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ヤン・プランパー(森田直子訳)『感情史の始まり』~みすず書房、2020年~(Jan Plamper, Geschichte und Gehühl. Grundlagen der Emotionsgeschichte, München, 2012) ドイツ近現代史を専門とするヤン・プランパーによる、感情史に関する大著(本論432頁+巻末注等144頁)です。 プランパーは1970年生まれ、現在ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの歴史学教授とのこと(本書の著者略歴より)。 本書の構成は次のとおりです。―――序論 歴史と感情第1章 感情史の歴史第2章 社会構築主義―人類学第3章 普遍主義―生命科学第4章 感情史の展望結論謝辞訳者あとがき用語解説原注主要文献目録索引――― 序論は、本書の目的・構成を述べたのち、古代から近代までの主要な著述家による感情に対する眼差しを概観し、感情は誰が有するか・どこにあるかといった理論的問題、感情史に関する史料について論じます。 第1章は、アナール学派の創始者の1人リュシアン・フェーヴル(1875-1956)を画期とし、彼の議論及び前後の時代の感情史の実践について論じます。本章では、こんにちの感情史ブームの契機を2001年9月11日、マンハッタン島でのテロ事件と位置付ける議論が興味深いです。さらに、感情史の先陣を切った中世史の分野では、バーバラ・ローゼンワインの「感情の共同体」論が詳しく紹介されます。 第2章・第3章は、歴史学自体からは離れ、第2章は人類学、第3章は心理学・脳神経科学などの生命科学に着目します。本書は歴史学の書物と思って手に取りましたが、本論約430頁のうち、この第2・3章が約250頁と、大半を占め、そこが本書の特徴と思われます。 ここでのメモは省略しますが、いずれもそれぞれの分野の主要な著作に着目し、豊富な引用を交えながら、詳細に紹介されます。 本書の意義は、社会構築主義(感情は社会や文化によるという考え方)と、普遍主義(感情は普遍的なものである)という立場のどちらにも与せず、それらを統合して建設的な方法論を示そうとしている点にあると思われます。また、相当な分量を生命科学の説明に割きながら、歴史家が生命科学を応用する際の注意点を提起します。すなわち、生命科学ではある実験の成果が概説書などに反映されるには一定の時間がかかり、次々と検証も進められているため、生命科学を応用する場合には、中途半端な概説に依拠するだけでなく、ある程度の時間を割いて生命科学の最新の動向を把握しておくべき、というのです。 第4章は再び歴史学の営みに焦点を当て、近年の感情史に関する主要な業績の紹介と、感情史の可能性について論じます。 以上、ごく簡単なメモとなってしまいましたが、たいへん勉強になる1冊でした。(2024.09.23読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.12.01
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バーバラ・H・ローゼンワイン/リッカルド・クリスティアーニ(伊東剛史ほか訳)『感情史とは何か』~岩波書店、2021年~(Barbara H. Rosenwein and Riccardo Cristiani, What is the History of Emotions?, Cambridge, Polity Press, 2018) 著者のローゼンワインは西欧中世史が専門の歴史家で、シカゴ・ロヨラ大学名誉教授。近年、感情史に関する著書を複数刊行しています(のぽねこ未見)。クリスティアーニも同じく中世史家で、ローゼンワインの研究補助や翻訳をなさっているそうです。 本書はポリティ出版刊行の「○○史とは何か」シリーズの1冊で、本ブログでは同シリーズのうち、次の2冊を紹介したことがあります。・ジョン・H・アーノルド(図師宣忠・赤江雄一訳)『中世史とは何か』岩波書店、2022年・ピーター・バーク(長谷川貴彦訳)『文化史とは何か 増補改訂版』法政大学出版局、2010年(第2版2019年) さて、本書の構成は次のとおりです。―――緒言・謝辞序章1 科学2 アプローチ3 身体4 未来結論注訳者あとがき参考文献索引――― 序章は、本書の目的と議論の流れを示します。現代の研究の主な方法や、多様なアプローチの可能性を示唆することで、感情史に関心をもつ読者に見取り図を示すことが本書の目的とされます。 第1章は、主に哲学者、心理学者、神経学者たちの理論を紹介します。ダーウィンの流れをくむエクマンは、怒り、嫌悪、幸福、驚きなど―これらは「基本」感情とみなされます―は普遍性をもつとし、表情に関する実験を行いました。他方ジェイムズは、感情が身体に与える影響に着目。その他、個人の差異に着目する評価理論(認知主義)や、トムキンズが中心人物となって提唱した、感情の生得的性質を主張する情動理論、文化とヴァリエーションを強調する社会構築主義などが紹介されます。感情管理に関する研究を行ったホックシールドによる、「感情労働」という概念が、写真もあいまって印象的でした(34-35頁)。 第2章は感情史の基本的なアプローチの概観。スーザン・マットによる整理に従い、(1)スターンズ夫妻が提唱した「エモーショノロジー」(「ある社会やその内部の特定の集団が、基本感情とその適切な表現に対して保持する態度や基準」)、(2)ウィリアム・レディが提唱した「エモーティヴ」の概念(ある感情表現が、それが向けられた相手を変化させ、それを発した人も変化させる)と、それをある社会がどの程度許容するかという感情体制について、(3)ローゼンワインが提唱した「感情の共同体」、という3段階を見た後、さらに(4)パフォーマンスとしての感情という考え方を論じます。本章で特に興味深く、また重要なのは、アメリカ独立革命を題材に、以上4つのアプローチがそれをどのように読み解くかというケーススタディが紹介されている部分です。 第3章は、感情史における最近の研究の大半が身体を重視しているという傾向から、身体をめぐる感情史の様々なアプローチ、研究を紹介します。大きく、(1)境界付けられた身体と、(2)透過性の、溶け合う身体という2つの側面から見ていきます。 第4章は、感情史が現在、そしてこれから担うべき役割について。ここでは、感情史は時代区分という「壁」を崩すことに「貢献しなければならない」、という著者の立場が明示されている中で、ジャック・ル・ゴフの「長い中世」論を取り上げ(参考:ジャック・ル=ゴフ(菅沼潤訳)『時代区分は本当に必要か?―連続性と不連続性を再考する―』藤原書店、2016年)、ル・ゴフ「の見方は、結局のところ…入り口と出口の連続としての時代区分を維持する非常に伝統的なもの」(168頁)と評価している部分が興味深かったです。さらに、映画やゲームの感情も取り上げながら、現代における感情史の意義を論じています。 以上、前半や覚えのためにややメモのような紹介になりましたが、大変興味深い1冊でした。 訳文も読みやすく、また本論も200頁弱と手ごろな分量で、感情史の導入にうってつけの1冊と思います。(2024.08.18読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.11.30
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ジャン=ポール・サルトル(伊吹武彦ほか訳)『水いらず』~新潮文庫、1971年~(Jean-Paul Sartre, Intimité, Gallimard, 1938) 実存主義哲学者サルトル(1905-1980)による小説集です。 長編に近い作品1編のほか、3編の短編が収録されています。 不能の夫を捨て、別の恋人と一緒になるも、夫の元に戻ることを決意する女を描く「水いらず」。 内乱中、捕虜となった男たちが処刑される前夜を描く「壁」。 狂気を抱える夫を持つ娘の両親の心配と、娘本人の思いを描く「部屋」。 人間たちを敵と思い、拳銃を手にして、わずかなお金で過ごす男を描く「エロストラート」。 工場を経営する一家のもとに生まれ、両親、使用人、学校での友人たちとの関係から、自分自身を見つめながら成長する男を描く「一指導者の幼年時代」。 最も印象的だったのは、スペイン内乱に取材したという「壁」です。刑執行前夜の捕虜たちの恐怖、様々な思い、言動、そして主人公に訪れる意外な運命も含めて、興味深く読み進めました。(2024.07.30読了)・海外の作家一覧へ
2024.11.24
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横溝正史『死仮面〔オリジナル版〕』~春陽文庫、2024年~ 横溝正史さんの中編「死仮面」は、以前に春陽文庫版『死仮面』(1998年)の記事でも書きましたが、角川書店から刊行された時点では、雑誌連載の初出のうち、一部初出誌が見つからず、中島河太郎さんの補筆により刊行されていました。 未発見分が発見されたことを踏まえて刊行された1998年春陽文庫版は、しかし当時の風潮により、現代では不適切とされる言葉が改変・削除されていました。 このたび刊行された〔オリジナル版〕は、初出原稿をもとに刊行されていて、不適切とされる言葉も、「作品の文学性・芸術性に鑑み、原文のまま」とされています。 また、本書には、付録として、草稿に加筆した原稿(冒頭25枚分のみ)がそのまま掲載されていて、さらに資料的価値の高い1冊です。「死仮面」のほか、ジュブナイルものの初文庫化短編「黄金の花びら」も併録されています。(横溝正史『聖女の首(横溝正史探偵小説コレクション3)』出版芸術社、2004年に所収) 以下、2009.02.07の記事から、「死仮面」の内容紹介の再録と、「黄金の花びら」の簡単な内容紹介を。―――「死仮面」昭和23年(1948年)秋。『八つ墓村』事件を解決した金田一耕助が磯川警部を訪れると、警部は新たに金田一耕助の興味をひく事件を抱えていた。 マーケットの奥の方、人通りの少ないところに、野口慎吾という、人付き合いのない彫刻家の店兼住居があった。そこで、女の腐乱死体が発見された。野口によれば、女の名は山口アケミ。女は、死ぬ間際、自分のデスマスクを作り、ある女性のもとに送ってほしいと言い残したという。その送り先の女性とは、参議院議員で教育家の川島夏代だった。 野口は警察から取り調べを受け、精神鑑定に護送される途中で、逃げてしまったという。 …そして、東京。三角ビルに事務所を構える金田一耕助のもとに、上野里枝という女性が依頼にやってきた。彼女は、川島夏代の妹で、山内君子の姉だという。三人の姓が違うのは、父親が全員違うから。そして、君子というのが、デスマスクをとられた山口アケミと同一人物のようであった。 川島夏代が経営する女学院には、脚の悪い男が現れ、その頃から、夏代の健康状態も悪化していったという。そしてついに、夏代が殺害された…。 女学生の白井澄子の協力を得ながら、金田一耕助は事件の真相に迫る。「黄金の花びら」おじの家に泊まりに来ていた竜男君は、ある夜、いとこの呼びかけで目を覚まします。不在にしているおじ―博士の書斎から、物音がするといいます。見にいくと、そこには怪盗が…。逃げた怪盗を威嚇するため、おじの銃を借りて発砲すると、怪盗は倒れてしまい…。 決して当てたはずはないのに、怪盗はなぜ殺されたのか。さらにまた、書斎で奇妙な事件も起こり…。――― どちらも再読ですが、やはり「死仮面」は衝撃的な作品です。ただ、さいごには救いもあり、金田一さんの優しさにあらためて触れられる作品です。 冒頭に書きましたが、本書の魅力はその資料的価値の高さにあると思います。日下三蔵氏による覚え書きも、「死仮面」原稿の経緯などが詳細に分かり、興味深いです。(2024.10.26読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ
2024.11.23
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ジャン・ルクレール(神崎忠昭・矢内義顕訳)『修道院文化入門―学問への愛と神への希求―』~知泉書館、2004年~(Jean Leclercq, L’amour des lettres et le désir de dieu: Initiation aux auteurs monastiques du moyen âge, édition corrigée, Paris, Les édition du Cerf, 1957) 今なお参照される、修道院文化に関する基本的文献です(たとえば杉崎泰一郎『修道院の歴史―聖アントニオスからイエズス会まで―』創元社、2015年)。 訳者の一人、神崎忠昭先生は慶應義塾大学名誉教授。本ブログでは次の概説書を紹介したことがあります。・神崎忠昭『新版 ヨーロッパの中世』慶応義塾大学出版会、2022年 もう一人の矢内義顕先生は早稲田大学教授で、宗教学がご専門のようです。 本書エピローグで、ルクレールは、本書の主要な問題を「歴史」と「霊性」に関わるものと述べていますが(323頁)、まさにそれぞれの専門家2人による訳書ということで、たいへん読みやすく分かりやすい訳文になっていると思います。 本書の構成は次のとおりです。―――第3版への序文第2版への序文略号表序論 文法学と終末論第1部 修道院文化の形成 第1章 ベネディクトゥスの回心 第2章 大グレゴリウス 希求の博士 第3章 礼拝と文化第2部 修道院文化の源泉 第4章 天の崇敬 第5章 聖なる書物 第6章 古代への情熱 第7章 自由学芸の研究第3部 修道院文化の成果 第8章 文学ジャンル 第9章 修道院神学 第10章 典礼の詩エピローグ 文学と神秘的な生活訳者あとがき付録原注索引――― 本書は、「1955-56年の冬、ローマの聖アンセルモ大学の修道院研究所において、若い修道士たちのために行われた一連の講義からなる[中略]入門書」(vi頁)という性格の1冊です。 序論とエピローグなどで、修道院において「文法学」が果たした役割が強調されているのが目を引きます。 第1部は、本書が主な対象とする12世紀の修道院文化の源泉として、『戒律』を著したベネディクトゥスと、彼の伝記を著したグレゴリウス大教皇の2人の重要性を強調します。あわせて、第3章で、カロリング・ルネサンス期に、修道院文化が固まってくることが示されます。 第2部は、カロリング改革以降の修道院文化の様相をたどります。まず第4章は、修道院の源泉として「文法学と終末論」の2つを挙げた上で、終末論に関する「天の崇敬」を見ます。第5章は文学的な源泉として「聖書」「教父の伝統」「古典古代の文学」の3つを挙げ、主に聖書解釈についてみていきます。第6章は教父の著作を、第7章は古典古代の文学として自由学芸の受容を取り上げます。 第3部は、具体的な修道院文化の成果を見ていきます。第8章は文学ジャンルとして、歴史、聖人伝、説教、書簡、詞華集(アンソロジーのようなもの)などを取り上げます。第9章は神学、第10章は典礼を扱います。 興味深い指摘は多くありましたが、挙げていくときりがないので簡潔な紹介にとどめてしまいました。 とはいえ、冒頭にも書きましたが、多くの文献で今なお参照される基本的文献であり、学生時分から部分的には読んでいた本書をようやっと通読できて良かったです。(2024.07.14読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.11.17
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山内志朗『中世哲学入門―存在の海をめぐる思想史』~ちくま新書、2023年~ 著者の山内先生は慶應義塾大学名誉教授。 西洋中世研究などでそのご論考は拝読しているものの、正直私には難解という状況ですが、「入門」の一言に惹かれ本書を手に取った次第です…が、私には「入門」もできないくらいに難解でした。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 中世哲学の手前で第2章 中世哲学の姿第3章 存在の問題第4章 存在の一義性への道―第一階梯第5章 スコトゥスの基本概念についての説明第6章 存在の一義性―第二階梯第7章 個体化論の問題第8章 普遍論争第9章 中世哲学の結実終章 中世哲学の構図あとがき事項索引人名索引――― 本書は、こういった入門書で想像されるような、有名な思想家の略歴とその思想を紹介して中世哲学の概略を描く…というスタイルをとっていません。 山内先生の「個人史」にも触れながら、中世哲学の主要なテーマである「存在」「普遍」といった論点にしぼって、特にドゥンス・スコトゥス(1265頃-1308)の思想や主要概念をたどっていく、という構成になっています。 本書の中心的な主張は、普遍論争(普遍は実在か名のみか)という図式では中世哲学は説明できない、という点であり、また普遍は名のみとする(とされる)唯名論が「憎まれ」てきた図式を批判する立場をとります。そのために、その前提となる「存在」とは何か、というところから、関連する哲学用語の豊富な解説もはさみながら論を進めていきます。 先述のとおり、曲がりなりにも西洋中世史の勉強を続けてきているので、中世哲学にもあらためて触れておこうと本書を手に取った次第ですが、今の私には非常に難解でした。(2024.07.05読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.11.16
