がんサバイバー 0
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訪問してくださるみなさまへ当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。長く中座していたブログを6月から再開し、乳癌日記を書き綴ってきましたが、実はもう一つブログがあり、今後はそちらのほうだけに乳癌日記を更新することにしました。こちらのブログは、これまで通り、多読の本のこととか、旅の記録とか、夢に関わることを綴っていきたいと思います。内容によっては記事がダブることもあるかもしれませんが、とりあえず住み分けということで。乳癌日記は、今日「試練と支援はセットで現れる」を更新しました。その日記は→こちらをご覧ください。
2018.08.21
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昨年の乳癌がわかった頃の記録です。ある朝、自分の心の弱さに向き合って、どうしようもなく悲しくて泣きながら職場までの道のりを運転していきました。どのあたりで涙がこみ上げ、どの辺でボロボロ涙流して泣きじゃくっていたか、今でもその時の十数分の光景が蘇ってきます。(涙があふれて視界が悪くなったけど、事故だけ起こしちゃいけないと、目だけはしっかり開けて運転してました)このとき、2年半前のアメリカ、アリゾナツアーでのことを思い出していました。ロサンゼルスからサンディエゴに向けて、ドライブが始まったばかりの初日のランチの席で、ロッキーさんの夢実現講座のミニレクチャーが始まりました。夢を叶えるのはね、簡単なんですよ。願うことを心に描いて頼めばいいんですよ。そしてそれが叶うと信じる。それだけでいいんです。というロッキーさんの言葉に、私、もし叶わなかったら、天(宇宙?神さま?天使?)に申し訳ない気がして、叶いそうな夢だけをお願いしてしまうところがあるんですけど・・・ と話したら、それはね、信じる力が弱いからですよ。信じる力を強くするんです。願って叶わないときは、自分の信じる力がまだまだ弱いと受け止める。信じる力を強くしていくことです。と、返してくれた言葉。そのとき何気なく言われて、何気なく聞き取ったけど、旅の間その言葉はどんどん重みを増し、心の奥底に響いていきました。その時以来、は自分のテーマになりました。(その時の旅の記録はこちらのブログで)その時のことが蘇ってきました。そして、ここにきて、今もまだ信じることが怖くて、信じきれない自分だと気づき、信じることの難しさをひしひしと感じたのです。いろいろやってきたけど、なんら成長していない、信じる力の弱い自分でした。自分のことも信じ切れていませんでした。情けなく、ただただ悲しく涙があふれました。そして、心から祈りました。どんな結果も受け入れる、私は大丈夫、と。癌とわかったときに感じた最初の思いは、「これで人生に箔が付く!私に悪いことが起きるはずがない。癌になって手術をしても、マラソンを走って、誰かの励ましになりたい、誰かの希望になりたい!」でした。そして、最初にそう感じた自分の直観を信じよう、自分に正直にあろうと決めたのでした。涙にくれながら運転したこの日の朝が、転機となりました。
2018.08.20
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もう一年たった過去のこととはいえ、辛かった時のことを思い出して書くのは、しんどいものです。読んでくださる方も、気が滅入るでしょう。そんな時期ももうあと少しで終わるのですが。もう少しの辛抱・・・ 続きです。私にはMさんの他にも心配してくださる友人がいて、いろいろ温かなアドバイスをくださいます。そしてその友人がやっぱり心配するのです。手術を決めた展開が早すぎる気がする、と。え?展開が早い?・・・ それが危うく見えるのそれまでは、こんなに早く物事が進んで、私はなんてラッキーなんだろうって思っていました。自分でしこりを見つけて、訪れたクリニックですぐに診察してもらえ、生検もできて、2週間後に癌と診断され、その日のうちに手術が決まる・・・1~2か月程度では癌の進行はそれほど変化ないと聞くものの、手術するなら早いにこしたことないと、こんなにスムーズに物事が進んでいってよかったと、私は感謝で受け止めていたのです。みんな心から心配して、善意で言ってくださる温かな言葉とわかるだけに、人の意見を聞けば聞くほど、自分の判断が揺らいでいきます。本当に大丈夫?本当にこれでいいの?どうすればよかったの?これからどうすればいいの?