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■1月27日■てから、頭痛や腰痛、首の痛みなどがあったが、気がつくとなくなっていた。それに気がついたのは、20日過ぎ。薬を飲んでいるので、午後から眠くなって困る。4~5年前は、今の季節になると、桜を見に行く日程をたてていたのに、週2回の仕事と週2回の医者通いで終わってしまう。出かけられなくても、通勤の途中で見る梅や椿の花や桜の花が咲く待つのは嬉しい。 ■2012年3月の映画■*ヒューゴの不思議な発明*荒川アンダー ザ ブリッジ*汽車はふたたび故郷へ ■3月の書き残したネタ■*「清貧の思想」*橋元大阪市長 *みどり学 *パリネタ。 *ファーストレディ *「小石川の家」 *あさぶら *小説「アーレンガート」 *「北極星」 *アルミ缶エコ *江戸時代、和歌山の防災意識 *子供と春の花と桜 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月31日*人力:からうす /サルビア歳時記:3月の季語 *・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.31
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3月25日(日)、京都の北野天満宮に行ってきた。梅が満開の上、25日は菅原道真公の誕生日にちなんで、境内では骨董市がたっていたので、すごい人の出。天満宮に行くまでにある、細い川「紙屋川」を通る。紙屋川は古くは西堀河と称した。京都には堀川という川があるが、その西にある堀川という意味だ。堀川というのは、掘った川、つまり運河という意味。紙屋川はまたの名を「天神川」という。北野天満宮、つまり天神さんの西を流れているからだ。紙屋川は、またの名を「神屋川」という。その理由も、「神」である天満宮による。紙屋川の名は、「平安時代にはこの川のほとりで朝廷御用の紙を漉く紙座を組織し紙屋院が取り締まっていました。反古紙を漉きかえしたため墨色が残り紙屋紙といわれました。」に由来する。 *紙屋川(かみやがわ)* [ 日本大百科全書(小学館) ] 京都市街の西部を南流する川。北区鷹峯(たかがみね)に源流し、南区吉祥院(きっしょういん)で桂(かつら)川に流入する。全長約14キロメートルの小河川。平安時代には北野付近に紙師が居住し、紙屋院(かみやいん)の管理のもとに朝廷用の紙漉(かみす)きが行われたので紙屋川と称するが、現在は鷹峯千束(せんぞく)町以南は天神川ともよばれる上京区の西の境となっているのが紙屋川です。今では民家の間を流れる川幅5メートル程の深い川となっており下流では天神川と名を変えます。源流を鷹峯の山中に発し,柏野(かえの)を経るところから柏(かえ)川ともいい,平安京の西堀川に相当しました。今では水流も少なくなっていますが,昔は荒れ川であつたようです。平安時代にはこの川のほとりで朝廷御用の紙を漉く紙座を組織し紙屋院が取り締まっていました。反古紙を漉きかえしたため墨色が残り紙屋紙といわれました。また朝廷の重要な祭儀の前には,この川の上流で潔斎をおこなったために荒見(あらみ)川といいました。荒見とは散斎(あらいみ)のことで,今も衣笠に荒見町や大祓町の地名が残されています。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月29日*手ぬぐいのススメ/トリビアの井戸:おでんは地震で復活した *・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.29
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3月25日(日)、上の娘、ミナと孫のチュン太と一緒に京都に。地下鉄・東西線の烏丸御池と京都市役所前の間くらいの冨小路通りを四条に向かって歩いていると、気になる花屋さん発見!その花屋は、なんとアジサイ専門店だった。 *「azur」*「azur」・・・広義には青系統の色全般を表し海の色、空の色と表現されることもある。またアジサイ(紫陽花)の学名Hydrangeaが「水の容器」を意味する事から 生命にとっての根源的で普遍的な水、海、空の色から誕生した「azur」。 発音は、アジュール(フランス語) 。 ■アジュール■京都市中京区富小路通三条上ル■地図■TEL/FAX. 075-222-8787 E-mail. ? azur All Right Reseved. アジサイといえば、紫色というのが相場だけれど、最近は、白や緑など、珍しい色のアジサイがあって、おとなな雰囲気だ。アジサイのことをフランス語でアジュールっていうのは初めて知ったわ。ネット友の■あずーるさん■は、アジサイっていう意味だろうか?今度、聞いてみよう。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月27日*めだかの学校*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.27
