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ゆきあいの空昨日(19日)の夕方東京近郊では美しい虹が二つも雨上がりの空に雄大にかかりました。空にはもくもくと夏の名残りの雲と刷毛ではいたような優しい雲が同居して夏と秋がゆきあうゆきあいの空に美しい虹の贈り物空は着実に秋へと移ろうとしている写真:Mr.Danjose
2012.09.20
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時空を超えて生きる草花たち奥入瀬渓流の初夏の遊歩道でよく見かける花ダイコンソウ(大根草)(ダイコンソウ:バラ科ダイコンソウ属。学名Geum japonicum Thund.ダイコンソウ属は北半球の温帯から亜寒帯に約50種あり、日本には5種が自生している。)キンポウゲの花に似た花でもキンポウゲの仲間ではない。ダイコンソウはダイコンの名を持っているが大根の仲間ではなく、なんとバラ科の多年草なのである。根生葉が大根の葉に似ていることからこの名を持つという。新緑鮮やかな遊歩道に黄色の花が点々とこき混ざるさまは可愛らしく明るい。(草丈は25~60センチメートル。根生葉は10~20センチ奇数羽状複葉で大根の葉に似ている。茎葉は3裂し、分枝した茎の頂に径1~2cmの黄色の5弁花をつける。果実は痩果が集まった集合果で15ミリメートル程の球形。動物に付着して散布。)ダイコンソウは漢方薬の水揚梅(スイヨウバイ)のことである。全草を陰干しして煎じて飲めば腎臓病やむくみに効くと言われた。その他にも夜尿症や打ち身などにも効くという。昔は、民間薬としてダイコンソウは人々と深く関わって生きていたのである。苔むす岩、生い茂るシダ類その間を縫うように流れるせせらぎ見上げれば柔らかな大きな葉っぱを透かして初夏の明るい陽光を林内に降り注がせているホオノキ(朴の木) (ホオノキ:モクレン科の落葉高木、葉っぱ日本原産の本種中最大。葉裏は白。若葉のころ風が吹くと葉裏が白銀となって波立つ。花は径20cmと日本では最大。よい香りをまき散らす。)新緑のホオノキは林の中ではひときわ美しい風に大きな葉っぱが揺らめけば樹林は揺らめく白銀の波。花がよい香りを辺り一面にまき散らす。ホオノキも万葉の時代から人々の生活の中にあった。大伴家持は「皇神祖(すめろき)の遠代御代(とおみよみよ)は い布(し)き折り 酒(き)飲みきよいふそ このほほかしは」(万葉集・4205)「天皇や天皇の祖先がホウの葉を筒状に折って酒を飲んだ」と詠んだ。朴の葉で包んだ朴葉みそは今も岐阜県飛騨地方の郷土料理。万葉の昔から、現在に至るまでいろいろな食材を包んで器の代わりとなって来たのである。柔らかく狂いの少ない材は、家具調度にもちいられ、下駄の歯としての「朴歯」は有名。幹の皮は漢方薬としても広く使われてきた。かくのごとホオノキは万葉の昔から現在に至るまで、延々といのち繋いで今にある。(ホオノキは秋にはこんな立派な赤い実となる。朴ノ木は森では大樹が多く、葉っぱが巨大なうえにその上に大きな花を咲かせるので、なかなか写真に撮りにくい。この実の写真は昨年の9月、京都・東本願寺所有の庭園でfujikoが撮影したもの。日本庭園としてよく手入れされ、目の高さからも撮影可能な位置に実がいっぱい実っていた。)ミヤマカラマツ(深山唐松)(ミヤマカラマツ:キンポウゲ科カラマツソウ属。高山性の落葉性多年草。花弁状のものは実は雄蕊)樹陰をぱっと明るく涼やかにするミヤマカラマツその繊細な白の花びら。ブナやカツラやトチやホウノキの原生林の湿潤な林床からすっと立ち上がる淡い緑の仏炎包ヒロハテンナンショウ(広葉天南星)(サトイモ科テンナンショウ属の多年草。現在でも分類が混乱しており、分け方がいろいろであるらしいが、広義の意味ではマムシグサといわれるものである。)サトイモ科テンナンショウの仲間は世界で150種、そのうち30種が日本に自生しているという。奥入瀬には、この写真だけでももう2種類自生していることになる。マムシグサ(蝮草)の1種ホソバテンナンショウ(細葉天南星)秋にはオモト(万年青)に似た赤いつぶつぶの実をつける。有毒であるが、古くから芋や茎など食料にしてきた歴史があり、もちろん薬用としても人々は利用して生活してきた。現在でもコウライテンナンショウ(高麗天南星)という漢方薬になっている。湿った林床には蘭の仲間の植物も多い。目立たないが、可憐に咲かせるであろうランのなかまたち。そして、ほらチョウが羽化しようとしているよ。カエルの卵も葉っぱの上でオタマジャクシになる日を待っている。 渓流が育む生きものたち苔類やシダ類の宝庫奥入瀬渓流ダムの役割をするブナの森原生林を守り育てている東北の山奥入瀬渓流の草花たちが数千年の時空を超えて今も繁茂出来ているのは豊かな水を蓄える森のたまもの。オゾンの海渓流の水音と鳥のさえずりだけが静寂の森に響く 写真:Mr.Danjose 文:fujiko奥入瀬渓流をゆく(1)(2)をアップしました。(1)でアップしたとき「キンポウゲ」とした草は「ダイコンソウ」でアップし直しました。キンポゲとした(1)のところには、「オニシモツケ」を差し替えました。(1)のとき、このダイコンソウは花はキンポゲに似ていました、葉の付き方、生育環境など納得できない点がありましたので、更に調べました。「ダイコンソウ」でたぶん正解と思います。奥入瀬の植物たちは、すべて日本古来から日本の土地で生き続けて、今日に至っているのには、感銘を受けました。私の散歩道の山を丸ごと幾つも潰して宅地造成した町の人工池や近隣の森などでは、日本古来の植物はほとんど壊滅状態。新しい外来種、しかも「アメリカ・・・」という名前のもの多く、「植物までアメリカに占領されているね」と散歩仲間で言い合っていたところです。このことは、都市近郊では、いかに根っこのところから自然が破壊されているかの証左です。一度破壊された自然は、簡単にはもとに戻りません。自然の循環そのものが破壊されているからです。奥入瀬の豊かな自然も、この自然を守ろうと日夜闘っている人々がいることも知りました。このような気持ち洗われる豊かな自然が日本のどこにでもあるというようにしたいですね。暑中お見舞い申し上げます。ここ数日、当地方は最高気温は35度~37度。朝でも今朝は室温30℃。まさに熱中症寸前の状態で、我慢していたクーラーを使うことに相成りました。皆さまのところも、同様な猛暑の日々が続いているのではないでしょうか。どうぞ、くれぐれもお身体をご自愛され、お過ごしください。
2012.07.23
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奥入瀬渓流に咲く花々(その1)何やら恐ろしげな名前の渓流阿修羅の流れ激しく岩にぶつかりながらごーごーと水音だけが響く静寂の遊歩道(奥入瀬渓流には、三乱の流れ、馬門岩・阿修羅の流れ、九十九島・白銀の流れなど、渓流に洒落た名前を付けた渓谷が遊歩道沿いに続く。)奥入瀬渓流は十和田湖を源流とする奥入瀬川によって形成されている渓流で、十和田湖畔の子の口から焼山までの14キロメートルのことをいう。銚子大滝渓谷の左右を流れ落ちる幾つもの滝銚子大滝、五両の滝、九段の滝、不老の滝、白糸の滝、雲井の滝などなどそれぞれが呼び名を持っている。幾つもの滝が積み重なる新緑の緑のなかから零れ落ちるように、あるいは真っ白な瀑布となって渓谷の景観をいっそう変化に富んだ見ごたえのあるにしている。(雲井の滝)新緑の緑が幾重にも重なってほの暗い緑の渓谷オゾンの海のなか湿潤な渓谷に植生するカツラの大樹カツラの明るい新緑の緑が深い森のなかでひときわ鮮やかな若葉色(カツラの大樹) 湿った土地を好むオニグルミやカツラなどの勢いが強くブナと共生している珍しい植物相を形成している奥入瀬渓流ブナの柔らかな若葉とカツラの明るい若葉が深い森を軽快な明るいものにしている。(地衣類が着生しているブナの大樹。その背後の鮮やかで明るい若葉)モミジの若葉も明るくあざやか。明るい緑が積み重なって若緑色の海となる。緑が華やぐ。この新緑の空気を胸いっぱいに吸い込んで歩けば、身体の心底から洗われて、新たなる気力ふつふつとわき出る。ヤグルマソウ(矢車草)(ヤグルマソウ・矢車草:ユキノシタ科ヤグルマソウ属。北海道の西南部、本州、朝鮮半島に分布。深山の谷沿いの林床など湿り気のある場所に生育する多年草。しばしば大群落をつくる。葉っぱの形が鯉のぼりの「矢車」に似ていることからこの和名がある。)渓流の水しぶきに煙る白い花ヤグルマソウ鯉のぼりの矢車のような葉っぱ、川面に風渡ればくるくると回りそう。その葉っぱの青と花の白渓流の飛沫の白そのコントラストはいかにも涼しげで清らか。渓流沿いにはこんな優しげな花も咲いているタニウツギ(谷空木)(タニウツギ:スイカズラ科タニウツギ属。日本原産。北海道の西側、本州の東北地方、北陸地方、山陰地方に分布。日本海型気候の山地の谷合や傾斜地に多くみられる。)ほんのりと小暗い川岸に浮かび上がる淡い紅近づけば、淡いピンク色渓流の黒緑色に吸い込まれそうな色合い。タニウツギのことをかって「ウマオトシバナ」と言った地方があった。馬も思わず見とれて沢に落ちたのかも。 野にある花だけがもつ微妙な色合い初夏を告げるこの美しい花は、日本の農耕文化のなかで古くから人々の生活と深くかかわって来た。それぞれの地方で幾つもの方言や俗信をもつタニウツギ。タニウツギが咲くと田植えの時から、「サオトメバナ(早乙女花)」、「タウエバナ(田植花)」と言った地方も多かった。花の咲き具合で作物の豊凶を占ったりしたのである。農作業の目安としてきたのである。貧しかった農民の暮らしの中にあって、タニウツギの若葉は日常の「糧」(カテ)であると同時に飢饉時の保存食として大切な食料であった。このような事情から「カテバナ」という呼び名もあった。信仰に関する禁忌「ソーシキバナ(葬式花)」「ヒバシギ(火箸木)」(焼き場で死者の骨を拾う火箸として使った。)火に対する禁忌から「カジバナ」(火事花)(ウツギを家に持ってくると火事になる)これらは、ほんの一例。このように、東北、北陸の日本海側の地方ではタニウツギに関する「方言」「俗信」が無数にあり、かっては、庶民の生活に深く入り込んで、その存在を無視しては生活できないほどに身近で有用な木であった。万葉の時代から「ウツギ」は人々と深く関わって生きてきたのである。(万葉集には「ウノハナ」の名で24首詠まれている。)ほととぎす鳴く声聞くや卯の花の咲き散る丘(をか)に田葛(くづ)引くをとめ 苔むす岩湿潤な渓谷に生きるシダ植物たち川中の岩にもシダや木がいっぱい生えている。クサソテツ(草蘇鉄)(クサソテツ:オシダ科の夏緑性シダ。ガンソク、コゴミの別称。分布は日本各地の林中にある。)ソテツに似た大きな羽状の葉を優雅に広げて水しぶき浴びている。若芽は「コゴミ」という山菜となって初夏の食卓におしたし、サラダ、ゴマ和えやてんぷらとなって並ぶ。とても美味しい。オニシモツケソウ(オニシモツケ:バラ科シモツケソウ属。本州中部以北に分布。大型の多年草。草丈は2メートルにもなる。山地の日当たり良い湿った草地に群生。)深い森の中でもお日さまが降り注ぐ日当たりのよい所には、お日さまに向かって背伸びしてオニシモツケソウの花が明るい緑のなかで白銀に輝く。渓流の水音と鳥のさえずりが響く静寂の渓谷小さな体の鳥さん、苔むす幹に一休み。(この写真の小鳥さん、ミソサザイか否かは判別できないが、こんな感じに小さい鳥、渓流沿いを歩けば必ず出会うミソサザイ。)この渓流には1年中、高い音、大きな声量でさえずるミソサザイがいる。岩に生える豊かなコケを巣材とし、岩から岩へと飛び移り採食する、ミソサザイ古事記、日本書紀にも登場するミソサザイブナ、トチ、カツラなど原生林がまだま残る豊かな自然があり、その森から湧き出る渓流苔むす谷筋の岩や樹木ミソサザイが生息できる最適な場所。散策すれば、ミソサザイのさえずりが激しく流れる水音に負けぬ音量で響き渡る。原生林が守られてきた渓谷だからこそ、生育する樹木や花々、その渓谷の初夏の散策は、深いオゾンの海、滴る緑のシャワーを浴びてこの上もなく気持ち良い。(2回目に続く)(写真:Mr.Danjose、文:fujiko)Danjose夫妻が6/21~6/23日 2泊3日の奥入瀬(おいらせ)、十和田湖を旅しました。昨年の東北大震災の影響か、十和田湖の多くのホテル、旅館、土産物の店は閉じられたままで、町は閑散としていました。奥入瀬渓流の遊歩道は、ここだけは、近年のウォーキング・ブームのせいか、賑わっていました。
2012.07.09
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2008年7月14日に着工し、2012年2月29日に竣工。日本の建築技術の粋の結晶ともいうべき東京スカイツリーが今日開業した。東京は開業を迎えて大騒ぎ。テレビも新聞も東京スカイツリーの関連報道で大賑わい。忙しいことである。西洋の近代建築様式と日本の塔の建築様式が融合して完成したタワー。柔らかな直線を天空に伸びるさまは美しく凛々しい。業平橋から見た東京スカイツリー業平橋駅は「とうきょうスカイツリー駅」に改名してその存在は駅名を変えさせるほどの大きさなのである。墨田区役所ビルの後方に聳える東京スカイツリーこの写真は4月のさくらの時期にとったもの。墨田川河岸には桜満開林立するスカイツリーと区役所のビル花霞む天に向かって伸びています。この角度は東京スカイツリーと墨田区役所ビルが1棟の建物のように見える。(スカイツリーは区役所ビルの後にある)浅草・浅草寺の伝法院の庭園からみる東京スカイツリー浅草寺の本坊である伝法院、その回遊式庭園の泉水に映る東京スカイツリー小堀遠州の作庭と言われる古い日本庭園の泉水に現代最先端のテクノロジーの結晶であるタワーがゆらゆら揺れている。時空を超えて生きてきたものとこれから生き続けていくであろうもの。この両者の組み合わせの妙。浅草寺・五重塔と東京スカイツリー。スカイツリーは法隆寺の心柱の建築工法を取り入れ耐震に備えているという。最先端のスマートでモダンな鉄の近代建築と木の匠による 日本建築の混在する浅草・浅草寺の境内山門からみる東京スカイツリー。仲見世の背景にも東京スカイツリーが新たに加わって、古きと新しきが混ざり合い新たな景観を生み出している。東京スカイツリーの開業が、未来に向かって新たな営みが作り出されるであろう希望の日になるといいですね。 このブログでは、2010年からDanjoseの年賀状で元旦の富士山と東京スカイツリーを撮影してきました。その関連記事です。 2010/12/31 2011年あけましておめでとうございます 2012/01/02 Danjoseからの年賀状
2012.05.22
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Mr.Danjoseが自宅のベランダから金環日食の観測撮影に成功しました。どうぞ美しい天体ショーをお楽しみください。 東京近郊は朝7時ごろは晴れ、お月さまの影が横切り始めています。この時、東京近郊は晴れ、日食メガネフィルターをつけて撮影。東京は6時19分から欠け始め、右上から欠け始めました。金環になり始める7時30分ごろ太陽に薄雲がかかり直接撮影できました。お日さまの真ん中にすっぽり入ってしまったお月さまの影。 東京地方は金環日食の始まり、7時31分59秒。金環日食の最大7時34分30秒薄雲を通して柔らかな陽光が漏れ銀色の輝く環銀環日食となりて晴天で見る金環日食とは趣異にしてまた良きかな。左下へと月の影は移動し始め どんどん左下へとお月さまの影は移動しています。 東京地方は部分日食が9時2分まで見られました。月の影が太陽の中にすっぽり入りリング状になる金環日食や、太陽がすっぽり隠れる皆既日食は、地球上の一点にじっとしていた場合見られのは300年に1回程度のチャンス。日本では次回は2030年に北海道地方で見られるという。富士子婆の名古屋地方は金環日食最大のときは、雲がお日さまを去り、晴天状態でした。富士子婆は、厚紙にピンで穴をあけ、ベランダの床に投影させて観察しました。Mr.Danjoseの素敵な写真の後に興ざめな私の写真ですが、私も観察したという証に、ご愛嬌にアップしてみました。
2012.05.21
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皇居お堀端の桜満開靖国神社、千鳥ヶ淵、北の丸公園の桜見物にDanjose夫妻は今日でかけました。千鳥が淵緑道の桜今満開です。春の光があふれています。ボートで遊ぶ人々の上にも春のひかりあふれています。お堀端にしだれて咲くさくら長い厳しかった冬を潜り抜けてやっと咲いた。水鳥も春の光と戯れてすいすい気持ちよげです。 お堀端には菜の花もいろどり添えている。大根の花も堀端を紫に染めて春の盛りしかし今年の堀端の花々は例年に比べると花数が少なく小ぶりめくるめく華やかさに乏しく今年の冬の厳しさを物語っているいつもなら、お堀の水辺も桜の華やぎを映して淡いピンクに染まるのに、川面がいつになく重い。椿の花も遅い春に桜の満開と時期を同じくして咲いた。靖国神社の桜東京の桜開花宣言の標本木となっている靖国神社のさくらも満開 花のつきが悪くちょっぴりさみしい例年なら早春に咲く、寒緋桜もソメイヨシノと同じ時に咲いたしだれ桜もソメイヨシノと同じ時に咲いたユキヤナギモもソメイヨシノと同じ時に咲いた東京の桜は今日6日に満開宣言。長く厳しい冬のあとに やっと訪れた春、でもまだ空気の冷たさは早春のそれ。今週初めには台風に匹敵する暴風に日本列島は見舞われ、日本各地に甚大な被害をもたらした。その後の日々も3月初めの冷たい風が吹き荒れている。お堀の桜も今年は心なしか元気がないでも厳しい寒に耐え咲いた桜その強い生命力を花びらに秘めてまだまだ冷たい風に晒されて咲いている。東京の桜は満開ですが、富士子婆の住む濃尾平野の東部丘陵地域はやっとちらほら咲き始めました。子供たちの入学式には桜満開とはなりませんでした。
2012.04.06