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J・D・サリンジャー(野崎孝訳)『ライ麦畑でつかまえて』~白水uブックス、1984年~(J. D. Salinger, The Catcher in the Rye, 1951) サリンジャー(1919.1.1-2010.1.27)は、ニューヨーク生まれの作家。本書『ライ麦畑でつかまえて』で非常に有名です。訳者あとがきによれば、本書の出版により注目を浴びたことで、「いわば世の『響きと怒り』から逃れるように」転居し、その後は隠遁者にも似た生活をしていたとのこと。 さて物語は、学校の成績やなんかを理由に、ペンシー高校を退学することになったホールデン・コールフィールドの一人称で進みます。 寮を出る前にお世話になった先生にあいさつに行ったり、ルームメイトたちと大喧嘩したり。その挙句に予定より早く寮を飛び出し、お金を切り崩しながらホテルに泊まったりバーに寄ったり知人を訪ねたりします。訳者あとがきにもありましたが、世の中を冷めた目で見ているかと思えば、つねにどこかで誰かとのつながりを求めているホールデンの心の動きが印象的です。 独特の語り口で物語に引き込まれます。タイトルとなっているシーンも印象的で素敵でした。(2024.06.16読了)・海外の作家一覧へ
2024.11.10
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フランソワーズ・サガン(朝吹登水子訳)『悲しみよ こんにちは』~新潮文庫、1985年改版~(Françoise Sagan, Bonjour tristesse, 1954) サガン(1935.6.21生まれ)が18歳のときに発表したデビュー作です。(生年月日は『岩波西洋人名辞典 増補版』参照) 主人公のセシルが17歳の頃の夏の思い出です。 幼少期に母を亡くしたセシルですが、父親は女たらしで、多くの女性と交友を持っていました。その夏休みは、エルザも含めて3人で、地中海に面した海辺に別荘を借り、バカンスを楽しむことになりました。 セシルはそこで、シリルという若者と出会い、恋に落ちていきます。 一方父は、亡き母の古い友達で、セシルの家庭教師もつとめていたアンヌに声をかけ、アンヌが別荘にやってくることになります。エルザの動揺、父の心変わりを見る中、セシルはある計画を立てることになります。 あっさりした父とセシルですが、アンヌがやってきてから、それまでの生活に明らかに変化が生じます。勉強を勧めるアンヌと、それに対抗するセシル。そして、アンヌ、あるいは父に対して仕組んだある計画の行方など、セシルの心の動きを味わい深く読みました。(2024.06.02再読)・海外の作家一覧へ
2024.11.09
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津本英利『ヒッタイト帝国―「鉄の王国」の実像―』~PHP新書、2023年~ 著者の津本先生は現在古代オリエント博物館研究部長。 本書「はじめに」によれば、本書は、ヒッタイトの歴史についての手頃な文献がない中、執筆された1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 ヒッタイト人の登場第2章 ヒッタイト帝国の建国:古ヒッタイト時代第3章 ヒッタイト帝国の混乱:中期ヒッタイト時代第4章 帝国化するヒッタイト:ヒッタイト帝国期第5章 絶頂からの転落?:ヒッタイト帝国の滅亡第6章 ヒッタイトのその後:後期ヒッタイト時代第7章 ヒッタイトの国家と社会第8章 ヒッタイトの宗教と神々第9章 ヒッタイトは「鉄の王国」だったのか?第10章 ヒッタイトの戦争と外交第11章 ヒッタイトの都市とインフラ第12章 ヒッタイトの人々の暮らし第13章 ヒッタイトの再発見――― 前半がヒッタイトの通史、後半がヒッタイトの社会・生活などの諸側面を扱い、最終章が研究史をたどる、分かりやすい構成となっています。 小林登志子『古代オリエント全史』(中公新書、2022年)の記事にも書きましたが、ヒッタイトについては、高校生の頃から、なぜバビロン第一王朝を滅ぼしながら、同地を支配しなかったのか、ずっと気になっていました。『古代オリエント全史』ではその理由は明示されていなかったので、引き続きヒッタイトに関する文献を読みたいと思っていたところ、手頃な新書が刊行されていたことは嬉しく、本書を手に取った次第です。 バビロン第一王朝の件について、本書では、本拠地のアナトリアからバビロンまでは1,000km以上も離れた大遠征であり、「本拠地からはあまりに遠かったため、支配を維持することなくすぐに引き揚げ」(39頁)と言及があり、本書を手に取って良かったです。 その他、初期王朝は、前王を殺して次の王が即位する事例が何度も見受けられる点であるとか、日本では「鉄の王国」として紹介されることも多いですが、鉄器の使用については同時代の他の地域の状況なども勘案してかなり相対化されていること、また後半で詳述されるインフラ整備のことなど、興味深い話題も多い1冊でした。 読了から記事を書くまでにだいぶ時間が空いてしまったので、簡単なメモになりましたがこのあたりで。(2024.05.28読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.11.03
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コレット(工藤庸子訳)『シェリ』~岩波文庫、1994年~(Colette, Chéri, 1920) コレット (1873-1954)は、ブルゴーニュの片田舎に生まれ、20歳で売れっ子作家と結婚、自身は1900年にデビュー。最初の夫との離婚などなど、スキャンダラスな人生を送ったようです。 本書『シェリ』は、1920年に発表されたコレットの代表作。50歳を目前にした元高級娼婦レアと、レアと同棲していた25歳の美青年シェリの心の動きを描く物語です。 ある日、レアはシェリから結婚するとの話を聞き、動揺します。シェリはシェリで、その後もレアへの思いがなかなか離れません。 結婚後のシェリの家出(?)、そしてレアも知人たちに詳細を打ち明けずにしばらく家を留守にしますが、そのあたりの2人の心の動きが印象的です。 フランス文学者である訳者による解説は、シェリの生涯と本書の特徴、また「文化史」や「感性の歴史」の文脈での本書の位置づけなどを論じていて、大変勉強になりました(冒頭のコレット略歴は訳者あとがきを参照)。(2024.05.26読了)・海外の作家一覧へ
2024.11.02
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ジャン・コクトー(東郷青児訳)『怖るべき子供たち』~角川文庫、1991年改版41刷~(Jean Cocteau, Les enfants terribles, 1929) ジャン・コクトー(1889-1963)による有名な詩的小説。詩、劇、映画など、多彩な方面で活躍されましたが、小佐井伸二氏による解説によれば、その作品は「ひとしく詩である」(158頁)とのことです。本作も、小説でありながら、どこか詩的な印象のある物語です。 雪の降る日、ポールはダルジュロから激しい一撃を受けました。ポールを慕っていたジェラールは、ポールを家まで送り届け、その姉、エリザベートになんとか引き渡すことができます。 その後、エリザベートは病に伏せる母の看病と、ポールの世話を引き受けることになりますが、ジェラールは頻繁に姉弟のもとを訪れ、次第にエリザベートに心引かれていくのでした。 一方、不穏な二人を回復させようと、ジェラールは叔父の別荘に二人を招待しますが、そこでエリザベートたちは恐ろしい振る舞いをはじめていくのでした。 のちに、エリザベートとアガートとの出会いは、今までの3人の仲をさらに変容させていくことになります。 子供といっても、最終的には主人公たちは20歳前後くらいまでになりますが、それでも初期から描かれる特有の「怖さ」をはらんだままです。ポールたち姉弟の壮絶な家庭環境に全てを帰するわけにはいきませんが、どこまでも重たい雰囲気の物語でした。 1か所、なるほどと思った一節があったのでメモしておきます。「富は一つの才能であり、貧もまた同じく才能である。金持ちになった貧乏人はぜいたくに飾りたてた貧乏を作りあげることであろう」(76頁)。※原著情報は、文庫に記載がなかったため、取り急ぎ手元の『岩波西洋人名辞典 増補版』岩波書店、1981年を参照しました。(2024.05.07読了)・海外の作家一覧へ
2024.10.26
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ルイス・キャロル(矢川澄子訳/金子國義絵)『鏡の国のアリス』~新潮文庫、1994年~(Lewis Carroll, Through the Looking-Glass and What Alice Found There) ルイス・キャロルによるアリス物語の第2作。有名なハンプティ・ダンプティはこちらに登場します。 おいたする子猫を抱え、鏡を見ながら鏡の家の話をしていたアリスは、いつの間にか鏡を潜り抜け、そちらの世界に行っていました。そこはチェスの世界で、赤や白の女王たちがいました。 すぐに家に戻ってなるものかと、あちこち散歩しようとするアリスは、お話できる花と会話したり、虫たちとお話したり。そしてアリスは、この国の女王になるため、冒険を進めることになります。 チェスのルールが分かればもっと楽しめるのでしょうが、チェスのルールを知らなくてももちろん楽しめました。とはいえ、前作同様、とにかく不思議な世界が描かれます。また、不思議な詩もずいぶん多い物語です。 今回は、「夢」というのがひとつのキーワードになっているように感じました。(2024.05.04読了)・海外の作家一覧へ
2024.10.20
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ルイス・キャロル(矢川澄子訳/金子國義絵)『不思議の国のアリス』~新潮文庫、1994年~(Lewis Carroll, Alice’s Adventure in Wonderland) まず、2010.01.06掲載の記事を再録します。***** あまりにも有名な、ルイス・キャロル(本名チャールズ・ラトウィジ・ドジスン、1832-1898)の子供向け物語です。何度目かの再読をしてみました。 お姉さんと一緒にいたアリスは、ふとチョッキを着たウサギが慌てて走っているのを目にします。ウサギを追いかけたアリスは、ウサギの穴に落ちていってしまいました。それは長いこと穴を落ちます。 落ちた広間で開けてみたあるドアの先には、素敵な庭が見えます。ところが、アリスは大きいのでその先に行くことができません。それからです、<ワタシヲオノミ>と書かれた飲み物を飲んで小さくなったり、<ワタシヲオタベ>とホシブドウで書かれたケーキを食べて大きくなったり。言葉をしゃべる動物たちとお話しながら(しかし話は滅多にかみ合いません)、アリスはその不思議な世界を冒険していきます。 あらためて読むと、まったく不思議な物語です。有名どころの登場人物(?)は後でまとめておきますが、物語の方は、なんとも意味は掴みきれません。けれども、次はどうなるのかとわくわくもします。 ところで今回は、言葉遊びが面白いなぁと思いながら読みました。たとえば「尾話」という訳語は、tail(テイル。しっぽ)と tale(テイル。お話)のかけことばと思われます。そしてとても気になったのが、「タラってどうして魚へんに雪って書くかわかるか?」というセリフ。いったいここ、英語の原文ではどうなっているのでしょうか。そんなこんなで、原文にあたって言葉遊びも味わえると、もっと楽しいのだろうなぁ、と思います(原文を読み通す気力も能力もないですが、タラのところくらいは調べてみたいですね…)。 さて、アリスの物語は有名で、それこそいろんなミステリなどでもその登場人物が言及されたりするので、簡単に主だったキャラクターについてメモしておきます(念のため文字色は反転させておきます)。―――ダイナ…アリスが飼っている猫。白ウサギ…アリスを不思議の国に案内(?)する。ネズミ…なんだかエラソウ。猫も犬も嫌い。ビル…トカゲのじいさん。イモムシ…大きさを変える方法を教えてくれる。公爵夫人料理女…やたらコショウを使う。チェシャネコ…いつもにんまり。自由自在に消える。ウカレウサギ、帽子屋、ネムリネズミ…延々お茶会中。ハートの女王…「首をはねろ!」が口癖。ハートの王様、ハートのジャック、その他トランプたちグリフォンとウミガメもどき…イセエビのダンスをする―――***** 今回、『鏡の国のアリス』の記事をまだ書いていなかったので、再読する前に、まずはこちらと思い再読した次第です。 読後感は2010年(14年前ですね…)の記事とそう変わりませんが、あらためて、言葉遊びの訳語の妙を味わいながら読みました。 そして、今回は、Google Booksで参照できたBoston, International Pocket Library版の原著と、気になったところだけですが読み比べてみました。 たとえば、ネズミの「長い悲しいお話なんでね」に対するアリスの「たしかに長い尾生やしってとこね」(44頁)は、原著では、“Mine is a long and a sad tale”, “It is a long tail, certainly” (p. 35)で、taleとtailのごろ合わせ(あらためて、「尾生やし」という、お話と韻を踏んだ訳語のうまさたるや!)です。前回気になったタラの件は、“Do you know why it’s called whiting”, “It does the boots and shoes” (p. 122)となっていて、タラの訳語の原語はwhitingでした。 訳者による解説も含め、あらためて味わい深く読みました。(2024.04.28再読)・海外の作家一覧へ
2024.10.19
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赤阪俊一『ヨーロッパ中世のジェンダー問題―異性装・セクシュアリティ・男性性―』~明石書店、2023年~ 著者の赤阪俊一先生は元埼玉学園大学教授。本ブログでは、次の著作を紹介したことがあります。・赤阪俊一『神に問う―中世における秩序・正義・神判―』嵯峨野書院、1999年 さて本書は、赤阪先生が過去に紀要などに発表してきた論稿に加筆修正の上、整理したものですが、論文集という体裁ではなく、単著としてまとまりのある構成となっています。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 衣服のジェンダー論 1 衣服とは何か―衣服の文化論 2 衣服の権力論 3 前近代の服装論第2章 異性装論 1 異性装という問題 2 聖女たちによる男装 3 騎士となった女性―『シランス』の場合 4 手段としての女装第3章 セクシュアリティとジェンダー 1 西洋中世におけるレイプの構造 2 レイプ犯罪の現実を見る 3 中世末期の娼婦たち第4章 西洋中世における教会とジェンダー 1 教会法による結婚 2 カトリックと女性聖職者 3 教皇となった女性第5章 中世のマスキュリニティ 1 グレゴリウス改革とマスキュリニティ 2 中世におけるハゲとマスキュリニティおわりにあとがき――― 以下、簡単にメモしておきます。 第1章は、衣服に関する規制が身分秩序の固定化・ジェンダー構造の維持のためになされていたという指摘を行います。 第2章は、第1章の衣服論の発展として、異性装に焦点を当てます。女性聖女による男装の例として、『黄金伝説』などを根拠に、彼女たちは人生をかけて男装をしていたことを指摘するとともに、男性による女装は、ウルリヒによる『女への奉仕』という物語詩をもとに、マスキュリニティ(男性性)を確認するための手段としての、「気楽な」選択肢の1つであったと指摘します。 第3章は、「ラプトゥス」の概念をローマ法、教会法、ゲルマン部族法などにおける用法の分析から明らかにし、女性への態度をたどるほか、中世都市の娼婦たちの実態を描きます。ここでは、公営娼館についての議論の中で、顧客に聖職者が多かったという指摘(239頁)が印象的でした。 第4章は、教会とジェンダーの関わりから、結婚・女性聖職者・女性教皇(伝説)の3つを取り上げます。とりわけ、現代の教会法において女性聖職者を禁じる論法を批判し、歴史的には女性助祭は存在し、女性司教や女性司祭も存在したと考えられうると指摘する第2節が興味深いです。 第5章は、主に女性観に焦点を当てていた前章までから、マスキュリニティへの議論に移り、教科書的には「叙任権闘争」で理解されてきたグレゴリウス改革を聖職者のマスキュリニティ確率の観点から読み解くとともに、頭髪に関するシンボリズムについて議論します。特に後者で興味深かったのは、メロヴィング時代までは王は長髪であったのが、カロリング時代から短髪になったことを指摘した上で、ピピン短躯王brevusのbrevus(=short)は、背丈ではなく短髪のことだったかもしれないとの仮説を提示している点です(390-393頁)。ピピン短躯王のあだ名についての分析は、岡地稔「ピピンはいつから短躯王と呼ばれたか:ヨーロッパ中世における「渾名文化」の始まり―プリュム修道院所領明細帳カエサリウス写本・挿画の構想年代について―」『アカデミア(人文・社会科学編)』84、2007年、197-261頁で詳細になされており、(本書の仮説は触れられませんし、本書もこの論文を参照してはいませんが)あわせて参照すると興味深いです。 若干疑問に感じる記述もありましたが、読みやすく、興味深い1冊です。(2024.04.30読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.10.13
