がんサバイバー 0
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ナイトマーケットを後にして、一路空港へ。車の中で、ガイドのピシットさんの絵を見せていただく。スラスランの池を見ながらだったか、ピシットさんは幼い頃のことを話してくれた。ポルポト時代のその頃、お父さんは病に倒れ、お母さんが一人で家計を支えていたそうな。彼は好きだった絵を描いて、観光客に売り、お小遣い(いえ、一家の生活費)を稼いでいたという。「小さな子が絵を売ってるのがかわいそうと思って買ってくれました」、とピシットさん。またその頃タイとの国境近くに住んでいたので、国境を越えてタイの小学校を窓の下からのぞいては、タイ語を学び、勉強したそうだ。(彼の苦労に涙が出ます)ようやく、ポルポト時代が終わりをつげ自由が戻った時、お母さんが、これからはアンコールワットを見に外国からたくさん人が来るようになるから、外国語を見につけるといいと話したことから、外国語を学ぶようになったと話してくれた。もとは、英語が専門だったが、10年前に日本人と知り合い、互いにカンボジア語と日本語を教え合って勉強し、日本語がわかるようになったと・・・だから、彼はカンボジア語、タイ語、英語、日本語が話せると言っていた。「もう、絵は描かないんですか?」と尋ねたら、絵を描くのは好きなので、今でもガイドの合間に絵を描いているとのことで、ぜひ見たいと言ったら後でお見せしますと言ってくれたのだった。(一枚くらい買わせてもらってもいいかな、思い出に・・・と内心思ってた)その絵を彼は車の中で見せてくれた。遺跡の絵が多かった。これもいい、あ、これも素敵、と何枚も選んで「一枚いくらですか?」と尋ねたら、2000円ですとのこと。(え?ちょっと高い?2枚で4000円、3枚で6000円…これはちょっと痛い・・・)と内心あせって、結局2枚を選んで買わせていただいた。(ケチな私です)朝焼けのアンコールワット アンコールトムの仏顔絵には一枚一枚ビニールが覆っていて、結局そのまま部屋の壁に貼られている。それを見るたび思い出すカンボジア・・・ カンボジアの空港は、入口がそのまま搭乗ゲートのようになっていてパスポートとチケットを持った人しか入れない。車を降りたら、そのままそこでガイドさんや運転手さんとお別れ。最後に一緒に写真撮りたいのに、と思ったが、そんなゆとりはなさそう。運転手さんの写真が一枚もないので、彼だけ写させてもらい、さよならと手を振った。「中に入ったら、カウンターに行ってください」とガイドさんは最後まで私たちの今後を気にかけてくれる。わかりました~ありがとうございました、さようなら~とあわただしい別れ。こんな空港もあるのね。 3日間お世話になった運転手さんです飛行機は、23:50発のアシアナ便。待合ロビーに入ると、周り中が韓国人だらけ。同じような出発時刻に他に2便もソウルへ飛ぶのだ。大韓航空ともう一つ違うエアラインがあった。日本からの直行便はないらしいのに、韓国からはたくさん飛んでいるのに、びっくり。こうして、12月30日の深夜にカンボジアを後にしたのでした。さようなら、カンボジア~~~~ (アンコール観光 終)
2010.06.21
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午後6時にホテルもチェックアウトした後、飛行機の時間までまだ時間があるので、ナイトマーケットへ。カンボジア最後の観光。観光とはいうものの、その名の通り、マーケットなので、いろいろな店をひやかしながら、家族へのおみやげを物色した。 入口の看板 入口はあまり人がいなくて気の毒… ドクターフィッシュのお店やってみますか?とガイドさんに勧められたけど、う~ん、ちょっと抵抗がある…お客さんの皆さんは気持ちよさそうでしたけどね。 民芸品店 アクセサリーショップ数年前に外国人観光客用にできたナイトマーケットなので、生活感が漂うおしゃれな雰囲気のマーケットで、安心して見て回ることができた。ほとんどはおみやげ用の商品なんでしょうね。銀製品のアクセサリーがとても安いということで、日本から買い付けに来る人もいるとか。私も小舟母さんにブローチを買いましたよ。ささやかなお礼に。(喜んでくれました) 波太郎父さんには、何買っていいか迷って、結局木彫りの仏像に…おがんでちょうだい、と渡したら、「おう、ありがとう~」と言ってはくれたが、それきり居間におかれたまま。全然見向いてくれてませんね(いらなかったかな~)
2010.06.20
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私たちの泊まったホテルは四つ星のBorei Angkor(ボレイ・アンコール)リゾートホテル。口コミがどれも「よかった」と書いてあったのが選んだ理由。確かにゆったりとしていて、静かでよかった・・・ただし、深夜遅くに着いて案内された部屋のカーテンを開けると・・・ エアコンの室外機の並んだ横の部屋だった・・・夢もロマンもないわ~~~ おまけに低い唸り音が~~~~朝になったら部屋を変わりたいと申し出てみようと思ったが、荷物を解いたマスオ君は、寝るだけだからここでいいと… 旅行の日程表を見ると確かにホテルでのんびりする時間もないので、ここで我慢することに・・・あっという間の3泊3日間。 ゆったりした室内 NHKも映ってました おしゃれなバスルーム プールもあります ホテル正面 ホテルへのアプローチ電気も水道も十分に届いていないカンボジアの貧しさを思うと、こういうホテルリゾートは別世界のよう。ホテルで蛇口をひねってお湯で体を洗うのに、後ろめたさを感じたりもした。ホテルで働く人たちってどう思ってるんでしょう。貴重な水や電気を当たり前に使っている観光客を見て・・・無駄遣いしないようにしなくちゃ、とちょっとだけ心がける。従業員の人々はみな感じよかった。なかなか仕事がないカンボジアの人々にとって、ホテルで働けることはラッキーじゃないかと思える。いつか再びカンボジアを訪れるとしても、またこのホテルに来たいと思う、そんなホテルでした。(次はもっといい部屋に…)
2010.06.20
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カンボジアの信号です。 赤信号 青信号は矢印で赤信号も青信号も残り時間が表示されるのは、イライラしなくていいかも・・・ 道一杯に広がって走るバイク 大きな荷を運ぶオート三輪カンボジア人の足はほとんどがバイク。値段は15万円ほどで、誰でも乗れるらしい。(免許いらないんだったかな?)でも、最近はバイクの量が増えて、交通ルールも関係なく走るので、交通事故も多発し、いずれ免許制になっていくだろうとのことでした。
2010.06.14
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クルーズから帰ってくる車の中で、何の話からそういう話題になったかもう忘れたが、とにかくカンボジアも人が死ぬと火葬にするそうで、お墓に骨を入れるのは日本と同じようだと思った。そしたら、市内に入った大きなお寺で車を止めてくださり、予定にはないがカンボジアのお墓見せてあげると案内してくださった。 このカラフルな小さな建物がお墓だそうです。正面下部にドアがあり、その中に骨壷を入れるのは、日本のお墓と同じ。でもデザインも色合いもいろいろで、その点異国の雰囲気を感じます。お寺も日本のお寺とは違い、タイに近い。明るく感じます。
2010.06.14
