がんサバイバー 0
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2010年1月3日(日)とうとう迎えた帰国の朝。空はまだ暗い中、ホテルの無料シャトルバスに乗る。泊まったホテルは新しくてきれいだったが、泊まった部屋がかなり上層階だったからか、寒くて凍えた一夜だった。どれだけ室温を上げても温まらなかった。ベッドの毛布にくるまって最後の一夜を過ごした。朝早くと言えど、空港は人でいっぱい。特に日本に向かうアシアナの搭乗手続きロビーは人でごった返していた。よくわからないままに列の最後尾に並んで、待つこと数十分。どうやら中国人の団体客のところに並んで、余計に時間がかかったようで、受付の係員の方がすみませんと誤って小さな包みを下さった。(何だったかはもう忘却の彼方)いよいよ離陸。長かった旅もこれで終わり・・・満足感とちょっと寂しさと無事に帰れる安堵感と、帰れば現実が待っているという覚悟とが入り混じり、感傷に浸りながら窓の外を眺める。さようなら韓国。今度訪れる日はいつかしら・・・ 韓国上空を愛おしく見送る このころは美しい空 次第に雲の量が多くなり・・・ 雪の日本海地方へと近づく 能登半島上空? いよいよ降下開始 雲の中に入った・・・ 辺りは一面白いもやの中 延々と続く厚い雲 雪の富山平野が・・・ 滑走路の端です 無事着陸・・・ ただいま~~~~迎えてくれたのは、懐かしいふるさとの雪景色でした。
2010.10.11
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お腹も一杯になって、レストランを後にした私たち。車は、一路仁川(インチョン)へ。ソウル、水原(スウォン)、仁川の位置関係は、ちょうど正三角形のよう。それぞれ車で約1時間の距離にある。ここ水原(スウォン)から、ご主人の趙さんはまたも1時間も運転して仁川のホテルまで私たちを連れて行ってくれるのだ。朝起きた時には、こんな一日になるなんて、思いもよらなかった。最後のソウルをちょっと半日観光して、夕方ゆっくり仁川に向かえばいいと思っていた。それが、李先生と再会を果たし、リニューアルした素晴らしい国立博物館を訪れ、遠い水原までこれぞ本場のおいしいカルビをたらふく食べに連れてってもらい、こうしてまたホテルまで送り届けてもらえる…何に感謝していいのかわからないくらい、素敵な一日を過ごせたことがありがたかった。車の中で、李先生としゃべり続けた。韓国に帰ってから日本語を話すことはなかった生活。朝に私からの電話で、久しぶりに日本語を話して、どきどきしたこと。そんな李先生をご主人が見て笑ったこと。ジェヒョン君ももう手がかからなくなってきて、そろそろ自分も何か仕事をしたいと考えていること。英語が専門の李先生は、英語幼稚園に勤められないか考えているらしい。英語幼稚園って、何???と、しばらく、そんな話題が続いた。無事ホテルに着いたのは、夜も8時を回ったころ。ここからまた長距離を運転して帰らなければならない李先生ご一家。本当に申し訳ない。せめてもにと、ホテルのラウンジでお茶をごちそう・・・ 疲れも見せずにありがとう 韓国の健康茶 今度会える日はあるかしら。いえ、きっとまたいつか会える。会いましょう!そう言ってハグし合った私たち。本当にありがとう。会いに来てくれて。駐車場の方に消えていくご一家を感謝の思いで見送ったのでした。
2010.10.03
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半日ジェヒョン君と一緒にいて、なんてにこにこと愛想のいい可愛い子だろうと感心。博物館を連れ回されたり、長時間車に乗せられたり、きっと疲れてぐずりたかっただろうに、李先生が、 「ジェヒョン、ほら、トィンクル、トィンクル、リトルスタ~♪」と歌い始めると、その歌に合わせて手を振り踊りだすのだ。泣き出しそうな顔が、魔法にかかったように笑顔になって。ぐずりそうだと思うと、すかさず歌を歌って気をそらせる李先生。それに忠実に反応して疲れていても、応えるジェヒョン君。そんな場面を何度も見て、おかしいやら、可愛いやら。上手にしつけたと言うべきか、モロゾフの犬のように、条件反射と言うべきか、なんともかわいいジェヒョン君だった。李先生を見ていると、いつも笑顔で、とても大らか。駄目よ~って、口で言ってても、醸し出す雰囲気は温かくって太陽のよう。以前富山に住んでいた時も、ゆったりと子供に向き合い丸ごと受け入れている姿に、心から子育てを楽しんでいる様子が伝わってきて、こんなお母さんだと子供は幸せだろうな、って思ったものだが、それは子供が二人に増えても変わっていないようで、やっぱり李先生の人柄なんだろうな、って思う。笑顔が本当に素敵。大らかで、優しくて、あったたかい。こんなふうに子育てを楽しんでくれるお母さんに育てられる子は幸せだな、って思います。 ママを見てにっこり。ジェヒョン君。
2010.09.29
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ここの焼き肉店って、とても有名で流行っていて、向かい合わせに建った2ビルが丸ごと焼き肉店だそうです。 左端と右端のビルがそう。私たちが入ったのは、右側のビルの焼き肉店。中に入るとこんなゴージャスなフロントがお出迎え。店内はすでにお客さんでいっぱいだった。予約してなかったので、初めは満員なのでと断られたらしいが、「せっかく遠いところここがおいしいからって、日本からのお客さんを連れてきたのに~」と言ったら、「じゃあ、どうぞ」と入れてもらえることになり、李先生はやった~!とにこっ あきらめずに交渉してみるもんですね。 細長い廊下の両側はみんなお部屋。通されたのは一番奥の部屋。さっそく、李先生とご主人があれこれと注文してくれる。すべてお任せの私とマスオ君。何が来るのかな~って、楽しみにしていたら、次々と皿が運ばれ、またたく間にテーブルいっぱいに・・・ 落ち着いた素敵な部屋でゆったり過ごした1時間半・・・おいしい料理をたらふく食べて、これこそ韓国の焼き肉。カルビおいしい~~~と感動。満腹、満足しました。そして、このすべてが、李先生たちからのごちそうで・・・何とお礼を言っていいのやら・・・感謝と一言で済ませられないありがたさでした。
2010.09.26
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午後3時半ごろ、お腹ぺこぺこの私たちを乗せて車は走る。「何か食べたいもの、ありますか?」と李先生。「いえいえ、何でもいいですよ~。ビビンパが大好きですけど・・・」と答えたら、「実は、韓国の焼き肉のおいしい店が水原(スウォン)にあるんで、そこへ行こうと思うんですが、いいですか?ちょっと遠いんですけど、ほんとにおいしくて、韓国では有名なんです」とのこと。え~~~?そんな遠くまでいいんですか?だって水原まで行くのに1時間はかかるだろうし、そこから仁川までも1時間以上はかかるんじゃ・・・と遠慮のような申し訳ない気持ちで話したが、結局そこへ向かうことになった。水原(スウォン)にはまだ行ったことなく、いつか行ってみたいところの一つだったので、行けると聞くと嬉しかった。といっても、観光するだけの時間はなかったけど。 1時間ほど車が走ったところで水原の市内に入ったよう。すると世界遺産に登録されている水原華城が見えてくる。城壁や城門を辿って歩いて一回りすると5.7キロあり、2~3時間かかるらしい。いつか来たら歩いてみたい・・・(もっと暖かいときにね) 焼き肉店、到着~!水原は味付けカルビが有名だそうです。お腹ぺこぺこで、期待に膨らんでお店に入りました。
2010.09.25
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ご主人は、「外は寒いので、国立中央博物館へ行こうと思ってるんですが、どこか行きたいとこありますか?」と聞いてくださる。いえいえ、こうして連れ出してくださるだけで嬉しいんですから、おまかせしますと答えた。でも、国立博物館て、2004年に韓国に来た時、ソラと一緒に見たとこじゃないかなと思い出す。でも久しぶりだし、また見たって悪くない・・・そう思いながら窓の外の景色を見ていると、車はどこに向かってるんだろう・・・確か国立博物館は景福宮(キョンボックン)の横にあったはず・・・市内からそう遠くなかったはずなのに、車はどんどん郊外に向かってる・・・そう思ってたら、ご主人、「今行く博物館は、米軍基地の跡地に建てられて、オープンしてまだ新しいんです。私もまだ行ったことがないんです」と・・・やっぱりね・・・納得!なんでも2005年にオープンしたらしい。景福宮の横にあった博物館も中はとても広くて見て回るのに時間がかかって疲れた記憶があるが、こちらは更に規模が大きくて、圧倒させられる大きさだった。 インターネットより ジェヒョン君を抱っこして回る趙さん 館内はいくつものゾーンに分かれ、とても広い。あちこち見て回って、だんだんくたびれた私たち。全部は見きれていないが、お腹もすいたことだし、どこかでお昼を食べようということになり、博物館を後にしたのだった。
2010.09.20