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クロード・ボーデ/シドニー・ピカソ(落合一泰監修/阪田由美子訳)『マヤ文明―失われた都市を求めて』~創元社、1991年~(Claude Baudez/Sydney Picasso, Les cités perdues des Mayas, Gallimard, 1987) 知の再発見双書の1冊。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 征服者と宣教師第2章 画家と冒険者第3章 マヤ学の曙第4章 写真機を持った探検家第5章 神聖文字の解読第6章 新しいマヤ学の展開資料篇 マヤ―探求、そして謎の解読1 初期の報告者たち2 熱帯の写真家と探検家3 暦と神聖文字の解読4 マヤ=キチェの評議の書『ポポル・ヴフ』5 現代に生きるマヤ文化6 マヤ文明年表7 マヤ文明遺跡地図8 パレンケ<碑銘の神殿>の石棺蓋の図像解読INDEX参考文献――― 現代的知見から、マヤ文明を通史的に描くようなスタイルかと思いきや、監修者が序文で評しているように、「マヤ考古学を考古学する」のが本書のねらい(1頁)となっていて、本書はマヤ文明の探究者たちに焦点を当てています。 スペインの宣教師たちがマヤの地に足を踏み入れたところから始まり、あとは各章題のとおり、マヤ文明の報告者や、その報告に魅せられてその地と文明を探求・研究した人々の歴史が語られます。 資料編には、彼らによる、大変な行程などの報告も紹介されていて、興味深いです。 ふだんなじみのない分野であり、また読了からこのメモをとるまでに時間が経ってしまったこともあり、構成くらいしか紹介できていませんが、このあたりで。(2024.04.27読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.10.12
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トルーマン・カポーティ(川本三郎訳)『夜の樹』~新潮文庫、1994年~(Truman Capote, A Tree of Night and Other Stories, 1973; Truman Capote, The Thanksgiving Visitor, 1967) 9編の短編が収録された作品集です。 映画館に並んでいるときに出会った少女、ミリアムにつきまとわれることになる女性(ミセス・ミラー)を描く「ミリアム」。 寒い冬の夜、カレッジに戻る汽車の中で学生(ケイ)が2人の旅芸人にからまれる「夜の樹」。 人々から夢を買う男のもとを訪れ、夢を売ってしまった女性(シルヴィア)の行く末を描く「夢を売る女」。 保身のために嘘を重ねた男性(ウォルター)の、成功と転落を描く「最後の扉を閉めて」。 主人公、ヴィンセントと、彼のことを(彼が知らない人物である)デストネッリの友人と言い張る女性との出会いを描く「無頭の鷹」。 1年前、「ぼく」たちの町に住むことになり、町中の話題をさらうことになる少女(ミス・ボビット)の思い出と最後を語る「誕生日の子供たち」。 ライバル店に対抗し、大量の小銭を瓶に詰め、その金額を当てた人に全額をプレゼントするという企画を打ち出したドラッグストアに訪れ、ゲームに挑戦する少年を描く「銀の瓶」。 妻の意地悪な親族の家で酷い目に遭った「ぼく」が、言い分を主張する「ぼくにだって言い分はある」。 そして、乱暴で「いやなやつ」たるヘンダーソンを、同居している仲よしのミス・スックが感謝祭に招くことになった日の思い出を語る「感謝祭のお客」。 冒頭の「ミリアム」や表題作をはじめ、不思議な、悪夢のような味わいの作品が多いです。印象的だったのは「夢を売る女」。ほかの作品もそうですが、どこか、(久しく観ていませんが)「世にも奇妙な物語」を観た後のような読後感です。 そんな中、ややコミカルな「ぼくにだって言い分はある」や、訳者による解説の言葉を借りれば「心暖まる作品」(285頁)である「感謝祭のお客」が収録されていることで、重すぎない一冊となっています。「感謝祭のお客」では、ミス・スックが人を憎んだことがない理由を語るシーンが印象的でした。(2024.04.24再読)・海外の作家一覧へ
2024.10.06
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トルーマン・カポーティ(龍口直太郎訳)『ティファニーで朝食を』~新潮文庫、1988年40刷改版~(Truman Capote, Breakfast at Tiffany’s, 1958) 中編の表題作に加え、3つの短編集が収録された作品集です。 ゴシップ記事でみた女性の写真から、「私」がホリー・ゴライトリーのいた日々を回想する「ティファニーで朝食を」。非常識な時間に「私」の部屋を訪れ、週に一度は刑務所を訪問し、また多くの人々を家に招いては騒いだりするホリーですが、鳥かごと猫が特に印象的な物語でした。 山里からおりてきて、店でも評判になっていたオティリーが、ある男性との出会いをきっかけにかわっていく「わが家は花ざかり」。いま、「かわっていく」と書きましたが、もしかしたら元に戻っていく、というほうがあっているのかもしれません。夫の祖母の仕打ちとそれへの対応、ラストの決断などが印象的です。 刑務所で一目置かれるシェファーさんが、新しく刑務所に入ることになった、ギターを持つ青年との出会いを描く「ダイヤのギター」。シェファーさんのつくる人形への青年の反応や、青年の提案に心揺れるシェファーさんなど、好みの物語でした。 年の離れた遠い親戚の「おばちゃん」との日々を回想する「クリスマスの思い出」は、貧しいながらも2人で楽しく過ごす日々を描きます。 表題作があまりにも有名ですが、私にはほかの3編の物語のほうが読みやすかったです。 鳥かごや檻などの自由を奪うものと、自由な生き方の対比が、所収作品に通じているように感じながら読みました。(2024.03.29再読)・海外の作家一覧へ
2024.10.05
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ザンナ・イヴァニッチ(金沢百枝監修・岩井木綿子訳)『CATHOLICA カトリック表象大全』~東京書籍、2023年~(Suzanna Ivanič, Catholica: The Visual Culture of Catholicism, London, 2022) 著者イヴァニッチは、日本語監修者序文によれば、現在ケント大学中世・近世研究センターで近世史の教鞭をとる研究者。近世中央ヨーロッパの宗教と物質文化・視覚文化との関係がご専門とのことです(3頁)。 日本語監修者の金沢先生は美術史家で、本ブログでは次の著作を紹介したことがあります。・金沢百枝『ロマネスク美術革命』新潮選書、2015年 豊富なカラー図版とともに、カトリック芸術の諸側面を描く本書の構成は次のとおりです。―――序文―日本語版慣習にあたって(金沢百枝)はじめに第1部 教義 1 神の言葉 2 神の意志を伝える者 3 信仰を統べる第2部 信仰の場 1 大聖堂 2 家庭 3 聖地第3部 霊性 1 共同体 2 個人 3 五感参考文献掲載図版(出典・クレジット)索引――― 3部構成で、それぞれ3章ずつと、構成も美しいです。 第1部1は、神の言葉ということで、聖書の写本の彩色や、キリスト伝、受胎告知、最後の審判などの図像を扱います。 第1部2は、使徒、聖母マリア、諸聖人などについて、そして第1部3は聖職者や修道士に焦点を当てます。ここでは、各修道会の服装の違いや、祭服(手袋や司教杖など)が図版で示されていて、大変興味深いです。 第2部は標題のとおり、「信仰の場」として、大きく3つを取り上げます。1では、聖堂の構成要素の図解、ステンドグラス、祭器具などの紹介のほか、初期キリスト教から現代までの主要な建築様式を代表的な建物で示してくれているのが勉強になります。 第2部2は家庭を舞台に、個人的な信仰のために用いるマリア像やロザリオなど、日用品に描かれるキリスト教的モチーフなどを紹介。3は聖地巡礼に関連し、主要な巡礼地のほか、巡礼先への奉納物、聖遺物容器、巡礼バッジなどが示されます。 第3部は霊性ということで、1では行列や典礼暦に沿った各種の祭り(クリスマス、四旬節、カーニバルなど)を紹介。2は第2部2とやや重なりますが、個人的な信仰のための宝飾品(十字架像やペンダント、ロザリオ)、寄進者が描かせた宗教的な絵に、自分自身を小さく描かせた事例などを紹介します。末尾は光のイメージや音など、五感を通じた信仰のあり方を描きます。 ごく簡単なメモになってしまいましたが、カラー図版が豊富で、ながめるだけでも楽しい1冊です。今後も適宜参照したい1冊です。(2024.03.29読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.09.28
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芥川龍之介『侏儒の言葉・西方の人』~新潮文庫、2012年70刷改版~ 1923年1月の『文藝春秋』創刊号から1925年11月の第3年11号まで連載された「侏儒の言葉」、遺稿となった「侏儒の言葉(遺稿)」、そして1927年7月の服薬自殺後に、同年8月・9月の『改造』に掲載された「西方の人」「続・西方の人」4編を収録する作品集です。「侏儒の言葉」は箴言集です。思わず付箋を貼ったのは、「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」(28頁)という言葉。一つひとつの言葉は短くても、物語ではないので、しぜんと読むのがゆっくりになりました。 後半2編はキリストをモチーフにした作品。特にキリストを「ジャーナリスト」として描くのが印象的でした。 日本近代文学がご専門の神田由美子先生による詳細な注解、そして、海老井英次先生による解説も勉強になります。 新潮文庫から出ている芥川龍之介作品7冊を、ようやく読破でき、良い経験になりました。(2024.03.09読了)・あ行の作家一覧へ
2024.09.22
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ルイス・J・レッカイ(朝倉文市/函館トラピスチヌ訳)『シトー会修道院』~平凡社、1989年~(Louis J. Lekai, The Cistercians: Ideals and Reality, The Kent State University Press, 1977)『聖ベネディクトゥス戒律』の原点に立ち返ろうと、11世紀後半に設立され、現在もなお存続しているシトー会修道院に関する通史とその生活・文化を描く大著です。邦語の単著としては、いまなおシトー会に関するほぼ唯一の基本的文献です。 シトー会は、修道院の概説書の中ではもちろん触れられています。たとえば杉崎泰一郎『修道院の歴史―聖アントニオスからイエズス会まで―』創元社、2015年を参照。また、本書の訳者である朝倉先生による、・朝倉文市『修道院-禁欲と観想の中世』講談社現代新書、1995年も参考になります。 さて、本書の構成は次のとおりです。―――第1部 シトー修道会の諸世紀 第1章 11世紀の修道院改革 第2章 モレームからシトーへ 第3章 シトー修道院改革の根本原理 第4章 聖ベルナルドゥスとシトー会の発展 第5章 十字軍と布教活動 第6章 特許状、会憲及び管理行政の発展 第7章 スコラ哲学の挑戦 第8章 繁栄の終焉 第9章 諸改革と宗教改革 第10章 修族の勃興 第11章 規律遵守をめぐる闘い 第12章 シトー会修道士とアンシャン・レジーム 第13章 消滅の間際で 第14章 19世紀の復興―厳律シトー会(トラピスト) 第15章 19世紀の復興―寛律シトー会 第16章 20世紀におけるシトー会士第2部 シトー会の生活と文化 第17章 霊性と学問 第18章 典礼 第19章 芸術 第20章 経済 第21章 助修士制 第22章 シトー会修道女 第23章 日々の生活と慣習 第24章 修道士と社会訳者あとがきシトー会修道院関連資料 シトー会修道院創立関係文書抄訳 用語解説(訳者作成) 統計資料 文献解題索引――― 全体で約640頁という大著なので、簡単にメモ。 第1章から第3章までは創設の背景から創設、そして初期の制度について。 第4章はクレルヴォーのベルナルドゥスの役割を強調し、彼のもと、シトー会が急速に発展することを述べます。本章以降、多くの章で、ヨーロッパ各地の状況に言及があるのが、本書の特徴の1つと思われます。(決して一部地域のみの叙述ではありません。) 第5章から第7章は主に12-13世紀の諸相を描きます(第7章は16世紀までの知的状況に言及)。 第8章以降は、中世後期から現代(1970年代)までの通史。主に中世の勉強をしてきているので、中世後期以降の状況を学べるのは貴重でした。 特に関心をもって読んだのは第2部です。上掲の構成のとおり、シトー会士の生活と文化の諸側面が描かれます。それぞれのテーマについて通史的に、また様々な地域の状況について言及されています。 第19章は、写本の頭文字や、建築について。 第20章は、土地の開墾、商業、ワイン醸造など、経済活動の諸側面を描きます。 第23章は一日の生活リズムからはじまり、食事、寝室、病人の施療、埋葬など。 第24章は、シトー会の入会者と寄進(財政的援助)、接待、病人や貧者の世話、司牧、少年・少女の教育、修道会への批判など、シトー会修道会と社会のかかわりの諸側面を紹介します。 訳者作成の用語解説は項目見出しに英語とときにラテン語も示されていて、大変貴重です。 巻末の約40頁及ぶ資料は、シトー会の分布図や各修道院の会員数などの統計情報を示していて、こちらも貴重なデータベースとなっています。 以上、ごく簡単なメモとなりましたが、このあたりで。 学生時分に部分的には読んで勉強していましたが、このたび(ざっとですが)全体を通して読むことができ、あらためて勉強になりました。(2024.03.08読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.09.21
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Carolyn Muessig, The Faces of Women in the Sermons of Jacques de Vitry, Toronto, Peregrina Publishing, 1999 著者のキャロラン・ムエシックは、読了日にホームページで確認すると、現在、カナダはカルガリー大学の古典・宗教学部のキリスト教思想学科長をつとめていらっしゃるようです。 編著として、本ブログでは次の2冊を紹介したことがあります。・Carolyn Muessig (ed.), Medieval Monastic Preaching, Brill, 1998・Carolyn Muessig (ed.), Precher, Sermon and Audience in the Middle Ages, Brill, 2002 本書は、著者が初期から研究されている、説教師として有名なジャック・ド・ヴィトリ(c.1160-1240)の説教集の中から、女性を扱った説教を抄録・抄訳しているとともに、その内容を分析するという1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――謝辞第1章 序論第2章 『週日・通聖人説教集』第3章 『聖人祝日説教集』と『身分別説教集』第4章 結論―神学と社会的実践巻末注付録:ラテン語テクスト参考文献一覧聖書引用・参照索引一般的事項索引――― ジャックの略歴や説教集の概要を示す序論に、本書の中心となる第2章と第3章が続きます。 第2章は、カタリ派への論駁を意図したと考えられる『週日・通聖人説教集』から、5つの説教の抄訳を示したのち、その注解を行います。ここでは、特に反女性主義的な色調が強いことを強調する一方、敬虔な女性たちの擁護者であったジャックがなぜそのような内容を記したのかという問いを立て、さらに考察を進めます。著者は、同じくカタリ派論駁の意図をもって書かれた『ワニーのマリ伝』(この著作や、マリもその先駆的な一人とみなされる、ベギンという敬虔な女性たちについては、上條敏子『ベギン運動の展開とベギンホフの形成』刀水書房、2001年と国府田武『ベギン運動とブラバントの霊性』創文社、2001年を参照。ブログの記事は初期のためきわめて拙いですが…)との比較をしつつ、ジャックが夫婦の重要性と、女性の「人間性」を強調していたということを指摘します。 第3章は『聖人祝日説教集』からの3つの説教の訳出(1つはごく一部のみ)と『身分別説教集』からベギンについてふれられている1つの説教の抄訳を示したのち、『週日・通聖人説教集』などとの比較も行いながら、その特徴を指摘します。ここでは、純潔性の強調や、説教によっては一般的女性の聖なる理想への模範を提供していることが指摘されるほか、また13世紀後半のベギン向け説教との比較がなされます。 第4章の結論では、ジャックの女性への見方は善悪二元論的ではなく、複雑かつ多様な見方であったことがあらためて提示されます。 一人の聖職者の目を通して、中世の女性たちへのまなざしの多様性を示す興味深い1冊です。(2024.03.03読了)・西洋史関連(洋書)一覧へ
2024.09.14
