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「カエルくん?ここはどこ?」 徘徊日記 2024年8月29日(木)JR大阪駅あたり カエルくんじゃなくてクマくんのようです。口から、一筋水を吹いていらっしゃいました。ここはどこなんだ?これは何なんだ? ため息しきりのJR大阪駅前です。 台風10号とかが九州までやってきてぐずぐずしていて、何となくこころさわがしい8月の末の木曜日です。 朝からお友達のHさんがイチジクのジャムを届けに来てくださって、でかける予定だったシマクマ君はHさんの自動車に乗せていただいて、もう一軒のお届け先の、これまた古いお友達のお家を経由して、「まだ、時間はあるんやろ。コーヒーでも飲んでいき。」 のお言葉に甘えて高取山のふもとにあるHさんのご自宅に立ち寄りました。 で、コーヒーなんぞをいただきながら、Y夫人が最近気に入っていらっしゃるという、池内紀や辻まことのお話 に楽しく相槌を打って座り込みそうにしていると、「ほな、そろそろ時間やろ、駅まで送るわ。」 と兵庫駅まで送っていただいて、大阪駅に着いたのが正午過ぎでした。 で、駅の北側のビルの下にあったのがクマくん(?)の噴水です。 ここに来た目的は、この嵐の予兆のなか、この写真の右側のビルの地階のレストランでの昼食会です。学生時代からのお友達Kくんが、帰省先の山陰からバスで大阪にやってきて新幹線で東京に帰るというので、旧友再会 の昼食会を企画してくれた、これまた、学生時代からのお友達D君夫妻のお誘いでした。 というわけで、しばしの歓談、Kくんを大阪駅の改札で見送って、ちょっとコーヒーでもとD君夫妻と、タリーズとかいうコーヒー屋さんで、再び、しばし、おしゃべり。 お店を出てきて、お二人とお別れして、見上げる阪神デパートの威容! に、再びため息の、大阪駅前でした。 目の前にあったのがこの石で、なんなんでしょうねこれ? この石に座って、タバコを吸ったりしたら、やっぱり叱られちゃうのでしょうか。 というわけで、空模様も不安だし、久しぶりに阪神電車に乗って神戸に帰りました。 なんだかすごい活動量というか、行動半径というか、の一日だった気がしますが、自動車と電車に乗っていただけというか、様変わりしていた大阪駅前にボーゼン というかの徘徊の一日でした(笑)。 帰宅して、ホッとしているところに、新幹線に乗ったKくんから、なっ、なんと、「名古屋で足止め!」 という連絡で、再びボーゼンでした。 いやはや、山陰から大阪、大阪から名古屋、名古屋から再び大阪のD夫妻宅にたどりついたのが午前零時を越えていたそうで、シマクマ君の一日なんてかわいいものですね。Kくんホントにご苦労様でした(笑)。これに懲りずに、また、会ってくださいね(笑)。 にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.01
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「ここは羅城門跡!」 徘徊日記 2024年7月7日(日) 京都駅あたり 実は、2024年の7月7日の日曜日の今日、京都駅のレストランで50年来の友達と会うということになって、「そうだ、あそこに寄ってみよう!」 と思いついた目的地は、東寺の五重塔とか伏見稲荷の御旅所ではなくて、ここでした。 そうです、芥川龍之介が「羅生門」という小説で舞台にした、正式には平安京の南の大門、羅城門の跡地です。 あまりの暑さにスマホが発熱して写真はほとんどありません(笑)。何はともあれ、公園の隅にあったベンチに座って一服です。さっき買った清涼飲料水のペットボトルも、もう、ぬるくなっていました(笑)。 何の変哲もない小さな公園に羅城門遺跡という石碑が建っているだけです。まあ、その石碑が確認できただけのことなのです。 誰もいないと思っていたのですが、相客がいらっしゃいました。立派な一眼レフカメラで石碑や周辺を撮っていらっしゃって、日よけの帽子を目深にかぶった風情はプロのカメラマンです。男性だとばかり思って、ボンヤリ眺めていると、帽子をとって笑顔でご挨拶していただきました。「京都は、やはり、暑いですね。」「はい、えっ、どちらから?ああ、ボクは神戸です。」「東京です。」 笑顔の主は女性でした。東京で小学校の教員をなさっていたらしいのですが、退職なさって、今日は地図を片手に西寺跡地とか、羅城門跡とか、あんまり人が集まらない京都を巡っていらっしゃるようでした。 もう、お顔もイメージしか浮かんできませんが、文字通り、一期一会でしたね。こういう、ホッとする出会いもあるのです。