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午後はオプションで申し込んだトンレサップ湖へのクルーズへ・・・クルーズっていう響きがしゃれたものをイメージしていたのだが、カンボジアの現実を目にするにつけ、クルーズはどんなものやら・・・船着き場に着くと、目の前の河は黄土色に濁ったどぶ川のよう。おまけになんだか生臭さが辺りを漂う・・・ここには約7,000人の水上生活者がいるが、そのほとんどはベトナムからの難民で、この河で生まれ、ここで育ち、ここで一生を終えていくそうだ。カンボジアの貧しさの中にあっても、ここに住む者は更に貧しきものとして差別され、陸にはあがれないそう。河にはこの人々のための病院があり、学校もあり、生活に必要なものはすべてこの河の中でまかなわれているという。信じられない話に、ただびっくり・・・船着き場にはベトナムから段ボール箱に詰めたたくさんの荷物をもった人たちがたくさんいる。ボランティア団体が、ときどき、自分たちの同胞に差し入れを届けるのだそうだ。私たちの船は、小さな木船に屋根が付いたシンプルなもの。船を動かすのはまだ子どものような男の子。この子の船らしい。家が貧しいので、学校をやめてこうして働き生計を助けているそうな。日本で17歳と言えば高校生、スポーツに遊びにと将来の夢を描きつつ人生を謳歌している年頃。なのに、この子の目は何の希望も見出せず、人生の終点までつづく否応のないレールの上をただ行くしかないそんなあきらめのような静かさで、胸が痛んだ。 後姿を写すのが精いっぱい・・・ ボートハウスが並ぶ・・・ 葦でできたような家 家の中では昼間から男たちが遊興を・・・ きれいな家もあり、テレビも見える 船は自家用車のよう 学校 たくさんの子が船で通っている 目の前は海のように見えるが・・・ ここからがトンレサップ湖 雨季と乾季とでは大きさが3倍も違い、伸縮する湖と言われているそう。 おみやげやさんです。竹を組んだ上に家が建っている。筏のよう。 ナマズの生簀とワニの養殖場。ワニがごろごろ。ワニ皮にするためとか。 この中がワニの家。 小さな子が大きな蛇を囲っている。クルーズの途中で、小さな子が3人ほど乗った船が近づいてきて、大蛇を手にして見せてくれる。人懐っこく笑って話しかけてくるが、ガイドさんは、この子たちはその姿を写真に撮らせて観光客からチップをもらい、小遣いにし生計の足しにしているが、これは違法だから、絶対にチップを上げないでと言う。本来なら学校に行っている時間に抗していることは悪いことだとこの子たちもわかっていて、ときどき警察のパトロールが回ってくると、逃げ帰るそうだ。厳しい現実だけど、子どもたちはたくましい。 左の船が私の乗った船カンボジアの貧しさは、アンコールワット観光の中で十分感じられたが、それ以上に、この水上生活者の存在は、カルチャーショックだった。ここから抜け出せない生活。どんなに努力しても、ここで生まれたらここで死んでいくしかない現実。炊事も洗濯も排泄もすべて船の上で、この河の水ですますという生活。この河の中でしか生きていくことができない一生・・・このクルーズはアンコール観光の中でも一番の重い印象になった。 <付記> 先月たまたまテレビで入っていた世界ウルルン滞在記リターンズ。「市川実日子がトンレサップ湖で暮らした」というので、見てました。モデルであり、女優でもある人が、あの場に1週間もホームステイするなんて、私には信じられなかった。臭い、清潔さに関して受け入れ難く、申し訳ないけど、私は絶対無理だと思ってたから。彼女の人間性の素晴らしさを感じました。
2010.06.12
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お昼ごはんに入ったのは、日本人が経営するカンボジア麺のお店。そこでデザートにかぼちゃプリンが出ました。かぼちゃプリンと聞いて想像したのは、もちろん こんな感じ・・・でも、最後に出てきたのは、 これです!もろかぼちゃの形そのままで、ココナッツミルクがかかっていました。お味は・・・ う~ん、甘かったです!
2010.06.05
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旅行会社のサービスで、アンコールバルーンに行きました。実は前日の朝、アンコールワットからの朝日を見た後にバルーンに乗る予定で寄ったのですが、空は晴れてはいたものの上空は風が強いらしく、その日は上がらなかったのです。そんなわけで、今日は大丈夫かと思いながら近づいていくと、あ~!バルーンが上がってるのが見えてきました。 真下から見上げると… ワイヤーでつながれてます 上昇開始 望遠でアンコールワットが見えます 望遠で夕陽を見たプノンバケン 遠くにアンコールワット 四方がこんな風景です 気持ちいいね~ ロープは地上への命綱10分の遊覧でした。遊覧船みたいに動かなかったのは残念でしたが、空の上からの展望はよかったです。カンボジアの中でも農村地帯なんだと思いますが、見える景色はほとんどが田園でした。のどかな風景が、幸せでありますように。
2010.06.05
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午前の最後の観光地です。タ・ケウ寺院…でもここは未完成のままガイドブックによると、11世紀初頭に造営が始まったが、王の突然の死によって、石材を積み上げた状態で放置されたと書いてあり、別の説には建設中、中央祠堂に雷が落ち「これは神の怒りで、建造すると悪いことが起こる」として建設を中断したとあったが、ガイドのピシットさんは、雷説を話してくれた。雷が落ちたものは縁起が悪いので、中断したとのこと。 穴場のような遺跡です 塔のシンプルさがわかるかしら? 写真を見てわかるとおり、階段はとても急で、ここは正規の観光コースとしては中には案内しないことになっているそう。ここを訪れるのは、みな個人旅行客とか。実際、去年、ここを訪れた26歳の日本人女性が足を踏み外して転落し、シェムリアップの病院に搬送される途中に亡くなったらしい。そんなニュース知らなかったが、公にしないようにカンボジアの外務省?が働きかけたとか…。気の毒でしたと、ピシットさん。せっかく観光に訪れて、命を落としてしまうなんて、本当に残念なこと。ご冥福を祈ります。
2010.05.23
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アンコールワットを訪れてからもうすぐ半年になろうとしています。早い~。日記を書くのも、ペースダウンでなかなかアンコールワットから飛び立てません。6月になるまでには、ソウルに向かいたいです。忘れないうちに書き留めたいし…さて、スラスランを元来た道のほうに戻り、本道を超えて反対側に向かうと、そこが次の目的地、パンデアイ・クディです。 左手の建物はさっき右に見えたお土産やさん。ここをまっすぐ反対側のほうに歩いて行くと、次の遺跡があるのです。 またまたお顔の門が迎えます。 いつも黄色のガイド服を着たピシットさん 額縁のような窓が美しい造形 とうもろこしの頭のような塔が並びます。 現地の子ども。写真にはほとんど撮りませんでしたが、遺跡には現地の子供たちが遊んでいたり、お土産を売っていたりしています。生活のために生きている子どもたち。たとえ写真のモデルだって、チップを求めているのです。チップを上げるのが嫌というより、そういう姿を写すことに罪悪感を感じて、カメラは向けられませんでした。でも、この子ども、とてもかわいい子。ガイドのピシットさんが飴を一個手渡したら、ニコッと笑った顔が可愛くて、思わずシャッターを切りました。この子が大きくなるころは、もう少し豊かなカンボジアになってるでしょうか。
