1
橋口倫介『十字軍―その非神話化―』~岩波新書、1974年~ 十字軍研究で有名な橋口倫介先生による、十字軍運動の概観です。概観でありながら、冒頭では研究史をふまえて十字軍運動に対する様々な見方を提示し、本論も幅広い視野での叙述となっています。 本書の構成は次のとおりです。ーーーはじめにI 前兆と胎動 1 大変動の世紀 2 十字軍運動の精神的風土II 勧説とその反響―直接人々を動かしたもの― 1 まぼろしの十字軍宣言 2 民衆十字軍III 東方遠征―エルサレムへの道― 1 踏みかためられた巡礼路 2 敵地へIV 聖地の解放―パレスチナをめぐる諸民族― 1 各宗派共通の聖地 2 解放がもたらしたものV 十字軍の理想と現実 1 十二世紀ルネサンスと十字軍 2 聖地のレアリズムVI 凋落と破局―海に掃き落とされるまで― 1 色あせた錦の旗 2 破門皇帝の寛容と聖王の不寛容むすび―十字軍の非神話化―参考文献あとがき十字軍史略年表ーーー 本書を読了してから感想を書くまでに随分時間が経ってしまったので、記事ではごく簡単に、印象に残った部分を中心にメモをしておきたいと思います。 まず十字軍といえば、1095年、教皇ウルバヌス2世がクレルモン教会会議で行った宣言から始まり、1096年に第1回十字軍、その後有名どころでは英王リチャード獅子心王、仏王フィリップ2世、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世が参加した第3回十字軍など、ナンバーつきで呼ばれる事件がクローズアップされていると思います。ところが本書では、いわゆるナンバーつき十字軍以外にも、十字軍運動は行われていたという事実を強調し(ナンバーつき十字軍だけでは十字軍運動を十分に理解することができないという立場)、いっさい「第何回」という表現が用いられません。そこがまず、興味深いところでした。 西欧の人々が聖地エルサレムへ訪れるために経由する地、ビザンツの皇帝による十字軍への見方も興味深かったです。第一回十字軍の頃、時のビザンツ皇帝アレクシウス1世は、西ヨーロッパへの不信の念を抱いていました。先行研究もふまえながら、橋口先生は次のように記しています。「アレクシウスは……十字軍を宗教戦争とも見ず、聖戦とも考えなかった ……彼の目には勇壮な十字軍士もただの侵略者、殺人者としか映らなかった」(81頁)。 十字軍が「聖地」で行った大虐殺についてもふれられています。イスラーム側は、逆にキリスト教徒に寛大でありました。「イスラム支配下のエルサレムは……例外を除いて、キリスト教徒の巡礼に城門を開き、聖墳墓教会は破壊を免れ、礼拝の自由を許されていた」(105頁)。 一方、第一回十字軍でエルサレムを解放した十字軍士たちは、「異教徒の家財を奪い、あるいは市外に追放しあるいは集団殺戮をほしいままにし、寺院を讀してかれらの礼拝を禁じた」(105頁)。「サラセン人という総称で、アラブ人、トルコ人、エジプト人、エジプト人などのイスラム教徒は一括して仇敵とみなされ、兵士たると市民たるとを問わず、老若男女、貴賤の別なく強奪と殺戮の対象とされた」(107頁)。 後に、イスラム側の指導者サラディンがエルサレムを十字軍士から取り返した時には、十字軍側の言葉(自分たちの妻子を殺し、イスラムの捕虜も虐殺する)という言葉に、不承不承十字軍側の無血降伏を承認した、といいます(154頁)。 十字軍は、さまざまな要素がからまりあう運動ですが、まずは「戦争」としての側面をもちます。その上で、橋口先生は次のように述べます。「十字軍はそれが中世世界において生きた歴史であった以上には、たとえ比喩としてでも後世に生き返らせてはならないものである。しかし、平和を真剣に考えるなら、過去の裁かれた戦争をしばしば想起する必要がある……将来に期待される平和論は人間の歴史の総体とその必然性への認識から構築されなければならない。その意味で十字軍の歴史を……偏見、暴力、残虐行為の告白として読みかえすことは必ずしも無意味なことではないであろう」(215-216頁)、と。 本書副題にある、「非神話化」という言葉は、この文脈の中で用いられます。「十字軍は戦争の歴史である。しかし、その戦争は「聖戦」という神話の中に閉じこめられるべきではない」(213頁) 十字軍の歴史をいろんな角度から概観できるだけでなく、現代を考える上でのメッセージも込められた、良書だと思います。(2010/11/05読了)
2010.12.12
閲覧総数 247
2
筒井康隆『宇宙衞星博覽會』~新潮文庫、1982年~ 短編集です。8編の短編が収録されています。 印象に残った作品に重点を置きながら、それぞれに、内容にもふれながらコメントを。ーーー「蟹甲癬」クレール星でほぼ唯一のクレール蟹が、絶滅寸前と知りながらも人々はクレール蟹を食べていた。そうすると、子ども以外の人々に異変が起き始める。顔の皮膚がぼろぼろになっていき、やがてクレール蟹の甲羅のようになる。その甲羅は取り外しができるようになり、裏には美味しいクレール蟹の「脳みそ」そっくりの脳みそが付着していた…。 * この話のように、地球外の星が舞台のSFはなんとなく読まず嫌いだったのですが、面白く読みました。ラストの哀愁漂う感じが印象的です。「こぶ天才」コガネムシ科の虫に似たランプティ・ダンプティを背負うと、その虫はやがて背中と一体化し、それを背負った人々は天才になる―そういう設定の話です。教育ママをはじめ、自分勝手な人間への風刺が痛快でした。「急流」時間の流れがどんどん速くなるという話。こんなラストが待っていたとは…!「顔面崩壊」シャラク星で主食となるドド豆は、調理が難しく、気をつけないと顔面がぼろぼろになってしまう…という話です。皮膚に穴があき、そこに虫が入ってきたり、壮絶な描写が淡々と語られるので気持ち悪くなりました。なんとなくへこみ気味の朝、通勤の電車で読んだのですが、割ときつかったです(それでも読むのがなんとも…)。「問題外科」タイトルの通り。勘違いで健康な看護婦(当時はまだ看護師の名称はないですので)を解剖し殺してしまう二人の外科が主人公です。すごいですよね…。「関節話法」関節を鳴らす癖のあるおれは、その癖を局長ににらまれていた。そんな折、関節を鳴らすことで会話をするマザングという星へ大使として行くことを命じられることに…。 主人公の言葉が、関節が上手に鳴らせなくなることで次第に支離滅裂になっていくあたりは笑ってしまうのですが、一方、彼が背負っている任務を考えると笑えなくもあり…。「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」初めて地球にやって来るマグ・マグ人の代表者と共同生活をすることになったおれ。俺をいきなり殴ったり、毒入りの食事を出すかと思えば、ときに筋の通ったようなことを言い…。一週間のマグ・マグ人との共同生活の末、おれは彼らとの交流に反対するが、上司はマグ・マグ人の主張を信用し、交流をはじめることになる。 * この上司の判断や言動を読んでいると、ある種の人間関係(成績の悪い自分の子より、成績の良い他人の子が言っていることを信用する親や、この物語の通りの、ある種の上司とその部下)を連想します。何を信じるか、という基準は難しいと思いますが、なんらかの「権威」の言葉を信じやすいような気もします。うーん、難しいですね…。「ポルノ惑星のサルモネラ人間」本書の中で、最も分量のある作品です。ポルノ惑星と呼ばれる星では、全裸で生活する人間がある地域に集まって生活しており、地球人など外部との接触を拒もうとします。そしてその星では、あらゆる生物がどこか「いやらしい」性格を持っていて…。 価値観の多様性について、さらには自分たちのいわゆる「常識」がいかに閉鎖的・排他的であるかということなどについて考えさせられる作品です。本作の中で、地球ではそのものすごい性欲によって変な目で見られている男性が、ポルノ惑星の人々のある風習にいたく感動し、人間的に成長するようなシーンがあるのですが、これがとても印象的でした。 私自身はかなり保守的で考えも固い傾向にあるのですが、一方で革新や変化を望んでいる部分もあり(政治的な意味でなく、過去のサークル活動でもあったことなど、一般論として)、これまた考えさせられる一編でした。ーーー ホラー…というか、端的にいって「気持ち悪い」作品が割合多いですが、それでも興味深く読みました。筒井さんの作品には、いわば中毒にさせられるような性格があるように思います。もちろん好みは分かれるのでしょうが、私はかなりはまっています。(2008/02/21読了)
2008.02.25
閲覧総数 1508
3