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私の子どもの頃は、電気といえば、家の電球のみだった。田植えも稲刈りの稲こぎも人力だった。稲を干すのは天日。刈り取った稲を家まで運ぶのはリヤカー。脱穀は、足踏みでし、その後は、唐箕(とうみ)というので選別した。精米は、精米所で行ったけれど、それも、私が産まれたころは、「からうす」で精米していたそうだ。米をとぐ水は、井戸の水を汲み上げたものを使い、山から伐ってきた木で焚いた。ご飯は、精米以外、全ての作業が人力だった。ご飯を炊く以外にも掃除は箒で、洗濯はたらいや川にで、。寒い時の暖房は、山から切り出した木を燃やし、暑さの夏は、うちわ、打ち水などでしのいだ。去年の3月11日、日本に大きな被害をもたらした地震と津波と原発事故。過去にもこのような大きな地震や津波があったことだろう。しかし、今回は、原発というものが加わった。便利な生活が電気を必要とし、原発を容認した。あれから1年たち、便利な生活を考え直そうという空気はトーンダウンした。どこまでを電気に頼り、どこからは、人力にした方がいいのだろうか。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月26日*父の麦わら帽子:目次*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.26
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■浜辺 遥さま■この春、月に一度、2年かけて通った「人と人」「人と自然」を結びつけるファシリテーター養成講座を卒業しました。1年目は、遥さんもご一緒でしたね。2年目は、1年目に学んだことを実践するコースでした。その、卒業制作が3月20日~21日に、卒業生全員で里山で行われたのですが楽しかった。晴れを想定して作ったプログラムでしたが、その日は、雨や雪の降るあいにくの天候。場所や時間などの変更で、あたふたしました。でも、クリヤーするハードルが高ければ高いほど、達成感は大きく、久しぶりに「やったー!」って感じです。卒業制作のプログラムを考えなければいけない大事なときに突然、目の調子が悪くなってしまいました。眼科医、曰く、「眼精疲労」。夜更かしとPCのゲームに熱中したのが悪かったみたい。目薬をさしても効果なし。遠くのものがボーっと見えたり頭痛がしたりと毎日悪くなるばかり。そんな大変なときでも、のーてんきな私は「近くに寒川猫持(さむかわ ねこもち)がいたらな~」と思っていました。*「寒川猫持(さむかわ ねこもち)」*とは歌人。自称、「うたよみ」。そして眼科医なのです。彼の歌集「猫とみれんと」を読んでから大のファンになりました。とにかく、おかしいのです。電車の中で読んで笑いをこらえるのに必死でした。おおよそ短歌とは、ほど遠い、ギャグの世界。お笑い短歌なのです。あ~、猫持に会いたいな・・・。 話が、よこみちにそれてしまいましたが、お医者さんに「眼鏡をかけるように・・・」と言われてしまいました。それも、近眼&老眼の2つもです。他にとりえはないけれど目だけは良かったのに・・・。と嘆きながらも、「これで知的に見えるかも・・・」とあくまでのーてんき。私の友人のY子は、私に勝るとも劣らぬ、ミーハー&のーてんき。その彼女が「私、近眼なの」と眼鏡を取り出してかけると、とっても賢くみえる(じっさい、彼女は頭がいいのですが)ので、私も一度、眼鏡をかけてみたかったのです。でも、眼鏡って不便。「きんさん、ぎんさん」(近眼用が金縁で、きんさん、老眼用が銀縁でぎんさん)と名づけた2つの眼鏡に慣れた頃、目の痛みや頭痛がとれ「きんさん、ぎんさん」は不要に・・・。ときどきかけてらっしゃる、遥さんやY子の眼鏡姿(?)に憧れつつも、知的に見えなくても目のいい方がいいと思う今日この頃。 天地 はるな◆おしゃれ手紙◆・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月25日*えらいぞ草木灰!*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.25
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■汽車はふたたび故郷へ■どんなときも、口笛をふいていこう。映画監督のニコラは、ソ連のいち共和国であったグルジアでの厳しい検閲に嫌気がさし、自由を求めフランス・パリへと向かう。しかし、フランスでも商業性を求めるプロデューサーとそりが合わず、なかなか思うような映画が作れない。一体、彼の心の鉄路はどこへ向かうのだろう――。 「ここに幸あり」の監督作品という理由で見た映画だったが、よく分からなかった。映画監督のニコラスは、ソ連では、検閲が厳しいからとフランス・パリに。自由なはずのパリでも、「儲ける」ことを最優先させると、嫌気がさした。はたして、本当に自由なんてあるのだろうか?と私は思う。決められた枠の中で、精一杯自分を表現して、それが他人には面白いと思われないといけないと思うのだ。映画を創るとは簡単だが、いい映画を創ることは、本当に難しいことだと思う。ニコラス役にピッタリの青年は監督の実の孫だそうだ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月24日*菜の花のある風景*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.24
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■「市の名前、買ってください!」崖っぷちの大阪・泉佐野■2012.3.21 財政難にあえぐ大阪府泉佐野市が、市の名前に企業名や商品名などをかぶせるネーミングライツ(命名権)の導入を検討していることが21日、わかった。ネーミングライツ導入によって、関西国際空港周辺の開発による財政赤字や、景気低迷による税収の落ち込みをカバーするのが目的という。ネーミングライツは、自治体が企業などに所有施設の名称権を売却し、契約金額で安定した収入増を図るシステムで、全国の自治体で導入が進んでいるが、市の名称自体に対する命名権販売の検討は異例という。泉佐野市は平成21年度に財政破綻(はたん)一歩手前とされる早期健全化団体に指定されている。市の担当者は「反対の声が上がることも予想しており、具体策が決まったわけではない。収入確保のため、いろんな方策を考える中のひとつ」としている。 あきれてモノが言えない。