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李先生のご主人もにこにこと笑顔で現れ、ソウルまで会いに来てくれたお礼のあいさつをする。韓国語のレッスンをうけていたとき、毎回李先生をわが家まで送り迎えしてくれていた。いつも穏やかな笑顔を浮かべて、李先生が授業が終わって迎えを頼む時、電話で「オッパ~」と話しかけている姿がほほえましく、きっと優しい方なんだろうなと想像していた。車の窓越しに挨拶したことはあったけど、残念ながら話す機会はないままに帰国されてしまった。日本の有名国立大学を卒業し、富山の企業に正社員として就職し、研究者としてバリバリ仕事されていたご主人の日本語はよどみなく、品のよさと人柄の温かさが伝わってくる。荷物はどうされましたか?と聞かれるので、フロントに預けたと言うと、帰りに仁川のホテルまで送りますから、荷物を持っていきましょうと言ってくださる。え~~~?仁川まで遠いんですよ。ここから1時間かかるのに、そんな遠くまで送ってもらうわけにはいきませんから・・・と、遠慮したのだが、李先生もご主人も、全然構わないからそうしましょうと、言ってくださってお言葉に甘えることに・・・空港への無料バスの予約をキャンセルし、荷物を引き取って、ホテルを後にした。 朝、起きた時には、何の予定も立っていなかった今日の一日。それなのに、こうして私を懐かしんでくれる人たちと再会を果たし、夜まで行動を共にしてくれることになり、韓国最後の一日が思い出深いものになろうとしている。感激・・・ラッキー、と幸運を喜ぶ以上に、もっと深いところから、心から感謝していた。 車に案内してくれる李先生この車のトランクに私たちの荷物を詰め込みました。
2010.09.20
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ようやくホテルに着いて回転扉を押して中に入る。李先生は、どこ?と見まわすと、飛び込んできた親子連れ・・・「李先生!!!」と近寄ると、私を見つけた李先生、走り寄ってきて二人で抱き合った。「久しぶりです~~~。嬉しい!!!!」って話しかけると、李先生の目に涙が・・・「なんでかわかんないですけど、お顔を見たら、涙出てきました。こうしてまた会えるなんて、感激です・・・」って泣いてくれてる李先生を見たら、私も胸いっぱいに・・・そばにいる小さな子は、韓国に戻ってから生まれたジェヒョン君。会ったことのあるお兄ちゃんのジェミン君は、車にたくさんは乗れないからと置いてきたということで、ジェヒョン君と初対面。もうすぐ2歳になるそうで、そんなにもう月日がたったことが信じられない。目の前にいる李先生は、以前とまったく変わらない笑顔で、ついこの間まで会ってた気がするのに・・・ にこにこと笑顔のかわいいジェヒョン君。お兄ちゃんもそうでした。愛くるしいのです。
2010.09.19
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ソウル市庁を後にし、南大門市場の方に向かう。寒いから地下道を歩こう・・・と降りていくと、中にインターネットコーナーが。さすが韓国! 富山の雪の具合はどうかとチェックするマスオ君。右はうちのすぐそばの国道の様子がWebカメラからリアルタイムで写っている。雪景色だけど、道路の状態は大丈夫そうでちょっとひと安心。韓国にいて地元の様子を目の当たりにできるなんて、ほんとに便利な世の中です。 地下道から上がって、まだ閑散とした通りを歩く。 銀行? 市場の中に入る。店先にたくさんの品が並んでいる。地図を見ると、この近くに南大門があるはず。火事で焼失した後再建中と聞いていたが、どんな具合か見てみようと、向かうが、それがどこかなかなか特定できない。通りすがりの人に「ナンデムン、オディエヨ?(南大門はどこですか?)」と聞きながら歩き、ようやく指差された方を見て納得。再建中の門はすっぽりと覆われて、まさかそれだとは全然気付かなかった。 中央の白っぽい壁に覆われたものがそうです。 うっすら積もった雪を竹箒で掃いている。気温が低くて粉雪だから竹箒なのかと納得。我が富山では箒なんかではやってられない。重く水っぽい雪だから、雪ハネかママさんダンプでないとね。キョロキョロ店先を眺めながら歩いていると、携帯に着信音が李先生からだった!「さざえちゃん、私たち、今ホテルに着きました~!ちょっと早く着いてしまったんですけど、待ってますから、気にしないでゆっくり来てください」と李先生。もちろん、ゆっくりなんてしていられない。すぐにホテルに向かって歩き始めた。もうすぐ李先生に会えると思うと、わくわく。嬉しくて、足取りも軽やか。でもどこがどこやら、方向がわからなくなって、地図を何度も取りだした。スタスタ前を歩くマスオ君。「ねえ、こっちじゃない?」と声をかけるが、一向お構いなく勝手に歩いて行ってしまう。絶対違う気がすると思いながら、仕方なく後を追っていくと、あら?見覚えのある場所が・・・どうやら明洞に戻ったよう!よかった 明洞で見つけたユニクロ
2010.09.12
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李先生の電話を切った後、荷物をまとめて、チェックアウト。フロントで、夕方の空港行きの無料シャトルバスを申し込み、トランクをそれまで預かってもらうことに。午前にどこを回ろうかと考え、南大門市場の方へ向かうことにする。2004年に来た時、東大門市場も南大門市場もどちらも回れなかったのがちょっと心残りで、今回はどちらかへは行ってみたいと思ってたのだ。地図を見ながら、歩き始める。ちょっとでも外気の寒さから逃れるほうがいいかなと地下道に降りたが、どこがどこやら、方向があやふやに・・・南大門市場はこっちかな、とようやく階段を上がったところで目に入ったのは、開けた広場。 地下道を上がると・・・ こんな光景が。イベント広場?その近くにファーストフード店を見つけて朝食を食べに入る。 店の中からイベント広場が見える。地図と照らし合わせてみると、イベント広場の向こうにソウル支庁(市役所)がある模様。 入った店はドーナッツ屋さんでした。DUNKINドーナッツを後にして、市庁の方へ向かう。 イベント会場入り口です。 会場のモニターで遊んでみました。正月2日の朝なので、ほとんど人気(ひとけ)はありません。ソウル市庁というと、韓国ドラマ「パリの恋人」でテヨンがキジュに待ち合わせに呼び出されたところだったと、ドラマをちょっと懐かしく思い出してみた。でも季節が違いすぎるのがちょっと残念…
2010.09.11
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李先生にアンコールワットに行ってきたこと、ソウルに着いたら寒くてびっくりしたことなどを話し、今日の夕方にはソウルを発って仁川空港の近くのホテルに泊まり、明日の朝早くの飛行機で帰国することを伝えた。「さざえちゃんに、会いたいです~!!!ソウルまで会いに行けるかどうか、ダンナに聞いてみますね。聞いてからまた電話します!」と李先生。「え?そんな遠くなのに、わざわざソウルまで来てもらうなんて申し訳ないです。こうして電話で話せただけでも嬉しいから・・・」と伝えたが、今ご主人の実家の水源(スウォン)にいるから少しは近いらしい。近いったって、1時間はかかるだろうに・・・しばらく後にかかってきた電話で、「ダンナに話したら、そりゃ行かなきゃだめだろう、ってすぐ言ってくれました。準備してから出るので12時ぐらいになるかもしれないです。待っててください」と李先生。わ~~~嬉しい~~~~この日(2日)は、何の予定もなくて、ホテルをチェックアウトしたら荷物をフロントに預けてどこかぶらぶらと観光し、夕方のバスで次のホテルに行き、最後の夜を過ごす予定だったのだ。それなのに、全然思ってもみなかった李先生に再会できるなんて!感激!!!!! ソウルに着いてからというもの、ソラやソラのボーイフレンドに会い、オンマやオンマの妹さんに会い、と嬉しいこと続きだったが、ここへきてもまだ嬉しいことが続く。ラッキー! もうこれで旅は終わったようなものと哀愁を感じていたのも忘れて、元気よく荷造りに取り掛かった。
2010.09.05
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2010年1月2日(土)アンコールワットからの帰り道にソウルに寄ろうと決めて、すぐに韓国の友人に連絡をとった。その中の一人が李先生。以前富山に住んでいらっしゃっとき、半年ほど韓国語の勉強に付き合ってくださった先生。ご主人が勤めていた会社をやめて帰国することになり、せっかく知り合った素敵な先生だったが、残念ながらそれでレッスンは終わりになった。(別れの記事はこちら)帰国後に第2子を出産されたと聞いたきり、連絡が途絶えたままになっていた。でも、韓国に行くとなるとやっぱり懐かしく思い出され、メールで年末に韓国に行くことを伝えた。1年半ぶりのメール。そしたら、すぐに返信が来て、ソウルで会えたら嬉しいと携帯電話の番号を知らせてくれていた。李先生はソウルから高速鉄道で2時間ほど離れた大田(テジョン)に住んでいる。遠いところからわざわざ会いに来てなんて言えない。だから会えるとは考えていなかったが、せめて電話で話くらいできたらいいなと思っていた。前夜、楊平からソウルに戻った夜に電話してみたが、通じなかった。なんてたって正月の元旦だし、忙しいだろうな、と。でも、せめて声だけでも聞きたくて、朝、再び電話を入れる。そしたら・・・「ヨボセヨ~」 李先生の声が返ってきた。「ヨボセヨー!さざえです!アニョハセヨー!」と言うと、電話の向こうで歓声が…「さざえちゃんですか?嬉しい~!お久しぶりです~~~~! 」 お互いに嬉しくて興奮しながら話してた。 つづく
2010.09.04