横溝正史『夜歩く(金田一耕助ファイル7)』~角川文庫、1996年改版初版~ 金田一耕助シリーズの長編です。たしか、『八つ墓村』事件と前後した事件だったかと記憶しているのですが、本書にはそういう情報は出てきませんでした。鬼首村も出てくることから、『悪魔の手毬唄』事件も近い事件だったかと思います。そのどちらかに、『夜歩く』事件に関する言及があったかと思うのですが、はてさて…。 とまれ、内容紹介と感想を(内容紹介については、今日の人権擁護の見地に照らして不適切な用語も出てきますが、作品の時代性を考慮して、作品に沿った用語を用いた次第です)。 探偵小説家である私―屋代寅太―は、表面的には友人の千石直記から相談をもちかけられた。夢遊病の発作のある妹が、怪しい佝僂の画家、蜂屋小市と結婚することになりそうだという。蜂屋小市は、半年前、『花』というキャバレーで謎の女に、太ももを拳銃で射抜かれたが、彼を銃撃した女が、すなわち直記の妹、八千代であるという。 八千代には、怪しい手紙が届けられていた。「近く汝のもとに赴きて結婚せん」「汝夜歩くなかれ」といった内容の手紙が三度届けられ、最後には、佝僂の写真が同封されていた。ただし、その佝僂の首から上の部分は切り取られていた…。 八千代の兄である守衛も佝僂であり、しかしその兄は八千代と血のつながりがない可能性もあるという。そんな中、八千代は守衛と結婚するくらいなら、画家の蜂屋を選んだのだろうというのだが…。 八千代らの住む古神家に、ついに役者がそろう。未亡人の柳、直記の父の鉄之進、守衛、八千代、蜂屋、そして直記と私。直記と私が古神家に着いたその日、酒乱になった鉄之進が刀を持って蜂屋を追いかけるという出来事もあり、夜には、蜂屋の部屋に食事を運んだ八千代がみみず腫れを作ったりということもあり、直記は金庫に刀をしまった。鍵は直記だけが持っており、そしてダイヤル錠の番号は私しか知らない。 同夜。八千代が夢遊病の発作を起こし、離れの洋館に歩くのを、直記と私は目撃した。翌朝、洋館から、首を切断された佝僂の死体が発見された。被害者は、蜂屋なのか、守衛なのか…。さらに金庫をあけて刀をたしかめると、刀は血に染まっていた…。 後、舞台は岡山県鬼首村にうつる。そこでも、惨劇は繰り返される。 中学生の頃に、横溝さんの『本陣殺人事件』をはじめて読み、その後夢中で金田一耕助シリーズを読んだのですが、その中でも、本書は印象的でした。やはり、ミステリというジャンルを読み始めた時期ですので、私にはトリックも犯人もとても新鮮なのでした。昨年か一昨年でしたか、ある方に、私が横溝正史さんからミステリに入ったということについて、読む順番が良かったと言っていただいたことがあるのですが、あらためて、そう思います。 当時、トリックや犯人について衝撃を受けたのは、『本陣殺人事件』『女王蜂』、そして『夜歩く』ですね。横溝正史さんの、いわば古典的なミステリで、こうしたトリックなどにふれられていたのは幸せだと思います。 さて、『夜歩く』も何度目かの再読ですが、楽しく読むことができました。何度か記事にも書いていますが、まずタイトルが魅力的ですよね(ディクソン・カーの作品にも同名の作品があったと記憶していますが、未読です)。 どろどろした一族の因縁。病。呪いの刀。などなど、いかにもな装置が見事に生きています。やっぱり面白いですね。*表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。
2007.10.09
閲覧総数 240
4
筒井康隆『最後の伝令』~新潮文庫、1996年~ 筒井康隆さんの短編集です。まずは収録作品のタイトルを紹介した上で、印象に残った話についてコメントを。ーーー「人喰人種」「北極王」「樹木 法廷に立つ」「タマゴアゲハのいる里」「近づいてくる時計」「九死虫」「公衆排尿協会」「あのふたり様子が変」「禽獣」「最後の伝令」「ムロジェクに感謝」「二度死んだ少年の記録」「十五歳までの名詞による自叙伝」「瀕死の舞台」ーーー まず、「北極王」がぐっときました。両親を亡くしている少年は、家族と旅行ができないため、夏休みの宿題の作文が書けないだろうと友達に言われます。そんな少年に、北極王から招待の手紙が届きます。少年は、電車の切符を手に北極に向かうのでした。…こういうことかな、と思われる設定もありましたが、それも含めて、優しい物語だと思いました。「樹木 法廷に立つ」は、タイトル通り、樹木が法廷で陳述するという物語です。こちらは、花粉症の人の言葉が正確に再現されているところで特に笑えました。「近づいてくる時計」は、主人公が夢の中で何度も訪れている時計店の話。主人公はそこで、「人生の時計」と「近づいてくる時計」に興味を持ちますが、店の主人はあまりそれらに関心をもってほしくない様子。「九死虫」は、9回生きることができる虫の話。主人公は、既に8回死んでいて、最後の生を生きている虫で、この虫の遺言というスタイルです。表題作「最後の伝令」は、間もなく死んでしまいそうな人間の体内で繰り広げられている物語です。「二度死んだ少年の記録」は、ルポタージュ風の構成で、ぞくぞくしました。いじめられていた少年が飛び降り自殺をしてから、警察などが到着するまでにかなりの時間があることを不審に思った「おれ」は、事件について調べていくうちに、衝撃的な事実を知ることになります。「瀕死の舞台」舞台に情熱をかけていた名舞台俳優の死期が近づいています。彼が生きるには、舞台で演技をし、その緊張感を維持するしかない、というところまできており、急遽、監督は彼を寝たきり老人の役に抜擢します。そして老人は、一日の大半を舞台で生活しながら、演技をするようになり…。 特に内容紹介は書きませんでしたが、「タマゴアゲハのいる里」は詩情がある物語でした。「禽獣」も同じくですが、こちらはなんとも優しさを感じる物語でした。「瀕死の舞台」も感動的です。 どたばたに大笑いしたりはらはらしたり読む…というよりは、もう少し落ち着いた物語を、ゆったりと味わいながら読む進める感じでした。(2008/04/24読了)
2008.04.30
閲覧総数 763
5
横溝正史『誘蛾灯』~角川文庫、1978年~ 横溝さんの、昭和11年(1936年)~12年(1937年)の作品をまとめた短編集です。 10の短編が収録されています。 では、それぞれについてコメントを。ーーー「妖説血屋敷」お染様の呪いがあるという踊りの家元の家で起こる奇妙な連続殺人事件。第一の事件で被害者が書き残した「血屋敷」の文字は、何を意味するのか―。 事件の渦中にある女性の一人称で綴られるのですが、こちらまで恐怖を感じられる物語です。「面(マスク)」人気のない絵画展で、私は男に声をかけられた。ある女のモデルをしていた青年に起こった悲劇を、男は語る。 これは面白いです。SF風味もある怪奇小説とでもいうのでしょうか。それこそ、現在の技術ではこの物語のようなことも起こりそうで、不安な感じにもなります。「身代わり花婿」英国が舞台の、寄席風(?)の物語。就職口を探していたアーサーに舞い込んだうまい話。ある男の身代わりになれば、千ポンドが払われる。しかも、身代わりになって美しい名家の娘を妻とすることもできる!最初は嫌がったアーサーも、娘の美しさに話を飲むのですが、はてさて…。 横溝さんの、こういう物語が大好きなのです。もう何度となく書いているように、横溝さんの作品の大部分は、どろどろしている中にも優しさやユーモアがあると思うのですが、本作はその優しい部分、楽しい部分をクローズアップさせたようなお話です。「噴水のほとり」聴覚の発達した龍吉が、お気に入りの場所である噴水のそばで、殺人の様子を聞いてしまった。その後、事件現場に花が置かれていることに気付いた龍吉は、一つの冒険に出る。 タイトル通り、静謐な感じの物語です。主人公と母親の昔の思い出など心温まる話から、殺人事件ではどきっとしますが、ラストでは余韻が残ります。以前読んだ「湖畔」(『悪魔の家』所収)もそうですが、こういう静かな物語も好きです。「舌」6ページのショートショート。ホラーです。「三十の顔を持った男」変装が得意な男が30日間毎日変装して町に出没、変装を見破ったあなたには賞金を!という企画をたちあげた新聞社。ところが、どうもその男が殺されてしまったらしい。新聞社はそこで、いちかばちかの賭けに出る…。 お遊びの企画からはじまった事件ですが、展開が二転三転、どきどきしながら読めました。「風見鶏の下で」異人館のそばの妾宅。その主の鈴代は、あるとき、押し入れの壁に奇妙な落書きがあることに気付く。そこに名が書かれたジュアンと蘭子という人物に、次第に関心が高まっていく。 先の「噴水のほとり」もそうですが、私はまずこの手のタイトルが大好きなのです。物語もどこか静謐な感じで、好きなタイプの作品です。「音頭流行」はやりの音頭大会に出場して、一位になってほしい…と、お金に困っていた元ダンサーのあたしは、知り合いからよからぬ仕事をもちかけられる。ところが、会場で知り合ったお上りさんのために、あたしは知り合いを欺くことを決心する。 「身代わり花婿」同様、こちらも楽しい一編です。ラストではぐっときました。「ある戦死」知人が戦死した。共通の知人である内海は、ずっと病のため入院している。戦死者とのあいだに複雑な過去をもつ内海は、はたしてこのことを知っているのか―。ちょうど友の戦死を知った頃、内海からすぐに来てくれと連絡がはいる。 …悲しい物語です。「誘蛾灯」酒場にいた青年は、男の「誘蛾灯に誘われて、可哀そうな蛾が舞いこんできやがった」という言葉に興味をもち、男に真意を質した。酒場から見える瀟洒な一軒家―それが、男のいう誘蛾灯。青年は、誘蛾灯にまつわる恐ろしい事件の話を聞き、そして…。 タイトルと表紙だけで、内容のイメージはつきましたが、面白かったです。女自身は登場せず、その周辺で話が進むのがかえって物語に深みをもたせているように思いました。ーーー …というんで、好みの作品が多く収録されている作品集でした。*表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。(2008/07/30読了)
2008.08.01
閲覧総数 719
6
