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サミットを控えて、テレビで「ザ・ウィンザーホテル洞爺」の映像がよく流れるようになった。これを見ると懐かしさにとらわれる。以前札幌と東京、半々ぐらいの生活を送っていたことがあり、札幌にいるときは、非常に贔屓にしていたホテルだからだ。札幌から洞爺湖までは、中山峠を越えて行くのだが、雪に閉ざされて行きにくくなる冬場をのぞけば、恐らく1ヶ月に一度は行っていた。山頂の巨大ホテルは、かなり遠くからも見える。まるで山がティアラをいただいているようで魅力的だった。と言っても、宿泊したのは3回ほど。他はドライブを兼ねた食事がもっぱら。札幌から3時間ほどで行ける田舎の洞爺湖は夏のドライブには手ごろだった。そして、このホテルからの眺めは、絶景中の絶景といっていい。東に箱庭のような洞爺湖、西に彼方まで海岸線の続く内浦湾を見下ろす山頂にあるホテル。山の道は途中から、ホテルへ行くためだけのものになるという贅沢さ。道からは羊蹄山も見え、のどかな牧草地と森が一望のもとに見渡せる。これほどの眺めは、世界中探してもそうはないはずだ。だが、残念なことに、山の上なので、必ずしもいつもきれいに晴れ渡っているわけではないということ。運悪く曇ってしまうと、何も見えない。そして、そうなる確率のほうが高い。それと、絶景には違いないのだが、高いところにありすぎて、部屋の窓を開けることができないし、眺めを楽しむテラスもない。遠くの景色を眺めるだけで、海辺のホテルのように、すぐそこにある自然と一体化したオープンなスペースで心地よい風に吹かれるといった贅沢はない。露天風呂はあるのだが、やはりいかんせん600メートル超の山頂なので、眼前に迫る自然の風景の美しさを堪能できるというものでもない。それに、共同の風呂場は長い渡り廊下を延々と歩かなければならず、部屋からえらく遠い(笑)。だが、このホテルには眺めのほかにも大きな魅力がある。それが食事。フレンチの「ミシェル・ブラス」ばかりが取り上げられるが、Mizumizuたちはもっぱらベトナム料理の「カロー・ダイヤモンド」のお世話になっていた。ここのシェフの腕は東京でもお目にかかれないぐらいの高レベル。ことに、ホテル再開(再開というのは、一度バブル崩壊に絡んで閉鎖に追い込まれ、名前も経営陣も一新して再オープンにこぎつけるまで、ずいぶん長い時間放置されていたからだ)当初の力の入れ方は素晴らしかった。残念ながら、徐々に当初ほどの繊細さはなくなっていったが、それでもフランス料理と中華料理の両方の影響を受けて発展したというベトナム料理の味は抜群で、札幌から3時間かけて足を運ぶ価値は十分にあった。加えて、カイザーのパンとジェラール・ミュロのスイーツ。ミュロは現在は撤退したようだが、パリのエスプリを感じられるケーキというのは、札幌ではほとんどなかったから(だが、札幌のスイーツのレベル自体は非常に高い)、ピスタチオやアプリコットを使った、甘く、重く、そして酸味のきいた独特なスイーツもよく買ったものだ。スイーツといえば、忘れられない思い出がある。ジェラール・ミュロでいくつか生ケーキを買って、箱詰めにしてもらい、札幌へ持ち帰った。ケーキを詰めてくれたのは、見るからに不器用そうなお兄さん。慣れない手つきに不安を覚えたが、札幌に帰って不安が的中したことを知る。大きな箱にケーキをただ入れただけだったのだ。札幌までの道々、ケーキは自由に箱の中で動き回り、すべて転倒して悲惨なことになっていた。驚き、呆れた。東京ではケーキが動かないように間にシキイになる紙を入れたり、底をセロテープで貼ったりするのは常識以前の話だ。あまりに頭に来たので電話で大クレームした。平謝りに謝る年配の責任者。「返金する」というので、「そこまでしなくていい。ケーキの詰め方の基本ぐらいわかってほしいだけ」と言ったのだが、「いえ、返金させていただきます」と誠意を見せる。そこで完全に機嫌を直したのだが、待てど暮らせど返金はされなかった(苦笑)。どうやら忘れていたらしい! というのは、再度電話して、「返金というお話だったのに…」と言ったら、先日と同じ声が出て、「あっ!」だって。まったくやれやれだ。その後「このたびはケーキが転倒し、ご迷惑をおかけしました」という、マジメに書いているのかふざけているのかわからない(たぶんマジメに書いているんだろうけど)謝罪の手紙とともにお金が返って来た。「ザ・ウィンザーホテル洞爺」のロビーでは、高級ホテルの必須条件「生演奏」ももちろんある。ハープだったり、ピアノとヴァイオリンの二重奏だったり。ロビーはバブルスタイルとでも呼びたくなる豪華さ。とてつもなく高い天井、広々とした空間にイタリア製の重たげなシャンデリア、アラバスターのフロアランプ。風のない夜は外に松明が焚かれ、幻想的な雰囲気に。泊まってみての印象はと言えば、一番安い部屋(と言っても、朝食なしで4万5000円ぐらいしたと思う)はかなり狭い。もともと会員制のホテルだったせいもあるかもしれないが、土地のない場所柄でもなく、廊下などの共有スペースは無駄なくらい広いので、非常にバランスが悪く感じた。だが、ベットやソファなどの備品やバスルームの快適さは言うことはないし、ベッドメイキングは3回ぐらいやってくれただろうか。とにかく部屋を空けて帰ってくるたびに、キチンと整えられている印象で、その手際のよさには舌を巻いた。従業員の態度は、特に目立って良くもなく悪くもなく。それなりに訓練はされているが、といってベテランの味のあるホテルマンもいなかった。ソツなく事務的に仕事をこなすが、特にハートフルでもない印象。そうそう、手荷物を女性スタッフに持たせるのは日本の新しい伝統なのだろうか? 華奢な女性が重そうに手荷物をもって案内してくれたのには困惑した。たまたまかもしれないが、京都の某高級ホテルでも同じことがあった。海外では一度もないことだ。力のある男性のボーイに持たせるべきだと思うのだが、日本人男性客は若く非力な女性スタッフに手荷物をもたせて平気なのだろうか。全体的に従業員の洗練度は東京の一流ホテルには及ばない。一番気になったのは、スタッフがゲストを黙ってなんとなく「じぃ~」と眺めてることがあること。観察されているみたいでいい気持ちはしないし、だいいち田舎臭い。こういうのはだんだんよくなってきたように思うが、サミットでは大丈夫なのかな、とチラッと思わないでもない。写真は最上階のレストラン近くの女性用トイレ(苦笑)から。ここのトイレは世界一眺めのいいトイレじゃないだろうか(再苦笑)。実は再開当初は図書ルームが近くにあり、そこからこの絶景を誰でも眺めることが出来たのだが、しばらくたつとスイート宿泊客専用のスペースになってしまった。Mizumizuが宿泊したとき、ちょうどそうなって間がなかったのか看板もなく、知らずに入ろうとしたら、女性スタッフが体を張って立ちふさがった(再々苦笑)。別に知らずにちょっと入ったからって眺めが減るわけじゃなし、ああも露骨な態度に出るかね、と呆れた。「あんたたち、金持ちのスイート客じゃないでしょ。入っちゃダメ。しっしっ」というカンジ。職務に忠実なのは結構だが、こういう所作が田舎者丸出しなのだ。滅多にお目にかかれない絶景、周囲の豊かな自然、美味しい食事、バブリーな施設、スタッフはどこか垢抜けないにしても、国際的な名声を得るにふさわしい条件はそろっているホテルだ。サミットを機会に、ポロモイ山のティアラが世界に向かって輝くことを期待せずにはいられない。バンコクのチャオプラヤー川沿いの高級ホテルには多くやってくる、アラブのお金持ちを取り込むにも、最適だと思うのだが。アラブ地域担当営業スタッフとして雇って欲しいくらい。それくらいこのホテルには惚れこんでいる。
2008.07.03
北海道をドライブするなら、やはり道東がお奨め。帯広近郊には、内地(つまり本州)の人間が想像する「これぞ北海道」という景色が広がっている。音更(おとふけ)の家畜改良センター(十勝牧場)の白樺の並木道は一見の価値あり。カタチの整った美林が行儀よく並んでいる姿は壮観。家畜改良センターの中にはこんな、ちょっとした見晴台もある。遠くに見えるのは大雪山系。山自体は案外低い。群れから離れて、一頭の馬が近づいてきた。なんだか寂しげ。もしかしたら、馬仲間からはつまはじきにされているクンかも?音更を出たら山へ向かって北上し、然別湖に向かうのも一興。山道からは、雄大な北海道の景色が楽しめる。
2008.03.07
ヒース急死を受けて、ゴールドスークで中断してしまった、ドバイ旅行記の追加ネタ。ドバイにはゴールドスークと並んで有名なスパイススークがある。実はMizumizuが行ったときは、スパイススークはほとんどお休みだった(月曜日)。ボチボチ開いている店もあったのだが、スパイスに関しては、あのド暑いドバイの路地に大きな籠や袋を出して、そこに大量のスパイスを入れて売っているのを見て、品質は大丈夫なのかい、と疑問をもった。「籠の下のほうにあるスパイスって、いつの?」とかね。スーク(市場)とは言っても観光客にエキゾチックな雰囲気を味わってもらうための場所で、実際の市民は冷房のきいたスーパーで買っているのではないか。「スークでは値切らないと安くは買えない」「スーパーのが安い」という話も小耳にはさんだ。「市場」も観光客向けが地元民向けかで、おいているものや値段がずいぶん違うのは、万国共通ということか。とはいっても、スパイス大好き人間としては、買わないワケにはいかない。この写真はドバイではなく、アブダビのスーパーのスパイスコーナーで撮ったもの。現地に住んでる日本人の中年男性が、「写真なんか撮ったらダメだよ」などとお節介を焼いてきた。素直に信じないMizumizuは(だって、明らかにアジア人観光客が個人的に記念に撮ってるだけでしょ。ライバル店の視察でも、政治的な意図も何にもないのは、普通に見れば明らかだと思う)、店員さんに、「スパイスがたくさんあって、とても珍しい。記念に撮ってもいい?」と聞いてみた。当然、「もちろん」と快くOK。で、撮ったのがこの写真。現地の値段がよくわからないので、おそるおそる(?)白コショウ、黒コショウ、コリアンダー、ココナッツ、シナモン、それにレンズ豆や白インゲンなど、それでもかなりたっぷり買った。いくらかな? 1500円ぐらいはいっちゃうかな? と心配していたら、ナントナント、日本円で300円!!?? 驚いたのなんの。タダみたいなもんじゃないの。そのときは、あまり買っても使い切れないと思ったのだが、日本に帰ってきてから、もっと買っておけばよかったと激しく後悔。で、品質のほうは、というと、まあ、日本のスパイスのほうが形はいいと思う。あちらで買ったシナモンは、ほんと「木の皮」という感じで、清潔さにやや不安があった(笑)。白コショウといいながら、明らかに白コショウでないものも混ざっていた。だが、風味は断然高い。コショウなどは日本で売ってるものより、明らかに刺激が強かったし、シナモンも強烈な甘い香りがした。レンズ豆なんて、日本ではえらく高いから、あれだけでももっと買えばよかった・・・ と、今でも後悔は続いているのだった。
2008.02.14
ドバイといったら、やはりココは欠かせません。ゴールドスーク(金の市場)。金製品を売る店が、延々と続く一帯。値切って買うべし、というのは聞いていたので、ココで18金のペンダントヘッドを買うときに一生懸命粘り、2割5分か3割か、そのぐらい引いてもらった。ドバイのゴールドスークに来る前に、アブダビで現地の日本人の知人に出入りの店を紹介してもらったので、そこでも18金のブレスレットを買っていた。品揃えや雰囲気からいったら、ゼッタイにドバイのゴールドスークのほうがいい。ほとんど「日本人にはつけられないようなド派手な金製品」なのだが、つぶさに見ていけば、日本人好みの控えめなもの(苦笑)もある。アブダビで行った店は1軒だけだったし、連れて行ってもらった手前、買わないわけにはいかずちょっと困った(笑)。手ごろなものでよい商品が見つからなかったのだ。さてさて、日本に帰ってきて、知り合いの宝石店の店主に見てもらったところ、意外なことがわかった。どちらも確かに18金は間違いなかったが、アブダビの店は値引きNGだったので、定価で買った。ドバイのゴールドスークでは2割5分~3割値引いてもらった。それでも、アブダビで買ったモノのほうが、重さ当たりの単価はちょっとだけ安いことになるというのだ。ということは、やはりドバイのゴールドスークは3割以上値引きしてもらうのが、UAEにおける適正価格ということになるのかな。ちなみにUAEでは金製品は「重さ」で売る。デザインは関係ないようだった。「値引き交渉はちょっと…」としり込みしがちなジャパニーズの皆様、現地の人が買う店に比べると、ドバイのゴールドスークにある店では、どうやら明らかに3割以上はのっけているのは間違いなさそうなので、心置きなく値引きしてもらってください。
