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Mizumizuは現在、ペッパーミルはプジョー製、ソルトミルはコール&メイソン製を使っている。ソルトミルのほうはもうずいぶん長く――おそらく15年以上は――同じものを使っている。毎日使うほどではないが、といってほったらかしということもなく、常に食卓の上にあり、切れることなくピンクソルトが入っていて、しばしば使うという感じ。ペッパーミルのほうは、ソルトミルより少し早く、ウサギ形のものを買った(メーカー名は失念)が、数年で壊れてしまい、次におしゃれっぽい小物を売っている店で、1000円ちょっとの安いものを買ったが、それもすぐに胡椒の詰まりがひどくなり使えなくなってしまった。そこで、質に定評のあるプジョー製に替えたら、それ以来ずっとトラブルなく快適に使えている。コール&メイソン製のソルトミルはオーストリアのバートイシュルの岩塩専門店でピンクの岩塩を買ったときに、それ用ということで買ったもの。話が逸れるが、ここで買ったピンク岩塩は、日本でよく売っているヒマラヤのピンク岩塩なんて及びもしないほど美味だった。塩の味の中に不思議な甘みがあり、まろやかな味。記憶の中で美化されている部分もあるとはいえ、その後、あの味を越える塩にはお目にかかれていない。で、ミルに話を戻すと、壊れないのでずっと使い続けていたのだが、先日、ピンク岩塩が切れて、たまたま気まぐれでクリスマス島のクリスタル結晶の塩を買ってみた。何の気なしにソルトミルに入れると…あれ? 削れない。なんだか滑ってしまっているようだ。調べてみると、ソルトミルは厳密には岩塩用と海塩でギア(刃)の作りが違うようだ。それはそうかもしれない。だが、Mizumizu所有のは刃はセラミック。セラミックなら海塩でも大丈夫な気がする。ま、もし海塩が原因で削れないのなら、岩塩にすればいいだけだ。というわけで、いつものピンク岩塩を買って入れてみた。が、結果は同じだった。滑ってしまっているようで、削れない。「ソルトミル 削れない」で検索してみたが、たいした妙案はなかった。塩を全部出して、構造をじっくり見る。バラすことはできないが、中にバネが入っていて、頭部のツマミを閉めるとその圧力で、上下になっている下のほうのギアが移動し、噛み合わされて削るというシンプルなものだ。下のギアの部分を見ると、だいぶ塩がついている。単純に、これで削れなくなっているように見える。だったら、水洗いして、しっかり乾かせばよいだけの話ではないか?バラせないから乾燥させるのがちょい難しいかな、とは思ったが、もし水洗い→乾燥で直らなかったら、それは壊れたということだし、コール&メイソンはギアを交換してくれるという話もあるので、聞いてみてもいい。というワケでお湯を勢いよく流し、そのあと少しお湯につけてセラミックのギア部についた塩を除去してみた。これが洗浄後。こびりついていた塩はきれいに取れた。そして、内部の乾燥には、コレ↓ダイソンのヘアドライヤー! コイツがすんばらしい働きをしてくれた。このドライヤーは、元来のドライヤーとしても、心からおススメできる。あっという間に髪が乾いて、しかもふんわりとボリュームが出る。値段は飛び切りだが、実にGOODなドライヤー。コイツをコール&メイソンのソルトミルの開口部に近づけて、中の水滴を次々と飛ばしていった。ドライヤーだけでほぼ乾いたといえるぐらいになったが、それでも念のため、数日放置して自然乾燥。で、ピンク岩塩を再度入れたら…おー! ちゃんと削れる。新品に戻ったようだ(って、新品時代のことは実はもうよく憶えてないのだが)。これでまた使える。めでたし、めでたし。こんなことなら、もっと早く、というか、もっとマメに水洗いするべきだった。コール&メイソンのセラミック・ギアは、実に秀逸なのだなあ…と改めて感心した。クリスマス島の海塩が削れるかどうかは、実はまだ試していない。大丈夫な気がするが、万が一、せっかく直ったミルなのに、海塩が原因で削れなくなってもイヤなので、海塩用のソルトミルをもっとしっかり調べてから、ピンク岩塩が終わったあとにこのミルに海塩を入れて使うか、あるいは別に海塩用のミルを買って、同時に違う塩を楽しむのもいいかな、とも考えている。もちろん、次に買うのも、定評あるミルメーカーのものにするつもり。
2019.01.26
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ローラン・プティの初期の代表作であり、コクトーのバレエ原作の代表作でもある『若者と死』(1946年初演)。プティはこの作品を、ルドルフ・ヌレエフ、ミハイル・バリシニコフ、パトリック・デュポンといった限られたトップ・ダンサーにだけ踊る許可を与えてきた。日本にも熊川哲也という才能ある男性バレエ・ダンサーが出たことで、日本人の踊る「若者」を日本人が日本で見ることができるという幸運が生まれた。渋谷で熊川の『若者と死』をナマで観たときの感激は忘れられない。あまりの素晴らしさにぼうっとして、井の頭線(当時は久我山に住んでいた)への帰り道を間違えてしまったほどだ。ダンサーの踊りのテクニックが素晴らしいのはもちろんだったが、それ以上に、若者が生きている世界と死んだ後の世界――殺風景な部屋と華やかなパリの街のネオン――の視覚によるコントラスト、美しい女性の姿を借りて若者を誘惑する「性」と「死」のファンタジー、それにまるでこのバレエのためのBGMのように聞こえたバッハのパッサカリアの旋律の美しさに圧倒された。まさしく、原案、振付、音楽、舞台美術、そしてダンサー、すべてが足し算されて掛け算のような効果をあげている奇跡的な傑作バレエだった。このバレエにどのような人物が関わり、いかにして作られたかについては、いくつかの書籍、DVDに断片的な記録が残っている。もっともまとまった記録になっているのは、実は日本で発売された熊川版『若者と死』【グッドスマイル】 熊川哲也 若者と死(DVD) ◆25%OFF!に収録されたローラン・プティのインタビュー。プティによれば、もともとの言いだしっぺは、ボリス・コクノだったという。コクノは、1904年モスクワ生まれ。ディアギレフの秘書として渡仏した後、パリに定住し、振付師・演出家として活躍した。ジャン・マレーの伝記には、1937年、つまりマレーがジャン・コクトーと出会ったころ、コクトーが住んでいたホテル・カスティーユにボリス・コクノがクリスチャン・ベラールととともにしばしば遊びに来ていた様子が見られる。ベラールは後のコクトー映画のほとんどの美術を担当することになる舞台美術家で、コクノとはステディな関係だった。「ボリスは非の打ち所がなかった。まばらな髪はとてもよく分けられ、服装はきちんとし、靴はいつも新品同様に磨かれ、シャツは白く、ネクタイは品のよさと趣味の完璧さを示していた。黒く輝き、険しく皮肉な眼。剃り跡が青々と残るひげ。非常に形がよく、健康な赤い唇、青白い顔」「私は2人(=ボリス・コクノとクリスチャン・ベラール)が好きだった。オテル・ド・カスティーユの部屋は、彼らが来るとお祭騒ぎだった」(ジャン・マレー自伝より)そのボリス・コクノが、新進の振付家として注目を集め始めていた、当時22歳のプティに、「ジャン・バビレってダンサーがいる。背は高くないけど、とても強烈な個性をもっているんだ。彼を使って作品を作ろう」と持ちかけた。そして、「バレエのアイディアはジャン・コクトーに聞くといい」とプティにアドバイスした。若き振付師プティは、コクトーのファンだった。プティはコクトーとアイディアを請うと、「いいアイディアがあるよ。とてもシンプルなんだ。たった5行さ。若者が女を待っている。女はやって来るが、彼女は彼を嫌い、冷酷に振る舞う。そして最後に(柱に)ロープをかけて、首を吊りたいならどうぞ、と行って去ってしまう。それだけだ」ダンサーのバビレは、コクトーから、「君はぼくたちのニジンスキー。だから、君のためにぼくたちの『バラの精』を作ろう」と言われたという(DVD『ジャン・コクトー 真実と虚構』から)。つまり、バレエ『若者と死』とは、ボードレール的主題をもつ、フランス版『バラの精』なのだ。上のインタビューの写真のバビレはダンディな老紳士だが、若いころのバビレは、たくましい肉体に、彫刻的な顔立ち。コクトーは原案を提供しただけでなく、稽古にも立ち会い、バビレによれば、観客の視点に立って的確なアドバイスをしてくれたという。「ローラン・プティが素晴らしいステップの振付をした。でも、すぐ次の動作に移ってしまった。すると、コクトーが、みんなを止めて、プティに言ったんだ。『今のは3回繰り返すべきだ。観客は1回目は動きを見る。2回目に全体を見て…』」。リハの様子はYou TUBEのこちらの動画の3分30秒ぐらいのところに一部ある。ちょうど同じ時期、コクトーは映画『オルフェ』の脚本を書き始めていた。『オルフェ』でも死神は若く美しい女性。『オルフェ』の撮影は1949年だが、実は『若者と死』と映画版『オルフェ』は同じ時期の作品なのだ。コクトーにとっての死神は、常に優美な姿をもつ女性だった。マレーも、ピアフとコクトーの死から4年たって受けたインタビューで、コクトーの女性観について、と言っている。1946年のコクトーからジャン・マレーへの手紙には、『若者と死』に関する言及がある。「バレエの方は、ボードレール的なテーマの、非常に素朴なものになるでしょう。タイトルは『若者と死』、まだ粗筋を示しただけの段階です。ダンスですが、舞台では、振付に使うのとは違う曲を演奏させるつもりです。たぶん、シュトラウスの代表的なワルツのどれかです」(『ジャン・マレーへの手紙』より)「振付に使うのとは違う曲を演奏させるつもりです」というのはわかりにくいが、プティの証言によれば、プティは最初自分が好きなジャズの曲でこのバレエの振付をしたのだという。だが、最終的にこの曲では駄目だ、有名なクラシック音楽を使うべきだということになった。それで、モーツアルトとか、コクトーの言うシュトラウスとか、いろいろな案が出たのだが、誰かが「バッハのパッサカリアはどうか」と言い、コクトーが賛成したことで、曲が決まった。それが初日のほんの数日前。当然、ジャズに合わせて踊るつもりだったダンサーは、非常にとまどっていた。そこでプティが、「曲に合わせて踊るのではなく、曲はBGMだと思って踊るように」と指示を出した。「もし、最初からクラシックの音楽に合わせて振付けていたら、ああいう作品にはならなかった」とはプティの弁。そして、舞台美術にも偶然が関与してくる。最初舞台はごくシンプルに、若者の部屋だけの予定だった。だが、ある日、舞台美術担当のジョルジュ・ワケヴィッチが、プティに、「ちょうど撮り終わった映画のセットで、エッフェル塔があってパリの風景が広がっているのがある。それを使ったらどうかな?」と申し出た。そして、若者が絞首台のような柱のある部屋で自殺したあと、後ろの壁が上がっていき、そこにパリの夜景が現れるという奇想天外な装置ができた。こちらが、壁が上がったときの舞台装置をイメージした、ワケヴィッチのデザイン原画。ボリスがプロデュースし、コクトーが物語のアイディアを出し、プティが振付け、ワケヴィッチが舞台美術を担当し、音楽を途中ジャズからクラシックに変更したバレエを、フランスのニジンスキー、ジャン・バビレが踊る――こうして、『若者と死』は、ミモドラム(身振り劇)と銘打って、1946年シャンゼリゼ劇場で初演された。なお、衣装には、クリスチャン・ベラールも協力している。ちなみにジャン・マレーは、『若者と死』のパリ初演は、自分の仕事の関係で見に行くことができなかった。彼がこのバレエを観たのは、ヴェネチアのフェニーチェ劇場。『ルイ・ブラス』の撮影の合い間だった。「バレエは素晴らしかった。ダンサーのジャン・バビレとナタリー・フィリバールは非常に見事だった」とマレーは自伝に書いている。プティは、熊川版DVDのインタビューの中で、『若者と死』を踊るにふさわしいダンサーの資質について、「まず男性的でなくてはならない。そしてちょっとクレイジーなところがなくてはならない。テクニック的には超絶技巧の持ち主でありながら、自然でなくてはならない」と言っている。ジャン・バビエ以降、『若者と死』は、限られた世界のトップ・ダンサーに踊り継がれてきたが、上のプティの言葉、そして彼の著作から推測すると、彼がもっともこの作品を踊ってほしかったダンサー、振付師プティにとっての最高の「若者」は、ヌレエフだったのではないかと思う。<明日へ続く>
2009.05.25
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自由が丘の「モンサンクレール」もあまりに有名なパティスリー。昨日ご紹介した「アテスウェイ」と方向性が似た、非常に「イン」なスイーツで、長いこと人気を博し続けている。実は自由が丘は荻窪からも、距離的にはそれほど遠くはなく、あまり渋滞していなければ、クルマで40分ほどで行ける。「セラヴィ」のような有名ヒット商品もあるが、Mizumizuがオススメしたいのは秋のお楽しみ、「タルトタタン」。タルトタタンというのは、フランス中部ソローニュ地方にあるラモット・ブーヴロンという小さな町でホテルを経営していたタタン姉妹が作ったお菓子のこと。ある日、りんごのタルトを作っていて、焼く時にうっかりタルト生地を入れ忘れてしまった。型の中にりんご、砂糖、バターだけを入れて焼いてしまったというわけ。仕方なく、その上に生地をかぶせてみたら、意外にも、底にたまった砂糖がキャラメリゼのようにりんごを覆い、りんごのタルトとは違う、美味しいお菓子ができあがったのだ。これをパリの「マキシム」がデザートとして紹介し、一挙に広まった。りんごのタルトより「りんご感」が強い。実はMizumizuは、物好きにも、このタルトタタン発祥の町を訪ねて、町一番というタルトタタンを買ったことがある。シャンボール城で名高いロワール川流域からそれほど遠くなかったので、シャンボールに行ったついでに足を向けたくなったのだ。クルマで湿ったソローニュ地方の森を抜けて走った。ラモット・ブーヴロンは本当に小さな町で、目抜き通りもすぐにわかり、目指すパティスリーも名前だけで、通りを走っていて一発で見つかった。こんなことは東京ではほとんど考えられない(笑)。タルトタタン発祥の町で一番という評判のタルトタタンは、意外にも甘さも酸味も控えめな、やさしい味だった。りんごのカタチも残っているし、自然の風味が豊かに感じられた。生地も厚めで素材そのもののもつ美味しさを大切にしていた。自由が丘の「モンサンクレール」のタルトタタンは、紅玉の酸味が非常に強く出ている。ここまで酸味を前面に出すのは、日本では冒険だったと思う。ちょっと沈んだ、きれいとはいえない色合いで、りんごのカタチはほとんど姿を消しているが、そのかわり洗練された不思議な歯ごたえと舌触りが楽しめる。すっぱいケーキが嫌いな向きにはオススメしないが、りんごのお菓子好きなら間違いなく評価してくれるはず。モンサンクレールのりんごのスイーツはどれも美味しい。りんごのタルト「プティポンム」もリピートしたくなる味。
2008.01.13
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浅田選手が昨季かかえてしまったジャンプの大きな問題とその克服具合を見ると…1) 3Aの確率の悪さ、決めても着氷時にフリーレッグを「こする」こと。→これは克服したと思います。今季3Aが跳べるかどうか、実は心配していたのですが、より高く、より軸が確実になり、安定してきました。別に3Aは、2度入れる必要はないんです。2) セカンドに跳ぶ3回転の回転不足問題→世界選手権のショートの3F+3Loは確かに見事でした。針の穴をとおしたと言っていいですね。しかし、認定されたのは、今季あれ一回。もう危険すぎます。やめるべきだと思います。あの素晴らしく完璧な3Loだって、スローでアップでみたら、着氷時に少しエッジが回っています。あれでダウングレードされたって文句は言えないし、そもそもあんな驚異的な連続ジャンプは続けられないでしょう。ダウングレード判定がある限り、自爆の心配もある3Loは武器ではなく、博打です。浅田選手は、セカンドに3Tをつけることもできます。これを今季まったく試さなかったのは、本当に残念。読者の方からいただいた雑誌記事によれば、タラソワは練習を指示していたようですが、要はきっちり回りきって降りてこれるかなんですね。(現状では)ルッツに3Tをつけられない安藤選手と違い、浅田選手はフリップに3Tをつけられるのですから、こちらを磨いていくべきだと思います。3F+3Tは3A+2Tと基礎点は同じ。難度から言ったら3A+2Tですが、浅田選手の場合は、実は3F+3Tより3A+2Tのほうが回りきって降りてこられる確率が高いのではないでしょうか。しかし、消耗する体力が違いますね。それを最初に教えてくれたのは、伊藤みどり。「3Aを2度入れるのがどんなに大変か」と言っていました。確かに、浅田選手の今季の滑りを見ると、3A+2Tと3Aがいかに体力を消耗するかわかりました。3) ルッツの矯正→実は、これがかなり頭の痛い問題。今シーズン12月までの試合での確率を見ると、実は成功させている試合のが多かったんですね。「さすが浅田真央」と思いました。しかも、ルッツあるいはフリップを矯正すると、フリップまたはルッツにも影響が出るのに、浅田選手のフリップは不動です。でも、今シーズン12月までの試合で成功させたルッツは、ちょっと不思議な跳び方をしていたんです。ショートなので、ステップからになりますが、浅田選手の場合、スピードがグンと落ちる。まるでいったんスピードを止めるような感じになり、浮き足を交差させて「重し」のように使い、踏み切りの足のエッジをアウトにのせる。足を交差させる――まるでループのような跳び方でした。それで、そのとき思ったんですね。多くの、というかほとんどの選手は「自分にとって跳びやすいエッジに入ってしまう前に跳ぼう」として、矯正がうまくいかないのに対し、浅田選手は従来の自分のルッツとはまったく違った跳び方をしてるのではないか、と。そして、それはループの応用ではないか、と。男子のトップ選手、たとえばウィアー選手はフリップがwrong edgeで、今季は徹底的にこれを狙われて苦しみました。最後に3Aの調子まで崩してしまったのは、このエッジ違反に対する執拗な減点に悩んだせいもあるかもしれません。ウィアー選手の場合も、エッジを気にして、「アウトに入る前に踏み切ろうとする」ので、高さが出ず、着氷が乱れるんですね。で、浅田選手は、フリップと並んでループも不動です。セカンドにつけられるぐらいですから単独はまったく問題ありません。ところが、今シーズンの初め、ちょっとだけその不動のループが乱れていたんです。初戦に単独ループ(3Aのところを入れ替え)で失敗している姿を見たときは、凍りました。昨季までは、ほとんど助走なしでも、スパイラルの脚を降ろした直後でも跳べて、しかも失敗皆無の絶対の確率をもっていたループで、真央ちゃんが失敗…練習でも、シーズン最初はプログラムに単独のループを入れていなかった(年が変わってから3Sをはずして3Lo単独を入れました)のに、さかんにループを練習してました。12月までの浅田選手のループ応用のような不思議なルッツは、試合では失敗より成功のほうが多かったのですが、練習ではしばしば、着氷が乱れてました。着氷乱れはジャンプの勢いがなくても、ありすぎても起こりますが、浅田選手のルッツの練習での失敗は、明らかに前者。回りきってることは間違いなかったですが、降りたあとフラッとなってします。跳躍力だけで跳んでるからだと思います。やはりルッツですから、助走のスピードを生かせる跳び方をしたいですね。で、年が明けて、浅田選手はルッツの入り方をまた変えたのではないかと。いったんスピードを止めて、足を交差させるループ応用のような不思議な入り方ではなく、通常のルッツになったように見えました。ところがこれが2度続けて失敗。しかも、スッポ抜け。しかも、最後の最後は「!」マークまでついて、初戦のときと同じくらい悪い失敗になりました。つまり、ルッツ矯正という問題は克服できずに終わったんです。進歩があったのかといわれると、それも結果としては、「ない」と言わざるを得ないかもしれません。浅田選手の今季の連続ジャンプの構成は3F+3Lo 10.53A+2T 9.53F+2Lo+2Lo 8.5です。これに3A(8.2点)がつく。対してキム選手は3F+3T 9.52A+3T 7.53Lz+2T+2Lo 8.8です。これに単独のルッツ(6.6点)がつく。わかりますか? 3A+2T自体は、体力を使うわりには、3F+3Tと基礎点が同じ。3連続ならルッツに2回転を2度つけられるキム選手のジャンプのほうが高い。実は浅田真央、絶対勝利のシナリオを完成させるためには、2つの3Aに、3F+3Loが必要なんです。3F+3Loが一番基礎点が高い。これを成功させてしまえば、キム選手の3F+3Tにいくら加点がつこうと、浅田選手には追いつけないんですね。2つの3Aと、3F+3Loさえあれば、たとえルッツの矯正が間に合わなくても(つまりフリーに入れられなくても)、全然問題ないんです。ところが、同じ3F+3Tに落とすと、2人が決めた場合、加点でキム選手に0.5点ぐらい負けることになる(昨季の世界選手権の実績から)。それで浅田選手としては、どうしても正面突破したいんです。今回本当に正面突破してしまったのだから、凄い選手なんですが、むしろこれは来季も浅田真央に3F+3Loという「危険技」を続けさせるワナだと考えるべきだと思います。「天上の神様からの啓示」めいた兆候もありますよね。つまり、キム選手につきはじめたフリップの「!」。これがつくと、加点が制限されるので、もし2人が同じように3F+3Tを決めた場合、多少なりとも浅田選手が上に行く可能性が出てきたわけです。(今回の世界選手権でのフリーのキム選手の得点は9.9点、浅田選手の昨季の世界選手権での3F+3Tの得点は10.93点。ちなみに昨季の世界選手権でのコストナー選手の3F+3T+2Loが12点)。この「天上の神様からのお告げ」を無視しないでほしいと思います。体力的にも3A+2Tよりラクだし、セカンドに難しいループをつけると自爆がありますが、トゥループなら自爆はありません。あとは、「回りきれるかどうか」です。今季の全日本で、浅田選手はフリーで、2つの3Aに、3F+3Loを決めましたが、3Aと3Loの一番の大技を全部ダウングレードされたので、技術点は悲惨なものになりました。年が明けてから、フリーの後半は3F+2Loにしてきました。つまり、フリーからセカンドの3回転がなくなってしまったんです。ですから、フリーから3F+3Loをはずした時点で、3Aを2度というのは、リスキーなだけの大技になってしまいました。本当は来季を考えて、3A+2Tを3F+3Tにすべきだったんだと思うんですが、浅田陣営の決断はそのまま正面突破でした。たぶん、それは、3F+2Loにおとしてもまだ、勝ってしまう可能性があったからだと思います。今回のフリー、キム選手はサルコウとスピンのキックアウトの失敗、浅田選手は3A転倒と2Loダウングレード、そのほかスピンやスパイラルでレベル取りの失敗がありました。キム選手が全部のジャンプを決めるのは非常に難しいので、基礎点の低いサルコウの失敗だけにおさめたのは、相当よかったんですね。対して浅田選手は命綱の2度の3Aを決められず、その他のエレメンツにも取りこぼしがあった。で、キム選手の思わぬスピンのキックアウトがなく、浅田選手が2度の3Aだけを決めていたら(スピンとスパイラルのレベル落としはそのままです)、どうなったかというと・・・技術点 キム選手63.19+3.6(スピンは4大陸の実績からの加点こみ)=66.79点 浅田選手60.15+8.8(3Aは過去の実績からの加点こみ)=68.95点ね? また浅田選手が上に行っちゃう(苦笑)。つまり、他のエレメンツにレベル4を並べ、ジャンプの失敗を最低限におさえ、加点テンコ盛り(と言ってるのはまあ、キム選手のプロトコルを監視してる日本のファンですが)にしてる「いっぱいいっぱい」のキム選手に対し、ループを2回転にしてダウングレードされ、スピンやスパイラルでちょこちょこレベルを落とし、さらに今回はステップの加点でも負けてるのに、それでも、3Aを2度決めてしまうと、やっぱり浅田選手の技術点のが上に行くんですね。4大陸フリーでも、浅田選手は3Aを2度決められなかったのに、後半の2ループを決めると、もう1つジャンプをミスしても、キム選手がうっかりダウングレード3つも取られると、やっぱり浅田選手が上に行っちゃうんです。演技・構成点を爆アゲしなきゃならない理由が見えてくるでしょう?これからこの「演技・構成点の爆アゲ」はカナダの男子、チャン選手に対して起こるのではないかと思います。今突然女子に「9」点がいくつか出て、みんな驚いていますが、徐々に出していけばそれが常態化してしまいます。チャンはジャンプが弱いですからね。銀メダリストが、シーズン通して4回転入れてないのに、3A2度を1回しか決められず、しかも決めた1回も連続は3A+1Tなんですから。まさに今回のキム選手に対する演技・構成点は、「パンドラの箱」を開けたと思っています。9だろうと8だとうと、どちらが適当かなんて誰も言えないし、9と8の差が正しいのか、9と7の差が正しいのかも、誰も答えようがないですから。さて、浅田選手ですが、ルッツの矯正に対してコーチをつけるべきか――というような質問も読者の方からいただきました。これについては答えようがないです。矯正というのは2季前から始まったもので、それまでは、誰もやったことがありません。だから適切な指導メソッドをもっている人はいないでしょう。メソッドもってるコーチがいないから、女子のトップ選手はみな、ルッツとフリップをペアで乱してしまい、困っているんですね。ジュベールやウィアー選手ですら、フリップで「!」を取られる状態から脱していません。「やってみたら相当難しい」とみんなわかったところなんじゃないでしょうか。安藤選手は落ち着いてきました。さすがですね。オリンピックに完全に間に合います。ロシェット選手もエッジに違反がないのが強いです。キム選手は「矯正しない」と言っていますが、それが正解でしょう。今から直そうとすると、非常に危険。あとは単独のフリップだとエッジはどうなのか、ですね。チャン選手は相当疑わしいと思うんですがねぇ… 特にショートでしばしば。彼は常習性がないのに、突発的にかなりモロにwrong edgeになるという不思議なクセがあります(というか、そう見えます)。浅田選手に対して、あまりいろいろな人がいろいろなことを言うのはよくないと思います。浅田選手は、今のところフリップに乱れがありません。この不動のフリップのエッジが来季の試合で曖昧になったり、乱れたりしたら、すべて終わりです。浅田選手の3回転+3回転はフリップにしかつけられませんから。<続く>