気づき・・・信じることへの恐れがある。望んで上手くいかなかったら、望んだ結果を得られなかったら、自分の信じる力が弱いと失望する。それが怖いから。私はダメと落第したと感じるのが怖い。私に奇跡を起こせる力はなかったと、がっかりするのが怖い。自信のなさは恐怖から。それを宇宙に責任を預けて、委ねると表現してる。逃げてるのかな。自分を信じることに。委ねて流れに身を任せれば、悩まなくていいから。楽な道を選んだこと、その時点で宇宙からの課題に落第してるのか。癌になっただけでも嬉しくないのに、こんな自分の弱さを突き付けられるなんて・・・悲しい。私は弱い人間なんだ。スピリチュアルなんて、知らなきゃよかった。癌への恐れじゃない。宇宙の課題に落第してるんじゃないかという恐れ、天を失望させているんじゃないかと思う悲しさ。ただただ悲しい・・・癌がわかる少し前にマイケル・A・シンガーの「サレンダー」という本を読んでいました。サレンダーというのは「委ねる」という意味です。ヨガに出合い、ヨガナンダという聖者の影響を受けたマイケルは、自分の意志を捨て、すべて出来事が起きるままに、流れに身を任せる生き方を貫いていきました。どんなふうに物事が展開していくかは、人智を超えて想像もつかないところに人の運命を運んでくれるのです。目標設定型の考え方がある一方で、この委ねる生き方も魅力的なものとして目に移り、委ねて展開していく人生も面白いかもと思っていた私でした。癌がわかったとき、この「サレンダー」を思い、委ねようと思えたことが気持ちの支えでもありました。でもこのときは、委ねると思ったことさえも、弱い自分から目をそらすための言い訳だったのかと、そんな自分が弱さそのもので、情けなく悲しく感じるのでした。ただただ悲しく、とめどなく涙が流れ、嗚咽しながら運転したある日の朝・・・このときが、一番辛く落ち込んだ時でした。
2018.07.31
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検査の結果と、結局は最初の予定通りに全摘手術にすることになったということをMさんに伝えました。それを見て届いたMさんからのメールです。検査結果そうだったのですね。わたしだったらこうするのお話させてください。温存治療を提唱されてる先生を探して初めて受診してる顔して最初から検査してもらいます。今後、すべての治療を受けるのはわたしだからそして、毎日ニコニコ笑顔で幸せ、楽しい、嬉しいと言ってるわたしを鮮明に描いていきます。他の人がどうなったのかは関係ない!データも関係ない!ミラクルを起こすのはわたしです Mさんは、私のことを思って言ってくださるのです。その温かな思いがひしひしと伝わってくるのです。Mさんのそんな思いがわかるだけに、Mさんの勧めと違う選択をしたことに、そして、ミラクルを起こすのはわたしという力強い言葉に、もしかして私、やっぱり間違った道を選んでいるのかと重苦しい気持ちになるのでした。誰かにその重苦しい気持ちを聞いてほしくて、妹宛に書いたメール。昨日の検査結果をMさんにメールしたら、私ならこうする、と返ってきたことが、私の選ぼうとしていることと違って、気持ちが沈んでいる。私が選ぼうとしていることは間違いなのか。善意で言ってもらっていることがわかればわかるほど、違う道を選ぼうと決意することに罪悪感を覚える。最初は全然重く受け止めていなかったのに、どんどん自分の中でガン患者の比重が重くなる。最初は明るく振舞うんじゃなくて明るかったのに、今は振舞うことを意識する。こういう内面の対話が必要だったのかな。自分を信頼することが課題なのかな、と感じている。自分の内面を見つめた、自分との対話はこの後も続くのでした。
2018.07.27
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翌日5月19日(2017年)はMRI検査の日でした。MRIもCTスキャンも、私には初めての検査。どんな検査だろう、ってちょっとだけ好奇心でワクワクです。 上のイラストのように、てっきり上向きで横たわると思っていたら、うつむきで寝てくださいとのこと。最初はそのままで撮影し、後半に造影剤を入れて撮影するということで、耳栓を渡されました。音がやかましいのだそうです。確かにやかましかったです。ダ、ダ、ダ、ダとドリルで何かを砕いてるような音?結構振動が響いてきました。後半に造影剤を入れられると、全身に温かいものが駆け巡り、変な気分。検査は40分ほどで終わり、待合室で診察を待ちます。先生に、全摘手術はやめて、温存手術に変えたいということを伝えなくちゃと思うと、ドキドキ身構えるひと時でした。