはめている。しかも、この写真では右手の小指。では、コクトーがいつもいつも指輪をはめていたのかというと、そうではない。これは同じくジャン・マレーととったスナップだが、この写真では指輪はなし。コクトーがいつも指輪をしていたわけではないことは、この写真からも明らかだが、他の動画をみてもコクトーはわりあい「作業をするとき」は指輪をはめていない。指輪をするのは、外出するとき、ある程度構えた写真を撮るときなのだ。上のマレーとの2つの写真の違いは、指輪をはめたほうは写真の構図の緊張感、くっきりしたライティングから判断して、プロの写真家による撮影、指輪のないほうは、日常のスナップに近いということだろう。ラゲィゲの分と合わせて2つのトリニティリングを小指にはめていた、という伝説が真実なら、亡くなってからそれほど時間のたっていない若い時期になぜ「別の指輪」をはめているのか説明がつかない。コクトーはトリニティリングを取ったりはずしたりしていたし、つけるのも必ずしも左手ではなく、右手のこともあったのだ。こうしたことから考えると、小指の指輪はあくまでオシャレ用だった、というのが普通の結論だろう。コクトーが2つのトリニティリングを小指にはめていたのは、髪の毛が白くなってから、つまり晩年なのだ。これが晩年のコクトーが小指にダブルではめていたトリニティリング。www.youtube.com/watch?v=tlEcnuvMHiI↑この動画のしょっぱなにも最晩年のコクトーがトリニティリングをダブルではめている様子が映っている。コクトーの素描には、トリニティリングをはめた自身の指を描いたものも確かにあるが、たとえば1924年のドローイングでは…このように指には何もない。この絵は「鳥刺しジャックの神秘」という一連の自画像のうちの1枚だが、これをコクトーが描いたのは、1924年の秋、11月ぐらいだ。もし、トリニティリングがラディゲのためにコクトーがわざわざ注文して制作されたものだったのなら、できたてホヤホヤのリングをこの自画像に描き入れたってよさそうなものだ。こちらは1955年にベルナール・ビュッフェが描いたコクトー像の部分。これをみると左手の小指に1つだけトリニティリングが描かれているのがわかる。つまり、コクトーがトリニティリングをはめたのは、1924年のこのリングの発表直後ということは考えにくく、かつはめ始めてからも、相当長い時期「1つだけ」しかつけていなかったということなのだ。「最晩年のコクトー」がしばしば2つのトリニティリングをはめていたのは事実だが、やはり指輪をしていない写真もある。この写真や、その他の(YOU TUBEにある)動画からも、2つのトリニティリングをはめ始めた晩年も、作業中ははずしていることが多く、必ずしも「肌身離さず」つけていたわけではないことがわかる。もう1つ、Mizumizuが「ラディゲのためのリングなわけないでしょ」と思うのは、リングのサイズだ。コクトーは常に小指にトリニティリングをはめており、2つともコクトーの小指にぴったりだ。きついぐらいぴっちりとはまっている。めったにないぐらいヤセヤセのあのコクトーの、しかも小指ですよ。ラディゲの写真を見ると、コクトーほどには際立った痩身ではない。コクトーの小指にピッタリのリングがラディゲにはまるとは思えないし、そもそも、コクトー自身は小指にはめるのが好きだったにしても、愛する人に贈るのになんで自分の小指用にしかならない、相手にとっては明らかに小さすぎるリングを贈るのだ?あの極細コクトーの小指にピッタリのリングをはめることのできる男性なんて…… それこそ『ロバと王女』のお姫様探しのごとし、だろう。指輪を贈ろうとした相手がラディゲではなく、1932年にコクトーと交際し、妊娠した(と少なくともコクトーが信じた)ナタリー・パレのような女性だったとしても、サイズが果たしてあれで合うのか、なぜ上に挙げたマレーと出会って以降(1937年~)の写真で1つしかはめていないのか、といった疑問はやはり解けない。さらに言えば、もしコクトーがラディゲに指輪のような通俗的なプレゼントをしていたのだとしたら、コクトーは後の最愛の人マレーにも同様のモノを何か贈っていてもおかしくない。ところが、コクトーがマレーに贈ったのは、マレーのために書いた自身のオリジナルの戯曲、自身の詩(これは第三者が読むことを前提としない、マレーのためだけに書いたラブレター的なものもあるし、『火災』のようにマレーに献上するつもりで書いたものもある)、晩年は「君の誕生日に何かプレゼントしたい。『存在困難』の原稿を贈らせてもらえますか」――つまり、コクトーは大量生産が可能な「モノ」ではなく、常に世界中で自分にしか贈れないたった1つのものを愛する人に捧げようとした人だったのだ。マレーのほうは、初期のころの手袋屋の看板に始まり(このエピソードについてはの3月26日のエントリー参照)、スイス製の時計だとか、あるいは花だとか、とても「男の子らしい」プレゼントをコクトーにしている。現存している写真から考えても、コクトーの性格から推測しても、トリニティリングはコクトーがラディゲのために作らせた、なんていうのは、とっても眉唾な話なのだ。それがあたかも事実のように日本語のサイトに大量に書かれている。コクトーが、ルイ・カルティエに「愛する人のために、この世に存在しないリングを」(このフレーズは、Bunkamuraでのコクトー展での晩年の写真に添えられたものだったらしい)と言ったなんて、「講釈師、見てきたような嘘を言い」の典型だろう。では、なぜ最晩年のコクトーがトリニティリングをダブルでつけていたのだろう?むろん立証は不可能だが、取ったりはめたりを繰り返していたことを考えると…ある日のコクトー「あれっ? トリニティリングが見当たらない?」しばらく捜して「やっぱないな~。失くしたかな。仕方ない、もう1つ買おうっと」買った後に「あ、見つかった」それじゃってことで「2つ一緒にはめちゃおうっと」と、案外この程度の話だったのかもしれない。ちなみに、コクトーは1955年にアカデミー・フランセーズ会員に選出された際、会員の正装の一部である剣を、自らデザインし、カルティエに制作させている。これは神話や伝説ではない事実。(追記)コクトー作品は、Bunkamuraザ・ミュージアム発行のカタログLe Monde de JEAN COCTEAUから拝借しました。
2008.09.15
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Mizumizuが手塚漫画にハマるきっかけになったのは、『海のトリトン』を読んでからなのだ。そして、この漫画に行きついたのは、アニメ『海のトリトン』のオープニングを飾った『Go! Go!トリトン』からだ。https://www.youtube.com/watch?v=LIetONBzm9kいきさつは、こうだ。このアニメは子供時代、テレビで放映されていた時に、数回見た記憶がある。少年向けアニメにありがちな、「次々現れる敵と戦う(そして、倒す)」というストーリーにすぐ飽きて見なくなったのだが、オープニングの曲とトリトンと白イルカの躍動感あふれる海洋でのアクションシーンは大、大、大好きだった。『Go! Go!トリトン』は不思議で、いったんはまったく聞かれなくなったのが、ずいぶん経ってから復活して、なぜか甲子園でよく演奏されるようになった印象があった。You Tubeで検索したら、『Go! Go!トリトン』はやはり人気で、アップされた動画にはたくさんのファンのコメントがついていた。歌詞も大人へのステップを踏み出す少年と神秘的な海のイメージを融合させた素晴らしいものだし(作詞は林春生)、曲もいい。調べてみたら作曲はジャズ畑の鈴木宏昌。子供向けのアニメソングに、なんともオトナな異色の才能をもってきたものだ。メロディラインはもちろんのこと、楽器の使い方もカッコイイ。成熟した男性歌手の歌もうまいし、そこに児童合唱がかぶさってくることにもテーマ性を感じる。このアニメソングを聞いて、デーモン小暮閣下は歌手を目指したとかいう噂も聞いた。『海のトリトン』の原作は手塚治虫。ところが、一部アニメファンの(元)少年たちの原作に対する評価が、えらく低い。「アニメと全然違って、つまんなかった」「面白くなくて、メルカリで売った」等。演出…といいながら、最終回の脚本は完全に自分のオリジナルだと話す富野由悠季に至っては、「原作漫画はつまらなかった」「手塚先生も失敗作だと思って、自分の自由にさせてくれたのだと思う」などと勝手なことを言っている。手塚漫画はたいていストーリー展開が複雑で、ドンパチアニメが好きな少年たちにあまり受けないのは、分かるのだ。しかし、手塚治虫自身が自作の『海のトリトン』を失敗作だと言った――という話は聞いたことがない。いろいろ調べてみると、「アニメのトリトンはぼくのトリトンではない」「ぼくは原作者という立場でしかない」という発言は見つかった。「ぼくのトリトンをあんなに改変しやがって」的な発言はまったくない。ちなみに実写映画『火の鳥』と『(宍戸錠版)ブラック・ジャック』については、「火の鳥をあんなにしちゃって。あの映画は失敗です」「(宍戸錠のメイクに対して)あんな人間いません!」と酷評したという話は残っている。だが、アニメ『海のトリトン』の出来に関しては、公けには否定も肯定もしていない感じだ。あえて触れないようにしているようでもある。それは、もしかしたら『海のトリトン』プロデューサーで、天下の悪人、西崎義展とのトラブル…というか、手塚の信頼につけこんで西崎が起こした著作権かすめ取り事件…のせいかもしれない。Mizumizuは手塚版トリトンを読んだことがなかったのだが、それほどおもしろくないと言うなら、どんなつまらない作品なんだろう…と思って図書館で借りてみた、というわけなのだ。で、読んでみたら…面白いじゃん! これ!なんとまあ、アニメとはまったく別作品と言っていい。これって、原作って言えるのか? というレベルのかけ離れ方だった。原作は実によく構成されている。先が気になって、どんどん読んでしまう。以下のように漫画版『海のトリトン』を奨めている人もいる。アニメと原作の違いを短い文章でうまく説明している。https://konomanga.jp/guide/66230-26月8日は、国際的な記念日である「世界海洋デー」。もとは1992年の本日に開かれた地球サミットにて提唱されたもので、2009年より正式に国連の記念日として制定された。その趣旨を要約すると「海の環境と安全を守ることは、人類の責任である」といったところだが、そんな記念日に読んでいただきたいマンガといえば……海を舞台にした作品は数あれど、やはり手塚治虫の代表作のひとつである『海のトリトン』をまずはオススメしておきたい。本作はテレビアニメ化された映像作品のほうで知っている人も多いとは思うが、原作とアニメでは登場人物や設定がかなり異なっていることはご存じだろうか?もちろん、手塚治虫のどメジャー作品だし「読んでて当然!」……と言いたいところではあるが、アニメの直撃世代の人に「原作にはオリハルコンってまったく出てこないんですよ」とか言うとたいがい驚かれたりするのもまた実情だったりする(※少なくとも観測範囲では)。そもそも当初は主人公がトリトンですらなく、アニメに登場しない矢崎和也という人間の少年を軸に物語が展開するのだが、ほかにもトリトンに海中での戦い方を指南する丹下全膳や、トリトンに心惹かれ、大きな役割を果たす少女・沖洋子、さらにトリトンをつけ狙うポセイドン族の刺客でありながら、その洋子に情愛の念を抱く怪人・ターリンなど、原作のみに登場する重要キャラクターは多数。そして何よりも重要なのは、トリトンと人間との出会いはアニメ以上にセンシティブな問題をはらみ、人間の身勝手さが強調されていることかもしれない。『海のトリトン』の原作においては、人間が海洋汚染などにもう少し敏感でいれば回避できたであろう悲劇もたびたび描かれている。そして海に生きる者からの視点もしばしば登場する本作は、「世界海洋デー」に読むにはピッタリだろう。<文・大黒秀一>大黒氏は、明らかに手塚のトリトンを面白いと思って書いている。Mizumizuも同感だ。Mizumizuなりに追記するとすれば、『海のトリトン』は『ジャングル大帝』と双璧をなす親子3代にわたる大河ロマンだ、ということだ。『ジャングル大帝』アフリカのジャングルを舞台にしたライオン、『海のトリトン』は海を舞台にした海洋族が主人公。そして、初代、つまり主人公の親は、人間界とはかかわりを持たない存在として、さっそうと登場するが、すぐ亡くなる。2代目、すなわち物語の主人公は人間と深いかかわりを持ち、成長していく。その中で様々な闘争に巻き込まれる。そしてちらっと出てくる3代目は、2代目が持ったような幸せで親密な関係を人間との間にもつことはなく、どちちらかと言うと人間の醜い面を目の当たりにして、おそらくは物語の終了後、人間社会とは離れた存在になっていく(であろう)――というような展開も共通している。アニメ版主人公のトリトンの顔は、髪の毛の色以外は…まぁ確かにギリシア風の衣装とか、手塚アイデアだろう(ただし、手塚作品では、トリトンは少年から成長し、大人になって子どもを作るのだ)。イルカのルカーも色と目つき以外は、原作に近い役割のキャラクターだ。アニメのオープニングで海洋爆発があるが、これは原作にあると言えば、ある。だが、アニメ版の最初、上から爆発の場面をとらえ、次にカメラを引いて、それが海洋上であることを示し、さらに、古代チックな石が吹き上がってきてタイトルの文字になる…というのは完全にアニメチームのアイデア。秀逸ではありませんか! それに続くルカーとトリトンそのアクロバティックな海のシーンも、アニメでしかできないダイナミズムと美しい色彩にあふれている。素晴らしいじゃありませんか!<長くなってきたので続きは次回>
2024.02.06
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ある日――西荻から自宅に帰る道すがら、洒落たウィンドウディスプレイの帽子屋を見つけた。高低差をつけた支柱を窓際に何本も並べ、その上に、わざとランダムな方向に向けて帽子をのせている。そこだけが急にパリの街角になったよう。帽子も1つ1つ全部デザインが違い、少量生産独特の雰囲気が漂ってくる。窓越しに店を覗くと、商品を飾っているのはウィンドウと壁回りだけで、店の中央から奥にかけては布やら裁縫道具やらが雑然と並んでいる大きな作業机が占領していた。店舗兼工房ということらしい。なんだかますます魅力的だ。入ってみると、女性が1人。案の定帽子作家で、店内に飾ってある帽子は、基本的に自分でデザインして縫ったオリジナルらしい。わりあいオーソドックスなものが多いが、全体的に非常に質が高い。ふと目に留まったのは、ある黒い帽子。上のほうが膨らんだ扇形で、浅い庇がついている・・・形としては鉄道員の被っているような帽子を、庇を小さくして、柔らかく変形させたよう。額の上のところに片結びになったリボンが付いているのが、また洒落ている。被ってみるととても暖かい。「カシミアに別珍を合わせたものなんですよ」ちょっとレトロな雰囲気もあり、パリ風だなと思ったので、そう言うと、やはり50年代のフランス、郵便配達員が被っていた帽子からヒントを得てデザインしたのだという。その品自体は、試作品なので売れないが、注文すれば作ってくれるという。まさかこんな近所に、オリジナルデザインのオーダーメイドの帽子を作ってくれる工房があるとは知らなかった。さっそく頭のサイズを測り・・・「あら、小さいわ」などと驚かれ(頭は本当に小さいのだ。中身がないから・・・ほっとけ!)、「小さいわねぇ、どうしよう。ピッタリに作りますか、それとも普通にして、少し余裕をもたせましょうか・・・」と作り手が迷っているようなので、「少し大きくてもいいですよ。目深に被れば、耳のほうまで隠れて暖かいだろうし」と、こちらの希望を伝えた。森茉莉は「父の帽子」で、頭のデカい鴎外が、帽子屋で自分に合うサイズがなくて、バツの悪い思い――というより、ほとんど八つ当たり――をしているようすをユーモラスに書いているが、逆の意味で鴎外の気持ちはよくわかる。ニットならまだしも、普通の帽子を被ると、変に大きくてスポンと目のあたりまで来てしまうことがある。急に、大人のものを欲しがっている子供になったような場違いな気分にとらわられる。さて、オーダーしてからしばらくたって電話があり、おおむねできたのでリボンを付ける前に、合わせに来て欲しいと言われた。さっそく行って被ってみると、やはりちょっと大きい。風で飛ばされるようなデザインではないと思うが、もうちょっと小さくしてもいいかな、という感じ。だが、あまりピッタリした帽子は頭皮が痒くなる気がして(←皮膚のトラブルには常に悩んでいるMizumizu)好きでないので、このくらいのが返っていい気もする。結局、しばらくこのまま使ってみて、気になるようならサイズ直しをしてもらうことで話が落ち着いた。「リボンの素材はどうしましょう? 変えますか?」「何かよさそうなの、ありますかね?」「グログランなんか、どうかしら」壁際の戸棚の中から、魔法のように色々な素材のテープが出てくる。Mizumizuも、「こっちはどう?」などと指差して、あれこれテープを当ててみたが、結局サンプルのが一番ということに落ち着いた。そして、また数日待ち、出来上がったと電話が来た。だが、忙しくてすぐ行けなかった。間を置いて出かけてみると、が~ん!平日の昼間なのに、店が開いてない。この店、オープン時間が実に不定期なのだ。だから、長いこと店の存在に気づかなかった。ゆる~い西荻になんともふさわしいゆる~い店。店の机の上もごちゃごちゃのめちゃめちゃで、整理整頓はかなり苦手な人らしい(笑)。でも、売ってる品物はちゃんとしてる。そんなところも、まさに西荻のカラーの店だ。次は事前に電話をして、開いているのを確認してから出かけた。頭の部分のデザインも、この帽子が気に入った理由の1つ。黒のカシミアと別珍を交互に使って、この2つの素材の質感の違いがさりげなく、とても洗練されている。近づいて初めてわかる上質感だ。リボンが付いているのも、量感のアクセントになってバランスがいい。よくみると少しボーイッシュなデザインなのだが、リボンを添えることで、フェミンニンな雰囲気になっている。被ってみると、さすがにカシミアというべきか。破格に暖かい。今のように、酷寒の時期にはこの帽子が手放せない。普通よくある、耳まですっぽり隠れる冬用ニット帽の比ではない。実際に被ると、もっと扇形に上のほうが膨らんで見える。やはりちょっと大きいので、直してもらおうかな・・・と思いつつ、少し風が通るのが逆に暑すぎなくていいのかも・・・などとも思い、今のところそのまま使っている。ちなみにこの店、看板も出ていないのだが、Strawというらしい。帽子を作ってもらってから、名刺をもらって初めて知ったのだった。Straw杉並区西荻南3-22-7tel:03(3332)6292第二、四木曜、日曜定休日14時頃~19時まで開店(だということだが、これもアテにならないので注意)。
2010.01.17
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ファントマシリーズ第ニ作は、イタリアが舞台。前作に比べて多少、ジューヴ警部のギャグもトーンダウン、エレーヌ(ドモンジョ)のセクシー度もやや控えめ、ファンドールのアクションも危険度が下がったように見受けられるのは残念ながら、そのかわりというのか、この第ニ作では、007並みの(??)スパイ御用達小道具が活躍…… するような、そうでもないような? まぁ、それに、ジャン・マレーの変装&コスプレは案外楽しめる。まずは、ジャン・マレーお得意の老けメイク。背中を丸くして(なにか入れてるよう)、髪はぼさぼさ、浮世離れした老学者の雰囲気をよく出している。ローマでこの学者がホンモノを含めて3人になってしまい、まったくワケわからない。第ニ作のファントマ変装のヒットは、この東山紀之風の忍者コスプレ(ん? 東山紀之はまだ生まれてないか?)かも。全体としては忍者ルックなのだけど、じゃらじゃら下げた銀のアクセサリーは思いっきり洋風。妖しげな眼張りがスゴイ。50歳超えて、本当によくやる。これはニ作目で一番セクシーだったドモンジョのコスプレ、いや仮装パーティの衣装。全身スケスケの思いっきりの良さ。えらいぞ! ドモンジョ! ただ、残念ながら全体としては衣装の露出度は前作に比べて落ちている。結構、ガッカリしたりして(苦笑)。このセクシーな衣装の恋人に、「モン・シェリ~!」とこれまた超コケティッシュな高い声で抱きつかれても、「あとあと」と引き剥がして、ファントマを追いかけるファンドールの行為はもはや犯罪的では? ちなみにこの衣装のマネをしているとしか思えないのが、明智小五郎シリーズ『天国と地獄の美女』での叶和貴子だった。天国と地獄の美女 江戸川乱歩の パノラマ島奇談(DVD) ◆20%OFF!何気なく『美女と野獣』風の装飾があったりする。こちらは、007シリーズに先駆けたと、(ごく一部の)マニアの間で評価の高い空飛ぶシトロエン。煮えたぎった溶岩さながらのセット。なぜいきなりこんなものが出てくるのか、まったく不明。でも、これも『天国と地獄の美女』が完全にぼったくっていた。ラストはやっぱり、ファンドールとジューヴのランデブー。今回はパラシュートなしで飛行機から落ちてしまったジューヴをファンドールが助けに行く。ここで音楽が突然、まるでミシェル・ルグランの『華麗なる賭け』を彷彿とさせるようなロマンティックでムーディなものに変わり、「ナンなんだ、この音楽??」と、観客がボーゼンとなるワケなんだな。そして、空に舞い上がったとたん、ただの翼のついたちゃっちいミニカーに変わったシトロエンがFINの文字を描く。ま、結論は、論評するのもバカバカしいくらい、キュートな作品ってことで…… ちゃんちゃんファントマ 電光石火(DVD) ◆20%OFF!・ファントマ 電光石火@映画生活
2008.05.14
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この夏は山口で過ごしたMizumizu。田舎は退屈かなと思っていたが、なかなかどうして東京暮らしとは違った楽しみに溢れている。以前は感じた、都会と田舎の「食のレベルの格差」もあまり感じなくなってきた。カフェもそう。東京にも個性的なカフェはあるが、山口だって負けないぐらいある。ここは山口市で指折りの桜の名所、一の坂川。室町時代に当時の支配者・大内氏がこの川を京都の鴨川に見立てて町づくりをしたという。鴨川と呼ぶにはスケールが小さすぎるが、逆にその「小ささ」が箱庭的な雰囲気を醸し、桜の時期には大勢の見物客でにぎわう。桜を見るのにぴったりなカフェが川沿いにいくつかあるので、桜の時期はとんでもない混みようになるが、普段はとても静か。「ラ・セーヌ」もそんなカフェの1つ。モダンでアートフルな空間が特長。大きな窓の向こうの緑を眺めながら一息つくのもよし、奥のテーブル席でさまざまに置かれた雑誌や新聞に目を通すのもよし。ここでMizumizuが頼むのは、抹茶パフェ。だ~い好きな白玉と、抹茶のアイスのコンビネーション。器はガラスではなく萩焼きというのも山口ならでは。上にのったウエハースと下に忍ばせたフレークはありがちだが、ふりかかった苦めの抹茶の粉も、東京のカフェのようにケチケチしておらずたっぷりで、良いアクセントになっている。小豆餡も抹茶アイスと白玉に合う上品な甘さ。たまにはコーヒーゼリーも。特に強い主張はないが、安心して楽しめる良品。水もおいしい。出ようとして、壁にかかったイラストに目をやると、「あれっ!」東京在住で先ごろ歌手デビューした「マスターの彼」のCDジャケットを描いた人の作品だ。作風を見れば一目瞭然。猫が特に生き生きとしていて、この作者が持っているであろう強い「動物愛」が一直線にこちらに届いた。山口、一の坂川、ラ・セーヌ。小さな出逢いのあるアートカフェ。【楽天1位】誕生日プレゼント女性 送料無料 季節の花でおまかせアレンジメント 【楽ギフ_メッセ入力】 誕生日 女性 敬老の日 ギフト 開店 オープン 結婚記念日 お祝い フラワー お見舞い 退職 送別 花 プレゼント 即日発送
2019.08.21
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<前回、2024年2月6日のエントリーから続く>アニメ版『海のトリトン』は、番組の最初と最終話がYou TUBEにアップされている。アトランティスやオリハルコンといったワードから連想されるのは、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』。宿敵への復讐を遂げて、ピピとイルカたちを伴って海の彼方に去っていくラストシーンは『モンテ・クリスト伯』を思わせる。ただ、最終回は、富野由悠季が「こういう終わりにすると話したら絶対に反対されるので内緒にしていた」というように、意表をつくどんでん返しが用意されていたのだ。それは主人公トリトンの属するトリトン族は、過去にポセイドン族を人身御供として扱っていた、という歴史的事実だ。被害者と思われていたトリトンが実は加害者の子孫であり、わずかに生き残っていたポセイドン族も、トリトンが、そうとは知らずに根絶やしにしてしまっていたという大いなる罪の告発だ。富野氏の見解は、「少年は大人になる時、なにかしら罪を背負うもの」。それをこのアニメのラストで描きたかったのだという。善と思われていた側は実は悪でもあったという二重性を、子供向けアニメにぶっこんだというのは、実に挑戦的かつ革新的だ。ただ、番組上でのその説明…かなり長く一方的なので、多分当時の子どもには分からなかっただろう。もちろん、そんなことは承知のうえでのシナリオだろう。手塚漫画が子供時代によく理解できなくても、大人になってその重層的な意味に気づくように、富野由悠季も加害者と被害者、善と悪は逆転しうるという哲学を、子供たちの未来へのメッセージとして残したのだ。このラストシーンでのどんでん返しがなければ、たとえ『ガンダム』があろうとも、アニメ版『海のトリトン』の再評価はなかったはずだ。一方の、手塚版のトリトンも、一族の血を守るため、ポセイドンの子供たちをすべて葬る。そして最後は、不死身のポセイドンとともに「ともだおれ」となることを選ぶ。手塚版で感じるのは、戦争体験の根深さだ。満身創痍になりながら、倒せない敵にどこまでも向かっていく姿は、まるで特攻隊員。そして、死にゆくトリトンの目に映るのは…「地球は海でいっぱいだ。青いうつくしい海。あのどこかにピピ子と子どもたちがすんでいる」そして、帰ってこないトリトンを待つピピ子は、まるで美しくも哀しい戦争未亡人。彼女は残された子供たちの「自ら成長しようとするたくましさ」を見て、(おそらくは)悲劇を乗り越えていく。戦乱の不条理の中で生まれた子供は、はやく大人になるのだ。父親トリトンの遺志を継ぐべく、自ら立ち上がるブルートリトンの幼くも凛々しい姿は、ある意味、親の描く理想の子供像でもある。戦争による飢餓を体験したからこそ思い付いたのだろうと思える怪物も出てくる。いくら食べても食べても満足できず、食べた分だけ毒の排泄物をまき散らして歩くゴーブだ。奇怪で滑稽なこの怪物は、その破壊的な行為とはうらはらに、どこか哀れですらある。アニメ版『海のトリトン』は、のちの評価はともかく、放映当時はさほど視聴率が取れなかったが、実は南米でも放映されていたようで、You TUBEで面白い投稿を見つけた。https://www.youtube.com/watch?v=QPcCNfepLRQ投稿によると、なんと最終回は「(子供向け番組としては)暴力的すぎる」という理由で放映されなかったというのだ。You TUBEで字幕付きで最終話をアップしている動画を見て、感激している海外ファンが昔を懐かしんでいる。ワールドワイドな人気を博した日本のアニメの一つと言っていいのだろう。トリトン役の塩谷翼の声が、また傑出している。ホンモノのボーイソプラノで、日本の少女たちを虜にしたようだ。少年役は女性が当てることが多いなか、この塩谷少年の声と迫力は、アニメを一層感動的なものにした。と、同時にこの魅力的な声が「大人になるトリトン」を描いた手塚版との違いを決定づけた。手塚版のトリトンでは、あの名曲『GO! GO! トリトン』も生まれなかっただろう。イメージが違いすぎる。このように、『海のトリトン』は、天才漫画家の作品も素晴らしいが、アニメ版を作るために集ったメンバーも才能あふれる面々で、まったく違う魅力をもった別々の作品になったという、珍しい好例だろうと思う。ただ、富野由悠季氏の、手塚治虫自身も漫画のほうは失敗作だと思っていたのでは――などというのは、とんでもない言いがかりだ。それは手塚治虫漫画全集『海のトリトン』4巻(講談社)の手塚治虫自身のあとがきを見ても明らかだ。サンケイ新聞に、長い間「鉄腕アトム」を掲載したあと(編注:「アトム今昔物語」のこと)、編集部との話し合いで、"海を舞台にした熱血もの"をかくことにきめたときは、まだ、こんなSFふうのロマンにするつもりはありませんでした。(中略)かいていくうちに、物語は、はじめの構想からどんどんはなれて、SF伝奇ものの形にかわっていきました。よく、主人公が作者のおもわくどおりに動かず、かってに活躍をはじめることがあるといわれますが、トリトンの場合もそのとおりで、あれよあれよと思っているうちに、ポセイドン一族やルカーやゴーブができていってしまったのです。↑このように、キャラクターが勝手に動き出す…というのは、作者自身がノって描いている証拠だ。手塚治虫の代表作の一つだという人もいる。トリトンやピピ子が、変態によって一挙に4~5歳成長するという設定も、それこそ「格の違う変態」手塚先生ならではのエロチシズム。変態を終えて成熟したピピ子の美しさにトリトンがドギマギするシーンなどは、Mizumizuが好きな場面の一つ。超自然的な存在であるガノモスが、最後に浮き島となってトリトンの家族を守るというのも、絵画的に美しく幻想的なラストだ。複雑に絡み合う多彩なキャラクター、予想もつかない展開、重層的なテーマと詩的なラスト――やはりMizumizu個人としては、手塚版トリトンに軍配を上げたい。
2024.02.06
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Mizumizu+Mizumizu連れ合いが山口県をドライブしていて、思わず同じ感想を言ったことがある。「山口って、バリ島に似てない?」植物体系こそ熱帯と温帯で違うものの、低めの山が連なった田舎道の緑の豊かさ、霧が出たときの暖かな湿気など、どことなく似ている・・・気がする。極めつけは、この場所、別府弁天池。こんもりと緑に囲まれた神秘的な風景。ここに足を踏み入れたとき、バリ島の湧き水のある寺「ティルタ・エンプル」に戻ってきたような感覚にとらわれた。エメラルドグリーンの神秘的な水をたたえた弁天池。日本名水100選にも選ばれた湧き水の出る場所で、池から少し離れた駐車場のそばに水道の蛇口を取り付けた取水場がある。だが、個人的にはこの神社の境内の中にある取水場から出る水のほうが美味しいように思う。駐車場まで水道管でひっぱった水は、量が多いし汲みやすいのだが、味が落ちるのではないだろうか?のぞき込むだけで不思議な気持ちにさせられる水の色。晴れた日の北海道のオンネトーほどではないが、それに近い神秘性がある。ここでケチャックダンスのような宗教的な踊りがあれば、ますますバリ島だな・・・と思ったら、なんとなんとちゃんとあった。「念仏踊り」。つまるところ、これらはいわゆる聖水信仰で、自然の中に八百万の神が宿ると信じていた日本とバリ島の宗教観には共通性があるということだろう。ヨーロッパの先住民族ケルト人にもこうした自然信仰があり、アニミズムを野蛮なものとして嫌った制服民族であるキリスト教徒は、彼らの聖地に大聖堂を建てた。シャルトルの大聖堂もケルト人の聖水信仰の地に建てられており、行ってるみると、なるほど川に囲まれた水の豊かな場所だった。ヨーロッパでは消された自然信仰が、こういうかたちで残っている・・・・・・日本の古い田舎とバリ島がどことなく似ているのは、やはりこうした根が同じだからかもしれない。Mizumizuが怪我をしたときにバリ島の人々が見せた控えめで、さりげない思いやりも、日本人のもつ主張しない優しさにとても似ていた。
