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Kさんの気合いの所為かあらぬか、大成功に終わったオペレッタ。500人ほどのホールが満員、2万足らずの町でこれだけ集めるのは初めてだそうだ。シンデレラはストーリーも良く知られているのでキャストがどのくらい表現するかにかかるわけだが、継母が一番好評だったらしい。意地悪ばあさんがヒットしたのと似たような背景だろう。とちりもいくつかあったようだが、一番受けたのはシンデレラが靴を履き、「お姫様が見つかった」のシーンで、「馬車の用意ができました」というところを「ばす・・いや、ばしゃ」とやってしまい、会場は大爆笑。で、ナレーターが笑い出してしまい、なかなかとまらない。舞台ソデは大変だったようである。この脚本は高校生が作ったものだそうだ。あとは出演者と当地の音楽家との酒に話に花が咲き、レポートは今日になってしまった。それにしても音楽家の構図というのは不思議なところで繋がっている。魑魅魍魎?
2006年01月30日
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加勢に行くだけだが、やはりステージ。昨日の通し稽古でもまだせりふがとぎれたりしていて、傍観ながらちょっと心配な面も。3つの合唱団が合同でやるので、そのレベルの比較もできてしまう。それにしても主宰のKさんのまさに八面六臂の大活躍。舞台演出と主役、外部団体との交渉をほとんど一人でやっている。おまけに仕事と主婦業だからちょっと心配なほど。ステージマスターも認めるところで、「maetosさん、彼女もういっぱいいっぱいだから穴は相当あるので、なんでも私に言ってください」たしかに並ぶ隊形や出入りなど、工夫の余地はある。2つ3つ提案しておいた。このステージマスターには何度か頼んだ事もあるので素人の中では私はマシな方らしい。でも、オール町民の手作りで、すてきな舞台になりそうだ。盛り上げに加勢!ところで、テレビで知ってか知らぬか、「七転八倒の大活躍」と言っている事がある。活躍は八面六臂のはずで、七転八倒は苦しむ方だ。
2006年01月29日
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シンデレラの練習は4つの合唱団(3つの混声と1つの児童合唱団)、それにキャストで行われる。アルトのSさんと2人しか参加できなかった。この時期、風邪が相当はやっている。本番に備えて、ムリしないでくださいとお見舞い。集合時間が守れないのは共通の悩みだが、裏方も含めて「あれ~あんたも?」というのは結構楽しいものだ。合併で初めてのぞいた会場なのだが、まるで体育館。いす席が階段状にセットしてあったが実は完全移動式なのだそうだ。片づければフラットになってしまうという。反響板はもちろんない。これに比べたらうちの町は恵まれているね、とSさんと話し合った事である。ホールがあり、そこそこの値段で使えるのは有り難い。オペレッタは地元の音楽界の重鎮と言われている人が総監督だ。音はとれているものとしていきなり歌い出すが、なかなか揃うモンじゃない。しかもピアノは合唱部分の演奏がないので、前奏からとるアカペラ。それでも練習の時くらい個別の音が欲しかったが、まあいいだろうで終わってしまった。フィナーレコーラスも運営スタッフと総監督の間でのコミュニケーションがとれていないところがあり、多難な前途を思わせる。で、小さなグループが集まるときの問題は、コアになる人材をきちんと配置できるかどうかにかかると思う。高齢者が多く、「響きを前に出す」事がなかなか難しい。力のある人はキャストに回っているので、かつてのONの抜けたあとの巨人みたいなものだ。普段からの練習がどれだけ浸透しているかの試金石みたいに思う。終わってからSさんが「うちにきてよ、と勧誘されちゃった」とのこと。彼女には指揮をしてもらっているから簡単にはうんと言えない。ここらの駆け引きも同じだ。あわよくば有望株を、と言う下心もあるから手伝いに来ているのであって・・・しかし表には出せない。まあ、いろいろ感じた事を糧にして今年も元気に楽しく、と言うところだ。来週は新市歌の練習。また顔を合わせる。
2006年01月09日
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合併で大きくなった市の新しい町で29日にオペレッタ「シンデレラ」を上演するので、フィナーレのバックコーラスに協力する、と言う事で午後から練習。合併記念とつけても良いので、こんな行事はこれから活発にやると良いと思うが、練習が増えて自分の曲が間に合わなくなるかも、と言う懸念もある。ともあれ、前の練習から3週間はたっているので、これから音の取り直しだ。男声、特にテノールはどこも不足しているので、行かないと練習にならない。女声2名が風邪で欠席とメールがあった。寒波で大雪になったら困るなと思っていたが、幸い朝から良く晴れて気温も上がっている。昨日よりはだいぶ暖かい。こんな時、一番の欠席要因は風邪と天候だ。さ、ピアノたたこう。
2006年01月08日
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古典の時間だったか、これが何よりも楽しく、話が盛り上がるという話を聞いた記憶がある。今日の忘年会は地域の代表が顔を合わせ、食事をしながら今年1年の反省会をするはずだった。が、途中からそっちの方に話が行ってしまい、過去の委員を俎上にあげて、「あのひとは・・・」ともかくコーラスに限らないだろうが個性の強い人が昔は多かったらしい。振り回してくれた人を肴に一杯やるわけだ。「音大出は問題児が多いな」とか、「たたき上げが結局長持ちする」だとか、好き勝手に言っているが、あながち外れていないような気もする。それが更に離婚しただのその娘がどうしたのという話に及ぶと、ほとんどゴシップだが、「そうそう」と既に知っている輩も少なくなく、この世界も結構閉じているのだろうかと思わされた。でも、自分の損得抜きで活動していた人には讃辞が多い。まあ万に一つも汚点がないわけではないが、心して歌とつきあわねばならない。
2005年12月16日
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明後日が本番。今年最後のイベントだ。無謀にも?アカペラ3題。超少人数で臨む。水曜日の練習では、構成はまあまあだったが、発声練習をこのところさぼっていたら、やっぱり荒れている。正規の時間に集まらないのでどうしても歌い混みを優先し、発声練習がおろそかになる。練習はしなければ忘れる。一般合唱団の泣き所だ。時間は決めてあるが、仕事でこれない人もあり、どうしても出足が揃わない。どうしようもないが、結構恨めしい。大きな古時計・とおりゃんせ・ずいずいずっころばしの3曲、今年の仕上げだ。寒くなっているのでせめて風邪だけは引かないように、と全員にメール。
2005年12月02日