2010.05.21
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プラサット・クラヴァンを後にして向かったのは、人工池のスラスラン。王様が寺院にお参りする前に身を清めるために造らせた沐浴用の池らしい。でもその規模、東西に700m、南北に300m。とても大きい。 スラスランに向かいます。もう目の前。 右手はお土産やが並んでます。 左手は池に向かうテラスです。 テラスの先端から池を望みます。 美しい池です。 おや、あそこに人が・・・ 何してるの? お洗濯でした。この辺りはもちろん、水道は引かれていません。ですから、この池は付近の住民にとって貴重な生活用水の場だったそうです。でも今は、世界遺産の遺跡群の中に入ってしまったので、水浴びや洗濯などは禁止されてるらしい。それでも、監視の目をかいくぐって、こうして利用しているようです。そう語ってくれるガイドのピシットさんの目は非難するのではなくて、優しさに満ちてました。電気も水道もまだまだ普及していないカンボジア。一日も早く人々の暮らしが豊かなものになるのを祈ります。
2010.05.09
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2009年12月30日(水)カンボジア3日目の観光です。今日は午前は、小回りコースと言ってシェリムアップ近くの小さな遺跡を回る予定。午後は、オプションで入れたトンレサップ湖のクルーズです。ホテルに戻って夕食を食べた後、チェックアウトしてその後ナイトマーケット散策。夜10時には空港に向かい、11時50分のアシアナ便でソウルに向かいます。カンボジア最後の一日を楽しみたいと足の痛みをこらえて出発・・・最初に向かったのは、プラサット・クラヴァン 塔の内部にはヴィシュヌ神やヴィシュヌ神の妻ラクシュミーの像が彫られている。ガイドブックによると、この遺跡はアンコール遺跡群の中でも特殊で、内部の壁面に浮き彫りが施されているのがとても珍しいそう。 建物はレンガ造りで、一つの基壇の上に5つの塔が東向きに一列に並んでいます。ヒンズー教の寺院でヴィシュヌ神を祀っています。フランス極東学院によって修復され保存状態は良く、美しい遺跡です。アンコールワット遺跡群と言われるだけあって、遺跡の多さにも驚かされますが、それぞれ異なった味わいがあって見ごたえがありますね~。
2010.05.03
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夜の食事はバイヨンレストランへ食事をした後、カンボジアの伝統影絵「スバイク」を鑑賞します。「皆様こんばんは。カンボジア伝統の影絵芝居へようこそいらっしゃいました。今夜の影絵ショーは、ボラン・ヴィチェット・グループによって演じられています」というカンボジア語での案内の後、影絵が始まった。演目は、1「戦う猿の話」 2「闘牛の話」 3「ヒンズー教神話『ラーマーヤナ』より」の3つ。簡単なあらすじを書いた案内のパンフ(A4サイズのコピーしたもの)を参考にしながら鑑賞。動きは手、足が上下に動くシンプルなもの。倒れるときは直線的に傾いてます。スクリーンの裏手を見ると、マイクを回しながら話しているのが見える。みんな若い子たちばかり。学生のよう?前列の子が人形を動かし、後列の子がセリフを話しています。ふと見ると、テーブルにデザート。真中はパイナップルです。おしゃれ~。手前の丸いのはブドウのような実。皮は固めです。ショーの後、見送りに出てきてくれました。みんな若くてかわいい子たちです。素朴な味わいの「スバエク」でした。
2010.04.24
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ベンメリア遺跡、バンテアスレイ遺跡と回っての帰り道、突然車が止まります。「いや~、すみません。タイヤがパンクしたようです。すぐ取り替えますので・・・」とガイドさん。車を降りてみると、たしかにタイヤはペッタンコ。すぐに運転手さんがタイヤの交換を始めます。タイヤのねじをはずすのに、よほど固くしめられていたのか、なかなか緩まず、道路わきの石を拾ってそれで打ち付けてねじを緩めてました。車はトヨタカムリ。でも水道の引かれていないこの地域では水は貴重なのでしょう。車はほこりにまみれて白っぽく、タイヤは、溝が消えてつるつる・・・思わず、こんなんで大丈夫かと心配に… 待つこと数十分・・・ 向かいにあった家。手前はヤギです。 道を行き交う人々。左は観光客を乗せたトゥクトゥク。右は学校帰りの女子高生。
2010.04.10
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シェムリアップからベンメリア遺跡まで郊外に1時間ほどのドライブだったと前に書きました。その道中、目に映る光景をカメラに収めようと四苦八苦。一本道をスピード上げて気持ちよく走る車なので、ふつうにシャッターを押すだけではブレてきれいに写せません。そんなとき、ふと思いついたのがカメラの連写機能。試しに切り替えて写してみると、面白いようにバシャバシャと写せませす。シャッタースピードが速いのでしょう。ブレてもいません。面白く写せるので調子に乗って、次々とシャッターを押したのでした。カンボジアの住宅は、ほとんどが高床式。床の下は農機具が置いてあったり、ハンモックがつるしてあったり。ときどきそこでお昼寝している人も見かけました。ガイドさんによると、昔トラが家に入ってこないようにと床を高くしたことの名残だそうです。洪水もあるしね。カンボジアは地震も台風もない穏やかな土地だからか、家の柱も壁もびっくりするくらい簡素なものでできています。木の壁はいいほう。葦か何か植物の葉でできた壁の家もありました。「三匹のこぶた」の家のような感じでした。この辺は田舎だからか、ガラス窓のある家は見当たりませんでした。必要ないのでしょうね。
2010.04.10
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アキラって日本人の名前みたいだけど、地雷とどういう関係があるのだろうと不思議に思っていました。地名なのか、地雷除去装置でも作った人なのかと。美しいバンテアスレイの遺跡を後にして向かったのが、アキラ地雷博物館。入り口に不発弾が飾られていました。中に入ると、隣の部屋から何やら懐かしい声・・・島田紳助のトークが聞こえる???テレビ?ビデオ?と、案内されるままに展示室に入る。おびただしい地雷の数々・・・地雷を除去するアキラさんの写真。博物館の名前のアキラは、地雷除去に当たるアキラさんのことでした。(追記:名前は日本的ですが、れっきとしたカンボジア人の方です)英語、日本語、中国語、韓国語と、何カ国語かでアキラさんの取り組みが紹介されていました。ポルポトに埋められた地雷の数や地雷を踏んで犠牲になった人の数も書いてあったかもしれません。危険を顧みず地雷を除去続けるアキラさん。大変な仕事なのに柔和な笑顔がそこにはありました。カンボジアにとってまだまだ地雷は現実です。過去のものにはなっていません。休憩しましょうと案内されたところで、先ほどのビデオがテレビから流れていました。なんでかと思ったら、紳助のクイズ番組でアキラさんのことを取り上げて、取材されていたからでした。実際に地雷除去に出向くアキラさんの様子がテレビに映し出されていました。地雷除去は地味な仕事です。でも気を抜くと自分の命にかかわり、見ているだけでその緊張感が伝わってきました。さて、クイズは夜通し十数時間かけて取り除いた地雷の仕事に、村長がありがとうとお礼を持ってきてくれた、さてその金額はいくらだったでしょう、という問題でした。貧しいカンボジアの人々のお礼の気持ち、命にかかわる大仕事を10時間以上も続けたのです。いったいいくら?答えは、確か60数円だったような。アキラさんはお金じゃないからと笑って感謝して受け取っていました。複雑なちょっと重い気分に浸りながら、博物館を出て、写真を撮ることなんてすっかり忘れていたことに気づき、あわてて正面から建物を写してみました。 並んでいるのがミサイル…平和のありがたさをしみじみ感じました。(興味をもたれた方は、「アキラの地雷博物館」で検索してみてください。もっと詳しく書いてある記事が見つけられると思います。)
