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涼しげな白色の花たちが咲き乱れる私の散歩道。春の華やかなピンク色や黄色の花々の季節が過ぎると、新緑の鮮やかな緑にしろ色がまぶしい花たちが咲き始める山法師のをしろ。なんじゃもんじゃの白ノイバラの白それぞれの白が微妙に変化して、鮮やかな新緑の中にハーモニーしている。今日は母の日。こんな白の世界に突然に飛び込んで来た鮮やかな贈り物。息子の連れ合いからのプレゼント。豪華なアジサイ。ありがとう😊人工的に極限まで改良したアジサイ野山の花々の対極にある美いかにも今を象徴している。このアジサイを絵に描いてみようと思っているが、さて、どんな絵になるやら、、
2021.05.09
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久々、何年ぶりかしら? まもなく77歳になってしまいます。 毎日、コロナ、コロナと暗い重い空気が漂うこの頃ですが、 ずっと続けておる朝の私の散歩道。今朝は雨模様ですが、スケッチしてみました。 落花したツバキ雨に濡れていました 夜来の雨あがり 甘い花の香りますますつよく 早朝の森しっとりとぬれて さくらも咲き始めた。 コロナ、コロナ、 終日、 世界中がコロナのウイルスに おののき、 世界は暗雲がたれこめる。 でも、 森は しんとして 萌えようとしている 草木や花々の 生まれ出ようとす 生気のエネルギー 満ち 森は呼吸している。 この雨上がりの 森のいぶき 現代が喪失しまったもの。 自然との共生
2020.03.28
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私の朝の散歩道のひとつ森林公園は今、初夏の粧い。新緑の森は、大樹に這い登り、生い茂るティカカズラの花が満開。爽やかな緑の風渡り、ティカカズラの甘い香り満ち満ちて森林公園は今快適な朝の散歩みち明日6月2日は、この森林公園で [70回全国植樹祭]が天皇皇后両陛下のご臨席の下に行われる。天皇に即位されて最初の地方への御公務とあって、当地域は大変な熱狂である。生い茂っていた竹藪は、綺麗に整備清掃され、式典会場への門が作られた。式典会場予定の植物園内の大広場にあった丘の凹凸は平地となり、ヒノキの式典舞台や式典招待客が座る木の長いすが見渡す限り設置され準備万端。接待客へのおもてなし広場には、何十ものテントが張られ、ところ狭しと並べられたプランタンにはポットの花を入れ、飾る準備中。この材木はこの日の為、整備伐採され材木になった木々たちか。1昨年あたりから公園周辺の道路の茂っていた樹木は、見るも無残に伐採され、見通しの良い明るい道路に変身した。これらはその材木で作られたものなのだろうか?公園正門前の今は森林公園正門は工事現場を覆い隠す時に使用しているフェンスで、一般の人が入園出来ないようにされている。この柵は今日中に取払われ明日の式典が行われるのだろうか?いずれにしろ平常の緑あふれる公園のなかで普通の市民が穏やかに祝える植樹祭であることを切に願うばかりである。
2019.06.01
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ソメイヨシノの花がやっと咲き競い華やいできた。そのさくらと競演して咲いているマメナシの花マメナシは氷河期から延々と命つないできた植物であるとは驚きである。現在、山地に自生しているわずかな木の中の一本雨模様の暗い空に枝をいっぱい広げ、懸命に咲ききっている。さくらの花とはまた趣異にしてとてもすがすがしい。さくらと競演して咲くマメナシの花今日は天候が悪く、あいにくだが、抜けるような青空を背に淡いピンクと白が競い合うさまを見ることできるならその美しいまた格別であろうに。この近辺のさくらは大木が多く、その見事な枝ぶりに、咲き誇るさくらが雨に煙っています。今日は、公民館の私の属する絵のサークルからさくらのスケッチに遠出する予定でしたが雨のため、公民館の近くを散策し雨の桜を満喫しました。
2017.04.08
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今年も春めぐり来て私の朝の散歩道瀬戸川さくら満開。(赤い花ももの花とさくらの花が競演する瀬戸川)今年の冬は異常な気温変化続き花々もその異変に耐えてめぐりきて、その花を咲かせている。花ももの赤いヤマザクラも枝垂れざくらも一斉に咲きはじめた。いままでの日本の春は微妙に時期をずらして次々に順序を違えずに咲いてきた花々たち繊細な日本の四季を表現してきたのに(ケヤキの大木も新緑に燃え、満開のさくらと競演)今年2016年の春花々はばらばらと、たよりなげに早咲き、遅咲きの花が、いちどきに咲いている。どっと咲ききって、さっと散りゆくあでやかさ、いさぎよさを失てしまったさくら。厳しい寒さに耐えて咲ききるエネルギーの爆発を失くしたさくらたち。ちょっと、さびしいさくら花見である。このまま、だらだらと散り、初夏の若葉へと移行しそうである。クスノキも早や、新芽は赤み帯び淡い黄緑に燃え輝く。水鳥も遊ぶきらきらとゆるむ水辺の土手も、すっかり初夏の色、若緑。新緑の燃えるクスノキを背に瀬戸川に架かる橋瀬戸川に架かる橋には瀬戸物の街らしい陶器のオブジェや陶板があしらわれとても趣ある。今村橋に細工されている染付の陶板陶器業の盛んなころの工場の街並み。今村橋の陶板陶土の採掘場のある風景この橋には大きな染付の陶板が幾つもあり、いつも通行するとき鑑賞し、絵付けの勉強している。今村橋の欄干、練り込みで制作されたオブジェこれはすごい作品。このような練り込みの技能はなかなか習得できない。一番新しい橋。やすらぎ会館、保健センター前の歩道橋。さくらの陶板。赤ちゃんやお年寄りが安心して通行可能なった橋。(それまでは、車も人も同じ橋を混ざって通行)その橋の前のさくら咲く河川敷では、お年寄りが、早朝のゴルフをはじめようとしていました。朝の散歩道、瀬戸川春爛漫世相は増々雲行きあやしく心配であるが、この穏やかさ、しずかさ、とわにあらんことを。
2016.04.02
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連日30℃を超えるのは普通であった今年の夏、35℃前後の日々が続いた8月。9月に入ってからは、朝夕はめっきり涼しい。俄かに秋の気配の私の散歩道。このところ朝夕は28度前後となり、とてもしのぎやすく気持ちいい。朝靄のなかに霞むハギ爽やかな朝の風に揺らめく花秋の七草、はぎ、クズの花咲くたくましく、塀を這い上り、大樹にからまり、天空にまで伸びるよ葛のツルは。夏の名残りのどこまでも青い空朝陽に染まり輝く空その天空に向かって茂るクズそのたくましさ猛暑を耐え抜いて今、涼やかな朝に花満開。秋の実はもうすでに秋ムラサキシキブの実はもう、こんなにも色づいてガマズミの実ももうこんなに紅色朝靄のなかに光る宝石のよう。あっというまに、猛暑から秋へと実は変身中。赤い実のウメモドキ淡い薄紫のヌスビトハギの花その木々に巻きついて伸びるノアズキの真っ黄色の花秋が一時にどっとやってきた。(ノアズキの鮮やかな黄色の花とヌスビトハギの淡いピンクの花)ノアズキは9月になると一斉に木々や草に巻き付いて花を咲かせる。今年も秋には忘れずやってきた。猛暑にもめげず生き延びている。ヌスビトハギはこんなに可憐で清々しい花、でもその旺盛な繁殖力でその花はすぐ豆となり、人や犬の衣服や毛にくっついて、ひとたび、くっついたら離れない。取り去るのは至難のわざ。取るのが大変。ヌスビトハギの花アップ。ヌスビトハギの名の通り、厄介な野の草、でもその花は秋の野で可愛らしく、やさしい。ヌスビトハギやノアズキに交じって、数ミリの小さい薄紫の花をさかせるツルマメ花のちいささに比べてツルの力強いこと、どこまでも伸びて絡まりつく。畑の大豆の原種だともいうツルマメも、今年も忘れずに私の散歩道にやってきた。ツユクサも9月になってから、朝夕の涼しさに勢い増して、その青をいよいよ青にして朝露に濡れている。 久々にアップしました。夏休みをしていました。余りの暑さにじっとしていました。でも、老いていく肉体とは怠りなく闘い、メンテナンスする努力はしていました。10月には私の属する絵のグループ展があるので、水彩画の制作にかなり時間を割きました。作品がなかなか思うように出来上がらず苦しんでいます。その他、若い子たちとの勉強も夏休みなので、頑張ってやっていました。涼しくなってきたので、ブログもそろそろ始動。
2013.09.12
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梅雨空のこのごろ(アベノミクスのめざすグローバル化とは)昨日は35℃の猛暑となった台風の接近で湿度も高く早朝からムシムシ、ジメジメ私の朝の散歩道の草花や木々もこの目まぐるしい気候変化にやや生気ないとりわけ今年のアジサイは雨量が少ないせいか小ぶりで元気ない これは私の朝の散歩道のひとつ森林公園のアジサイであるが例年なら今頃明るく大きな花を群生させ、雨のなかでしっとりと咲きほこっているのだが、今年は木そのものが痩せて育ち切っていない。栗の花早朝の空の雲も夏のにおい今、この地方の丘陵地の雑木林は栗の花がまっさかり、濃い緑の山肌にむくむくと盛り上がる白い花の塊巨木の栗の木が入道雲のよう。(群がって咲く栗の花。秋にはきっとたわわにクリの実。栗の豊作となるだろう。)今年は、梅の花の咲くころから次々に咲く花の数が異常に多い。まさに花盛り。、私が毎年購入している養蜂業のおじさんも言っていた。今年ほど蜂が蜜を集めて、集めて、溢れるほどに蜜が採れることは今までになかった。ひとつの花ごとに締め切って蜜を採集するのが大変とのこと。それほどに次々に花が咲きみだれるということでもある。つんつんと空に向かって萩のような可憐なピンクの花を咲かせているのは駒繋ぎ(コマツナギ)。ノイバラのような白い花を咲かせているのはホソバノトキワサンザシ秋には紅い実を鈴なりにつけることでしょう。梅雨のころは目立たぬ小さい白系統のいろの花が次々に咲く雑木林。華やかさはないけれど、香りが独特のもの多く、香りでムシたちを呼び寄せている。定家蔓の花芳しい香りにつられて、見上げればテイカカズラの花新緑の大木に這い上って咲く。朝靄に霞む椎の木の若葉オゾン満ち溢れる朝の森林公園環境な急激な破壊にもめげず、木々や花々は今年も確かな季節の歩みを私たちに見せている。 (最近の株価の急降下の意味は。。。)この頃の日本の社会情勢も梅雨模様アベノミクスなどと騒ぎ立て、急激な株価上昇で日本の経済に明るい兆しが出てきたとマスメディアあげてのから騒ぎ。しかし、しかし、この数週間であっという間に株価は急下落。株価を操っているのは誰か?グローバル企業の利潤のみを追求している、外国の投資ファンド、彼らは短期に利益を獲得することを目的にしている。日本の国に要求していることは、短期に利益の上がる産業構造を早急に作れということだ。株価の急落はそのことを安倍政権に突き付けている。グローバル企業の要求していることとは、労働者を低賃金のまま働くことに文句を言わず、企業の思いのままに解雇出来て、何ら雇用の責任を負う必要のない社会。法人税を最も低く、国民には高い税金を、インフラ整備は国税で。このような産業構造を徹底せよと、株価の急低落は安倍政権に突き付けている。それが不徹底と突き付けている。このような「グローバル化」とはすべての基準を後進国の労働条件にに合わせ、企業が短期に出来るだけ多くの利潤を生みだせる産業構造にすることである。地球上すべてを大量生産、大量消費する仕組みにして破壊しつくす。その果てにあるものは何か。彼らは、グローバル化の名のもとに最低の「世界基準」を要求し、偏狭なナショナリズムで国民を煽り立て、危機感を駆り立てて我慢を要求している、世界一「強い国」を国民に強要している、安倍政権の本質は真の「美しい日本」の再興とは無縁である。グローバル企業が利益をたんまりとため込むことはあっても、安倍政権の言っているように「国民には、おこぼれが回ってきて、豊かになる」などということは、アメリカの社会を見ても、小泉政権その後の日本の社会を見ても明らかなことである。
2013.06.14
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水ゆるむ昨日から、にわかに気温上昇し、今日は「春一番」がなま暖かな気流に、春の雨をもたらした。ほら、コブシの蕾が夜来の雨でやわらかに膨らみ始め、裸の枝々はかぎ針で編まれたレース糸のように絡み合い、天空に伸びる今年の冬は、とりわけ寒さ厳しく、老いを進行形で実感している身にとっては、春の訪れは心弾む。枯れ色の雑木林に清楚な白い花を群れなして咲かせる馬酔木まだまだ蕾だけれどこの数日の暖かさに誘われてうごめき始めた。凍てついた今年の1月、2月の散歩道(近年、この池はほとんど凍ることはなかったが、今年の冬は、ほぼ毎日のように氷が張った。1月に撮影したもの。)早朝の散歩コースの池は氷が張る日が多かった今年の冬凍てつく池の枯れ色の土手に僅かに残された赤い実ピラカンサの実小鳥さんたちの最後の冬の餌3月の声とともにこの赤い実もすかり食べつくされ水辺にも新しい命がうごめいている。真白な霜の道サクサク踏みしめて散歩した冬。久々に霜を踏みしめて、忘れていた幼い日の冬の感触がよみがえる。この裸木の枝々も新しいいのち芽吹いてやがて鬱蒼と茂るコナラの大樹となる。そのいのちのざわめきがかすかに聞こえる3月の朝。枯れた林に真っ先に若緑色の明るい花芽をつけて、春をまつアオモジ、春の嵐よぶ空にざわめいている。もうすぐ、真っ黄色の花、華やかに咲かせて若葉の森を明るく染める。そして、春を告げに一番乗り、マンサクの花枯葉を身にまとったまま厳しかった冬を耐え、通り抜け、暖かなオレンジの色を春の光のなかに溶かし込んで、裸木の林でただひとり咲く今年のマンサクの花は、例年になく小ぶり。でもその繊細な花びらに、ぎゅっとエネルギー秘めて冷たい風にふるえている。光りは春
2013.03.01
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秋の七草のひとつクズ(葛)私の朝の散歩道の葛は真夏は余りの暑さに、生気なく、花数も少なかったが朝夕のやや涼しくなった気温に誘われて、今、盛りと次々に花を咲かせている。力強く、木々を這い上りどこまでも伸びて繁茂するクズ刈られても、刈られても、めげずに芽をだし、伸びる、天まで伸びる太い荒々しい毛で武装した茎大きな葉っぱに隠れて、ひっそりと咲くクズの花樹木の葉っぱが夏の盛りの暗緑色の緑をやや茶けて秋めきはじめると、蔓草がグングンその上に這い上り、絡まって花を咲かせる。クズの葉っぱに絡まるようにヘクソカズラも競って元気よく花を咲かせている。ガガイモも旺盛に蔓を伸ばして沼の土手の樹木を覆い尽くしている。ガガイモはアップするとこんな花荒々しい毛むくじゃら(ガガイモ 学名・Metaplexis japonica 花は1と小さいが、花弁の内側には長い毛が密生。雄蕊5本とめしべがくっつき合い、長いくちばしをもっって、花冠の上に伸び出している。(写真では真ん中の長い糸のように垂れているのが蕊柱)。種子は10センチメートルにもなり、中に扁平な種子がびっしり並び、種子には長い毛があり、晩秋の風に飛び散る。)猛暑を生き抜いて咲く花の姿そのたくましさ。生い茂るセイタカアワダチソウに絡まって、可愛らしくさいているよ、ヤブツルアズキとツルマメ(黄色の小花がヤブツルアズキ、写真下方の紫色の小さな花がツルマメ)この可愛らしい花々に盛んに蝶々が飛び交って蜜を吸っている。アップするとこんな花。ヤブツルアズキ(ヤブツルアズキ:学名 Azuki angularis Ohwi var.nipponensis Ohwi アズキアングラリス(角ばった)変種ニッポネシス(日本の)花・葉だけでなく種子もアズキに似ている。畑のアズキはこれを改良したものと言われている)アズキのような鞘もすでに垂れ下がっている。花のつくりは左右アンバランス。それでいて見事に調和があり自然の妙なる美しさ。花びらの黄もあくまで黄色。さらに小さい花数ミリの花ツルマメ(ツルマメ ・学名Glycine soya Sieb. et Zucc.グリキネ ソヤ(日本語の醤油)。花は径5~8ミリメートルとごく小さい。豆果は2~3センチメートル、やや扁平で2~4種子を入れ、さやは全面に黄褐色の毛をかぶる。畑の大豆の原種といわれている) 極く、ごく小さな花なのにこの茎の太さ、下向きの荒々しい毛まで生えている。この蔓が、どこまでも伸び夏草や樹木に巻き付いて伸びる。この二つのマメ科の植物は、日本の古来からの大切なたんぱく質源大豆と小豆の原種。こんなに大切な食料源の母なる原種が私たちのごく身近なところに普通に生えている。でも、散歩している人々にもほとんど振り向かれることなく花などは全く気づかれることもなく、むしろ、邪魔モノとしてたえず刈り取られている。夏の終わりになると、毎年、この蔓草の花々が、やたらと目につく。今年も又その蔓草たちは変わらず繁茂している。そして、秋をつげる萩も咲き始めた。萩は萩でもその名もおどろおどろしいヌスビトハギ(盗人萩)豆果になると、その鞘が犬の毛や人の衣服に、びっしりと、しっかりと、くっついて離れないやっかいな ひっつきマメのヌスビトハギ。でもその花は朝露に濡れて淡い紫ががった青のはっとする美しさ。小さな花に小さなムシさんもやって来たよ。ヌスビトハギの蜜を求めて。更に萩は萩でもメドハギ(蓍萩)(メドハギ ・蓍萩 マメ科ハギ属。昔、占いに用いる細い棒を蓍萩(めどはぎ)の茎50本を一組にして用いた。これを筮竹(ぜいちく)という。花の大きさは6~7ミリと小さい。花の紫班は昆虫に蜜の在りかを示す蜜標となる。)土手に雑草として、刈られても刈られてもたくましく生えてくるメドハギ昔、その茎を占い師が筮竹(ぜいちく)として使ったという。この花が咲き始めると夏の終わり。ムラサキシキブも涼しくなった朝夕に誘われて一気に色づきはじめた。濃き紫、淡い紅、まだ緑色の実ありとムラサキシキブは秋の始まりをその色で告げている。 この夏も猛暑続き、35℃前後の猛暑日が続いた8月。9月に入り、やっと朝晩は冷気が感じられはじめ、野の草花たちもにわかに活気づき、花を次々に咲かせている私の朝の散歩道。私も年齢のせいかこの猛暑は、かなり体力に影響を与え、ダウン気味で8月を過ごしておりました。このところやっと昼間の気温30℃となり、(でもまだ30℃以下の日はない。)朝晩は28度ぐらいで涼しくなりました。夏休みも終わり、勉強にやって来ていた子供たちも昼間は去ったので、そろそろと活動開始といきましょう。
2012.09.04