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食堂を出て車は田舎道を走る。 日本と同じ田舎の景色 韓国らしい高層アパート群車に乗る前、オンマは妹さんと何やら相談事。私たちへのおみやげをどこかで用意したいと話していた。ソラのオンマに会った時、オンマの作ったキムチがとてもおいしくて、それ以来うちの母も私もキムチが食べられるようになったと話したら、それはそれはとても喜んでくれて、キムチをまた持って帰ってもらいたいと話してくれた。10年前、ソラがうちに来た時、空港へ迎えに行くと手にはスーツケース、背にはリュックを担いでソラが現れた。リュックを手にしたらとても重くて、一体何が入ってるのかと興味津々だったら、なんと大きなタッパ(プラスチック容器)に一杯のキムチだった。全部我が家へのおみやげかと思ったら、キムチ大好きな娘の滞在中に食べさせてほしいという親心だったようで、ソラは毎食必ずキムチを要求し、バクバクと食べていた。それまでキムチのようなニンニクの香りの辛い食べ物は苦手で、家族はマスオ君以外は口にしたことがなかったが、ソラのお母さんの手作りのキムチとあって恐る恐る食べてみたら、臭いも辛さも大丈夫。「辛いけど、おいしい」とそれ以来キムチが食べれるようになったのだ。車は大きなスーパーマーケットで止まった。ここで買い物するらしい。私たちも店内を見て回った。食材や商品はまあ似たようなものだったが、ちょっと目を引いたのが段差なしのエスカレーター? 動く歩道が傾斜してるみたいなもの。そういえば、タイの空港でも見たっけ。2階建てのスーパーだから、カートを押したまま上へ行ったり降りたりできて便利そう。(もちろん日本にもあるかもしれません。我が町富山では見かけないけど)私たちが店内をうろうろしている時、オンマと妹さんは、ダダダダ~~~と店内を小走りに走りまわって、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、物色しながら駆け回っている・・・あ~、私たちのために、申し訳ないなと思いつつ、ご厚意に甘んじた。ようやく買い物が終わると、オンマはこれからアパートに帰ってキムチを荷造りするという。その間、ソラと妹さんとでどこかで時間をつぶしていてほしいということで、私たちはコーヒーショップへ。 ソラとおばさんそしてその後私たちへのお土産を抱えたオンマと合流し、楊平駅へ。 真新しい楊平(ヤンピョン)駅です 最後に記念撮影…電車はすぐに来るようで、遅れてならぬといただいたお土産を手に一目散に改札口に向かおうとする私に、あわててソラが「お母さん!」と呼びとめる。ふり返ると、両手を広げて差し出すソラ。そのまなざしは、温かく優しく憂いを秘めて・・・あ、ここでお別れなんだ・・・荷物を置いて、同じように両手を差し出してソラと抱き合うと、涙がこみ上げる。急に別れの感傷が押し寄せて、しばらく抱き合ったまま離れられない。ソラも泣いている。オンマも、妹さんも涙ぐんでいる。カムサmニダ・・・涙を拭きながら、一人一人に固く握手し、必ずまた会いましょうと声をかけて、改札口をくぐり抜けた。 手を振って見送るオンマたちこの別れの風景を今まで何度か経験してきたが、このときの寂しさが、懐かしさに変わり、またいつか再会を夢見る原動力になっている気がする。絶対にまた会える。今度会える日を夢見て、さようなら~~~ オンマからのおみやげ右の紙袋にはおいしい韓国のりがぎっしり詰め込まれ、真ん中の発泡スチロールにはキムチが…重い!と思って計ったら4kgも・・・オンマの熱い思いをいただいて、ソウルに帰ったのでした。
2010.08.28
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オンマの妹さんとはこれでお別れかと思い、「アニョヒゲセヨ~(お元気でいらっしゃってください)と挨拶すると、「アニョ~(いいえ)。今からみんなで食事に行くのよ」とソラ。え?そうなの?(嬉しい!)どこがいいかとオンマは車を走らせながら、レストランを探している。後ろからは妹さんの車が付いてくる。もうすぐ3時。お腹もすいて、楽しみな昼食!オンマが車を止めたのは、道沿いにある一軒の古風な民家風のレストラン、いえ食堂? 屋根は茅葺き?中に入ると、お座敷スタイルで、靴を脱いで上がる。ほっと一息・・・妹さんにも持ってきた家族の写真を見せる。大きくなったアサリをとても懐かしがってくださる妹さん。料理が来ました!いろんな料理がテーブルいっぱい!大皿にあるのは、チヂミです。どれもおいしかったです。チョンマル マシッソヨ~~~~途中、トイレに立ったら、トイレは外に出て離れの小さな小屋にあるらしい。辺りを歩くとほんとにひなびた田舎の素朴な建物。先に入っていた妹さんが出てきて、申し訳なさそうに「こんなところに連れてきて、すみません。きれいなトイレじゃないですから」らしきことを言ってくれる。アニョ~ケンチャナヨ~(いいえ、大丈夫ですよ)妹さんとしてはもっと洒落たレストランで、と思ってたようだが、オンマはせっかく韓国に来たのだから韓国らしさが感じられるところがいいと思ったようで、そんなことを話しているのがわかる。どこだって、嬉しいですよ。だって、こうして一緒にいられるのだから。 ご飯をつつく仲良し3人組竹筒の中に炊き込みご飯が入ってました。おいしかったです。お腹は満腹。満たされて食堂を後にした。アンニョン~
2010.08.13
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今日は夏休み。朝からのんびりしています。久しぶりに旅日記を更新しましょ。早く書かないと、忘れちゃう! アパートでしばらく休んだ後、「近くにきれいな公園があるから、そこへ案内します」とソラオンマ。車に乗って出発。 楊平の風景20分ほど走って山間の中に入っていく。辺りに雪が見えるが、そんなに多くはないよう。 車を止めてきたオンマここが目的地かと思って車を降りたのだが、オンマは、「さ、行きましょう~」と私の腕をとる。右手をがしっと腕組まれて歩きだす私たち。昨日マイナス13度だったソウル。今日だって寒さはそんなに変わらない。寒いものです。道は凍りついているように、キュッ、キュッと足下で音がする。周りを見ると結構な人たちが奥の山手をめざして歩いている。降りてくる人もいる。初詣みたいなものかと思い、「ここは、お寺か何か?」とソラに聞いてみるが、やっぱり公園とのこと。歩きながら、オンマに話す。オンマ~、ウリチベ コッ、オセヨ~ チョヌン シンニョンド キダリョヨ (オンマ、うちの家に必ず来てくださいね。私、10年も待ってるんです)そのことば、オンマに通じて、すぐに嬉しそうにイエ~カヨ~ コッ、カヨ~(はい、行きます。必ず行きます)と言ってくれた。そして、ソラの方を向いて、私が10年も待ってるって言ってくれたことを嬉しそうに伝えていた。歩きながらオンマの名前を聞いたり、お年を尋ねたり。名前はキムヤンヒ。年齢はどうやら私より2歳若そう。西暦で確認したから間違いない。私がオンニ(お姉さん)になるとわかり、ますます私を大切に、腕をとる手にも力が入ってる。私としては、景色のあれこれを写真に撮りたいとこだが、右手は固くオンマに抱えられて、シャッターを押せない。オンマ、私、写真撮りたいよ~・・・でも、そんなこと優しいオンマには言えないわ。それでなんとか左手にカメラを持ち替えて、シャッターを切った。オンマの足は速く、一生懸命歩いて息もハアハア・・・まだかな?結構遠い・・・と思っていると賑やかな人だかりが。着いたの?と思ったら、休憩所でした。おいしい香りの漂うお店が並び、ここでおやつタイム。 おもちを持ってにっこりソラ アイスの棒みたいですが、おもちです。休憩の後、更に歩いてやっと着いたところはお寺。緑色に彩られて韓国らしい建物。オンマは一つの社殿にまっすぐに入っていく。私たちもオンマ続いて入る。中に入ると仏像が3体。中央にあるのが一番大きく、オンマはその仏像の前に跪き、参拝。韓国の参拝方法は立ったり座ったりを3回繰り返す。テレビドラマで見たことあったが、結構大変です。オンマのまねをして、同じように礼拝。中央仏像へのお参りが終わると、次は左手の仏像に同じように参拝。終わると一番奥の右手の仏像に参拝。右と左の仏像はそれぞれ壁を背にして互いに向かいあっている。そんなに広くはない社殿の中は、それぞれの仏像の前に立ち並ぶ参拝者でいっぱいだった。 これが参拝した社殿です。その後、もうひとつ小さな社殿へ。ここにも小さな仏像が3体あり、同じように参拝する。 右手の奥の社殿です。仏教徒のオンマは、夫のアボジが亡くなって、一層敬虔に参拝している様子が伺える。日本にいて初詣に行くことはもちろんあるが、オンマの心込めた姿を見たら、私の参拝なんて、形だけだな、って思う。韓国はキリスト教も盛んで、熱心なキリスト教の信者が多いと聞くが、同じように仏教徒であっても熱心なんだろうか。参拝が終わったころ、オンマに電話が。オンマの妹さんらしい。電話の口ぶりを聞いていると、同じくこの公園に来て、今駐車場にいるらしい。「妹さんて、アサリが韓国に来た時、ボートに乗せてくれた人じゃないですか?」と聞いたら、そうです、そうですと嬉しそうなオンマ。アサリがラフティングに連れて行ってもらった時の写真を思い出した。とっても楽しそうで、笑顔がはじけていた。ソラのおばさんに連れてってもらったと、一緒の写した写真もあって、顔は覚えがあったのだ。もと来た道を下って駐車場に着くと、妹さんが待っていてくれた。チョンベッケスmニダ~ チャルブタカmニダ~(はじめまして、どうぞよろしくお願いします) 真中が妹さん 高校の先生です
2010.08.10