筒井康隆『文学部唯野教授のサブ・テキスト』~文春文庫、1993年~ 前回紹介した『文学部唯野教授』の続編というか、その作品にまつわるエピソードなどを収録した一冊です。 目次の順に、簡単にどんな感じかふれておきます。 文学部唯野教授に100の質問 …小説なのでしょうか。唯野教授のプロフィールなど、いろんなことが分かります。卒業論文、修士論文、博士論文のタイトルに加え、雑誌に掲載された研究論文のタイトルなども。 …どれも興味深いです。早治アメリカ文学同人の会編≪ぬる≫というのは笑ってしまいました。筒井さんが最初に作品を発表していた同人誌の名前が『NULL』ですね。 興味深かったことをもう少し書いておきましょう。 唯野教授は、学生のことをゴキブリだの蛆だのに喩えますが、そのことに関する質問に対しての答え。「教授たちが学生をゴキブリとか蛆虫に例えたくなるのはさ、講義を聞かないで私語を交わしてる学生が必ずいるからなの」。…私はなんだかんだで6年間学生として勉強していましたが、学生の人数が多い講義では私も感じていました。温厚そうな先生がお怒りになったことを今でも覚えていますが、やっぱり残念な気持ちになりますよね。 それから、関心のある社会学者について質問されたとき、アナール派の名前を挙げています。ちょっとテンションが上がりました。≪インタビュー≫『文学部唯野教授』から『短篇小説講義』へ 『文学部唯野教授』執筆時の背景や、続編(にあたるような作品)についての構想について語られます。『文学部唯野教授』を連載するのと並行して、使える言葉が減っていく『残像に口紅を』という作品も連載していたそうです。『残像に口紅を』は先日買っているので、今度はこちらを読むつもりです。 なお、『文学部唯野教授』では、前期授業が描かれていて、最後では、後期の授業の予告もされているのですが、それが小説になることはまずないだろうとのこと。フェミニズムに関する部分は、『フェミニズム殺人事件』として書かれました。その他の議論についても、作品になるのかもしれませんね(あるいは、何か既に出ているのでしょうか…)。ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析 『文学部唯野教授』でも紹介されていた、ポスト構造主義によるテクスト分析のパロディです。「一杯のかけそば」の話だけ読んでいくと素敵な話なのに、分析されることにより、素敵さは無惨にも砕かれていきます。私は、ポスト構造主義による文学批評(それ以前に、どんな理論であれ、ある理論に基づく文学批評)を読んだことがないので、なんともいえないですが、完全にゲームのようになっていると感じました。なんというか、そういう雰囲気にふれられたことが、良い体験になったように思います。 私が読んだ文庫版では、解説にかえて、「『文学部唯野教授』の特別講義」というタイトルで、河合隼雄さん、鶴見俊輔さん、筒井康隆さんの鼎談も収録されています。 『文学部唯野教授』を読んだすぐ次に読んだので、作品の背景が分かって良かったです。*『短篇小説講義』は、1990年に岩波新書として発売されているようです。こちらもいつか読みたいです。
2007.08.18
閲覧総数 287
7
横溝正史『金田一耕助の冒険1』~角川文庫、1983年12版(1979年初版)~ 角川文庫『金田一耕助の冒険』(1976年初版)を2分冊にした第一巻。映画「金田一耕助の冒険」封切りを目前に控え、2分冊にしたのだそうです(映画のタイトルは先日読んだ『横溝正史読本』で確認したのですが、こんなタイトルの映画もあったのですね)。本巻には6編の短編が収録されています。 なお、『金田一耕助の冒険』は、横溝正史さんの角川文庫表紙画でおなじみ、杉本一文による表紙なのですが、ちょっと金田一さんがリアルすぎて…。その点、分冊版の方は和田誠さんの絵で、かわいらしい感じになっています。 というんで、今回は分冊の方で読みました。電車の友にも、厚さがちょうど良いので…。 前置きが長くなりましたが、まずはそれぞれについて簡単な内容紹介を書いて感想を。ーーー「霧の中の女」霧の深い夜、宝石店に現れた一人の女。アクセサリを盗んだ女を店員は追うが、殺されてしまう…。後日、また別の男が殺害される。現場には、宝石店の事件で盗まれていたアクセサリが盗まれていた。そして奇妙なことに、被害者の衣服が持ち去られていた…。「洞の中の女」しばらく空き家だった家に住み始めた作家夫婦。その庭にある一本の木の洞を塗り込めたセメントから、女の髪がのぞいていた…。「鏡の中の女」金田一耕助が信頼をおく、読唇術のできる先生と金田一耕助がカフェで話をしているとき、先生はふいに鏡の中の女の唇を読んで言葉をメモしはじめた。まるで殺人の計画を練っているような言葉に不安がよぎるが、その後、その話の通りに殺人事件が起こった。ところが被害者は、殺人計画を練っていたはずの女だった…。「傘の中の女」目立つビーチパラソルの中から聞こえてくる男女の甘い声を、近くに陣取っていた金田一耕助は聴くはめになってしまった。やがて泳ぎに出た男が帰ってくると、砂に埋もれて待っていたはずの女は殺されていた…。そして金田一耕助は、その犯人を目撃していたのかもしれないのだった。「瞳の中の女」事件に巻き込まれて、記憶を失った一人の男。男にはしかし、瞳にやきついた女の顔があった…。入院中に火事を経験したことをきっかけに記憶を取り戻した男は、事件の起こった場所に何かを探しに行く。「檻の中の女」川を流れてきた一艘のボートには、犬の檻が乗っており、その中には女が縛られて閉じこめられていた…。そして、大きな汚職と関係していたこの事件の関係者は、失踪を遂げていた。ーーー 最近はなかなか読了後すぐに感想を書けなくなっているので、どんどん記憶が薄れていきます…。 さて、『金田一耕助の冒険』のタイトルで収録された全11の短編(本書は分冊なので前半の6編のみ)は、すべて「~の中の女」というタイトルで統一されています。なので別名「女シリーズ」ですね。 金田一さんが緑ヶ丘荘に引っ越してきて間もない頃の事件だそうです。そしてこのシリーズのラストでは、シリーズの記録者に金田一さんが事件について語るというスタイルをとっています。 本書の中でいちばん面白かったのは、「瞳の中の女」です。金田一耕助シリーズとしては異例の結末ですが、本書の主人公は金田一さんというよりも、記憶を失っていた男だと思います。記憶を失った彼のひとみに焼き付いている謎の女…。「瞳の中の女」とはそういう意味かと納得すると同時に、なんとかっこいいタイトルかとも思います。 第二巻も読了したので、また記事を書いてアップします。*表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。(2008/11/12読了)
2008.11.15
閲覧総数 328
8
有栖川有栖『マジックミラー』~講談社ノベルス、1990年~ ノンシリーズの長編です。とはいえ、作家アリスシリーズではおなじみの編集者・片桐さんが登場するのが嬉しい一冊でした。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。ーーー 推理作家・空知の元恋人が、人里離れた別荘で殺された。有力な容疑者と思われたその夫と双子の弟には、しかし犯行時間に明確なアリバイがあった……。 被害者の妹は、空知に相談しながら、探偵を雇うものの、なかなか事件解決の糸口は見えない。 そんななか、さらなる事件が発生する。同じ別荘で、双子のどちらかが殺されたのだった…。ーーー アリバイトリックに真っ向から挑んだ作品です。 時刻表ものはあまり読みませんが、こうしてたまに読むと面白いですね。たんなる時刻表ものではないのも良かったです。 おそらく10年以上ぶりの再読ですが、楽しく読めました。
2014.08.23
閲覧総数 195
9
島田荘司『ネジ式ザゼツキー』~講談社ノベルス、2003年~ 3年ぶりの再読です。2004年12月31日の記事「今年読んだおすすめの10作」にも本書を挙げていますが、フリーページに簡単な感想を書いているだけなので、あらためて記事に感想を書きたいと思ったのです。 というんで、いつものように内容紹介と感想を。 27年前からの記憶が失われ、また新たな記憶も保持できない男、エゴン・マーカット。ハインリッヒは、彼をミタライに紹介する。その症例が興味深いのはもちろんであるが、さらに重要なのは、エゴンが著した一冊の童話『タンジール蜜柑共和国への帰還』の存在だった。 物語には、奇妙な人々が登場する。車輪で移動する熊たち、空を飛ぶ妖精たち、鼻や耳をそがれた老人たち。また、人々の体は、ネジなどでつながれている、ザゼツキー構造というものだった。そんな人々が暮らす国へ、少年が訪れる。腕の骨を拾い、それを持ち主に返すために。 持ち主はすぐに見つかる。ルネスという名の少女だった。共和国の人々を苦しめるサンキングの博物館に、残りの骨を探しに二人は冒険に出る。 物語の最後には、ルネスの首がくるくるとまわり、ころりと落ちてしまう。首は、ネジで胴体とつながっていたのだった。 奇妙な要素に満ちた物語は、エゴンの記憶を取り戻させるための手掛かりだった。ミタライは、童話の分析から、1976年に、首にネジがはめこまれた死体が現れた事件があったことをつきとめる。 おとぎ話にしか思えないような奇妙な童話が、どんどん合理的に解明されていく過程はとても面白いです。それが、さらに現実に起こった不可解な事件につながっていく。その不可解な事件も、合理的に解明されていく…。三年のブランクがあれば、割と忘れるものだと思っていましたが、いくつか覚えている要素もありました。それでもいろいろ忘れていたので、驚きも新鮮ではあるのですが、とまれ、驚きを感じながら読み進めるのはとても楽しいひとときです。はじめて読んだときは、本当に感動したのを覚えています。 前半は御手洗さんの一人称、後半はハインリッヒの一人称です。その他、本文レイアウトもいろいろなバリエーションがあります。それに、なにかの理由があるのか、適当なのかは分かりません…。 今回は流し読みしかしていませんが、巻末には「マンハッタン物語」というエッセイが収録されています。『摩天楼の怪人』につながるエッセイなんだなと思いました。 いやはや、感動が大きいと内容紹介も感想も長くなる傾向がありますが、この作品についてはあまり書けないですね…。それでも、初読の際にかなりの衝撃を受けた作品という位置づけは、今後も続くと思います。