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ミシェル・ヴォヴェル(池上俊一監修/富樫瓔子訳)『死の歴史』~創元社、1996年~(Michel Vovelle, L’heure du grand passage: chronique de la mort, Paris, Gallimard, 1993)「知の再発見双書」の1冊。 監修者序文からまとめると、著者のミシェル・ヴォヴェルは「フランス革命史」と「死の歴史」を専門とする近代史の大家です。 その有名な大著は、2019年、藤原書店から『死とは何か』(上・下)という邦題で刊行されました(立川孝一・瓜生洋一訳)が、私は未読・未入手です。 さて、本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 死には歴史があるか?第2章 マカーブルからルネサンスへ第3章 バロックから啓蒙の時代まで第4章 ブルジョア風の死の登場第5章 20世紀の新たなタブー資料編―死をめぐる考察―1 中世における死の災厄2 荘重なる儀礼3 美しき死の時代4 エロスとタナトス5 連帯の中の死と孤独な死6 商売としての死7 非ヨーロッパ文化における死INDEX出典参考文献――― 民俗学的な成果による伝統的な死の儀礼の紹介からはじまり、葬儀のキリスト教化、死を前にした遺言のこと、そして近代における死の商業化と、通史的に死をめぐる諸側面を概観する1冊です。「啓蒙の世紀」にも、キリスト教的な死生観が残っていたりと、死をめぐる態度が単一的に変わってきたわけではないことも強調しつつ、しかし第1章の標題「死には歴史があるか?」への答えとしては、「死にも歴史がある」ことを示した書物と思います。 興味深い事例も多く紹介されます。特に資料編の7では、本編では論じられない非ヨーロッパ文化の死として、メキシコ、日本、アフリカ、インドなどを取り上げていて、興味深く読みました。 おそらく学生時代から何度となく目を通してきた1冊ですが、なんとなく記事にまとめにくく、今回もごく簡単なメモとなってしまいました。(2024.03.01再読)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.08.31
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ロベール・エルツ(吉田禎吾他訳)『右手の優越-宗教的両極性の研究―』~垣内出版、1985年~ 社会学者・民族学者であり、第一次世界大戦中に若くして戦死したロベール・エルツ(1882-1915)による有名な論文2本を収めた論文集です。 本書の構成は次のとおりです。―――訳者まえがき序文―ロドニー・ニーダムとクローディア・ニーダムによる英訳『死と右手』への―(エヴァンズ=プリチャード)死の宗教社会学―死の集合表象研究への寄与―右手の優越-宗教的両極性の研究―解説参考文献――― 個々の論文については過去に記事を書いたことがあるので、修正の上再録。 第1論文「死の宗教社会学」では、死に関する諸信仰と葬儀の全体についてが考察され、そのために二重葬儀という儀礼が取り上げられています。人間が、物理的(生物学的)に死亡する、「普通、用いられる意味での死」と、「本番の葬儀」までの期間に着目します。 具体的に検討されるのは、インドネシアの諸民族、とくにボルネオのダヤク族ですが、以下、どこの事例かは省略します。 第一章では、死の3区分(遺体に関係しているか、魂に関係しているか、残った生者に関係しているか)について、順次論じられます。 遺体は、「最終の墓場」に運ばれる前に、「仮の墓場」に移されます。そこでの待機期間は、普通二年くらい、これを超えることも多いそうです。通常、「死体が骸骨の状態になるのに必要な期間」に相当し、他の要因もからんでくるといいます。この期間、死体は非常に危険な状態にさらされているため、呪術的な手続きがふまれるのです。一つには、「通夜」がありますね。 魂は、死後すぐに死者の国に入るのではなく、しばらくは地上にとどまるといいます。酋長が死んでも、決定的に埋葬されるまでは、跡とりは正式に名乗ることができない、という事例が紹介されます。 また、「死の穢れ」は、死者の親族におよぶため、親族は日常生活とは異なる生活を送ることになります。服喪からすっかり解放されるまでの期間は、仮の埋葬までの期間とぴったり一致するといいます。 第二章では、最終の儀式の3つの目的(遺体に最後の墓場を用意すること;魂に安らぎを与え、死者の国に行かせるようにすること;生者たちから、服喪の義務を取り去ること)について、順次論じられます。 結びの部分では、これまで見てきた「普通の葬儀」とは異なる、例外の事例も紹介されています。 第2論文「右手の優越」では、まず、右手のもつ、名誉、特権、貴族性の象徴と、左手のもつ侮蔑され、賤しい補助的役割、庶民性の象徴が対比され、これらの由来はなにか、と問題提起がなされます。その後、「1.有機体の非対称性」「2.宗教的両極性」「3.右と左の特徴」「4.両手の機能」という四つの章立てで論じられ、最後に「結び」がきます。 1章は、人体の非対称性について述べています。左脳が右手をつかさどる。人間は左脳が発達している。だから右手が強い。たしかにこういうこともいえるけれども、左利き(さらに両利き)の人々の例もあり、右手の優越を語るには十分ではないと言います。「解剖学は、右手を尊重するという理想の起源を、またそういう理想の存在理由を説明することはできないのである」(137-138頁) 2章は、聖なるものと俗なるものの対立、二元論を論じています。 3章は、右と左に与えられた属性について論じています。まず、印欧語にある、左右を意味する言葉の歴然たる対象について論じます。<右>は、物理的な強さ、<器用さ>、知的<正確さ>、良識、<正しさ>などを意味し、<左>は、その逆を意味するといいます。たしかに、rightには、「正しい」という意味があります。マオリ族は、<右>が<生命の側>であり、<左>が<死の側>だという観念を持っているそうです。具体的な儀式が例示されます。 4章は、宗教的儀礼や狩猟、戦いでの、右手と左手の役割を論じています。右手は、神聖な手であり、左手は不浄な手である。不浄が神聖なものに優る―生よりも死の方が優るとしたら、「それは人類の滅亡、すべての終末にほかならない」といわれています。だからこそ、右手の覇権は、「創造された宇宙を支配し維持する秩序の必然的な結果であるとともに条件でもある」といいます。 結びでは、こうした宗教的表象は、こんにちでは衰えてきている、と指摘されています。 最近、ピエール=ミシェル・ベルトラン(久保田剛史訳)『左利きの歴史―ヨーロッパ世界における迫害と称賛』(白水社、2024年)を読んだので、久々に本書を手に取りました。記事はまだ書いていないかと思っていたら書いていたので、今回は序文と解説のみ目を通しました。 社会人類学者エヴァンズ=プリチャードによる、デュルケム以降の社会学の研究史にエルツの研究を位置付ける英訳論文集への序文、また英訳論集を刊行したニーダムの研究の位置づけを論じる邦訳者解説も興味深く読みました。(2024.08.03)・教養その他一覧へ
2024.08.25
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青崎有吾『11文字の檻』~創元推理文庫、2022年~ 青崎有吾さんデビュー10周年を記念に編まれた短編集です。 ショートショートも含め、バラエティ豊かな8編の作品が収録されています。―――「加速してゆく」福知山線事故が起こったとき、現場写真を撮りに行った新聞社のカメラマン。別の駅で出会った高校生が行動をともにした理由とは。「噤ヶ森の硝子屋敷」著名な建築家が建てた全面ガラス張りの「硝子屋敷」に併設された宿泊施設を訪れた、社長とその友人たち。しかしビデオによる監視状況の中、社長が殺されてしまい…。「前髪は空を向いている」高校三年生のあるひとこまを描く。「your name」ショートショート。探偵が犯人を見抜いた理由とは。「飽くまで」何事にも飽きっぽく、始めたことを終わらせることに快楽を覚える男が、結婚1年目に取る行動とは。「クレープまでは終わらせない」謎の生物に地球が襲われる世界。生物に立ち向かう大型ロボットの清掃アルバイトをする2人の日常のひとこまを描く。「恋澤姉妹」見たり、追ったりする者は消されてしまう、彼女たちを見て生きている人はほとんどいないという「恋澤姉妹」に、会社の上司が殺された―。そう信じたわたしは、姉妹の過去を知る人々から情報を集め始める。「11文字の檻」「東土帝国」で検閲に引っ掛かり施設に入れられた縋田は、施設のルールに衝撃を受ける。毎日1回、11文字を解答欄の壁に書く。正解なら施設を抜けられる、というのだった。相部屋の飛井とともに、縋田はその「ゲーム」の法則の解明に乗り出していく。――― 書下ろしの表題作以外は、テーマ別のアンソロジーに既出の作品が収録されています。たとえば「前髪は空を向いている」は、ある漫画の公式二次創作で、本書冒頭の前書きにも、本作については巻末の「著者による各話解説」を先に読んだほうが良い、とアドバイスされています。いつからか解説を先に読まないことをモットーに読書してきているので、先に本編を読みましたが、なるほど、これは先に解説を読んで前提を理解したほうが良かったかもしれないと思いました。なお、本作をはじめ、いくつかの収録作品はいわゆる「ミステリ」ではありません。 その他興味深かった初出として、「噤ヶ森の硝子屋敷」は、綾辻行人『十角館の殺人』30周年記念で編まれた館ものしばりのアンソロジーに収録された作品とのこと。『ノッキンオン・ロックドドア』とも世界がつながっているそうです。 本書の中で衝撃的だったのは表題作。解答欄以外の壁にメモを書きまくり、毎日1回だけ、解答欄の壁に回答する―という特殊な前提を、無理なく理解させてくれる丁寧な叙述。そして、そこから試行錯誤して縋田さんが法則を解明していくときのぞくぞく感。ほぼノーヒントで11文字のキーワードを探るという「ゲーム」に、はたして縋田さんは勝利できるのか。手に汗握りながら読み進めました。読後は面白すぎ、衝撃的すぎて震えるくらいでした。 青崎さんのバラエティ豊かな物語が読めるのも嬉しいですが、私にはとりわけ「11文字の檻」が読めたのが良かったです。久々にミステリで震えました。 これは面白かったです。良い読書体験でした。(2024.02.22読了)・あ行の作家一覧へ
2024.08.24
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有栖川有栖『日本扇の謎』~講談社ノベルス、2024年~ 犯罪学者火村英生&作家アリスシリーズにして、国名シリーズ第11弾の長編です。 今回は、記憶を失ったという一人の男性をめぐる物語です。 舞鶴市の浜辺を散歩していた中学教師―藤枝未来さんが、怪我をした男性を見つけます。彼は、自分の名前も、なぜここにいるかもわからない、といいます。藤枝さんは、救急を呼び、病院まで付き添います。彼はほとんど荷物を持っておらず、手にしていたのは富士山の絵が描かれた扇でした。 扇を手掛かりに、彼は「家族」のもとに戻りますが、そんな中、その邸宅で殺人事件が発生します。彼が住んでいた離れは密室状態で、中には背中を刺された女性の遺体。そして、彼は再び扇とともに姿を消していたのでした。 これは面白かったです。 記憶を失った男の、家族も知らない時期に、彼はどのように生きていたのか。彼が行方をくらましたのは、彼が犯人だからなのか。 少し違うのは承知で、本書を読みながら連想したのは、同じく火村先生&作家アリスシリーズの長編『鍵の掛かった男』で、こちらも、主人公といっていい男性の過去が重要でした。 本作の、ある親子の話では思わず涙してしまいました。 なんともやりきれませんが、印象的な物語でした。(2024.08.15読了)・あ行の作家一覧へ
2024.08.17
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後藤里菜『沈黙の中世史―感情史から見るヨーロッパ』~ちくま新書、2024年~ 博士論文をもとにした単著『〈叫び〉の中世―キリスト教世界における救い・罪・霊性―』名古屋大学出版会、2021年に続く、後藤先生2冊目の単著です。 本書刊行時点で、後藤先生は青山学院大学文学部史学科准教授。心性史、霊性史、感情史などがご専門で、本書ではこうした問題関心から、前著とは対照的に「沈黙」に注目して中世ヨーロッパを概観する興味深い1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 祈りと沈黙第2章 統治の声の狭間で第3章 感情と声、嘆き、そして沈黙第4章 聖と俗第5章 聖女の沈黙第6章 沈黙から雄弁へ第7章 沈黙を破る女おわりに読書案内あとがき参考文献図版出典索引――― 第1章は、修道院での沈黙を扱います。手話の具体例や、沈黙とは対照的な叫びなども紹介されます。 第2章は権力者の沈黙を扱います。具体的には、訴訟、おべっか、涙・嘆きなどのテーマが扱われます。 第3章は主に服喪の嘆きを扱います。このブログでも何度も書いていますが、泣き女について興味があるもののそれを扱う文献に当たれていない中、ここでは古代アテナイの泣き女に言及があり、興味深く読みました。 第4章は紀元千年頃からの、俗人とキリスト教の関わり方の変遷をたどり、民衆運動や、それを受けての托鉢修道会の誕生などを見ます。 第5章は、聖女たちの沈黙と声に着目し、預言者ヒルデガルド・フォン・ビンゲン、半聖半俗の生き方をしたベギン(ベギンについての邦語の基本文献として、上條敏子『ベギン運動の展開とベギンホフの形成-単身女性の西欧中世』刀水書房、2001年と国府田武『ベギン運動とブラバントの霊性』創文社、2001年を参照)たちを扱います。 第6章は再び俗人に着目し、聖職者らを揶揄するファブリオや、おしゃべりな「聖女」(?)たるマージェリー・ケンプが紹介されます。 第7章は宮廷風恋愛について概観した後、『薔薇物語』をめぐる論争とその中心的人物であるクリスティーヌ・ド・ピザンについて論じます。 各章冒頭に、その章に関連する史料からの引用が掲げられていたり、詳細な読書案内が付されていたりと、本のつくりも丁寧です。(2024.07.31読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.08.12
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ピエール=ミシェル・ベルトラン(久保田剛史訳)『左利きの歴史―ヨーロッパ世界における迫害と称賛』~白水社、2024年~(Pierre-Michel Bertrand, Histoire des gauchers: «des gens à l’envers», Édition Imago, 2008) 著者のベルトランは1962年生まれ。フランスでは在野の歴史家として知られ、左利きに関する歴史やエピソードについてテレビなどで紹介している方だそうです。 著者も、青山学院大学文学部フランス文学科教授の訳者も、お二人とも左利きとのこと。 本書はまさに、左利きの人々への迫害と称賛のまなざしや左利きの人々の置かれた境遇などについて論じる1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――第2版の序文序論第1部 正しい手と邪悪な手 第1章 なぜ人類は右利きなのか 第2章 右手主導の規則 第3章 左利きによる秩序の転覆第2部 軽蔑された左利き 第4章 左利きという異常性 第5章 左利きという烙印 第6章 下等人間の特性 第7章 不寛容のはじまり 第8章 虐げられた左利き第3部 容認された左利き 第9章 中世の黄金時代 第10章 近代の解放にいたる長い道のり 第11章 2つの右手の神話第4部 称賛された左利き 第12章 左利きの卓越性 第13章 左利きの巨匠たち結論付録訳者あとがき参考文献原注――― 序文、序論では、「左利きの歴史が(中略)心性史全般にきわめて直接的にかかわっている」(8頁)、「歴史、とりわけ心性史は、しばしばこうした万華鏡のような数々の輝きでできている」(13頁)のように、本書が心性史研究の立場をとっていることが示されます。 第1章は、右手の優位の背景として、(1)戦士の習慣、(2)太陽の運行、(3)両極性の法則の3点を挙げ、問題の核心が「生理的側面よりも象徴的側面にあるらしい」(23頁)といいます。 第2章は聖書を中心に右と左がいかに描かれているかを見た後、右と左の語彙に着目し、左という語がしばしば不幸、裏切りなど否定的な意味を持っていたことを示します。さらに、宣誓や挨拶などの場での右手、左手の使用へのまなざしを概観します。 第3章は、エバが左手でリンゴをつかむ図像を例示し、左利きが「既存の秩序を転覆させる」(55頁)と考えられたことを示します。 第2部から第4部は、テーマごとに、その中ではやや時系列に沿ってみていきます。 まず第4章は、レオナルド・ダ・ヴィンチがその才能を評価される一方、左利きであることは「ある種の障害」とみなされたことを紹介した上で、左利きをそのようにみなす言説を挙げます。 第5章は語彙の分析から左利きが侮蔑的な意味を持っていたことなどを指摘し、第6章は医学、犯罪学の文献から、左利きへの差別的な見方を紹介するとともに、それがいかに恣意的で無意味化を指摘します。 第7章は教育課程の中で、左利きの子供たちに過酷な左利き矯正がなされたこと、第8章はその様子をより詳細に論じます。 一方、第3部以降は、左利きへの寛容なまなざしをたどります。第9章は、礼儀作法の進展により左利き使用への不寛容な見方が生まれてきたことを指摘し、それ以前には左利きの「性向を禁じることまでは、思いもしなかった」(139頁)といいます。第10章は、左利きを肯定的に見る言説をたどり、とりわけ第一次世界大戦に右半身を負傷し左利きとならざるを得なかった「新たな左利き」への称賛がなされるようになったことを強調します。第11章は、左手も右手同様に用いるべきという考え方を紹介します。 第4部は左利きへの称賛ということで、第12章は左利きであることに誇りを持っていた人々の記録(「写本を左手で書いた」という文や、左利きの画家たちの言葉)を紹介し、第13章は左利きの画家たちの事例を紹介します。ここでは、様々な文献で無根拠にある人物を左利きとみなす風潮を批判し、特に画家にしぼり、左利きとみなすための分析手法が提唱されます。またその末尾で、左利きの名声を高めようとすることは、「ある偏見を別の偏見に置き換えることにすぎない」(241頁)と述べ、左利きは軽蔑にも称賛にも値しない[要は右手の人と同じ]と、当然のことながらきわめて重要な指摘をなします。 その他、注ではミシェル・パストゥローによるユダと左利きの関係を論じる論文への批判や、サウスポーの語源の紹介などもあり、興味深い1冊でした。(2024.07.28読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.08.10