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駅前に止めてあったオンマの車は大きな4輪駆動車。10分ほど走ってアパート群のひとつへ。アパート自体はそれほど大きくないが、家は最上階ということで、エレベーターを上がりドアが開くとそのフロアにはソラの家しかない。(お隣さんがないのだ) ドアを開けると更に内玄関の扉が…まあ、素敵中は、お正月を迎えたということもあるからか、どこもとてもすっきりきれいに片付いている。日頃一人暮らしのオンマだから、汚す人もいないか。居間のフロアにくつろいだところで、持ってきたおみやげや家族のアルバムを広げる。それを嬉しそうに見てくれるソラとオンマ。 ソラが手に乗せているのは、うちの小舟母さんからの贈り物。ナイロンたわし。オンマが手にしているのは、昔(10年前)母が作ったエプロン。おばあちゃんからもらったものは今も大事に使ってると、出してきてくれた。母さん、喜ぶわ~~~家族の姿を懐かしんでくれるソラとオンマ。オンマは、アサリの成長に目を細めている。アサリがソラの家にホームステイしたのは、中学1年生のとき。10年たって今はもうすっかり大人だ。アサリが来たときは、まだアパートの1階にいた時で、その後豊かになって最上階に引っ越したとのこと。 部屋の向こうはサンルーム。 家族の写真コーナーソラのアボジ(お父さん)は、4年前の夏に突然病気で亡くなった。いつかお会いできたらいいなと思っていたので、その知らせを聞いた時は、胸が痛んだ。会えないままになってしまったことが、心残りになった。アボジの写真がたくさん飾られていて、アボジを想うオンマの思いが伝わってくる。写真の中にはソラが添付で送ってくれた写真もあって、その頃は家族がそろって賑やかだったんだと切なく思えてくる。オンマに、「ソラアボジガ トラガシンゴッ スーポッソヨ (ソラのお父さんが亡くなったこと 悲しいです)」と伝えたら、一瞬オンマの顔が悲しく涙ぐみそうになって、胸が痛んだ。この場にアボジがいたらどんなにいいかと思ったのかも…
2010.07.25
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電車を降りてホームの階段を上がったところが改札口。改札口の向こうに、にこにこと手を振るソラの姿が目に飛び込んできた。そして、その横には、何度も写真で見たソラのオンマ(お母さん)がやはり私たちを見つけてにっこり他の乗客の後に着いて改札口を通り抜けるなり、オンマが飛び込んでくる。「!"W#$%&'()=!"#$%&'(!"#$%&'()"#RTY()=!"#$%&'()Q#~~~~~!!!!」韓国語でダダダダ~~~と話しかけてくれるオンマのことばを何て言ったか再現することはできない。でも、不思議と言いたいことはすぐに理解できた。「今まで何度も会いたいと言ってくださったのに、ずっと会えなくて、ごめんなさい。本当にごめんなさい。私も、会いたかったです。来てくれてありがとうございます!!!」ってこんな感じ。ほんとにそういう思いがダイレクトに伝わってきて、私も「チョンマル マンナゴシッポッソヨ~。マンナソ パンガウォヨ~(本当に会いたかったです。お会いできて嬉しいです)」を連発した。ソラのオンマは私の腕をとり、固くくっついて、離れない。「さ、行きましょ」、と手をとって車に案内してくれる。私たちを、とりわけ私を大切な友人のように迎えてくれる、オンマの気持ちがひしひしと伝わり、それだけでもう胸がいっぱい、嬉しさで満たされていた。10年越しの願いだったのだ。5年前に会いそびれて、ようやく叶ったのだ。嬉しかった
2010.07.21
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いよいよ次が駅となったとき、車内アナウンスが入る。 「次の駅は徳沼(トクソ)~ナンタラカンタラ~~~楊平(ヤンピョン)ナンタラカンタラ~~~」とそれまでのアナウンスに比べて、随分長い。これはいよいよ怪しい、何かある・・・意を決して、ガラガラになった車内の一番近くに座っていたご夫婦のような二人連れの方に尋ねてみる。「私たち、楊平に行きたいんですが・・・(この電車)大丈夫ですか?」そしたら、そのうちのおばさん、手を振って「この電車は楊平は行かないのよ。次で乗り換えるのよ。私たちもその先へ行くから、一緒に行きましょう」と、ダダダダ~~~と韓国語で話してくれた。多分、こんな意味なんだろうね。全部は分からないけど、乗り換えが必要だって事だけはわかって、聞いてよかった~とひと安心。いよいよ徳沼に着いて、ホームに降り立つ。実はこの中央線は、まだできて新しい。そのおばさん、ここで待ってれば、次の電車が来るからねと言ってくれるが、連れのおじさんは、どこかへ・・・階段を上がって反対側にあるホームに向かっている。「おーい、こっちだぞ~」とおじさん。でも、おばさんは、信じてない。「え~?そっち?ここじゃないの?」と疑うおばさん。大声で、周りの人たちに確認を求め始める。「〇〇行きは、どっちから?こっち?そっち?」と納得するまで聞き返す。帰ってくる答えは、みんな向こう側のホームだよ、ということ。おばさん、恥ずかしそうに笑って「あっちだったわ」と私たちに教えてくれる。なんだかかわいい~ホームで電車を待つ間、楊平には友達がいること。10年前にうちにホームステイしたこと。その時中学2年生だったけど、今はもう社会人になっていること。5年前にソウルであったけど、今初めてお母さんに会うことなどを、たどたどしい韓国語で話した。おばさんは頷きながら聞いてくれ、わかってくれた。そして、 「私も日本に行きました。北海道に行きましたよ」と突然日本語で話してくれる。「あら~、日本語お上手ですね!」って言うと、少し勉強しましたって。 親切なおばさん、ありがとう!待ってた電車がきて、乗り込むとおばさんは連れのおじさんと一緒に向かいの席へ。 右のマスクの人が連れのおじさんです。 電車は走る。ゴトゴトと・・・辺りは田舎の景色。のどかなこと。もうすぐ楊平と思うと嬉しい。やっと来たよここまで・・・ 雪景色です電車は楊平駅に到着。「楊平~~~」とアナウンスが流れると、おばさん、ここよと合図を送ってくれる。おばさんたちはまだ先の駅に向かう模様。ホームに降り、おばさんに手を振ると、おばさんも手を振り返してくれる。短いひと時だったけど、おばさんのおかげで心強かったです。親切にしてくださって、ありがとう~
2010.07.18
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電車が動き出して、ほっと一息。これでやっと大丈夫・・・楊平までは1時間ほど?とのんびりくつろいだ。暇なので、電車の中をキョロキョロ・・・電車内に電光掲示板があり、次の駅名を表示してくれる。ハングル表示も読めるので、次は〇〇ね、と確認できるのが嬉しい。と見ていると、その掲示板に同じ文字が定期的に表示されるのに気が付いた。え?それって、どういうこと?そして、ドアの上の路線案内図を見てみると、緑の線と赤い線の2本が走り、赤い線は途中までしか行っていない。楊平はと見ると、その先の緑色の線の中にある。 そして、電光掲示板に定期的に表示されるのは、まさしく赤色線の終点(徳沼)駅なのだ。急にどきどきしてくる。この電車って、もしかしてまでしか行かないんじゃ・・・??? だから駅の時刻表に*印がなかったのかも・・・そう思い始めると落ち着かない。駅に着くたび「今どこ?」と路線図を確認し続けた。そして、不安があたっているかのように、駅に着くたび乗客は減っていったのだった。
2010.07.16
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乙支路3街(ウルチロ3ガ)から乗り換え駅の往十里(ウォンシムリ)まで約10分。その往十里(ウォンシムリ)から楊平(ヤンピョン)への電車時刻は、10:32、11:01、11:30と、ソラが手帳に書いてくれていた。10:32分の電車に乗ろうと思って、早くに出発したわけだったが、予定通りにはいかないもので、地下鉄に乗ってほっと一息ついたら、今度は11:01分発の電車に間に合うかとハラハラ・・・11:01分のには乗りたい!往十里に着き、一目散に電車を降りて、次の中央線に向かって小走りに歩いた!歩いた!!歩いた!!!…(色のラインでどこへ行けばいいかはわかりやすく、これはありがたかった)でも中央線は遠かった・・・階段を駆け上がって、やっとホームに出ると、そこに電車が入ってくる。これか!と思ったが、万が一飛び乗って違ってたら困る!ちょうど駅員さんの姿が目に入り、電車を指差し「ヤンピョン カヨ(楊平へ行きますか)?」と聞くが、発音が悪いのか「ムォ(何)?」と聞き返され、3回言い直して、やっと「ヤンピョン?カヨ(行くよ)」と答えてもらった時には、電車は出発してしまった。ガーン! あ~~~~~行ってしまった・・・ 目の前で・・・ がっかりして、ソラに電話。 「今往十里。11:30分の電車に乗るね」と連絡する。30分も時間があり、ホームをあちこちぶらぶらすると、時刻表が目に入る。*11:01、11:15、*11:30・・・・これだな・・・楊平方面に向かう電車。あら?それなら11:15分にもあるじゃない?でも01分と30分には*印があるけど、15分にはないのはどうして?何が違う?そう思いつつ、もしかして普通と快速の違いかな?なんて想像して、少しでも早く行けるのなら15分のに乗りたいと思ってるところに、11:15分、電車が入ってくる。またもや駅員さんに、 「ヤンピョンヘ カヨ?」と聞いてみると、そうだと頷いてくれる。駅員さんが言うなら間違いない。早く行けるならこれで行こう、と電車に乗り込んだ。