2007.02.17
閲覧総数 163
10
横溝正史『死仮面〔オリジナル版〕』~春陽文庫、2024年~ 横溝正史さんの中編「死仮面」は、以前に春陽文庫版『死仮面』(1998年)の記事でも書きましたが、角川書店から刊行された時点では、雑誌連載の初出のうち、一部初出誌が見つからず、中島河太郎さんの補筆により刊行されていました。 未発見分が発見されたことを踏まえて刊行された1998年春陽文庫版は、しかし当時の風潮により、現代では不適切とされる言葉が改変・削除されていました。 このたび刊行された〔オリジナル版〕は、初出原稿をもとに刊行されていて、不適切とされる言葉も、「作品の文学性・芸術性に鑑み、原文のまま」とされています。 また、本書には、付録として、草稿に加筆した原稿(冒頭25枚分のみ)がそのまま掲載されていて、さらに資料的価値の高い1冊です。「死仮面」のほか、ジュブナイルものの初文庫化短編「黄金の花びら」も併録されています。(横溝正史『聖女の首(横溝正史探偵小説コレクション3)』出版芸術社、2004年に所収) 以下、2009.02.07の記事から、「死仮面」の内容紹介の再録と、「黄金の花びら」の簡単な内容紹介を。―――「死仮面」昭和23年(1948年)秋。『八つ墓村』事件を解決した金田一耕助が磯川警部を訪れると、警部は新たに金田一耕助の興味をひく事件を抱えていた。 マーケットの奥の方、人通りの少ないところに、野口慎吾という、人付き合いのない彫刻家の店兼住居があった。そこで、女の腐乱死体が発見された。野口によれば、女の名は山口アケミ。女は、死ぬ間際、自分のデスマスクを作り、ある女性のもとに送ってほしいと言い残したという。その送り先の女性とは、参議院議員で教育家の川島夏代だった。 野口は警察から取り調べを受け、精神鑑定に護送される途中で、逃げてしまったという。 …そして、東京。三角ビルに事務所を構える金田一耕助のもとに、上野里枝という女性が依頼にやってきた。彼女は、川島夏代の妹で、山内君子の姉だという。三人の姓が違うのは、父親が全員違うから。そして、君子というのが、デスマスクをとられた山口アケミと同一人物のようであった。 川島夏代が経営する女学院には、脚の悪い男が現れ、その頃から、夏代の健康状態も悪化していったという。そしてついに、夏代が殺害された…。 女学生の白井澄子の協力を得ながら、金田一耕助は事件の真相に迫る。「黄金の花びら」おじの家に泊まりに来ていた竜男君は、ある夜、いとこの呼びかけで目を覚まします。不在にしているおじ―博士の書斎から、物音がするといいます。見にいくと、そこには怪盗が…。逃げた怪盗を威嚇するため、おじの銃を借りて発砲すると、怪盗は倒れてしまい…。 決して当てたはずはないのに、怪盗はなぜ殺されたのか。さらにまた、書斎で奇妙な事件も起こり…。――― どちらも再読ですが、やはり「死仮面」は衝撃的な作品です。ただ、さいごには救いもあり、金田一さんの優しさにあらためて触れられる作品です。 冒頭に書きましたが、本書の魅力はその資料的価値の高さにあると思います。日下三蔵氏による覚え書きも、「死仮面」原稿の経緯などが詳細に分かり、興味深いです。(2024.10.26読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ
2024.11.23
閲覧総数 20
11
大西英文『はじめてのラテン語』~講談社現代新書、1997年~ 久々に、あらためてラテン語を勉強し直そうと思って手に取った一冊です。著者の大西先生は、神戸市外国語大学教授でいらっしゃるようです。 本書の構成は次のとおりです。ーーー第1章 文字と発音 1.文字 2.発音 3.音節とアクセント第2章 名詞と形容詞の語形変化 1.屈折語としてのラテン語 2.第一・第二変化の名詞 3.第一・第二変化の形容詞 4.第三変化の名詞・形容詞 5.第四・第五編かの名詞第3章 動詞の活用I―直説法・能動の現在/未完了過去/未来 1.動詞の四つの変化型 2.直説法・能動の基本的活用 3.不規則動詞第4章 無変化の名詞と代名詞類 1.変化しない品詞 2.代名詞類の変化と用法第5章 動詞の活用II―受動相/完了時称/分詞/動名詞 1.直説法・能動相と形式所相動詞 2.完了時称の能動・受動 3.ラテン語らしい構文第6章 接続法と複文 1.接続法の形と用法 2.いろいろな複文ーーー とても面白い講義を聴いている(読んでいる?)ような、楽しい読書体験でした。というのも、あるテーマについて関連する雑談が始まったり、前の章でふれたことについてはそのことに注意を促したりと、自分が学生なら飽きることなく聴いていられる講義のような印象だったのです。 構成も、順番に学んできたことを積み重ねていけるような構成で、良かったです。 また本書の中で特に感動したのは、前置詞の概念を図式化した図です。英語でもin(~の中へ、~の中に)、from(~から)といった前置詞がありますが、これらは方向を示したり、ある対象物との位置関係(くっついているのか離れているのか)を示したりしています。そういった方向や位置関係を、図で示してくれているのですね。またラテン語の前置詞は、その前置詞によって後ろにくる名詞のかたちが決まっていますが、どの前置詞がどのかたちをとるのかも当然示されています。これだけでもすごく勉強になります、というか、助かります。 さて、私は学生の頃に教養でラテン語を学び、大学院では独学でまとまった文章を読んできていますが、しかし文法のことはあまりよくできていないままでした。なので、読み進めるのにもものすごい時間がかかりますし、しかもその訳文もひどければ、意味がつかめていないところも多すぎる…。今後も西洋中世を勉強していきたいという思いがありますが、それならラテン語がもうちょっと分かっていないと話にならない、ということで、本書を読んでみたのでした。 しかし、本書も第5章以下の、もともとよく分かっていない部分はあまり理解できないままに読んでしまっています。ちょうどそのあたりにさしかかった頃、仕事の方も大変な時期で…というのは言い訳ですが…。 関連してラテン語の本をさらに3冊ほど(練習問題集含む)購入していますので、復習を進めていきたいです。(2010/06/24読了)
2010.07.07
閲覧総数 199
12
森博嗣『夢・出逢い・魔性 You May Die in My Show』~講談社ノベルス、2000年~ Vシリーズ第4作です。今回はテレビ局を舞台にした事件です。 それでは、内容紹介と感想を。ーーー某年、秋。 クイズ番組に出場することになった香具山紫子、小鳥遊練無、瀬在丸紅子は、保呂草潤平とともに、東京へ向かった。 保呂草は、そのテレビ局にいる友人と久々の再会をする。友人は、上司―柳川から悩み事があると相談を受けているという。保呂草は、東京にいる知人の探偵、稲沢真澄を紹介する。 稲沢はテレビ局にきたものの、待ち合わせの時間になっても柳川は現れなかった。そして、練無たちは、人気タレントの立花亜裕美が、ある部屋から出てきて、泣いてしまうのを目撃する。 立花が出てきた部屋から聞こえた不審な音。その後、部屋に保呂草と稲沢が入ると、そこには二箇所を撃たれて死亡した柳川が倒れていた。 柳川は、夢に出てくる女に怯えていたという。そして立花は、その部屋で幽霊を目撃したというが…。ーーー 久々の再読ですが、すっかり忘れていました。なので謎解きシーンでは、まさか紅子さんそこで…!?と思いながら、はらはらしながら読みました。案の定でしたが…(笑) 今回登場する探偵の稲沢さんが、とてもいい味を出しています。というんで今回は、稲沢さんの情報についてメモをしておきます。稲沢真澄(31歳…保呂草より2歳年上):無口な探偵。3年前、カイロで保呂草と出会う。(2009/02/21読了)
2009.02.23
閲覧総数 114
13