2010.04.04
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昼食を食べた後に向かったのは、バンテアスレイ遺跡へ「女の砦」の意味を持つ寺院だったそうです。創建年代は967年。アンコールワットやアンコールトムのバイヨン寺院よりも古い遺跡です。ここは赤色砂岩の彫刻が美しくて有名… 遺跡に向かう道もすでに赤いです。 参道の両脇にはリンガを模した像(リンガって男根の象徴だったかしら?)右は、古代文字サンスクリット語?で書かれた門柱 環壕にある池です ヒンズー神話のレリーフ 烏天狗みたいなのがガルーダ。寺院を守る傭兵のようです。 右横から見た遺跡 裏側から見た遺跡 東洋のモナリザと言われる美しいレリーフ美しい遺跡でした。どうしてここだけ赤色砂岩やラテライトを使っているのか不思議に思いつつ…私はと言えば、赤砂の細かい粒子がサンダルの中に入り込み、靴づれで傷ついた足指を容赦なく痛めつけられ、遺跡の美しさに浸れないまま足を引きずりながら遺跡を後にしたのでした…
2010.03.28
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ベンメリア遺跡を後に参道を戻る道すがら、両脇の草むらに看板が見える・・・何だろ? 何かわかりますか? 地雷注意の看板です。アンコールワットの遺跡にはたくさんの観光客が訪れ、シェムリアップの街も活気にあふれているので、地雷のことなんてすっかり忘れていたが、ここにまだたくさんの地雷が眠っている危険地帯であることを改めて思い出させてくれる。少しずつ取り除かれてはいるらしいが、全部が除去されるにはまだまだ何年もかかるらしい。これより先に入ってはいけないというこの看板があちこちに設置されているそう。車に戻るのかと思いきや、ここで昼食をとりますとのこと。歩いたまま、道の角にあるお店に向かう。 ここが食堂・・・? 店先には商品が並んでいます。旅行会社でもらった予定表には、「この日の昼食は地元の休憩所にておにぎり弁当(市内より持参します)」とあり、どんなお弁当だろうとわくわく。そしたら・・・ これがおにぎり弁当30度以上もあるこの場所で、これだけぎゅっと握られたおにぎりを食べるのは辛かった…。もちろんご飯はタイ米?おかずは卵焼きに鶏の唐揚げに鮭。間違いなくおにぎり弁当ではあるけれど、イメージしていたローソンで買うかわいいおにぎり弁当とは違って、ちょっとがっかり。いえ、贅沢ですよね。どこで作られたものなのか、わざわざ町から離れたこんな遠くまで運んでくれているのに。文句を言っては罰が当たる・・・さすがにデザートの甘いお菓子は食べられなくて(左の包み)、ガイドさんに持ってってもらった。奥さんに食べてもらってねと。店の中は、がらんとしていて私たちが中に入ると、発電機をONにして古い扇風機を回してくれた。やっとかっと首が動いている年代物。それでも時折来る風が涼しかった。 これが店内右奥に積んであるのはナマズ養殖の餌。左の奥に見える出口を外に出て10メートルほどのところにトイレがある。この辺一帯は水道がきてなくて、井戸で水を汲むと言っていたが、トイレに向かう途中にホースから水が出ているのを見る。ここは特別なのかな。
2010.03.25
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アンコールワットの朝日観賞からホテルに戻って、朝食を食べた後9時30分ごろ出発。今日の予定は、シェムリアップから少し離れた郊外を回る予定。まずは、1時間ほどのドライブでベンメリア遺跡に向かう。ここは、日本人観光客には、天空の城ラピュタに似た場所として人気のあるスポットらしい。ラピュタは、私たちにとっても好きな宮崎駿の作品。昔何度となく見たっけ・・・。「君をのせて」の歌も好きだったし、久石譲の音楽もドラマチックで大好きだった。物語の最後、誰もいなくなったラピュタを一人残ったロボットが仲間を弔いながら静かに生きていく?姿に切なさを感じたものだった。そんなことを思い出しながら、ちょっと楽しみにしながら向かったベンメリア。 木々の向こうに遺跡が眠っています 崩れ落ちている石の数々・・・ 回廊にはそのまま木の根が根付いています。最近取り付けられた通路(右) 遺跡の中は廃墟。その昔、巨大寺院だったらしいが、権力者が変わるとともに、象によって壊され落とされた石が無造作に散らばっている。崩壊が進み、これを修復するのは難しい・・・ 思いもかけず、日本人学生を見かける。全体の修復は無理でも、部分的にはコツコツと修復を行っているらしい。熱帯の暑さの中で、汗しながら黙々と取り組んでいる姿に頭が下がる。 以前は崩れた石の上を歩かなければならなかったらしいが、立派な通路ができて、回るのがとても楽になったそう。 どれが幹でどれが根かもわからない。遺跡の中央に休憩できる小さな広場があり、しばらくベンチで佇んだ。アンコールワットに比べると、訪れる観光客はずっと少なく、辺りは静けさが漂い、鳥のさえずりが静寂な空間の中で響き渡っている。喧騒な毎日からはかけ離れた異次元な空間・・・ 昔美しかった立派な寺院が、今では見る影もなく、栄華必衰の言葉を思い出す・・・。想像したラピュタ像とは違っていましたが、これ以上崩壊していかないことを望みます。
2010.03.20
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2009年12月29日(火)シェムリアップ2日目の朝・・・4時半起床。朝日を見に行くために5時半にホテルを出発。今日からお客は私たちだけ。迎えに来た車はミニバンからトヨタカムリに変わっていた。真っ暗な中をアンコールワットへ向けて車は走る。アンコールワットも全く真っ暗。ガイドさんのかざす懐中電灯の光で歩く。あ~、足が痛い!他にも観光客がたくさん歩いている。朝早くでもにぎやか…正門を避け、左側の門の階段を上がり、反対側に降りたところの階段に席をとって座る。周り中いたるところに人の気配… 最初はこんなに真っ暗で… 丸いのは塵じゃありませんこの丸いのは何?肉眼では見えないのにカメラの夜景フィルターを通すと写るよう・・・オーブ(精霊)? 空が白みかけてきました 夜明けは間近・・・ 御来光よ来たれ・・・ 写真では奇麗な朝日に見えるが、残念ながら御来光の瞬間は訪れず、太陽は少しずつ上っていった。前日の夕陽も、この日の御来光も、両方とも不発に終わったとガイドさん。いえ、それでも十分堪能しました。1時間余りこの悠久の遺跡の静けさの中に身を置けたのだから。遠くに一番鳥のコケコッコ~~~の鳴き声が哀愁帯びて懐かしい・・・。常夏とはいえ、朝はやはり寒くて、ブルブルブr・・・7時、遺跡を後にする。今日もいい天気!