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杉本一文『杉本一文『装』画集[新装版]~横溝正史ほか、装画作品集成』~アトリエサード、2022年~ 1990年代、「金田一耕助事件ファイルシリーズ」が角川文庫から刊行されている頃に初めて横溝作品を手に取り、その後古本屋をめぐっては絶版となっていた旧版を探し求めてきました。作品そのものが面白いのはもちろんのこと、はじめて買った頃から、杉本さんによる表紙に魅せられていました。 本書は、角川文庫の横溝正史作品を中心に、杉本一文さんによる装画を集めた1冊です。 ほぼA4サイズなので、あの魅力的な作品たちを大きく見ることができます。(語彙の乏しさが悔やまれます。)『獄門島』『蔵の中・鬼火』など、好みの作品がこのサイズで見られるのは嬉しいです。また、表紙では著者名やタイトルがある部分も、ほとんど著者名・タイトルを省いて掲載されているので、表紙絵が完全なかたちで確認できます。 同じ作品でも、複数の表紙が描かれていることは、「横溝正史エンサイクロペディア」様の表紙図鑑で承知していましたが、『獄門島』や『悪魔の寵児』など、複数の絵をまとめて見られるのも嬉しいです。『悪魔の寵児』の人形を手に持っているバージョンの怖さたるや…。 末尾には元木友平氏による解説があり、ペンネームの由来も含めた杉本さんの経歴が語られます。ここで印象的だったのは、杉本さんがこだわり続けているのが「目」である、という指摘。その観点であらためて収録された作品をながめなおすと、ぞくぞくするような印象がさらに増すように感じました。 また、角川文庫の横溝正史作品は当初別の方の絵だったのが、杉本作品を知った角川春樹氏が杉本作品を表紙に起用してから売り上げが伸びた、というエピソードも印象的でした。 購入をずっと迷っていましたが、手元において正解の作品集でした。(2024.02.17読了)・さ行の作家一覧へ
2024.08.03
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米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』~創元推理文庫、2024年~ <小市民>を目指す小鳩常悟郎さんと小佐内ゆきさんが活躍する小市民シリーズの四季四部作最終巻です。 受験を前にした冬、たい焼きを買った小佐内さんに付き合って、堤防道路を歩いていた小鳩さんは、車に轢かれてしまいます。 一命をとりとめた小鳩さんですが、お見舞いに来た堂島さんとの会話から、3年前―中学3年生の頃、同じ道で、同級生が同じように車に轢かれた事件を思い出します。 轢き逃げ事件の真相を解明しようと動き始めた小鳩さんは、そのときに小佐内さんと出会います。そして2人で事件の捜査を進めるのですが、一本道の現場、轢き逃げした車の進行方向にあるコンビニの防犯カメラの映像には、なぜか轢き逃げ車両は映っておらず…。 3年前の事件を回想する小鳩さんですが、一方、小佐内さんは、今回小鳩さんが轢かれた事件の捜査を進めていて、小鳩さんが眠っているあいだに、メモを残していきます。 小市民になろうと決めたきっかけの事件と、今回の事件の真相は……。 四季四部作最後の事件にして、二人の出会いの「エピソード0」も描かれる豪華な物語です。 ちょっと書きにくいですが3年前の事件に引き込まれているうちに、現在の事件も急展開するという仕掛けもあって、驚きが味わえます。 このシリーズは最初からビターな印象が強く、本作ももちろんビターな要素はありますが、ラストのどこか切ない味わいもあり、コミカルな掛け合いもあり、全体を通して楽しめました。(2024.07.05読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ
2024.07.27
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島田荘司『島田荘司全集IX』~南雲堂、2024年~ 島田荘司さんの全集第9巻です。前回の第8巻が2021年刊行でしたから、3年ぶりの、待望の全集刊行です。 収録作品については既に別に記事を書きましたが、本書には次の3作が収録されています。―――『改訂完全版 御手洗潔のダンス』『改訂完全版 踊る手なが猿』『改訂完全版 暗闇坂の人喰いの木』――― 全て、初出は1990年ということですが、御手洗シリーズが2作収録されていて、この頃から時代の流れがかわり、御手洗シリーズが次々と発表されていくのがうかがえます。(このあたりの事情は全集所収のあとがきを参照。) 全集に通じることですが、全ての作品について詳細なあとがきが書かれていて、執筆の背景などがうかがえるのが嬉しいです。 本作の月報は、島田荘司さんの作品を読んで作家を志望した伊坂幸太郎さんとの対談です。伊坂さんが、島田さんの「本格ミステリー論」を読んで「完全に理解した」とおっしゃっていて、その点をめぐる二人のやりとりが特に興味深かったです。 全集の帯には、今までは2作先までの収録予定作品が記載されていましたが(たとえば第8巻の帯には第9巻と第10巻の収録予定作品)、今回は第10巻までの予定だけ載っていて、第11巻以降の予定がますます気になります。 まずは第10巻の刊行を楽しみに待ちたいと思います。(2024.07.02読了)・さ行の作家一覧へ
2024.07.20
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島田荘司『改訂完全版 暗闇坂の人喰いの木』(島田荘司『島田荘司全集IX』南雲堂、2024年、395-809頁) 御手洗潔シリーズの長編第4作(島田荘司さんの全集版あとがきによれば、「御手洗新作第三弾」。『異邦の騎士』はデビュー前の習作のため)です。 それでは、内容紹介(2006.01.09の記事をほぼ再録)と感想を。――― 1984年。石岡和己が、まだ『占星術殺人事件』と『斜め屋敷の犯罪』しか発表しておらず、御手洗潔の名前がそれほど有名ではなかった頃。石岡本人に、女性から電話があった。読者だという彼女は、初対面で収入などを聞いてきて、石岡にはその意図が分からなかったのだが、その後、彼女が結婚したいと思っていたという男―藤並卓が、奇妙な状況で死亡したことをニュースで知ることとなる。 台風が過ぎたある朝、暗闇坂の下にあるおもちゃ屋の主人が、暗闇坂の上の方にある藤並家の洋館の屋根の上に、人間が座っているのを発見する。卓の死体だった。 目立った外傷はなく、警察は心不全ということで片付けようとしていたが、御手洗は不審な点を指摘し、事件に注目する。被害者の死亡推定時刻に、彼の母親が、藤並家敷地内に生える巨大な楠の下で、頭部を強く打って倒れていたこともわかる。 この楠には、様々な噂があった。枝にぶらさがるずたずたになった少女の死体。洞に耳をあてると、楠が食べた人々の声が聞こえ、死体も見つかるという。 * 戦後しばらく、藤並の敷地には、外国人のための学校があった。創立者は卓たちの父親、ジェイムス・ペイン。卓の死体が座っていた屋根には、もともとにわとりの像があった。その像も、事件を境に行方がわからなくなっていたのだが、この像は、羽を動かし、またそれと同時に、音楽を奏でる仕組みになっていた。ペインは非常に規則正しい生活をしており、毎日正午にこれを鳴らしていた。この行動にも御手洗は意味を見出していく。 また、殺した少女を壁に塗りこめたというおとぎ話のような奇怪な物語を手掛かりに、御手洗たちはペインの故郷であるスコットランドにまで向かうことになる。――― 前回の記事が2006年ですので、18年ぶりの再読です。いやはや、何度読んでも面白いです。 残酷な刑罰の話(ノベルス版にあった関連図版は、今回の全集版にはありません)や、巨大な楠にまつわる惨たらしい事件などなど、ぞっとするような描写も多いですが、「人喰いの木」の様々な謎や冒頭の奇妙な死、おとぎ話のような事件と、多くの謎が提示され、そしてそれらが論理的に解明されていく流れが鮮やかで、物語にぐいぐい引き込まれます。 事件関係者への御手洗さんの優しさもうかがえる、素敵な物語です。(2024.07.02読了)・さ行の作家一覧へ
2024.07.20
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島田荘司『改訂完全版 踊る手なが猿』(島田荘司『島田荘司全集IX』南雲堂、2024年、221-393頁) 吉敷竹史シリーズの短編1編ほか、ノンシリーズの短編3編の計4編を収録した短編集です。 それでは、簡単に内容紹介(2007.08.31の記事のほぼ再録)と感想を。―――「踊る手なが猿」地下道の喫茶店Bに勤める私は、向かいのケーキ屋Qのガラスケースに飾られた手なが猿の人形(?)に興味をもっていた。というのも、猿には赤いリボンが結ばれているのだが、三日ほどの短い期間で、足の先や腕の先などに、そのリボンの位置が変えられるからである。一方、関係をもっていたBの店長が、少し外出すると言って出かけた日に、店長が死亡するという事件が起こる。「Y字路」昭和63年(1988年)11月。アパートに帰宅した瑛子は、見知らぬ男の死体が部屋に横たわっているのに気付き、動揺する。このままでは、もとより彼女のことを疎ましく思っている恋人の母親から何を言われるかわからず、恋人と結婚できなくなってしまう…。瑛子は、恋人に助けを求めた。そこで恋人は、一計を案じる。「赤と白の殺意」私は、子供時分に軽井沢で過ごしたはずだが、その後はどうしても軽井沢に行く気になれなかった。ところが、ある日好奇心で受けた心理テストで、自分には殺人の記憶が抑圧されているのかと考えるようになる。真っ白い雪の中にある、赤い水のイメージ…。私は、抑圧された記憶を探るために、軽井沢へ向かった。「暗闇団子」加賀から江戸にやってきた四方助は、書物を書き写す筆耕の仕事をしながら、細々と暮らしていた。友人に連れられ、有名な花魁、辰巳花魁と出会った四方助は、初日からお床入りすることになった。美しい彼女を忘れられないながらも、次第にあの経験は夢だったと思い始めた四方助のもとに訪れた、辰巳花魁。吉原の火事に乗じて逃げてきた彼女とともに、四方助は団子屋を開くことになるが…。――― 表題作は島田荘司さんが展開していた(いる)都市論を感じさせるテーマの作品。「Y字路」が吉敷シリーズの短編で、倒叙風でありながら主人公にとっては意外な結末が待っています。「赤と白の殺意」は、全集版あとがきによれば、バイク雑誌に掲載された作品とのこと。割と好みのタイプの作品です。 異色作であり、同時に最も印象的なのが末尾の「暗闇団子」です。表題作で都市論について触れましたが、同時に島田さんは江戸論も展開していて(全集版あとがきにもあるように、その集大成が2010年の『写楽 閉じた国の幻』)、本作は江戸のある夫婦を描く物語です。今回は、御手洗シリーズの「大根奇聞」(『最後のディナー』所収』も連想しながら読みました。 このように、バラエティに富んだ1冊です。(2024.06.24読了)・さ行の作家一覧へ
2024.07.13
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島田荘司『改訂完全版 御手洗潔のダンス』(島田荘司『島田荘司全集IX』南雲堂、2024年、5-219頁) 御手洗潔シリーズの短編集です。 3編のミステリに加え、ボーナス・トラック「近況報告」の4編が収録されています。 それでは、簡単に内容紹介(2007.02.24の記事をほぼ再録)と紹介を。―――「山高帽のイカロス」1982年5月。御手洗たちの事務所へ、一人の青年が訪れた。空を飛ぶ人ばかりを描き、自分自身も、自分の別居中の妻も空を飛べると語っていた画家、赤松稲平が失踪してしまったという。赤松とともに飲んだ夜、赤松は具合が悪そうで、いつもかぶっている山高帽を忘れて帰ってしまった。そこで、帽子を彼のアパートにとどけたが、ドアは内側から鍵がかけられていてあかない。しかし、中から声は聞こえる。心配するうちに声が聞こえなくなり、体当たりしてドアをあけると、そこには誰もいなかったという。 数日後、赤松の遺体が発見される。彼のアパートの部屋(四階)よりも高い位置にある、部屋の近くの電線に乗っていたのだった。まるで、空を飛んでいたかのように、両手を広げて。「ある騎士の物語」石岡の先輩である秋元静香と、その友人である4人の男性が15年前に経験した事件について、石岡は話を聞く。事件の数年前から、藤堂という商才のある男とともに、4人はクイックサービスという、いまの宅配便のはしりのような仕事をはじめた。四人は全員バイクが好きで、その腕を仕事にいかしたのである。藤堂に秋元静香という恋人もでき、秋元の弟もクイックサービスで働き始め、生活は順調だった。しかし、秋元の弟が暴力団関係者に殺されてしまう。時を同じくして、藤堂が失踪した。藤堂の裏切りを憎み、秋元は彼を殺したいと切望する。藤堂に渡るはずの拳銃を手に入れた秋元は、それを藤堂に渡しに行って殺すというが、約束の時間に、彼女も、四人も藤堂と会えるはずがなかった。にもかかわらず、藤堂は銃殺されていたという。「舞踏病」1988年11月。おでん屋の主人が、御手洗のもとを訪れた。主人は、一月70万円と2階のトイレ・バスの工事費を払うから一ヶ月だけ老人を二階に住まわせて欲しいという奇妙な依頼を受ける。悪い条件ではないため、老人を住まわせたのだが、老人は夜な夜な踊り出すというのである。さらに、依頼した男―老人の息子という―は、仲間とともに、毎日何度も老人のもとを訪れる。気になった主人が隠れて話を聞くと、毎回のように、「例のものはどこだ?」と老人に聞くのだという。このことに興味をもった御手洗は、さっそく調査に乗り出す。「近況報告」1990年現在の、御手洗さんの様子を石岡さんが語るボーナス・トラック。なぜ東京に住んでいるのか、趣味、部屋の間取りなどなどが紹介されます。――― 本作を読むのはトータル3回~4回目になると思いますが、前回の記事が2007年ですので、17年ぶりの再読となります。「山高帽のイカロス」は謎の提示も伏線の妙も抜群で、きれいな謎解きが楽しめる作品。「ある騎士の物語」は感動的な話という印象を覚えていましたが、どちらかといえば後味が悪い作品でした。「舞踏病」はあまり覚えていませんでしたが、奇妙な踊りを踊る老人や、男の不可解な行動と、どれも興味深い謎で、物語に引き込まれます。「近況報告」は、全集版あとがきによれば、同人誌の作者たちにあてたメイルのような感覚で書いた作品とのこと(819-820頁)。御手洗さんの戦争への思いなど、ある意味では今回の再読で一番興味深く読んだ作品です。 事件の時代背景は1980年代と40年近く前のことですが、ミステリとしては今なお古さを感じない、面白い作品集です。(2024.06.22読了)・さ行の作家一覧へ
2024.07.06
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青崎有吾『ノッキンオン・ロックドドア2』~徳間文庫、2022年~ 不可能専門の御殿場倒理さん、不可解専門の片無氷雨さんの2人が探偵をつとめ、女子高生の薬子さんがバイトをしている探偵事務所「ノッキンオン・ロックドドア」に持ち込まれる様々な事件に、2人が挑む短編集第2弾です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「穴の開いた密室」日曜大工の好きな男が、離れの作業場で殺された。ドアは内側から施錠されていたが、壁には大きな穴が開けられていた。「時計にまつわるいくつかの嘘」精巧な時を刻む腕時計をはめた女性が死体で発見された。時計の示す時間、彼女とトラブルの多かった彼氏にはアリバイがあったが…。「穿地警部補、事件です」警察上層部の友人だったジャーナリストがマンションから落下して死亡した。上層部からは自殺で処理するよう無言の圧力をかけられる穿地だが、現場に違和感を抱き、捜査を進めていく。「消える少女追う少女」トンネルで忽然と消えた少女を探してほしい。依頼を受けた2人がたどりつく真相は。「最も間抜けな溺死体」水のないプールに落ちて、その後ためられた水で溺れたと思しき奇妙な死体が見つかる。事件の裏にはあの男がいると思われたが…。「ドアの鍵を開けるとき」倒理の首にまつわる5年前の事件に、ついに決着をつけるときがくる。当時、犬をボウガンで襲う事件が連発していた。その犯人を明らかにしたゼミの4人だが、その後、密室殺人未遂事件が発生する。その真相とは。――― 第1巻同様、探偵2人の軽快なやりとりが楽しく、読みやすい1冊です。 好みだったのは「穿地警部補、事件です」と「消える少女追う少女」。前者は圧力に屈しない穿地さんのカッコよさと推理の冴えが味わえます。また後者は謎も魅力的ですし、解決も好みでした。 そしてシリーズ全体を通じた「謎」である5年前の事件の真相が明かされる最終話も印象的でした。 東川篤哉さんの「私が解説を書きたくない、いくつかの理由」も面白いです。(2024.02.16読了)・あ行の作家一覧へ