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コーラス、声楽を長年やっているといろんな言葉に出会う。考えてみると「これ。分かってるのかな?」というような不思議な言葉にしばしば出会う。そう、分かっている人には分かるんだよ。でも一般に使って良いのか?と考え直してみるとやっぱりヘン。「口は縦に開けて発声しましょう」ヨコに開く口なんてあったら人間ではな~い。でも、ボイトレをやっている私自身何度か使ったように思うし、何度も聞いた記憶がある。本当は、のどちんこを引き上げて、深みのある(これまた表現しにくいなあ)声を出して欲しいのだ。「しゃべり言葉で歌わないで」う~ん、これも分かってもらえるだろうか?素人ばかりの集団の場合、いかに分かってもらえる表現をするかって、結構悩みの種になる。「ゲロをはくときの喉の状態」というのが、今一番近いのではないかと思い、団員を指導しているが、考えてみるまでもなく何とも汚い表現である。もう少し言い表現がないのかと思うが、思いつかない。曲想になってくると更に不可解な言葉に出会う。「まるく歌ってください」「それはレガートと言うこと?」「う~ん、近いけどちょっと違う」「分かるように言ってよ!」「まるいって、分かりませんか?」こうなるとほとんど禅問答になってくる。「わかるよ」と言う人もいるのでなお始末が悪い。感覚の世界を言葉で表現するのはやはり難しいんだなあ。共通語が欲しい。
2005年12月01日
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「ニッコリは良いけどニンマリはいけないよ」と指揮者に話しかけた。ところが、彼女には彼女の言い分があったのだ。「あのね、指揮を終わって、客席の方を向こうとしたら私の靴のヒールがスカートの裾揚げの縫い代の中に入ってしまって、転びそうになったのよ。」なるほど、それが事実なら笑顔どころじゃないだろう。かつては、ステージから転落した指揮者もいたそうだが。要は、シャッターのタイミングが悪かったらしい。いくら暗転していても、転んだら分かるだろう。彼女の顔がまともでなかったのもムリはない。彼女の名誉のためにあえて記す。
2005年11月12日
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合唱祭の写真が送られてきた。昨日の事だが、便利になったものだ。送る方はメールに添付するだけ、見たいものが開けばいい、コストは0に近いし、無駄にもならない。ただ、指揮者の笑顔が気になった。というのは、口をつぐんで笑っているので、どうも陰険さを感じてしまうのだ。笑うときにはきちんと歯を見せないとダメだね。スマイル・オフ・ザ・イヤーとか言うのがあって、上戸彩が受賞したそうだが、前歯がやはりポイントになる。にっこり笑うなら歯を見せないと。という発声指導をしておこう。ちなみに自分の写っているのはハミングの所のようだ。これで歯が見えていたら、「お前、なにうとうとったんや?」だろう。自分で見たらもっと不気味に違いない。それにしても年々髪の毛が薄くなっていくような気がする・・・写真ていやだ!
2005年11月09日
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やはり10人というのは出場団体30の中最少でありました。それでもボリュームはともかくハーモニーはお褒めいただきました。まあ、関係者でありますから、そうぼろくそには言わない最低のマナーかもしれません。懸案だったソプラノの高音も見事にクリアしてくれ、一緒に歌っていても「良いなあ」と思いましたね。コメントをつけていただいたレーザービームの話もしました。ウルトラセブンのなんとか言う技に、確か両手の二本指を重ねて眉間から光線を出すのがありまして・・・ このイメージや、と。会場は古いので音響効果も悪いのですが、(腹が立つほど)まあまあ満足できる結果でしょう。雨で、人の集まりは最低。それにしても、高齢化社会を見ますねえ。どこの団体も、歴史ある顔ばかりになってきましたよ。
2005年11月06日
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というわけでいよいよ最後の練習。課題だった高音の「イ」にはいろいろとご意見を頂いたが、結局「鼻にかけよう」と言うことと、「ア・エ・イ・オ・ウ」をすべて口先だけで変えよう、の2点でなんとかめどをつけた。喉を開く、とか縦に開ける、とか「ゲロを吐く喉」とか表現はいろいろあって、どれが万人にわかりやすいか、この人にはどう話したらいいかでいつも悩む。ちなみに、私が一番理解しやすいと思うのは「ゲロの喉」だ。ただ、表現がいかにも汚いので「尾籠な話で恐縮ですが・・・」と前置きはする。7分の制限時間で6分50秒かかった。2曲と言ってもかなり長い。準備はできた。そして最大の課題「忘れないでよ!今日の練習」そう、日曜日まできちんと覚えていてくれるかが最大の課題なのである。
2005年11月02日
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ブログに愚痴も書いてみるもんだ。昨日のソプラノの問題に複数の方からご意見が届いて、感激!テーマが発声のことなので自分の言葉での表現になってしまう。これで十分伝わるかな?と思い、「これはどういうことでしょう?」と逆質問したり。たぶん、両方とも分かっているんだけど、本当に通じる言葉に練り切れていないのだ。ある人はレーザービームと言い、ある人は後ろからの意識とか。私は私で「口腔の響き、鼻腔の響き」という。これは文字ベースだからどうしようもないのだが、音声チャットみたいなことができないかな?皆様、共通に苦労してらっしゃいますね。発声の問題は。
2005年10月27日
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合同演奏というのは本当にレベルのでこぼこが大きく、歌う方も歌わせる方も大変だ。が、ともあれ作詞大賞の選定も終わり、今年の童謡事業は我が団としては終了。2週間後に合唱祭、12月の音楽祭で幕を閉じ、あとは忘年会だ。いつもながら今年も良く歌ってきたね、で楽しく終わる。さて、自治体合併で、新市は4万から8万に人口が増加した。新市の合唱連盟を設立する話が出てきたり、また話題に事欠かないだろう。しかしながら思惑が一致している団体というのは意外に少ないものだ。
2005年10月23日
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講師は伊藤幹翁先生。毎年「明日のために」指導してくださるのだが、指導を受ける側のレベルがあまりに低いのと、まさに混成の混声合唱団なのでその取り組み方にも差があり、毎年申し訳ない気持だ。オケとの合わせでもオケはそれなりのレベルにあり、しかも単一団体で請負だから勝負も早い。コーラスの方はそうはいかない。とても失礼な言い方だが、玉石混淆ならまだしも石ばかりなのだ。半玉くらいのは数名いるかもしれない。「濁音の発音を練習しなさい」「入るときには横から滑り込むように」「銭を取れる演奏を」「感動がない!」「指揮者に向かって歌うんじゃない、客に聞いてもらうんだ」いちいち尤も。「づりあげるのは素人だ」「音が確定してから出すな、はじめから出せ」「それでもppのつもりか!」果ては「どうせ一晩寝たら全部忘れちまうんだから今日は寝るな」いや、仰せの通りかも。いやもう、ど素人相手に大変だと思う。そしてまた、そんな中で入るタイミングを大きく誤っている人が隣にいるのだ。いや、どこも大変だわ・・・さて、明日本番だからまあ少しでもあらが隠せれば・・・と考えている。自分一人ではどうにもならないし、今日初対面の人だっている。