筒井康隆『日本列島七曲り』~角川文庫、1975年~ 11編の短編が収録されています。下ネタのしょうもない話(それでいて社会風刺の感もあるのがすごい)からホラーから、バラエティに富んだ一冊です。「誘拐横町」と「融合家族」は、最初の設定が面白いのですが、あれよあれよと変な方向に進んでいくのがまた良かったです。前者は、Aさんが親しい人(Bさん)に子どもを誘拐(?)され、お金を工面するために自分も親しい人(Cさん)の子どもを誘拐して、Cさんもまた…と連鎖していくお話。後者は、同じ土地に二つの夫婦が家を建てたため、相手の寝室が自分の台所であるような、奇妙な家ができてしまい、二組の夫婦はそれでもそこで相手を無視して暮らしている、というお話です。「陰悩録」は、最近はこれが表題作なった本もあるかと思うのですが、それでタイトルは知っていました。しょうもない下ネタと思わせながら、どきっとする部分があり、やられました。「奇ッ怪陋劣潜望鏡」は、性を抑圧されていた男女が結ばれたとき、彼らが潜望鏡に見られるようになる、という話。行為を覗かれるところからはじまり、日常の中にも潜望鏡がどんどん出現するという、どこかホラーテイストもあるように思いました。「郵性省」…自慰行為をしてテレポーテーションするというとんでもない設定だけは聞いたことがあったのですが、これは笑えました。馬鹿馬鹿しい話はそれはそれで面白いのですが、これが真面目に(?)マスコミや政治の風刺になっていたり、その風刺の部分も楽しかったです。しょうもない話もここまでいくとすごいですね。 表題作の「日本列島七曲り」は、大阪に帰ろうとする社長が乗った飛行機がハイジャックされるものの、乗客も添乗員もその状況を楽しみ、機内はほとんどお祭り騒ぎになるという話です。ドタバタものでありながら、こちらもやはり社会風刺の一面もあって、面白いです。「桃太郎輪廻」もインパクトのある話でした。川に尻が流れてきて、その尻から生まれた桃太郎は、義母に貞操を奪われるのを避けるべく、観念的な場所たる鬼ヶ島へ向かいます。この中では、他の昔話もどんどん混じってきます。面白かった一節を引用しておきます(文字色は反転で)。過疎地帯の農村の、一軒の古ぼけた農家の裏庭で、白い犬が一匹、ここ掘れわんわんといいながら土を掘り返していた。「大判小判を掘り出して、何になる」と、桃太郎はいった。「お前、自分の生き甲斐を見つけるつもりはないのか。おれはこれから鬼ヶ島へ行くつもりだが、もし無駄に生きていると思うなら、ついてきてもいいぜ」。「そうだな」犬はしばらく考えてから、ゆっくりとうなずいた。「ついて行こう」 次の、猿と出会うときの猿との会話も面白いです。ちなみに、あらゆる登場人物や彼らの行動は、すべて観念的に読まなければならないようです。そう考えると、たとえば上の引用部分もなんだか深いですね。 ただのパロディかと思いきや、うまい設定もあり、面白い短編でした。「わが名はイサミ」イサムと呼ばれて腹を立てたり、自分が一番じゃないと嫌がる近藤勇の話。日本史に疎いのでなんともいえません…。「公害浦島覗機関(たいむすりっぷのぞきからくり)」公害を風刺した一編。どこか島田荘司さんの展開しておられる都市論・日本人論を連想する記述もあり、興味深かったです。「二人の秘書」は、労働組合などの風刺といえるのでしょうか。興味深いです。 最後に収録されている「テレビ譫妄症」は、ホラーテイストの作品。テレビを長時間観ていたテレビ評論家の下半身がある日とつぜん麻痺し、さらに様々な症状に襲われるという話。明らかにそれがあまり良くないことと分かっていても続けてしまう、人間のあり方の風刺にもなっていて面白いです。ーーー というんで、全体的に面白い短編が多くて、満足の一冊でした。いろんな意味で、なんでこんな話を書けるのだろうと思わされる作品が多いですが、そんな筒井さんの作品にはまってしまっています。(2008年1月22日読了)*なんだか楽天の禁止ワードにまたひっかかる言葉があったようで…。やわらかい言葉を選んだつもりでもこれでは、小説の感想も書きにくいですね。いわゆる有害サイト規制のためには仕方ないのでしょうから、こちらがなんとかするしかないのでしょうけれど。
2008.01.24
閲覧総数 681
14
今野國雄『西欧中世の社会と教会』~岩波書店、1973年~ 本書は、日本語の著書や論文を読むと、しばしば引用されており、ずっと気になっていた。たしか、五月くらいから読み始め、ようやく本日読了した。 細かい節は省略するとして、目次は以下のとおりである。 序章 研究の課題と方法 第一章 西欧教会の形成とその性格 第二章 修道院改革運動の諸相 第三章 聖堂参事会の改革運動 第四章 教会改革の理念と現実 第一章では、カトリック世界の成立から、西ヨーロッパにおける修道制の起源、展開などが述べられている。第四節では、『聖ベネディクトゥス会則』の成立と、その内容が紹介されていて、私にとっては非常に有益だった。 第二章で主に語られるのはシトー修道会についてである。一次文献である『シトー修道会生誕小史』、『カリタ・カリターティス』の試訳がなされており、ここも有益である。本書の紹介とはずれるが、先日、朝倉先生の『修道院』の紹介を書いたときにもふれたことであるが、現在、ジャック・ド・ヴィトリによる修道会への見方に関する論文を読んでいるところで、具体的な修道会の性格を知ることができたのはよかった。 第三章は、これまた私にとっては分かっているようで分かっていない聖堂参事会に関する問題である。とりわけ、第二節「『聖アウグスティヌス会則』の成立について』は、『聖アウグスティヌス会則』の内容が紹介されていて、勉強になる。朝倉先生の『修道院』では、修道会を『聖ベネディクトゥス会則』に従うものと『聖アウグスティヌス会則』に従うものに分類されるのだと私は解したのだが、これで、それぞれの会則に関する内容が勉強できたことになる。前者に従うクリュニー修道会もシトー修道会も、当初は会則の遵守をかかげながら、しだいにその理念から遠ざかってしまうようであるが…。 第四章で、興味深かったのは、中世における「人民主権の理念」についての言及である。近代の産物だというイメージをもっていた「人民主権の理念」が中世にも見いだされるというのは、意外だった。ここでは、特にマネゴルトという人物の思想を扱い、さらにその思想が生まれた背景が考察されている。同じく本章で、自分の研究にも関わってきそうなのは、フィオーレのヨアキムを扱った節である。私が目下の所研究対象としているジャック・ド・ヴィトリも、フィオーレのヨアキムの影響を受けている、という指摘を論文で読んでいたので、ヨアキムについては関心があったのだった。それでなくとも、ヨアキムの名前は、12世紀以降の中世のキリスト教について勉強する際には目にする。また、托鉢修道会に関する言及もある。 これで、ベネディクト派修道会、聖堂参事会、托鉢修道会と、主要なところは概観できた。それどころか、前二者については一次文献の詳細な検討もあり、本書は私にとって、研究を進める上で重要なものとなるだろう。*研究室でネットがつながったので、研究室でこれを書いています。やったネ☆
2005.06.11
閲覧総数 211
15
筒井康隆『原始人』~文春文庫、1990年~ 13編の短編が収録されています。それぞれの内容紹介は大変なので、まずは目次を掲げた上で、印象に残った話についてコメントを書くことにします。 目次は以下の通り。「原始人」「アノミー都市」「家具」「おもての行列なんじゃいな」「怒るな」「他者と饒舌」「抑止力としての十二使徒」「読者罵倒」「不良世界の神話」「おれは裸だ」「諸家寸話」「筒井康隆のつくり方」「屋根」 表題作は、性欲やら食欲やら、とにかく自分の欲求をなにより優先する原始人の話。だいたいオチにくる言葉は想像できましたが(というか、読みながら感じましたが)、面白かったです。主人公の原始人が一緒に暮らしていた「歯抜け」を殺した後に感じる心理は印象的でした。「アノミー都市」も、面白いなぁと感じながら読みました。働く必要も、場合によってはお金も必要のない世界が舞台ですが、お金をもち、使うことは一種の刺激になるようです。人々は、簡単な契約(登録)をするだけで、自分に向いたどんな仕事でもすることができ、給料をもらいます。ラストでは、ただのはちゃめちゃではない余韻のようなものも感じました。「読者罵倒」は、すごいタイトルだなぁと思いましたが、タイトル通りの作品でした。罵倒されます。想像力が欠如しているため小説が分からないといい、ものを理解できないくせに小説に刺激を求め、同時に自分が傷つくことはいやがる読者。ここでの指摘が自分にまったくあてはまらないわけでもないので、その点は考えさせられました。興味深かったのは、友達が面白くないといった作品を読んでみると、やっぱり面白くなかったというのは、同レベルの頭の人間が群れるのだから当たり前だ、という指摘。これはなるほど!と思わされました。…けれど、面白くない作品というのもあると思うのですが、ねぇ…。 本書の中でも、「不良世界の神話」は、私が大好きなタイプの作品です。古事記のパロディですね。ツーロキーゴとザークヤが神々を生んでいきます。建て売り住宅の神ウサギゴーヤとか、税金を司る女神サシオサエなども登場します。かたちとしては、未来(21世紀以降?)の世界(日本)の神話ということになりそうですが、20世紀から形成されているという設定でもあります。「屋根」「他者と饒舌」などは、純文学的な雰囲気が強いですね(「純文学」というジャンルがなにを意味するのかなんとも言えないですが)。 裏表紙の紹介で、「元気の出る小説13篇」とありますが、「読者罵倒」なども含まれていることを考えると、これは(解説でも指摘されているように)ブラックユーモアですね。あ、話は前後しますが、ユーモアといえば、「怒るな」も面白かったです。 やっぱり筒井さんの作品は面白いなぁと感じました。*昨日は休日ということもあり、古野まほろ『天帝のつかわせる御矢』を読んでいたのですが、途中で断念しました。やっぱりルビやら変な言葉遣いやらがしんどかったです。けれども高い本ですし、いずれ余力があるときにきっと読みたいと思います。 …今後『天帝』シリーズが出るとすれば、そのときは購入するかどうか考えるかもしれません。*テーマは、「最近、読んだ本を教えて!」にすることにしました。いままで、「今日読んだ本~」を選んでいましたが、厳密には前日に読んで感想を書いた作品についての記事を翌朝アップしているので。
2007.06.19
閲覧総数 462
16