2011.08.15
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今回、羽田発着の便でホーチミン乗り換え、ダナン行きのベトナム航空国内線をJALを通じて予約したワケなのだが、ベトナム航空国内線ってのはとんでもなく信頼できないと思い知ることになった。まず、出発の数週間前。JALから電話があり、行きのホーチミン→ダナン行きの便が変わり、50分遅れの出発になると言われた。早朝6時について、9時発予定だったのが、9時50分発になるので、ほぼ4時間もホーチミン空港で待つことになるというわけだ。かなり、ムカッとはしたが、今さらどうしようもないので承諾した。ところがコトはこれだけでは終わらなかったのだ。結局最終日の夜はフエに泊まることにして、フエのホテルに向かうタクシーに乗っていたら、ピコッっと、カエルが飛び出すような、スカイプの「メッセージ入りました」音が聞こえた。スカイプで連絡してくるのは、日本のMizumizu連れ合いだけなので、カバンからごそごそとスマホを取り出すと、「今、JALから連絡があり、至急本人からJALに連絡が欲しいということだ。個人情報に関わることなので、夫でも内容は言えないそうだ」 という。JALに連絡しろって、今ベトナム旅行中なんですが? どこのJALにどうやって連絡しろと? しかし、おそらくは、 飛行機の変更で、多分またベトナム航空の国内線ではないかと予想はついた。「飛行機の変更だと困るから、個人情報なんたらとか言ってないで、家族に出発時間の変更なら伝えてくれるようJALに言ってくれる?」とスカイプでメッセージを送る。そのとおりにしてくれて、案の定、19:55の出発の便が欠航となり、18:40になると、大事な話はとりあえずスカイプ経由でMizumizu連れ合いから聞くことができた。JAL担当者にスマホの番号を伝えてもらうと、ちゃんとかかってきたのだが、「Eチケットを取り直していただかないといけないのですが」などと言う。 はあっ? JALのサイトに入ろうにも、暗証番号を控えてきていないし、いつもEチケットはプリンターで出力するのだが、プリンターはもっていない。出発は明日だ。焦りまくって、ネットで取り直すのは自信がないと伝えると、「番号が変更されるので、それを調べてまた折り返す」とのこと。その番号を控えていけば、大丈夫だということだった。もしベトナムのMizumizu自身に連絡が取れなかったら、個人情報ナンタラとか言っていないで日本の家族に番号を伝えてくれ、そうすればスカイプで連絡は取れ合えるので、と念を押す。帰国直前にこんな連絡が来て、本当に驚き、心配になった。番号の連絡はJALからスマホにちゃんと入り、とりあえず乗れないという事態は避けることができたと安心したのは、出発前日の夕方。それでも、心配なので、ダナン空港に早めに行くことに。で、最終日、早めに空港に行ったら早すぎて、また無駄にダナン空港で待つ。カウンターが開くのを待って、すぐに便の変更の話をしたら、「パスポートをお願いします」と言われ、JALが伝えてきた番号など不要のまま、拍子抜けするぐらいあっさりチェックインできた。パスポート番号は、日本から出国する前にJALを通じてベトナム航空から照会があり、伝えてあったのだ。どうも、それでもうコトは足りた様子。カウンターのねーちゃんに、「なぜ突然、19:55の便がキャンセルになったのか」と、一応聞いてみたが、答えは、一言。I don't know.やっぱりネ。そう言うと思った。知らないハズないと思うのだ。行きも変更、帰りも突然変更。しかも、両方とも、乗り換え客にとっては、待ち時間が1時間延びる、不便な方向に。おそらくベトナム航空のダナン行はしょっちゅうこういうことがあるんだろう。乗客が少ないから1便キャンセルしてまとめちゃおう、ぐらいの発想かもしれない。しかしね、酷い悪天候でもなんでもないのに、前日に便がキャンセルになって、時間が「早まる」なんて、そりゃないでしょ?JALからの電話をMizumizu連れ合いがたまたま取ることができたからよかったが、 連絡つかない可能性のが高いし、そうなったら、当日までこっちは知らずに旅行をしていた。で、国内線だからと、うっかり1時間ほど前につけばいいやとギリギリまで観光でもしていたら、乗れなかった可能性大じゃないですか!こんなこともあるとは。事前対処はどうしたらいいのだろう? フライトスケジュールを当日の朝、航空会社に問い合わせる? いや、やはり国内線であっても、当日2時間前には飛行場に着くようにすることかもしれない。個人旅行はこういうところが面倒だ。
2015.11.16
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ハリウッドのエンターテインメントニュース(ゴシップネタが主だが)を流す25日付けのTMZ.com で、NYのFrank E. Campbell葬儀教会からヒースの遺体が運び出される映像が流れた。TMZ.comによると、周囲は報道関係者や野次馬やファンで騒然となり、ジョン・レノンやマリリン・モンローのときのことを思い起こさせる情景だったという。ちなみにヒースの父はNYにいるはずだが、この日の葬儀には姿を見せなかったという。週末にロスで身内だけの葬儀があるらしい。ヒースはオーストラリアのパースに埋葬されるとのこと。<ここからきのうの「ブロークバック」ネタの続き>さて、脚本家2人の語ったところによれば、もともとが短編小説であるため、原作のあらゆる場面をほぼもれなく入れたにもかかわらず、最初に完成した脚本は、予定の半分の量にもならなかったという。そこで、原作にはほんの少ししか出てこないイニスの娘(2人いるが主に長女)と第二の女性(映画ではキャッシーと名前があるが、原作では名前さえ出てこない)との交流を大幅に膨らめて挿入したのだという。脚本家は男性と女性だったのだが、女性たちのエピソードはもっぱら男性脚本家が担当し、イニスとジャックの心情を表わすパートは逆に女性脚本家が手がけたという。女性脚本家自身、「私のほうがイニスとジャックの感情をすぐに理解できた」と言っているのは面白い。プロデューサーは、「この作品では女性が重要な役割をもっている」と語っている。イニスの性格に起因する物語の悲劇的な側面を際立たせるのが、イニスを取り巻く女性たちだということだ。これは単に「長さ」だけの問題ではなく、「ブロークバックマウンテン」をマイナーなアート作品に留めずに、商業ベースにのせて幅広い観客に見てもらいたいという制作者側の意図があると思う。「原作の要素はもれなく入れた」と言いながら、実はイニスのジャックに対する性的な欲望は大幅に削られている(逆は、ほぼ忠実に反映されている)。原作では最後にイニスがジャックの夢を見ているが、それは若いころの2人で、しかもその夢は豆の缶から突き出したスプーンの「柄」だとか、それが「丸太」の上でバランスを取っているとか、明らかにフロイト的な性的メタファー(暗喩・隠喩)に彩られ、「スプーンの柄は(同性愛者に対するリンチ殺人に使われた)タイヤレバーにも使えそうにみえる」と、性的なイメージが死のイメージにつながっていく。映画のイニスはジャックの夢など見ておらず、娘と会って結婚式に出る出ないの相談をしている。原作では離婚したイニスと娘の会話は一切なく、養育費を払っているらしいことが間接的にわかるだけ。だが、逆に映画では長女との心の交流を通じて、イニスがジャックとの愛の生活を犠牲にすることで築いてきた何かがあることを見るものに印象づけ、いくばくかの救いと、そしてなにより、「同性愛にまったく感情移入できない人々」からの共感も得ることに成功したと思う。それは、あらゆる男性の内に「ジャック」はいなくても、「ブロークバック山」はあるからだ。男性は特に年を重ねるにつれ、「あのころ」の「あの場所」へのノスタルジーが強くなる。結婚をし、子供をもうけても、年に一度か二度、そうしたシガラミから逃れ、どこか遠いところに行って狩りや釣りを楽しむというシチュエーションは、ほとんどの男性の琴線に触れる。そこが、実際には自分にありもしなかった、ようようたる前途があると信じていた若い頃の思い出につながっている場所ならなおさらだ。オトコとヤるために山に行く、なんてのは一切受けつけられないとしても、映画の中でイニスとジャックが馬で歩き、テントを張る山の自然の繊細さと壮大さを兼ね備えた美しさは、憧れを掻き立てるにあまりある。実際、この映画の最大の魅力は、もしかしたら風景の美しさ(正確にいえば、「美しく撮られた風景」)ではないか、と思わないでもない。そうした観客の心情を見越したように、作品ではイニスとジャックの性愛の描写は、最初と再会のシーンがもっとも激しいだけで、物語の重要な要素として何度も繰り返されることはない。30代後半になった2人の最後の逢瀬でもまったく描かれていない。映画では2人が静かに並んで座り、雪の残る山を見ながら語り合うお互いの「嘘と真実のないまぜになった」近況も、原作では肉体的なカラミに発展するなかでの会話になっている。つまり、原作ではイニスとジャックが会うのは、あくまで情事のためなのだ。だが、山に行くたびに2人のオトコがヤっているのを映像で見せられたのでは、多くの普通の観客はドン引きになってしまう。キャッシーとのエピソードならば「引く」客はほとんどいない。もしかしたら、もう一度やり直せるかもしれないチャンスが来て、それが彼女には言えない「秘密」のために結局はうまく行かないという展開は、一般的な観客にとっても簡単に感情移入できる。こうしたジャック以外の女性との関わり合いが醸し出すやるせない人間味も、この映画が広くヒットした一因になったことは確かだが、逆にイニスのセクシャリティを曖昧にし、観客が抱くイニス像に混乱をもたらした面もあると思う。<文字制限をオーバーしたので続きは明日>
2008.01.27
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1954年に起こった手塚治虫の筆禍事件、通称「イガグリくん事件」は当初は漫画仲間以外にはあまり知られていなかった。そして、この「事件」があってわずか数か月後に福井英一氏は過労死してしまう。手塚治虫が『ぼくはマンガ家』で、この「事件」を振り返って反省の弁を述べなければ案外忘れられた話だったかもしれない。正直なところ、そのころのぼくは福井氏の筆勢を羨んでいたのだった。(手塚治虫著『ぼくはマンガ家』毎日ワンズより)この「事件」の現場にいた人間は少ない。まず、チーフアシスタントの福元一義氏。福元氏の『手塚先生、締め切り過ぎてます!』によると、少年画報社でカンヅメになっていた手塚あてに福井英一が電話をかけてきた。その電話を取ったのは福元チーフで、福井英一はその時、「手塚君に話がある。その間、仕事を中断することになるけどいいかな」と言った。どういう話か知らなかった福元だが、心情的に編集者よりというよりは漫画家よりだった彼は、漫画の話でもするのだろうと軽い気持ちでOKしてしまったのだという。午後11時ごろに福井英一は、馬場のぼると一緒にやってきた。「やあやあ」と手塚治虫が迎えるのだが、だんだんと様子が変わってきたという。福元チーフはその時、隣りの部屋にいたのだが、大きな声がやがてヒソヒソ話になったかと思うと、手塚がやってきて「これから池袋の飲み屋に行ってくる」。そのまま手塚得意の遁走をされたら困ると思った福元チーフは「道具はココに置いていってくださいね」。道具があれば戻ってきてくれるだろうと思ってのことだ。つまり、この時点では、福元チーフは福井英一が手塚に「怒鳴り込んできた」とは思っていないのだ。それより仲のよい三人組で、締め切りを放り出してどこかに行かれては困ると、そっちを心配している。夜通しそわそわしながら福元チーフが待っていると、手塚治虫が戻ってきたのは明け方になってから。手塚「いやあ、参った、参った」福元「飲みに行ったんじゃないんですか」手塚「違うんだ、抗議だよ。強引にねじ込まれちゃって」現場にいた福元チーフが見聞きしたエピソードはこうだが、うしおそうじが、のちに現場にいた馬場のぼるから話を聞いたところ、コトはもっと大げさになっている。手塚治虫が『漫画少年』に連載していた「漫画教室」の1954年2月号にわずか数コマ(Mizumizuが見たところでは2コマだけ)のイガグリ君らしき絵に、福井英一が烈火の如く怒り、手塚・福井の共通の友人だった馬場のぼるの家に来て、「俺は今から手塚を糾弾しに行く」とまくしたて、馬場を強引にタクシーに押し込めたのだという。「これは明らかに俺の『イガグリ』だぞ! つまり手塚はこのイガグリを悪書漫画の代表としてこきおろして天下にさらしたんだ! 俺は勘弁ならねえんだ」(うしおそうじ『手塚治虫とボク』より)馬場は頭に血がのぼった福井英一が手塚に暴力でもふるったら、確実にマスコミの餌食になるだろう。自分が身を張ってでも決斗を防がねばと悲愴な覚悟をしたそうだ。そして、福井は手塚に会うやいなや、胸ぐらをつかんで、「やい、この野郎! 君は俺の作品を侮辱した。中傷した。謝れ! 謝らないなら表へ出ろ」と叫んだというのだ。手塚治虫著『ぼくはマンガ家』では、次のように書かれている。ある日、ぼくが少年画報社で打ち合わせをしていると福井英一が荒れ模様で入ってきて、「やあ、手塚、いたな。君に文句があるんだ!」「な、なんだい」「君は、俺の作品を侮辱した。中傷した。謝れ! 謝らないなら表へ出ろ」「いったいなんのことだか、ちっともわからない。説明してくれ」「ふざけるな」記者(Mizumizu注:記者と手塚は書いているが、編集者の間違い?)が、ぼくに耳打ちして、「先生、相当荒れていますからね。池袋へでもつきあわれたほうがいいですよ」そこへ、馬場のぼる氏がふらりとやってきた。ぼくは救いの神が来たとばかり馬場氏も誘い、3人で池袋の飲み屋に行った。綿のような雪の降る日だった。福井英一ははじめから馬場のぼるを伴って手塚糾弾に来たのだが、手塚治虫は、あとからたまたま馬場のぼるが来たのだと勘違いしている。ともあれ、3人は飲み屋に行って、そこで馬場のぼるの仲立ちもあって手塚が福井に頭を下げている。そして翌月の「漫画教室」で、福井氏と馬場氏らしいシルエットの人物に、主人公の漫画の先生がやり込められているシーンを描き、彼へのせめてもの答えとしたのだ。(『ぼくはマンガ家』より)これが「イガグリくん事件」の顛末だが、実際に「漫画教室」1954年2月号を見た中川右介は、そこに書かれたセリフを引用して、くだんの漫画教室はなにも福井個人批判ではなく、「(手塚)自身を揶揄しているよう」だと述べている。こういった表現が福井、馬場、うしお、手塚といった人たちによって、ますますドギツくなっていった。(「漫画教室」より)と、自分の名前も入れている。そのあとに、確かにイガグリ君のような髪形の頭を一部描いたコマも2つあるが、他にも渦巻状の線だけとか、空とか雲とか煙とかだけが描いたコマもある。そして、そういう表現をそのまま真似するのは避けた方がよい、と言っているだけだ。実際に問題となった「漫画教室」を見ていない人たちは、手塚治虫がイガグリくん人気に嫉妬して福井英一だけを中傷したと勘違いしているが、それは事実ではない。手塚はこのイガグリを悪書漫画の代表としてこきおろして天下にさらしたんだ!なんて、どう考えても過剰反応だ。数か月後に酒を飲んで過労死してしまったという事実を鑑みるに、福井英一は、この頃ハードスケジュールに追いまくられ、すでにかなり精神的に不安定な状態だったのだろう。福井英一が亡くなったのは1954年6月。漫画家の死が新聞に大きく取り上げられる時代ではなく、宮城にいた小野寺章太郎少年(のちの石ノ森章太郎)は、手塚治虫からのハガキで福井英一の死を知る。「福井英一氏が亡くなられた。今、葬儀の帰途だ。狭心症だった。徹夜で仕事をしたんだ。終わって飲みに出て倒れた。出版社――が殺したようなものだ。悲しい、どうにもやりきれない気持ちだ。おちついたら、また、のちほど、くわしく知らせるから」と、ハガキにはあった。手塚先生の悲しみが、行間からにじみ出ているようなハガキでした。福井英一は手塚先生の親友でした。ぼくは顔を見たこともないし、ファンレターを出したこともなかったのですが、それでもとても悲しくなりました。(石森章太郎著『マンガ家入門』より)この文面から分かるのは、天才・石ノ森章太郎は、当時、手塚治虫が「筆勢を羨む」ほど人気絶頂だった『イガグリくん』には興味がなかったということだ。もちろん、手塚治虫と福井英一の「(のちに大げさに広まる)確執」など知らない。二人は親友だと思っているし(実際に親しい仲だった)、手塚治虫の悲しみを思って自分も悲しんでいる。そして、漫画家という職業は体を壊すほど厳しく、忙しいものなのかと、不安になったと『マンガ家入門』に書いている。マンガ家入門【電子書籍】[ 石ノ森章太郎 ]
2024.04.25
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西荻の珈琲職人は直火の自家焙煎にこだわった珈琲豆を売ってくれる店だ。もちろん、珈琲だけを飲むこともできるが、豆を買って、そのサービスとして職人が淹れてくれる珈琲を味わい、珈琲談義に花を咲かせるのが楽しい。珈琲にお湯を注ぎはじめるときの、職人のなんともいえないシアワセそうな表情がイイ。自家焙煎を売りにする店はそれほど珍しくはないが、ここの豆は、一味も二味も違う。ときどき通りかかると、お客がいない間に職人がハンドピックで不良豆を取り除いている姿を見かけることもある(店には「こんなモノ入っていました」の不良豆サンプル?もある)。職人が焙煎を始めると、そのにおいに惹かれてやってくる常連さんもいる。「売り切りご免」の限定品もある。シーズンごとにお奨めの品も変る。ここの豆を使って淹れた珈琲はまず、香りが違う。豆の膨らみ方も他の自家焙煎の店と違うことに気づく。なんというか「普通よりずっと元気よく」膨らむのだ。また、ふつう膨らみのよい豆は、雑味まで出てしまうことが多いが、ここの豆は、やや深炒りであるにもかかわらず、雑味がでにくい。Mizumizuのような素人が淹れても、そうなのだ。ドリップで珈琲を落とす手作業は、実はかなり面倒くさい。だが、ふわぁ~と膨らみ、魅惑的な香りが立ち上ってくるその瞬間があまりに楽しくて、豆を挽き、お湯をわかし、容器を温めてセットし、粉になった豆をいれて、お湯を注ぐという「儀式」の煩雑さも気にならなくなる。開いているときは店の前にスズキのバイクが置いてあるのだが、最近お昼すぎに行っても目指すバイクがない。「時間は適当」というのは、西荻らしい「ゆるさ」で、地元民としてはまったく気にならないのだが、それにしても、あまりにその状態が続くのでおかしいと思い、電話をしてみた。すると身内に病人が出て、そのリハビリを手伝うのでお昼すぎまで店を開けられなくなったとのこと。「よろしければお届けします」と言ってくれたので、エスプレッソ用の豆(挽いてもらったもの)とストレートの普通のドリップ用の豆(自分で挽くので豆のまま)を適当に選んでもってきてくれるようにお願いした。右がドリップ用のストレートの豆。Mizumizuの好みも考えてくれたらしく「ブラジル」。しっかりした苦味がありながら、すっきりと飲める。なぜかあまりブレンドが好きではないので、いつもストレートを頼んでいる。今度一度「職人ブレンド」を頼んでみよう。エスプレッソ用は、今回はブレンドではなく、あえてケニアのストレートを選んでくれた(写真左)。泡立ちはやや弱いものの(泡は立つけれど、わりとすぐに消えてしまう)、深みのある苦さに感動する。高貴な芳香も素晴しい。やはり市販のエスプレッソ用の豆とは「重層感」が違う。ケニアのエスプレッソというと、フランスの超一流レストランを思い出す。ランスにある「レ・クレイエール」では、食後にガラス張りのテラス(ほとんど温室?)で庭を眺めながら、食後のプティフールが供されるが、エスプレッソは何種類かメニューにあり、「ケニア」が一番高価だった。フランスというところは普通のカフェで飲むエスプレッソは最悪だが、それなりの場所だと非常に美味しい。美食の国は実は美食格差のひどい国なのだ。写真は庭から見た夕暮れのレ・クレイエール。雰囲気は文句のつけようがない。右に張り出しているのがガラス張りのテラス。ゆったりとくつろげる。ランスはいわずと知れたシャンパーニュの街。レ・クレイエールで奨められて味わったキュベ・ウィリアム・ドゥーツなら、何度でも飲みたい。日本でではなく、シャンパーニュ地方で、地酒として。ちなみにこのレストラン、Mizumizuがたずねたときはボワイエ氏がすでに引退した後で、食事自体には名声ほどの美味しさはなかった。往々にして津々浦々まで名声が行き渡ったころには、味はピークを過ぎているものだ。だが、食後に選んだケニアのエスプレッソは当然素晴しかった。自宅用にもヨーロッパの一流レストランで味わうエスプレッソと同種のものをさりげなく選んでくれる。もちろんこちらがフランスの話をしたわけではない。常連になることのヨロコビがある店、それが西荻の「珈琲職人」だ。
2007.07.28
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ジャパン・オープン2015を観た。驚いた。まず驚いたのは観客数。オリンピックの余韻も去り、ファンが競技離れを起こすこの谷間のシーズンで、さいたまスーパーアリーナ―を埋め尽くす客、客、客の姿。「浅田真央復帰」のもたらす熱波をまざまざと見た気がした。そしてCM。浅田真央、浅田真央、浅田真央の連発ではないか。浅田真央による浅田真央のためのイベントと言っても過言でないくらい。先の五輪では、成績だけを言えばメダルを逃した選手だ。しかも、25歳と女子フィギュアスケーターとしては、普通ならピークを過ぎた年齢だ。にもかかわらず、これだけのスポンサーがつく。いかに浅田真央という存在が破格であるか。Mizumizuは「浅田真央という一大産業」と評したことがあるが、その輝きは休養を経て、ますます増したようだ。そして、演技。この時期の試合で復帰するのは、少し早すぎるのでは? と思ったが、とんでもなかった。あの年齢で、あれだけのスタイルを保ち、かつあれだけの高難度ジャンプを跳ぶ。本人の努力が尋常でないことは当然うかがえることだが、結局のところ、何をやっても才能がすべて。これほどフィギュアの神様に愛された選手が、過去いただろうか?すらりと細い、ロシアの某コーチの悪口を敢えて借りれば「子供体形」を保っていられること自体が、すでに奇跡に近い。実際には子供体形ではないが、例えば、現・世界女王のトゥクタミシェワ選手は18歳ですでに、あれだけ女性的な肉がついてきてしまっている。Mizumizuは、トゥクタミシェワのトリプルアクセルは、質だけを見れば(成功すればだが)浅田真央選手以上だと思っているのだが、あの体形を見ていると、「いつまで跳べるだろう?」という不安を抱かずにはいられない。18歳の世界女王が転倒してしまったトリプルアクセルを、25歳の元世界女王が決める。逆ならわかる。18歳が決め、25歳が跳べなくなっている、というのなら。25歳の女子フィギュアスケーターがトリプルアクセルをあれほど力強く跳び、(個人的にはやや回転が足りていないようにも見えたのだが)降りる。これだけで、もうひっくり返るような驚きだ。今回はこの大技に入っていく時に、まったく迷いというものがなく、思い切って跳んでいた。「勝負師」浅田真央の男気を見る思いだった。長い休養を経たあとの演技がどうなるかは、五輪女王のソトニコワ選手を見ればわかる。怪我からの復帰とはいえ、オリンピックの時の爆発的なジャンプはすっかり色あせていた。1つ1つのジャンプの高さと幅はさすがだが、連続ジャンプをほとんど入れることができなかった。浅田選手は15歳で世界の舞台に踊り出て以来、大きな怪我がない。いや、実際には怪我した状態で黙って言い訳せずに出場していただけかもしれないが、長期にわたって休まなければいけないような大きな怪我がなかった選手だ。本当に、どこまでフィギュアスケートの神様に愛されているのだろう?「回転不足判定を厳しくするのは、選手の怪我を防ぐため」などと、さかんに吹聴し、試合によってバラバラな判定の理不尽さからファンの目をそらせようと躍起だった大昔の元ジュニア選手がいるが、これほど回転不足判定を受けながら、ほとんど回転不足判定を受けない選手より、浅田選手ははるかに怪我の少ない選手なのだ。「回転不足のまま降りるクセがあると怪我につながる」というのなら、浅田選手はなぜ、15歳から25歳までの長きにわたって、大きな怪我なく、(さかんに回転不足判定を受けながら)試合に出続けることができたのだろう?今回の演技では、技術的にも、進歩が見られた。素晴らしかったのは、ダブルアクセル+トリプルトゥループ。このセカンドジャンプがあからさまに回転不足で降りてくることが多かったのだが、今回は文句が付けられないほどクリーンに降りた。そして、Mizumizuが一番心配していたのは、ルッツ。今季のルール改正は、エッジの正確性をより細かく見るようになっている。浅田選手のルッツのエッジがどう判定されるか注目していたが、「!」マークで、GoEがわずかに減点とまずまず。テレビではスローのアップが出なかったし、今回テレビに映った角度ではアウトエッジで跳んでいるようにも見えたのだが、浅田選手の場合、跳ぶ直前にエッジがスライドしてしまうので、見る角度によってはwrong edgeなのかもしれない。だが、減点は最小限で、これならルッツを跳ぶ意味もある。まあ、日本のイベント試合で、浅田真央のスポンサーばかりだったから、配慮があったのかもしれない。フィギュアスケートの採点が、開催地やスポンサーに左右されるのは、いくら関係者が口をつぐんでも、もう皆わかっていることだから、そこは否定するつもりはない。もし、ジャッジが公平だというのなら、常にこのくらいのトリプルアクセルは認定し、ルッツの判定もせいぜい「!」で、減点もこの程度にとどめる、一貫した態度を取ってほしいものだ。可能であれば、フリップにつける連続ジャンプを、ループに頼るのはやめてトリプルトゥループをつけてほしいのだが、年齢的にも、そこまでは期待できないかもしれない。しかし、ダブルアクセル+トリプルトゥループの完成度を見ると、3フリップ+3トゥループも十分回転不足にならずに着氷できそうな気がするのだが…そして表現力。もともとうっとりするような、浮世離れした雰囲気のある選手だが、いい意味で、「地上に降りてきた」感がある。これまではポーズの弱さが気になっていたが、ポーズのメリハリもついて成熟したムードが漂っている。決して安いお色気に走らず、気高さと凛とした佇まいはそのままに、観客も感情移入しやすい振付になっていた。どこか薄絹をまとった天女のようなムードは、よくフィギュアで使われる蝶々夫人の、したがってよく聞くサウンドを特別なものにした。かつてクリスティ・ヤマグチ(表現力で高く評価された五輪女王)も蝶々夫人を演じたが、アメリカナイズされた「ゲイシャ感」が、ややステレオタイプの古い日本のイメージにつながってしまっていた。浅田真央の蝶々夫人は、オペラの蝶々夫人とは離れて現代的であり、「フジヤマ」「ゲイシャ」の古い日本のイメージから、世界がすでに自由になったことを示した。ここまでやるとは、本当に凄い。期待以上だった。これからも浅田真央から目が離せない。
2015.10.05
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「手塚治虫の奇跡は、映画やショービジネスの世界ではなく、漫画という繊細で奥深い大衆娯楽によって生み出された。この飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進し続ける風変りな男のおかげで、漫画ははるか僻地の質素な家に住む人々をも夢見心地にさせた」これはローラン・プティの『ヌレエフとの密なる時』(新倉真由美訳)をパクって、『新宝島』から1950年代の「どこでも手塚(どの雑誌を開いても手塚治虫の作品が巻頭カラーを飾っているという意味)」時代をイメージして作った文章だ。変更したのは赤文字の部分。ヌレエフ→手塚治虫、バレエ→漫画、芸術→大衆娯楽に変えただけ。Mizumizuは個人的には手塚漫画は芸術だと思っているが、本人がそう言われるのを嫌ったので、あえて忖度した。【中古】 ヌレエフとの密なる時ある分野の人気のすそ野を爆発的に広げる革命児には似た部分が多い。バレエではヌレエフが手塚のポジションにいると思う。ヌレエフ以前にも偉大なバレエダンサーはいたし、バレエを好んで観る人たちも確かにいた。だが、ヌレエフの登場によって、それまである程度固まっていて、閉鎖的だった「バレエファン」は一挙に様変わりする。手塚治虫以前にも、もちろん売れっ子の漫画家はいた。だが、手塚の「映画的手法」によって、日本各地の少年少女が文字通り「夢見心地」になったのだ。矢口高雄の『ボクの手塚治虫』は、「はるか僻地」で質素な生活をしていた少年が、いかに手塚漫画に魅了され行動したかを生き生きと描いている。手塚作品を読みたいがために、矢口少年は、雪深い山道を何キロも歩いて町の本屋に行く。手塚作品を買いたいがためにきついアルバイトをして、本屋の主人に「このカネはどうした?」などと疑われ、憤慨して自分がどうやってそのお金を作ったかを説明し、そこから本屋の信頼を得ている。ボクの手塚治虫【電子書籍】[ 矢口高雄 ]このファンの熱情は、ヌレエフの公演を見ようと遠くからでも駆けつける新しいバレエファンの心理とダブる。そして、もう1つ、大いなる共通点。再び『ヌレエフとの密なる時』から。今度は改変なして。「驚いたことに、彼の出演料は非常な人気を博していた他の出し物に比べ比較的少なかった。そう、それは本当にささやかなものだった。『僕にとってそれはとても良いことだと思う。だってわかっていると思うけれど、僕は来年も踊っていたいから』それは理にかなっていた。天文学的な出演料を要求し、毎年踊る機会の減っているダンサーたちにとってなんという教訓だろう。この時期ヌレエフは1月から12月まで約250回の公演を行っていた。それはおそらく多すぎた」手塚治虫が原稿料にこだわらなかった、むしろマネージャーに「安くしろ」と言っていた話はよく知られている。ちばてつやの●分の1だったとか、アニメージュの編集長だった鈴木敏夫(現在はスタジオジブリ代表)に「僕の作品は単行本で売れるから、原稿料はいくらでもいい」と言ったとか。単行本で稼ぐから、というのも本当だろうけれど、実際のところ、長い間漫画界の第一線で活躍してきたこの大天才は、原稿料を上げたのちに人気が落ちて、あっけなく切られてしまう(一時的な)流行漫画家の姿をきっと見ていたのだろうと思う。若いころの手塚は、「この商売の人気は2年ぐらい」と言っていたし、売れなくなったら医者に戻ろうとしていた感もある。そのための道も残していた。たとえ人気がなくなっても、原稿料が安ければ頼むほうは頼みやすい。いったん原稿料を上げて、人気がなくなったら「下げますから仕事ヨロシク」と言っても、相手は依頼しようとはなかなか思わないものだ。だったら、最初からお手頃な値段設定にしておいたほうが、競争力を保てる。一種、企業家のような発想で入れ替わりの激しい漫画業界を40年以上も生き抜いたのだ。ヌレエフは非常に公演数の多いダンサーだった。手塚治虫もすごい量産漫画家だった。そしてその対価に大きなものは要求しなかった。「来年も踊っていたいから」というヌレエフの言葉は、「来年も描いていたいから」とすれば、そのまま手塚治虫の言葉だ。むろん、あちこちでスキャンダルを引き起こす奔放なバレエダンサーとそういった問題とは無縁の博覧強記の漫画家の生き方は大いに異なっている。だが、「死の病(当時)」がその体を蝕んでも、なんとか仕事を続けようとしたその執念は似ている。ヌレエフはダンサーとしてキャリアをスタートさせたのち、振付師としても名声を得た。晩年にはクラシックバレエのレパートリーを演奏するオケの指揮も行い、好評を得ていた。亡くなる3か月前、ヌレエフはローラン・プティの公演に指揮者として参加したいと自分から申し出ている。オケの指揮をするヌレエフ、なんて素敵なアイディアだろう!――プティは喜んで了承する。「なるたけ早く仕事に着手して暗譜したいから、急いで楽譜を送って」だが、二人の構想が実現することはない。亡くなる数週間前まで、ヌレエフは創作作品で自らも踊る意欲を持ち続けていた。当然と言えば当然だが、現実に彼にできたのは、楽屋で横になっていることだけだった。それでもヌレエフは楽屋にいて、亡くなる数日前になってようやく病院に戻った。手塚治虫も最晩年まで多くの仕事を抱え、新しい分野の構想や依頼もあった。病院のベッドで、寝かせようとしても必死になって起き上がろうとしたという。彼が亡くなった時、ニュースで速報が流れた。Mizumizuはその瞬間、たまたまテレビを見ていた。「60歳の生涯を終えた」というアナウンサーの言葉に、「えっ? うそ。違うでしょ」と思った。熱心な読者ではなかったのに、ちゃんと年齢のことが頭にあったのは、生年月日による性格占いなどの対象に手塚治虫がよくなっていたからだ。みんな手塚フィクションにいっぱい食わされていた。したり顔で手塚治虫がもって生まれた性格や運勢などを断定していた占い師には、笑ってしまう。ゲーテを想起させるような「手塚治虫最期の言葉」を知って感動するのは、もっと後のこと。「頼むから仕事をさせてくれ」――この最後とされるセリフが、ある種の手塚フィクションでも、あるいは本当の本当でも、それはどちらでもいい。手塚もゲーテ同様、歴史上の人物として語り継がれることになるのだから。ゲーテの臨終の言葉「もっと光を!」については、以下のサイトが詳しい。https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=277