市の名前を売るなんて・・・!!これまでにも、命名権(ネーミングライツ)の売却はあった。大阪ドームを、京セラが買って、京セラ大阪ドームとしたような施設の名前を変えるものだった。しかし、市の名前を売るなんて、はじめてだ。泉佐野の泉は、泉州の泉だ。佐野は、中世以来の村の名称『佐野』に旧和泉国の国名を冠したもので、「狭い原野」という事から「狭野」というようになり、それが転じて「佐野」になったという言い伝えが残っている。地名をみれば、地形や歴史が分かるという。市長の案だそうだが、市の名前は、市のアイデンティティなのに、なにを考えているのだろう。平成の大合併以来、日本には、まともな地名が無くなっている。もし、売れたとしても、これまで使っている、ネームプレートや、封筒など事務用品、名刺、パソコンのプログラム・・・・などなどを考えていたら、かえって損をするというのが、大方の見方だ。いくら財政危機といったって、もっとやることがあるだろう!■ネーミングライツZ■ ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月23日*お彼岸のトリビア:お彼岸は、ピクニックの日であった。/追悼、久世光彦:「寺内貫太郎一家」*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.23
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田畑が壊されて、道路が出来たり、農家風の家が3階建てに改築されていたり・・・。田舎の景色がどんどん変わっていくのを私は、悲しい気持ちでながめている。しかし、それ以上に悲しいのは、変わった景色を「開けたな・・・」という感想を聞いた時だ。田舎がどんどん、遠くなっていくなかで、■1万坪の里山■を公園にして欲しいという市民団体を作ったのは1989年。その翌年に受けた、みどり学講座は、タイムリーでとても興味深いものだった。その、第2回目、■農の風景を考える■では、「野筋(のすじ)」について習った。●野筋(のすじ)平安時代には、田園風景を取り入れた庭園があった。平安時代からの庭園用語で,低い盛土でゆるやかな起伏をつけた小丘をいう。築山の裾のなだらかな部分をさすこともある。野辺のなごやかな景色を庭に写そうとした王朝貴族好みの意匠で,前栽(せんざい)として桔梗(ききよう),女郎花(おみなえし),野菊のような野の草花を移し植えた。《作庭記》には枯山水(かれさんすい)様の一つとして,野筋に取り付けて石を配する形式をあげている。しかし室町時代の庭園秘伝書《山水?野形図(せんずいならびにのがたのず)》には,野筋はただ山の風情でしいて石を立てず,木草を植えて野山の趣をあらわすものと述べており,時代により若干,感覚的に差のあることがわかる。 そういえば、かのマリー・アントワネットも、ヴェルサイユ宮殿の広大な敷地の中に、大きな農村を造成させまた。洋の東西を問わず「田園」は、都市生活者憧れの空間として存在する。 ■みどり学■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月21日*洪水から柳ごうり/東寺の骨董市:うぶだし*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.21
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3.11の大震災で出た放射能汚染瓦礫をどうするという時、2つの意見がある。1.放射能汚染瓦礫を日本中にばらまくのはいけない。 地元で処理すべき。2.皆で痛みを分け合おう。それが絆というものだ。私は、<1>の地元で処理すべきだと思っている。大阪に持ってくるのは、大反対だ。服に染みができたら、出来るだけ広げないようにするのが鉄則だが放射性のごみも、全国にまき散らしていいはずがない。 ところが、東京では、そうそうに、引き取る話が決まっている。まあ、東京が一番電気を使うのだから、しかたがないのかと思っていた。しかし、東京が震災の瓦礫を引き取り、処理するには、わけがあった。 東日本大震災で出た岩手県宮古市のがれきを、都内で処理することにしている東京都が、処理に当たる業者を選んだ結果、燃える瓦礫については、東京港にあるゴミの埋め立て処分場に隣接する、処理業者の施設で焼却されることになった。瓦礫を処理するために選ばれた業者は東京臨海リサイクルパワー株式会社。この会社は、都の東京湾埋め立て処分場の中央防波堤内側埋立地内にある、東京電力が出資、設立した会社だ。東電は、福島原発で、損した分をこの会社で取り返そうとしているとしか思えない。東京都も、これを知ってだとしたら、許せない。瓦礫の試験焼却で焼却灰から104Bq/kgの放射性物質が出たことが明らかになっている。放射性物質が含まれた瓦礫を燃やすと、放射性物質が粒子となり拡散することがいる。それがフィルターで取り除けないこともわかっているのに、なぜ、全国にばらまく必要があるのだろうか。また、震災にあった地元でも、長い間かけて地元で処理、それを産業としようとしている自治体もあるのに、東電のマッチポンプとしかいいようがない。東京都の講義先東京臨海リサイクルパワー株式会社 東京都江東区青海三丁目地先 TEL: 03-6327-3190東京都知事本局 局長 TEL: 03-5388-2101東京都環境局 局長 TEL: 03-5388-3401東京都環境局廃棄物対策部 部長 TEL: 03-5388-3574 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月19日*ホワイトデー:マシュマロの語源/蛇行する川には蛇行の理由あり*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.19