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テイカカズラ(家定蔓) (テイカカズラ:キョウチクトウ科、テイカカズラ属。花はこのように房状の花序、垂れ下がって咲く。)6月に入るや、私の散歩道・森林公園はテイカカズラの花がハッとするほどの白さで森の樹林を覆っていた。(花は初めは白、次第に淡いクリーム色になる。ジャスミンに似た芳香。果実は袋果で2個が対となり、長くぶら下がっている。熟すと裂けて種子をまき散らす。種子はとても長く白い面もうがあり、風で飛ぶ。旺盛な繁殖力。雑木林では地に這い、樹木に這い上り、樹冠を覆う。)コナラの大木にどこまでも這い上り地面の夏草にも巻き付いて群れなして白い花咲かせている。能の曲目「定家」 (金春禅竹作)新古今和歌集を代表する歌人、式子内親王と、藤原定家との間に秘かな恋があったとする設定で、抑圧された恋の執念を描いて深刻かつ優れた能の作品「定家」。この物語のなかで、テイカカズラは死後も執心となって、裂かれた恋の相手、式子内親王の墓に蔓となって、巻き付き覆うのである。 雑木林のコナラの大木にどこまでも巻き付いて這い上り 樹林一面を覆い尽くしている白の群舞テイカカズラの花 アップすればこんな花 径2cmほどの螺旋状にねじれた5枚の花びら、花びらの先端は断ち切られて丸まった三角形。折り紙で作った風車のように雅な花咲かせている. 式子内親王との忍恋。玉の緒よたえなばたえね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする(新古今和歌集:式子内親王の歌) この家定との恋は内親王は死後、 亡霊となって彷徨い、 定家の執心は蔓となって墓に巻き付いて、 墓を覆い尽くす。 その蔓からは このような純白の花さかせ、 次第に淡いクリーム色に移ろって あたり一帯に 芳しき香りまき散らす。千年の昔の人々がかくも愛でた テイカカズラいのち繋いで 2012年の夏にも咲く。現代の人々には関心持たれず見向かれもせずただ朝もやの中に静かに群れて爽やかに咲く。初夏の森は蔓で這い上り、樹木を覆う木々が盛んに芳しい香りまき散らす季節テイカカズラとともにスイカズラもテイカカズラと競演して雑木林に良い香りを放ってその在りかを私たちに知らせてくれている。 芽吹いた若い松の枝にもスイカズラ巻き付いて鮮やかな若緑に映える白の花足元の夏草のなかからは淡い紫いろのヒメジョオンが朝露に濡れて可憐に咲きいよいよ夏。
2012.06.04
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白の季節白色の花映える新緑の散歩道樟(クス)若葉となんじゃもんじゃの花天空に向かって巨大な若緑が燃えるよ。若葉のクスノキ なんじゃもんじゃの花天から舞い降りた雪の粉のように (ヒトツバタゴ:モクセイ科ヒトツバタゴ属。別名なんじゃもんじゃ。日本では愛知・岐阜の一部と九州の対馬の一部に隔離分離する珍しい落葉高木。)繊細な花びら若葉風にゆらめいて、夜来の雨つぶ朝の陽光にきらめく。(なんじゃもんじゃの花) クスノキの明るい若葉色となんじゃもんじゃの花の白朝もやに煙る朝の散歩道 苔むして、ノキシノブ宿るクスノキの大きな幹 (クスノキ:クスノキ科クスノキ属の高木。常緑。初夏のころには前年の葉と若葉が入れ替わり、明るい緑色となる。かっては防虫剤になる樟脳を採るため、各地で栽培された。)葉が茂り、夏の炎天から大地を守り人々には涼を与える大樹のクスノキ(クスノキの花)若葉色の花咲き満ちて葉っぱは新緑の風となる。ニセアカシアも若葉の雑木林に白の塊となって出現した。 (ハリエンジュ:別名ニセアカシア:マメ科、ハリエンジュ属。明治初期に北米からの渡来したもの。全国で野生化して、繁殖力強く、生長も早い。)ニセアカシアも太い幹は苔むして大枝は天空に伸びて、若葉の風となる。 藤の花に似た房状の白い花からは甘い香りをまき散らし、蜂たちの羽音がうなる。5月の深まる緑の雑木林でひときわ目立っ白の塊それはニセアカシアの花の白。今年は長い厳しい冬であったせいか、にわかに初夏めいた5月に葉っぱばかりが成長して花着き悪く、花も小ぶり。カラスさんも朝のお散歩、大地には夏草も伸び、銀白色に光る朝露。タンポポも綿毛となって若葉の風に乗って飛ぶ。 (ムラサキサギゴケ:ゴマノハグサ科、サギゴケ属。名はコケのように地面に広がり、花の形が鷺に似ていることによる。)うっすらと紅おびたムラサキサギゴケ(紫鷺苔)朝露の草むらにやさしげに群れて咲く。水辺には黄菖蒲 ノイバラ(野茨)もこぼれんばかりに咲き満ち、良い香りを放っている。初夏の山はノイバラが盛りと咲く。今朝の散歩道はそこここにスイカズラ(吸蔓)の花がひときわ香る。(スイカズラ:スイカズラ科スイカズラ属。つるを木などに絡めてのぼる。冬での葉を全部落とさず、内側に巻いて耐えるので忍冬(ニントウ)の名がある。花は香りが強いので焼酎に漬け込み忍冬酒とする。かっては葉をおできの吸い出しに使った。)純白の白翌朝には淡いクリーム色に変化するスイカズラの花幼い時にこの花の蜜を吸って遊んだ思い出。スイカズラは今も身近なところで旺盛な繁殖力で初夏を告げに来る。エゴノキの花(エゴノキ:エゴノキ科エゴノキ属。果実はサニポンを含み、かじるとピリピリして「えぐい」味がするのでこの名がある。かっては泡立てて石鹸の代用した。)下向きに一斎に咲き一斎に散るエゴノキの花その白さその潔さエゴノキはその花の時期だけ自らの存在を主張して他の時期は他の木に交じってしまって目立たない。今、雑木林はエゴノキの白で華やか。初夏を告げる白といえばヤマボウシ(山法師)の花の白波打つ緑の葉っぱの上に真っ白な花びら(実際は総苞。中央に集まるグリーンが花の集まり)梅雨のころに咲くヤマボウシはまことに清楚で美しい。(ヤマボウシ:ミズキ科、ヤマボウシ属。山地のブナ林や雑木林に映生える。日本原産のハナミズキともいえる。)今年はもうすでにヤマボウシの花は咲き始めている。気候不順のためか、今年の花着き悪く葉ばかりがどんどん茂る。私の散歩道は白い花々が新緑の緑に映えてまぶしい。蜜をもとめて虫たちが盛んに飛び交っている。自然の営みは実に精巧にできているのに驚く。季節の時期ごとに咲く花の色がみごとに統一されている。人工的な人間の花壇や庭は、どの季節にも色鮮やかな花が咲いているが、自然の営みに任された林や森は、蝶や蜂やその他の虫たちの活動期と見事に符合して花の色や形が作り上げられてきたのではないのかと思えるほどである。その何億年何千年という長い歳月の生物の営みの進化によって作り上げられてきた自然の循環を破壊する行為が、今進行しているように思えてならない。マイホームを飾りたてる園芸産業は、この意味で、大きな意味での自然環境の破壊ではないのかと思える今日この頃である。
2012.05.19
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朝もやに霞む森林公園のさくら やっと朝も5時半ごろより白み始めて、6時になればお日さまが昇る。この数日は暖かな気持ち良い日が続き、早朝の散歩には最適な季節となってきた。朝陽が差し込み始めた森林公園朝もやに霞んでいます。さくら、雪柳、菜の花の花々がやわらかい色合いで霞んでいます。枝垂れ桜やソメイヨシノやオオシマサクラなどどっと一度に咲き始め、今、8分咲き。淡いピンク、濃いピンク、白など桜の花々の色入り乱れて朝もやの中。巨樹のスタジィの濃いグリーンを枠にして咲き競うさくら。老木の桜の幹と松の緑を透かして見る桜。緑と桃色のコントラストがすばらしい。柔らかな春のメロディーが聞こえるよう。椿の大樹も花を満々とたたえ、小暗い緑の向こうに桜満々。水鳥が泳ぐ池朝の陽光のきらめく水面、萌黄色に染まる雑木林に桜の花咲き満ちて泉水に枝垂れ桜の白映えて花爛漫空にも白満ちやっとコブシの花も咲いた。足下には可愛らしいスミレの花咲きタンポポも元気よく一斉に咲き遅い春は一挙に花々を目覚めさせ早朝の散歩道を活気づけている。ハナノキの花森林公園内にあちこちに植栽されているハナノキ葉が出る前に、こんなに美しい花を咲かせる。夏にはトウカエデに似た3つに裂けた葉を茂らせて、秋には美しく紅葉するハナノキ四季それぞれの表情をみせる素敵な木ハナノキ愛知周辺にのみ分布する愛知県の県の花にもなっている木。ハナノキは高木となって、青の天空に紅をまき散らしている。春爛漫私の散歩道
2012.04.11
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椿と梅とアオモジとの競演見事な散歩道例年なら2月の半ばごろより咲き始める花々が3月半ばにやっと咲いた。今年の春を告げる花々の開花は大幅に遅れている1か月は遅れている。それだけ冬の寒さが厳しく長かった。ようやっとヤブツバキが咲き、競い満ちる私の散歩道、森林公園私の好きな花のひとつヤブツバキ、黒々とした葉っぱのみどりの合間からあざやかな紅がゆらめく。椿林を吹き抜けていく風はまだまだ冷たく頬を突き刺すけれど、小暗い林に差し込む光は明るく軽やか春のひかり。まだ裸木の多い林のなかに椿の大樹が連なるこの散歩道だけは小暗く緑あふれる。ゆらめく紅は春の訪れをつげる紅何かしら心浮き立つ。そしてやっと花開き始めた梅林園の梅森林公園の梅林園にはなんと87品種の梅が植えられている日本全国の梅が集められて大切に管理されている。華やかで艶めかしい紅梅乙女の優しさ華やぎにみちる淡いピンクの八重の梅のどかな柔らかな春の天空そのブルーに溶け込んで咲く。まだ蕾の梅も春の陽だまりに微笑んでいるよう。おひなさまにお供えしたらぴったりお似合いの愛らしさ。奈良時代の貴族たちが最も愛でた花、花といえば梅のこと。梅といえば白梅のこと。白梅の清楚さ、その野趣あふれる風格。万葉人が愛したのが分かる気がする。繊細な花しべ花芯がかすかにグリーン白との微妙なコントラストその色合いは見事春の明るい陽光に輝く白い花びら厳しい冬の寒さに耐えて今、あふれるいのち淡いピンクの花びら幾重にも重なる豪華さ花芯のうっすら紅色花しべの華やかさ、艶やかさ厳しい寒に耐えて咲ききるいのちのエネルギーがこの凛と咲ききる梅の花にみなぎる。梅の花の芳しい香り満ちるその足下には ほら、こんなに小さな可愛らしい花がさいてたよ。ハコベやっと冬枯れの大地から伸び、真っ白な小さな花びらを開かせた。オオイヌフグリの花もやっと咲いた。枯葉の散り敷く大地から青い可憐な花を咲かせた。陽だまりの土手を青く染めるほどに咲いていたよ。そして、散歩道の冬枯れの雑木林に真っ先に春を告げに来たアオモジは今、花満開。(椿と競演するアオモジ。天空に向かって伸びやかに花を咲かせています。)そこかしこに自生しているアオモジ林が新緑で染まってしまうと紛れてしまうが花の時期のアオモジはモノトーンの雑木林でひときわその存在を主張している。アップすれば、こんなに華やかな花春のお日さまの色したあたたかさ。アオモジは大木になってもしなやかで春の嵐にざわざわと揺れ、こんなにも、しなって空中ブランコしている。見上げると冬の暗い天空は去り、どこまでも高く青く広がっている空。1か月も遅れてっやってきた早春の野の花々天にも地にもようやっとことしもいのち輝く春。ありがとう!(私の散歩小径・森林公園・池の向こうに見える山々の雑木林もうっすらと萌黄色。いのちがうごめき始める前の静寂がただよう。)これらは昨日3月22日の私の散歩道の愛知・森林公園で撮影したものです。昨日は、急に4月上旬の気温となり、風も穏やかで暖かな散歩日よりとなり、ゆっくり散策出来ました。暖かさに誘われて少し遠出し、公園内にある植物園にも足を延ばしてみました。ヤブツバキの林の見事さ、梅林園の梅の芳しいあたたかさ。暗い厳しい寒さの後の解放感、喜び、年齢を重ね、寒さの応える身には春は待ち遠しいものでした。これらの花々、例年なら2月初めから半ばに見られるものですが今年は完全に3週間は遅れています。(例年なら、今ごろシデコブシが咲き誇るころですが、まだまだ硬い蕾でした。)私の散歩道の雑木林で今ひときわ華やいでいるのはアオモジの花です。この木は今までも度々紹介してきましたが、植物園に下のような立札が立っていました。花の時期には、その存在が目立ち人の手をあまり加えていない雑木林にはアオモジがどんどん増えて自生しており、こんなにも多くあるのかと驚くほどです。しかし、宅地開発の波が押し寄せ、その自生地はどんどん狭められています。残念なことです。
2012.03.22
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この数日、私の散歩道はにわかに寒気やわらいでキンキンと突き刺すような風はもうないほら、空の青にも春のひかり(シデコブシ:この地方で太古の昔から命つないできたシデコブシ。湿原と日当たりのよい適地の壊滅で、絶滅危惧種に指定されている。今年も厳寒に耐えてめぐり来た春に花咲かんとしている。)明るい柔らかな早春の陽ざし厳しかった長い冬を耐えて春を待つシデコブシ繊細で華やかな淡いピンクの花びらを今年はどんな表情で咲かせるか。アオモジ(アオモジ:クスノキ科ハマビワ属。南九州以南に自生。濃尾平野の東部丘陵地のこの地域に自生しているのは植物分布てきにも異例のことという。葉や茎は芳香放ち、枝は和菓子の爪楊枝に。)アオモジの花のつぼみは裸木の雑木林に真っ先に春を呼ぶその淡い黄緑色のはっとする明るさ光の春に華やぐ裸木ばかりの暗い冬空の散歩道を一気に明るい淡いみどり色のトンネルに変えたアオモジのつぼみ仰げばコブシは力強い鋭い枝を網の目のようにはりめぐらして満ちる陽光にまだ硬い蕾を温めて咲き満ちる日を待っている華麗な白の狂乱はこの力みなぎる枝から生まれるのか。光の春そしてソメイヨシノの裸木はまだまだ硬い蕾のままやさしげだが華やかな花を咲かせるソメイヨシノの裸木の枝はなんという優しい曲線。あの華やぎのエネルギーを静かに内に秘めて早春の陽ざしにざわめいている。明るい光にたわむれている。タンポポもやっと咲いた例年だと西洋タンポポは真冬でも花を咲かせていたのに、今年は、初めて今日咲いているのを見つけた。今年は立春を過ぎても昼間でも10℃超える日なく、早朝は零下の日が続いた。厳しい寒さ、ここ数日、やっと10℃を超える日が続いている。待ちわびた春暖かなブルーのなに溶け込んでいる春の息吹仰げば空は、今、まさに心弾む光の春。
2012.02.20
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私の散歩小径1月は窯垣の小径(洞町の「窯焼きさん」の住居が密集していた小径。この建物は窯元「寺田邸」を改修して資料館にしたもの。私が訪ねたときは、訪れる人なく、案内役の老婆が2人、おしゃべりしていました。庭の突き当りにある便所の便器はすべて、染付の陶器で作られている。)1月の私の散歩小径は、足を少し延ばしてその昔、やきものでにぎわった窯の町・洞何処からともなく甘い香り漂う雑木林明るい朝の光にまぶしくきらめいている蝋梅の花びら見上げれば何という巨木!ムクノキこのような巨木が窯跡のあちらこちらに聳える小径、その昔、やきものが隆盛をきわめたころには陶磁器を運ぶための天秤棒をこのムクノキを材にして作ったという。陶磁器を運ぶ荷馬車や天秤棒をかついだ担ぎ手たちがこの小径を盛んに往来したという。(窯道具のタナイタとツクが敷かれた道・道端に転がっているのはエンゴロ)上の写真・これが窯に通じる道。道に敷かれているものは古くなって使わなくなった窯道具。窯道具とはやきものを焼成するとき窯で使う道具写真手前からタナイタ(エブタともいう)エンゴロ(登り窯で焼くとき製品を保護するためにに使った)ツク(タナイタとタナイタをツクで組んでその間に製品を置く。円形の棒状のもの)(窯道具で組まれた垣根)窯道具で巧みに組まれた幾何学文様、自然灰の釉薬のかかったその色合いの美しさ長い年月の風雪に耐えた重厚さ。このような垣根を窯垣と呼んでいる。窯道具には屋号も刻み込まれて、その往事がしのばれる。今はほとんど残っていない登り窯。山の斜面にこのような窯が並び、周囲の山林から伐採してきたマツをマキにして窯を焚いた。往事には、黙々と黒い煙が町中を覆っていた。今はその活気なく、訪れる人もまばら。ムクノキもその役目を終えてただ、苔むす巨大な幹につる草からませてただ冬空の天空に向かってふるえるばかり。たびたびこのブログでも紹介したが私が所属している鉛筆画サークルのメンバーはほぼ全員(私以外)が80歳代である。その人たちがおしゃべりする話題の多くが陶磁器産業が栄えた若き日々のこと。更に講師の先生は陶器の絵付け師であったという。優れた絵師で、典型的な職人気質の方。その絵の本物さに私自身とても勉強になっている。その人たちに刺激され、瀬戸に来て25年になるが、あまり町のことわかっていないので、洞の窯の町を散歩してみた。(窯垣の小径にあった古びた窯元のショーウインドー。早春らしくお雛さまの人形が飾られていた)今はほとんど廃業に追いやられ、作家活動している有名な窯しかないさびれよう。ここにも日本の地域に根付いた伝統的な産業が時代の波にのまれ衰退していく現実がある。日本の産業構造の一端が垣間見られる。 ブログの写真のとりこみが2月から変更になり、ためしに新しいやり方でやってみたが、まだまだ慣れないため、時間ばかりかかりうまくいかない。今までのアップした写真はどこにいっていまったのだろう。心配だ。少しずつわかっていけばいいかとあきらめているが。
2012.02.01
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10月の森林公園今年の萩の花は10月になって、一斉に咲き始め今が盛り。萩は万葉人が愛でた花。万葉集のなかで最も多く詠まれた花は萩の花。万葉集には142首の歌が登場する。花を愛でただけではなく、染料に家畜の餌に屋根葺きの材料にと万葉人たちの生活の中に深く溶け込んで存在した萩。 今、私の朝の散歩道は朝露にぬれた萩の花がこぼれ咲いている。高円の 野辺の秋萩 いたづらに咲きか散るらむ 見る人なしに笠金村歌集(巻2・331)万葉人のこの歌のごと野山に優美に咲く人知れずに咲く山野のグリーンにほのかな薄紅白露に光る萩の花咲きこぼれる私の散歩道はイヌタデの赤い穂が秋の風にざわめいて、その下草は赤み増しやっと秋めいてきた。 イヌタデの群れに交じって、アメリカセンダングサやミズヒキソウなどやがて鮮やかな草紅葉となる私の散歩道 ススキの穂も黄葉した木々をこき交ぜて秋風に群れて揺れるよ 今年の萩の花の咲く時期は狂っている。ススキに交じって黄葉している木は実は、ハギの葉っぱなのである。この傾斜地の萩は、8月の半ばにすでに花咲き、9月初めには、花は散っていた。今、盛りと咲いている萩の花は、例年の1か月遅れで、もう今年は咲かないのかと思いきや10月に入り一斉に咲いた。これも、異常気象のせいだろうか。秋は実が熟す季節この山に多く自生している自然薯(じねんじょ)の実・むかご(ヤマノイモ: サトイモ科。山野に自然に生えているので「自然薯」の名がある。芋の部分は茎が地下にもぐり肥大化したもの。ナガイモの仲間でともにとろろ芋として有名)ほろほろとぬかごこぼるる垣根かな 正岡子規木々に巻き付いて伸び、むかごも豊かに実っています。この地方では、その昔、お正月には、暮れに山に行って掘った自然薯をとろろにして食べる風習がありました。(細くて長い山芋。固い山土から芋を掘る作業がたいへん。熟練と技がいります)掘り起こす先の先まで自然薯 稲畑汀子むかごは、むかご御飯として食べると自然薯の凝縮された味と、とろっとしたした山芋の感触がありとても美味しい混ぜご飯。山の幸です。白萩白萩は自生するものにはほとんど見られない。この写真の白萩も森林公園内に管理者によって植栽されたものである。数年まえまでは、この周辺は見事に白萩が咲きこぼれる道であったが、今年は、夏草の刈込時に萩の木も同時にあとかたもなく刈り込まれ、秋になってやっと再生した貧弱な枝に申し訳なく咲いているばかりである。近年、夏の草刈りは、草刈り機ですべての植栽をも根こそぎ刈り込んでしまう。草を刈っている人はそれで満足なのだろう。たぶん作業する人が、臨時雇いのアルバイトで植物の知識がない者が作業しているのではないかと思わざるを得ない場面にしばしばであう。特に萩の木はそうである。いつも生木は、夏草といっしょに一網打尽。萩はいまどきの人には人気がないのである。白萩の株を花を待たずに根こそぎに刈り取ることに心の痛みを感じないのである。万葉人の心は通じないのである。これは現代文明の一つの姿である。 今年の中秋の名月には萩の花は、早く咲きすぎたか、遅れて咲いたかのどちらかで間に合わせることができなかった。総じて、花の咲く時期が狂っており、今夏の盛りに咲く花は、秋の花と一緒に咲き競っています。この数年、このような現象が続いており、日本の四季の繊細さが、益々失われつつある。タイにも大洪水があり、数多くの進出している日本の企業がここ数日、操業停止に追い込まれているという。操業再開のめどが年内には立たないほどの大災害だという。世界的に異常気象なのである。地球異変なのである。