2005年10月22日
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朝から寒い北風が吹いている。気のせいかもしれないけど、柿の実が黄色くなった気がする。もうちょっと木でおいとかないと美味しくならない。この柿ばっかりは、買って食べる気がしないのだ。ぜ~んぜん甘味が違う。人に言われるまで気がつかなかったんだけど、確かにスーパーに売っているのって、スカスカだ。毎年それなりに努力していると、木はそれに応えてくれる。一種のペットかも?ウンチはしないし、吠えないし、酸素も出してくれるし、台風で折れても燃料になる。強い木ではないのでのぼるときには注意がいるが、木がペットって変かな?ただ害虫がねらってくる。イラガ、スカシバだ。でも年に3度も防除してやればそれなりに健康だし、剪定を間違えなければ隔年結果もすりぬけられる。午後から雨だと言うが、今日は明日の合同演奏のための講習会。新市合併で新たに2町から混声合唱団が参加してくれるので、男性が多くなり、楽になるだろう。ただ、どこも高齢化は否定できない。若い男、どっかにおらんかなあ~というのが共通の合い言葉である。「ええ女、どっかにおらんかな~」というと、袋だたきにあうだろう。
2005年10月22日
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目にはさやかに見えねども・・・見えなくったって今朝は寒かった。よく冷えた・・・って、もうすぐ11月なんだから、当然と言えば当然だ。今日はおでんだそうだ。ついでに一杯もらおうか、てなもんで・・・その結果。やせることを知らない。副団長から「あんたは太ってるんだから脳梗塞には気をつけなよ!」と言われた。彼女、幼稚園の恩師である。ここまできてコーラスでつきあおうとは思ってもいなかった。私が入園したとき、彼女は保母1年生。新卒だったのである。
2005年10月20日
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少しずつ色づき始めた。うちの柿はかなりの奥手で、寒くなる頃にやっと収穫ができる。今色づいているのはほとんど虫の入ったやつだ。植物の対抗手段か、早く実を落としてしまおうとしているのかもしれない。ちょっと味を見てみる。やはり甘いが、しばらくして渋みが舌の上に残ってきた。やっぱりまだ渋が固まっていないのだ。まだ1ヶ月くらいは待たないとダメだろう。その頃には葉もほとんど落ちてしまっている。うん、葉の色で見る方がいいかもしれない。他のスレッドで「モズが枯れ木で」が話題になっている。モズに一番に合うのは柿の木のように思う。そう言えば柿がテーマになってる曲ってあったかしら・・・さるかに合戦?
2005年10月10日
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昨日の18時35分頃に放送された。が、放送本番は用事をしていて見られず、娘が録画してくれたものを見ると、何ともひどい画質だ。見れば3倍モード。これじゃハイビジョンでもダメだ。放映時間も、「赤とんぼ」のワンコーラスだけだったので20秒ほど。あと、出身合唱団の名前がテロップに出るだけだった。声は自分で自分の声と分かる。デュオの相手もまずまずだったようだ。合唱としてはまあまあだが、画がよくない。何より助かった?のは「大写し」がなかったことかな?個人の名誉を尊重してくれたのかも?実は密かに期待もしていたのだが。どうせだからfileにしておこう。もっと高品位のソーステープがあると良いんだが。
2005年09月29日
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夕べ、ニュースを見ていたら尼崎の脱線事故の合同慰霊祭が開かれたことを放送していた。犠牲者の肉親の方のことばやらあって、最後の方のシーンで「遙かな友に」が合唱されているのがきこえてきた。こんな現場でこの歌を聴いたり、歌ったりしたらたまらんだろうな、と思う。ある日突然に命を絶たれ、残された者もまだ心の整理がつきかねていて、慰霊祭だ。たぶん亡くなった人の中に、コーラスの関係者がいたのだろう。追悼の曲として、ある人にはつらかっただろうなと思う。自分が死んだとき、こんな曲を誰か歌ってくれるだろうか。団の存続が絶対条件だけれども。
2005年09月26日
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出演でそれでも神経を使ったのか、今日は1日中眠かった。童謡祭りのコマーシャルもやり、予定の20分ちょうどでステージ終了。1日あけてみると、やっぱりあれこれと戦友からメールが入ってくる。「いつもは指揮をやっているS・・・」と紹介するつもりが「彼女のチャームポイントはお尻でいつもお客に一人だけお尻を向けている」とちゃかした結果、名前を言い忘れたらしい。「そのときに突っ込みいれんかい」「私はしおらしいのにそんなことできへん!!」おいおい。それがホンマにしおらしい女の言うことか?等とメールで応酬するが、まあこれもご挨拶のうちだ。禿頭を隠すのに帽子でも買おうか、等と言ったのを聞きつけて「ベレー帽でも買ったの?」とわざわざ聞いてくる人もある。「素の頭で出たよ」やれやれ・・・ともあれ、みんな気遣ってくれていると言うことだ。明日の夜には役員会をかねた報告会。亜、神戸土産なと買っておくんだった。それにしても昨日のお好み焼きはずっしりと腹に堪えた。こなもんやと言い、長田区が発祥の地だとか。焼きそばを注文したら、それこそスパゲティかと思うほど腰も歯ごたえも強い麺が出てきた。揚げ麺もサンプルとして作ってあり、サービスのおつまみになっている。これも結構いけた。神戸方面においでの方、ご参考までに。トッピング類も沢山用意してあったよ。
2005年09月25日
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打ち上げのつもりでお好み焼きを食べにいったらとんでもない渋滞に巻き込まれ、8時半帰投。何度も練習で間違えたところは間違えず、ちゃんと通ったところが間違えると言う何とも・・・と言う収録だった(ようだ)自分に間違えた記憶がなく、またピアノもどこだったかは忘れてしまったと言う。50人くらいの少し年配のお客さんで、童謡を一緒に歌ってもらった。テナー旋律、アルトハーモニーと言う変則コーラスだ。おまけにいつもの並びの癖で、高音が上手になる。里の秋、紅葉、夕焼け小焼け、赤とんぼ、そして大中作品の「秋の女よ」で、秋漬け。でもお客さんも喜んでくださったようだ。鳴りもののあとで、大丈夫かなと少し不安だったけれど、まずは大成功と言うべきだろう。28日夕方の、兵庫県だけの放送になる。1団体10秒程度とか。録画の用意だが、あと見る気のするできであったことを祈るのみ。応援くださった皆様に感謝を申し上げます。
2005年09月24日
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NHK目指して出発だ!明石のピアニスト宅で最後の練習。オブリガートもまずまずになったし、秋の女よのGはまだ朝早いから無理として、あとはしゃべりだ。業界ではMCというらしい。がんばらなくっちゃ!
