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高級品市場と汎用品市場のグローバルな視点で見た場合にはその成長性において大きな開きがあり、世界経済にどんどん巻き込まれている今、企業の立ち位地をはっきりさせないと、あっちゅう間にM&Aの標的になったりする。日本ですべての業務を行なうというモデルであれば、現状の世界での主要市場である汎用品で勝ち抜くのはほとんど不可能やないか。中国が世界の工場化していて、全世界に対して汎用品を供給している現在の体制は、未来永劫なものではなく、この汎用品に対する工場という地位は、用意にその地理を動かしえる。中国の労働人口をかんがみた場合に、一人っ子政策の影響から労働人口の縮小(少なくとも拡大基調の終焉)があり、また労働環境の改善における賃金の高騰などにより、すべからく現在の地位は変化を見せる。汎用品市場においては、製造付加価値ではなく、流通付加価値によるValueChainを見出すことが必要なのだろう。そして、この流通付加価値領域というのは、高いレベルでの業務プロセスの実行管理モデルを必要とし、先進的な企業体制、組織などが強みともなる。もっともこの強みは、その情報システムにより補強されなければならないやろね。ちょっと脱線したようや。要するに、高品質の限られた市場でのニッチプレーヤーになるのか、それとも汎用品市場でも戦えるだけの企業生産性を身に付けてグローバルプレーヤーとなるかの選択が必要となる。そして、それにしたがって企業の商品戦略もかわり、商品開発も変革が求められる。いずれにせよ、自社がどの市場でどのようにシェアと利益を獲得するかのビジネスモデルによって、企業全体の組織体制も変わってこなければならない。もちろん、その製品の生産モデル(受注設計、受注生産、見込生産)によっても変わってこなければならない。この市場モデルと生産モデルのマトリックスに応じた企業戦略、商品戦略、そして設計開発業務へと落とし込まれなければならない。さらにいえば、その企業で生産している製品(群)すべてが画一的なはずもなく、それぞの製品(群)に応じて適切なプロセスとそのプロセスを管理する能力が必要なはずや。ところが、企業の業務モデルや管理の形態を考えると、単純に売上やシェアといった個別要素が大きく単品、ブランド別の利益(これも製品ライフサイクルに応じたという言葉がつくべきやろね)を主要管理ポイントにしてたりするのはなかなかないんちゃうかな。業務モデルを定義して、そのプロセスを定義して、それにあわせて情報システムを作成するのでは、変化を内包することも大変やろう。全体の標準化としてパッケージを入れるっちゅうんは実はプロセスごとの力をひきだし、それぞれの製品に応じた最良の業務を遂行するという「目標」に対してはそのギャップは埋まらないんちゃうかな。だから業務間のデータ整合と、業務ごとのフレキシブルな(そのゆれからは部門、業務で異なるやろけど)プロセス遂行を支えるシステムが正解のような気がしますわな。
2006.08.31
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今日、webマガジンを読んでいると、「社長になったら、毎日7時までに来て仕事をするのを3年間休み無くやってください。これで失敗した社長はいません。」とありました。ふ~ん。逆にやってない人はどれくらい失敗するのかな。ワシが知っているだけでも・・・(爆)
2006.08.31
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何よりも日本経済において外貨を獲得し、経済を牽引してきたのは製造業だが、その内容は変化してきている。勝ち組となっているトヨタ自動車は別格として、グローバルでは苦戦をしている業種が多くなっている。そのトヨタ自動車でさえ、グローバル市場を全体で見た場合に、大衆車という土俵では、最強とはいえなくなっている。東欧での大衆車の価格帯に対して世界戦略車のヴィっツは少なくともその価格においては、競争優位を確立しているとはいえない。同じように世界中にそのブランドを鳴り響かせているソニーにおいても本業のエレクトロニクス事業は、2005年度は赤字であった。つまり、日本の製造業は高付加価値という土俵では戦えても、汎用品という世界市場においては苦戦をしいられているのだ。そして、この高級品という嗜好品の市場は世界経済の拡大にあわせて拡大し続けているというものではないのが問題なのだ。汎用品と高付加価値商品の市場の伸びの違いは厳然として存在し、世界市場において、高付加価値の商品が高いシェアをもって存在し続ける市場はそれほど多くないのだ。今後も拡大する可能性があるのは、日本、韓国、中国富裕層(中国は2極化が進み、市場経済への移行が完了されたといえる大都市居住者市場)など数カ国にすぎず、振興市場はもちろん汎用品がほとんどでなのだ。アメリカはその国内市場においてマジョリティを占めるのは中低所得者層である。欧州は分化が進んでいて高級品が求められる層が決して増えてはいない。