法月綸太郎『二の悲劇』~祥伝社NON POCHET、1997年~ 法月綸太郎シリーズの長編です。前回の『ふたたび赤い悪夢』で再会した久保寺容子さんが、ますます重要な役割を担っているようですね。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。 アパートの一室で、女性編集者が殺された。彼女、清原奈津美と同居していた葛見百合子は失踪しており、葛見が犯人だと思われた。百合子と交際しており奈津美の先輩にあたる三木という男が、奈津美に二股をかけていたふしがあり、三角関係のもつれかという噂が起こる。 一件単純そうに見えた事件であるが、いくつか不審な点があった。奈津美の顔が焼かれていたこと、そして、奈津美が鍵を飲み込んでいたこと。 やがて、奈津美の日記が発見されるにいたり、事件の背景は、さらに複雑でつかみにくくなっていく。 …なんというか、紹介を書きにくい物語ですね。 <きみ>という二人称で語られる節は、会話文がほとんどなく、段落を変えることも少ない地の文が長々と続くこともあり、非常に読むのがしんどかったです。内容も、うつうつとしていますし…。『一の悲劇』が一貫して一人称で語られたように、ずっと二人称で語られたらどうしようと不安になりましたが、法月さんの視点で語られる節もあって安心しました。 …数年ぶりの再読ですが、そんなことも忘れていました…。 最初に読んだときは、それでも真相のところで衝撃を受けたのを覚えているのですが、今回はそんなでもなかったですね…。相変わらず、あとがきを読んで、法月さんが心配になりました…。 本作は、もともと1994年に発表されています。その次の長編となると、『生首に聞いてみろ』を待たなければなりません。それでも、その間に、『法月綸太郎の功績』も出ていますから、まったく小説が発表されていなかったわけでもないですね。 なんだかじめじめとした物語でした…。 冒頭に、久保寺さんについてふれましたが、法月さんの良き助言者ですね。こうしてみると、法月綸太郎シリーズ(少なくともその長編)は、『雪密室』からの事件を全て受けて語られていますので、やはり順番に読むのが良いかもしれません。『頼子のために』など、他の作品でどれだけネタバレに近い記述があることでしょう…。(追記)フリーページに挙げていた、本書についての感想を読み返してみたのですが、そのときは、かなり本書を気に入ったようです。今回も面白くはあったのですが、フリーページの感想を書いたときほどの感情移入はできませんでした。年をとったせいだと思うと、なんだかもったいないような気もしますね…。もっとも、次に読み返すことがあるとすれば、また今回とは違った感想を抱くことになるでしょうし、それが読書の楽しいところでもあります。
2007.06.04
閲覧総数 592
17
筒井康隆『家族場面』~新潮文庫、1997年~ 7編の短編が収録された短編集です。順番に紹介していきます。「九月の渇き」は、首都圏で数ヶ月雨が降らず、人々の生活がおかしくなっていくという話です。水が値上がりするのはもちろんですが、徹底した節水あるいは断水のため、いろいろ不便が起こります。料理や食事も大変でしょうに、本作では排泄物の方がやたらクローズアップされていました…。筒井さんの短編では割とそういうのが多いですが、このあたりにはなかなかなじめません(なじむのも危険な気がします…)。とまれ、なんというか、シュールです。その感じは嫌いではありません。「天の一角」は、死刑制度自体は廃止しないものの、死刑の執行は被害者の遺族に委ねられるようになった社会で、はじめて遺族による死刑執行が行われる際の様子を描いています。その様子を、その場面に立ち会わない人画面外から傍観しながら、いろいろコメントをつけるのですが、その場面外の部分が「天の一角」です。本書の中でも、私の中でお気に入りの一編です。死刑を遺族が執行するという設定で物語を書いたら、なんてちょっと考えたことがあるのですが、やっぱりそういう作品は既に発表されていますよね…。ここで興味深かったのが、多くの遺族は執行を自分ではしようとしない、ということ(そういう設定になっていること)。自分の立場に置き換えたときに…と考えると、難しい問題です。「猿のことゆえご勘弁」。猿が芸をしています。妙なノリで楽しいです。…痛烈な風刺も織り込まれていて、タイトルとその設定のうまさにも面白さを感じました。「大官公庁時代」人口の6割が公務員になった社会のある役場が舞台です。痛烈な公務員風刺ですね。「十二市場オデッセイ」。商科大学4年生が、卒論執筆のために12の商店街を練り歩き、論文にすべき問題点を発見しようとしていたところからはじまります。この世界では商科大学の学生の多くがやけにどもっているのですが、「知性の証とされるスピード言語の競いあいが極限に達してこうなったとも言われる」とあります。風刺というか、なんだかずっしりと重い感じがします。筒井さんの毒舌や痛烈な風刺、ブラックユーモアが好きでいろいろ読んでいるわけですが、ときどきなれない部分が出てきます…。「妻の惑星」おれの妻が、おれ自身の悪口や妻の悪口を繰り返していた「軽口」女であるおれの母に復讐する話。妻の取り巻きの男たちが、おれの母親の声帯を奪い、法廷を模した部屋で、母の過去のひどい言動を暴露します。まったく、ひどい義母だと思いながら読むのですが、妻自身も非難の対象となっていることに気付かされます。少なくとも、私はそのように思いました。ラストもすっきりしていて、「天の一角」と並び好きな作品です。「家族場面」どの作品にも通用して言えますが、これまた不思議な設定の話です。俺は石川五右衛門になっていて、そこである役についている妻や子供に会うのですが、それがいつの間にか日常の家族に戻っていたり。家族の、あるいは人間の社会的な関係性が、徹底してゲームというかお芝居だとして描かれています。たしかに、少なからずそういう要素はあると思います。だからこそ、そこまで描かなくても、と思い、また、その痛い部分を重々しくではなく、どこか笑えるように描いているところに余計にもやもや気分を感じます。けれど本作の場合、その描写が面白いと思いながら読みました。 * * * 久々に、ちょっと日記じみたことも。 昨日から就職先での研修がはじまり、明日からすぐに実地研修に移ります。さすがに、修論提出後のペースで本を読んだり感想を書いたりはできなくなりますが、ぼちぼち読書もして、感想も書いていくつもりですので、今後ともよろしくお願いします。
2007.03.07
閲覧総数 626
18
病院にデイケアで行った。入院していた棟などでのんびり過ごす。退院すると、さらに顔もとがしっかりしたね、と言われた。自分ではあまり気づかなかったけれど。病院のパソコンで「斬るビル」362万点いっていたのだけれど、職員さんに新たな記録を出されていた。395万点だったかな。さらに上を目指してがんばろう。吉本ばなな『とかげ』~新潮文庫~「新婚さん」ある晩、私は会社の帰りに、降りるべき駅で降りず、しばらく電車に乗っていた。ある駅で乗り込んできたホームレス風の老人が、私の隣に腰掛けた。しつこく話しかけてくる彼を無視していると、隣の雰囲気が変わった。見ると、そこには美しい女性がいた。「とかげ」スポーツクラブで知り合ったとかげは、私くらいとしか話をしない。私がプロポーズすると、彼女は、「秘密があるの」と言った。「らせん」彼女は、言葉につまるとき、目を閉じる。そのとき、まつげがくっきりと目立つ。その瞬間に、私は深いものを感じていた。「キムチの夢」二人のなりそめは、不倫だった。不安を感じながらの新婚生活だったが、ある瞬間、私の中で変化が起こった。「血と水」ある宗教を信じる人々で構成された村。両親もその信者で、そこに住んでいた。私はそこを飛び出して東京に向かった。「おまもり」を作る昭と生活を共にするようになった。「大川端奇譚」放蕩な性生活を一時期送っていた私だが、体を壊してからは、OLとなり、普通に生活していた。素敵な男性と出会い、二人は婚約をした。 素敵な人々が描かれている-そう思った。それは、「新婚さん」に登場する女性であり、「とかげ」の二人であり、「血と水」の昭であり、「大川端奇譚」の婚約者である。 いくつかの作品にコメントを(上記の内容紹介よりさらに内容につっこんでいる場合があるので、先入観なく物語を読みたい方は以下を読まないでください。もっとも、本当に先入観なしに本を読みたい人は書評なんて読まないか)。 「新婚さん」。家に帰りたくないとき、会社に行きたくないとき、学校に行きたくないとき、誰しもそういう瞬間を感じたことがあるのではないだろうか。そこに現れたホームレス。彼は、「私」にあわせて、その姿を「私」が知っている女性に変えた。彼女は、とりわけ「私」の心をうつ言葉をかけたわけではない(あえてこう言おう)。しかし、「私」は考える。そして最後には、彼女を「偉大な人」と思うようになるのだ。 「とかげ」。辛い過去を負った二人。世の中は不条理で、どうにもならないことばかりで、最初は被害者だったのにいつのまにか加害者になってしまったりする。不条理。心療内科・精神科に通うようになってから(というか、そのきっかけとなる出来事があってから)私はこの言葉あるいは概念に深く感じるものがある。使い古された言葉かもしれないが、実体験をふまえた上で、あえて言おう。この世は不条理だ。そしてその不条理が描かれているこの作品には、深く共感した。ただ、「救い」はあるのだ。もしこの作品に「救い」がなければ、もっと違う評価をしていただろう。 「大川端奇譚」。私は、この作品の一人称の女性の婚約者を、すごい人だと思う。もし私が彼だったら、同じような対応ができるだろうか…。もちろん、ある出来事に対する反応は人により千差万別なのだけれど。たとえば-ちょっと脱線気味-、「とかげ」に例示されている、「守ると約束した植木鉢を枯らせたからと首をつった子」。そんなことで首を吊らなくても、という人も多くいらっしゃるだろう。しかし私は、いろんな意味で、そして善悪の価値判断はなしにして、この反応がありうるものだ、と思う。もちろん、実際に誰かが(とりわけ、自分が知った人が)そういう行為をしたら、とても苦しいし、とても悲しいし、とても悔しい気持ちになるだろう(ああ、自傷行為をしていた自分を思いだしてしまった。周囲の方々には本当に多大な心配をかけたのだな、と、いまさらながら、やや客観的に認識できた)。さて、戻ろう。そして、彼のその行動により、とても希望のある物語となっている。 総じて、この短編集の作品は読後感が良い。もちろん、上でつらつらと考え事をしてしまったように、不条理なことや重たいことなども描かれているのだけれど。ここ一週間で吉本さん三冊読んだ。ちなみに、今月は専門書、漫画も含めて30冊読んだ。このペースは入学まではなんとかもつかどうか、といったところか。「一月で平均して一日一冊本読めますか」という企画が浮かんだが、実行すると決意するのはやめておこう。最近は洋書の訳出やレジュメ作り、『世界の歴史』のノートに専門書読み進めと、これでも熱い生活なので。ああ、漫画も含めてなら可能かな、と思ったけれど、新しい漫画を買うのは控えようと思うのでやっぱやめとこう。