2009.04.08
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「11日ひきのねこ」で有名な馬場のぼるは、朝日ジャーナル1989年臨時増刊4月20号『手塚治虫の世界』で、手塚さんは、どんなところでも原稿を描いた。列車の中でも、蒲団の中でも……。あれは人間わざではないです。と手塚治虫の超人技を追悼している。言わずもながだが、馬場のぼるだってめちゃくちゃ巧い人だ。ねこたちの描き分けなど、手塚治虫に勝るとも劣らない。だから、今でも馬場のぼるのねこキャラは人気だ。その馬場氏をして「人間わざではない」と言わしめる手塚治虫の作画の技量よ。しかも、蒲団の中でも描ける、つまり「寝そべって延々と描ける」というのは、後にも先にも手塚治虫だけではないだろうか。寝ながら描けたらラクだと思うかもしれない。でも、やってみたらすぐ分かる。寝ながらでは、逆にすぐ疲れてしまうし、そもそもうまく描けるものじゃない。「寝ながら手塚」のイラストは、それを目撃した漫画家によってあちこちで描かれている。こちらは馬場のぼる(前掲書より)。ふたりが親しく交流できた、おそらくは初期のころのイメージだろうと思う。ニコニコ顔で楽しそうに描いている手塚治虫。それを「へーーっ」という顔で見ている馬場氏本人。どこか牧歌的なほのぼのとした雰囲気が漂うのは、時代もあるだろうけれど、馬場のぼるのイラストならでは。これはコージィ城倉の『チェイサー』より。これは、福元一義著『手塚先生、締め切り過ぎてます!』中の著者本人によるカット。若き日の手塚治虫に編集者として出逢い、その後一時漫画家として売れるも、最終的には手塚プロに入社し、チーフアシスタントとして長く手塚漫画を支えた人物なので、締め切りに追われながらシャカリキになって描いている手塚治虫の姿は、さすがに臨場感がある。ちなみに右下で待っているのが、「手塚番」と呼ばれる編集者たち。福元一義氏は、基本的に「描く」側の人間なので、『手塚先生、締め切り過ぎてます!』も、描き手としてのアプローチで手塚治虫の実像に迫っており、非常に読んでいて面白い。中でも「スピードの秘密」として書かれたエピソードは、手塚治虫の作画手法がいかにユニークなものだったかを明かしている。手塚治虫が生涯でもっとも多忙をきわめた昭和49年~51年のある日、アシスタントの福元一義に先生が話しかけてくる。「福元氏はペンだこの痛いことがあるかね?」「あります。とくに、締め切りに遅れて徹夜した時など、疼くように痛みました」「僕も、ここのところ疼くように痛くてかなわないんだ。ホラ、こんなに堅くなっている。触ってごらん」と右手を差し出すので、人差し指と中指のグリップ(握り)のあたりを触ってみましたが、それらしい部分がありません。そうすると先生は不思議そうな顔で、「君、どこを触ってるの? ここだよ、ここ」と手裏剣をかざすような仕草をしました。唖然としながら見つめると、なるほど小指から手首にかけての部分が少し赤紫色になっており、触ると堅くごわごわして、デニムのような肌触りでした。ふつうペンだこといったら、少々の個人差はあっても人差し指か中指のどちらかにできるものですが、先生の場合は違っていたのです。(福元一義著前掲書より抜粋)ここで面白いのは、手塚治虫は普通の人は、「ペンだこ」と言ったら、人差し指か中指にできるものだと思う――ということを知らなかったことだ。そして、この多作の漫画家のペンだこは、「小指から手首にかけての部分」にあったということ。この独特のペン使いを見抜いた漫画家がもう一人いる。『鉄腕アトム』の人気エピソード「地上最大のロボット」をリメイクした、天才・浦沢直樹だ。ごくごく最近だが、『手塚治虫 創作の秘密(1986年初放送のNHK特集)』で原稿を描く手塚治虫の映像を見て、浦沢直樹は、「小指が浮いてるね」「手首を中心にして描いているみたい」と指摘していた。こんな描き方は普通できない、というような話になり、その場に同席していた堀田あきおが、「浦沢さんならできるかも。僕はできない」と言っていた。福元一義は、さすがに元漫画家のチーフアシスタントだけあって、(手塚)先生は、手首を支点に、手先全体を使って大胆にサッと描かれるのに引き換え、私たちの場合はグリップを中心に小さなペン運びで描くので、その違いがペンだこのできる場所の違いになったのだと思います。(前掲書)と端的に説明している。『手塚治虫 創作の秘密』では、残念ながらペン入れ時の手塚治虫の手元はあまり鮮明には映っていない。だが、手塚治虫の筆致の大胆さと繊細なディテールと比べ合わせると、Mizumizuは氏の描き方が中国の伝統的な墨絵(日本で言う水墨画の本家)に似ていると思うことがある。中国の伝統的な墨絵(Chinese ink painting)の描き方は、日本の今の水墨画の描き方とは似ているようで異なる。さまざまな技法があり、一概には言えないのだが、以下の描き方は、手塚作画に非常に似ている気がする。https://www.youtube.com/watch?v=UAmZ3Hb0aQM中国人のChinese ink paintingのプロが、壁に張った紙に墨絵を描いて見せる動画もYou TUBEにはたくさんあがっているが、手塚治虫もよく講演などで、観客に見えるように大きな模造紙を床に垂直におろして、そこに即興でキャラクターの絵を描いて見せていた。こうした手塚ショーは観客の驚きを誘い、いつも場は大いに盛り上がったそうだが、みなもと太郎氏によれば、こういうことができる漫画家は1960年以降は、ほとんどいなくなったようだ。そのエピソードが載っているのが、以下の『謎のマンガ家 酒井七馬伝』だ。酒井七馬は手塚治虫を一躍有名にした『新宝島』の共作者であり、手塚本人はそうとは思っていなかったようだが、ある意味、手塚治虫の師匠と言ってもいい存在だ。【中古】 謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影 / 中野 晴行 / 筑摩書房 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】酒井七馬(1905年~1969年)が活動していた時代には、漫画家なら似顔絵ぐらい描けて当たり前で、よく漫画家がイベントに登壇し、大きな模造紙に即興で似顔絵を描いたりするショーは人気。実は若き日の手塚治虫も酒井七馬とこういうイベントに参加していたのだという。ところが、酒井七馬の晩年、たまたまこうしたイベントに参加したみなもと太郎は、酒井氏の司会で、呼ばれた漫画家が大きな模造紙に即興で漫画を描くように言われても、まるで原稿のひとコマを描くように、チマチマとした絵しか描けない姿を見て、酒井氏が当惑する様子を目撃している。「似顔絵を描いて」と酒井氏に促されても「描けませ~ん」と言われたそうで、当然、場は盛り上がらない。『謎のマンガ家 酒井七馬伝』の著者である中野氏は、みなもと太郎から聞いた、この「盛り上がらなかったイベント」の終焉が、酒井七馬が「自分の時代が本当に終わった」ことを実感した瞬間であろうと、大いなる寂寥を込めて書いている。酒井氏は、若い漫画家に筆で描く練習をするようにとアドバイスをしていたという話だが、そんなことをする漫画家は彼の晩年にはいなかったのだろう。ちなみに、漫画を描き始めたころの手塚治虫は墨を自分ですっていた。使っているペンはガラスペンだったという。ガラスペンの形は筆の穂先に似ていて、滑りは軽く描き具合は良好だが、1回分の浸けるイングの量が少ないので、しょっちゅう浸けていなければならず、時間のロスが大きいので、手塚治虫が東京に出て連載を持ってからはお役御免となったという(福元一義、前掲書より要約)。手塚治虫の登場で、ストーリー漫画は隆盛を極めていき、さらに発表する雑誌も月刊誌から週刊誌へとスピードが速まっていく。その経過の中で、「漫画家」という者に求められる技量が変わっていったということだ。実際、石ノ森章太郎は、自分を「漫画家」ではなく「萬画家」と称している。伝統的な呼称との決別は、自分の描く世界は「漫」ではなく「萬」だという自負もある。手塚以前・手塚後で変わったものはあまりに多いが、マンガ家に求められるものが変わるにつれ、消えていった描き手の素質もあったということだ。消えていく技量を高いレベルで維持していたのが手塚治虫本人だった、革新者でありながら実は伝統の継承者であったというのも、あまり指摘されることはないが、まぎれもない事実だろう。手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書) [ 福元一義 ]
2024.02.02
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ソチ五輪終了。フィギュアスケートの記事でまっさきに書きたかったのが、浅田真央選手のフリーの「圧巻」を通り越した演技だ。長くフィギュアスケートを見ているMizumizuだが、彼女のラフマニノフは間違いなく史上最高だった。そのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を使い、ゲルギエフからスミ・ジョー(スミ・ジョーは、だ~い好きなのだ)まで、驚嘆すべき芸術家のオンパレードだったソチ閉会式を存分に堪能したあと、浅田選手のフリープログラムについて個人的な感想を書こうしていたのだが、女子の結果に対して思いもかけない(Mizumizuにとって、だが)騒ぎが持ち上がり、なかなか沈静化しない。そこでまずは、これについて検証を試みようと思う。女子フリー終了後に巻き起こったロシアのソトニコワ選手の得点に対する批判。一般人からメディア、有名フィギュアスケーターまで、さまざまな意見が飛び交っている。日本の専門家は総じて冷静で、キム選手の敗因を、「3回転ループがなく、ソトニコワ選手がコンビネーションジャンプのセカンドに3回転を2つ付けたのに対し、キム選手は1つだった」からだと分析している。たとえば、こちらの田村氏のコラム。http://www.jsports.co.jp/skate/yamato/1314/post-134/勝敗を分けた理由の1つが、コンビネーションジャンプの後ろのジャンプの3回転にあるのではと考えています。ソトニコワ選手は、3ルッツ+3トウループ、2アクセル+3トウループを跳んできたのに対し、ユナ・キム選手は、3ルッツ+3トウループ、コストナー選手は、2アクセル+3トウループ、ともに1本ずつでした。また、ユナ・キム選手は3ループが入っておらず、上位の3人の中では、唯一3回転ジャンプが4種類になっていました。これが代表的な意見で、まさに勝因・敗因はこれに尽きると思う。ソトニコワ選手はジャンプの質も非常によかった。しっかり飛び上がってから回転し、きっちり回ってから下りる、流れのあるジャンプがほとんど。NHKのアナウンサーでさえ、「滞空時間が長いというか…」と感想を述べていた。その感想は、ジャンプの質が高いからこそだ。ジャンプの入り方や着氷したあとのポーズなども工夫されていた。トリプルフリップを下りたあとの、「加点をお出し!」ポーズには笑いますよ。あれ、彼女、五輪用に変えましたね。ユーロやロシアナショナルのときとは着氷後のポーズを変えてます。3回転+3回転の大きさはキム選手に負けているかもしれないが、それはプロトコルを見れば、たしかにキム選手のほうが加点が多くついている。単独ジャンプだけなら、ソトニコワ選手のほうが質が高く、出来栄え点がつくよう工夫されていた。それもきちんと正確にプロトコルに反映されている。キム選手の最後のダブルアクセルなど、まったく凡庸だ。あれで加点「2」をゾロゾロつけているのを見ると、演技審判はとてもキム選手に好意的だったと思うが。ソトニコワ選手の3連続の最後が乱れたことを、ことさら取り上げる人もいるが、それはきちんと減点されている。「0」をつけた演技審判はいない。最後の2ループは八木沼氏が自信をもって指摘したようにきちんと回っているから、当然アンダーローテーション(<)判定はなし。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Ladies_FS_Scores.pdfなにか「疑惑」がありますか?1つジャンプの着氷にミスがあったから、たとえば演技・構成点をもっと下げるのが妥当だとでも言うのだろうか? それならば、これまで転倒しても優勝してきた選手はどうなるのだろう? さんざん「転倒王者」を作り出してきたのが現行の採点システムだ。それを急に五輪のときだけおかしいと騒ぐほうがどうかしている。ミスがあったのにソトニコワ選手が金メダルを獲ったことと、ジャッジの中にロシア・スケート連盟幹部の妻がいたとか、過去に問題を起こした人物がいたとかといった話と結び付けて、さも不正があったかのように報道している北米メディアがあったが、もはやこうなると、そのほうがロシアを貶めようとする陰謀だろう。Mizumizuは決して今の採点が公平だとは思っていないが、五輪のときだけトンチンカンな主観論や憶測で騒いでも後の祭りなのだ。ストイコがいみじくも言ったようだが、「ロシアは勝つための準備をがっちりしてきた」のだ。おそらくは数年かけて(これについては後日あらためて書くつもりでいる)。話を戻してさらに言えば、スピンのレベルもステップのレベルもソトニコワ選手のほうが高い。スピンもステップもソトニコワ選手は全部レベル4だ。キム選手はステップがレベル3、スピンもレイバックがレベル3。ジャンプは3ループを入れず、セカンドの3回転も1度だけ、スピンとステップでもレベルの取りこぼしがある選手と、与えられた課題に対してすべてレベル4で答え、ジャンプ構成も難度が高く、かつ1つ1つのジャンプの質も高い選手。五輪女王にふさわしいのは、どちらだろう?もちろん、ジャンプ構成はあくまで「技術点におけるジャンプの基礎点」の話。今回、採点批判をしている人たちが特に問題視しているのは、ソトニコワ選手に与えられた「演技・構成点(5コンポーネンツ)」が高すぎたのではないかということだ。この非難の根拠を大きく2つに分けて挙げれば以下のようになる。1) キム選手(銀メダル)とソトニコワ選手(金メダル)の演技・構成点に差がつかなかったのがおかしい。2) ソトニコワ選手の演技・構成点が急に上がったのはおかしい。なるほど。では、まずは(1)を考えてみよう。<以下、後日>
2014.02.25
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宿泊したのは、本栖湖にほど近い、森の中の一軒宿「小さなホテル スターティングオーバー」。周囲に民家も何もない細い道をかなり奥まで行くので、途中「ホントに、この道でいいの?」と不安に。迷いようがない一本道なのだが。オーナーによる自称「小さなホテル」は脇に置いておいて・・・こうした宿を、「プチホテル」というのか、「ペンション」というのか、あるいは「オーベルジュ」というのか・・・ハッキリ言って、カテゴリーに当てはめるのは野暮だという気がした。一番そぐわしい印象は、「料理上手な友人の別荘に、泊めてもらった」ような感覚。女性好みのロマンティックな内装の室内。掃除はよく行き届いている。ペンションに泊まると嫌なのは、部屋にバス・トイレがないことだが、ここは狭いながらも両方ある。そして、大きなお風呂もあり、3組しか泊まれないという小さな宿の特権として、貸切で利用できる。小さな子供の受け入れには制限があり、その分、非常に静か。「そこそこのホテル」に泊まると、宿泊客がワサワサして、高級難民キャンプに来たような気分になることがあるが、ここはプライバシーが守られている。「隠れ家」というほどに、大げさなものではない。「3組限定」と聞くと高そうだが、1泊2食付で約1万4000円と非常にリーズナブル。それもこれも、ご夫婦だけでやっているから、できることだと思った。「コストを削る」のではなく、最初から「かけない」ようにする。2人でできる範囲で最大限のおもてなしをする――そういう原則に忠実にやっている。だから、料金とのバランスで考えた満足度は非常に高い。2階が客室。3つしかないせいか、食事以外のときは、他の宿泊客と顔をあわせることもなかった。廊下の脇のニッチ空間には本棚がしつらえてあり、自由に閲覧できる。並んでいる本は、技術者が好んで読みそうなジャンル。ご主人は元技術者かもしれない。そう思ったのは、ご主人の接客態度もある。「いかにも客商売」ではない。あまりお世辞も出ないし、口も軽いほうではない。玄関のドアを開けて入ると、しばらくしてから、ぬぼ~ッと現れた。別に感じが悪いわけではないが、訓練を受けたホテルマンの態度ではない。こうした個人経営の宿だからこそアリなキャラクターだ。スターティングオーバーというのは、ジョン・レノンの曲から取った名前かもしれないが、もともとの意味は、「再出発」。脱サラしてプチホテル経営に転じたオーナー夫妻の思いを込めたものかもしれない。聞いたわけではないのだが、そんな印象を受けた。ディナーは1階の大きなリビングで。席には蝋燭が灯され、ムーディに。飲み物を注文してから出てくるまで、ずいぶんかかった(笑)。なにせ奥様が料理担当(おそらく厨房でも1人で作っている)、ご主人がサーブ担当。2人だけだ。東京だと、飲み物はあっという間に出てきて、「さっさと飲んで、追加で注文してよ」という感じなのだが(苦笑)。前菜は、なすと生ハム。なすにしっかり味がついている。本場のフランス料理は、相当味が濃いのだが、ここの味のしっかり感は、フランスのそれと言うより、関東の和食の味の濃さを連想させた。一応、フレンチのフルコースということになっているが、フレンチ、イタリアン、そして和食のフュージョンという感じ。決して「本場」の料理ではないが、その分、どの年齢層の日本人にも合う家庭的な味になっていて、1つ1つの皿が丁寧に作ってある。ズワイ蟹のコンソメスープは、まろやかでやさしい味。エビとしめじのリゾット。イタリアのリゾットは、向こうの言い方ではアルデンテ、日本的感覚で言うと「生煮え」が多いが、ここのリゾットは、しっかり水を含んで柔らかい。イタリアのリゾットに慣れた舌には、「水が多すぎ」なのだが、たぶん普通の日本人には、こちらのほうが安心だろうと思う。Mizumizu母は、イタリアのリゾットは好きなのだが、しばしばそうとしか呼びようのない、あちらの国の「煮方が適当で硬い米料理」というのは、やはり抵抗があるようだ。Mizumizuはと言えば、芯のあるアルデンテのリゾットでも平気。日本のリゾットは、ゆるすぎる。ちなみに、信州出身のMizumizu連れ合いは、スパゲテッティのアルデンテも、「認めん」という人。たしかに、蕎麦が「アルデンテ」だったら、「生煮えの蕎麦」ということになりそうだ。不思議なタイミングなのだが、スターティングオーバーでは、メインの前に暖かなフランスパンが出てくる。これも2人でやっているゆえの苦肉の策かもしれない。つまり、肉を焼く時間をパンを供することで埋め合わせているということ。ちなみに、パンの味もグッド。メインは子牛。日本は和牛(成牛)が美味しすぎるせいか、子牛は人気がない。ヨーロッパでは、子牛は間違いなく、成牛より高級。育て方もさまざまある。最高級の子牛は、「完全ミルク飼育」。子牛に草を食べさせなければいけない時期に入っても、あえてミルクだけで育てる。与えなければいけないものを与えない、自然の摂理に逆らった飼育方法なので、当然子牛は、長く生きられない。統計によれば、3ヶ月とちょっとが限界なのだという。その限界日の直前に屠殺する。すると真っ白な極上の子牛肉ができるというわけ。パリの星付きレストランで食べた子牛は、溶けそうなほどに柔らかく、極上の味わいだった。日本の子牛は、ここまでのものはないように思える。そもそも子牛は白い。少しピンクがかったものもある(草を与えると肉は赤くなる。飼育方法と屠殺するまでの時期によって肉質は多少変わってくる)が、赤くはない。だが、日本の子牛は、成牛と変わらないくらい赤い肉のものも出回っている。牛肉=赤というイメージがあるせいか、子牛を豚肉と勘違いする人もいる。何を隠そう、Mizumizuも初めて子牛を食べたのは、オランダのフレンチレストラン。当時ライデンに住んでいた父が連れて行ってくれたのだが、「牛だ」と言われて頼んだ肉が、豚肉そっくりに白くて、「これ、豚肉じゃないの?」と、父に文句を言った記憶がある。デザートは、カカオだけで作ったケーキ。普通のチョコレートケーキとまた、一味違う。甘くないのに、濃い感じ。夕食のときは客同士が向かい合うようにセッティングされていたテーブル。朝食では、窓の外の景色が楽しめるように位置を変えてくれる心遣いが嬉しい。朝は、味噌汁がわりなのか、野菜たっぷりのミネストローネ。サツマイモや豆まで入っている! ショートパスタも2種類入っていた。なんと朝から本格的シフォンケーキが・・・。ひきたてのコーヒーを飲んで、朝からすっかり満足。マンダリンオリエンタルのような、ノウハウばっちりの高級ホテルもいいが、こうした個人の力量を最大限生かしてやっている、小さなホテルも大好きだ。料理が美味しい、掃除が行き届いている、設備も最小の中で最大限、お客の求めるものを満たしている。書けば簡単なようだが、こういう宿になるのは難しいのだ。一定のレベルを長い間維持していくのはまた、さらに難しい。経営は決してラクではないと思う。それでも質を落とさずに頑張っているからこそ、ちゃんとお客が来るのだろうと思う。「商売は牛のよだれ」――商売は牛のよだれのように細く長くやるものだということだが、人は欲を出して、ラクに稼ぎたくなったり、面倒になると手を抜いたりする。このホテルには、そうした個人経営のオーナーが陥りがちな欠点が見えない。これからも、このまま変わらず3組のお客様に最高の満足を届けて欲しいもの。絶景があるわけでも、アメニティが充実してるわけでもないが、また是非リピートしたい宿。
2009.10.16
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<きのうから>ただ、浅田選手に対する最大の不安は、ルッツです。昨季からエッジ違反を厳しく減点するようになりましたが、このルール改正でも、日本スケート連盟の対応は非常ににぶかったですね。昨季始まったばかりのときは、「実際に試合をやってみないとどのくらい減点されるのかわからない」などと発言し、いざ減点されはじめると、予想以上の厳しさに驚いてる始末。2007年11月5日の毎日新聞の記事からの引用です。国際連盟ジャッジの加藤真弓・日本連盟理事は 「着氷の回転不足の確認はビデオの再生ができるが、踏み切りの確認はできない。よっぽどじゃないと マークは付かないのに」と言った。 (中略)日本連盟関係者は世界選手権女子で「日本の2人がワンツー を占めたため、厳しくなった“政治的”な側面もあると思う」と日本つぶしに警戒感を強めている。連盟も、ルール改正に強すぎる日本女子をサゲたいという意図があるのは、もちろんわかっているんですね。いつの時代も、ルールを決めるのは「より数の多い勢力」なんです。いくらある国で選手が強くても、政治力のない国は不利なルールで戦うことになります。さて、このエッジ違反の減点をもっとも警戒したのは、モロゾフだったんですね。モロゾフはシーズン前から、徹底して安藤選手に矯正をさせました。「容赦なく減点してくる」とわかっていたんでしょう。それがモロゾフのしたたかさです。「よっぽどじゃないと…」なんて甘くは考えていなかったんです。それで昨季は安藤選手はジャンプが乱れまくり。それでも矯正は続けました。一方の浅田選手のコーチのアルトゥニアンは、「この突然のルール改正はあまりにアンフェア」と抗議。浅田選手は当初「入り方をかえて(それなりに)対応した」つもりだったんですが、入り方ではなく、やはり踏み切り時のエッジを厳しく見られて徹底的に減点され、非常に不利な状況に立たされました。あそこで外堀を埋められた状況だったんですね。それを実力で突破して、エッジ減点されながらも、世界一の点を出して世界女王になったんです。しかも、3Aで跳ぶ前にコケて、マイナス点になりながらです。いかにすごいかわかりますか? 「相手のミスに助けられて勝っている」なんて、メディアの論評を見ると腹が立ちますね。浅田選手に対抗するためには、難度の高いジャンプ構成にしなければならない、そうすると実力を超えたものになり、ミスが出る。それだけの話です。さて、昨季の2人のコーチの対応は、昨季は浅田選手に吉と出て、安藤選手には凶と出ました。では、今季は? 世界選手権では安藤選手はショートでフリップを見事に決めて加点をもらいました(フリーでは回避)が、浅田選手はルッツで失敗しました(フリーでは回避)。では、来季は? 安藤選手のフリップはより安定してくると思います。ただ、懸念もあって、かなりエッジはフラットなんですね。アウトに入ってないのは間違いないですが、かなり中立に近い。「!」マークは、not obvious、つまり「エッジ遣いがそれほど明確でない」場合にもつけられるから、「!」がついてしまう可能性もあります。ただ、「E」はないでしょう。キム選手のフリップはかなり疑わしく、アウトに入って見えますので、今後も「!」、場合によっては「E」(今季一度だけ出ましたね)もあるかもしれません。エッジ判定は昨季、ルッツが正確なキム選手には有利でしたが、彼女のフリップはずっと疑わしかったんです。昨季Mizumizuは日本スケート連盟と国際スケート連盟に、そのことについて「もっと正確に、公平にジャッジングすべき。もしインで踏み切るのがフリップの定義とするなら、キム選手のフリップもエッジ違反ではないか」とメールしました。そしたら、今季になって「!」が導入され、エッジ違反の範囲が広がりました。当初キム選手にはマークはつきませんでしたが、あまりクレームがくるのか(笑)、とうとうマークがつき、今年に入ってからは、4大陸、世界選手権でも!判定ですね。キム選手が突出して強くなったので、ここらでサゲようと思ったのかもしれませんが、来季はこれがキム選手の不安材料です。現在でも!がつくと、加点が抑制されます。あの最大の武器で加点が抑制される、あるいはつかなくなるとキム選手には痛いです。読者から、キム選手は「来季は3Lz+3Tを跳ぶ」と発言したという情報をいただきました。つまり、今までフリップにつけていた3Tをルッツにつけるということです。実はこれは、世界選手権の前に韓国紙が伝えていて、「ショートでフリップに3Tをつけられなかった場合は、次のルッツに3Tをつけるリカバリー構成を用意している」と書いてました。