2008.01.23
伝統的なアラブ建築を見るべく、シェイク・サイード邸へ。シェイク・サイードとは現ドバイ首長シェイク・モハメッドの祖父。19世紀の邸宅だというが、もっと古い時代のものに見える。全体的にきわめて質素。装飾もほとんどない。石油によって莫大な富がもたらされる前の砂漠の民の生活がしのばれる。この塔は「風の塔」といって、暑い砂漠の国で風を建物の中に呼び込むための工夫。もちろん今のUAEでは冷房が完備されていて、こうした塔をもつ建物はない。わずかに見られた壁面装飾の一部。
2008.01.22
UAEの首都アブダビからデューンドライブのできるドライバーつきのタクシーをチャーターした。タクシーといっても、もちろんRV。トヨタ製だった。ドライバーの運ちゃんいわく、「砂漠ではトヨタが一番。壊れなくていい」とのこと。さすがトヨタ。現場のプロの評価高し。ただ、さすがに現地の金持ちはメルセデスのGクラスに乗っていたけど(笑)。内陸へ40分ほど走ると、もうそこはすっかり、砂漠。砂の丘の向こうにみえる緑は天然のオアシスではなく、わざわざ水をひいて緑化させているとか。人の肌のようにも見える質感。日本にはないものだから、「砂漠」と聞いただけで憧れが掻き立てられる。一度は見てみたいと思う人は多いはず。日が傾いてくると、砂がオレンジに染まり始めた。デューンドライブを楽しんだあと。砂の上にできた轍。デューンドライブは非常に楽しかった。砂の丘を越えるとき、クルマが一瞬ふわっと宙に浮いたようになる。それから柔らかく着地。起伏のある砂漠のドライブはとてもスリリング。ドライバーの腕もよかった。足元をみると、そこにあるのは風の存在証明「風紋」。美しいこと限りなし。だが、やはり砂の支配する空間は埃っぽくてかなわない。短時間の見学なら感動もあるが、長時間滞在はできなさそう(ヒヨワなジャパニーズの結論)。とはいっても、一晩だけなら、砂漠のテント(はワイルドすぎるからテント式ホテルかな・笑?)で寝てみたいかな。砂埃であまり空はきれいに見えない、つまり「月の砂漠」は期待できないという話もあるが、どうなんだろう。アフリカの観光地ではそうした砂漠滞在を売りにしてるところもある。次回砂漠に行くなら、中東以外のところにしたいのでアフリカは魅力的なのだが、UAEでは労働者の質が全体的にとても高かった。デューンドライブをしてくれたドライバーはパキスタン人だが、英語をきちんと話したし、態度もとても紳士的だった。ドバイのタクシーの運転手もアメリカやヨーロッパの一部のような「ガツガツした」卑しさがまったくなかった。だが、アフリカとなるとどうなんだろう。労働者の質が心配だな~。それと水道などのインフラも。
2008.01.21
野生のラクダはスリム。見目麗しいラクダは高い値段で売れるそう。そして、見目麗しいといえば、なんといってもベリーダンスの女性。まだ10代だという(サバよんでませんか?・笑)。観光客相手のショーのせいか、1人で踊るベリーダンスそのものは短くて、すぐに女性の見物客を誘って一緒に踊ってお茶を濁そうとしてるのが、どうも…(苦笑)。ま、そんなもんでしょうか。一見の価値は、とりあえず「あり」かなと。
2008.01.20
やはり砂漠の国に来たからには、ラクダも見たい。アブダビからデューンドライブに参加したときにラクダ君たちに出会った。ラクダ君、あまりにカワイスギル! なんでそんなとぼけたお顔をしているの?思わずアップで撮ってしまった。睫毛が長いのは、やはり砂から目を守るためかも。デューンドライブのポイントに着いたところにいた、観光客相手にラクダ乗りをさせるお兄さん。できすぎの構図になった(笑)。Mizumizuも乗ってみたが、案外快適。馬よりずっと高いので眺めがいい(笑)。注意するのは、ラクダが膝をつくとき、つまり降りるとき。ガタッとなるので振り落とされそうになっている人もいた。
2008.01.19
最上階のレストランからは、ドバイの街と海が見渡せる。確かに大変に高いところに来ているのはわかるし、海は汚くはないのだが、絶景というほどのものでもない。やはり砂漠から飛んでくる砂塵にけむったような街だ。ホテルも豪華なのだが、そもそもドバイには何かが足りない気がする。ビーチは整備されているが、自然の景勝地がない。ホテルの近くにモールはあるから買い物はできるが、どうもこうした場所でのショッピングはしょせんお仕着せという感がぬぐえない。ホテルは街から離れているから、ぶらっと街に出るということもできない。タクシーは安いから気軽に使えるが、だからといって街に出ても、ぶらぶらと散歩を楽しむにはちょっと暑すぎるので、すぐに冷房のきいた建物に入りたくなる。スークは完全に観光地化している。豪華なホテルに泊まり、ビーチで寝転がり、ブランドショップで買い物し、スパやエステ、競馬などの娯楽を楽しむ。それで十分満足できる観光客にはうってつけかもしれないが、その街の豊かな歴史や自然や芸術に興味がある人間にはものたりない場所だ。だが、ブルジュ・アル・アラブは素晴らしいホテルには違いなかった。チェックアウトの30分ほど前に、「ポーターを10時によこして」とバトラーに電話で伝えて部屋で待っていた。Mizumizuはバカンスといえば、イタリアが基本だから、ポーターがすぐ来るなんて発想はもとからない。イタリアのポーターなんて10分や15分では来やしない。どうぜホテルのエントランスまでなんだからと、「呼んで」と言ったあと、痺れを切らして自分で運んでしまったことも多い。ブルジュ・アル・アラブでも時計の針が10時10分を過ぎてもさほど気にしなかった。ところが15分になっても来ない。これは遅いよね、と思ってもう一度、担当のバトラーに電話したら、「ポーターはすでにお客様のお部屋のドアの外で待っています」とのこと。なんと、ベルをならしてお客のペースを乱さないよう、静かにドアの外で待っていたというのだ。ドアを開けると本当にちゃんと待っていた。さて、荷物を預けて、チェックアウト。階ごとに控えているバトラーに「滞在はご満足いただけましたか?」と聞かれたので、「もちろん」と答えて、部屋の美しさと清潔さ、それに従業員の態度をほめまくった。「お食事は?」と聞かれて、それには「う~ん」。実は、前日のランチと翌日の朝食を取ったのだが、どちらも相当イマイチだった。不満げな表情のMizumizuを見て、「嗜好が違うからでしょうか? 寿司レストランもありますが」と言われた。数日しかいないドバイで寿司食おうと思わないけどねぇ。寿司なら日本で食べるって。こりゃ、わかってないな、と思ったので、「フランスではフランス料理を食べるし、イタリアではイタリア料理を食べて満足するけれど、ここでの食事はあまり満足できるものではなかった」と正直に答えておいた。今後の改善点だと思ってくれればネ。「パリよりも多くミシュランの星が与えられた」と欧米のメディアが驚きをもって伝えた(パリを知ってる東京の人間からすれば驚きでもなんでもないが)東京から来たお客を満足させるのは、並大抵のことではありませんゾ。さて、ホテルのロビーで待っていたのだが、どうも荷物がなかなか手元に来ない。荷物を手から離さない個人旅行をスタンダードとしているMiuzmizuは不安に思って、ロビーのレセプションとおぼしきデスクに立ってるにーちゃんに「荷物まだ?」と聞いたら、「お待ちください」とのこと。ソファで待ってると、別のにーちゃんがやってきて、「タクシーですか? クルマですか?」と聞く。「タクシーで」と答えると、「どちらまで?」。なんでそんなこと聞いてるんだべ? 早く荷物を持ってきてよ、と思いつつ、「空港へ」と言うと、わかったと去っていこうとする。「荷物は?」としつこく聞いたら、「ご心配なく、運びますから」とのこと。そして、すぐまたにーちゃんがやってきて、「どうぞ」と促される。荷物は~? と不安になりつつもエントランスに向かう。タクシーはすでに来ていて、後ろのトランクが開いている。そして、トランクにちゃんとMizumizuたちの旅行ケースがお行儀よくおさまっているではないか! 「こちらでよろしいですか?」とにーちゃん。お客に荷物をもたせてロビーを歩かせたりはしないわけね。そういえば、ふつうホテルのロビーでよく目にする「荷物の山」をここではほとんど見なかった。さすが「7つ星」。ヨーロッパの5つ星ホテルにも見習ってほしいよね。というわけで、上げ膳据え膳の旅は空港で終わり、あとは荷物は自ら引きずってチェックインしたのだった。急に身分が低くなったような気分だった(笑)。ところで、ホテルにはアンケート用紙があり、簡単な質問のあとに自由に書き込める欄があったので、従業員の勤務態度を褒めまくっておいたら、なんと! 後日ブルジュ・アル・アラブの支配人から日本へ直接お礼の手紙が届いた。しかもちゃんと「従業員に対して高い評価をいただき、大変光栄でした」と書いてあった。しっかり読んでたのね、アンケートの書き込み。「また是非おいてください」ともあった。こうした大型の豪華ホテルというのはどうしても「ゲストとの親密さ」が築けない。話のネタに一度行く人は多くてもリピーターは案外少ない気がする。わざわざパーソナルなレターを書いてきたのは、支配人に「リピーターを少しでも増やしたい」という気持ちがあるからではないかと思う。そりゃ、お金と時間が有り余っていたら、こちらとしてもいつでも再訪したいけどね(苦笑)。
2008.01.18
1階は友人を招いて楽しめるリビングススペースになっているブルジュ・アル・アラブだが、2階は完全なプライベート空間。ドレッシングルームのほかにバスルームとベッドルーム。右の写真がバスルームを入り口から撮ったもの。ダブルボウルの洗面台には特注を含めたエルメスとブルガリのアメニティグッズがずらり。石鹸、ジャンプー、香水、アフターシェービングローション… これらだけでも普通にショップで買ったら数万円。もちろんすべて持ち帰りさせていただいた(笑)。ほかにも、ホテルの近くのビーチで使うための大きめのショルダータイプのビーチバッグがあって、それは今東京で活躍している。そうそう、お菓子もあった。帆のカタチの特注の箱にマジパンなどが入っていた。お味もグー。全部食べられなかったので、これもお持ち帰り。おかげで荷物が増えちゃって(笑)。さて、バスルームは大理石がふんだんに使われていた。バスタブは円形でジャグジーつきなのだが、これは水の勢いが弱くて水をためるのが大変だったし、ジャグジーもイマイチ。左の写真はバスタブのある場所とは別にしつらえられたシャワールーム。細かなモザイクのようなタイルが敷き詰められ、ため息ものの美しさ。色のコーディネーションといい、床の模様のデザインといい、ほとんど芸術品。しかし真鍮に金メッキのシャワーノズルが重いのなんの。豪華仕様の道具を使うのも大変だ。ベッドルームも広々。ヘッドボードの後ろに青いカーテンが下がっているのが、いかにもアラビックな貴族的雰囲気。ヘッドのほかにもソファがあるのだが、ここの大きな青いオットマン(写真右の中央)にはビックリ。みんなでソファに座ってここに足をのせてくつろげってことかな? アラブの家族だとありそうな光景だが、日本人にはない発想。ソファに並んだクッションには手の込んだ刺繍が施されていて、お土産に欲しいぐらい。モチロン、これはお持ち帰りするワケにはいかない。夜のベッドメーキングも完璧だった。若い男性2人がかりで、テキパキとベッドを整え、サイドボードにチョコレートと冷たいエビアンの水。夜喉がかわいても、ヘッドから出て水を飲みに行く必要がないということだ。ここの従業員は誰も「チップ待ち」をしない。さっさと仕事を片付けてあっという間に出て行く。その訓練された手際のよさはジャパニーズでも瞠目した。ヨーロッパのやる気のないメイドと大違いだなぁ。ホントいたれりつくせりで、こんなところに2~3日いたら、人間がダメになりそう(笑)。
2008.01.17