2010.03.08
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この日の遺跡観光はすべて終了。最後にレストランへ。Amazonレストラン・・・最近できたようです。観光客用なのか、とても広いフロアにバイキング形式でいろいろな料理のコーナーがありました。なんと寿司や焼き鳥コーナーもありました。私たちの席は食事後のショーを見るには最適のステージに近いところなのですが、それはお料理の並んだコーナーからは遠い場所でもあり、靴ずれの傷ついた足には過酷な場所… お腹はすいているものの、足が痛くてやっとかっとそうっと歩いて取りに行き、いただいたのでした。食事の後は、カンボジアに古くから伝わるアプサラダンスのショーです。 娘たちの踊り 音楽を奏でる人々 この踊りはタイでも見たような・・・ 若者たちの踊り トップ登場?ひと際美しく・・・? ミーハーに記念撮影 Amazonレストランですホテルに9時に戻り、ようやく長い一日が終わったのでした。前日の一日との何という違いだったでしょう。ほとんど一日空港で無為に過ごした前日でしたが、今日はその何倍もの体験をして、午前の観光でさえもうずっと前のことのように感じます。満たされた思いで、幸せな眠りに就いたのでした。 (でも足は痛かった・・・明日は大丈夫?)
2010.03.03
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アンコール・ワットを出た後、この日最後の遺跡観光、プノン・バケンに向かいます。車で5分ほどのところで下車。そこから参道を20分ほど登らなければなりません。ギョエ~ここプノン・バケン山頂の遺跡からの夕陽鑑賞は、一番人気のようで、たくさんの観光客が山頂に向かいます。 こんな山道がずっと続きます。はっきり言って私には辛く厳しい歩行です。足場の悪いところを素足にサンダルで20分も歩くのです。ただでさえ、靴ずれ状態なのに、水ぶくれや、すでに皮がむけてしまったような皮膚に、山道の赤砂が食い込んでいきます。痛いよ~~~~~杖がほしいと思うところ、マスオ君の手首をつかんで、それを支えに黙々と歩き続けました。ようやく頂上が見え、遺跡の急な階段が目の前に現れました。この石の階段、アンコールワットごときのものではなく、ほんとに急な階段です。短いのが救い。足だけでは怖いので、両手でしっかり階段の石や手すりを掴んで上ります。急な階段を上がりきった先は… 木々の向こうにアンコール・ワット アンコールバルーンが見えました。 山頂はたくさんの観光客・・・ 陽が沈み始めます。 雲の向こうに沈んでしまいました。残念!美しいサンセットは、見ることができませんでした。まあ、十分きれいでしたけどね。さ、暗くならないうちに降りなければ・・・ 降りるのも恐い急な階段。慎重に降りて行きます。 ぞくぞくと観光客が降りてきます。この後再び、参道を歩いて降りて行きました。足が痛くて、早く歩けません。マスオ君はガイドさんたちと一緒にさっさと先を降りて行き、私を気の毒に思った同行の日本人夫婦の奥様が、一緒にゆっくり歩いてくれました。歩きながらお話しすると、ご家族でいろんなところを旅していらっしゃり、素敵な思い出がたくさんある様子。イタリアではルーブル美術館の開門前から並んで、一日ゆっくり鑑賞したとかの話を聞き、私の旅行熱はまたも熱くなったのでした。
2010.02.27
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しばらく休憩したのち、第二回廊を後にします。 急な階段をゆっくり下ります。 第一回廊と第二回廊の間 反対側… 振り返って仰ぎ見るアンコールワット 南側の出口から外に出ました。 アンコールワットをバックに… 正面の西参道に向かいます。 右手に遺跡、左手にお堀です。 向こうに小さく見えるのが参道を歩く人々。こうして、アンコールワットを後にしたのでした。
2010.02.24
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久しぶりのアンコールワットの記事です。まだ旅行の初日です。いつ終われるやら・・・(笑)さて、第一回廊をぐるっと回った後、さらに内側に入り、階段を上ります。 向こうに見えるのが第二回廊です。階段を上ったところに第二回廊がありますが、その通路には何もなく、反対側の内側に入ると、目の前に第三回廊がそびえています。そこがここアンコールワットの最上階です。 左は第三回廊に上る階段です。とても急です。以前は登れたそうですが、今は危険なので登ることはできません。 ガイドさんとちょっと休憩・・・このころ、もう疲れて限界。第二回廊の外壁に腰掛けて、アンコールワットに浸りました。足元のサンダル。素足にはいて、実はこのころ靴ずれ状態。お昼の休憩でホテルに戻った時に、予防のカットバンを貼ったのですが、歩き続けてどんどん悲惨なことになっていきました。 石に囲まれた遺跡の中で、なぜか剣岳を思い出していました。岩の殿堂と言われ、周り中岩だらけだった剣岳の雰囲気に似ているのです。この岩、というか石は、その昔ゾウが運んだんですって。石を積み重ねてこれだけ大きな建物を作ったのです。ほんとにすごいです。ゾウも大変だったでしょうね~
2010.02.20
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十字回廊を出た後、壁面レリーフが美しい第一回廊へ。 ガイドさんの解説が始まります マハーバーラタの戦闘場面 赤いのはそういう赤い石だそう 手で触れられ続けて馬が光ってます(追記) 世界遺産になった今は、直接手で触れてはいけません。壁から50cmくらいのところにロープが張ってあります。残念ですね~。せっかく光り輝いている所々の部分も、触られなくなったら、いつかはくすんでしまうのかしら。かえって淋しく感じますね。 スールヤヴァルマン二世の行軍 描写が細かいです 壁面の外側 天国と地獄の描写 花状紋が美しい天井 乳海撹拌(にゅうかいかくはん)乳海撹拌て、ヒンズー教の天地創造の説話で、50mにわたって描かれているもの。神々と阿修羅(悪神)が大蛇の胴体を綱にして引き合う図が描かれている。中央はヴィシュヌ神だそう。この綱引きが海中を引き回し、それが1000年続いて海が乳海になったという。太古のロマンですね。
2010.02.11
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池を回って遺跡に近づいていくと、あちらこちらにうず高い盛りが。アリ塚だそうで。へ~ 白っぽく見えるのがアリ塚 遺跡の内部に入りますアンコールワット中心部の十字回廊。内部に沐浴場が4つある。 すべて石で敷き詰められ、石に囲まれている 水深3メートルくらい?結構深い。落ちたら怖い 日本人僧侶の落書き跡 400年前の徳川時代の僧侶の足跡歴史的な意味合いが深く、消されずに残っているらしい。なんでも、「祇園精舎」を探しに出かけ、ここがインドの祇園精舎だと思ったようです。墨で書いたようで、漢字が読みとれました。 池の周りの回廊 柱に刻まれた文様と美しい女神のデバター 胸のあたりが黒く見えるのは、訪れた人々が触り続けて艶が出て光っているから。でも世界遺産となった今は、触れてはいけなくなったらしい。ほんとに思わず触りたくなるような丸みを帯びたふくらみでした
2010.02.06
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アンコールワットのベストビューポイント…池に逆さに映るアンコールワットです。きれいでしょ~ 見とれちゃいますね
2010.02.01