2011.10.13
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8月の森林公園私の早朝の散歩道に今咲いている清楚な白百合タカサゴユリ濃いグリーンに涼しげ。 (私の散歩道は今、高砂ユリがあちこちに群生して、清楚な花をさかせている。昨年までにはみられなかった光景。高砂ユリの繁殖力の旺盛さに驚かされる。) 暦の上では処暑もすぎ 私の散歩道も秋のけはい。草むらではコオロギやクツワムシなど秋の虫が鳴き、樹上からはツクツクボウシが鳴く朝の散歩道。 (タカサゴユリは台湾原産の帰化植物。この数年、濃尾平野の東部丘陵地帯の雑木林には、至る所にこのタカサゴユリの群生がみられる。亜熱帯地域に咲くこのユリ、気象異常の酷暑によって北上してきたのだろうか。) セミといえば今年の夏は異常なほどにクマゼミが多かった。今までこの地域(東海地域)はアブラゼミばかりで、クマゼミなどめったにお目にかからなかったのに。クマゼミは九州や沖縄地域など亜熱帯域なで多く棲息するセミだという。セミの北限が上昇している現われか。 (宅地開発により3つばかりの沼を潰した替わりに人工的につくった池の土手にも真っ先にタカサゴユリの種は飛んできて、2mぐらいの背丈にのびて咲いているユリ。朝陽を浴びて輝く白がまぶしい。) まさに今年の夏は亜熱帯のそれ。雨季と乾期が繰り返され、雨といえば豪雨、気温はほぼ毎日30℃前後。最近では35度以上になると暑いと感じ、30度の日など「今日は涼しいね」という挨拶を交わすありさまである。 (ガガイモ:上と同じ人工池の夏草に巻きついて伸びる蔓。その蔓から突き出して咲く薄紫の花。実が熟すと裂けて、絹糸のような長い毛を持った種子を風でとばす。その絹糸が銀色に光ることから昔の名はカガミ。なまってガガイモ。) 今年は福島原発事故により、電力供給に不安がありとかで節電を日本中が要求され、日本中が節電意識旺盛となった夏。真っ盛りの夏に、クーラーなどの節約をみんなが行なったためかどうかは定かでないが朝夕、昨年に比べると冷気があり、過ごしやすかった気がする。(これって節電の成果では?) (酷暑の夏、炎天で夏中咲き続ける百日草。花芯は成長し種がこぼれそう。その枯れた茶色に秋の匂いがする。) 15%節電の呼びかけで、電力供給は、80数%の需給率で毎日推移しており大停電など起こっていない。原発がないと、電力不足になるとか、経済が停滞するなどというのは嘘なのではないか?原発を維持推進するための宣伝ではないのか。 湯水のように、どんどん電力を使う生活。消費を大量にすることが経済成長。それが美徳である資本主義社会。 この価値観がこの夏は厳しく問われている。 濃いグリーンの雑木林の縁に上品でやわらかな紅色の花が今、盛りと咲いているクサギ(臭木)この木も荒地に真っ先に飛んできて素早く成長し、繁茂するため、嫌われもの。すぐに刈り取られる木。その葉はちぎると、嫌な強烈なにおいがするだから、臭木の名がある。でも、花の色はこんなに上品で、芳しい香り放つ。 そして、秋には実は瑠璃色に輝く。この実は、その昔、染料に用いられた。若葉は、ゆがいて煮物にすれば風味が生じておいしい。 でも、クサギは、だれにも見向かれることなく雑木林では刈り取られてしまって、秋を待たない。 私の散歩道にも花々は秋の気配。フジバカマに似た花野にあふれる。ヒヨドリバナ ほら、オミナエシも団地の庭からこぼれている。 そしてクズの花も咲き始めて 秋は忍び寄ってきた。 亜熱帯気候の夏2011年その気候に懸命に適応しようとして次々に花を咲かせている野の花たちである。
2011.08.28
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新緑の緑に白い花さわやか初夏の森林公園 わが東海地区は5月27日に梅雨入りとなり、29日には沖縄に台風襲来。日本列島も暴風雨が荒れ狂った。わが散歩道もほぼ毎日雨もよう。日に日に濃くなる緑の散歩道に鮮やかな白がひときわ目をひく。ヤマボウシ(山法師) つんつんと緑の葉っぱから葉柄をのばし純白の花びら(花序の苞)を広げ木一面を覆うさまは涼しげで清らか 近づいてみれば、ほのかにグリーンを散らした白の苞(花びら)その中心に緑の頭状の花のかたまり。 中心の頭状の花を法師の頭にみたて、花びらのように見える苞を頭巾にみたてて、山法師の名がある日本産のハナミズキ。 日本の梅雨の季節に似合う花ヤマボウシ私の散歩道はヤマボウシの花がしっとりと雨に濡れ清楚に佇んでいる。 ヤマボウシが咲き始まるのに前後して雑木林や家々の庭ににぎやかに咲き、一斉に落下して、地面を白の絨毯にするエゴノキの花 (学名:Styrax japonica Sieb.エゴノキ科の落葉小高木。北海道南西部から沖縄に生育し、朝鮮、中国、フィリッピンの山野に自生。果皮はエゴサボニンを含み、洗剤にする。有毒。種子は脂肪油が多く、小鳥が好んで食べる。材は玩具、将棋の駒、櫛などに用いる。エゴノキはこのように昔から日本の大地で生き人々の暮らしとともにあった。 水平に張った枝に、鈴なりになって下向きに、一斉に咲く。 エゴノキは「ヤマヂサ」の名で万葉集にも出てくるし、歌舞伎の「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ) にも登場する。 千年余りの昔から、人々の暮らしのなかにあり、親しまれてきたエゴノキ今年も見事に咲いて、初夏を告げている 繊細な花びら、雨にぬれ風に揺れ辺りに芳しい香り放すセンダンの花 センダンの古名は棟(あふち)。棟とは、もとは衣の襲(かさね)の色目のことで、表が薄紫なら裏は青、表が紫なら、裏は薄紫というように、夏衣の色の取り合わせ意味した。薄紫の色を古の人々はセンダンの花の色に例えたのである。 万葉集には山上憶良の「棟」を詠んだ歌がある。 妹が見し棟(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干(ひ)なくに 「枕草子」には「木のさまにくげなれど、棟(あふち)の花いとおかし」 とあり、センダンの花も古くから日本人の心を捉えてきた。そして千年余り経た今も芳しき香り放ち、新緑茂る木々の合間にひっそりと咲いている。 5月になると日々濃くなる若葉の上に雪が降り積もったかのように純白の花びらを一斉に咲かせるヒトツバタゴ 別名:なんじゃもんじゃ 木曽川流域の愛知県や岐阜県に自生する。近隣の市には300年にもなる大樹もあり、その群がる白の見事さ。 花びらの先にしたたる朝露きらきら光る。 散りゆくとき、はなびらは花糸のような細い糸をたらしてくるくると回りながら落ちていく。 くるくるくるくる春の嵐に乗って花びらが散ってゆくさまは壮観 まさに「雪が降る」である。 アブラギリの花 (油桐) 2010/08/14「ナラ枯れ」とアブラギリの記事では、このアブラギリの実について書いたがなんとアブラギリの花は5月の初めに咲いていました。 このアブラギリは「油の木」終戦前までは、この木から油をとり、いろいろなものに利用されていたことを前にも書いた。アブラギリも日本の人々の暮らしのなかで長い歳月を生きてきた樹木である。 (落下したアブラギリの花) 先駆けて咲くヤマザクラやカマツカ、マメナシが淡い色で可憐なのに対して、続いて咲いたアブラギリの花はちょっぴり艶かしい。 最近の政治について思うこと これらの花々がこの大地にいのち繋いできた その時間の永さに思い馳せるとき、人間が「想定する」過去の出来事などほんの100年ばかりの「短い瞬間」。 天災による災害は自然の力によって修復することが出来る。でも人災による汚染、破壊は自然を破壊しつくして元に戻すことは出来ない。今、日本の政治は混乱に混乱して迷走状態。政府に指導力がない、菅ではだめだと日本中が大合唱。今の日本の状況では権力を振り回す政治家など不在のほうがいいのではないか。政治家はでくのぼうでいいのだ。 底辺で日々奮闘している国民がそれぞれの専門家たちと協力して自分たちで、コミュニティを建設していった方がいい。そのような国民ひとりひとりの自立した民主的な活動こそ明日をつくるエネルギーだ。 政治家などただその国民の活動を補佐するだけで十分。日本の首相は、もうすでに何年もまえから不在の状態である。それでも日本の社会は十分機能している。それぞれの分野で、みな頑張って生きている。
2011.06.01
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可憐に野の花咲いて 私の散歩道・森林公園はソメイヨシノやヤマザクラの花の時のあとに樹木の芽吹きの時を迎え一気にまぶしいほどの緑の世界へと変貌した 銀色がかった淡い灰緑色のコナラの芽吹き淡い黄緑色のクヌギの芽吹きなど明るい緑色から真っ赤なものまで何段階もの色のみどりが幾重にも積み重なって雑木林の芽吹きの時はまことに美しい色のシンフォニー コナラの花 大空に向かって枝を張りめぐらし伸びるコナラの若葉の淡い銀色に輝く灰緑色の美しさは格別である。そして花(雄花序)は垂れ下がる黄褐色の房春の嵐に激しく揺れてその地面は黄色に染まる。 ガマズミ (スイカズラ科ガマズミ属) 若葉で緑になり始めた雑木林にはっとする白さ清々しい白ガマズミの花 可愛らしい花 秋には真っ赤な実をつけ熟すと甘酸っぱい葉っぱの紅葉も鮮やかなガマズミ サワフサギ (沢蓋木) (ハイノキ科ハイノキ属。沢沿いや湿地はえる。沢をふさぐように茂ることからこの名前がある。)冬枯れの色がまだ勝っている雑木林に黄緑色の若葉を茂らせて枝先に小さな花をびっしりさかせる。たくさんの花に長いオシベが群がって、花のにぎやかなこと。秋には、美しい藍色の実をつる。春も秋も林を華麗に彩るサワフタギ別名・ルリノミウシコロシ ガマズミやサワフタギの白い花が盛りを過ぎるころ咲く白い花 カマツカ(鎌柄) (バラ科カマツカ属。材が堅く鎌の柄に使われたことからこの名がある。別名・ウスコロシ 牛に鼻輪をつけるときこの枝で穴をあけたことに由来。) 濃い緑や灰銀色の薄緑や黄緑などわかばの幾重にも折り重なる林にカマツカの花の白が浮き立つカマツカの花 梅の花に似た小さな花が10~20個も集まって咲きパラのような香りを放っている 花びらも丸っこく可愛らしいが蕾もまん丸秋に真っ赤に熟した実は甘酸っぱく美味しい葉っぱの紅葉も美しい 樹木が芽吹きを次々に始めると林床にも冬から目覚めた草花たちがそこここに可愛らしい花を咲かせる カタバミ(傍食) 日本の田や畑や道端など何処にでも地面を這って覆い尽くすカタバミお日さまの方向に背伸びして可愛らしい花を咲かせている アカバカタバミ 三っ葉の葉が赤茶けた紫色。冬枯れの名残りかと思いきやアカバカタバミという別種だという ヘビイチゴ (バラ科ヘビイチゴ属。ヘビが食べるからヘビイチゴの名があるという。有毒ではないが、美味しくない。)林の道端に這って伸び木漏れるお日さまむかって花咲かせている。蛇が出てきそうな草むらに群がって生えていた。赤い実もあちこちに熟してる。 ノミノフスマ (ナデシコ科ハコベ属。ハコベやカタバミと同じく田畑や畦や道端や草地に生える) 七草のハコベに似た小さな白い花花びらは5枚。中央で深く裂けているので10枚のように見える。名の由来は小さな葉っぱをノミの衾(布団のこと)にみたてたもの 何という可愛らしい名前なのでしょう。蚤(ノミ)までを愛しんで身近に感じているさまが名前に現れています。昔の人々は野の草にまでやさしい気持ちで眺め暮らしていたのでしょうか。 キュウリグサ(胡瓜草) (ムラサキ科キュウリグサ属:日本全国の畑、道端、畦に生育。越年草。花期3~5月。花序の先は渦巻状。花をさかせながら次第に伸びてまっすぐになる。) 春になると毎年道端に群れるように咲く小さな小さな淡いブルーの花キュウリグサ花の径は数ミリの小ささ。しゃがんで目を凝らさなければ花が咲いていると気づかないほど。誰にも気付かれることなく道端で踏みつけられている。 林の縁や道端にひそやかに咲くこれらの野の草花たち 華やかな春の花、花のなかにあって、小さいいのちを脈々と日本の野に繋いできた。人々からはむしろ疎まれながら雑草としてたえず刈り取られながらもへこたれず、今年の春も可憐に野に在る草花たち 以上は4月の下旬、若葉がまさに芽ぶかんとするころの花々たちである。芽吹き始めた林の美しさ、その色の変幻自在さ、日々刻々と変化している木々の色、その感動は毎年のことながら年齢をかさねるごとに微妙に変化している。大きく変貌する林のなかでは林床でも、小さな野の草花たちが次々に花を咲かせてる。モノトーンの冬枯れの後にやって来るこの生き物たちの変容していくさまは「生きている」ことの不思議や神秘を実感せずにはおれない。 今、5月中旬の私の散歩道はしっとりと濃い緑したたる新緑になっている イロハモミジの葉っぱはぐんぐん伸びて天を覆いお日さまを遮りみどりのシャワーとなっている。 イロハモミジ 初夏の到来である。
2011.05.10
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芽吹きの季節 4月半ばの私の散歩道は満開のさくらもほぼ散って葉っぱが芽吹く季節へと移ろうとしている。 春のイロハモミジ 秋には鮮やかな紅葉で 人々の心に深い感動を与えるイロハモミジだが春にはこんなに美しい紫色の花を咲かせる若葉の明るい緑に映えるモミジの紫 ウグイスカグラ(鶯神楽) (スイカズラ科スイカズラ属) 落葉低木。別名、ウグイスノキ鶯の鳴く頃に咲き始めるのでこの名があるという。 下向きに咲いた紅色の可愛げな花芽吹き始めた新緑の林を明るい雰囲気にするウグイスカグラ 初夏には透き通った赤い実をつける。実は甘くておいしい。 (日本特産種で北海道以南から九州の山野に分布) そして日陰の林床には ショウジョウバカマが (ショウジョウバカマ属、多年草。葉根生。丘陵地や湿り気のある林のへりなどに生え北海道~九州、朝鮮、ロシア極東に分布。) 芽吹きはじめた夏草のあいだからすくっと伸びて淡い薄紅の花びら林のなかに華やぎをもたらす。そして可憐な菫たち タチツボスミレ 丸みある花びらやさしい水色ハートのかたちの葉っぱ私の散歩道の森林公園には色々の種類の菫がいっせいに咲き群れている コスミレ(小菫) 濃いブルーの小さな可愛い花卵形の葉っぱコスミレ ヒメスミレも(姫菫)群れて咲いていた この他にも白い色のフモトスミレやアオイスミレが咲いている。 湿地の観察池で見つけた ハルリンドウ 今年は寒さがいつまでも続いたせいか、咲いているのを見つけたのはこの一輪だけ。小さな花が枯葉の間から澄んだ濃いブルーを明るい日差しを浴びていっそう深く輝やかせていた。 ヤマザクラかと紛う マメナシも一斉に咲き始めた マメナシは中国に主に分布。日本にもまれに自生している。遥か昔、中国と日本が陸続きであったと推定される生きた化石といわれているマメナシこの地域には、そのマメナシの稀なる自生地として辛うじて生きながらえている所がある。 このマメナシの写真の背後に見えるのは今、満開のオオシマザクラ 葉っぱが出るのと同時に花も咲く 大振りの白い花葉っぱの緑に花びらの白が映え白はいっそう白く緑はいっそう若緑に清々しく美しい 樹木の丈10メートルほどのオオシマザクラ満開見事な枝ぶり圧倒される花の白朝日を浴びて萌黄色の林を背にして燃え立つソメイヨシノは花びら地面に散り敷いて今は花蘂 花蘂の紅朝の陽光にきらめき私の散歩道は今春本番はなやかにやさしげにいのちあふれる
2011.04.19
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春本番の始まり 私の散歩道・森林公園は、この数日でサクラ咲き始め、まだ満開とはいえないが、にわかに色めき、いのちざわめき始めた。 寒緋桜の濃い紅とユキヤナギの白淡いピンクのソメイヨシノが見事に競演して一気に散歩道は華やぎをみせている。 公園内で最も早く満開になっているしだれざくら平日で春休みも終った公園内は閑散として三々五々と散歩している人々が花爛漫を楽しんでいます。 ユキヤナギとさくら濃淡の紅が幾重にも重なり合ってまさに色のシンフォニーいざ、飛び立たん! アオサギさんも爛漫の桜の木の上から高見の見物。気持ち良げにお花見していた。 爛漫と咲き誇る花の傍らに濃い紅色に煙っている枝枝ハナノキ (花木) (ハナノキ:カエデ科カエデ属。落葉高木。雌雄異株、別名ハナカエデ。花期4月、果期五月。自生地は愛知・岐阜・長野県の隣接した限られた地域。愛知県の県の木でもある) 近づけば、密生して枝につけている小さな花はこんなにも鮮やかな深紅の花。 これは雄花深紅の花糸の先端に黄色の葯をつけている。とても繊細で美しいやがて濃い赤色の葉芽が芽吹き濃緑の葉が茂る大樹へと移ろうであろう。そして、シデコブシ満開 この地方の春を告げる花シデコブシ(宅地乱開発のため絶滅危惧種)今年は咲くのが遅く桜の花と共演 繊細でありながらあでやかな花びら。どの花も北の方向を向いて開く。昔、山のなかで方位を知る花でもあったという。 私の散歩道はやっと春本番 明日は東京都知事選挙 東北関東大震災から1ヶ月が経とうとしている。ますます被害の甚大さがあらわリなリ、復興への厳しい道程がある。 この美しい春がきっと被災地にもめぐりくるはず。それは自然の摂理、人間の力では抗することの出来ない自然の摂理。 この震災から私たち人間が何を学びとり立ち上がるのか、今、日本人すべてに問われているテーマではないのか。 コマーシャルで盛んに流している、「ニッポンはひとつのチーム、がんばれニッポン!」などと扇動しているが、ほんとうにそうか? この震災から何を学び、どう復興していくか。その復興の仕方は、この災害をどう総括するかにあり、そこには厳しい世界観の対立があり、そのせめぎあいがあり、社会の深いところで人間の生き方にたいする対立がある。 東京都知事選が明日10日おこなわれるが、これとて、「どちらかといと自分は原発推進者。東京湾に原発をつくってもいい。それぐらい日本の科学は進んでいる」と言い切ってはばからない石原慎太郎を再度都知事に選ぶのか。その選択は明日の日本をどう復興するかの方向にも関係する事ではないだろうか。 若い夫婦が住む2DKの狭いマンションが家賃24万もするような東京。(狂気の沙汰)押しつぶされそうな満員電車に1時間も1時間半も押し込まれ、仕事場に毎日通う東京で働く人々。生活の先行き不安で結婚もためらい、子ども作ることに躊躇する人多い東京。人らしい暮らしとは何か、豊かさとは何か。、 このようなことを自己責任だけで解決できるというのか? 今回の震災の復興をどうするかは、このような都市のありようも深刻に関る問題だ。このような東京のあり方に、黙っている、怒らない。これが日本人ではないのか。 「日本の力は団結力。ガンバレ、ニッポン!」などというコマーシャルが盛んに流されているが、このコマーシャルこそ空恐ろしい。 東京都知事選がどのような結果になるか注目。都民の良識に期待するところ大である。
2011.04.09