2024.04.02
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マンダリオン・オリエンタルは好きなホテルだ。タイでは必ずといっていいほどここの系列ホテルに泊まっている。東京のマンダリン・オリエンタルもずいぶんと評判がいいらしい。ここのアフタヌーンティーは、週末は予約がいっぱい。ふらっと行って入れるものではなくなっているとか。・・・たかだか、アフタヌーンティーで?信じられない。バンコクのオリエンタル・ホテルのアフタヌーンティーも、ガイドブックなどでは盛んに宣伝していたし、実際に人気もあり、混んでいたのだが、ハッキリ言って、「宿泊できない人たちのためのサービス」という雰囲気がアリアリで、場所や内装も(写真ではよく見えるが)ヘルスセンターまがいで、宿泊客用のサービスとは一段も二段も落ちる感じだった。東京のマンダリン・オリエンタルのアフタヌーンティーはどうかしらん?というワケで、わざわざ予約をして行ってみた。天井のバカ高いラウンジに、大きな窓ガラス。なので眺望バツグン・・・と言いたいところなのだが、南西向きのせいで、直射日光がきつい。シェードを降ろさずをえず、シェードを降ろせば眺望はほとんどなくなり、しかもシェードは太陽を全部遮ってくれるわけではない。折りしも歴史的(?)猛暑の東京。シェード越しの太陽に照らされて、もともと太陽アレルギー気味のMizumizuにはつらかった。せっかく窓際を予約したのが完全に裏目に・・・このラウンジは、明らかに午前中のほうが光の加減で眺めがいいはずだ。ということは、朝食会場にしているのだろうか? 午前中は宿泊客向けの空間にして、午後の直射日光攻撃が始まったころに、外部客用のアフタヌーンティー会場にしている・・・のかもしれない。アフタヌーンティーの定番サンドイッチの代用。フォアグラ、サーモン、かぼちゃ・・・といった材料をパンやトルテと組み合わせている。一見お寿司のようにも見えるのが、そこはかとなくジャパニーズ。味は・・・まあ、可もなく不可もなく。サンドイッチ(のスシ風代用品)のあとはスコーン。えらく小さい(苦笑)。ジャム2種とクロテッドクリーム。ジャムは確かに美味しいが、最近は美味しい(そして高い)ジャムはいくらでも東京に出回っているので・・・ここのアフタヌーンティーの売りは、まさに「ティー」にあるよう。オリジナルのブレンドティーを含め、メニュー1枚分にぎっしりかかれたドリンクが、いわゆる「飲み放題」(というか、注文し放題というべきか?)。ブレンドティーはどれもかなりのレベルで、これだけ種類の豊富なお茶が飲めるなら、場所代も含めて、3800円(だったかな?)は高くないように思う。オリエンタルなディスプレイが際立つスイーツ群。グラスに入っているのはマンゴープリンとココナッツクリームのよくある組み合わせ・・・なのだが、マンゴーのスイーツは、さすがに相当なレベルだった。東南アジアを拠点にしているアジア資本のホテルって、たいがい洋風のスイーツはだめだが、マンゴープリンだけは最高だ(笑)。他のスイーツは・・・味はいいものもあるのだが、とにかく甘すぎる。これも日本以外のアジアの特徴。お茶は確かに美味しかったので、1度なら行ってみる価値はあると思う。ただ、真夏は避けたほうがいいかもしれない。客層は圧倒的に若い女性。これはタイの有名ホテルのアフタヌーンティーラウンジもそうだった。突然日本の若い女の子ばかりになり、物腰の丁寧なウエイターがサービスしている。そんなに人気になる理由・・・イマイチよくわからないのだが、恐らく、憧れのホテルの宿泊は無理にしろ、その雰囲気を味わってみたいという願望にアピールするのだろう。アフタヌーンティーラウンジとは逆方向にある、トイレからの眺めのほうがずっとよかった(爆)。巷で話題のスカイツリーも見える。地上階に下りてショップをのぞいたら、な~んだ、今出されたジャムだとかお茶だとかがさかんに売られている。ナルホド、オリジナル商品の宣伝も兼ねているというわけね。うまい商売だ。とまれ・・・マンダリン・オリエンタルの魅力は、やはり宿泊してみなければ、本当にはわからない。
2010.09.01
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いよいよ始まるグランプリ・シリーズ、フランス大会(エリック・ボンパール杯)。日本期待の浅田真央選手がグランプリ・シリーズ初参戦となる。しかし、浅田選手のグランプリ・ファイナルまでのスケジュールは過酷。ほぼ2週間に1度、3回の試合をすることになる。昨今のフィギュアの異常ともいえる人気を背景に、ショーも増えている。いくら身体的に強靭な浅田選手でも、いつかオーバーワークからくる怪我に泣かないかと、ヒヤヒヤする。さて、浅田選手はすでに「トリプルアクセルは1度しからやらない」と明言しているので、その話はなしにして、今年の浅田選手の課題を書いてみよう。実は、ほとんど課題がない――苦手のトリプルループは「回避策」だし――といっていいキム・ヨナ選手とは対照的に、浅田選手は細かな部分で不安がいっぱいなのだ。(1)トリプルルッツのエッジ矯正は、本当にできたのか。昨シーズン、浅田選手はルッツを跳ぶたびにことごとく減点され、得点が伸びずに苦しんだ。「エッジ矯正はできた」と言っているが、果たしてジャッジに認められるくらいキチンとアウトにのって踏み切ることができるか、今季の浅田選手の最大の注目点だといえる。(2)セカンドに跳ぶ3回転を回転不足なしに降りてこられるか安藤選手同様、セカンドにトリプルループを跳ぶことのできる数少ない女子選手でありながら、その武器がときに足を引っ張っている。昨シーズンからの判定厳密化によって、回転不足判定を受けると、苛烈に減点されてしまう。安藤選手と違ってセカンドにトリプルトゥループを跳ぶことができるのが浅田選手の強みなのだが、このトリプルトゥループも微妙に回転不足気味に見えることが多い。どうも判定はループよりもトゥループに甘い。トゥループが去年より向上しているなら、セカンドはループよりトゥループをもってきたほうが「安全」かもしれない。(3)トリプルアクセルを決められるかトリプルアクセルは基礎点が引きあげられたが、その分減点幅も大きくなった(詳しくはウィキペディアの「フィギュアの採点方法」を参照)。この「減点」が曲者なのだ。すでに書いたように減点・加点するGOE評価は、手心点になりさがっている。完璧な着氷をすれば減点はできないが、浅田選手の場合、本当にちょっとしたランディングのキズが多い。若干ツーフットになったり、着氷時にグラリとしたり。こうした、肉眼ではほとんど気づかないようなミスまで鵜の目鷹の目で「減点してやろう」と待ち構えているジャッジがいると思ったほうがいい。誰にも文句を言わせない着氷ができるか――浅田選手のトリプルアクセルが武器になるか、足を引っ張るかは、その一発勝負の出来にかかっている。ジャンプに関しては以上で、この3点が大きな浅田選手の課題だ。この3つをクリアできれば、彼女に勝てる選手は世界中捜しても誰もいない。だが、この3つを常に完璧にクリアしつづけるなど、ほとんど人間業ではない。考えてみてほしい。セカンドジャンプに3ループを跳べる選手は世界中に数えるほどしかいない。3アクセルに関しては彼女しかいないのだ。それほど高度なことをやっても、「ちょっとキズがあったらジャンジャン減点します。回転足りてなかったら2回転ジャンプの失敗と見なしますから」というのが今のルール。道理の引っ込む無理を通したのだ。だから、浅田選手はジャンプ技術では世界一のものをもちながら、確実性の高いキム選手になかなか勝てないのだ。こうした採点にしたのは、大技への挑戦を抑制して選手の怪我を防ぐという名目もあるが、裏では明らかに、ジャンプの得意なアジア系の女子選手にヨーロッパ系の選手が対抗できるようにという配慮だ。だが、甘やかされたヨーロッパ系の女子選手はますます弱くなり、3+3に挑戦しようという選手すらほとんどいなくなった。逆に不利な状況に立たされたアジア系の選手のほうが頑張っている。浅田選手の課題は、細かいことを言えばまだある。(4)スパイラルでのレベルの取りこぼしこれは浅田選手の責任というより、振付の段階で考えるべきことだった。あまりに密度の濃いプラグラムを作ったために、脚上げの時間が足りずに、昨シーズンは、何度かレベル1に落とされた。こういうアホくさい取りこぼしはいけない。(5)スピンのレベル取りスピンのポジションは多彩で、シーズン中にもどんどん構成を変えるなど器用なのだが、キム選手ほど「レベル4」を並べられないでいたのが昨シーズン。スピンの差などわずかといえばわずかだが、キム選手と当たる場合は、そのわずかの差が命取りになることもある。昨シーズンはステップに力を入れてこれは大成功した。プロトコルの技術点での数字の差はわずかだったが見た目のインパクトが違い、これが5コンポーネンツの点の出方に影響した。世界選手権では、最後に強い脚力を生かした動的で華麗なステップを踏んだことで、怪我上がりのキム選手との体力差と細かなステップの技術力の違いがまざまざと印象づけられ、結果5コンポーネンツで高い評価を得たのだ。今年はスピンのレベルでどれだけキム選手に追いつけるかに注目。フランス大会では、キム選手には当たらないが、ライバルといえるのはカナダのロシェット選手。前大会での188.89点は驚異的ともいえる点数。今年は去年よりさらに身体をしぼって筋肉をつけてきた。ロシェット選手のパワフルで確実な演技は、今年の台風の目になるかもしれない。男子はなんといっても、先々シーズンの世界王者であり先シーズンの世界選手権銀メダリスト、フランスのブランアン・ジュベール選手。体調不良と怪我で出遅れた先シーズンも、最後の世界選手権できっちり結果を出した。本人としては優勝したバトル選手が4回転を回避して勝ったことに不満があったようだが、試合とはそうしたものだ。ヨーロッパ選手権で3位と出遅れながら、一番重要な試合でキチンと銀メダルを獲ったことは、彼の精神力の強さを証明している。ジュベール選手の魅力は、なんといっても男性的なたくましさ。ヨーロッパは今年、成熟した男性の色気と端整さを備えたアーティスティックな男子スケーターを失った。ランビエール選手なき今、そしてどちらかというと線の細い選手が多い中、ジュベール選手の完成された男性美と迫力のあるスケーティングは大きな武器になる。金メダル→銀メダルときて、今年浮くか沈むかで、ジュベール選手のオリンピックの展望も変わってくる。すでにベテランの域に達した彼にとっては非常に大事なシーズンだ。ジュベール選手もバリバリの4回転ジャンパーなので怪我がつきもの。怪我なくシーズンを乗り切れれば、日本のエース高橋選手にとっても非常に怖い存在になる。今年のジュベール選手の振付はタラソワ・チームの一員だったエフゲニー・プラトフ。アイスダンス界では、グリシュクと組んでずいぶん長く無敵のチャンピオンとして君臨した人で、選手としては同じくタラソワ・チーム出身のニコライ・モロゾフより遥かに、圧倒的に、比較にならないほど格上だったのだ。そのプラトフとヨリを戻した(苦笑)ジュベールの新たなプログラムもとても楽しみ。プラトフとしても、ここでジュベールのプログラムが評価されれば、振付師としての自身の評価も高まるだろう。タラソワ・チームに爆弾を投げつけて去り、その後あれよあれよという間に、振付師としてだけではなく、コーチとしても世界的名声を確立してしまったモロゾフに、そうそう負けていられないハズ。一方ジュベール選手の課題は、フリップでのエッジ矯正。ジュベール選手には世界選手権のフリーで2度ともフリップにwrong edge判定があった。スピンも弱いのだが、ジュベール選手の場合は、なんといってもジャンプで勝負なので、4回転さえ決まればスピンの点などあまり気にする必要はないだろう。小塚選手には、残念ながらジュベール選手に太刀打ちできる実力は今のところない。ジュベール選手がよっぽどミスってくれなければ勝機はない。5コンポーネンツの点を見れば明らかで、フリーでは小塚選手は70点代の前半、ジュベール選手は後半を出す。出来次第では80点台にのせるかもしれない。この点差は如何ともしがたい。経験と実績を積んでいくしかない。小塚選手はフリーで3Aを2度きちんと決めることが課題だ。前回の試合ではそれができず、大きく点を落とした。4回転に挑戦せずに、プログラムのジャンプすべてを決めることを目標にしたほうが作戦としてはいいはず。日本のマスコミも、「明日は4回転は?」のアホな質問をやめてほしい。大技への無理な挑戦が日本選手を負けさせている。世界王者のバトル選手を、その直前のカナダ選手権で破ったパトリック・チャン選手にも注目。彼は4回転はないが、バトル選手と同じく確実で正確な演技で点をのばしてくる。前大会の得点では小塚選手が勝っているが、今回はどうなるか。小塚選手にとっては、まずは当面のライバルはチャンだろう。
2008.11.14
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<きのうから続く>ロシアが生んだ20世紀を代表する男性バレエ・ダンサー、ルドルフ・ヌレエフとミハイル・バリシニコフ。この2人の天才ダンサーが演じた『若者と死』(ジャン・コクトー原案、ローラン・プティ振付)が収録されたDVDは、日本でも出ている。2007/04/01発売ローラン・プティ・ガラ/若者と死ヌレエフ版は1967年のスタジオ撮影。ヌレエフは相手役にプティの妻でもあるジジ・ジャンメールを希望した。準備期間は1週間と非常に短かかった。というより、たまたま空いたヌレエフのスケジュールを埋めるのに、この作品の撮影を選んだと言ったほうが正確かもしれない。ヌレエフ版では、若者が死んだあと部屋の壁が上がり、パリの夜景が現れるシーンは省略されている。ヌレエフ演じる若者が、絞首台となった柱で首を吊ったところで終わっている。ホワイトナイツ 白夜(DVD) ◆20%OFF!バリシニコフ版は映画『ホワイトナイツ』の冒頭にある。これは劇場で上演されている『若者と死』を編集したスタイルになっており、満員の客の入った大劇場での公演の様子をドキュメンタリー風に撮りながら、スタジオ撮影と組み合わせて、さまざまなカメラアングルを工夫した、非常に凝った演出になっている。パリの夜景が現れるシーンもある。私見だが、ヌレエフ版、バリシニコフ版、熊川版の3つの中で、もっともカメラワークが優れているのがバリシニコフ版だ。『ホワイトナイツ』の制作者による解説でも、この冒頭のバレエシーンの演出には細心かつ最大限の注意を払い、工夫を重ねたと言っている。映画の観客は、ときに映画の中の劇場の観客と同じ空間に座って一緒に舞台を眺め、ときに劇場の客席からでは望めない距離あるいは方向からバリシニコフの表情や動作を堪能することになる。ただ、バレエ作品として見ると、途中一部カットされてしまっているのが残念だが、あくまで映画の中のバレエシーンなのだから、仕方がない。バリシニコフの踊りを見ると、ヌレエフを相当に意識しているのが感じられる。バレエ・ダンサーの優劣がテクニックで決まるのであれば、バリシニコフは恐らく、ヌレエフを凌いで最高峰に位置づけられるダンサーだろう。ヌレエフが、回転動作でときどき軸がブレたり(←GOEマイナス1?・苦笑)、完全に回りきる前にフリーレッグを降ろしてしまったり(←ダウングレード?・苦笑)しているのに対し、バリシニコフはまるで精密機械のように動作の最初から最後までまったく軸がブレず、ピルエットでも常に完璧に回りきってから脚を下ろしている。また、跳躍技のあとの着地でも、空中で余裕をもって回りきって降りてくるから、微動だにしない。意識的に動作を一瞬ピタッと止めている。ヌレエフの踊りで、テクニック的に少し「気になる」部分を、あたかも意識的に完璧に修正して演じて見せたようですらある。全身にみなぎる緊張感も、ヌレエフにはないものだ。だが、その完璧さが、逆に物語のドラマ性を弱めているかもしれない。ヌレエフ版『若者と死』は、実のところヌレエフの踊りとしては、跳躍技の高さも回転技の技術も今ひとつだ。ヌレエフといえば、まるで重力がなくなったかのように、ふわりとジャンプする――その高さと滞空時の静止画のような男性的なポーズの力強さと美しさが図抜けている――というイメージがあるが、『若者と死』はそうしたバレエではなし、小道具が並んでいる狭い舞台空間でリハの期間も短かったということもあるかもしれない。一言で言えば、バリシニコフほど「テクニック的にはリキが入っていない」のだ。それでもヌレエフ版『若者と死』は、ヌレエフという男性がもつ自然な魅力が不思議ににじみ出てくる作品になっている。魅力というより、魔力といったほうが適切かもしれない。ダンサーとしてというよりも、あくまで1人の男性、1つの存在として、ヌレエフが醸し出す魔力だ。不思議なことに、見れば見るほど味わいが深くなる。こうした磁石のような魅力は、バリシニコフ版には薄い。このバレエは、男性が上半身裸で演じる。バリシニコフは明らかに「見せる筋肉」を上半身につけている。ヌレエフにはそうした人工的なトレーニングの気配はみじんもない。生来のたくましさに均整のとれた筋肉をまとったダンサー。ヌレエフの筋肉は見せるために作ったものではなく、あくまで踊るために身についたものだ。身体の動きは非常にしなやか。ヌレエフという人は、特段イケメンではないが、顔の表情には、毒気をはらんだ媚態のようなものがある。それも教えられて身につけたものには思えない。ヌレエフという人が元来もっている、得体のしれない魔力のようなものが、身体全体、そして顔の表情から漂ってくる。プティの語る「男性的で、クレイジーなところがあり、踊り手としては超絶技巧だが、自然でなくてはならない」という「若者」のイメージは、まさにヌレエフを指しているように思う。熊川版の舞台『若者と死』が素晴らしかったのは昨日書いたとおりだが、残念ながら熊川版DVDには激しく落胆させられた。ヌレエフ&バリシニコフと比べるのが、そもそもおこがましいという人もいるかもしれないが、ダンサーとしてどうこう以前に、演出がひどすぎる。舞台『若者と死』はダンサーだけでなく、振付、音楽、舞台美術すべてが一体となって感動を誘った。バレエはまさしく総合芸術なのだ。舞台とDVDは違うとはいえ、熊川版DVD『若者と死』は、舞台ではほぼ完璧に表現されていた総合芸術を安手のトレンディドラマに変えてしまった。バレエダンサーは俳優とは違う。単に女性とセクシーに絡んだり、彼女に振られて悲しんでる表情をしたりといったドラマの表現では、ダンサーは(イケメン)俳優にはかなわない。だが、ダンサーには俳優にはない魅力があるはずだ。第一にダンサーは姿勢がいい。立ち姿が何もしなくても美しいし、ポーズもバランスが取れていて、身体全体に緊張感がある。動きも無駄がなく、流れるよう。熊川版DVD『若者と死』は、変にワザとらしい表情を作った顔のアップを多用したり(しかもワンカットが長い)、スローモーションを入れたり、「スタイリッシュ」に撮ろうとして、返って熊川を三文役者にしてしまった。最近、時代劇の立ち回りなどでもスローモーションが多用されるが、あれは要するに、近ごろの役者――特に経験の浅い若い役者――が「動けない」からだ。「動ける」ダンサー、しかも非常に機敏に流麗に動けるダンサーを使ってドラマを作るなら、俳優には真似できない身体を使ったドラマ性の演出を心がけるべきであって、熊川哲也の「顔芸」なんて、熊川ファンなら喜ぶかもしれないが、バレエファンが見て感銘を受けるようなものではない。カットする部分も完全に間違っている。舞台では、部屋の壁が上がり、女性が死神となって再び現れ、若者が木偶人形のように、彼女について歩くシーンがある。そして、階段を上がり、パリの夜景を見下ろす位置に来たところで、死神がどこかをまっすぐに指差す。この部分は生の世界から死の世界への移行を意味している。熊川の舞台は非常に素晴らしかったのに、ただ歩くというモーションが冗長だと判断されたのか、DVDではほぼ全部カットされてしまった。パリの夜景は「死後の世界」の象徴なのに、ラストシーンでは空しか映っていない。「天空への旅立ち」だという新たな解釈なのかもしれないが、それではこの作品でパリの夜景がもっていた力強い象徴性が薄れてしまうし、そもそも「死=空へ」というイメージがチープだ。どうしてこんなバカげた「改悪」をするのか。ヌレエフ版のほうは、若者が首を吊ったポーズで終わる。パリの情景が入っていないのは、準備期間が短く、セットを用意できなかったという現実的な問題があったのかもしれない。ヌレエフ版は、絞首台と若者以外は何もない白い空間でラストとなるのだが、空中にぶら下がったヌレエフの身体のラインが、足先まで非常に美しく、神々しくさえ見える。熊川版のような安い三文ドラマの終わりとは違う。どうしてこういう演出ができないのか。プティが熊川に「若者」を踊る権利を許諾してくれたことは喜ばしいことだ。今後も熊川は舞台で『若者と死』を演じていくつもりだという。舞台は「総合芸術」として素晴らしいのでお奨めだが、DVDを見る限り、熊川というダンサーは、ヌレエフやバリシニコフとはスケールが違いすぎる。DVDの解説では、熊川の「若者」は表現力ではバリシニコフ以上のものがある、などと持ち上げているが、いくらなんでもそれは身びいきが過ぎるというもの。ヌレエフの現役時代の話をすると、プティはヌレエフ+ジャンメールの『若者と死』の収録を終えたあとも、この作品をヌレエフに舞台で演じてほしいと思っていた。『若者と死』は、舞台装置も単純だ。最後のパリの夜景が現れる部分を省けば、テーブル1つ、椅子4脚、ベッド1台、それに絞首台になる柱があればいい。それなのにヌレエフが公演の演目に入れないので、なぜ踊らないのかとプティは何度もヌレエフに直接尋ねている。ところが、プティが『若者と死』を、ヌレエフの後に現れたロシアのもう1つの輝ける才能に許諾すると、ヌレエフはプティにこんなことを言ってきた。「『若者と死』の振りをミーシャ(バリシニコフ)にあげてしまったの? 僕は彼より前に踊ったことがあるのに。どうして僕の巡業用の作品にしてくれなかったの?」(新風舎『ヌレエフとの密なる時』ローラン・プティ著 新倉真由美訳)この微妙に甘えた物言いの裏には、ヌレエフとプティの「特殊」な関係がある。<明日へ続く>
2009.05.26
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太田由希奈選手、引退発表。お疲れさまでした。あなたは本当に美しかった。<ここからは、きのうから続く>ヤグディンをオリンピックチャンピオンにするために、タラソワはすべてを捧げたといってもいいかもしれない。ミーシン&プルシェンコ対タラソワ&ヤグディンのオリンピックでの金メダル争いは、まさしく死闘であり、選手同士以上に、コーチ同士の闘いだった。だんだんとプルシェンコに負け始めて、自信を失ったヤグディンの「こころ」を支えるため、タラソワは分析医を呼び寄せて、一種の催眠療法まで行っている。ミーシンは、ヤグディンよりもプルシェンコのジャンプやスピードのある滑りの才能を評価した。プルシェンコは男子では珍しい、ビールマンスピンができる選手でもあった。ヤグディンは結局、プルシェンコとのコーチの奪い合いに負けて、タラソワのところに行ったのだ。だが、タラソワは、プルシェンコにはないヤグディンのスケーティングの才能をちゃんと見抜いていた。プルシェンコのエッジ遣いは直線的で速さはあるが、実は「深さ」と「伸び」がやや足りない。高橋選手の得意とする「ディープエッジ」は、プルシェンコにはなかった。それをカバーするために、プルシェンコは激しい上半身の動きを入れる。ヤグディンは深いエッジ遣いもでき、ゆったりとした滑りの中で音楽の「透き間」を表現できる不思議な能力があった。ヤグディンが滑っていると、ロシアの大地――その広さとおおらかさ――を感じることがあった。観る者の想像力を刺激し、別の世界をイメージさせるのは並大抵のことではない。ヤグディンはそれができる数少ない選手だった。どこまでもテクニックで圧倒してくるプルシェンコとは違った魅力が、確かにあった。ヤグディンがオリンピックで最初の連続ジャンプを完璧に決めたときの毛皮のマリー、いやタラソワコーチの喜びようは凄かった。タラソワ自身、選手だったときは怪我もあって成績を残せなかった。ミーシンのほうが、選手としてはタラソワより格上だったのだ。コーチになってからは、ミーシンはウルマノフ、タラソワはクーリックというオリンピックチャンピオンを育てた。ソルトレークでヤグディンが勝ったとき、タラソワはコーチとしてもミーシンに勝ったのだ。タラソワが偉大なのは、このとてつもない勝負強さと強靭な精神力ゆえだ。やや自信過剰で、それがときに思わぬ墓穴を掘ったプルシェンコと違い、ヤグディンはどちらかというと揺らぎやすい性格だった。「もうボクはジェーニャ(=プルシェンコ)には勝てない。引退したい」とヤグディンが弱音をはいたときも、「つまり、最低だって銀メダルってことよ。何をクヨクヨすることがあるの」と励ましたという。そうやって私的な相談に乗れたのも、師弟が同じロシア語を話したからだ。浅田選手とタラソワコーチが、これほどの密な関係を築くのは、言葉の壁もあって、相当難しい。そうはいっても、浅田選手がシニア最悪のスコアを出した試合のあとで、「マオが順当だったら、あなたたち書くことなくなるでしょ」なんて人を食ったようなことをメディアに言えるタラソワは、やっぱりすごい。あの結果は、どう考えたって、タラソワにとっても予想外に悪かったハズだ。タラソワの自信と確信が浅田選手にプラスの影響を与えることは間違いない。だが、ソルトレークの男子シングルの再現を期待するには、やや無理がある状況だということも忘れてはいけない。コーチと選手の関係も徐々に変わってきている。以前のように、親子のようにぴったりとコーチと寄り添って世界トップを目指すというより、いろいろなコーチに習って、それぞれが得意とする要素を吸収しようというドライな流れになってきている。だが、どんなにメディアが、「特別な存在」であるかのようにおだてても、フィギュアスケートの選手というのは非常に若く、精神的支柱を必要としている。選手生命があまりに短く、若くなければできない競技の典型だからだ。佐藤有香が長野五輪の解説で、いみじくも言ったように、「選手をコントロールするコーチの力」がものを言うのがオリンピックであることは、バンクーバーでも変わることはないだろう。最後に、NHK杯の公式練習の調子を見て:NHKでは、浅田選手がトリプルアクセル+ダブルトゥループの連続ジャンプ(フリー冒頭で予定)を公式練習で「成功させた」と言っていた。確かにちゃんとこの女子では超難度の2連続のジャンプを降りているようには見えた。だが、実際には「ほとんどダメ」。最初のトリプルアクセルが回転不足気味だった。2トゥループのほうはさすがに回転不足ではないように見えたが、最初のトリプルアクセルが「降りてから回ってしまっている」のがほとんどで、これでは回転不足判定→ダウングレード→GOE減点が待っている。つまりトリプルアクセルではなく、ダブルアクセルの失敗だとみなされる運命なのだ。フランス杯でアメリカのジャン選手は、最初の3F+3Tを両方とも(!!!)回転不足判定されてしまい、ダウングレード、GOE減点の結果2.24点にしかならなかった。あれはさすがにかわいそうだ。たとえ決めたように見えても、きっちり回りきって降りてきていないジャンプは容赦なく減点される。だからみなさんは、浅田選手がもし失敗せずに3A+2Tを降りて、アナウンサーが「決まりました」と言ったとしても、そのまま真に受けてはいけない。判断のポイントは「降りてからグルッと回っているかどうか」。もしそうだったら、下手したら転倒より悪い点になるということを含んで見たほうがいい(なんつー、ツマラン話だろうね、まったく!)。ちなみに浅田選手はセカンドジャンプで片手をあげるが、あれは難しいのだ。浅田選手のセカンドに跳ぶ2トゥループはまったく飛距離が出ないし、高さもないので、そのままだと加点は難しい。片手あげで2回転ジャンプの難度を上げて、GOEの加点を狙っているというわけ。トリプルアクセルはフリーだが、浅田選手のショートでの課題は、なんといっても最初の3F+3Loの連続ジャンプ。フランス大会では、セカンドジャンプがスッポ抜けて1回転になってしまった。せめて2回転にしないと点は出ない。それと3ルッツのエッジ。フランス大会では、「!」判定(wrong edge short)されたうえに2回転になるという最悪の出来。この2つのジャンプをどれだけ立て直してくるかが最大のポイント。ジャンプが不安な浅田選手とは対照的に、織田選手は記者会見で自分でも言っていたように、非常にジャンプの調子がいい。4回転からの3連続ジャンプ(しかも4+3+3!)という、これまた超最高難度の技を成功させていた。4回転+3回転の2連続ですら高橋選手にはない技だ。本番でどうするかはわからない――モロゾフは公式練習で選手にやらせて、できるところを見せつけた難度の高い技を、本番では回避させることが多い。これはモロゾフの作戦の一環――が、これまでの試合では4回転単独でも失敗ばかりだったことを考えると、調子のよさは明白。それに、織田選手はもともとアクセル以外のジャンプの、特にランディングの柔らかさは天下一品なのだ。きちんと降りはするが、降りたときに氷の削りカスが飛んでしまう高橋選手の硬いランディングとは質が違う。GOEでの加点を期待できる、非常にきれいなランディングからの流れをもっている。4回転からの3連続を成功させ、やや苦手のトリプルアクセルでミスをせず、他のジャンプも決めれば、いきなり世界チャンピオンだろう(まぁ、本番でそれができれば誰だってチャンピオンだけど・苦笑)。ともかく、織田選手が、世界のトップで争える力があることは、公式練習で十分ジャッジに見せつけたと思う。本格的な国際大会の復帰戦――織田選手は今シーズン、出た国際大会ではすべてキチンと結果を出しているが、グレードの高いNHK杯こそ、復帰第一戦といっていい――に向けて、非常にいい仕上がり。本番が楽しみだ。またジャンプの回数の規定違反でキックアウトされないようにね、ノブ君。キミもすでに2回はやっているね。
2008.11.28