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かつては、森林以外にも身近に緑地があった。 それが、生産緑地と補助緑地だ。 ●生産緑地とは田んぼ、畑など。 ●補助緑地は、生垣、*はざぎ*などである。 ところで、*はざぎとは。*はざぎ(はさぎ)とは、 刈り取った稲を乾燥させるために田んぼに沿って植えられている木のこと。秋になると刈り取ったばかりの稲が、このはさ木に干され、夕日に照らされ黄金色に輝きます。秋の越後平野には、今なお、こうした昔懐かしい日本の風景が残っています。●ハンの木やトネリコなど湿気に強い木が使われた。●1.5mから2m間隔で植えられていた。田んぼに並木道のように植えられたはざぎ。稲を刈り取った後には、枝を利用して、稲をかけた。夏の暑い日には、その下で休憩をしただろう。■そんな、はざぎが危機が訪れたのは明治40年頃。地主が生産が落ちるため伐らせようとした。(木を植えている部分でも米が作れると)しかし、農民は、枝葉をはらって、薪にしたり、落ち葉を肥料にしたり、木の下で弁当を食べたりしたので、これに反対した。■第二次政界大戦後。今度は、農民の方から伐りたいとの意見が出た。これまでのように、薪や肥料として使わなくなったからだ。■滋賀県における畦畔木(はざぎ)伐採実績(明治42年)地名・・・総本数・・・伐採本数大津・・・470・・・280滋賀・・・84815・・・60666栗太・・・44723・・・38768野洲・・・102009・・・79212甲賀・・・31115・・・28991蒲生・・・526088・・・292873神埼・・・177376・・・122723愛知・・・694187・・・482868犬上・・・269559・・・185276阪田・・・427957・・・373656東浅井・・・193831・・・95714伊香・・・263658・・・109684高島・・・57679・・・39492計・・・2873467本・・・1910203本水田面積・・・61638.4ha水田1ha当たりの畦畔木(はざぎ)本数・・・48.6本農家戸数・・・95079戸農家一戸当たりのはざぎの本数は27.99本だ。資料:滋賀県内務部:滋賀県之農工業(明治43年)滋賀県だけでも200万本近くの木が消えたことになる。伝統的自然、文化的風景であるはざぎは失われてしまったが、この数の樹木を並木道として復活することは、地球温暖化防止の意味からも望ましい。■はざぎの写真■■満願寺稲架木並木■■第2回 農の風景を考える。 都市生活の身近に存在する緑、自然は農業生産とむすびついた田園的、里山的自然である。これは、原生的自然とはちがって、その自然度は、低いけれども、 多様に分化した伝統的自然であり、文化的風景であることを認識するとともに それを構成する諸要素、とくに里山の特性に触れながらその保全と活性化の方法を考える。 ■みどり学■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月17日*父の麦わら帽子:花ぞ昔の香ににほひける /ノスタルジック昭和:久世光彦ワールド*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.17
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■第2回 農の風景を考える。 都市生活の身近に存在する緑、自然は農業生産とむすびついた田園的、里山的自然である。 これは、原生的自然とはちがって、その自然度は、低いけれども、 多様に分化した伝統的自然であり、文化的風景であることを認識するとともに それを構成する諸要素、とくに里山の特性に触れながらその保全と活性化の方法を考える。 かつては、森林以外にも身近に緑地があった。それが、生産緑地と補助緑地だ。●生産緑地とは田んぼ、畑など。●補助緑地は、生垣、*はざぎ*などである。 ♪春の小川はさらさらゆくよ・・・という1912年に発表された文部省唱歌は、のんびりとした農村の中を流れる小川と思いきや、東京の景色を歌ったものだ。身近にあった生産緑地がどんどん消えて行く。思えば、今住んでいる私の家も、この家が建った時は、前も後ろも田んぼだったのに今や、前も後ろも駐車場になってしまった。田畑が消えるということは、ただ単に、生産地が消えることだけではなく、カエルや虫のすみかが消え、タンポポ、レンゲが消える。田んぼを餌場とした鳥獣が消える。もっと大きく言えば、はるか弥生の昔からの農の文化が消える・・・。無くしたものが大切だと気が着いたのか大阪・梅田には■里山■を街の真ん中に作っている。■大阪駅■の上にも田んぼもどきがある。まあ、無いよりはいいのだが、作るより守る方が、エコでお金もかからないのにと思う。*はざぎ*については、次の機会に。■みどり学■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月11日*ごちそうさん歌:つくし*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.15