2005年09月24日
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ちょっと外に出てみたら、東の雲の切れ間に月が見えて、西の方の雲から雨が落ちてきている。そうか、雨降りお月ってこんなんだったんだろう。と一人で納得してうれしい気分。私の子供の頃には、牛はいたけれども馬はほとんど見なかった。地域性もあるのだろうが、馬は関東の方なのだろうか。南部駒とか聞いたような気がする。そう言えば相馬の馬追とかちゃぐちゃぐ馬ことかやはり東の方みたい。牛はうちにもいた。鋤を引かせたりしていたのを思い出す。川原に行ったらあちこちに牛の糞があり、時々踏んづけて靴を汚し、べそをかいて帰っていた。のんびりした時代だが、あのころの生活が続いていたら地球温暖化もなかったかもしれない。小学校の教師が「耕耘機と牛とどっちが優れていると思うか」と生徒に聞いてきたのを妙に鮮やかに覚えている。「牛は使わないときも餌を食うが、耕耘機はいるときだけ油を入れてやればいい。だから耕耘機の方が優れているのだ」と言った。ある子供が「けど油を入れんかったらうごかん。餌さえやったら牛は言うことを聞く」といった。今になって考えると結構含蓄がありそうな子供の言葉。牛の故障はまず無いが、機械はこわれるものだ。工業化社会の姿を見抜いていたような発言だった。
2005年09月19日
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わだいがとんでわすれてしまっていた。そのために久しぶりにこどもの館に行って来たのだ。ここには児童書がかなり豊富にある。童謡の本もある。非常にきれいなのでいかに読まれていないかが良くわかる。童謡と唱歌は良く並べて批評されるが、その違いについてもかかれていた。郵政民営化ではないが、乱暴に分類すれば官製が唱歌、民製が童謡と言うことだ。しかもこれが明治年間からつくられているというからすごいロングセラーだ。国家高揚のための唱歌、昔は文部省唱歌と書いてあったが今は文部科学省唱歌なんだろうか?海、我は海の子などだ。童謡は歌曲だという人もいる。確かにクラシックと考えても難しいのが多い。さりとて、子供が無邪気に歌ってもそれなりに聞こえてしまうので、やっぱり作曲者の腕というのだろうか。弘田龍太郎、山田耕筰などの名前がずらりとならんでいた。大中恩さんて寅さんの息子さんだったのか・・・などと新しい発見。
2005年09月18日
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20分と言えどステージである。童謡ばかり4曲で20分なんてとてもじゃない。ある程度しゃべりを入れないと持たない。「楽器の設置も含めていますから実質15分くらいで、」となっているから楽器組はもう少し短くなるだろうが、我々はピアノを使うだけなのでほぼフルに使える。しかしえてして伸びるグループがあるのも事実だ。今度のNHKのような10グループほどなら1分延びても10分だが、兵庫県合唱祭となるとそうはいかない。1秒いくらのペナルティ、と脅しておかないと、70団体以上がでるのだ。1分ずつなら70分、その前後が狂ってくるから大変なことになる。そこを見込んで短時間でスケジュールしておくか?旅行もそうだが、プランニングの時が一番楽しい。「失敗」の文字がないから。これやっちゃうと落ち込むというか、凹むというか、翌日から「お天道様の下を歩けない」気分なのである。今までに何度か経験。かけ声の時はもう最悪。穴が無くてもどっか掘りたい気分である。ソロ状態になるから「お前がぶちこわした!」しかしそのように指揮を感じてしまったんだよな・・・30年たっても昨日のことのように思い出す。さあ、しゃべりの原稿書かなきゃ。
2005年09月18日
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市民コンサートと称してNHK神戸放送局が募集しているのを見つけた。翌日が締め切りだという。指揮者に連絡したら「出たいね!」しかし相談している暇がないし、様子もよく分からない。じゃあ2人で斥候にいこうか、ということでまあ抽選に漏れるかもしれないし・・・ととりあえず団内ユニットを作って応募してみた。ところがこの応募ページは作りがお粗末で、誤ってenterキーをたたくとデータがそろっていなくても飛んでいってしまう。4度目にやっと全データをそろえて飛ばすことができた。果たして「出場決定!」のメールが今日届いた。童謡唱歌ばかりの選曲だ。テナーとアルトのユニットで、過去にはトワ・エ・モアがそうだったような気がする。で、どっちが旋律を歌うか、2部合唱の譜面を見ながら考えている。曲は赤とんぼ、里の秋、紅葉の予定だ。うまくいくと(下手をするとと言うべきか?)放送されるそうだ。お面かぶって出ようかな?衣装はどうする?まさかタキシードというわけにも行くまいし・・・誰かこういう演出が得意な人いないかな?