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春を呼ぶ伊豆稲取の雛のつるし飾り(Mr.Danjoseの伊豆の旅2回目)雛つるし飾りで華やぐ稲取町のさくらはこんな具合にやわらかな淡いピンク色。 咲き始めたさくらの初々しさはお雛さまの色ひな壇の周りににぎやかにつるし飾りが飾られてここだけは一足先に春和裁細工のつるし飾り、その昔、女たちが春を待ちわびながら一針、一針に子や孫たちへの深い思いをこめて縫い物をしたのでしょう。身の回りにある端切れ布からつぎつぎに生まれたものは 赤ちゃん、座布団、枕、花、兎、鼠、太鼓、お手玉、草履羽子板、だるま、蝶、スズメ、まり、はたまた、柿や桃、大根や人参や唐辛子まで縁起物から生活のなかにあるもろもろのものを次々に縫い物の余技として作りながら、女たちあは春を待っていた。 初節句を祝う赤ちゃん赤ちゃんへの愛おしさは一針ごとに増し、おばあちゃんの手から次々に雛つるしが完成する赤ちゃんは座布団の上で足と手ばたばた私たちの子供のころは手仕事する女たちの傍にいつも赤ちゃんは座布団の上で遊んでいましたよ。(今はない景色)這い子人形ハイハイ始めた赤ちゃんは座布団のまわりで這って遊んだよ。上手にお座りできるようになったら、可愛らしい赤ちゃんサイズの座布団作ってあげる。縫い物の切れ端布から美しい座布団が生まれる。(私の祖母や母たちはこのようにいつも何かしらを手仕事で作っていた)這えば立て、立てば歩めの親心。あんよがお上手丈夫な足になりますように可愛らしい草履も作ります。桃桃は邪気、悪霊を退治し延命長寿を意味し、女の子の厄払いと言われた。早く花が咲き、植えやすく実が多いので、多産の象徴とされていた。桃から生まれた桃太郎、正義感ある力持ち、鬼退治に大活躍。この昔話からも、昔の人々が桃を特別なものと見なしていたのが分かりますね。あざやかな桃、桃、桃、さらに桃には、消炎・鎮痛・利尿・緩下剤などの薬効さえあるという。(桃の飾り物。束となって華やか)桃はその昔、どこの農家の庭にもあった。生活のなかに深く入り込んでいた。飾りものには大根や人参もあるよ。お金がたまるように、お金に困らないように巾着もあるよ。二枚貝もあるね。二枚貝のはまぐりは貞節の象徴。町の通りでは、普段は倉庫か車庫に使っているらしき場所で町の女性たちが雛つるし飾りをつくっていました。昔は、きっとぽかぽかとお日さまの射し込む縁側でおばあちゃんたちがおしゃべりしながら針仕事の合間に、楽しみで、つるし飾りものを作っていたのではないかしら。観光用のこの写真の景色はちょっと味気ない。そして、商店街のあちこちにつるし飾りを飾っていました。お茶屋さんも飾っています食堂の窓辺にも 雑貨屋さんにも町全体が雛つるし飾りの町となっていた。雛つるしものの種類の多さには驚き。きっと昔は漁師の町であった稲取。大魚のときには活気づいた漁師町今はこの町の名産物になっいるおめでたい金目鯛神さまの使者ともいわれている兎さん赤い目の兎は呪力があると言われていた。俵ねずみ大黒さんの使者・ネズミは金運、霊力があると言われ、子宝に恵まれ、働き者になるようにという縁起もの。俵は五穀豊穣を現す。(私の子供のころの家では、毎日夜、ねずみさんたちは天井裏で大運動会していましたが。ねずみさんとは仲良しだった。)鳩神さまの使者ともいわれた鳩。ハトはむせないともいわれ、お乳をのむ赤ちゃんがむせないようにとの願いがこめられている。写真では紹介していませんが、まだまだいっぱい雛つるし飾りものにされた物があります。お手玉や羽子板やまり、よだれかけやかくれみの、かめやつる、すずめ、つづみ、などなど実に多彩なつるしものがありました。今じゃあ観光用ですが、その昔、女たちの暮らしのなかで作られたもの、春を待ち焦がれながら一針一針に色々な思いをこめて縫われたことでしょう。立派な御殿雛こんな立派な雛壇を飾って祝われた女の子はきっと恵まれたお姫さまだったのでしょう。稲取の雛つるし飾りは江戸時代後期のころより今にあるものという。この雛つるし飾りには過去の日本の女たちの涙や汗や深い愛などまさに必死で生きてきた暮らしの中で生まれたものである。その歴史に思いをはせること忘れようにしたい。その雛つるし飾りを一堂に見ることのできる「文化公園 雛の館」満々と咲き乱れる直前のさくら雛の館のさくらは今、まさに萌出でようとする命凛とたたえて爛漫の春を待っている。
2012.02.28
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伊豆半島の春も遅い河津桜もまだ1分咲き(稲取町の河津桜は本家の河津町の河津桜よりやや開花が早くこんな咲き具合。早春の息吹が感じられる。瑞々しい。春よ早く来い!)久々にMr.Danjoseの春を呼ぶ写真の登場です。Danjose夫妻が2月23、24、25日2泊3日の伊豆・伊東温泉の旅をしました。23日・25日はあいにくの雨でしたが24日はまずまずの天候となり河津桜と稲取の雛のつるし飾りを楽しみました。温暖な伊豆半島の早咲き桜で有名な河津桜例年なら爛漫と咲き競う頃なのに今年はまだちらほら蕾もふくらみ始めたばかり。川面に吹く風にもまだ冬の名残り。冬の眠りから目覚めんとする木々の秘められたエネルギーが辺りに静かにみなぎる。凛と清々しい水のある風景菜の花もまだ爛漫の華やかさからは遠いが、これから咲かんとする瑞々しさに満ちている。今年のように冬の寒さが厳しく長く続いたことで早春の花々の開花は大幅に遅れている。温暖な伊豆半島もその例外ではなく、桜の開花も2~3週間遅れている。そんな年に備えてか桜の観光地としては、こんな試みが行われていた。その「休眠打破剤」で開花させた3本の桜見事に花を咲かせています。まだまだ冷たい風のなか無理矢理に目覚めさせられた桜早春の冷たい川風に花びらはふるえています。寒さで花びらが伸びやかに咲ききっていません。(休眠打破剤による開花花)しかし、その他の桜はご覧の通り、厳寒の冬のなかで、春を待つ準備をしている桜の木々はうっすらとピンク色にもやっています。もう二雨もあれば蕾は柔らかなピンクに膨らみ、花を咲かせるでしょう。厳しく長い冬の名残りスイセンの花もまだ咲き続けています。椿の花もひとつふたつ咲いているだけ蕾は硬いまま春を待っている。レモンも冬の厳しい寒さに鍛えられ実っています伊豆半島の名産金目鯛地元の金目鯛さすが新鮮。焼いてよし、煮付けてよし、刺身も結構、金目鯛づくしを満喫した旅でした。伊豆稲取町では町の街灯にも立派な金目鯛がつるしてありました。お目当ての河津桜はまだ一分咲き、雨模様の伊豆半島は浅き早春春が待ち遠しい伊豆半島の旅でした。次回は春の訪れを華やかに祝う稲取の雛つるし飾りをアップします。 Danjose夫妻が2007年の2月26日にこの地を訪ねた時の河津桜はこんなに爛漫と咲き誇っていました。満開です。2007年の川面は春の明るい陽光が躍っています。菜の花の黄色も甘いかおりを辺りにまき散らちらし伊豆半島は春爛漫でした。それに比べこの冬は寒気の緩み弱く、昨年の12月から今月までの3か月にわたって、北日本、東日本、西日本の3地域とも、月平均の平均気温が平年より低い状況が続いた。このだらだら寒気は1985年来26年ぶり。豪雪地帯では、平年の2倍以上の積雪を記録した。このような長期に続いた低温傾向が梅の開花を3週間ぐらい遅らせている。私の住む東海地方では春に一番に咲くマンサクの花も今やっと咲き始めた。早く咲いたマンサクの花びらはチリチリとちぢれてしまい、きれいに咲ききらないで萎れてしまった。2012年日本列島は、2月も終わろうとしているのにまだ、まだ、春の足音は遠い
2012.02.27
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Danjose夫妻根津神社に初詣する「明けましておめでとうございます」と言うのがちょっと憚れる年明けとなった2012年元旦今年こそ穏やかで明るい年になって欲しいと願って早朝から市民が列をなして文京区にある根津権現さまに初詣。表参道には骨董店や古着屋や屋台が並び懐かしい昭和の雰囲気聳える桜門を背景に古着屋や骨董店が並び境内では猿回しの大道芸も披露されお正月らしい雰囲気を盛り上げている。今年の運勢は?おみくじが雪の花のよう。庶民の切ない願いがかないますように! つつじ苑に架かる神橋。5月には50種3000株のつつじが咲き満ち、文京つつじ祭りが開催される。根津神社は1900年前に日本武尊が千駄ヶ谷に創祀したと言われている。江戸時代には幕府の保護厚く、社殿は江戸時代に建造された権現造の神社としては最大のものである。(権現造とは拝殿の奥に、幣殿、本殿と一宇に続く社殿全体のこと)重厚で華やかな社殿森の中にある社殿と社殿周囲を囲む透塀神社の正門唐門これらの神社の建造物は国の重要文化財に指定されている。神楽殿 付属建物として乙女稲荷神社御祭神は倉稲魂命。社殿両側には奉納された鳥居が並ぶこの重厚で華やかな数々の建造物は、東京の都心の中心、こんもりとした森の中にあり、「根津権現」の名で古くから庶民とともにあった。私の好きな森鴎外や夏目漱石の小説には「根津権現」の名前がしばし出てくるのである。この歴史ある都会の神社の元旦の境内に和太鼓の勇壮な音が響く一斉に振り下ろされるバチさばきの見事さ 太鼓奏者の弾ける若さと笑顔はっぴの模様も勇ましく昇る龍若いお姐さんばかりの威勢のいい江戸っ子たちの地底から湧きあがる和太鼓の音元旦のきーんと澄んだ境内の空気に響きあう音、その力強さよその明るさよこの和太鼓の響きのように2012年が復興と再生日本の確かなる出発の年となりますように。 2012年元旦の富士とスカイツリー昨年12月に日本で一番高い建造物高さ634mのスカイツリーが完成した。昨年3月11日には、東北に巨大地震が起き、スカイツリーの東京もその甚大な地震の影響を受けた。その時、スカイツリーは、まだ工事中で地震当日は大変な影響を受け、工事現場は大混乱。工事現場の人々が、地震の時どのように対処し、地震を乗り越えて工事現場を守ったかをテレビでドキュメントしていたのを見た。そして、現代の建築科学の粋を集めたこのタワーは、この千年に1度という巨大地震にも耐えうるすぐれたものであることを証明した。しかも、その建築技法は法隆寺などの塔に使われている建築技法を使っているというから驚きである。そのスカイツリーをMr.Danjoseは、自宅から塔が見え始めた2010年から毎年お正月に写真で記録してきた。その記録を昨年の年賀状で、まとめてアップしていますので、どうぞご覧ください。2010/12/31 Danjoseからの年賀状
2012.01.02
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2011年・スペインの秋サグラダ・ファミリア(La Sagrada Familia)100年余りの歳月を経た今も未完で建設途上にあるサグラダファミリア教会今では、スペイン・バルセロナのシンボルとなっている。年間の観光客数もスペインで最も多く集めるスポットになっているという。(サグラダファミリア全景:ひときわ高くバルセロナの街にそびえる塔。)この教会は、カタロニアの建築家アントニ・ガウディの設計構想によるものである。ガウディの生前に建造出来たのは地下礼拝堂と生誕のファサードだけである。(生誕のファサード・ガウディの生前に建設されこの部分は、ガウディの作品群として2005年には、建設途上にかかわらず、ユネスコの世界遺産に登録された。)サグラダファミリア教会は 1882年に着工されてから歴史に翻弄されながらも延々と100年を優に超す長い歳月をガウディの意思、構想を継承し実現しようと幾多の建築家、職人たちがその建造にかかわってきた。2011年・秋Mr.Danjoseが訪れたサグラダファミリアは予想以上の速さで完成に向かって工事が進んでいた。工事が進行中の教会正面。イエスの栄光を表すメインファサードは現在も建造中。その中心に高さ170mの巨大な塔イエスの塔がいずれその姿をあらわすはずである。前回2003年訪れたときは、工事現場そのものの聖堂内、柱はコンクリートの打ちっぱなし、天井もまだない状態であった。今回訪ねるとその内陣は見事な完成度をみせて壮大な空間を作り出していた。(身廊:正面から主祭壇につづく廊下、木漏れ日がもれる森のよう)その巨大さ、壮大さ、林立する巨大な列柱。さながら大樹林立する森のなかに迷い込んだよう。奥行90m、幅60m、身廊の高さ45m、側廊30mの巨大な空間に、荘厳な光が降り注ぐ。(側廊にも柔らかなやさしい光がさしこむ)ガウディがその聖堂内部に求めたものその空間を森のようにする。大樹の木々が茂る森。さんさんと光り溢れる森。その森が姿を現した。自然と人間の調和を理想としたガウディの思いが100年を経てここに出現しようとしている。アーチの天井、螺旋状の曲線が流れる列柱。ドームにさしこむ光。荘厳なひかりに浮かび上がる森のシルエット。ドームの柔らかな光に浮かぶマルコの柱ひときわ明るい華やかなでもおごそかな光あふれる主祭壇内陣はほぼ完成し、ガウディの願い通りに祈りの場としてバルセロナ市民の前に姿を現した。この巨大な空間に市民の祈りが響きあい生きる希望や勇気を与えれ場として現在では月に1度市民が集うミサが行われているという。5000人もの人々が集う巨大なミサが執り行われているという。人々の暮らしの中に息づく建築を追及してやまなかったガウディの理念はサグラダファミリア教会の中にも未完ながらもその全貌をしだいに見せつつある。 サグラダファミリアのHPでは完成した内陣を360度の全方向から見ることができます。(すごい迫力の動画です)今までこのブログで書いたガウディの関連記事には以下のものがあります。2008/05/27 ガウディが現代に語りかけるもの2008/01/16 「奈良の大仏さま」の本(奈良の大仏とサグラダ・ファミリアが語りかけるもの)キリスト教信者の底力というものをこの教会の建造には感じますね。営々と世代を超えて実現していこうとするそのエネルギーの巨大さには驚くばかり。2011年は今まで経験したことのない天変地異に遭遇しまさに世界中が未曾有の混沌のなかにあった。世界は価値観の転換が求められ続けている。そのなかにあって、このキリスト教を信ずる人々の心の持続性、エネルギーには敬服する。この激変しつつある21世紀にサグラダファミリア教会が深い信仰心の市民たちが集う場として完成しつつあることには深い意味があるように思える。We wish you a Merry Christmas!
2011.12.20
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初冬の紅葉2011/12/04の松戸市・本土寺の紅葉日本の紅葉はその気象条件からとりわけ赤が美しい もみじの葉っぱの赤の微妙な色合い紅、オレンジ、黄色が重なり合いまさに錦織りなす。 黄色から赤へと変化するその色のトーンの微妙さ日本の紅葉ならではの繊細さ燃えるような鮮やかな黄葉黄色が燃える今年の日本の秋は9月、10月と25度を超える夏日があるかと思えば急に12月初めの気温になったりと、不順な上に、最低気温が比較的高く、葉っぱが紅葉する条件が良好といえず紅葉する時期がばらばらで色もいまいち鮮やかにならなかった。本土寺の伽藍が紅葉の中に浮かぶ初冬もう落葉してしまった木々も多いが、12月にはいって、残っている葉っぱは鮮やかな色合いとなった。 ミツバツツジかドウダンか緋色に染まっている。落ち葉も参道を埋めて織りなす裸木と紅葉の木々をこき交ぜた初冬の境内に静かにおだやかにたたずむ地蔵澄みきった初冬の空荒れすさんだ戦後の境内を浄土の大地にしようと営々と作り上げてきた本土寺の庭銀杏の根っこが生い茂るほどに時が経過した。明るい柔らかな初冬の陽光が木漏れ日となってふりそそいでいる庭。2011年11月初めのおだやかな日本の晩秋 本土寺の紅葉を毎年Mr.Danjoseが写真に収めています。今年も、元気に紅葉見物をできたことに感謝。2009/12/01 本土寺の紅葉燃える2010/11/28 夜の本土寺の紅葉燃える最近2年間にアップした記事です。富士子婆さんの濃尾平野・東部丘陵地方の紅葉はコナラなどの雑木林の紅葉ですが、今年は、もえるような黄葉になる前に赤茶けて落葉してしまう木が多くあまり鮮やかな黄葉とならないで終わりそうです。12月にはいり、落葉まだしていない残された葉っぱが鮮やかに黄色になっていますが、ボリューウムなく、さびしい黄葉です。山全体の色もくすんだ淀んだ色合いですが、渋い色合いとも言え、この黄葉もまたこれで趣深い。
2011.12.06
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Danjoseの秋のスペイン旅行グラナダの街グラナダ(Granada)はイベリア半島におけるで最強のイスラム王朝(ナスル朝)がグラナダ王国を築き、250年にわたり、経済・文化を繁栄させた街。レコンキスタ(キリスト教徒による領土回復運動)によって滅亡した1492年1月2日までヨーロッパにおける最後のイスラム文化が華麗に花開いた街。(グラナダ王国の壮麗なアルハンブラ宮殿と街の全景。イスラム教徒のムーア人が、グラナダの肥沃な「ベガ」と呼ばれる平野に入植したのは8世紀である。その後、さまざまな変転をくりかえし、発展してきた。)グラナダの丘の上には10世紀頃から城塞が築かれ、その建造物を丘陵の赤土やその土で焼かれた煉瓦の色から「赤い城塞」=アルハンブラと呼ばれた。そのアルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは13世紀になってからである。端正なたたずまいの宮殿や庭園 典雅な宮殿が水鏡に映しだされる何というシンプルさ。簡素さ。その宮殿の庭も今秋宮殿の白壁も金色に染まって昔日の栄華の面影をとどめている。濃緑の糸杉を背にして柿の実も熟して秋たけなわ何とこの柿は日本から苗木を取り寄せ育ったものだという。赤い煉瓦のぶどうの門 この門の名の由来は、街の市場に通じていて、葡萄酒が売られていたからという。千年あまりの風雪を耐えて立つ門2011年秋がこぼれて今もその地に立ち続けている。Mr.Danjoseの写真久々に登場2011年11月14~22日の期間、Danjose夫妻は晩秋のスペインを旅しました。Mr.Danjoseはこの夏、ひどい腰痛になり、ダウン。歩くこと困難な状態が2か月ほど続きました。かくも重体な状態から、回復への粘り強い療養の甲斐あってカメラをもって旅行に出かけるほどに回復しました。このスペイン旅行はその意味からもリハビリを兼ねた意味深い旅となりました。新しい写真を久々に、このブログにアップできたことはとても喜ばしいこと思い感激しています。 日本もそうですが、世界的な気象異常のせいか、晩秋になっても、夏の草花が生き生きと咲き、木々が茂ったりするのはスペインのグラナダも同じのようですね。グラナダも夏は暑い地と聞いています。秋のほうが、鮮やかに生き生きと夏の花が咲いています。(Granada(グラナダ)でザクロを撮った。スペイン語:granada:普通名詞でザクロの意味)ザクロの木も葉っぱ青々としたままで、実はもう真っ赤に熟しています。日本のザクロも同じような現象が見られます。これも、世界的な異常気象のせいでしょうか?