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1990年10月に受けた■みどり学講座■の■■「第1回 緑の価値を考える。」 ■で当時の大阪府立大学の教授・高橋理喜男氏からもらった資料に次のようなものがあった。■「森林の公益的機能の評価」1972年(林野庁)■*機能の種類・・・評価額(10億円/年)*水資源かん養・・・1610*土砂流出防止・・・2270*土砂崩壊防止・・・50*保健休養・・・2250*野生鳥獣保護・・・1770*酸素供給、大気浄化・・・4870(酸素供給のみの評価額)合計・・・12820(10億円) つまり、森林は、水資源を保ち養い、土砂災害を防ぎ、人々の鋭気を養い、鳥獣を養った上、酸素まで生み出すのだ。もしも、その設備を、人口で作るとしたら膨大な金額の税金が必要だ。日本人は、このような森林の価値を知ってか知らずか壊し、新たに「保健のための施設」を作ったり土砂流出防止のために砂防ダムを作ったりする。このような行為をマッチポンプという。そのこころは、自分でマッチを擦って火事を起こして、自分でポンプで消す。あほらしい。東日本の復興のまち作りには、是非、森林の公益的機能を評価したものにしてもらいたい。■第1回 緑の価値を考える。 一般に都市は経済性、効率性、利便性の追求を基礎に成立している。 緑や自然は、そのような論理とは対照的に金銭的計量化をこえたアメニティの価値に深くかかわっており、ゆたかで住みよい生活環境の実現に欠かせない要素であることを再確認するとともに、緑が具備すべき条件を明らかにする。 ■みどり学講座■ by高橋理喜男■みどり学■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月13日*大阪の地名:「御祓筋(おはらいすじ)」/ちゃんちゃんこ*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.13
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昨日、東日本大震災の特集番組を見ながら、娘に去年の3月11日、会社にいて仕事をしていたと言ったら娘は「私は寝ていたわ」と言う。あの東日本大震災の頃、娘のレイは■イギリス生活■2年目だった。「寝ていたところを寮母さんにおこされた、『日本がえらいことになってるで、』ゆうて。『日本に電話するんやったら、寮の電話、使こうてもええで』ゆうてくれたわ」と娘が言う。結局、娘は短いメールをくれた。 ひどいなぁ・・・。今もPCで日本のテレビをLIVEで見てるけどこっちのテレビでも1日中特集してるし、私もケアホームとかで「家族とか友達は大丈夫なん?」って聞かれる(>_<)とりあえずネットからの募金(国境なき医師団)だけしといた。*私*ひどい地震だったわ。千年に一回の大地震らしい。マグニチュードも、最初の8.8から9に訂正されたわ。 私は体が揺れたので、ふらついて倒れるのかと思って帰りに診療所に行きました。12日、土曜日にS山病院に行ったくらいに・・・。「国境なき医師団」に募金したの、えらいわ。私もするわ。 それにしても、南海地震、近いうちに絶対に来るんやで。眠ってる時やったら、チュン太君(*孫*)たち、津波にさらわれるわ・・・。_| ̄|○ そうそう、■アイスランド。■ アイスランドは、北アメリカプレートとユーラシアプレートの上にあるらしい。去年、3月4月に火山が爆発したけど、近いうちにまた噴火するらしいわ。*私*今、インターネットで、「地震発生後、ツイッターに寄せられた心温まるメッセージ」というのを読んで泣きました。*2歳の子どもが靴を履いて、「地震を逮捕しに行く」という。小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。*駅で来ない電車を待っている時、「これを使え」とホームレスの人が段ボールをくれた。いつもは、冷たい目で見ている自分に・・・。*1回の青信号で1台しか進むことができないような大渋滞。でも、みんな、穏やかに運転していた。10時間の間に、お礼のクラクション以外のクラクションの音を聞かなかった。*駅員さんに、「昨日は、一生懸命、運転してくれてありがとう」と言ってる小さい子どもたちを見た。 駅員さんは泣いていた。俺は号泣した。悲しい時にも、いい話があるんやね・・・。( ̄- ̄;) http://prayforjapan.jp/tweet.html また地震、もうどうしようも無いなまだ、この時は地震と津波のことだけでのんびりとしたメールのやり取りだ。深刻になるのは、この後、原発が大変なことになっていると知ってからだ。そしてこの状態は、今後ずっと続いて行く。電力会社はもとより、原発を許可した、元・元国会議員、元・元役人、大丈夫と言った国のおかかえ科学者、原発の誘致を許可した県知事、県会議員、町会議員、町長、町役場・・・。全ての人は、今、どう思っているのだろうか?私が思うのは、これらの人たちは、辞めた人たちは退職金の返還をしてもらいたい。年金は、最低にしてもらいたい。(私なみ)それが出来ない人は、刑務所に入ってもらいたい。だれも責任を取らないなんておかしいではないか。▲デイリー・エキスプレス紙・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月11日*ごちそうさん歌:つくし*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.11
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■荒川アンダー ザ ブリッジ :あらすじ■♪音が出ます!宝物はきっとここにある。人に借りを作らないで生きてきた大会社の御曹司・市ノ宮行(林遣都)は、父親に荒川河川敷の開発事業を任される。しかし、そこに住みつく自称“金星人”の美少女ニノ(桐谷美玲)にひょんなことから助けられ、生まれて初めて借りを作ってしまう。“借りは返さなければならない”という家訓に従い、ニノの恋人となり荒川に住む奇妙な住人たちと共同生活を始めることに。星型のマスクらしきものをかぶったロックミュージシャン、どう見ても着ぐるみを着た河童の村長などからリクという謎のあだ名をつけられながらも、次第にお互いを理解していくのだが…。 映画の冒頭、七五調の口上が!!口上というより、ラップ?この段階からもう、すっかりこの映画の虜になった。荒川河川敷に住む人?のおかしなこと。★自称“金星人”の美少女ニノなぜか体操服を着ていて、「2-3」と書いてある。