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やっと春色の森林公園私の散歩道の雑木林はこの数日、若芽がうごめき始め淡い紫がかったもやが立ち込めているかのように煙っている (中央左に見えるクリーム色の樹木はアオモジ) そのうごめき始めた木々の間にひときわ目立つ白何かしらこころ華やいで近づくと アオモジの花満開 雑木林のあちらこちらにアオモジの花咲き厳しかった冬の寒さにも枯れた裸木の林でやわらかな淡いグリーンの花芽を枝に蓄えて春を待っていたアオモジ ほら、こんなにも華やいで春 春にいちはやく花咲き、独特の匂いで春の訪れを告げる ヒサカキ (ヒサカキ:ツバキ科ヒサカキ属。照葉樹林域ならばどこでもどんな森林にも生育している。) 数ミリの小さな花目立たぬ花のあつまり誰にも気付かれないでも早春に花咲き果実はゆっくりと成長して冬に熟す。1年間黒い実をつけているヒサカキ実が少なくなった時の鳥さんたちの格好の餌となる黒い実。 冬でも黒々した緑の葉を豊かにそよがせている馬酔木(アセビ)春が来ると鈴なりに白い花をさかせる アセビ その花の白その葉の濃き緑のコントラストはむせかえる若葉の春の到来の前の束の間の静寂 この白さなんという明るさよなんという清々しさよ おひさまの方を向かないで寒い北風にむかって咲くシデコブシ まだ寒い 冷たい風に繊細な花びら震わせてやっと咲いたシデコブシ絶滅危惧種のシデコブシ適度な湿地明るい日差しある湿原がどんどん狭められ生育環境を奪われてほそぼそと生きながらえながらも 太古のむかしからはるかなる歳月をいのち繋いできたシデコブシ今年もおくれながらも花をさかせた。 そして次に来る。華やぎのサクラ咲く春爛漫が。 その先頭を切って咲いた カンヒザクラ 萌黄色にまさに変わらんとする林に突如、鮮やかな緋色の花が現れた色とりどりの花咲き乱れる前触れ。花びらを垂れ重たげに咲く。 オオシマサクラももうすぐ花開く 葉っぱも花とともにいずるオオシマサクラ香り高い葉っぱはさくら餅を包んで私たちに春を運んでくれる。ソメイヨシノの蕾もだいぶん膨らんで 爛漫の花吹雪を旅立ちの春に乱舞させることだろう そんな春がもうすぐそこにいる。
2011.03.25
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やっと春来る 今年の歌会始めの美智子皇后歌お題「葉」 おほかたの 枯葉は枝に 残りつつ今日まんさくの 花ひとつ咲く 今日、私の散歩道・森林公園でマンサクが咲いているのを始めて見た。その花を見たとき、美智子皇后のこのお歌が思い浮かんだ。浅き春、冷たい震える空気マンサクの震える花びら繊細な花びらその黄色のあたたかさ 春にまずさくマンサク春を待ちわびた今年はとりわけマンサクの黄色はいのちざわめく春の到来をつげる喜びの色 (枯木のなかにまず咲く、マンサクが春を告げにきた)この冬は格別に厳しい寒さが続き 日本海側の地方に大雪をふらせ太平洋側のわが地方は、身を切るような冷たい空っ風に震え上がる毎日であった。気温も連日氷点下1℃~3℃が続き近年、温暖な冬に慣れたわが身には堪える厳しい寒さであった。2月になっても寒かった暗い冬空に震えるハンノキの花。 (ハンノキ:カバノキ科ハンノキ属。水湿のある低地に生育、田の畦などにも植える。稲を干すための稲木としても利用。根は根瘤菌を持ち、肥料木としても有用)暦の上では春立つ日2月4日にやっと文字通りの春が来た。この日より急に春めいて昼間の気温は10℃を越え3月上旬の陽気となった。(春の明るい日差しに揺れるハンノキの花穂。真冬といってもいい季節から花を咲かせる。「ハンノキ」は開墾の意味。古語「墾(はり)」が語源で「榛の木(ハリノキ)」の別名がある。 光の春かがやく春の陽光にハンノキの赤い花穂がざわめく (ハンノキの雄花序・穂のような花は開花前や咲き出しのころ赤みがつよい。この花穂が大空にむかって伸びて咲くさまは雄大で壮観)真冬の枯れた雑木林でひときわ目立つ赤厳寒の静寂の林に何かしらほっとするやさしい赤にわかに春めいていのちのかすかな息遣いが聞こえる (アオモジの花芽。真っ先に春を告げにくる木。アオモジは一般的には南九州以南に自生しているが、濃尾平野の東部丘陵地の古虎渓から森林公園に渡り、例外的にこの雑木林に自生しているという。分布的にも、この地域に自生しているのは、異例とのことである。) アオモジ春を告げる木淡いグリーンの花芽を冷たいからっ風に晒して冬を耐えて春を待つ枯れた木々の林のなかで、堅い花芽ばかりの雑木林のなかでひとり、やわらかな淡い緑の芽をグリーンの枝に蓄えて (アオモジ :クスノキ科ハマビワ属。アオモジは西日本に分布。 北日本や日本海側には同科のクロモジ分布する。共に葉や枝をちぎるとよい香りがする。この枝は和菓子の楊枝に用いられる)光の春に真っ先に花芽を膨らませている緑のやわらかな茎を折ればほのかな芳しき香り放つアオモジツグミがぴょんぴょんと枯れた大地を飛び跳ねて餌を啄ばむ その枯れた原っぱにも今日はやっと春が来た、 ほらイヌフグリの可憐な花が雑木林に囲まれた暖かな陽だまりの枯れた野にコバルトブルーの花びらをのぞかせてあたり一面を緑のはらっぱにした。やっと春が来た。厳しかった冬に耐えて冴えたブルーをいっそう青に染めて、春の扉を叩いてくれた。
2011.02.07
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森林公園の翡翠(カワセミ) 宝石の翡翠(ヒスイ)のあの深い緑色はこのカワセミの色に由来するという 全長は15~7センチほどの小型の鳥なのに口ばしは不釣合いなほどに長く川の中の魚を見つけると急降下して水に飛び込み魚をくわえて川面から飛び出てくる。美しい青緑の羽根を広げて停空飛翔する姿は一瞬の間であるだけになお美しい。 このカワセミさん、今、川の中を泳ぐ魚をねらっています。 この杭から、次の瞬間にぱっと池に飛び込み、一瞬にして魚をくわえて又、杭に止まりました。 (私の技術ではその姿撮影できず残念!) この鋭い目鋭い嘴ちーちーと鋭い澄んだ金属音で鳴きながら、林のなかに消えました。 このカワセミを絵手紙にしようと挑戦中。まだ満足いくもの描けていませんが。 これは、11月末の昼下がりに撮影したものです。 カワセミを求めて朝早くから撮影しようとするカメラマン諸氏が多いのが森林公園内の池であるので、このカワセミさんもモデルとして多分カメラ慣れしており、コンパクトデジカメしか持っていない素人でへたくその私にも撮影チャンスをくれました。 カワセミさん、ありがとう。 カワセミさんが住める自然は人にとっても豊かな自然であるはず。 すぐ近くまで、宅地化が進行しており、無計画に、森が破壊され樹木や沼や池がどんどんなくなりつつあるこの周辺 川や池に棲む生き物やその森に棲む動物たちも棲む場所をどんどん狭められています。 カワセミの飛交う自然はその意味からも人が守らねばならぬ自然です
2010.12.12
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私の朝の散歩道森林公園はこの一週間で、あっという間に晩秋の装いとなっている。 モミジは一気に紅葉し、クヌギやコナラの木々は黄色を秋のやわらかな陽光を浴びて一層、黄をまして輝いている。、 これでもか、これでもかと秋色の木々が積み重なって迫ってくる。 ナンキンハゼの白蝋の実ははなやかな花のようその背後の木々の黄緑、黄色、オレンジ、朱、茶と微妙に変化して山肌を下りるてくる雑木林 とりわけ、鮮やかな赤秋の陽光に燃える赤 このモミジの向こうに広がる池大道平池 池辺では、南米風の民族衣装の青年2人わんちゃん2匹 ギターとドラムの伴奏で大声で楽しげに歌を歌っている。躍動しています。 太鼓の激しいリズムが水面に響く 紅葉で燃える木々水辺はきらきらと陽光きらめき深呼吸すれば思わずこころ開いて歌が出るわんちゃんもその穏やかで美しい景色になごんでおりこうさん(勝手に駆け出したりしないで、いつまでも、カメラ目線で私を見ています。) 山茶花も暖かな陽光をうけて満開 燃える紅葉した木々たちと競演している。花の蜜を食べにきたムクドリたちが山茶花の大木のなかでけたたましく鳴いて、飛交う。 どこまでも、どこまでも続く山茶花の道 少し、小暗い山道に入れば、ほら、もうフユイチゴの実がこんなにも熟している。 真っ赤に熟した実には荒々しいトゲがいっぱい。 夏には、歩くと足に絡まるほどに茂っていた蔓可愛らしいが目立たぬ小さな白い花をつけていた。 (ふわふわの枯葉の絨毯のなかに、緑の葉っぱの下に、真っ赤な実をつけている。食べるとほのかな甘味、野生のあふれるイチゴの味) 今、その花は、こんなにも、びっしりと、赤い実をつけた。 酷暑の夏にもめげずに。 フユノハナワラビ 落ち葉散り敷かれた土手にひょっこりと現れたフユノハナワラビ 胞子嚢が花のように金色に輝く、枯れた土手に鮮やかなグリーンの葉。冬だけ現れて春になると消えていくフユノハナワラビ 山のなかで真っ先に紅葉するヤマウルシ まだ他の樹木が緑の葉っぱをそよがせているのにひとり赤く燃えるヤマウルシ他の木々が紅葉し盛りの今もいっそう鮮やかな透き通る赤でひときわ目立つヤマウルシ 褐色の実だけが、木にしがみつき寒空に震える冬がそこまで来ている 山里の秋はまさに今移ろう季(とき)この一週間ばかり、風邪で朝の散歩をお休みしている間に秋は一気に進み、終わりへと近づいている。私の散歩道は、県有林のため、管理され保護されているので、美しい四季折々の変化をみせてくれています。自然のもつ恵みを、ひしひしと感じることのできる環境が保持されています。しかし、そのすぐ傍、森林公園と境界をなしている近隣では、山ごと破壊して、狭い一戸建ての建売住宅が売り出されており、その破壊ぶりはすさまじい。一本の木もなくなるまで、山を壊しています。 なぜ、もっと自然と調和した開発ができないのでしょう。
2010.11.29
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森林公園もう晩秋 私の早朝の散歩道はこの数日は小寒くまだ十分に紅葉をしていない葉っぱたちが冷たい木枯らしのような風に舞い散っている(朝日を浴びて輝くケヤキの落葉) ケヤキの木々だけは日毎に黄葉し赤茶けて一面ケヤキの葉っぱの絨毯 たわわに実るヤマガキ 公園のヤマガキは鈴なりになって嵐のように強い風に揺れています。 7月には欝としい灰色の梅雨空をぱっと明るくしたトウネズミモチの白い花の群れは今、灰色がかったブルーの実を見事に実らせています。 シャシャンボも実をつけました。 シャシャンボも梅雨のころ煙る雨のなかに白い花を咲かせていた木々です。 ほらアケビもほんのりと淡い紫色に いまにもはじけそうに 熟して巻きつく蔓を風に激しくゆらしています。 甘い乳色の実が割れた果皮から顔だすと待っていましたとばかりに小鳥さんが飛んできて、あっといまにというまにもぬけの殻 (この紫は絵の具ではなかな出せない微妙な色。自然のなかでしか作り出せないはっとする紫色です。) 殻だけになったアケビは必死に蔓にしがみつきただ、木枯らしにゆれているばかり。 公園内に多く植栽され真っ先に美しく紅葉したナンキンハゼ 赤、紫、黄、緑など葉は美しいグラデーションになって鮮やかな色のハーモニー。遂には樹木全体が秋の空に真っ赤に燃え上がる。 (ナンキンは中国からの渡来を表わす言葉。かっては、ハゼノキ同様に果実の種子からロウをとっていた。) そして、実の殻がはぜると白い種子がロウソクのように点々とちりばめられる (このナンキンハゼの木は、白い花がさいたように華やかな大木。左の緑の葉っぱの大木はまだあまり紅葉していませんが、果実はすでにはぜて、白い種子が花のように散りばめられています。小鳥たちが、盛んに実を啄ばみにやって来ます。) アップするとこんなに美しい種子ナンキンハゼの実 (ナンキンハゼの花:7月に撮影したもの) ナンキンハゼの花は7月ごろ毛虫が這っているように穂となって大樹を多い尽くしていた。とてもユニークな花 20mにもなる高木のナンキンハゼの木々のはるか上空を毎朝のように舞う凧 凧作り、凧上げ名人芸のおじいさんこれは中国凧と言うのだそうだ。中国では、このような凧の絵を描く絵描き職人がいるという。 5mmにも満たない細い糸に乗って悠然と森の上空を舞う鳥の種類も多く鷲、鷹、鶴、カササギなど紙と竹ヒゴでつくられた凧なのである。 その大空に舞う凧は本物の鳥とまがうほど。 池には水鳥も飛来しにぎやかになってきた。 水面にも秋が。鴨たちがたくさんやって来て泳いでいます。 、森林公園の池には水面すれすれにカワセミが魚をとらえて低空飛行する。 鮮やかな青、鋭い直線を川面すれすれに残して飛び立つ鳥・カワセミそのカワセミを追ってカメラマンたちが毎朝、熱心に早朝から寒いなか、カメラを構えて列をなす水辺 森林公園の早朝はかくして趣味を楽しむ年配者たちでにぎわっている。 その公園に寒い冬が近づいている例年なら、けやき、こなら、くぬぎ、そして、もみじ などが紅葉、黄葉をはじめ、木々が燃え始めるのが今頃であるが、今年は、紅葉の始まらぬまえに、葉は赤茶けて折から、吹き始めた冷たい季節風に散り始めている。 トウネズミモチ、シャシャンボの花の姿は2010/07/05 梅雨の森林公園の日記で書いています 冨士子婆の近況。大学の公募の推薦入試始まり、この婆さんも私のところに勉強にきている大学の受験生とねじり鉢巻。てんやわんや、プレシャーかかり大変である。さらに、高齢者たちからお呼びがあり、話しの聞き手となり、さらに、さらに、今日など孫のちーちゃん熱出し、保育園お休み。預かることに。あわただしく、老い行く体力に鞭打ち日々が過ぎている。趣味の絵手紙や陶芸にも、時間割きたいがままならぬ。この状態は、喜ぶべきか、哀しむべきか。悠々自適の老後には程遠いが。朝の散歩で出合う、趣味悠々のお方たちをみるにつけて、老後はどのような生活設計をすべきか、老後とは80歳代ぐらいをいうのだろうかなどとあわただしさにまぎれて、考えるこの頃である。
2010.11.11
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さくらの花咲く秋の森林公園私の早朝の散歩道・森林公園は秋爽やか、白露がきらきらと宝石のように光る道。しかし、花たちには色々な異変が起きている。9月始めに落葉し始めたさくらの樹木たちは今、あちこちと、花を咲かせている。(森林公園内のさくらの大樹は、ほぼ落葉を完了し、あちこちで、ちらちらと花を咲かせている。秋や冬に咲く種類のさくらではなく、春に咲くソメイヨシノが花を咲かせている)暑すぎた夏を越えてさくらたちにとっても快適な涼やかな日々の到来春と間違えて、狂い咲いているよ。ザクロの花も高い秋の空に思いっきり枝を伸ばして、若葉を芽吹かせ、花を咲かせた。 赤く熟したザクロのその同じ木の上で花々も共演している。色づく実に秋の到来を知るザクロ今年もたわわに実って、はじける秋がやって来た。 山吹の花も暑かった夏のあと、気持ちのよい日々の到来に冬の準備を忘れて狂い咲いている秋(山吹の花は一枝が狂い咲いているのではなく、あちらこちらと三々五々と咲いている。)盛夏に鮮やかに咲くノウゼンカヅラも百日紅も10月になっても、まだまだ次々に花を咲かせている。しかし、一方では散歩道がほのかな甘いかおり満ち満ちた朝見上げればキンモクセイの花「今日から10月なんだ」とはっと気づかせてくれたキンモクセイの花。なんという正確さ。朝靄でかすむ家々の路地にキンモクセイの香りこぼれる町内中の庭からキンモクセイの香りこぼれる。ハナミズキ9月の半ばにはすでに紅葉始め、10月の初めにはほぼ色づきを完了しているかのように見えるハナミズキ例年のハナミズキの紅葉は色鮮やか、その赤の深さ褐色へと変わる色の微妙さ、もっと秋が深まる冷え込む朝にはっとする赤で楽しませてくれたのに。今年のハナミズキはだらだらとよごれた茶色を色褪せた赤を曝して落葉しようとしている。ハナミズキの並木道一斉に紅葉しないで、個体ごとに思い思いに葉を枯らし始めている。これが亜熱帯的な気候の秋というものなのか?私は亜熱帯に住んだことがないので分からないが、日本の古くからのはっきりした四季がなくなりつつあることは確かなことである。植物たちも、てんでんばらばらにその気候の変動に順応しようとしているかに見える。これがこの秋の私の散歩道である。一斉に染まるあの日本の紅葉を今年は見ることができるだろうか?(森林公園のため池。朝いつも池の真ん中の枝にとまっている鳥。くちばし黄色羽毛は灰色。朝の陽光浴びてきらめく池も、少しづつ秋の気配。)
2010.10.08
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やっと秋この週は朝の気温が27℃前後となり、爽やかな秋の風渡り、日の出とともに散歩する早朝は爽やかなことこの上ない。 私の散歩道、森林公園にも秋は足早にやって来ている。朝靄にけむる公園で、カラスは落下したツブラジイの実を盛んに啄ばんでいる。人間さまが拾って生で食べても美味しい実。カラスさんは、さすがだね。真っ先に食べに来た。(ツブラジイの実。熟すと殻が割れて実があらわれる。10月中旬ごろに熟す。しかし、今年はすでにどんどん未熟なまま落下している)春には金色の雲海となったツブラジイの花連日35度を越えた夏をしのいで秋を迎えたツブラジイの実熟すのに1年半かかりこの秋の果実は昨年の花から実を結んだもの。この猛暑が、今年の春、開花した花は、来年、結実するかどうかはわからないが。今年の実は鈴なり。でも、すでに未熟なまま落下している。「ナラ枯れ」の痕(ナラ枯れのクヌギの大樹。大枝の切り取られた痕が痛々しい。しかし、この木はまだ枯れ切っておらず、別の枝は最近の雨や気温低下で、かなり生気とりもどし、力強く枝を張っている)南方系のカシノナガキクイムシの害で猛威をふるった「ナラ枯れ」森林公園内のクヌギやコナラの大樹は、次々に切り倒され、明るい森になった。辛うじて枯れる寸前で、復活した木々もある。色褪せた葉っぱがかろうじて残り秋の準備をしているがドングリの実はほとんどこの写真のような状態で地面に落下している。 その一枝を拾って絵手紙にしてみた。この枝の切り口、よく切れるナイフで切り取ったように鋭く切り取られて落ちてくるのである。こんな状態で地面に次々と落ちてくる。その道を歩くとパキパキとドングリの実がつぶれる その音が心地よい。冬の芽もしっかりと準備され、来春を待つクヌギ来春を待つことなく消え行く芽たち。来年はカシナガムシが異常に発生しないように祈るばかりである。よい香りに誘われて、見上げれば日当たりのよい林の縁に咲いていたクズの花 どんどんと天まで這い登るクズの蔓 その先に乾いたブルーの秋の空 秋は忘れることなくやって来た26℃のこの爽やかさ26℃のありがたさ 白鷺も暑かったこの夏を生き延びてまたやって来た朝の陽光きらめくこの沼地で心地よげに餌をついばんでいる関連記事 : 「シイの花燃える初夏」 2010/05/13 「ナラ枯れ」とアブラギリ 2010/08/14 今年の夏は、とりわけ8月、わが地方は、ほぼ毎日が35℃前後早朝でも30℃前後で、日の出前に散歩しても、全く冷気が感じられない日々であった。この1週間は、早朝の気温はほぼ26℃前後となり26℃のありがたさが身にしみる。日中は30℃ぐらいになっているが、30℃って、過ごしやすい。このところ生活そのものも、快適で、仕事もかなりてきぱきとできる。明日は「敬老の日」とかいう国民の祝日わが子どものころは、この1週間の気温が真夏の日々であった気がする。この気候の変動は今後どうなっていくのだろう。
2010.09.19