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タ・ブロムを出て午前の観光は終わり。たっぷり3時間歩きまわって、汗だくだく、足は悲惨なことに…(つっかけのようなサンダルしか持ってってなかったんです)その後午前の観光のみのご夫婦とお別れして、昼食に入ったのが、New Bayon(ニューバイヨン)レストラン。中を見ると、ほとんどが日本人。日本人御用達のレストランなんでしょうか。ここで、カンボジア料理をいただきました。ホテルに戻ってしばらく休憩。カンボジアは暑いので、昼下がりの時間の休憩は体が休まりますね。ベッドにもぐりこんで、しばしお昼寝。 午後2時30分、午後の観光に出発~と、車に乗ってアンコールワットに向かうと何やら空が暗くなり、ぽつぽつと雨が・・・見る見るうちにザ~と本降りになってくる。今から観光なのに・・・「今は乾季なので、めったに雨は降らないんですが・・・」とガイドさん。傘もないし、どうしようと思っていたら、「大丈夫です、傘はあります」と、アンコールワットの入り口で車が止まると運転手さんがさっとトランクから出してくれた。ありがたい~ありがたいついでに、雨も小降りになってくる。 観光の始まり~~~ 石畳の通路。両側はお堀です。 西塔門が見えてきます。 門の脇にはナーガ像が出迎えてくれます。 ヴィシュヌ神の像…高さ4mだそう。 ヴィシュヌ神の奥さんの像。頭部は盗難に。 壁にはデバターと言われる彫り物が。右下に見えるのは、遺跡のこの部分を住処としている人? ヴィシュヌ神の奥さんの像の横にシートを強いて座り込んでいる。ヒンズー教の信者?カメラを向けるのは失礼と思いながらも、旅の記録として思い出したくて、後ろのデバターとともにちょっとだけ写させてもらった。 美しいデバターが続く。 民族衣装の人々。写真撮影用だとか。こうしてアンコールワットを囲む壁の内部に入ったのでした。
2010.01.31
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ここの遺跡は、遺跡の建物に木の根がはびこっていることで有名。 「この木は何本あると思いますか?」と聞かれる・・・う~ん。2本?「ピンポ~ン!」 木の根はまるで毛細血管のよう・・・ 刻まれたレリーフ 覆いかぶさる木の根。溶けたろうのよう 更に行くと・・・ タコの足に襲われた~~~ 木の根元のふくらみは何? アリ塚だったかな? 出口に向かいます ここでも民族音楽を奏でる人々…地雷の犠牲者です。
2010.01.26
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崩れかけたこの遺跡の風貌・・・物語を感じる! 左の写真の右手に下の写真の樹が… 右手に見える通路をくぐり抜けると・・・ 反対側から見た光景です。→なんていうか…ときどき見かける大根のねじれた足みたい 遺跡の内部から見上げると天窓から光が差し込んでくる・・・右の写真の無数に開いた穴、何だと思います? エメラルド、ルビー、水晶…カンボジアはその昔、宝石の宝庫でもあったらしく、この穴には宝石が埋め込まれていたらしい。天窓から差し込む光にきらきら輝いて、さぞかし美しかったに違いなく・・・でも、その後の戦いと略奪の歴史の中で、すべて持ち去られてしまったらしい。悲しい歴史です。
2010.01.19
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車にしばらく乗って着いたところがタ・プローム。アンコールトムから1キロほど離れている。ここは、木の根っこが遺跡を覆っている写真で有名。 入口に向います。 左の写真の門をくぐり抜け、道を歩いていきます。 ゴムの木音楽を奏でるグループ…と思っていたら、地雷を踏んで障害を負った人たちが演奏しているもの。CDがささやかに置かれていた。 堀の上にかかる橋を渡る 栄枯盛衰? うわ~~~!!!迎えてくれた木の根にびっくり。まさしく飲み込んでる!すご~い!!! と驚きましたが、こんな光景はまだまだ続きます!
2010.01.17
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広いアンコールトムの中を歩いていく・・・ モンキーバナナやマンゴーを売ってるおばさん ライ王のテラスです。去年、左の写真の壁の際から下を覗き込んだ日本人のおじいさんが足を滑らせて4メートルほど下の「地獄」に落ちてしまったそう。幸い足の骨が折れただけで命には別条なかったようで、「もう地獄に落ちたから、これ以上落ちんだろう」と病院で話していたとか。ほんとによかったですよ。石だらけのこんな遺跡の中で打ち所が悪かったら、死んでたかも・・・なんで、そんな際まで行ってのぞいたのかとちょっと不思議です。雨期の時期で石が塗れていて滑りやすかったらしいですが。Pisithさんの同僚がガイドしていたそうで、大変だったということです。右の写真がライ病になった王様の像。この頃、疲れてガイドさんの話が耳に入らず、写真だけとってきました。メモがないと何にも覚えてない。いったい、ライ王のテラスって何?とネットを見てたら、こんなページが。そういえば、Pisithさん、この像は、レプリカだって言ってたっけ。振り返ると象のテラスがはるかに見える。アンコールトムの広さがわかるかしら。最初に見たバイヨン寺院は遥か彼方です。そこから歩いてここまで来たのです。ライ王のテラスを下に降りたところが、「地獄」と言われるレリーフのある細い通路。迷路のようになっている。曲がり、曲がり歩いていくと、ほこりだらけの裸足の小さな女の子がしゃがんでいて、びっくりしました。この土地の子供のようでした。あまりにみすぼらしくて、カメラを向けることができなかった。(胸が痛んだ)ライ王のテラスから、ここでようやく車に戻り、次の遺跡に向けて移動です。途中、トイレタイム。公衆トイレです。同じ作りのものが他の場所にもありました。
2010.01.14
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バイヨン寺院を後にして広大なアンコールトムの中を歩いていく。ツアーの予定表ではパプーオン、ピミアナカスという遺跡を見るようだったけど、知らない間に横を通り過ぎたようで、しばらく歩いて「象のテラス」にやってきた。 象の彫刻です。もっと大きいものかと思っていたが、かわいらしい象の姿だった。 象の彫刻がずら~っと続く。象のテラスから階段を上にあがって見ると・・・ サルの彫刻<補足> サルかと思っていたら、サルではありませんでした。ガルーダ(烏天狗みたいな動物)が両手を挙げてテラスを支えている彫刻でした。足下にはナーガ(蛇神)を踏みつけているそうです。 アンコールトムの中を行きかう乗り物 トゥクトゥクです。 お坊さんの姿が見えました。この写真、実はムービーで記録したもの。カメラをポケットに入れていたら知らないうちにボタンが動いてムービーモードになっていたらしい。だからか、なぜかこんな横長。カンボジアの宗教は、今は小乗仏教が主だといっていたから、お坊さんもそんな出で立ち?大乗仏教とは確かに違った雰囲気・・・白いのは何?と見ると、クモの巣?地面にあるのが珍しくて・・・このあと、ライ王のテラスに向かいます。
2010.01.12
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アンコールトムの中心、バイヨン寺院に向かう。その入口に案内板が・・・2005年から2010年までの5年間、日本国政府支援(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)と書いてある。へえ~ 下の絵はッダの横顔 クレーンの見える辺りが日本政府の修復箇所 パスポートを見せて進みます 石の柱に刻まれた彫刻 細かいわ~ 修復中の現場 いよいよ中へ 顔・・・ 顔、顔、顔・・・ 京唄子さんに似ている?らしい彫刻 観光客でいっぱいです。