吹き抜けを建物の中央に見ながら、部屋までの渡り廊下を歩く。下の写真右が部屋の入り口ドア正面。絨毯にもあでやかな模様が施されている。重たげな木製の装飾を施したドアのぐるりも金。中に入ると左手すぐに、2階のバスルームとベッドルームに続く階段がある(上写真左)。手すりまで優美な螺旋階段にはやはりフカフカの絨毯が敷いてある。スリムで可憐なシャンデリアはあまり重々しくないのが階段の灯りとしてふさわしい。部屋まで案内してくれたベルボーイがあっという間に荷物を上にもって行くので、「どうしたの?」と聞くと、「上にドレッシングルームがあるから、そこに」と言われた。なるほど、リビングスペースに荷物を広げるようなヤボなマネはしなくていいわけね。写真右:入り口すぐの左には、アラブ風に豪華なデスク(側面まで詰め物入りの布張り!)があり、ファックスやインターネットも備えられている。写真の奥にカウンターストゥールがあり、そのむこうの壁に金の額縁がかかっているのがかすかに見えるだろうか? 実はこれはテレビ。テレビまで金の囲いの中に入れている。写真左はデスクのそばに置かれた象嵌細工の円テーブル。ウエルカムドリンクはフレッシュなミックスフルーツジュース。果物が籠に飾られ、リネンのナプキンとお皿とカトラリーが揃っている。果物は当然パクパクといただく(笑)。もちろんエクストラで料金を取られることはない(その前にたっぷり正規料金で取ってるしね)。食べごろの果物ばかりで、小ぶりだが日本の梨もあったのにはビックリ。南イタリアのサンタ・アガタにある星つきレストラン「ドン・アルフォンゾ」では、腐った果物置いていたっけ。夜、果物を全部食べ終わったのでバトラーを呼んだら、きれいに片付けてくれて、新しいナプキンを置いていってくれた。替えのナプキンはちょっとグレードが落ちて、コットンだった(別にいいけど)。写真左がリビングスペースを入り口のほうから見渡したもの。写真では切れているが、左側にもゆったりとスペースが広がっている。窓の向こうは海、海、海…。ただ、階が高すぎで、海の現実味がなく、オーシャンビューのホテルの眺めを楽しむというより、飛行機から見てるような感じがした。リビングは半端でなく、ゆったり。リビングの中央を広くとり、壁にそった部分に長椅子を並べている、クッションがやたらと置いてあり、10人は座れそうだった。友達呼んで騒ぐと楽しそうなのだが、なにしろドバイに友人はいない。残念。2人でいるには広すぎて寂しいぐらい。写真右はリビングスペースにおかれた優美な寝椅子。つやつやしたブルーのベルベットの手触りがなんとも安楽な雰囲気を醸し出す。アラブのお姫様気分に浸れる。芸術品のような寝椅子だった。全体を深いブルーとゴールドでまとめ、アラブの美意識を前面に出した見事なインテリアコーディネート。<明日は2Fをご紹介します>
2008.01.16
ヨーロッパ人に人気のリゾート、砂漠の街、ドバイ。ここには地元民が「7つ星」と自慢する超高級ホテルがある。(ちなみに、ミシュランのレストランの格付けは3つ星が最高、ヨーロッパでのホテルの格付けでは5つ星が最高。)その名は「ブルジュ・アル・アラブ」。アラブのタワーという意味。建物全体がアラブ船の帆をイメージしたデザインになっていて、海に突き出した人工の島に建っている。この写真はイタリア人の友人、ITALA SANTORSOLAさんから送られてきたもの。あまりにキレイに撮れているのでご紹介。イタリア人の間でも人気のあるリゾートらしい。Mizumizuも話のネタに1泊してみた。噂にたがわず、すごいホテルだった。まずは入り口から入ったところ。左が上を見上げた写真、右がエントランスを入って正面から撮ったもの。巨大な吹き抜け空間になっており、いかにもアラブらしいキンキラ金。宇宙的成金趣味と名づけてしまった。右がエレベータホール。右端に絢爛たる装飾がほどこされたエレベータのドアが見える。ブルーのソファもアルブ風に豪華でふかふか。共有スペースにおかれたソファなのに、ちゃんとクッションまであつらえてある。このエレベータで各階の自分の部屋へ向かう。左は自分の部屋のある階についたところ。建物の壁部分にぐるりと渡り廊下がめぐらされ、それそれの部屋の扉が見える。ここでは階ごとにバトラーが待機していて、気軽に渡り廊下に入るのははばかられるようになっている。<明日は部屋の中をご紹介します>
2008.01.15
稚内のほうから見た利尻島。海の中に突然、山。それもすんなりとカタチがよい。この景色も相当感動できる。残念ながら、この日は夕暮れには雲がかかってしまった。
2008.01.07
礼文島の入り江。かもめが飛んでいる。礼文島の海岸。石がゴロゴロしていて、海水浴は難しそう。礼文島の奇岩。またかもめが飛んでいった。実はこの手の岩は北海道の日本海側には珍しくない。積丹にもいくつかあった。
2008.01.06
青い空のもとでの礼文島は、緑がひたすら鮮やか。岬へ向かうお散歩コース。蒼い空と海、緑の岬、風――あるのは、それだけ。水平線が丸みを帯びている気がする。
2008.01.05
日本屈指の絶景……とMizumizuの思う「礼文島から見た利尻島」緑の丘の向こうに、蒼い海が見え、そこに富士山めいたカタチのよい利尻島が浮かんでいる。残念なのは、マフラーのように巻きついた雲がなかなか取れなかったこと。それでも、花の時期は曇ることの多い礼文島だから、見えただけでラッキーかもしれない。午後になってやっとマフラーははずしてくれたと思ったら、すでに島は陰影を失くして、壁絵のように平面的になっていた。レブンウスユキソウもたくさん咲いていた。一所懸命歩いて行ったのだが、宿に戻ったら、軒先にも咲いていて、ちょっとガッカリ(笑)。
2008.01.04
礼文島は「花の浮島」とも呼ばれ、今では観光で食べている人も多くなった。本当に、花の時期の礼文島の美しさは筆舌に尽くしがたい。エーデルワイス、いやレブンウスユキソウもあちこちで咲いている。スリムな富士山のような利尻島が海の向こうに見えるさまは絶景そのもの(ただし花の時期は曇ることが多いので、見えない日のが多いかもしれない)。だが、この島はかつては、厳しい自然と対峙しながら魚貝やコンブをとって生活する人々の島だった(もちろん今でも、ここのウニは絶品だし、コンブ漁に携わっている人もいる)。そんな歴史を見せ付けられる風景がある。はちゃめちゃに壊れるだけ壊れて放置された廃屋のもつ凄みと迫力。厳しい自然の中での労働者の貧しく過酷な生活の営みが想起される。東京近郊では、こういうほったらかしの廃屋というのはあまり見ないが、北海道では結構ある。だが、ここまで絵画的に崩れた廃屋は、さすがに珍しいかもしれない。ここはクルマでは行けない場所。緑の崖が海にむかってくだり、その先は霧と海と空が一体になっている。低木すら1本もないことが、ここの過酷な自然を物語る。観光客向けには、あたかも花のための島のように宣伝されている礼文島の知られざる一面。
2007.12.28
津和野でも印象的な「朱(あか)」に出会った。影まで紅く染まるよう。津和野ではおいしい創作和食を食べさせてくれる「岡崎食堂」がお薦め。やってないことも多いので、予約は必須。
2007.12.23
紅葉の「赤」だけではなかった。吉野では印象的な「緑」にも出会った。均等に並んだまっすぐな幹。そこに重たげな緑がかぶさる。林の闇に惹かれて思わず立ち止まると、一陣の風が吹いて緑の集合体を揺らし、そこにまた別の陰ができた。深い陰が撮りたくてシャッターを押した1枚。こちらは紅葉の絨毯、「赤」の世界。川辺ではお約束のスローシャッター。三脚をもっていなかったので、そこらに置いて撮った。手前には「だんご3兄弟(古い!)」ならぬ、「紅葉4兄弟」。
2007.12.22
吉野の秋。降るような紅葉。軒先に吊るされた干し柿は、どこか懐かしい情景。
2007.12.21
春夏秋冬、それぞれに美しい美瑛だが、空気の澄んだ秋は山がよく見える。春や夏は天気がよくても見えないことが多い気がする。ただ、農作業が全部終わってしまった後、つまり冬の直前の美瑛は、土ばかりになってしまうので、その時期だけは避けたほうがいいかもしれない。拓真館のそばの丘にのぼって、くつろいでみた。小さなストーブ(コンロではない)をもって、直火でエスプレッソを入れてみる。大自然の中で飲むエスプレッソは「たいへん美味しゅうございました」。
2007.12.15
秋の美瑛の風物詩。あっちにもこっちにも「ロール君」がいっぱい。ちょっとした丘に登ると、美瑛の「パッチワーク」が楽しめる。傾斜地の畑は、耕すのが大変で、丘を平らにする計画もあったらしい。今も危険な「丘」での農作業は土地の人々の間で問題になっているという。この美観は、観光客から直接利益を得るわけではない農家の人々が作り上げたものだけに、外部の者としては、なんとも言えない気持ちになる。
2007.12.13
それはベネチア・メストレの安ホテルでのできごと。妙に中国人労働者の多いホテルだった。廊下でみかけた掃除婦はのこらず中国人、朝食をとるためにレストランに入ったら小柄な中国人のウエイターが近寄ってきた。その中国人ウエイター、ニコニコしながら、「There…」とレストランの隅を指す。そっちへ行け、ということらしい。見ると、大きめのテーブルにすでに4人ぐらいのアメリカ人とおぼしき青年が数人並んで座っている。はあ? 合い席しろってこと? 見回すとレストランのほかの席はガラガラだ。なんでだよ。当然納得できないMizumizuは英語で、「他に空いてるテーブルがたくさんある。なんでそっちへ座ってはいけないのか」と聞いた。向こうの席に詰めて座らされているアメリカ青年がこっちに視線を投げてきて、目が合った。すると、中国人は「はあ~ん?」と首をかしげ、また「There…」と同じ席を指す。なんだ、英語が通じないのね。じゃ、最初からイタリア語で喋れよ、とさっそくイタリア語に切り替えて同じことを言った。ところが! 中国人ウエイターは、またも「はあ~ん?」と首をかしげ、なおも「There…」と同じ席を指す! が~ん、イタリア語も出来ないワケ? イタリアで働いてるのに??完全にアタマにきたMizumizuは再度、さらに大きな声で、「他のテーブルは空いている。どうして私たちが座ってはいけないのか、説明してほしい」とイタリア語で詰問した。場が一挙に険悪になる。後ろの「典型的日本人」の連れがオロオロして、「いいじゃない。向こうに座ろうよ」などと言い出した。ジョウダンではない。別にワガママを言っているわけでも、無茶な要求をしてるワケでもない。ただ、ウエイターの理不尽な「指示」に説明を求めてるだけだ。すると、キッチンからイタリア人の女の子がすっ飛んできた。「こちらへどうぞ」と空いてる席に案内する。当然だ。「どうもありがとう。ご親切に」と言って着席。女の子にカフェオレを頼んで、ゆったり食事をした。食事中に観察していたら、その中国人はいわゆる「(注文をうける)給仕役」ではないことに気づいた。お客が食べたあとの皿を片付け、テーブルクロスを替える係だったのだ。言葉がまったくできないことからして、イタリアで働き出してまだ日が浅いということだろう。その「ボクはできるだけ働きたくない」風ノロノロの勤務態度は、呆れるばかりだった。テレビがついているのだが、それを見ながら、わざとか? というようなゆっくりのモーションで面倒くさげに後片付けをし、新しいクロスをかけるときも、シワになっていようが、ゆがんでいようがおかまいなし。はは~ん、つまり、客を合い席にさせてしまえば、自分がより動かなくてすむ、と計算したワケね。さすが中国人。目先の自分の利益にずいぶん聡いこと。あとから恰幅のいいドイツ人の中年夫婦がやってきた。なんとかMizumizuを合い席にもっていこうとした中国人は、こちらのキツイ態度に凹んだのか、あるいは怖そうなドイツ人にビビったのか、何も言わなかった。ドイツ人夫婦は当然ながら、自分たちの好きな席に着き、注文を聞きに来た女の子にコーヒーを注文していた。気の毒なのは、純朴なるアメリカの青少年たちだ。キッチンから近いテーブルに合い席でキツキツに座り、大人しく食事をしていた。Mizumizuたちのやり取りを見ていたから、なにも合い席を了承する合理的な理由などなかったことには気づいただろう。次からは、変なことを指示してくるウエイターには注意しようネ。イタリアでは珍しくないからネ。イタリアのウエイターにはトサカに来ることが多い。今日はとりあえず、ベネチア・メストレで発見した中国人編だが、今後も不定期かつ唐突に性悪ウエイター列伝は連載の予定。請 御期待! 再見!