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東京ミッドタウンのすぐ目の前に、1年半の期間限定でオープンした「メルセデス・ベンツ コネクション」。1階がクルマを展示したギャラリーになっており、その脇にカフェがある。2階はレストランとバー。ある週末、2階のレストランでランチを食べてみた。ブッフェスタイルの前菜、メイン料理、デザートバイキングというスタイルで、設定価格もかなり良心的だった。レストランUPSTAIRSはモダンでスタイリッシュな内装。ドアを開けて進むと、クルマのデザインとのつながりを感じさせる機能的なフォルムのオブジェが出迎えてくれる。メルセデス・ベンツの店らしく、照明にブランドロゴであるスリーポインテッド・スターのデザインを施すなど、「これで本当に1年半しかやらないの?」と思うような力の入れようだ。バイキングの食事は基本的に好きではないのだが、この店のブッフェスタイルの前菜には驚かされた。本格的なイタリア料理で、どれを食べても素材の味がしっかり活きている。野菜はかなり厳選したものを使っているようだ。素材の調達能力からして並々ならぬ「コネクション」を感じさせる。2人で行って、スープランチとパスタランチを選ぶMizumizu+Mizumizu連れ合い。こちらがスープ。ミネストローネということだが、ぷっくり浮いた数々の野菜を味わう感じだ。こちらがパスタランチ。スープランチよりも、個人的にはこちらのほうがお奨め。テーブルに置かれたとたん、生のチーズの新鮮な香りが漂ってきた。缶入りのパルメザンチーズでは出せない香りだ。厚切りのパンチェッタはほどよくカリッと火が通り、トマトソースは少し濃厚。スパゲッティの下に、大きなイタリア茄子が隠れていた。たっぷりのオリーブオイルを含んだイタリア茄子は、まさにそのまま素材を味わってもらうためのもの。前菜もメインも、主役の料理は明らかに野菜。なので、野菜が苦手な人には向かない。Mizumizuは野菜大好き人間ではないのだが、ここの野菜が一味も二味も違うことはよくわかった。デザートバイキングも1つ1つは小さいが、味は凝っている。ガラスの棒にささっているのはパウンドケーキ。時計回りに、ガトーショコラ、かぼちゃのロールケーキ、フルーツタルト、ガラスの器に入っているのがフロマージュブラン。フロマージュブラン以外は、全部甘かった(苦笑)。だが、それにしても、この場所で、この種類と味で、この値段というのは驚く。もしかすると、レストランで儲けようと思っていないのではないかとさえ思う。つまり、あくまでメルセデス・ブランドに親しんでもらうための宣伝の一種で、レストランの採算は度外視なのではないかと・・・あるいは、オープンしたばかりだからリキが入っているのか?だんだんと「やっぱりこれじゃ、あまりに合わない」ということで、サービスする人が減り、品数が減り、味が適当になっていく・・・なんてことはないのだろうか?あるかもしれない。六本木で野菜中心の本格イタリアンを食べたいなら、早めに(?)行こう、「メルセデス・ベンツ コネクション」のレストランUPSTAIRS。しかし、1年半たったら、これだけカネをかけた内装のレストランをどうするのだろう? そんな心配までしてしまった。
2011.08.01
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「rules」――西荻窪、北口。骨董品や個性的な雑貨を扱う店の多い道を抜け、善福寺方面に向かってしばらく歩いた半住宅街にその店はあった。ブリティッシュテイストのデスクに、さりげなくアクセサリーやポーチを並べた、貴族的な日常を感じさせるディスプレイに惹かれて入ってみる。すると、そこにはファブリックとレザーを上品に組み合わせた、ハンドメイドのバッグの数々。デザインは一見クラシカルだが、斬新さもさりげなく取り入れている。手作りのぬくもりを残しつつ、細部まで丁寧につくりこんだ職人技の光る逸品が並んでいる。壁に掛けられた、リズミカルな柄物のバッグ。花と鳥のハーモニーが楽しい。見ているだけで気持ちが明るくなる。ゴブラン織りの横長の小ぶりのバッグに目が留まる。裏地もしゃれていて、レザーのハンドル部分にはスエード調の人工皮革の裏張りがしてある。柄はフランスの古風な貴婦人のイメージだが、紫の1つボタンで留めたシンプルなデザインは今風だ。Mizumizuはスクエアなカタチのバッグが大好き。同じデザインでファブリックを替えて作れるということで、いろいろ見せていただく。こちらはハウンドトゥース・チェックのツイード。かなりブリティッシュな優等生的なイメージ。フローラル刺繍が上品なフェミニンなバージョンも。布の切り方、つまり花の位置を工夫してあるのが、よく分かる。生地を見せてもらうと、Mizumizuがよく着るブルーの服に合いそうなフローラルパターンを見つけた。花柄のバッグは案外持っていないので、その生地を使って作って、同じデザインで作ってもらうことにした。職人でもあるオーナーと、裏地やボタン、ボタンにかける紐なのど色を打ち合わせる。いったん全部決めたのだが、後日さらに「裏地に使う布は、こちらのほうがベター」という提案を受けた。裏見返しの部分をより厚くて強い生地にして、裏地は無地のシャグリーンカラーで爽やかさを出したいとのこと。Mizumizuが書類に書いた電話番号が間違っていて(汗)、連絡がつかなかったということで、rulesのほうで布地の見本を郵送してくれた(住所は間違って書かなくて、よかった・笑)。ちなみに、裏見返し部分の色は写真では黒に見えるが、実際はネイビー。もちろんご提案どおり。お任せする。こちらが出来上がったMizumizu注文のブルーローズ柄。写真は片面しか映っていないが、両面で柄の取り方が違い、ひっくり返すと、視覚的に楽しい。鏡に映っているので分かると思うが、サイドはネイビーでマチがしっかり取ってあるので、大きさのわりには案外入る。ハンドルはネイビーのレザーで、裏はレッドの人工スエード。持ってみるとしっとりと手になじむ。ボタンは紫で、紐が赤。円いボタンの裏は、四角の小さな半透明の貝ボタン。細部まで手がこんでいる。お出かけ用バッグのバリエーションが広がり、とても嬉しく、満足した。価格も俗に言う「西荻価格」で、特注ハンドメイドのわりに高くない。ついでにシルク製イヤリングもお買い上げ。シルクなのでとても軽い。耳につけてみると、華やいだボリューム感があり、リゾートチックな雰囲気だ。色はいくつかあったが、Mizumizuが選んだのはレモンイエローにライムグリーンのコンビ。ちょうど合う夏用の服があるので、夏に活躍してくれそうだ。さりげなく上質の、心地よいハンドメイド。西荻は全体としては、アジアンチックな、ゆる~い雰囲気の街なのだが、つぶさに歩くと、ふっとこういう旧き良きヨーロッパの伝統を受け継ぐ店にも出会える。懐の深い街だ。
2017.06.09
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いやはや、いやはや…もはや誰も勝てない。グランプリファイナルのイリア・マリニンの演技を見て、ほぼすべての観客はそう思ったのではないだろうか。謎の加点で勝つわけでもなく、多分に主観的なプログラムコンポーネンツの爆盛りで勝つわけでもない。ジャンプの難易度に沿った、極めて分かりやすい勝利。フィギュアは基本的に基礎点重視の採点でいくべきだというのが持論のMizumizuにとって、今回のマリニンの勝利は、プルシェンコ独走時代の幕開けとダブる。時代が違うから、ジャンプの難度は当時とは雲泥の差があるのだが、世界中の一流選手を集めたワールドの場でも、「頭ひとつ抜けた確かなジャンプ力」のある選手。それがプルシェンコであり、マリニンだという印象。ほとんど誰も跳べない超高難度ジャンプである4Aの基礎点を下げるという、暴挙に等しいルール改正を受けて、「4Aは入れないかも」と言っていたマリニンだが、シーズンの幕があくと、このハイリスクジャンプをきちんと入れて、さらに、4ルッツ、4ループ、4サルコウ、4トゥループまで入れる。さらにさらに、3ルッツからの3アクセルという、すんげ~~シーケンスまで決めてみせた。あえてケチをつけるとすれば、フリップがないのが不満。4回転時代になってからのジャンプの偏りはずっと気になっているのだが、やはりここはルール改正が必要かなと思う。ボーナスポイントによる加点ではなく、アクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トゥループをまんべんなく「入れなかった」場合に全体のポイントから減点をする、というのはどうだろうか。これならば多回転を競うだけではなく、ルッツとフリップの踏み分けができるか、高難度とされるジャンプは跳べても実は苦手とするジャンプがあるのではないか、という点が明らかになり、ジャンプの技術を見るうえで非常に有意義だと思う。ループを避け続ける加点爆盛り女王とか、アクセルが苦手なスケート技術絶対王者とか、要はMizumizuは個人的に、そ~いうのが嫌いなのだ(読者は分かってると思うが)。フィギュアスケートは世界レベルになればなるほど、莫大なカネが絡む。だからこそ非常に政治的意味合いが強くなる。タイムを競うような競技ではないから意図的な操作も可能だ。だからといって、「誰か」を五輪で勝たせるために、理不尽かつ無茶苦茶なルールをまかり通すなど、あってはならないことだし、いつまでもそれは言い続けると思う。ルッツとフリップの踏み分けと言えば、忘れられないエピソードがある。不正エッジによる減点という明確なルールができるずっと前、マリニン選手の母、タチアナ・マリニナ選手がNHK杯で優勝したことがある。表彰台の中央で喜びを全身で表すマリニナ選手。彼女に対する解説の佐藤有香の賛辞の言葉が忘れられないのだ。「トリプルジャンプ、トリプルジャンプと追い立てられて、ルッツとフリップを正しく跳べる選手がほとんどいない。マリニナ選手はきっちりアウトとインにのってルッツとフリップを跳べる選手」。記憶ベースなので表現は多分違うだろうけれど、そういった意味のことを言っていた。慧眼だと思う。話をマリニン選手に戻して、彼が「皇帝」の名にふさわしいと思う、もう1つの理由は表現力の格段の進歩だ。宇野昌磨選手の洗練を極めた表現とは比ぶべくもないが、マリニン個人としては昨シーズンに比べてぐっと「魅せる」プログラムになってきた。昨季までは、「あ~あ~、スタイルいいのに。やっぱりそれだけじゃないのね、フィギュアの表現力って」という感想だった。1年でこれほどブラッシュアップしてくるとは、素晴らしいの一言。回転力は神がかり的なので、もう少しスケートが伸びればよいし、ジャンプ以外の表現を磨いてほしいところだが、この1年での進歩を見れば黙っていてもやってくれるだろう。凄い選手が現れた。羽生選手が去り、ネイサン・チェンが去り、宇野選手も次のステージへ行く時期が来ている。それでも、次の輝かしいスターが生まれた。願わくば、怪我なく五輪まで行ってほしい。そしてその稀有な才能で、他の選手のレベルも引き上げてほしい。
2023.12.10
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平昌五輪の女子シングルの女王は、個人的にはメドヴェージェワ選手だと思っていることはすでに書いたし、今のその考えに変わりはない。同じことやってるだけなのに、五輪が近づくにつれ演技・構成点がどんどん爆上げされていく選手がいるのは、バンクーバー五輪に端を発する「流れ」なので、それについてはもう今さら触れないが、けがをする前は「敵なしの絶対女王」だったメドヴェージェワ選手のジャンプの技術に対して、実はかねてからMizumizuにはどうしても気になる点が2つあった。まず1つはルッツのエッジ。シニアに上がってきた当時からメドヴェージェワ選手のルッツのエッジは非常に疑わしく見えた。にもかかわらず、判定は一貫して彼女に甘かった。明らかなwrong edgeとまでは言えないかもしれないが、といって明確にしっかりアウトサイトにのっているとも言いきれない。ちなみに五輪前のヨーロッパ選手権では!(アテンション)がついたが、減点はなく、やや加点が抑制されたかな、ぐらいの採点。もう1つは連続ジャンプの「間のび」。これはソチでのロシア代表シングル女子にも見られたが、最初のジャンプを終えて次のジャンプにいくまで、ひざを曲げ、腕を振るようにしてかなり「構え」てから跳ぶ。簡単に言うとポンポーンと跳ぶ感じがないのだ。後者については今のルールでは、他の高品質要素があれば減点の対象にならないようで、その傾向はソチから一貫しているから別にメドヴェージェワ選手だけに甘いという話ではないが、前者のルッツはどうにもスッキリしない。もしメドヴェージェワ選手がルッツが得意なら、ショートにも入れるはずだし、フリーにも2度入れるだろう。アクセルジャンプについで基礎点の高いジャンプなのだから。ザギトワ選手はショートに1回、フリーに2回ルッツを入れ、さらにフリップもフリーに2回入れている。で、オリンピックのフリー。メドヴェージェワ選手のルッツのエッジはどうか…と目を光らせるつもりでもちろん録画もしたのだが、OH! NO! カメラが彼女のルッツのときに突然上方に切り替わり、よく見えなかった!しかし、その視点からだと、やはり若干インサイド気味に見えたのだ。画面では黄色の「審査(レビュー)」の印がついた。回転不足はないジャンプだから、当然これはエッジの判定のためのレビューだ。が、やはりというか、ルッツに!もEも入らず、そのまま加点ジャンプとなった。だから、メドヴェージェワ選手の平昌五輪でのルッツは、あまり信頼がおけるとはいえない技術審判団にとってはちゃんとしたルッツだったのだろう。五輪技術審判団に認められるルッツ(しかも加点も2以上でモリモリ)が跳べるんだったら、なんでショートに入れないのだ? なんでフリーで2回跳ばないのだ? ひるがえってザギトワ選手は、ルッツをショート1回、フリーに2回入れて、Mizumizuの記憶では、シニアに入ってエッジに疑問符がついたことはない。フリーにはルッツの次に基礎点の高いフリップも2度入れている。これは、マジで「最強」のジャンプ構成だ。後半に入れる凄さと、反面後半がジャンプばかりになるバランスの悪さばかりが言われているが、ザギトワ選手の「エッジに不安がない」強さはもっとクローズアップされていい。これまでずっと続いてきた五輪女王の条件。それは2回目につける3回転を回転不足なく回れること、そして3ルッツをエッジの不安なく跳べることだとMizumizuは書いた。そして、今回もなぜか、そうなったのだ。これは単なる偶然かもしれない。たとえば五輪が去年開催だったら、メドヴェージェワ選手に対抗できる選手はいなかった。ルッツが1回でも、手をあげて跳べるとか、映画の物語の主人公になりきれる表現力だとかがクローズアップされて、彼女のルッツのエッジが微妙であることは、忘れ去られたかもしれない。だが、1点、2点を争うガチンコ勝負になったとき、モノを言ってくるのは欠点のない技術力。今回女王になったザギトワ選手に揺るぎないルッツがあったことは、メディアで誰も指摘しないからこそ、Mizumizuが書いておきたい。男子シングルにもやはり、隠された王者の条件があったと思う。それはトリプルアクセルの強さ。4回転が勝負を決めると言われ、実際にそう見えるが、羽生選手は2つ目の4回転トゥループを連続ジャンプにできなかった。単独ジャンプが2回になると基礎点が削られるから、これは見た目以上に大きな失点になる。ところが、その直後に3A+1Lo+3Sを決めてしまう。これができたからこそ、66年ぶりの快挙もあった。エキシビションで回転を遅らせたアクセルジャンプを見せ、そのあとすぐ3回転アクセルを見せていたが、あれぞ羽生選手の真骨頂だ。五輪王者にふさわしい資質を備えながらシングル個人の金メダルのなかったランビエール選手やパトリック・チャン選手と羽生選手の違いを1つ挙げるとすれば、やはりMizumizuにとってはこのトリプルアクセルの技術力の差になる。メディアでは、後半にジャンプをかためることの是非や男子の4回転の話ばかりになっている。時代は流れ、技術は進み、3回転ルッツやトリプルアクセルが女王や王者を決めた時代は過去のものになるかもしれない。だが、今は少なくとも、やはりこの原則は生きている。
2018.02.25
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<先日のエントリーから続く>ローラン・プティは、ヌレエフがプライベートでも天性の誘惑者だったと言っている。ヌレエフの視線は、「あなたを好きになりそうなんだけど、いい?」と言っているかのよう。そうして、狙った獲物を手に入れると、いとも簡単に新しい獲物のほうへ行ってしまう。ヌレエフが最も愛したのは、若い男の子で、やはりというべきか、筋肉質な肉体と尽きせぬ活力をもった年下のダンサーをとりわけ好んだ。ヌレエフはソレント半島の沖にある島に邸宅を構えるが、ロココ調の家具のおかれた部屋の豪華な装飾を施した壁には、そうした全裸の男性たちの絵画が飾られていたという。アメリカ人ダンサーでヌレエフの愛人の1人だったロバート・トレーシーは、『Nureyev and me』の中で、39歳のヌレエフが愛したのは、23歳の自分の「若さ」だったと語っている。2人はバレエ公演のリハーサルで出会い、すぐに関係を持った。ホテルの部屋に誘ったのは、もちろんヌレエフのほう。「ヌレエフは私の脚とそれにジャンプが好きだった。私たちはほとんど一目で肉体的に惹かれあった」(トレーシー)。もっともトレーシーは、ヌレエフを独占しようと思ったことはなかった。できるとも思っていなかった。ヌレエフには「300万人」(←いくらなんでも、そりゃないだろうが)の若い男の子がいた。もちろんトレーシーより若く、もっとナイスなバディ~を持った取り巻きも。トレーシーもヌレエフに束縛されたくなかった。トレーシーは最初のうち、世紀の大スターとたいしたことないダンサーの自分が、「長続きするはずがない」と思っていた。だが、2人の関係はやがて友情に落ち着き、ヌレエフの死の直前まで続いた。プティの言う、「ジュピターのように移り気で、ユノのように貞淑」なヌレエフらしいエピソードだ。女性との関わりで言えば、トレーシーはヌレエフから、「3人の女性と関係をもった」と聞いたという。40歳を超えたヌレエフは息子を欲しがっていた。ヌレエフによれば、彼の子供を妊娠した女性が2人いたが、どちらも中絶してしまったという(←なんか、ジャン・コクトーみたいなことを言ってる)。ヌレエフは、プティにはこんなことを言ったという。「僕はマーゴと結婚すべきだったかもしれない。彼女こそ僕の運命の女性だった」ヌレエフはエイズを発症したあとも、それを一切公表しないまま舞台に立ち続けた。晩年は、胸にコイン大の金属片を埋め、2~3日ごとに金属片についたネジを抜き、そこから注射器で心臓を拡張する液体を注入していた。そうやって彼は舞台に立ち、偉大なダンサーの役を演じ続けた。病状は悪化する一方で、彼を栄光の高みに引き上げた筋肉は破壊されていたが、それでもヌレエフは偽りの健康を装った。何も知らない観客からブーイングを浴びせられると、蔑視のポーズで答えることを忘れなかった。ヌレエフがこの世を去ったのは、1993年1月6日。「彼の死に顔は、彼が愛していた若者の顔立ちのようにほっそりとして美しかった。それは井戸の中に映し出された自分の裸体にうっとりと見とれ、悦楽とともに自らに恋焦がれたナルシスが乗り移ったかのようだった」(『ヌレエフとの密なる時』)ジャン・コクトーの作品は未来を予見するとジャン・マレーは言った。事実『双頭の鷲』では、ジャン・マレーとエドヴィージュ・フィエールの死期を予言するような台詞がある。そして、1967年の『若者と死』で健康なヌレエフが演じた、「カクッ」とうなだれて死んでいく若者の顔は、プティのこの描写の予言のよう。白々とした空間で一瞬アップになるヌレエフの死に顔は、まさにナルシスのように美しい。このときの撮影では、ヌレエフはパウダーをはたきながら、「僕のスクリーン映りはどう?」とプティに、いたずらっ子のように微笑みかけた。「マリリン・モンローよりステキだよ」とプティが答えると、ヌレエフは大ウケして笑い転げた。そして喜々として準備にいそしんだという。14歳も若く、強靭で、無限のエネルギーに満ちていたこの若者の死を、プティが看取ることになろうとは。比類なき若者、ヌレエフとの日々は、彼が永遠にいなくなったあとも、プティの心を去らなかった。ヌレエフは誰のものにもならない人だった。私のヌレエフ、君のヌレエフ、彼のヌレエフ、私たちの、あなたたちの、彼らのヌレエフ。1人1人にとって、それぞれのヌレエフが存在する。『ヌレエフとの密なる時』は、プティの見た夢とも妄想ともつかない、2人の「共演」で終わっている。それはヌレエフの死から4年たった1997年のある日。ヌレエフが歌いながらプティに近づいてきた。2人は数歩の距離で向かい合って立ち、それから一緒に踊り出した。その場でゆっくりと回転を始め、どんどん回転を速めていくと、大勢の群集がやって来て、観客となった。ヌレエフとプティはひたすら踊り続けた。そのときプティは、彼が愛してやまなかった不世出のダンサーが踊った作品の中でも、とりわけ素晴らしかったシーンを見る。『白鳥の湖』で黒のビロードに金と銀の装飾をあしらった衣装を着た王子役のヌレエフが、オデットを探しながら白鳥から白鳥へと走り抜けていくのだ。回り続けたプティとヌレエフのダンスがフィナーレを迎えようとしたとき、ヌレエフはまるで魔法にかかったように、プティの、そして集まった群集の目の前から消えてしまった。プティとヌレエフは現実では、ほとんど常に振付師とダンサーだった。2人の世界は時に交錯したが、仕事の面では軋轢も多かった。プティという惑星の近くを、忘れがたい強烈な輝きを放ちながら、時折通過していく流れ星、それがヌレエフ。だが、コクトーの小説『恐るべき子供たち』のラストシーンを彷彿とさせるようなこのエピローグは、世界的振付師としてではない、1人のダンサーとしてのプティの魂の告白だ。プティはただ踊りたかったのだ。1人のダンサーとして、1人のダンサーであるヌレエフと。ローランとルドルフと観客と、他には何もない世界で。<終わり>
2009.06.02
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浅田真央選手のコーチに就任したことで、ようやく日本人にも認知されはじめたタチアナ・タラソワ。だが、むしろ彼女は過去の伝説の名コーチで、ここ数年は半ば引退状態だったのだ。タラソワがどれほど素晴らしいコーチであるかについては、すでに去年から何度も何度も書いてきたので、繰り返す気はない。これも真っ先に書いたことだが、昨シーズンのタラソワ振り付けの浅田選手のショートプログラムを最初に見たときは感動した。気品あふれるタラソワ・ワールドをあれほど見事に表現できる選手は、女子シングルでは浅田選手をおいて他にはいないだろう。伊藤みどりは、昨シーズン1人で戦って結果を残した後輩に、尊敬の気持ちをこめて、「マオちゃんには、コーチ要らないんじゃないですか」と発言した。確かに、女子ではこれまでほんの数人しか成功していないトリプルアクセルという大技をジュニア時代から習得し、それでいて表現力も高く、スタイル抜群で見た目も美しい浅田真央という、めったに出ない大天才にふさわしい「格」をもったコーチはなかなか思いつかない。やはり答えは「タラソワ」にならざるをえないかもしれない。日本を離れて、アルトゥニアンにつけてしまったのは大失敗だった。「ステップからのトリプルアクセル」で浅田選手の歯車が狂い出したのだ。あの1年のトリプルアクセルの迷走は、今から考えてもとてつもなく痛い。タラソワの凄さ、それは選手を短期間で大変身させてしまうことだ。たとえば、バーバラ・フーザル=ポリ&マウリツィオ・マルガリオのイタリア人アイスダンスペア。このペアはタラソワにつく前は、世界選手権で5位あたりをウロウロしてるカップルで、明るいラテンのノリのよさが持ち味だった。タラソワは彼らを、得意の重厚でドラマチックな表現のできる大人の男女に変身させた。どちらかというと暗めで、凄みのある振り付けは意表をつき、フーザル=ポリ&マルガリオのイメージは完全に覆された。もちろん、「これまで誰も見たことのないフーザル=ポリ&マルガリオ」の世界はジャッジから高く評価された。そして、この「どうもいつもいま一歩」だったカップルは、あっという間に世界チャンピオンに駆け上がったのだ。ソルトレーク・オリンピックを翌年に控えていたので、当然タラソワにコーチングを依頼するのだろうと思っていたのだが、なぜかオリンピックのキス&クライにあのゴージャスな毛皮のマリー……いや、タラソワの姿はなかった。師弟関係を解消した理由は知らないのだが、とにかく、世界チャンピオンのフーザル=ポリ&マルガリオは、以前の「ラテン、チャチャチャ」の軽く明るい振り付けに回帰し、オリンピックでは3位に沈んだ。荒川静香が世界選手権を制覇したときの驚きも忘れられない。トリノで金を獲ったことで、あたかも荒川選手は、常に世界のトップにいた選手であるかのように錯覚している人も多いが、実際には、荒川選手は国際大会どころか、国内の大会ですらほとんど勝ったことがない。世界チャンピオンになった数ヶ月前の全日本では3位。世界選手権に行けるかどうかもギリギリの状態だったのだ。タラソワは当時サーシャ・コーエンを教えていたのだが、短期間で結果が出ないことに苛立ったコーエンサイドがタラソワとの契約を解除した。そこに素早く荒川選手をねじ込んだのが、スケート連盟の「女帝」と言われ、のちに久永氏の不正会計問題にからんで騒がれたあの人だ。荒川選手が世界チャンピオンになったのは、そのときのジャンプの調子が抜群によかったこともあるが、なんといっても表現力が飛躍的に進歩していた。今は「クール・ビューティ」と言われている荒川選手だが、10代のころさかんに言われていたのは、「笑顔がなく、表情に乏しい」ということ。フリーの長丁場になると、だんだん顔から表情がなくなり、まるで能面が滑っているようになってしまう。長野オリンピックのフリーでは、かわいらしい彼女のルックスにふさわしい――と振付師が思ったのだろう――夢見る少女のような可憐な振り付けがされたのだが、これがさっぱりしーちゃんの個性に合わず、表現力の未熟さばかりが目立った。同世代にクワンもいて、10代のころは逆立ちしたってクワンにはかなわない印象だったのだ。実際、長野ではクワンは優勝候補だったが、ほぼ同世代のしーちゃんは目標が10位。だが、フリーの最後にジャンプでコケる当時の「荒川静香のお約束」を見事に果たしてしまい、結局目標の順位にはほど遠い結果。とてもとても世界チャンピオンまで行くなんて、誰も想像もしていなかったのだ。だが、そのパッとしなかった荒川静香が、「あれ? しーちゃん、まだやってたの、スケート? 大学卒業まで?」状態だった荒川静香が、タラソワについたとたん、氷のようでありながら、心に情熱を秘めた高貴なお姫様になりきってみせたのだ。そこにいたるまで、荒川選手自身が、さまざまな苦難を乗り越えて精神的に成熟したというのもあったのだろうが、ドルトムントでのしーちゃんは、ジャンプも完璧だったが、表現力が圧倒的だった。顔の表情や腕の動かし方が以前の彼女とはまったく違った。もともと長身だから、その世界に入り込んでダイナミックな表現ができれば迫力がある。あのころの世界選手権の放送は本当に地味だった(苦笑)。しーちゃんが優勝しても(決まったのは日本時間で夜中か未明かだったと思う)、ブログはまだなかったし、喜んで祝福していたのは「2ちゃんねらー」ぐらい(再苦笑)。メディアもそれほど注目しなかった。世界相手に戦うフィギュアより、国内の高校生がやる野球のほうがスポーツ紙の扱いが大きいような状況だったのだ。このタラソワマジックには舌を巻くしかないのだが、タラソワが世界一のコーチとして文字通りフィギュア界に君臨していたのは、あくまで旧採点システムの時代なのだ。タラソワのプログラムの特長は、今季の浅田選手の『仮面舞踏会』に見るように、要素と要素の間の表現密度を異様なほど濃くして、芸術性を高めることにある。一方、エレメンツの出来を1つ1つ点数にしていく新採点システム――しかも今年からはよりその傾向が高まり、ちょっとしたミスで厳しく減点される――では、タラソワスタイルは選手には過重な負担を強いる。昨シーズンのタラソワ振り付けの浅田選手のショートプログラムは、冒頭から回転動作や凝った振りが入っている難しいものだった。ジャンプが不調だった浅田選手は、シーズン途中から冒頭の振りを全部すっとばして省略した。するとジャンプに集中できたようで、だんだんジャンプがよくなり、点数は上がった。だが、その結果、キム選手同様、ジャンプまでは、ほとんどただ滑っているだけの平板なプログラムになってしまった。ルッツにからめた回転動作も段々に回数を減らし、スピードを落としていた。だが、そうやってタラソワオリジナルを簡略化することで、点数に直結するエレメンツに注力したほうが、結果はよかったのだ。もちろん、ジャンプをすべて決めたうえで、振りも省略しないですめば完璧だが、浅田選手の実力ではそれは不可能だったということだ。旧採点システムでは、着氷がちょっとツーフット気味でも、少しばかり回転不足でも、誰も気にしなかった。それよりは全体の密度や完成度が重要だったのだ。ところが今は、中野選手がスタンディングオベーションを受ける演技を披露しても、明らかなミスのあった選手に負けてしまう。成功させたように見えたトリプルアクセルが、実は回転不足判定でダウングレードされ、GOEでも減点され、ほとんど点にならなかった。武器のはずの大技が――一般人には決めたように見えた場合ですら――しばしば足をひっぱってしまうのが、現行の採点システムなのだ。タラソワスタイルは、旧採点システムでは抜群の評価を得てきた。だが、新採点システムでは? それは未知数だ。しかも、浅田選手の「お約束」(セカンドジャンプの回転不足、着氷時のツーフット)には、まるで狙い撃ちをしたかのような苛烈な減点が待っている。おまけにタラソワは高齢だ。言われているほど体調は悪くなさそうに見えるが、絶頂期のタラソワとまったく同じというわけにはいかないだろう。もう1つ、タラソワという人は多くの名選手を育てたが、案外ロシア人以外とは長続きしない。オリンピックチャンピオンまでもっていった選手は、いずれもロシア(旧ソ連)の選手だ。コーエン選手は短期間ついただけだったし、荒川選手も結局はタラソワより、直接氷の上で教えてもらえるモロゾフを選んだ。タラソワ自身が非常にのめりこんで教えた選手はすべて、同じ文化背景をもち、言葉の通じる旧ソ連の選手なのだ。浅田選手が練習するなら、今のロシアよりも日本のほうが環境も設備もいいだろう。一方、高齢のタラソワがロシアを離れて日本で暮らすなんて無理な話だ。言葉も通じないから通訳を介さないといけない。だから、浅田&タラソワの師弟関係は、どうしてもかつてのヤグディンやクーリックのような親密さや緊密さが築きにくい。<文字数制限をオーバーしたので、続きは明日>
2008.11.27
