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hisabisa da.senshuu kara Kanton-shou no DongGuang to iu machide hataraki hajimeta. kikinare nai machi daga,Koushuu to Shinsen no aida ni aru.kaisha niwa Chinese no kouin-san ga 7000 nin mo iru.watashi wa kokyaku tono yaritori wo suru yakushoku daga,Excel to Word wo tsukaenai to shigoto ni naran toiukotode,ima wa mainichi boss no tokkun wo ukete iru.okane moratte benkyou shiteru joutai nanode,chotto sumanai kimo suruga....kyou wa,kongetsu de taisha suru Nihon-josei nosoubetsukai ga atta.kanojo wa koko ni 2 nen itarashii.watashi wa kyonen mo nihon no sakuara wo minogashiteiu ga,ima kaettara,kotoshi no sakura wa mirerunaa.watashi wa mada koko ni tokekometeorazu,PC to mukaiatteru dakeno mainichi daga,hoka no tochi to onaji you ni najinde ikukoto wa dekirudarouka?
2006年03月30日
たった1週間って、早すぎる!!もっとどっぷりしてたかったなぁ…昨日は、ミャンマーで挙式を終えたミャンマーガールとその日本人の新郎、そしてタイの女の子とその彼である日本男児Kちゃん、そしてPと私の6人で再会することができた。6人とも元同じ学校に留学していた仲間である。ミャンマーガール達は、日本行きのビザを取るために急いで式を挙げたらしかったけど、やっぱり入籍を果たすのにはまだまだめんどくさい工程を経なければならないらしい。外国人がミャンマーに入国するには飛行機でしか方法がなく、彼は結婚手続きのために2回もミャンマーに行ったのに、いざ大使館などに問い合わせても、的確な指示がなされないようだ。Kちゃんは、空港近くで暮らす彼女の部屋に転がり込んで、アパートの守衛のおっちゃんと飲み交わしたり、近所の屋外食堂でタダで食べさせてもらうかわりに仕事を手伝うという生活をしている。3ヶ月そういう生活をし、友達も増え、タイ人とタイ語で日常的な会話はできるようになっていた。この人はどこまでもネタの尽きない人でこれからもきっと他の人が想像もつかないような道を歩んで行くんだろうなぁ、と思う。みんなで会った後、私はKちゃんと彼女のアパートに泊めてもらった。彼女は空港の免税店で働いているので知らない間に出かけて言った。
2006年03月16日
昨夜11時45分に香港を出た飛行機は、2時間半後バンコクに着いた。夜中で宿も取ってなかったので、夜は空港のロビーで過ごした。暑い。それでも私は寒いよりずっと好きだ。今回、3回目のタイで、初めてバックパッカーの聖地、カオサンに泊まることにした。宿泊費は個室バストイレ共用で190バーツ(約600円)。ここはタイなのに白人、黄色人、インド人の姿をよく見かける。却ってタイ人の方が少ないかもしれない。穏やかに流れる時間の中をさ迷っていると、そんなにせかせか急がなくてもいいじゃないか、って思える。今回は1年半ぶりに飛行機に乗って移動したが、ここ数日で通過した街の趣の違うこと。このまったりした短期旅行の後には、汚染された空の下、中国語づけの生活が待っている。
2006年03月11日
航空券を手配するため、昨日から香港にやってきた。私の住むことになったドングアンって街は広州市と深セン市の間にあり、列車を乗り継げば2時間で香港にやって来れる。(ちなみに直通列車なら160元、乗り継いだら70元くらい)でも景色は大違いだな。香港に住んでみてーってちょっと思った。重慶マンションってのは有名だけど、危ないらしい、っていうことでこれまで近寄らないようにしていたが、たぶんここなら航空券が安く手に入るだろうと思い、意を決して突入してみた。ここはインド人や黒人が多く、異国の雰囲気であった。一応警備員も何人かいた。インド人が営むカレー専門店もいくつかあり、食してみたが、おいしかった。航空券は頭にターバンを巻いたおじさん(シーク教の人?)が次から次へとやってくる客に忙しそうに手配していた。私は21日からの出勤なので、それまでに日本とタイに足を運ぼうと思ったけど、出費の割にはゆっくりできそうにないので、今晩から17日までタイにだけ行くことにした。香港での宿は重慶マンションの近くにある美麗都マンションの 中にあるドミトリーにした。この建物にも、ゲストハウスがたくさん入っている。その中で私は1日50ドルのドミーに泊まった。他に客は無かったらしく、南京出身というおばさんはシャワーの時には個室に案内してくれ、チャックアウトも午後何時でもいいよ、と言ってくれたが、私が日本人と知ってからか、正午12時チャックアウトと言い直してきたまではよかったが、宿のおじさん、兄ちゃんと一緒に喋っている時、「この子日本人だよ。小日本」って言ってきて「ああ…」って思った。(小日本「シャオリーベン」ってのは、中国人が日本人をバカにして言う言い方)兄ちゃんはかばって「シェンマ シャオリーベン(何が小日本だよ)」って言ってくれたけど、やっぱり残念に思った。今タイには留学時代の友達も何人かいるので、彼らにも会えたらいいなぁ。
2006年03月10日
広東省に来て約10日、就職先が決まった。こっちでは、先に就職していた昆明時代の友達が色々と世話をしてくれたので、土地にも案外早く馴染めたように思う。中国華南地区では日本人は割りと仕事が見つけやすいけど、実際始めるとみんな大変そうだ。でもやったことの無い職種なので、自分のスキルアップに繋げたい。仕事に就く前に日本に帰れるかな、ちょっとBOSSに相談してみる。もし帰れたら、関係者諸氏、接待宜しく。
2006年03月08日
Pが帰国してもうすぐ1ヶ月が過ぎようとしている。一見寂しいようだが、私には今しばらく自分を取り戻す時間が必要なようだ。彼は元々メールも電話もマメではない。「寂しければ、家で一人で塞ぎこまず、友達と遊べ」と彼は言った。私はそれを、信用されているととっていいのか、無関心ととっていいのか解らず、「無関心ならもう連絡しないよ」などとメールしたりしたのだが、彼の方は「何を怒っているのか。それは冗談?そういう笑い話はしたくないね」としか返信して来なかった。そのことと就職活動のことで私は最近やりきれない日々が続いていたが、彼と出会う前の自分を思い返してみると、私はもっとポジティブで自分のことが好きだったと言い切れる。昔は人との距離がうまくとれず、相手の性別に関係なく、その人と関わらないか入れ込み過ぎるかのどちらかしかできなかった。それが年を取るにつれ、相手に合わせて加減ができるようになってきたんだけど、この異国の地で、恋人と一緒に暮らすようになって、自分は彼の精神の中に入り込もうとし過ぎてたな、理想を押し付けていたなと、最近になって反省できるようになってきた。例え国籍や母国語は違っても、人間と人間。彼と過ごした1年と少し、私は一番近い人に対して、そして私自身に対して、もしかして一番礼儀を欠いていたのかもしれなかった。彼を理解しようとしても、所詮それは自分の目を通して見た独り善がりの憶測にしか過ぎない。わからないものはわからないままに、そういうものとして捕えた方が気が楽だし、もしかして尊重するってそういうことなのかもしれない。そして多分、彼は自分自身を好きな私を好きになってくれたんだ。
2006年03月05日
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