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8月末日の森林公園 サクラの落葉始まって9月となる 私の朝の散歩道の木々や花々はすでに秋の装いを始めている (早朝の空にサクラの裸木が浮かび上がる。さくらの大木すでに葉の半分ほどは落葉して、天空を仰ぐことできる。)森林公園のサクラの木々はすでに、その葉っぱを紅葉させ始めどんどん散っているはらはらと舞い散っている 綺麗に刈り込まれ手入れされた芝生の広場それを取り巻くサクラ並木葉っぱは無残にむしりとられてまばら。半ば裸木となり、いつもなら、サクラの葉っぱ生い茂る小暗い散歩道であるのに、今朝は天空を仰ぎ見ることできる明るい道。地面をみれば、ご覧のとおり、落ち葉が散り敷かれ、秋かとまがうほど。 このまま行けば、あの日本の秋に鮮やかな紅葉をみせるサクラはなく、冬の枯木へと移り行くのでは。 (朝の散歩道。大きなサクラの木々は8割がた落葉している。写真中央の葉っぱまばらな大木はサクラの木。芝生にはカラスもいるよ) 池辺彩るはずのニシキギももう、すでに紅葉は始まっている 春には、新芽が鮮やかな赤色のアカメガシワ 雌株には、もう果実がこんなにも熟れてはちきれんばかり。道端や、崩壊地にいち早く生えるパイオニア樹木アカメガシワ一方の土手では、いち早く芽をだして、若木になって伸びようとしている。秋に向かう今、果実の成熟と若木の芽吹きを同時に行なう姿。以前の日本ならありえないこと。 10~11月、秋たけなわの空に鮮やかな紫色に熟す実ムラサキシキブ すでに、色ずき始め、かなり濃い紫になっている。 クリの実ももうこんなに熟しはじめている 8月はずっと夜も気温さがらず、29度前後を連日続けているうだるような夜の8月。8月の終わりになり、やっと朝晩少しだけ冷気が感じられるようになったら、アサガオの花が次々と鮮やかな色合いで咲き始めた。 その色の鮮やかさそよと吹くわずかな風にもなびく繊細な花びら夏の早朝にだけ見せるアサガオの姿 そして百日紅も夏の終わりになってやっと華やかに咲き始めた ノウゼンカズラもフヨウもムクゲも朝夕の冷気に一気に生気をとりもどし、あざやかな、深いピンクや白の花々を咲かせている8月末日の朝 初秋を告げるオミナエシも盛夏に咲く花々に混じって優しげに団地のヘンスからこぼれて咲いていた。 日中はまだ35度前後の猛烈な暑さ。じりじり照りつける夏草生い茂る水辺その水辺には、あちらこちらと、白い夏ユリが咲き競う。 (高砂ユリ:土手に林の縁に林床に、至る所に繁茂する夏ユリ。旺盛な繁殖力で生い茂る夏草のあいまからニョキニョキと顔だして咲く。みどりにしろのコントラストは涼しげ。私の散歩道では、この夏とりわけ人目をひいた夏ユリ。それほどに異常繁殖している。) 音のない、物憂げな、気だるい夏の昼下がり、その静かな水面にシオカラトンボが飛交う2010年8月末日 気象庁は1日、この夏の日本の平均気温を発表した。統計を取り始めた1898年以降で最も気温が高かった。113年間で一番暑い夏となった。 私の散歩道の植物たちもこの気象異変と懸命に闘い適応しようとしているかに見える。秋も夏も春も境目曖昧、あるいは皆無となり、生きるリズムを狂わせてしまっているかのように見える。 植物たちは、焼けるように暑いからといって、避暑地へと移動できないから、適応できないなら、滅びるしかない。そして、その恵みを受けて生きている生き物たちはどうなるか。その果てにいる人間たちはどうなるか。
2010.08.31
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「ナラ枯れ」が猛威ふるう森林公園 梅雨が明けてからの私の朝の散歩道森林公園は雨も降らない、炎天の日が続き、毎日35℃前後の猛暑である。(大道平池:この池はボート池にもなっておる。森林公園にはそのほか岩本池、維摩池がある。山はこのようなため池と一体になって生きている。) 朝靄にかすむ池私の住む近辺の丘陵地にもいくつかあったため池この20数年で3つも潰され、山をまるごと削り宅地となった。この森林公園内の池は宅地化で破壊され尽くされる山のなかで、生き延び保護されているため池のひとつ。森林公園の森は、しばらく前から秋かとまがうほど木々が紅葉したようにみえる。大木のナラやクヌギやシイやカシの樹が次々に枯れ、最初は1本、2本と点々と散在していたのが梅雨明け、炎天の日照りが続くとあっという間に面のひろがりとなった。これは、カシノナガキクイムシ(成虫は5mm程度)による「ナラ枯れ」だという。ナラ枯れは、カシナガムシが、ナラ、シイ、カシなどの幹に穴を開け、幼虫のエサとして持ち込んだカビの一種「ナラ菌」が繁殖し、木が水を吸い上げられなくなるからだという。 (枯れた木の断面) 森林公園の私の散歩道を歩くと 枯れた大木の根元は、白っぽい粉のような木のクズでいっぱい。 この「ナラ枯れ」は、京都三山の森でも猛威をふるっているという。病害対策で現在行なわれているのは虫が開けた穴をつまようじで一つ一つ塞ぐという気が遠くなるような人力による作業である。 (幹の切り口。このように爪楊枝ぐらいの径の穴が無数にある) この病気の原因は、炭や薪の採取など人間が管理してきた里山が放置され、虫に適した太い木が増えたためという説と地球温暖化によるという説。 (幹はこのように木屑の粉が吹き出している)カシナガは南方系の虫である。大量発生し続ける原因は何か、まだ定かでないとのことであるが、自然の生態系が壊れていることが確かな今、このような森の異変は起きるのでは。これからどうなるのでしょう?心配なことです。 アブラギリ(油桐)の実みのる私の散歩道の途上に今、たわわに実りつつある実アブラギリ 初夏に白い花を咲かせていた時には何の花かよくわからなかったが、大きな目立つ実に誘われて、調べると、油の木「アブラギリ」。日本では、昔、この木から油を生産していた。種から絞った油は、照明用や油紙製造に使われ、戦後間もない時期まで、船の防水剤、ニス、薬剤などに幅広く利用されていたという。 アブラギリ(油桐) 学名:Vernicia cordata トウダイグサ科の落葉高木。西日本と中国に自生し、栽培もされる。葉の形は桐に似る。葉の基部に柄のついた密腺が1対ある。花は6月咲き、5弁で白く径3cmの円錐花序。果実は円いさく果。秋に熟す。(写真の実は8月初旬のもの) 若い実を2つに割って見るとねっとりとした液がしたたる。汁はぬるぬるとしている 現在では、油の原料としては、中国原産のシナアブラギリを使っている。中国から多く輸入され、家具の塗料などに使われいる。更に、最近では、バイオディーゼルの供給源として、ナンヨウアブラギリが注目され、インドなどでは生産が始まっているアブラギリの仲間は、エコの観点からも、再び脚光を浴びている。 暦の上では立秋もすぎ、本来なら、吹く風に秋を感じるのが、今までの日本の気候であったはずだが、このところ、雨の日多く、降れば土砂降り、集中豪雨。、気温は30℃前後で湿度高く、不快指数が高い日が続いている。少し動けば、汗がタラタラ状態である。 早朝の空に舞っている鳥、早朝で森とはいえムシムシと暑いその森の運動場で毎朝、凧を揚げている老年の男性がいる。 空に舞う凧本当の鳥とまがうほどに気持ちよくゆうゆと舞うゆったりと舞う優雅に舞う トビかタカか鳥の種類は時々変わるでも、ほぼ毎日、凧揚げにやってくる。 その運動場の土手には大きな白い百合の花が一斉に咲き始めた。朝露にぬれて、大輪の白い花びらがキラキラと輝く 空の雄大地の優雅 8月の早朝の森林公園 8/15 今日はお盆。終戦記念日。今朝も湿度高く少し歩くと汗がどっと噴き出てくる。朝から気温も29℃ある。始めてツクツクボウシが鳴くのを聞いた。毎年お盆が過ぎる頃、鳴き始めるツクツクボウシ。このセミが鳴き始めると、例年、風にもかすかに秋を感じる。しかし、今朝は、梅雨の蒸し暑さ。初秋はまだ遠い。
2010.08.14
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梅雨明ける7月17日私の散歩道は早朝から抜ける青空リョウブの花の白が朝の陽光に輝く ここ数日、集中豪雨が続き猛烈な雨量が河川を氾濫させ山崩れをおこし、自然が荒れ狂った。私の地方もその例外でなく、死者まで出ている。一転して晴れ、夏日。今日は30度を越す猛暑でも、連日のジメジメした不快指数85のあの湿度はなくなった。始めてセミの声も聞いたが、この夏はセミの声がまだまばら。山地の 夏に咲く花リョウブ私の散歩道・森林公園の森の縁(ヘリ)にはリョウブの木がコナラやクヌギやタカノツメやヤマウルシの雑木林に混じってあちこちに生育している。 (リョウブ・令法 学名:Clethra barvinervis Sieb.et Zucc. リョウブ科リョウブ属。北海道南部から、九州、朝鮮に分布する落葉高木。リョウブ属は世界で64種ほど知られているが、日本では、1科1属1種と親戚縁者がいない。明るい谷筋の二次林に多い。) 朝陽を浴びて白く輝いているのがリョウブの花アップするとこんな花 リョウブの花は円錐花序となっており、下の方から順に上へと咲き進む。芳しい匂いを発して、花が見えなくてもその辺りに心地よい香りが満ちるとき見上げればリョウブの木 ほぼ上まで咲ききって、満開。蝶や蜂など虫たちが蜜を求めて花に群がっている。虫たちにとって、リョウブの花は他の樹木の花がほぼ咲き終わり花が少なくなってきた森の大切な蜜源。(初夏から房状の白い花をつける。つんつんと立っている穂のように花をつけるのもある)リョウブ(令法)の名の由来は、「令法」という漢字を充て、かつて救荒用に、お上によって、植樹を勧める令法(リョウホウ)が出されたためという。若葉が食用となり、令法飯(りょうぶめし)などにして食べたという。凶作の時にも生育して収穫し得る作物を救荒作物という。気候不順に強い、稗(ヒエ)・蕎麦(ソバ)・甘藷・馬鈴薯などを用いた。救荒植物とは、山野に自生する草木で、凶作の時に食用にし得るもの。例えばソテツの実など。このリョウブもその仲間の植物ということになる。リョウブは刈られても刈られてもよく耐えて萌芽する。二次林として日当たりのよいところにたくましく生育する。そのような樹木の性質が山里の暮らしのなかで、あるときは人々の食料の代替として、またミツバチの大切な蜜源として、長い年月人々とともにあった。 (森の中で、比較的低い背丈のリョウブは、光りを求めて、明るい方向へ風に流れるように穂状の花を伸ばす。いかにも涼しげ)梅雨あけて、明るい林のなかでひときわ明るい白涼しい白芳しい香り早朝の冷たい空気に涼やかな風を運ぶリョウブオゾンいっぱいの空気 思いっきり呼吸して7月の朝私が3月から始めた新しい散歩道、森林公園は新緑の若緑から、黒々とした深緑にかわり、分厚い重なる青のなか。そんな欝蒼とした青のなかにリョウブの白がまぶしい。花が咲いて、始めてリョウブがこんなにもたくさんあったのかと驚く。長年住み慣れたところなのに、よく観察していなかった自分に驚く。身の回りの自然のありさまをまず知ることが自然を大切にすることなのだと今になって気づいて次第である。(私が毎年購入するハチミツは、今年は、花の蜜のつきが悪くハチミツの収穫量が激減しているという。最後の蜜源がリョウブだというこだ。しかし、リョウブの蜜はあまり良質でないとのこと。ソヨゴの花の蜜が良質らしいけれど、この春は、この蜜がほぼ全滅。たぶん長雨のため。これは、ハチミツの農家の人からの話です。)
2010.07.17
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私の朝の散歩道は雨に促され、葉っぱはどんどん成長し、生い茂り小暗い欝蒼とした森のなかにある。初夏(6月上旬)の森で、青かったヤマモモの果実はもうこんなにも赤く熟した (学名:Myrica rubra ヤマモモ科ヤマモモ属。関東・福井県より南西部・四国・九州・琉球の暖地成育する常緑高木。台湾から中国・フィリッピンにも分布。樹高10mぐらい。雌雄異株ヤマモモは放線菌と共生し、空中窒素を固定する能力があり、山林火災跡の治山植栽にも用いられている) 10mにも及ぶヤマモモの並木樹の深緑色のなかに、濃厚な赤い実が浮かびあがるさまは壮観。 果実はこのようにつぶつぶ、熟すと黒ずんだ赤となる。果実はすぐに傷んでしまうので、市場には流通していないが、生で食べると、独特のねっとりした甘酸っぱい味がして美味しい。もちろん小鳥さんたちも啄ばみにやって来ている。果実酒にしてもおいしい。余りにも、豊穣に実り、7月の始めには地面を覆い尽くすほどに落下している。 (ネムノキ:学名 Albizia julibrissin Durazz. マメ科ネムノキ属。東北地方以南に生育する落葉高木。梅雨の終わりから盛夏にかけて花を咲かせる。二次林に生育。) 深い緑色の森をうっすらと赤に染めているのはネムノキの花。 朝の陽光に輝いて淡い紅色。甘い香りあたり一面まき散らしている 満開のネムノキ枝をいっぱい張って、葉より高く淡い紅紫の花をこれ見よがしに咲き誇る。繊細で美しい花花びらに見える長く伸びた糸状のものはなんと花弁でなく、おしべ。ネムの花は万葉集にも「昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ」と詠まれている。ネムノキはこのように古代から日本の地に根をはり、季がくれば忘れずに花咲き誇り人々はその悲喜こもごもを合歓の花に託して愛でてきたのである。(芭蕉も蕪村も一茶も「合歓の花」を詠んでいる) 小雨降る公園のあちらこちらに雪舞い降りたかのように白の塊となって小暗い緑のなかに浮き立つシャシャンボ (シャシャンボ:ツツジ科スノキ属。学名:vaccinum bracteatum 和名、小々坊/別名サシブノキ、ワクハラ。常緑小高木、樹高2~3m、まれには10mになれものもある。本州の千葉県~石川県以西、四国、九州、沖縄の暖地の山地に自生。花は5~7月。果実、秋に紫黒色に熟して、白い粉のふいた小粒な球形の実がなる。) シャシャンボの花はこんな花壺形のスズランのような可愛らしい花 和名・シャシャンボはササンボ。小々ん坊で小さい実という意味。実が丸く小さいことによるという。秋になると実は黒紫色に熟し、食べられる。実は甘酸っぱい。果実酒して飲むと、薬効あり、健康酒になる。この樹は、古事記の仁徳記にもサシブの木として出ており、古くは神に縁厚く、尊ばれ、御詠にも出て来たが、今は、田舎の稚児が実を採り、食うのみ、とある。古代から日本人に親しまれてきた木であるのである。 木の葉の汁で鳥飯を作ったり、青汁にして飲んだりと、古代から薬用として、生活の中で人々と共に在った。私の散歩する公園のなかには無数にこの木があるので、秋になったら、実が実るのが楽しみである。 更に雨の公園内で白くけむる樹木トウネズミモチ (トウネズミモチ:モクセイ科イボタノキ属。学名:Ligustrum lucjdum.中国原産の 常緑小高木。樹高10~15m。花期6月~7月。新枝の先に10~20cmの白い小花を円錐花序につける。果実は10~12月に黒褐色~紫黒色に熟し、表面に白い粉をおびる。) 近づけばこんな花、20cmばかりの白い円錐花序がびっしり、満開である 圧倒される白のボリューム日本のネズミモチよりひとまわり大きな花序 葉はモチノキの葉のように厚くつややか。中国原産のこの樹木、薬効多く、熟した果実を天日で乾燥させたもの、「女貞子」という漢方だという。樹皮や葉もそれぞれ煎じて飲んだりすると、滋養強壮、白髪防止などありがたい薬効があるという。名の由来は、果実がネズミの糞に似ていて、葉がモチノキに似ていて、中国から渡来したことにより、トウネズミモチ。ネズミモチ(日本の生垣などに多い)との違いは果実が少し丸く、葉を日にかざすと葉脈がすけて見えることから区別する。「唐鼠黐」は「透鼠黐」なのである。 私の早朝の散歩道はむしむしと不快指数高く、重い曇り空の森林公園降り続く雨で、木々の葉っぱは、しっとりとした深い緑色初夏のむせ返る新緑からしっとりと小暗い緑の森に変身して樹木はそれぞれの営みを休むことなく営々と続けている これは6月下旬に撮影した写真で、そのころの樹木の様子である。今頃は、今までの私のブログなら、選挙に関するコメントの日記になるはずであるが、今回は、処々の理由により遂に何も書くことなく参議院選挙の日を迎えそうである。胸中は色々書くこと溢れているが調べるのに時間がかかる私のブログは今回は書けそうも無いが、それぞれの生きざまをかけて、日本はどうあるべきかの展望をしっかり示す人や党に投票したい。乱立し、混乱状態は選ぶ選択幅が次第にはっきりと具体的になって来ていることを示していてよいことだと私は思う。人間にとって真実は何か、将来にわたり、人らしい生きざまはどのような社会になることが必要か厳しく問われる選挙になってきつつある。これは、とてもよいこと。争点が次第に鮮明になりつつある。一昨日、7月8日、アンナ老嬢がついに、病魔と闘いぬいて、永い眠りにつきました。哀しみの勢いだけでは、とても書くことができない心境です。また、アンナの死については、別に書くつもりです。
2010.07.05
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初夏の私の散歩道は若葉は一層その厚みをまして日に日に小暗いみどりの森へと変貌している 朝靄のかかる散歩道 (ヤマモモの若葉の赤が、濃い湧き上がる緑ののなかで美しい。) ヤマモモの木々が黒々と大木となって茂る山道花の時期が過ぎると 雌株はヤマモモの実をつけ、赤く熟しはじめる梅雨があけるころこの実は真っ赤に熟して実は甘くおいしい。ジャムや果実酒にして頂く山の恵みである (ヤマモモ科ヤマモモ属:樹高5m~25m。こんもりとした樹形となる常緑樹林。雌株と雄株があり、風媒花。分布、本州~沖縄。私の地域の山にはヤマモモの樹木多い) 実を付けない枝からは柔らかな紅色の若葉が伸びてヤマモモの大樹を、まるで、ふわっと柔らかな赤い布で包むかのよう。むせかえる緑のなかでそれは美しい紅色となる。 そして、強い香りに誘われて、見上げればクリの木が花を咲かせている (ブナ科クリ属、花は初夏に咲き、特有の強いにおいがする。花まっさかりのクリの木) 日々濃くなる緑の中から、淡いクリーム色のブラシが束になって飛び出してきたようなクリの花が満開。大きなクマ蜂がぶんぶんと飛交う そして秋には、赤い可愛げな実を、青い葉っぱの合間からゆらゆら揺らすソヨゴの木(モチノキ科モチノキ属:関東地方以西の西日本の乾燥した山地によく生える。常緑小高木。秋に赤く色づく果実には、3~4cmの長い柄があり、ゆらゆら風にそよぐので「ソヨゴ」の名がある。 こんな可愛らしい淡いクリーム色の花をつけています。 この森に多い樹木ソヨゴソヨゴの花から集めた蜜を、ハチミツにしている農家から我が家はハチミツを買っている。 ウノハナの花もほらこんなに華やかに咲き満ちている (ウツギ:ユキノシタ科ウツギ属の低木。別名・ウノハナ。和名は幹が中空である、また卯月の頃に花が咲くことに由来する。樹高は2m前後になる。身近な山野の明るい場所に生える) ネジキの花も白色 (ツツジ科ネジキ属の低木。樹高3~4m。樹皮の縦の裂け目が旋回するようにねじれるので「ネジキ」の名がある。)スズランのような可愛らしい花を小暗い森のヘリで咲かせるヤマボウシも葉っぱの上に群がって咲く白の花びらの乱舞 (ミズキ科ミズキ属の小高木。山地のブナ林や雑木林などに生える。梅雨のころに咲くこの花を法師に見立てたのが「ヤマボウシ」の由来。) 十字の白い花びらは花ではなく苞その真ん中の丸いのが小花の集まり。 青緑の葉っぱに清楚な白が涼しげで美しいヤマボウシ そしてノイバラが欝蒼と茂る暗がりの青の合間から垂れるように流れて白い花を点々と咲かせている (サンショウバラ:バラ科バラ属の落葉小高木。樹高は2~6m。6月ごろ直径5~6cmの淡い紅色の花をひらく。次第に白になる。)今、初夏の森にはノイバラの花があちこちで咲き乱れそれはそれは美しい素朴で清楚なノイバラ 初夏の森は白、白、白淡いクリームがかった白淡い紅を散らした白 初夏の森につるとなって大樹に這い登り咲く花たち濃いみどりの森に明るい白テイカカズラ(定家葛) テイカカズラ(定家葛)学名:Trachelospermum asiaticum。つるから付着根を出して、木や岩にはいのぼり白い花を咲かせる。花びらは少しねじれ、花は白淡い黄色に変わる。 朝の陽光を浴びて輝く白 (花びらは風車の形をして、よじれている。筒状の花筒の中に、おしべ5、めしべ1がある。果実は15cm以上にもなる。熟すと多くの種子をはきだす。種子には白い毛があり、風によって運ばれる。) 散歩道の道端の低木の樹木からこぼれるように、群がって咲いているスイカズラ (学名:Lonicera japonica Thumb スイカズラ科。林のへりや草原にはえるつる性の小低木。花は夕方開き、花冠の下部から蜜を分泌、吸うと甘い。花は強い香りを放つ。特に夜に強く香り、虫たちをおびき寄せる。) 純白の白からオレンジがかった黄色に日毎に花びらの色を変え花蘂の繊細さ、芳しい高い香り、この花が咲き始めると夏が始まる幼い時、甘い蜜を吸って遊んだ懐かしい花スイカズラ 初夏の私の散歩道はむせ返る緑のなか白い花々が清々しく咲き満ちている 緑と白この取り合わせの微妙さ日本の繊細な四季が生み出した色のハーモニー そして、やがて花は赤や黄色の強い原色へと移ろっていく。夏の盛りへと移ろっていく。 私の散歩道のひとつ森林公園(450haの広大な県有林)私の散歩道は、この馬場の奥にある森のなかにある。これかもこの森の四季折々を楽しみたい。