2011.12.01
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日光の春(3) それまでモノトーンの冬枯れの山々が芽吹きの季節となると緑色、黄色、赤、濃い緑など濃き混ぜてヤマザクラが所々に淡い紅を散らす。「秋のもみじ」の豪華絢爛とは異なる淡い色合いの春の山々は何か心うきうきする明るさ軽やかさ。 そんな芽吹きの季節の落葉広葉樹林の山々にひときわ目立つのは黄色の花と葉っぱのイタヤカエデ(板屋楓) (イタヤカエデ:カエデ科カエデ属。各地の山地にはえる落葉高木。雌雄同株。4~5月に淡黄色の小さな花がさく。秋の紅葉も見事。亜種、変種多数。それぞれ和名と別名をもつ。) 若葉芽吹く山々を黄色に染めるイタヤカエデの花 板屋楓(イタヤカエデ)の名は雨宿りが出来るくらいに葉がよく茂り、板で葺いた屋根のようだからだという。 葉の展開に先立って花をさかせる早春の林に燃え立つ紅紫色ミツバツツジ(三葉躑躅) 関東地方から近畿地方東部の太平洋側の尾根や岩場や里山の雑木林に自生。他のミツバツツジのオシベは10本であるのに対してこのミツバツツジのオシベは5本。 トサノミツバツツジ(土佐ノ三葉躑躅) トサノミツバツツジの名の由来は、高知県越知町横倉山で最初に牧野富太郎博士に発見されたことによるという。自生地は岐阜県、滋賀県、紀伊半島と徳島県、高知県の山地の岩場や崖地である。早春の山の崖地などに咲いているツツジその紅色の華やかさ 私の散歩道。森林公園に早春に咲くウグイスカグラより花が小さく可愛らしいミヤマウグイスカグラ(深山鶯神楽) ( ミヤマウグイスカグラ:スイカズラ科スイカズラ属) 「ウグイスカグラ」が無毛であり、本州から九州の太平洋側に生育しているのに対して 「ミヤマウグイスカグラ」は全体に毛や腺毛があり、本州から九州にかけての主に日本海側に生育する落葉低木である。 林床にはトキワナズナ の可愛らしい淡いブルーの花が咲いている。 (学名:Houstonia caerulea L. 英語名・bluets) トキワナズナはナズナの名がついているが、アブラナ科のあの春の七草の日本固有のナズナとは異なり、アカネ科フーストニア属に属する。北アメリカが原産地の帰化植物である。(明治時代に渡来)草丈10cmほど花径1cm~1.5cmの小さな花を一面に咲かせる。 コミヤマカタバミ(小深山傍食) (学名:Oxalis acetosella カタバミ科カタバミ属 春に白い小さな花をさかせる) このカタバミもヨーロッパの大部分とアジアの一部に自生する帰化植物。日本では亜高山帯の針葉樹林内に多く見られる。ハート型の3小葉が特徴的コミヤカタバミはヨーロッパではシャムロックの1つであり、聖パトリックの祝日のプレゼントの花でもある。(注:アイルランドでは432年ごろ聖パトリックが「シャムロックの葉が三つに分かれているのは「三位一体」を表わしているのだ」と説明しキリスト教の布教に利用した。シャムロックとは、クローバーやウマゴヤシやカタバミなど、葉が3枚に分かれている草をいう。) 早春の枯草の林床からすくっと立ち上がり明るい薄紫の花を咲かせるショウジョウバカマ(猩々袴) (ユリ科ショウジョウバカマ属。学名:Heloniopsis orientalis.根生葉は典型的なロゼット。 分布は北海道から九州、朝鮮、ロシア極東。丘陵地の沢筋や湿り気のある林のへりなどに生える) 湿った小暗い林床に春を告げる華やかで華麗な花花が終わり果実が熟する頃になると茎が長く伸び1mにもなることがあるという。名の由来は中国の想像上の怪物である猩々の顔を花の色にロゼットを袴に見立てたものという。 ニリンソウ (ニリンソウ:キンポウゲ科、アネモネ属 学名:Anemone Flaccida 北海道~九州、朝鮮、中国、ロシア極東に分布多年草) ニリンソウも早春の林床に彩りを添える草早春に地上部を展開し、初夏には葉を枯らしてしまう早春植物のひとつ。有毒植物の多いキンポウゲ科のなかで、例外的に山菜として食べられる。 ヤシャゼンマイ 日本固有種のシダ植物。北海道南部から九州に分布。主に渓流の増水時に水にかぶるような岩場に生える・ アメリカミズバショウ 日光植物園は高山ならび温帯から亜寒帯に生育する種類、およびそれらに関係の深い外国の種類が集められている。アメリカミズバショウもその1つなのであろう。 日本のミズバショウに比べると花(のようにみえるが実は苞)がクリーム色をしている。湿原を埋め尽くして咲く白の「幻想」」あの尾瀬沼の水芭蕉 歌では夏の日の思い出であるが、水芭蕉は雪解けとともに咲き始める春の植物である オオカメノキ(大亀の木) (スイカズラ科ガマズミ属。北海道から九州に生育する落葉小高木。ブナ帯から亜高山帯にかけて生育する落葉小高木。「大亀の木」の由来は、卵円形の葉の形を亀の甲羅に見立てたもの。 別名「ムシカリ」葉っぱが虫に良く食われ「虫喰われ」が転訛したもの。) 日本海側のブナ林に多くみられるガマズミのなかまブナの若葉とともに春のブナ林の美しさを際立たせるヤブデマリに似た白い花の塊秋には赤い実が美しい熟すと黒くなり、甘くて美味しい実。 低地の雑木林には同じなかまのガマズミ、コバノガマズミが分布しており、私の森林公園の散歩道も新緑の緑とガマズミの花の白今清々しい。新緑映える池 アカヤシオやヤマザクラが芽吹き始めた若葉の緑とこき混じり水面に揺れる。 日光植物園では今、日本の山々や林に咲く春の花や樹木の芽吹きを更には、外国の関連の植物までもを観察して春を堪能することができる。
2011.05.05
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日光の春(2) 見事な巨木の枝垂桜咲き満つ田母御用邸の庭園 400年あまりを営々と生き抜いて来た巨木堂々と春の大空に伸びそのいのち満々 皇后御学問所脇のシダレザクラその巨木の幹の荒々しさはるかなる歳月をその幹に刻み込みいのち繋いできた。 樹齢350~400年以上のシダレザクラ人を圧倒させる重さ崇高さ 巨木のシダレザクラの庭園は芽吹き始めた萌黄色にミドリザクラやアカヤシオやヤマザクラのやわらかな色混じりあい春の華やぎ (アカヤシオ:ツツジ科ツツジ属 中部、関東地方から東北南部の山々までに自生する) 巨木のシダレザクラのある庭園 石楠花の紅色も端正な日本建築に清々しい 懐かしい日本の風景幼い日の春の庭 石灯篭のある庭渡り廊下の続く庭 半生紀前、私の幼いころ農村地方では村の有力者の家にごく普通に見られた日本建築様式の建物野趣に富んだ庭 この屋敷は御用邸ということであるが簡素で質素なものなのに少し驚いた。大自然そのままを手を入れるのを最小限にして、使われていたのだろうか。 「日光植物園」のお隣の田母沢御用邸記念公園は今、素朴で美しい春盛り。 Danjose夫妻の日光を訪ねた旅1回目に続いて2回目です。次回は春の雑木林に咲く花をアップする予定です。
2011.05.02
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日光の春(1) 優しい色に包まれる山々日光は今 アカヤシオの淡いピンクやヤマザクラの白が芽吹き始めた萌黄色の若葉とこき混ざりまるで淡い水彩画の世界。 Danjose夫妻はGWの初日、29日、日光(栃木県)を訪れ、東京大学の日光植物園と ( アカヤシオとミズバショウ咲く日光植物園)そのお隣にある田母沢御用邸記念公園を散策しました。 (田母沢御用邸庭園) 東大大学院理学系研究科付属植物園「日光植物園」には日本の高山ならびに温帯から亜熱帯に生育する種類、およびそれらに関係の深い外国の種類が集められ、自生するものを含めると、シダ植物約130種、裸子植物70種、被子植物2000種が生育している。特に日本の温帯に多いカエデ属、サクラ属、ツツジ属の植物が多数集められている。 今盛りと咲いていた アカヤシオ(赤八汐) 中部、関東地方から東北地方の南部までの山々に春を告げるツツジのなかまアカヤシオ冬の枯れた林のなかにやわらかなピンクの群れが華やかな春の到来を告げる 大自然の厳しい冬を潜り抜けて開いた花びらその明るさそのやさしい色あいその華やかさ 大自然のなかにあってこそ美しい色合いや姿のアカヤシオ。ミズバショウも今を盛りと咲いています。 冬の眠りから覚めていのちざわめく植物園 タムシバ (モクレン科モクレン属。本州以南の日本各地に分布。落葉の小高木。温帯から暖帯の山地に生育。) コブシに先駆けて咲くタムシバ松枯れの激しい場所では群生してヤマザクラと同じ時期に山を彩るタムシバ噛むと甘いのでサトウシバの別名もあるタムシバは「噛む柴」がなまったもの早春の山々を華やかに彩る アカヤシオとヤマザクラの競演 木々が芽吹く直前の紫に煙る山肌に淡紅色のアカヤシオとどこまでも白に近い薄紅色のヤマザクラが柔らかに溶け合ってやさしい色合いの雑木林 ミドリザクラとアカヤシオの競演 ミドリザクラ(別名・緑萼桜) 萼の淡い緑と白の花びら清楚な美しさ芽吹く林の木々のなかにあってはっとする可憐さ (バラ科サクラ属の落葉低木・豆桜が母種。関東地方、甲信地方、伊豆半島の山地に分布) アカヤシオは日本の春のいろ ミドリザクラとアカヤシオが淡い色合いで煙る日光の山 (低木のミドリザクラの白とアカヤシオの煙る薄紅。見事なハーモニー) ヤマザクラより花が大きく色も濃い紅色オオヤマザクラ 花と同時に展開し始める赤い葉っぱ、花びらの赤と見事な調和をみせて、淡い色合いの春の山間にひときわ鮮やかな紅になるオオヤマザクラ マメザクラとオオヤマザクラの自然交配種 ショウドウサクラ(勝道桜) 日光地方固有のサクラ日光山を開いた勝道(ショウドウ)上人に因んで名付けられたというショウドウザクラ 日光植物園の山々には今早春の花々から新緑に咲く花々まで一斉に咲いている アズマシャクナゲ 初夏に咲く石楠花までこんなにも透明な紅色に染まって若葉芽吹き始めた萌黄色の林のなかに咲いている。 震災にも負けず花々たちはその営みを変わることなく続けている日光の春です。 Danjose夫妻が見た観光地日光の閑散 震災による自粛ムードと原発事故の風評被害のためか、GWの初日(4・29)としては観光客の姿は非常に少ない観光地日光の光景でした。タクシードライバーの話によると1昨日までは閑古鳥。多少持ち直したとはいえ、観光ツアー客、団体旅行客、外国人観光客はほとんど見られず、走るバスも路線バスだけで、観光バスはほとんどみかけないありさま。 この地方は大震災の日には、確か震度6ぐらいの地震に見舞われた地域で福島原発事故の隣県ということもあり、観光客のこの惨憺たるありさまは胸が痛みますが、だからといって、無理に奮い立って、旅行するのもなかなかむつかしい。そんななかDanjose夫妻は旺盛に遠出して元気に散策しています。GWはまだまだこれからです。まぶしいほど緑滴る山や野に出て、深呼吸して明日に向かって英気を養いましょう。
2011.04.30
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燃えるツツジ 文京区の根津神社つつじ苑の文京つつじまつり5月5日まで開催(文京区の五大まつりのひとつ) 東日本大震災の余震いまだ止まず、福島原発震災はいまだ収束できず、4月は不安で沈んだ気持ちになりがちな日々が続いています。そんな気分一新しようとDanjose夫妻は東京は初夏の陽気の27日文京区にある根津神社の文京つつじまつりに出かけました。見事なツツジの苑新緑の境内に燃え立つツツジ 根津神社は6代将軍徳川家宣の誕生地、その産土神の神社である。1706年(宝永3年)綱吉がこの地に社殿を造営権現造りの見事な姿を今に残している。 神社内には2000坪のつつじ苑があり、約50種3000株のつつじが4月半ばから5月初めにかけてつぎつぎに開花し色鮮やかなつつじの苑となる 鮮やかな紅目に沁みる赤燃えるように咲き誇る紅ツツジ 湿原や草地、明るい二次林に生育する落葉低木レンゲツツジツツジに「躑躅」(てきちょく)という字をあてるのは、家畜が誤って食べて「躑躅」して死んだからだと言われている。(「躑躅」とは行っては止まり、行っては止まることや、とんとん足踏みする状態をいう)この美しい燃える花はどの種類も花、葉そして蜜までも毒があるという。初夏の高原の牧場などでは、橙色をおびた赤いレンゲツツジが食べられずに残り花の名所になっていたりする。 レンゲツツジの黄色のバージョンキレンゲツツジ さらに黄色 鮮やかなオレンジ太陽の色カバレンゲツツジ 華麗な八重咲き高貴な紅紫センエオオムラサキ (千重大紫) 濃い紅華やかな赤に混じってしっとりと深い赤クロツツジ 赤の乱舞するつつじの苑 太平洋側の山地の岩場に生えるゴヨウツツジ 若葉と同時に咲き出す白い花。花の中心には緑の斑点白と緑の微妙な色合い青葉の季節の瑞々しさの色合い 葉は枝先に五個輪生状につくことから五葉つつじの名がある 日本の5月の街路や庭ににぎやかに初夏をつげる リュウキュウツツジ 大きめの花若葉に白がまぶしい 緑滴る新緑の境内に見事なつつじ咲き、色の曼荼羅つつじの苑 早咲きのツツジはあざやかな若葉となって緑織りなす丘陵となる 泉水の石には亀さん日なたぼっこ。 冬の眠りから覚め はるだなーあかるいなーよい気持ち。 東京のドン真ん中文京区根津根津神社の文京つつじまつりあざやかなつつじの色と新緑のみどりの中そぞろ歩いて深呼吸。 今、季節は新緑の初夏へと移ろおうとしている 私の散歩道の 雑木林のなかで燃えるコバノミツバツツジの紫紅もそれまでの冬枯れの風景を一挙に華やがせる明るさがあり、素敵だが、都心のあくまで人工的な良く手入れされた庭園のツツジも豪華で見ごたえがある。 ゴールデンウイークの都心の散策に明日への英気を養うにも最適な散策路です
2011.04.28
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東京近郊さくら満開 東京近郊の住宅地、統一地方選前半の投票日10日にさくら満開 さくらの名所でなくともごくありふれた身近な 住宅街にも川辺にしだれてこぼれるように乱れ咲くさくら 見上げれば淡いブルーの霞む空あでやかに咲き誇る日本の春 さくら、さくら、どんな天変地異の年にもめぐりくる春に忘れずにやって来るさくら 春のはげしい嵐に一瞬に咲ききって、散って行く。 今年のさくらは とりわけ厳しかった冬をくぐりぬけ、千余年に一度という未曾有の大震災に見舞われた日本列島に混乱と失意の民の頭上に毅然と咲いた。 その明るさその華麗さ ただ、ただ そのエネルギーの氾濫に圧倒されるばかり花爛漫余震いまだに止まず今日も福島で震度6の余震。震度3の余震はほとんど毎日どこかで起きている。 このさくら満開の東京も震度3の余震続いている。 いつになったらこの大地の地殻大変動は落ち着くのだろう。 花爛漫花は美しすぎる
2011.04.11
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自然への畏怖の念 11日の昼下がり、私の東海地方でも、ゆらゆらと大地がゆれ、めまいかと思う揺れをかなりの長さで感じた。 慌ててテレビのスイッチを入れると警戒警報のチャイムと同時に三陸沖を震源とする大きな地震が発生したという。津波情報を流す画面に一斉に切り替わっていた。 あの日からまる2日、その地震の巨大さ(M9)、その被害の甚大さはとうてい人知では考えられないほどのものであることが明らかになってきた。、大津波、火災、原子力発電の故障、続く余震などまさに何重にも折り重なって、これでもか、これでもかと襲いかかって来る。 わしたちの一見、文明的と見えた便利で快適な暮らしはあっというまに消滅した。家が車が瓦礫となり、折り重なり、散乱し、町が村が壊滅した。 この地震がもたらした破壊力のすさまじさには日頃、自然とあまり触れ合う機会なく、無関係に過ごしている都会の暮らしの私たちに大きな衝撃を与えた。 もくもくと上がる噴煙 これは地震により、ガスタンクが爆発炎上した京葉工業地帯のものである。 これらの写真はMr.Danjoseの自宅から撮影したもの。 東京も震度5の揺れが報じられているが震度5の揺れで、このような火災になるとは、恐ろしいほど脆弱な工業地帯の作りといえないか。 撮影場所から、火災現場までの距離はおよそ25kmもあるのに、数キロ先に起きた火災のように辺りは明るくなった。火災の勢いのすさまじさを物語っている。 子供たちや若者たちの大好きな遊園地・東京ディズニーランドのある浦安市は、地震の起きた日は、市内の多くの場所で液状化現象が起き道路から水が噴出し、川のようになって流れた。下の写真はそのような街並みの写真である。 (写真はweb版 New York Timesより) 海を埋め立て、漁業の町から都市へと変貌した街。震度5の揺れでこのように破壊されるとは。 もし、これらの都会にM.8の地震が直撃したら?恐らく予想もつかない被害がでるのでは? 浦安市役所HPからの市内の被害状況の写真。 明海大学の前の陥没した歩道より水が溢れている。 マンホールがせりあがっている。 総合運動場前の陥没 砂が噴出し、堆積した公園 このような被害により浦安市は地下の水道管やガス管の亀裂多数となり、水道などは、震災1週間後も完全復旧はできていない。 全国から子どもたちが集まってくる東京ディズーニーランドのある街が、このように脆弱な基盤の上あるとは恐ろしい。建物だけをいくら耐震化しても、それを支える土台がこのようであるとは、いかにも現代の日本の文明そのものの姿がここにある。見た目は都会的なきらびやかさ、都会的なスマートさしかしその土台はぐらぐら。 さらに、福島第一原発震災の事実は驚くべきことである。 安全安全大丈夫大丈夫と今まで政府や電力会社は宣言してきた。しかし、地震で配管が破断して水か漏れたり、停電でポンプが動かなくなり、炉心が冷やせなくなったら、それを次々にバックアップして対応するシステムが余りにもお粗末なのでは。非常用ディーゼル発電機が動かなくなったらそれをバックアップして不具合を解決できる何重にもフォローするシステムがないなどが今回の災害で露呈されたのでは。(これまでの原発の安全基準は、「単一故障指針」というもので、事故が起こった時,対応する為の安全装置がひとつだけ動かなくなっても大丈夫なように設計するということで、原発が設計されてきたとのこと。今回の地震のように、器機の故障が同時多発的に起こる場合の可能性は想定していないのだという。) 1986年のチェルノブイリ原子力発電所の炉心事故や1979年アメリカのスリーマイル島原発事故の教訓は日本の原発に生かされているのか。 この記事を書いているとき,テレビから原子力の専門家とかいう学者が「被爆、被爆と騒いでいるが、衣服にこれくらいの量が付いのは被爆と言わない。逆に、このように想定外の大きな地震に,これぐらいの損傷で済んだことは、日本の原子力発電の科学技術の高さを世界にアピールできる」と苛立って発言していた。なんという国民を愚弄したあきれた発言であろう。なんという傲慢な科学者だろうか。 中部電力の浜岡原発(静岡県御前崎市)は、今回の地震と同規模の地震があると想定されている想定東海地震の震源域の直上にあり、現在運転が続けられているが本当にこれで大丈夫なのかと心配になってくる。 東京電力幹部の頼り無さ (その後15日現在、福島第1原発は1号機・3号機の水素爆発、2号機の故障とすべての原子炉が重大な危機に陥っている。しかも、それを公表する東京電力の広報のたよりなさ。この会社の巨大組織で、あぐらをかいて高給とって暮らしていた中堅の管理職たち、未曾有の危機に対処できないありさま。現場で懸命に働いている人々からの情報を全く的確に処理できていない。情けない。高い偏差値で優秀と世間が評価している人達の末路である。東京電力の広報部の記者会見は、この危機的実態に及んでもなお自己の保身に汲々としている日常の哀れな姿しかない。あきれるばかりだ。世間は公務員だけをバッシングしているが、大企業の硬直化した現代の日本の企業組織は、このような無害に骨抜きされた管理職の大群がいる。彼らは何も仕事していない。現場では劣悪な状態で懸命に働らいているというのに。職さえない状態というのに。 豊かに生きるとはどのようであることか深く考えさせられるのが今回の天災でもある。 雛まつりの日以来、真冬の寒さ続いた日本列島であったが、今日13日の日曜日は穏やかな春の日となった。私の地方の最高気温は17度の陽気。 2月より寒さ厳しく、なかなか春が来ない日々で、木々の芽もまだまだ堅い状態であったが、今日の私の散歩道はやっと林の木々がうっすらと茶色ぽくなり萌出るまえのざわめきを始めていた。 清んだブルーの空にネコヤナギの白の花がまぶしい明るい陽光にきらめいていっそう白く。白い絵の具を流したように雲が流れて、おだやかな空。 この青い空の果てに未曾有の天災の犠牲となった命があり、壊滅した村や町がある。 あまりのあの悲惨と哀しみあまりのこの穏やかで、美しい自然この落差の大きさ。 ただただ 哀悼あるのみ