連続ジャンプは単純に基礎点の足し算ですから、フリップにつけようと、ルッツにつけようと点は同じです。ジャンプ構成をあげるわけではなく変更するというだけ。小塚選手は全日本のショートでルッツからの3Tがつけられなかったので、すばやくフリップにつけましたね。ちょっと回転不足気味で、完璧ではありませしたが認定はされました。2Aから3ループにかえるなら基礎点は上がりますが、フリップにつけていた3Tをルッツにつけても点数は変わりません。難度から言えばルッツにつけるほうが難しいですが、個人差もあり、基本的には本人が跳びやすいかどうか。もし本気でキム選手が3F+3Tから3Lz+3Tへの転換を考えているとすれば、それは、フリップへのwrong edge違反への対応ではないでしょうか。世界女王になったら足をひっぱられることは、オーサーも予想してるでしょうし。以前も書きましたが、キム選手は基本的にはアウトの踏み切りのが得意なんですね。フリップを踏み切るとき、その前の軌道ではインに入っていたエッジが、タメてる間に中立に戻ってきてしまいます。だから、連続ジャンプに不安があると、どうしてもタメが長くなり、アウトに「より長く」入ってしまうのではないかと。韓国のジャッジもそのようなことを言っていたと思います。ただ、テレビで見てる分には、いつもあの跳び方で大差なく見えるんですが(苦笑)、なにせテレビ画面では、カメラの方向によってずいぶん違って見えるので、Eが適当なのか!が適当なのか、Mizumizuにはわかりません。だから、今のルッツとフリップを入れ替えて、フリップの負担を減らしてエッジ違反を取られないようにしようということかもしれません。ジャッジから踏み切りの足が見にく~い場所でフリップ跳んだりね(←ホントにやりそう・苦笑)。ただ、単独にすれば必ずフリップをインで踏み切れるかと聞かれると… 負担のかかる連続ジャンプにするからタメが長くなり、アウトに入りがちなのか、そもそもクセで単独ジャンプでもそうなってしまうのかは、見たことないのでわからないですね。普通は、踏み切りというのはその人のクセなので、単独ジャンプでも跳びやすいほうに入ってしまうと思います。浅田選手は2試合連続でルッツを失敗した――つまりは今、ルッツが跳べなくなってしまった状態ですから、「アタシは、簡単にルッツからの3Tが跳べるの! それだけジャンプの力はついてきたの!」と、ジャンプでの優位性を強調して、さらにどん底に落とす意図があるかもしれません。キム選手のジャンプは、現実には劣化が始まっています。ループは入らなくなった。ルッツやセカンドの3Tが回転不足気味になる。あの状態から、19歳という難しい時期に入る来季に、特にフリーでのジャンプの確率をさらにあげるのは大変だと思います。EXで試合で失敗したサルコウを「跳べる」ことを見せたあとに、ダブルアクセルばっかりやってるのを見てもわかりますね。しかも失敗しちゃいました。しかし、浅田選手の一番痛いところをついてくるとは、さすがにあのオネエが後ろにいるだけあります(笑)。浅田選手はもともとエッジでの厳しい減点が始まる前から、ルッツを連続ジャンプにすることはできない(やろうとしない?)選手でした。そのかわり、2Aにも3Aにもセカンドジャンプをつけられるし、フリップはフリーで2度連続ジャンプにしてもイケる選手ので、やる必要がないといえばそうですが。チャンも世界選手権の試合後に、カナダのメディアを使ってジュベールにさかんにプレッシャーかけてるし。カナダ陣営の作戦でしょうね。どこまで汚いのやら(呆)。キム選手がいろいろ仕掛けてくれるので、結果としてロシェット選手は、日本でのイメージも損なわず、得してますね。こういう発言にある種のウラがあるとしても、ほっとけばいいんですよね。キム選手が連続ジャンプを組み替えようと、浅田選手の課題は変わりません。人間は気持ちが弱くなると、いろいろな「揺さぶり」に動揺するようになります。凡人は、悪意を向けられるとすぐに感情的になって、自分が泥沼に陥るんですが、浅田選手は凡人ではありません。天才です。といっても、あまりに浅田選手を取り巻く環境は商業主義のご都合主義ですから、精神的な支柱になってもらうためにも、フィギュアスケートの世界の汚い部分をよく知っているタラソワのそばに、なるたけいさせてあげたいですね。ライバルが何を仕掛けてこようと、ジャッジが公正でなかろうと、それは選手にはどうにもできないことですし、選手は自分の課題を克服することに集中すればいいんですね。ただ、これは私見ですが、実際にはキム選手の連続ジャンプの組み換えは難しいと思います。3Lz+3Tだけなら問題なくできても、それを入れてまたプログラムをまとめるというのは別問題になりますからね。それとフリップのエッジのクセ。単独にすればキチンとインで跳べるのか。結局は、その兼ね合いで、連続ジャンプを組み替えるか否か、オーサーが判断するでしょうし、来季の初戦を見てみないとわかりませんね。「!」に対する加点ですが、ルールでは「GOEはジャッジの自由裁量で」とあるので、加点しても不正ではありません。ただ、常識的には「Eは減点しなければいけない。!はジャッジの自由裁量にまかせる」とあれば、!は「減点してもしなくてもいい」と読むのではないでしょうか。普通は「加点もできる」とは考えないと思います。今のルールは減点主義なので、2連続ジャンプをやって、セカンドの着氷が乱れれば、単独ジャンプより点が低くなるというバカみたいなことが起こります。減点至上主義ともいえますね。その原則論でいくなら、いかにキム選手の3F+3Tが素晴らしい質をもとうと、エッジに「!」があるなら、加点をするのは、少なくともおかしいです。「!」がついた場合は、加点してはならない。ただし、減点するか否かはジャッジの裁量にまかせる――このようにガイドラインを明確化すべきですね。「2Aの挿入回数を2回とし、!マークは加点なし」――これはMizumizuがキム選手をサゲるために、考え出したちょっとしたルール改正です。それぞれにもっともらしい理屈がついています。「2Aは点数上、3回転扱いのジャンプだから3回転同様フリーの挿入回数を2度に。そうやってジャンプの偏りをなくし、選手のバランスのよいジャンプ力を見るようにしましょう」「現在!マークには明確な規定がなく、加点される選手と減点される選手が出て不公平です。ガイドラインを明確にして、加点はなし、ただし減点するかしないかはジャッジの裁量にまかせましょう」。これをやるだけで、キム選手にはとても痛いんです。今の構成でさえ、サルコウ失敗するかルッツが回転不足になるのに、これで2Aが2度となると、どうしてもループを入れないといけない。瞬時の判断で3Sを2Sにしたり、3Loを2Loにしたりできないキム選手にはプレッシャーがかかります。ルール改正とはこうやって、もっともらしい理由をくっつけて、強い選手を弱くしたり、弱い選手を強くしたりできるんですね。あとは政治力です。さて、浅田選手のルッツです。
2009.04.07
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読者の皆様へこちらのブログを運営していらっしゃるTMRowingさんが、先日ビアンケッティさんにメールを送ったところお返事が来たそうです。TMRowingさん、およびビアンケッティさんご本人の許可を得て、拙ブログにも転載させていただきます。全文はMRowingさんのブログをご覧ください。最初の1段落目でビアンケッティさんは、「スポーツが生き残るためには、ファンの意見は絶対欠かせないものだ」と説きます。彼女はファンの考えや提案、批判を受け取ることが「大いなる喜び」だとしています。It is always a great joy for me to receive letters from fans expressing their thoughts, their suggestions or critics. The opinion of the fans is vital because you are the lymph for any sport to survive. 本当の一流のプロはファンを素人と侮ったり、ないがしろにしたりしません。それは世界のトップ選手もそうですよね。彼らは自分たちを支えてくれるのは、一部の専門家やマニアではなく、一般のファンだということをわかっているんですね。根拠のわからない点数を見せておいて、「ジャッジ様がやったことだから無知な素人は黙って納得しろ」と言ったって無理。信頼してもらるように努力すべきなんですね、それが本当のプロ。2段落目は、ロスの世界選手権に対する私見です。順位についても採点結果と自分の判断の違いに触れていらっしゃいますが、これは特段現在のジャッジ批判ではありませんし、不正があってこうなったということでもありません。「自分としてはこう思う」ということで、それがそもそもジャッジの仕事なんですね。誰が誰より優れているか。要求されてエレメンツをどの程度こなしているか。選手のスケートの力量はどのぐらいのものか。それは本来は、ジャッジが自分の責任において判断すべきものなんです。優れた眼をもつジャッジによるフィギュア・スケートの採点。ヨーロッパで長くフィギュアが根強いファンに支持されてきたのは、基本的にファンがジャッジの採点に信頼をおいてきたからだとMizumizuは思っています。もちろん、根回しのような部分はありましたが、出てきた順位は、わりあい誰にとっても納得できるものが多かった(もちろん、そうでない場合もありますが)。そのジャッジへの信頼を新採点システムが壊してしまったのです。どこかの個人ブログ(普通のフィギュアファンの方のブログですが、大変に力のこもったよいブログでした)で、ビアンケッティさんの文章を引用されている方がいて、1つ誤訳がありました。「陰謀や裏取引があるのを、一般人がわかっていて…」というように訳された部分があったんです(ウロ覚えですいません)が、そうではなくて、ビアンケッティさんは、「匿名での採点というのは、陰謀や裏取引を隠すための方法だと(大衆やスケート関係者の多くから)思われている」、つまり信頼されていない、ということを言いたいわけなんですね。陰謀や裏取引があるともないとも言っていません。残念ながら、サーフィンしながら、あら? と思っただけで、指摘させていただくのを忘れました。どなたのブログかわかったら(すごく抽象的で曖昧な記憶ですいません)、ブログ主さんに教えてあげてくださいね。ブログ自体は、本当によくできたブログです。ただ、拙ブログでもビアンケッティさんを紹介したので、サーフィンしてあのブログを見つけた方が、「ビアンケッティさんが不正を認めてる」と誤解してはいけないので。さて、一番重要だとMizumizuが思うのは、演技・構成点に関する意見です。As I say in my article the number of Program Components is much too high and all the requirements listed in each one just make it impossible for any judge, in my opinion, to properly assess the marks. And it is totally useless, because, as you can see, there is no difference from one mark to another. The marks of the PC are mainly based on the reputation of the skaters and previous competitions. A real scandal. Besides nobody in the arena and at home can understand the marking now, which is one of the main reasons of the loss of interest in the sport. Since the introduction of the new system the popularity of figure skating has gone downhill! This is why I make the proposal to reduce the PC to two and judge on a relative scale, using marks from 0 to 6. I am very happy to hear that you agree with this proposal. ここでビアンケッティさんは、演技・構成点は、コンポーネンツを2つにして(Note:現在は5つ)、0から6の比較値とすべきだと主張されています。現在の演技・構成点は高すぎること、点差に意味がないこと、その点が適切かどうか検証不能であることが問題点です。そもそも演技・構成点というのは、だいたいが、その選手の評判とか、それ以前の試合の評価をもとにして出されている。おかしなことです。そのうえ、今や、家でテレビを見ている人も、会場で見ている人も、だれも出てきた点数を理解できない。それが競技に対する興味を失わせる主な原因なんですね。新採点システムになったから、フィギュアの人気はもう、どん底だということです。適正かどうか検証不能な点差をどんどん匿名でつけられる。これがMizumizuが、「もうフィギュアの採点は終わった」と思った一番の理由ですから、まったく同感です。5つのコンポーネンツなんて、いりませんよ。スケートの技術全体と振付全体を評価する2つぐらいで十分でしょう。今のやり方だと、天井値をどんどん引きあげることで、無意味な点差をどんどん広げていけるのです。爆アゲ、爆サゲの温床にしかなりません。今みんなが「9」と言う点を見て驚いてるのは、今まで見たことがなかったから。だから異常だと感じる。でも、それが常態化すれば、誰も異常とは思わなくなります。で、9を9.25に9.5にというようにだんだんに引きあげる。そうなると印象点の演技・構成点で、技術点をないがしろにさえできてしまうんです。また、今回のように特定の選手があまりに高い点を出してしまって、見てるほうはしらけます。フリーを見なくてもショートで1位が確定、ではね。しかも、誰もできない技をやったんならともかく、「どうしてそこまで点がでるのか理解できない」――これじゃ、ファンはついてきません。理解できなくても、受け入れろ、なんてのは無理な話です。人は、理解できるから受け入れるんです。日本は今、浅田真央人気で、沸騰中のフィギュア人気ですが、ヨーロッパではもう死に体のようですね。選手のほうからも旧採点システムに戻してくれという要請が出てます。見てるほうも耐えられないですが、やってる選手はもっと耐えられないんです。ISUがどうしても、コストナー選手をアゲたいのもわかりますよね。ジャンプとにかく決めれた、ファイナルで台にのぼっちゃいましたからね。それに対して、今回のコストナー選手がまるで反抗するような無気力フリー。彼女はわかってるんです。どうしたって、ISUはコストナー選手が必要なんですね。次のイタリア開催のビックイベントのことを考えたって、3F+3Tを跳べる可能性があり、それが無理でも3F+2Tなら決められて(実はこれだって大変なんです)、かつ2A+3Tも(最近はコケが多いですが)入る、ヨーロッパでは稀有な選手です。前の日にあれほどマトモに3回転ジャンプ跳べてたヒトがいきなりアレ。しかも同国人の会長の前で。急な体調不良とかですかね。まあ、なんとでも言えますね。会長としても、あんまりな銀河点出ると選手がヤル気なくすと知れば、どうにか動いてくれるかもしれませんからね。さすがヨーロッパのイケメンキラー女王です。男を動かす方法を知ってますね。枠取りのこともあるから頑張れなんて言われて、どの試合も素直にまっすぐに全力で戦い、やたらルールの包囲網を作られてる日本選手とはしたたかさが違うでしょう。カナダのロシェット&チャンは逆に韓国のファイナルで力を抜いていましたよね。その分、世界選手権では照準ピタリでした。さて、きのうの続きで、ロシェット選手は本当に強い、という話ですが…現在の採点はジャンプ、スピン、ステップのテクニックで選手の力量を判断するわけです。ロシェット選手は、世界選手権では、スピンもステップもスパイラルも、レベルを高く揃えています。このエレメンツの部分にキズのない選手なんですね。カナダ選手権のときは、ここまでレベル4を取れなかったので、キチンと強化して結果を出したってことです。素晴らしいですね。あとはジャンプのバランス。ショートとフリーで上位4選手の跳んだダブルアクセル以上のジャンプの数を、基礎点の高い順に比較すると安藤選手ルッツ(3つ)、フリップ(1つ)、ループ(2つ)、サルコウ(1つ)、トゥループ(2つ)、ダブルアクセル(2つ)。キム選手ルッツ(3つ)、フリップ(2つ)、ループ(0)、サルコウ(1つ入れて2回転にすっぽ抜けに)、トゥループ(2つ)、ダブルアクセル(4つ)。浅田選手トリプルアクセル(1つ、もう1つは転倒失敗)、ルッツ(1つ入れて2回転にすっぽ抜け)、フリップ(3つ)、ループ(2つ)、サルコウ(0)、トゥループ(1つ)、ダブルアクセル(2つ)。ロシェット選手ルッツ(3つ)、フリップ(2つ)、ループ(1つ入れて失敗ではないダブルになった)、サルコウ(2つ)、トゥループ(1つ)、ダブルアクセル(3つ)。上の数には、あのアホらしいダウングレード判定入れてません。ちゃんと降りたかどうかで判断。もうループへの執拗なダウングレードは、日本女子つぶしとしか、Mizumizuは思っていませんから。ジャンプは難度の高いものを跳べたほうが有利です。でも、跳べるジャンプの種類が限られるとそれは不利な要素です。たとえば、キム選手はループが跳べなくなりました。オーサーとしては、本当はフリーにループを入れてダブルアクセルは2つにする方向にもっていきたかったはずです。去年は、今年よりフリーの要素が多かったはずなのに、ループが決まることもありました。ところが今年は2回やって2回失敗。成功率ゼロです。そして、サルコウの確率も落ちてきました。でも、キム選手はサルコウをはずすことはできません。つまり、もうこれ以上ジャンプ構成を落とせないんですね。それでも、ほぼどこか1つ以上のジャンプに失敗が出る。今回はサルコウでしたが、ルッツの着氷、2A+3Tの3Tの着氷に乱れがありました。これがキム選手の危うさです。これ以上ジャンプ構成を下げるとなると、セカンドに跳べている3Tを2Tにかえるぐらいしかない。キム選手を世界女王にしたもの、それは3つのルッツとセカンドに跳べる3回転です。安藤選手を世界女王にしたのも、ルッツとセカンドに跳べる3回転(ループ)でした。2人とも世界女王になったシーズンは、特に3回転にもっていく連続ジャンプの確率がシーズン最初から安定してよかった(キム選手のアメリカ大会でのグリ降りのことは考えに入れないことにしています。とにかく降りてるということで)。<続く>
2009.04.04
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プラハ観光の2大スポット、カレル橋とプラハ城を両方一緒にカメラにおさめるには、カレル橋から少し南にくだったトラム駅でいえば「カルロヴィ・ラーズニェ」あたりに行くといい。そこから撮った写真が、これ。ブルタヴァ河のゆったりとした流れもいい。ところで、この写真を撮るときに、ある「事件」に遭遇した。旧市街広場から、ヴルタヴァ河方面に続く道はいくつかあるが、「パジーシュカ通り」というのが、ブランド店が立ち並び、パリの雰囲気がある道だというので歩いてみた。結果からいうと、ブランド店は銀座やそれぞれの有名ブランドの本国での本店を見ている人間からすれば、あまりに貧弱な品揃えで、プラハでの購買力の低さがわかっただけだった。道自体は確かに高級感のある建物が建ち並んでいて、それなりなのだが、ブルタヴァ河までの道のりが結構長くて、疲れた。さて、ブルタヴァ河近くまで行って、トラムでカレル橋まで戻ることにした。トラムで2駅。カレル橋まで600メートルぐらいだから、歩いてもたいしたことはないのだが、ちょっと疲れていた。インターコンチネンタルホテルにも近い「プラーヴェツカ」駅でトラムを待つ。トラムの駅は小さくて券売機はなく、周囲にも切符を売っていそうなタバコ屋(いわゆる「タバコ屋」で市内交通機関の切符を売る国は少なくない)もない。こうしたことは予想していたので、あらかじめ地下鉄駅でついでに1区間分の切符を余分に買ってある。トラムはなかなか来ない。かなり待ったような気がする。「歩いたほうが早いかな~」とちょっと迷うが、そのうちにトラムが来て、乗り込んだ。さて、トラムがカレル橋に近づいてきたとき、前後の入り口から乗客を挟み撃ちにするように検査官が乗り込んできた。目の前に座っていた若い金髪の旅行者と思しき女の子が「あっ」という感じで、逃げようとした。が、検査官は前後から来るので、逃げようはない。次の駅のカルロヴィ・ラーズニェで検査官とともに降りた(降ろされた)女の子は猛然と抗議を始めた。Mizumizuが写真を撮り、ゆったり景色を見ている間もずっと抗議している。その気持ちはわかる。ほんの数百メートルの距離、しかも観光客が使いそうな路線、さらにトラム駅に券売機がない。とくれば、これはほとんど、「引っ掛け」ではないのか? 賢明なる日本人旅行者のMizumizuには「地球の歩き方」「ネット上での口コミ」による豊富な情報があった。これらの情報源には、プラハのトラムや地下鉄では頻繁に検査が行われ、切符がたとえ買いにくい場所であってもいったん無賃乗車が見つかったら容赦なく罰金を取られ、ときには当局に連行されてしまうと書いてあった。事前にこうした情報を入手していなかったら、うまく「引っ掛け」られていたかもしれない。もちろん無賃乗車はいけない。だが、そうした不正を摘発するなら、あらゆる駅で切符を売るかあるいはトラムの中で切符が買えるようにしておくのが当たり前ではないだろうか? だが、実はイタリアのバスにもこうした制度(?)はある。バスの停留所では切符は売っていない。バスの中では買えない(もちろん、買えるバスもある。フィレンツェのような観光都市では買える)。ではどこで買うかというと、「タバコ屋」だ。たいてい停留所のそばにあるが、ないこともある。イタリアでバスに乗るために、切符は「あっちで売ってる」「こっちで売ってる」といい加減なことを教えられウロウロしたのは一度や二度ではない。イタリアの田舎町ならともかく、ここは天下のプラハだ。観光でなりたっている街だといってもいい。それにトラムを利用する観光客なんて、たいがいが自由旅行の若者だろう。団体客はトラムになんて乗らないし、金持ちならタクシーをチャーターするだろう。地元民は事情を知っているから、わざわざ捕まりそうな場所で切符をもたずにトラムに乗ることなんてない。切符も買いにくく、いかにも無賃乗車をしてしまいそうな場所を狙い撃ちにして、たいしておカネももっていない、街のこともよく知らない自由旅行者からバカ高い罰金をせしめるなんて、これはもう合法的なタカリだとしかいいようがない。しかもいったん捕まえたら、強権的な態度で、なんなら当局に連行だなんて、まるで、チェコを長年弾圧してきたソ連のやり方じゃないか。自分たちが大嫌いだったかつての親分のやり方をマネして、恥ずかしくはないのか。若い女の子は延々と30分以上抗議している。こうした理不尽には女性のほうが「許せない」と感じるようだ。あれが男の子だったら、他人に見られて恥ずかしいし、面倒だからとさっさと払ってしまうだろう。Mizumizuがその場を離れるときも、女の子はまだ抗議していた。検査官も譲るつもりはないようだった。そういう規則なのだろう。その後彼女がどうなったのかは知る由もないが、見ていて実に不快だった。プラハ当局がやるべきは、事情を知らない人間から合法的なカツアゲすることではなく、たとえばフィレンツェのバスのように、車内に券売機を設置することだと思う。これは多少古い話だ。今のプラハではトラムの切符はもっと買いやすくなっているかもしれない。そう願いたいが、もし事情が変わっていないようなら、プラハの街を個人で歩く日には、地下鉄の駅でトラム分の切符をちょっと余分に買っておくことをオススメする。
2007.09.24