2024.06.30
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米澤穂信『折れた竜骨(上・下)』~創元推理文庫、2013年~ 米澤穂信さんによるノンシリーズの長編です。 舞台は中世、ロンドンから北海を船で3日航海してたどり着くソロン諸島。魔術の使用が前提となっているファンタジーでありながら、きわめて高い論理性で謎が解かれる良質のミステリです。 物語は、ソロン島の領主ローレント・エイルウィンの娘、アミーナの一人称で進みます。 老兵が奇妙な症状で死亡した後、ローレントはとつぜん傭兵を募ります。一方、東方はトリポリ伯国から、魔術を用いる「暗殺騎士」を追い、聖アンブロジウス病院兄弟団の騎士ファルク・フィッツジョンとその従士ニコラ・バゴがソロン諸島を訪れます。 アミーナは、初対面のときから高い論理性を見せたファルクに信頼を置き、2人を領主の館へ案内します。そして、エイルウィン家の従騎士エイブが集めた傭兵たち、領主に呼ばれた市長らが、領主の館の「作戦室」に集うことになりました。 翌朝、ローレントが何者かに殺害されていることが判明します。アミーナはファルクたちに、犯人捜しを命じ、彼らは調査を開始しますが、その最中、「呪われたデーン人」たちがソロン諸島を襲来し……。 という流れなのですが、これは面白かったです。 なんとなく、ファンタジーという設定で手に取りにくかったのですが、とんでもない、冒頭にも書いたようにファンタジーではありますがその世界の論理がしっかり構築されているので、謎解きの面白さも抜群です。「呪われたデーン人」との戦いも面白く、またこれも解決への手掛かりになっていて、無駄な要素のない良質のミステリです。 物語を読み終わると、タイトルも沁みます。 素敵な読書体験でした。(2024.02.16読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ
2024.06.22
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杉崎泰一郎『「聖性」から読み解く西欧中世―聖人・聖遺物・聖域』~創元社、2024年~ 中央大学文学部教授の杉崎先生による、「聖性」の観点から西欧中世を読み解く1冊。以前紹介した杉崎泰一郎『世界を揺るがした聖遺物―ロンギヌスの槍、聖杯、聖十字架…の神秘と真相―』(河出書房新社、2022年)は、聖遺物に焦点を当てた平易な語り口の1冊でしたが、本書は聖遺物から聖性へと対象を拡大しています。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 コンスタンティヌス大帝からカール大帝へ―キリスト教聖性の醸成第2章 権力者と聖性第3章 地域社会と聖なる力第4章 修道院による聖性の創出第5章 巡礼と伝承第6章 教皇、王と受難のキリスト―十字軍時代の聖性を導いたもの第7章 教皇による列聖、王権の聖化―聖なる力による普遍的な権威の形成第8章 言葉による聖性の拡散と共有第9章 俗人による宗教運動と地域共同体―ルネサンスから近世へあとがき参考文献索引――― 以上のように、初期中世から近世までを見据えた概説となっていて、また多様な「聖性」のあり方が論じられており、興味深い1冊です。 が、誤植が目立つのが気になりました。(1)研究者名の誤字 轟木広太郎先生の名前の表記が「轟広太郎」となっているほか(71頁、307頁)、列聖手続きに関する研究を進めていらっしゃる渡邉浩先生の表記にいたっては「渡辺浩」(216頁)、「渡邊浩」(219頁)、正しい「渡邉浩」(同頁)と、数ページの間にまちまちの表記になっています。渡邊昌美先生の表記も、「渡邉昌美」(307頁、311頁)となっている箇所がありました。(2)固有名詞の誤字 モワサック修道院について論じている部分で、とつぜん「モサワック修道院」と表記されたり(141頁)、その他地名でノルマンディーが「ノルマディー」となっていたり(236頁)します。また、タラスコンというまちでの、タラスクという怪物の伝説について論じる部分では、「怪物タラスコン」(292頁)とあり、怪物名と都市名の混同があります。(3)その他 巡礼に関する基本的史料である『聖ヤコブの書』の第五部「巡礼案内書」について紹介する部分で、「その第五部は『巡礼案内書』は、(以下略)」と「は」が二重になっていて、ここは「その第五部『巡礼案内書』は」でしょう(148頁)。232頁では聖王ルイの命日が「八月二一五日」(230頁では「八月二五日」)と余計な「一」が入っています。268頁の「キリストの脇腹を指したロンギヌス」は、「キリストの脇腹を刺したロンギヌス」が正しいでしょう。 こうした誤植のほか、人物に関する記述にも誤りがあります。261頁から、このブログでも何度か言及しているジャック・ド・ヴィトリという説教師に関する言及がありますが、ここではジャックが「ドミニコ会修道士」で、「エルサレム総大司教に任じられた」。そして、「例話集や説教集を執筆した」(261-262頁)とあります。しかしカッコで引用した部分は、私が勉強してきている限りではすべて誤りで、ジャックはドミニコ会修道士ではなく、律修聖堂参事会員を経て、司教、司教枢機卿といった経歴の人物です。エルサレム総大主教ではなく、アッコンの司教に任じられました。また、自身では例話集は残していないはずで、多くの例話を含む説教集は著しており(『身分別説教集』と『週日・通聖人説教集』)、のちに例話のみ抜粋した写本が作られたということはあるようです。本書の性格上、注がないため、何を根拠にジャックについて以上のような記述がなされたのか不明ですが、さきの誤植が多い件とあわせて、本書が非常に興味深いテーマを扱っている貴重な概説書であるだけに、余計に残念でした。 こういった残念な点はありましたが、興味深い記述も多いです。 たとえば第1章では、聖遺物を取引する商人の存在が指摘されます。 また第2章では、有名なバイユーのタピスリー(1066年のいわゆるノルマン・コンクエストでのイングランド王とノルマンディー公の戦いを描く)の中で、敗北する英王ハロルドは目に矢を受けて命を失いますが、彼は「雄牛の目」と呼ばれる聖遺物箱に入れられた聖遺物に誓いを立てていました。ここで、聖遺物箱の「目」と死因の関連性があるのかもしれない、という興味深い仮説が示されています。 第3章では、領主の裁きによって不当な扱いを受けた者に対して、「教会や修道委員が聖人の名のもとに救済活動をしていた」(89頁)ということが指摘されます。その他、修道院での聖遺物の利用の諸側面を描く第4章、教皇による列聖手続きの成立の概要を分かりやすく示す第7章など、どの章も興味深く読みました。(2024.06.09読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.06.15
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米澤穂信『Iの悲劇』~文春文庫、2022年~ 米澤穂信さんによるノンシリーズの長編です。 誰もいなくなった集落―蓑石に、移住者を呼び込み再生させようとする市長肝入りのプロジェクトが進められていました。 プロジェクトを担う市長直属の組織―甦り課の万願寺さんは、定時を死守する西野課長、採用2年目の観山さんとともに、蓑石への移住者支援に取り組んでいました。 ところが…。パイロットケースとして移住してきた2組は近隣トラブルになり、やがてある事件をきっかけに蓑石を去ってしまいます。さらには、本格移住で移住してきた10組の世帯も、様々なトラブルをきっかけに次々と蓑石を去っていくことに…。 公務員探偵といえば、西澤保彦さんの『腕貫探偵』シリーズを思い浮かべますが、市役所を舞台にしたミステリは本作で初めて読んだような気がします。 さて、主人公は甦り課で主に仕事を進める万願寺さん。なかなか頼りなさそうな上司と部下ですが、2人が意外と切れ者なのも次第に見えてきます。 火事、いなくなった鯉、行方不明の男の子、食中毒事件、開かなくなる部屋と、それぞれの謎解きも面白いですが、ラストですべてがひっくり返る鮮やかさが見事です。 主人公の感慨も印象深いです。 良い読書体験でした。(2024.02.08読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ
2024.06.08
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大貫俊夫他(編)『修道制と中世書物―メディアの比較宗教史に向けて―』~八坂書房、2024年~ 2020年にはじまったプロジェクト「中近世における宗教運動とメディア・世界認識・社会統合:歴史研究の総合アプローチ(略称ReMo研)」の成果として刊行された論文集です。 編者代表の大貫先生は東京都立大学人文社会学部准教授。本ブログでは次の訳書を紹介したことがあります。・アルフレート・ハーファーカンプ(大貫俊夫他編訳)『中世共同体論―ヨーロッパ社会の都市・共同体・ユダヤ人―』柏書房、2018年・ウィンストン・ブラック(大貫俊夫監訳)『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』平凡社、2021年 編者の1人赤江雄一先生は慶應義塾大学文学部教授。本ブログでは次の単著と編著を紹介したことがあります。・Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015・赤江雄一/岩波敦子(編)『中世ヨーロッパの「伝統」―テクストの生成と運動―』慶應義塾大学言語文化研究所、2022年 本書の構成は次のとおりです。―――第I部 総論(大貫俊夫・赤江雄一・武田和久・苅米一志) はじめに I-1 キリスト教修道制における書物メディアとその展開 I-2 日本中世仏教における書物メディアとその展開第II部 書物文化の醸成 II-1 西欧初期中世秘跡書写本の装飾イニシアル―vere dignumとte igiturのイニシアル・ページの機能をめぐって(安藤さやか) II-2 二重修道院の書物―セッカル修道院の書物係ベルンハルト(1140-84/85)の足跡を追って(林賢治)第III部 書物による知の継承・改変 III-1 世俗知から宗教知へ―ボエティウス『哲学のなぐさめ』に見る知的世界観の変容(阿部晃平) III-2 西欧中世の修道院と動物寓意テキストについて―Dicta Chrysostomi版フィシオログス写本の分析から(長友瑞絵) III-3 ドイツ語圏英雄伝承の教化素材化―ニーベルンゲン伝説およびディートリヒ伝説を題材に(山本潤)第IV部 歴史叙述とアイデンティティ IV-1 托鉢修道会のアイデンティティと書物(梶原洋一) IV-2 『キリストの生涯についての黙想』をめぐる二大托鉢修道会のイメージ戦略(荒木文果) IV-3 聖マルゲリータ・ダ・コルトーナをめぐる記憶の政治と書物―13-14世紀転換期におけるフランチェスコ会・イタリア都市・聖人崇敬(白川太郎)第V部 日本中世との比較 V-1 聖地と日本仏教史の再創出―『金剛山縁起』の偽撰と受容(川崎剛志) V-2 「東国の王権」を守護する観音―真名本『曾我物語』・『源平闘諍録』・坂東三十三所縁起(宗藤健)あとがき編者・執筆者略歴索引――― 4名の編者による総論は本論文集の導入として、研究動向や歴史的背景の見取り図となっていて便利です。西洋中世史と日本中世史との比較が本論集の特徴の1つですが、中でも、日本史の観点から、「説話は、中世ヨーロッパで人気を博した「例話」と同様やがて文学の一分野となり、その集大成が中世初期…における『今昔物語集』である」(50頁)との指摘は興味深く、『今昔物語集』にあらためて興味がわきました。なお、西欧中世の「例話」(基本文献はClaude Bremond, Jacques Le Goff et Jean-Claude Schmitt, L'《exemplum》 2e edition, Brepols / Turnhout, 1996)が「文学の一分野」だったのかどうかについては議論があります。 以下、各論について簡単にメモ。 安藤論文は標題どおり秘跡書写本の装飾頭文字について、モノグラム(合わせ文字)の影響関係など、様々な写本との比較検討を行います。 林論文は男女両性が同一の修道院で生活する「二重修道院」の書物係による写本分析を通じて、従来の「慣習律」が想定していない「二重修道院」の形式に対応させるべく、女性を対象としたメッセージを盛り込んでいたことを明らかにします。 阿部論文は、「キリスト教徒が書いた異教的文学」(140頁)であるボエティウス『哲学のなぐさめ』が、中世においていかに読まれ、キリスト教的に解釈されたか、様々な写本の余白に記された注解や挿絵を手掛かりにたどる興味深い論考です。余談ですが、『西洋中世研究』15所収の阿部晃平「知識をいかに体系づけるか?―『ソロモンの哲学の書』に見る初期中世における学問区分の再編成―」という論文も大変興味深く読みました。 長友論文は『フィシオログス』という動物寓意テキストのある写本について、特にハイエナとゾウのキリスト教的解釈の分析を行います。ハイエナとゾウが1つのフォリオの裏表に描かれている点にも編集者の理念を読み解く興味深い指摘がなされます(202頁)が、一方でその写本の構成(177頁)によれば、2つの動物のあいだに野ロバとサルが配置されているようなので、紙幅の都合があるとは思いますが、間に置かれた動物たちの位置づけが気になるところでした。 山本論文は副題に掲げる2つの伝説について、俗人の「英雄伝説」をいかに聖職者が書字文芸化したのかといった点や、英雄伝説への両者の認識などを考察します。面白かったのは、『ニーベルンゲンの歌』は、その破滅的な結末の続編である『ニーベルンゲンの哀歌』と組み合わされて写本に収録されており、後者は前者をキリスト教的な歴史構造に位置づける機能を果たしていたという指摘です。 梶原論文は、本書収録の多くの論考が、「宗教者たちが、多様な手段・目的によって、過去から継承した書物や知識に「改変」を施したプロセス」(233頁)を鮮やかに描き出しているのに対し、当該論文は書物の存在を通じて、「集団が有する性格とアイデンティティが変容し再定義される、その様相」を考察すると冒頭で述べ、本書の諸論考の性質と自身の目的を的確に提示します。そのうえで、ドミニコ会士とフランシスコ会士が書物とその作成・収集にいかなる態度を示したのか、鮮やかに描き出す興味深い論考です。 荒木論文は、フランシスコ会士による『黙想』という作品が、多様に絵画として表現された一方、同作を意識して作成されたドミニコ会士による『黙想』は、壁画制作を前提としつつ、自由な表現を制限していたこと、さらにドミニコ会『黙想』への競合意識を反映するかのようなフランシスコ会出身教皇の壁画の作例を指摘するという、書物とそれを基にした絵画の分析から、2つの修道会の競合意識をたどる読み応えのある論考でした。 白川論文は、神秘体験を経験し、後に聖人とされる俗人女性マルゲリータ・ダ・コルトーナを、書物を通じて崇敬を確立しようとしたさまざまな人々の関与・思惑を具体的に分析します。 第V部は日本中世史からの2つの事例です。 いずれも、宗教と書物をめぐる重厚な論考で、興味深い1冊です。(2024.05.19)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.06.01
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米澤穂信『本と鍵の季節』~集英社文庫、2021年~ 高校2年生の図書委員、僕―堀川次郎さんと松倉詩門さんの2人が活躍する連作短編集です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「913」受験準備のため委員会を退いた3年生の浦上先輩が図書室にやってきた。おじいさんが残した開かずの金庫を開けるのに協力してほしいというのだが…。「ロックオンロッカー」松倉と2人で美容院を訪れた僕。慌てたようにやってきた店長の言葉の意味とは…。「金曜に彼は何をしたのか」職員室前の窓が割られ、生徒指導部の先生から目を付けられていた学生が呼び出された。僕たちに相談にきたその弟いわく、兄にはアリバイがあるが、それを兄は決して言わないため、一緒に証拠を探してほしいという。「ない本」自殺した3年生の友人から、亡くなった生徒が読んでいた本を探してほしいと依頼を受けた僕たちは、詳しい状況を聞き取っていくが…。「昔話を聞かせておくれよ」僕と松倉は、それぞれの昔話を語り合う。そして、松倉の父の秘密に近づいて行くことに…。「友よ知るなかれ」その後日譚。――― これは面白かったです。 魅力的な謎、謎解きの妙、そして全体的にビターな後味の物語です。 冒頭の「913」から、思わぬ展開に引き込まれます。 その他、印象的だったのは「金曜に彼は何をしたのか」と「ない本」。それぞれの人の思いが印象に残ります。 朝宮運河さんの解説によれば、続編も予定されているとのこと。次作も楽しみです。(2024.02.04読了)・や・ら・わ行の作家一覧へ
2024.05.25