その間、手術の後にランニングしている人はいるかしらと、「乳癌、手術後ランニング」と検索をかけて、経験者を探してみましたが、期待したような内容の投稿は見つかりませんでした。一つだけ、ランニングを再開したという方の話を見つけましたが、術後1年以上も経過してようやく少しずつというものでした。がっかり。私は秋のマラソン大会に出たいのです。フルマラソンを走りたいのです。少しでも早く走れるようになりたい。でも、手術後に走ってる人の経験談はみつからない。やっぱり無理なのか・・・そして、手術も化学治療も受けず、自然療法だけでがんばると言って闘病日記のブログを始めた方が、1年、2年とたつうちに癌が転移し、どんどん悪化している様子を綴られているのを読み、気持ちが暗澹としていきました。一つ違えば、私もこうなるのか・・・私は癌なんだ・・・と息苦しさがこみ上げてきます。ようやく診察の番が来て、告知以来の主治医との対面です。告知の日から、私なりにいいと言われることは取り組んできていたつもり。腹六分、炭水化物や糖質を抑え、人参リンゴジュースを毎日飲み、アロマオイルを塗り、ホ・オホノポノを実践し、癌細胞にも感謝の波動を送りと、前向きに取り組んでいました。心のどこかで、いい結果が、奇跡のような結果が出ないかな。調べたら癌細胞は思ったより小さかった、大したことなかった、と言われないかな、と期待していたのです。残念ながらMRI検査で撮影した画像からは、期待した奇跡はありませんでした。改めて、本当に、間違いなく、癌細胞がしっかりあるという確認がなされたのでした。ここで、主治医に勇気を出して、「全摘手術ではなくて、温存手術にしたいんですが」と切り出してみました。エー!!! 部分手術ですか!あなたのはね、癌細胞が繊維状にあちこちに伸びているから、これを一つ一つ繊維に沿って部分的に取っていくというのは、ちょっと大変なんですよ。「そこを何とか、できませんか」と粘る私。「そうですか。そこまで言うなら、挑戦してみますか」と私の意をくんでくれようとした主治医でしたが、カルテの検査結果の値をスクロールしながら確認していき、「あ、癌細胞の活性化率が○○%だね。ちょっと高いね。んー、やっぱり、無理!僕は部分手術は勧めません!」というきっぱりした言葉に、「わかりました!やっぱりいいです。全摘手術にします!」と心を決めたのでした。前日Mさんの熱心な勧めで、心は動いたものの、本当はどうしたらいいか動揺していた私。お医者様を信頼して任たいと思っていたところに迷いが生じて、とりあえずMさんの勧めから先生に伝えてはみたが、本心からそうだったのかはわからない。何がいいのかなんて、初めての経験だから、人の意見に左右されて右往左往の私・・・癌細胞の活性化率のその値が、本当に高いのかどうかは私にはわかりませんでしたが、主治医がその値を見て、やっぱり無理と判断したその言葉で私の心は決まり、Mさんにも言い訳が立つと気が楽になったのでした。病院からの帰り道、初めて涙がつたい、泣きながら運転して帰りました。切なく、悲しく、先が見えない不安で一杯の私でした。
2018.07.26
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乳癌とわかった頃、お友達のMさんのことを思い出していました。Mさんは、2015年のお正月にアリゾナツアーに出かけたときのツアーメイトです。サンディエゴ湾を回るクルーズ船の中で、乳癌になり手術も受けたけど、その後はお医者様の話は一切受け入れないで自分は元気と信じて、健康であるかのように過ごして、今はまったく問題なし!と語っていたMさん。そのときの明るく大らかな笑顔と力強い口ぶりがよみがえってきて、話をお聞きしたいと連絡を入れました。そのMさん・・・私の話を聞いて、どうして全摘しちゃうの?部分手術でも大丈夫だと思うよ。最近のお医者さんはね、すぐに全摘しちゃうの。そのほうが楽だから。なんでセカンドオピニオンを受けなかったの。私だったら全摘手術は選ばない。部分的に切除しても、ちょっと小さくはなるけど、そんなに形は変わらないよ。絶対乳房は残したほうがいいと思います。乳房を残したいっていう気持ちを伝えて、そういうお医者さんを探したら、必ず見つかるから。と熱く伝えてくれるのでした。私の主治医はね、患者さんの体の負担を軽くするために、乳房摘出と再建を同時に行うことを研究して、そういう手術の第一人者になられて有名なんですと話すと、そういう医者だからこそ、実績を摘むためにそういう診断をするのよ。