2005.01.31
閲覧総数 800
19
Michel Pastoureau, Jesus chez le teinturier. Couleurs et teintures dans l'Occident medieval~Le Leopard d'or, 1997~ ミシェル・パストゥローによる、中世における様々な色彩と染色に関する研究書です。 本書の詳細な構成は次のとおりです(節番号はのぽねこ補足)。ーーー序論第1章 イエスからルナールへ―染色の虚偽 第1節 ティベリアドの染め物屋 第2節 ヨセフのチュニック 第3節 狐の策略と色 第4節 色、それは隠すもの 第5節 染め物師の王 第6節 赤の染め物師 第7節 染料から媒染剤へ第2章 煮沸鍋から桶へ―染め物屋の仕事 第1節 区分され、争いあう職人たち 第2節 混色のタブー 第3節 調合手引き集 第4節 中世染色の困難 第5節 緑―化学から象徴へ 第6節 軽蔑される職業 第7節 語彙の証言 第8節 黒い聖人と白いキリスト第3章 布から服へ―色の役割 第1節 青の桶 第2節 昇進した青 第3節 青対赤 第4節 色の新しい秩序 第5節 青対青 第6節 奢侈条例と衣服の規則 第7節 禁じられた色と規定された色 第8節 昇進した黒 第9節 ユダの色 第10節 黄色の桶 第11節 全ての色の桶結論付録参考文献案内索引ーーー パストゥロー氏の研究は面白いなぁと、あらためて実感できる一冊でした。後にもふれますが、本書の白眉は第3章。新約聖書外典に、子供時代のキリストが染め物師のところに徒弟奉公に行っていたある日のこと、別々の色に染めないといけない布を、すべて同じ色の桶に入れてしまい、その後奇跡を起こして色をなおす、というエピソードがあります。その、あやまって入れてしまう桶の色が、時代を下るにつれて変わっていく。青から黒、そして黄色へ。それはそのまま、それまで忌避されていた色が桶の色とされていたのが、その色が高い価値をもつようになり、桶の色も別の忌避される色に取って代わっていく、という、色彩への価値観の転換と歩調を合わせている、というのですね。 以下、章ごとに簡単にメモしておきます。 序論で語られる、色彩の歴史を研究するにあたっての困難や論点については、ミシェル・パストゥロー「中世の色彩を見る」(『ヨーロッパ中世象徴史』所収)の前半でも語られていますので、そちらの記事に譲ります。 第1章は、上にふれたイエスの徒弟時代のエピソードを要約した後、染色という生業に対して、中世には否定的な視線が向けられていたことを論じます。たとえば、『狐物語』の中で、主人公・狐のルナールが、黄色の桶にはまって体毛の色がかわってしまったとき、ある染め物師に、自分は染め物師で、パリでの最新の技術を持っていると偽り、無事に逃げ通したというエピソードがあります。ラテン語のcolor=色は、celare=隠すに通じると考えられたということもあり、色や染色は、物事を偽ることだ、というイメージがあったというのですね。 第2章は、染め物師の生業の実践や、彼らの社会的地位を見ていきます。 実践面としては、仕事柄水を汚してしまうことが避けられないため、彼らは都市の外に住むように規定されていたこと、染め物師は染色できる色が決められていたこと(たとえば、赤の染め物師は、黄色に染めることはできても、青、緑、黒に染めてはだめ)、調合手引き書の性格、色を混ぜることはタブーとされていたこと(混ぜることは、秩序を乱すこととされた)、白や緑に染めることが技術的に難しかったことなどが紹介されます(実は、白や緑に染めることを除き、この叙述の大部分は『青の歴史』に再録されています)。 社会的地位については、結婚が難しかったこと、たとえばフィレンツェでは政治的生活から排除されていたこと、布に関わる仕事は女性の仕事とされており、女性がしばしば劣った存在とみなされたことから、同じく布に関わる仕事である染め物師も否定的に見られたという説などが紹介されます。 一方、染め物師側も、否定的に見られることに甘んじていたわけではなく、守護聖人(聖モーリス、さらには徒弟時代のエピソードからイエス)を設けることで、自分たちの価値を高めようともするのでした。 第3章は、時代による色への評価の変遷をたどります。12世紀頃から青が圧倒的な人気を誇るようになっていったこと、次いで14世紀頃には奢侈条例などの影響もあり黒の評価が高まっていくこと、また青、黒、黄に向けられていた否定的なイメージなどが紹介されます。上にも書いたように、徒弟時代のイエスが間違えて入れてしまう桶の色は、時代により代わっていくのですが、桶の色が黒とされた時代には、既に青は社会的な地位が向上していて、黄色の桶のエピソードが確認できるのは(写本は俗語の一点のみのようですが)、黒が社会的向上を遂げた後、という流れが、とても興味深かったです。 1997年までの、色彩に関する諸論文の成果を総合したのが本書とするなら、本書の内容をベースに、この後、『青の歴史』、『黒の歴史』、さらには『緑の歴史』(英訳書入手済)といった、各色に関する一冊の本が生み出されていっている、といえるでしょう。青、赤、黒、緑、黄など、いろんな色の染色に関する技術や社会的意味についてまとめられた本書は、ある意味では、パストゥロー氏による色彩の歴史に関する研究の集大成といえるのかもしれません。 良い読書体験でした。
2015.04.04
閲覧総数 426
20
島田荘司さんの代表作、御手洗潔シリーズの略年表です。何年何月にどの事件があったか、という簡単な年表なので、何ヶ月あるいは何十年にもわたるような事件の場合などの細かい部分は伝えられません。そういう意味で、正確だとは言いませんが、少なくとも作品の時系列(出版年ではなく)は分かるかと思います。*短編は緑色の文字で示し、長編あるいは短編集のタイトルは、感想の記事にリンクしています。1948年11月27日…御手洗さんの生年月日(『本格ミステリー宣言』所収「御手洗潔研究家への手紙」参照)1950年10月…石岡さん生まれる (某作品参照)1954年6月…「鈴蘭事件」:御手洗さん、幼稚園児(5歳)(『Pの密室』所収)1956年5月…「Pの密室」:御手洗さん、小学二年生 (『Pの密室』所収)1960年代……「ボストン幽霊絵画事件」:御手洗さん、大学生、ボストン在住 (『御手洗潔のメロディ』所収)1969年10月…『摩天楼の怪人』 :御手洗さん、コロンビア大学助教授(語り手:ジェイミー・デントン)1975年………『鳥居の密室 世界にただひとりのサンタクロース』解決1977年………『ローズマリーのあまき香り』発生1978年………『異邦の騎士』1979年………『占星術殺人事件』解決1979年12月…「数字錠」 (『御手洗潔の挨拶』所収)1980年10月…「疾走する死者」 (『御手洗潔の挨拶』所収)1981年5月…「UFO大通り」 (『UFO大通り』所収)1982年5月…「山高帽のイカロス」 (『御手洗潔のダンス』所収)1982年冬……「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」 (『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』所収)1983年12月…『斜め屋敷の犯罪』1984年………『暗闇坂の人喰いの木』:松崎レオナさん、初登場1985年………「紫電改研究保存会」解決 (『御手洗潔の挨拶』所収)1986年………『水晶のピラミッド』1987年6月…「ギリシャの犬」 (『御手洗潔の挨拶』所収)1988年11月…「舞踏病」 (『御手洗潔のダンス』所収)1989年2月…「ある騎士の物語」解決(事件は1974年) (『御手洗潔のダンス』所収)1990年3月…「IgE」 (『御手洗潔のメロディ』所収)1990年4月…「山手の幽霊」 (『上高地の切り裂きジャック』所収)1990年7月…『アトポス』1990年12月…「SIVAD SELIM」 (『御手洗潔のメロディ』所収)1991年1月…『屋上の道化たち』1992年5月…『眩暈』1993年5月…「傘を折る女」 (『UFO大通り』所収)1993年8月…『ロシア幽霊軍艦事件』1993年夏頃…『星籠の海』1993年10月…『最後の一球』1994年春前…御手洗さん、日本を離れる (『龍臥亭事件』、「傘を折る女」参照)1995年春……『龍臥亭事件』(御手洗さん、ノルウェーはオスロ滞在)1996年頃……御手洗さん、ハインリッヒと出会う (「さらば遠い輝き」参照)1996年4月…「里美上京」 (『最後のディナー』所収)1996年5月…「大根奇聞」解決 (『最後のディナー』所収)1996年11月…『ハリウッド・サーティフィケイト』 (御手洗さん、スウェーデン)1997年1月…「最後のディナー」解決 (『最後のディナー』所収)1997年………「さらば遠い輝き」(語り手:ハインリッヒ・フォン・レーンドルフ・シュタインオルト) (『御手洗潔のメロディ』所収)1997年5月頃…『ローズマリーのあまき香り』解決(語り手:ハインリッヒ)2000年8月…「上高地の切り裂きジャック」 (『上高地の切り裂きジャック』所収)2001年6月…「溺れる人魚」:御手洗さんは特に登場せず(語り手:ハインリッヒ) (『溺れる人魚』所収)2001年12月…『魔神の遊戯』:御手洗さん、ウプサラ大学(スウェーデン)所属 (語り手:バーニー・マクファーレン…事件関係者、作家)2002年頃……「シアルヴィ館のクリスマス」 (『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』所収)2003年………「人魚兵器」:御手洗さん、ストックホルム大学(スウェーデン)にいた頃の事件(2003年以前??)(語り手:ハインリッヒ) (『溺れる人魚』所収)2003年11月…『ネジ式ザゼツキー』解決2004年1月…『龍臥亭幻想』2004年………「海と毒薬」:石岡さんから御手洗さんへの手紙 (『溺れる人魚』所収)2004年………「耳の光る児」 (『溺れる人魚』所収)2006年2月…「クロアチア人の手」:語り手、石岡さん(『リベルタスの寓話』所収)2006年5月…「リベルタスの寓話」:語り手、ハインリッヒ(『リベルタスの寓話』所収)*1996年以降の事件の語り手は、主にハインリッヒ。*「クロアチア人の手」事件では、石岡さんももう55歳ですね。御手洗さんは57歳…。感慨深いですね…。※『御手洗潔のダンス』所収「近況報告」は、年表に反映していません。
2007.03.03
閲覧総数 9068
21
バーバラ・H・ローゼンワイン/リッカルド・クリスティアーニ(伊東剛史ほか訳)『感情史とは何か』~岩波書店、2021年~(Barbara H. Rosenwein and Riccardo Cristiani, What is the History of Emotions?, Cambridge, Polity Press, 2018) 著者のローゼンワインは西欧中世史が専門の歴史家で、シカゴ・ロヨラ大学名誉教授。近年、感情史に関する著書を複数刊行しています(のぽねこ未見)。クリスティアーニも同じく中世史家で、ローゼンワインの研究補助や翻訳をなさっているそうです。 本書はポリティ出版刊行の「○○史とは何か」シリーズの1冊で、本ブログでは同シリーズのうち、次の2冊を紹介したことがあります。・ジョン・H・アーノルド(図師宣忠・赤江雄一訳)『中世史とは何か』岩波書店、2022年・ピーター・バーク(長谷川貴彦訳)『文化史とは何か 増補改訂版』法政大学出版局、2010年(第2版2019年) さて、本書の構成は次のとおりです。―――緒言・謝辞序章1 科学2 アプローチ3 身体4 未来結論注訳者あとがき参考文献索引――― 序章は、本書の目的と議論の流れを示します。現代の研究の主な方法や、多様なアプローチの可能性を示唆することで、感情史に関心をもつ読者に見取り図を示すことが本書の目的とされます。 第1章は、主に哲学者、心理学者、神経学者たちの理論を紹介します。ダーウィンの流れをくむエクマンは、怒り、嫌悪、幸福、驚きなど―これらは「基本」感情とみなされます―は普遍性をもつとし、表情に関する実験を行いました。他方ジェイムズは、感情が身体に与える影響に着目。その他、個人の差異に着目する評価理論(認知主義)や、トムキンズが中心人物となって提唱した、感情の生得的性質を主張する情動理論、文化とヴァリエーションを強調する社会構築主義などが紹介されます。感情管理に関する研究を行ったホックシールドによる、「感情労働」という概念が、写真もあいまって印象的でした(34-35頁)。 第2章は感情史の基本的なアプローチの概観。スーザン・マットによる整理に従い、(1)スターンズ夫妻が提唱した「エモーショノロジー」(「ある社会やその内部の特定の集団が、基本感情とその適切な表現に対して保持する態度や基準」)、(2)ウィリアム・レディが提唱した「エモーティヴ」の概念(ある感情表現が、それが向けられた相手を変化させ、それを発した人も変化させる)と、それをある社会がどの程度許容するかという感情体制について、(3)ローゼンワインが提唱した「感情の共同体」、という3段階を見た後、さらに(4)パフォーマンスとしての感情という考え方を論じます。本章で特に興味深く、また重要なのは、アメリカ独立革命を題材に、以上4つのアプローチがそれをどのように読み解くかというケーススタディが紹介されている部分です。 第3章は、感情史における最近の研究の大半が身体を重視しているという傾向から、身体をめぐる感情史の様々なアプローチ、研究を紹介します。大きく、(1)境界付けられた身体と、(2)透過性の、溶け合う身体という2つの側面から見ていきます。 第4章は、感情史が現在、そしてこれから担うべき役割について。ここでは、感情史は時代区分という「壁」を崩すことに「貢献しなければならない」、という著者の立場が明示されている中で、ジャック・ル・ゴフの「長い中世」論を取り上げ(参考:ジャック・ル=ゴフ(菅沼潤訳)『時代区分は本当に必要か?―連続性と不連続性を再考する―』藤原書店、2016年)、ル・ゴフ「の見方は、結局のところ…入り口と出口の連続としての時代区分を維持する非常に伝統的なもの」(168頁)と評価している部分が興味深かったです。さらに、映画やゲームの感情も取り上げながら、現代における感情史の意義を論じています。 以上、前半や覚えのためにややメモのような紹介になりましたが、大変興味深い1冊でした。 訳文も読みやすく、また本論も200頁弱と手ごろな分量で、感情史の導入にうってつけの1冊と思います。(2024.08.18読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.11.30
閲覧総数 16
22
ヤン・プランパー(森田直子訳)『感情史の始まり』~みすず書房、2020年~(Jan Plamper, Geschichte und Gehühl. Grundlagen der Emotionsgeschichte, München, 2012) ドイツ近現代史を専門とするヤン・プランパーによる、感情史に関する大著(本論432頁+巻末注等144頁)です。 プランパーは1970年生まれ、現在ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの歴史学教授とのこと(本書の著者略歴より)。 本書の構成は次のとおりです。―――序論 歴史と感情第1章 感情史の歴史第2章 社会構築主義―人類学第3章 普遍主義―生命科学第4章 感情史の展望結論謝辞訳者あとがき用語解説原注主要文献目録索引――― 序論は、本書の目的・構成を述べたのち、古代から近代までの主要な著述家による感情に対する眼差しを概観し、感情は誰が有するか・どこにあるかといった理論的問題、感情史に関する史料について論じます。 第1章は、アナール学派の創始者の1人リュシアン・フェーヴル(1875-1956)を画期とし、彼の議論及び前後の時代の感情史の実践について論じます。本章では、こんにちの感情史ブームの契機を2001年9月11日、マンハッタン島でのテロ事件と位置付ける議論が興味深いです。さらに、感情史の先陣を切った中世史の分野では、バーバラ・ローゼンワインの「感情の共同体」論が詳しく紹介されます。 第2章・第3章は、歴史学自体からは離れ、第2章は人類学、第3章は心理学・脳神経科学などの生命科学に着目します。本書は歴史学の書物と思って手に取りましたが、本論約430頁のうち、この第2・3章が約250頁と、大半を占め、そこが本書の特徴と思われます。 ここでのメモは省略しますが、いずれもそれぞれの分野の主要な著作に着目し、豊富な引用を交えながら、詳細に紹介されます。 本書の意義は、社会構築主義(感情は社会や文化によるという考え方)と、普遍主義(感情は普遍的なものである)という立場のどちらにも与せず、それらを統合して建設的な方法論を示そうとしている点にあると思われます。また、相当な分量を生命科学の説明に割きながら、歴史家が生命科学を応用する際の注意点を提起します。すなわち、生命科学ではある実験の成果が概説書などに反映されるには一定の時間がかかり、次々と検証も進められているため、生命科学を応用する場合には、中途半端な概説に依拠するだけでなく、ある程度の時間を割いて生命科学の最新の動向を把握しておくべき、というのです。 第4章は再び歴史学の営みに焦点を当て、近年の感情史に関する主要な業績の紹介と、感情史の可能性について論じます。 以上、ごく簡単なメモとなってしまいましたが、たいへん勉強になる1冊でした。(2024.09.23読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.12.01
閲覧総数 27