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フランス大会の女子フリーが終わった。浅田真央選手は、得点は最低だったが、プログラムの内容自体は予想以上に素晴らしかった。ショートの『月の光』の静謐で透明感にあふれた世界、『仮面舞踏会』の悲劇的で重厚な世界。まったく違った世界を見事に表現して、フィギュアスケートの醍醐味を十分に味わわせてくれた。『仮面舞踏会』の最後のステップには度肝を抜かれた。あれほどバリエーションに富んだ回転動作を見せながら、深いエッジを遣い、情感あふれる華麗なステップを踏める選手は、これまで女子選手では見たことがない。ステップは得点の面ではそれほど他の選手と差が出ないのだが、プログラムコンポーネンツの出方に影響してくる。フリーのジャンプがあれほど悪いにもかかわらず、プログラムコンポーネンツで58.88点もの点が出たのは、最後のステップの迫力がアピールした面も大きい。エレメンツの点数稼ぎに注力した、同じような構成のプログラムばかりになってしまった昨今のフィギュアスケート。何の新鮮味もなく、ただ決められた技を正確にこなすことで点の出る採点システム――伊藤みどりはそれを「規定への回帰」と表現したが、それはすなわち、見ているほうにとっては退屈な競技になることを意味する。そんななか、今シーズンの女子シングルで初めて、「フィギュアスケートの根源的な魅力を思い出させてくれる作品」に出会った。先日、ジャンプ以外の課題としてあげた事柄は、予想以上の出来ですべてクリアした。スパイラルでのレベルの取りこぼしまったくなし。ショート、フリーともにレベル4。加点もついて文句なしの得点。浅田選手の柔軟性、すらりと長い脚の美しさを十分に見せるスパイラルだった。スピンのレベル取りフリーではズラリとレベル4を並べた。去年は活用することの少なかったディフィカルトポジションでのレベル取りに成功した。キム選手のスピンと似てしまったが、結局レベル取りをしようとするとみな同じような構成になってしまうのだ。とはいっても、浅田選手も言うとおり、「ジャンプが決まらないと始まらない」。あまりに難しいプログラムを作ってしまうと試合に勝てないのは、ランビエール選手が昨シーズン証明してしまった。キム選手が抜群の強さを発揮するのは、ジャンプ構成をまったくといっていいほど変えずに、確実性を高めてきたことだ。連続ジャンプは3F+3Tと2A+3T、それに3Lz+2Tが核であって、これは決してブレない。対して浅田選手の今シーズンのフリーのジャンプ構成はこれまでとまったく違うものにした。この不確実な構成が今回は完全に裏目に出た。克服すべき課題として挙げた点はどうだっただろう。結果から言うとまったくダメ。逆に新たな課題を抱え込んでしまった。(1)トリプルルッツのエッジ矯正は、本当にできたのか結果から言うと「できていない」と見なされたということだ。ショートで2ルッツになってしまったジャンプが「!判定」。GOEでジャッジ全員から-3をつけられて(なぜ? それはここでは3回転でなくてはならないから)、2.5点にしかならなかった。フリーでは3ルッツを跳ばなかった。ショートでの2ルッツでの「!判定」がショックだったのかもしれない。タラソワが「10回のうち7回は完璧なルッツが跳べるようになった」と以前言っているのを聞いたが、本番では3回のほうが出てしまう、それがフィギュアだ。フリーで入れてこなかったということは、やはり自信がないのだろう。(2)セカンドに跳ぶ3回転を回転不足なしに降りてこられるか昨シーズンまでは、回転不足気味ながら、半々ぐらいの確率でなんとか入っていたセカンドジャンプの3回転。これもショートでは1回転になり(これは最低2回転でなくてはならないので、またもGOEで-3)、フリーではとうとうセカンドジャンプに3回転が一度も入らなかった。昨シーズンまあまあだったセカンドに跳ぶ3トゥループもなくなった。これが「希望の星」だったのに…… フリーでは単独の3トゥループですら、GOEで減点しているジャッジがいた(-2点が2人)。加点をしてるジャッジもいて(+1点が3人)、運良くそっちの数のが多く、ランダム抽出でも加点のほうが拾われたようで、最終的には基礎点を少し上回る得点になっているが、単独の3Tですら、GOEで減点される口実があるということだ。どうしてあれが減点ジャンプなのか、正直、解せない。だが、GOEが主観的で信用ならないのは、すでに何度も書いている。(3)トリプルアクセルを決められるかこれもお約束のツーフット。肉眼ではよくわからなかったがスロー再生で見たら、見事なツーフットだった。回転不足判定こそないが、GOEで減点され、基礎点8.2点から引かれて6.52点。成功した3ルッツ程度の得点しか稼げなかった。トリプルアクセルはこれが怖い。確かに今年から基礎点も上がったが、同時に加点に比べて減点の度合いが大きくなったのだ。(詳しくはウィキペディアの「フィギュアの採点方法」を参照)。浅田選手は今回、ショートでイーグルからダブルアクセルを跳んで見事に決めた。イーグルから跳ぶということは、助走がほとんどないので難しい。しかもランディングしてから片足のままグイグイ滑っていく。この難しいインからアウトまでの流れを完璧にこなしたことで、基礎点3.5点に加点がついて5.5点。フリーのトリプルアクセルと1.02点しか違わない(苦笑)。浅田選手のショートのダブルアクセルが非常に高度なものであることは間違いないにしても、ダブルはダブル。トリプルアクセルの難度とは比較にならない。それなのに、これっぽちの点差なのだ。いかに今のジャンプ評価がトンチンカンかわかろうというもの。もっといえば、浅田選手をなんとか落としたいジャッジが2人いるようで、この2Aの加点、ほとんどのジャッジがプラス2にしているのに、プラス1しかくれないケチなジャッジが2人。3トゥループでも、わざわざ減点したジャッジは2人だった。こうした、「減点してやろうと手薬煉ひいてるジャッジ」に、つけ入るスキを与えないジャンプを跳んで降りないと、なかなか素直にプラス点は出てこないのが、現行のルールなのだ。だが、トリプルアクセルだけに限っていえば、去年よりは確率がよくなりそうな気はする。課題として挙げた点すべてで失敗したうえに、昨シーズンまで何の問題もなかった大得意の3ループまで2ループになってしまった。足首に何か問題があるのではないかと思わせるような踏切時の力のなさ。さらにさらに苦手な3サルコウを入れて入らず、1サルコウで転倒するというオマケつき。この1SはGOEで-3がついて、得点は0.14、そこから最後に-1が引かれるので、-0.86点になってしまった。3サルコウは練習ではきれいに決めていたのに、やはり苦手意識があるものはプログラムの流れの中ではなかなか決められないのかもしれない。ジャンプだけで見ると、これまでに見た浅田選手のどんな失敗試合も軽く見えてしまうほどの超新星爆発級の自爆。天才はやることが派手だ(苦笑)。これまではショートで失敗しても、フリーでは何とか立て直してきたが、今回はショート、フリーともダメだった。「こういうシーズンの始まりは真央の伝統」とタラソワ・コーチは虚勢――明らかに――を張っているが、内心は思った以上に悪い出来でショックだったはずだ。もちろん浅田選手本人も。ここまですべてが悪くなると、もはや一朝一夕にはどうにもならない。次のNHK杯でジャンプをどのくらい立て直せるか、待つことにしよう。<明日は男子シングルの総括です>
2008.11.16
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弁天池からさほど遠くないところに、秋芳白糸の滝という、ちょっとしたハイキングコースがある。木製のりっぱな橋をわたって山道へ入る。橋の向こうの山肌には、黄色い山吹の花が咲いていた。やまぶきの 立ちよそひたる山清水 汲みにいかめど 道のしらなく(山吹の花が咲いている山の清水を汲みに行こうと思っても、道を知らないのです)これは十市皇女(とおちのひめみこ)が急逝したときに、異母弟の高市皇子(たけちのみこ)が歌った歌。山吹の「黄」と清水、すなわち水の湧く「泉」のイメージを重ね、黄泉(よみ)の国へ追いかけて行きたいのに道がわからないという、のこされた者の絶望感を表している。清らかな水が山肌から流れてくる秋芳白糸の滝への道は、まるでこの歌で高市皇子が探していた道のようだった。いかにも湧き水の出そうな山肌に咲く一重山吹、そしてその奥に隠れた清らかな滝。とすれば、ここは黄泉の国だろうか。今は整備されたハイキングコースだが、確かに橋をわたって山吹の花に出迎えられ、カルスト台地の石灰分を含んだ、神秘的な緑色の水をたたえた池を見て、滝へと向かう人里離れた道筋は、晴れていても濡れたような空気が静謐で、昔の人なら黄泉の国へ通じる空間だと畏怖の念をもったかもしれない。やまぶきの 立ちよそひたる山清水 汲みにいかめど 道のしらなく悠久のときを超えて、先だった十市(おそらく彼女は自ら命を絶ったのだ)が高市に向かって、「私はここよ、ここにいる。私に逢いたいのなら、貴男がここに来て」と言っている。そんな幻想をふと抱いた。ありふれた田舎のようでいて、カルスト台地という特異な地質がもたらす非日常的な恵みを隣り合わせにもち、想像力を刺激するちょっとした不思議が散らばっている。このあたりはそんな場所だ。ここからさほど遠くない町に生まれ育った画家香月泰男は、鮮やかな山吹の黄色も、弁天池を思わせる青緑色の神秘的な色彩も、どちらも印象的にキャンバスに再現している。この画家は黒を基調としたシベリア(抑留)シリーズが有名で、中学時代に反戦思想とからめた教育の一環として、戦争の悲惨さを強調するカタチで香月泰男の同シリーズだけを(ほとんど無理やり)鑑賞させられた。子どもだったから、その陰惨さにショックを受け、香月泰男が苦手になってしまったのだが、あらためて香月泰男美術館へ足を運んだところ、絶望的な抑留生活だけではない、田舎の木訥とした生活人である画家のさまざまな側面が見えた。油彩だが、やや日本画的な空間処理やデザイン的な構図は、なかなかに見応えがあった。陰鬱な黒や血のような赤を使った絵ばかりが紹介されるのだが、むしろ温かみのある黄色を使った静物画、それに日常生活のひとこまを神秘的な青緑色を使って不思議感たっぷりに描き出した作品が印象に残った。ある画家のあるイメージを押しつけるような教育や宣伝は、いかがなものかと思う。芸術鑑賞まで1つのイメージに「抑留」されてはたまらない。長い抑留を経験しても、画家が心のおもむくまま身近な景色を、あるいは記憶の中の遠い景色を描いたように、見る側も画家のメッセージを「自由」に受け取りたい。
2011.08.18
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ファントマにからめて「ぼったくり」番組呼ばわりしてしまった天知茂の『江戸川乱歩の美女シリーズ』。実際、あちこちの洋画をぼったくった作品であることは間違いないし、特に初期のころのお下劣さ、エグさ、人命軽視は呆れるばかりなのだが、明智小五郎を演じる天知茂という俳優のニヒルなキャラクター(と眉間のシワ)がすべてを救った長寿人気番組。なかでも最高傑作の呼び声が高いのは、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』を脚色した『悪魔のような美女』。こちらが黒蜥蜴のアジト。もういきなり、『美女と野獣』のぼったくり。野獣の城にあって黒蜥蜴のアジトにないものは、気品。黒蜥蜴のアジトは、怪しげなキャバレーのよう。黒蜥蜴の趣味は、人間の剥製作り。↑は剥製にされた「美青年」。なんてたって役名も「美青年」。しかも演じているのは宅間伸らしい。その黒蜥蜴からリッチな宝石商に脅迫状が届く。狙いは20億のダイヤか!?「ダイハツ」で現場に急行する明智小五郎。『ファントマ』のファンドールがBMWのロードスターをカッコよく乗りこなしていたことを思うと、その落差にはただただ涙。宝石商の滞在先:電話は4126=よいふろ(海底温泉もある)http://www.sunhatoya.co.jp/20億のダイヤを所有しているというのに、信じられないぐらいの庶民派だ。さて、黒蜥蜴の正体を見抜いた明智だが……催眠スプレーを発射され、あっけなく逃げられてしまう。明智小五郎はいつも、コレで悪人を取り逃がしている。そして、ホテルからは、張り込んだ刑事の誰も気づかない見事な変装で逃走。黒蜥蜴はまた、見事な変装メイク、いや変装パックも披露。これで宝石商の娘になりすましている…… あまりに見事なためか、またもや誰も気づかない。事件を報道するテレビ。なんと! 「やじうまプラス」、いや「やじうまワイド」かな? とにかく吉沢アナはベテランだということを再確認。ファントマのごとく、海上へ逃亡する黒蜥蜴。しかし、乗ってる船には眼を疑う。ただの作業船では? おまけに相当くたびれて汚い。なのに、あたまに冠をのっけて、ひとりゴージャスに着飾る黒蜥蜴。数々のワンパタな展開を経て、いよいよ明智に追い詰められ……指輪に仕込んだ毒をあおる黒蜥蜴。実はこの場面はすべて、ジャン・マレー主演の『ルイ・ブラス』のぼったくり。あんまり堂々と同じなんて、初めて見たときは心から驚いた。明智小五郎はいまだかつて、悪人を生け捕りにしたことがない。毒を飲んだ黒蜥蜴に、愛の告白をされる明智小五郎。寅さんなみのワンパターンなエンディング。黒蜥蜴は接吻を要求。毒を飲んだ唇を避ける、案外小心者の明智。黒蜥蜴の死に顔はグレタ・ガルボ(『椿姫』)+ジャン・マレー÷2といったところか?出ずっぱりの特別出演小川真由美。-完-【◎メ在庫30台以上 】悪魔のような美女 江戸川乱歩黒蜥蜴 【日本映画】 KINGRECORD KIBF-3161
2008.05.15
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<先日のエントリーから続く>ローラン・プティがルドルフ・ヌレエフと初めて出会ったのはウィーン。ヌレエフが故国を捨てる数ヶ月前のことだった。プティもヌレエフも同じ芸術祭に招かれ、それぞれのバレエ団の主宰者と専属ダンサーとして参加していた。アプローチをかけてきたのは、ヌレエフのほう。プティは宿泊先のホテルを伏せていたのだが、ある日、終演後にプティの後をつけてきたソ連(当時)人のダンサーがいた。彼は自己紹介すると、満面に笑みを浮かべてプティのバレエを賞賛し、ヘタな英語で、「またお会いしましょう」と言った。ヌレエフはフランスで亡命。プティはニュースで彼の顔を見て、それが数ヶ月前ウィーンで自分に会いに来た若者だということに気づいた。天才ダンサーはロンドンに渡り、マーゴ・フォンテーンの相手役として一世を風靡し、その名声は瞬く間に世界中に広まっていった。彼が出現する前は、バレエはまだまだ一部のブルジョアのための芸術だった。だが、ヌレエフがバレエ人気を真に大衆的なものにした。これまでバレエとはまったく縁がなく、何の関心も示さなかった田舎の主婦までが、フランク・シナトラやエルビス・ブレスリーを語るように、ヌレエフの噂話をし、ヌレエフに夢中になった。公演先でたびたび起こすスキャンダルも、ヌレエフのアイドル化に拍車をかけた。プティが聞くヌレエフについてのニュースといえば、カナダで警官のズボンに手を突っ込んだとか、コールドバレエのダンサーに暴力を振るったとかいった、よからぬ話ばかりだった。ルックスだけで言えば、ヌレエフには際立ったところはなかった。だが、ひとたび捉われてしまうと、抜け出せなくなる魅力があった。やがてプティは、そのことを身をもって知ることになる。ヌレエフと自分のために新作バレエを作ってほしいとプティに依頼に来たのは、フォンテーンだった。プティはロンドンに向かうが、最初のうち仕事はうまく行かなかった。いや、プティとヌレエフは仕事の面では終生軋轢を繰り返している。要するに振付師プティとダンサー・ヌレエフは、本来あまり相性がよくなかったのだろう。プティのバレエはしばしば見るが、洒脱でいかにもフランス的なプティの作品を、「ヌレエフが踊ったら」と考えても、あまりしっくり来ない気がする。このときプティは心身のバランスを崩し、いったんフランスに帰国する。疲れたプティを癒してくれたのは、妻のジジ・ジャンメールだった。ほどなくモチベーションを取り戻したプティは、再びロンドンに向かい、彼より14歳も若いスーパースター、ヌレエフに合わせ、彼の気に入るような振付をした。つまり、振付師プティはヌレエフに対しては、最初から妥協したのだ。とにかくヌレエフは踊りに関しては、このうえなく頑固で、石頭だった。プティの指示を素直には聞かない。プティ「今のところ、3回繰り返して踊れるかい?」ヌレエフ「できるかよ。せいぜい1回だね」↑いちいちこんな感じ。このときは、プティが怒って立ち去ると、翌日ヌレエフのほうが折れてきた。こうして2人は衝突を繰り返しながら、徐々に互いの距離を縮めていく。そんな折、プティの母親がロンドンにやって来た。慣れない外国で仕事をしている息子の食事の面倒を見るためだ。ところがプティの母親は、1人で夕食をとるハメになった。そのころ、ヌレエフは車を手に入れており、朝プティを迎えに来て、夜は家まで送ってくれていたのだが、プティはいったん帰宅しても、母親の手料理は食べずにまた出かけてしまう。実は、送ってくれたヌレエフと再び外で落ち合い、一緒にロンドンの夜の街を遊び回っていたのだ。母親は数日で帰国してしまった。それからのプティとヌレエフは、ますます離れがたくなり、朝から晩まで一緒に過ごし、プティがヌレエフの家に泊まることもしばしばになる。「私の魂は彼によって稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と、プティは『ヌレエフとの密なる時』に書いている。プティを驚かせ、ある意味で呆れさせたのは、ヌレエフの乱れきった夜の私生活だった。彼はプティをさまざまないかがわしい場所に案内する。ヌレエフは精神的な欲求を抑制することのほとんどない性格だったが、肉体的欲望に関しては、輪をかけて素直で、ブレーキをかけることは皆無だった。彼の一夜の愛人になることはまったく簡単で、ヌレエフにとってそれは、手を洗う程度の意味しかもたなかった。ロンドンでプティとヌレエフのコラボレーション第一作となったのは、『失楽園』というバレエだったが、ゲネプロのころには、ダンサーのヌレエフが勝手に振付を変えてしまい、もはやプティの作品とは言いがたいものになっていた。初日の夜、心配するプティに対して、ヌレエフは、「心配ないよ。今日はもう3回もヤったから、僕は絶好調」などと言って、プティを赤面させる。作品はプティのものではなくなっていたが、公演は大成功だった。1960年代の終わり――このころのヌレエフはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。どこで何を踊っても観客は総立ちで大喝采。ヌレエフはどんどん仕事を増やし、70年代に入ると、年間250回に及ぶ公演をこなすようになる。舞台に立つ時間は750時間。それはつまり、その2倍以上の時間を練習とリハに費やしていることになる。ヌレエフはまさに、暴君のように肉体を酷使していた。公演を終えるとお付きのマッサージ師が始めるのは、ヌレエフの身体に巻かれた数十メートルにおよぶ粘着テープを引き剥がすことだった。ヌレエフの情熱は、バレエだけに向けられており、それはほとんど宗教的なものだった。どれほど放埓な夜を送ろうと、朝10時には必ず稽古場に来て、基礎からの練習を怠りなく繰り返す。だがプティは、ヌレエフの公演回数が多すぎると感じていた。事実、ヌレエフの舞台は、次第に質にムラが出るようになる。プティがそれをヌレエフに指摘すると、ヌレエフは激怒して暴れた。2人の間にはっきりと亀裂が入ったのは、新作バレエ『オペラ座の怪人』(マルセル・ランドウスキー作曲)を準備しているときだった。最初の予定では、ダンサー・ヌレエフがこの新作バレエに割く時間は6週間だった。振付師のプティにとって、新作の準備期間としては、それでも短かった。 ところが、多忙をきわめるダンサーの都合で、6週間は5週間に、そして4週間に、しまいには2週間になってしまった。業を煮やしたプティは、ヌレエフとの間に入っているエージェントに、長編バレエをこのような短い期間で創作するのは無理だと伝えた。すると、ヌレエフは忙しい公演のスケジュールをぬって、遥か彼方から飛行機でプティのもとに飛んで来た。だが、もちろんプティの言うことを素直に聞くタマではない。わずか1時間の話し合いで、「それなら、別のダンサーに躍らせろよ。僕なら1週間もあればできるけどね」と捨て台詞を残して、流れ星のように去ってしまった。プティは、ヌレエフについて、「ジュピターのように移り気」だが、同時に「ジュピターの妻ユノのように貞淑」だったと書いている。新作バレエの話が流れたとはいえ、2人はプライベートでは友人であり続けた。プティが病気で倒れたときは、毎週金曜日の夜に電話をかけてきて、「君がそうしてほしいなら、明日飛行機で君のところいって、一緒に週末を過ごすよ」と言ってくれた。一方で、こんな話もしている。「チューリッヒでさ、公演の後、すぐに寝る気になれなかったんだ。ぶらぶらしていたら、好みのタイプに会った。ホテルに連れて行けなかったから、湖の広がる茂みで愛し合った。すばらしく衝撃的だったよ」プティという人は、ヌレエフにこういう話をされると、非常に気になるのだ。数ヵ月後、チューリッヒに行ったプティは、わざわざそのホテルの近くを歩き回り、「湖の見える茂み」を捜したりしている。結局、「できそうな」場所は見つからなかった。なので、プティは、「あれは作り話かな?」などと思いをめぐらしている。そう、プティはヌレエフに夢中だったのだ。プティはたとえば、俳優のヘルムート・バーガーのように、ドン・ファンのリストならぬヌレエフのリストに名を連ねるつもりはなかった。プティの望みは、ヌレエフにとって「唯一の存在」になることだった。つまり、ヌレエフから「最高の振付師」と言われたかったのだ。だが、ヌレエフはずいぶん長い間、別の振付師に心酔していて、プティの前でも彼のことを褒めちぎってプティをウンザリさせていた。仕事では軋轢があったとはいえ、プライベートでは続いていた2人の関係。そこに壊滅的な亀裂が生じる事件が起こる。場所はニューヨーク。メトロポリタン歌劇場でプティが、マルセイユ国立バレエ団の引越し公演を行ったときだった。<続く>
2009.05.29
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南イタリア、プーリア州の州都バーリ。ここに住む友人の家に遊びに行ったとき、最高に美味しいフレッシュチーズに出会った。それが「ブッラータ」。見た目はモッツァレラ・ブファラ(ふつうのモッツァレラより一回り大きい水牛のモッツァレラ)を5倍ぐらいの大きさにして、巾着にしたような感じ。味はモッツァレラよりクリーミーで濃厚。実際、切ると中から生クリームがじわっとしみ出てくる。ただ、まったく日もちはしない。スーパーフレッシュなチーズなのだ。そのブッラータを今日、なんと東京でついに見かけた! なんだかバーリでみたブッラータよりずいぶん小さくて、しかも「3000円!」。高過ぎるとは思ったが、バーリに行く予定もなし、思い切って買ってみる。「今回初めて入ってきたんです」と店員。家に戻って袋を開けてみる。んっ? ちょっと微妙なにおい? 賞味期限は明日になっているが、もしかして味は落ちてるかな~と覚悟して、とりあえず、食べる前にパチリ。で、ナイフで切ってみる。ところが生クリームが固まったようになっていて何も出てこない。一口食べてゲェ~!! となった。これは腐ってる! 後味の悪さが舌に残り、慌てて吐き出す。チーズ屋に電話したのだが、「ただいま電話に出られません。おかけ直しください」と留守電メッセージが流れて一方的に切れてしまう。店なのに、留守電対応で、メッセージも入れられないとは… ついさっき買ったときは(小さな店のクセして)、店員は3人もいたはずだ。しかも、ふだんから売り込みが非常に激しい店なのだ。完全に頭にきて、直接店に直行。クレームして返金となった。ブッラータはあまりに日持ちしないから、日本で食べたいというのはそもそもムリなのかもしれない。いくら空輸でも現地で食べるものほど美味しいワケはない。だが、3000円でモロに腐ったフレッシュチーズを売るとは何事だろう。そういえば(?)この店は、他店に比べて同じモノでも高い。パルミジャーノなんかは切り分けてからだいぶ日にちがたってるらしく色もよくない。ブッラータの賞味期限は明日だった。あれも、実はムリヤリ延ばしたのかな? ほかにも腐ったブッラータを買わされた人がいるんじゃないかと気になる。痛んでしまってはいかに元来美味しいチーズでも食べられたものじゃない(当たり前か)。まあ、ブッラータなんて、知らなければ買わないだろうし、腐りかけを知らずに食べてしまって、「まずいチーズだな、ブッラータって」なんて思うこともないかな、とは思うのだが…
2007.09.27
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NHK杯女子シングルの村上佳菜子選手の演技は、非常によかった。フリーでダブルループの跳びすぎによって、3連続ジャンプが0点になってしまったミスはあったが、中国杯からジャンプ構成を変えたにもかかわらず、よく対応していたと思うし、ダブルジャンプの跳びすぎのミスは、1度やれば恐らく次からは気を付けるだろう。要は最初の3ループの予定のジャンプがダブルになった場合に、2ループを1回だけ跳ぶようにするだけなので、慣れればそれほど難しいことではないはずだ。演技として非常に魅力的だったのは、ショートとエキシビション。ショートは最初から世界に入って演じていた完成度の高いものだった。また、エキシナンバーのフラメンコは、大きなモーションで情熱的に踊れる村上選手にピッタリで、滑りの緩急の付け方にテクニックの進歩が感じられ、「少女」が席巻する女子シングルの世界で、「フレッシュな成熟」という独自のポジション――つまり、まだ溢れる若さがありながら、もう少女ではないという意味――を誇示できる最高の選曲だった。来季はフラメンコを競技用のプログラムにしてはいかがでしょうか?さて、気になっていた村上選手の回転不足問題。トリプルルッツのない村上選手にとっては、他の3回転ジャンプを回転不足判定されないことは至上命題だと思うのだが、これがなかなかうまく行かない。シニアに上がりたてのころは、跳べば高い加点のついた3T+3Tも、気が付くと回転不足判定が増えてきた。NHK杯ではショートのセカンドで取られたが、逆に(過去には)ファーストで取られることもあり、しかも、遠目には織田氏じゃないが、「高さといい、流れといい完璧」に見えているのに、スロー&アップにすると微妙に「ん?」という回転のジャンプで「<」判定されることが、今回のNHK杯に限らず散見される。だが、たとえアンダーローテーションを取られても、村上選手の3T+3Tに対しては、プラス1を付ける演技審判もいて、今回のNHK杯ではショートでの点が7点、認定されたフリーになると加点3もちらほらついて9.7点。やはり、彼女の3T+3Tは大きな武器だと言える得点だ。中国杯では2A+3Tを跳ぼうとしてシングルになってしまったが、3T+3Tにはそういった、ジャンプそのものの失敗も少ないことではあるし、ショートもフリーもやはり、オープニングジャンプは3T+3Tで固定したほうがよいように思う。村上選手は3T+3Tに向かっていくときのスピード感も素晴らしく、これが例えばオープニングに「単独3ループ」となると、見ているほうも「へっ?」と肩すかしをくらったような気分になってしまう。成功したかに見える3T+3Tに対するアンダーローテーション判定に関しては、今のところ取れる対策はあまりないのかなと思う。本当に微妙な差、もしかしたらカメラの位置で変わってくるような判定だから。強いて言えば、少しウエイトを落としてみてどうなるか…というところだろうか。もちろん、ウエイトオーバーということはないし、痩せてしまってパワーがなくなってしまったら元も子もないが、微妙な体重の増減でジャンプのキレが違ってくるのなら、村上選手も20歳を超えて女性としてはウエイトコントロールがしやすい年齢になってきたし、やってみる価値はあるかもしれない。実は深刻だと思うのが、3連続ジャンプのアンダーローテーション判定。中国大会では、3Lo(<)+2T+2Lo(<)という判定だった。ループからの連続ジャンプに「リスク」があると指摘したところ、コーチも同様に考えたらしく、ループからの連続ジャンプを外し、サルコウからの連続ジャンプにしてきた。が…今回も3S(<)+2Lo+2Loという判定。キックアウトされて0点になったが、点数が入ったとしても、最初の3回転でアンダーローテーションを取られたのが痛い。村上選手の3連続は、ポンポーンと間をおかずに跳ぶので、見ていて小気味いいのだが、どうもどこかで回転が足りなくなることが多い。今季に限らず、村上選手の3連続はときどきこういう判定になる。取られないこともあったが、それでもやはり「疑わしく」見えることが多々。ここをなんとかしなければ、と思う。判定のブレを自分たちに都合のいいほうに解釈していては、肝心の大きな大会で取られて順位を伸ばせないということになりかねない。Mizumizuの印象では、何度も3連続ジャンプで回転不足を取られながら、ここ数年あまり改善がされていないというふうに見える。同じように跳び、同じように取られる。3連続はとりあえず封印、という手もあるかもしれない。まずは2連続に留めて、確実に回り切って降りる。そこから始めてはどうか。そして、ルッツをどうするのかという問題。たとえばゴールド選手は、E判定を取られた3フリップをNHK杯ではダブルにしていた。ダブルでも「!」は取られたが、トリプルフリップに比べたらエッジの問題は明らかに軽度で、Mizumizuにはわずかではあるがインサイドにのった踏切に見えた。少なくとも、「明らかなwrong edge」でないことは確かだ。だが、GOEはマイナスが多く、結局2点にもならない得点(基礎点が後半なので2.09点。GOE後の得点は1.96点)。アメリカ大会のE判定3フリップの得点が3.37点なので、ダブルよりはwrong edgeでトリプルを跳んだほうがややマシな点といったところだろうか。村上選手がE判定を承知でルッツを跳んでも、現状では成功したダブルアクセル(3点台後半が目安)のほうが点がいい。とすれば、やはりルッツは抜いて、NHK杯のジャンプ構成を基本にするのが今は一番いいだろう。ただ、日本女子はジュニア・ノービスに素晴らしい選手が控えている。彼女たちは最初から回転不足やエッジ違反が大きな減点になるルールのもとで指導を受けてきているから、すでにルール対応ができているか、あるいは矯正・改善をしていくにしても、まだ間に合う年齢だ。村上選手が今後、次のオリンピック出場をこうした年下の選手たちと競うことになった場合、ルッツがないのが「アキレス腱」になってくるかもしれない。といって、ルッツのエッジ矯正は今からではあまりに危険だ。村上選手はフリップも盤石ではなく、思わぬすっぽ抜けや転倒が多い。ルッツを今から本格的に矯正したら、フリップジャンプまで乱れに乱れてしまうかもしれない。安藤選手はフリップの矯正で、1年間ルッツでも転倒を繰り返した。今季、リプニツカヤ選手はフリップの調子が非常に悪いが、あれもルッツを直そうとしていることと関係しているかもしれない。リプニツカヤ選手はまだ若いから、平昌に向けてルッツを完璧にするという意義はあるかもしれない。エッジの矯正は、ことにある程度の年齢に達したら、できたとしても完璧とはかない場合が多い。中立気味だったり、跳べるようになっても元より失敗が多くなったり。もともと選手生命が短い女子にあっては、「ハイリスク・ローリターン」だと言える。やはり、村上選手は今跳べるジャンプを確実にしてミスを減らすこと。そして、下から上がってくるライバルにはない大人の魅力と洗練で勝負していくというのが、一番現実的な戦略かもしれない。村上選手の、特にエキシビションを見て、まだ非常に細く、少女体形のままの恐ロシア女子にはない魅力を、確かに感じた。もともと「点はもっと出てほしかった」と率直に言ったり、演技の出来がいいときと悪いときの表情がハッキリしていたりと、型にはまった優等生になりがちな日本人にはない個性を感じる。こういう態度を嫌う人もいるかもしれないが、「自分の世界」を多くの人たちの前で見せていくには必要だし、有利にもなる性格だ。悪く言う人もいるかもしれないが、好きだという人はきっともっと多くいる。それを自分で信じてほしい。ジャンプのウエイトが大きい現行の採点傾向では、基礎点の高いジャンプを跳べる若い選手が完璧な演技をしたら、勝ち目はなくなるかもしれないが、「相手のミス待ち」の構成であっても、自分のミスをなくせばチャンスは出てくる。そのためにも、アンダーローテーション判定を受けやすいジャンプ(それはもう決まっているのだから)の対策が急がれる。
2014.12.03