2007.12.12
きのうヘイゼルグラウスマナーの紹介記事を書いて、久々に同ホテルのHPをじっくり見てみたら、料金がかなり上がっているのに気づいた。「リーズナブル」と書いたスタンダードツインで23100円になっている。ここには3回泊まりに行ったが、最後に行ったときで18000円台だったような記憶があるから、5000円上がったということか。2万超えて、北海道のあの場所で、リーズナブルといえるかどうかちょっと微妙になってしまった。実はだんだん知名度が上がったらしく、4度目以降は予約が取れなくて行けなかったのだ。もともと部屋数が少ないせいもあると思う。だから料金は最近ではなく、もうずっと前から上がっていたのに気づかなかっただけかもしれない。ここはレストラン。ウッディな内装は温かみもあり、雰囲気もよい。ディナーは宿泊料金とは別なのだが、ほかに食べる場所も近くにないから、だいたいここでディナーをとるのはお約束になる。味はというと…実は、3度行って毎回ほとんどメニューが同じだった。しかも、だんだん量が少なくなった(苦笑)。そのうえ、サラダの野菜のちぎり方なんかが、「いかにもアシスタントがやりました」風に雑になってきたのは残念といえば、残念(初期の頃はあまりお客さんもいなくて、アシスタントを入れる必要はなかったんだろう。最初に行ったときは宿泊客はMizumizu組だけだった)。だが、その後は逆にアシスタントも仕事が上達したかもしれないし(笑)、基本的に味はよかったので試してみる価値は大。朝の窓の外の景色は道東の自然そのもの。林の中のレストランのようで、都会人には嬉しい空間だ。ところで、このヘイゼルグラウスマナーだが、3度目に行ったとき、たまたま燕尾服の支配人がいなかった。そーーしたら、スタッフの「緩み」ぐあいは目を覆うばかりだった。朝食事に行ったら、前のお客さんがべっちょり汚したクロスのかかったテーブルに、平気で案内する。「汚くありません?」と言ったら、他人事のように、「そうですね」だって。冷静に論評してる場合か~!しかし、別のテーブルのクロスも微妙に汚かった。ふつうテーブルクロスってのは、1組1組替えるもんじゃないのかね? ヨーロッパではそれが常識だと思うのだが。さらにチェックアウトのとき。規定のチェックアウト時間ぎりぎりまで、部屋でゆったりしていたのだが、なにやらドアの外でおばちゃんのおしゃべりの声が聞こえる。荷物をもって出て行ったら、掃除のおばちゃん(メイド)が2~3人で、Mizumizuたちの部屋のドアの横の床に座りこんで、タバコをプカプカすいながら、くっちゃべっているではないか!Mizumizuたちが思いのほか出てこないので、部屋の外で座り込んで待っていたということらしい。が、しかし! そんな態度のメイドがあっていいもんだろうか?ヨーロッパのホテルで、てきとーーに仕事するメイドはイヤというほどみているが、いくらなんでも床に座り込んでタバコ吸いながらおしゃべりをして、客が出て行くのをドアの外で待ってる輩には、これまで世界のどんなホテルでもお目にかかったことはない。平均的に労働者の質が高いと信じられている日本だが、もはやそれは「神話」にすぎないのだろうか? 常識で考えたって、恥ずべき態度だと彼女たちは思わないのだろうか? ゲストがまだ部屋にいるなら、メイドは目立たない場所で部屋が空くのを待つべきなのだ(あまりに当たり前すぎて、書いててむなしくなるが)。支配人がいるときは、さすがにこんなことはなかったから、あの日はたまたまだったのだろう。だが「上」がいないといきなりコレ、というのがますます情けない話だ。あの態度では仕事だって推して知るべし。使うほうは大変だろうと支配人には同情したくなった。
2007.12.11
摩周湖のあたりに行くときは、川湯温泉に泊まるのが定石だろうけれど、温泉旅館に飽きたらちょっと足を延ばしてみる価値のあるホテルが標茶にある。ヘイゼルグラウスマナーだ。摩周岳をバックに、木々の間に見える一軒屋がソレ。相当辺鄙なところにあるから、日が落ちる前に行かないとたどりつけないかもしれない(笑)。北海道ではいわゆる輸入住宅を多く扱っている業者に「しんたくダイワ」というのがある。そこが建てた大きめの家みたいなホテル。客室は8室しかない。なんでもオーナーは都心の開業医だそう。馬も飼っていて、乗馬もできる。到着すると、燕尾服の支配人さんがお出迎えしてくれる(こともある)。1Fはロビーとレストラン、それにラウンジ(上写真)がある。ここで読書などしてくつろぐことができる。木の羽目板の壁に木製のサッシュの窓、カーテンはストライプファブリックのバルーンスタイル、床は絨毯、家具はジョージアンスタイルのアンティーク。と書くと「ほぉおお~」だが、実はココ、写真ではわからないと思うが、壁のカンジとかは案外アメリカンな「はりぼて」風なのだ(苦笑)。だからここに来ると「しんたくダイワ(の輸入住宅)だな~」と思ってしまう(再苦笑)。お部屋はスタンダードツイン(写真)が一番リーズナブルでお薦め。台の高い、いかにもアメリカンなゆったりとしたベッドは、「よっこらしょ」とのぼるカンジ。窓の外は林と野原が広がっていて、夜はちょっと寂しい。でも都会から来ると感動できる。隣の家が見えないなんて、すご~い! ことではないか。(明日に続く)
2007.12.10
阿寒国立公園にある大きな湖といえば、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖だが、阿寒湖の周囲には温泉街が広がり、宿泊して楽しめる観光地になっている。湖の中から温泉が湧き出ている場所がある。写真で湯気が上がっているのはそれだ。そうした場所の1つで、足を浸している白人の女の子がいたので、「熱くない?」と聞いてみたら、「ちょっとね。でも大丈夫」と答えた。ニュージーランドから来たという。「東京は人ばっかりで、クレイジーな感じがしたけど、ここは好き」だという。そういえば、倶知安のあたりはオーストラリア人やニュージーランド人がこぞって別荘を買うので、一部の地価が高騰したらしい。南半球の人たちが日本の土地を買いに来る時代になるなんて、世の中、本当にどう変わるかわからない。鮮やかな夕焼けになった。阿寒湖といえば、マリモ。お土産屋には「小マリモ」がたくさん売られている。Mizumizuも買った。だが、このお土産のマリモは自然に丸くなったものではなく、実はただ単に手で藻を丸めただけだという。そんな気はしていたが、実際に「手で丸めてる」作業場をテレビで見たときは、ちょっとメマイがした(笑)。以来買ってきたマリモに対する愛着もすっかりなくなって、そのうち捨ててしまったのだった。
2007.12.09
北海道で一番美しい沼(とMizumizuの思う)オンネトー。オンネトーとはアイヌ語で「老いた沼」「大きな沼」という意味だそうだ。確かに、沼としては大きい。湖と言ってもいいかもしれない。だが「老いた」とは? 魚が棲んでいないことと関係しているのだろうか? いろいろ調べてみたが、「老いた沼」のいわれを明確に説明した資料は見つからなかった。あるいは単にオンネトーとはアイヌの人たちにとっては、「大きな沼」を指すのであって、その単語に「老いた」という意味もある、というだけのことかもしれない。オンネトーは酸性が強く(湖底から硫黄が染み出しているとか)、魚は生きられないらしい。ウィキペディアには「サンショウウオとザリガニが棲息している」と書いてあるが、土地の人によれば、それも10数年前に絶滅したという。そういう意味では、「老い」を通り越した、死の沼(湖)なのだ。これは一番ポピュラーな展望スポットから撮った写真。背後にそびえるのは、左が雌阿寒岳、右が阿寒富士(確かに富士山に似ている)。観光バスはここの景色を見せて帰ってしまうことが多いようだが、それはあまりにもったいない。なぜなら、オンネトーは別名「五色沼」とも呼ばれ、時間や場所によって刻々と湖面の色を変えることで有名だからだ。上記の展望スポットからもっと奥に入るとキャンプ場がある。さらに、東岸(上の写真でいえば、湖の向こう側)には遊歩道もある。晴れた夏の日にオンネトーに来る機会があったら、絶対にキャンプ場、できれば遊歩道まで行くべきだ。そこには・・・こんな神秘的な色の、澄んだ湖水が隠されている。底に沈んだ倒木は横たわった白い骨のよう。少しばかり残酷で美しい眺め。まさに、「死の沼」かもしれない。五色沼の別名どおり、場所と時間によって色が違って見えるのだが、やはりもっとも美しいのは上の写真のようなターコイズブルーだ。この奇蹟のような色彩は、奥のキャンプ場、あるいは遊歩道(のキャンプ場の向かい岸あたり)まで行かなければ拝むことはできない。この輝きに惚れ込んで、湖のわきのキャンプ場でキャンプまでしてしまった。しかし、泊まったのは真夏の8月だったというのに、夜はえらく冷え込んで、ひどい目にあった。道東を甘く見てはいけない。夏でも野外で泊まるなら、ダウンパンツは必携だろう。それと泊まってみて気づいたのだが、朝のうち、つまり太陽があまり高くない時間帯は、湖水の色も上の写真ほどの強烈な印象はない。キャンプ場や遊歩道の木々の間から、湖面が宝石のような輝きで迫ってくるのは午後1時から4時ぐらいまでの間のような気がする。それも、冬はダメだった。曇った日もダメ。曇っているとただの灰色の沼だ。やはり強い夏の日差しのもとでだけ、類まれなターコイズブルーの色彩を放っていたように思う。
2007.12.08
北海道で写真の被写体として魅力的なのは美瑛だが、ドライブして感動するのは「阿寒国立公園」だ。阿寒国立公園は摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、オンネトーなどの湖が含まれる広大な地域。公園指定区域に入るととたんに景色が変わるのがわかる。やはりいろいろな規制をかけて景観を守っているのだろう。特に川湯から摩周湖へ向かう林の道、美幌峠から屈斜路湖にくだる道、雄阿寒岳・雌阿寒岳をのぞみながら走る阿寒湖周辺の山道は壮大の一言。ただ、写真におさめるとなると難しい。あまりに壮大なパノラマが360度展開するので、ポイントが定めにくいのだ。スケールが大きすぎて写真ではその広さが表現しにくい。美瑛は実のところ箱庭的なところで、道東の国立公園地域に比べたらチマチマしたものなのだが、写真にすると実際以上に広くのびのびと変化にとんだ場所に思えるから不思議だ。今日ご紹介するのは、屈斜路湖。クッシーがいるなどという「伝説」も今はもう聞かなくなった。氷に支配された鉛色の湖面に白鳥がさびしく一羽…と、思いきや実はこんなに集まっている。まさしく白鳥の湖。近くのレストランで食事をしていたら、窓の向こう、林の中を2羽の白鳥がサーッと横切って飛んでいくのが見えた。なんとも、できすぎの演出だった。あんな光景は東京暮らしの人間には、そうそう拝めるものではない。今では懐かしい、超レアな想い出だ。
2007.12.07
冬の摩周湖は、寒々として観光客もまばら。湖面に氷が張っていた。摩周湖のぐるりは断崖。一般人は湖畔に近づくことは出来ない。上から眺めるだけだ。だからどのくらい水が澄んでいるのか実感はできない。秋の初めに来たときは、こんなだった。水は確かにきれい、に見える。周囲の山は鏡に映したよう霧の摩周湖というが、3~4回行って毎回湖面が見えた。霧で見ない摩周湖というのも1度ぐらい見てみたい!? いや、なにも見えないのは、やはりつまらないのかな…
2007.12.06
豊頃の「はるにれ」は写真におさめなかったのだが、幕別の「オーベルジュ・コムニ」の部屋からみえた木もなかなか立派だった。コムニは都会的なクールでモダンな建物。でも、ちょっと寒々しく感じた。もともとこういうところに来たがるのは都会の人間なのだがから、北海道らしくウッディでぬくもりのある雰囲気にしたほうがよかったのでは? とも思った。しかも、ここ、建物の外に出ると…こんな感じで牛クンがくつろいでいる。でも、レストランはこんなふうにまるっきり都会的。夜は窓の外の景色があまり見えなかったのだが、朝食を食べにいって驚いた。窓の外には、こんな風景が広がっていた。これは文句なしに凄い!でも、「窓の向こうではない」外には・・・こんな感じのモノが…これでレストランの窓から見える草原(?)を走り回るアトラクションをやってくれたら、都会人にはウケルかも? なにせ、ここは、ぬかるみが多く、あまり散歩して楽しい道がない。「何もしない贅沢」とかってパンフに謳っているのだが、あまりに何もすることがない。幕別には他に見所もないし。退屈なので、こんな写真を撮ってみたりして。部屋のテーブルに置いてあったガラス製のペンホルダー。なかなかオシャレ。HPをのぞいてみたら、さすがに「何もしない」といっても限度があることに気づいたのか、オイルテラピーとマッサージもはじめたらしい。テラピーねえ…どうもトラクターやら牛クンやらのイメージが強くて、オイルテラピーってカンジの場所でもないと思うのだが、体験してないのでなんともわからない。テラピーだのマッサージだのなんて、都会にいくらでもあるものをやるなんて、逆に個性がなくなってしまう気もする。トラクター体験試乗のほうがオモシロそう。まあ、あくまで個人的見解だが。やたら写真が多いのは、感動的な場所だったからではなく、他にやることがあまりになかったからう~ん。もうちょっと遅めの時間に着けば、時間をもてあますこともなかったかな。やはり温泉あり、和食・洋食のレストランありの帯広の「北海道ホテル」のようなワケにはいかない。まあ、田舎のオーベルジュなのだから、ちょっと利用の仕方を間違えたということかもしれない。
2007.12.05