★河童姿の“村長”口癖は、「よんだ?」★黄色の星をかぶったロックミュージシャン“星”走っていく時、頭から黄色い光を出している・・・流れ星だ( ̄m ̄*)他にも、★尼僧姿の“シスター”(男)★村のために酪農をしているドSの美女“マリア”など、河川敷の不法占拠者は誰もがあまりに風変わり。河川敷開発のため、乗り込んだ大会社の御曹司・市ノ宮行も★リクと呼ばれる。そのこころは、リクルートスーツで理屈ばかり言っているからだ。 原作は、中村光の人気コミックで、TVドラマ化もされているが漫画も読んでいないし、TVも真夜中だったので見ていない。しかし、なぜか気になる作品だったので、見に行った。リクと河川敷の住人の間で交わされるセリフも面白くて、原作を読んでみたい、TVドラマを見てみたいと思う。コミカルな内容で、シュールな映画なのだが、テーマがあるとすれば、「共生」ではないかと思う・映画でよくかけ言葉のようなシーンがあったので、それにならえば「強制」的に川原から追い出そうとしたリクが彼らと「共生」する物語。金星人や河童、星は人間ではない。人間以外のもの、例えば、その場に生えている、木や草、土の下に住むミミズ、虫・・・。川原をコンクリートで覆ってしまえば、人間以外のものが住めなくなる。作者はそう言いたかったのではないだろうか?・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月10日*こって牛・・・「華岡青洲の妻」*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.10
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■ヒューゴの不思議な発明:あらすじ■世界は幸せにあふれている必要なのはちょとした修理だけ1930年代のフランス・パリ。父を火事で亡くし、パリ駅の時計台に隠れて暮らす少年・ヒューゴ(エイサ・バター・フィールド)にとっての唯一の友達は、父が遺した壊れたままの“機械人形”だった。その秘密を探るうちに、ヒューゴは機会人形の修理に必要なハート型の鍵を持った少女・イザベル(クロエ・グレース・モレッツ)と、過去の夢を捨ててしまった老人・ジョルジュ(ベン・キングスレー)に出会う。機械人形には、それぞれの人生と世界の運命を変えてしまう秘密のメッセージが隠されていることを知るヒューゴ。いま、ヒューゴの世界を修理するための冒険が始まる――。 大好きなパリが舞台。それだけで、もう行くと決めていた映画。見て、映像の美しさに感動!■第84回アカデミー賞■美術賞、撮影賞、音響編集賞、音響録音賞、視覚効果賞を受賞している。この映画には、創世記の映画が沢山出てくる。そして、それが「ヒューゴの不思議な発明」の中に繰り返し出てくる。例えば、創世記のリュミエール兄弟の『ラ・ジオタ駅への列車到着』に映画に映った汽車を見た観客が迫り来る列車を画面で見て「轢かれる」と思い騒いだという。これは、3D映画を見て、物が飛んでくるような錯覚を覚え、思わず、身をかわしたりするのと同じ。もうひとつ、創世記の映画の中で時計の針にぶら下がるのがあるが、ヒューゴもまた、同じように時計にぶら下がり逃げる。 映画の中に出てくるぜんまい仕掛けの人形。ハートの形の鍵で動きだすって、いいな。 ハートといえば、うちには、鍵穴を隠す飾りがハートの古い箪笥がある。両脇に日本の古い箪笥に見られる、竿をとおす金具が付いているので、日本製だと思うが、見ためは、西洋風。私は1920年代から1930年代のものだと思っている。この頃のの家具にはあそびがあって、素晴らしい!!でも映画のタイトルに不満あり。「ヒューゴの不思議な発明」って、ヒューゴが何を発明したのと思う。タイトルがおかしすぎ!!■ジョルジュ・メリエス ■マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエス(Marie Georges Jean M?li?s、1861年11月8日 - 1938年1月21日)は、フランスの映画製作者で、映画の創生期において様々な技術を開発した人物である。パリ出身。“世界初の職業映画監督”と言われている。 SFXの創始者で、多重露光やディゾルブ、ストップモーションの原始的なものも開発した。 もともとはマジシャンで劇場経営者であったが、1895年、同じくフランスのリュミエール兄弟による映画の公開を見て映画製作に乗り出した。彼の最も有名な作品は1902年の映画『月世界旅行』である。題名の通り月へ探検に行く物語だが、1本の映画の中で複数のシーンがあり物語が存在するという、当時としては画期的なものであった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月9日*♪春よ来い・・・赤い鼻緒のじょじょ/朝ドラ「わかば」はボケ殺し*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.09