全摘後に再建手術をしてこんなふうに成果を上げましたって、言うと説得力が増すでしょう。そのために温存手術でもいいものまで全摘手術にしてしまうのよ。そんな感じには見えなかったけど・・・とにかく違うお医者さんを当たってみて。乳房を温存してくれるお医者さんを探してみて。と、熱心に勧めてくれるMさんでした。まさか、そんなふうに言われるとは思ってなかったので、思ってもみない展開に戸惑う私・・・主治医の先生は、信頼がおけると私は見てとりました。だから即座にお願いしますと今後の治療をお任せしました。手術の日程が決まり、手術までの検査の段取りが組まれ、職場には病気休暇の申請もして日も近づいてきている中で、今になってほかの医者の診断を受けるというのは、予約から始まり、検査、診断というと、またかなりの時間が必要になってしまいます。とても現実的には思えませんでした。今から他のお医者さんを探すのはちょっと無理・・・。明日は検査の日なので、全摘をやめて部分手術に変えたいってお医者様に言ってみる、ということにしたのでした。MRI検査を控えた前日、5月18日のことでした。
2018.07.20
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去年、乳がんと診断された頃のことを書いています。告知直後は、なったものはしょうがない、病気を糧に更に飛躍しようと、努めて明るく前向きに受け止めた私でしたが、時間の経過とともに気持ちが沈んでいきました。一つは、前々回ムラキテルミさんのことを書きましたが、自然療法や食事療法などの情報がいろいろ入ってきたら、選んだ治療がそれでよかったのかと迷いが生じてきたこと。そして、乳癌の闘病している人のブログを読んでいたら、がんばろうと明るく思う気持ちとは裏腹に、思うように回復していかない辛さが伝わり、息苦しくなってしまったこと。癌はやはり、大変な病気なのでした。そんな大変なものに私はなってしまったのでした。そう思うと、だんだんと深刻に心は重く沈んでいきました。そしてもう一つ。実は私はなまじっかスピリチュアル大好き人間だったのです。乳癌かもしれないと思った頃にタイトルに引き付けられて買ったのが、ディーパック・チョプラ博士の「あなたは「意識」で癒される」という本。写真を見ての通り、帯に大きく「なぜ、癌が自然に治る人がいるのか?」と書いてあります。その下には小さい文字で「意識だけで乳がんが治る」との内容項目が・・・。読んでみると、スピリチュアル本というよりも、医学博士が書かれるだけあって、学術的で理屈っぽく、私には難しくて途中で挫折してしまいました。ただ、思考や考え方が体に影響を及ぼすことは理解できました。癌の自然寛解という言葉も心に残りました。思考や考え方を正常に戻せば、癌細胞も正常化する、奇跡と言わわれることもあり得るのです。そうするとですね、どんなふうに意識を、思考を正しく持っていけばいいか、それまでも自分なりには何事も前向きにとらえて感謝の毎日を送っていたはずなので、これ以上どうあればいいのか、わからなくなっていきました。そして、心配してくれる友人の温かなアドバイスから、胸をさすりながら癌細胞さえも愛し慈しむように「ありがとう」と言葉をかけ、以前本を読んで知ったホ・オホノポノの「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」を唱え、笑いが大切と聞いたら、きみまろの楽しいビデオを見て笑い、瞑想をし、走って、ピアノを弾いて、感謝して眠りにつく・・・いいと思うことは、なんでもまじめに取り組んでいきました。こんなふうに前向きに取り組んでいけば奇跡が起こるかもしれないとほのかに期待して・・・。でも、期待する気持ちとは裏腹に、奇跡を起こす力は私にはないと恐れる気持ちがありました。信じたいけど信じられない。こうすればいいと聞けば聞くほど、そう実践しても自分には期待通りの成果を出すことができない。私には無理かも・・・悶々とする日々でした。
2018.07.19