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ウルワツ寺院で起こったとんでもないこと・・・それは、Mizumizuがサルに怪我をさせられたのだ。現場はこちら。この階段を少しのぼったところで、海側の壁の上にいたサルがMizumizuの帽子を取ろうと、肩に飛び乗ってきた。「あっ」と帽子を押さえたら、手の甲にサルの鋭い爪が当たった感触があった。帽子は取られなかったが、サルはあっという間に逃げ去った。脇にいたMizumizu連れ合いも気づかないほどの一瞬の出来事。ちょっとエグい写真なのですが・・・これがそのときの傷。かなり深い。多少出血はあったが、痛みはさほどでもなかった。怪我をしつつも夕陽にはまだ未練があったのだが、ケチャを見ないかと声をかけてきたお兄さんが近寄ってきて、日本語で、「どのホテルですか」と聞いてきた。ウェスティンだと答えると、「ホテルに帰りましょう。ホテルにはドクターがいます」と親切にも教えてくれた。ホテルにドクターが常駐しているとは思えなかったが、リゾートホテルがまとまって建っているエリアなので、英語のできるドクターを呼んでくれるということかもしれない。「こういうこと(サルに襲われて怪我をする)は、ここではよくあるのですか?」と聞いたら、首を横に振っていた。確かにMizumizuもバリ島でサルに襲われたという話は、聞いたこともないし、本などで読んだ覚えもない。しかし、たしかHIVってのは、サルから人間に移ったという説があったんだっけ? ということは、サルに引っかかれて、哀れMizumizu、HIVに感染か・・・?今から考えればバカバカしいような妄想で、ホテルへ戻るタクシーの車中で落ち込むMizumizu。ホテルに着くとドライバーがホテルマンにさっそく説明してくれた。するとフロントの脇にある小部屋に通され、「大丈夫ですか?」と、ホテルのマネージャーが話し相手になってくれる。「バリ島のサルはよく人を襲うのですか?」ケチャのお兄さんにも聞いたことをここでも聞いてみた。やはり、首を振るマネージャー。「いや、聞いたことがありません。ウルワツのサルは帽子を取っても後から返してくれますから」え? 後から返してくれるの?「食べ物が入ってるものは返しません。しかし、役に立たないものは木の上から下に投げてきます。食べ物を与えれば、すぐに返してくれるでしょう」た、食べ物と交換ですか?サルの談話「そうだよ。覚とけ!」 「バリ島のサルは悪い病気を持っていますか?」「いや、そのような話は聞いたことがありません」のんびりした言い方なので、恐らくサルから感染した病気の話というのは、本当に聞いたことがないのだろう。マネージャーが話し相手をしてたおかげで不安感をもつこともなく、待つこと10分ほどでドクターと看護婦がやってきた。おお、早い・・・! と思ったのだが、ドアを開けて入ってきたドクターを見て、ややビビる。「もしかして、さっきまで食堂で働いていませんでしたか?」と聞きたくなるような雰囲気の、20代にしか見えない小柄な女性。白衣も着ていないからなおさらだ。ほ、本当に彼女がドクター?しかし、専門用語を交えて英語はきれいに話すし、キビキビしている。「抗破傷風薬を注射したいが、まずアレルギーテストをします」と言われ、テストしたところ、反応がでたので、注射はできないということになった。それから、「縫ったほうがいいです」え? 今ここで? 病院でもなく、ホテルのフロントの脇の応接室ですが・・・「今夜日本に帰るのだが、帰ったあとではなく、今縫ったほうがいいですか?」小学生のころ自転車でコケて、てのひらを3針縫ったことがあったが、そのときの治療が痛かった記憶があって、できれば縫いたくないと思ったのだが・・・「今縫ったほうがいいです。時間をおくと皮膚の癒着が悪くなるから」というキッパリしたドクターの言葉に従うことにした。看護婦が局所麻酔の注射をし、若い女医さんは別に緊張したふうでもなく、笑顔でこちらに、「深呼吸して、リラックスしてください」と言って縫い始めた。ホテルの従業員もいて、終わったときは笑顔を向けてくれ、全員で怪我をしたゲストの気持ちを慰めようとしている雰囲気が伝わってきた。このときのスタッフの対応で、ホテルの印象はずいぶんとよくなった。孤立したリゾートホテル群で、ぶらっと街歩きもできない場所に隔離されているようで若干不満だったのだが、万が一のこうした事態が起こったときの態勢は素晴らしかった。ドクターにも、たとえばHIVなど、サルからの感染症を心配する必要があるかどうか聞いてみたのだが、「バリ島では、そうした例はない」という答えだった。縫い終わると、抗生物質と万が一痛みが出た場合に備えて鎮痛剤も置いていった。治療費はホテルに払ったのだが(後日保険金を受け取ってチャラになったのだが)、治療費に薬代を含めても、7000円ほどだった。飛行中に痛みが出ないか心配だったのだが、別に大丈夫だった。日本に帰ってきて、近所の外科に数回消毒のために通院し、抜糸してもらった。結局鎮痛剤のお世話には一度もならなかった。一応、日本のドクターにも感染症について聞いてみたが、「現地の医者が一番よく知ってるから、現地で大丈夫と言われたんなら大丈夫でしょう」という、実に適当な答えが返って来た(苦笑)。結果として別に破傷風にもならず、もちろんHIVにも感染せず、順調に治った。日本で診てくれた外科医も、「ホテル専属のドクターというと、だいたい内科系で、縫ったりできない人も多いんだけど、きれいに縫えてますね」と褒める。見た目はホテルの食堂にいそうなお姉さんだったのだが・・・(笑)今では縫ったあともほとんど消えた。あのとき適切な治療をしてよかった。すぐにホテルに帰るよう促してくれたケチャの客引きのお兄さん、温かな思いやりを示してくれたホテルのスタッフ、適切な判断と治療をしてくれたドクター・・・・・・ バリ島の皆さんに感謝せねば。しかし、1人だけチョイ問題児が。それは、ガイド氏。彼は空港にMizumizu+Mizumizu連れ合いを空港に送るためにホテルにやってきて、Mizumizuの怪我を知った。そして、部屋に入ってくるなり、金切り声で、「ど~して、僕を呼ばなかったんですか!」と感情的な声でオーバーに叫び、「僕ならサルに襲われないように、しっかり見張っていたし、帽子ならあとから返してもらえるんですよ。食べ物を出せば。タクシーのドライバーは何も言わなかったの?」とちゃっかり自分をアピールする文言を、まるで彼を通さずに行動したMizumizuを責めるかのような口ぶりでまくし立てたのだ。Mizumizu連れ合いが、「あなたのせいじゃないから」と逆になだめる始末。「サルに怪我させられた人って知ってる?」と聞いたら、彼も、「いや、初めて」。よほど珍しい例になってしまったようだ。さぞや、今頃あのガイド氏、ウルワツ寺院に自分抜きで行ってサルに引っかかれた日本人観光客の話を同じ日本人観光客に持ち出して怖がらせ、ウルワツ寺院に行くなら自分をガイドとして連れて行くようアピールしていることだろう。
2011.07.27
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少女マンガの金字塔『ベルサイユのばら』(池田理代子)。この作品、Mizumizuが小学生のころ、週刊誌に連載されていて、毎週熱心に読んでいた。物語の元ネタは明らかにシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』で、『ベルばら』より先にこの小説を読んでいたMizumizuには、ツヴァイクのコミカライズの部分が多い作品だと感じていた。歴史上の人物の発言などは、ほぼツヴァイクの小説にあるものを少し言い回しを変えただけという印象だったが、そこに架空の人物がロマンチックに絡んでくるのが『ベルばら』の最大の魅力だった。週刊誌連載当時は知らなかったが、長じて手塚治虫の『リボンの騎士』という作品があるのを知った。男装の麗人・オスカル様の元ネタは、明らかにコレだろうと思ったのだが、不思議なことに池田理代子自身は『リボンの騎士』に言及していない。心を打たれたとして挙げている手塚作品は『つるの泉』。作画については、影響を受けたのは水野英子だと言っている。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49580760Z00C19A9000000/なるほど。水野英子は手塚治虫の弟子のようなものなので、水野タッチに影響を受けた池田理代子は、実は手塚の直系孫弟子と言っていいかもしれない。と、池田氏本人のインタビューを読んで思ったのはここまで。Mizumizuは『ベルばら』世代なので、水野英子には「遅かった子供」だ。もちろん名前は知っていたし、絵は見たことがあったが、『ベルばら』が流行っていたころの目には古く見えて、あえて読んでみようとは思わなかった。最近、水野氏は積極的に発言を始め、メディアもそれを採り上げることが多くなってきた。水野作品も復刻されて電子版で読めるようになった。それで、なんとなく『ベルばら』を想起させる絵柄の『白いトロイカ』を読んでみた。で…驚愕!!なんと『白いトロイカ』の主人公ロザリンダが、『ベルばら』のロザリーにクリソツ!!ここでロザリーについて説明すると、彼女は「王妃の首飾り」事件を起こすジャンヌの異母妹で、実母はアントワネットのお気に入りのポリニャック夫人という、まー、どう考えたってマンガ以外ありえない設定。さらに後年、マンガの最終局面で、革命によって牢獄につながれたマリー・アントワネットのお世話係としてそばに仕えることになる。マリー・アントワネットの最後のお世話係には実在したモデルがいる。もちろん実際は平凡な女性だが、その女性にドラマチックな出生の秘密と主人公オスカルと絡む波乱の人生を与えたところが、『ベルばら』の大いなる魅力になっている。実在のロザリーについては、こちらをどうぞ。https://fr.wikipedia.org/wiki/Rosalie_Lamorli%C3%A8reところが、だ。『白いトロイカ』を読んだら、そっくりなのはロザリンダとロザリーの絵柄だけではなかった。ロザリーの出生の秘密と波乱の人生(特に恋愛相手の特性)まで、あまりに似すぎていたのだ。びっくりしたな~、もう。で。他に気づいてる人、いるよね? と思って検索したら、やっぱりいました。https://ameblo.jp/ikeda-riyoko/entry-10461452977.htmlこのブログでも挙げられている、二人に共通するのは…◎ほぼ同じ髪型(いくつかパターンがある)で出てくること。◎平民に育てられたが、実際には貴族の娘であるという出生の秘密があること。◎ロザリンダ/ロザリーに貴族としての礼儀作法を教える高貴な人物が現れる(このあたりは『マイ・フェア・レディ』風。ついでに育ちの悪さが出てしまうエピソードも『マイ・フェア・レディ』のイライザとロザリンダ/ロザリーに共通)という展開。ちなみに、その高貴な人物(レオ/オスカル様)は、貴族ながら革命に身を投じて落命する運命というのも同じ。◎ロザリンダ/ロザリーと結ばれるのが、西洋版「ねずみ小僧」みたいな黒い鷹/黒い騎士。『ベルばら』を彩るロザリーの多くのエピソードが、ロザリンダとそっくり。そっくりすぎる。上記のブログに絵柄の類似点を指摘した写真があるが、ブログがなくなってしまうと、写真も消えてしまうので、同じものを貼っておきます。まずは、リボンの色が白か黒かってだけの違いにしか見えない髪型。ヘアバンドまで同じ、ボリューミーな髪型こっちはヘアバンドではなくて、編み込み。次回のエントリーに続く。
2024.03.08
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浅田選手が女王になったときも、セカンドにもってくる2種類の3回転ジャンプ、ルッツがありました。浅田選手はフリーではルッツが1つしか入りませんでしたが(ルッツからの連続ジャンプがないため)、そのかわりに不動のフリップ、ループがありました。なんで、トリプルアクセルは失敗、ルッツはエッジで減点でも、勝てたんですね。安藤選手を世界女王にしたのは3ルッツ+3ループと言っていいでしょう。4回転ではないんです。むしろ4回転を入れようとすると安藤選手は負けるんです。それはやはり、今季も同じ。浅田選手も3A失敗しつつも、3F+3T、ショートで3F+3Lo、それにエッジ減点されながらルッツを決めて女王になりました。ルッツはだいたいトップ選手は跳びます。だから、セカンドに3回転が跳べるかどうかで、世界女王になれるかどうかが決まると言っても過言じゃないわけです。それが今年は、セカンドのループ認定しない攻撃で、今は奪われてしまったんですね。安藤選手、浅田選手とも。で、今季始まってすぐに、Mizumizuは「今年はキム・ヨナの年」だと書きました。今回世界選手権での結果を見て、「どうして今季の浅田選手の演技を見ないうちにわかったんですか」というメールを数多くいただきました。そりゃ、もちろん日本人ですから、日本人選手に世界女王になってほしかったですよ。今年はキム・ヨナのもの――そう思ったのはいくつか根拠があります。まずは昨季のジャンプの調子。昨季、実は浅田選手は物凄く多くの課題をジャンプに抱えてしまっていたんですね。まずは最大の武器、トリプルアクセルの確率が悪い。これはその前、つまり女子としてはジャンプが難しくなる時期にステップからの3Aなどという無謀なことをやってしまったのが一番の原因だと思いますが、とにかく、浅田選手は3Aが不安定で、決めたとしてもツーフットになりやすいのが、Mizumizuは非常に気になってました。ツーフットといっても、両足で着氷してしまう(回転不足ということ)ほどではないんですね。ただ着氷時にフリーレッグが「こすって」しまう。この原因は身体的なものです。腹筋・背筋が弱いから浮き足を持ち上げてキープできない。今季3Aが跳べるのか、跳べなくなるのか、実は昨季の浅田選手はギリギリのところにいたと思います。それから、ルッツ。エッジの減点が始まって、矯正を迫られました。昨季はこれを正面突破することにして、あえて本格的な矯正はしませんでした。つまり今季に入る前に矯正しないといけなかったんですが、これがちょっとやそっとじゃできないことは他の選手を見れば明らかでした。それを教えてくれたのが、昨季に入る前にいち早く矯正に取り組んだ安藤選手だったんですね。去年彼女はルッツとフリップが不調で、コケまくりでした。「フリップを矯正してるんだけど、そしたら(元来彼女が得意である)ルッツも乱れちゃって…」と言った安藤選手を、「まだ安藤が言い訳してるよ」などと叩く人がいるのが悲しいですね。ああいう無用のバッシングをするから、安藤選手は精神的に不安定になり、インタビューで何を言っていいのかわからなくなるんです(でも、世界選手権でのインタビューを聞くともう大丈夫だと思います)。彼女の言ってることは本当です。逆に考えるべきでした。「安藤選手ほどのジャンパーですら、矯正というのは難しいんだ」。実際に、アメリカ選手を始め、矯正はなかなか進みませんでした。ルッツを直したらフリップが曖昧なエッジになる。逆もそうです。ルッツとフリップはペアで乱れてしまうんですね。浅田選手は安藤選手と違って今季に入る前からの矯正になりました。これがまた非常に難しい課題です。それと、セカンドにもってくる3ループと3トゥループの問題です。3ループは昨季はちゃんと降りればわりあい認定されてましたが、ショートでの自爆が多かった。3トゥループはいつも回転不足です。ダウングレードされるのは3Tのが多く、回りきって降りてこられる確率で言ったらキム選手のほうが圧倒的に上でした。よく「キム選手のセカンドの3Tの回転不足は見逃されてるんじゃ」というメールをいただきました。たしかにちょっと足りてないのが認定されていたのは確かですが、あくまで確率で言ったら、浅田選手のセカンドの3Tのほうが回りきって降りてくる確率は低い、というか、いつも不足でした。昨季の世界選手権のフリーでは後半の3ループはダウングレードされましたが、最初の3Tは認定してもらって助かりました。もう言ってしまったことですが、あの3Tは回転が足りてませんでした(4分の1以下だとジャッジが判断したということですね)。3A、ルッツ、セカンドの3回転にこれだけ多くの問題をかかえたまま浅田選手はそれでも女王になったんですね。一方のキム選手は、個々のジャンプには問題はなかったんです。ただ、滑りきる体力がなかった。日本のメディアは浅田選手が勝つと「相手のミスに助けられた」と書き、浅田選手が失敗して負けると、「浅田は精神力が弱い」などと叩きますが、まったくの見当違いです。ジャンプミスというのはシステマティックに起こります。昨季は、浅田選手に対抗するために組んだジャンプ構成を、他のエレメンツをこなしつつ跳ぶ力がキム選手にないから失敗してたんです。つまりキム選手の最大の問題は「体力」だったんですね。で、今季。入れなければいけないエレメンツが1つ減ったことで、体力に不安のあるキム選手は助かりました。そして初戦。3ループは失敗しましたが、これは2Aでカバーできる、つまり今年は去年よりジャンプ構成を落とすことができたんです。来年はもう落とすことはできませんね。落とすとなると世界女王になるための最大の女子の武器、セカンドの3Tを2Tにしなければなりません。そして、今季のキム選手のプログラムの振付。これが非常によかった。キム選手の最大の長所は「のびるスケーティング」です。それと連動しますが、「氷をつかむ力」が抜群です。これは安藤選手と比較するとわかります。安藤選手は脚のバネではキム選手に勝りますが(ループが得意なことで証明できます)、実は氷をつかむ力が弱い。だから、安藤選手は思わぬところで転倒したり、つまずいたりします。あの失敗がキム選手にはないでしょう?つまり、キム選手は水平方向に滑っていくときのスキルが非常に高いのです。しっかり氷をつかんで進み、ストロークが長く、スピードを自由にコントロールできる。さらにエッジ遣いも深い。キム選手が滑ると、エッジが氷に張り付いているように見えます。これを「スネーク・ストローク」と個人的に呼んでいます。まるで蛇が進んでいくように見えるからです。このスネーク・ストロークが一般の人に「美しく見えるか」というと、それはまた別問題です。ただ、スケートを見てる人間なら、滑るテクニックが非常に高いことはわかるはずです。では、短所は? 実はキム選手は動的で細かいステップを長く踏んだり、回転動作を交えながら素早く移動していくことができません。これは浅田選手に圧倒的に劣っている点です。キム選手のスケートの技術は荒川選手に似ているかもしれませんね。荒川選手にも同様の短所と長所がありました。浅田選手はあの驚異的なステップを長く続ける体力と技術があります。「あんな難しいステップを最後にもってきたら、ジャンプを入れると、ステップでコケる」と今シーズン予言しましたが、ありがたいことに(苦笑)、ハズれました。最後の世界選手権では、心身ともに疲れ果て、かなりステップは劣化してしまいましたが、とりあえず、あの難度の高い、長いステップのパートを、コケたりつまずいたりせずに滑りきりました。本当に浅田選手の体力と技術は凄いです。スケートの技術と一言で言いますが、何に着目するかで、高い低いはかわってくるんですね。今季のキム選手の振付は、彼女のスケートの長所を活かし、短所をなるたけ補うように工夫されていました。それはステップの部分。細かく動的なステップを長く踏めないキム選手は、たとえばストレートステップのときは、深く弧を描きながらスピードの緩急をつけて滑ってきて、緩めたところで、腕のふりを使った上半身の動作を入れ、次に素早いステップを入れていました。このときのステップの時間は長くありません。でも、長くなくていいんですね。レベルが取れれば。スピードの緩急に、短いけれども細かなステップを組み合わせる。これはキム選手の長所を活かし、短所を補う見事な振付です。そこに、ジャンプをしたり、素早いターンを入れたりして、得意のポーズを見せます。このポーズは、実はわりとワンパタで、腕を大きく使いながら、ぐっと素早くターンし、肩越しに振り返り、片足を曲げて、別の足は伸ばす。この基本動作に、腕のポジションを変えたりするなど、少しバリエーションをつけたものなんです。バレエ好きとフィギュア好きはわりと重なりますが、バレエ好きの方が「あればっかりで退屈」と言うのは、バレリーナのようには、腕そのものの動きもあまり続かず、躍動する動作の美しさがなく、ポーズの美に頼ってるからなんですね。ただ、エッジ遣いを含めた氷上の表現としては、高く評価できると思います。それと新しいプログラムを見せるときに、必要なのが、「新鮮さ」。昨季までのキム選手は、東洋的な憂いを含んだ振り付けが多かった。今季のショートは、いわば「疾走する死」がテーマ。キム選手はエレガントさには欠ける選手です。表現力はありますが、どこか「いびつな」感じがします。それを好む人も嫌う人もいると思いますが、とにかく独特の個性であることは間違いありません。キム選手のショート『死の舞踏』では、「恐怖」が表現できていたと思います。対してフリーはアラビックな妖艶さを出していました。これも得意のポーズの美しさを活かしながら、ショートとは違う世界を表現するのに成功してましたね。2つともキム選手の長所を活かし、短所を補う素晴らしい振付です。振付全体には、太田選手やクワン選手の影響は顕著ですが、それでもショートとフリーのコントラストはうまくいっていましたし、ちょっとした音の使いかたも、振付全体に余裕があるので、うまく見せていました。むしろ、これ以上のプログラムを来季に作るのは大変です。そしてジャンプの調子もいい。去年のように後半明らかに体力がなくなり失速することもなくなっていました。ループはダメですが、あれははずせばいいことです。浅田選手のように多くの課題はもともとなかったし、別に新しいジャンプをやっているわけではない。つまり、とても安定した、減点ポイントの少ない演技だったんです。浅田選手が克服しないといけない課題を考えると、今年はキム選手の年だな、と思ったんですね。浅田選手の今季のプログラムは「挑戦型」で、あれはあれでよかったと思いますよ。昨季ジャンプでかかえていた問題の克服具合も、予想よりずっとよかったです。ただ、ルッツが心配ですねぇ… それとセカンドの3回転を回転不足なくもってこれるのか。ちょっと情報筋はまだ明かせませんが、ダウングレード判定に関しては、内部からも非難・批判の嵐だそうで、来季はどうなるか、まだわかりません。今より緩くなるのかもしれませんが、そうなったとしてもループは依然として危険です。で、ロシェット選手に話を戻しますが、現在女王のキム選手が構成を下げられないのに対して、ロシェット選手の場合、フリーのジャンプの構成をまだ下げることができるんです。つまり2回転になってしまったループのかわりにダブルアクセルを入れて、ダブルアクセル3回の構成にする。今の採点では、ミスして点を失うと負けます。だからスピンとステップとスパイラルのレベル取りに失敗しないぐらいのジャンプ構成にしないといけません。<続く>
2009.04.05
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4月のホーチミン旅行で、レストランで頼んだロータスティーがほとんど当たらなかった話はすでに書いた。渋かったり、薄かったり。それでも、ロータスティーは好きなので、ホテル(ザ・レヴェリー・サイゴン)の隣りのラッキープラザにあるスーパーで買ってみた。」特に選んで買ったわけではない、適当買い。写真では分かりにくいがLotas Teaの上に茶色の文字でHoa Senと書いてある。この意味は蓮花茶、つまり緑茶に蓮の花の香りをつけたもの。ロータスティーの中でのla senと書いてあったら、それは蓮葉茶(蓮の葉を乾燥させたお茶)、tim senだったら、蓮芯茶(蓮の実の芯を乾燥させたもの)を指すらしい。が、一般的にロータスティーといえば、蓮の花の香りをつけたhoa senが出てくる。日本ではあまり流通していないのだが、流通しているこの手の、いわゆる「緑茶のフレーバーティー」の中で、一番近いのはジャスミンティーだろうか。ジャスミンティーより、さらに香りがフローラルで独特の甘みがある。さわやかだが、主張の強いこのクセが日本人には好まれないのかもしれない。MizumizuもMizumizu連れ合いも、大好きなのだが。さてさて、テキトー買いしたロータスティーだが、淹れてみたら、ことのほか美味しいではないか!ホットでもアイスでも、簡単に美味しくできる。ホットなら60℃ぐらいのぬるめのお湯で。3グラム(少な目の茶さじ1杯)に150cc。抽出時間は短めで2分ぐらいで十分。アイスの場合は、3グラムに冷水500ccで、冷蔵庫で2時間~。「~」と書いたのは、時間による味の変化を楽しめるから。2時間ぐらいだと苦さがあまりでないが、やや薄い。2時間以上になってくると置けば置くほど、渋みが強くなる。今は夏なので、もっぱら朝起きて、アイス・ロータスティーを作り、お昼前からお昼過ぎにかけて飲むのが楽しみだ。素人でもこんなに簡単に美味しくできるのに、ホーチミンのレストランでのロータスティーのイマイチ感は何だったのだろう。
2017.07.29
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これまで銀座エリアである程度の規模のある高級ホテルといえば「帝国ホテル」だったと思う。「西洋銀座」も非常によいホテルでホスピタリティには定評があるが、77室とあまりにキャパが小さいし、中に入れば素晴しい雰囲気だが、周辺環境がよくない。西洋銀座のようなアットホームな高級ホテルを好む客は、いかにゴージャスなつくりとはいえ、大規模ホテルは敬遠する場合が多い。だから、西洋銀座のお客と帝国ホテルのお客は最初からあまり競合しないようにも思う。だが、「ザ・ペニンシュラ東京」は間違いなく帝国ホテルにとっては脅威だろう。ペニンシュラは300室あまりと、帝国ホテルの3分の1ほどのキャパだが、その分お客に目が行き届くだろうし、グレードも高くして顧客層を絞っている。アジアの名ホテルとしてのグローバルなノウハウも帝国ホテルよりありそうだ。これまで帝国ホテルを利用していた海外の富裕層がペニンシュラにある程度取られるのは仕方ないかもしれない。では、日本人はどうかというと、案外ペニンシュラには流れないような気もする。実際に建築を見てそう思ったというのもあるが、帝国ホテルには、ザ・ペニンシュラ東京にはない「銀座エリアのホテルとしての歴史」というものがあるからだ。Mizumizuの亡父も生前、帝国ホテルの「アクアラウンジ」を愛用していた。シングルモルトのウィスキーに目がなく、しかもXX年モノ以上というこだわりがあった亡父にとっては、そうしたお酒を出すことができ、サービスもよく、サイドディッシュもおいしく、夜景も楽しめる帝国ホテルのアクアは嗜好にぴったりだったのだろうと思う。こうしたある程度以上の年代の日本人にとっては「帝国ホテル」ブランドというのはなかなか威力がある。紀宮様の結婚披露宴というのも何だかんだいってブランドイメージを上げたと思う。ペニンシュラは確かにロケーションはいいが、敷地が狭いという印象はぬぐえない。新参者のツライところだろう。ロビーのカフェ「ザ・ロビー」も、香港のそれは東京よりずっとゆったりしている。東京の「ザ・ロビー」はあまりにキチキチしすぎて、優雅な雰囲気がない。帝国ホテルを見上げると、亡父とのアクアでの時間を思い出す。サイドディッシュで特に父とMizumizuが好んだのが、アナゴを使った簡単な料理だった。ところが、アナゴと何を組み合わせていたのか思い出せない。電話をして聞いてみたら、もうそのメニューはないとのことでハッキリとわからなかった。確かアナゴとフォアグラだったような気がするが、違うかもしれない。亡父はこれを「おかわりください」といって追加注文していた。英語もフランス語もできる人だったが、日本語になると突然「おかわり」などと言うのがおかしくもあり、多少恥ずかしくもあった。父が亡くなる直前、アクアからキープしているボトルの期限が迫っていることを知らせるはがきが来た。連絡をもらえれば延ばせるという。父が元気になってアクアにもう一度行く可能性がないことは、そのときすでにわかっていたのだが、電話をして延ばしてもらった。そして、亡くなったあとに家族で亡父の残したグレンへディックのボトルを空け、おいしいサイドディッシュを堪能した。こうしたちょっとした家族の想い出を帝国ホテルにもっている日本人は案外多いような気がする。その土地での歴史というのは、ホテルにとっては大切なことだ。外資のホテルが日本でこうした歴史を作っていくのは並大抵のことではない。だから、やはりペニンシュラは海外の顧客をターゲットにしていくのだと思う。確かオーナーはユダヤ系。その方面の人脈もありそうだ。香港でのブランドイメージはバツグンだから、中国人のお金持ちもペニンシュラを選ぶかもしれない。帝国ホテルのアクアには白人も多かった。ああいった顧客がペニンシュラに流れるのもあるだろうな、と思う。だが、日本人で1泊6万出してもいい、というほどのお金持ちは案外いないのだ。だがしかし、ザ・ペニンシュラ東京の公式ホームページはあまりにシャビーでひどすぎる。もうオープンしたのだから、情報を早く充実させてほしいもの。英語圏ではあの程度のもので許されるのかもしれないが、日本のホテルの百花繚乱の工夫を凝らしたホームページと比べると月とスッポン。あれでは泊まる気になれない。ホームページがあまりにわかりにくいので、ホテルで聞いたところ、2Fに広東料理のヘイフンテラス、上階にバーとフュージョン料理(イタリアンとフレンチを組み合わせた料理だとか)のレストランを併設したPeterがあるそうだ。ランチはそれぞれ4000円台からのよう。広東料理はイイかもしれない。今度はちゃんとバレットにクルマを預けて(笑)、食べに行ってみよう。ところで、スイーツだが昨日ご紹介したマンゴープリン以外はちょっと期待はずれだった。これは「ヤムヤム」というネーミング。yum yumとは英語で「おいしい」という意味。でも、どうみてもサントノーレにしか見えないんですが…(苦笑)。3つのプチシューに違ったクリームを詰めたということだった。サントノーレはとても手のかかる菓子だ。パートシュクレ(土台になるパイ生地)とプチシュー、それにクリームのアンサンブル。プチシューはカラメリゼしてあるのが基本(あくまでMizumizuの中では)だが、ペニンシュラのヤムヤムはチョコレートコーティングとちょっと廉価版(笑)だった。パートシュクレもイマイチ薄いし、クリームもケチくさい量。売り物の味の違うプチシューのクリームも、実はほとんど違いがわからなかった。というわけで、どうも作るのが面倒なサントノーレを全体的に廉価版にした、という感が否めないスイーツだった。これでyum yum(おいしい)とお茶を濁されるより、正統なるサントノーレを買ったほうがいいなぁ。サントノーレでクリームをケチったら、もうそれで高級感がぐっと落ちる。クグログもあったので、思わず買ってしまった。が、実はこれもネームプレートをみて、「え? クグロフ? これが?」と意表をつかれたのだ。クグログはアルザスのお菓子だが、フランスのものというようりドイツ語圏の焼き菓子といったほうが正しい。斜めのうねり模様がはいったドーナツ型がよく見る形だ。小さなクグロフは穴があいてないものもあるが、ペニンシュラのクグロフは砂糖をコーティングしていて、ブリオッシュのうねり模様が見えない。でも、上にのったオレンジの砂糖漬けが美味しそうだったので、試してみた。結果は… あっ、甘い! ブリオッシュ自体はお酒が効いていておいしい「ような気がする」のだけれど、表面の砂糖がメチャ甘くてビックリ。甘みにはかなり強いMizumizuでもかなり衝撃を受けたので、「甘さ控えめ」が好きな人には耐えられないかも… オレンジももう少し苦味や酸味を残してもいいような気がする。とにかく、全体的に甘すぎてブリオッシュの出来具合については詳しい論評が不可能となってしまった。クグロフはやっぱりブリオッシュの焼き方で勝負してほしい。ううむ… 日本以外のアジアではこのレベルで十分高級スイーツなのかもしれないが、東京では、ダメでしょう。