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フィリップ・ティエボー(千足伸行監修/遠藤ゆかり訳)『ガウディ―建築家の見た夢―』~創元社、2003年~(Philippe Thiébaut, Gaudí. Bâtisseur visionnaire, Paris, Gallimard, 2001) 知の再発見双書の1冊。 スペインはバルセロナのあまりにも有名な未完のサグラダ・ファミリア聖堂の設計者アントニオ・ガウディ・コルネット(1852.6.25-1926.6.10)の、様々な業績と人となりを、豊富な図版を交えて紹介してくれる1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 カタルーニャ地方の主都、バルセロナ第2章 イスラム建築の影響とカタルーニャ主義第3章 ゴシック様式とフランス合理主義第4章 生き物のような建築第5章 サグラダ・ファミリア教会資料編―ガウディがのこしたもの―1 ガウディの作品マップ2 シュールレアリストたちの解釈3 シュールレアリストたちの賛辞4 写真家クロヴィス・プレヴォーが見たガウディ5 熱烈な鑑定家、ペドロ・ウアルトガウディ略年譜INDEX出典参考文献――― 本文約100頁、資料編約30頁、冒頭にも書いたように図版が豊富なのでとても読みやすいです。 私は近代建築には全く詳しくないので、様式論などについてふれる資格はありませんので、簡単に印象に残った点のみメモしておきます。 ひとつは、ガウディの人柄。たとえば、建築学校時代、墓地の設計図の試験の際に、まわりの雰囲気を表現することも重要と考え、悲嘆に暮れた人々や灰色の雲が垂れこめる空などを書き加えたところ、教授はそれを間違いと決めつけますが、ガウディは修正する気がなく、そのまま教室を出てしまったとか(24頁)。その他、カラフルなタイルをはる作業のとき、新しい建築技法になかなかなじめない石工たちは、ガウディが満足するまで何度もやり直しをしなければならなかったという証言も紹介されています(69-70頁)。 一方、サグラダ・ファミリア建築にかかる膨大な資金集めのため、自ら道行く人々に寄付をつのったそうで、みすぼらしいかっこうのガウディを揶揄する風刺画も残されています(94-95頁)。 次に、その作品については、独創的な建築物の写真がどれも興味深いですが、特に印象に残ったのは、グエル邸の家具です。曲線が美しく豪華な椅子は、デザインが優れているだけでなく、「シートや背もたれの曲線は座る人の体にきちんと合うように、さらには上品な姿勢を保つことができるように計算しつくされている」(59頁)そうですし、非常に不安定な左右非対称の鏡台も、脚の部分にブーツのひもを結ぶときに足をのせるための小さな台がついていたりと、実用面でもすぐれています(42,59頁)。 最後に、私も少し興味を持っているシュールレアリストのダリも、ガウディの作品を非常に称賛していたということで(資料編3)、こちらも興味深く読みました。 普段はほとんど触れない分野の本ですが、興味深く読めた1冊です。(2024.01.31読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.05.18
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松本清張『点と線』~新潮文庫、1987年改版(1995年82刷)~ あまりにも有名な長編作品ながら、今回初めて読みました。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。――― 博多付近の海岸で、青酸カリ中毒で死亡した男女2人の遺体が発見された。 情死として処理されていく中、古参の鳥飼刑事は、男性が持っていた列車食堂の受取証に記されていた「御一人様」という記載に疑問を持つ。なぜ、女性は一緒ではなかったのか。捜査を進めるうち、違和感はますます募るが…。 一方、遺体で見つかった男性―佐山は、汚職事件が摘発の進行中だったある省の課長補佐だった。その線で捜査をしていた警視庁捜査二課の三原警部補が、福岡署を訪れる。三原は、鳥飼の話に興味を持ち、あらためて事件を捜査していく。その中で、男女が特急を乗るのを見ていた目撃情報に、作為的なものがあったのではないかと考えるが、疑惑をもった男のアリバイは完璧なようだった。さらに、事件に関与しているという思いは強くなるが、どう関与しているかもなかなか見えてこず、三原の捜査は難航していく。――― 平野謙氏による解説によれば、本作は「推理小説としては松本清張の処女長編」(228頁)とのことです。また平野氏の解説には、肝心のネタはさすがに割らないものの、やや詳しく説明があるため本作未読の場合は注意が必要ですが、クロフツなどアリバイもののミステリの系譜の中に、本作の意義を位置付けていて、興味深いです。 さて、私は横溝正史作品からミステリに興味を持ち、その後、当時活況を呈していたいわゆる「新本格」(つまり、いわゆる「社会派推理小説」へのアンチテーゼ)を中心に読む、といったあたりから読書を始めているので、本書をはじめとする社会派推理小説はあまり読んできていませんでした。とはいえ、本作はとても面白かったですし、以前紹介した『砂の器』も面白かったので、食わず嫌いはもったいないと再認識した次第です。時間は有限なので、なにもかも読むのは難しいですが、これからもいろいろ読んでいきたいとあらためて思った次第でした。 意味不明な感想になってしまいましたが、あらためて、今回読めて良かったです。 良い読書体験でした。(2024.01.30読了)・ま行の作家一覧へ
2024.05.11
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青崎有吾『早朝始発の殺風景』~集英社文庫、2022年~ 青崎有吾さんによるノンシリーズの短編集。 同じまちが舞台で、エピローグでは各物語のその後の様子も描かれますが、基本的には独立した5編の短編が収録されています。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「早朝始発の殺風景」早朝始発の電車に乗ると、普段離さないクラスメイトの殺風景が座っていた。僕―加藤木と殺風景は、お互いが早朝始発に乗る理由を推理し始めることになる。「メロンソーダ・ファクトリー」仲よし三人組でいつものファミレスでしゃべっていた私たち。学園祭のクラスTシャツのデザインを選ぶ中、私の提案に対して、いつもなら受け入れてくれるはずの詩子は別のクラスメイトのデザインを選び…。微妙な空気になる中、詩子の選択の理由をノギちゃんが推理する。「夢の国には観覧車がない」フォークソング部3年生の引退記念でテーマパークにやってきた俺は、あまり話したことのない後輩とペアになり、観覧車に一緒に乗ることに…。果たして後輩が俺を観覧車に誘った意図とは…。「捨て猫と兄妹喧嘩」公園で捨て猫を拾ったあたしは、両親の離婚により別々に暮らしている兄に連絡を取る。アパートに連れて帰れないため、兄に引き取りをお願いするが、兄の言葉にはどこか違和感があり…。「三月四日、午後二時半の密室」クラスに最後までなじめた様子のなかったクラスメイトが、体調不良で卒業式を欠席。そんな彼女のもとに卒業アルバムを届けたわたしは、なんとなく帰りそびれて、少しずつ彼女と話をするが、急に違和感に気づき…。――― これは面白かったです。 車両、ファミレス、観覧車、レストハウス、級友の家の部屋という5つの場所で、2~3人が話す中で生まれる違和感や疑問を解き明かしていくというスタイルの物語。決して派手な動きはないのに、物語にぐいぐい引き込まれます。 特に好みだったのは「メロンソーダ・ファクトリー」。主人公の最後の「修正」に心を打たれます。 また、「夢の国には観覧車がない」も良かったです。読後、このタイトルをあらためて、あらためてその深さを感じました。「三月四日、午後二時半の密室」も、タイトルが素敵なのはもちろん、何も謎がなさそうでいて途中からミステリの雰囲気が高まっていくというつくりも素敵でした。とりわけ、クラスメイトの煤木戸さんが語る、勉強する理由が印象的でした。 池上冬樹氏による解説も分かりやすく秀逸です。 あらためて、これは面白かったです。良い読書体験でした。(2024.01.27読了)・あ行の作家一覧へ
2024.05.04
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池上俊一『魔女狩りのヨーロッパ史』~岩波新書、2024年~ 東京大学名誉教授の池上先生の最新刊です。 池上先生には『魔女と聖女』講談社現代新書、1992年や監訳としてジャン=ミシェル・サルマン(池上俊一監修)『魔女狩り』創元社、1991年などがありますが、本書はこうした業績を踏まえつつ、最新の研究もフォローした1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 魔女の定義と時間的・空間的広がり第2章 告発・裁判・処刑のプロセス第3章 ヴォージュ山地のある村で第4章 魔女を作り上げた人々第5章 サバトとは何か第6章 女ならざる“魔女”―魔女とジェンダー第7章 「狂乱」はなぜ生じたのか―魔女狩りの原因と背景第8章 魔女狩りの終焉おわりにあとがき主要参考文献・図版出典一覧―――「はじめに」で近年の魔女研究の動向を簡潔に整理した後、第1章は、本書で対象とする「魔女」の定義を、キリスト教的ヨーロッパで、15-18世紀の魔女狩りの対象となった人々と狭義にとらえるという姿勢を示します。さらに、魔女が行ったとされる魔術の諸類型や、魔女狩りの地域ごとの差異などが紹介されます。 第2章は章題どおり、魔女が訴えられ処罰される過程を具体的に示します。体調が良くないときに読むと辛くなります。 第3章は、本書の中で最も興味深く読みました。ある村で、ある一家全員が魔女とされるに至った経緯を紹介するのですが、ここでは、その家族の子である9~10歳くらい少女が、次から次に家族を告発していく様が示されます。彼女自身は別の地に再教育のため送られ、のちに結婚、さらに魔女狩りで犠牲になった家族のために壮麗な墓標を建てた(84頁)とのことですが、彼女は本当に告発していたのか(単に家族とダンスに行った話や空想を膨らませながら話していただけなのを裁判官たちが都合よく解釈しただけなのか)、どんな思いだったのか、いろいろ考えさせられました。 第4章は魔女狩りの理論を練り上げていった人々についての議論です。よく、「魔女狩りは暗黒時代の中世になされた」と思われがちですが、魔女狩りの最盛期は16世紀後半から17世紀半ば、つまり近世~近代初頭の出来事で、中世の出来事というのは間違いだという指摘があらためてなされます(92頁)。が、続けて、理論的な下地は中世に形成されており、「中世が免責されるわけではない」(92-93頁)と指摘されているのが印象的でした。 第5章はサバトについて。「悪魔からもらった膏薬を塗った」(130頁)、「~という場合もあった」などの表現が用いられていますが、ここでは、「~と裁判官たちに解釈された」などを補いながら、あくまでサバトがこのようにイメージされたというふうに読む必要があると思われました。 第6章は、女性以外の魔女狩りの対象となった男性やこどもたちについて。 第7章は章題どおり魔女狩りの背景と原因を探ります。順番が前後しますが、「あとがき」でも、魔女狩りの最盛期がルネサンスや科学革命といった「近代の黎明を告げる出来事の起きた」時代にあったのはなぜか、という問題関心があったことが触れられ、私もまさにその点が気がかりであるのですが、先のコロナ禍にあった「自粛警察」など、科学の進展した「現代」にもスケープゴートを仕立て上げる様子が見られることを思うと、単純に近代性と魔女狩りの心性が両立しないと考えることには慎重になりつつ、個別具体的にその要因を探る必要があることをあらためて感じました。第7章では、とりわけ、共同体の解体や都市エリートによる農村の「文化変容」といった議論を興味深く読みました。 第8章は魔女狩りの終焉をたどり、「おわりに」は本書の要点の整理となっています。 以上、簡単なメモとなりましたが、最新の研究動向もフォローできる、興味深い1冊です。 さいごに、魔女は悪天候をもたらしたとか、それと表裏一体ですが魔女狩りの時期の気候不順などが指摘されていますが、これに関連した面白い論文があるので紹介しておきます。・井上正美「魔女と悪魔と空模様」『立命館文学』534、1994年、132-148頁(2024.04.13読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.04.28
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ジャン=ミシェル・サルマン(池上俊一監修/富樫瓔子訳)『魔女狩り』~創元社、1991年~(Jean-Michel Sallmann, Les sorcières, fiancées de Satan, Paris, 1989)「知の再発見」双書の1冊。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 妖術の誕生第2章 魔女狩り第3章 過酷な裁判第4章 妖術と魔術第5章 妖術の衰退資料篇―魔女のイメージと現実1 ある妖術事件2 悪魔学者の語るところによれば3 サバト4 ロマン派の視点5 ルーダンの悪魔6 ベナンダンティの戦いの儀礼7 現代の魔女8 伝統的な知識9 非ヨーロッパ文化における妖術関連地図INDEX出典(図版)参考文献――― 第1章は魔女狩りの前史として、妖術の諸相を概観します。妖術が災害などの原因とされたほか、その起源が古代の神話に求められることなどを指摘します。 第2章では、魔女裁判の具体例や、魔女が行っているとされる様々な儀式などが概観されます。ここでは、「とくにもっとも年老いたもっとも貧しい」(58頁)女性が魔女とされることが多いことを指摘するなかで、その時代の社会を「世間の人たちがそう信じて自己満足しているほど、老人にいたわりがあるとは必ずしも言えない社会」(59頁)と評している部分が印象的でした。 第3章は、どう答えても有罪にもっていかれるような事例など、様々な過酷な裁判の事例紹介です。 第4章は、魔女狩りの実施には地域性があり、過酷な魔女狩りが行われなかった地域もあることを指摘したのち、魔女狩りを懐疑的に見ていた人々の存在などを論じます。 第5章は章題どおり、魔女狩りの終焉をたどります。 資料編では、現代や非ヨーロッパ圏の事例も紹介されるのが興味深いです。 本シリーズに共通しますが、図版が豊富でイメージしやすく、また叙述も明解で、読みやすい1冊です。(2024.03.24再読)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.04.27
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徳永聡子(編)『神・自然・人間の時間―古代・中近世のときを見つめて―』~慶応義塾大学言語文化研究所、2024年~ 2020年4月から2022年3月の慶応義塾大学言語文化研究所の公募研究「時間支配とテクストの生成―古代から近世における比較思想史的研究」の成果の一部をまとめた論文集です。 編者の徳永先生は慶應義塾大学文学部教授。本ブログでは、共編著として、次の論集を紹介したことがあります。・大沼由布・徳永聡子(編)『旅するナラティヴ―西洋中世をめぐる移動の諸相―』知泉書館、2022年 さて、本書の構成は次のとおりです。―――はじめにI 古代ギリシア・ローマ 土橋茂樹「クロノスとカイロス―古代ギリシアの時間概念とそのキリスト教的受容」 小池和子「キケローと暦、日付―書簡集を中心として」II 中世ヨーロッパ 岩波敦子「ときを記録する―中世ヨーロッパの時間意識と過去―現在―未来」 山内志朗「聖霊の時間形式を求めて―中世における予型論について」 松田隆美「煉獄の時間とSir Orfeoの時間」 赤江雄一「西欧中世における説教の「心中の暦」―説教者は年間を通じて説教内容をどのように決定したか」 徳永聡子「教会暦とキャクストン版『黄金伝説』」III イスラームとオリエント 鎌田由美子「イスラーム美術と星モチーフ―セルジューク朝の金工品に見られる七惑星と黄道十二宮」 北田信「デカンの初期ウルドゥ―語詩人ヌスラティーにおける時間」おわりに――― 特に興味深かった論文についてメモしておきます。 小池論文では、紀元前45年のユリウス暦への改暦前は、1年が355日で、1年おきに2月の後に閏月を入れていたというのですが、閏月の挿入がいい加減に、また政治的になされていたという指摘が印象的でした。 岩波論文は、中世ヨーロッパのさまざまな「とき」をめぐる、やや概説的な論考。復活祭(春分の日以降の満月後の最初の日曜日)の正しい算定方法をめぐる議論、都市の時間、歴史叙述、「亡霊譚」などからみる死者や異界の時間など、時間に関する諸相を描きます。 松田論文は、岩波論文末尾で扱われる「異界」のときについて、特に文学作品に描かれる煉獄の時間を論じます。こちらも関心のあるテーマで、興味深く読みました。 赤江論文はYuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015、第6章をアップデート、単独論文として整理した邦訳版。説教で語られる主題が特定の日曜日に結び付けられていることにより、説教者も聴衆も、どの日曜日にどの主題が語られるかという暦が頭の中にあったのではないか、という、ダブレイらが論じる「心中の暦Mental Calendar」概念の有用性を、ある『日曜説教集』の詳細な分析を通じて、あらためて明らかにする論考で、大変勉強になりました。 第III部も、私は不勉強な領域ですが、イスラーム美術における星のモチーフに関する話など、興味深く読みました。 読了から時間が経ってしまったのと、私の理解不足で、十分な紹介ができませんでしたが、興味深い話題も多く、勉強になる1冊でした。(2024.04.07読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.04.20