2011.03.13
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Mr.Danjoseからの年賀状元旦の富士とスカイツリー 天に向かってどんどん伸びるよスカイツリー (2011年お正月のスカイツリりー) 真っ白な雪を頂く壮麗な富士と現代の科学技術の粋を集めた巨大な塔・スカイツリー昨年2010の元旦は (2010年元旦に東京近郊のDanjoseの自宅から撮影したもの) スカイツリーは背景の富士を越えてはいませんでしたが、1年後、富士を遥か遠景に見下ろしています。只今、塔の高さは539メートル日本で一番高い建造物来年12月には634メートルになるという地上デジタルの電波塔 若竹が伸びるがごとくまっすぐにちからづよく伸びるスカイツリー2011年が幼い子や若者がすくすくと力強く希望に満ちて伸びていける年でありますように。今年もどうぞよろしく2011年12月完成したスカイツリー Danjoseの自宅から見えるスカイツリー富士を背にして天高く伸びています。 2011年3月11日に起きた東北巨大地震にも耐えぬいて勇姿を大空に羽ばたかせました。 以下の日記でも関連記事を書いています。02012/1/2 Danjoseからの年賀状。
2010.12.31
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神宮外苑の銀杏並木金色に燃えて 秋の暖かな陽光が降りそそぐ穏やかな日曜日 今、真っ盛り銀杏の黄葉 散り敷かれたイチョウの葉っぱふかふかの金色の絨毯に 金色のトンネルのなか 休日の昼下がり人々は三々五々に散策している 若者も 若いファミリーも いいお顔、、、いいお顔、、、ベロベロバ~ァ懸命にあやしているよパパとママ イチョウの葉っぱさん、とお~く、とお~くに飛んでいけ! カサ カサ葉っぱさん踏みしめるといい音するね。 そしてワンちゃんまでも 晩秋の暖かな陽光浴びて戯れている。 何という穏やかな風景何という平和な風景日本の首都の心臓部・神宮外苑の晩秋の休日は豊かで平和そのもの。 この豊かさ、この安穏。 抜けるように高い青い空に 金色に燃え上がる銀杏並木そのの果てにあるものは何か。 2010年日本の秋は東アジアにおける国と国の関係がにわかに急を告げているし、東京の街には明日のない若者や高齢者があふれている。日本の国はどの方向へ行こうとしているか。あの国会議事堂で、何が議論され、何を決めようとしているか。 そして、世界では今、何が起きているか、起きつつあるか、想像力を働かせて思い巡らす時があるか。 この神宮外苑の晴れた晩秋の休日の情景は今の日本の姿をある意味で象徴しているように思える。 私は、日頃、若い中学生や高校生やその親たちと接する時間が多い。その中で、彼らについていつも驚くのは、現在の社会情勢に全く無知・無関心で暢気であるということである。のほほんとしている。自分たちが生きていく社会が、今何が問題で、どうなろうとしているか、思いめぐらす想像力をもたないことには、親も含めて徹底している。自分の狭い世界の中だけで閉じられており、その範囲内で平穏無事であれば良いという考え方で生活している。このような狭い世界観では、未来を切り拓く能力が育たないのではないか。(現状を切り開いていく創造性を身につける必要も感じていない) 若者は就職難とかいっているが、本当にそうだろうか?景気が回復(?)すれば、就職難は解消するだろうか。(私は、解消しないと思っている)現代の社会の直面している問題が何かに思いをめぐらす想像力も持ち合わせないような若者が、社会の中でこのような時代に長く働いていけるだろうか。働く能力を身につけること可能だろうか。はなはだ疑問である。彼らにあるのは、非常に受身的な生活態度であり、整えられた環境の中でしか力を発揮できない。 現在の日本の政治もこの若者たちと全く同じ状態にあるように思う。何をやりたいのかが、ふらふらしていて伝わってこないばかりか、困難に分け入って新しい状況を切り開くという勇気やエネルギーがないように見える。 革命的な改革が必要とされている時に世論や官僚の利権やらにふりまわされているように見える。大衆に迎合している。
2010.11.30
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毎年、MR.Danjoseは本土寺の秋を撮影していますが、今年は、ライトアップされた夜の本土寺の紅葉を紹介します。 いのち静かに燃えて ライトアップされて夜空にしっとりと浮かび上がる塔 もみじが、ライトに照らされて赤さをいや増して燃え立ち、 黒のなかから湧き立つ紅葉 小暗い 池の面にも 赤が燃え 黒 と 赤 と 黄 だけの 色だけの境内に 静寂 あるばかり グリーンが眩しい オレンジ色も鮮やかに黒の中から浮き立って 本土寺の夜は燃える紅葉色のなかに静まり返っています 冷たい夜のしじまに赤く燃えたたつ葉っぱたちは命の最期を輝かせています。 無音で、はらはらと、大地へと散っています。 花の浄土本土寺の晩秋 ただ漆黒の闇と静寂あるばかり 11月26日の本土寺。モミジはまだ紅葉していない木々もあり、夜の入場料は500円のところ300円で入場できたとのことです。今年のモミジは、木によっては鮮やかな紅葉をしているのですが、一方では、全くのグリーンのまま木や枝があり、個体差がとても大きい。 一斉に紅葉しないという傾向があるように見えるが。
2010.11.28
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裏磐梯は紅葉真っ盛り10月26日、27日とバスツアーで会津磐梯の紅葉遊山をしたDanjose夫妻。その色鮮やか見事な紅葉を写真に納めました。一緒にお楽しみ下さい。(観音沼、湖面にもみじ美しく映える)「会津磐梯山は宝の山よ」という民謡にも歌われている山山岳信仰の山としても古くから人々の暮らしのなかでともに在った山1880年(明治21)7月15日の小磐梯山の大噴火により山は吹っ飛び、溶岩が北側に流れ、桧原村は埋め尽くされ、長瀬川とその支流は溶岩でせき止められその周辺には、大小さまざまな300余りの湖沼が生まれた。 (観音沼:背景の紅葉が淡く美しい色合い。湖面には枯れた茅が生い茂る)噴火のさまを今に伝える裏磐梯の荒々しい山肌変化に飛んだ地形その自然がつくりだした山々が今、秋真っ盛り、(中津川渓谷:吾妻山を流れて秋元湖に注ぐ渓谷)まさに、日本の自然と気候が生み出す絢爛豪華、微妙な色が綾なす紅葉(中津川渓谷の見事な景観)磐梯山の大噴火の時、流れ出た溶岩に含まれているさまざまな鉱物や植物の沈殿物などが太陽光に反射して、青、赤、緑、コバルトブルー、エメラルドグリーン等美しい色を四季折々に見せる五色沼。(五色沼:1880年の磐梯山大噴火のとき、流れ込んだ鉱物の色が反射して、変化に富んだ水の色の湖が大小いくつかある。その沼のひとつ。) コバルトブルーの湖面に紅葉の赤、黄が色を落す沼その深い青(五色沼)エメラルドグリーンの湖面ももみじの黄、赤をこき混ぜて深い緑(五色沼の紅葉)会津西街道宿駅として江戸時代に栄えた町大内宿。当時の面影をいまに残す家並み、参勤交代の大名行列がにぎやかに通り繁栄した山深い町にも秋茅葺の屋根の民家の庭も花々や木々は秋の装い。昨夜来の寒波襲来でかえでの紅は、さらに鮮やか。遠く見渡せば 高原の秋は淡い絵の具を流したようにどこまでも広がり(安達太良高原の紅葉)まさに、日本の秋の色やわらかな色のハーモニー。(安達太良高原に咲くコスモス)コスモスも優しげにゆれて秋の風となる里に下りれば稲の収穫も終わり冬を待つ田んぼ山里にはリンゴ実りまさに秋たけなわ秋の色は絢爛の赤、黄、それらの色織りなす微妙なオレンジ、茶。芽吹きの春の鮮やかさ狂乱のエネルギーとは異なる落ち着いた色合いが秋の色豪華絢爛のなかに生を全うした満ち足りた色何かしら心和む色それが秋裏磐梯の秋はまさに今色の狂乱のなかに静かにたたずんで最後のいのちを生ききっている Mr.Danjoseは、10月26~27 日会津磐梯の紅葉遊山をしました。日本列島にはその時期に早々と寒波到来。吾妻小富士の浄土平(標高1600m)にも行く予定でしたが、寒波のため、道路凍結、一面銀世界となり取りやめになりました。さらに、昨日10月30日には、台風が関東地方に大接近、日本列島に激しい雨風をもたらしました。かくのごとく2010年の10月、日本の秋は夏と秋と冬が入り乱れ気候が大不順の年と成っています。
2010.10.31
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夏の盛りに咲く花にぎやかに咲いて このところ降れば土砂降り照れば真夏日30度を越す暑さしかし、まだ沖縄以外は梅雨は明けておらず毎日ムシムシとした曇り空ときおり集中的豪雨の日が続いている そんな日々であるがすでに夏の盛りに咲く花盛んに咲く ノウゼンカズラ日照りが続き、じりじりと灼熱の太陽が輝く時真っ青な空、むくむくと立ち上る入道雲そんな真夏の晴れ渡る空に輝くオレンジ、強烈な朱赤その燃える溢れんばかりの朱色その赤が一層赤く燃え、夏の盛りを実感させる。それが日本の夏の光景であったのに。 (ノウゼンカズラ科の落葉つる植物。中国原産。日本には平安時代初め9世紀末に入っており、日本の風土に馴染んで千年を咲き続けてきた) 今年は重く垂れ込める灰色の梅雨空に明るく咲きこぼれているノウゼンカズラ すでに6月半ばから咲き始め7月の声とともにあっというまに満開、盛りと咲いて庭からこぼれている 最近は、このアメリカノウゼンカズラが植え込まれた庭も多く古来から日本の庭に咲き続けてきたあの艶やかかなノウゼンカズラと競演している。 夏の盛りから咲き始め、真夏のぎらつく太陽の光り浴びて、咲き続ける槿(ムクゲ)もすでに咲き始めている。 じりじりと焼けつくアスファルトの道、街路樹として日本の夏を演出してきたキョウチクトウも もう、6月の半ばから梅雨空を背に旺盛に開花している 最近、日本の庭によくみかけるトケイソウ (トケイソウ科の常緑つる草。夏から秋にかけて花をひらく。ブラジル、アルゼンチンが原産で日本には1723年(享保8年)オランダから渡来。耐寒性強く、関東地方以西では、露地で越冬する。花弁と花弁状のガクが5枚づつ、交互に外周に配置され、その中央に副花冠が放射状に広がり、時計の文字盤に見える。中央のオシベを時計の針に見立てている) 熱帯生まれのこのつる草、日本の冬にも枯れることなくフェンスに枝をからませて、旺盛に伸び、もう6月の始めには花を咲かせ始め現在7月、私の散歩道にはまさに盛りと咲いているトケイソウ これらの花はみな日本の夏を代表する花たち炎天の空に映えて輝いていた花たち最近の気候は、春先から雨多く、晴れれば夏日この状態が5月から、ずっと続いている。まさに亜熱帯の雨季に似て。メリハリをつけて咲いていた日本の夏の花たちだらだらとこのまま秋まで咲き続けるつもりなのだろうか。 さらに、私の散歩道にはもう、萩の花も咲き始めている涼しげに朝露に濡れて夏の風にゆれている。 萩に似ているが萩ではない、コマツナギ(駒繋ぎ)は5月末にはもう満開勿論、今も咲き続けている 2006年/09/19には、コマツナギがこの同じ場所で、初秋の風に可憐に揺れて咲いていたのに、今年は梅雨に入る前から咲きはじめている。秋のひんやりとした空気が淡いピンクを深みのあるピンクにして、可愛げに咲いていたコマツナギ。春先から咲き始めるコマツナギのピンクは大味なピンク。日本の繊細な四季から生まれるピンクとは程遠い。 梅雨の季節に輝く花紫陽花最近の紫陽花は西洋に渡欧して品種改良され再来日した西洋アジサイの花が多く色も形も多彩、豪華である。 白のアナベル花びら(ガクであるが)は、細かく淡いグリーンがかった白から真っ白に、大きなぼんぼりとなり雨にけむる白のアナベル。灰色の空に溶け込みそう。雨の日の白いアジサイはおとぎの国のフェンタジー この淡いピンクのアジサイも甘い綿菓子のピンク色雨のなかで明るく輝く 品種改良に改良を加えられ次々に色々なアジサイが誕生する。その豪華さ、華麗さはっきりとした色合いいかにも都会的な心地よさ でも、雨のなかで淡いクリーム色から桃色へ、そして淡いブルーへと微妙に変幻していくあの日本の紫陽花も捨てがたい。地味な色合いだけれど降り続く雨のなかでしっとりと咲き続ける日本の山里の梅雨の風景でも、日本の紫陽花は徐々に西洋アジサイにその席を譲ろうとしている。 亜熱帯の雨季に似た気候になりつつある日本は、従来の繊細な四季の移ろいを花たちから奪おうとしている。 最近の日本の気候の異常さは、かなりのものではないだろうか。少なくとも、関東以西の季節の花々は、四季の変化に敏感に感応することなくなり、冬か夏の2季節に区分するだけでいいようになってきている。今年はとりわけその傾向が強く、私の散歩道は、初夏も盛夏も初秋もみな交じり合い同時に咲き競っている。花の色も繊細さを失って、熱帯地方のような大味でなものになっている。 花たちが私たち人間に警告しているものは何か。
2010.07.06
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花冷え厳しい4月のはじまり ダンホセ夫妻は3月末日奈良・京都のお花見を楽しみました。訪れたのは、奈良の安倍文殊院・聖林寺・長谷寺と京都の醍醐寺。3月30日は、私の住む東海地方では、最高気温が9度、最低気温は0.4℃と寒のもどり厳しい日でした。概ね3月の最後の週は、日本列島全体が冷たい雨をともない、冷え込み厳しい日が続き、春遠しという弥生末日となりました。わが地方のサクラは、3月18日に開花宣言されましたが、いまだ3分咲き、開花をためらい、足踏み状態。そんな中、奈良・京都地方も、花冷え厳しい状態だったそうですが、驚くことに、すでにサクラがかなり見ごろとなっています。京都の醍醐寺この寺は枝垂れ桜多い名所ですがサクラはすでに見ごろ寒さにめげず咲き乱れています(醍醐寺の参道)ご覧のとおりのお花見客に溢れサクラも爛漫(醍醐寺・三宝院のしだれざくら。JR東海のコーマシャルにも登場しているさくらです) 厳しい花冷えの空に見事に咲き誇り春(醍醐寺・清滝宮本宮)サクラと椿の花の競演見事な醍醐寺椿の紅、葉っぱの濃い緑、淡いピンクの色のハーモーニー 奈良の長谷寺(桜井市)のしだれざくらもこんなに見事に咲き誇っている(長谷寺の御所桜)しかし、葉が芽吹く前、先駆けて咲く早春の花々もまさに、今爛漫と咲く長谷寺サンシュウの花中国、朝鮮が原産のサンシュウ享保7年に薬用樹として渡来し、長く日本の風土に生き続けて今ここにある。サンシュウの黄や町古く人親し 大野 林火サンシュウの黄サクラのピンク見事に溶け合う長谷寺の春爛漫 ハクモクレンとサクラの競演(長谷寺のハクモクレン)サクラのピンクとモクレンの白競演乱舞して花満ちる長谷寺のハクモクレン見事な大樹花冷え厳しい大空に白を乱舞させて咲き満つ長谷寺の今年の春はハクモクレン、サンシュウ、サクラと入り乱れ咲き競う緋寒桜も咲く 寒緋桜(カンヒサクラ)まだ寒い3月上旬頃に緋色の花を咲かせる。九州南部では旧暦のお正月ごろに花を咲かせるので元旦さくらの名もある寒緋桜その早春の桜も枝垂れ桜と競演している早春の花もサクラもどっと一斉に咲き花冷え続く寒さ厳しい春(華やかな春の花々競演する長谷寺の3月末日)奈良・聖林寺(国宝・十一面観音像で有名。藤原鎌足ゆかりの小さな寺)春を告げにくる花レンギョウも今、盛りと咲いて鮮烈な黄レンギョウはアメリカでは早春の花その名もゴールデンベルフキノトウは伸びて花を咲かせている(聖林寺には山桜ももう満開)葉が出るのと同時に花咲かせる山桜はや咲いていた奈良の里山奈良・安倍文殊院(安倍仲麻呂や陰陽師・安倍春明ゆかりの寺)(仲麻呂歌碑:天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも) ボケの花も今盛り寒中から咲き始め花のない枯れた冬の庭に色を添える木瓜(ボケ)真っ赤な緋色これ以上の紅はないといほどの鮮やかな紅寒を耐えるエネルギーが一気に爆発したような激しい紅俗謡に「器量よけれど、わしゃぼけの花、神や仏にきらわれる」というのがあるそうな。木瓜には棘があるので、神や仏にはお供えしないことを謳っていると言う。それなのにこの安倍文殊院の庭には見事な木瓜の花咲く木ありはなまた「ぼけ封じ祈願」をやっており、老若男女で賑わう寺だというこれはユーモアか笑えないもの哀しさ 4月1日:今日も雨。冷たい雨。私の散歩道のさくらはまだ2分から3分咲き。まほろば奈良の山里の春は一斉にどっと花咲く春一気に華やぐ里私の住む地域では、サンシュウやレンギョウの花は既に無く、新緑になっている。ハクモクレンも醜態な白をさらけだして、地面に落下それに比べ、奈良の里は、早春の花々もまだ咲き競っている暖かで穏やかな春の日々が待ち遠しい4月のはじまりである。
2010.04.01