2010.07.13
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交通カードを買い直して、改札口に向かう。少しでも早く行きたいと早くに出てきたはずだったのに、思ってもみないことで時間がかかってしまい、足早に改札口へ。通路の両側に改札口が見えるが、きっとこっち、と何の迷いもなく左側の改札口に。カードリーダーに交通カードを置くと、ピッ!と音がする。レバーを押すとするっと回転して中に入ることができた。なんだか嬉しい!目の前に階段があり、降りて行くと、ホームに電車が入ってくる。ラッキー!って思い、止まるのを待ちながら見ていると・・・電車の表示に次の駅は乙支路入口となっている!え?????? 逆方向行きだわ~!ガーン!あっちのホームだったんだ・・・と電車越しに見える反対側のホームがまぶしく目に入る。え?でも、どうすればいいの?どうやって、あっちのホームに行けばいい?改札口からすぐ階段降りて、向こうのホームに行ける通路なんてなかった。あ~だから、改札口が向かい合ってたんだ・・・どうしよう・・・とにかく階段を上がって改札口に戻ってみる。誰に言えばいいの?駅員さんも見当たらず・・・私たち、間違ったんです。あっちのホームに行きたいんです。ねえ、どうしたらいいですか?・・・とおろおろしてると、おじさん、そこから出れるよと指差した小さなドア。そっと押してみると、あら開いた。鍵はかかってないんだ。よかった・・・すぐに反対側の改札口でカードリーダーにカードを乗せてみる。が・・・反応なし。そっか、さっき改札口を通り抜けたから、もう使えないんだ・・・がっくり仕方ない。もう一回買おう。楊平(ヤンピョン)まで1800ウォン。180円じゃない。安くてよかった!と、再度販売機で交通カードを買い直し、今度こそ、間違いないよねと通りかかったご婦人に「往十里(ウォンシムリ)はこのホームですか」と、確認して改札口を通り抜けた。 地下鉄に乗るだけで、ほんとに一苦労。一体いつ着くのやら・・・ため息吐息です。
2010.07.11
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15分ほど必死に歩いて、ようやく次の駅乙支路3街(ウルチロ3ガ)に到着。やっぱり、地下鉄の線路わきをずっと歩いたんだと再確認。探していた切符売り場が目に入り、ほっとする。 路線図の横の機械がチャージ機さ、カードにチャージしよう、とカードを取り出して、差し込み口に入れ、金額を押すが、反応がなし。 え?なんでだめなの表 裏 (ガイドブックを見てたら、地下鉄パスと思ってたものは、交通カードというものでした)何回やってみても反応がないので、困ってしまう。どうしたらいいのそこへ、中年のご婦人がやってくる。「シッレジマン~(すみませんが・・・) カードエ チャージハゴシップンデ カルチョジュセヨ(カードにチャージしたいんですが、教えてください)」と頼むと、親切にカードを手にとってやってくださる。・・・・・でも、やっぱり、ダメ。うまくいかない。何回か試みてくださったが、うまくいかないので、「ごめんなさい」と行ってしまった。元旦の朝なのだ。人通りが少ないのだ。駅員さんは見当たらないし、人も少ないし、どうしよう・・・と、今度はちょっと若い女性がやってくる。今度こそお願い!とまた同じように頼んでみると、やはり同じようにカードをとって、機械に入れてくれる。でも、やはり同じようにダメ。首をかしげながら、ごめんなさい、できないわ。と立ち去って行ってしまうが、少し行ったところで走って戻ってきてくれ、もしかしたら・・・とカードを再確認。そしてあ~なるほどと頷いて、「このカードは1回券だからチャージできないです」と教えてくださる。そうだったんだ~~~~ だから、何度やっても駄目だったのね、と納得。このカードを清算してもう一度買い直したらいいですよ、と教えてくださった。確かに、昨日安國駅で購入する時、1回券でいいよね、って買ったのだ。でもそれが使い捨てではなくてチャージもできるのかと思ってた。昨日のカードを清算すると、500ウォン(50円)が戻ってきた。切符代のほかにカードの保証金も必要なのだが、清算時には返ってくる仕組み。新たにカードを購入して、これでひと安心。ひと駅歩いたり、チャージに手間取ったりで、予想外に時間がかかってしまってる。さ、急ごう!と改札口に向かった。
2010.07.10
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2010年1月1日(金)ソウルで新年が明けました~ セヘボン マニパドゥセヨ~(新年おめでとうございます)今日はソラのお母さんに会えるのだと思うと、嬉しくてルンルン。ホテルを出て、サンドイッチ店で朝食。新年にもかかわらず、他にも客がいて、店の若い女の子は疲れた表情。仕事のある人は大変だ。楊平へは乙支路(ウルチロEuljiro)入口から地下鉄2号線に乗って往十里(ウォンシムリWangsimni)で乗り換え、地下鉄から中央線に変わり、後は楊平へ一直線。そんなわけで、明洞駅ではなく、乙支路入口駅に向かう。途中、昨夜の参鶏湯のレストランが目に入る。この店だったんだ・・・ ほどなく駅に着き、まずはトイレへ。(先が長いからね)「さ、行こう!こっちだわ」とトイレの横にあった階段を下りて行った。地下鉄パスにチャージしなくちゃ。切符売り場はどこかな・・・この駅、なんか工事中かしら。通路の横が簡易壁に覆われてる。ホームはこの先?そう思いながら、歩いて行くが、切符売り場はもちろんホームへの改札口も現れない。あれ?どうして?どこまで行けばホームに行けるの?と思いながら、人気のない道をとにかくすたすたと歩いて行く。おかしいわ~~~~?と、そこでマスオ君、「これって、次の駅まで歩いてるんじゃないか?もうだいぶ歩いたぞ」「え~~~~? 私たち、歩いてるの?????」そんな・・・ でもいくらなんでもこんなにホームに出られないなんてありえない。どこかで間違えたんだ・・・ガーン!ショック・・・元々戻るのは嫌いな私。こうなりゃ進むしかないと、次の乙支路3街(ウルチロ3ガ)に向かったのだった。(距離600mだったようです。近くてよかった!)
2010.07.09
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明洞(ミョンドン)は、ソウルでも人気のある賑やかな繁華街。大晦日のこの日の夜もにぎわっていた。寒いのにもかかわらず、通りにはたくさんの人に、いろんな屋台が…こんな寒い中で売る人も大変だな~ でも大変さを感じないくらい活気が漂っていた。 ホテルに帰りついてテレビをつけたら、NHKで紅白歌合戦が入っている。ちょうど、タイミングよくスーザン・ボイルさんが…いい歌声~~~~ 聴き惚れました。昨日の夜は真夏のシェムリアップ。今朝ソウルに着いたのが、遠い昔のように感じる。たった一日なのに充実していた中身の濃い一日。満たされた思いで2009年を閉じたのでした。
2010.07.07
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連れて行ってもらったレストランで、参鶏湯(サムゲタン)を注文。私のは、こんな感じ。この写真ではおいしそうには見えないが、外の寒さに冷えた体には、芯から温まっておいしかった。薬草味の飲み物も出て、健康にはよさそうな食感だった。 食べながら、韓国語と英語をチャンポンにして、いろいろと話した。何をどんなふうに話したかもう定かじゃないけど、言いたいことはちゃんと伝わってたよう。難しい話をするわけじゃないから、久しぶりの再会に、近況を報告し合うにはそれで十分だった。私たちの会話をにこにこと聞いてくれる朴くん。二人で話すときの親密さに、きっといつかは結婚するんだな、って感じられて、ほほえましかった。ソラは、私にとっては娘も同然。この彼なら、ソラは幸せになれそうと、見ていて嬉しくなってくる。年は、ソラより上だけど、兵役を終えて勤めたのはソラより後だそうで、彼女は僕の先輩なんです、って笑ってた。 お似合いの二人ソラが明日は新年なので家に帰ると言う。お母さんが一人でいるから、帰ってあげなければ…と。そのとき、ふと、「ね、私たちも一緒に行っていい?何の予定もないから、お母さんさえよければ、ぜひお会いしたいわ」と話すと、すぐにその場で電話をかけてくれた。「オンマ~、日本のオンマが、明日そっちへ行っていいかって聞いてるんだけど~。いい?大丈夫?わかった~」と聞いてるだけで、OKなのが伝わってきて、やった~~~~!明日、お母さんに会いに行けるわ!ソラの実家は、ソウルから1時間ほど離れた楊平(ヤンピョン)にある。数年前に突然お父さんが亡くなって、今はお母さんが一人で住んでいる。しばらくしてソラは、私たちが明日家に来るなら、私は今晩家に帰ろうと思う、と言う。大晦日にお母さんが一人でいるのはかわいそうだから、と。そして、楊平までの電車の乗り換えをiPhoneでいろいろ検索してくれる。(目の前でその便利さを見て、いいな~っていっぺんにあこがれた。それがiPodを買いたいと思ったきっかけ。といってもこのiPhoneはソラのものじゃなくて、朴さんのものだったが。ソラは自分のものみたいに愛用していた) 仲睦まじいふたり大丈夫。私たち、今日地下鉄に乗って帰ってこれたから。乗る路線と、乗り換えの駅を教えてくれたら、きっと行けるから。それに、パスも買ったしね、と地下鉄パスを見せる。ソラは、手帳に時刻をメモしてくれる。思いもしなかった楊平訪問に、もううきうき。心ははやる。食事の後、コーヒーショップに場所を移して、家から持参した家族のアルバムを朴さんにも見てもらう。大きくなったアサリや、タイ君の姿に、ソラは目を細め、父や母の姿には、おじいさんやおばあさんに会いたいと言って懐かしんでくれた。 いつか二人で、必ずうちに来てくださいね、と固い握手で朴青年とお別れ。必ず行きますと、朴さんはほほ笑んでくれた。ソラとはまた明日会えるから、今日は淋しくない。また明日~!と明るく別れたのでした。