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日本では、映画『アメリ』で有名になったモンマルトルの古い映画館Studio 28ジャン・コクトーが外装・内装をデザインした、という話がネットでは出回っているのだが、実際にどう関わったのか、ちゃんとしたウラが取れない。Studio 28のHPを見ても、ジャン・コクトーが(映画館内の)サロンの名付け親の1人になったということしか書いていない。でも、今はジャン・コクトーゆかりの映画館としてより、アメリが、「暗くなってから周りの人の顔を見るのが好き」と言ったシーンで使われた場所として有名かもしれない。この台詞、偶然かもしれないが、ジャン・マレーの自伝に似た話が出てくる。少年時代、映画大好きだったマレーを、当時マレーの母親と付き合っていたジャックという男性が映画館に連れて行った。映画が始まると、ジャックは画面を見ず、「君の顔を見てると話の展開がわかるから」と言ってマレーの顔ばかり見ていたという(実はこのとき、彼は美少年のマレーにムラムラしていたのだ)。さて、そんなStudio 28だが、行き方は簡単。Abbesses(アベス)駅を出て、メトロの入り口を背にする。正面の大きな通りがAbbesses通り。ここを右方向に直進。右側の4つ目の道(Tholoze通り)を右に折れて、坂をほんの少しのぼった右側(住所としては10 Rue Tholoze)。地下鉄駅からも徒歩で5分ほど。ただし、午後3時にならないと開かない(上の写真のような状態)。本当に小さい映画館なので、閉まっているとうっかり通り過ぎること間違いなし(?)。ミニシアターによくある、1日に数本の違った映画を上演するスタイルになっている。夕方映画館が開いてから立ち寄ってみたら、フランス語で「アクセス・フリー」と書いてある看板が出ている。ということは、入るだけなら無料ってことだよね?しかし、映画館にタダで入っていいのか? チケット売り場には太った白髪のおばさんが座っている。勝手に入るのは失礼だよね?礼儀正しい日本人のMizumizuは、窓口のおばさんに、できるだけ丁寧に、「入ってもよろしいですか?」と聞いてみた。すると!ずり下げた細いメガネの上から、こっちをうさんくさそうに一瞥したおばさん、「はぁ~ん?」かなんか言って、両手を広げ(←わかりません、のポーズね)、そのまま、プイッと横を向いて、知らんプリしたのだ!おおっ!Mizumizuの胸にふいに懐かしさがこみあげてきて、思わずこのオババを抱きしめたくなった。なぜかって?だって、昔おフランスの窓口には、こういうオババがいっぱいいたのだ。彼女たちは皆・・・どデブで、老眼鏡をかけていて、英語がまったく理解できず、どうしたら、ここまで感じ悪くなれるの? ってくらい不親切だったのだ。そして、おつりをごまかしたり、ワケのわからないフランス語(←観光客にとっては)をまくしたてたりして、観光国フランスのイメージ低下に大いに貢献してくれていた。ところが、だんだんこの手のオババは窓口から駆逐され、現在のフランスでは絶滅状態。いつの間にか、窓口には英語を普通に話す若いねーちゃんたちが座り、スピーディに感じよく仕事をこなしてくれている。それはそれでいいことなのかもしれないが、「世界中どこに行っても同じな人たち」ばかりになってしまったことに、なぜか一抹の寂しさを感じていた。絶滅したと思った、「英語がまったく、一言も理解できないおばさん。しかも、超不親切」を久々に窓口で見て、ノスタルジーに浸ったMizumizu…とはいっても、どうすりゃいいんだ?相手は、まったく聞く耳もたずの雰囲気ありあり。横を向いて完全無視を決め込んでいる。よくそこまでの態度がとれるよね、まったく。困惑してる外国人旅行者の気持ちを察してあげようとか、そういう「人としての優しさ」は、カケラもないのかね。よく日本に来たガイジンが、一般人の親切さ(しかも見返りは何も期待しない)に驚くが、さもありなん。すると!まるで映画のワンシーンみたいに、30歳ぐらいのきちんとした身なりの準イケメン男性がやってきた。窓口で、「チケット1枚」かなんか、オババに言っているではないか。やった! 神からの使者ね、彼は。さっそく「すいません。英語話せますか?」と話しかけるMizumizu。準イケメン君は、「イエス」と答えてきた。そこでMizumizu、丁寧な英語で、「このデブババアにladyに、中に入ってもいいかどうか聞いていただけますか?」と聞いてみた。すると、準イケメン君、「入るだけなら無料です。尋ねる必要はありませんよ」と、ちゃんとした英語で答えてきた。さらに、親切にも、「一緒に行きましょう。もうじき映画が終わるから、その間に中も見たらいいですよ」とエスコートしてくれ、中にあるカフェにいたお姉さん(実はあとから、チケットもぎり係に変身)に、かくかくしかじかと事情を話してくれるではないか!カフェのお姉さんも、快く、「いいわよ!」と了解してくれ、日本人だと言うと、「コンニチハ!」と日本語で明るく挨拶してくれる。なんて、親切な準イケメン君。1人で映画を見に来てるってことは、映画オタクですか? なんとなく、そんな感じでもある。次の映画が始まるまで、カフェに座って彼とおしゃべりした。エスプレッソは2ユーロ。しかも…相当うまい! パリというと、高級レストランと高級ホテルでないと、まともなエスプレッソが飲めないと思い込んでいたMizumizu。失礼しました。要するに、観光客が行きそうな場所にあるカフェのエスプレッソがまずいということね(最悪は、シャンゼリゼのカフェ・ジョルジュV)。しかし、観光客御用達のカフェも、もっとなんとかすべきでは? いくらほっといても世界中から人が来るとはいってもサ「なんの映画を見に来たの?」「ダニエルとルイーズ」はあ… 知りません、もちろん。CHEの看板もあったから、チェ・ゲバラ目当てかと思いきや、どうやらお国の恋愛映画を見に来たようネ。「誰が出てるの?」「えっと…」とまどう準イケメン君。はあ? 出てる役者も知らんと見に来たと?「あまり有名じゃない役者だよ。ええと…」そのまま、ぷっ~と軽く息を吐き出し、「忘れた」のジェスチャー。「監督は?」「えっと…」またも口ごもる準イケメン君。はあ? 監督も知らんと見に来たと?よ、よくわからない、パリの映画青年。「君は? 何でこの映画館に来たの?」「この映画館は、『アメリ』で有名だから」ふ~ん、といぶかしそうに頷く準イケメン君。こ、この表情…明らかに「アメリ」が通じてない!発音が悪かったのか? もはや『アメリ』は古いのか? あるいは男性にはもともとウケない映画だったのか??そうこうしてるうちに、前の映画が終わったらしく、ドアが開いた。ゾロゾロと観客が出てくる、出てくる。しかも…!全員白髪の、推定平均年齢80歳… なんて見積もってはいくらなんでも失礼かもしれないが、とにかく、杖をついたり、夫婦で支えあって歩いたりしている超シニア世代だ。あとからあとから出てくる。モンマルトルにはこんなに映画好きのシニアがいるのか? 数の多さにアゼンとするMizumizuに、「彼らは、ジャン・ポール・ベルモントの映画を見に来たんだよ」と、準イケメン君。そういえば、パリのあちこちの街角に、ジャン・ポール・ベルモントの顔のある映画のポスターがはってあった。直訳すると『男とその犬』というタイトルの新作らしい。ジャン・ポール・ベルモントって、日本ではもう忘れ去られているような? でもフランスではシニア世代にまだまだ絶大な人気のよう。そもそも日本でこの世代が大挙して押しかけるような映画や映画館は皆無だと思う。ううん… 日本映画産業は息を吹き返したと言われてはいるが、シニア世代が喜んで見に行くような映画は作られていないのでは? ハナっから、年寄りは映画を見ないと思い込んでいるフシもある。これから若者が減って年寄りが増えるのだから、「年をとっても映画館に行きたくなるような作品」をもっと作るべきなのかもしれない。日本で公開されたものだと、『列車の男』なんかは非常によかった。あれならシニア世代の観賞にも耐えるだろう。そういえば、ああいう映画は、日本にはないなぁ。日本は何もかもが、若者向けになりすぎている。準イケメン君の案内で、シアタールームも見させてもらった。感想は…とてもオシャレで素晴らしいシアタールームだった!客席と緞帳は赤、壁は紫。大胆なシャンデリアが特に目を惹く。植物のツルのように細くスルリとのびたシャンデリアの腕の先に、不気味さギリギリで上品さを保っているキノコのデザインの傘がついている。赤と紫――日本でこの手の色を使ったら、ほとんど必ず下品になってしまう。そこはさすがに、おフランス。この色調の部屋の壁に、ハッと胸をつかれるような奇抜なデザインの、大きなシャンデリアにあしらいながら、全体としてはそこはかとないエレガンスが漂ってくる。このシャンデリアもコクトーのデザインだという話もあるが、ウラが取れず、真相は不明。個人的な印象では、コクトーが原案を描いた、あるいはアイディアを出した可能性はあるにしても、純粋なコクトーデザインとは違う気がした。もうちょっとイマ風だ。いい映画館だなぁ。言葉のわかる作品が上演されていたら、見たかったのだが。さて、映画館内のカフェの窓の外には、なんとなんとこんなモノが…フランス映画がもっとも輝いていた時代のスターが一堂に会している。中央に『美女と野獣』のジャン・マレー。シャンプーハットを首に巻いた(ちがうと思う)、大仰なカッコの流し目君が彼。そして、向って左には、フランス映画二代目美男スター、ジェラール・フィリップがどど~んと立っている。三代目ドロンは、本国での評判を反映してか、案外小さめ。フランス映画最高傑作の呼び声も高い『天井桟敷の人々』から、ジャン・ルイ・バローも白塗りのピエロ顔でお出ましになっている。Mizumizuが写真を撮っていたら、娘と一緒に来たらしい老婦人が、「これが誰々で、これが誰々で…」と懐かしそうな声で名前をあげながら、じっと立ち尽くして見入っていた。廊下には、ジャン・マレー最晩年の写真が2枚も飾られていた。足型をもって微笑むジャン・マレー。スターの足型は映画館のどこかにあるらしいのだが、今回見逃しました。友人と一緒のマレー(一番右)。なぜか、この映画館でも完全に特別扱いのマレー。晩年は近所に住んでいたジャン・マレー。コクトーゆかりのこの映画館に、観客としても来ていたのかもしれない。
2009.03.06
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一般に、ルキーノ・ヴィスコンティとジャン・マレーのつながりはあまりないように思われている。だが、実は違う。ヴィスコンティはマレーがパリで舞台デビューを飾ったごくごく初期のころ、マレーに仕事を申し込んでいる。それは『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』(新潮社)で明かされている。1937年の春、当時23歳のマレーはジャン・コクトー原作・演出の『オイディプス王』のオーディションにやってくる。一目でマレーが気に入ったコクトーはいきなり主役に抜擢しようとして、劇団員から大ブーイング。マレーはもともとこの戯曲の上演を企画した劇団所属ではなく、「数合わせのために」さそわれたよそ者だったからだ。そこで、マレーは『オイディプス王』では端役にまわり、コクトーの次回作『円卓の騎士』で主役を演じる。『オイディプス王』でその美貌が注目されたマレーのもとには、ヴォーグなどの一流誌のカメラマンがよく取材にやってくるようになる。ある日マレーは、懇意にしているカメラマンの家でジャン・ルノワールの助監督を務めるイタリア人に会う。それが当時まったく無名だった31歳のヴィスコンティ。彼はマレーの『円卓の騎士』を見て、イタリアでの仕事を申し込んできたという。「私は断った。だが私たちは仲の良い友達付合いを続けた」(『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』より)。う~ん、ちょっとだけモーションかけるオファーを出すのが遅かったネ、ヴィスコンティ監督。『オイディプス王』に出るまでは、マレーは仕事がなくて困っていた。映画会社に写真を送っても無視され、オーディションを受けても落ち、自分で映画監督のところに売り込みに行ってはセクハラまがいのことをされてメゲたりしている。『オイディプス王』のあとでは、ジャン・コクトーに突然愛の告白などされ、マレーは実はかなりビビっていた。だが、『円卓の騎士』の稽古の前にコクトーと南仏に旅行をし、ここでコクトーの献身的な態度や深い教養にすっかり魅了されてしまった。『円卓の騎士』上演中にはコクトーが急にマレーに黙って2ヶ月も姿を消してしまい、「どうしちゃったんだ?」と心が千々に乱れている。そうした時期に別の演出家の仕事を受けるわけがない。次回作もコクトーで、というのはすでに2人の暗黙の了解になっているし、実際、『円卓の騎士』が終わるとすぐコクトーは、マレーが気に入った年上の女優とマレーをキャスティングすることを念頭においた『恐るべき親たち』を執筆する。『オイディプス王』も『円卓の騎士』もマレーのために書かれた作品ではなかったが、『恐るべき親たち』は正真正銘彼のための戯曲であり、1938年11月に上演されると空前絶後の大当たりを取り、ジャン・マレーの名が世間に一挙に広まった。ただし映画デビューまでにはさらに3年待たなくてはならない。これには当時の政治的な事情も関係している(後日書きます)。ヴィスコンティの処女作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』の封切は1943年だが、その直前にマレーは別の映画の撮影でイタリアに行き、ヴィスコンティと会っている。またヴィスコンティは、コクトーの『恐るべき親たち』を1945年にローマで演出している。さらに後年、ヴィスコンティがパリのコメディー・フランセーズでのマレーの芝居を見に来たこともマレーの自伝には綴られている。ヴィスコンティはパリに来るたびにマレーに連絡をよこし、しばしば一緒に食事をしていたということだ。ヴィスコンティがマレーに『白夜』の出演依頼をしたのはだから、31歳と23歳(もしくは24歳になりたて)で2人がパリで出会ってから20年後ということになる。ヴィスコンティとコクトーの映画は一見まったく共通点はないように見える。一方は現実と歴史をみすえ、一方は幻想と神話をテーマにした。だが、Mizumizuにはまるで同じ地下水脈の水がまったく違う場所に湧き出すように、2人の世界がどこかでつながっているような気がしてならない。コクトーはその代表作の1つ『双頭の鷲』を書くに当たって、ルートヴィヒ2世関連の本を読み漁ったという。そのルートヴィヒ2世そのものをヴィスコンティは後年映画にしている。マレーを銀幕に美しく映し出そうとするコクトーの執念は、ヴィスコンティのヘルムート・バーガーに対する姿勢に繋がっているように思う。唐突に顔のアップを入れ、時代がかったトーンで語らせる手法も似ているかもしれない。『白夜』でマレーの演じる下宿人は、ほとんど何も口説くことなくナタリアの心を虜にするが、それはコクトーとマレーの蜜月時代に撮られた映画『悲恋』『美女と野獣』『オルフェ』でマレーが演じたキャラクターすべてに共通しているのだ。これらの作品でマレー演じる主人公は「特に何もしなくても」あっさり相手の心を奪うか、あるいは一方的に思いを寄せられる。そして常に、現実と非現実を行き来する特別な存在だ。こうした役はコクトーとマレーの間に、現実の生活でも、また映画の世界でも、なんとなく距離ができるにつれ消えていくが、ヴィスコンティは『白夜』で、そうしたマレーを復活させたのだ。部屋におかれた鏡はまさしく、コクトー作品へのオマージュだ。どこから来たのわからない、1年間どこへ行っていたのかもわからない、だがヒロインに定めれた運命の相手。のちに「ラテン・ラヴァー」というニックネームでプレイボーイの代名詞のように扱われるマストロヤンニからあっさりヒロインを奪っていくのが、かつてコクトー作品の神話的なキャラクターで一世を風靡したジャン・マレーだというのが、なんともにくい設定ではないか。ちなみに、『白夜』のあと、ヴィスコンティはマレーのオファーを受けて、パリで彼の舞台劇の演出をしている。彼の素晴らしい演出にはマレーもその共演者も、全員が魅せられた。マレーはこの仕事をヴィスコンティが引き受けたのは、自分が『白夜』での小さな役を引き受けたことへのお礼だと感じたという。マレーがコクトーに出会ったのが23歳。実はマストロヤンニがヴィスコンティに出会ったのも23歳。やはりすぐれた俳優がその才能を開花させるには、名監督との出会いがどうしても必要だということだろうか。(どーでもいいけど、『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』でのルキーノ・ヴィスコンティの表記は間違ってばっかり。P78では「リュシ」ーノ・ヴィスコンティ、P142ではルキノ・ヴィスコン「チ」。イタリア語はluはル、chiはキ、tiはティなのだ。チならciとなる。お~い、新潮社の校閲部さん! 朱入れなきゃ、朱!)<ヴィスコンティとマレーの関連年表>1906年 11月ルキーノ・ヴィスコンティ生まれる1913年 12月ジャン・マレー生まれる1937年 春ジャン・マレー、コクトーと出会い、7月『オイディプス王』(コクトー作)に端役で出演。10月『円卓の騎士』(コクトー作)に主演。ヴィスコンティがマレーにイタリアでの仕事を申し込む1938年 11月、ジャン・マレー『恐るべき親たち』(コクトー作)に主演。大反響。1943年 ヴィスコンティ、処女映画『郵便配達は2度ベルを鳴らす』封切1945年 ヴィスコンティ、ローマで『恐るべき親たち』演出1947年 10月、コクトー『双頭の鷲』撮影1948年 5月、コクトー映画『恐るべき親たち』撮影。11月封切1949年 8月、コクトー『オルフェ』撮影。12月、『恐るべき子供たち』映画化(監督はメルヴィル)1952年 マレー、コメディー・フランセーズで『ブリタニキュス』に主演。1日おきに大ブーイング。舞台を見たヴィスコンティ、マレーに「ブリタニキュスでスキャンダルを起こせるなんて、コメディー・フランセーズもたいしたものだね」1957年 ヴィスコンティ『白夜』封切1972年 ヴィスコンティ『ルートヴィヒ』封切<明日は名監督に出会う前のマストロヤンニとマレーについてご紹介します>
2008.03.17
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中世ヨーロッパでもひときわ異彩を放つ神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世。彼についてはすでに1月30日のエントリーと4月22日のエントリーで紹介したので、詳しくはそちらを読んでいただくことにして、今日ご紹介するのは、フェデリコ2世が南イタリアのプーリアに建設した「カステル・デル・モンテ」。カステルとは城、モンテとは山を意味する。その名のとおり、小高い丘の上に建つこの城は、世界遺産にも登録され、イタリアの1ユーロ硬貨の裏面の絵柄にもなっている。だがこの山城は、いろいろな意味で謎に満ちている。まず、まったくもって城らしくない。こちらは、ネットから拾った空中写真だが、ご覧の通り、8角形の外壁、8角形の塔が8角形の中庭を囲んでいる。装飾の花や葉も8枚ずつになっているらしい(ただ、実際に行っても、この目で確認はできなかった)。13世紀の城といえば、通常要塞の役割を兼ねるのが普通だが、この城は軍事的には、完全に無防備。堀も厩も銃眼も何もない。客をもてなすための城としても、明らかに役不足だ。大きな厨房もなく、広間もない。中庭を囲む塔とそれをつなぐ空間は、どこも均一で、主従の居室の区別がつかない。オリーブ畑の続くプーリアの平原。小高い丘のうえに建つカステル・デル・モンテは、かなり遠くからも見える。まるで山のいただいた王冠のよう。クルマで行ったのだが、城が視界に入ってきてからも、なかなかたどり着かなかった。それくらい、今でさえも辺鄙な場所だ。フェデリコ2世の好んだ鷹狩の拠点にしたという説もある。なるほど、実用的な意味では、そのくらいになら使えたかもしれない。実際に城として使うには、あまりに不便な造りなのだが、この実、この城は、ストーンヘンジやマヤの遺跡、あるいはエジプトのピラミッドにも通じる、綿密な天文学的計算に裏打ちされた設計になっているのだ。こちらは中庭の壁を撮った写真。太陽の影が見えるが、この影は、春分と秋分の日の正午に、中庭の一辺とぴったり重なる(ということはつまり、秋分の日と春分の日の間は中庭の床には日が差さないということ?)。ユリウス暦で8番目の月に当たる月の8番目の日、現在でいうと10月8日に、南西の高窓と中庭側の低窓を太陽光が一直線に結ぶ。また、夏至の夜には、中庭の中央のちょうど真上にヴェガが来るのだという。設計自体にフェデリコ2世自身が深く関わったことは文献等から知られている。皇帝は8という数字に、非常に強いこだわりをもっていた。キリスト教では、8はキリスト復活までの日数であり、イスラム教では天国を表す数字だという。その知的精神で「最初の近代人」とも称されるフェデリコ2世が、迷信ともいえるような「8」への執着を、大掛かりな城建設で見せたことは、非常に興味深い。論理的で合理的な思考の持ち主が、ある面で呪術的ともいえる神秘主義に傾倒するという傾向は古今東西を通じて、しばしば見られるからだ。フェデリコ2世は言語の天才で、さまざまな言葉を話すことができた。アラビア人とも通訳なしで話している。言葉にはそれぞれの論理があり、多くの言語を操るということは、それだけ多くの世界を心の中にもつことになる。ある意味でそれは、精神が相対する論理で分裂する危険性をはらむ。そして、フェデリコ2世の治世後期には、領土内でのキリスト教徒とイスラム教徒の対立が激しくなり、ノルマン・シチリア王国の繁栄も陰りを見せ始めていた。フェデリコ2世がこの世を去ったのは、1250年の12月。1+2+5で8になるという偶然が、最後までつきまとった。「城」としての機能をほとんどもたない、「8」という数字と大いなる宇宙の神秘に捧げられたとしか思えない、美しい孤高の城。小高い丘に建つこの城の上階から眺めると、オリーブ畑と小麦畑が海のように広がり、神の視線を手に入れたような錯覚にもとらわれる。その眺めはヴァイエルンの狂王ルードヴィッヒ2世の建造した白鳥城のもつ眺望に、ある程度似ている。ネオゴシックだの擬似ビザンチンだの、過去のさまざまな様式をゴッチャにしたルードヴィッヒ2世の城のインテリアを見ると、王のネジの取れっぷりに圧倒されるが、この世にはない世界とつながろうとしたという意味では、フェデリコ2世のカステル・デル・モンテも同じではないか。政治的な力をほとんど持たなかったルードヴィッヒ2世と、神聖ローマ帝国皇帝にしてノルマン・シチリア王であり、中世ヨーロッパで絶対的権威をもっていた教皇との対立も辞さなかったフェデリコ2世の人生に類似点はほとんどないのだが、内面に何かしら現実には成し遂げられない壮大な夢を秘め、それを大掛かりな土木工事という形で、うつせみの世に残そうとした情熱には共通点がある。そして、それは有史以来、「力」を手にした人間がほとんど必ずとらわれる妄執でもある。
2009.12.03
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野生のラクダはスリム。見目麗しいラクダは高い値段で売れるそう。そして、見目麗しいといえば、なんといってもベリーダンスの女性。まだ10代だという(サバよんでませんか?・笑)。観光客相手のショーのせいか、1人で踊るベリーダンスそのものは短くて、すぐに女性の見物客を誘って一緒に踊ってお茶を濁そうとしてるのが、どうも…(苦笑)。ま、そんなもんでしょうか。一見の価値は、とりあえず「あり」かなと。
2008.01.20
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ジャック・ドゥミー監督の『ロバと王女』(1970年)。これは『美女と野獣』を見ていないとオモシロさがわからない。ペローの童話「ロバの皮」を原作にしたこのステキな作品は、『美女と野獣』、そしてジャン・マレー主演の過去の名作へのオマージュなのだ。『美女と野獣』と同じく大人の観賞に耐えるファンタジーコメディであり、かつ主演のカトリーヌ・ドヌーブが最高に美しい時期に撮られているということも重要なポイント。『美女と野獣』のベル風の冠を髪に立てているのが若き日のドヌーブ。召使の顔が青く塗られているのは、彼女が青の王国の王女だから(?)。ドヌーブの父、国王を演じるのは50代も後半に入ったジャン・マレー。部屋の調度品は『美女と野獣』風に目の動く生きた彫像などがさりげなくおいてある。玉座は野獣カワイイ系?? なぜかマレー国王のお世話をするのは美青年ばっかり。部屋には青年しかいないのだ。晩年のマレーはこの手のギャグ(?)を明らかに意図的にやっている。最後の出演作品となったベルナルド・ベルトルッチの『魅せられて』(1996年)でも、レストランで若い兵士に「一緒に帰りませんか?」と誘われて、喜んで一緒に出て行き、同席していた別の青年が意味深に笑っている場面がある。このときのマレー、御年81歳。さて、マレーといえば、「小さな人々」との共演も忘れられない。『悲恋(永劫回帰)』でのアシールだけなく、『ルイ・ブラス』でも小人症の役者との印象的な場面がある。なので、当然……『ロバと王女』の小さな人々は、大変に幸せそうにちょこまかと働いている!国王は最愛の王妃を亡くして悲しみのどん底。亡き王妃の面影を映す王女を見るのが辛くなる。だからって……こんな素直な言い方はヒドイんじゃないですか?。(ま、ジャン・マレーだし)。 ところが傷心の日々を送るうち、国王は家臣から「王女は亡き王妃以上に美しくなられました」という一言を聞く。亡き妃から「再婚するなら私より美しい女性にしてください」と言われていた国王は、「では、余の再婚相手は娘か?」と思い至る。(へ、変な展開……)。 国王は国一番の賢者の意見を聞きに。なぜかそのために螺旋階段をのぼっていく。明らかにこれは『悲恋(永劫回帰)』の一場面(4/12のエントリー参照)。賢者に意見を求めると、「私なら娘と結婚します」といい加減な結論(笑)。そこで国王は、「王女と結婚するぞ」と宣言する。運命に導かれる深刻なギリシア悲劇を得意とした役者が、大真面目にズレまくった宣言をするのが、本当におかしい。娘にプロポーズし、詩を読んで聞かせるロマンチックな国王。でも、その詩って……え? オルフェ? コクトーの詩だ! 国王いわく「リラの精の贈り物だ」。うそ~、コクトーの詩だよぉ。ピカソに捧げた詩の一説でしょ。リラの精は細身のブロンド美人。『去年マリエンバートで』主演のデルフィーヌ・セイリグ。彼女、どうやら国王との間に「過去」があるようで…………だから、国王につらく当たるのだそうな。王女に向かって父との結婚なんてとんでもないと諭し、(以下のセクシーな語り歌をお聞きください。最後にチラッと見えるセイリグの脚の美しさには思わず目が釘付け??)http://jp.youtube.com/watch?v=nfdDn1qdSb8&feature=related国王を困らせる難題を次々考えて、王女に入れ知恵する。それでも国王の決意が変わらないとみるや、「魔法の箱」(実はマレー主演の『ルイ・ブラス』で出てきた小道具)を王女に与え、城から逃げ出す手配を整えてあげる。つまり、このリラの精は王女をマレー国王のそばから追い払いたいのだ。なにせ、コクトーだから……(笑)ロバの皮をかぶって変装し、城から逃げた王女はある村へ……あ、スローモーションだ! ベル(美女)が走っている! ドアが自動で開くのは『美女と野獣』と同じ。このあともコクトー得意のフィルム逆回しがやたら多用されたりして、完全に懐かしきコクトー・ワールド。そのころ国王はいなくなった王女を心配している。この鏡も『美女と野獣』。そして、王女は赤の国の王子様に出会う。王子役は若き日のジャック・ペラン。もっと渋くなってから、『ニューシネマパラダイス』のサルバトーレ役を演じた。バラをつもうとする王子。『美女と野獣』でバラをつむのは、ベルの父親だった。王女のいる小屋へ近づこうとして見えない壁に阻まれる王子。これは『オルフェ』から。あれっ、今度は『美女と野獣』のアヴナンになってる。王子の夢枕に立つ王女。これは『オルフェ』でマリア・カザレス演じる死神の行為。最後には王女と王子は結ばれてハッピーエンド。じゃ、国王はどうなったかというと……なぜかファントマ(マレー主演の娯楽映画)風にヘリで結婚式に現れる。ロケ地は『美女と野獣』のロケもやったロワール川沿い。しかも、今回は豪華にシャンボール城!なんと、ちゃっかり国王はリラの精と結婚していた! 人間と妖精の禁断の恋!? とはいえ、確かにリラの精も超美人。ちらちら見える脚は悩殺的セクシーさ。これなら亡き王妃も許してくれるでしょう(?)。おまけにリラの精はコクトーだし(やるなぁ、ジャック・ドゥミー監督!)。この成り行きになぜか、王女もまったく驚いていない(苦笑)。国王もなにごともなかったかのように「娘よ、また一緒に暮らそう」とにこやかに挨拶。幸せそうな国王とリラの精。リラの精のポーズは微妙に『去年マリエンバートで』風。ここで皆が白い衣装を着てるのは、青の国+赤の国=白…… つまりはフランス国旗ってワケ。この飛び切り楽しいオマージュ作品には、『美女と野獣』で駆け出しのメイクアップアーチストとしてメイク助手を務めたアレクサンドル・マルキュスがメイクの大御所として参加している。マルキュスは『ルイ・ブラス』でもマレーのメイクを担当した。[DVDソフト] ロバと王女 デジタルニューマスター版
2008.05.11