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■もういいかい ハンセン病と三つの法律■そこは本当に療養所だったのだろうか!絶対隔離と国民的忘却。住みなれた地で家族と平穏にくらしたい、人間らしく生きたい・・・。そんな素朴な、こく当たり前の願いが、ある日突然、国策という名のもとに奪い去られた人たちがいました。彼らの運命を決定づけたのは三つの法律・・・。「らい予防ニ関スル件」(明治40年)「(旧)らい予防法」(昭和6年)「新らい予防法」(昭和28年)です。彼ら、彼女らが強制隔離された地は遠い異国ではなく、私たちが暮らすこの国土にありました。その地に送られた人たちは、名前を変えさせられ、ふるさとへの帰郷は許されませんでした。ハンセン病という理由だけで、この地でひたすら死を待つ生活を強いられていたのです。人々の視界から消し去られ、記憶の外に追いやられた人たち。子孫断絶を強いた断種、堕胎、園内労働による手足の障害、懲戒検東規定による監房、重監房、国を挙げての無らい県運動・・・。ハンセン病療養所とはなんだったのでしょうか。この映画は、療養所の中で何が行われ、入所者はそのような生活を送っていたのか、多くの証言にもとづいて、その仕組みと実態を検証し、三つの法律をもちに展開された絶対隔離政策等、百年にわたるハンセン病の歴史を描いた作品です。■映画製作委員会■■月日■3月24日(土)10:30 14:00 3月25日(日)14:00■場所■兵庫県立美術館ミュージアム■アクセス■JR灘駅、阪神岩屋駅、南へ徒歩10分■参加費■1000円(中学生以上)■主催■兵庫県立美術館アートヒュージョン実行委員会 兵庫県映画センター「もういいかい」映画製作委員会 連絡先 078-331-6100◎その他の上映日時と場所◎■4月21日(土)■尼崎女性センター・トレビエ■4月22日(日)10:30 14:00■尼崎労働福祉会館■2012年5月20日(日)■大阪市立阿倍野区民センター大ホール放射能のごみを扱った■24000年の箱舟■アトピーを病理現象としてとらえた■奇妙な出来事アトピー ■ 「農」を合言葉に、自然と人にやさしい暮らしをすすめる人たちを描いたさわやかなドキュメンタリー。■風ものがたり■などなど、気になるドキュメンタリーを作り続ける神戸の映画製作の市民グループがまた、新しいドキュメンタリーを作った。それが「もういいかい」。「もういいかい」のタイトルは「もういいかい お骨になっても まあだだよ」という入所者の作った歌だ。ハンセン病の現実だ。■ハンセン病国賠訴訟■ ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月7日*父の麦わら帽子:セピア色の入学式/ そうだ京都いこう!*杉本家雛飾り展*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.07
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きれいな流れ、新鮮な緑、住みよい住宅、都会でそういう望みが充たされたら、それこそ現生の極楽といえるだろう。かつて東京にもそれが保たれていた時もあった。京都では今しきりに失われつつある過程と辿っているように見える。私のいわゆる都会鑑賞散策、これをやって見たいところ、前記麹町(こうじまち)の一角をはじめとして、麻布、渋谷、目黒、その他、深い木立を背景に持った狭い屋敷町と、下町なら水の流れの近くに持った小家がちな町並みの揃ったところ、永代から大橋にかけての裏町、あのへんの夏の夕景などには、水が美しくさえあればここいらに住みたいと思い、また水の多いあすこいらに住みいい町を設計したいとも望む。今常に問題になる都市というのは、舗道、並木、ビルディングの直線美で建物が七ないし八割を占むるところの景観が主題とされている。それはそれで都市の一部主要な構成には違いないが、私の一ばん関心をもつものは、建物が四ないし五、六割までで、あとは土と草と、木と水と、そういう総合美から成り立たせた住宅街、高層建築もそこだけには除いて・・・。そんな理想を描いて現実についても鑑賞に耐える住宅風景、気をつけて見れば相当に見出される。「鏑木清方随筆集」町の鑑賞:昭和11年■鏑木清方■を知ったのも「みどり学講座」だった。清方の文章を読んですっかりファンになってしまった。清方は、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)明治、大正、昭和、90歳以上生きた人。明治11年生まれといえば、私の祖父が明治10年生まれ年だから、身近な昔といえる。清方も■永井荷風■と同じで緑が必要だと言っている。しかも、建物4に対して緑6の割合がいいとまでいってる。土と草と、木と水と、そういう総合美から成り立たせた住宅街、高層建築もそこだけには除いて・・・。緑や自然は、金銭的な計量化をこえたアメニティの価値に深くかかわっているといっているのだ。作家の■永井荷風■も画家の鏑木清方も水と緑のある都市作りを望んでいる。しかし、今の日本の都市は、建物の高さや大きさ、色がてんでバラバラ。とても美しいと言えない。日本の都市計画は、どこでおかしくなったのだろうか?鏑木清方は、彼の描く絵の中に、江戸から明治の頃の東京を描き続けた。 ■鏑木清方■近代日本の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられる。作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。関東大震災と第二次大戦による空襲という2つの災害によって、清方がこよなく愛した明治時代の古き良き東京の風景は消え去ってしまったが、彼は自分がこよなく愛した東京の下町風俗や当世風の美人を終生描き続けた。■第1回 緑の価値を考える。 一般に都市は経済性、効率性、利便性の追求を基礎に成立している。 緑や自然は、そのような論理とは対照的に金銭的計量化をこえたアメニティの価値に深くかかわっており、ゆたかで住みよい生活環境の実現に欠かせない要素であることを再確認するとともに、緑が具備すべき条件を明らかにする。 ■みどり学講座■ by高橋理喜男 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月5日*結婚披露宴の衣装は4つのサムシングで /こんな公園あったらいいな・・・。*・・・・・・・・・・・・・・ 《岩波書店 岩波文庫》鏑木清方鏑木清方随筆集 【中古】afb
2012.03.05