2010.07.06
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6時にホテルに来るというので、そそくさと準備し、1階のロビーに降りて行く。時間にはまだあるが、もうすぐ会えると思うと、気がはやる。回転扉が何度も開く中で、あ~!と見覚えのある顔が…「ソラ~~~~~!」と近寄っていくと、向こうでも私を見て、笑顔で小走りにやってくる。思いっきりハグ!喜び爆発!二人で抱き合って再会の感激に浸った。「オレガンマニエヨ~!マンナソ パンガウォヨ(久しぶり~会えて嬉しいわ) チョンマル キッポヨ~(ほんとにうれしいわ~)」と連発した。「オンマは?」と聞くと、ソラは申し訳なさそうに、都合が悪くなって来られなくなったと言う。そうか…仕方ないわ。都合が悪いんだもの。ソラとこうして会えただけでも十分!「ケンチャナヨ(大丈夫よ)」(だけど、それにしても縁がないものだ) ふとそばでにこにことしている男性が・・・「ボーイフレンドよ」とソラ。思わず、「前の人とは違うわね」って口から出てしまった。(前の彼と別れたことは随分前に知っていたのに。軽い口だ~!) ま、ソラも彼もにこにこと、違います~って笑ってたけど。彼はパク・ジョンシクさん。会社の同僚だそうだ。とっても優しそうな好青年で、初めて会ったのに、自然に打ち解けられそうな人だった。どこへ行きましょうか、というので、「おとうさん、ペガ ナッパヨ(お腹が悪いの)」と話すと、サムゲタン(参鶏湯)がいいかな、とサムゲタンのお店に案内してくれることになった。
2010.07.05
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2004年の夏に韓国へ行くと決めたのは2月だった。ユナイテッドのマイレージがたまっていたのだが、同じスターアライアンスのアシアナ空港で富山から韓国へ行けるかと、問い合わせてみるつもりでかけた電話で、8月の予約が取れたのだった。ソラにはすぐにメールで知らせ、ソラからも「嬉しい~」と返事が来ていたが、その後7月になるまで連絡を取らなかったのが悪かったのか、彼女はすっかり忘れていたようで、私たちが韓国に行く同じころに家族旅行が計画されていた。ソラは、家族旅行を取りやめて、私たちを迎えてくれたのだが、そんなわけでお父さんやお母さんに会うことができなかった。1999年の冬にソラがホームステイしたその半年後の夏休みに、今度はアサリがソラの家に2週間お世話になった。アサリの希望というよりは、私の勧めで出かけたようなもので、強いホームシックで随分泣いたらしい。それでも帰国した時、「韓国には和みがあった。日本に帰っても、韓国にずっといてもどっちでもいい気持ちになった」と穏やかに話す言葉に、アサリなりにいろんな経験を乗り越えたことを思い、韓国での生活に居場所を作ってくれたソラの家族に会って、ぜひお礼を言いたいと、その頃からずっと思っていた。だから、せっかく韓国まで出かけていくのに、会うことができないことが本当に残念でならなかった。そんな思いがわかるからか、ソラはその代わりおじいさんを伴ってホテルに会いに来てくれた。84歳になるというおじいさんは、背筋もピンと伸びてシャキッとした方だった。元は北朝鮮に住んでいたが、戦後の体制が嫌で韓国に来たと話してくださった。 おじいさんと大学生になったソラ 昌慶宮を一緒に観光 ボーイフレンドは好青年初日は、おじいさんと一緒に南山に連れて行ってくれ、有名なソウルタワーに上った。2日目は、半日シティバスに乗って昌慶宮や、国立中央博物館を周り、その後はナンタ劇場でその頃人気があったナンタを見た。ソラも初めてだったようで、喜んでくれた。3日目はボーイフレンド君も一緒にお昼を食べ、太田(テジョン)に出かける私たちをソウル駅まで見送ってくれ、4日目は、これで最後と、ソウル駅におみやげをもって別れに来てくれた。ソウル駅からタクシーに乗ってホテルに戻る私たちを見送ってくれたのが、ソラとの最後。『また会えるよね、さよなら~』と胸がいっぱい。涙がこみ上げた。 私たちを見送ってくれるソラ この時から5年半。大学生だったソラは、今や有名テレビ局に勤めるキャリアウーマン。メールではいつも変わらないソラだけど、どんな大人になってるのか会うのが楽しみだった。
2010.07.04
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金雪芽(キムソラ)ちゃんが、我が家に来たのは、1998年の12月。その頃入っていたヒッポファミリークラブの青少年交流活動ホームステイプログラムで韓国側からやってきたのだった。といっても彼女はヒッポの団体ではなく、「よいお父さんになる会」という団体のメンバーだったが。(ヒッポについてはこちら)そのとき、ソラちゃんは14歳の中学2年生。うちのアサリより2歳年上だったが、調査票に身長166cmと書いてあって、どんな大きな子なんだろうと会うまでどきどき・・・ 空港に到着して初対面。アニョハセヨ~その後2週間、ソラは私たち家族の一員として滞在したのだった。忘れられない出来事が一つ。食事の用意を手伝ってもらいながら、竹島の話になった。その頃竹島の領土問題が話題になっていたこともあり、私もテレビニュースで見たことがあった。ソラは、壁に貼ってある日本地図から竹島を指差して、「独島(竹島)のこと、日本が自分たちの領土だというので、韓国の国民はみんな悲しんでいる」と話してきた。うちに来て以来、少しずつ打ち解けて笑顔も見られるようになっていたが、心に何か秘めたようなソラだった。こんな話題を持ち出すということは、内心日本に対して警戒感をもっていたのかと、私もちょっとナーバスになった。でも努めて平静に、「竹島のことは、ニュースを見て知っている。でもほとんどの日本人はそのことについて何も考えていないと思う。だってどちらの言い分が本当か、って、本当のことはわからないから」とこれは私の独断的考え。 ニュースになって韓国側が抗議していると聞いたからといって、日本国民がみんな憤ってるとは到底思えなかった。自分にとって大事なのは、これから仲良くしたいこと。そんなことをつたない英語で伝えたことを覚えている。ソラは納得したかどうかはわからないが、韓国でみんなが思うほどには日本では反応がないことは私の口ぶりから感じたようで、その日を境に構えていたものがなくなった気がする。 初詣のソラ年が明けて1999年を迎え、初詣に出かけたら、神社に怪訝な顔をしていた。列に並んで神殿前でお賽銭を投げて、鈴を鳴らしてお参りする…一緒に連れ歩いたが、日本の神様にお参りするというのは抵抗があったよう。屋台で売っていた鈴カステラをおいしいと喜んでいた。2週間も一緒にいると、情が移り、本当に家族同様になってくる。別れが近づくにつれて「淋しいけど、韓国にいる家族にも会いたい」とソラ。最後の日、みんなで空港まで見送りに行った。最後の別れの時、初めて彼女が涙を見せる。おばあちゃんも、私もみんな涙、涙・・・ 滞在中、私のことを「おかあさん」と呼んでくれていたが、私にとっても本当の娘のようにかわいく思えた2週間だった。最後は抱きしめて「Good by~」搭乗ゲートの扉の向こうに消えた後、タイ君が、顔を突っ伏して泣きじゃくる。2週間トランプやウノで毎日遊んでくれたお姉さん。側にいつもいた人がいなくなる淋しさは、10歳の子にとっても堪えるよう。ただし、アサリは相変わらずクールだったが。さよ~なら~~~~~飛行機が飛び立ち、小さくなって見えなくなるまで手を振って見送った。 それから5年後、大学生になったソラと再会を果たしたのだった。(つづく)
2010.07.04
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ホテルに戻り、しばらくラウンジで時間をつぶした後、2時にチェックイン。部屋に上るエレベーターで、ホテルの古さを感じるが、部屋に入ってまたがっくり。狭い!カンボジアのホテルが広すぎたかな。ここは半分ほどの広さ。5年前に泊った世宗ホテルを思い出し、室内もサニタリールームも向こうのほうがよかったなとちょっとブツブツブツ…(今更仕方ないが)マスオ君は、寒さでお腹の調子が悪いようで元気がなく、ベッドに入ってすぐに眠ってします。私もしばらくお昼寝…3時過ぎ目を覚まし、この日の夕方会う予定になっている金雪芽(キム・ソラ)ちゃんにいつ電話しようかと迷う。『ホテルに着いたら電話して』とソラはメールで言ってたが、6時まで仕事のはず。早くにかけたら迷惑かなと思うと電話できない。とりあえず、きれいになろう!とお風呂に入る。 夕方5時20分ごろ、ソラにTEL。「ヨボセヨ~(もしもし)」と言っただけで、私だとわかって歓声をあげてくれるソラに私もいっぺんに緊張がほどけ、嬉しい!!! 「ソラ~~~~~」6時にホテルに来るから待っててとソラ。5年ぶりの再会に、気持ちが弾む。ソラのオンマ(お母さん)も来てくれるかな。ずっとお母さんに会いたいと思っていたが、5年前は行き違いで会うことができなかった。今回はオンマも一緒に来るとメールに書いてあった。今度こそ、オンマに会える?嬉しい!