2010.06.08
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ゴールデンウィークは久ぶりの晴天続き爽やかな5月の風が渡る1週間となった。その好天に誘われて、花々や若葉が一斉にいのち燃え風光る初夏となった (シイの花とニセアカシアの花が新緑の若葉に映える森林公園)私の散歩道も若葉がまぶしいばかりに光り燃えている シイの花が強い香りをあたり一面にまき散らし蜂がぶんぶんうなって飛交う 朝の陽光を浴びて燃えるスタジイ(すだ椎)の花金色に輝く スタジイの花アップするとこんな花(左の写真)スタジイの実は秋に熟し、生で食べられる ツブラジイ(コジイ)の花(下の写真)スタジイに比べ白っぽい果実もスタジイに比べ小さく丸い 一般に「シイ」という時スタジイとツブラジイを指す。これらは暖温帯の常緑広葉樹林・照葉樹林を代表する樹木・ これらの樹木の覆う新緑の林は、葉っぱが明るく金色に輝く。遠目からの眺めは息をのむようにダイナミックに若緑が波打つている森 (ツブラジイの花満開) しかしその樹木のなかにわけいると、ほの暗い。 光りを通しにくい涼やかな陰となる でも下草の植物には厳しい環境 欝蒼と覆いかぶさる森のこもれ日のもとで明るい黄色が点々散らばるヘビイチゴの花 (バラ科:日本各地の田んぼの畦道や湿地に生える多年草。花期4~6月。花後花托がふくらみ薄紅色の光沢のない果実となる。無毒だが食べてもおいしくない。) もうすでに淡い紅色づいたイチゴの実もあったよ 幼い日、田んぼの畦道に咲いていた蛇イチゴ名前が恐くって、花を見つけると走ってみんなと逃げ散った遠い日の光景今は、もうない子供たちの光景今は、ない田んぼの風景 林の陽だまりの原っぱに広がった風景 若草萌える原っぱにどこまでも広がる淡いピンク模様 近づけばムラサキサギゴケ (ゴマノハグサ科:本州、四国、九州に分布する多年草。湿った畦道に多い。近縁種に白花のサギゴケがある。まさに鷺が舞い降りたよう。) 濃い紫色のヒメスミレも所々にアクセントとなって咲いている。もっと近づけばほら、こんなに美しい可憐な花紫サギゴケ (ムラサキサギゴケにタンポポの綿毛も飛んで来た。) そして新緑で暗い林の木立のあいだに点々と雪が舞い散ったように咲いている花ツクバネウツギ(衝羽根空木) 新緑のみどりをいっそう引き立てる白涼やかな白 近づけば羽子板の羽根にそっくりのツクバネウツギ (衝羽根空木) (ツクバネウツギ:スイカズラ科ツクバネウツギ属の低木。ウツギと名がつくのは、枝の中が空洞だから。東北地方南部から九州にかけて雑木林や山地に点々とはえる。花期5月) 花弁の内側のオレンジ色の網目模様も美しい。この私の散歩道にはさらに嬉しい発見があった。 人家に近いところでは、ほぼセイヨウタンポポに占領されているのが昨今の事情と思っていたが、 ありました、ニホンタンポポがしかもトウカイタンポポと言うのだそうです。 セイヨウタンポポは外側の総苞がめくれて下に垂れている。セイヨウタンポポは花の造りから、繁殖力旺盛でほぼ1年中咲き続けているため、ニホンタンポポはセイヨウタンポポに占領され絶滅の危機にあると聞いたことがある。 が、しかし私の散歩道にはニホンタンポポがいっぱい咲いています 森のなかの明るい空き空間にニホンタンポポが盛りとさいています。 昨年の春、急に見かけるようになった「マツバウンラン」北米海岸からやって来た帰化植物まだ新しい新参モノ。今年の春は、更に面積を広げて至る所にに盛りと咲いている。益々勢いまして勢力拡大しているマツバウンラン(松葉海蘭) 可愛らしい花人家の周りの道に公園に土手に群生して咲いている 森林深くにはまだほぼマツバウンランは侵入していないが散歩途上、その森林近くまで、すでにマツバウンランはかなり勢力を伸ばしている。来年はどうなるのだろう。 異常に繁殖するということは。森全体の植物の生態系を大きくくずし、古来からの植物の種を追いやるのではと心配だ。 人々の暮らしがどんどん森の中に侵入してただでさえ息絶え絶えの植物たちこの森は守れるか私の新しい散歩道のひとつに広大な敷地の「森林公園」がある。この公園は愛知県が管理しているもので、園内には「植物園」がある。この「植物園」は、ものめずらしいものを見せる植物園ではなく、尾張丘陵地方にある森を再現し、保存するものであり、日々失われつつあるこの地方の丘陵地帯の樹木や野草を保存し守ろことを目的として管理されたものである。「森を学ぶ学校」としての「森林公園」である。あまりに身近にありすぎて、よく観察していなかったが、ユメちゃんが亡くなってから、散歩コースを拡大したことでこの「森林公園」も散歩するようになり、色々学んでいる。折りしも、この秋名古屋で生物多様性に関する世界会議「cop10]があります。
2010.05.13
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新しい私の散歩道ユメがあっという間に逝ってしまった1月末から12年余共に歩いた散歩道は避けて別の散歩道に変更した その新しい散歩道にも3月の声とともにどっと一斉に春がやって来た (雨でけぶる散歩道。芽吹きや開花を促す春の雨。白モクレンの蕾も膨らみ、もうすぐ開花して華やかな白の饗宴となるだろう) 新しい散歩道は、まだまだ雑木林が生き残っているブナやコナラの雑木林が生き残っている息絶え絶えになりつつも点として辛うじて生き残っているその雑木林に自生する馬酔木(アセビ)が3月になったまさにその朝雑木林のあちこちに点々と一挙に花を咲かせた (雨の上、森の中で小暗く写真がビンボケ、雑木林の様子を的確に写せていないが、馬酔木の樹木の立ち姿も中々美しく趣きある。) 雪かとまがうごとに一夜にして花を咲かせていたまるで春の雪が舞い降りたよう 一枝頂いて絵手紙の花材に。アップするとこんなに豪華 林に自生する馬酔木は引き締まった小ぶりの葉っぱ濃いみどりの葉っぱの上に清楚で可憐なすずらんのような花を載せている近づけば花房は幾重にも重なって見事である 野に出でよ鳴るは馬酔木の花の鈴 藤木信代 来しかたや馬酔木咲く野のひかり 水原秋桜子 花馬酔木春日の巫女の袖ふれぬ 高浜虚子 庭に植栽されている馬酔木にはない清々しさが満ちている 椿の花もやっと咲き始めた今年の冬は寒さが厳しかったためか椿の花が咲き始めるのが遅いが咲き始めると一気に咲く一斉に咲く 今まで見たことのない珍しい椿に出合った これも椿の花?花蘂はどこにあるのかしらと思わせる椿 真ん中の塊は花びらが幾重にも重なっているらしいその奥に花蘂があるのかしら 昨夜の雨で、水を含んで重くなった花びらが重なり合って朝の風に揺れていた 八重の花びら華麗な花びらちりちりになって波打つような花びら こんな豪華な椿もあるのだと感心 私の好きなヤブツバキは 昨夜来の雨で花々が地面に点々と散って息を呑む美しさ華やかさ メジロも椿の花の蜜を啄ばみ飛交っているウグイスもまだまだ幼い笹鳴きを繰り返す散歩道 ヨモギも次々に芽をだし若緑の小さな葉っぱを一斉に伸ばし始めた今年のお彼岸には祖母から受け継いだあの青々と草の匂いする草もちを久々に作ってみよう ユメいない新しい散歩道は春のいのちをかすかにざわめかせている来るべき華やぐいのちの春の準備は整った
2010.03.04
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初夏の高原に咲く花々 5月30日、数日前より太平洋に低気圧が停滞し日本列島は荒れ模様の日に茶臼山にハイキングに出かけました その茶臼山に登る入り口で 、私たちを迎えてくれた花 ホソバシャクナゲ(細葉石楠花) 淡いピンクが塊となって濃いグリーンの細い葉のなかからすくっと現れる透き通る花びらのピンク 華やかで気品に満ちた花色 ホソバシャクナゲは 静岡と愛知の山地に自生し、絶滅危惧種に指定されている。 透き通る紅色あるときは明るいオレンジ色にもなる微妙な色合い鮮やかに新緑に映えるレンゲツツジ(蓮華つつじ) つぼみのつき方がレンゲの花を思わせることからレンゲツツジの名をもつという。こんなにも美しい花を咲かせるレンゲツツジも枝・葉は猛毒な物質を含むという 濃い朱の紅の花が美しいドウダンツツジ 初夏の茶臼山高原は今ツツジ類の花々があちこちに華やかに咲いていた 冷涼な気候にその花の色は鍛えられ絵の具では表せない色の微妙さ ヤマボウシの白ガマズミの白ヤマフジの淡い紫 新緑の高原は今初夏の色に溢れていた。 茶臼山山頂への道はかなりの険しい急な山道薄暗い湿った林床には 可愛らしい花が点々と咲いていたクルマムグラ 粉雪が笹の葉のグリーンに舞い落ちたかのように白い花を咲かせている雪の妖精のような花ユキザサ(雪笹) さらに 薄暗い林のなかに そこだけをぽっと明るく和ませて 咲く ササバギンラン(笹葉銀蘭) さらに 奥深くすすむと 暗い林床や斜面に 人の腰丈ほどもある 大きなシダがニョキニョキと群れていた その光景はちょっと壮観(シダの名前はまだ調べてないが。ご存知のかた教えてください) そしてそのシダ繁茂する両側の山道のあちこちにには マムシグサ(蝮草) マムシのような茎ラッパのような苞 湿った林のなかは、初夏の生き物達のいのちのざわめきに満ち満ちていました 5月30日、天候があまりよくなかったのですがグループで愛知県の奥三河にある茶臼山高原にハイキングに出かけました。茶臼山は標高1425mで愛知県で一番高い山。長野県との県境となっている山でもあります。 山登りの標高差が大きく、登るのに必死で、雨が降りそうということもありゆっくり植物をながめたり、写真に収めたりの余裕がありませんでした。ピンボケの写真ばかりで、満足できるものは撮れませんでしたが、まぁ、冨士子婆の技術と壊れそうなコンパクトデジカメでは、これが精一杯というところです。 近年は茶臼山南面の萩太郎山斜面はスキー場となり、今年からは「芝桜の丘」スポットとして宣伝されたため、土・日など車の渋滞で何時間もかからないと到着せず、都会の繁華街に行くとほぼ同じ服装、すなわち肌着のようなワンピース、ハイヒールのつっかけのような靴を着用してわんさと車で若者や中高年が押し寄せています。芝桜の丘を見るのに、リフトで2時間待ちというのですからあきれるばかり。 このような開発のため この地域の植物相亜温帯林の原生林がどんどん消滅しているとのことです。 新聞やテレビが、あの山の「芝桜」が素晴らしいと報じると信じられないほどの人々が押しかける。自宅の戸口から車で、リフトにのり、その丘を見学し、又、車で自宅の戸口まで。 このように人が移動することが消費を盛り上げることとして歓迎されるとは情けない。 あの車の洪水は二酸化炭素の排出量を益々増加させるだけなのでは それで繁栄する社会なら繁栄しないほうがよいのでは。 その奥三河の農業者たちもこのように人を呼び込むことを地域振興と考えているのだろうか。 どこか変だ狂っている。
2009.06.02
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松葉海蘭(マツバウンラン)咲き乱れる私の朝の散歩道 昨年の春はこんな花が咲いていたのか気付きもしなかった花 (ポピーに混じって咲く松葉海蘭の群生) ほんの1cmあるかなきかの可愛らしい花地面からすっと真っ直ぐに伸びその先端に総状花序の花をつける 松葉海蘭(まつばうんらん) (ゴマノハグサ科ウンラン属;原産・北米、帰化植物。近畿以西に多く見られる。帰化植物としてはまだ日が浅い) 淡いブルーの花びらが春風に繊細に揺れる 松葉のように細い葉 何処から眺めても1本の松葉海蘭は弱々しいはかなげな野の草 その野の草が今年の私の散歩道には至る所で咲き乱れる異常な繁栄ぶりなのである 高齢のため主いなくなった屋敷の荒れた庭に群生している松葉海蘭 荒れた空き地にどこまでも続く松葉海蘭の群生 北米の海岸に自生する帰化植物だという近畿以西に多く見られるというが近年わが中部地方にも侵入してきたのかこの春は群れなして空き地に土手に庭にとあらゆる場所に咲き乱れているのである その繁殖力の旺盛さには驚かされる可愛らしい繊細な花ではあるがその異常発生は不気味である。 今年の春旺盛に花咲かせて繁茂している草胡瓜草(キュウリグサ) (ムラサキ科キュウリグサ属;名は葉をもむと胡瓜のような匂いがすることから。別名タビラコ。) 数ミリの小さな小さな花淡いブルーの花を点々とつけている 目を近づけなければ見過ごす花 側溝のコンクリートの割れ目から石垣の隙間から又、道端に春の若草に混じってひっそりと咲いている。 梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」のなかで少女まいが登校できなくなり、おばあちゃんの所に、少し休養するために行ったその日に台所の土間で出あって感動し、生きる力もらう草でもあるキュウリグサその咲いている姿と花の形や色は確かに、はっと何かを気付かせる力を持っているキュウリグサ さらに人家の庭には小鳥がタネを運んだのかアケビのつるが花モモの木に巻きついて花を咲かせていたアケビ これは雌花すでに受粉はおわり花の時期は終っている この写真の先端部分の房状のものが雄花その下部にあるのが雌花 いづれも数ミリの花目立たない見過ごされてしまう花花の色は褐色幹の色にまぎれてしまう地味なアケビの花 今年の春は初夏の陽気の日が続き私の散歩道も春の花がどっと一気に咲き競っている。今、4月半ばで藤の花は見ごろとなり紫木蓮は若葉をぐんぐん伸ばして花と葉は同居して咲いている初夏を告げる山吹やモッコウバラやハナミズキもすでに色鮮やかに花の時期になっている。 2009年4月中旬の春はすでに初夏若葉の時期なのである
2009.04.17
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今日は立春当地方は、まさに暦の通りに春立つ寒気もゆるんで柔らかなブルーの空は春の色穏やかな柔らかな日差しに草木の芽もいっそうふくらみネコヤナギの花が柔らかな陽光に銀色の毛をきらめかせてまだ浅き春の柔らかな明るい青の天空に震えている 暖かな土手の陽だまりでは、 可愛らしげに 濃い青のイヌイノフグリが 咲き始めている。 厳寒にもひとり枯れ草のなかで若々しい緑の葉を茂らせていたハコベもちっちゃな数ミリの白い花びらを人の目にも触れることなくひっそりと開く ホトケノザさえももう陽だまりの空き地では咲いていた。 枯れ草の土手にはタンポポがロゼットの葉を大きく大地に広げて 大地にへばりついて黄色の花を咲かせている。厳しかった2009年の冬 その厳寒を大地のなかでじっと耐え 忘れずに巡り来て 花を咲かせてくれる野の花々よ、ありがとう。その小さな花たちの 一つ一つのいのちに 人間は応えているか。痛めつけられぼろぼろにされてもその環境にたくましく適応していのちを紡ぎ続けている野の草たち人間の社会も野の草たちも悲鳴をあげている2009年春昨年2008年は春が遅くDanjoseが撮影した写真によると昨年は、3月8日で紅梅と椿が共演しています。私の散歩道では今、散歩道の家々の庭の紅梅、白梅咲き始めもう数日もすれば満開となりそうです。 椿もすでに咲き始めています。ハコベも 昨年は3月8日にこの状態でした 私の散歩道ではすでに咲き、盛りとなっています。野の草花たちの気候にあわせて自らの営みを続けるそのたくましさエネルギーはすごいものがありますね。オオイヌフグリ 早春の野に色鮮やかなブルーを点々と可憐に緑の葉っぱの間に落すオオイヌフグリもう私の散歩道では2月の声とともに野に満ちています。昨年の春は3月下旬にこの状態でしたのに。物言わぬ野の花たちに耳すますこと社会が今最も必要としていること。
2009.02.04
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オオバコとヘラオオバコ人里近くでは、最近めっきり見られなくなった雑草オオバコ(大葉子)私の散歩道の小さな公園で群生して生えているのに出会い何かしら懐かしい気持ちになって、写真におさめた、オオバコ(大葉子)(学名:Plantago asiatica オオバコ科の多年草。オオバコ属は世界に260種分布し、そのうち日本には5種が自生。7種が帰化している。漢方では、植物全体を乾かしたものを車前草、種子を車前子といい、利尿や去痰に使われる)幼いころ、花穂(花径)を二つに折って相手の花径と組み合って、草相撲をして遊んだオオバコ先に切れた方が負け。けっこう力いっぱい引っ張りあってもなかなか切れなかった。この小公園は、近所の小学生たちの朝の登校のための集合場所。子供たちは、オオバコには目もくれず大声だして、元気よく、オオバコの群生を踏みつけてひととき遊んでから、集団登校して行く。(種子は黒褐色で、1果内に4~8個ある。2mmほどの種子は、湿ると水を吸って1cm以上に膨れ、種子の表面は粘液状になり、人や動物などに付着して伝播する。)代表的な人里植物で、日本では有史前の帰化植物と言われている。人によって、踏み固められた場所に生え、人に踏まれないと自然に消滅してしまうという。中国では、道路上に生えるので車前草(しゃぜんそう)の名がある。種子の車前子は、すでに唐代の「神農本草経」(しんのうほんぞうきょう)に、利尿剤としての記録がある。オオバコ属は世界に250種も分布し、腫れ物の吸出し、切り傷の治療に効果ある民間薬として、世界各地で使われている。オオバコの花はこんな小さな地味な花。(季節の花300より」)(オオバコの花。花径は高さ10~50cm。この部分を草相撲に使った。長い花穂に白又は薄紫色の小さい花を下方から上方へと順次開く)踏まれて、踏まれて、固められた大地にしか、たくましく生育しない草オオバコ(子供たちに踏み固められた小学校のグランドに生育していたオオバコ。乾いてひび割れた校庭の隅っこに、病虫害に侵されながらも頑張っています。)最近では、はびこることも許されず、埃にまみれ、病害に葉をむしばまれ、元気ないオオバコたち。踏みつける地面は舗装され道端の側溝は、コンクリートで塗り固められて生育場所は、日毎に減少している。私の散歩道で、見かけるもう一つのオオバコ、ヘラオオバコ(学名:Plantago lanceolate オオバコ科多年草。葉は根生でヘラ形。高さ20~70cmの花径を直立させ、花穂をつける。ヨーロッパ原産の帰化植物。北アメリカ、カナダ、中国にも帰化している。私の散歩道では、オオバコよりこのヘラオオバコのほうを多く見かける、)ヨーロッパ原産で、日本には、江戸時代の末に渡来。葉がヘラ形であるため、この名がある。日本のオオバコほど、ヘラオオバコは踏まれることに強くなく、丘陵地の草地などに多くみられる。ヘラオオバコの花穂は、初めは、円錐形でほら、こんなに上品で、可愛らしい。(Photo by toshi)(花期は、4月~8月。多数の白い花を順次下から開く。オシベは花冠から長く突き出している。雌しべがオシベより先に熟すので雌性先熟という。)のちに、円柱形となり、白い花をいっぱいつけている(花の穂を取り巻くオシベはリング状に見える、下から順次上へと開いた花は一番上に達したところ。花径には、葉がつかない。)目立たない色、小さな花、雑草にまぎれて、今は、人々に振り向かれることほとんどないけれど数千年という永きを、生き続けてきたたくましい雑草人々の暮らしのなかで、薬草として、古今東西の人々に恵みをもたらしてきた、オオバコたち。タケニグサ(竹似草)私の散歩道、山ごとぶっ潰して、造成し、建売宅地にした広大な地域。そのような崩壊した斜面にいち早く、いり込んで繁茂する先駆植物(パイオニア)タケニグサ(竹似草)(タケニグサ属(Macleaya cordata) 多年草。分布本州~九州、中国。道端、草地、空き地などに侵入して生育。草丈1~2m。花期7~8月。この道端に侵入して、すでに3年。毎年、毎年、根こそぎに何度も刈り取られ、今年も春からすでに1回は刈り取られたはずであった。だが、それにもめげず、一層、勢いを増して、朝の陽光に、みごとに照り映えて、はっとする美しい花を咲かせている。(果実に特徴あり、朔果。美しいオレンジ色の果実が出来始めている。(写真では不鮮明にしか写せていないが)繊細な糸のような白い花、つぼみ、オレンジ色の小さな実さえついて道行く散歩者のこころを魅了する。自然の造形の妙、神秘さ。茎や葉を折ると出てくるオレンジ色の汁は、アルカロイドを含み有毒。薬用植物でもある。和名・タケニグサは、茎が中空で竹に似ているから。