2005年09月11日
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つばを飲み込むとのどの右が痛む。やばい!!扁桃腺炎だろう。急激に気温が下がって、夕べバスタオル1枚で寝ていたからか?あさっての練習までに直るかな?阪神の藤川も最近働き過ぎ?で扁桃腺を腫らしたらしいが、私の分はもう少しレベル低いな。仕事してないもの!寝冷えなんてカッコ悪くって!今日は大きい布団を出しておこう。台風の動きも気になる。カトリーナよりも強いという話だ。アメリカの二の舞にならないことを祈る。それにしてもアメリカの地図の上に日本を持っていくと、これがとてつもなく小さいのだ。これでかつて二酸化炭素排出量が世界第二位?(うわ、これすごい無責任発言だ)だったというか来夏にいびつな構造だったか。忘れた頃にかき混ぜがやってくるのかも?水温が上がって、台風のエネルギー供給を絶つ海域が無くなったのだ。これから海がさめる(温暖化が止まる)まで、たっぷりとエネルギーを持った台風が来るというわけだ。
2005年09月05日
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水曜日は合唱団の練習日。9/4にのせる曲がなかなか通らない。当日練習に期待するしかないか。練習後指揮者と相談。とおりゃんせなんだが、1番はバスのオクターブ上、2番がアルトのオクターブ上をとってテナーが旋律に入る。ところが、これが半白遅れで入るものだからほとんど「イントロクイズ」だ。やたら短い「ウルトライントロ」とか言うのもあったように思うが、まさにそれなのだ。途中で転調も入っているので冷や汗もの。で、1番と2番を間違えると大変なことになるのだがこれを実行したのだ。練習とはいえ、指揮者はびびってしまった。2番やめようか・・・と言い出す始末。「ごめん!ちゃんと練習するから」と言った以上なんとかしなければ。まあ、間違えるのは1割ぐらいなモンだ、と言うと「そんなの危険だ!」と逆切れされた。ともかく実行、今晩から特訓である。
2005年09月01日
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昨日午後からの雨がまだしとしとと続いている。窓から入ってくるのも秋の湿った風。これは台風の影響らしいが・・・梅雨前線は気温が上がり調子のときなので不快に感じるが、秋雨前線は暑さのピークは越えて下がり調子だからずいぶん快適に感じる。昔は秋雨前線を秋霖前線と言った。これを辞書で調べたらなんと秋霖と言うのは秋に徴収する税金なんだそうだ。秋雨よりも秋霖の方が侘び寂しい気がして気に入っていたのだが、とんでもない。そのせいかあらぬか、秋の歌は名曲が多い。(別にほかの季節をけなす訳ではないけれど)一日で言えば夕方の名曲が多いのと似ているのかもしれない。秋の歌・・・里の秋、小さい秋見つけた、誰もいない海、紅葉、赤とんぼ、村祭り、まっ赤な秋・・・もっとあるはず。夕方の歌・・・夕焼け小焼け、月、赤とんぼ、おぼろ月夜、雨降りお月、夕日、・・・なんだか出てくるのは童謡ばかり。よほど刷り込まれているのかなあ。でも、いつでも安心して?歌える歌だ。ソロでも、コーラスでも。それにしても、このごろ老若男女を問わずにみんなで歌える歌が減ってきたように思う。
2005年08月31日
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今日は市内の合唱団を集めた合唱講習会。新しい童謡コンクール発表会の一環として(前座という方がふさわしいか?)地元合同合唱団の養成である。発表会の前に2度ほど練習がある。実は、それぞれの練習の余計に割り振られる歌なので、どことも練習に熱が入らない。講師の先生は東京からやってくるのでその落差にまず驚かれる。音大出身がぞろぞろいる都会の合唱団と違い、おばちゃんのかき集めみたいなのだからその差は大きい。初めてやってきた先生は音がとれてない!と怒りだし、担当者がなだめに入ったこともあった。そのうち理解も進み(妥協も進み)ここ数年は楽しくやっているが、指摘は厳しい。ちなみに、私の属するグループは音大出のいない特異なグループだ。そして、指揮者が来ているのは、うちだけ。『久しぶりに歌えたよ!』と喜んでいた。さて、合唱は声で作るのだけれども、声楽ばかり集めるとろくなものにならないと言う。ピアニストを集めるとそれなりの合唱団になるのだそうだ。講師先生の論を借りるなら、「できるだけたくさんの歌を歌いなさい。発声と言ったって、童謡を歌うときと宗教曲では全く発声は違うし、また発声のトレーナも、自分の属するパート以外ははっきり言って素人だ。腹式呼吸など基本的なことに問題がなければ、できるだけいろんな歌を歌い、いろんな発声ができるようにする方が楽しい」ということだ。アマチュアは好きでやっているのだから、これからは発声の時間を歌う時間に充てようかと思う。基本的なことができていれば、響きをつけること、はっきり発音することで田舎町での演奏は十分かもしれない。しかし、やはり基本は大事だと思う。妥協せず、負担をかけないでと思うが、実践は難しい。今でも、アニーローリーや荒城の月など練習に使っている。しかし、最近昔の定番曲を知らない若者(と言っても十分中年だが)層がいて、面食らうことがある。『庭の千草』を知らないと言うから驚き。
2005年08月28日
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昨日の雨模様とはうってかわり、今日は快晴だ。強い日差しが差し込み、今日も暑くなりそう。ふと天井を見上げると虹が出ている。?と思い、机を見てみるとCDRに太陽が当たっている。それを反射してきれいに分光している。まさに「天井の虹」だ。本当ならば「天上の虹」であって、コーラスの一つもできるかなと思うのだが、お昼が近くなってくると「天丼」の方が実用的かと。試しにCDROMをのせてみた。これだとなぜか反射光が薄くなる。反射率の問題かもしれない。今はあまりついていないが、少し前にCDRを買うと保護用に上下に1枚ずつ透明のポリカ板が入れてあった。これを見つけたので実験してみたらこれはさすがに反射率最少で非常に暗い。結局CDRが一番・・と遊んでいたら大きな雲に太陽が覆われてしまった。で、忘れないうちにと日記を書いている。今日の求職活動は午後だな・・・
2005年08月22日
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昨夜、来年の1月に上演するオペレッタの打ち合わせに行った。隣町になるのだが、10月に合併で新市の同じ町になる。それを記念して幾ばくかの補助がでるので、今回実行に踏み切ったものだ。キャストからスタッフから、すべて地元でまかなうので声がかかった。田舎町で混声合唱となるとどこもかしこも「男が欲しい」のは共通の悩みである。少数精鋭?を自認する我が団も例外ではないが、いくらかは力の足しになろうかと参加を決めた。演題は(と書くと落語みたいだが)シンデレラである。地元で有名な高校の先生(既に故人であるが)の書き下ろしで、その先生の教え子たちがかなり参加しているそうだ。こんな場では、本当に不思議な「縁」を感じる。「え、あんたなんでこんな所にいてるの?」「なんや、お前もか」と言ったふうな。ともあれ、成功のために注力。ただし、出演の多いスケジュール。9月から毎月1回は必ずステージをこなさねばならないので、12月まではほとんどお預け状態になるだろう。