10代のころ強い印象を受けた絵本がある。はるにれ姉崎一馬の「はるにれ」。絵本ということになっていたが、実際は1本の木をテーマにした写真集といったほうが正しい。文章はない。草原にポツリと立つはるにれの木を四季の移ろいとともに追ったもので、北海道の景色をまったく見たことのない子供の憧れをかきたてる、魔法のような自然美に溢れていた。そのはるにれが帯広方面の「豊頃」というところにあると聞いて、訪ねてみたくなった。ついでに近くにおいしそうなオーベルジュでもないかと思って調べたところ、あったあった。幕別の「オーベルジュ・コムニ」。クルマなら十分にまわれる距離だった。そこで札幌からクルマで、まずは帯広に行きランチを取って、豊頃に足をのばし、はるにれを見て、幕別へ行く計画を立てた。豊頃のはるにれは、結論からいうと、ほとんどタダのはるにれだった。町はずれの草原にポツンと立っており、確かに姿は整っているし、絵本で見たあの木には違いないが、実際に目の当たりにするとそれほど珍しいものとも思えない。あの写真絵本で見た、四季折々の驚異的な美しさは、姉崎の発見した… というより、作り出した美なのだ。姉崎はこの1本の木の写真集を制作するために何年もかけたという。子供のころはそんなこととはつゆ知らず、「すごくきれいな木があるんだなあ」と思っていただけなのだが、今ならわかる。魔法をかけられたように美しい木がいつもそこにあったわけではない。あれは、写真家の情熱と忍耐と観察力と想像力とテクニックの賜物だったのだ。というわけで豊頃のはるにれの木の写真は撮らずに幕別へ移動した。興味のある方は、姉崎の写真絵本でご覧ください。「こんな木があるのか!」と感動すること間違いなし。普通に撮った写真ではそういう感動に水を差しそうだ。オーベルジュ・コムニの夕食は、フレンチのフルコース。トマトとにんじんのクーリー。野菜は地元のものだけを使っているという。カルパッチョにも野菜がふんだんに使われていた。白身魚(名前は失念!)のポアレ。十勝牛のステーキ。これも野菜で肉が見えず…(苦笑)。デザートはイタリアのサンタ・アガタの星つきレストラン「ドン・アルフォンゾ」で食べたものとそっくりだった。ここのフルコース、見た目はきれいなのだが、どうも全体的にインパクトがなかった。カルパッチョにも肉にも魚にも、野菜がタップリのっているというのは、ヘルシーなんだろうけど、個人的にはあまり好みではない。しかも… 実はその日は帯広のお気に入りのホテル「北海道ホテル」のお気に入りの和食レストランで会席をコースで食べてしまったのだった。つまり、あまりお腹がすいていないところに、魚と肉の両方が出るフレンチのフルコースを夕食に食べるという暴挙(笑)に出てしまったワケ。大失敗…次にコムニに行くときは、昼は軽めにしなくては。
2007.12.04
こちらはまた、別の機会にクルマで美瑛を訪れたときの写真。クルマだと美瑛はあっという間に回ってしまう。自転車ではなかなか観光スポットにたどりつけない感があるのだが、クルマだと逆にうっかり通りすぎてしまう。よく言われる台詞だが、「日本じゃないみたい」。ヨーロッパの田園風景のようだ。今NHKがまた、さかんに「千の風になって」を宣伝している。●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)秋川雅史/千の風になって」番組では上のようなCDジャケットの写真が出ていたのだが、どうもコレ、美瑛、もしくは美瑛近郊で撮った木のような気がしてならない。そのうちに「千の風の木」などと呼ばれるのかな。「千の風」といえば、新垣勉は歌わないのかな、となんとなく思っていた。ら、あったあった。やはり歌っていたのだ。新垣 勉新垣 勉『千の風になって』どうして秋川雅史から新垣勉を連想したかというと、ふたりとも「テノール」ではあっても舞台のオペラで聴くのはちょっとどうなのかな、でも、オペラのアリアを歌ってもポップス系を歌ってもそれなりに華のある歌唱のできる歌手じゃないかな、という印象があったからだ。新垣の場合は「オペラの舞台」に立つには身体的なハンディが… というのがある。秋川の場合はちょっと違って、あくまでオペラ好きの私見なのだが、彼の声はテノールとしてはちょっと陰影がありすぎる。オペラにおけるテノール歌手の役柄というのは、理想主義的な騎士とか、若干青臭い青年とか、ある種の型がある。テノールとしては伸びていかない秋川の声域では「オペラのテノール歌手」としてできる役柄がどうも思い浮かばない。テノールとしては高音に伸びがないとはいっても、バリトンのような重厚な声でもない。だからこういうポップス系の歌をクラシック的な歌唱で聴かせるのが、秋川には一番合っているのではないかと思うのだ。「私のお墓の前で…」という歌い出し。「お墓」という、およそふつうの歌では考えられないフレーズも秋川の気品と陰影のある声だとピタリとはまる。では、新垣の場合は? 新垣は、声の質自体は、秋川よりずっと正統派のテノールだ。日本人にはちょっとないくらい明るいカラッと乾いた高音が出せる歌手。だから、新垣が「千の風」を歌うと、秋川のような陰りはないかわり、空の高さや吹きわたる風のスケール感がのびのびと表現されているような気がする。どちらにしろ、これほどヒットしたのだから、いろいろな人がいろいろな声で歌うだろう。それぞれの個性を楽しんでみたい名曲ではある。実は個人的に一番歌ってほしいと思っているのは「青戸知」。バリトンなのだが、テノールよりの伸びのあるリリカルな声で、実際のところ声質では、日本でも指折りのオペラ歌手だと思う(ただ、見かけはパパイヤ鈴木みたいなんだけど… 苦笑)。そして圧倒的に「うまい」。コンサートで歌ってくれないかな、と妄想している。メールでも出してみようか。
2007.12.03
「セブンスターの丘」と並ぶぐらい有名な美瑛の「ケンとメリーの木」。遠目には1本の木のように見えるのだが、実は2本並んでいる。通称「ケンメリ」。これも自動車のCMで使われてから有名になった。「それで…?」と言いたくなるような気がしなくもないが、うねうねした畑の向こうに見えるポプラは、そういわれてみればそれなりに清々しい。この木の立ってる畑の持ち主が、「おじいちゃんが植えてくれた木がこんなに有名になって嬉しい」とニコニコしながら話しているのをテレビで見たことがある。植えた本人は、この2本のポプラが日本中から人を集める観光資源になるなんて、想像もしていなかっただろうな…こちらは、名もない畑。先日も書いたように、途中で道に迷い町はずれのさびし~い場所に行ってしまった。道を聞こうにも人っ子一人歩いていない。風の音だけを聞きながら撮った1枚。
2007.12.02
時間を少しさかのぼって、夏の終わりに美瑛に行ったときの写真から。このときは、電車で札幌から美瑛に行き、貸し自転車を借りて回った。美瑛までの電車に揺られながら気づいたことがある。旭川からの電車で座席は対面式だったのだが、みな、なぜかきちっとつめて座席に座らない。肘掛に腰を下ろしたり、座れそうな席があっても立ったままだったり、思い思いの場所で仲間とおしゃべりをしている。あまりきゅーきゅーに詰めて座るのは好まないように見受けられて、東京とは違うなぁ、と思ったものだ。また、会話にも笑ってしまった。「今日は暑いな~」「ホント暑いよな~」とさかんにため息をついている。ちなみにその日の最高気温、たった25度ですゼ。。南国東京から来たMizumizuには涼しい夏の終わりだったんですけど。また美瑛に着く直前に、広い田んぼを埋め尽くすように飛ぶトンボを車窓から見て驚愕した。圧倒的な数だった。さて、美瑛で自転車を借りたものの、思った以上に美瑛町は広かった! おまけに観光ポイントを示した絵地図は、相当テキトーなもので、それを見ながら走ったら見事に迷った。やっとたどり着いた「セブンスターの丘」。タバコのCMに使われて有名になったらしい。残念ながらそのCMは憶えていない。ここで感動したのは、丘の上に整然と並んだ樹木の列と何もない天空の醸し出す透明な空気感だった。こちらは「新栄の丘」とかで、一応見晴台があった。なんとなく義務感でパチリ。美瑛の丘のもつ「パッチワーク」的な魅力が実感できる場所ではあった。動く絵文字使ってみましたヨ>夢二さん
2007.12.01
冬に美瑛に行くなら、やはり防寒具、特に下半身の防寒に気をつけたほうがいい。上だけ厚いダウンを着ても、下がジーンズでは寒さは防げない。Mizumizuはモンベルのダウンパンツを履いていたので無敵(?)だった。世界最高レベルの撥水性!!mont-bell/モンベル ペンティスカ ダウンパンツ(男女兼用)/1101314【1119_10周年2】ついでに「スノーシュー(西洋かんじき)」もあれば、さらに楽しい。これがないと雪のつもった場所は歩けないから行動範囲はとても狭くなってしまう。逆にこれがあれば、どんどん雪の草原を分け入っていける。【全品ポイント2倍】HIGHMOUNT【ハイマウント】 スノーグラバー(スパイク&ワイヤー)【スノーシューズ】【A1129SA】雪をかぶってお行儀よく並ぶモミの木たち…こちらは季節が少し後、春先に美瑛に行ったときに撮ったもの。雪どけが近くなると、美瑛では雪に炭をまく。白い草原に筋状の模様が見えるのはそのため。炭は雪どけを促進するらしい。美瑛の宿でおススメは、やはり「てふてふ」。ただ夏は虫が多いので、せっかくの露天風呂も楽しくないらしい。「冬のがお薦めですよ。クルマで迎えにも行きます」とはご主人の弁。ただ、この宿、不便なところにあるので、自分でクルマがない人は冬の美瑛を見て回るのが大変かもしれない。美瑛観光ももしかしたら、宿のご主人がちょっとしたツアーを組んでくれるかもしれないが…
2007.11.30
昼の美瑛。大雪を遠くに望む雪原には刷毛でなぞったような樹木の影。この写真を見たイタリア人の友人の感想は、「まるで天国の景色のよう」。確かに!ただ、見てる分には天国でも撮るほうは寒くて地獄。それでもマイナス10度の中、三脚を立てて、好みの太陽の光を待っている写真マニアのおじさんも数人いた。とてもそんな根性のないMizumizuはパチパチッと撮って退散。逆光で見ると、まるで白い砂漠のよう。灼熱ではなくて酷寒なのだが……
2007.11.29
美瑛・朝7時。霧氷がうっすらと、うぶ毛のように枝をおおっている。和紙の模様のような不思議な写真になった。陽がのぼると枝先に咲いた氷の華が透明に輝く。あと2時間もすればすべて溶けてしまうだろう。
2007.11.28
朝7時。夜が明けきると人々の生活が始まる。民家の煙突から昇る暖かげな煙が、朝日を受けて輝いていた。林はうっすら霧氷でお化粧をしている。これも太陽が昇りきれば消えてしまう朝だけの情景。マイナス20度まで冷え込んだためか霧氷の美しい朝だった。あちらこちらの樹木の枝先で、繰り広げられる華やかな造形美の競演。まさに「冬の華」だ。積もった雪はあくまでさらさらのパウダースノー。湿気のない北海道の雪は本当に「パウダー」。札幌で、雪が多いのに雪だるまをあまり見ないのが不思議だったのだが、雪がさらさらすぎてころがしても「だるま」にならないということに後から気づいた。美瑛の雪は札幌市内よりもっと軽いパウダーだった。
2007.11.26
これだけ条件のいい冬の美瑛では、朝寝坊は禁物。翌朝は夜明け前に起きだして外出。ピンクから水色のグラデーションになった空。まさしく黎明の諧調だ。空気があまりに澄んでいるので、樹木さえ溶け込んで消えてしまうのではないか… そんな幻想にとらわれた。日が昇ってきたところで1枚。逆光の写真を加工して遊んでみる。ロマン派の風景画のようになった。
2007.11.25
木立の向こうに日が沈む。太陽が隠れたところを撮った写真を友人がフォトショップで加工してくれたもの。ありがとう>Sachikoさん!夜は満天の星空になった。雲1つない。あまりの美しさに寒さをこらえて夜、同じ木立に戻ってみた。コンパクトカメラでもなんとか写るほどの星だった。さすがにこれほどクリアな星の輝く空は関東では望むべくもない。札幌でも無理だ。ちなみに気温はマイナス20度。冬の美瑛、行くのなら防寒を完璧に!
2007.11.24
前田真三の風景写真で名高い「丘の町、美瑛」。大雪山系の麓だが、春や夏は案外晴れても山が見えないことも多い。冬も天気が悪ければ同じことだが、ときに吹雪のあとなど、空気が澄んでくっきりと見えることもある。そういう冬の日に美瑛を訪れることができたら、ラッキーだ。大雪山というのは特定の山の呼称ではなく、トムラウシ山、美瑛岳、十勝岳、旭岳など標高2000m前後の山々の広大な連なりを指す。総面積は神奈川県に匹敵する。「富士に登って山の高さを知り、大雪に登って山の大きさを知る」とも言われる。煙をあげているのは十勝岳。日没の最後の一瞬の光を受けて、立ち上る噴煙が薔薇色に輝いた。日没前後のわずか20分ほどの光のドラマだった。すぐに山の峰は黄昏の闇の中に沈んでいった。
2007.11.23
函館に行くなら秋がいい。夏ほど混まないし、空気は澄んでいる。函館にほど近い大沼では、雄大な自然の晩秋の景色が楽しめる。写真は大沼にて。まさに「枯葉の寝床」だった。函館山からの夜景も秋はひときわくっきり。函館での食のお薦めは、五島軒の「メモリアルリッチ鴨カレー」でもなく、カール・レイモンのハム・ソーセージでもない。ましてや函館朝市でもない。、ハセストの「やきとり弁当」だ。このやきとり弁当は、B級グルメの最高傑作! これを食べずして函館を語るなかれ。ハセストとは「ハセガワストア」という地元密着型の何の変哲もないコンビニなのだが、その場で作ってくれる焼き鳥屋のような設備が整っている。その空間だけは、ホント特別。実はこの「やきとり弁当」の肉、鶏肉ではないのだ! ためしに、店員さんに「やきとり弁当って鶏肉じゃないんですよね?」と聞いてみるといい。「あ、鶏のやきとり弁当もありますよ」という謎の答えが返ってくる。んんん? 鶏のやきとり弁当「も」ある、ということはふつうの「やきとり弁当」は何の肉なのだろう?実は…… 豚肉なのだ。なんで豚肉を焼いたものを「やきとり」と称しているのだろう? 今流行の偽造ではないのか!? どうも「内地」の人間としては、納得いかないのだが、北海道のある地方では焼いた豚を昔から「やきとり」と言っていたのだという。んんん?やっぱりわからないなあ。豚肉も鶏肉も焼いたら「やきとり」? そな、アホな…… じゃ、なんのために「豚」とか「鶏」とかいう日本語があるわけよ? とまあ、解せないものは解せないのだが、とりあえず、ハセストでは「鶏のやきとり弁当」ではなく「ふつうのやきとり弁当」を頼もう。つまり豚肉のやきとり弁当ネ。タレと塩が好みで選べる。Mizumizuはタレ派。帯広名物に「豚丼」というのがあり、これは本当に焼いた豚肉を使っている。つまり、函館のやきとり弁当と基本は同じなのだ。だが私見だが、帯広の豚丼よりハセストのやきとり弁当のほうがスグレテいる、と思う。ちなみにこのやきとり弁当、あまりの美味しさについに札幌でも売られるようになったらしい。以前は函館方面まで来ないとなかったのだが。あと、根室にハセストのチェーン店、タイエーのやきとり弁当もある。ハセストは函館ワイン、タイエーは十勝ワインを使っているといるということだが、味は同じ。北海道はすでに席巻したかにみえるハセストの鶏肉ではない「やきとり弁当」。本土上陸の日も近いか、とひそかに楽しみにしているのだが、残念ながら東京ではまだ見ない。