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看護師の妹からは、更に「腹6分にして甘いもの食べないように」と伝令がありました。癌細胞は炭水化物や糖質を好むのだそうです。なるべく野菜を中心にとのアドバイス。おやつも控える!ムラキテルミさんのHPからは、人参りんごジュースがよさそうとわかり、さっそくスロージューサーを買ってきて、毎朝ジュースを作り、飲み始めました。腹6分って、今まで満腹生活を送っていた身には堪えるのです。わずかな量をよく噛んで、噛んで、噛みしめて食べるようになりました。メニューを見ては、これは食べないわ、と失礼することも。手術までの辛抱・・・永久に続くわけじゃないからと思いながらも、食べるものが制限される生活はだんだんストレスを生んできます。少食になることには慣れて大丈夫でしたが、糖質オフというのは結構大変。お腹すいたとカフェに入っても、何を食べたらいいか・・・メニューを見ては、これはダメ、こっちもダメと、食べていいものが見つからなくなりました。美味しそうで食べたいのに、食べられない。お腹がすいて力がわいてこない上に、好きなものを自由に食べられないことにだんだん悲しくなり、気力が萎えていきました。そんな中でも時々、走っていました。ある日のランニングで、Facebookに投稿した日記です。最近、糖質制限、腹6分、間食ゼロで生きてるからか、走り始めのしんどいこと。どこまで走れるかな、とスローペースだったけど、一周できてうれしい。走ってるうち、力が抜けていったのか、走り始めより楽になってった。ふとこれからは枯山水のように走ろうと思った、いや、枯山水はおかしい。枯れ木のように、いやいや枯れ木じゃ折れてしまう。柳のようにしなやかに、そう、これ柳のようにしなやかに走ろうHappy Running~ 食べてないから走ってても力が出ないんですね。でも力が抜けると、それなりに楽になった気がして、仙人気分。「柳のようにしなやかに」は、我ながらいいこと考えたと、辛かった中にも一人漫才に笑みがこぼれるのでした。この2週間後に走ったときには、更に空腹感から辛さが増し、5キロは走れませんでした。その日のつぶやきあー、しんどい気持ちは軽快なんだけど…ペースは更にゆっくりになりました。美味しいもの食べたい~ たくさん食べたい~切ない願いの手術10日前でした。
2018.07.12
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筆が進まないまま、あっという間に日が経ってしまいました。その間、西日本の大雨の甚大な被害を知り、胸が痛んでいます。謹んでお悔やみ申し上げます。============================================さて、乳癌日記の続きです。なぜ、なかなか筆が進まなかったか・・・癌を告知された当初は強気にポジティブに受け止めることができ、あまり深刻にならずにいたのですが、日がたつごとにいろんな情報を目にして、最初自分が直観で抱いた思いが揺らいでいったのです。『癌であってもマラソン大会に出て、走ることで見ている人を勇気づけるかっこいいわたし』というイメージが、癌の闘病に触れる中でどんどん、自分は癌なんだ・・・とネガティブな思いに包まれていき、暗くなっていきました。その変化をどう書こうかなと思ってるうち、あっという間に日が経ってしまいました。癌と宣告されたのです。初期とはいえ、乳房を全摘出しなければならなくなったのです。摘出後もなんらかの治療が必要になると言われたのです。不安が押し寄せても当然でした。 5月10日の検査結果を聞いた看護師の妹が、真っ先に見てと知らせてくれたのは、ムラキテルミさんの「世にも美しいガンの治し方」というHPでした。トップページには、「体をキズつけず、髪も抜けず、薬も使わず・・・」とありました。3か月という余命宣告を受けたムラキテルミさんは、石原 結實氏の「食べない健康法」の本に出会い、石原医師を頼ります。本当なら3年半待ちの診察を余命3か月ということでなんとか1か月半後に予約が取れ、石原先生が運営するサナトリウムに入ってそこで徹底した食事療法(断食)や温熱療法を行い、癌を消したというお話でした。13か月での癌完治。すごいなーと感嘆するとともに、読むと同時に私にはここまでのことはできないという諦めの思いが沸きました。手術して癌を取り除けば、ほぼ大丈夫という見通しがあるのに、手術を受けずに自然治癒をめざすというリスクを周りに理解してもらうのは難しい。特に家族のためにと健康を気遣っておいしい食事を作り続けている母に、ほとんど食べない断食のような食生活への理解を求めるのは酷だと思ったのでした。現代医療で治るという可能性が高かったからです。それを蹴ってまで代替医療に掛ける時間や勇気はありませんでした。でも、心のどこかで、手術で体を傷つけるということに罪悪感を感じ始めていました。親から授かった体を、こんなにあっさりと切り取ることにしてよかったのか・・・もんもんとした思いの始まりでした。
2018.07.09