2008.07.21
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梅雨が明け、夏本番!今日、19日当地方は梅雨明け宣言。今朝は、快晴。からっとした爽やかな夏の朝。早朝(5時ごろ)の散歩は、久しぶりに、ひんやりとした夏の朝の冷気が身体に爽やかに流れるそんな朝の私の散歩道の小暗い緑のなかに、ぽっかりと明るく涼やかな白い花リョウブ(令法)(リョウブ科リョウブ属の落葉小高木。雑木林や山地のやや乾燥した場所に生える。北海道から九州、韓国の済州等に分布。6~8月に穂状の白い花が咲く。果実は長く垂れ、冬の枝にも残る。樹皮は、大きな木ほどよくはがれ、サルスベリに似る)近づいてみれば総状に、小さな白い花をいっぱい咲かせている。蝶や蜂が密を求めて花の周りを飛交う朝。(花は枝先に長さ8~15cmの総状花序を数個つける。花弁は5枚、ばらばらに散る。材は、緻密で堅く、床柱、器具、薪炭材とする。)名の由来は、かって、この木を、救荒用に植樹を勧める令法(りょうほう)が、出されたためといわれている。救荒植物とは、山野に自生する草木で、凶作の時に食用にすることができるもの。リョウブは、若葉をゆでてアク出しして、食用とし令法飯(りょうぶめし)などにされるという。かっては、人々の暮らしと深く関って、共生してきたリョウブ。今は、里山の林のあちこちで、人々から振り返られることもまれとなり、ひっそりと、ただ、涼やかな白い花を咲かせるばかり。山を跡形もなく潰して、宅地造成した空き地やその造成地を貫く自動車道路の道端に真っ先に、浸入して至る所で、芽を出し、木となったアカメガシワ(赤芽柏)若枝や葉には柔らかな赤味を帯びた星状の毛があり、濃いみどりに、ほんおりと紅が美しい(花は単性花で雌雄異株。枝の頂に円錐花序をつけた雄株)6、7月ごろには、枝の先に円錐花序の白い花を咲かせる。アカメガシワの実は、球形の裂果で、表面には柔らかな長いトゲがある。あっという間に雑木林のなかに生えて群生している。あさひを浴びて、きらめき、ざわめいてるアカメガシワの木々(学名:Mallotus japonicus Muell. Arg. トウダイグサ科の落葉高木。2次林に群生するものは、2~3mのものが多いが、老木は15mにも達する。日当たりのよい場所なら、何処にでも真っ先に侵入するこのような木を、先駆性樹木(パイオニアツリー)と呼ぶ。成長が非常に速く、雑草のようにたくましい。、名の由来は、カシワの葉と同じように、古くは、食物を盛る器につかったからという。樹皮の苦味物質ベルゲニンは胃腸薬に用いる。 子どもたちが夏休みに入るや、梅雨明けとなり、連日当地方では、厳しい暑さが続いている。昨日(20日)の気温は、軒並み36度を超え、猛暑日となった。コトちゃんの住む市など37.8℃と、今年の最高気温となり、2日続けて37℃を超えている。このままだと最高気温は40℃を超えてしまうのでは。一体、地球はどうなってしまうのでしょうねぇ。 日中の猛暑のなか、まだ、日の出前後の早朝は、かすかに凌ぎ易い。わずかばかりの冷気がある。私の散歩道は、眠りの中にある造成された新興住宅街。シャッターの雨戸を閉め切っている家が多い。 その道端や、空き地の荒地に、アカメガシワは芽吹き、花咲き、実をつけ、あるものは、3~4mほどの樹木になって茂っている。(いちどきに芽から実まで観察できる)また、高齢者の住む家の庭などにも、手入れされないまま伸び放題の庭木のあいだに、必ずと言っていいほどアカメガシワが生えている。老いて行きつつある町内のあちこちで、そんな庭に遭遇する。 一方では、山をまるごと潰して、造成し、新興の建売住宅街が出現し、若い家族が転居してきて住む。他方では、老い行く荒れるに任せた家々がある。このちぐはぐな街のありよう。今の日本の家族のありようの象徴でもある。そして、それは、又、行き当たりばったりの自然開発の象徴でもある。 そんなちぐはぐな破壊され続ける里山のわずかに残された林のなかのあちこちに、涼しげに白い花を咲かせているリョウブ(令法)。壊された林に、たくましく芽吹いて、自生している。リョウブが、天災時や戦時の食料を補填するするための救荒植物として、奨励されていた時代があったと知って、何か思い複雑である。やはり、どんな条件下でも、たくましく生きる植物であるのだと改めて納得。次回は、踏みつけられても、たくましく芽を出して、猛暑の道端で花咲かせているオオバコについてアップする予定。
2008.07.19
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野の草、満ちる散歩道(ネジバナ・チチコグサ・チチコグサモドキ・モウズイカ)荒地の乾いた土手や芝生からすくっと、細い花穂(カスイ)を伸ばして下から上へと螺旋状に可愛らしい淡紅色の花をあちこちに咲かせているネジバナ(捩花)(ラン科・ネジバナ属。日の当たる草地ならどこでも生える。花期は6~8月。草丈10~30cm。繁殖力強い地生ラン。右巻き、左巻きどちらも見られる) 別名「モジズリ」江戸時代には、「モジズリ」の名で呼ばれ、栽培の記録があるという。「モジズリ」の名は「伊勢物語」にある歌みちのくの しのぶもぢずりたれゆゑに 乱れそめにし われならなくにに見られる「忍捩摺り」にちなみ、忍捩摺りのかすれた細かいもじり模様が、ネジバナの花がねじれて連なる状態が似ていることからつけられた。アップするとこんな花 (photo by toshi)がく片が花びら状で、淡紫色唇弁は白い。側花弁が重なってかぶとのよう。一つの花の大きさ、わずか4~5mm、小さな花が50個余りも密生し、螺旋状に回転している。見過ごしてしまいそうに小さな花日の当たる草地ならどこでも旺盛に生えるネジバナ日本の野生ランのなかでは、絶滅のおそれのない生命力旺盛なネジバナネジバナと競いあいうかのように荒地の草原を占有しているのはチチコグサモドキ(ピンボケであるが手前の淡いピンクのがネジバナ。茶色の穂のようにつんつんと草のなかから立ち上がっているのがチチコグサモドキ。)チチコグサモドキをアップするとこんな花を咲かせている(学名:Gnaphalium pensylvanicum.キク科の越年草。熱帯アメリカ原産。大正の初め、1912年に渡来。現在は道端に普通にみかける。)和名、チチコグサモドキはチチコグサに似ているから。(チチコグサの全体の姿。ロゼットの葉から単立しているか、基部で分枝している。)草は白い綿毛で覆われ、花は茶褐色で、地味な色。他の雑草のなかにまぎれている。しかし、キキョウソウ、ネジバナ、などと一緒に初夏の荒地の花となって、蜂や蝶の蜜源となって、野の草となっている。日本原産のチチコグサは、余り多くないのか、滅多にみられないが、熱帯アメリカ原産の帰化植物のチチコグサモドキは、至るところに生えている。チチコグサ学名:Graphalium japonicumキク科の多年草。平地の人家近くの道端や野原に生え、日本全土、東アジアに広く分布。名は全体がハハコグサに似るが、葉の上面が無毛でやや硬い感じを与えるところから、母に対して父を連想してつけられた。(チチコグサは、チチコグサモドキとは別種で、花のつき方、葉の形などが異なる。生育場所は、ハハコグサ、チチコグサ、チチコグサモドキはほぼ同じ。花期、草丈などもほぼ同じ)ネジバナやチチコグサモドキは、花が数ミリと小さく、チチコグサモドキにいたっては、花の色が茶色と目立たなくほとんどの人々の目に留まることもなく、雑草として、入り混じり、草刈時には、草刈機で一網打尽に刈りと取られてしまう。それでも、しぶとく生き抜いている。私の散歩道で草刈時に毎年毎年刈り取られ花を咲かせることなく姿を消していたビロードモウズイカ(ビロード毛蕊花)が学名:Verbascum thapsusモウズイカ属 越年草。別名・ニワタバコ草丈1~2m。花期8~9月。道端、河原、空き地などに生育。地中海地方原産の帰化植物。北海道~本州に分布この夏は刈り取られること免れて林の縁で、花を咲かせるまでに成長しました。人間の背丈よりも高く伸び林のあちらこちらににょきにょきと林立しています。アップするとこんな花(6/20 撮影)白っぽい毛で厚く覆われビロードのようなモウズイカ(毛蕊花) (7/15撮影。1ヶ月後には、このように茎が次々に脇から分かれて花を咲かせている。主の太い茎は、3m近く伸びている)(花をアップすると、こんな姿) スペインの秋の巡礼街道では、この同じなかまのモウズイカが一面、見渡す限り、枯れ野の麦畑に枯れた姿でひとり立っていた。日本とサンテティアゴ巡礼街道との時空をこえて同属の植物を眺めることの不思議何回刈り取られても、何度でも芽を出し、伸びて花を咲かせる。海を越えて、全く異なる環境の中に放り出されても、適応し生き続ける強靭さいのちを繋いで、生きるとはこういうことではと思ったりする。 今回、取り上げた私の散歩道の野草たちは、人家の近くに生えているため1年に何回も、草刈り機で、一網打尽に刈り取られている野の草たちばかりです、ネジバナ、チチコグサモドキなどは花は数ミリの小ささ、特に気をつけて観察しなければ人には気付かれない草たちばかり。目を凝らして、足元の草花たちを観察するのも又、別な楽しさ趣があります。過密な人の手がかけられた、庭木や公園の木々や花々とはまた趣をことにした野の草たちです。(異常天候のためか、花期がめちゃくちゃで、8月9月に咲く花は、ほとんど6月半ばには咲き始め、春の花、初夏の花、夏の花すべてが一時にどっと咲いている。これは花期が長くなっているといえるのか。)何回刈り取られても、何度でも芽を出し、伸びて花を咲かせる。海を越えて、全く異なる環境の中に放り出されても、適応し生き続ける強靭さいのちを繋いで、生きるとはこういうことではと思ったりする。 今回、取り上げた私の散歩道の野草たちは、人家の近くに生えているため1年に何回も、草刈り機で、一網打尽に刈り取られている野の草たちばかりです、ネジバナ、チチコグサモドキなどは花は数ミリの小ささ、特に気をつけて観察しなければ人には気付かれない草たちばかり。目を凝らして、足元の草花たちを観察するのも又、別な楽しさ趣があります。過密な人の手がかけられた、庭木や公園の木々や花々とはまた趣をことにした野の草たちです。(異常天候のためか、花期がめちゃくちゃで、8月9月に咲く花は、ほとんど6月半ばには咲き始め、春の花、初夏の花、夏の花すべてが一時にどっと咲いている。これは花期が長くなっているといえるのか。)
2008.06.20
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スイカズラの甘いかおり漂う朝の散歩路 連日気温の高低差が大きくこの週は3月下旬の気温の日が続き肌寒い荒れた天候の5月となった。五月の朝靄の散歩道(写真の左手前のカシの木は隣の小学校の子どもたちが、ドングリを拾って、播いて育てたドングリの木。もう林になるまでに生育している。その子供たちも今は大学生。)昨日は打って変わってさわやかな風薫る5月晴れの日となった。日の出時間は4時48分。ひんやりと爽やかな朝の風に誘われて久しぶりに早朝散歩をした。どこからともなく甘いかおり、どこか懐かしい甘いかおり、ふと見渡せばスイカズラの花が鄙びた竹垣から零れ咲いていた。忍冬咲くゆえ蜂にさされたる 高野素十スイカズラ(吸葛)の甘い香り満つ朝の散歩路大きなミツバチが甘い蜜を求めて飛交う朝(学名:Lonicerajaponica 半落葉つる性木本 別名・キンギンカ、ニンドウ北海道~九州に分布。雑木林のヘリに自生。和名スイカズラは、花の蜜を吸うと甘いため、あるいはおできの吸出しに利用した為との由来あり。葉や花、茎は漢方薬として利用されている。香りが強いので焼酎に漬け、忍冬酒とする。18世紀に初めにヨーロッパに渡り、園芸品種として多く育成されている。ヨーロッパ産はハニーサックル(Honey suckle)とよばれ、ハーブとして利用)スイカズラその花を摘み、蜜を吸って遊んだ幼い日々を思い出させる懐かしい花吸葛花びらは開花したとき、純白やがて淡い黄色に変わるその姿から金銀花(キンギンカ)葉っぱは落葉しても一部は寒さに耐えて残るので忍冬(ニンドウ)ともいう。花の呼び名を三つも持っている花スイカズラ(純白の花はやがて淡い黄色の花となる)蚊の声す忍冬の花散るたびに 蕪村忍冬に眼薬をうる裏家かな 正岡子規初夏の訪れをつげる忍冬の花。日本の人々の暮らしのなかに息づいていた忍冬の花こんな艶かしい歌もある忍冬のこの色欲しや唇に 三橋鷹女いつもの私の散歩道鴨が池のほとりにも甘い香りをあたり一面にまき散らしてスイカズラは群れて咲いていた(秋には黒い実(液果)となるが有毒であるので注意!)鴨の雛鳥が数匹母鳥とゆったりと泳いでいた池朝の陽光に輝くみどりにエゴノキやヤマボウシの白がまぶしい朝の散歩路(エゴノキの花。強い香りに誘われてミツバチが飛交う)スイカズラもエゴノキもヤマボウシも初夏に咲く花梅雨のころに咲く花(ヤマボウシの苞が白い花びらのように咲く)例年なら重く垂れ込めた梅雨空を背に雨でけむる濃いみどりに映える白。(朝靄に煙るヤマボウシ:今年は6月に咲く白い花々が次々に5月半ばで咲く)来るべきぎらぎらと照りつける炎暑の夏前の束の間のやすらぎぶんーと、ぶーんと大きなミツバチが強いかおりの池辺で蜜をもとめて飛交っていた気温の異常は、咲く花々たちをも狂わせた2008年5月の中旬
2008.05.16
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花冷えの森Danjoseが本土寺を散策した四月一日は強風のため武蔵野線が運転見合わせになるほどに、冷たい北風が日本列島に吹き降ろしていた。私の住む尾張の山里も冷たい北風が、体の芯まで冷え冷えとさせ震え上がらせる春の嵐の日であった。そんな花冷えの4月の森をことちゃんとジイジとバアバで散策した。桜の蕾はまだ硬く裸木が寒々と北風に騒いでいた。ざわめき始めた草の芽のかすかな気配が感じられる枯れた地面に繊細な淡い紫色の花びらを可憐にひらいて地面からすくっと立ち上がって咲いていた猩猩袴(ショウジョウバカマ)(学名:Heloniopsis orientalis)(猩猩は中国の想像上の怪獣・猩猩の顔に花を、ロゼットの葉を袴に見立てた和名:猩猩袴丘陵地の沢筋や湿り気のある林の縁などに自生。分布は北海道~九州、朝鮮、ロシア極東)見渡せば林床のあちらこちらにと点々と咲いていた。(冬は紅葉した葉っぱをロゼット状にして、枯草の間で冬を過ごす。春のおとづれとともにまず花茎がのびて、花を咲かせる。やがて新しい葉っぱがでてくる。草丈は10~30cm。花がおわり、果実が熟す頃には茎は長く伸び1mにもなるものもある)厳しい冬の寒さにロゼット状に葉っぱをひろげて木漏れ日浴びて春を待っていた猩猩袴今、その時が来て林のなかをそこだけを明るく和ませて咲く。花冷えの森に厳寒に耐えたいのちをみなぎらせる次に来る春の森のいのちの狂騒の前触れ静かに穏やかに咲くショウジョウバカマ
2008.04.03
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いじくりまわされた花々たち 私は以前、近年の販売されている花の苗が、すべて背丈が大きく成長しないものばかりで、育てる楽しみ、花を咲かせる楽しみがなく、すべて人工的に均一化されているので、花を育てるのを止めてしまったことを書いた。今日の朝日新聞の「私の視点」という投稿欄に、ガーデンセンターを岐阜市で、35年経営しているという安藤雅彦氏が、私の考えを裏づける意見をのべておられる。 「この10年ほどは、よく売れる花は、たくさん咲きそろい、背丈が20センチほどの小さいものが多い。それは消費者の求める形にして購買を可能にしたからである。 いずれもホルモン剤の一種である矮化剤で茎が伸びないようした花である。こうした技術革新は、開花時期、花数、茎の伸ばし方など自由に調整することを可能にした。農家はその技術をマスターし、操るようになった。」 やっぱり、このように操作された苗が大型ガーデンセンターに売られていたのだ。 納得。 いくら工夫し、腕を振るっても、同じ色合いの花しか咲かないのを納得した。花を育てる技術など不要で、花の咲いた苗を植えて、咲き終わったら捨てることが前提の苗木であること納得。自分の気に入る苗は、近所にあるガーデンセンター・カーマーなどにはないこと納得。 氏も指摘されておるが、個々の植物は自然の一端であり、植物本来の葉の色や形、向き、茎の色、伸び方、花の色、形、向き、咲き方、香り、などなど、これらを通して植物本来の美しさ、自然を感じることが可能なものである。この本来の姿からどんどん遠ざかっていると言っておられる。 これも私の日頃感じていることを代弁してくださっている。私の散歩道には、山を丸ごと潰して、宅地開発しているエリアがあるのだが、その地域、最近は段々宅地化が完成に近づき、そこに建てられた住宅に人が住みはじめた。次第に街路の雑草は刈られ、一見整然として、美しくなったようにみえる。山を潰した際に、ため池を何個も潰した代替に作られた人工池も、次第に雑草が定期的に一網打尽に刈られるようになったら、その土手や崖にはえていた、四季おりおりに楽しんでいた、草花は見事になくなった。私が「私の散歩小径」で紹介してきた草花たちだ。 初夏の早朝、池の辺り一面、可憐に咲いたオオマツヨイグサ。秋風に揺れた可憐なコマツナギ(駒繋ぎ)の花。雨が続き憂鬱な日々に雨にぬれて、淡いブルーがかったピンクの花を咲かせた、アレチヌスビトハギの群生。さらに夏には、つる草が生い茂り、可愛らしい言葉では言い表せない微妙な黄や紫やピンクや白の花をさかせた。 これらの草花たちは、ほぼ姿を消した。 削り取られた土手に、何処からともなく飛んできた種で、強靭に生命を維持し、繁茂しようとしていた草花たち。今は人工的に植栽された、公園にお馴染みの木々があるのみ。その木々の間に、命芽吹いた草花たちを共生させることはいけないことなのだろうか。とりわけこの池は小学校の前にあり、時折、子どもたちが授業で自然観察をしている。人工的に整備されたなかで、観察してなにが体得できるというのか。 可憐な花を咲かせるアレチヌスビトハギ 駒繋ぎ(コマツナギ)の花:雑草のなかで可憐に咲く夏になると、つるとなって、木や柵にまきついて、繁茂するヤブツルアズキ この写真のような花はほんの一例。子供たちが毎日通う通学路の道端に普通にいっぱい咲き満ちている花たち。これらの野草は、雑草としてすべて刈り取られた。