投資逍遥

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2005/12/25
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テーマ: お勧めの本(7336)
カテゴリ: 読書
この物語は、昭和21年に書きはじめられ、23年まで、童話雑誌「赤とんぼ」に連載されました。
著者は1903年生まれなので、『ビルマの竪琴』を書かれたのは43歳位になります。

『ビルマの竪琴』を読もうとした理由は、原作を読んだことがなかったため。
それから、安岡正篤氏が、『路傍の石』と『ビルマの竪琴』を良書として、お孫さんに薦められていたからです。

以下は 【この本からの引用】 【征野の感想】 です。


【この本からの引用】

私がしていることは何かといいますと、それは、この国のいたるところに散らばっている日本人の白骨を始末することです。
墓をつくり、そこにそれをおさめ葬って、なき霊に休安の場所をあたえることです。
幾十万の若い同胞が引きだされて兵隊になって、敗けて、逃げて、死んで、その死骸がまだそのままに遺棄されています。
それはじつに悲惨な目をおおうありさまです。
私はそれを見てから、もうこれをそのままにしておくことはできなくなりました。
これを何とかしてしまわないうちは、私の足はこの国の土を離れることはできません。

【征野の感想】

引用部分は、主人公の水島安彦が隊長にあてた手紙の中の一節です。
ここには水島がビルマに残ることを決意した理由が簡潔に書かれています。


【この本からの引用】

ビルマの南の地方に、日本人が白骨街道と名をつけたところがあります。

【征野の感想】

こちら が参考になりそうです。


【この本からの引用】

当時は、戦死した人の冥福を祈るような気持は、新聞や雑誌にはさっぱり出ませんでした。
人々はそういうことは考えませんでした。
それどころか、「戦った人はたれもかれも一律に悪人である」といったような調子でした。
日本軍のことは悪口をいうのが流行で、正義派でした。
義務を守って命をおとした人たちのせめてもの鎮魂をねがうことが、逆コースであるなどといわれても、私は承服することはできません。
逆コースでけっこうです。
あの戦争自体の原因の解明やその責任の糾弾と、これとでは、まったく別なことです。
何もかもいっしょくたにして罵っていた風潮は、おどろくべく軽薄なものでした。

【征野の感想】

『ビルマの竪琴』が書かれたのは昭和21~23年。
その当時のことを、著者が回想した『ビルマの竪琴が出来るまで』(昭和28年)から引用しました。

昭和21~23年の日本は連合国により占領管理されていたので、引用部のような軽薄な風潮は仕方がなかったのでしょうか。
童話雑誌に連載するという形でしか、戦死した人の冥福を祈る内容のものを発表できなかった。
新聞や雑誌に大々的に鎮魂的な内容を発表できなかった。
そういう時代であったのかもしれません。






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Last updated  2005/12/25 05:26:28 PM
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