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多田克己『百鬼解読―妖怪の正体とは?』~講談社ノベルス、1999年~ 京極夏彦さんの「百鬼夜行シリーズ」を現時点の最新刊まで読み終えたので、関連書として本書を久々に再読してみました。 時系列でいえば、京極夏彦『百器徒然袋―雨』と同日に刊行されていますが、その時点で次作予定に挙がっている陰摩羅鬼まで含めて、「百鬼夜行シリーズ」に登場するすべての妖怪を紹介してくれる1冊です。 著者は、「妖怪研究家」とのことで、そのお名前は「百鬼夜行シリーズ」でもおなじみの多々良勝五郎先生のモデルになったのでは、といまさらながら思った次第です。ノベルス版『今昔続百鬼―雲』のカバーそでの写真の人物も、もしかしたら多田さんなのでしょうか…。 さて本書は、「妖怪の誕生」「妖怪博物絵師 鳥山石燕」という2つの論考ののちに、「妖怪を読み解く」と題して、姑獲鳥から陰摩羅鬼まで42の妖怪について、その解釈などを提示するという構成になっています。また、42の妖怪全てについて、京極夏彦さんが手がけたイラストが添えられていて、豪華です。 本書の中で一番興味深く読んだのは「妖怪博物絵師 鳥山石燕」で、同時代の絵師や伝統的な技法との関係など、勉強になります。 「妖怪を読み解く」については、明快な答えが示されるというよりは、鳥山石燕の描いた妖怪について、絵解きや言葉の意味から、様々な解釈を提示するかたちで、本書を読めば答えが分かる、というものではありません。むしろ本書の解釈をもとに、読者それぞれが考えるきっかけになるように思いました。 おそらく刊行当時に読んでいるはずなので、25年近くぶりの再読ですが、冒頭2編の論考の存在も忘れていたので、妖怪たちの紹介も含めて、興味深く読めた1冊です。(2024.01.24再読)・た行の作家一覧へ
2024.04.13
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豊田武『苗字の歴史』~中公新書、1971年~ 豊田武氏(1910-1980。没年はWikipedia参照)は日本中世史専門の歴史学者。「はじめに」によれば、本書は、その研究『武士団と村落』の副産物として書かれた著作とのことで、単に様々な苗字の紹介に終わるのではなく、その歴史的背景や意義にもふれている、興味深い1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに1 苗字の起り2 名字のいろいろ3 氏姓制に源をもつもの4 地方豪族の成長と名字5 初期の武士団と名字・紋章6 武士の移住と名字の伝播7 苗字の地理的分布8 苗字の固定と偽作9 身分制度の確立と庶民の苗字10 苗字の公称結 苗字研究の意義――― 第1章は、大化前代から、苗字(名字)の歴史を概観し、源平争乱の頃にはほぼ定着、名字を用いる同族団が誕生したと述べます。 第2章は、官職、地名、動植物などの名字を概観。 第3章は古代の氏姓制に源をもつ名字の概観。 第4章は源平その他注目すべき地方豪族の名字とその展開を辿ります。 第5章も標題どおりですが、様々な家紋が例示されていて興味深いです(66-67頁)。 第6章は、地域別に、武士団の移住とそれに伴う苗字の伝播を紹介。 第7章は、地域ごとに特徴的な(他地方に比べて多いなどの)名字を見ていきます。 第8章は、惣領家が名字を独占し、庶子家がその名字を名乗ることを禁じたり、領主層が庶民には名字を名乗らせないようにしようとしていたりしていたことなど、興味深い指摘があります。 第9章も、興味深く、第8章でも触れたように庶民は名字を名乗らないようされていましたが、私的には苗字をもつ者が少なくなかったといいます。1783年、あるお寺の再建の奉加帳には、名前だけで苗字のない寄附者は一人もいない(=全員苗字があった)といいます。 第10章は明治時代以降の名字制度について。以前紹介した遠藤正敬『犬神家の戸籍―「血」と「家」の近代日本―』青土社、2021年の紹介でも触れましたが、本書でも、「維新前まで、女は生家の氏を婚後も称していた」(152頁)こと、そして「家父長権の確立がねらい」で、「[明治]31年の民法・戸籍法で、妻はとついだ家の姓を名乗ることになった」(153頁)が指摘されます。 結びでは、世界の名字の状況や、わが国での苗字研究の意義が紹介されます。 以上、ごく簡単なメモになりましたが、多くの名字の紹介があり、やや古い書籍ではありますが、興味深く読みました。(2024.01.19読了)・その他教養一覧へ
2024.04.06
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有光秀行/鈴木道也(編)『脇役たちの西洋史―9つのライフ・ヒストリー―』~八坂書房、2024年~ 編者のお一人、有光先生は東北大学大学院文学研究科教授で、中世ブリテン諸島史がご専門です。本ブログでは、次の単著を紹介したことがあります。・有光秀行『中世ブリテン諸島史研究―ネイション意識の諸相―』刀水書房、2013年 もうお一方の鈴木先生は東洋大学文学部教授で、中世フランス史がご専門です。本ブログでは、たとえば、『西洋中世研究』12所収のご論考「<Reditus Regni ad Stirpem Karoli Magni>再考」を紹介しています。 さて、本書は、初期中世から近代までの、教科書には名前が載らないような「脇役」たちにスポットを当て、彼らの経歴を通して、同時代の歴史・社会・文化などの諸側面をあぶりだす試みです。 本書の構成は次のとおりです。―――まえがき第1章 忘れられた「第三の守護聖人」―アウクスブルク・ノイブルク司教聖シントペルトゥス(†807?)―(津田拓郎)第2章 「世界で最高の騎士」―ウィリアム・マーシャル(ca.1146-1219)(有光秀行)第3章 奮戦するパリ大学総長―ジャン・ジェルソン(1363-1429)(鈴木道也)第4章 ブルゴーニュ公国を生きる―ユーグ・ド・ラノワ(1384-1456)(畑奈保美)第5章 都市を演出する詩人―アントニス・ド・ローフェレ(ca.1430-1482)(池野健)第6章 カトリック聖職者の失敗した宗教改革―フランツ・フォン・ヴァルデック(1491-1553)(永本哲也)第7章 国王の天地学者として生きる―クリスティアン・スクローテン(ca.1525-1603)(小川知幸)第8章 三十年戦争末期ヴュルテンベルクの預言者―ハンス・カイル(ca.1615-?)(出村伸)第9章 啓蒙の世紀の商人―ドミニク・オーディベル(1736-1821)(府中望)あとがき執筆者一覧索引参考引用文献一覧図版出典一覧――― まず、各章で扱われる人物に関連する絵画、場所などの(カラーも含む)図版が各章に5点以上収録されていて、イメージがわきやすいつくりとなっているのが嬉しいです。また、各章には固有名詞などについての脚注が豊富に付けられていて、読みやすい工夫がなされています。専門的な文献注はありませんので、読みやすく、一方で関連書籍は紹介されていて、さらに勉強を深めることも可能です。 さて、以下、簡単に各章についてメモ。 第1章は、8~9世紀の転換期を生きた司教をとりあげます。生前の事績は地味であったにもかかわらず、11世紀頃から崇敬をうけはじめ、ナポレオン戦争期頃から急速に崇敬が衰退します。このように、初期中世の人物[事件]を取り上げ、その後世への受容を通史的に描く手法は、津田先生の別稿「トゥール・ポワティエ間の戦いの「神話化」と8世紀フランク王国における対外認識」『西洋史学』261、2016年、1-20頁や「「大立法者」としてのカール大帝の記憶」『西洋中世研究』12、2020年、79-92頁にも見られ、興味深く拝読しました。 第2章は、12-13世紀に、無名の雇われ騎士から始まり、後に「これ以上偉大な人を見たことがない」とまで評されるにいたったウィリアム・マーシャルを取り上げ、彼の経歴や、同時代の政治的背景を論じます。中でも、騎士としての名声をとどろかせることになる馬上槍試合についての節では、試合前には社交の機会が設けられていていたことから、「馬上槍試合は当時の俗人エリート層がコミュニケーションをとる機会のひとつ」「社会的ネットワークを形成し、確認し、また強固なものとするツールのひとつ」であったという指摘(55-56頁)や、波乱の政治的状況の中、マーシャルが歴代の王にも「もの言う」騎士であったとの指摘が興味深かったです。 第3章は、教会大分裂(シスマ)期にパリ大学総長となり、シスマ解決に紛争したジャン・ジェルソンを取り上げます。彼は、シスマだけでなく、ブルゴーニュ公ジャン無畏公の意図によるオルレアン公ルイ暗殺事件への糾弾もなしますが、その中で言及される、ジャン・プティという人物が唱えた「暴君殺害擁護論」という考え方が興味深かったです。要は、暴君の殺害は正当かつ合法だ、というのですね。ジェルソンはこの考え方を批判しますが、このように、彼が様々な争いに関して、様々な論考や説教活動を通して解決しようとしていた姿が浮き上がります。 第4章は第3章でも言及のある歴代のブルゴーニュ公に仕えた重臣ユーグ・ド・ラノワに焦点を当てます。英仏百年戦争のさなか、生まれ故郷のフランドル地方の立場から様々な議論を展開し、晩年には、ブルゴーニュ公フィリップが1430年に設立した金羊毛騎士団の古参の騎士として、その総会に努めて出席したほか、団員の最上席を占めるほどになります。 第5章は、フランドル地方のブルッヘで、石工職人でありながら高名な詩人・劇作家として活躍し、都市から相当の年金を受給した詩人ローフェレを取り上げます。ブルッヘはブルゴーニュ公の宮廷があり、彼らはフランス語で話しましたが、主人公の詩人は世俗の言語フラマン語で詩作をしていたことから、詩人は都市住民を対象としていたことが指摘されます。また、ローフェレが演出した入市式での活人画を詳細に分析し、彼が「都市の名誉」のための働きかけを行っていたことが示されます。 第6章はカトリックの司教にして領邦君主であったフランツに焦点を当て、彼がカトリックでありながら自身の領邦のプロテスタント化を図ったのはなぜか、という興味深い問題提起から議論を展開します。詳細な分析から、彼が自身の権力の保持に尽力していたことを明らかにするとともに、プロテスタントになった人々の動機も多様であったことが示されます。 第7章は異色作。現地測量に基づいて作成した地図がスペイン国王に認められ、「国王の天地学者」として活躍することとなるスクローテンと同時代の「私」が、スクローテンの語りを聞きながら、その生涯を描写するという、小説風の構成となっています。ちょっとしたミステリーとしての仕掛けもあり、スクローテンの生涯や業績自体も興味深いながら、物語として楽しく読める1章です。 第8章は、突如天使に出会い、神からの言葉を伝えられたという、ぶどう栽培を営む農夫ハンス・カイルに焦点を当てます。彼の預言の詳細、そしてそのニュースが活版印刷によるビラやパンフレットにより広範に伝えられたこと、彼が当局から疑われ、のちに「自白」に至る過程など、同時代に預言がどうとらえられたのかが明らかにされ、大変興味深く読みました。 第9章は、フランス革命前後を生きた商人ドミニクを取り上げます。彼は啓蒙思想家ヴォルテールと書簡を交わし、相当な学のある方だったようです。アンシャン・レジームにおいては特権階級の矛盾を批判しつつ、革命後には、特権を擁護するかのような発言をするという、一貫性がなさそうに見える彼の思想の背景を辿る、こちらも興味深い論考でした。 本書は、編者のお一人有光先生から御恵贈いただきました。心から感謝します。(2024.03.17読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.03.31
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櫻井康人『十字軍国家』~筑摩選書、2023年~ 著者の櫻井康人先生は東北学院大学歴史学科教授。十字軍や十字軍国家の研究を多く発表されていて、単著としては本ブログでも次の2冊を紹介したことがあります。・櫻井康人『図説 十字軍』河出書房新社、2019年・櫻井康人『十字軍国家の研究―エルサレム王国の構造―』名古屋大学出版会、2020年 さて本書は、重厚な『十字軍国家の研究』が、その副題のとおり、十字軍国家の都市社会や農村社会にも着目し、社会構造を分析するのに対して、様々な十字軍国家がたどった歴史を通史的に叙述しています。いわゆる、何年に誰が、どこで、誰と、何をした、という、事件史・政治史・外交史的な叙述が中心で、社会に関する叙述はほぼありません。それは、あとがきにもあるように、本書で目指されたことが「まずは基本的であると考えられる情報を、努めて簡略に提供すること」であることによります。 本書の構成は次のとおりです。―――序 十字軍国家とは何かI ラテン・シリア 第1章 ラテン・シリアの誕生(1097-1099年) 第2章 ラテン・シリアの形成(1098-1118年) 第3章 ラテン・シリアの成長(1118-1146年) 第4章 ラテン・シリアの発展と分断(1146-1192年) 第5章 ラテン・シリアの回復と再分断(1192-1243年) 第6章 ラテン・シリアの混乱と滅亡(1243-1291年)II キプロス王国 第7章 キプロス王国の形成と発展(1191-1369年) 第8章 キプロス王国の混乱と消滅(1369-1489年) 補章1 ヴェネツィア領キプロス(1489-1573年) 補章2 キリキアのアルメニア王国(1198-1375年)III ラテン・ギリシア 第9章 ラテン帝国(1204-1261年) 第10章 フランク人支配下のモレア(1)(1204-1311年) 第11章 フランク人支配下のモレア(2)(1311-1460年) 補章3 カタルーニャ傭兵団とアッチャイオーリ家(1311-1462年)IV 騎士修道会国家 第12章 ドイツ騎士修道会国家(1225-1561年) 第13章 ロドス期の聖ヨハネ修道会国家(1310-1523年) 第14章 マルタ期の聖ヨハネ修道会国家(1523-1798年)あとがき主要参考文献十字軍国家支配者一覧――― 多少予備知識がないとややとっつきにくいかもしれませんが(今の私には正直とっつきにくく、今回はほぼ流し読みとなってしまいました)、記事の冒頭にも書いたように、通史的に基本的事項が整理されているので、必要に応じて手引き的に参照すると便利だと思います。(2023.12.17)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.03.30
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北山猛邦『千年図書館』~講談社ノベルス、2019年~ 『私たちが星座を盗んだ理由』(講談社ノベルス、2011年)の姉妹編といえるような、最後の1行で世界がひっくり返るような作品集です。5編の短編が収録されています。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「見返り谷から呼ぶ声」その谷から帰るときには、けっしてうしろを振り返ってはならないという「見返り谷」を調べていたクロミ。学校でも一人で過ごすことが多い彼女は、何を調べていたのか。「千年図書館」村の北の湖が凍ったまま溶けなかったとき、いつものように「司書」が選ばれ、島の図書館に送られた―。今回送られたペルは、2年前に送られた「司書」から、仕事や、島での生活について教えられる。しかし、前任者は一切「司書」としての仕事をしていないように見えたが…。「今夜の月はしましま模様?」異星人である音楽生命体に自分のラジオをのっとられた大学生の仁科。生命体によれば、異星人が地球侵略を進めているというのだが、そんな中奇妙な殺人事件が発生する。「終末硝子」医師のエドワードがロンドンで体調を崩し、故郷で仕事をするため、10年ぶりに戻ると、そこには謎の塔が複数たてられていた。宿の主人に聞くと、村に訪れた「船長」が提案した「塔葬」で、それを始めてから村は安定してきているという。一方エドワードは、「船長」の妻から、「船長」の動向に注意してほしいと依頼を持ち掛けられる。「さかさま少女のためのピアノソナタ」古本屋で、「絶対に弾いてはならない!」とメモ書きを付された謎の楽譜を購入した聖。調べると、途中で弾くのを辞めたり間違えたりすると、両腕が吹き飛んでしまうと分かったが…。――― 冒頭作品は比較的分かりやすく、「そうかな」と思っていたとおりですが、比較的優しいエンディングが好みです。 表題作は、『私たちが星座を盗んだ理由』所収「妖精の学校」同様、知らないとピンときませんが、知っていると(知らなくても調べると)ゾワゾワくる作品。多くの方がネットにも書かれていますが、本書をパラパラめくるのには注意が必要です。 第3話はユーモアあふれる作品。音楽生命体と仁科さんの掛け合いが楽しいです。 第4話は好みのラスト。言われてみたらそのとおりなのに、気付きませんでした。 第5話(文庫版ではこちらが表題作になっています)はファンタジーテイストの作品。こちらも好みのラストでした。 前作『私たちが星座を盗んだ理由』が好みだったので、気になっていた1冊。本書も楽しく読みました。(2023.11.08読了)・か行の作家一覧へ
2024.03.23
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