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春を告げる花たち今年の冬はことのほか雪が多く、厳しい寒さの日が多かった。私の子どもの頃の冬はこんなであったと思い出させてくれる肌を刺す木枯らしの冬となった 2月4日の立春も 日本列島は厳しい寒波に見舞われ 各地で積雪し、日本海側は大雪となった この2日ばかりは春を思わせる陽気となって、木々が冬の眠りから醒めて、芽吹きを促す春の雨となっている。 埼玉県長瀞町宝登山のロウバイ園 Danjose夫妻は、ここ数日の陽気に誘われて埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山(ほどさん)山頂付近にある蝋梅(ロウバイ)園を訪れました。雄大な奥秩父の山々を遠景に、約500株2000本の蝋梅が次々に咲き競っていました。 蝋梅や雪うち透かす枝のたけ 芥川龍之介 半透明でロウを引いたように艶やかな花弁その向こうにある残雪の白その黄色と白のとりあわせその枝ぶりの妙まさに龍之介の歌のごとまだ浅き早春 でも陽光の明るさは春の予感をはらんでロウバイの花びらはまだ弱き光を透かして明るい青に溶け込む まだ浅き春 寒梅の紅ももやる山々の青に白に映え 白梅もやわらかな明るい陽光に映えて芳しい甘い香りを放つ ほら福寿草も 暖かな光に誘われてその明るい黄を黄金に輝かせて大地からむっくりと現れて春の訪れが近いと告げている 早春に「まずさく」からマンサク あるいは「豊年満作」のマンサクに由来するとも言われているマンサクの花 枯れた冬景色を突如として黄色に色づけするマンサク マンサクの花が咲くと春の訪れを実感する 枯れた葉っぱと花が共存して冬から春への移ろいをその一本の木のなかに体現しているシナマンサク 枯れた木々たちが命のうごめきを始めている林のなかで真っ先に春を告げにやってきた マンサク 今、山や野では木々は淡く紫色に煙って芽吹きの準備をしている
2010.02.10
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現代に継承される日本の文化 11月23日にダンホセ夫妻は天皇陛下ご即位20年特別展を見に皇居東御苑を訪れました。 そのとき珍しいと撮影した旙(バン) 晩秋の皇居の森を背にはためく旗 旙 日本の経済の心臓とも言うべき背後のビジネス街の高層ビル群と幡の林立のアンバランスが面白い。モダンと古代が奇妙に溶け合っている 私は1昨年(2007年)奈良国立博物館の正倉院展で飛鳥・奈良時代の旙が展示されているのを見た。そのときは、飛鳥・奈良時代の織物の織りのひとつとしてこんなものが、延々と生き延び今に残っているのだと感動したが、その旙が、現代によみがえりビジネス街を背にしてはためいているとは。このように華やかな色合いではためいているとは。 旙(ばん)とは何か。調べてみると、仏・菩薩の威徳を示す荘厳具。梵語のパターカー(pataka) に由来し、古代インドの軍旗が源流。初めは、仏教教団の標章として用いられたが、後に、法会や説法のとき堂内や境内にかける荘厳具となった。材質的には、布製の斬幡(キレハタ)が多く、他に、金銅幡や玉幡などもある。 用途により、 内・外(げ)陣幡、灌頂(かんじょう)幡、命過(みょうか)幡、葬送幡など。色や模様によって、青幡、五色幡、仏像幡、菩薩幡、種子(しゅじ)幡、などなど多種多様な旗・旙(バン)。 日本では、飛鳥・奈良時代に優れた品が多く、正倉院には、聖武天皇1周忌法要が東大寺で営まれた時使われた数百旒(リュウ)の錦・羅の幡のほか金銅幡4旒など多数残っている。 私が正倉院展で見たのは、この聖武天皇時代の幾つかであったのだろう。 古代からの文化が保存され、現代に継承されてきたことはある意味で、皇室という特殊な立場、環境があったからといえる。 皇居の森昨年のお正月のNHKのドキュメンタリー番組で皇居の森の奥深くまで初めてカメラが入ることが出来たとかで皇居の森を紹介した。都心にありながら生物の多様性がしっかりと根付いた森がそこにはあった。これは驚きであり、感動であった。皇居という特殊性が、経済効率だけを優先する開発から森を守った。 これも又、良き事かな。
2009.12.02
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美しすぎて 今日本の山や野はモミジやカエデが錦綾成す この深い赤 晩秋の柔らかな陽光をあびて輝く紅 黄葉したモミジ モミジの簾 黄葉の落ち葉と緑の葉っぱ 見事にハーモーニーして 見上げれば 赤のシャワー 足元見下ろせば 落ち葉を散りばめた絨毯 その色の深さ 見事さ 日本の着物の裾模様のよう 柏葉紫陽花の紅葉も モミジの紅と溶け合って 秋色華やか 本土寺の庭はひらひらと散る落ち葉の海 落ち葉に埋まる 本土寺の華やいだ参道 まさに暮れようとする秋 葉っぱたちは 華やいで穏やかに 大地へと還る 紅葉は落葉につながる植物の生理現象である。葉を切り捨てようと葉柄の基部に離層が出来るため、葉で作られた栄養分が行き所をなくして蓄積され、アントシアン類の赤い色素ができる。紅葉するのは夜間低温にあい、昼間との気温差が激しいと、蛋白質が分解され、アミノ酸にかわり、上述のアントシアンと作用しあって、葉緑素が分解され、緑色が消失するためである。アントシアンができない種類では、葉緑素の分解により、カロチノイド系の色素が目立ち黄色に染まる。日本の秋は 日本の気象条件により、日本特有の赤の強い紅葉となる。微妙な深い赤となる。モミジとカエデの紅葉はその代表的なもの。 葉にとってはまさに死への旅路その直前の華やぎが紅葉といっていい。 12月1日Mr&Mrs Danjoseは再度松戸・本土寺を散策しました。前回(11月20日)よりも一層モミジの紅葉は深さを増し、まさに紅葉真っ盛り、且つ落葉の見事さ。その晩秋の美しさをカメラに収めました。冨士子婆は(11/27に)、絵手紙で晩秋の葉っぱたちを描いたものをアップしましたが、モミジの葉っぱ美しすぎて描けませんでした。私の散歩道は、今クヌギやナラのドングリの木々が見事に黄葉しています。朝日に輝くとオレンジ色に燃えています。モミジの木もその所々で赤く燃えています。深い赤です。とても絵に描けない美しさです。 ダンホセの本土寺のモミジはその美しさを存分に伝えています。お楽しみください。
2009.12.01
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大名屋敷の面影を色濃く残す松戸・戸定邸2007年には11月18日に訪れましたが今回は11月8日と前回より10日早く訪れたせいで菊花祭が行なわれていました 人工美の極みともいうべき日本庭園と長い日本の園芸史のなかで作り上げられてきた菊の大輪共に人の手間・暇かけた職人芸の組み合わせ 背景の日本庭園と見事に調和しています 盆栽の菊日本間と背景の庭とが呼吸しあって盆栽を生かしています 夜空にぱっと上がった花火のように華やかな菊の大輪 繊細な花びら糸のように開いて優美 又、これは不思議な花びら池の面に浮かぶ笹舟のよう こんな菊もあるのだと驚くばかり 戸定邸の古い日本庭園には徹底して管理され育てられた行き届いた庭のなかに このように朽ちかけた大木もある 百日紅の太い幹その曲線の荒々しさは人工美の庭園に溶け込んで庭のひとつの背景となる ほら、ナツツバキの幹も 百日紅の幹に似てツルツルとした木肌とその色合い 幹と紅葉した葉っぱの紅とが奏でるハーモニー ススキの銀色の穂もナツツバキの紅葉と共演している 初冬を告げるツワブキの黄色 秋のやわらかな陽光に明るく輝いて さらに南天のような赤い実をたわわに実らせ紅をいっそう輝かせて イイギリ(飯桐)の大きな木が晩秋の青い空に向かって聳えている そしてサクラまでも 紅葉する木々のなかに花びらをふるわせて 雪のように白い花びらその名の如く冬桜 晩秋の戸定邸の庭園はまさに暮れようとする秋に満ちそれぞれが静かにそのいのちを奏でている 来るべき冬に向かって
2009.11.22
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秋の 風渡る 9月26日晴天続きの日本列島秋の涼やかな風が渡る箱根の山コバルトブルーの高い天絶好のハイキング日和の秋の一日Danjose夫妻は箱根(仙石原・大涌谷)のすすき野を散策しました 山の稜線に風渡るススキの穂が銀色に輝き 風となる 幾重にも折り重なって 風渡る 山々の濃き緑と ススキ野の白 が 見事なコントラストをなす 深い緑のなかで 銀色の風となって ざわめく ススキ野 その風の谷間に 可愛らしげに咲く 野のユリ 数千年の昔 噴火した火山のなごりを 今も残して 湧き上がる湯煙 大涌谷のススキ野は 荒々しい地球の地底から噴き出る溶岩や煙とともに 共存して今ここにある 秋になると その悠久の時空を越えて 白い穂を 風になびかせる そして 遥か遠景に見る 富士の高嶺を 秋は 銀色の風となり 仙石原の草原を ざわめいて 通り過ぎて行く
2009.10.01
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阿弥ヶ原湿原(山形・月山)に咲く花々山形県の中心部に広く平らな山頂部を持つ山・月山2000m(1984m)近い高い山でありながら長い主稜線を持つ山は、崇高な極楽浄土を連想させる信仰の山・月山 (遥か後方に、なだらかな稜線で聳える月山を望む) 何千年もの歳月が厳しい自然のなかで作り出した湿原西方浄土を司る阿弥陀仏の阿弥陀の名をもつ原、昔、この山が民の暮らしと深く結びつき崇められたいたことを象徴するかのような名を持つ阿弥ヶ原いかにも山岳信仰の山にふさわしい名阿弥ヶ原湿原 月山の積雪は世界有数、氷河化している部分もあるその豊富な雪が雪田や湿原を形成し、多様な植物が繁茂する。高山植物は数百種にも及ぶという。 氷河期時代に繁茂した植物オゼコウホネやミツガシワがこの湿原の池塘(ちとう)には今も生き残り成育している オゼコウホネ (数万年地球が氷河で覆われていた時代から生き続けてきた植物。日本では、尾瀬沼 と阿弥陀が原湿原の2箇所だけに、現在残存している。) 池塘(ちとう)では、水辺の植物が夏には次々に花を咲かせる ホソバタマミクリ (ミクリ科:葉は水上に浮かび幅2~4mm、上方に白色の可憐な雄花、下方に球状の雌花。花期は初夏5~6月) ホタルイ (ホタルイ:カヤツリグサ科、高山の高層湿原の池の多年草。蛍のいそうな場所に生えることから、この名があるという。) 日当たりのよい湿地には モウセンゴケ 花期は7~8月 ミズバショウの咲く水辺も夏の終わりを告げてやわらかなもみじ色 その泥炭地に大群落をつくるキンコウカ(金光花) (8月末日の湿原は、夏のなごり。すでに草紅葉が麦色に色づきはじめている) キンコウカ(金光花)は夏には湿原一面を黄金色に染め輝かせ (キンコウカ 学名;narthecium asaticum ユリ科の多年草。7、8月に黄色の総状花序の花を咲かせる。根茎は横走し、根出葉を出す。湿原に生育。 秋には葉も茎も熟れた麦色となって燃える秋の山の画布となるまさに金色に輝く花キンコウカその日当たりのよい草地に東北の夏山風景ともなっているシロバナトウチソウ そして ウゴアザミ 可憐なミヤマリンドウ エゾヤマリンドウ タチギボシ 高山植物として、ポピュラーなチングルマ花の盛りの夏は、白が群がって見事なお花畑のをつくる厳しい冬の寒さ、豪雪に耐えて夏花ひらくその白、雪の白 チングルマ (チングルマ 学名:Sieversia pentapetala (L) Greene バラ科の落葉低木。マット状に群生し、茎の下部は分枝して、地表を這い、上部は直立又は斜めに伸びて高さ10cmぐらいとなる。6~8月白い5弁花を一個咲かせる。名の由来・花期後花柱は羽状の長い毛となり、実が子どもの風車ににていることから「稚児車」チゴグルマが転訛してチングルマとなる。秋の紅葉は見事。) 可憐な花フウロウハクサンフウロウ(白山風露) (ハクサンフウロウ 学名:Geranium yesoense FR. Var. nipponium Nakaiフウロウ科の多年草。花期7~8月。高山の草地にはえる) 8合目(1400m)の阿弥ヶ原湿原には このような数々の植物が厳しい冬のあと一気に咲き乱れ、秋へと移ろおうとしていた ウメバチソウ (山野の日当たりのよい湿地8~10月に花をさかせる) ミヤマアキノキリンソウ (別名コガネギク。秋の山路に金色に輝いて咲く) ナナカマドの実はもう赤く色づき燃える紅葉の季節の訪れを告げている
2009.09.11
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ブナの森が現代に問いかけているものは? エジプト、ギリシャ文明が栄えたギリシャと中近東、アフリカ北部はかって、豊かな硬葉樹林・常緑のカシの生い茂る森であった。ローマ帝国が支配した地中海から中部ヨーロッパ、さらにアフリカ北部海岸もまた常緑のカシ林の豊かに茂る大地であった。文明の繁栄は、緑を破壊しつくしてこの世界から滅亡したただ、今はその代償として遺跡がのこるばかり、荒涼とした赤茶けた大地に崩れ落ちた廃墟が残るばかり 日本列島もブナ林がカシ林が覆いつくしていた時代があった (獅子が鼻湿原のブナの原生林:ブナの林が1万年前までは、関東以北の日本列島を覆い尽くしていた。日本の農耕文化は、ゆるやかに自然に手を加え、自然と共生して、生きてきた。しかしこの50年間は、その数千年の自然破壊よりもさらにハイペースで森を破壊しつくして、消費文化を繁栄させている。) 肉食で放牧により森林を破壊しつくす西洋文明くらべれば日本の農耕文化は、自然と共生してゆるやかに原生林を破壊した しかし、この半生紀の日本は西洋の文明を無条件に教条的に受け入れてその森林の破壊は、一気に進み、ほぼ、原生林は壊滅した。かって、日本列島を覆っていたブナ林のその面影をかすかに今に残している 獅子が鼻湿原のブナの森は現代の人々に「生きる」ことの意味を問いかけている。 (元滝の伏流水。湧き水の温度が低いため、水粒が霧状になって、辺りを包む。幻想的な川面となる。) 日本海に裾野を洗う鳥海山には、冬の寒い季節風が湿った雪を多量に積もらせる。雪はしたたり落ち、水となり、地下に浸透し、長い旅を始める。 (湧水池に湧き出た水は伏流水となり、川に合流する) 鳥海山の雪解け水は、80年以上もかかって湧き出る。(酸性・低温ph4.4~4.6、水温7~8℃)水量も水温も1年中はぼ一定している地中深くから湧き出てくる水 (高さ5m、幅30mの小さな滝。外気との温度差が大きい為周囲は霧状に包まれ、荘厳で神秘的な世界をかもし出している。) 溢れる湧水・伏流水が大きなブナの根元から滲みだしたり崖から飛び出して、そのまま滝になったりする。 (あふれる伏流水が霧状になって岩を包む。滝周辺は苔が張り付き、滝の白と苔の緑のコントラストは絶妙。) 夏でも水温は4~5℃と低く水滴が霧のように拡散しあたりはほの暗くひんやりと冷涼である木々や岩は苔むし暗緑色に光る 大量の伏流水で育った藻が急流で丸い形になる「まりも」、 鳥海まりも 緑色の苔のついた岩のような塊が「鳥海まりも」酸性水のため流域には世界的にもめずらしい巨大な「まりも」が成育している 地中深く潜った水を貯えるまさにダムの役割を果たしている獅子が鼻湿原のブナ林 何千年の風雪に耐え 巨大な生き物となって、林のあちらこちらに鎮座しているブナ。 あがりこ大王 幹周り7.26mあり、奇形ブナとしては日本一「あがりこ」とは、幹が上がったところで子に分かれている形から名付けられたという。この巨木は平成12年に「森の巨人たち100選」に選ばれている。人を圧倒する巨木、数千年を生き続けて今にある重み 蜀台 これらの奇形ブナの原因は、 豪雪、噴火、炭焼きでの伐採など諸説があるという。 元滝の伏流水は、約16ヘクタールに及ぶ湿原を形成し、 湧き出た水は白雪川に合流し山麓の平野を潤す さらに 川となった元滝は数キロ流れて海に注ぐブナ林の枯葉の腐葉土を通過して、森で育まれた水は海へ豊かな森に育まれた水は、海の生き物たちの豊かな棲みかとなる。魚たちのゆりかごとなる。その豊かな漁場は、人々のくらしと深く関って守られてきた時代があった。宮城のカキ生産者・畠山重篤さんは「森は海の恋人」(文春文庫)で森と海のつながりの大切さを説いている。それに呼応するかのように象潟町に「鳥海山にブナを植える会」が発足した農民、魚民、市民、子ども、あらゆる階層が一致団結して、裸になったブナの森を100年かけて復活させようという壮大な「森をまもる」運動である。 獅子が鼻湿原のブナ林は今日もこのような人々によって守り再建されようとしている 地下深くから何十年もかかって湧き出す水が長い旅を海で終えるまでの壮大な自然の営み、壮大な自然の連鎖を獅子が鼻湿原の荘厳な伏流水の景観が (伏流水の水粒が霧状になって、川面を包む、幻想的で神秘的な水のせせらぎ。もののけ姫がどかにいそうな森。しかし、この森も破壊が進み悲鳴を上げている。) 私たち現代を生きるものにその大切さを静かに警告している 8月末日、Danjose夫妻が山形県、秋田県にまたがる鳥海山山麓を旅しました。その時、Mr.Danjoseが撮影した写真です。荘厳でかつ神秘的な元滝の伏流水の景観を思う存分堪能しました。その様子が写真に見事に結実しました。お楽しみください。
2009.09.11