2010.07.03
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空は快晴で日差しもあるが、刺すような寒さで身が持たない。足早に昌徳宮を見て回って門を出たところにある休憩所に転がり込んだ。温かい缶コーヒーを飲んで一息。さあ、どうやって帰ろうか。またタクシーに乗る?ソウルのバスはしない同一料金で安いと聞いていたから、バスに乗ってみようかと言いながら、目の前にあるバス停へ向かう。明洞の方に向かうバスはどれかと、行き先案内を眺めるが、それらしい文字が見当たらず、傍にあった売店のおじさんに尋ねてみる。「ミョンドンヘ カゴシップンデ~ ミョッボンボス イmニカ? (明洞に行きたいんですが、何番のバスですか)」本当なら、「何番のバスに乗ればいいですか?」とか、「ミョンドン行きのバスはどこから乗ればいいですか?」とか、もうちょっと気のきいた聞き方で聞けたらいいのだが、そんな言語能力もなく、最低限の言葉で尋ねてみた。でもおじさん、ちゃんとわかってくれて、「明洞に行くならバスじゃなくて、地下鉄に乗るといいよ。もう少し行った先に、地下鉄の駅の入り口があるから」と教えてくれた。(もちろん韓国語でだよ)おじさんの指さす方を見ると、2、300m先に地下鉄の降り口が見える。「アラッソヨ~(わかりました) コマッpスmニダ~(ありがとうございます)」とお礼を言って地下鉄の駅に向かう。通じるじゃん~~~安國駅に着いて、階段を下りた途中にある地下鉄路線図で明洞を探す。何番の電車に乗ればいいかな~?と、探すも、あら?明洞が載ってない。どうして???そこにやってきた女子高生の3人組。「ちょっとすみません。明洞に行きたいんですが、何番線に乗ればいいですか?」と聞いてみる。急いでいるような彼女たち。困った顔しながらも、一緒に探してくれるが、彼女たちもわからないと首をかしげ、先を急ぎたそう。ごめんなさい、と行ってしまった。仕方ない、とバックから地図を出して、地図に載ってる地下鉄路線図と照らし合わせてみる。どうやら、この駅の路線図って、北部の路線だけのよう。 これがソウル内の全路線図とそのとき、さっきの女子高校生が戻ってきた。携帯電話で路線を調べてくれたらしい。安國からオレンジの線に乗って忠武路まで行き、そこで水色の線に乗り換えれば明洞へ行けると教えてくれた。ありがとう!!!!心優しき乙女たちよ~~安心したかのように、彼女たちは足早に行ってしまった。旅先に出ると、本当に人の優しさが身にしみる。彼女たちの写真が撮れなくて残念!こうして、無事パスを買い、オレンジ線と水色線に乗って、明洞駅に帰り着いた。「はじめてのおつかい」みたいで、スリルたっぷり。やり遂げた充実感で満たされたのでした。
2010.07.01
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世界遺産にもなっている昌徳宮(チャンドックン)は、広大な敷地にある朝鮮王朝時代の宮殿。1405年の建造だそう。5年前に韓国に来た時、この昌徳宮をはさんで、東にある昌慶宮(チャンギョングン)と西に位置する有名な景福宮(キョンボックン)は訪れたのだが、世界遺産になっているこの昌徳宮はまだだった。近いところに来てるんだもの、見ていこう! 敦化門への通路 仁政殿に向かう道 国宝指定の正殿です。 王の玉座 外国人観光客が多いです。 裏道に回ります。 裏門? 宮殿内部 迎賓の間ガイドの案内が1時間ごとにあり、ちょうど私たちと一緒に英語でのガイドが欧米人の若者を案内していた。帽子の形を見ると、ロシアの若者だろうか。タタロチカやトロイカを思い浮かべる帽子をかぶって、とてもあたたかそう。そして、背が高くてかっこいい!若い時にこうやって友達と一緒に外国を回るなんていいな~と羨ましく見ていた。写真に撮れなかったのが、残念!世界遺産といっても、アンコールワットのものとは、まったく違った様相に、その国、その地域の文化の違いがまざまざと感じられました。どちらも素晴らしいです。 パク ヨンハさんの訃報に驚きました。私の韓流の原点はやはり「冬のソナタ」。私が好きなのはチュンサンであり、ミニョンさんのほうでしたが、まじめで一途なサンヒョクも幸せになるべきだと心から思いました。知ってる人が遠くに逝ってしまうのは淋しいです。ご冥福をお祈りいたします。
2010.06.30
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韓流スターグッズの店を出て、中央高校を背に道を下っていく。昔ながらの家並みをときどき見ながら、歩いて行くと、北村ゲストハウスも目に入る。 インターネットよりここって、「私の名前はキム・サムスン」のドラマで、ハーフ役の人が下宿していたところじゃないのかな。ドラマを見ながら、こんなところに泊ってみるのもいいな、と思ってた。韓国の風情をじっくり味わえそう。 (いつか一人で来た時泊ってみよう)歩きながらも寒くて寒くて、ブルブル凍えそう。どこかで温まりたいよね、とお昼ごはんを食べに食堂を探して入る。本当ならビビンバが大好きで食べたいところだったが、体が冷え切っているので、熱い麺類にしようと、迷わずうどんを選んだ。韓国にもうどんがあったんだ・・・ これがそう。フーフー言いながら食べて、やっと一息ついた。体もあったまって、次はどこを回ろうかと元気も出てきた。地図を眺める。「近くに、昌徳宮(チャンドックン)があるみたい。せっかくだもの、ここに行ってみよう」お店の人に、怪しげな韓国語で聞いてみる。「チャンドックンヘ カゴシップンデ~。(昌徳宮へ行きたいんですが) オヌチョギロ カヨ?(どっちのほうに行きますか)」 もう半年も前のことなんで、どんなふうに聞いたかは、もう忘れてしまったが、とにかく知ってるだけの韓国語をつないで聞いてみた。お店の人は親切で、ちゃんと言いたいことは分かってくれたが、さて、どう説明しようかと悩んでいるのが伝わってくる。ちょっとだけ日本語が分かる若いお兄ちゃんが呼ばれて、韓国語日本語チャンポンにして、話してくれる。店を出たら、右へ行って左へ行け、と言われたような気がした。ともかく、 「コマッスmニダ~(ありがとう) カmサmニダ~(ありがとうございます~)」を連発して、食堂を後にした。
2010.06.29
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坂道を下って行った左手にユジンの通っていた高校があった。 「ソウル中央高校」確かにこの通路、ユジンやサンヒョクが歩いていたっけ。見覚えがあるわ~。でも、案内してくれたおじさん、「私立の高校なので、門から中には入れません」とのこと。残念!そしたら、おじさん、「ここが、ユジンの家に住んでた人の店なんです。あったかいお茶が飲めますから、どうぞ」と私たちを招き入れたのが、正門前にあるこのお店。パンフレットには、「韓流スターグッズのお店」と書いてあったが、店の中に入ったら、ほんとに所狭しといろいろなスターの写真やら、小物やら、おみやげが置いてあった。中にいた奥さんが、「ようこそ、いらっしゃいませ」と、きれいな日本語で温かいお茶を出してくださる。あら?さっきのおじさんは、どこ?と気付いた時には、おじさんの姿は見えない。「あら?連れてきてくださった男の方は、どこか行かれたのかしら?」と尋ねたら、「あー、あれは主人なんです」なるほど~~~~。奥さんが「ユジンの家の主人」としてこの店を切り盛りし、旦那さんはその店に少しでもお客さんを呼び込もうと、寒空の中がんばってるんだ…奥さんは温かいところで、ご主人は寒いところで。(うるわしい助け合い…感動)「スターでは誰が好きですか」と聞かれて、「最近の若い人はあまり知らないんですが…見たのは、冬のソナタ、美しき日々、パリの恋人にくらいかしら…(ほんとはもうちょっとあるけど) イ・ビョンホンさんが好きでした。パク・シニョンさんも」と答えると、「イ・ビョンホンさんは、大スターですよ。すごい人気があります」と奥さん。何も買わずに帰るのも気が引けて、何か買える物ないかと物色。「あ、まだ冬のソナタのカレンダーがある」と見つけたのが、冬ソナの卓上カレンダー。目新しさはないけど、これでいいや、とそれ一つをいただいた。20000ウォン。(ちょっと高かったな)「寒いですね~」と話したら、この日は-13度だそうで、寒いはずだわ! 優しいおくさんでした。
2010.06.28