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■第1回 緑の価値を考える。 一般に都市は経済性、効率性、利便性の追求を基礎に成立している。 緑や自然は、そのような論理とは対照的に金銭的計量化をこえたアメニティの価値に深くかかわっており、ゆたかで住みよい生活環境の実現に欠かせない要素であることを再確認するとともに、緑が具備すべき条件を明らかにする。■みどり学講座■ by高橋理喜男東京はその市内のみならず周囲の近郊まで日々(にちにち)開けていくばかりであるが、しかし幸いにも社寺の境内、私人の邸宅、また崖地や路のほとりに、まだまだ夥(おびただ)しい樹木を残している。今や日本晴れの空にも鳶(とんび)ヒョロヒョロの声稀(まれ)に、雨あがりのふけた夜に月は出てもホトトギスはもう啼かなくなった。初鰹の味わいとてもまた汽車と氷との便あるがために昔のようにさほど珍しくもなくなった。しかし目に見る青葉のみの至っては、毎年花ちる後(のち)の新暦五月となれば、下町の川のほとりにも、山の手の坂の上にも、市中至るところその色の美しさにわれらは東京なる都市に対して始めて江戸以来の固有なる快感を催し得るのである。(略)・・・高台に登って市中を見渡したまえ。輝く初夏の空の下、際限なくつづく瓦屋根の間々(あいだあいだ)に、あるいは銀杏(イチョウ)、あるいは椎(しい)、樫(かし)、柳なぞ、いずれも新緑の色鮮やかなる梢に日の光の麗しく照りそうさまを見たならば、東京の都市は模倣の西洋造りと電線と銅像とのためにいかほど醜くされても、まだ捨てたものではない。東京にはどこかいって口にはいえぬが、やはり何となく東京らしい固有な趣があるような気がする。もし今日の東京に果たして都会美なるものがあり得るとすれば、私はその第一の要素をば樹木と水流に俟(ま)つものと断言する。山の手を覆う老樹と、下町を流れる河とは東京市の有する最も尊い宝である。巴里(パリー)の巴里たる体裁は寺院宮殿劇場等の建築があればたとえ樹と水なくとも足りるであろう。しかるにわが東京においてはもし鬱然たる樹木なくんば、かの壮麗なる芝山内(しばさんない)の霊廟とても完全にその美とその威厳をを保つ事は出来まい。*「永井荷風随筆集・上」「日和下駄」*永井荷風 (大正3年~大正4年) 永井荷風の名前は知っていたが、「日和下駄」は知らなかった。それを知ったのが、1990年の■みどり学講座■だった。講師は、当時、大阪府立大学教授だった高橋理喜男先生だ。高橋教授は当時、大阪自然環境保全協会会長をしていて、ボランティアで私たちに教えてくれたのだった。荷風が日和下駄を書いたのは大正3年というから今から100年近く前、東京は今より緑が多かっただろう。高い建物も少なかっただろうから、緑を見る機会も多かっただろう。しかし、当時でさえ、荷風は、西洋風の建物や、電線や銅像を東京の美にふさわしいと思っていなかったのだ。西洋を真似なくても、日本には、日本の美があると言っている。 緑や自然は、金銭的計量化をこえたアメニティの価値に深くかかわっており、ゆたかで住みよい生活環境の実現に欠かせない要素といっているのだ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月3日*雛人形は、2月の風にあてないといけない・・・。/雛祭 *・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.03
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特有の香りがあり、春につんだ新芽を茹で、おひたしや汁物の具、また草餅にして食べる。また、天ぷらにして食べることもできる。香りの主成分はシネオール、ツヨン、β-カリオフィレン、ボルネオール、カンファー、脂肪油のパルミチン酸、オレイン酸、リノール酸、ビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2などである。 灸に使うもぐさ(艾)は、葉を乾燥させ、裏側の綿毛を採取したものである。葉は、艾葉(がいよう)という生薬で止血作用がある(なお、艾、艾葉には、ヨモギの他にヤマヨモギ(学名A. montana)も使われる)。 若い芽や、育ち始めた若い株は、干しておいたのちに煎じて飲むと、健胃、腹痛、下痢、貧血、冷え性などに効果がある。また、もう少し育ったものは、これも干しておき、風呂に入れると良い。腰痛を始め、痔にとても良い。南西諸島にはニシヨモギ A. indica Willd. var. orientalis (Pamp.) Haraが自生し、沖縄方言では「フーチバー」と呼ばれる。これは沖縄料理の沖縄そばの具やヤギ肉の臭み消しとして用いられる。この語は長崎弁など九州方言に見られる「フツ」、「フツッパ(フツの葉の意)」と同根であると考えられる。雑炊に入れた「ふーちばーじゅーしー」も著名な調理法である。 NHKの朝の情報番組、「あさイチ」を見ていたら■京都・大原に住むベニシアさん■が出演していた。彼女は、京都・大原の古民家に住みハーブの研究をして、テレビなどでもよく見かける。セージ、ローリエ、ウィンターセイボリー、ローズマリーと沢山のハーブを紹介していた。日本でもよく、ハーブを植えている人がいる。しかし、日本には、日本のハーブがあるではないかと私は常々思っている。例えば、ドクダミ、そして、ヨモギも・・・。これらは、かつては、どこにでも生えていた草だ。今やコンクリートに固められた今、私の身近には生えていない。西洋のハーブもいいが、日本に古来からある草の力をもっと見直してみるべきではないだろうか。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年3月1日*流し雛*・・・・・・・・・・・・・・
2012.03.01
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