2007.10.10
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<きのうから続く>個人的にはダウングレード判定をなくし、2Aはフリーで2度までにすべきだと思っています。2Aは加点も含めれば3回転と同様の点が得られる、つまり3回転と同様の評価が与えられます。ならば3回転ジャンプと同様に2度とするほうが筋がとおっていますね。しかも、今回世界女王になった選手はループをはずし、サルコウを失敗した選手です。ループとサルコウがなく、2Aを3度入れる、と言ったら全日本の村主選手と同じじゃないか、と思うかもしれませんが、決定的に違うのは、セカンドに3回転をもってこれることです。ロシェット選手もシーケンスで3+3が跳べます。ただ、キム選手のジャンプ構成のバランスが悪いのは確かで、ロシェット選手までループ回避で2Ax3をやりだしたら、ますます女子のジャンプの技術は劣化します。逆に村主選手は世界選手権では全日本では回避した3サルコウを入れて2Aを2つにする、(彼女にとっては)難度の高いジャンプ構成にして、失敗が出ましたね。ロシェット選手のフリーのジャンプはループが2回転になった(というか、2回転にしたというか)だけで、他に大きな減点になるミスがないんです。つまり、サルコウが2回転の回転不足の失敗になったキム選手(しかも、キム選手はルッツと3Tがやや足りなくなることが多い)よりジャンプのまとめはよかった。これが現在の採点では強いと思います。スピンやステップやスパイラルでレベルを落とさず、加点ももらえる演技をしつつ、ジャンプのミスをしない。これがまさしくトータル・パッケージです。ロシェット選手は、踏み切り時の判断で2回転に落としてジャンプをまとめることがわりとできる人で、すっぽ抜けの失敗は少ない。今回2ループで加点もついてます。(かつての荒川選手)、安藤選手もすっぽ抜けの失敗が少ない。キム選手、浅田選手は、なぜか3回転ジャンプが、すっぽ抜けか転倒になる選手なんですね。伊藤みどりが、ショートの浅田選手の3F+3Loのループがシングルにすっぽ抜けるのを見て、「あ~、ここはせめてダブルにしないと。真央ちゃんならできると思うんですが、なぜ…」と言ってました。実におもしろい発言ですね。つまり伊藤みどりにとっては、3回転のつもりを踏み切りのときの一瞬の判断で2回転にすることは、わりあい簡単にできたんです。「せめて」という言い方にそれが表われていると思います。伊藤みどりの「すっぽ抜け(パンクともいいますが)」の失敗などほとんど見たことがありません。アルベールビル・オリンピックのフリーでは3Lz+3Tのつもりを、やはり一瞬の判断で2Lzにして、セカンドを3Tにもっていってましたからね。このジャンプのフレキシビリティ(と一応言っておきます)がない選手は、今のルールでは、3回転のところが2回転の失敗やら、1回転の失敗やらになってしまうので、失う点が多いんです。キム選手と浅田選手はこの失敗の可能性が高いんですね。ロシェット選手はループを入れても、他のエレメンツに取りこぼしがないので、プログラムの完成度は実はキム選手以上ともいえます。しかもループをはずしてダブルアクセルにかえることもできる(つまりまだ難度を落とせる)。個人的にダブルアクセルを苦手とするトップ選手もたまにいますが、ロシェット選手の場合は得意です。特に着氷時のフリーレッグのあげ方は女子のレベルを超えています。あそこまで脚を持ち上げられるのは、脚の筋力だけでなく、腹筋・背筋の力が抜群だということでしょう。だから、3ループで危険をおかすより、2アクセルで加点を狙ったほうが点はのびるかもしれませんし、ループをアクセルにかえて、「本当にノーミス(かつ他のエレメンツも高レベル)」で滑れる可能性は、実はキム選手より高いんです。ただ、キム選手と比較した場合、セカンドに3回転をもってこれない(今のところは。ただ年齢的にも来季にできるようにするのは難しいと思います)というのが痛いんです。そのかわり3Tと3Sをシーケンスでつなぐことができます。ただ、やはり連続ジャンプで3Tをルッツかフリップにつけられないと、その年の「絶対的世界女王」にはなれないかもしれませんが、キム選手だって神様じゃありません。セカンドの3Tをダウングレードされたり、失敗したりしたら、ロシェット選手のほうが上に行く可能性は大きいんです。表現力だって、今はあまり評価は高くないですが、今季で銀メダリストですから、来季、彼女の個性に合うプログラムを作れば、もっと高い点が出るはずです。彼女だって、素敵な個性をもっています。EXのボンドガールなんていいですよね。ああいったモダンな振付は、キム選手や浅田選手には合いません。それで来季、ジャッジが徐々に演技・構成点を上げていけば、五輪で金メダルも十分あります。つまり、難度の高いジャンプを他のエレメンツのレベルを落とさずに決められる力がある、ということなんですね。それがロシェット選手の強さで、これを支えてるのは、苦手な3回転ジャンプがない、というバランスのいいジャンプの力です。3ループだって跳べないわけじゃないです。キム選手は、ループは危険すぎる、サルコウも確率が悪くなってきた… つまり劣化してるんですね。これを来年19歳という女子にとっては難しい時期に上げていくのは非常に大変で、逆にチャレンジしたら失敗する(他のジャンプにもっと影響がでるなど)可能性のが高いです。今季の傾向を見ても、難度の高いプログラムにしようとすると、点が逆にさがってしまいます。アボット選手は、4回転入れようとして4大陸で自滅、キム選手は4大陸でループに挑戦して点を落としてしまいました。ですから、キム選手はループには挑戦せず、ダブルアクセル3回で行くハズです。そのほうが点が出ますから。あとは劣化との戦いです。日本スケート連盟としては、フリーで挿入可能なダブルアクセルの数は2つにすべきだと主張することです。ダウングレード判定をなくし、2Aを2つにする。そうすればルールは今よりずっとフェアで、バランスのよいジャンプ力を見ることのできるものになりますね。「来年のキム選手はどうなりますか?」と聞かれることも多いのですが、もちろんわかりません。わかりませんが、いいシナリオと悪いシナリオがあります。いいシナリオは現状キープです。ジャンプ構成の難度を上げてくることは、ほぼ考えられません。今であの銀河点ですからね。むしろ、来年も同じプログラムで来て、サゲられたらまたあのカナダの英雄オネエ… じゃない、ミスター・トリプルアクセルが、「去年と同じことやって、完成度高めてるのよ! 点が低すぎるわ!」なんつって文句言ったりね(笑)。このいいシナリオにもっていくためには、ウエイトコントロールと筋力トレーニングですね。19歳は非常に危険な年齢です。跳べてたジャンプが跳べなくなる人も多い。キム選手もすらりと長い手足をもっていますが、普通はああいったスタイルのいい選手はすぐに跳べなくなることが多い。でも、キム選手はジャンプに関しては、ジュニアから今まで「年齢にともなう大きな乱れ」に遭遇してないと思います。1つには、ジャンプ構成を変えずにきたのが大きいと思います。昨季の不調は怪我が主ですので、年齢にともなうものとは違います。この「大きな乱れ」がいつ起こるのか… 来年なのか、再来年なのか、わからないんですが、女子選手はほぼ必ず、この乱れに遭遇します。キム選手の身体の変化を見ると、来年にそれが重なる可能性が高いんです。去年から今年、キム選手はすらりと美しい女性らしい体形になってきましたよね。あれで腰から下に肉がついてくると大変です。ですから、ウエイトコントロールと筋力トレーニングを並行してやって、この「乱れ」をなるたけオリンピック後までのばすのがキム陣営の最大の課題。この時期に新しいジャンプ(つまりはプログラムにループを入れること)に挑戦すると、逆にダメになってしまうので、それはやらないと思います。マイズナー選手は世界女王になったあと、シニアに上がってくる浅田選手対策として、トリプルアクセルに取り組んで、結局他のジャンプまでダメになりました。そこにエッジ違反が重なり、これに引っかかったためますます泥沼に。マイズナー選手の場合はむしろ、「トリプルアクセルが練習では跳べる」能力があったために、これが凶と出てしまったんですね。年齢的には浅田選手も同じなんですが、浅田選手の乱れは、むしろ去年だったんじゃないかな、と思います。今年は3Aが抜群に安定してきました。2度は難しくても、1度ならまず入る。ルッツはエッジ違反にともなうものなので、別に劣化したわけではありません。浅田選手は、3A着氷時の「フリーレッグのこすり」をほぼ克服しました。ツーフットになったのは、最初のフランス大会だけ。トレーナーをつけた結果が出てると思います。あの浅田選手のそばにいるお兄さんは、たいしたものです。世界選手権の結果が4位だったからといって、成果が出なかったなどと誤解してはいけないと思います。むしろ、筋力トレーニングの成果は、思った以上に早く出たと見るべきです。あのお兄さんには、ずっと頑張ってほしいと思います。同じく難しい19歳に差し掛かりますから、筋力トレーニングはしないと。連盟が横からクビだとか、言わないといいんですが…<続く>
2009.04.06
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北海道にマンガミュージアムを!大和和紀&山岸凉子展 (hokkaido-life.net)に展示された(らしい)山岸凉子の「手塚先生との思い出」。山岸凉子が紡ぐ、この日のお話は、雪の札幌という背景もあいまって、一種幻想的なシンデレラストーリーのようにも思える。デパートの催事場で漫画の神様の神技に驚き、喜ぶ大衆。必死に声をかける漫画家志望の高校生。多忙にもかかわらず、常識的なハードルを設けたのちに、熱意ある漫画家のタマゴの作品を見てくれる手塚治虫。山岸凉子の兄の態度も素晴らしい。当時は大学生だったということだが、今の大学生よりずっと大人だ。手塚治虫の「予言」どおり、すぐにデビューした大和和紀。デビューまで数年を要したのち、誰もが知る少女漫画の大家となった山岸凉子。その彼女が、「私はあの時の手塚先生のように読者や漫画家を目指す人たちにやさしくできただろうか」と自問するラスト。手塚治虫が「神様」なのは、その作品が漫画のお手本であるということも、もちろんあるが、それだけではない。非常に頭がよく、絵に情熱をもち、かつ優れたストーリーテラーの素質をもつ稀有な若い才能を日本全土から「漫画家」という職業に引き込んだからなのだ。今の漫画を見ても、漫画家には優れた作画の技量だけでなく、幅広い教養が必要だということが分かる。漫画家を目指す若者に、手塚治虫がどれほど親切だったかは、こちらのエントリーでも紹介した。自らの作品と人柄で、漫画家の種を蒔き続けたという業績は、まさに神の名にふさわしい。なお、山岸凉子『手塚先生との思い出』は、【手塚治虫文化賞20周年記念MOOK】マンガのDNA ―マンガの神様の意思を継ぐ者たちで全編が読める。
2024.03.27
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バンコクはエビは総じて美味しかったのだが、なんといってもお薦めなのが、blue river prawn。これは日本ではあまりなじみのないエビだが、タイではポピュラー。プリプリとした身は臭みのない上品な味。blue river prawnはその名が示すとおり、淡水の手長エビ。生で見ると、確かにハサミは相当青かった。こちらは屋台で食べたblue river prawnのグリル。この店は調理がうまくなくて、今回バンコクで食べたblue river prawnでは唯一ハズレだったのだが、blue river prawnのお姿はよくわかる。ハサミは長く、青い。イタリア料理で最近は東京でもポピュラーになってきた「スカンピ」とは棲んでる場所が違う。スカンピはむしろ深い海にいる。フランス料理の「ラングスティーヌ」も同じ。ハサミが長いから手長エビと呼んでしまっているが、正しくは「アカザエビ」。手長エビはblue river prawnがそうであるように、淡水性が基本。オリエンタル・バンコクでは、「サラ・リム・ナーム」(タイ舞踊付きでセットメニューだけしかない室内レストランではなく、アラカルト用のテラス席にもっぱら行っていた)でも「ザ・ヴェランダ」でも、blue river prawnを使った料理が食べられる。サラ・リム・ナームはタイ料理専門でザ・ヴェランダはインターナショナルの中にタイ料理の区分もあるという感じ。タイ料理に関しては、サラ・リム・ナームのほうが総じて上だと思うのだが、ザ・ヴェランダのほうがカジュアルで入りやすいかもしれない。ランチとディナーの間にクローズ時間もないので、午後はいついっても混んでいた(先月はそんなでもなかったのだが)。ザ・ヴェランダは冷房の効いた中の席と、テラス席がある。テラス席は白人に大人気。アジア人のがむしろ中を好むよう。中の席に向かうときは、こんな感じの廊下を歩く。ここのblue river prawnのレッドカレーはイチオシ。個人的にはちょっとショウガがきつすぎたのだが、連れ合いはちょうどいいと言っていた。濃厚な甘辛いレッドカレーのソースに、新鮮なblue river prawnが鎮座している。ライスは自動で付く。ただ、ちょっと残念なことに、たまたまだと思うのだが、カレーもライスも少し冷えていた。もっと熱々だったら美味しかっただろうに。混むテラス席は避けて、テラス席を見渡す窓際に座ったときの写真。窓の向うにはパラソルが並び、チャオプラヤー川が少しだけ見渡せる。タイに来たら、これ食べなきゃ! の代名詞、パッタイとパパイヤサラダ。パッタイはおそらく屋台の10倍の値段(笑)。でも、さすがに洗練されていて美味しい。麺ももちもちだった。ちなみに、全然タイ料理を知らない方のために、おおざっぱに説明すると、パッタイとは平たい米麺を焼きそば風にしたようなもの(かな?)。パパイヤサラダは甘くて酸っぱいさわやかなソース。ナッツの硬い食感、パパイヤの弾力性に富む食感など、さまざまな食感が楽しめる一品。もち米が自動的に付く。パパイヤサラダは多少青臭い風味があるので、受け付けない人はまったくダメかもしれない。ザ・ヴェランダには中華もイタリアンもある。こちらは中華のワンタン麺。エビのすり身の入ったワンタンはさすがに絶品。ただ、スープや麺はややダメ感あり(笑)。やっぱりタイは中華料理はイマイチ。見た目もインスタントっぽいような?(笑)。ザ・ヴェランダの料理の一部はプールでも食べることができる。西側の「カバナ」(天蓋付きスペースのことをカバナと呼ぶ。「どこに座りますか?」と聞かれて、「カバナ」とさらっと答えられたら、オリエンタル・ホテルの常連)でパンプキンスープを頼んだときのショット。西側のカバナからは川が見える。目の前のプールは子供用の浅いプール。スープを頼むとパンが自動的に付いてきた。このパンも美味しい(朝のブッフェとはえらい違い)。ココナッツを隠し味に使ったパンプキンスープはベルベットの滑らかさ。スープの表面に描かれたかぼちゃの絵がカワイイ。ただ、先月に比べると、明らかに客数に対してボーイの数が足りない。プールはいつも、ものすごく混んでいたし、先月は黙っていても、ちょっとした冷たいデザートやオシボリがどんどん出てきたのだが、今回はほとんど何も出なかった。やはり、オリエンタル・ホテルはシーズンオフに行くべし。焼き飯と大好きなポメロ・サラダ(左)。焼き飯はとても味付けが淡白。自分で調整できるように調味料が付いてくる。焼き飯にはカレー風味のヤキトリがなぜか添えられていて、これをピーナッツソースでいただくのだが、このピーナッツソースが絶品。ポメロ・サラダは前回行ったときに気に入ったもの。これだけは、サラ・リム・ナームよりザ・ヴェランダのほうが美味しいと思う。この写真は東側のプールにしつらえたカバナで撮った。カバナは陽が当たらなくていいのだが、日焼け命の白人には案外人気がない。写真の木の間越しに、ものすご~くゴツい筋肉美を誇るゲイ・カップルがなんとなく写ってしまった(ネットでは見えないかも)。男性同士のカップルはオリエンタル・ホテルではまったく珍しくないのだが、筋骨隆々派は雰囲気が明るく(まさしくgay)、明らかに体育会系のノリで、プールに勢いよく飛び込んだりする。彼らが2人で入ると、プールはそれだけで狭くなる(わけないか。でも心理的に)。彼らが来る前に、オシャレ系の線の細い男性同士のカップルがいた。レモンイエローとピンクのリネンのおそろいのシャツ(高そうなのがすぐわかる)に、皮ひもに重たげなシルバートップの下がったおそろいのペンダントをして、似たような短髪の凝った髪型。彼らはひそやかにやってきて、長イスに寝そべり、静かに、泳ぐでもなく日光浴をしていたのだが、この筋肉派がこれみよがしにタクマシイ肉体をさらして泳いだりしゃべったりしはじめると、そそくさといなくなってしまったのだった……かわってやってきたのは、もう1つのパターン。一見すると「父と息子」。でも息子は妙に美貌で(今回はマイケルジャクソン風)、父親とは似ても似つかず、そしてお母さんはいない。この「親子」は父がずっと息子の長イスの端に座り、会話していた。呆れ果てるのは、中国人のTPOを心得ない傍若無人さ。帽子とシャツを着たままプールで泳ぎ、ジロジロと周りの人間を眺めながら歩き(何様よ?)、あげくにトランシーバーでどこやらと会話してる! カクテルパーティのときに見かけた別の中国人家族は、なんと背負ったリュックに水までくっつけて、街歩きをするようなみずぼらしいスボン姿でやってきて、わるびれもせず写真をとりまくっていた。シルクのミニドレスで肩を出し、本格的にメカしこんだ白人の女性が呆然と眺めていた。彼らはどんなに場違いな振る舞いをしても、常に堂々としているところがスゴイ。まさに阿Qだ。もちろん夏休みなので、小さな子供も多かった。会話はドイツ語ありロシア語あり。東側のプールは深くて子供だと足がつかないのだが、ものともしないではしゃいでいた。だが、あまりに混みすぎてプールの水は先月より明らかに汚い。先月は静謐につつまれていたプールが、まったく別の場所のようだった。追記:ロビーで再び会った筋骨隆々派カップルは案の定、オシャレにはまったく興味がないようで、よれよれのTシャツにGパンだったのだった。見あげるほど背が高く、ひたすらゴツい、big guyたちだった。
2008.07.27
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<昨日のエントリーから続く>ホテルの外観はタクシーのフロントウィンドウから見えるものの、かなり手前で停めた運転手。27,000ドン(135円)のところを40,000ドン(20,000ドン札2枚)出して、「テン、プリーズ」と言うMizumizu。お釣りは10,000ドンでいいから、という意味だ。ところが、この運転手、物凄い勢いでかぶりを振り、「ノー、ノー、ノー、セブン!」と叫ぶ。セブンというのは7,000ドン(35円)のこと。だから、細かい札は持ってないっちゅーの。それはさっきの「故障タクシー」の請求を踏み倒したところで、アンタ見てたでしょーが?「ノー、ノー、テン!」。Mizumizuもひるまず20,000ドン札2枚を手に強く言う。「ノー、ノー、ノー、セブン!」またも言い返すドライバー。そして、「なぜか」厚めの新聞紙を広げて、そこに何か数字を書いた…か、書く真似をし、その新聞紙をこっちに突き出しながら、「セブン! セブン!」となお大声を出している。厚めの新聞紙を広げてこっちに突き出すなんて、まるで、ヨーロッパのスリみたいだ。だいたい、目的地はここじゃないじゃん。ホテルの名刺を渡して、「もっと直進して…」というゼスチャーをしてみたが、室内灯をつけて、そこにわざとらしく名刺を近づけ、「ココだ、ココ」と言い張る。ホテルは見えてるが、距離はある。そんなところで停まるなんて、後ろ暗い証拠でしょう?しかし、あまりにしつこいので、仕方なく、入ってないと知りつつ細かいお札をさがすフリで、ウエストポーチを見るMizumizu。「イエース、イエース、セブン」←そうそう、7だよ。さがしてさがして、というような口調。さっきこのドライバーも見たはずのウエストポーチの中には、50,000ドン札が入っている。これを1枚出して20,000ドンを渡せとでもいうのだろうか? しかし、それは「70」であって「7」ではない。「ない」という意味で、「ノー、ノー」と頭を横に振るMizumizu。再び20,000ドン札2枚を持って、ドライバーのほうに突き出し、「テン、テン」と言い張る。「ノー、ノー、セブン!」負けずに言い張るドライバー。お釣りがないのだろうか? しかし、それにしたって一銭も持ってないハズはないだろう。お釣りがないなら、そう言うとか、そこまで英語力がないというなら、さっきの故障ドライバーのように、持っている小額紙幣をこっちに見せればいい話ではないだろうか?ところが、持ってるお金は一銭も見せないのだ、このドライバー。そして、新聞紙を広げてこっちに押し付けながら、「セブン!」と、ほとんど脅迫のような口調になってきた。小額紙幣を持ってないことを納得させなければいけない雰囲気だ。意に反して、ショルダーバッグのファスナーをあけるMizumizu。実は、ウエストポーチとは別にショルダーバッグの中に、財布を入れていて、そこに日本円で3,000円分ぐらい入っているのだ。だが、1,000ドンとか2,000ドンとか5,000ドンとかは入っていない。両替をしたのはホテルで、ホテルでは100,000ドンを50,000ドンと20,000ドン+10,000ドンに細かくしてくれたが、それ以下の紙幣はくれなかったし、こちらも10,000ドンとか20,000ドンあればいいでしょ、ということで要求もしなかった。今回20,000ドンが2枚あって10,000ドンが1枚もなかったのはあくまで偶然だ。ショルダーバッグのファスナーをあけて、財布の中を見て、「ノー(やっぱり、ない)」と言うMizumizu。さっさとバッグのファスナーは閉じた。すると、ドライバーは今度は後ろのMizumizu母に、新聞紙を突き付けるようにしながら、「セブン、セブン!」と言い始めた。実は、Mizumizu母はお金は持っていない。それはMizumizuは承知していたのだ。この日はホーチミン2日目。最初の日は2人で分けて5000円分ぐらいずつのベトナムドン持っていたのだが、ガイドブックや日本語のネット記事に載っているような街中のショップやレストランは、VISAだけでなく、MasterもJCBも問題なく使えるということが分かったし、何となく虫が知らせたのか、Mizumizu母が持っていたベトナムドンはMizumizuが一括して持つことにしたのだ。日本円やパスポートは全部ホテルのセーフティボックスの中。お金を持っていないMizumizu母。だが、あまりに運転手がヒステリックなので、ないことを納得させようと、財布を出して、中身を見せる。日本円の硬貨がちょっとあるだけであとは財布は空だ。「セブン、セブン!」ドライバーの追い詰めるような執拗な声に、もうしょうがなくなって日本円の硬貨を差し出すMizumizu母。一瞬、ベトナムドンのコインだと思ったのが、受け取ろうとして、外国の小銭だと気づき、「ノー、ノー」と怒ったように、また新聞紙を突き出すようにする運転手。だから、持ってないっちゅーの。