暑くて、我ながらなにしてるんだ! の徘徊だったのですが、来てよかったですね。 もと、小学校のセンセーとお別れして、来た道を引き返して東寺のお堀まで帰ってきました。オヤ? お堀の向うに何かいますね。 サギですね。まあ、京都ですからね、やっぱり五位鷺でしょうかね(笑)。ちょっとピンボケですがアップしてみますね。 あんまり、人相の、いや、鳥相かな、のよくない鳥ですね。 お堀の、今度は東の端から、もう一度、五重塔を見上げてパチリです。西日が強く射していて逆光です。 で、九条通りを近鉄の東寺駅まで東に歩いて、一駅ですが、近鉄に乗るのも久しぶりでした。無事、京都駅に帰り着きました。 伊勢丹ビルとかの9階だかにある、おばんざいのお店です。 ここでも、東京からやってきた懐かしい友達が「なんや、シマクマくん、ウロウロしてたんかいな?ボクは奈良の友だちんとこやってん。」 と、50年前と同じ大阪弁の笑顔で迎えてくれました。窓から見えるのはこの風景でした。 ここからは、言わずもがなの・・・・、みんな元気でした。旧友再会! いいものですね(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.07.26
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「京都の五重の塔といえば、ここ、東寺!」 徘徊日記 2024年7月7日(日)京都駅あたり 京都にやってきています。50年以来の友達と京都駅のレストランで待ち合わせです。約束の時刻は午後5時ですが、明石で乗った新快速を降りてみるとまだ1時間余りあります。 「そうだ、あそこ行って見よう!」 そう思いついて、八条口を出ました。久しぶりです。 トコトコ、のそのそ、西に向かって歩いて伏見稲荷の御旅所とかを通過して、たどり着いたのが東寺です。 もちろん、炎天下! です。 境内に入ると講堂がありました。日本語をしゃべる老人カップルと、中国語をしゃべる家族連れが主な拝観者ですが、境内に入るのは無料でした。 で、こちらが金堂。 少し、戻りますが、講堂の前に蓮池があって、その蓮の花が咲き始めていました。 ところが、ご覧のように、花に焦点というか、ピントというかがあった写真がほとんどありません。炎天下で、老眼のシマクマ君にはスマホの画面がよく見えないということに加えて、スマホの温度が上がりすぎてカメラとして作動しなくなっていたのです。 で、まあ、適当にシャッターをタッチした結果、写っていたのが、池の仕切りというか、足場というかあたりにいた鴨でした。蓮池にカモです。 で、このころから暑さも、さらに盛りあがってきて、で、トラブル続出です。なんと、スマホが全くいうことをききません。熱いんだそうです。カメラ出来ません! とかなんとか、文句を言っています。画面に、よく見えない文字が出るだけですけど(笑)。 あわてて、いつもは買うことのない自動販売機の冷えたジュースを買って、スマホの額に当ててやりました。やっぱり、うんともすんともいいません。 蓮池の近所に水道の蛇口があったので、まあ、スマホをそのまま水に浸けるのはヤバそうなのでタオルのハンカチを濡らして絞って、包んであげました。暫くして、ようやく機能をおもいだしたようで、撮れていたのがこの蓮池の写真です。トホホ・・・。 で、九条通りに面した、多分こちらが正門というところに、ようやく、たどりつきました。門の日陰ではアジア系、ヨーロッパ系、まあ、ホントはよくわかりませんが、結構、たくさんの、多分、外人さんが座り込んでいらっしゃいました。あまりの暑さにギブアップ! のご様子でしたよ。 門を出たところに教王護国寺の石碑です。古い話ですが、受験勉強で覚えた気がします。隣には、まあ、お寺といえばこれという「今日のことば」です。 これって、お坊さんのことばでしたかね?聞いたような気がするので調べると与謝野晶子の名前とか出てくるのですが。 なんか、青空に五重塔がすがすがしいというか、涼し気というか、もっとも、雲一つないわけで、とんでもない暑さです。 にもかかわらず、今日、「そうだ、あそこ行って見よう!」 と思いついたのは、このお寺ではないのですよね。もう少し西にある小さな公園ですね。というわけで。猛暑の中、東寺のお堀沿いを西に歩いて、もう少し徘徊いします。じゃあね(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.07.24