2006.08.30
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いやぁ、たまに外部のセミナーに行くのは勉強になるなぁ。今日の会社は、いわゆるコンサルティング会社の弱いところ、ちょっとおかしなところを突いていて、そういったところがまた共感できるものだからちょこっとぐらっときた。それに加えて業界に対する見方もなるほどと思わせる分があり、刺激を受けた。特にこれまでは連続生産をベースにした原価管理、コスト管理の問題点に対して、回収と投資の差額から価値を求めるプロジェクト生産という考え方がよかった。両者の何よりの違いは、プロジェクト生産においては、時間という概念があって、その時間という概念を内包することで、時間という管理軸を的確に評価の土俵に乗せられる。この時間がないとだらだらとコストを垂れ流しもしてしまうってもんだ。
2006.07.29
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正しい判断は正しい情報からしか生まれない。結果的に正しかった判断が間違った情報から得られることがあってもそれはフロックであり、いかに正しい情報を得るかは判断の前の重要な仕事になる。信長が桶狭間の戦いで勝利したことには運もあったろうが、当時の状況であれ以外の作戦で今川を自国に敗退させることはできなかったのはほぼ間違いない。戦国時代の戦いが総大将が討ち死にすればそれまでどれだけ優勢であっても負け戦になってしまうことからいかに今川義元の首をとるかという点に戦略を集中している。その戦略を実現するために、必要な情報の収集と相手側への適切な情報の提供までをあわせてできるだけ行っている。通信の発達していなかった戦国時代はともかく、電話、FAX、メール、インターネットと通信手段の発達した現代においては、情報を入手することは格段に容易になっているが、それでも【正しい】情報を得るのが難しい。それは、【正しい】ことの判断基準をもつこと、それを正確に適用することの2つが意識的になされなくてはいけないからであって、この【正しさ】をどれだけ、日常にとけこませるかがある意味、内部統制といえるんやろう。社会保険庁でいえば、業務の目的という正しさがあった上で、それを計測するモニタリングがあり、そのモニタリングは正しい業務の結果もたらせるものであって、その数値にあわせるために業務を変更してはならないということが実現されていなかった訳で、まさしく内部統制上の問題であることが分かる。内部統制上の観点からいえば、日常業務の現場でのモニタリング環境が優先(最重要のポイントとして)されず、経営上の数字のみに特化した数字をチェックしているに過ぎなかったのではないか、というポイントとして捉えられる。あるいは、この業務命令を遂行する上でのリスク要因を明確に定義の上、そのリスクをやはり管理しきれなかった片手落ちという問題ともいえる。この問題を3層構造の問題として結びつけるのはあまりにも短絡的であって、3層構造だから業務がうまくいかなかった理由にはならない。流通においては、メーカー、卸、小売店という3層構造になっているけれど、きちんと消費者に適正な価格で商品が供給されている。ただし、流通の場合は、この構造が外部統制であるため、それぞれに対する評価とその反映のしくみが強制的に備わっている(ルールにはずれれば、取引から退場させられる)。それに対して、初回保険庁では、通常の外部環境ではないので、それなりの内部統制を行う必要があったのだ。
2006.06.01
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システムってのは、きちんとプログラムを書いたとおりにしか動かないんだけど、あたかも自分の意思をもって独立して動いてるんじゃないかって錯覚するくらいよくできているプログラムがある。一方で、なんともうまくいかないシステムも多々ある。システムで何をさせるかが決まった後に、いかに気持ちよく、つまり人の想像する挙動の通りに動作させるかでシステムの質って評価されて、そこのところのI/Fや処理をうまく設計することが重要であった、その設計どおりに動かす用に作るプログラマはその指示をうけてコーディングするってのが役割分担なんだけれど、これがなかなか難しい。というのは、詳細に仕様を書きすぎると、手間が面倒だとか作った方が早いって面だけじゃなくて、開発環境によっては、そのI/Fとしての作り方に制限があることもあって(というか多いけど)すべてが自由にできるわけじゃなくて、実現できるかどうかの兼ね合いが大切なのだ。でも、もっと大切なのは本当にシステム化が必要なのか、定量的に管理が必要なのかってところで、システムは万能ではない。たとえば、クレーム処理がどの製品に対して発生したのか、誰がクレームをしたのかをそれぞれ製品IDや担当者ID、顧客IDとひもつけるんだけれど、じゃクレームの中身で誰が、どのようにして対処したかってところをすべて分類のためにコード化したり、ID連携をしたりするのは結局、登録が面倒なしくみになってしまうことが多い。