ある時など父母が総出で刈り取った。その変わりに、桃やブルーベリーや梅などの果樹が植樹された。 このような美しい色合いの野の花々を観察することなく、ただありきたりの植栽された木々ばかりの公園で、何を観察させようとしているのか。どんな感性を子供たちに身につけさせようというのか。 「私の散歩小径」に、私が、最近ほとんど記事を書ていないのは、宅地開発が完成に近づくにつれ、「バンジー」やら「ビオラ」やら同じ花ばかり、同じ色合い、同じ背丈、同じ大きさの花々を飾りたてている、全く美しいと感じない「散歩小径」と化しつつあるからである。何よりも季節を感じさせない花々たち。安上がりのガーデニング。 最近、サンティアゴ巡礼街道の記事を書くために、「ヒース」について調べている。その調べ最中、たまたま、ガーデンセンターで「ヒース」「エリカ」という苗が売っていた。イギリスのヒースについて、色々読みものしていた時だったので、思わずその売り場に目が行ったが、「あまりの無残な姿」に言葉がでなかった。「これがヒース?これがエリカ?」 厳しい自然のなかで、生きている生き物たちのゆりかごとも言うべきヒース植物群。ヒースって荒地に育つ植物ぐらいの認識しかなかった私にとって、色々調べる中で、ヒースの育つ大地の生物たちの共生の豊かさ。自然の循環のすごさ。その大地の多様性や複雑さに驚かされた。長い歳月の中で、厳しい環境のなかで創り出してきたその植物の姿の美しさ、微妙さに感心していたのに。 このガーデンセンター・カーマーにあるヒースやエリカの醜さ、背丈もすべて15センチぐらいに揃えられ、釣鐘状の薄汚い白や、汚れたピンクの花を咲かせていた。エリカなんて「結婚式に人気ある花」などという、キャッチコピーまでついているのである。 この花たちを見て、あのイギリスのヒースの大地を思い浮かべることができるか、スペインの巡礼街道のあのヒースの花の群生の素晴らしさを思い描くことができるか。ヒースの大地が実は豊かな生命を育むゆりかごであると思い描くことが出来るか。その片鱗も感じさせない、ガーデンセンターで売られている「ヒース」の苗木。しかも結構な値段でだ。現代のガーデニングとは何か。人々が自然の営みの過酷さもふくめて、その美しさに心癒されることが本来のガーデニングのあり方ではないのか。なるべく自然から遠く切り離した所で、インテリアとして、花を飾る。人工的に、人間さまに好都合なところだけ寄せ集め、飾り立てる。これが現代のガーデニング。やたらに外国産の花を意味もなく扱う。泥にまみれないガーデニング。これで人がこころ癒されるか。似非ガーデニング。ガーデニングで、一儲けしようとしている人々のために花たちはあるのか。これが、効率よい利潤のあがる儲かる農業経営とかいうものか。それにしても、新しい宅地に新築して転居してきたた親たちは(幼い子どもがいる家庭が多い)、子供たちに花を通して何を学ばせ何を育てようとしているのか。この団地内の公園の土手に植栽された、ハギの群生は、防犯上好ましくないと、すべて刈り取らせ丸裸の土手にした。ユキヤナギも茂みとなるので防犯上好ましくないと刈り取られている。これで、いくら自分の庭らしきものをパンジーで飾り立てても、子どもは育ちませんよと言いたい。儲かるガーデニングは人間の心まで蝕んでいるとは言いすぎだろうか。
2008.02.14
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獅子吼(シシク)高原の紅葉金沢の中心地から40分ぐらいバスと電車を乗り継いで加賀一宮で下車。その駅より歩いて獅子吼高原を山歩き大好きの大学時代の友人と散策した。 下界から眺めるとまだまだ紅葉は早く山肌は青く、霞んでいた。ただ、ススキの穂が白波となってうねっていた。白山の裾野に広がる獅子吼高原さわやかな秋の風が吹きぬけるその風に乗ってパラグライダーが舞っていたしかし、一歩山の中に分け入ると雑木林の木々は淡い水彩を流したように色づいていたクヌギ、カエデ、モミジの木々は濃い緑の杉の木立と混じって淡い水彩画となって燃えていたひときわ紅く燃え淡い景色のアクセントとなっていたハウチワカエデ 足元を見れば可憐なコガネギク(黄金菊)が咲いていたアキノキリンソウにも似た花山に秋の訪れを感じさせる花秋の陽光に黄金に輝くコガネギク(キク科アキノキリンソウ属でアキノキリンソウより背が低く、頭花は大きい)雑木林のほの暗い根元に群がって咲く白い花よくよく見るとキク科の花盛りをすぎて、枯れようとしている花びらユウガギク(柚香菊)ヨメナの花に似た花ヨメナの花よりまばらにつく花びらと白い花が秋の山野を可憐に彩るユウガギク涼しげに咲いていた青紫色の花ハクサンカメバヒキオコシ白山山地に見られる花ハクサンカメバヒキオコシ (焦点合わずぼけていますが)アップすると山のなかで見つけたクロモジ(黒文字) 茎を折って、匂いを嗅ぐと爽快な香りがするクロモジ(茎は黒く・とても爽やかな香りがする) 春にはこんな花をつけます。庭に植えて、お客に茶を出す時、庭からクロモジの茎を折り、楊枝として茶菓に添えるのが風流という、金沢のお茶のもてなし。(花の写真:季節の花300)より(クスノキ科:クロモジは油を含み、さわやかな香気がある。古くは、先を砕いて総楊枝にされ、歯を掃除したり、お歯黒液を塗った。名は黒木の楊枝、あるいは黒く染まった黒楊枝から語尾を省略する宮中の文字詞(ことば)で黒もじと呼ばれたのが始まりか。花はロウ細工のよう)初夏に咲いた紫陽花は秋の冷気で枯れようとしていた花びらを錆びた赤としてそこに立っていた。秋の山里は、微妙な色合いに変化して淡い水彩絵の世界となって深まろうとしていた。(2007・11・5 金沢にて)
2007.11.09
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9月の朝の散歩小路は夏の花々が盛り 私の朝の散歩道は今、夏の盛りに咲く花々が 一斉に、生き生きとと咲き始めたノウゼンカズラ(朝の陽光に輝いて咲くノウゼンカヅラ)日本の夏の庭には必ずと言っていいほどに夏の照りつける暑さと競うように盛りと咲いたノウゼンカズラ庭木や垣根にからめて天に昇るように朱赤色の花びらを開いて太陽の赤と暑さを競うノウゼンカズラ今年の炎暑と長い梅雨で夏の盛りには花つきは悪かったのに9月の風に涼を感じて9月だというのに、昼間は連日30度を越える暑さにノウゼンカズラの花芽は目を覚まして一斉に鮮やかに咲き乱れる2007年九月の朝百日紅(サルスベリ)(9月になって、盛りと咲く白い百日紅) 百日紅も日本の夏の庭を彩る代表的な花木7月ごろから9月ごろまで夏中、咲いては散り、咲いては散るまさに百日間咲く紅百日紅幼い日、スルスルと大きなサルスベリの木をすべり台にして暑い夏には、ぼんやりと花をながめていたっけ。そんな百日紅も今年の夏の盛りには花つきがまばらで貧相な木々であったのに私の散歩道の百日紅は今、朝の涼しい風にゆれて、生き生きと色鮮やかに花の盛りとなる。そして、アサガオまでもが (懐かしい日本のアサガオ、早朝にみずみずしく咲く)朝露にぬれて早朝の散歩道の垣根にみずみずしく盛んに咲くそして、ツユクサも生き返った雑草のなかで濃き青の群生となるそしてオオマツヨイグサも 道端で、池の土手で朝の日差しをうけて、咲ききっている昼間の暑い陽光に萎んでいく一夜のいのちを輝かせる9月の朝もっと驚くべきことに、クチナシの白い花が次々に咲き始めた(クチナシが所々の家々の庭に咲いている)梅雨空に芳しい芳香を柔らかな白い花びら開いて私たちのこころを慰めてくれるはずのクチナシが狂って今咲いているそして、日本の8月の庭に咲いていた芙蓉(フヨウ)の花も槿(ムクゲ)の花も9月朝のの涼やかな風に競い咲く朝(朝のやわらかな陽光のなかで次々にさくピンク色の芙蓉。1日花で、咲いてはその日のうちにしぼみ散る。) しかし、9月の風はハギの花も私たちに運んできた。夏の花々と共演して咲く萩季節は確実に秋へと移ろいはじめている。2007年9月、日本の繊細な四季は、何処に行ってしまったか。その四季の訪れを告げる日本の草花は、咲くべき時期をかくも狂わせて、健気に環境に順応しようとしている。
2007.09.08
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人にやさしい生態系とは。私の散歩小径に私の住む町の中央を貫く川があり、その河川敷は4月の終わりごろより一面、真黄色の見渡す限りのお花畑オオキンケイギクで覆われる (花の盛りは終ったが、河川敷3キロばかり延々と黄色のオオキンケイギクが咲き、 その合間を縫うように白い綿毛のチガヤが風にゆれている) 今年の晩春から初夏にかけては、オオキンケイギクの大群が工場団地の土手や河川敷や道端に目をみはるばかりの群れとなって咲いていた。(後ろの方にある白い綿毛の群れがチガヤの群落:オオキンケイギクが真っ盛りの頃は、河川敷は黄色に染まり、チガヤはその陰に隠れ見えなかった)鮮やかな黄色で覆い尽くされた河川敷夏を思わせるぎらつく陽光に黄色を一層明るくオレンジ色に輝かせて初夏の水辺で揺れている。はっとするほど明るく美しいお花畑オオキンケイギクはキク科の宿根草で北アメリカ原産の帰化植物。明治の中頃に観賞用として輸入され、園芸植物として庭で栽培されてきた。しかし戦後は野生化し、海岸や河川敷に大群落となって出現した。この10年間では、高速道路の土手や新しく造成された鉄道路線沿いに突然、大群落となってお花畑をつくた。2006年2月には外来生物法に基づき特定外来生物として栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則として禁止となった。私の散歩道の河川敷のオオキンケイギクは万葉の時代から千数百年にわたり、日本の風土のなかに順応して人々の暮らしの中で、いのち紡いできたチガヤ(茅)とその生育場所をせめぎ合っている。年毎に日本古来のチガヤがその場所を譲ろうとしている。オオキンケイギクの強い繁殖力は川原にその根を張り巡らして、チガヤの根と争っている。チガヤ(初夏の風に揺れる、静岡・つま恋のチガヤ By Dabjose)チガヤはイネ科の多年草日当たりのよい空き地に一面にはえ、白い穂を出す。ツバナといって若い穂の甘い汁は、かつては食べられたこともある。私たちも幼い頃、サトウキビのように吸って遊んだ。甘味の乏しかった戦後にお菓子の代用であったのかも。万葉集にはチガヤは「浅茅」(アサジ)・「茅花」(チバナ・ツバナ)の名で登場する。紀女郎(きのいらつめ)が、大伴家持におくった歌、戯奴(わけ)がため わが手もすまに 春の野に抜ける茅花そ 食(め)して肥えませ (巻8・1460)家持の返歌、わが君に 戯奴は恋ふらし 賜りたる茅花を喫(は)めど いや痩せに痩す(巻8・1462)穂をむしりとり食べた風習は万葉時代からあったことが歌からも窺える。茎葉は乾燥させて屋根を葺き、成熟した穂は火口(ほくち)に使い、花穂は乾燥させて強壮剤に、根茎は茅根(ぼうこん)と呼ばれ利尿剤に、チガヤは人々の暮らしの中で長い歴史をともにしてきた草人々の暮らしが変わりチガヤは無用となった。さらに、ワイルドフラワーなどという花々が緑化の名のもと、花をにぎやかに咲かせて土手や河川敷や造成地を花畑にするのが流行だ。何千年もの長い時間をその土地で、その四季を生き抜いて、その土地の風雪に耐えうる生態に進化させてきた草花がこのように安易に捨てられていいのだろうか。人もグローバル化などと言い、人らしい進化を止めている。グローバル化とは、それぞれの特殊性や個性を無視して、金儲けのために、すべてを非人間的な低い方へ平均化することに過ぎない。賃金の切り下げ、非正規雇用の増大など労働条件を劣化の方へ発展途上国と呼んでいる国に合わせることが今、社会が行っているグローバル化。草花たちにも同じことがおきているのではないか。山々を丸ごと潰して、雑木林を根こそぎなぎ倒し、丸裸にされた大地に造成された細切れの宅地と安普請の住宅を一生かけても支払いきれない借金で購入する家。その虚飾の家の猫の額ほどの狭い庭に雑多に花々を植えて飾り立てる隣家と競うように花を咲かせている。見たこともない外国の花々ばかり、遺伝子の操作で、作り出された確かに色鮮やかであったり可憐であったり、人の目に刺激的な花々でもなんだか変。花が真っ盛りのときだけ愛でられる園芸。花期が終ればことごとく引っこ抜かれて園芸店から別の花がやって来る。蝶やハチが花粉を運び風が、小鳥が種子を運ぶこの花たちはどんな雑草になって繁茂するのだろう。私の散歩道は年毎に見たこともない草が次々に花を咲かせる。雑然として荒れた草たちその花の姿を色を次々に変えて咲く道端の草たち野の草花も人の心を写す鏡なのかもしれない。美しさを失っていく野の草、荒れて雑然と咲く。人が人らしく生きることの出来る生態系を守るとは何か深く考えさせる野の雑草たち。
2007.06.06
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絶滅寸前の野生のシデコブシ(宅地造成地の人口の貯水池の丘陵にに咲くシデコブシ)私の散歩道は昨年の秋から冬にかけて冬らしい沁みるように痛い北風の日は数える程しかなくだらだらと秋から春の気象状態で早春にさく花々はことごとくだらだらと咲き続けていた。痛いようなカラカラに乾いた春の風の中に春の息ぶきをかすかに感じるあの繊細な日本の早春の感動が消失していたしかし、この一週間ばかりはまさに冬が到来し肌を刺す風が痛く肌に刺す。日本海側の地域に雪を降らしからからになった冷たい風が中央高地を越えて吹き降りてくる。暖かさにつられて早めに咲き始めていたシデコブシはその花びらを寒さに震わす。野生のシデコブシは愛知・岐阜・三重の3県の丘陵地にある湿地のみに自生する春を告げる花数百万年前、現在の伊勢湾からこの地域に存在していた「東海湖」と呼ばれる湖底に堆積した砂礫層の湿地に「コブシ」から分化した「シデコブシ」こんなにも長く生きながらえてきた野生シデコブシは今は息き絶え絶えに絶滅の危機にある湿地と太陽の陽がよくあたる所を好むシデコブシは樹高が低いために手入れされなくなった里山の高い木の増大で枯れてしまったり山ごと根こそぎに破壊する宅地開発でその自生地が消滅したり、残った自生地も個体数の減少で近親交配の影響が、繁殖力や子孫の生存率を低下させて、現在は、シデコブシは絶滅危惧種に指定されている。(花びらは寒さで縮んで震えている)この私の散歩道のシデコブシは巨大な宅地開発で、三つのため池はすべて消滅しその代わりに一つの貯水池が作られたその貯水池の丘陵の湿地に植えられたもの何本か植えられたがこれ一本が生育している。この春は、花を咲かせ始めた頃に冬将軍に見舞われて花びらは開ききれずに縮こまっている。あの伸びやかで繊細なうすピンク色の花びらは、この春はない。(東京近郊・市川市に天空に伸びて咲くコブシ。その昔、シデコブシはコブシから分化した写真:By Danjose)東京近郊のコブシがこのように高木のため太陽をいっぱい受けて咲き誇り子孫を生存させ続けているけれど低木のシデコブシの花は廃れ行く里山の人々の暮らしと共に手入れされず荒れるままの里山の高木の下で消え行くしかない。2007年春、このシデコブシの風景はまさに日本の今の社会の姿だ.
2007.03.20
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狂った2月の花々私の散歩道には今年は冬がない。タンポポは確かにロゼットの葉を冬の陽光に向けていっぱいに広げてはいるけれど地を這って、黄色の花も咲かせている。(地に這うタンポポの花)そして、野路スミレさえ石ころの駐車場の陽だまりに薄汚れた淡い紫色の花びらを開いている。(石ころの地面から、野路スミレが咲く)そして、夏に咲くイヌホウズキも冬になっても可憐な白い花を咲かせ続けて、漆黒の実を次々に実らせる。(夏に花つけるイヌホウズキ。黒い実もつけたまま冬を越す)葉緑体が活動を停止して、葉っぱが赤茶けていることだけが冬であることを物語る。さらに、オニノゲシも(1年中花を咲かせ続けるオニノゲシ)暖かい道端の陽だまりに、コンクリートの駐車場の割れ目に去年の夏も秋もこの冬もずーと咲き続けている。白い綿毛と同居して、黄色い花も咲かせている。例年なら、3月の終わりごろに咲くホトケノザ(仏の座)(2月の陽だまりで咲くホトケノザ)暖かな陽だまりでもうこんなに咲いている。仏の座のように葉っぱさえ青々と出そろっている。まだ、冬だというのに。さらに、ナズナも(4月の初めごろ咲き始めるナズナの花)その愛らしい目立たぬ花を春のように心地よい2月の風に揺らす。ロゼットの葉を地面に広げ根生葉だけで冬を越すはずのナズナも冬を越すのをやめて茎を伸ばし、花を咲かせた。4月の初めを待たずに咲いた。まだ寒い早春から咲き始める可憐な青い花オオイヌイノフグリ(早春に真っ先に咲くオオイニイノフグリ:Photo by Danjose)例年なら、霜柱の立つ枯れた野にひとり鮮やかな緑の葉っぱを芽吹かせて花の青を点々とさせ、春のいのちのざわめきを一番に告げに来るのに。今年の2月は、春を告げる花々が一斉に咲きイヌイノフグリはその出番を失ってなんだか間が抜けて、その花びらのブルーもイマイチ冴えない。2007年の2月は、もう春。次にやって来るのは爛漫に花ひらく春と夏の花々が競い咲く初夏だろうか。
2007.02.13
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今日は冬至 私の散歩道はコナラやミズナラの枯黄色の葉がはらはらと曇天の冬空を背に舞い落ちる(コナラの雑木林の冬もみじ)ドウダンツツジの真っ赤な葉は一層濃い赤茶の葉となって、まばらに、まだ木にしがみつき冬木立の散歩道でふるえてた。(枯ススキとユキヤナギの枯れた紅葉の土手)今年は春からずっと曇りや雨が多くて、日照時間が記録的に少ない一年となった。今日は冬至だというのに、暖かな低気圧が周期的に西からやって来て雨を降らし、去っていく。冬らしからぬこの異常が初夏に咲く花をもう咲かせているヒメジョオン(姫女苑) 初夏のヒメジョオンに比べると背丈は低く花も小さい。花びらの色も淡い紫色となって咲いているものもある私の散歩道。 タンポポも短い花茎から、地に這うようにして咲いている俳句には「冬たんぽぽ」という季語があるので日本の冬には昔からタンポポの花が咲いていたのかしら。黒土はやさしき土よ冬たんぽぽ 中村 明子 そして、ノジスミレ(野路菫)もこんなに小さな花をつけている。 春には、同じ場所に、このノジスミレは、こんな花を咲かせていた。舗装された道端から、駐車場の石ころの土からもたくましく芽をだして、誰からも気付かれる事もなく夏草と一緒に刈り取られてもへこたれることなく芽をだして、葉を茂らせて暖かな冬至の日にも小さな花を咲かせた、ノジスミレそして、「冬すみれ」という季語もある。石垣のあいまに冬のすみれかな 室生 犀星しかし、この俳句に歌われた「冬たんぽぽ」や「冬すみれ」は暖かな冬の陽だまりに、ひよっこりと咲いていた出合いの感動ではなかったか。木枯らし吹く、厳しい寒さのなかに、冬木立の灰色の冬景色に一輪、二輪と咲いている、ほっとなごむ暖かさ。そんな感動が冬たんぽぽや冬すみれにあったに違いない。私の散歩道のこのヒメジョオンやタンポポやノジスミレはだらだらと四季のけじめ無く続く異常天候のなかで、メリハリなく、なんとなく遅れ咲く夏の花。至る所に咲いている、狂った花たち。冬紅葉でまばらになった明るい雑木林に濃いみどりの葉っぱでほの暗い空間にほのかにピンクかかった白い花びらが乱れて咲き競っているサザンカ花。私の散歩道は冬と春と夏が入り乱れて冬至を迎えた。厳しい冬はやって来るだろうか。いのちが力を蓄え眠る冬は来るか。
2006.12.22
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