2005年08月22日
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チューニングハンマーを手に入れたことを書いたまま、ほったらかしになっていた。アップライトピアノである。ばらした(もちろん弦が見えるように、またキーのカバーをはずすまでだが)ことは過去にもあったのでまあ問題なしに進んだ。http://www.geocities.jp/pf_daisuki/kai01.htmlのようなページを参考に作業を進める。まず弦3本のうち2本を鳴らなくさせるというので、フェルトをつっこんでいった。しかし実はこれも結構こつがいる。仲間がいれば箸のようなものでふれておいてもらう方が確実だ。無理にすすめていったが、音を止めるというのも結構難しい。一緒に求めたキットの中に、ゴムの音止めがあった。チューニングしたいのはCだけだし、そのユニゾンが崩れているだけのことを思い出し、隣の弦との間にこれを差し入れたら簡単に止まった。クロマチックチューナは大まかには教えてくれる。もちろんオクターブを変えて引いてもきちんと表示はしてくる。しかし、やはり感覚の世界が残っている。どうせなら周波数カウンタみたいに作って欲しいものだ。尤も電波と音波は一緒にはできまいが。この作業の間、雑音が入るといけないと思い、エアコンを切っていた。これが大変暑い。昔からそうなのだが、こういう作業をすると私はとてつもなく汗をかく。チューニングハンマーはものすごく力がいる、と書いてあったが、そうでもなかった。まず中央の弦をあわせ、それから右の弦、左の弦という風に日本ずつ同時にならしてユニゾンをあわせていくのだ。これは結構大変な作業だ。「うなり」を頼りに合わせていくのだが、1秒に何回のうなり、と言うのであれば割と詰めていけるが、数秒に1回のうなりとなると、これは大変だ。たぶんプロの調律師はこれを1回で聞き分けてしまうのだろう。このあたりがアマチュアの気楽なところと言うか、居合わせた3人ほどで「まあこんなもんやな」と話をまとめ、作業をやめてしまった。あまり違和感なく音が聞ければいいや、というレベルなのでこれ以上さわらないでおこう、と言うことだ。ピアニストにも聞いてもらい、「ちょっとまだ変だけど、辛抱できないこともないか」ということにした。そう、数秒に1回のうなりになると、相対関係が分からなくなり、絞めたらいいか、ゆるめるのかが判断できないのだ。素人の悲しさ!ともあれ、これで気分よく練習できる。
2005年08月16日
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ことしは京都で世界合唱シンポジウムが開かれた。そのサテライトコンサートが神戸で行われ、それを見に行っていた。主催は兵庫県合唱連盟。我が県の強いもの。西脇工業高校の駅伝と武庫川女子大付属中高等学校のコーラス。県立長田高校も強い。どうも体一つでできそうな、初期投資の少ないものが強いのだろうか。吹奏楽は楽器がいるが合唱は生まれてから使っているのどがあればよいし、駅伝もとりあえずはパンツとシューズがあればよい。高価なボールやバックネットはいらない。ドイツからカタビーレ・リンバーグという男声合唱団が来ていて、指揮者ユルゲン・ファスベンダー氏が地元合同合唱団を男声・女声・混声の一般合唱団と高校生を指揮した。圧巻は高校生300人の合唱だった。鍛え抜かれた声がホールに響くと言うよりも轟くという迫力。逆に大学生のステージが貧弱。特に男声がだめ。これは無理もないのだ。ともかく受験でそれまでの基盤がないし、良い指導者に恵まれているかも疑問。ナイナイづくしでやっているから、納得はできるが、日本の合唱のあり方を問う上で貴重なサンプルではある。女声はいい。男の子が合唱なんて、と言う風潮はまだまだある。音楽は女子、運動は男子という偏見みたいなものがまだ健在だ。お互いの性の存在を尊重し・・・も結構だが、そう言っている端で選挙では「私を男にしてください」などと言っている。総選挙になるらしいが、こんな男こそ落選させるべきだ。日本の将来が暗くなる。政治と言えば今総選挙をやれば自民党が危ないと言うことで「政治的空白を作るのは良くない」という輩もいる。でも、この20年ほど、政治が国内的にも国際的にも何かしただろうか。空白の10年、20年の方がよほど体感的だ。国民生活は確実に苦しくなっている。政治ついでだ。障害者自立支援法の成立が事実上無くなったと伝えられている。「自滅支援法」と揶揄された曰く付きの法律案だ。ところが、今年の予算はこの法律が成立、施行されることを前提に組まれているという。政治の私物化ではないか。大いに立腹したが、ほっとしている。これで廃案らしい。コーラスに戻す。ドイツの合唱団は実に愉快だったし、指揮者の好みだろうがユニゾンを使う曲が好きなようである。これが非常にきれい。パートなんて関係ない。全員の響きがぴーんとはっている。良く調律されたピアノを単音でたたいているような感覚だった。こんなのははじめてだ。良いものを聞かせてもらった。最後の「朝のリレー」谷川俊太郎氏の詩に曲がついた。全出演者がステージいっぱいになった。500人以上いたのではないか。広島のコーラスも良かったが、これも良かった。やはり歌は人間の原典か?
2005年08月08日
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地元11団体・250名の出場で行われた大会が終わった。大会と言ってもコンテストとかコンクールで順位をつけるわけではないので恨みっこなしだ。はっきり認めざるを得ないが、合唱王国兵庫県だが東西・南北の格差は大きい。人口の差がそのままレベルの差になっている。たくさんいればうまい人も多い。少なければそれしかいないのである。また、数は力の世界でもある。たくさんいれば大きく出せるし、安心感もある。言えば、軽自動車とベンツ・BMWとのような比較だろうか。あるいはその昔少数精鋭を追求してアメリカの物量に破れた日本軍の心境かも。いや、追求するというよりかはそれしかなかったのだ。少数精鋭はたぶん幻想だ。自分を慰める道具的観念か。まあ、和やかに事が運ぶのは気持ちがいい。「どうでした、楽しかったですか?」「はい」と大きな声が挙がる。知的障害者の施設から参加している人たちのグループだ。「去年もそう返事してくれましたね。企画した私たちもうれしいです」今日は8月6日、広島原爆の日だ。ニュースによればこの日がなんの日か知らない人がすごくふえているという。特別番組で吉永小百合さんの詩の朗読、平和の歌が流されていた。何かすごく涙が出てきた。あんな合唱団の中で何かを訴えたいなと。今年の広島は外国人が多かったそうだ、原爆資料館を見て、「日本人の被害者意識を訴えるものだ」という外国人もあるという。核の恐ろしさは、超高温による殺傷能力もさることながら、将来の不安という恐怖との戦いに疲れることも大きいと思う。放射能汚染というトリガが、いつ死を引き起こすか予想できないことの恐怖。そしてそれは世代を越えて広がる恐怖だ。さて実行委員会の反省会は忘年会の打ち合わせ会議となった。それまでに職にありつかなければ。
2005年08月06日