ここで大切なのは、蓄積された情報がどのように利用されるかって視点なのだけれど、ここの利用についても何でもかんでもコード化すればよい訳じゃないし、コード分類自体がいつまでも変更が発生しない訳でもない。そうするとコードの変換用の処理がまた必要になってしまうんだ。クレーム処理でいえば、製品に対してのフィードバックと、部品=その部品が使われている製品に対してのフィードバックがきちんと行われて、それが部品、製品という軸から再利用できるようになっていれば、もともとのクレームそのものをそのために必要以上に分類することはない。新製品の開発のためであれば、旧製品の情報にひもついていればそれでよいのだ。で、そのひもつけるしくみよりも、新製品の開発の時点で、過去のそういった情報をきちんとチェックするかって業務が連動されているかが重要になる。こういった業務手続きと文書(クレーム文書そのものをデータ化するってこと)と製品データが連携する環境が、業務ポータルシステムってことになる。この業務ポータルシステムによる文書データの活用環境が整えば、いたづらなデータ化の失敗に陥ることが避けられるってことで、システムの使いようがすっきりするんや。
2006.05.24
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小さな世界の間違ったルールに流されないためには、一つ上の大きな世界からの視点をあてるってことが大切だってことは前に書いた。で、この視点をあてるってことを日常の業務にすることが一つの解決策だっていうたけれど、その中身が理解できなくては、その機能も働かない。よくあるのが、技術部門の暴走ってことで、専門家に任せていたので大丈夫だと思ったって奴や。よくよく話を聞くと最初はきちんと報告していたのだけれど、何を聞いてもどうせ中身が分かっていないって軽くみられたり、ちょっと大丈夫かなって思っていたのが、すんなりと通ったのがエスカレートしたりってことが多い。いきなり、大技を繰り出すのは難しくて、小さな技を積み重ねてからなのだ。で、こういった場合について有効やないかって思うのが、チェックのプロセスさえ通せばよい、って状況を改善することなんや。報告したタイミングだけでなくて、日常の業務として何が行われているのかを白日の下にするんや。成果物だけを管理するのではなくて、仕掛りを含めて見れる状況を作ることで、どういう方向に行こうとしているのかがはっきりとよくわかる。中身が100%分からなくても、どのように変化しているかをつかまえることはよくわかるし、その変化の方向性や、以前との比較においてより理解しやすくなる。で、この理解しやすい環境ってのは、リスク管理だけやなくて、ノウハウの蓄積という意味でも重要なわけや。
2006.05.23
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会社は誰のモノなのかってところで、ちょっと前のホリエモン逮捕までは株主のものってのがあったけど、あれって違うと思う。会社が運営していくお金ってのは、結局お客様からしかこなくて、そのお客様に満足いただくためには従業員がきちんと仕事をしなければならない。お客様第一ってかけごえだけで、従業員には過酷な労働をやらせるのは絶対に巡り巡ってお客様に影響がでる。おためごかしではなくて、その意識で従業員とも接するのが経営者の素質なんやないの。経営者はお客様からお金をいただいて成り立っているのに、株主をお金をもらう出されるなんて意識だったりともすれば株主に対してより敏感になっているのは本末転倒でしょ。きちんと会社のお客様への提供価値を第一に考えてることが株主としても評価しなければならないはずなのに、投資対効果に踊らされると会社の本質を見誤るんやないの。株主のお金ってのは、所詮は投資であって、命に次なのはお金といういいかたもあるけれど、所詮金にしかすぎない。金は流通するものであってそれ以上でも以下でもない。金で流通する先にあるものが価値とよばれるものやろ。
2006.04.29
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何でも今は好景気でいざなぎ景気を超えそうだということですが。まったく実感ありませんから。だいたいこの景気回復っつうても、マイナスになっていないだけで、劇的なプラスやないから。やっぱり日本という全体のパイ自体が均衡しているため、儲けているといっても市場自体は海外な訳や。町々の商店街が活気にあふれた地域社会になって生活の豊かさを感じたい。大きなショッピングセンターは楽しいけれど、豊かな感じがしますか。非日常になりますか。地方にいらんハコばっかりつくった行政に対して、町の中心街の再生をお願いしたい。国に金がないから地方自治という身もふたも事実はあるけれど、地方再生には地方裁量が必要ですわな。目先の数字だけの好景気ではなくて、生活にお金が循環する経済をどうするかという大きな枠組みで政治をしてほしいで。
2006.04.17