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乳癌であることを打ち明けた職場で、同僚の一人が、彼女の母親も乳癌を患い手術を受けたことを話してくれました。その頃は大変でしたけど、母は今はもう元気にしています。好きなフラダンスも踊ってハワイにだって行きました。だから、絶対治ります。大丈夫です!!と力強く励ましてくれました。そして、私に癌であることを告知してくれたE医師が、同じく彼女のお母さんの主治医であったらしく、E先生はすごくいい先生と太鼓判を押してくれました。県内のみならず、その先生の治療を求めて他県からも患者さんがいらっしゃるとか。病院で見かけたE先生が掲載された新聞記事に、乳房を失くした女性の苦悩を少しでも和らげたいと、乳房再建手術に力を入れて取り組んできたことが書かれてありました。(→こちら)告知のあと、セカンドオピニオンを求められても構いませんよ、とE医師は言われたけど、淡々とした言葉の中に診断や治療に対する自信が伝わり、このままE医師にお世話になりますと託したのでした。最初に見つけた小さなしこりは、結局は何でもありませんでした。でもそのしこりのおかげで、本来の腫瘤に気づいたのです。そしてたまたま訪れたクリニックで予約の空きがあり、診察も生検もその日のうちに受けることができました。ステージⅡの乳癌であると診断され、手術すれば癌は取り除けますという力強い言葉に即日手術を決意しましたが、そのE医師は乳癌の治療では有名な名医でした。わからないけど、何かに守られているような敬虔な気持ちになり、不安を感じながらも感謝に包まれました。絶対、ラッキーですよ、いう同僚の力強い言葉に希望が湧いてくるのでした。
2018.07.02
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病院を後にし、職場に向かいました。癌になったけど、マラソンに出よう。走ろう!と決意し、心は決して暗くありませんでした。医師や看護師さんの話を聞きながら、私が癌と正直呆然としながらも、心のどこかで私に悪いことが起こるはずはないと思っていたのです。2014年にある出会いがありました。億万長者ロッキーさんのグローバルチャレンジ勉強会です。全6回のシリーズに約1か月半毎に何度も参加し、お話の中で学んだことをささやかに実践していました。「ありがとうございます」を100万回唱え、毎晩5つの感謝日記をつけ、毎朝決意と鼓舞のアファーメーションと、心を愛と平和に保つ感謝、祝福、許しの実践。アリゾナをめぐるグローバルチャレンジツアーにも参加しました。そんなことを通して何より一歩を踏み出して、チャレンジを楽しむ人生を生きようと私自身が変わっていきました。癌がわかった衝撃の次に思ったのは、これで人生に箔が付く!これは人生がもっともっとよくなるために必要あって起こったに違いないという確信と、マラソンを走ることで新たなチャレンジなるという希望でした。そう思うことで、癌患者になったという衝撃から自分を守り、気をしっかり持ちたかったのだと思います。職場に着いて、検査結果のことを伝えると、同僚たちに衝撃が走りました。誰も予想してなかったからでしょう。職場の長として、リーダーシップをとる要の私が病気になった。しかも癌ショックで涙ぐんでくれる若い同僚たちでした。手術の日程は、予定を見てから返事すると保留にしてきたことを伝えると、何言ってるんですか。予定なんて気にしないで、体のことを第一に考えてください。一刻も早く、手術受けてくださいという温かな言葉。その声に押されて、ありがたく、すぐに病院に電話して一番近い手術日の日程を予約したのでした。それが6月15日。まだひと月先のことでした。
2018.06.29
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診察が終わった後、別室で看護師さんから今後の流れ、検査や手術について説明を受けました。このときにはもう現実を受け入れ始めていて、じたばたしてもしょうがないと腹が据わってきていました。看護師さんの話を聞きながら、頭の中は手術して、走れるかなー、運動できるかなー癌になって、手術をしたって、走れたらいいな!癌を克服して走ってます!手術したけど走ってます!ってそんなふうに生きられたら、どんなにかっこいいかなーそれを見て励まされる人もいるかな・・・そんなわたしになれたら、いいな・・・と、現実を通り越して半年先の姿を思い描いて妄想が始まっていました。「何か質問はありますか?」という言葉に、真っ先に尋ねたのは手術した後、運動できますか?ということ。「運動ですか? テニスのような、腕を使うような運動はしばらくは控えないといけないですが・・・」「ランニングはどうですか?」「あ、走るのは構いませんよ。どんどん走ってください」と看護師さん、にっこり。やったー思わず、私も笑顔に 心の中でガッツポーズその瞬間、富山マラソンを走ろうと決めました。どこまで行けるかわからないけど、5キロでも、10キロでも走ろう、と決めると勇気がみなぎってくるのでした。