もう一度、「テン! テン」と言いながら20,000ドン札2枚をドライバーのほうに見せるMizumizu。ところが、またも、「セブン、セブン」と新聞紙を下のほうで振り回す。その行動、おかしーでしょ、アンタ、完全に!さすがに頭にきて、ドライバーの腕をつかみ、降りようという仕草で、「ホテル、ホテル」と言うMizumizu。ホテルに一緒に行けば、20,000ドンをくずしてもらって、お望みの「セブン=7,000ドン=35円」を払ってあげられるからね。しかし、「ホテル」で明らかに一瞬ひるむドライバー。やっぱり後ろ暗いことがある証拠だ。タクシーのドライバーはお釣りを持っていないことがある、という情報は読んだが、まったく所持金がない、なんてことあるだろうか? このドライバーは、自分からは一銭も見せないのだ。10,000ドン札さえ持っていたら、20,000ドン+10,000ドンをさっさと渡して降りたのだが、なまじっか27,000ドンのところで停められたので、こんな面倒なことになった。ホテルは車のフロントウィンドウから見えている。もう少し走って、左折して戻れば、メーターはもっと上がってもっと稼げるハズなのだ。ところが、ホテルの前には行かず(つまり、行きたくない理由があるのだ)、「ココだ」と嘘を言い張り、さらにお釣りを出さずに、「セブン、セブン」怒ったように叫びながら新聞紙を押し付ける。そうやってスキを見て、こっちのウエストポーチかバッグから何かスるつもりなんじゃないの?降りようと言っても降りないし、もっと行けと言っても「ココだ」と言い張るし、「セブン」と叫んで20,000ドル札2枚は取らない。面倒だから、20,000ドル札2枚渡して降りよう…と普通の日本人なら思うかもしれない。行きは51,000ドンを負けてくれて50,000ドン(250円)で行ったのだし、40,000ドン(200円)払っても、まだそっちのが安い。だが、そこはMizumizu。こんなに怪しい、目的地に行きもしないドライバーに、そこまで払う気はない。20,000ドン札1枚(つまり100円)だけ渡し、ジロッと蔑むような一瞥を思いっきり投げて、車を降りた。13,000ドンのお釣りを10,000ドンでいいと言ってるのに、1,000ドンさえ見せずに、我を張ったのはドライバーのほうだ。根負けしたように、「自分は悪い人間じゃないですよ」的な顔をするドライバー。車を降りてしまったら、「なぜかもう」大声は出さなかった。Mizumizu母も降りた。人通りの多い通りだ。周囲に危険は感じない。一通の道に挟まれた広い歩道を歩き、道を渡ってホテルに着いた。人形劇が終わったのが午後6時ちょっと前で、午後7時からホテルのディナーの予約があった(ツアーに入っていたもの)。タクシーと悶着はあったが、無事部屋に着いて、ディナーのために着替える時間は十分にあった。Mizumizu母とは部屋で、やはりあの故障ドライバーと新聞紙ドライバーは結託していて、あらたな詐欺をやろうとしたのではないか、と話し合った。まず故障と言って、いくらか取る。10,000ドンとか15,000ドンぐらい。その時、お客が一人なら、前に乗せて、故障ドライバーとなんだかんだと言ってる間に、横のドライバーが、スキがあれば何かとる。あるいは物色する。完全に変な場所に連れて行ったら、悪質な犯罪者だが、ホテルが見えるあたりまで来れば、それこそ万が一スマホで通報されても、「間違えた」で、すむ。このごろの観光客はスマホを持っている。MizumizuもSimカードを入れ替えたスマホを持っていた。そして、数字が分かってない客ならぼったくり(最初に50,000ドンを出したときに、0を切るマネをしたが、そのときの客の反応で、数字がどれくらい分かっているか、分かるはずだ)、Mizumizuのように数字が分かってる客だったら、細かいお金を強い口調で要求し、そのドサグサでお金を抜く。そんな手筈だったのではないか? しかし、残念ながら、Mizumizuはスリ天国のイタリア、フランスを自由旅行で渡り歩いてきた人間。スリには狙われたことがあるが、すられたことは一度もない。イタリアの人気のない路地で、段ボールを突き出して金目のものを狙ってきた少女2人組(やり方はジプシーだが、見かけは完全な白人だった)がいたが、逆に突き飛ばしてやった。「お~」と急に被害者みたいな声を出してたっけ。ドロボーのくせに、急に被害者ヅラすんなよ!と汚らわしいものでも見るように、睨みつけてその場を去った。プラハでは、市内バスでスリの男女グループに狙われたが、気づいたところで、「何やってんのよ!」と、力づくで捕まえてやろうとした。作戦が失敗したスリグループは、慌ててバスから転げ落ちるようにして逃げ出していったっけ。あの時も他にも白人の客がたくさんいたが、非力そうな東洋人と見て、ターゲットにされたのだ。今回のホーチミンのタクシーは、結果として、27,000ドンの7,000ドンを踏み倒し! 20,000ドンしか払わなかった。ホテルの部屋で念のため、残金を照らし合わせてみる。前回の旅行で余ったドンもいくらか持っていたし、その日に所持していたドン札が何枚かまでは覚えてなかい。だから、数十円、数百円レベルの細かいところまではよく分からなかったが、少なくとも千円レベルでの被害はなかったハズ。というか、多分残金も合っていたし、いくら新聞紙に気を取られたとはいえ、ウエストポーチの中からも、ショルダーバッグに入っていた財布からも、紙幣を抜かれたようには思えなかった。本当に、ただお釣りがなかっただけなのだろうか?いや、それにしてはあまりに行動が変だ。ないならないで、最初の故障ドライバーのように、「これだけしかない」と見せればいい。一銭も持ってないなんて、ありえない。Mizumizuはこう見えてガードが堅いし、新聞紙ドライバーの「その方面」のスキルが「まだ」高くなかっただけかもしれない。もちろん、真実は闇の中だが。ホーチミンのタクシードライバー。ロクなもんじゃない。しかし、ハッキリ言って、ヨーロッパのぼったくりタクシーのほうがタチは悪いと思う。ニース(フランス)のメーターこっそり違法操作ドライバーの悪辣な表情ったらなかった。居丈高で、東洋人の女を明らかに見下していた。弱い者からは平気でぼったくる、という強引な悪質さに比べれば、ホーチミンのベトナム人はそこまで根性ねじくれた「ワル」な感じはしなかった。結果として踏み倒されて、諦めているわけだから。この「事件」は、ホーチミン滞在2日目の出来事。実は1日目にも、目的地に連れて行けなかった「白タク」をMizumizuは踏み倒したのだ。なぜ「白タク」に乗ってしまったのか、なぜ踏み倒したのかについては、また後日。ここで教訓:とにかく、現金はあまり持ち歩かないようにしよう。ホーチミンの店は、数百円レベルでもカードが使えるし、カードが使えないような地元民向けのような店はとても安い。例えば、地元民だらけの店でバインミーとイチゴのスムージーを頼んだが、どちらも25,000ドン(125円)だった。カードをメインに使えば、1日3000円分も持っていれば、それでも多すぎるぐらいだ。大きなお金を持っていなければ、大きく取られることもない。小額だったら、たとえ盗まれても、痛手は小さい。パスポートは街中では要らないから、必ずセーフティボックスへ。Mizumizuは自分のパスポート番号を記したページのコピーだけをウエストポーチに入れて持ち歩いていた。これがあれば、身分証明にもなるし、免税手続きなどもできる(ホーチミンでは必要ないが)。帰りのチケット(このごろは1枚ペラの紙のことが多い)も必ずセーフティボックスへ。そして、タクシーの運転手が騒いでも、財布の中身は極力見せてはいけない。10,000ドンや20,000ドンぐらいなら、切り上げて払いさっさと降りたほうが、結果として安心だ。ドサクサに紛れて、金目のものをとられたり、落としたり、置き忘れたりしたら、そちらのほうが痛手だ。ホテルで10,000ドン札を多めに替えてもらっておくといいかもしれないが、ホテルには置いてないこともある。Mizumizuは実はホテルで100,000ドン札を細かくしてもらったとき、10,000ドン札をもっとくれ、とスタッフの女性に言ったのだが、「10,000ドン札は、それが最後の1枚」と言われ、50,000ドン札1枚、20,000ドン札2枚、10,000ドン札1枚しかもらえなかったのだ。
2017.04.30
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読者の皆様へ女子ショートプログラムの地上波での放送が終わり、拙ブログへのアクセスが2万件近いという突発的事態になっています。おそらく、みなさま、この結果に関する拙意見にご興味があるのだと思いますが、正直、まったく理解できません。もっとも格式の高い世界選手権ですから、良識のあるジャッジングを期待していましたが、この意味不明の数字の累積は、プロトコルで「謎とき」する気にもならないぐらいです。 オーサーが殿堂入りしますので(世界選手権後に記念のパーティがあります)、そのご祝儀ということでキム選手の点があがってくること、カナダのロシェット選手もアゲられることは、ある程度予想していましたが…ロシェット選手の点が出たときは、一瞬、3+3をやったっけ? と思ってしまいました。全体的に皆どんどんSBを更新して、点は高めではありましたが… キム選手の演技は確かにすばらしかったですが、あの銀河点には言葉がありません。トリノのプルシェンコならともなく、あの内容で、あの出来で、フリーをやる意味をなくすような点が出るなど、もはや滑稽としかいいようがありません。点が出ると後づけで褒めまくる(褒めまくらなければいけない)解説者が、いっそ気の毒です。日本選手についていえば、村主選手の点が、なぜあそこまでサゲられなくてはいけないのか? 浅田選手は認定される3+3ループを跳んで、すごい! と言いたいところですが、やはりあれはちょっとだけ足りていません。あれでは、今後も認定されるかされないかギリギリのといころで博打に出なければいけません。安藤選手のほうは微妙なところで「地獄の」ダウングレードです。確かに浅田選手よりは回転不足の度合いが大きかったかもしれませんが。スローで再生して初めて、不足の度合いが大きい「かもしれない」とわかる2つの「やや足りてないジャンプ」の点を天国と地獄の差にする意味がありますか? 何度も繰り返しますが、回転不足を厳しく取ることには、反対しません。問題はその減点の度合いです。とは言え、安藤選手の演技は素晴らしかった。点数稼ぎの技術ばかり発達し、「訴えかけるもの」がなくなってしまった昨今のフィギュアのプログラムですが、今回のショートには、安藤選手にしか出せない味、深い情感がありました。しかし、出てきた点は不可解かつ不合理なもの。40年にわたってフィギュア・スケート界に貢献してきたレフリー資格をもつパイオニア、ソニア・ビアンケッティさんが、今季の欧州選手権を見て絶望した気持ちがよくわかります。ビアンケッティさんの「絶望的な気分が反映された採点システムへの意見書」↓http://www.soniabianchetti.com/writings_hope.html「芸術性は消え、スケーターは消え、観客もいなくなる」「3回転や4回転の回転不足が回りきっての転倒より低くなるなどナンセンス」「選手はできるだけ点数を稼ごうとするだけ(そこに芸術はない)」「(GOEや演技・構成点の)ジャッジングが匿名で、かつランダム抽出されるため、誰も責任を取らず、一般人は匿名なのは陰謀や取引のためだと見なし、スポーツそのものの信頼性を損なっている」「演技・構成点に5つのコンポーネンツなどいらない。演技・構成点を絶対評価などできない」、だから結局は「旧採点システムに戻すしかない」(以上、ビアンケッティさんの意見書からの引用)… こんな意味不明の累積数字の羅列を見せられるのは、もういくらなんでもご免です。もちろん、プロトコルを見れば、それなにり筋はとおっているでしょう。ジャッジはみな、一定の基準に基づいて点を出していますから。しかし、スポーツのジャッジングというのは、人々から信頼されなければ成り立ちません。「オレたちは専門家。専門家が判断して点をつけたのだから、シロートのお前らは黙って納得しろ」と言われて、みなさんは理解できますか? この点を? 実際にジャッジしている審判より長い経験をもつ専門家が、「あまりにひどい」とさまざまな弊害を指摘しているのですよ。一方で、日本の「専門家」は長いものに巻かれてるだけ。ルールは神聖、ジャッジは公平という盲目的な信仰で何でも論じている。変だと思いませんか?改悪に改悪を重ねたフランケンシュタイン・ルールは、もはやちょっとやそっとの手直しでは、どうにもなりません。昨季までは、ある程度ジャッジの肩をもってきましたが、もはや限界です。ビアンケッティさんの言う、「最初はいくらか長所もあった、演技の技術的な部分を数量化するという考えは、いまや不合理の頂点に達した」という言葉に全面的に賛成です。みなさん1人1人の良心と良識に尋ねたいと思います。今の(特に多くのスポンサーの絡む)女子フィギュア・スケートの採点が、マトモだと思いますか?
2009.03.29
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ファントマにからめて「ぼったくり」番組呼ばわりしてしまった天知茂の『江戸川乱歩の美女シリーズ』。実際、あちこちの洋画をぼったくった作品であることは間違いないし、特に初期のころのお下劣さ、エグさ、人命軽視は呆れるばかりなのだが、明智小五郎を演じる天知茂という俳優のニヒルなキャラクター(と眉間のシワ)がすべてを救った長寿人気番組。なかでも最高傑作の呼び声が高いのは、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』を脚色した『悪魔のような美女』。こちらが黒蜥蜴のアジト。もういきなり、『美女と野獣』のぼったくり。野獣の城にあって黒蜥蜴のアジトにないものは、気品。黒蜥蜴のアジトは、怪しげなキャバレーのよう。黒蜥蜴の趣味は、人間の剥製作り。↑は剥製にされた「美青年」。なんてたって役名も「美青年」。しかも演じているのは宅間伸らしい。その黒蜥蜴からリッチな宝石商に脅迫状が届く。狙いは20億のダイヤか!?「ダイハツ」で現場に急行する明智小五郎。『ファントマ』のファンドールがBMWのロードスターをカッコよく乗りこなしていたことを思うと、その落差にはただただ涙。宝石商の滞在先:電話は4126=よいふろ(海底温泉もある)http://www.sunhatoya.co.jp/20億のダイヤを所有しているというのに、信じられないぐらいの庶民派だ。さて、黒蜥蜴の正体を見抜いた明智だが……催眠スプレーを発射され、あっけなく逃げられてしまう。明智小五郎はいつも、コレで悪人を取り逃がしている。そして、ホテルからは、張り込んだ刑事の誰も気づかない見事な変装で逃走。黒蜥蜴はまた、見事な変装メイク、いや変装パックも披露。これで宝石商の娘になりすましている…… あまりに見事なためか、またもや誰も気づかない。事件を報道するテレビ。なんと! 「やじうまプラス」、いや「やじうまワイド」かな? とにかく吉沢アナはベテランだということを再確認。ファントマのごとく、海上へ逃亡する黒蜥蜴。しかし、乗ってる船には眼を疑う。ただの作業船では? おまけに相当くたびれて汚い。なのに、あたまに冠をのっけて、ひとりゴージャスに着飾る黒蜥蜴。数々のワンパタな展開を経て、いよいよ明智に追い詰められ……指輪に仕込んだ毒をあおる黒蜥蜴。実はこの場面はすべて、ジャン・マレー主演の『ルイ・ブラス』のぼったくり。あんまり堂々と同じなんて、初めて見たときは心から驚いた。明智小五郎はいまだかつて、悪人を生け捕りにしたことがない。毒を飲んだ黒蜥蜴に、愛の告白をされる明智小五郎。寅さんなみのワンパターンなエンディング。黒蜥蜴は接吻を要求。毒を飲んだ唇を避ける、案外小心者の明智。黒蜥蜴の死に顔はグレタ・ガルボ(『椿姫』)+ジャン・マレー÷2といったところか?出ずっぱりの特別出演小川真由美。-完-【◎メ在庫30台以上 】悪魔のような美女 江戸川乱歩黒蜥蜴 【日本映画】 KINGRECORD KIBF-3161
2008.05.15
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1954年に起こった手塚治虫の筆禍事件、通称「イガグリくん事件」は当初は漫画仲間以外にはあまり知られていなかった。そして、この「事件」があってわずか数か月後に福井英一氏は過労死してしまう。手塚治虫が『ぼくはマンガ家』で、この「事件」を振り返って反省の弁を述べなければ案外忘れられた話だったかもしれない。正直なところ、そのころのぼくは福井氏の筆勢を羨んでいたのだった。(手塚治虫著『ぼくはマンガ家』毎日ワンズより)この「事件」の現場にいた人間は少ない。まず、チーフアシスタントの福元一義氏。福元氏の『手塚先生、締め切り過ぎてます!』によると、少年画報社でカンヅメになっていた手塚あてに福井英一が電話をかけてきた。その電話を取ったのは福元チーフで、福井英一はその時、「手塚君に話がある。その間、仕事を中断することになるけどいいかな」と言った。どういう話か知らなかった福元だが、心情的に編集者よりというよりは漫画家よりだった彼は、漫画の話でもするのだろうと軽い気持ちでOKしてしまったのだという。午後11時ごろに福井英一は、馬場のぼると一緒にやってきた。「やあやあ」と手塚治虫が迎えるのだが、だんだんと様子が変わってきたという。福元チーフはその時、隣りの部屋にいたのだが、大きな声がやがてヒソヒソ話になったかと思うと、手塚がやってきて「これから池袋の飲み屋に行ってくる」。そのまま手塚得意の遁走をされたら困ると思った福元チーフは「道具はココに置いていってくださいね」。道具があれば戻ってきてくれるだろうと思ってのことだ。つまり、この時点では、福元チーフは福井英一が手塚に「怒鳴り込んできた」とは思っていないのだ。それより仲のよい三人組で、締め切りを放り出してどこかに行かれては困ると、そっちを心配している。夜通しそわそわしながら福元チーフが待っていると、手塚治虫が戻ってきたのは明け方になってから。手塚「いやあ、参った、参った」福元「飲みに行ったんじゃないんですか」手塚「違うんだ、抗議だよ。強引にねじ込まれちゃって」現場にいた福元チーフが見聞きしたエピソードはこうだが、うしおそうじが、のちに現場にいた馬場のぼるから話を聞いたところ、コトはもっと大げさになっている。手塚治虫が『漫画少年』に連載していた「漫画教室」の1954年2月号にわずか数コマ(Mizumizuが見たところでは2コマだけ)のイガグリ君らしき絵に、福井英一が烈火の如く怒り、手塚・福井の共通の友人だった馬場のぼるの家に来て、「俺は今から手塚を糾弾しに行く」とまくしたて、馬場を強引にタクシーに押し込めたのだという。「これは明らかに俺の『イガグリ』だぞ! つまり手塚はこのイガグリを悪書漫画の代表としてこきおろして天下にさらしたんだ! 俺は勘弁ならねえんだ」(うしおそうじ『手塚治虫とボク』より)馬場は頭に血がのぼった福井英一が手塚に暴力でもふるったら、確実にマスコミの餌食になるだろう。自分が身を張ってでも決斗を防がねばと悲愴な覚悟をしたそうだ。そして、福井は手塚に会うやいなや、胸ぐらをつかんで、「やい、この野郎! 君は俺の作品を侮辱した。中傷した。謝れ! 謝らないなら表へ出ろ」と叫んだというのだ。手塚治虫著『ぼくはマンガ家』では、次のように書かれている。ある日、ぼくが少年画報社で打ち合わせをしていると福井英一が荒れ模様で入ってきて、「やあ、手塚、いたな。君に文句があるんだ!」「な、なんだい」「君は、俺の作品を侮辱した。中傷した。謝れ! 謝らないなら表へ出ろ」「いったいなんのことだか、ちっともわからない。説明してくれ」「ふざけるな」記者(Mizumizu注:記者と手塚は書いているが、編集者の間違い?)が、ぼくに耳打ちして、「先生、相当荒れていますからね。池袋へでもつきあわれたほうがいいですよ」そこへ、馬場のぼる氏がふらりとやってきた。ぼくは救いの神が来たとばかり馬場氏も誘い、3人で池袋の飲み屋に行った。綿のような雪の降る日だった。福井英一ははじめから馬場のぼるを伴って手塚糾弾に来たのだが、手塚治虫は、あとからたまたま馬場のぼるが来たのだと勘違いしている。ともあれ、3人は飲み屋に行って、そこで馬場のぼるの仲立ちもあって手塚が福井に頭を下げている。そして翌月の「漫画教室」で、福井氏と馬場氏らしいシルエットの人物に、主人公の漫画の先生がやり込められているシーンを描き、彼へのせめてもの答えとしたのだ。(『ぼくはマンガ家』より)これが「イガグリくん事件」の顛末だが、実際に「漫画教室」1954年2月号を見た中川右介は、そこに書かれたセリフを引用して、くだんの漫画教室はなにも福井個人批判ではなく、「(手塚)自身を揶揄しているよう」だと述べている。こういった表現が福井、馬場、うしお、手塚といった人たちによって、ますますドギツくなっていった。(「漫画教室」より)と、自分の名前も入れている。そのあとに、確かにイガグリ君のような髪形の頭を一部描いたコマも2つあるが、他にも渦巻状の線だけとか、空とか雲とか煙とかだけが描いたコマもある。そして、そういう表現をそのまま真似するのは避けた方がよい、と言っているだけだ。実際に問題となった「漫画教室」を見ていない人たちは、手塚治虫がイガグリくん人気に嫉妬して福井英一だけを中傷したと勘違いしているが、それは事実ではない。手塚はこのイガグリを悪書漫画の代表としてこきおろして天下にさらしたんだ!なんて、どう考えても過剰反応だ。数か月後に酒を飲んで過労死してしまったという事実を鑑みるに、福井英一は、この頃ハードスケジュールに追いまくられ、すでにかなり精神的に不安定な状態だったのだろう。福井英一が亡くなったのは1954年6月。漫画家の死が新聞に大きく取り上げられる時代ではなく、宮城にいた小野寺章太郎少年(のちの石ノ森章太郎)は、手塚治虫からのハガキで福井英一の死を知る。「福井英一氏が亡くなられた。今、葬儀の帰途だ。狭心症だった。徹夜で仕事をしたんだ。終わって飲みに出て倒れた。出版社――が殺したようなものだ。悲しい、どうにもやりきれない気持ちだ。おちついたら、また、のちほど、くわしく知らせるから」と、ハガキにはあった。手塚先生の悲しみが、行間からにじみ出ているようなハガキでした。福井英一は手塚先生の親友でした。ぼくは顔を見たこともないし、ファンレターを出したこともなかったのですが、それでもとても悲しくなりました。(石森章太郎著『マンガ家入門』より)この文面から分かるのは、天才・石ノ森章太郎は、当時、手塚治虫が「筆勢を羨む」ほど人気絶頂だった『イガグリくん』には興味がなかったということだ。もちろん、手塚治虫と福井英一の「(のちに大げさに広まる)確執」など知らない。二人は親友だと思っているし(実際に親しい仲だった)、手塚治虫の悲しみを思って自分も悲しんでいる。そして、漫画家という職業は体を壊すほど厳しく、忙しいものなのかと、不安になったと『マンガ家入門』に書いている。マンガ家入門【電子書籍】[ 石ノ森章太郎 ]
2024.04.25
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基本、SF好きでは「ない」Mizumizu。今日本ではファンタジーは流行るが、SFは廃れた感がある。それでも、NHKで藤子・F・不二雄の短編SF(少し不思議な物語)がドラマ化されたりと、また徐々に人気が復活する「かも」しれない。で、手塚治虫の『ドオベルマン』だ。これは1970年に「SFマガジン」に発表されたものだという。だが、Mizumizuが読んだのは最近。こちらの電子書籍にて、だ。https://tezukaosamu.net/jp/manga/302.html一読しての感想は、「?????」。なんじゃ、コレ。意味分からない。説明的なわりにはラストシーンが何を意味しているのか、いまいちはっきりしない。多分、宇宙人の侵略を暗示しているのだろうけど、それにしては曖昧だ。「SFマガジン」に描いたということは、コアなSFマニア向けだから、基本SFに疎いMizumizuにはハードルが高かったよう。ドオベルマンの遺作の絵の構図とラストシーンの星空の関連をつかみたくて、それらが絵か描かれている数コマは穴のあくほど見たのだが、直接的な関連は示されておらず、やっぱり分からないままだった。逆に遺作に描かれた複数の〇の位置が、同じ絵なのにコマによってズレてることを発見してしまった。ま、手描きですからなぁ、忙しい手塚治虫なので、ササッと描いたんでしょう、たぶん(だが、後から考えると、同じ絵なのに、〇の位置が見る時間によってズレて見えるのは、「あえて」そうしたのかもしれないとも思った)。ただ、何となく忘れがたい作品なのだ。ラストシーンの星いっぱいの夜空の冷たさが妙に心から離れない。小品だし、昔の作品だし、覚えている人もそうはいないだろう――と思っていたら、実は、いた。2024年6月5日のエントリーで紹介した松浦晋也氏のエッセイでも触れられている。https://news.yahoo.co.jp/articles/dc55cf24410ecb08952a1ed9092f4aa2b3d34e4d?page=5(ここから引用)手塚治虫にも「ドオベルマン」(1970年)という、尋常ならざる速度で絵を描く画家が登場する短編がある。「サンダーマスク」同様に手塚本人が語り手だ。 手塚はある日、コニー・ドオベルマンという外国人の貧乏画家と知り合う。彼は奇妙な絵をものすごい速度で大量に描いていた。手塚は、その奇妙でデタラメな絵画にある規則性があることに気が付く。 ラストで手塚は夜空を見上げ、まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会うことになる。手塚治虫漫画全集の『SFファンシーフリー』に収録されているので、気になる方はどうぞ。(ここまで引用)これを読んで、「あ、やっぱりかー」と解答を教えてもらった気分だ。「まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会う」というのは、松浦氏の解釈だが、素晴らしい。こういうふうに読める読者がいるのが、実は手塚マンガの凄いところなのだ。描いてあるのは、冷たい星の輝く夜空だけ。だが、その前の〇の並んだ絵から想像するに、隊をなしてやってくる宇宙船がまさに、地球に到達した瞬間を手塚が地上から見てしまった、ということなのだ。その後、何が起こるのか? それを考えたうえでで、「世界が今までとは全く変わる瞬間」と解釈してみせる優れた読者。これはまさしく、作家と読者による共同創作だ。「どこからそれらを見るか」の視点の違いがあるから、絵の構図と夜空に関連がないのは当然。松浦氏の文章を読んで、スルスルっと謎が解けた。そういえば、『サンダーマスク』の侵略者も、宇宙空間から見ると〇で描かれていた。ナルホド。答えが分かると、このラストシーン、ジワジワと怖い。夜空のぞっとするような冷たさが暗示する「その後」の物語を、読者が自分で作っていけるようになっている。で、ググッてみると、ブログやX(旧ツイッター)この『ドオベルマン』について書いている人、案外多い。説明的なようでいて、「謎」が散りばめられていて、明確な答えが書かれていないから、想像するしかない。たとえは、こちら↓http://gom47.blog97.fc2.com/blog-entry-104.htmlこの方の疑問に、今はMizumizuはMizumizuなりの解釈で答えられる。1つは物語上の意味ある設定(ある役割をもった機器)。もう1つは、手塚治虫が時々やるという、あるモノを連想させる絵的な「お遊び」。あえて答えは書かないことにしよう。じっくり読めば、多分、Mizumizuと同じ答えにたどりつくはず。「お遊び」については、『手塚番 ~神様の伴走者~』にヒントがある。