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30年も前に買った合唱のレコードが30枚ほどある。もちろん絶版になったものばかり。CD化したものもあるかもしれないが、今更買う気もしない。しかしレコードの針があるうちに、と言うことでCDRを焼くことにした。Wiretap Pro と言うソフトを見つけ、使ってみた。シェアウェアと言うことで、一部日本語化されている。スピーカから出る音を録音すると言うのだ。後ろにプレーヤからの出力をつなぎ、レコードを掛けてみるが音が出ない。ネットで質問しているうち、「これなんだ?」小さなボタンがある。押したら音が出た。デフォルトではモニタできないものらしい。恥をかいた。しかしこのソフトは優れものと言うか、仮にコピーガードしていても、再生側で記録されたらひとたまりもないだろう。「再生できないからコピーされない」というような変なことになってしまう。cdの丸ごとコピーが著作権上問題があって、コピーできないようにしたら、再生の結果を記録すると言う。いたちごっこだ。しかし、コーラスをやっている人にはこれはありがたい。コーラスの譜面だけで曲の雰囲気がわかるのはごく限られた人だ。我々アマチュアはやはり音源がないと判断できない。しかし売れない音源は作っていない。レコードも聴かずに「これをやろう」と言っても、説得力がない。普及のためには数がいるが、数作るのにはコストがかかる。今までレコード会社がそれをやっていて、売れるまでの育成をたてに歌の囲い込みをしたが、これもシェアウェアみたいになっていくのだろうか。自分の力を認めてもらうに必要な宣伝費はインターネットのおかげで安くなったが、本物かどうか?が今後の基準になるのかな。それにしても便利なソフトだ。
2005年08月02日
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一般の人ではなくて、(この表現も変なのだけど)身体障害者の施設に音楽会のお手伝いにいくことになった。先天的な脳性麻痺の人もいれば交通事故により突然そうなってしまった人もいる。杖を使ってなんとか歩ける人、片足で器用に車いすを操る人、様々な人がいる。昔の文化会館で初めてこの人たちが出演することになったとき、車いすごと持ち上げようとして落としかけたことがある。乗っていた人はさぞかし怖かっただろう。新しい文化会館では袖がものすごく広くとってあり、リフトバスから水平移動で舞台に来れるのでとても安全になった。その指導者。若い女性だ。「この人たち、腹式呼吸がうまくできないんです。みなさんのようなきれいな歌声とは比較になりません。だけど歌が好きで、でてくるんです。」ちょっと信じられなかったが、確かに嬌声に近いような発声の人もいる。声が出ること自体が喜びの人がいる。そうだろう、たとえば自分自身だって咽頭ガンにでもなれば手術で声を失う。また、身体の障害で十分な運動ができなくなる人もあるだろう。あるいは出そうと思ってもうまくコントロールできない人もいるかもしれない。明日は自分がそうなるかもしれないのだ。交通事故なんて日にいくつもおこっている。頭に傷を負って言語中枢をやられたって何の不思議もない。楽しみながら腹式呼吸ができるように手伝えないだろうか。これが動機になり、音楽会の手伝いをすることになったのだ。指導者はこうも言った。「歌を歌うことをあなたはメンバーに強制してはいないか?と言われたことがあります。私たちの仕事は機能回復のお手伝いをすることですが、ことの本質を突かれ、返事ができませんでした」私たちはそのレベルまでいけるだろうか?
2005年07月28日
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録音を聞いた。「なかなか出てるじゃん!」「甘い。テープレコーダというのは自動録音のときは最低レベルの音を拾うようにできてるんだよ。」というような応酬。「指揮者は百たたきだ!」「まあ止まらなかったからいいじゃん」「どこで出ようかと迷ったけど一緒にバーンと出られてよかった。」「まあスイカでも・・」童謡祭りの翌日の役員会の一こまである。わーい、できたできたがないと次のモチベーションにはならないし、あまりいい気になられても困る。客観的な評価も認めなければならない。賞賛でも苦言でも。一度訪問したいのですが、と障害者施設に打診をしていたが、「今日の曲をぜひやってください。みんなよろこびます。」と言ってもらえたのは嬉しかった。施設の音楽部として20人ほどの車いすの合唱団があるのだが、参加できない人たちがまだたくさん居るのだそうだ。腹筋が弱くて声にならない人、意思疎通がうまくできない、でもうたは大好き、という人たち・・・「それじゃ、一緒に歌える機会を作りましょう。出前させてもらいます」2月の日曜日、ということで話はまとまった。文化ホールの館長。「あれだけの人数でよくここまでできたな」ゲジゲジ眉毛で口をへの字にしたままで言うから何か不始末をやらかしたかと思ったが、ほめてもらった。保育園の先生。「声が前に出てますね」この言葉がやはりボイトレとしては一番うれしい。「ボイストレーニングは、何のためにするのでしょう」と初心の人には必ず問いかける。「コーラスは一人では絶対にできません。混じり合える声作り、解け合う声作りに必要なのです」「ボイトレの練習は、はっきり言って面白くありません。でもこれがないと山に登れないと思ってください」「2人の声を3人分にする技術なのです。3人居たら5-6人分にできるんです」初心者には厳しい一言かもしれないが、「みんなと一緒なら歌える」から脱皮してもらわないと、明日に続かないのだ。
2005年07月26日
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文化ホールから電話がかかる。「maetosさん、講評の書類がまだだよ!」「あれ、当日でよかったんじゃないの?まだ私の手元にあるよ。」「事前に読んどいてもらわないとだめ!」今日中に届けてください、とのことでこれから行かないといけない。この時期、例年の童謡祭りだ。赤とんぼの縁であちこち出かけることもあるが、夏の恒例行事で東京の方から音楽の先生に来ていただき、蘊蓄をいただく。10分ほど聞いて、しかもあまりうまくないのがやるんだから、先生も大変だ。「おっうまいじゃないか」ならいいが、「いい加減にしてくれよな」の方になっているのでは?と心配する。うちのグループは県合唱際に出したアカペラものなのである程度は歌い込んであるが、とんでもない失敗もやる。自分がやったときには縛り首ものだ。何を聞いてほしいか?書けと言われても書きにくいものだ。自分の欠点は自分が一番知っている。ともあれ、届けなくちゃ。
2005年07月22日
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8/6に地域のコーラス大会があります。新聞社にアクセスして簡単にでも開催記事を載せてもらおうとメールや何やらでやってみました。そのレポート。神戸新聞社新聞社のWebページから投稿できた。非常にわかりやすかった。返信未着。朝日新聞社たまたま自分が購読しているのもあり、地域版にメール。15分後「受け取った。後日詳しいことを取材する」と返信メール。読売新聞社販売の記事ばかりで投稿窓口がわかりにくい。あちこち探してやっと神戸支局のアドレスがわかった。返信未着。毎日新聞社いろんなキーワードを並べたが結局見つからず、FAXを使うことにする。iタウンページでfax専用番号を見つけた。産經新聞社webのページが見つけにくい。支局の電話番号だけがわかった。fax専用も書いてない。見ていく中で、有名なオーナーが元A級戦犯だったとか偏向記事の新聞社だとか言う記述も目につく。やっぱりドロドロしているものがあるんだな、と感じながら、結構面白いサーフィンだった。で、思ったのだが結構プロの報道の中では読者の投稿なんてやはりマイナーなんだな、と言う感覚だ。そして、情報公開といいながら結構忘れられている部分もある。マスコミは情報の固まりのように思うのだが、取捨選択も難しかろう。商売一番!という姿勢は、今回よく見えたなあ、と思う。で、うちではどれもとっていなかった。はじめの2紙を購読している。朝日新聞社は全日本合唱コンクールを後援しているだけのことはあるなあ。(関係ないか)