2018.06.28
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土曜日に退院してきました。11日に手術をしてから、1週間で管がすべて抜け、3週間の予定を2週間で退院できました。といってもお腹を切っているので、まだまだ力が入りません。元に戻るにはもっと時間がかかる気配です。焦らず回復に努めたいと思います。さて、乳癌がわかった昨年の話の続きです。============================================<2017年>連休明けの5月10日、検査結果を聞きに行きました。検査の時は女性の医師やスタッフさんばかりでしたが、このとき待っていたのは、提携先のY病院の男性医師です。それだけでドキッとしました。覚悟を決めて話を伺います。検査の結果、3センチの腫瘤があり、確かに乳癌ですね。ステージⅡの浸潤性乳癌です。乳癌には浸潤性と非浸潤性の大きく2つのタイプがありますが、あなたのは、浸潤性の転移するタイプの癌になります。タンポポの花に例えると、非浸潤性タイプは黄色い花だと思ってください。花を摘んでしまえば転移の心配がなく、その後何の治療も必要がないタイプの癌です。 花を摘んだらそれで終わりの癌タイプ一方、浸潤性タイプは綿毛のような状態のもので、種がどこに飛んでいくかわからない。手術で花を摘んでも種が飛んで転移する可能性があるというタイプの癌です。 綿毛の種が飛んで転移する癌タイプあなたのは、綿毛のタイプになりますので、手術後も何らかの治療が必要になります。と、初めて聞く私にもわかりやすいように、言葉をかみ砕いて説明してくれる先生のお話は、理屈としてはなるほどと頷きながらも、自分の体が癌になったという事実は宙を漂う話で現実味なく、どこか他人事のように聞いていた私でした。周りで一緒に先生の話を聞いていたスタッフさんたちはどんな思いで私を見ていたでしょう。ポーカーフェイスで淡々と説明を聞いていた私でしたが、実は頭の中では嘆き節が・・・マラソンにエントリーしたばっかりだったのに・・・ エントリー代金3万円、もったいない~~~ どうして順序逆じゃなかったんだろ。先にしこりに気づいていたら、エントリーしなかったのに・・・3万円、もったいない~~~ もったいない~~~~と、エントリーした富山マラソンやホノルルマラソン、そのエントリー代金のことばかりぐるぐる思いめぐらしていたのでした。なおも先生の話は続きます。乳癌の治療を説明すると、 ①手術・・・大きく2タイプに分かれる ・乳房部分切除(+放射線治療) 大きさが2cm未満だと癌の部分だけを切除し、1か月間切除した部分に放射線を当てる。 ・乳房切除(+再建) 腫瘤の大きさが2cm以上だと乳房を全摘する。と同時に再建手術を行う。 ②ホルモン療法 女性ホルモン反応性が(+)だった場合、5~10年間飲み薬を摂取 ③抗癌剤治療 女性ホルモン反応性が(-)でHERタンパクが(+)のときに行う。というのが治療の概略です。②、③については追加の検査を行ってからの判断になります。で、あなたの腫瘤の大きさは3㎝ともうすでに大きくなっているので、部分切除は難しい。癌タイプも浸潤性なので、僕は全摘手術を勧めます。今は、乳房を摘出すると同時に再建も行えるので、手術が1度で済み、体の負担は軽いと思います。どうされますか?手術をするとなれば、6月の中旬か、7月上旬が今空いていますね。手術ですか・・・わかりました。じゃ、全摘手術でお願いします。でも日は職場に行って予定を見てみないとちょっとわからない。後から連絡するのでもいいですか?と、冷静さを保ってなんとか答えた私。その私に先生は、僕は、こういう話を毎日何人もの人に話してるんですよ。どの人もみんな必死ですから、手術の日も今は空きがあるけど、すぐに埋まってしまう可能性はありますから、もし手術を受けようと思うんだったら、早く連絡してください。そうだよね。癌なんだもの。必死になるよね。と、改めて気が引き締まったのでした。
2018.06.25