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傑作か、駄作か――膨大な手塚治虫の中で、おそらく評価が真っ二つに分かれるだろう作品のひとつに挙げたいのは、『サンダーマスク』。最近見つけた記事で手塚版『サンダーマスク』を傑作認定している人(松浦晋也氏)がいた。手塚治虫の知られざる傑作「サンダーマスク」:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)あまり知られていない作品の中にも「すごい」と感嘆せざるを得ないような作品も存在した。その中のひとつが「サンダーマスク」だった。(中略)私にとって「サンダーマスク」は、まごうことなき傑作である。確かにラストは打ち切り作品らしく早足なのだが、それを補って余りあるオリジナリティーが込められている。変身ヒーローのサンダーマスクと魔王デカンダの対立というテレビ版の構造は、完全に換骨奪胎され、かなりハードなSF作品となっている。それどころか、映画「タイタニック」を思わせるメロドラマでもあるのだ。 物語の語り手は、手塚治虫本人。この時期の手塚作品には「バンパイヤ」に代表されるように手塚本人が時折登場している。手塚が命光一という若者と知り合うところから話はスタートする。(引用終わり)この記事を読んで、「おお、同志よ!」と思ったのだ。Mizumizuは最近になって初めて電子書籍版で読んだのだが、この『サンダーマスク』、相当面白い。手塚作品の中ではマイナーな『サンダーマスク』を、なぜ電子書籍版で買おうと思ったか・・・それは、ガチ手塚(真の手塚マニア)であるyou TUBER某(なにがし)氏が同氏の手塚治虫全巻チャンネルで、珍しくテンション下がりっぱなしの口調で「面白いとはいえない」と評したからだ。ファンがつまらないと言ってる作品、どのくらいつまらないの? と興味をひかれたのだ。【都市伝説】手塚治虫パンデミックを予言!支配者層の闇を暴露? (youtube.com)某氏は、手塚治虫自身もこの作品を気に入っておらず、その証拠にあとがきがあまりにアッサリしていること、書籍化の時に描き直しをする手塚治虫が手を入れていない(らしい)ことを挙げている。本人が駄作だと思ってそうしたのかどうか、Mizumizuは断定できないと思うのだが、「力が入ってない」と思うのは、作品の中身ではなく、講談社全集版の表紙の絵。手塚治虫の元チーフアシスタントが証言しているのだが、この全集版、手塚の力の入れようは並々ならぬものがあり、表紙の絵は新しく描きおろし、金の額縁の着色も、アシスタントに細かくダメ出しをしたそうなのだ。だが、『サンダーマスク』の表紙の絵は、過去に書籍化されたものをアップにしただけ。新しく描き直した形跡はゼロ。あとがきの短さ、全集版に向けての描き直しなし、表紙絵使いまわし――その作品が、今頃になって話題になるなんて、ご本人もびっくりかもしれない。漫画の文庫本には反対のMizumizuだが、電子書籍に関しては、利点があると思っている。それは、スマホと一緒にどこにでも持っていけること。本だとしまい込むと捜して出すのが億劫になる。それに、新幹線や飛行機の中に本を持参するのは面倒だが、電子書籍なら気軽に読める。手塚作品は楽天KOBO電子書籍ストアで安く買えるので、結構最近は買って、新幹線や飛行機の移動中に読んでいる。『レオちゃん』なんて、絵が好きだから、絵本版と電子書籍版の両方を買ってしまった(内容が少し違っていたが)。話が逸れたが、この『サンダーマスク』、Mizumizuにはかなり面白かった。夜中に真黒な大きな手が出てきて、クルマをつぶすところなんてホラーそのものだし、飛行機が乗客乗員ごと石になって落下してくるところ、町全体が石になってしまうところなんて、「山崎真監督の特撮映画で見たい!」と思うような発想だ。人類の敵となるデカンダーの正体も、「うわー、そうきますか」という奇想天外なもの。これがサイエンスフィクションというものですか、と妙に納得してしまう。こういったアイディアが秀逸で、次から次へと出てくるのがスゴイ。山崎真監督の映画で見たい、と思うのは、ラブロマンスもちゃんと入っているからだ。『タイタニック』のようだとは思わなかったのだが、『ゴジラ-1.0』にも、こういうロマンス要素がちゃんと入っていたことを思い出し、「さすが手塚作品、ツボは外さない」と変に感心してしまった。ラストシーンでのヒロインの姿には、悲劇でありながら、ほんのわずかな希望を必ず残す手塚治虫ならではの味わいがある。こういうラストは、他の誰も書けないのではないか。そして、個人的にツボったのは、ところどころにあるギャグ。5回は大笑いしてしまったわ。手塚マンガが好きなのは、ふいうちのように繰り出されるギャグがなんといっても理屈抜きに面白いこと。永井豪が登場する温泉のシーンは、力が抜けたおふざけで、大好きだ。こ~ゆ~のも、描けませんよ、なかなか。ところで、あのダサいサンダーマスクのマスク・・・手塚治虫のアイディアではないらしい。テレビドラマが先行した『サンダーマスク』は、サンダーマスクのキャラクター設定と怪獣のキャラクター設定は別の人がやったよう。テレビ版『サンダーマスク』の権利関係のごたごたが最近やっと解決したらしく、動画があがっているが、エンディングにはサンダーマスクデザイン 上山さとし怪獣デザイン 成田マキホとある。上山さとしって、誰? 成田マキホはウィキペディアに情報がある。手塚版『サンダーマスク』では、デカンダーの姿はドラマとはまったく異なっているが、サンダーマスクのマスクはかなり似ている。似ているが、ちょっと違う。違うのは、手塚版はまさにマスクで口元は普通の人間のそれのように見えること。テレビドラマ版では口元までマスクで覆われている。推測するに、テレビ版のサンダーマスクデザインを手塚作品でも使ってくれるよう制作側が依頼したのではないか。手塚版『サンダーマスク』の中で、このマスクのデザインを手塚治虫がさらさらっと描くシーンがあり、なぜか「デザイン料はいらんぜ」とわざわざ言っているのだ。この不自然なセリフ、ちょっと気になったのだが、テレビ版のキャラクター設定を踏襲したものだとしたら合点がいく。テレビでは上山さとしデザインと出てるんだから、そりゃデザイン料はナシでしょう。手塚版『サンダーマスク』、楽天KOBOで安く買えるので、読んでみて。サンダーマスク|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL面白いか、面白くないかは、アナタ次第。
2024.06.05
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西荻と吉祥寺の間に1軒のお屋敷があった。城かと見まごう(?)石垣と背の高い門が聳え、堂々たる造りで外からの視線をシャットアウトしていた。表札には「来世研究所」。そう丹波哲郎の豪邸だ。丹波哲郎はかなり好きな俳優だった。照れずにカッコつけるところは日本人離れしたスケール感があったし、声のトーンも独特の音楽のような響きがあった。日本アカデミー賞を辞退した黒沢明監督に対して、「愚の骨頂」などとズバッと言ってみせる自信も、不思議と憎めなかった。最後に俳優・丹波哲郎を見たのはNHKの大河ドラマ「義経」の源頼政役だった。ひどく痩せて、さすがにほとんど動けないようだったが、準備不足のまま平家打倒に動かざるをえなくなった頼政が、宇治平等院で炎の中で討ち死にする最後のシーンで、ニヤリと笑って死んでいくその表情に丹波演劇の円熟を見たような気がした。丹波哲郎が亡くなったとき、西荻にある丹波邸も少しの間報道陣に囲まれていた。りっぱな石を組み合わせた門の奥も、丹波の出棺のときに少し写った。「ヘリポートがある」などという噂は嘘だとわかったが、よく手入れされたツツジと門までの長いアプローチはさすが大俳優の豪邸にふさわしいものだと思った。その後しばらくして丹波邸の前をとおったら、ショベルカーが入って遠慮なくすべてを壊していた。そして、そこは完全な更地になった。りっぱな石垣も門も何もかもなくなった。一度きれいな土に戻したと思ったが、今日とおりかかったら、すっかり草が生えていた。常に手入れされ、刈り込まれていなければいけない植栽ははかないが、雑草はたくましい。ずいぶん背が伸びていた。丹波邸のような贅を尽くしたお屋敷も結局遺族が相続できないと、こうなってしまう。あの門だけでも残せなかったのだろうか。大俳優の生きた証しがあっさり消されてしまったようで、なんだか寂しい。ここはどうなるのだろう? 間口のわりにはかなり奥行きのある敷地だが、それでもマンションには少し小さいかもしれない。何軒が建売が建つのかな? それが一番ありそうだ。こういうお屋敷もどんどん細分化され、美しく手入れされた植栽や古い樹木もばっさり切られてしまう。業者にしてみれば、儲けるためには、それが一番なのだろうけれど、武蔵野の面影を残す大木や、前の主人が丹精した植栽が、根こそぎ消されていくのを見るのは寂しい。杉並の高級住宅地の魅力は、ゆったり大きなお屋敷、植栽、そして樹木にあると思うのだが、そういった場所もどんどんつまらないキチキチした普通の住宅地に姿を変えていっている。
2007.08.22
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<きのうから続く>モンマルトル美術館で開催中のジャン・マレー展には、当然ながら映画のポスターも多く展示されていた。個人的に一番好きなのは、コレ。ジャン・コクトー監督『双頭の鷲』から、エリザベート女王役のエドヴィージュ・フィエールと。エドヴィージュ・フィエールのファッションがまたいいのだ。革の手袋は手首の細さが際立つよう、手首の内側でぴっちりとボタンで留めている。折り返した袖と襟のギザギザの縁飾り。胸元のリボンのつやつやした布の質感。ドレス自体がシンプルなので、リボンや縁飾り、ボタンなどのディテールが引き立つ。とても上品で、ヨーロッパの古き良き時代の香りが漂ってくる。おまけに蜂のような細腰。イマドキの女優でここまで細いウエストが作れる人は、もうほとんどいないだろう。カタログに収録されていないのは残念なのだが、展覧会ではジャン・マレーとエドヴィージュ・フィエールの晩年のプライベート写真も展示されていた。Mizumizuが中でも気に入ったのは、フィエールが油絵を描いていて、イーゼルの前で、「どう?」という感じで胸をそらしている。それを、マレーが「どれどれ?」とのぞきこんでいる写真。2人とも70歳は超えているように見えたが、非常に自然で、親密な雰囲気が漂っていた。フィエールはマレーを相手役にした『双頭の鷲』の再演を熱望していたが、マレーは自分の年齢を理由にこの申し出を拒み続けた。だが、1980年の『嘘つきさん』(バーナード・ショー原作、ジャン・コクトー脚色)ではフィエールとともに舞台に立っている。そして、フィエールは、ジャン・マレーが亡くなった5日後に、まるで後を追うように亡くなってしまった。もう1人、ジャン・マレーにとって大きな存在の女優がミシェル・モルガン。もともと『悲恋(永劫回帰)』で、監督のジャン・ドラノワはマレーの相手役にモルガンを使いたかった。マレー+モルガンでどうしても映画が撮りたかったドラノワは、その後何度もモンパンシエ通りのコクトーとマレーのアパルトマンを訪れては、マレー+モルガンを想定した映画の脚本を書いてくれるようコクトーに懇願している。だが、ちょうど長編の詩作に取り掛かっていたコクトーは、脚本を書く気になれず、別の脚本家を紹介する。そしてモルガンとマレーの初共演となったのが『思い出の瞳』。ジャン・マレーはモルガンについて、「私が本当に恋することのできた唯一の女性」と自伝で書いている。マレーは晩年になって、モルガンに舞台での共演を申し込んでいる。もともと映画出身のモルガンは舞台に乗り気ではなく、なかなかOKしなかったが、1993年になって、とうとうマレーとの共演で、コクトーの『聖なる怪物』の舞台に立った。このときの2人のポスターも展示されていたが、顔を寄せ合った白髪の2人は、若いころのポスター以上に素敵に写っていた。80歳近いマレーが、モルガンの後ろにいて、肩口に手を添えている。いくつになっても女優を引き立てることに心を配っている、騎士的なジャン・マレーの性格がよく表われている。モルガンのブルーの瞳の色とまったく同じ色の素材が衣装のアクセントとして使われ、それが一番印象的で、オシャレだと思った。マレー+モルガンの舞台『聖なる怪物』が、大きな成功を収めたことは言うまでもない。これは↓ジャン・マレーの死を受けての特別追悼番組。http://www.dailymotion.com/video/x6fox7_hommage-a-jean-marais_shortfilmsマレーがコクトーの言葉をつなぎ合わせて執筆した1人芝居『コクトー/マレー』の台詞から、マレー自身のナレーションが入る。「大変悲しいニュースを伝えなければならない。ぼくが死んだ」「生者と死者は近くて遠い。ちょうど硬貨の裏と表のように」「生と死は向き合っている」そして、マレーの愛したミシェル・モルガンが壇上で挨拶するというニクイ演出。さらにもう1人、日本語版ウィキペディアではマレーと結婚したことにされてしまったミラ・パレリイ。もちろん、この情報は嘘だ。どうしてこんな間違ったことがウィキペディアに書かれてしまったかというと、もともとはcinema databaseのJean Maraisのプロフィールに誤情報がのったためだと思う。マレーは1945年、『美女と野獣』の撮影の話が進むなか、フランス解放戦線に参加し、戦場にいた。コクトーは打ち合わせのために、マレーに戻ってきてくれるよう何度も促すのだが、なかなか休暇がもらえない。そんなとき、「結婚すれば休暇がもらえるらしい」という話を聞いたマレーは、以前ちょっとだけ付き合っていた女優のミラ・パレリイにプロポーズしてみた。するとパレリイのほうがマジになってしまい、マレーは困惑する。結局、結婚の話はナシになり、パレリイは1947年にレーサーと結婚した。だが、若いころ抱いた真剣な想いは、パレリイの中でずっと消えなかったようで、こんな熱い写真を晩年のマレーに送っている。「愛しています。私のジャノ。ミラ」そしてテーブルには犬と写っているマレーの写真。マレーのほうも、晩年に書いた自作の児童小説で、美しい王女の名前を「ミラ」にしている。しかし…この場合、ミラの旦那さんの立場は?ともあれ、ミラがよき妻だったことは間違いない。彼女の結婚は一度だけだし、レーサーの夫が事故で重傷を負うと、その看病のために、すっぱり女優を引退している。追記:マレーとフィエールの関係については、2008年5月20日のエントリー参照。マレーとモルガンの関係については、2008年6月3日のエントリー参照。マレーとパレリイの関係については、2008年5月5日のエントリー参照。
2009.03.03
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チェンマイで最も格式の高い寺、ワット・プラ・シン。1345年に、ランナー王国メンラーイ王朝第5代国王プラヨーが、亡くなった先王(父親)の遺灰を納めるために、仏塔(チェディ)をこの地に建てたのが、寺院の起源。ここには2つの重要な仏像が納められている。1つは本堂↓にあるトンティップ仏(Pra Thongtip)。1477年の鋳造で、北タイでもっとも人々に崇拝されている仏像なのだとか(The Famous Temples in Thailandより。praというスペリングも同書にならったもの)。しかし・・・ボテッとしたお体とか、大作りなお顔立ちとか、造形的にはどうも惹かれるものがない。タイの仏像は、「修復」というと、すぐに金ピカに塗り直してしまうので、新しいのか古いのかもわからない(基本的には、みんなそれほど古くない)。もう1つの重要な仏像――この寺の名前の由来にもなったプラ・シン仏(Phra Buddha Sihing)との「出会い」のほうが、おそらく外国人にとっては感動的だろうと思う。仏塔(チェディ)の横にあるライカム堂に、プラ・シン仏は納められている。傾斜の急な切妻屋根、独特な意匠の装飾。だが、全体としては、古びた外観。(基本的には、チェディ・ルアンの礼拝堂↓と同じ様式)。だから、内部へ足を踏み入れたときに眼に入ってくる朱(あか)と金の空間が、いっそうの驚きと感動を誘う。奥に安置された仏像のなんと神秘的なこと。ワット・チェン・マンは「縦方向」を意識させる空間だったが、こちらは「横方向」への広がりがある。一種、ヨーロッパのゴシック建築からルネサンス建築への移り変わりを思わせる。お堂自体は、それほど大きくないのだが、内部空間は「無限」を感じさせる。チェンマイの仏教美術の魅力は、こうした堂内空間と仏像が一体となって醸し出す壮麗で厳粛な雰囲気にあると思う。トンティップ仏のある本堂のように、派手なシャンデリアが天井からどど~んと下がっていると、どうも俗っぽくていけない。チェンマイの人の感覚では、そうすることが信仰心の表れなのだろうけれど。プラシン仏とライカム堂の空間(ワット・プラ・シン)、それにチーク材を縦横にわたしたワット・チェン・マンの内部空間――審美的には、この2つがチェンマイの仏教美術の最高峰に位置するものだと思う。こちらがプラ・シン仏。寺の名前の「シン」はSingと書く場合が多いが、仏像のほうの綴りはSihing。SingはSihingを簡略化したものらしい。The Sacred Buddha Images of Thailand(タイで出版されている仏教美術関係の書籍)の記述を読むと、このプラ・シン仏は伝説によれば1407年にチェンライで作られた。その後なのかそれ以前なのか、ハッキリしないが、チェンマイとチェンライの間に戦争が起き、勝利したチェンマイの王(英語のスペルではSaenmuangma、セーンムアンマー王のことか?)が、チェンライから運ばせたものだという(しかし、このセーンムアンマー王、ウィキペディアでは1401年没とある。1407年に作られた仏像を1401年に没した王が運ばせた、というのも変な話だ。1407年の記述が正しいとすると、セーンムアンマー王ではなく、サームファンケーン王かもしれない。サームファンケーン王もチェンライと戦争を起こしているし、年代から言えばサームファンケーン王のほうが辻褄は合う。もしセーンムアンマー王が正しいとすると、1407年という鋳造年が間違いなのかもしれない。西暦に直すときに間違えた可能性も大いにある)。さてもう1つ、ワット・プラ・シンの仏教建築で目を惹くのが、この非常に高い位置にある経蔵(Library)。本堂の裏にある講堂も、緑につつまれ、しっとりと落ち着いた佇まいだった。ここで見つけた面白いもの。それは…エメラルド仏のレプリカ。本物は現在、バンコクのワット・プラ・ケーオにあるが、この仏像、ずいぶんとあちこちを転々とする数奇な運命を辿ったようだ。チェンマイに運ばれたのは1468年。16世紀に現在のラオスに渡り、タイに戻ってきたのは18世紀。<ネット上では、英語でも日本語でも、このエメラルド仏はワット・チェディ・ルアンにあった(あるいはレプリカがワット・チェディ・ルアンにある)と書いているサイトが多い。だが、Mizumizuが見たのは、ワット・プラ・シンだったし、The Famous Temples in Thailandでもエメラルド仏が安置された寺院はワット・プラ・シンだと書かれている。同書にチェディ・ルアンとエメラルド仏に関する記述はない。ただ、こちらのサイトには、エメラルド仏はワット・プラ・シンからワット・チェディ・ルアンに移されたとある(その後ラオスに渡ったという話は省略されているが)。それはありえる話だ。どうもチェンマイの寺院関連の情報は、いい加減なのがあまりに多くて困る。というか、どれが本当でどれがいい加減なのか判断がつきにくくて困るというべきか・・・ 上記のサイトには、プラ・シン仏は1367年に、ワット・プラ・シンに安置されたとあるが、それではセーンムアンマー王の即位(1385年あるいは1400年)より早くなってしまう。>ワット・プラ・シンについては、こちらの方のブログの写真が充実している。
2009.08.17
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時計というのは、お手ごろな価格の日本製クオーツが一番よく働く。しかし、スイス製のデザイン性の高い時計も捨てがたい魅力がある。というワケで、気がつくといろいろ買っていたりするのだが、Mizumizuが所有した時計で一番の困り者がロンジンの超薄型文字盤のクオーツ時計だった。写真一番左がそれ。まん丸いゴールドの文字盤は厚みがわずか4ミリ。時間を示すインデックスはシンプルな細いライン。クロコの濃紺の革バンドとの組み合わせはとてもエレガント。余計なものをそぎ落としたようなデザインが非常に気に入って買ったのだが、「薄いから電池はわりと早く切れます」と言われたとおり、すぐに止まってしまうのが難点だった。そのうえ、使ってるうちにどんどん電池切れの間隔が短くなる。薄型の特殊な時計ゆえか、電池代も高い(高かった)。ロンジンを扱っているショップに持っていったり、デパートの修理コーナーに行ったりしていたのだが、時間もかかり、預けてから別の日にまた出直さなければならない。そのうちに、電池を交換してからしばらくしまっておくと、使う前にもう止まってるというような異常な状態に。デパートの修理コーナーにいた職人さんに話を聞くと、中の部品を新しくすれば、長持ちする新しい電池が使えるようになると言われた。どうもよくわからない話で、内心、それってつまり、ムーブメント自体に最初から不具合があったってことじゃないの?と思ったのだが、こんなに電池切れが早いんじゃやってられない。数万かけて部品を入れ替えてもらった。で、最近はあまり腕時計をして出かけない。そもそも出かける時間もなく仕事に追われまくっている。たまにでかけても、携帯電話に時計がついているので、腕時計はなくてもいい。気がつくと、家中の腕時計が止まっていた!(笑)写真はそのうちのいくつか。左からロンジン、4℃(アクセサリーブランド)、クルマ屋さんからもらったノベルティグッズ、一番右が連れ合い所有のセイコー。これだけバラバラだと、時計を売ってるショップに持っていっても、「これはできますが、これはお預かりになります」などとメンドウくさい。修理を専門にやってくれるプロの店が近くにないかな~と思っていたら…あるじゃないの!家から徒歩10分の西荻窪の街角に。いつできたんだろう? 最近まで気づかなかった。で、写真一番右の時計は、連れ合いのなのだが、ブレスレット部分のパーツを細いピンで留めてつなげているのが、ピンがはずれやすくなってきたと、これまた困っていた。Mizumizuのいろいろなブランドの時計と、セイコーのブレスレットのピンの修理を一挙に頼んでみたら…「ハイ、すぐできます」と心強い返事がソッコーで返ってきた。しかも…聞いてたまげるほど安い!http://padonavi.padotown.net/detail/pages/1109/00000905000.html↑ここのお店紹介に載ってる料金ほぼそのままで、薄型ロンジンのような特殊なものも、「預かり」ではなくすぐその場でやってくれた。ピンの交換もその場でチョイチョイ。あっという間に直してくれて、古くなってサビの入ったピンを見せてくれ、「こんな感じになっていたので抜けやすくなっていたんだと思います。ピンを1つ1つ押してみて、緩そうなのだけ新しいのと交換しました」と作業の説明もバッチリ。でもって、これまた「そんな値段でいいんですか?」というぐらい安い。工房には3人スタッフがいて、1人はお年のベテラン。あとは30代ぐらいの若手の職人が2人。ルーペを額にくっつけて(作業中は目に移動)、いかにもデキそうな感じ(笑)。ロンジンの薄型時計の電池交換には過去、毎回毎回そーとーなお金を払っていた。あれは何だったんだ。電池交換のあまりの安さと速さに驚いて、「大丈夫なんだろうか、そんなに安くやって」と返って心配してしまったのだが、ここはやっぱり、どちらかというともっと手の込んだマニアックな時計、つまり機械式時計のオーバーホールを請けていきたいんだと思う。店の紹介を見ても、地方発送の準備などしている。オーバーホール以外にないよね、これは。ちょうど連れ合いはブライトリングの機械式時計など持っている。そして、オーバーホール代にビビってあまり使っていない(笑)。オーバーホールの腕前はまだ拝見していないが、頼んでみて後悔することはなさそうだという気がしている。ブライトリングを頼む前に、調子の悪くなってきたレビュートーメンのクリケットのオーバーホールを頼んでみようか、と連れ合いが言っている。店に行ったとき、ちょうど彼が腕にはめていたのだが、「こういうのもできますか? 実はこのごろ…」と、調子の悪いところを説明したら、「あ、それは…」となぜ調子が悪くなっているのか、予想されるムーブメントの機能劣化について軽く説明してくれ、こちらが言う前から、「クリケットなら修理できますから」とモデル名をあっさり言い当てていた。小さな店の中はまさしく時計職人の工房そのもので、余計なものは何もおいていない。「お休みはいつですか?」と聞いたら、「え、あのぉ~」と口ごもって、「決めてないんです。今のところ適当」なんて、正直に言うところが、ゆる~い街・西荻の店らしくて笑ってしまった。西荻は、吉祥寺の一駅隣りだが、ディープでマニアックな店がある反面、とってもゆるい。お昼開店の店に正午に行ってもまだ開いてなかったりと、適当なところは、イタリアそこのけ。この時計修理工房も商売っ気があまりないのが心配だが、ガツガツしなくても、いいモノ・いいサービスを売ればやっていける(儲かってるかどうかは…どうかなぁ。あんまり儲けたがってる人もいない気がする)、つまり目の肥えた地元民が多いのがこのあたりのいいところ。こういう職人の店こそ長く生き残ってほしいもの。どんな時計でもすぐ電池交換してくれるだけでMizumizuとしてはかなりハッピー。心強いパートナーを見つけた気分だ。
2009.01.06
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買った直後のエントリーでは、「硬すぎて痛い」「腰痛再発!?」などと、まぁ、あれ読んだら、読者が買おうとは思わないだろうなあという内容だったMizumizuのエアウィーヴ評価。しかし、数か月使ってみて、かなり劇的とも言える変化が起こった。まず…硬い、痛いと思っていた「寝心地感」が変わった!今は逆にこの硬さが、非常にほどよく感じられ、時にはすうっと体が浮くような「リラックス感」が強くなることもある。そして、なんといっても大きいのが、肩こりから完全といっていいほど解放された!以前は、1日1万字ワープロソフトで入力したら、翌日は肩が重くだるかったが、今はまったくない。これはまさに劇的な変化で本人もビックリ。そして、「起きたあとのスッキリ感」が、凄い。エアウィーヴでは深く眠れる、というのはウソではないのだろうと思う。これは、西川AIRでもなかった感覚。しかも、ある程度の期間使ってやっと、「本当にそうだな」と体で実感できる感覚だ。腰痛は、残念ながら、ときどきほんの少しだけぶり返しているようでもある。だが、このごろは古くなってきた西川AIRではなく、エアウィーヴで寝たいと思うようになり、実際にそうしている。寝つきに関しては、劇的に改善されたとは思わないが、とにかく起きたときの目覚ましい「疲労回復感」は、間違いなく、これまでの寝具では味わえなかったもの。う~ん、不思議だエアウィーヴの効果。これが眠りを科学した結果なのだろうか?ポイントはやはり、「枕も一緒に買うこと」だったと思う。あまり高い枕ではなく、沈み込みも強くないので、横になって寝たときに、肩に体が「乗る」ように寝てしまうことがない。結果負担がかからない。最初は姿勢が変わるので、寝心地が悪く感じるのだが、実際には負担のない寝方に修正されているのだと思う。エアウィーヴを買う時は、枕も一緒に揃えること。これがMizumizuから購入を考えている読者へのアドバイス。
2015.05.16
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ヒースの訃報に関して、現在来日中のアン・リー監督の言葉をネット上のメディアに見つけた。25日付けのSANSPO.comによれば、24日の新作「ラスト、コーション」ジャパンプレミアで、「非常に悲しい思いでいっぱいです」と言葉少なに話したという。さて、アマゾンで入手した「Brokeback Mountain Story to Screenplay」。原作(Annie Proulx)と台本(Larry McMurtryとDiana Ossana)が1冊にまとまったスグレモノだ。映画「ブロークバックマウンテン」は原作に非常に忠実だという話だったが、実際に読んでみると、原作にはないエピソードがかなり追加される一方、原作にははっきり書かれている部分が削除されたり、明らかに意図的に薄められたりしている。「追加された」エピソードはもっぱら、アルマと離婚した後のイニスの娘(特に長女)との交流、それに離婚後に交際した女性キャッシーとの関係に集中している。映画では、長女が母と離婚したイニスに、「パパと一緒に住んで面倒を見てあげたい」と言ったり、結婚式に出て欲しいと頼みに来たりする。ところが、原作にはこうした場面はいっさいないのだ。定期的に娘と会っているらしいことは間接的に書かれているが、長女がイニスに同居を申し出たり、結婚式に招待したりするエピソードはない。つまり、映画で最後に娘が訪ねてくるシーンは、「追加された」もので、原作にはもともとなかったのだ。キャッシーにいたっては、名前すら出てこない。映画ではキャッシーとの出会いがあり、交際が進んで娘に会わせ、その後破局に至るまでのエピソードが具体的に描かれているのだが、原作におけるキャッシーらしき女性は、ジャックとイニスの最後の逢瀬で、2人が情事の間に語り合う「嘘と真実」がないまぜになったお互いの近況の話にちらりと出てくるだけ。キャッシーという女性と付き合ったということさえ、「嘘」なのか「本当」なのかわからない。最後の「I swear…」だが、これは原作どおり。だが、その場面に至るまでの話が違っているのだ。原作では、イニスの頭には、最初から最後までジャックのことしかない。原作はまず、家族もジャックも失い、中年になったイニスが1人で朝目を覚まし、その日の夢にジャックが出てきたことで幸福感を味わっているところから始まる。そして、最後はジャックの実家から戻ったイニスがブロークバック山の絵葉書を買いに行く。そして、それを貼り付けて、1つになった2人のシャツを見つめて、「I swear…」と呟くのだ。「I swear…」の次に何を言おうとしたのか、という映画を見てのMizumizuの疑問は、原作では疑問にはならかなった。というのは、一番の「つながらない」と感じた、結婚を控えた娘とのエピソードが原作にはないからだ。カットされたシーンがあるからではなく、追加されたエピソードがあったから、うまくつながっていないと感じたというわけだ。思い出のブロークバック山の写真を貼りながら、「I swear…」と呟くだけなら、なんとなく言いたいことはわかる。「ブロークバックでのことは忘れない」とか、あるいは「俺にはお前しかいなかったし、これからもいない」とか、そうした気持ちだろう。ちなみに、映画は「I swear…」で終わるが、原作は以下のようにまだほんの少し続きがある。XXXX「ジャック、誓って…」と、イニスは呟いた。もっとも、ジャックはイニスに何かを誓わせようとしたことなど一度もなかったし、ジャック自身誓いを立てるようなタイプではなかったのだが。そのころから、ジャックがイニスの夢に出てくるようなった。それは彼が最初に出会ったころのジャックで…(以下、出会ったころのジャックの容貌の描写とイニスの夢の具体的な記述が続く)XXXXそして、原作は、次のようなやるせない文章で終わる。「イニスが知ってしまったことと、信じようとしたことの間には少し隔たりがあった。だが、それはどうしようもないことだった。自分でどうにもできないのなら、ただ耐えるしかない」。ここでいう「イニスが信じようとしたこと」とは、明らかに、(自分にとってそうであったように)ジャックにとって自分が唯一の男性だったということであり、「知ってしまったこと」とは、ジャックは現実には、自分以外の男性と関係を持っていたということだ。原作のラストシーンでは、イニスは自分の願いと現実の「隔たり」に1人で耐えている。だが、映画ではこうしたイニスの心情は大幅に後退し、「信じようとしたこと」と「知ってしまったこと」について掘り下げることもない。ジャックの死因についても曖昧なまま、同性愛を忌み嫌う近隣住民のリンチで死んだのか、あるいはジャックの妻が主張するように事故で死んだのか、はっきりわからない展開になっており、ただ「ジャックが突然死んでしまった」という深い悲しみと喪失感の中で、彼への愛をイニスが確認するシーンで終わっている。原作では、ジャックがどんなふうに死んだのかを現実の出来事として書いてはいないのだが、リンチ殺人であることを非常に強くにおわせ、少なくともイニス自身はそれを確信していく展開になっている。伏線は、ジャックとイニスの最後の逢瀬で語られた「嘘と真実のないまぜになったお互いの近況」にある。ジャックはそこでイニスに「自分は牧場主任の妻と不倫関係にある」と告白している。ジャックが自分以外の男性を関係をもったとしたら、ジャックを「殺してしまうかもしれない」と激怒するイニスだが、ジャックが女性と関係をもつことにはまったく嫉妬しない。実はこの「牧場主任の妻」は嘘であり、ジャックが関係をもっていたのは「牧場主任の男」のほうなのだ。それは、イニスがジャックの死後、実家をたずねていったときに明らかになる。原作では、ジャックの父は明らかにイニスに敵意をもっている。「あんたの名前は、生前ジャックからよく聞いていた」。ジャックとイニスの関係に気づいているのだ。そしてジャックが生前望んでいた「ブロークバックへ遺灰をまく」ことはしないと言う。イニスもジャックの父に反感をもっている。ジャックがイニスに、子供のころ父から受けた虐待について話していたからだ(この虐待体験は映画ではすっぱり削除されている)。そして、父はイニスに、「だが、最近ジャックは別の男の名前を言った」と教える。それが近所に住む牧場主の男であり、ジャックは長年のぞんでいた「イニスと牧場をやる」という夢を諦め、別の男と牧場を持つという新しい夢を持ち始めていたのだ。父の言葉で、イニスはやはりジャックは同性愛が周囲にバレて、リンチで殺されたのだと確信する。イニスがずっとジャックと一緒に住むことを拒否してきたのは、幼いころ、自分の父親が近隣の同性愛者に凄惨なリンチを加えて殺し、その死体を「教育のために」イニスに見せつけたという重い体験がトラウマとなっていたからだ。映画でもこのとおりの展開で、このとおりの会話が交わされるが、イニスのジャックの父への反感はまったく表現されず(虐待の話がないのだから反感をもちようがない)、「別の男」の存在を知ったときのイニスの衝撃もほとんど感じられないまま、さらりと流れて、そのあとイニスが1人で2階に行って、「2つの皮膚のように重なった(原作の表現)」ジャックとイニスのシャツを見つけるシーンにつながる。イニスはその自分のシャツをブロークバックに忘れたとばかり思っていた。だが、実はジャックが黙って持ち帰り、「自分のなかにイニスがいつもいるように」1つにして、クローゼットにしまっておいたのだ。映画では、このシーンは、きわめて念入りに、長々と、最大限感動的に描かれている。リー監督自身も、このシーンの重要さについて語っている。「自己否認ばかりしていたイニスは、重なった2人のシャツを見て初めて、『自分たちは愛し合っていたのだ』ということに気づくのです。自分にとって何が大切なのか、認めようとしなかったイニスが、最後にひとりぽっちで孤独な生活を送っているのは当然の結果。幸せな人生を送ろうと思ったら、イニスのように大切なものを見失ったまま生きてはいけない」。リー監督はこのことを強く観衆に訴えかけたかったのだ。クローゼットに隠されたシャツをイニスが抱きしめるシーンの直前に、イニスがジャックの死因について確信したり、別の男性の存在を知って衝撃を受けていたりしては、肝心の感動的な場面の印象が弱くなってしまう。だからあえて、その前の部分は淡々と流したのだろう。台本を見ると、父から別の男性の名前を聞いたときのイニスは「真っ青になる」とある。だが実際の映画では、ここでのイニスの表情は明らかに、あまり強調されていない。衝撃を受けた様子を描きたいなら、アップにするとか、もっと目を見開くとか、演出の方法はいくらでもある。また原作では、ジャックを路上で死なせた彼の妻への怒りや、ジャックを辺鄙な土地に眠らせたくないというイニスの反発も描かれている(つまり、イニスはジャックをブロークバックに連れて行きたかったのだ)のだが、映画にはそうした心情を暗示するような表現はいっさいない。それが最初のMizumizuの「曖昧な印象」につながったのだと思う。だが、リー監督のメッセージを聞くと、演出の意図が納得できた。映画で何をもっとも伝えたいかは、監督の人生観や世界観ともかかわっている。あまりにいろいろな要素をゴチャゴチャと詰め込むと、メッセージ性は弱くなる。アン・リー監督は「映画は小説のような心理描写ができない。あくまで視覚で表現する世界」とも言っている。確かに、彼は、「説明的な台詞」を好まない監督だ。台本の書き直しを頼むことも多いと聞く。この監督の作品には、ナレーションでつないだり、長々としたモノローグで心情を説明したりということがほとんどない。そのかわり、さりげない台詞に余韻をもたせ、卓越した視覚的な描写で物語を展開させる。色彩や照明効果、風景とセット、人物を撮るときのアングルを含めた映像のロマンティックな美しさは、「ブロークバックマウンテン」だけではなく、リー監督作品に共通している。何かを美しく見せようとしたとき、どこをどう引き算し、何を強調するかが、表現者の腕の見せ所だ。「シャツを抱きしめて涙するイニス」のシーンは、視覚的にもっとも感動を誘う場面であり、監督はそれを生かすために、台本にはあったニュアンスをそぎ落としたのだろう。このように監督によって弱められたのであろう要素のほかに、脚本家によって明らかに意図的に曖昧にされたイニスの性向もある。<明日に続く>