2010.01.10
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料金所を過ぎてからも道は続き、車は普通にスピード出してどんどん進む。広い・・・右手に見えた広大な遺跡、「ここがアンコール・ワットです。午後から行きます」と横目に眺めて先へ進み、更に奥に入ってようやく車が止まった。前方に門が見える。お~、顔の形が見える。写真で見たことある! 南大門…正面の顔、左右の横顔わかりますか?車を降りると、道の横にずらっと並んだお土産屋さんから、売り子のお姉さんたちが盛んに声をかけてくる。「お客さん~、帽子どう?暑いよ~、帽子買って~~~~~」いらない、いらない、いらない、とささやかに首を振って断りながら歩き続けたが、実際日差しは暑い。日傘をもってきたから帽子はいらないと思ってたけど、こんな遺跡を見て歩くのに、日傘は邪魔かな・・・と内心思っているところに、最後の店先で、同行の一人の婦人が帽子を買うことに・・・どれにしようかと選んでいるのを横で見ていたら、売り子のお姉さん、すかさず私のところにも寄って来た。たくさんの中から、同行の方が選んだのと同じデザインの麦藁帽子を私にも勧めてくれた。「これ、かわいいよ~似合うよ~。一緒で、同じね~」とお勧め上手な売り子さん。なら、私も買おうかな、ととうとう購入。3ドル。(こんな安いのにずっと渋ってたのだ) かぶってみたら、つばが広くて涼しい・・・やっぱり買ってよかった!ここから、ガイドのPisithさんの本格的観光案内が始まる。 何も見ずに、アンコールの歴史を語るPishitさん。南大門に向かう道の両側に大蛇(蛇神ナーガ)の遺跡が出迎えてくれる。左手は神々と右手は阿修羅がナーガの胴体を引き合っている像が続く。 ナーガの上に並んでいる阿修羅像頭がないのは、長い戦争の歴史の中で敵に壊されたり、盗賊に盗まれ売り飛ばされたらしい。タイのアユタヤもそうだったな・・・と思い出す。ナーガの胴体もほとんど壊されてしまっている。 左の麦藁帽子が私と同じもの。可愛いでしょ?白く見える頭は、最近どこかの国の援助で修復された物。雨期に雨水でコケが生えるようになると、色が落ち着いてくるだろうとのこと。 ナーガの欄干門のそばから振り返るとこんな眺めです。ずらっと並んでいる。 南大門の顔の遺跡 南大門を徒歩でくぐり抜け、振り返って内側から見た南大門。狭い門の通路は、車が交互に通り抜けている。私たちのツアー御一行様です~☆
2010.01.09
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2009年12月28日(月)深夜遅かったにもかかわらず、ぐっすり眠って、すっきり目覚める。初めてのカンボジアの朝・・・外は夏空 やっぱり暑そう。空港で両替する暇がなかったので、フロントで円の両替。1万円が91ドル。え~割高!8時半、予定通りガイドのPisithさんが迎えに来てくれる。今日は、私たちのほかに2組の夫婦と子供が一緒で、総勢7名のツアー。ミニバンに乗って出発午前の予定は、アンコールトム観光。遺跡に向かう間、ガイドさんからカンボジアのことについていろいろと話を聞く。カンボジアは11年前に内戦が終結し、平和になる。国土の面積は日本の約半分。人口は1,200万人。ここシェムリアップには100万人が住み、主に観光と漁業で生活を営んでいる。(近くにアジア最大?の大きな湖があるらしい)台風、地震などの自然災害がほとんどない。いえ、洪水はある?ヒンズー教→大乗仏教→ヒンズー教→小乗仏教と変遷し、現在は小乗仏教が95%を占める。アンコールトムは大乗仏教の寺院で、アンコールワットはヒンズー教。近くに位置するが宗教は違う。ヒンズー教は、シバ神(破壊の神様)、ヴィシュヌ神、ブラフマー神の三大主神があり、それぞれ牛、ガルーダ(烏天狗のような動物)、白鳥を乗り物?とする。そうそう、Pisithさんは、去年、「行列のできる法律相談所」のカンボジアに学校をつくろうプロジェクトで訪れた芸能人たちを案内したそうな。暑い雨期の時期で気温は50度近くあり、北村先生は、暑い、暑いとほとんど車の中にいて出てこなかったそう。ガイドさんはユーモアがあり、冗談を言って笑わせてくれる楽しい人だったが、北村先生は何を言っても笑いませんでした、って。なんか想像できますね。(暑過ぎて反応できなかったか)アンコールは都、トムは大きい、っていう意味だそうで。アンコールトムで「大きい都」そんな話を聞いているうちに、遺跡エリアに入る料金所に着く。ここで、入場券、3日間のパスポートを購入。40ドル。なんと、顔写真付き。 すぐにできた割にはきれいな写り。モデルがいいから?(笑)右上のあたりに白い穴があいている。日本人、韓国人、中国人は見分けがつかないので、区別するための穴らしい。日本人だと右上、韓国人は下、中国人は左上と穴の場所が違っていて、パスポートの横流しを防いでいるとか。(韓国人、中国人の穴の位置は逆かもしれません)
2010.01.08
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2009年12月27日(日)いよいよ出発。やっとこの日が来たと嬉しい気分と、この時に及んで未知の世界に飛び出すのにちょっぴり億劫な気分とが入り混じった朝・・・でも荷物を詰めたトランクを手にしたら、やっぱり喜びが沸いてきた。いよいよだ~~~タイ君に空港まで送ってってね、って言ってたはずなのに、だいぶ前だったからかすっかり忘れてしまってたようで、朝早くからスノボーに出かけてしまった。そんなわけで波太郎父さんと小舟母さんが見送ってくれることに…すみませんね~9時45分 空港着 「気いつけてかれ~」と心配そうな小舟母さんです。11時30分 搭乗 11時50分 離陸 行ってきま~す! 雪の富山を後にして…久しぶりの飛行機、2年ぶりだわ~ でも、いよいよ離陸のときは、手を握りしめて祈りました。どうか無事あがりますように!!!!下はどんよりとした暗い空でしたが、すぐに雲を突き抜けて青空に。 わ~、きれい!機内食を食べて、うとうとしているうちに飛行機は韓国上空に入り、しばらくして高度を下げていく。上がったり下がったりしながら、だんだん下って、もうすぐ着陸・・・あれ?なんだか外が白っぽいわ・・・ 真っ白に吹雪いている仁川空港13時50分 仁川空港着寒そう~~~~!何でこんな天気? 携帯で写真を撮り合っている作業員この辺は雪って珍しいのでしょうか。ピースして記念写真なんてね。 今回初めてのトランスファーです。「乗り継ぎ客はこちら」の案内表示に従って搭乗ロビーに移動。ここからが長い時間だった。2キロくらいありそうな出発ロビーの通路を免税店を見ながら歩いて時間をつぶすが、飛行機の出発時間はまだまだ先。外は寒そうな空、疲れたのと寒いのとで、頭が痛くなってくる。肩も凝ってくる。大丈夫だろか???もっと具合が悪くなって熱なんか出てきたらどうしよう・・・搭乗口の待ち合い席でしばらく横になって休む。持っていった葛根湯も飲んでみる。あ~サロンパスも持ってくればよかった。どうかこれ以上悪くなりませんように・・・飛行機が到着。え?お客さんがタラップを降りてる。もしかして、私たちもそこから入るの?寒そう・・・いえいえ、大丈夫でした。19時20分 通路から搭乗19時30分 予定より25分遅れて離陸1時間ほどうとうとしたころ、機内食が出る。少し眠ったからか、ご飯を食べたからか少し元気になった。よかった。5時間過ぎた零時50分ごろ、シェムリアップまでもう少しと機内放送が入り、明るくなった。なんだか暑い。上着を脱いで半袖のTシャツ姿になる。夏だわ~時差はマイナス2時間ということで、現地時間の23時15分にシェリムアップに着陸。空港へはガイドのPishitさんが出迎えに来てくれていた。私たち二人の名前をカタカナで書いたプラカードを持っていて、すぐに目に飛び込んできた。人懐っこそうな優しい笑顔で、「ようこそいらっしゃいました。今からホテルにご案内します」と流暢な日本語で話しかけてくれ、緊張感もすぐに溶けていった。24時頃 ホテルの部屋に落ち着く。富山の我が家を出て17時間。真夏のカンボジアに到着です。