2024.06.13
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今回のパリで、もっとも楽しみにしていたのは、オランジュリー美術館の見学だった。6年かけて大改築された美術館が再オープンしたのは、2006年5月。その詳細については、以下のサイトを読んでもらうとして…http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0605/special02.htmlオランジュリー美術館へ個人で行くには、地下鉄のコンコルド駅で降りる。表示にしたがって出口をのぼると、チュイルリー公園の端に出るはず。地上に出ると案内表示がなくなってしまうので戸惑うが、要は公園内に入って右(セーヌ河方向)のスロープをのぼっていけばすぐ。期待していったオランジュリーだったのだが、そもそもコレクション自体がルノワールやモネといった、すでに何度も見ている巨匠の作品ばかりのせいか、案外感動がなかった。コレクションの内容については最初からわかっていることで、それで「感動しなかった」などというのも変な話なのだが、これはあくまで個人的嗜好だろうけど、「わかっていて見に行って」も、期待以上の感銘を受けることがあるのが巨匠の絵画作品なのだ。ピカソやゴッホ、ルドンやドガといった画家からは、こうした感動をもらったことがある。すでに図録で見ていた作品でも、原物を目の当たりにすると、芸術家のエネルギーや情念が伝わってきて、思わず立ちすくむことがある。色づかいやちょっとした筆のタッチに目が釘付けになることがある。どうも、セザンヌ、ルノワール、モネといったオランジュリーの中心画家とは、個人的に波長が合わないようだ。単純な話、観賞者の好みの問題なので、たとえ歴史的・世間的に非常に評価されている芸術家の作品であっても、自分が気に入れらなければダメ、それが芸術作品というものだろう。ただ、この美術館、建築作品として考えると、かなりのものだと思う。駅舎を利用したオルセー美術館は酷いが、あちらに比べれば、数段いい。オルセーは最悪だと思っている。まず、あの無駄な中央の吹き抜けの大空間。主役であるはずのコレクションが脇の回廊に追いやられ、しかも、著名な作家の作品が上のほうにあって(今は違うかもしれない)、非常に探しにくい。脚の悪い老紳士が、今にも倒れそうになりながら歩いているのを見たが、疲れても休めるところが少なく、見学者には非常に不親切だ。知ってる人間は水のボトルなどもちこんで飲んでいたが(今はセキュリティが厳しくてダメかもしれないが未確認)、カフェスペースも一番上のほうにあるだけで、行きにくく、いつも混んでいる。トイレ表示にしたがって階段をおりはじめたらえらく遠く、2階分くだるハメになった(ふつうは下から見始めるので、また戻ることになった)、なんてこともあった。オルセーでは(ルーブルもそうだが)観賞したい作品に優先順位をつけて、絞って行かないと、お目当ての作品にたどり着く前に遭難してしまう(ことはない、いくらなんでも)。改装されたオランジュリーはそんなことはない。規模がそれほど大きくないせいもあるが、観賞しやすいし、現代美術館建築としては、最高峰といっていいほど、さまざまな工夫がなされている。なんといっても、自然光の取り入れ方がいい。ご覧のようにモダンなコンクリート打ちっぱなしの壁に作品がかかり、高い天井から外の光がロールカーテン越しにやわらかく落ちてくるように計算されている。「アトリエから外に出た」印象派の画家の作品を鑑賞するのには、これ以上ない環境。ルノワールの裸婦の肌が際立ってつややかに見えた。そして、なんといっても圧巻なのが、「モネの睡蓮」との出会い。睡蓮の間に続く廊下を通り、壁を半円形にくりぬいた狭めのエントランスをくぐると、突然楕円形の大空間に出る。そこには丸みを帯びた壁にぴったりはめ込まれるかたちで、モネの睡蓮の連作だけが飾られている。モネの睡蓮のためだけに、これだけの大仰なスペースを用意したのかと、むしろそっちに驚く(邪道?)。中央の高い天井からは、やはり間接的に外の陽光が採り入れられるようになっているが、とはいっても、ちょい部屋が大きすぎて、開放感を味わうのは入ってきた一瞬だけで、あとはむしろ単にだだっ広いという印象になる。真ん中に椅子があり(でも、かたくて座りにくいのよね)、ゆっくりとモネ作品を観賞できるようになっている(でも、そんなに長居してるヒトはいなかったな)。しかし、肝心のモネの『睡蓮』が、ねえ… 全体的にくすんで見えたのは、冬で天気が悪かったせいもあるのだろうか。作品が大きすぎて、筆のタッチも思った以上に粗さが目立つ。「近くで見るとそれぞれ違った色のタッチが、遠くから見ると混ざり合って自然に見えるのがモネの魅力」と昔聞いた講釈を思い出し、そういう部分を探してみたのだが…よ~わからん。こんなものでしたっけ? モネの睡蓮って。もっとにおい立つような水面のさざめきとか、浮き立つような睡蓮の幻想的なタッチを期待していったのだが、期待が大きすぎたのかもしれない。「デカイだけじゃん。案外雑だしさ」と、勝手にガッカリして立ち去ったのだった。美術館自体がモダンな建築作品として興味深いといっても、ガラスと石とコンクリートを使い、外光をなるたけふんだんに取り入れようというコンセプトの建築なら日本にもあるし、モネの睡蓮はどうも宣伝勝ちのような気がしてならない。「傑作だ、傑作だ」とさかんに言われるから傑作になってる作品――個人的に好みでないと、結局そういう結論になってしまう。すいませんねぇ、印象派の巨匠さま。
2009.03.07
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現在、You TUBEの「手塚プロダクション公式チャンネル」で限定公開中の『千夜一夜物語』。大人向けアニメラマと銘打った(旧)虫プロダクションの野心作だが、このキャラクターデザインと美術担当にいきなり抜擢されたのが、アンパンマンの作者やなせたかしだ。レア本『ある日の手塚治虫』(1999年)にやなせたかしの寄稿文とイラストが載っていて、それによれば、1960年代の終わり、手塚治虫からやなせに突然電話がかかってきたという。虫プロで長編アニメを作ることになったので、やなせに手伝ってほしいという依頼だった。わけがわからないまま、やなせは「いいですよ」と返事をする。当時を振り返って、やなせは「同じ漫画家という職業でも、手塚治虫は神様に近い巨星、ぼくは拭けば飛ぶような塵埃ぐらいの存在」と、書いている。いくらやなせ氏が謙虚な人だといっても、それはチョット卑下しすぎだろう…と読んだ時には思ったのだが、1969年は、まだアンパンマンが大ヒットする前だった。多才なやなせは詩人として有名だったし、すでに『手のひらを太陽に』の作詞者として知られていたが、漫画では確かに大きなヒットはまだなかったようだ。やなせはアニメの経験などゼロだったから、手塚の申し出は冗談だと思ったらしい。だが、『千夜一夜物語』が始まると、本当に虫プロ通勤が始まる。手塚治虫と机を並べて描いてみて、やなせが「たまげてしまった」のは、そのスピードと速さ。あっという間に数十枚の絵コンテをしあげていくのだが、決してなぐりがきではない、そのまま原稿として使えるような絵なのでびっくりした。(『ある日の手塚治虫』より)完成したアニメ『千夜一夜物語』では、やなせたかしは「美術」とクレジットされているが、キャラクターデザインもやなせの手によるものだ。上はやなせ直筆のイラストとエッセイ。わけわからないまま始めた仕事だが、やってみると案外これは自分に向いているのではないかと思ったという。特に「マーディア」という女性キャラクターは人気で、後年になっても「マーディアを描いて」と頼むファンがいて、やなせを驚かせた。「キャラクター」の波及力に、やなせが気づいた瞬間だろう。『千夜一夜物語』がヒットすると、手塚治虫はやなせに「ぼくがお金を出すから、虫プロで短編映画をつくりませんか」と申し出てくれたという。会社としてお金を出すというのではなく(社内で反対があったようだ)、手塚がポケットマネーから資金を提供したのだ。そうして完成したのが、やなせたかし初演出アニメ作品『やさしいライオン』(1970年)。毎日映画コンクールで大藤賞その他を受賞し、その後もたびたび上映される息の長い作品になったという。こうしたアニメ畑でのキャラクターデザインの仕事がアンパンマンにつながっていったのだと、やなせは書く。『千夜一夜物語』から『やさしいライオン』を経て、やなせのキャラクターデザイン技術は、「シナリオを読めば30分ぐらいでラフスケッチができる」までに向上した。「基本は虫プロで学んだのである」。キャラクターデザインの達人、やなせたかしの飛躍のきっかけを作った手塚治虫。だが、「少しも恩着せがましいところはなく、『ばくがお金を出して作らせてあげたんだ』などとは一言も言わなかった」(前掲書より)やなせと手塚は気が合ったようだ。その後、「漫画家の絵本の会」で一緒に展覧会をしたり、旅行をしたこともあったという。「いつも楽しそうだった」「あんなに笑顔のいい人を他に知らない」「そばにいるだけでうれしかった」と、やなせ。そういえば、やなせの価値観と手塚のそれは非常に似通っている。時に残酷だという批判を受けるアンパンマンの自己犠牲精神は、戦争を通じて経験した飢餓からきたものだというし、「ミミズだって…生きているんだ。ともだちなんだ」という『手のひらを太陽に』の歌詞は、手塚の精神世界とも共通する。戦争は大きすぎる悲劇だが、あの戦争が手塚治虫ややなせたかしの世界を作ったとも言える。『第三の男』ではないが、平和とは程遠い15世紀のイタリアの絶えざる闘争の中でレオナルドやミケランジェロ、つまりはルネッサンスが生まれたように、日本という国を存亡の危機にまで追い詰めた第二次世界大戦があったから、今私たちが見るような手塚マンガが生まれ、次々と新しい人材がその地平線を広げていくことになったのだ。「ぼくは人生の晩年に近づいたが、最近になって自分の受けた恩義の深さに気づいて愕然としている。 漫画の神様であるだけではなく手塚治虫氏自身も神に近い人だったのだ。 どうやってその大恩に報いればいいのか、ぼくは罪深い忘恩の徒であった自分を責めるしかない」(前掲書より)手塚治虫を「神」と呼ぶとき、それは漫画の力量がまるで神様というだけでなく、次に続く人材を「創生」し続けたという意味も含むだろう。藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子、里中満智子はよく知られているが、さいとう・たかおだって、楳図かずおだって、手塚治虫がいなければ漫画家にはなっていなかったかもしれない。つげ義春さえ、漫画家になるにあたって「ホワイト」だとか「原稿料」だとかの実際を聞かせてくれたのは手塚治虫なのだ。そして、やなせたかし。今や、やなせのアンパンマンキャラクターは、世界でもっとも稼ぐキャラクターのトップ10に入っている。https://honichi.com/news/2023/11/16/media-mix-ranking/そのキャラクターデザインの出発点が大人向けアニメ+ドラマと銘打った(旧)虫プロの『千夜一夜物語』だったというのは、今ではほとんど忘れられているようだが、まぎれもない事実だ。やさしい ライオン (やなせたかしの名作えほん 2) [ やなせたかし ]
2024.05.07
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メトロポリタン美術館は、とにかくデカい。開館と同時に行って、「さ~、今日は1日かけてゆっくり見るぞ~」と意気込んでいたMizumizuも、入館して10分でいきなり疲労困憊。大きな美術館は、どうしてこんなに疲れるのだろう?美術品それぞれにエネルギーがあり、そのエネルギーが大きければ大きいほど、つまり作り手の魂が込められている作品数が膨大なほど、こちらのエネルギーが吸い取られるような気がする。メトロポリタン美術館に行くなら、やはり絶対に見たいものを事前にピックアップして、エントランスのインフォメーションで(日本人がいます)、どこにあるのかしっかり聞いてから見学を開始すべき。メトロポリタンの見取り図はこちら。もっとも人気の高い2階のヨーロッパ絵画コーナーについては、展示されている画家の名前と部屋番号が明記された、さらに詳しい見取り図がインフォメーションでもらえるから、これは絶対に入手しよう。見学者の最大の関心は、やはり印象派を中心とするヨーロッパ絵画にあると思うのだが、あまり日本人になじみがなくても、美術史上重要な作品というのがあるので、今日はそれをご紹介。まずは、1階のエジプト美術から。デントゥール神殿(紀元前15世紀)。運河開通にともない、水底に沈むところだった遺跡を移送・修復・再現したもの。これは誰でも見るでしょうが、この神殿の間に至る前の展示室にあるのが、「女王の頭部断片」(紀元前1417-1379)制作年代の古さもさることながら、この素材が貴重。イエロー・ジャスパーでできている。ジャスパーとは碧玉と訳されるが、要は石英(クオーツ)の集合体。表面がまるで鏡のように磨き上げられている。まるっきり現代のピアノラッカー仕上げ。きらきらと照明を反射する、つややかな肌の質感、肉感的な厚い唇。3400年前のモノってマジですか? 不思議な魔力が宿っているよう。小さな作品なので、見逃さないように。わからなくなったら、「イエロー・ジャスパー、クイーン・ヘッド」などの単語を並べれば、そこらに立ってる守衛のおじさんたちが教えてくれるでしょう。1階の奥にある「ロバート・リーマン・コレクション」。ここは隠れた書斎のような雰囲気で、非常に落ち着ける。ふかふかのソファが置いてあるのも、メトロポリタン美術館では珍しい。その中でもイチオシなのが、アングル作「ブロイ公妃」。これまた布の質感が圧巻。もちろん、まるで陶器のような肌の美しさも。最近は図版の写真技術が素晴らしいので、古い絵だと、実物と図版がそれほど違わないという印象を受けることも多いが、この作品に関しては、「やっぱり写真とは違う」と驚くこと間違いなし。メトロポリタン美術館はフラッシュをたかなければ、写真はOKです。もちろん、うまくは撮れませんが。2階のヨーロッパ絵画コーナーで、日本人には人気がないけれど、是非見て欲しいもの。それは、ヤン・ファン・エイク(Jan Van Eyck)の「キリストの磔刑および最後の審判」(15世紀)。ファン・エイクはフランドルの天才画家。ちょうどイタリアでレオナルド・ダ・ヴィンチが生まれる数年前に亡くなっている。ファン・エイクを初めとするこのころの北方画家は、イタリアのルネサンス画家にも影響を与えている。立場が明確に逆転したのは、16世紀に入ってから。ファン・エイクの他の作品については、こちらのサイトが詳しい。メトロポリタンのこの作品は、左がキリスト磔刑図、右が最後の審判図になっている。まず注目すべきは、そのリアリズム。画に登場する人物すべてが、ほとんど同じ緻密さで描きこまれている。事実、ファン・エイクは「リアリズムの先駆者」とも言われている。左側の磔刑図は現実感のある舞台設定。遠景にある高い山は、フランドル地方にはないもの。つまり、ファン・エイクは遠方のアルプス(恐らく)の景色を、作品に忍び込ませているということ。これは後のフランドル画家ブリューゲル(父)の作品にも見られるアプローチ。スリムなキリストの顔は土気色で、まさに人間の死そのもの。嘆き悲しむマグダラのマリアのポーズも真に迫っている。聖母マリアのほうは、青い衣につつまれて、キリストと同じように土気色の顔は、ほとんど見えない。まるでキリストとともに死んでしまったかのよう。風景画の要素を取り入れた磔刑図に対して、右の最後の審判の図は、イマドキのCGを使った映像のようにファンタスティック。特に地獄に落ちた罪人と怪物の描写は恐怖映画のよう。中世末期の画家の卓越した想像力を感じさせる。リアリズムとファンタジーが織り成す、硬直した一瞬――ヒエロニムス・ボッシュ(ボス)もピーター・ブリューゲルも、いやフェルメールだって、ヤン・ファン・エイクの存在なしには考えられない。まさしく、ネーデルランド絵画の創始者の名にふさわしい。日本人に特に大人気の17世紀のオランダ画家フェルメール。フェルメールの間には、日本人がいっぱい。今回のNYで一番日本人に会ったのが、メトロポリタン美術館のフェルメール展示室ではなかろうか。こうした風俗画のほかに、「信仰の寓意」などもあるが、フェルメールの寓意画は、あからさますぎて、あまり面白くない。中世末期の画家がもっていた自由な想像力・発想力がフェルメールの絵からは感じられない。一般には、教会の権威に縛られ、自由がなかったかのように思われている、職人としての中世画家が、現代のファンタジー映画に出てくるようなキャラクターを奔放に登場させているのは、本当に興味深い。そして、彼らは必ず、人間のダークな精神――妄想とか、妄執とか、迷信とか、悪習といった――に繋がっている。たとえば、中世末期、ルネサンス初期の画家ヒエロニムス・ボッシュ(ボス)は、レオナルド・ダ・ヴィンチとほとんど生きた時代が同じ。にもかかわらず、まったく違った精神世界に生きている。ボッシュの描く怪奇な世界は、今、さまざまな心の病にとらわれて先に進めなくなっている多くの現代人の精神の内面世界を映したようにも見えるのだ。怪奇なキャラクターが跳ね回るボッシュ作品の一部。こうした描写を中世的な迷信と決め付けるのは早計だと思う。実体のない恐怖や不安に絡め取られて身動きができないでいるという意味では、多くの現代人も同じなのだ。哲学や科学よりも宗教に多くの人が救いを求めている現代――やはり人間というのは、それほど合理的・理知的には生きられない。ピーター・ブリューゲルもそうだが、この時代の北方画家は、イタリアルネサンスの画家とは違った、宗教観にもとづく伝統的なアプローチで、人間の本質に迫っている。その先達は、間違いなくヤン・ファン・エイク。メトロポリタンにある小さな祭壇画は、その証明なのだ。追記:Mizumizuが行ったときは、日本館が全日クローズだった。メトロポリタンにはこれで3度行ったことになるが、日本館は1度しか見たことがない(もう1度は、確か午前中だけなどの時間制限があって、見ることができなかった)。偶然かもしれないが、インフォメーションで日本館のオープン時間を確認してから見学を始めたほうがいいかもしれない。
2009.06.21
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タイでは、もち米に甘いココナッツミルクをかけたものとマンゴーを一緒に食べるデザートがある、というのは聞いていた。マンゴー・ウィズ・スティッキー・ライス、タイ語ではカオニャオ・マムアンというらしい。カオニャオがもち米のことで、タイのもち米は、日本のそれとはまた風味が違うのだが、とても美味しい。以前「バーン・カニタ」というバンコクのレストランに行ったとき、ウエイターに勧められたのだが、確か日本円で1000円以上という、タイのデザートにしては破格に高かったので注文しなかった。日本ではタイ産マンゴーは高いが、バンコクの市場ではとても安く売られているし、それを切って、あとはもち米にココナッツミルクをかけるデザートにそれほどシェフの腕が関係するとも思えない。良質のもち米を使うにしても、1000円超というのは、いかにも日本人向け価格のような気がしたのだ。ちなみにオリエンタル・ホテルの「リム・ナーム」にも「ヴェランダ」にも、マンゴー・ウィズ・スティッキー・ライスはなかった。元来簡単なデザートだから、いつか食べる機会もあるだろうと思っていたのだが、バンコクでは案外見かけない。だが、今回バンコクからチェンマイに飛ぶためにやってきたスワンナプーム空港で、とうとう見つけた。この店にありました。マンゴーが半分だと50バーツ(150円)。1つ丸々だと100バーツ。しかし、そもそも米と果物を一緒に食べるって、ど~なのよ、と疑う気持ちもあったので、とりあえずハーフサイズで試してみることにした。一口食べての感想は… なかなかイケます。まさに、ココナッツ風味の甘いモチモチのもち米と、少しねっちりとした完熟マンゴーの組み合わせ――そうとしか説明できないのだが、もち米の甘さがマンゴーにつきものの、ある種の青臭さを消している。これなら100バーツのにしてもよかったな、というのが結論。階は違うのだが、同じ名前の店で、もう1つ試してみたのが、コレ↓中の黄色いひも状のモノは「フォイ・トーン」と言って、溶き卵を熱したシロップに落として作る。それを半分くるんでる煎餅みたいなのは、タイ語では何と言うのか知らないが、口当たりがパリッとしてない、湿気てしまった「亀の甲煎餅」のよう。あとは干しブドウとナッツのかけらが入って、10バーツ(30円)。お味は…これは、個人的には1度でいいです。フライト時間まで、なんとなくプラプラ過ごしていると、巨大な蝋細工が目に入った。猿がまたクレープをお供えしてる。ワット・ポーでも見たのだが、このクレープは何ざんしょ。そんなことを考えながら、さらにプラプラしてると、低い舞台のような台座で、タイの伝統的な衣装に身を包んだ、宮崎あおいを少しふっくらとさせたような美女がこちらに気づいて、横座りの姿勢を正座に直した。な、なに?と思わず見てしまうと、視線を絡めて、手を合わせ、こちらに向かってにっこり微笑んで礼をする。もちろんMizumizuもニッコリとご挨拶。で…それだけでした。さすが、タイ。空港に微笑み係がいるらしい(爆)。話は少し前後するが、バンコクで1泊して、朝食はできればオリエンタルの「ヴェランダ」で、ポメロ・サラダでも食べたいと思っていたのだが(「リム・ナーム」のほうは朝はやらない)、ディナーのあとヴェランダで聞いてみたら、朝のメニューは昼以降のメニューとは違うという。見せてもらったのだが、洋風のものが多く、食指が動かなかった。「ヴェランダ」は、タイ料理以外はダメだった。なので、ホリデイ・インとオリエンタルの間にあるちょっとした屋台街で朝を食べることにした。夕暮れ時には、あの排気ガスの充満するシーロム通りにテーブルと椅子を出して、現地の人たちがいろいろなものを食べている。路地を入ったところにはグリーンカレーを売る店もあって、結構賑わっていた。ところが…!それは、あくまで午後からの話だったよう。朝早い屋台街は、し~んとしていて、ほとんどの店はまだ営業していなかった。なんとか1つ開いてる麺屋を見つけて、例によって「センミー」を2人でオーダー。ここのセンミーはスープがナンプラー(漁醤)味で、ただ単にしょっぱいだけの科学調味料風味ふんだん(苦笑)。ハズレました(再苦笑)。オリエンタル・ホテルで優雅にポメロ・サラダの朝食を食べるアテもハズレ、屋台もハズレ、昼の飛行機までの時間がえらく間延びした、つまらないものになってしまった。唯一の収穫は、マンゴー・ウィズ・スティッキー・ライスは案外口に合うとわかったことだけだった。……バンコクからチェンマイへは、小一時間の空の旅。チャンマイの空港から市内へは、タクシーでだいたい120~150バーツだという情報を事前にゲットしていた。いざ、飛行機を降りて、荷物を受け取ると、タクシー紹介窓口に行った。受付のお姉さんに、「マンダリン・オリエンタル・ダラ・デヴィ」と言ったのだが、なかなか通じない。ようやく、「オ~、ダラ・デヴィ」と理解してくれ、行き先のパネルを指して言われた値段は、「200バーツ」え?結構高い。目を凝らして確かめたが、間違いなく、DHARA DHEVI 200バーツと書いてある。あとでダラ・デヴィで聞いたところによると、チェンマイのタクシーは、「タクシー・メーター」と車体に書いてあっても車内にメーターはなく(はあ? それじゃ、メーター・タクシーじゃないじゃん)、交渉制なのだが、ダラ・デヴィは市内からでも、空港からでも、200バーツと決まっているそうだ(それじゃ、交渉制じゃないじゃん)。ダラ・デヴィは、チェンマイの旧市街からだと20分ぐらいかかる辺鄙なところにあるホテル。泊まるのは、金持ち(地元民から見れば)と決まってるから、タクシーの運転手同士でカルテルを結んでいるらしい。まあ、600円だから、チェンマイの相場からすれば相当高いのだろうけれど、新宿から成田までバスで3000円も取る国からやって来た旅人から見れば十分安い。200バーツ以上請求されることはないワケで、返って気楽かもしれない。バンコクの空港のように、紹介料が50バーツ余計にかかるということもない。すぐにドライバーがやってきて、そろってタクシー乗り場へ。外は、暑い。確かに暑いが、といって、曇っているせいか、東京以上ということもない。チェンマイはもともと標高が高く、タイの中では涼しいところで、日本の沖縄ぐらいの亜熱帯気候なんだとか。そう言われれば、こんもりと濃い緑の山の風情が、なんとなく日本みたい。熱帯らしいヤシの木もあるにはあるが、バンコクよりずっと少ない。タクシーは混む市内を通らずにダラ・デヴィへ。20分ぐらいで、到着。タクシーの運転手は、いかにも「一生懸命お世辞笑いしています」というおじさんなのだが、不思議と感じは悪くない。なんとなく、日本の田舎にもいそうなタイプだった。金持ちらしいガイジンさんが来て、あまり扱いに慣れてないし、英語もうまく話せないが、必死に感じよく接しようと努めている――そんな態度。「アハハッ、アハハッ」という、冷静に見ると、かなり不自然なお世辞笑いが、ますます日本人みたい。父親のような年のおじさんに、そこまで気を使わせて、返って恐縮してしまった。