2007.11.22
ローマに着いたのが19時ちょっと前。ホテルはテルミニ駅至近のHotel Gioberti(アップルを通して予約して当時ツインで16200円だった)。友人との約束は19時半。テルミニ駅からはちょっと離れた、ナヴォーナ広場に近いMyosotis というレストランを予約してある。今日会う友人の中にはローマで大学の先生をしている女性がいて、彼女とはこれまで何度かローマで食事をしているのだが、彼女推薦の店はいつも、どうもMizumizuには塩が強すぎる。なので、今回は不肖Mizumizuがレストランを指定させてもらった。ホテルの部屋に入っていたら時間に間に合いそうもない。そこで、チェックインの手続きだけして、荷物をフロント(といってもHotel Giobertiの荷物保管場所はフロントを半階のぼったところにある)に預けてすぐに出発した。テルミニ駅からタクシーに乗ろうと、タクシー売り場に向かった。すると、目つきの悪い男が近寄ってきて、「ローマ中心まで。メルセデスでたった30ユーロだよ」などと下手くそな英語で話しかけ、半ば強引にドアのあいたタクシーのほうへ誘導しようとした。「高すぎるじゃん」イタリア語ではき捨てて、どんどん先へ進む。目つきの悪い男は、半ば脅すように「メルセデスだから。値段は全部どこのタクシーも同じだよ」とスゴんでみせる。無視して、正規タクシーの乗り場へ。目つきの悪い男は、正規タクシーの乗り場までは来なかった。正規の(ちょっとボロい)タクシーに乗り込む。Myosotisの住所とだいたいの場所に印をつけた地図をわたす。「このレストランのそばまで行って。ナヴォーナ広場の近く」運ちゃんはわりと若い。そして、都会的に無愛想だ。地図を見て、すぐに発進。白タクのことを話しかけたのだが、ほとんど関心を示さないので途中でやめた。「ラジオ聴いてるから」なんて、話しかけられると迷惑といった口ぶりだ(苦笑)。自分は(一応)正規のタクシー運転手だろうに、すぐそばで白タクが営業してるのが気にならないのだろうか? 法外な値段をふっかける雲助がいたらローマのタクシー全体の評判が落ちるだろうし、正規のタクシー運転手にとっては一種の営業妨害だと思うのだが… よくわからない。南イタリアの愛嬌のある運ちゃんとはえらい違いだなあ。まあちゃんと連れて行ってくれれば、ラジオ聴こうが音楽聴こうがいいけど。途中で、「クソッ!」などと怒るので、「えっ?」と聞き返したら、また「いや、(ラジオの)DJがちょっと…」だって(再苦笑)。完全にラジオの世界に入ってる。だが、仕事はいたってマトモだった。グルグル回ることもなく、最短距離でナヴォーナ広場へ。しかも、このレストラン、路地裏のわかりにくい場所にあるにもかかわらず、クルマが入れる限り近くまで行ってくれた。しかし、態度は変。停めたところで、無言のままボーッと窓の外を指差す。そっちの方向だといいたいらしい。11ユーロ。とりあえず、お礼を言ってタクシーをおりた。運ちゃんは、「どういたしまして」とも言わずにブロロロ… と去っていった。イタリア人で「ありがとう」と言って「どういたしまして」と答えない人は実は珍しい。ま、ラジオ聴いてるしね(再々苦笑)。レストランはすぐに見つかった。友人はまだ着いていない。しばらくしてレストランに入ってきて、「7時ごろホテルに電話したときは、まだ着いてないって言われたのに、どうしてもうここにいるの?」と、目を丸くされた。そりゃね、日本人ですから。時間には(ときにイタリア人にとっては迷惑なぐらい)正確なのですよ。Myosotisの味は十分に満足のいくものだった。家庭料理に近い、やさしく繊細な味。アンティパストにMizumizuが「カプレーゼ」を頼んだら、イタリア人の友人におもしろがられた。「私たちはレストランでカプレーゼは食べないな」。さもありなん。モッツァレッラ、バジリコ、トマトを切って並べるだけだから、わざわざ外では食べないだろう。Mizumizuの連れが、プリモに頼んだチェリートマトとバジリコの自家製ストラッチも家庭的で美味しかった。ストラッチとは薄くのばしたパスタを布のように四角く切り分けたもの。メニューをチェックしたら、今でもこの料理はあるようだ。アンティパストにはブッラータの名前も見える。イタリア人には「レストランでブッラータは食べないな」と言われそうだが、日本人旅行者にはお薦め。南イタリア、プーリア州のこのクリーミーなフレッシュチーズはぜひ味わってほしい。ただ量が多いかもしれないので、1人だと食べきれない恐れあり。カンパーニャ州の水牛のモッツァレッラもそうだが、おいしいとはいえ、1人ではそんなに量を食べられるものでもない。イタリア人の友人もドルチェまで注文し、和気藹々。かなり遅くなって、バスでテルミニに戻った。タバッキ(バスの切符を売っているタバコ屋)はすでに全部閉まっており、切符が買えなかったので、仕方なくタダ乗り。「イタリア語できないって言えば~」などとイタリア人の友人が適当なアドバイス(笑)。夜遅かったので検査官は乗ってこなかった。こうしてイタリア最後の夜も終わり、翌日日本へ。サレルノからローマまでのICの料金は25.3ユーロだったのに、それに比べるとローマから空港までの直通は17.6ユーロとえらく高い。ヨーロッパはすでに観光客からは徹底的に「いただく」戦略にシフトしている。<これにてバカンスの旅行ネタはいったん終わりです。まだまだ、シチリア編、ガルガーノ半島編などあります。後日アップしますので、お楽しみに!?>
2007.11.08
アマルフィまでもう少しというところで、タクシーはますますノロノロになってしまう。仕方ないので運ちゃん相手におしゃべり。サンタ・アガタで乗せてもらったタクシーの運ちゃんのフルネームを出して、「知ってる?」と聞いてみた。「ああ、知ってるよ」やはり狭い世界のようだ。「彼にさっき、ホテルで会ったのよ。別のお客をサレルノに連れて行くって」「セダンで来てた?」なぜかクルマの車種を気にしている。「どうだったかな。私たちはミニバンだったけど」「彼、ときどきミニバンも運転するんだよね」「そうなんだ」「何で彼に頼まなかったの?」「バスでアマルフィまで行くつもりだったんだけど、バスが停まらなかったから」「満員だったから、停まれなかったんじゃない」「席はあるように見えたけどね」「変だね」「多分、立ってる場所が違ったんだと思う。ホテルの駐車場で待ってたから」「それでか」「彼に会ったら言っておいて。結局タクシーでアマルフィに行ったって」「そうするよ」実はアマルフィでは買いたいものがあったのだ。ドゥオーモのすぐ前の店で売っていたアーモンドの粉を固めて作ったお菓子。つまりマジパンの一種。イタリア語では「パスタ・ディ・マンドルラ(アーモンドの練り菓子)」と呼ぶ。マジパンは香料くさいイメージがあるためか、それともアーモンドの粉の風味を日本人が好まないせいか、あるいは値段のわりに手がかかるせいか、東京でもめったにお目にかからない。たしかに、香料くさすぎるマジパンも多いが、アマルフィのドゥオーモのそばの店のそれは個性的で香りがナチュラル。その分高かったが、非常に美味しい。レモンやオレンジなどの形をした、マジパンにしては小さなタイプで、周りはかなり硬く固めてある。だから最初の食感はキャンディーのよう。中はまさしくアーモンドの練り菓子だ。やはりアマルフィというべきか、特にレモンが気に入った。それを自分用と友人用にお土産に買って帰りたかったのだ。タクシーがアマルフィに近づいたところで、連れにおりてもらって、買いに走ってもらう。Mizumizuは荷物と一緒にアマルフィのバス停まで乗って、そこで支払いを済ませ、バスのチケットを買うことにした。タクシーは64ユーロもかかった。バスなら1.19ユーロですんだところなので、50倍以上かかったことになる(そういう計算もむなしいが・苦笑)。サレルノまでの1.65ユーロのバスの切符も無事ゲットした。バス停で待っていると、なんと数日前、ここからラベッロまで乗せてもらったタクシーの運ちゃんに会った。ホント、タクシーの世界は狭い。連れが大きな紙袋をかかえて戻ってきた。「そんなに買ったの?」と驚いた(なにせ、中身のしっかりつまったマジパンだから、けっこう重いのだ)が、日本に帰ってみると足りないぐらいだった。さて、14:10アマルフィ発のサレルノ行きバスに乗り込んだが、ポジターノ~アマルフィ以上のすごい渋滞に巻き込まれた。メーター制のタクシーにしなくてよかった。あの渋滞だといったいいくらかかったか想像もつかない。本当に休日の伊豆半島にそっくりだ。15:20にサレルノに着くはずが、実際の到着は16時を過ぎていた。ローマ行きの列車は16:18分発。これで窓口に人が並んでいたらどうしよう… と思いつつ駅舎に駆け込む。が~ん!2つある窓口はどちらも4~5人の行列になっている。「すいません! 私を先にして! 時間がないの!」思いっきり叫ぶ。本当にあと10分しかない。並んでいた人が驚いて振り返る。だが、みな「どうぞ、どうぞ」といっせいに譲ってくれた。うう… イタリア人ってホント、親切だよね。「ローマまで。片道、2人。16:18発EC」と、あらかじめ書いておいたメモを突き出し、「あと10分しかない、急いで!」と窓口のおっさんに叫ぶ。おっさんも慌てて発券作業に入る。「急いで、急いで」なおもせかすと怒られた。「黙ってよ! しゃべられると間違えるじゃないか」そこで、大人しく口をつぐんで作業を見守る。情報を無事にキーボードで打ち込んだ。あとは印刷。ここで機械が止まってしまうのをイタリアでは何度も見ている(苦笑)。イタリア人は別に驚きもしない。「イタリアの機械ってすぐ壊れるからね~」てなもんだ。古代の遺物や文化財はあれほど見事に保存し、修復するのに、イタリア人は本当に機械のメンテナンスが下手だ。機械そのものが悪いのかもしれないが…ピピッ~と音がして、無事に切符が機械から出てきた。時計をみる。あと5分。やった!もしかして間に合ってしまうかも。Mizumizuはここぞとばかりに窓口のおっさんを褒め称える。「なんて優秀なの! 優秀すぎっ! ありがとう! どうもありがとう!」「どういたしまして」おっさんも得意げに切符を渡す。譲ってくれた人々を振り返り、お礼を言ってプラットホームに走った。後ろの人は、かなり呆気にとられていたようだった。日本では、10分もあればたいてい切符も買える。だがイタリアでは事情が違う。私のイタリア人の友人は、長距離の移動では必ず前日までに切符を買っていた。日本に来て「新幹線の切符があっとい間に買えて、本当に驚いたわ」といっているイタリア人もいた。プラットホームの番号を確認して、無事ローマ行きの電車に乗り込んだ。シートに体をうずめて、心底ホッとする。これで友達との約束の時間にもなんとか間に合いそうだ。10分で切符を買って列車に乗れた――それだけで、これほど感動できるカラダになるとは、イタリアとはなんと偉大な国であろうか。これは『カノッサの屈辱』の教皇グレゴリウスのご加護かもしれない、アーメン。そこでMizumizuは、これを『サレルノの奇蹟』と呼んで長く記憶にとどめることにした。墓参りにも行かなくて、スマンね、グレちゃん。次回行くからね。
2007.11.07
ホテル「イル・サンピエトロ」はポジターノの街とは少し離れた場所にあるので、無料の送迎バスが出ている。ホテルはポジターノ~アマルフィをつなぐ道路に面しており、急カーブの一番てっぺんにある。道路からは急カーブの「先端」に広がっている駐車場ぐらいしか見えない。送迎バスを運転するのは、その駐車場でバレット役もやっている初老の男性だった。コイツが、どうも態度が悪い。アメリカ人とおぼしき宿泊客が同乗していたのだが、クルマが着いたところで、「ポジターノの街はこっち?」と聞いたところ、怒ったように「あっちだ」と顎をしゃくるように答えた。どっちだがわからない言い方だ。アメリカ人は黙ってクルマをおり、Mizumizuたちも続いた。ポジターノは道路下の崖地にへばりつくようにしてある小さな街。道はアマルフィより狭いかもしれない。街は観光地そのもので、おみやげ物屋ばかり。どこで作ってるのかわからないような安っぽいものが並んでいるのは、日本の観光地同様だ。ヨーロッパ中世の街の雰囲気や建築を見るという意味でなら、アマルフィのほうがいいかもしれない。それでも、レモンをモチーフにしたこうした陶器はいかにもここらあたりの雰囲気がある。ブルーの地にレモンを絵付けしたすエスプレッソ用のカップを買った。これは今、自宅で大活躍している。う~ん、もっと買っておけばよかった。当時はユーロも今よりずっと安かったのだ(1ユーロ=120円)。現在のMizumizu邸はリビング&ダイニング、それにキッチンも黄色のファブリックで統一されているから、レモン柄の小物はぴったりだ。ちょっと異色の工房も見つけた。Umberto Carroという窯。ブルー、白、黄色ばかりのこのあたりの陶器とは一線を画す色使い。そして、絵付けの技術も他の陶器に比べて高い。洋ナシをモチーフにしている。線の描き方は日本人の絵付師の高い技術にはもちろん及ばないが、ちょっとざらっとした質感の絵付けは独特のムードがあり、デザインもかわいい。この「ウンベルト・カッロ」はポジターノでも売ってる店が限られていて、専売店が1つか2つあるだけだった。こちらはエプロン。大胆なレモン柄に惹かれて買ったのだが、なんと、ロゴの部分にアイロンを当てたら色が落ちてしまった! 写真では「N」のあたり。なんつー安づくり。友達のお土産にも買ったのに(ゴメンね! Mariちゃん)。以来、エプロンなのに、あまり洗濯せずに使っている。さて、イル・サンピエトロをお昼にチェックアウトし、ランチなどして時間をつぶし、アマルフィ経由で、サレルノ、そしてローマに帰る計画だった。ローマでは夜7時半に友達とレストランで会う約束がある。帰路の計画もバッチリできている。13:20にホテルの目の前にある停留所からバスでアマルフィへ。アマルフィ行きのバスは本数が少ない。1日に3-4本程度。だが、バスの接続自体はとてもいい。14時にアマルフィに着いて、そこで乗り換え。