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初夏の熊野路5月の終わりの熊野路は欝蒼と生い茂る広葉樹林の群落がつややかな若葉色に燃える ウバメガシ(姥目樫) (大島・樫野崎のウバメ樫:ブナ科、コナラ属。備長炭の材料。果実はどんぐり状で、渋み少なく食用となる。材は硬く艪臍(ろべそ)などとし、若芽はタンニンに富み、付しの代用。暖地の海岸部の山の斜面にかけて 多く見られる。神奈川県以南、南限は沖縄県。特に、海岸付近の乾燥した斜面に群落をつくる) 太平洋を見下ろして 山の斜面に覆いかぶさるように群生しているウバメ樫 何百年もこの大地に生き続けて今、ここにある 海岸林を構成する代表的な常緑樹林材、実、若芽、など四季おりおりに、人々の暮らしを豊かにして、人々とともに生き続け今ここにある。 今、花盛りのセンダン(栴檀)の木 (本宮・大斎原の栴檀の木。ムクロジ目センダン科。西日本を含む東アジア各地の熱帯・亜熱帯域に自生する落葉高木。温暖な地域の海岸近くや森林辺縁に多く自生)栴檀(センダン)の花はこんなに繊細な淡いむらさき色 (センダンの花。冨士子婆が朝の散歩道で、お庭からこぼれ咲いていた繊細で可愛らしい花に思わずシャッターをきったが、ピントが甘くピンボケ。ご容赦を。庭木であるので木の高さは1.5mほどのものであった。熊野路・本宮のセンダンも多分こんな花を咲かせていると思う) このような可憐な花が天に向かって群がって咲いているさまは壮観燃える若葉の緑色のなかに華やかに浮かび上がる栴檀の淡い紫 「センダンは双葉より芳しい」という諺があるが、この諺の「センダン」は「白檀」のことであり、栴檀とは別種であるという さらに梛(ナギ)の木 (新宮・速玉大社のナギの大木。学名:Poducaruus nagi マキ科の常緑高木で古くから熊野信仰と結びつき、神社などの御神木によく用いられる。小田原あたりが生育地の最北限 梛(ナギ)の大樹暖かい地方に生えるので「南木」から「ナギ」の木の名の由来があるという古来から日本の大地に根をはり生きてきた木「海が凪ぐ」とか「苦難を薙ぎ倒す」などの「なぐ」という言葉はこの「なぎ」の木に語源があるという。 その昔、熊野や伊勢神宮にお参りする道中の加護を願って、ナギの木の葉っぱをお守りにしたという。「苦難をなぎ倒す」パワーにしたのである。 ナギの葉は、中央に葉脈なく、多くは平行脈の笹の葉と同じで、葉を引きちぎるには、相当の力が必要とされたため、裂けにくいところから、「縁が切れない」ようにと嫁入りのとき、母が娘にお守りとしてもたせたという。(ナギの葉っぱ) 熊野地方では、神木とされ、古くから鏡の裏やお守り袋に入れて災難よけとして暮らしのなかで人々とともに生き続けてきた 又、古来よりこの木が生き残って、今あるのは、他の植物の育成を抑制したり、鹿の食害から守るための化学物質「ナギラクトン」を有しており、環境を守る木としての強い生命力をもっているナギの木 重厚な大樹となって聳える タラヨウ (多羅葉) (本宮大社のタラヨウの大樹。モチノキ科モチノキ属。関東以西~九州、中国地方に分布。常緑高木広葉樹林。) 以前、絵手紙 のところでも取り上げたタラヨウ。厚い硬い葉、鋸のように鋭い鋸歯 葉の裏には葉脈なく、棒などで字をかくと、そこがやがて茶色になり、文字が浮かび上がる。文字通り「葉書」の木として、郵便局の木にも指定されている。 紀伊半島、熊野路にみられるこれらの樹木は古代から日本列島を覆い、豊かな森をつくってきた樹木ばかりだ。 暖かな海岸地方に適した生態となって何千年ものあいだ、大地に根を張りこの地球に生物たちが豊かに生息できるゆりかごと成ってきた森の樹木たち。 熊野路には、2009年の今もそのかっての豊かな森の痕跡をかすかに残している樹木たちが息絶え絶えになりつつも生き続けている。 初夏の陽光が若葉の森をまぶしいほどに輝かせる5月下旬の熊野路である Mr.& Mrs Danjoseの熊野路の旅 (瀞八丁の川さつき。絶壁にへばりつくように咲いていた)Danjose夫妻は、5月25日~27日の3日間、故郷の熊野路を旅しました。しかも、その旅のお仲間は高校生の同級生のグループで、そのなかの3組のカップルは、高校時代にできたカップルというのである。総勢10人余りの旅道中なのである。隔年で、このグループはあちこちに旅行することになっているという。 人生の最終ラウンドにさしかかった者たちが、このように集うことができるとは、なんと素晴らしいことでしょう。人生の終わりに、このようにおだやかに旅をして語り合えるとはなんと豊かな素晴らしいことでしょう。 熊野路はもう夏(5月下旬にもうアサガオがこんなに成長し咲いている。ソテツにからまり咲いている。やはり暖地なのである) (串本・樫野崎のソテツと朝顔) そして、ハイビスカスもこんなにもう咲いている (串本・橋杭岩:熊野路の5月下旬は、もう夏、ハイビスカスとユリがこんなに咲き誇る) 5月末日の熊野路はもう夏のおとずれ光る広葉樹林の大樹と夏の花々が盛りと咲く。
2009.06.11
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虹立つ5月8日、Danjose の住む東京近郊に見事な虹が立ちました。梨畑から大空に大きく架かる虹の橋下を向いてばかりの現代の私たちが大空の果てしない大きさにふと気付くそんな大きな虹大空を駆け巡る虹 『翼』武満徹 作詞・作曲風よ 雲よ 陽光よ 夢をはこぶ翼 遥かなる空に描く 「希望」という字を人は夢み 旅して いつか空を飛ぶ風よ 雲よ 陽光よ 夢をはこぶ翼遥かなる空に描く 「自由」という字をこの武満徹の歌は、見事な虹に見とれて大空を仰ぐとき、広い自由な気持ちになって口ずさみたくなる詩です。この虹にぴったりの詩この「翼」という歌は、私の住むお隣の市・尾張旭市「9条の会」が3周年の集いとして憲法記念日の行事に澤地久枝さんの「ひとりからはじまる」という講演会を持った。その前座で地元の合唱サークルが歌った。とても大きく歌い上げて感銘したこの虹の写真のイメージと重なったまた、記念講演された澤地久枝さんは1930年生まれの79歳。3度も心臓の手術され、ペースメーカーを入れておられ最近、両眼の白内障の手術をされたばかりのお身体であった。澤地さんは全国9条の会呼びかけ人、9人のお一人であり、この9人のなか、すでにお二人は(小田実氏、加藤周一氏)故人。全国の呼びかけ人はすべてご高齢のため、健康のことを考えて県レベルの講演会にしか、講師として派遣できないという、全国事務局の方針を敢えて曲げて、人口数万の地方都市に出向いて下さった。その心意気、凛としたお姿と声、その生きざまそのものが、その80年に及ぶ人生の重さが平和を守り、発展させることの意味を私たちに静かに語りかけていた。 病んでもなお立ち上がり、語りかける姿は感銘を受け、励まされる。この日の聴衆も千人を越え、通路まで溢れる盛況であった。聴衆者も高齢者に偏らず、中年も多く参加していたのはよかった。若い人々に、高齢になってしまっている戦争体験者の思いを伝え、受け継ぎ、発展させていくことの大切さをこの今、2009年の世界情勢は益々要求している。このことを、改めて肝に命じる講演会であった。さらに、前座の合唱でうたわれたもう一つの「合唱曲」「いちばん大切なもの」 (松本三紀夫 作詞・作曲)いちばん大切なもの平和 命はぐくむもの平和命はまもり育て上げるもの 平和はまもり築きあげるものいちばん大切なもの 命戦争の苦しみの中から生まれた多くの犠牲の中から生まれた平和への誓い平和への約束武力は持たない戦争はもうしないみんなの宝 憲法9条冬の日の暖かな陽だまり春の日 つぼみ薫るそよ風ささやかな暮らし つつましい幸せ子どもらに残す普段着の平和守ろう憲法9条 命いちばん大切なもの 命何より尊いもの 自由自由と平和は一対の翼はばたけ翼よ あしたの空へ世界に示そう憲法9条いちばん大切なもの 命この合唱も地元の「合唱サークル」が歌いましたが、とても大きく歌い上げ、静かに、しかし、秘めた熱い思いを伝えていました。とりわけ、伴奏のバイオリンの音色が、心に沁みいるもので素晴らしかった。
2009.06.04
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野の花摘んで 日本の春の野は繊細でやさしい花々が咲き乱れる 多種多様に野の花さく春 やさしい色があふれる野 そんな日本の春に日本と真反対の国・ブラジルからかわいらしい女の子がやって来た葵ちゃん 日本の野に咲く春の野草に 興味深々 たんぽぽの綿毛を ふ~ふ~と お空に飛ばす どこまでもどこまでも 風に乗って お空のはてへと舞っていった ハルノノゲシのまっしろな綿毛 やわらかな毛、やわらかな白 野の花 いっぱい摘んだよ ミントの葉っぱも とってもいい香り そして お家で摘んだお花を活けるの ほら、見て! こんなに素敵に ナノハナ、タンポポ、ハルノノゲシ、ハルジオン カモミール、シラン、ケシ、ユウゲショウ そして ミントの葉っぱ 透き通る硝子の花瓶に 日本の春がこぼれているよ ことちゃんと同年齢の葵ちゃん パパのお仕事の関係でブラジルで過ごしています ことちゃんとは同年齢と思えないほどお姉さん 都会的なかわいらしい少女 ゴールデンウイークに日本に一時帰国しました 秋のブラジルから春の日本にやってきました 日本の春の花々に興味つきない葵ちゃん 野の花々と遊びました この日本の春が ことちゃんや葵ちゃんたちが 大きくなった時にも 豊かに華やか訪れること 願わずにはおれません。 この少女らに、豊かな自然をバトンタッチする 大人の責任は重い 葵ちゃんはMr.Danjoseのお孫さんですジイジのカメラの目はあくまでやさしい。
2009.05.18
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4月になると毎年真っ白な絨毯に辺りを染め上げる梨畑 今年の春もこんなに美しく咲いた梨の花 受粉作業も終わり1週間後には もう若葉の緑の世界となった その梨畑には 野の草繁茂する生垣が続く (梨畑の周囲を囲む農道の生垣、ミニ林となり、多様な植物が生え、生物の生態系の最低限を維持している砦でもある。) その生垣は 多様な生物が棲むための 最低限の砦。 春を告げる ツクシも ヒメジオンも タンポポも そして、林のヘリや林床には (ツルニチニチソウ:キョウチクトウ科。ヨーロッパ原産の半つる性の多年草。庭に栽培されていたが、現在は野生化し、道端や林のヘリなどに繁茂) ツルニチニチソウが 地面を覆って繁茂し地面に穏やかな湿りを保ち (浦島草:サトイモ科、林や竹やぶのへり草地、土手などに自生。花序の先に付属体があり、長く伸び、60cmにもなる。和名は、この長い付属体を浦島太郎の釣竿い見立てたもの。) 浦島草が ムラサキケマンが (ムラサキケマン:ケシ科ケマン属。紫色のケマン草の意味。やや湿った林のへりなどに自生。キケマンがやや乾燥した道端に生えるのに大して、湿ったところに生える。) ほどよい お湿りの大地で いのちを繋ぐ しかし その梨畑も近年、あちこちで梨の木を切り倒し 荒地となる (梨畑の梨の木が切り倒されて、荒地となった空き地。周囲のミニ林は荒れたまま手入れされず、消滅していく。空き地を好む野の草が次々に遷移して、草地にする。このようにして多様な生態系は破壊されてしまう。) 生垣の樹木で守られていた 多様な生き物たちの棲みかは 微妙な環境の変化に破壊されて (梨畑が消失し、生垣もなくなった道端に続くキケマンの群生) 忽然とこの春にはキケマンの花咲く 道端となったその長さ50mにも及ぶ。 キケマン(黄華鬘) (キケマン;ケシ科キケマン属、海岸近くの道端や草地。花が黄色のケマンソウの意味。ケマン(華鬘)とは仏殿の飾りのこと。) そして空き地はやがて整地されて 宅地となる この無残な姿。 梨畑の境界をなしていた 生垣の ミニ林は ビニールシートの囲いと変貌した。 これが 2009年春 都市近郊の農村地帯の 日本の姿である。 この光景は、Danjoseの住む東京近郊の現在である。私の住む名古屋近郊も全く同じ光景が起きている。一度、森や林が破壊されるとそこに生息していた生き物たちは、ことごとく消滅し、元の生態系に復元することは、ほぼ不可能。その荒地に、次々と荒地を好む草が群生する。しかも、毎年群生する草の種類が変わってくるのには驚く。以前、サンティアゴ巡礼街道でヒースについて、調べた時に出合った植物遷移の行き着いた先がヒースの群生する丘になるのを知ったが、まさにそのことが、私たち日本の都市近郊の林にも起きているのである。名古屋では、2010年に生物多様性条約第10回締結国会議(COP10)が開催されることになっている。 2008年にドイツ・ボンで開催されたCOP9の報告書、「生態系と生物多様性の経済学」において、森林の多様性が失われると、2050年に世界で最大500兆円もの損失があり得ると報告している。 このまま対策をとらないと、50年までに、いくつかの生態系は回復不能になると指摘している。近代的農業への転換、社会生産基盤の拡大、温暖化などで、自然地域などのうち11%が失われると警告している。 私たちの周囲に起きている光景はまさにその生態系破壊の一環なのである。
2009.04.17
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本土寺(千葉・松戸市)の春昨年の本土寺の春は桜とモクレンの淡いピンクユキヤナギの白の群舞と明るい華やかな春の色あふれる境内でしたが 今年の本土寺の春は (今年のユキヤナギの花は驚くほど早く咲き、3月半ばに咲き始め4月に入るとすでに花は終っていた。昨年は4/1日、ユキヤナギ満開。見事な白の世界を作っていた) ユキヤナギの白の参道は今年はすでに緑の若葉となり、もう、モミジや紫陽花は若葉を出してさくらの淡いピンクとの共演となっていた。 萌黄色の若葉と桃の花と桜の花のピンクの競演 華やかな ピンク色のグラディション 竹林と桃の落ち着いた深い色のコントラスト 今年の春は冬の冷え込みと初夏の陽気とが交互に訪れ 桜の開花時期もだらだらと続き花散るのを待たずに若葉がぐんぐんと伸びる 紫木蓮など葉に先立って花を咲かせるはずなのに若葉が出るのと時同じくして花を咲かせている さらに晩春から初夏に咲くヤマブキがすでに満開 鮮やかな黄金色が若葉にまぶしい ミツマタも咲いている 葉に先立って春先に花咲かせるミツマタ和紙の原料となるミツマタ今年は萌黄色の若葉のなかで、咲き続けている。本土寺の今年の春は早春・春の盛り・晩春が入り乱れ誠に無秩序な春なのである。 昨年の本土寺の春と比べてみるのも又興味深い。 三月初旬は、初夏を思わせる高い気温の日が続いたが半ばになると一転して、冬の気温、花冷えの寒い日が4月4日ごろまで続いた。桜も開花宣言は3月20日ごろからされたが、今、満開(6日~8日)。4/5日からは、夏型を思わせる高気圧に日本列島覆われ、夏日の日が続く。4/11日・最高気温29度を記録した地方(三重・亀山市)もある。この日は、この地域は軒並み28度を越えた。まさに初夏の陽気である。
2009.04.12
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寒さのなかで春を告げる花たち 立春から3月始めは異常に高温が続きこのまま初夏になっていくのかと思われたほどだが。 桜の開花宣言もわが地域は3月19日と驚くばかりの早さとなった が、しかし、その後、寒のもどりがもう10日も続いて最低温度が1度前後、最高気温10度前後と花も草木も人も寒さにふるえているが、 確実に春の花たちは咲き始めた。 この写真はDanjoseの住む東京近郊のものであるが、私の住む名古屋近郊の里山も今連翹(レンギョウ)が、黄色に燃えたち、ユキヤナギの白と競い合っている。そして私の散歩道にはボケの花も今年の春はことのほか見事にあちらこちらの庭から咲きこぼれている 枯れた冬景色のなかで真っ先に春を告げに来るサンシュユ 早春を彩る黄色まだ浅き春の冷たい風にふるえる繊細な花びらサンシュユ 寒のもどりが長く続くためか花期長く、若葉が出るのをじっと待っているかのように今も私の散歩道では咲き続けている 陽だまりの土手に生垣の根元に可愛らしく咲くハナニラ ユリ科の植物ハナニラ葉がニラに似て、葉っぱをちぎるとニラの匂いがする 早春の花が咲き終わる頃あちこちに咲き始め群生して 咲き競う。可憐さのなかにも華やかなハナニラ ハナニラは春の花々が爛漫と咲く始まりの花 そしてハナダイコンの花が群れなして明るい紫色に庭床を染める ハナダイコン別名:諸葛菜(ショカツサイ)諸葛孔明が出陣の先々で、このタネを播き、食糧になるように栽培したことからこの名があるという 空き地や駐車場の陽だまりにはヒメオドリコソウが群れて踊り ホトケノザもかわいげなピンクの花びらを春の明るい陽射しにひろげ そして、なんとシャガ(射干)までももう咲き始めている ツルニチニチソウも陽だまりの土手や林のヘリでもう花をいっぱい咲かせている シャガやツルニチニチソウは晩春から初夏にかけて咲くはなではなかったっけ。 寒のもどりで寒さにふるえる3月の末その寒さのなかでも 草花たちは春の到来を告げて次々に花を咲かせる さくら開花宣言の異例の早さにもさくらは寒さにふるえて足踏みしている。まだ蕾は硬い やっとぼっと赤みを帯びはじめたさくらの蕾異常気象の変化に懸命に適応していのちを繋ごうとしている花々2009年弥生末日
2009.03.31
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2月15日Danjose夫妻は、小田原市の曽我梅林の観梅に出かけました。伸びやかに天にむかっておおらかに伸びる大枝華麗に咲き乱れる枝垂れ梅 昨日14日は季節はずれの陽気となり静岡では25度を記録東京も20度を超えた。 (静岡市清水区:26.8℃、小田原市:26.1℃、新宿駅東口:街頭温度25度、東京・大手町:23.9℃観測史上2月最高を記録) まさに、初夏の陽気の異常気温 梅の花もその異変に急かされてもう盛り過ぎ、はらはらと花びらを大地に舞い散らせていた 見事に咲く しだれ梅 華麗に咲き誇るしだれ梅の 紅と白 そして、 気品に満ちた 白梅 妙なる音色が 聞こえてくるよ。 風流な観梅人 若人ふたり 万葉人はことのほか 梅の花を愛でた。 大宰府の帥(そち)であった 大伴旅人邸で行なわれた「梅花の宴」で 主人の旅人は わが園に 梅の花散る ひさかたの天より雪の 流れ来るかもと詠み、招かれた客31人もそれぞれ連歌した、枝を手折り、挿頭(かざ)し、花を盃に浮かべ、着物の袖に入れて梅花の宴を楽しんだ。 そののどかな雅とは、かなり遠いが現代の人々も休日の一時を、芳しい梅の香りの下で三々五々に遊んでいた ヒメオドリコソウも 異常気温に誘い出されて2月だというのに もう ぐんぐん伸びてひらひら舞い散る梅の花びらに混じって 花さえ咲かせていた 紅梅も ぐんぐん伸びて大地に芽吹く若草のみどりと あざやかにコントラストなし 豪華華麗な紅色 厳しい冬をくぐりぬけて まだ浅き春に 咲く 秘められたいのちのエネルギーが一気に溢れ出た紅梅の紅 曽我梅林の梅は3万5千本初夏になると実り「ワイン」となり「十郎梅」となる 晴れた日には、梅林の向こうに富士山が見えるのに この日は、黄砂の飛来のためか どんよりと視界が悪く、富士山を遠くに仰ぐことは出来なかった。 春になると、百花繚乱に咲く花に先駆けて清楚に気品ある花と香りを届けてくれる梅の花よ今年も見事に咲いてくれてありがとう その同じ日にあっという間に皆を驚かせて逝ってしまった一人の女がいる 梅の芳しい香りの中で静かに眠ってしまった一人の女がいる厳寒に耐えていっきに咲き乱れる梅林の梅の気品をたたえて生き抜いた女 あっと振り向けばもう光り輝く月の人 輝子さん この喪失感この寂寞 早すぎる死 ただはらはらと梅の花びらが舞い散るばかり (享年68歳、心筋梗塞にて突然に逝ってしまった知人を悼む)
2009.02.16
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Danjoseからの年賀状 Mr.&Mrs.Danjoseのお正月空の青が輝く東京のお正月 (千葉・市川市の自宅から見た富士山:東京近郊もさすがお正月の空は澄み渡る)1月2日朝抜けるように青い空澄み切った震える空気に雪の富士が浮かび上がる東京のお正月 ダンホセ夫妻の1月2日人と人、人の皇居の一般参賀に出かけました。 地下鉄大手町駅から馬場先門へ参賀する善男善女の列、延々と続くなかをダンホセ夫妻も群れのなか 木々の緑と空の青 澄み渡る皇居の空気は 牛歩の行列の群集を飲み込んで新春の陽光にきらめく 坂下門前のお濠には 青い水面に浮かぶ白鳥 春の光が池辺にあふれ ケヤキの裸木は その枝を ぬけるブルーの皇居の空に ざわめかせて 新春を寿ぐ 二重橋から見る大手町・ビジネス街のビル群もいつもは喧騒の中にある日本経済の心臓部、お正月は澄んだ青い高い空に静かに林立している。 ダンホセ夫妻二重橋から参賀所へこのとき11時10分 人人あふれ身動きできない群集のなかじっと立ったまま、待つこと30分 11時50分に天皇家ご一家のお出ましとのアナウンス 待つこと40分、やがてご一家のお姿バルコニーに 陛下から昨今の厳しい経済状況をを憂うお言葉。 (じっと待つ善男善女・日本人は何と我慢強い!!!) すぐ近くの日比谷公園では「派遣村」のテントでお正月をすごしている人々がいると、ちょっと頭をかすめるが。 延々と人の群れの中黙々と歩み続けて 参賀所に到着してから1時間余り 12時30分に皇居を出る. A Happy New Year!にぎやかで国際色あふれるお堀端 ここにも新春のやわらかな光あふれる それから浅草へ まずは「駒形どぜう」で腹ごしらえ 創業207年「駒形どぜう」江戸時代の庶民料理川魚「どじょう」 ここでまたまた先客数十組が待っていたので待つこと20分 ようやく入店して「どぜう鍋」を満喫 いざ浅草寺へお参りに 雷門の入り口はまたまた人人人でいっぱいまさに「牛」歩の行進よろしくのろのろ、ぞろぞろ。 仲見世の飾りもお正月 仲見世の飾りつけを眺めながら粛々と歩くこと50分ようやっとご本堂にお参りも お賽銭を遠くから投げるだけの押し合いへしあい 余り多くは願わず「家内安全」のみに留めた引いた御神籤は「末吉」 早々に退散と行きたいところだが お好み焼き、たこ焼き、焼きソバ、などなどのソース味がコートにしみこむほどの屋台屋台でひっくり返りそうな混雑のなかをくぐりぬけ帰途に着きました。待つ、待つ、待つ、まつ、松 「待つ」がテーマの1日でした。 そんな東京のお正月風景から 明けましておめでとうざいます。