2009.07.25
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<きのうから続く>ヴィルフランシュのサン・ピエール礼拝堂壁画のなかで、Mizumizuがことに心惹かれるのは、この天使だ。天空を自由奔放に駆け回る天使たちの多くには目も鼻も口もないが、地上でつんとポーズを取るこの立像の天使は、冷めた視線を横たわる聖人に向けている。この表情を見て、直感的に思い出したのが、ジャン・コクトーの詩の一節。「君なんて死んでも平気、僕は自分が生きたいよ」こんな不実を詩人に言うのも、彼の天使(=詩神)なのだ。「彼(=詩人)」が「彼(=詩神)」から遠ざかろうとするや、引き戻しにかかり、すぐに突き放し、彼を深い夜の静寂(しじま)に落としこめる残酷な天使。その無垢な残酷性を絵で表現すれば、こんなふうになるのだろう。さらに、このヴィルフランシュの残酷な天使に極めて似た人物像が、コクトーの過去のドローイングの中にある。それは、1949年にジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』の挿絵のために描いた水兵の習作のうちの1枚。コクトー先生、お尻がリアルにエロすぎます。その頭部のアップがこちら。横顔の輪郭の描き方はそっくりだし、身体のポーズにも連動性がある。ほぼ、お尻の向きを逆にし、腕の位置を変えただけだと言える。上半身を覆うタンクトップがなくなり、かわりにむき出しの臀部が布で覆われる。そこにマサカリのような翼が追加される。こうして水兵から天使へのメタモルフォーゼが行われたのだ。同じモデルを使った水兵のドローイングで、ヴィルフランシュの残酷な天使と目玉の描き方がそっくりなものもある。ヴィルフランシュの残酷な天使は、横顔の輪郭は上の作品、目の描き方は下の作品というように、2枚のドローイングを合成させたものだ。俗世そのものである帽子や髪の毛は水兵が天使へと昇華する時点で消滅している。コクトーは『ブレストの乱暴者』の挿絵にかこつけて、あられもない姿の水兵のドローイングを多く描いている。あえて「かこつけて」と書くのは、過激でエロチックなこうしたドローイングの多くを、コクトー自身は世に出すつもりは毛頭なく、死後になって「発見」されたものであること、それに、もともと水兵というのはコクトーにとって、極めて性的な存在であったことが、『白書』を読むと明らかだからだ。『白書』に登場するのは、南仏の港町ツーロンの水兵。彼らは「秋波には微笑で答え、愛の申し出を決して拒まない」魅惑のソドムの住人だ。「君なんて死んでも平気、僕は自分が生きたいよ」こんなことを平気で言って詩人を苦しめる残酷な天使は、同時に、詩人を性的に誘惑する恋の相手でもある。横たわる聖人をシニカルな横目で見やっている天使の原型が、描き手にとって極めてセクシャルな存在であった若き水兵だったとしても不思議はない。そして詩神(ミューズ)とは、表現芸術への渇望の象徴でもある。それは、特定の人間にとっては、宿命でもあり、やむにやまれぬ行為だ。詩神の虜にならなくてすむ者、詩神の誘惑から逃れていられる者は幸いかもしれない。天使とともに描く壮大な浪漫はなくても、深い闇に何度も落とされる精神的危機もない。
2010.06.18
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<きのうから続く>1人の芸術家を破滅へと導いた美神といえば、やはりルキーノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』のタジオ(ビョルン・アンドレセン)。『オスカー・ワイルド』の監督がヴィスコンティのこの作品を明確に意識していたかどうかは不明なのだが、ボジーを見ていると、どうしてもタジオを思い出す。むしろボジーは、ヴィスコンティの作り上げた美の化身タジオのアンチテーゼではないかとすら思う。この2人のキャラクターは、フィルムのポジとネガのよう。初登場のシーンとラストシーンが特にそうだ。『ベニスに死す』で主人公のアッシェンバッハがタジオを見初めるシーンでは、タジオのカットが3つ使われるのだが…タジオはあくまで、ホテルの客の中の1人。当然ながら、彼に目を留めるアッシェンバッハをまったく意識していない。2つ目のカットがこれ。どこを見ているのかわからない、物思いにふけったような視線。3つ目のがこれ。カメラはアッシェンバッハの視線となり、タジオを見つめる。2番目と3番目のショットでポーズが変わっているので、タジオが動いたことが暗示されているのだが、動き自体は映っておらず、このシーンのタジオも一幅の肖像画のよう。そして、相変わらず自分を見つめるアッシェンバッハには気づいていない。『オスカー・ワイルド』でオスカーとボジーが出会うのは、やはり招待客でさんざめく劇場のパーティエリア。オスカーに友人が近づいてきて、向こうにいるボジーを顎で指して、「僕の従兄弟のアルフレッド・ダグラスが、君を紹介してくれって」と話しかける。オスカーが視線をやると、その先には…強い視線でオスカーを待ち受けるボジー。このときやはり、カメラがオスカーの視線と一致し、群集の中で佇むボジーに、ぐっと焦点が当たる。同じようなシチュエーションで、対照的な眼の表情。『ベニスに死す』と『オスカー・ワイルド』の美神の登場は、やはりフィルムのネガとポジのようなのだ。そして、ラストシーン。『オスカー・ワイルド』のラストは、一種のハッピーエンドになっている。刑期を終えて出所したワイルドがボジーに会い、結局数ヶ月で完全に破局してしまうのは事実なので、そこで終わらせるのかと思いきや、映画では、オスカーが周囲の反対を押し切り、イタリアでボジーと再会するところで終わっている。イタリアの瀟洒なホテルの前で、ボジーを見つけたオスカーは、急にモジモジして物陰に隠れてしまう(苦笑)。でも、ウスラでっかいお体のせいか、すぐにボジーに見つかる(再苦笑)。ナレーションはこのあたりから、ボジーと別れたあとのオスカーの心境を語ったものになるのだが、映画の幕切れシーン、映像としては、あくまで感動の再会。オスカーの気配を察したかのように振り返ったボジーは、この映画の中で最高の笑顔を見せて、手ひどい代償を払わせた愛しい相手に呼びかける。「アンドレ!」 ♪バラはバラは、美しく咲ぁいぃ~て~(いけね、そりゃ別の話だった)。お互いに歩み寄り、抱き合う2人。ここにいかにもオスカー・ワイルドにふさわしい、逆説的な格言がナレーションでかぶさる。曰く、「この世には2つの悲劇がある……それを得た悲劇」人は普通、望むものが得られないことが不幸であり、望むものを手に入れることがすなわち幸福だと考えている。だが、実際には、より大きな悲劇は、望むものを手に入れたことで起こるのだ。オスカー・ワイルドの悲劇は、まさしく、ボジーという美しき破壊神を得てしまったことで起こった。だが、映画『オスカー・ワイルド』はあえて、オスカーとボジーの完全な破局までを追いかけず、互いにつらく、痛みの多かった2人の交わりの中で、ごく稀にあった幸福な一瞬で物語を止めている。ここにあるのは、過去を乗り越え、他者と積極的に関わろうとする2人の人間の姿だ。『ベニスに死す』のアッシェンバッハとタジオは違う。タジオはやがて、自分を追い回す男の存在に気づき、ちらちらと視線を投げたり、話しかけられるのを待つかのようなしぐさを見せたりする。アッシェンバッハも空想の中ではタジオに触れ、タジオと関わろうとするが、現実には声さえ、ついにかけることはない。そこにあるのは、まぎれもない老いの姿だ。人はごくごく若いころは、他者と関わることに自信がもてず、いわば蓑虫のように、自分の世界に閉じこもっている。だが成長するにつれ、社会と、そして人と、積極的に関わろうとする。やがて老いてくると、人と人がそう簡単に分かりあい、分かち合うことはできないのだと悟ってしまう。そうして、再び人は蓑に隠れる虫のように、老いの孤独に閉じこもるようになる。アッシェンバッハを演じたダーク・ボガートはそれほど老人ではなかったが、アッシェンバッハの精神は、どうしようもないほど老いの境地に達しているように見える。アッシェンバッハにとってタジオは、美の象徴だが、彼はそれを基本的に眺めているだけだ。そして、徐々に彼の肉体に忍び寄る死の影。アッシェンバッハはタジオを追い回すことで死を追い回している。だから、タジオはアッシェンバッハを崩壊させる美しき破壊神には違いないが、あくまでそれは1つの象徴、化身であって、タジオが現実にアッシェンバッハに何かしたわけではない。そして、ラストシーン。台詞はなく、耽美な音楽と映像だけがある。アッシェンバッハの見つめるタジオは、どんどん彼から遠ざかる。明るい髪が光る水面の輝きに溶けそう。タジオは一瞬立ち止まり、横顔を見せ、アッシェンバッハのほうを振り返ったようでもあるが、その動作はシルエットになってしまってよく見えない。遠ざかるばかりのタジオ。砂浜におかれたカメラが、タジオとの距離感を出している。沖に浮かぶ船のほうへ、少年の姿はなおも遠ざかり、それと共に理想が遠ざかり、記憶が遠ざかり、人生が遠ざかる。そして突然アッシェンバッハの視界は途切れ、彼は死の世界へ旅立っていく。自分を見つめる芸術家の視線に気づき、振り返り、微笑み、嬉しそうに名前を呼んだ『オスカー・ワイルド』のボジー。自分を見つめる芸術家の視線を知ってか知らずにか、無言のまま、どんどん1人遠ざかった『ベニスに死す』のタジオ。やはりこの2人の美神は、1つのイメージのネガとポジのように見えるのだ。役者としてこの2人がたどった道も対照的だ。たいして演技経験のないまま、20世紀を代表する名監督の執念によって、美の化身にされてしまった少年は、その後、「この映画に出ることで自分の身に起こることをあらかじめ知っていたら、決して出なかっただろう」と語っている。ビョルン・アンドレセンはその後、「世間に出ない音楽家になった」と言われているが、要するに、引きこもりに近い人生を長く送ることになる。10代のころから役者を志し、20代半ばにはすでにかなりの演技経験を積んでいたジュード・ロウのほうは、ボジー役をステップにして、飛躍的に役の幅を広げていっている。『真夜中のサバナ』では、アメリカ南部の町一番の男娼役。初登場シーンでは、愛車のカマロを磨いている。ボジーの生まれとはあらゆる意味で対照的な、育ちの悪いアメリカ青年役。与太った歩き方が、いかにも品がない。ラストでは、自分を手にかけた男に復讐するために、あの世から戻ってくる。復讐を果たし、まるで吸血鬼さながらの不気味な笑顔。と思ったら…『クロコダイルの涙』では、スバリ吸血鬼役をやってました。泣いたり、笑ったり、キレたりという感情のブレの激しさで、『恐るべき親たち』のミシェル役に多分に重なるボジー役。奇妙な偶然だが、『オスカー・ワイルド』のフランスでの公開は1998年10月7日。元祖ミシェルのジャン・マレーがこの世を去ったのは、それからほぼ1ヶ月後の1998年11月8日。ロウの映画は1998年に、フランスで3本も封切られている(『オスカー・ワイルド』『真夜中のサバナ』『ガタカ』)。俳優としてのスタイルで見ると、ジュード・ロウは、ジャン・マレーというよりむしろジェラール・フィリップに近いように思う。ジェラール・フィリップの演じた『肉体の悪魔』のフランソワは、そのエゴイズムも含めて、現代の欧米の恋愛映画によく見る、恋する青年の原型のようなキャラクターだった。だが、高校を中退して演劇の世界に飛び込んだロウの決意は、ジャン・マレーの演技への情熱と見事に重なる。マレーも高校を中退になっているが、そもそも大学に行く気はなく、役者になりたくて中退したいと母親に言ったものの聞き入れてもらえず、反抗心から女装して騒ぎを起こしたことが原因だった。ロウのほうは、その時のマレーとほぼ同じ年のころ、『The Casebook of Sherlock Holmes』に女装したチョイ役で出ている。マレーは晩年、南仏に住み、絵画・彫刻・陶芸の制作に没頭したが、ロウも暖かいところで、絵を描いたり、音楽を聴いたりといった生活が好きだと言っている(ロウのインタビューについては、こちらのブログを参照させていただきました)。今年はロンドンとデンマークで『ハムレット』を演じるロウ。舞台ではフランスのシェークスピア、ラシーヌの古典劇を得意としたジャン・マレーの歩んだ役者人生と、やはりどこかダブって見えるのは偶然だろうか。
2009.05.10
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2016年のサミット開催地が三重県志摩市賢島に決まった。と、聞いて思ったのは、「へ~、ここを選ぶとは、さすがに目が高い」ということ。賢島には1度だけ行ったことがある。もう十何年も前のことだ。観光というより、志摩観光ホテルの総料理長の高橋忠之シェフの「アワビのステーキ」と「伊勢海老のスープ」を食べに行ったようなもの。当時は志摩観光ホテルベイスイートなんて豪華バージョンはなく、志摩観光ホテルもかなり時代遅れの印象で(そもそも名前からして古臭い)、高橋シェフの料理を食べに全国から食通が集まってくる、というのがMizumizuの認識だった。有名になるとシェフは独立してしまうものなので、事前にわざわざホテルに、「高橋シェフはいらっしゃいますか?」と確認した。「はい、おりますが?」と、少し驚いたような声が返ってきた。賢島へは鉄道で行った。改札口を出ると、さびれた駅前にねずみ色のバンが停まり、その前にお迎えの男性が礼儀正しく立って待っていた。ホテルは古い造りで、窓もまるでアパートのそれみたいだったが、真珠筏が浮かぶ英虞湾の眺めは、緑の山とせめぎ合って素晴らしく、ホテルの人々の感じも非常によかった。これで設備がもっと豪華だったら、素晴らしいリゾートホテルなのに…と、当時思ったが、今はそれが現実になった。全室スイートルームのホテルも増設されたし、志摩観光ホテルのほうも改装中。サミットも決まったし、再開の折には以前とはまったく違う「お高い」ホテルに生まれ変わっているだろう。「高級」なお金を取る新興のリゾートホテルのサービスには、何かと文句をつけるMizumizuではあるが、ここに関しては不思議と悪い印象がない。設備は古かったが、伝統あるホテルという感じで、それに当時の志摩観光ホテルの宿泊代はかなり割安で、そのかわりフランス料理のフルコースを食べれば値が張るというふうだった。有名な「アワビのステーキ」と「伊勢海老のスープ」を含むフレンチのフルコースは…一言で言えば、「舌にはよいが、胃には悪い」という感じ。良くも悪くも「重い」料理なので、まぁ、一度は食べておくべき高級な料理には違いないが、そう何度も食べたくなるものでもなかった(なので、一度しか行っていない)。あまり知られていないが、カンテサンスの岸田シェフも実は、キャリアのスタートは志摩観光ホテル。http://www.quintessence.jp/chef.html革新的な才能は、伝統の中から生まれる。東京で最年少で三ツ星を獲得したシェフの原点が、高橋忠之シェフの店だというのは、Mizumizuには偶然ではなく必然。賢島は真珠の島なのだが、店のさびれっぷりは哀しいものがあった。宝飾品はある程度、「イメージ」を買うものだと思う。うらぶれた通りの、傾いたような店で売られたら、逆に価値が下がって見える。いくら腐るものではないとはいえ、「いったい何年売れずに残ってるの?」と突っ込みたくなるような真珠のアクセサリーや指輪を並べた、買わずに出たら申し訳ないような人気のない店を冷かして歩くのは、まったく楽しくなかった。真珠に詳しい人間なら、そういうハコに関係なく、モノを見極めることが、あるいはできるのかもしれないが、Mizumizuは真珠通ではなかった(し、今もそうではない)。せっかく英虞湾という景勝地にあるのに、とつくづく残念に思ったものだ。サミットを機に、商店街も洒脱に生まれ変わってくれたらと思う。英虞湾の美しくも特異な眺め、美味しい食材、そしてもちろん真珠という特産品。賢島には世界的なレベルで、一級の観光地になれる条件が揃っている。過去にサミットが開催された洞爺湖のザ・ウィンザーホテル洞爺と沖縄のザ・ブセナテラスも、サミット前からMizumizuのお気に入りのホテルだった。以前に行って好印象だった志摩観光ホテルが、サミット会場となる(であろう)のは、その宣伝効果を考えたとき、非常に喜ばしい。日本だけでなく、世界中から目と舌の肥えた観光客が足を伸ばしてくれれば。その価値は十分にある島だ。
2015.06.08
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手塚治虫はトークが非常にうまく、講演会にも引っ張りだこだった。大人向けの講演会では大人向けに話し、子供向けトークショーでは子供向けに語ることができた。書籍になって残っているものも多い。精神世界では手塚治虫の直弟子といっていい里中満智子氏も、相手によって手塚治虫の何が偉大かを語り分けることができる。漫画家やゲーム開発者など、「描く」ことを生業としたい若者に向かって同氏がよく引き合いに出すのは、手塚治虫が二次元の紙面上にもたらした視覚革命、「映画的構図」の凄さだ。その一例が以下:https://animeanime.jp/article/2015/02/21/22063_2.html「漫画界でいえば手塚治虫と、その次の世代についても同じことが言えます」。手塚治虫の最大の功績は、それまで芝居中継のようだった漫画のコマ割りに対して、映画的な構図を持ち込んだ点にあります。「それまでは定点カメラでしたが、手塚治虫は手持ちカメラを多用して、キャラクターに近寄ったり、俯瞰でとらえたり、キャラクターと一緒に舞台の上をかけまわったりしました」映画的手法と簡単に言うが、映像ならカメラを複数用意してあっちからこっちから撮ればよい話だが、漫画となると、それを一コマ一コマ描いていかなければならない。その難しさは、絵を描いたことのない人間には想像できないかもしれない。Mizumizuが、「すげーな、こりゃ」と思ったのは、低年齢層向けの漫画「レオちゃん」でのコマ運び。ここでは、走ってくるレオをまずは真正面から撮り、次に忍び足になったレオを横(のやや下)からキャッチ。次に少しだけカメラを上にずらしてレオの表情を撮り、だんだんカメラを上げながら、レオの身体の向きをコマごとに変えて撮る。次に怪鳥の脇にカメラを移動させ、近づいてきて止まったレオを斜めから撮っている。最後のコマではレオはおらず、たまごを落とす怪鳥を斜め前少し下からとらえて、落下するたまごの動きを読者が感じ取れるような構図になっている。このページでは、石投げをする類人猿を斜め下からまずとらえ(ふりあげた石がコマの枠を飛び出しているのもの効果的だ)、次は一転して、類人猿の斜め上に設置したカメラでやっつけられた敵と感謝するレオを撮り、そのままレオは移動して、洞窟の奥に設置したカメラに黒く映る。博士との会話では、レオのかわいい表情のアップ。次のコマでは背面からで、レオと博士が前進していく動きを暗示している。ちなみにここでは背景が真黒。それから、「よし!」「ぼくにまかせてください」と言いながら、拳をにぎって右手を曲げる力強いポーズのレオを、カメラを寄せて撮る(ちょこっと写っているレオの腰のふくらみもGOOD)。このページは離れて小さく撮られたレオが多いから、このポーズは非常に印象的に見えるのだ。次では一転して、かなり上方に置いたカメラで鳥の群れと大きな正方形の「何か」を見せている。これが何かというのは次のページをめくれば分かるという仕掛け。は~、すごい。一コマ一コマを、ここまで変化をつけて見せるって…カメラなら撮ればよいことだが、手で描いているんですからね、これを。どんだけ技量が高いんだ。そしてレオは果てしなくカワイイ。丸みを帯びた身体の線も、よく動く瞳をもつ目も、めちゃくちゃかわいい。それでいて、描くのが速い。線の勢いを見ても、ノンビリ描いた線ではないことが分かる。まさに神の視点、神の技。
2024.01.28
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5月8日に放送されたNHKのクローズアップ現代『”AI兵器”が戦場に』。この内容を起こした記事"AI兵器"が戦場に 自律型致死兵器システム開発の現状は - NHK クローズアップ現代 全記録を読んですぐに脳裏に浮かんだのが、手塚治虫の『火の鳥 未来編』。ここでは人類は5か所の地下都市でのみ生きながらえている。支配者として君臨するのはコンピュータ。そして、ささいなコンピュータ同士の対立から2つの都市が戦争になる。「計算」に基づいたコンピュータの判断は絶対で、その命令には人は誰も逆らえないのだ。そして、戦争は2つの都市のみで起こったはずなのに、残りの3つの都市もなぜか同時に爆発して消えてしまう。コンピュータがどういう「計算」をしてそうなったのかは分からない。一瞬の、あまりにあっけない人類の滅亡だ。『”AI兵器”が戦場に』では、以下のように問題を提起している。AIの軍事利用が急速に進み、これまでの概念を覆す兵器が次々登場しています。実戦への導入も始まり、ロシアを相手に劣勢のウクライナは戦局打開のために国を挙げてAI兵器の開発を進めます。イスラエルのガザ地区への攻撃でもAIシステムが利用され、民間人の犠牲者増加につながっている可能性も。人間が関与せず攻撃まで遂行する“究極のAI兵器”の誕生も現実味を帯びています。戦場でいま何が?開発に歯止めはかけられるのか?”究極のAI兵器”とは100%自律的に動作する殺戮機械のこと。人間が判断し、指示する必要がなくなり、「正確な計算」に基づき「効率的・効果的」に敵を倒すことができるようになるというのだ。ヤレヤレ…実に不愉快な話。いや、不愉快ではすまない、ぞっとする話だ。元米国防総省 AIの軍事利用政策に携わる ポール・シャーレ氏「AIシステムは、より多くの任務を果たすことができます。その性能は時間とともに向上しています。機械は民間の犠牲を考慮せず、単に計算をして攻撃を許可・実行してしまいます。結果、人々により多くの殺戮(さつりく)や苦しみをもたらしかねません。人間が命の重さを考えることができなくなれば、向かうのは暗黒の未来です」(以上、『クローズアップ現代』の記事から引用)手塚治虫が常に世に問うてきた「命の重さ」。それを考えることができなくなる、暗黒の未来が来るというのだ。規制を求める声は、当然ある。しかし、かつての核兵器開発競争と同じく、AI兵器の開発競争も、止めることなどできない。ウクライナ デジタル変革担当 アレックス・ボルニャコフ次官「技術革新は私たちが生き残る手段です。ロシアは躊躇(ちゅうちょ)することなく、より致命的な兵器の開発に取り組んでいるのです。いつ、この開発競争が終わるか分かりません。総力戦に向かうことが、人類にとって正しい道だとも思っていません。それでも開発を続けねばなりません。さもなくば、彼らが優位に立ってしまうからです」(『クローズアップ現代』の記事より)「人類にとって正しい道だと思わない。でも、やらなければ敵が先に開発を進め、優位に立ってしまう」――この理屈、この恐怖。それが人類を破滅へと導く。『火の鳥 未来編』が描くのは、完全自律型AI兵器のさらに先に待ち受ける、完璧(だと人間が思い込んでいる)コンピュータが支配する世界なのだ。まさに手塚治虫の「予言」どおりに、世界は進んでいる。NHKは昨夜(2024年6月11日)Eテレでアニメ『火の鳥 未来編』のワンシーンが流れる番組を再放送していた。「なぜ機械のいうことなど聞いたのだ! なぜ人間が自分の頭で判断しなかったのだ」そう誰かが叫ぶのは、遠い未来なのか、あるいはそう遠くない未来なのか。火の鳥(2(未来編)) [ 手塚治虫 ]
2024.06.12
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不朽の名作、『ブラック・ジャック』(手塚治虫)。その中でも屈指の名台詞が、これだ。この写真は六本木で開催された『ブラック・ジャック展』で撮ったもの。展示スペースに入ると、まず目に入ってくる正面の窓に、これがどーんと飾られていた。2024年6月30日に放送されたスペシャルドラマ『ブラック・ジャック』でも、ラストにこのセリフの一部を持ってきていた。原作では、このラストシーンの直前に、Dr. キリコが哄笑するコマがある。それを受けて、ブラック・ジャックが「それでも私は人を治すんだ。自分が生きるために」と叫ぶのだ。最初にこのシーンを見たときは、まるっきり映画のワンシーンのようなドラマチックな構図とインパクトのあるセリフに「へへぇええ」とひれ伏したい気持ちになった。「自分が生きるために」――実に、うまい、うますぎる。ブラック・ジャックの叫びが聞こえないかのように去っていくキリコだが、最近になって、気づいたことがある。キリコの哄笑は、「ヒャーッハハハハ ワァハハハハァ」。生きものは死ぬときには死ぬ。お前のやったことは無駄になったな――表面上はそんな勝利宣言にも思えるが、よくよく目を凝らしてみると、この笑い方、実にわざとらしい。無理に笑っているようにも見える。そして、「ハァ」と笑い終わったあとは、キリコは無言になる。ラストシーンでは、キリコの笑い声はなく、吹きすさぶ風の中にブラック・ジャックの叫びだけがある。去っていくキリコの姿は、見ようによっては、うなだれているようにも見える。実は、キリコはこの時、泣いていたのではないか? 最近、Mizumizuはそんなふうに解釈している。キリコが登場する他の物語を読んでみると、キリコは実は「患者が助かるなら、それにこしたことはない」と思っている、まっとうな医師なのだ。ブラック・ジャックの「奇跡の腕」で、助かったはずの命。それが、突発的な交通事故で失われるという不条理。戦場での地獄を体験したキリコは、まともな神経では受け入れられないような悲劇や悲惨な死をいやというほど見てきたはずだ。例えば…なのだが、助かったと思ったとたんに、突発的な攻撃で死んでしまった兵士もいただろう。キリコは不合理に奪われる命を悼む悲しい気持ちを、下品とも思えるような笑いの中に隠して去っていったのではないか。こんなふうに読者が物語に参加できる、したくなる。それが、手塚治虫作品のもつ醍醐味だと思うのだ。ドラマ『ブラック・ジャック』を見逃した方は、TVerであと少しの間、見ることができるので、どうぞ・https://tver.jp/episodes/epthznpv1fブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ [ 手塚 治虫 ]
2024.07.03
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