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職場への道中に女性クリニックがありました。午前中休みをもらい、病院に出かけたのはしこりを見つけてから4日後のことでした。<ラッキー!その1>玄関に入ると「当院は完全予約制です」という看板が。せっかく休暇を取ってきたのに…と諦められず、受付に聞いてみると、ちょうど一枠空きがあることがわかり、入れてもらえました。超音波の検査を受けると、確かに大きなしこりがあるので、これは更なる生検が必要ですとのこと。<ラッキー!その2>ちょうど午前の最後に生検の枠が空いていますが、受けられますか?と聞かれるので、もちろん受けます!と即答でお願いしました。生検は胸に麻酔をかけて、注射針のようなもので組織をとるもの。麻酔がかかっているので痛みはないものの、パン!パン!と注射針が刺さる振動に、不安もまた一段と広がっていきました。検査後の胸は打ち身のあざのように青く変色しています。タオルで覆うようにバンドをあてがわれ、その日1日は入浴を控えるように言われてクリニックを後にしました。後で聞いたところによると、予約を取るのが難しく、同じ時期に手術をした友人は、検査を受けるのに3か月待ちだったそう。それを思うと、ふと出かけて行って、その日のうちに生検までしていただけたというのは、超、幸運だったとわかりました。検査結果は、連休を挟むのでその後になるとのこと。2週間は、気をもむ長い時間となりました。といいつつも、普段通りでいようと、3日後エントリーしていたしんきろうマラソンの10キロに参加しました。30度近い暑さの中を制限時間ぎりぎりでしたが完走でき、嬉しかったです。もしかしたら乳癌かもしれず、検査で真っ青な胸なのにこんなふうに一見元気に走ってる、と思うと、不安というより、誰も知らない秘密を抱えていることに自己満足な私なのでした。 2017年4月30日(日) しんきろうマラソン
2018.06.21
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昨年の4月、地元のTマラソンと、仕事が最後の1年だからリフレッシュ休暇をもらってホノルルマラソンにも参加したいと、立て続けにエントリーしました。ランニングを始めて2年。前年のTマラソンで初めてフルマラソンにチャレンジし、制限時間ぎりぎりの6時間58分26秒でゴールできたのです。無理だと思っていたのに、完走できたことがすごく嬉しくて、次は少しでもタイムを縮めたいと6時間半を目指そうと思ってエントリーしたのでした。その直後、Tマラソン、ホノルルマラソンと2日続けてエントリーした翌日に、右胸に豆粒大の小さなしこりを見つけました。何?これ、しこり?毎年冬に乳癌の検診を受けてきましたが、この年は申し込まなかったのです。いつも大丈夫だったので、多分大丈夫と面倒さを感じてパスしてました。せっかくしこりに気づいたので、一応念のため受診しようと思い、病院に行こうと思った前日、お風呂に入りながら改めて触ってみると、乳房の表面にあるそのしこりよりも、胸の奥に何かしら固まりがあるのを感じ、もしかしてこっちの方がヤバいんじゃないかと思いました。左胸と交互に触れて、何度みても右胸にだけその固まりが感じられました。これは本当に何か大変なことになったかもという確信が沸いた瞬間でした。==========================昨日病室から見つけた彩雲です。(中央右下寄り)とても綺麗な虹の光でした。拡大するとしっかり色が見えますね。見つけた人に幸運が訪れるという彩雲です。きっと昨日はたくさんの人が目にされたのではないかしら。たくさんの方に幸運が訪れますように!
2018.06.20
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<久しぶりのブログ更新です>先週の月曜日、自家組織(お腹の脂肪)による乳房再建手術を受けました。15時間もの長い手術となり、術後はICUで一日半を過ごし、病室に戻っても発熱が続いて、木曜日の午前中までしんどい状態が続きました。ただ、その後は想像以上の回復ぶりで、昨日残っていた最後の2本の管が抜け、退院も可能というお話に、去年の手術との大違いに嬉しい戸惑いを感じています。癌とわかって一度はショックを受け落ち込みながらも、いろいろな出会いを経て、今、元気にエネルギーに満ちて生きていられることに心から感謝でいっぱいです。癌がわかってからの今日までと、今これからの希望を少しずつ書いてみたいと思います。この後もブログ更新が続きますように・・・病室のある11階のラウンジから見た、日本海に沈む夕陽。絶景です。
2018.06.19
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