2005年07月20日
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今日クロマチックチューナーとチューニングハンマーが届いた。音楽をやってる人ならチューナーはご存じだろうが、チューニングハンマーを持つのはよほどの変人!だと思う。私自身の変人的要素は否定できないのも事実だが。ことの起こりはこうである。近所の小学校でいつも練習をしている。300平米、冷暖房完備、ピアノありで有り難い限りなのだが、このピアノが当然古い。で、1年前にAの弦が切れた。が、ピアノの弦は1本ではなく、2-3本ある。うち1本が切れたら、当然その音は急激に小さくなる。伴奏が聞き難い。学校に申し出るとすぐに直してくれた。しかし、3本の弦をユニゾンにする作業をしないのだ。これ、どういうこと?となるのだが、楽器店、管理者である学校、利用者である我々が打ち合わせをするなど、できる話ではない。しかも金がからむのでよけい話は前に進まない。ならば、と器用な人がプライヤを持ってきて合わせてしまった。それはいいのだが、ピアノのチューニングピンは四角形で普通の工具は使えない。どうにかしないと・・・そして今年はCが切れたのだ。今後も予想される。どうしようか・・・・じゃ、いっそ自分で調律をやろう、と言う乱暴な?話になったのである。道具がないとどうにもならん、のであるが、道具さえあればなんとかなるぜい、という裏道に走ってしまったのだ。で、その道具っていかほど?と言う疑問。webで調べてみると2万円とか3万円とか・・・ところがオークションで「手製でよけりゃ3千円」というのが見つかったのでかっちまったのだ。コーラスをやる人が何から音を取るか?音叉、ピッチパイプ、ピアノのどれかだろう。クロマチックチューナーなんてはじめて知ったのだが、正弦波を分析して、これは何の音でどのくらいはずれている、と言うのを視覚的に教えてくれる。自宅のピアノを試してみたら、ほとんど狂っていない。(いかに使ってないかの裏返しだ)自分の声。これは正弦波ではないのでメーターを見ると全く合っていない。しかしピアノとは合っている、(慰め半分か?)とにかく面白い機械だ。こんなのが2千円そこそこで手にはいるのだから日本は裕福だ。ピアノ全体をいじくり回すのではないから年に1度程度の音あわせだ。気軽にやってみよう。それにしてもこのピアノのサイレンサーはほこりだらけだ。かわいそう!
2005年07月18日
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東京オリンピック以前の話なので、今となっては??と思わないこともないけれど、当時の世相みたいなものが思い出される歌だ。楽譜も今は分からなくて、著作権にふれる可能性も考えられるのだが、こんな詩だった。母は(母は)心の力 いつの日も優しい瞳 祈りもて愛したもうああ 我が母は 家の光 家ののぞみ とこしえに40年もたってなぜ覚えているのか、自分でも不思議だが、よほど強いインパクトを感じているのだろうか?でも、当時の母親像みたいなものを感じさせる。倍賞千恵子さんの「下町の太陽」にもこんな一節がある。下町の屋根を温める太陽は 貧しくも笑顔を消さぬ母の顔悩みを夢をうち明けて 路地にも幸の来るように経済レベルの低かった時代であるが、貧しくても生き抜いていくシンボルが母親だったのだろうか。今よりも賃金レベルも低いし、社会保障も充実してはいない。それでもたくましく、明るく生きていたのは「母ちゃん」だったのか。貧しい時代だったから目標も明らかだったのかもしれない。今、多少ともこそばゆい気がするのはなぜだろう。こんな親だろうか。なんだかもっと情けない親でしかない気がしている。今も昔も父親は影が薄い。先の詞の作者をご存じの方があれば教えてくださいね。
2005年07月18日
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小学校5年生で始めたコーラスは、まず最初にやったのが「朝の並木道」。いまだに曲名を覚えている。そして、当時確か低音部を歌ったのだが旋律も覚えてしまったので小節ごとに2つの声部を行き来しながら歌うようなこともしていた。階名でも未だに歌えるので、よほど入れ込んだか先生の指導が良かったのだろう。「朝の並木道」 安藤一郎作詩 川口 晃作曲 と、今でも調べられるので本当に長く歌われているようだ。私の地元でもつい3年ほど前に児童合唱団が歌っていた。あまりに懐かしくて一緒に口ずさんだのをしっかり同僚が聞いていて、maetosさん、こんなの知ってるの?と聞いてきた。「これ、私が5年生でやった曲だよ。」そのほか、「あさりのうた」とか「歌えおどれ」とかやりましたが、こっちの方はその後歌われたこと、あるんだろうか・・・あのころの仲間と、今あえて、歌えたらすごいなあと思う。
2005年07月16日
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コーラスというものに初めて関わったのは小学校4年生で市の音楽会に出たときだった。各小学校で音楽クラブとか歌唱クラブとか器楽クラブとかあって、それらの持ち寄りと選考基準はわからなかったがほかになにがしかが出ていた。そのなにがしかだったのだが、はじめて自分の学校の歌唱クラブの歌を聴いてすごいなと思った。器楽の方が格好は良かった。当時は今みたいに楽器が豊富にあった訳ではなく、せいぜいマリンバだの鉄琴だのと言ったレベルだが、それでも両手を使って見事に演奏するのだからこれもすごい。私は手の動きが何とも不器用で、「お前は運動神経がだめだ」と親からも兄弟からも言われていた。5年生からクラブに入れる。というか「入らねばならない」という風だった。それで歌唱クラブに入った。何より経費がかからない。年に3回ほど隣町のコンクールとか大会に出るだけだった。その汽車賃が往復100円ほどの時代である。そのときのNHKの課題曲だった「雲にのって」に魅せられたのだ。が、課題曲の宿命はその年限りなのである。自分が入ってもその歌を歌わせてもらえない。顧問の先生に「これが歌いたくて入ったんですけど」と直訴したら、シーズンが終わってから「6年生は去年もやったけど、いい曲だからもう一度やろう」という配慮?で歌えることになって、このときは本当にうれしかった。それから40年。中学/高校は2年しか音楽がなく、また中高一貫の男子校と言うこともあって何もできなかったが大学で再開。お世辞にも強豪校ではなかったがどうにか今まで途切れずに続いている。やっぱり同類を求めるものが集まってくるのだろう。
2005年07月16日
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