14:10のバスでサレルノへ。15:20にサレルノについて、16:18の電車でローマへ。サレルノからローマ行きの切符は買っていないが、いかなイタリアとはいえ、1時間弱あれば買えるだろう(まあ、1度ローマのテルミニで切符買うのに1時間かかったことはあるけど、サレルノのような地方都市でそれはあるまい)。ローマまでは大体2時間半だ。午後1時に荷物をもって道路に面した駐車場にでると、なんと! サンタ・アガタからここまで乗せてもらったタクシーの運ちゃんがいるではないか!「どうしてここに?」「キミらを乗せてきたときに、別のお客さんから頼まれてね。サレルノまで行くんだ」なんと、Mizumizuたちをおろしたあと、ちゃっかり別のお客さんをゲットしたらしい。やるなあ~。ホテルには当然タクシーのサービスがあるが、だいたいは割高な設定だ。ホテル設定の料金より多少安い値段で交渉すれば、頼んでくるお客さんはいるだろう。「ところで、ここの料理はどうだった?」「それが、あんまり… 雰囲気はよかったから、場所代ね」「ホテルの食事はよくないよ。今度来たら眺めのいいレストランに案内するから。魚がおいしいんだよ」そう気軽に言われても(笑)。次回来れるのはいつの日やら…「ところで、今日はどうするの」「私たちもサレルノからローマに帰るの。サレルノまではバスで」「バスではチケット買えないよ。もう買った?」「ポジターノで買っておいた」1.19ユーロのアマルフィ行きのチケットを見せる。そこへ、タクシーを予約したらしいお客さんがやってきた。「じゃ、またすぐに戻ってきてよ。次のバカンスにでも」と握手して、タクシーの運ちゃんと別れる。もしかして、この運ちゃんは、Mizumizuがイタリア在住の日本人だと思っていたのかも。日本からそうそうソレント半島にバカンスには行けんのですが…(苦笑)。Mizumizuたちはバスを待つ。しかし、バス停がどこなのか、ハッキリわからない。ポジターノ行きの路線は山側になるので、そこには崖に「Fermata(停留所)」のプレートが横に差し込まれている。ホテルの駐車場からは10メートルぐらい離れたところで、アマルフィから来ると急カーブを曲がりきったあたりになる。だが、アマルフィ行きの路線は海側になり、道があまりに狭いせいかプレートもマークも何もない。まあ、常識的に考えて、向かいの停留所の真向かい、つまり急カーブの手前だろうな。そう思ったのだが、一応バレットがいたので、聞いてみることにした。「アマルフィ行きのバスはどこに停まるの?」「ここだよ」例の送迎バスの運転手だ。「ここ?」「そう、ここだよ」相変わらず不機嫌そうに、足元を指差して、そのままプイと行ってしまった。ここって、ここはホテルの駐車場だけど? でも他に停まれるようなスペースもないから、「ここ」に来るのかな?崖に突き出た「Fermata」のプレートの向かいは、カーブのすぐ先の狭い道だから、そこでバスを待っているのはあまりに危険な気がする。そこで、ホテルの駐車場に荷物をおいて、ポジターノから来るクルマに目を光らせることにした。定刻の時間からちょっと遅れてバスがやってきた。やれやれ。ホテルの駐車場で手を振る。ところが!バスはこちらには目もくれず、したがって、停まる気配すら見せず、ゆうゆうとカーブを曲がっていってしまった。がーん!よく考えれば、それはそうだ。ホテルの駐車場は急カーブのちょうど「頂点」。そんなところでバスが停まれるワケがない。ポジターノ方面からバスが来るのが見えたら、すばやく荷物をかかえて、「Fermata」のプレートの向かいに移動すべきだったのだ。しかし、バスの運ちゃんも、Fermataに誰もいないとはいっても、すぐその先で手を振ってる人間に、気づいてもよさそうだ。とはいえ、イタリアでそんな「業務以上の親切」をバスの運転手に期待しても意味がない。不機嫌なバレットの老人は、駐車場の端で腰に手を当てて、Mizumizuたちが見事に乗り遅れるのをじっと観察していた。もともと感じ悪かったこんなヤツの言うことを、うかうか信じてしまった自分がバカだった。次のバスは夕方だから、そんなのを待つわけにもいかない。Mizumizuはあわててホテルのフロントへ行き、アマルフィまでのタクシーを頼んだ。再び駐車場に出ると、不機嫌なバレットの姿は影も形もなかった。タクシーがまた、なかなか来ない。20分ぐらい待ってやっとポジターノ方面からやってくるのが見えた。「アマルフィまで」と告げて乗り込む。だが、道はすごい渋滞だった。クルマはなかなか進まない。ちょうどその日は土曜日。海岸沿いの道は逃げ道もないし、迂回路もない。アマルフィでの乗り換えバスに間に合うだろうか? 余裕をもって計画をたてたはずが一転、えらく不安になってきた。
2007.11.06
<きのうから続く>はっとして岸壁に目をやり、それから海のほうを振り返った。ちょうど打ち寄せた波がくだけたところだった。実際の波が打ち寄せ、くだけて音になったあと、くれた岸壁からその波のエコーが返ってきたのだ。まるで音響のよい劇場のように。そうか、人はきっと、こういう自然から劇場の音響という概念を発見したのか。見上げると蒼白の月が中空にあり、水面には魚の鱗のような月光の断片が映って揺れていた。そして、波が寄せると、小さな自然の音が足元で響き、それから頭上の岸壁から増強された反響音が返ってくる。波に押されてすれる海岸の石の音まで聞こえる気がする。それは、あまりに美しい夜の光景だった。月は月だ。月なんてどこにでもある。あの漆黒の空に浮いた月が、ここよりももっと神々しく見える場所だってあるだろう。海は海だ。海なんてどこにでもある。海があれば、波はどこででも寄せては返すだろう。ここより透明で美しい海だって、ここよりドラマチックにくだける波だって、あるだろう。花は花だ。花なんてどこでだって咲き、どこでだって散っている。ここの花より絢爛と咲き誇り、華麗に散る花だってあるだろう。だが、そうしたものがすべて、道からはほとんど見えない絶壁に設計され、極限までとぎすませた感覚をもって内部を飾った建築物の中におかれているのを発見し、そしてそれらの醸し出す思いもかけない美に打たれるとき――やはりイタリアだ、本当に美しいものはイタリアにしかないのだと、そんなふうに思えてくる。単に凝った建築を作るだけではない。わかりやすい贅を尽くしたインテリアで飾るだけではない。ひたすら手をかけた人工的な庭で訪れた人を驚かすだけではない。周囲の自然や環境、すなわちその土地の花や緑や海や山や月や風の奏でるハーモニーとひそやかに、しかし完璧に調和することを目指す姿勢こそが、「世界の文化財の40%を所有する国」イタリアを作り上げてきた。それにはアルプスの南、穏やかな気候の海に突き出た南北に長い半島という風土も大いに貢献しているかもしれない。イタリアの美は、わかりやすく提示された美だけではない。見る人すべて、訪れた人すべてにわからなくてもいいのだ。ふと自分だけが隠された美を発見する喜び。イタリアにはそれがある。そしてひとたびそれを発見してしまうと、人は次の発見を求めてイタリアから離れられなくなる。そうした魔力が、イタリアには確かにある。翌朝も晴れて、気持ちのよいテラスで朝食。遠くにセイレーンの島が見える。写真の画像を落としたので、よくわからないかもしれないが、水平線の右、松の木のすぐそばに写っている。ホテル客の中には犬を連れてくる人もいる。プライベートビーチへ向かう階段で出会った犬は、ご主人様以外のお客にも、何か食べ物がもらえそうだとなると近寄ってくる。食べ物を一心に見つめている。待つ間によだれを垂らし始めた(苦笑)。
2007.11.05
こちらがテラス。ナポリのサンタ・キアーラで座ると怒られたマヨルカ焼きのベンチだが、ここでは誰はばかることもなく、ゆったりできる。黄色いクッションつきだ。眼下の蒼い海とし補色の関係になっているではないか。海を隔てて、崖にへばりつくようにして広がっているポジターノの街も見える。このテラスでオレンジのスプレムータを頼んだら、付け合せにオリーブが出てきて、それがまたフレッシュで絶品だった。ふつうMizumizuはオリーブを好んで食べることはない。だが、ここのオリーブは、瓶詰めのオリーブとは似て非なるものだった。ウエイターに聞いたら自家製だという。夜はここでディナーを取った。だが、レストランで聞こえてくる挨拶は、9割がた「グッイ~ブニン~」だった。美しいイタリアの夜の挨拶は、やはり「Buona sera」でしょう。少しは外国語を覚えたらどうだね、アメリカ人くん。そうすれば人の考え方というのはいろいろで、『紅の豚』のせりふじゃないけど、人生はキミらが考えてるほど単純じゃないとわかるだろう。ともあれ、アメリカ人だらけのイタリアのレストランで美味しい物を食べた記憶がない。残念ながら、「イル・サンピエトロ」のディナーも「並」を出るものではなかった。レストランのテーブルにはブーゲンビリアと色をそろえた、ピンクのクロスがかかり、照明を落としてキャンドルをつけ、生バンドが(なぜか)ジャズを演奏している。非常にムードはあるのだが、窓の外は何も見えない。漁火があるわけでもないし、海岸線に街がのびているわけでもないので、ただの暗い空間が広がっているだけだ。昼間のほうが絶景を楽しめる。結局ソレント半島では、アマルフィの「ホテル・ルナ」の食事がよかっただけだった。もちろん、ドン・アルフォンゾやこのサンピエトロをふくめ、ソレント半島での食事がまずかったわけではない。それなりなのだけれど、シェフの腕がぬきんでていると感じられたのがホテル・ルナだけだったということだ。それだって、今はわからない。ホテル・ルナだってシェフはもう替わったかもしれない。そこそこ美味しいものというのはいくらでもあるが、「頭ひとつ抜けた感じ」のものはなかなかない。ちょっとがっかりしながら暗いテラスに出る。すると、強い花の香りが地面から漂ってくるのに気づいた。昼間もしていたのだろうけど、明るいうちは、あまりにいろいろな情報が目から入ってきて、気づかなかった。南国の香り。シチリアでもたしかこの花のにおいをさかんに嗅いだ記憶がある。そして、シチリアではよくお菓子の香料にこれが使われていた。地面に這いつくばるように咲いている花だ。なんという花だろう? 色は赤っぽくて、朝顔を小さくしたような感じ。残念ながら名前はわからない。テラスをとおって、プライベートビーチのほうまでおりてみた。昼間はこんな感じで、宿泊客がくつろいでいる。夜はひとっこひとりいない。下におりると波の音が強くなった。プライベートビーチのすぐ上に、昼間は船着場とバールになっている、ちょっと岸壁が「くれて」いるところがある(写真でいうと、海に向かって左側。手前の草むらの下あたり)。そこにぶらぶら足を踏み入れたとき、いきなり“岸壁のほうから”大きな波の音がした。<明日に続く>
2007.11.04
サンタ・アガタでタクシーを探す。幸いホテルからすぐのところでタクシー溜りがあり、運ちゃんがたむろしていた。一番前に停めたタクシーの運ちゃんがいないので、2番目のタクシーの運ちゃんに話しかけたら、胸に手を当てて、自分はまだ交渉できないという。一番前のタクシーの運ちゃんとまずは話さないとダメだそうだ。「だって、いないじゃない」「すぐ戻ってくるから待って」どうやら、そういうルールが運転手仲間で徹底しているらしい。少しして、中年のオッサンが道の向こうから慌てたように駆け寄ってきた。「彼だよ。話して」と2番目の運ちゃん。「ポジターノの『イル・サンピエトロ』に行きたいんだけど」「はいはい、いいですよ」「場所は知ってる?」「知ってるよ」「ここからだと、だいたいいくらぐらいかかる?」「さあ。メーターがあるから、それで」「メーターがあるのはわかるけど、だいたいいくらぐらいか教えて。ポジターノはよく知ってるでしょ」「う~ん。たぶん50ユーロぐらいかな」「OK。じゃ、ホテルに来て。そこの『ドン・アルフォンゾ』」タクシーも無事見つかって、ホテルまで来てもらう。個人旅行ではなんと言って荷物を自分で運ぶのが大変だ。ドア・ツー・ドアでポジターノのホテルまで連れて行ってもらえば、これほどラクなことはない。タクシーの運ちゃんは、陽気でよくしゃべる。タクシー内はMizumizuと運ちゃんの漫談状態になった。「サンタ・アガタへはどこから来たの?」「ソレントから」「ソレント、よかった?」「全然! 駅に荷物も預けられないし、ホテルで聞いてもダメだって。親切じゃないのよ」「え~、俺はソレントの人間なんだけどな」「もっと親切になるべきよね。観光の街なんだから」運ちゃん、ウッとつまって話をかえる。「ドン・アルフォンゾの食事は気に入った?」「ここだけの話だけど、あんまり美味しくなかったのよ」「やっぱりね。そういうのはキミだけじゃないよ。あそこは宣伝がすごいからね」身びいきの強いイタリア人は、自分の地元が「印象悪い」と言われると露骨にがっかりする。だが、自分と関係のない人間の悪口は大好きだ。「そう、宣伝がね。イタリア人がいないんだもの」「アメリカ人ばっかりだったでしょう」「そうそう。アメリカ人ばっかり」タクシーはソレント半島の細い道をうねうねと走る。それほど渋滞もなく、快適なドライブだった。眼下には蒼い海と断崖絶壁の海岸線が続く。「ねえ、どこかで停めてくれる? 写真を撮りたいんだけど」「待って、待って。ここはそんなにいい場所じゃないよ。もっときれいなところがあるからさ」運ちゃんが自慢げに言って、停めてくれた場所から撮った写真がこれ。まさに「花のソレント半島」だ。タクシーの運ちゃんは楽しそうに土地の自慢話を繰り広げる。そういえば、陣内氏も「イタリアの地方を回るなら、多少高くても土地のタクシーをチャーターするといい。その土地の自慢話をたっぷり聞かせてくれる」とアドバイスしていた。この運ちゃんはまさにそんな感じだ。「あそこに、フランコ・ゼフィレッリの別荘があるんだよ。ゼフィレッリは知ってる?」「もちろん、『ロミオとジュリエット』はすごくよかったし、『ブラザー・サン シスター・ムーン』も見たよ。ラストシーンでラベンナのモザイクが出てきて、きれいだった」「オペラも有名だよね」そう、ゼフィレッリはオリビア・ハッセーのジュリエットを撮った監督としても知られているが、オペラの舞台美術に関しても、ヴィスコンティの流れを汲む「これぞオペラ」という正統派の豪華な舞台美術を作る。Mizumizuは新国立の『アイーダ』、上野の『ドン・ジョバンニ』(ウィーンフィル+小澤)でゼフィレッリの舞台を見ている。