2009.01.03
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脇村孝三郎と奨学生の交流が私たちに教えているもの 経済協力開発機構(OECD)が加盟国の教育政策の取り組み状況を公表した。それによれば、日本の教育機関にたいする財政支出の国内総生産(GDP)比は3.4%(OECD平均5.0%)となり、数値が比較できる28カ国中、最下位であった。とりわけ高等教育に対する財政支出は世界最低水準でGDP比で欧米(アメリカ・フランス・イギリス・ドイツ)の半分しかお金をだしていない。その結果として、高等教育への私費負担はアメリカについで日本は世界で最も多い国なのである。日本の大多数の父母たちは、高等教育とりわけ大学に自分の子どもを通わせるのに、重い負担に耐えて頑張っているのである。その貧困な日本の教育への公的支援を補完する、奨学金事業も子どもを育てる育英事業から、金儲けの金貸業へと質的な転換を図ろうとしている。政府が「骨太方針2006」で打ち出した奨学金の「有利子3%上限の撤廃」や「回収強化」など具体的に次々に実施されようとしている。ここには、「人がどう育つか」という視点は全くない。奨学金制度を市場原理にまかせて、実施しようというものである。 今回は、同じ民間でも、現在政府が行なおうとしている奨学制度とは、質的に異なる奨学金のおはなし。日本には、こんな奨学制度の恩恵を受けて学んでいた大学生が過去にいた。そして2008年の今もその伝統は脈々と続いている。その奨学生となって学んでいる若者たちが今もいる。Danjoseが大学時代に受けた奨学金 ここに1冊の本がある。(脇村奨学会35周年記念事業として、奨学生たち(和紀潮会)が1995年に出版した本。Danjoseはこの奨学生第一号であり、この本を編纂した中心メンバー。)「通信」 脇村孝三郎と奨学生の交流 編集:和紀潮会 この本は、和歌山県田辺市の素封家・脇村市太郎翁の寄贈資産で昭和32年(1957年)に創設された財団法人奨学会の35年間の歩みを記録したものである。 戦争の痛手から立ち上がろうとしていた、まだ貧しかった日本。寒村とも言うべき田舎。農作業を幼い時から、家族の労働力のひとりとして供にやることはごく当たり前であった時代。その中で、勉強することは、時間的にも経済的にもとても厳しいかった少年期を過ごしてきた若者たちに、学ぶことの意義を大きな観点から照らし出し、励まし、経済的に支援し続けていた素封家・脇村一族がいたという事実に私はとても感銘をうけた。 (フランスにはNoblesse oblige:ノブレスオブリージュという諺がある。高貴たる身分は高貴たるを課す。高い身分に伴う徳義上の義務を厳しく自らにも課すことが求められた。フランスの貴族階級が自らを律するためのモラルでもある。戦後の日本では、このような人格者は稀有なものとなり、ほとんどが己の利得に走っていた。そのなかにあって、脇村一族のこの活動は特筆すべきこと) この脇村奨学会財団の素晴らしさは、ただ貧しい優秀な青年たちにお金を渡す支援をしていただけではないところにある。財団の理事長である脇村孝三郎氏は、奨学生の一人一人に月に一度、たよりを送り続けて学生と交流して来られたのである。脇村奨学会の特徴について朝日新聞和歌山版(S59・9.14)のインタビューに次のように孝三郎氏はお答えになっている。 ー 脇村奨学会とはどんな団体ですか。 山林経営に携わっていた私の父が昭和32年4月、財産をはたいて作った財団法人です。県内の高校を卒業して、大学に進学したい成績優秀な学生が対象で、大学の4年間、月に2万円づつ渡しているのです。 - 卒業後お金は返還するのですか。 いいえ、その必要はありません。ただし、条件として一人ひとりの学生が1ヶ月に1回、私宛に手紙を書いて送ることを義務付けているんです。手紙の内容は、その学生が1ヶ月間どんなことをしたのか、近況報告を書いてもらうようにしています。その手紙を読んで私が返事を書くのです。手紙が来なくなったら「送金は打ち切るよ」とは言ってあります。 - 大変ユニークなアイディアですね。いままで何人ぐらい面倒を見て来たのですか。 27年間で卒業生は99人います。現在大学に通っている学生は18人です。毎年3~5人ぐらい奨学生になるのですが、人選はすべて高校に任せています。 (注:2008年現在(51年間で)奨学生は卒業生247名、現役学生22名に達している。孝三郎さんは、現在93歳、今尚、かくしゃくと活躍されている) この孝三郎さんと大学生との書簡の一部がこの本の中に記録されている。その書簡での交流を通して、 学生が道に迷っている時、道からそれそれようとしている時、親の代わりとなって、慈愛に満ちた大らかな心で優しく、しかし、ある時は厳しく助言しておられる。その語り口の高さ深さには感銘を受けた。歴史のなかで、私たちは生きているのだということを忘れてはならないと繰り返し語りかけておられる。 戦後の復興期の困窮時代から、高度経済成長へと目覚しい復活を遂げていく社会の中で、疾風怒濤の青年期を大学で過ごした若者たちに、このような広い視野から助言し、見守っていた大人がいたという事実に驚き感動した。その精神性の高さに敬服する。その先見性には敬服する。 現代の社会の混沌、混迷は、まさにこの戦後復興期に青年期を過ごし、学びの時期にあった者・私たちの責任が大きい。自らの貧しい生い立ちが、後の拝金主義 、モノ万能の価値観を無自覚に身につけたことによるのではないか。「勉強」も貧困から脱出することが目的で、それ以外は考えるゆとりもなかった時代。そのような環境で育ったものたちが親になり、今の若者を育てた。 この脇村孝三郎氏のような大人に絶えず見守られ、意見を交換する場を与えられた若者は、必ずやすぐれて自立した大人へと成長していけるのではないか。社会のなかで自らの役割を自覚して生きていく大人に成っていくのではないか。その証として、この奨学会の卒業生たちは、この本のなかで、孝三郎さんの「言葉」の重さを人生のなかで反芻し、進むべき道を照らし出したと感謝を込めてこもごもに語っている。そして、その卒業生たちは、日本の社会のあちらこちらで、それぞれの力を発揮して確かな足取りで、戦後日本の社会を築く中核となってきた。 現代の若者たちは、この脇村孝三郎さんのような大人にめぐりあうこと、皆無と言っていい。親もこのような役割を果たしていないし、学校の教師もこのように生徒を導いていない。このような意味からも、 脇村孝三郎氏と奨学生たちのこの「交流」の記録は、そのまま、教育とは何かを語る記録になっている。人はどのようにして大人になっていくかの記録になっている。 地域社会のなかで、Noblesse oblige 理念を体現して活動してこられた脇村一族の生きざまは、現代の傲慢で無教養な金満資産家たちに、深い教訓を示している。更に、又、今を生きる大人たちが何を子供たちに与えるべきかの良いお手本でもある。
2008.12.10
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Danjoseのイタリア旅行(2008/11・17~24)一週間ほど前にダンホセ夫妻はイタリア旅行を楽しみました。水の都ベネチアの夕暮れ まさに暮れようとする茜色の空を背に大きなクルーズ船が小さなゴンドラの前を静かに航行している。 運河が縦横に街中を貫き、水上交通が生活の大動脈となって中世には、商いの都市とし繁栄してきた街東方に向かって開かれた西ヨーロッパの玄関口として東方交易や十字軍遠征を通し栄えたベネチアその最盛期の栄華を最もよく伝えるサン・マルコ大聖堂 闇のなかに金色に浮かび上がる 豪華な聖堂 その聖堂の外壁にに施された彫刻群金色の地色の壁画など当時のベネチアがビザンティン帝国の文化に強く影響されていた証を時空を超えて伝えているサン・マルコ大聖堂 こんなにも華麗で豪華なベネチアその古い歴史や文化を守り継続させて現代に生きている観光の街ベネチア そのベネチアに洪水が起きました 2008年12月1日ニューヨークタイムズの記事から(写真もニューヨークタイムズから転載)ダンホセがベネチア訪れた1週間後、記録的な高潮でベネチアは市内のほとんどが水浸しになった。 大風雨と満ち潮が最高時の潮位を156cmにまで押し上げて1872年観測を開始してから、4番目に高い潮位となりサンマルコ広場はご覧のとおり観光客の膝上まで浸水している。 お店の中にまで水は浸入している 下の写真中央にある椅子のようなものは、浸水時に並べて、歩道とするためのベネチア独特の備品(裏側には重し用にセメントが貼ってある) しかし、 今回の洪水には、その備品は流されてしまうので使えなかったという。それほどに水の量が多く、激流であったのだろう。 大運河が逆S字形となって街を貫き中小の川が網の目のように走る水上の街干潟に建設された街ベネチア メストレを中心とする対岸部の工業の著しい発展が大気や海水の汚染とともに地下水のくみ上げによる地盤沈下を招いた。その地盤沈下や温暖化による海面上昇のため、冬の強い風雨の際には浸水被害が度々起きるという。特にサンマルコ広場はしばしば浸水するという。 ベネチアは硝子工芸、宝石、皮製品など伝統的な職人芸で生きている比較的古きよき時代のスローなテンポの街であるということなのにこの街にも、地球の悲鳴は聞こえている。
2008.12.03
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水辺の植物生育する水元公園オニバス&アサザDanjoseの散策コースの一つでもある水元公園は、東京都葛飾区にある。この辺り一帯は、江戸川流域の沖積低地、江戸時代は水田を中心とした農村地域であった。この公園に隣接する小合溜井(こあいためい)は、享保年間に江戸幕府の治水事業として、水害防止と農業用灌漑のために作られた遊水池。この遊水池を含む公園は、今なお辛うじて水生植物が生育する水郷風景を都市化による自然消滅激しい都内で、唯一残している。この立て札にあるように、乱開発によって、池や溜池が消滅するなか、その水辺で生育していた水生植物は、激減あるいは消滅しようとしている。オニバス(鬼蓮)も、その一つ、今では、絶滅危惧種に指定されている。オニバスの花花の内部を除いて、トゲで武装しているオニバスの花。鮮やかな紫色の花弁は、4枚の緑褐色のがく片の上に、螺旋状についている。花はハスと同じように、昼間開いて夜閉じる1日花(学名:Euryale ferox 和名:オニバス(鬼蓮) スイレン科オニバス属。1年草の水草。葉が楯形につく点でハスに似ているので、ハスの名があるが、葉は水面に浮き花の構造はハスよりスイレンに近い。オニバスは日本に自生し、葉の直径は20cm~1.2m。別属のオオオニバスはアマゾンに自生し、葉の直径は2mにもなり、葉の縁が隆起する。)かっては、沼や池の水面を覆いつくすような群落となって日本の各地に分布し、生育していたオニバス(花の柄が葉をつきやぶって花をつけている。葉の形は円形でしわがある。裏は紫色。両面にトゲが多い。地中に円筒形の短い根茎があり、多数の葉を出す。葉は、長い葉柄に楯状につく。) この公園に自生する、もう一つの絶滅危惧種の水草アサザ(浅沙)(学名:Nymphoides peltata ミツガシワ科アサザ属、多年草の水草。北海道を除く池や沼に分布。葉はスイレンに似ているが、花は、葉のわきから長い柄を伸ばして、水面の上に鮮やかな黄色の5弁花を開く。花径は3~4cmで縁がさけて、糸状。写真は、池の周りが鉄柵で囲まれ、池に近寄れず、10m先の距離から撮影。繊細で鮮やかな黄色の花のアップが撮れず残念。)溜池や水路、平地の湖沼などに水面が見えないくらいに葉が密生し、群生したアサザ水面を鮮やかな黄色に染めて花を咲かせる。アサザは「万葉集」には、「阿邪左(あざさ)結ひ垂れ」と詠まれ、「古今和歌集」には、「みるからに思ひますだの池に生ふるあさざのうきて世をばへよとや」と詠まれているように古くから日本人の生活の中で、慣れ親しんできた水草である。アサザは、浅水に生えることから名づけられたという。古くは、茎と若芽は摘んで食用とされた。このように、古くから日本人の暮らしの中で生きてきたアサザは、都市化による自然の乱開発、水質の悪化などにより花の時期には、黄色に染まる群落の沼は壊滅状態。水元公園のアサザの池も、鉄柵で囲われ手厚く保護されて辛うじて生きながらえている。本来の自然を守り、さらに豊かにしていく、人が植物とともに共存して生きる環境水元公園の水草の環境は余りにもそれとは程遠い。力強く、競合し生き続ける環境とは程遠い。小手先の保護では守ること不可能な大きな環境問題が背後に横たわっていることをこの水草たちは私たちに警告している。私の住む東海地方は、連日35度を超える猛暑日である。今日(26日)は、午前中の部屋の温度が33度、夜は35度。(私の住宅は高層階にあり、今までは午前中は涼しい風で快適な住環境であったのに、今年は、無風状態が多い上、なま暑い風吹くばかり)今日の戸外の温度は37℃を超えた。ことちゃんの住む市など今日は39℃であった。(今日の日本国内最高気温)これだけ気温が高い日が続くと、30℃だと「今日は涼しいね」というのが挨拶となるのである。冷房機の設定温度を29~30℃に設定すると、室温は28℃から29度になる。この温度をとても涼しく感じている。私の子供の頃などは、30℃になる日は、夏に数日しかなく、30℃の日は、「今日は、すごい暑い日」と言うことになっていたのに。 早朝からの気温が27℃ぐらいだから、たまらない。体調が変になり、勤労意欲や勉強意欲がてんでに起きない。ことちゃんの住む市など、日本で最も高い気温を記録しているが、緑の山に囲まれ、きれいな川が流れ、この辺りでは、比較的緑の豊かな街だ。その街が、ぐんぐん気温を日中に上げる。これが地球の悲鳴と言わずしてなんと言わんや。ひとつの植物に異変があることは、その背後の大きな自然の営み、循環が狂っていることの証だ。私の朝の散歩道の宅地造成の仕方のすごさ、開発現場をつぶさに観察して、衝撃をうけた。一本の樹木、ひとつの草も残さないように、広大な山をブルドーザで潰す。沼や溜池も数知れず潰され、埋め立てられた。そこに生きていた水草は勿論のこと、水鳥や魚たちは、何処へ行った。そこに、立ち並んだ家々は、とても、もとの自然を復元するような代物ではない。このようなことを平気でプランする都市再生機構(旧・日本住宅公団)とは、何だ。どんな都市を再生しよというのか。民間の大手住宅企業が、儲けをもとめて群がる宅地造成、土地整備を税金でまかなっているだけの機構ではないか。二酸化炭素の発生を抑制することも重大事だが、それ以上に、二酸化炭素を森に閉じ込める事の出来る自然開発大自然の循環を守り維持していける開発計画のほうがもっと重要ではないか。そのような都市の再生をめざして、整備しているとは、とても思えない現実がある。
2008.07.26
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連日37度前後の猛暑日となっている日本列島人間の体温より、高い気温の猛暑列島そんな烈日の日々、暑さを物ともせず涼やかに池面を覆い尽くすハス見事に咲き誇る水元公園の蓮池(学名:Nelumbo nucifera Geml.ハス科の多年生水草。根茎は泥中を横にはい、先端部に養分を貯え、肥大する。この根茎の肥大部分がレンコンである。ハスは、日本、中国から東南アジア、インド、来たオーストラリア、ヨーロッパ南部、北アフリカに分布。ハス科はハス属のみで、ハス属にはもう1種、キバナハスが知られている。これは北アメリカが原産。)ハスの歴史は古くインダス文明のモヘンジョ・ダーロ遺跡からハスの飾りが出土し、すでに古代インドでは、多産や生命誕生のシンボルとされていたらしい。中国でも、周代の「詩経」にすでにその名が見られ、茎、蓮根、種子、花などそれぞれ利用されていたという。ハスは日本にも自生し、2000年前の地層から発見された3粒の種子は、よみがえり花を咲かせた。(大賀ハスと呼ばれる古代ハス)ハスの花の造りの見事さ、神秘さ、(ハスの花弁は独特で、ガク片から花弁へと連続的にらせん配列されており、めしべの数が多い。めしべの先にはジョロのような穴が開いている。これらの特徴は、原始的な花の特徴で、植物系統上のハスの古さを示している。花後、花床が肥大して、多数の子房が中に埋もれた果実となる。それをハチに見立て、ハチスと古くは呼んでいた。和名、ハスの名の由来でもある。)汚い泥土から、美しい花を咲かせるハスは、極楽浄土に咲く花と見立てられ、極楽浄土の象徴になっている花。インドでは3世紀初めより、仏像をハスの花をかたどった台座上に置くようになった。(ハスの生育する泥の中は、酸素が少なく本来は、生育に適していないが、ハスは葉柄を通して、地下茎に達している穴を通して、地上の酸素を運搬し、根が必要とする酸素を得ている。いわゆるレンコンの穴は、悪条件の泥土で生きるハスにとっては、いのちの糸でもある。)ハスの葉も又、泥土の中に棲みながらも清らかで美しい。僧正遍昭は、古今和歌集で、そのハスの葉を「はちす葉の濁りに染まぬ心もて何かは露を玉とあざむく」と詠んでいる。(ハスの葉は、泥中の中に生きていながらも、濁りに染まらない心を持っているのに、どうして、葉の上におく露を玉だと見せて人をだますのか。)僧正遍昭は、ハスの葉の清々しさを逆説的に詠んでいる。ハスは、人類の歴史とともに人々の暮らしのなかで役立ってきた植物。地下茎はレンコン。実はスープや製菓材料。葉は料理の香りをつけ、ご飯を包んで蒸したりする器。花径は、タイでは野菜にされ、葉柄からお酒を抽出したり、種子からお茶とったり、などなど、全ての部分を余すことなく利用し、人々の暮らしを豊かにしてきた。数千年の時空を超えて、いのちを繋いできたハス烈日の炎天下のもと涼しげに今日もハスはハス池で清らかに華麗に咲く《 明 日 》はきだめにえんどう豆咲き泥池から蓮の花が育つ美しき種あり明日何が咲くかこの「明日」という詩は、安積得也の「一人のために」という詩集から転載したものです。この詩集は、明日への希望や勇気を、人々に与える素敵な詩で満ちています。人間が生きることの尊さを高らかに歌っています。