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技術力ってのは、新製品を生み出す力や、特許の件数として比較されるけれど、それを生み出す会社の財産ってのはなんだろうか。単純にデジタルデータとして表現されるものではなくて、人と人の融合によって生み出されるものであり、その融合性をどうやって作り出し、どう文化として定着していくかが重要やろう。そういうことを含めて、技術を融合させ、製品として完結させる開発プロセスを遂行する力が技術力の中の組織力として最も大切。あと2つ加えるとすれば、過去の設計資産として蓄積されたノウハウとそれを遂行する人材そのもの、この3つを総合して技術力といえるんやないか。ってな話しを今日のセミナーでやったんだけど、前のセッションがPLMとしてデータありきのITよりの話しに終始していたんで、それに対応させたしゃべりにすることでポイントが示しやすかったなぁ。実際にアンケートやその後の展示スペースでの感触も良好やったし。肩の荷がおりましたわ。。。
2006.04.12
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仕事の話しがないとつまらないって掲示板に書いてあった。。。誰からか見当がつかないけれど。組織運営について役割を個々にきちっとまとめてする方法と、チーム方式がある。個々に役割を明確にしてそれぞれに評価して、それを年俸として管理する方式がどうも最近はばをきかせているようだけれど、全体の成果を生み出すしくみとしてはチーム方式に及ばないんやないか。もちろんチーム方式がきちんと機能した場合だけれど。。。ある特定の目的を達するためのタスクフォースとしてチームを組織し、そのチームが有機的に機能するように全体バランスをとっていく。チームの中で求められた役割はチームとしての全体最適のために稼動しなくてはならない。そうすることでチームの問題意識と解決のためのノウハウ、スキルの移行といったことがうまく進んでいく。単純に数字をまとめるだけの存在ではなくリーダーとして、全体最適のために調整する役目を果たすから組織にする意味がある。そうでなくてただ役職がついているだけのリーダーなんてまったくいらない。前に、会社の区切りで、20、100という数字をあげて、20は営業、技術、間接部門が最小のチームメンバー内で済む状態、というのをあげた。もちろん会社自体が大企業であっても自分のキャパの範囲がこの8人や20人程度だったりすることも多い。で、うちの会社はこの20って単位で、何もしなくてもチームとしてまとまることができるはずなんだけど、うまくまとまっているとは誰も思わないってことは、100人の会社になるための成長の方策ができあがっていないってことや。少なくとも、営業、技術のメンバーがツーカーになるための努力をそれぞれのリーダーがきちんとしているのかってところが。。。
2006.04.09
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親の背中を見て育つ、というように密接な関係を通じて、人間は通じあうことができる。親子という関係でなくても、阿吽の呼吸で仕事ができる仲間もいよう。そして、この関係が生死を分ける軍隊において、その気心の知れた仲間となる小隊は海兵隊では8人までなのだという。会社では、様々な役割があるが、営業系と技術系と間接系に大きく分けて、それぞれx8。間接系だけはx4にすると合計20となる。実は、この20人というのが零細企業かどうかの境い目な気がする。もちろん中小企業という定義自体、資本金だとか、従業員数とかがあるんだけど、ワシの感覚では、1人、数人、20人、100人、それ以上ってところや。1人は個人の一匹狼で組織ではない、数人というのは、仲間がそろった状態。20人というのは、能力のある仲間がそろった状態で、営業と技術(と財務)のリーダーがいる状態。そして、100人というのは組織という形をなしている状態で、100人を超えると会社を運営するためのしかけが必要になる。逆にいえば自分が気のあう仲間だけで仕事をしたいのであれば、せいぜい20人程度までの会社になる。気の合う、合わないは別にして、ビジョンとビジネスモデルをカリスマで引っ張れるのは100人程度まで。それ以上大きくするには組織を構築しなければならない。そして人の能力の発揮できる背景として、これらのどの組織でもそれなりに働ける人もいるし、そうでない人もいる。大きな組織の中で自己責任が希薄な状態でしか仕事ができないとう見方もあるし、大きな組織でも大きなうねりをつくりだして大きな仕事ができる人もいる。ベンチャーに対する期待は大きいけれど、この20人、100人を突破できるように、それぞれのステージにあわせて自己変革できたり、トップ運営をかえたりできる人が成功している気がする。人間関係で悩む人は、このプラトーンとして運命共同体としてストレスのない居場所が見つからないのやと思うんやけど、どやろか。
2006.04.07
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