特に新国立の『アイーダ』の美術は圧巻だった。いくらかかったのだろう? 最近の新国立は予算が厳しいのか、舞台美術はとても安上がりなものになっている。しばらくすると、海の向こうに小島が見えてきた。「あれがセイレーンの島だよ」「え? セイレーン?」「そう、ギリシア神話の」「本当!?」「そうだよ」なんと、オデッセウスを惑わしたセイレーンの島はここだというのだ。実はその話は全然知らなかった。ギリシア神話の舞台が南イタリアのソレント半島にまで広がっているとは。そういえば、オデッセウスの旅は地中海のあちこちに広がっているということだから、ここまで来たとしても、おかしくはない。ことの真偽はどうあれ、セイレーンの島がソレント半島沖にあるというのは、このあたりでは信じられているらしい。あの有名なカンツォーネ、『帰れ、ソレントへ』でも、そういえば、そんな歌詞があったかもしれない。しかし、左手に迫る山を指し、「ここらあたりの風景は、アメリカのグランドキャニオンに似てるんだ」という説明には、承服しかねた。「似てないよ~」「あれ? 行ったことあるの?」「あるけど、似てないわよ」「だって、アメリカ人が似てるって言ったんだよ」ちゃっかりアメリカ人のせいにしてる。しかし、誰だ? そのアメリカ人は。いい加減だなぁ。というわけで、右手にセイレーンの島、左手にグランドキャニオン(嘘)を見ながら、爆笑のタクシー旅は終わり、ホテルに着いた。結局、途中で停まって写真を撮ったりしたので、メーターは60ユーロだった。渋滞に巻き込まれていたら、きっともっと上がっていただろう。サンタ・アガタからポジターノに行くなら、メーターではなく「60ユーロで」と交渉してみるといいかもしれない。最初のドライバーと交渉が決裂したら、次のタクシーの運転手と交渉してもよいのだから。順番は決まっているが、「いくらで行く」というのは個人の裁量にまかされている。さて、世界的に有名なホテル「イル・サンピエトロ」。実際に入ってみると、驚愕の美しさが待っていた。ここはロビー。床にはダークブラウンのタイルが敷き詰められ、清潔感と清涼感を出している。白壁には一部小さな穴があけられ、外からブーゲンビリアを招き入れている。ブーゲンビリアが壁から天井をつたい、時折はらはらと花弁を散らす。それを目の当たりに見たときは、あまりの美しさに足が止まった。頻繁に掃除をしているようで、散った花はしばらくするときれいに片付けられる。だから、花が踏みつけられて汚くなるなんてことはない。白く塗られた籐の椅子は背もたれが大きく、安楽な気持ちになる。背もたれは丸みを帯びており、天井と壁の境も曲線になっている。どうやらこのホテルは極力直線を排除し、曲線の美を追求しているようだ。部屋に入って、その理由がわかった。スリッパに描かれた絵はギリシアに残るミノア文明の壁画のイルカにとてもよく似ている。ホテルの設計と内部の装飾は、ミノア文明の流動的なデザインに着想を得たのだろう。部屋は広くはなかった(やはり土地のない場所柄か)が、それでも部屋のそこここに「曲線」のエレメントがちりばめられていた。相当凝ったな~、この内装のデザイナー…… と感動する。密やかな静謐に満ちたロビーと違い、テラスはあまりに明るく強烈な、南イタリアの光と色彩に満ちていた。<その写真は、また明日。おやすみなさい>
2007.11.03
船は断崖絶壁(?)のソレントの港に着く。次の目的地がサンタ・アガタなので、0.93ユーロの市内バスのチケットを買い、とりあえず駅へ。そこで荷物を置いてソレントの街を見て回ろうと思ったのだが、コインロッカーもなく、荷物預かりの場所も見当たらない(朝早かったので開いていなかっただけかもしれない)。ソレントは世界的に知られた観光地なので、駅で荷物を預けれらないとは想像だにしていなかった。南ドイツのオーバーアマガウは落ち着いた田舎だったので、個人経営らしきカフェで預かってもらったが、さすがに南イタリアのバールでそんなことを頼む気にはなれない。そこで、駅の近くのホテルに入り、ちょっと預かってもらえないかどうか聞いてみた。ところが、答えはすべて「ノー!」。ソレントはすでに過去に来たことがあるし、荷物を引きずりながら街や店を見て回る気にもなれないので、街をウロウロするのは諦めて、サンタ・アガタへ向かうことにした。バス代1.19ユーロ(相変わらず安いな~)。サンタ・アガタにはミシュランの星つきレストラン(当時南イタリアで唯一だった)ドン・アルフォンゾがある。ドン・アルフォンゾはオーベルジュで、宿泊もできる。通された部屋はメゾネットで広々。下がリビング、そして上がベッドルーム。これで部屋代176ユーロ(当時は20,416円)は安い。しかし、リビングに用意された果物が少し腐っていた。オーベルジュのくせに、やれやれだなあ。いつからこのフルーツはそのまま置いてあったんだろう?さて、お楽しみのディナー。さすがに有名レストランだけあってお客はいっぱい。英語圏の人間がほとんどで、その中に日本人の若い女性の2人連れもいた。内装は白を基調とした、モダンなロココ風といった感じ。壁にかかった静物画はいただけなかった。素人の友人に描いてもらったンじゃない? という感じ。ドン・アルフォンゾは雑誌などのメディアにもよく取り上げられていたので楽しみにしていたのだが、ハッキリ言って、味は相当の期待はずれだった。「自家製トマトは絶品」などと日本では宣伝しているが、別に普通。あれなら、バーリの友人の家で食べた「トマト農場の社長の奥さんが手作りしてくれたトマトソース」のほうがよっぽどおいしい。頼んだものがたまたまハズレだった可能性もあるが、一応、プリモ、セコンド、ドルチェ、コースで試してすべてが印象薄だったのは個人的には事実だ。食事のあと外に出たら、自動的(?)にショップに導かれることになっているようで、ショップに入ったら店員の女性の売り込みがスゴかった。う~ん、このドン・アルフォンゾというところ、経営者が相当従業員に対して厳しいとみた。そういえばウエイターもみな、なんとなく萎縮して働いている感じがする。別に失礼だとかサービスが悪いとかいうことではないのだが、みな通りいっぺんでマニュアルどおりに動き、ミスをしないように心がけている感じ。あまり南イタリアという感じがしない。アメリカとか日本のレストランに来たような印象だった。ショップでは「ドン・アルフォンゾのメニュー」という豪華な写真入りの料理本を見せられた。「本になってるぐらい有名なのよ」と言いたかったのかもしれないが、その料理本には、先ほどディナーでMizumizuたちに出されたものとは似ても似つかない美味しそうで手の込んだ料理の写真が満載だった。あのさ~、ホントにこういう料理出しておくれよ。実際にレストランで出してるものと全然違うじゃないか。店員のお姉さんがあまりに必死なので、レモンのリキュールを買ってみた。「これ、レモンのリキュールと書いてけど、リモンチェッロのこと?」「いえ、リモンチェッロはリモンチェッロ、これはリキュール」ん?リモンチェッロって、そもそもレモンを使ったリキュールの一種だと思うんだけど?まあ、でも、このレモンのリキュールはリモンチェッロではないらしい。そのレモンのリキュールは26ユーロ。リモンチェッロの相場と比べたらめちゃ高い。これで単なるリモンチェッロだったら許さんぞ、と思っていたのだが、日本であけてみたら美味しくてビックリ! リモンチェッロも美味しいが、あれはちょっと砂糖の甘みが強すぎる。それとは全然違うほのかな甘みと酸味があり、アルコールもリモンチェッロより強いようだった。ドン・アルフォンゾでの一番のアタリがまさかお土産のレモンのリキュールとは。翌日の朝の食事もほとんど記憶に残っていない。つまり、たいしたことはなかったのだ。夜と違って朝のレストランはえらく寂しかった。そういえば、昨夜のお客にもイタリア人がほとんどいなかったしな。期待はずれのドン・アルフォンゾだったが、部屋は広かったので疲れはとれた。次は、ソレント半島の街、ポジターノ。ポジターノが世界に誇る(?)名ホテル、「イル・サンピエトロ」を予約してある。
2007.11.02
ナポリでは当然(?)、Pizzaを食べたのだが、そのときに驚いたのは、「東京で食べるのと変わらない」ということだ。東京にはナポリの「真のナポリピッツァ協会(Associazione Verace Pizza Napoletana)」の認定する「真のナポリピッツァVera Pizza Napoletana」の看板を掲げた店がかなりある。以前はとても少なかったのだが、最近はだいぶ増えた。そうした店で食べるのと、本当に、ほとんど変わらなかった。あえて言えば、日本で食べるナポリピッツァのほうが「多少」湿気た感じがするかどうか、ということろか。ピッツァには生地が厚いのと薄いのの2種類があり、日本では、それぞれナポリ風、ローマ風(あるいはミラノ風というところもある)と呼び分けている。ピッツァの王道は「小麦の味を味わうこと」だから、その意味ではやはりナポリ風ピッツァこそが正統なピッツァだとナポリの人は胸を張る。しかし、東京という街はすごい。イタリア以外でもっともおいしいイタリア料理が食べられるのは日本だと言っていたイタリア人がいたが、さもありなん。たとえばドイツとイタリアは地理的には近いが、ドイツのスパゲッティはだいたい茹ですぎのぐにゃぐにゃだ。フランスではあまりスパゲッティは見たことがない。フランス人は「パスタをナイフで切って食べる」という噂を聞いたが、一度イタリアで、本当にスパゲッティをナイフで切ってるフランス人を見て、たまげた。日本でスパゲッティを食べるのに、フォークのほかにスプーンを使う人がいるのは、かなり奇異に見えるが、それだってナイフで切って食べるフランス人よりはマシだろう。日比谷にペニンシュラがオープンした話はすでに書いたが、その横には実はミラノにある「コヴァ」というカフェが進出している。コヴァのある通りは街路樹に石畳が美しく、まったくそこだけヨーロッパの雰囲気だ。店の外にも席があるが、中はコットンの二重のクロスがテーブルにかかり、絨毯が敷き詰められ、本当に北イタリアの伝統あるカフェの雰囲気そのもの。「席について飲んだ場合」と「立ち飲みの場合」で値段が分けてあるのも完全にイタリア方式だ。ただ、立ち飲みしてる人はほとんど見たことがない。それがイタリアと違うところか。店にはジャンドゥイオッティのチョコレートも売られている。エスプレッソもイタリアの苦味の深いおいしさそのもので、Mizumizuはときどき、クルマで1時間かけて、エスプレッソとプチケーキを味わいに来る。写真では普通のシュークリームのように見えるかもしれないが、実はプチシュー。右のカップがエスプレッソ用の小さいサイズだから見比べると納得できると思う。左の少し大きいカップはダブルのエスプレッソ。このカップは、スカラ座とカフェ・コヴァのある昔のミラノの街角の風景が絵付けされたジノリのオリジナルだ。ちなみに現在のコヴァはモンテナポレオーネ通りにある。プチシューというと、ミラノよりもMizumizuはトリノを思い出す。トリノはカフェの故郷ともいえる街で、重厚な内装にクラシカルなシャンデリアの下がった、見るからに高級そうなカフェがたくさんある。そして、カフェには必ずといっていいほど、プチケーキが並んでいる。日比谷のコヴァは東京にいながらにして、そうした北イタリアの都市のしゃれた空間にトリップさせてくれる。残念なのはスプレムータ(生ジュース)がないこと。生のオレンジをしぼったスムレムータを日本でも出してくれないかな。日比谷のコヴァには明らかにイタリア人とおぼしきバリスタがいるのだが、口を利いたことがない。目が合いかけても向こうがすぐに視線をはずす。イタリアでは、目が合うとみなだいたい笑って挨拶をする。日本では、目が合ったとたん「こんにちは」などとニッコリするのは嫌がられるから、日本に来たイタリア人が挨拶しなくなる(というか、目を合わそうとしなくなる)のは「郷に入っては郷に従え」なのかな、と思う。心なしか日本で働いているイタリア人はとても緊張しているように見える。まあ、誰にとっても文化や習慣の違う外国で働くのは大変だろうけれど。さて、ナポリで2泊した後は、船でソレント半島に上陸する計画だった。ホテルを出て、ソレント方面の船着場は左。だがホテルの目の前からタクシーに乗ったら、右側通行だから逆方面に走り、かなり走ってから、グルッとまわって別の道から行った。距離的にはすぐ近くなのに、またもなんとなく遠回り。8.8ユーロだった。船はナポリからソレントまでで7ユーロ。船着場の窓口で切符売りのオヤジがすましてお釣をごまかそうとした。当然、すぐに「違う」と指摘する。通貨がリラの時代はゼロがやたら並んでいて、外国人にはかなりわかりにくかったから、お釣ごまかしもわりあい簡単だったかもしれない。ユーロになってごまかしにくくなった。さぞや残念だろう。イタリアの「窓口の人間」を信用してはいけない。窓口の人間が一番お釣をごまかすかもしれない。カプリでは、ケーブルカーの窓口で往復の金額を出して片道切符を売られたことがある。ケーブルカーに乗ったところで気づいたから、後の祭りだった。ごまかす人間は、すぐ「次!」などと言ってどかせようとするから、なおさら注意。お釣ともらった切符が正しいかどうかを確認し終わるまでは、その場を離れないこと。日本人はすぐに後ろで待っている人のことを気にするが、ヨーロッパで順番を待って「自分が窓口に立つ」権利を得た人間が、そうした配慮をする姿はほとんど見たことがない。ある人が得た権利をその人が完全に行使し終わるまでは、後ろの別の人が待つべきなのだ。そうした暗黙のルールも日本とは少し違う。実際、ヨーロッパの人は忍耐強く後ろで自分の順番を待っている。「早くしろよ!」みたいにイライラして先にいる人間をなじるなんて光景はあまり見た記憶がない。日本では、券売機の前で不慣れな老人が戸惑っていても、後ろから怒鳴りつけるような思いやりのない人間も多いけれど。ヨーロッパでは、急ぐ場合は、先にしてくれないか、と交渉してる人は見たことがある。それに、おとなしそうな人間の前に勝手に割り込む人間も(笑)。もちろんその場で割り込んだ人間に「抗議」しなければ、順番を譲ったことになってしまうのは言うまでもない。
2007.11.01
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