2008.01.26
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<続き>Would you please stop to tell a lie, B?ちなみに、この英語は基本的な文法が間違っている。Stopに不定詞を用いると、「~するために立ち止まる」という意味になってしまう。「ウソはやめて」と書くなら、動名詞を取らなくてはならない。stop to tell a lie ウソをつくために立ち止まるstop telling a lie ウソをつくのをやめるキム・ヨナが言いたかったのは、もちろん、後者だろう。「ウソはやめて、B。今何が起こっているのか私にははっきりわかっている。それにこれは、私が決めたこと」。かなり痛烈だが、明快なメッセージだ。キム・ヨナが憤っているオーサーの「ウソ」とは、キム・ヨナの母親が理由も述べずに、いきなりオーサーを解雇したという話だろう。「私が決めたこと」というのは、オーサーと師弟関係を解消するという結論は自分で出したということだ。「今何が起こっているのか私にははっきりわかっている」というのは、オーサーが8/24付けのThestar.comのインタビュー(これについては後述)で、「(すべては母親がコントロールし)、キム・ヨナ自身は何が起こっているのか理解していない様子だった」と述べたことへの反論かもしれない。オーサーは韓国メディアからの電話取材に対し、次のように述べた。http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132408&servcode=600§code=600 --キム・ヨナ指導をやめるということが事実か。 「私がやめたのではない。彼女のお母さんがやめるように言ったのだ(I didn't stop teaching her.Her mother stopped)。」 --どういうことか。 「今から3週間くらい前の8月2日。クリケットクラブでキム・ヨナの母親、通訳、キム・ヨナのマネジャー(チェ・ヘジン)、トレーシー・ウィルソンらとミーティングをした。その場でキム・ヨナの母親が『あなたはこれ以上ヨナを教えないでほしい』と言った。トレーシー・ウィルソンも、もうキム・ヨナを指導しない。その後3週間たって報道資料を通じて事実を知らせることになった」 --理由を聞いたか。 「ヨナの母親がその理由を言うか。理由は言ってくれなかった」また、オーサーは、Thestar.comのインタビュー記事で「5月から "uncomfortable"な関係だった」と主張するキム・ヨナの所属事務所の主張を「事実無根」だと否定し、あくまで「解雇は突然」だったとしている。http://www.thestar.com/sports/article/851607--orser-left-out-in-the-cold-by-korean-figure-skaterこの記事によれば、キム・ヨナがグランプリシリーズを辞退し、世界選手権だけに出場するとしたこともオーサーはネットの記事で知ったという。ショートプログラムの振付をボーンに依頼したことも、事前に相談は一切なく、ボーンから電話で知らされる始末。7月にキム・ヨナの事務所および韓国にいたヨナ自身に何度も何度もメールをしたにもかかわらず、返信は一切なし。そして、8月2日にキム・ヨナ不在のミーティングでヨナの母親から「もう(ヨナの)コーチングをすることはない」と告げられた。その後3週間、翻意を待ったものの変化がなかったため、今回のリリース発表(24日火曜日)に至ったのだという。その間、キム・ヨナ自身にも会ったものの、すべては母親が起こした騒動であり、ヨナ自身は何が起こっているのか理解できていないように見えたと言っている。母親を悪者にされたキム・ヨナは激怒したようだ。ツイッターを削除したあとのキム・ヨナの発言。http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132429&servcode=600§code=600キム・ヨナが心境吐露...「4年間、問題がなかったわけでない」「礼儀に背く行動はしていない」。キム・ヨナがブライアン・オーサー・コーチとの決別と関連し、ミニホームページで心情を明らかにした。 24日、自分のツイッターで「B、お願いだから嘘はやめて」という短いコメントを載せた後、翌日、長文を載せた。 キム・ヨナは25日午後、自分のサイワールドミニホームページに「こんにちは」と題した文を載せた。 「ずっと我慢していたが、これ以上黙って見ていられないので文を載せる」と書き始めたキム・ヨナは「私だけでなくブライアン・オーサー・コーチを含め、この件に関係するすべての人たちが真実を知っている」と述べた。 キム・ヨナはオーサー氏がメディアに「キム・ヨナの決定ではなくお母さんの決定のようだ」というニュアンスでインタビューをしたことに関し、「私はもう子どもではない。とにかく私のコーチであったし、一緒にしようと、別れようと、それは私が最終決定すること」と一線を画した。 母親の言いなりになっているのではないということだ。 キム・ヨナは「難しい時期に一緒になって支えてくれたコーチを捨てたのでは」という一部の非難を意識するかのように、「私たちは慎重にしてきたし、相手に対して礼儀に背く行動はしなかった」と強調した。また「約4年間、表面上に映っているように何の問題もなく、楽しく練習をしてきたと思いますか」という言葉で、これまで少なからず不和があったことを示唆した。 しかし「その過程は話したくないし、話す必要もない」と詳しい説明は避けた。長くコーチを務めてくれた恩師に相談もせずにグランプリシリーズ辞退を発表したり、勝手に新しい振付師に仕事を依頼したり、相手からのメールを一切無視したり、突然解雇通告とも取れる宣言をしてその後何もフォローをしなかったりしても、それは「礼儀に背く行動」ではなかったということらしい。ネット上で「B」だとか「ウソつき」だとか言うのも、そもそも相手が悪いのだから、礼儀には背いたことにはならないというのが言い分のようだ。キム選手に対してだけ採点基準がおかしいのは試合を見ていて感じるが、どうも彼女は、行動規範も一般の基準とは違う次元にあるようだ。誰にも理解できない点が出てくるフランケンシュタインルールのもとで、誰にも理解できない前人未踏のフランケンシュタイン世界歴代最高点を叩き出した、フランケンシュタインフィギュアクイーンの面目躍如といったところか。キム・ヨナと自身の間に不協和音があったことを表沙汰にするのを避けるためか、オーサーが母親を持ち出したのに対し、キム・ヨナは大切な母親が一方的に悪者にされるのに耐え切れなかったということだろう。コーチとの師弟解消はよくある話で、元来当事者はなるたけ波風を立たせたくないと思うものなのだが、理想的に見せていたコーチと教え子の仲が実は世間が思うほど順風満帆でなかったこと、そこに所属事務所のショービジネスへの思惑が絡んだことで、今回のオーサーサイドからの一方的な論調の発表になったのではないか。オーサーからすれば、そもそも寝耳に水の解雇通告をされたのは自分。キム・ヨナサイドからすれば「解雇」と言ったわけではなく、しばらくブランクを置こうと提案した(8/2)ところ、オーサーのほうからコーチを辞退したいと申し入れがあり(8/23)、それを受け入れたとたんに、勝手な言い分で発表された(8/24)ということだ。オーサーへの報酬が年間いくらの契約に基づくものではなく、時給制だったということも、8月2日のキム・ヨナの母親の提案に絡んでいるかもしれない。つまり、キム・ヨナサイドからすれば、グランプリシリーズには出ない、出場するのは3月の世界選手権だけなのだから、今の時期から無理にオーサーにコーチングしてもらう必要はないと考えた可能性もあるということだ。「誰が最初に何をどう言ったか」の行き違いなど、キム・ヨナとブライアン・オーサーの間の問題で、行き違いがあったのなら、当人同士が話し合えばいいことだ。今回の解雇劇は、元来日本人には何も関係がない。ところが、この報道は、思わぬところで日本人にも飛び火した。言うまでもなく、オールザットスポーツが、オーサーと不仲になった原因について、「他の選手からのオファー説で、オーサーとの関係がギクシャクし始めた」と浅田真央選手の話を持ち出してきたためだ。まったく関係のない浅田真央の写真をわざわざ使ってオーサーのインタビューを報じた韓国紙もあるのだから、タチが悪い(こちらの記事)。<明日へ続く>
2010.08.26
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読者のみなさまへあまりにたくさんのメールありがとうございました。多少の温度差はあるとはいえ、みなさんが採点についてお感じになったことは、メールを拝読しますとほとんど同じ。Mizumizuもみなさんと同じ気持ち。正直、もうフィギュアねたを書くのはやめようと思ったのですが、ブログを開けてみるとなんとまぁ、こんな個人ブログに1日で3万2000件ものアクセス。きのうも2万件でしたので、やはりエントリーを期待されている方が多いとわかり、最後にあと数回だけ書こうかという気になりました。それをもってMizumizuはフィギュアの世界から出て行こうと思います。長く愛好してきましたが、「もう付き合いきれない」という気分です。ブランケッティさんの言う「消えた観客」の1人になるときが来たようです。多くの方が呆れたキム・ヨナの銀河点。加点については、客観的な数字で奇妙さが示しにくいので、一番わかりやすい演技・構成点に焦点を当ててみましょうか。今回の異常な点数は、もはや発狂したとしか思えない演技・構成点なくしては説明できません。まずは、日本中のファンの目が点になったショートのキム選手の得点のうち、ジャッジがつけた演技・構成点。キム・ヨナ選手自身の直近の4大陸と比べてみると、その異常な爆アゲぶりがわかります。スケートの技術 (4大陸)7.6→(世界)8.45 0.85点もアップつなぎのステップ (4大陸)7.1→(世界)7.75 0.65点もアップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.65→(世界)8.5 0.85点もアップ振付 (4大陸)7.55→(世界)8.05 0.5点もアップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.65→(世界)8.15 0.5点もアップ今回総じて、点数は高く出ました。では、他の選手はどうでしょうか?ロシェット選手スケートの技術 (4大陸)7.3→(世界)7.55 0.25点アップつなぎのステップ (4大陸)7.0→(世界)7.35 0.35点アップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.25→(世界)7.7 0.45点アップ振付 (4大陸)7.55→(世界)8.05 0.4点もアップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.65→(世界)8.15 0.3点アップ浅田選手スケートの技術 (4大陸)7.4→(世界)7.75 0.35点アップつなぎのステップ (4大陸)6.85→(世界)7.15 0.3点アップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.2→(世界)7.6 0.4点アップ振付 (4大陸)7.25→(世界)7.64 0.4点アップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.25→(世界)7.55 0.3点アップどうですか? ロシェット選手と浅田選手の「あがり具合」がかなりきれいに拮抗しているのに対し、キム選手の爆アゲぶりがわかりますね。つまりキム選手は、わずか1ヶ月の間に、演技・構成点の5つのコンポーネンツを抜群に磨いてきたのですね。素人目にはほとんど、いやまったくわからないのに、さすがに選ばれたジャッジの目は違います。スケートの技術は1点もあがっちゃったんですね。いやぁ、すごいです。こんな選手はフィギュア史上初でしょう。天才ですね。タテマエ上は、演技・構成点も他の選手と比べた「相対評価」ではなく「絶対評価」。どういうことかというと、5つのコンポーネンツの点数が「絶対的にどのくらいの価値をもつか」を数量化したものということです。たとえば100点満点のテストでは、80点取った人より90点取った人のが優秀です。ですから、ある選手とある選手の「スケートの技術」の点数を比べれば、その数字の差で、優劣がわかるわけです。「キム選手のスケート技術って男子並みなんですか?」というメールもいただきましたが。いいえ、キム選手のスケート技術は男子以上なんですね~。男子ショートで4+3を跳び、トリプルアクセルを決め、スピンもステップもレベル3から4で加点ももらってトップになったジュベール選手とらべてみましょう。カッコ内がヨナ選手です。7.8(8.45)、7.3(7.75)、7.75(8.5)、7.7(8.05)、7.85(8.15)スケートの技術はジュベールでさえ、8点台は出ていません。つまり、ヨナ選手の技術は、男子を上回っているんです!4回転も、そのコンビも、3Aも跳べないヨナ選手が、なぜ?それは・・・トータル・パッケージだからです! そして、そうジャッジが点を出したからなんです!そのココロは? 素人のワタクシにはわかりません。ただ、演技・構成点をそこまで爆アゲしたかった理由は、「なんとかできるだけ得点を上げたかった」と考えれば辻褄が合います。ショートの場合、男子の演技・構成点は実際の得点にそのまま反映されますが、女子の場合は8掛けになります。そうやって、もともと主観でつける演技・構成点の差をなるたけ少なくしようという、採点システムを作ったときの良心なんですね。8掛けにしかならないので、よっぽどジャッジが点差をつけないと、実際の得点の差になってきません。テレビで言ってましたよね。キム選手は過去に10点差を浅田選手にひっくり返されたと。だったら、10点以上ぶっちぎっておけば、かなり安心ですよね。では、女子と男子の演技・構成点というのは、どういうふうに出てくるのがこれまでの慣例でしょうか?昨季の世界選手権のショートで一番評価された高橋選手と浅田選手とキム選手自身の点を比べてみましょう。高橋(浅田)キム7.86(7.43)7.21、7.64(6.89)6.71、7.79(7.36)7.00、7.89(7.21)7.14、8.07(7.21)7.11これが事実です。男子は総じて、女子より高く出ます。高橋選手でさえ、音楽の解釈でわずかに8点を上回っただけです。今回のキム選手の8.45、7.75、8.5、8.05、8.15という点がいかに、これまでのフィギュアの常識をくつがえすものかわかるでしょう。この点を見たとき、「フリーはどうするんだ?」と思いました。普通の点に戻して知らんふりするのか、このまま突っ走るか。ジャッジの判断は後者でしたね。さすがに、ショートで1人だけ8点台では、いかにバカな素人でもおかしいと気づくと思ったのか、他の選手にも適当に8点台を与えるという「一緒アゲ」になりました。キム選手のフリーの演技・構成点8.5、8.25、8.7、8.6、8.7安藤選手のフリーの演技・構成点7.95、7.65、8.15、8.05、8.15ちなみに安藤選手の初戦のアメリカ大会(このときもキム選手が1位)は、6.95、5.65、6.85、6.6、6.55安藤選手はシリーズ序盤、ずっと低くつけられ、モロゾフがジャッジに説明を求めに行っています(要は圧力)。5.65ってのが、ふるってると思いませんか? 今季はこんなに異常に上がったり下がったりするんですよ。これを「表現力」で説明できますか?Mizumizuにはできません。では、男子の世界王者となったライザチェックのフリーの演技・構成点は?7.7、7.7、8.1、7.9、8.1これが男子フリーで最高でした。4大陸(カナダ開催)は、7.5、7.05、7.65、7.55、7.6。またまたキム選手の演技・構成点は男子王者をはるかに凌いでいるのです! スケートの技術に関してはぶっちりでライザチェックを見下ろしています。2度目のルッツは回転不足気味で着氷の軸が傾き、3サルコウは跳べずに2サルコウでも回りきらなかったキム選手が、です。この発狂点がどのくらい発狂してるか、トリノでジャンプでもステップでもスピンでも表現力でも「他の選手とは次元の違う」演技をしたプルシェンコ選手に登場していただきましょう。あのときのオープニングの4T+3T+2Loはすごかったですね~。それからすぐに3A+2Tを跳んでしまいました。ステップの速さも度肝を抜かれましたね。プルシェンコのトリノのフリーの演技・構成点(カッコ内が今回のキム選手)。8.46(8.5)、7.75(8.25)、8.39(8.7)、8.18(8.6)、8.43(8.7)トリノの男子フリーではバトル選手が8点台を1つ出しただけですから、プルシェンコがいかに傑出していたかわかるでしょう。そのプルシェンコを…スケート技術で上回り、つなぎのステップでも上回り、演技・振付・音楽との調和でも上回っていたのです! 去年までそこそこ跳べていた3ループも跳べなくなり、サルコウも劣化したキム選手がです。ジャンプ跳べなくなっているのに、どんどん点が上がる… あ、トータル・パッケージだからですか、なるほど。申し訳ありませんが、もはや理解不能です。いや~、凄すぎます。ぜひトリノでプルシェンコとガチンコ勝負してほしかったです。そうやって現場でくらべれば、Mizumizuのような素人でも、キム選手の「表現力」が理解できたかもしれません。昨日紹介したビアンケッティさんが、演技審判の人数が12人から9人に減ったことで、さらに採点の信頼性が損なわれるのではと危惧していましたが、まさにそのとおりになりましたね。演技・構成点が派手に上がったり下がったりというのは、今季から顕著になりました。ビアンケッティさんは、ジャッジは匿名ではなく記名で点をつけ、各ジャッジの点についてあとで裏で評価して、他と違った点をつけたからといってジャッジを罰したりしてはいけない。そのかわりに自分で出した点は自分で責任をもて、と言っています。ランダム抽出もだめ、上下を切って平均するだけでいい、とも。つまり、演技審判は意識合わせをしてはいけない、と言ってるんですね。ただ、そうなると本当に各ジャッジで点がバラバラになるし(基本的に好みが入る採点は、それが本来なんですが)、ある程度の意識合わせは、せざるをえなくなるのじゃないかとは思いますが。昨季までは、演技・構成点として出てくる点は、相当まともでした。ある程度の意識合わせはあったでしょうが、プロトコルの5コンポーネンツの評価を見るのが案外楽しみだったのですね。たとえば、昨季のファイナルのランビエールVS高橋選手のプロトコルはおもしろかった。芸術性の高いランビエールに対して、4回転2度をにらんで、プログラムの密度をあえて落とした高橋選手。僅差でランビエールに軍配が上がりましたが、振付や曲の解釈などのわずかな2人の差が絶妙で、「そういわれれば納得せざるをえないな、さすがプロの評価」とうなったものです。昨季までのMizumizuブログを読んでいる方ならわかると思いますが、基本的にMizumizuは、ジャッジの採点を信頼していました。ダウングレードについても「ルールがおかしいのであって、ジャッジは基準にもとづいて判定してるだけ」という立場でした。しかし、今季の「厳密化」。そして実際の試合で起こる露骨な特定のジャンプ殺し。世界選手権では、安藤選手の3ループは決して容赦しなかったですね。他の選手の微妙な不足ジャンプは認定されてるのもありましたが。モロゾフは狙われているジャンプに気づいて、フリーからはずしましたが、3ループの単独さえ回転不足を取られました。たしかに少し足りなかったかもしれません。つまり、3ループを安藤選手から奪わなければ、勝てない選手がいるんです。「安藤・浅田には勝たせないぞルール」の正体、そろそろ納得していただけましたか?こんな判定や出てきた点数を見て、まだルール・ジャッジは公平などと思うおめでたい人は、せいぜい田舎でイタチでも追いかけていてください。したたかなモロゾフは、そんなことは信じてません。世界で勝負してる彼は、ルールはあくまで人為的なもので、意図的な判定がしばしば行われることを熟知しています。ISUが、安藤・浅田にはもう2度と決して勝たせないつもりでいることも、今季身にしみたでしょう。彼らは日本からお金を引き出そうとしているだけですから。最後の世界選手権での日本選手の低得点を見れば、わかるでしょう。3人いたら、そのうちの1人は決して点を出してもらえませんでしたね。国別対抗なんて茶番、まだ皆さん、見たいですか? 浅田選手のあの消耗ぶりを見ても? インタビューでは、もう声が出てなかったじゃありませんか。国別対抗で日本に金メダルなんて、意味のないお手盛りをしてもらって、嬉しいですか?続く
2009.03.30
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<きのうから続く>ジャンプの難易度はやさしいほうからトゥループ→サルコウ→ループ→フリップ→ルッツ→アクセル(難)となる。このうちセカンドにつけられるのがトゥループとループ。難しさでいえばループのほうだ。ループをセカンドに跳ぶということは、動きを一瞬止めなければならない。スピードをいったん殺した状態から、踏み切って回るので、非常に難しい。難しいから、ほとんどできる選手はいない。なかでも安藤選手の3ルッツ+3ループは、3アクセルからの3回転を跳ぶ選手がいない(浅田選手は2トゥループ)現状では、女子では最高難度。この連続ジャンプが安藤選手を世界女王にした。ところが、昨シーズンから回転不足判定の厳密化が打ち出され、「認定」が厳しくなった。モロゾフはこれに敏感に反応し、安藤選手には3ルッツ+2ループの回避策を取らせることが多くなった。一方の浅田選手はこれまでどおり、3フリップ+3ループを入れてきたが、パンクして自滅することが多くなった。3ループが入った場合も、確かに認定は以前より「厳しくなったな」という感じがあった。一方で昨シーズンは、セカンドに跳ぶ3トゥループは案外、「ちょっと足りなくても認定してくれている」感が否めなかった。何度も言うが、これはジャッジが「4分の3回転以上はしていると認定した」結果であって、不正ではない。セカンドに3トゥループをもってくるトップ選手は、キム選手、コストナー選手、浅田選手だ。だから、3トゥループに関しては、お互いさまだったともいえる。今だからいってしまうが、世界選手権での浅田選手の3F+3Tの3Tはちょっと足りていなかったかもしれない。だが、認定してもらったので大きく点が下げられることはなく、助かった。一方で、あくまでMizumizuの個人的感覚だが、トップ選手では安藤・浅田しかもっていない3ループに対する認定は、非常に厳しく、まったく容赦がない。3ループはもともと難しいジャンプなので、「ちょっとだけ回転が足りないまま降りてきてしまう」のはありがちなことだ。昨シーズンの浅田選手の3ループは、スローである角度から見て、「あ、ちょっと足りないかな」と思ったものはすべてダウングレードされた。着氷はきれいに回りきったものでも、離氷の瞬間、ちょっとタメが長く、エッジが氷から離れるのが遅れたジャンプもやはりダウングレードされた。オーサーが「なによッ! ヨナの3回転は文句ないわよ! ミキ・アンドーのループはごまかしよ!」とヒステリックに糾弾してるビデオを紹介したが、実のところ、オーサーの安藤選手に対するイチャモンはある程度正しい。着氷が回転不足気味になってしまうとなると、選手はループを跳ぶとき、タメを長くして上体だけ先に回り始めようとする。タメてる間も、エッジは氷で回ってしまうから、その分を考えると、着氷がいくらきれいに決まったように見えても、回転は不足してるということになる。セカンドの3ループはこのように、まったくイチャモンをつけられることなく完璧に回りきって降りてくるのが、非常に難しいジャンプなのだ。長野で金メダルを獲ったリピンスキー選手のセカンドの3ループなんて、安藤・浅田選手の比じゃなく、モロ回転不足だ。あれは肉眼でもはっきりわかる。ただ、スーパースローで見たら、安藤選手にしろ浅田選手にしろ、どこかに「ごまかし」や「不足」を見つけられるのではないかと思う。以前はここまで言わなかった。セカンドに3ループをつけられるというだけで、すごいことなのだ。その部分を評価していて、多少の回転不足は「よし」としていたのだ。それが昨シーズンから変わってしまった。回転不足でダウングレードされれば、2回転の失敗扱いになる。安藤選手や浅田選手にとってみれば、これまで強い武器だったものが、いきなり「多くの場合、足を引っ張る技」になってしまったのだ。難しいループをセカンドに跳ぶことができるなら、やさしいトゥループに変えればいいじゃないか、と思うかもしれない。ところが、これが安藤選手と浅田選手にとっては難しい。確かに一般的にはトゥループのが易しいジャンプなのだが、彼女たちは、もっぱらセカンドのループを武器として磨いてきたので、セカンドにトゥループを入れる練習はあまりしてきていないのだ。2季前まではそれでよかった。基礎点の高いループを跳べるのだから、わざわざトゥループに変える必要はなかった。ところが、ここまでループに対しての判定が厳しくなると、これまでトゥループの練習をしてこなかったことが大変に痛い。安藤選手は2A+3Tを試みたことがあるが、うまくいかず、結局途中でやめている。安藤選手も浅田選手も卓越したジャンパーだが、実は彼女たちには苦手なジャンプというのがある。浅田選手のサルコウはその典型だが、基礎点の導入によって、点の低いジャンプをあえて練習する必要がなかったというのもある。「一般的には難易度は低いが、苦手なジャンプがある」というのが、安藤選手と浅田選手の特徴で、これが彼女たちが伊藤みどりにどうしても劣る点だ。伊藤選手は、どのジャンプも跳ぶことができた。ループの認定が厳しいなら、トゥループに変えるなどお茶の子さいさいだろう。だが、この「逃げ」が安藤選手と浅田選手にはない。浅田選手は3トゥループを跳べるが、ループに注力してきたせいか、トゥループをセカンドにつけると、なぜか一瞬動きが止まってしまうように見えることがある。徐々によくなってきたと思うが、完成度の低さは否めなかった。今シーズンはセカンドにトゥループを入れていない。安藤選手はさらに苦手で、彼女のジャンプ構成は、セカンドがほぼすべてループになっている。今シーズンのフリーは、3ループが1回、2ループが3回も入っている。さらに安藤選手は3Fもしばしばダウングレードされてしまうようになった。安藤選手はフリップがwrong edgeであり、昨シーズンはこれを矯正して、得意のルッツも乱れ、さんざんな成績だった。今年はwrong edge判定はないのだが、フリップに回転不足があるということは、正しいエッジではなかなか力が入らないということだと思う。安藤選手のwrong edgeは、フリップの軌道で滑ってきて、最後にグッとエッジがアウトに入ってしまうものだった。安藤選手はルッツのが得意だから、アウトエッジで踏み切ったほうがうまく力が入るのだ。それを矯正した影響が、ジャンプの瞬発力に出ているのだろう。得点源であるフリップとループでやたらダウングレードされるから、安藤選手の点はのびない。Mizumizuが「え? これでダウングレード?」と驚いたのは、中国大会のフリーの3フリップ。着氷がガタッとなったが、まさか足りていないとは思わなかった。スローが出なかったので、どの程度足りていなかったのかはわからないのだが・・・・・・ モロゾフにとっても、ここまで厳しい判定は予想外だっただろう。だから、モロゾフ&安藤のリンク裏での表情はとても暗い。こういうことがあるから、やはりアメリカ大会でのキム選手の3Tに対する認定の甘さは非常に気になるのだ。You TUBEでお祭りになるのも頷ける。一方、浅田選手はやや不完全ながら、セカンドに3トゥループを入れることができる。今シーズン試さないと、来シーズンまた入れるのは難しくなり、常に一か八かのループで勝負しなければならなくなる。だから、3ループに比べてやや認定が甘い(ように見える)3トゥループを試してみたら、と思うのだ。個人的にはループのほうが跳びやすくても、一般的にはやはりトゥループを完成させるほうが、やさしいはずなのだから。
2008.12.09
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