2008.07.24
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紫陽花と花菖蒲咲き競う本土寺の初夏(千葉県松戸市にある日蓮宗・長谷山本土寺)(初夏の陽光に緑が映える境内に紫陽花の花が乱れ咲く本土寺)100本の桜、5000株の花菖蒲、1万株の紫陽花、1000本のモミジと四季折々にその姿を変えて、極楽浄土の世界を眼前に描き出してくれる本土寺の庭竹林の小暗い緑に映える白初夏の強い陽光に一層、白を輝かせて白くする白あじさい圧倒する勢いで紫陽花は咲きそろい、咲き競い濃い緑にとけこむしろ、水色、淡いピンク、クリーム色それぞれが主張しあって淡いやさしげな色のシンフォニーとなる紫陽花たち涼しげな水色のあじさいは初夏の明るい陽光に透けてその青を淡いブルーにする7色に変幻して狂乱する庭紫陽花と花菖蒲の共演見事に咲き誇る花菖蒲透けた羽を花びらに休めるトンボモミジの葉っぱの濃いみどりの向こうに広がる菖蒲池緑のだんだら模様は一幅の屏風絵のよう。そして蓮の花咲く水辺初夏の本土寺は濃い緑の世界に紫陽花と花菖蒲の花園となって、本土寺の貫頭が希求し、長い歳月の苦闘のなかで守り育てた花の極楽浄土となって涼しい初夏の風が吹き抜けている昨日、6/17は、沖縄では梅雨明けとなり、私の住む名古屋近郊では、30度を越す真夏日となりました。梅雨空に映える紫陽花。関東地方も昨日は、爽やかな快晴の真夏日でしたが、気温26度。その日にDanjose本土寺を散策しました。松戸市にある本土寺の四季折り折をいままでもDanjoseの花歳時記でしばしばアップしてきました。紫陽花&花菖蒲は、2006/6/22でも載せています。この記事では、本土寺の四季折々に極楽浄土のような世界を実現する為の本土寺の再興、復興の寺の歴史について書いています。
2008.06.18
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Danjose花歳時記:5月の花からDanjoseが自宅近くの道端で見つけて撮影したキキョウソウ(キキョウソウ・花のアップ/Danjoseの自宅近くで撮影・東京近郊)(キキョウソウ:学名Triodanis perfoliata キキョウ科の帰化植物。アメリカでは全土に分布する雑草。花期は初夏。紫いろの小さな花を咲かせる)日本の秋に咲く桔梗に似た花でも、この花は北アメリカ原産の雑草で初夏に咲く花張った芝草や干草、道端などの乾いた痩せた土地にはびこる雑草アメリカ全土にみられる雑草芝生の間からひょろひょろとしつこく芽を出し伸びる草日本には1940年代に東京で確認されたのが最初、今では本州全地域に分布する比較的新しい帰化植物キキョウソウ(冨士子の散歩道で見つけたキキョウソウ。名古屋近郊。教会の敷地の植栽の下草として、群れて生えていた。)私の散歩道にも目を凝らして、注意深く歩いたら出会いましたキキョウソウにひょろひょろと30cmほどに伸びた茎まっすぐに伸びる茎その上部に紫色の小さな花を2つ3つ直径1cmもあるか無きかの可愛らしさ(か細い茎を直立して、ひょろひょろと風にゆれるキキョウソウの群れ)しかも雑草にまぎれて目を凝らさなければ見えない花弱々しくか細く見える雑草(はじける間際のキキョウソウの実・アスファルトの割れ目にも生えていた)しかし、硬いアスファルトの割れ目からも芽をだし伸びて花咲かせる茎を包みこむ葉のなかに実をいっぱいに抱き込んではげしく車の行き交う舗装道路の路傍でキキョウソウははじけて、飛び去る時の風を待っていました。キキョウソウの裂果実を拡大鏡で見ると細長いカプセル状のさく果その中には0.5mmほどの極小の赤みを帯びた種子がいっぱいこの植物の英語の呼び名はヴィーナスの鏡(Venus'Looking Glass)この英語の呼び名はその種子がぴかぴかと鏡のように輝いているからだと言う。もちろん肉眼では小さすぎて見えないのだけれど。(キキョウソウの茎の上部に咲く開放花。)日本ではこの植物を別名ダンダンキキョウと呼んでいる。がく片5まいの開放花とがく片3まいの閉鎖花と1本の茎に2つの咲き方をする花上の方は開放花下の方は閉鎖花で閉鎖花は自花受粉で花びらは閉じたままである。きっと余りにも小さくか細いため、上部の花は小型のハチなどで受粉できるが下の方は、雑草に埋もれてしまっているから自力で受粉する能力を長い年月をかけて育んできたのでは、(と植物には素人であるが考えてみた。)種を保存しようとする強靭さその営みにはちょっと感動!路傍では踏み潰され、張られた芝では雑草として刈り取られ、人間からは見向きもされないでいるキキョウソウでもしっかりと大地に根を張る術を巧みなその形のなかに持っている。(私自身、すぐ足元にキキョウソウは咲いていたはずなのに、ずーとその存在に気付かないでいました。それほどに小さく目立たない花。姿。)
2008.05.29
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馬来田(うまくた)の里(千葉・木更津)(ガマズミの花咲く馬来田の里は、もう、初夏のたたずまい)ゴールデンウィークの日本列島は気温がぐんぐん上昇し、4日の名古屋・岐阜の最高気温は27.9度札幌は26.3度、平年差12度まさに夏!外気はじりじりと暑く、からからに乾いた空気だけがかすかに5月を感じさせる春の花々も、季節はずれの熱気にぐったり。うまくたの路Danjoseは新緑のみどりがまぶしい南総房の里山・馬来田(うまくた)の里を散策しました。(ヤマフジが、新緑のみどりに明るく映えて咲く、里山の5月)その昔、万葉の時代に豪族・馬来田(うまくた)国造が支配した土地この地の人々が万葉の時代に口ずさんでいた歌が万葉集に十三首も採録されている(JR馬来田駅から妙泉寺まで約3kmは、万葉碑が建ち、万葉の散策路となっている)そのなかの一首馬来田の 嶺ろの笹葉の露霜の 濡れてを来なば 汝は恋う故郷、馬来田を後にして遠く離れた地にいかねばならなかった古人の心情を、おおらかに素朴に歌っている。照りつける陽光に萌黄色のみどりがひかる山里田植えのすんだ水田にも5月の強い陽光が白くきらめくじりじりと照りつける田んぼのあぜ道には日本の里山の農道ではどこでも見かける春の野草が咲き満ちてハハコグサ、キツネノボタン、オオジシバリ、ハルジオン、、、その野の草のなかに見つけたカントウタンポポ懐かしい日本のタンポポ万葉の時代からきっとそこに咲いていたにちがいないセイヨウタンポポに追いやられて、絶滅寸前、息絶え絶えにそのいのち繋いで2千年の時空を生きてここに在るセイヨウタンポポ (右の写真)総苞の外片がめくれて垂れ下っているのがセイヨウタンポポの特徴。ヨーロッパ原産の多年草で、日本各地の都市の道端や草地に生える帰化植物。明治時代に渡来し、野菜として栽培されたものが野生化。繁殖力旺盛で花期も長い。馬来田の里は又、今もまだ湧水の湿地を残す懐かしい日本の里山風景湿地に生きる生物や植物が万葉の時代そのままにそこに在るハンノキ(榛の木)湿原湿地を代表する木ハンノキ今では、身近に見かけなくなってしまった木ハンノキ秋になるとツリフネソウが湿原一面に群れ咲くツリフネソウの群生地初夏の湿原には水辺にはクレソンの花咲き、点々とホタル飛交うように林の縁を彩るホタルカズラホタルカズラ(蛍蔓) ムラサキ科の多年草。学名:Buglossoides zollingeri Johnston丘陵や山地の林内や縁に生える。北海道から沖縄及び朝鮮半島、中国、アムールに分布。可憐で涼しげなブルーの小花を咲かせるホタルカズラ鷺が点々と舞い降りた、サギ山のように濃い緑のなかに白く群れて咲く花サギゴケ(鷺苔)アップするとこんなにも華やかな花びら白鷺の頭のような花びらサギゴケ(鷺苔): 名は、短くとがる花冠の上唇がサギを思わせるのでつけられた。ゴマノハグサ科の多年草 学名:Mazus miquelii Makino花柱の先はへら形で、上下2枚に分かれ、虫などが触れると急速に閉じる。畦道などやや湿った所に生え、日本全土、および中国に分布。普通に見られるものは、紫色花でムラサキサギゴケと区別することもある。こんな白い花々が新緑の緑に映えて涼しげな湿原透ける繊細なハネを湿原の草の葉に休めるトンボこんなトンボの壊れそうな羽をそっと指でつかんで遊んだ幼い日々そこここに湧きでる泉にはメダカやフナが泳いでいたっけ。(ほら、オタマジャクシも、、、)オタマジャクシもいっぱいいたよ走り回って遊んだ子どもたちの群れこんな里山は日本のどこにでも在った農村の風景。馬来田の里は今も大切にその風景を守っている。
2008.05.09
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2011年3月11日東北地方から関東地方にかけてM.9の巨大地震が発生、大津波が襲い町や村は壊滅状態、死者も2万人に上るのではないかという。千年に一度という大災害に見舞われた。発生から1ヶ月経った今も余震止まず、その上、福島第一原発は炉心溶融事故を起こし、多量の放射能を発生させるという大惨事になっている。国際原子力事象評価尺度で最も重大な深刻な「レベル7」。この春も、この地にさくら前線が北上し始めた。強い生命力で咲き誇ってくれること祈るばかり。(2011/04/11記)開花前線北上中今年のさくら開花予想大幅に狂うDanjose夫妻は、東北地方のさくら見物に出かけました。訪れたさくら名所は藤原3代のの栄華を今なお伝える平泉・中尊寺、葉桜になり始めた中尊寺のさくら池面に散るさくら水芭蕉の咲く境内の池の水辺にもさくらの花びら舞い落ちもう、初夏の気配さえするほら、ショウジョウバカマ(猩猩袴)も早春のショウジョウバカマは、林床を薄紅色に彩り、繊細で可憐な姿をみせていたのに、初夏には、中国の想像上の怪物「猩猩」のイメージを連想させる不気味な「花の赤」に変身した。中尊寺の春は足早に去ろうとしていた。「奥の細道」で芭蕉が、五月雨のふりのこしてや光堂夏草やつはものどのが夢の跡と詠んだ平泉・中尊寺2008年の平泉も、千年前と変わらず歴史の栄枯盛衰を物語る古寺にはらはらとさくら舞い散ってむせかえる、あふれる新緑があるばかり。角館(かくのだて)の武家屋敷今、なお、昔の面影をそのまま見事に残している武家屋敷の佇まい・角館(かくのだて)さくらの花は、ほぼ終わりになり、葉桜のほのかな香りが武家屋敷の佇まいに満ちる武家屋敷続く通りは、淡いさくら色まさに時代劇のワンシーンさながらの町並秋田・仙北地方の角館角館の町を貫流している桧木内川。この堤防は、2kmに及ぶ桜並木道、花吹雪となって、散るさくらその川面に土手に雪のように舞い落ちていた。豪華なさくらの名所・弘前城さくらの古木が見事に満開咲き誇っていました天守閣から眺めた弘前城の満開のさくら枝垂れさくらが華麗に咲き乱れ、お濠は散るさくらの花びら満ち満ちてまるでピンクの見事な絨毯。長い時を経て咲き満ちている古木の強靭なエネルギー満ちて爛漫と豪華に華やぐ弘前城のさくら弘前公園の内堀を囲むソメイヨシノは樹齢100年に達するものが多い。日本で最も長寿の多いさくらの公園厳しい寒さの後に一斉に、狂乱するいのちの洪水みちのくのさくら足早にやって来てあわただしく去って行く2008年のみちのくのさくらソメイヨシノ : 気象庁が桜の開花予想の基準木とするのがソメイヨシノ。ソメイヨシノは、江戸時代の後期、江戸の北にあった染井村の植木職人が、葉より先に咲くエドヒガンと花びらの大きいオオシマサクラを交配しつくったものとされている。自家受粉が起きないため、実ができたとしても、それは品種の異なるサクラとなる。全国のソメイヨシノは、江戸時代の最初の1本から接木で繰り返し増やされたもの。いわゆるクローン植物。病気に」なりやすく、寿命もまださだかではない。戦後まもなく植樹されたソメイヨシノが樹齢60年以上となり、樹勢が劣え、病虫害に侵されているものが、現在多くなっている。弘前公園のサクラは長寿が多い。 その中にあって、弘前公園には、日本で樹齢最長126年のソメイヨシノがあります。これは「リンゴ農家の剪定の知恵」に学んで、50年以上前から枝を剪定して、サクラ守りしてきたからとのことだそうです。今年の桜の開花前線は、大型連休を待たずして北海道に上陸し、終わりを迎えようとしている。開花予想も大幅にはずれた。Danjose 夫妻の訪ねた東北の地も例年より1週間ばかり、早く開花し、あっと言う間に満開となり葉桜になった。弘前城だけが辛うじて満開他のところは葉桜へと移っていたこれだけ開花時期が、ずれたのは、3月に、冬型気圧配置の日がほとんどなく暖かかったためと言う。北海道や東北では、今年の冬は雪が多く、例年になく厳しい寒さが続いたが3月の月平均気温は最高値を更新。北日本では、平年と比べ2.3℃高かった。東日本でも1.7℃高く、戦後第2位の高気温となった。この気温の異常変動が桜の開花を早めたのではないか?Danjoseの訪れた22日24日は、天候もぐずつき気味で悪く、写真を撮る環境も良くありませんでした。異常続きの天候2008年日本の春。今、世界は、余った投機的資金が行き場を失って、食物さえ、投機の対象にして売買している。そのため、食物の値段が高騰して、食料難になっている国さえある。この3月の気候は日本の米作にも悪影響がでるのでは。気候の異常変動が人々の主食の作柄にまで深刻な影響を与え人々の生活の脅威となる日が現実の問題として私たちの目の前にある。大量に生産し、大量に消費することで景気を維持する経済のしくみそのものが私たちのいのちを産み育てる大地を急速に破壊へと導いている2008年のさくら開花前線はそのことを人間に警告している
2008.04.26
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本土寺(千葉・松戸市)の春 このところ日本列島には、低気圧が次々に発達しながら西から東へと通過し、激しい雨風をもたらしている。四月一日には低気圧が北日本で猛烈に発達し、北海道では、季節はずれの猛吹雪になった。太平洋側は、強い北風に見舞われ、春の嵐が日本列島を荒れ狂った。そんな一日、Danjoseは、初夏には紫陽花、秋には紅葉と四季折々に見事な佇まいを見せる本土寺(千葉・松戸市)を散策しました。春爛漫新緑が芽吹く前の境内は、木蓮、雪楊が、満開のさくらと濃き混ざり、見事な色合いを見せていました。 目もくらむばかりに眩い白柔らかな春の陽光に一層、白く輝かせまさに枝垂れ楊に被った雪のよう。山門の小径に咲き乱れるユキヤナギ。端正な趣をたたえて咲く見事な紫木蓮の大木 春のひかり輝くなかで圧倒するエネルギーをあふれんばかりにその花びらに満々とたたえて咲くモクレンの花枝垂れ桜もモクレンと共演して咲き競う。強い北風にあおられて舞う花びら本土寺の春は春の嵐のなかで、芽吹きの時のいのちざわめき、端正なたたずまいを見せていました。
2008.04.03
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春到来遅かった春がこの1週間ばかりの間に連日4月上旬並みの気温がつづき花々は一斉に目覚め咲き始めた。(フランスでは春を告げる花ミモザ:ミモザの花束を投げ合って春を喜ぶ)厳しかった寒さに耐え眠りから覚めて燃えるミモザ一斉に濃いオレンジ色になって春の暖かな風になって燃え立つミモザアカシア道端に咲く菜の花も急に暖かくなったその空気に驚いたようにその濃い黄色を、いっそう鮮やかにして満々と咲くそして、椿が今年の春は厳しい寒さのあとに満を持して鮮やかな紅となって濃いグリーンの葉のあいだから次々咲く夜来の雨に濡れていっそう深いあざやかな紅となって次々に咲く足元に目を落せば若草の淡い黄緑の絨毯に点々と散りばめられた濃いブルーの花びらを可憐にひろげて咲くオオイヌフグリカタバミの花の間からもう、こんなに蕗の葉っぱが顔を出している、春が確実に進行しているのを告げている。気象庁は22日に東京・靖国神社の桜の基準木(ソメイヨシノ)の開花宣言をした。平年より6日早い開花。東京は、史上3番目に早かった昨年に続いて、全国一番乗りの開花宣言。厳しかった寒さで、眠りを覚ました桜(休眠打破)眠りから覚めて初々しい三分桜名古屋も同じ日に開花宣言されたが、 (ほころび始めたサクラの蕾;私の散歩小径より3・24撮影:by fujiko)尾張の里山の桜はまだ堅い蕾。昨夜来の雨でその蕾は一気に膨らんできた。その私の散歩小径に今、ハクモクレンが盛りと咲く(私の散歩道:マンションの庭に咲き誇るハクモクレンの大木。by fujiko)雨上がりの春の空に濡れて重い花びらを益々、白に輝かせて空にそびえて、艶やかに咲く弥生・三月はMarch comes in like a lion and goes out like a lamb.三月は獅子のごとく暴れ来たり、子羊のごとく過ぎ行くこのところ日本列島には、周期的に春の低気圧がやって来て、芽吹きの雨や嵐をもたらしては去っていく。その後に穏やかなぽかぽか陽気が数日続く。昨夜来の春の嵐で芽吹く木々咲く花々冬の眠りから覚めていのち輝く季節到来(力強い、いのち溢れるコブシの花満開)
2008.03.24
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遅き春今年の冬は、この数年の暖冬続きにあって、ことのほか厳しい寒い冬となった。雪の少ない太平洋側でさえ、三月になっても、頬なでる風は、冷たく膚を刺す。陽光が春めいてきらめく水辺に鋭く頭をもたげる芦の芽泥土から角ぐむ芦もまだ浅き春にまどろんでいる水ぬるみ水鳥が遊ぶそして、厳しい寒さに耐えた梅はこの数日の春の陽射しにざわめいて陽だまりでその花びらをほころばせる寒椿も、この数日の暖かな風に誘われて一気に、にぎやかに咲く椿と紅梅の紅が共演する早春一昨年、昨年の椿は、満々と咲く桜と共演していた。(2007年3・27撮影:桜と椿が咲き乱れる雑木林)今年は、桜の蕾はまだ、花芽として顔さえだしていない。裸木のまま、早春の雑木林でざわめいているばかり。(2007年3月末日;私の散歩小径 photo by fujiko)厳しかった冬に耐えた堅い蕾もやっと巡り来た春にその鮮やかな紅を芽吹きのエネルギーに託して3月のやわらかな陽光に戯れているそして、その昔、農作業の基準木でもあったコブシの花。コブシが咲く頃に、農民は春の農作業を開始した。その春をつげるコブシもうごめきはじめてやわらかな早春のブルーの空に白い綿帽子のようにざわめいて早春の風となるその枝々は、まだ冬の名残をのこして裸の枝を空にむかって絡みあわせて、柔らかな水色の空の華麗なレースとなる。明るい早春遅き春昨年の同じ日、コブシの花はもう、こんなに満開となって真っ青な春の空で白く輝いていた今年は例年になく遅い春いつまでも寒い3月この数日、やっと春めいて、肌なでる風もおだやかで、やさしく心地よいカタバミの花が暖かい春の陽だまりで黄色に群がって咲きホトケノザも春の日差しをいっぱいにうけて枯れ草のなかから淡い紅色の花を咲かせた遅き春しかし、これが日本の春四季にメリハリのある日本の春厳しい冬に耐えて、春に咲く花々のその色、その姿に、いのちの息ぶきを深く、凛と讃えて咲くそれが日本の春
2008.03.09
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