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「北村韓屋村(プッチョン ハノク マウル)」の中を歩いて行く。ゆるい坂になっていて、確かに写真で見たことのある風景。昔の韓国の名残を感じながら、写真を写すベストスポットを探すが、何しろ寒くて、本当は写真どころじゃない。天気はいいし日差しもあるのに、この寒さ。一体気温は何度? これは、インターネットからいただいた写真です。この坂を見たとき、冬のソナタの第一話のオープニングで、ユジンが学校へ行くのに駆け下りてきたところは、こんな感じだったな、と思い出す。ポケットに手を突っ込みながら、坂を上り道なりに歩いて行ったところで、「こんにちは~」と声をかけてくるおじさんがいる。「ここ、冬のソナタのユジンの家だったとこなんですよ。もう家は古くなって2年前に壊されたんですが、階段と門はそのまま残ってるんです。写真撮りましょうか」へ~!知らなかった。ユジンの家がこんなところにあったなんて。そういえばこの階段、そうそう、ピンクの手袋を貸してあげた場面だったな、とよみがえる。それにしても、おじさん、日本語上手…「じゃ、お願いします」と写真を写してもらう。 空は快晴。気持ちいい日なのです。寒くさえなければ。 これは、まだ家があったころの写真(インターネットより)なんて、親切な人かと思ってお礼を言うと、ポケットから「冬のソナタの撮影場所」というパンフレットを取り出して、「実は、あそこに、ユジンが通った高校もあるんですよ。ソウル中央高校なんですが、行ってみますか。高校の前にユジンの家の住人だったものが店をしてるんで、温かいお茶御馳走してくれますから、そちらにも案内しますよ」と話してくれ、もちろん、よろこんで、お願いした。 坂の上から見たソウルの街並み
2010.06.27
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今回の韓国で行ってみたいところの一つが、韓国の伝統家屋。 「南山コル韓屋村」と「北村韓屋村」があるが、昔ながらの街並みと言うことで、北村のほうを選んだ。ホテルの前に止まっていたタクシーに乗り、 「アニョハセヨー」と挨拶し、ガイドブックを開いて、「北村韓屋村」を指差し、「ヨギヘ カゴシッポヨ(ここへ行きたいです)」と話すと、「ハングゴ、チャレヨ(韓国語上手ですね)」と運転手さん。もちろん、運転手さんは、日本語もしゃべれる。韓国語と日本語で答えてくれる。2,3年韓国語を勉強したことを話すと、「じゃ、韓国語をたくさん話してみてください。私と話しましょう」と親切に言ってくださる。人懐っこく、愛想のいい運転手さん。「ところで、2時まで時間があるなら、半日タクシーをチャーターすればどうですか、4時間10万ウォンでどこでも案内しますよ。お得ですよ」と運転手さん。う~ん、10万ウォンね~。約1万か・・・せっかく自分たちで街を歩いてみたかったんだけど… チャーターしたら楽だけど、カンボジアのガイド付き観光と変わらなくなっちゃう。と、ちょっと悩んで、 「ごめんなさい。やっぱり北村まででいいです。自分たちで歩いて回りますから」と断った。 「あ、そう」と運転手さんは気落ちした顔。それまでの愛想がちょっと陰ったような。 「ミアネヨ~(ごめんなさい)」と声をかけると、「ケンチャナヨ~(かまいませんよ)」とそこは大きな声でにこやかに言ってくれた。北村韓屋村の入り口に着いて料金を払うと、450ウォン(45円)だった。安い~!!!
2010.06.26
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明洞(ミョンドン)のバス停で降りて、場所を確認。ホテルはどこ?近くのはずだけど…世宗(セジョン)ホテルの時は、ホテル前がバス停になっていたが、今回泊まる予定のロイヤルホテルは繁華街の中にあるので、少し歩かなければならない。わからないときは、聞いてみよう!「シッレジマン(すみませんが)、ロイヤルホテル、オディエヨ(どこですか)?」と道行く人に聞き聞き、歩いて行った。しかし、寒い!歩道には数日前に振ったらしい雪が凍ったままつるつる光っている。滑ったらこわいので、なるべく乾いたところを選んで歩くが、とにかく気温が低くて、トランクを引っ張る手が、ちぎれそうなほど冷たい。早くホテルに入りたい…スーパーのマークを左に曲がれと言われて、曲がってみると、あ、ホテルの看板が・・・よかった。9時半にロイヤルホテル到着。四つ星のホテルだが、世宗ホテルよりちょっと古そうな感じ。でも、街に出るにはいいロケーションかな。チェックインは午後2時からなので、部屋に入ることはできない。荷物を預けてそれまでの間どこかを回ってくることに。トランクの中から、帽子と手袋を出して、準備完了。これで少し温まれそう。いざ、出発~!ガイドブックを手に、行ってみたいとこのひとつ、を選んでみた。
2010.06.26
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5年前のこと。空港からリムジンバスに乗った時、世宗(セジョン)ホテルで降りる予定だったのに、バスの音声案内で「セジョンホテル~」と聞こえて、あわてて次だと思って降りたら、一つ手前の停留所だったらしく、右も左もわからない街中で立ち往生した。地図を広げても、地図に書いてあるのは日本語表記なので、街中に目に映るハングルとは照らし合わせることもできない。通りかかった3人組の女子高校生に簡単な英語で「ここはどこですか?」と持っていた地図を見せるが、彼女たちは漢字が分からないので、その場所を地図の中で特定することができず、結局、セジョンホテルまで15分の道のりをトランクを押しながら案内してくれたのだった。映画にでも行くところだったようなのに、彼女たちの好意がありがたく、アイスクリームでも食べて、と1万ウォンを出したら、「こんなにたくさん」とすごく喜んでくれた。(もちろん、いいいです、と何度も遠慮した後で) 道を案内してくれた女子高校生たちです。そんなことがあったから、今度はしっかりバスの音声案内を聞こうと思ってた。今なら少しは韓国語がわかるから、前よりはましなはず・・・もしわからなかったら、「ミョンドンで降りたいです」って言えばいい・・・うん?降りるって、何だっけ?ネリダだったけ?・・・ちょっと誰かに聞いてみよう・・・と、通りかかったアジュンマ(おばさん、いえ、ご婦人)に「カルチョジュセヨ~ (教えてください) ボスルr タニダ、ボスプト ネリダ、 マジャヨ? (バスに乗る、バスから降りる、合ってますか?)って聞いてみた。はじめ怪訝な顔のアジュンマ、すぐに優しい笑顔で、ミョンドンならバスじゃなくて地下鉄かタクシーで行けばいいとかなんとかかんとか、タラタラタラ~~~~と親切にたくさ~ん話してくれる。なんとか、「わかりました、ありがとう」と伝えて笑顔で手を振るが、聞いてよかったやら、悪かったやら。なお、こんがらがった感じ。(後で考えるとタニダは「通う」で、「乗る」は「タダ」だった。 )さて、ようやく明洞行きのバスがきて、乗車する。出発時間になると、運転手さんが立ち上がり、乗客に深々と一礼して運転開始。(ほ~、こんなことは、5年前にはなかったぞ)1時間ほどのドライブの末、ソウルの街中に入る。ずっとノンストップで走ってきたバスも、そろそろ停留所が近づく。最初のバス停を出発した後、「次は~〇〇です。その次は△△です」と二つ先の停留所まで案内が入る。やっぱりね~!5年前は、この△△のところで、次がホテルだと思ってあわてて降りたんだ、と納得。でも今なら、大丈夫。韓国語わかるもんね・・・・と思っていたら、韓国語の音声の次に日本語の音声で「次の停留所は〇〇です。その次は△△です」と案内が入るではないか!日本人の観光客が増えて、サービスが増えたのね。日韓関係の5年の進化を感じた一幕だった。
2010.06.24
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2009年12月31日(木) ソウル仁川空港には、予定よりちょっと早く午前7時前には到着。飛行機の中で厚手の上着を準備し、ソウルの寒さに備えた。4日前に仁川空港に降りた時は、一面の吹雪で超寒そうだった。またあんな空だったら、寒そう…嫌だな~って思ったが、夜の空に満月が光っていたから、大丈夫かな。空港の中は暖房も入っているので、急激な寒さは感じなかった。スムーズに入国審査をパスし、荷物を受け取り、ウォンに両替して出口へ・・・もうガイドさんが出迎えてくれるわけでも、誰かが待っててくれるわけでもなく、これからは、自分たちの力だけで過ごしていかなくてはならない。そう思うと、なんだか自立した気分で、わくわくしてくる。嬉しい~~~仁川空港は5年ぶり。以前来たとき、出入口を出たところの小さな切符売り場でバスのチケットを買ったはず、と思い出しながら外に出るが、5年もたってるからか、そういう小さな売り場はなかった。 これです。5年前(2004年)にあったバスのチケット売り場明洞(ミョンドン)行きのバス停を探し、新しいチケット売り場の係員の人にロイヤルホテルに行きたいことを伝えてバスのチケットを買う。「チョヌン、ロイヤルホテルヘ カゴシップンデ~ オルマエヨ?(ロイヤルホテルに行きたいんですが、いくらですか?)」と話したら、ちゃんとわかってくれて、ほっ。 片言韓国語でなんとかやっていけそう。しかし・・・、さ、寒い!ちょうどあたりは夜が白みかけてきた頃・・・一番冷え切っているころだからか、ちょっと外に出ただけで、身を切るような寒さ。チケットを手にしてあわててまた空港ビルの中に戻った。付記ソウルに行ってからもう半年もたってしまって、忘れてしまったこともたくさんありますが、だからこそ今思い出して書き留めておきたいのです。自分にとっての大切な思い出・・・ソウルでは、観光よりも小さな出来事がたくさん心に残っています。よかったら、気長におつきあいください。 これも長丁場になりそうです。
2010.06.23
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