2010.01.05
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年末年始の旅行まであと10日になりました。2年前は、父の病気がわかったことがあり、予定していたタイ―マレーシア旅行に行けるか行けないか、直前まで決まらないままハラハラしてましたが、今回はそんな心配もなく、行くものだと思って楽しみにしています。アンコールワットでは、今回もペリカントラベルネットさんにお世話になり、シェリムアップに着いてからは、アンコール充実観光4日間というツアーで回ることにしました。初めて行く場所で、時間も限られているので、ガイドさんに案内してもらう方が効率的ですから。と言っても、他の方と一緒に回るのではなくて、個人のグループにガイドさんが付くというツアーのはずですが・・・そんなわけで、7泊8日の旅の予定は、12月27日 富山発-仁川乗り換え-シェリムアップ(22:50着) ホテル泊12月28日 アンコールトム・アンコールワット観光 バルーン遊覧 夕日鑑賞12月29日 朝日鑑賞 ベンメリア遺跡・バンテアイスレイ遺跡 ナイトマーケット散策12月30日 小回りコース観光 トンレサップ湖クルーズ シェリムアップ(23:50発・機中泊)12月31日 仁川(7:00着) ソウル泊 1月 1日 ソウル観光 ソウル泊 1月 2日 ソウル観光 仁川伯 1月 3日 仁川(9:05発) - 富山着と、いうふうに、アンコールワットはツアーなので、ぎっしり予定が入っていますが、ソウルでは、観光は今のところ何の予定も入れていません。前回のタイのとき、自分の足で歩いたという感じがしないで物足りなく思った反省から、今回は、せめてソウルだけでも、自分たちでバスや地下鉄に乗ったり、歩いたりして肌で現地の雰囲気を感じ、気の向くままにのんびりと過ごしてきたいと思っています。わ~楽しみ~~~~
2009.12.16
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今、カンボジアビザが宅配便で届きました。「ビザってどんなのかしら?」とワクワクしながら、開けてみると・・・中からパスポートと領収書が出てきました。あれ?ビザはどこ?と、パスポートを開いてみると・・・パスポートの空白のページに貼ってありました。これがカンボジアの観光ビザです!なるほど、だからパスポートが必要だったんだ・・・(実は、提出物にパスポートと書いてあって、不安だったんです。知らない人にパスポートを預けていいもんかと・・・)何事も経験ですね!写真の隣のページに押してある印は、2年前の1月1日にタイに再入国した時のものです。なつかしいわ~~~~こうして旅行の準備はちょっとずつ進んで、嬉しいです!
2009.11.01
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カンボジアに行くにはビザがいることを知り、どうやって取得すればいいのかとネットを調べていたら、代行業者のイーニングを知りました。先日メールで仮申し込みをし、申請書をダウンロードして記入し、日曜日の代休で休みだった今日、郵便局から郵送してきました。申請には申請書、写真、パスポート(原本)、手数料、返送料が必要でした。手数料は、観光ビザ取得料と代行手数料合わせて一人3,800円。それに返送料が500円で、二人で8,100円の経費で、パスポート、申請書と共に現金書留封筒に入れて送りました。送料620円です。5日ほどで取れるらしく、返送日を11月2日にして申し込みました。ビザを取るのは初めてです。何でも初めてのことは緊張しますね。
2009.10.26
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特典旅行の予約変更に失敗して、年末年始の旅行をどうしようかと迷っていましたが、夏が過ぎて、やっぱり行きたい気持ちがムクムク・・・お金がかかったっていいじゃない。それに今年は銀婚式を迎えるし、その記念に行くと言えば言いやすいわ・・・と思いながらの日々でした。4日の朝刊で、富山からのソウル便を利用して、仁川国際空港から海外へ行くルートが県内の旅行者の間で定着してきたという記事を読みました。成田空港まで行くなら、ソウルに行って世界を目指す方が富山の人には便利なようです。その記事を読んだら、行きたい気持ちに火がついて・・・早速富山空港のソウル便の時刻表を調べ、仁川空港からのアシアナ航空の出発便を調べて、どこへ行けるかリストアップしてみました。見てみると、東南アジアにシェリムアップの行き先がありました。もともと特典旅行で成田ーシンガポールを予約できたら、実費でシンガポールからアンコールワットのツアーに申し込もうと思っていたのです。仲良しのN先生が以前アンコールワットにとっても感動したと言っていたので、行ってみたいと思っていたところの一つだったのです。冬なので寒いところは嫌だし、ニュージーランドやオーストラリアもわずかな日数で回るのがもったいなく、だから、シェリムアップへの便があると知ったら願ったり叶ったり。すぐに行先はアンコールワットに決定。でも実際本当に、富山からソウル経由のシェリムアップ便のチケットが取れるのかわかりません。いろいろなサイトの予約コーナーで調べてみましたが、いずれもうまくいきませんでした。それで次の日アシアナ航空に電話して、そういう航空券が買えるかどうかを聞いてみましたら、今ならまだ9席残っているので予約可能とのこと。やった!運賃は12万円ですって。とりあえず予約だけでもしておこうと予約を入れたのがおととい月曜日です。その後ようやく昨日マスオ君に話ができて、「こんな日程でいい?行き先はアンコールワット、帰りにソウルに寄るよ」と了解を取りつけました。予定は 12月27日(日) 11:15富山出発 ソウル経由 22:50シェリムアップ着 12月30日(水) 23:50シェリムアップ発 12月31日(木) 7:00ソウル着 1月 3日(日) 9:05ソウル発 10:45富山着と、こんな日程です。(富山への帰国便の予約は1日で入れたので、この後変更する予定です。早くしないと、また満席になると大変!)12万は安いか高いか?格安航空券だったらもっと安いんでしょうね。調べてみたら成田からマレーシア航空便でとても安いのが売られていました。でもやっぱりちょっとくらい高くてもいいや。2か国を楽しめるんですもの。昨日、韓国に住むキム・ソラちゃんに年末に韓国に寄るけど会えるかとメールしたら、今日すぐに返事が来て、会えるなんて嬉しいと書いてありました。 2004年にソウルで会って以来、5年半ぶりの再会になります。よかった! そんなわけで、俄然、これからの計画が楽しみになってきました。とっても嬉しいです。わくわくしています!これから忙しくなるわ~
2009.09.09
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