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「目の前に京都タワー!」 徘徊日記 2024年7月7日(日)JR京都駅あたり 2024年だけじゃないと思いますが、7月7日の日曜日は七夕でした。この日の夕暮れに「おーっ!」 と唸ったのがこの風景でした。 シマクマ君は、この風景が正面に見える京都駅ビルの9階にあるレストランにいたのでした。 七夕だからというわけではないと思いますが、50年前の同級生のK君から、JRの京都駅に午後5時に集合せよ! という命令が送られてきて出かけてきました。 少し早く着いたので、久しぶりに八条口に出ました。で、ほかの皆さんはどこかにいるのかな? とスマホを覗くとこんな写真が送られてきていました。 ボクは神戸からですが、大阪から参加予定の、Fくんと、Kくんは、伏見稲荷詣でとかしているようです。いや、はや、お元気なことですねえ。あの伏見稲荷の鳥居の列は、ただでさえ眩暈がすると思うのですが、この炎天下、この暑さ、しかも京都ですからね。ホント、相変わらず、アホですねえ(笑)。 で、ちょうどその時、まあ、ボクは、ちょっと、あてがあるような内容なの気分で歩いていたのですが、眼の前にあったのがこの看板で、この赤い鳥居でした。「伏見稲荷大社御旅所」というらしいですね。駅から歩いて10分ほどのところにありました。 こちらには、あの、延々と続く赤鳥居はありません。涼しい日影の境内でしたが、公衆便所がありませんでした。歩きだすと決まってこうなるのです。困ったものです(笑)。仕方がないので、近所のイオンモールとかで用を済ませて、もう少し歩きます。さて、ボクの目的地はどこなのでしょうね(笑)。というわけで、夕方5時までの1時間、徘徊は続きます(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.07.11
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「お墓参りでした。」 徘徊日記 2024年1月8日(日) 西脇・山手町あたり 今日は2024年の1月8日(日)です。ばーちゃんの命日に合わせるように松山からさかなクン夫婦が神戸に帰ってきて、西脇のお墓まで、お墓まいりにでかけました。 観音寺というお寺の境内にある墓地から見えた西脇の街並みです。小雪がちらつく寒い日でした。 観音寺の大屋根と大木です。静かなものです。 お寺からの帰り道、自宅の近くにあった南天です。たわわになっている赤い実が落ち始めていました。小鳥がいるわけでもありません。 童子山の麓にある観音堂です。 観音さんの大イチョウです。 今となっては、20年ほど前になりますが、さかなクンやトラキチクンがこどものころ遊んだ路地に面したお屋敷の土塀の落書きです。 犯人捜しをされると、すぐに足がつきそうな落書きが、ずーっと残っています(笑)。 西脇からの帰りには明石の魚の棚にまわって、明石焼きを食べました。普段の魚の棚では考えられませんが、お正月の賑わいも一息ついて、まあ、時間も夕暮れ時ということで、若い夫婦と年寄り夫婦の四人連れでものんびり座って食べることができました。 テーブルに四人前の明石焼きが並ぶと、壮観でした(笑) おばーちゃんがあつらえてくれた楽しい一日でした。 明石から自宅までの、地元の道で道案内役のシマクマ君が間違えて家族から失笑を買いましたが、まあ、これからはそういうことが増えそうな失敗でした。これで、我が家のお正月行事も終了です。ボタン押してね!
2024.01.13
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「今日はおばーちゃんの一周忌でした。」 徘徊日記 2023年12月16日(土) 西脇あたり おばーちゃんが倒れて一年たちました。今日はお寺で一周忌の集まりです。トラキチクンに載せてもらって、チビラくんたちと一緒に西脇徘徊でした。 おばーちゃんがいなくなった庭に南天が一枝だけ実をつけていました。 南天の赤い実は、なんだか寂しい時の流れを感じさせますね。おばーちゃんは一人で暮らしていた自宅で倒れたのですが、ガラス戸越しに、この南天の実を見たのかなあとか、やっぱり思い浮かべますね。 雨の予報でしたが、まあ、今にも降りそうな空模様でしたが、何とか持ちました。観音寺さんという御寺の遠景です。何かだ立派ですね(笑)。 お寺の庭には、樹齢400年だかの榧の大木が聳えています。なかなか壮観です。これまた立派ですね。茅葺(カヤブキ)とかいうのはこの皮だったっけとか訳の分からないことをチッチキ夫人に口走って、首を傾げられましたが、茅葺はススキですね。桧皮葺(ヒワダブキ)というのは檜の皮ですね。榧の木というのは碁盤とか将棋盤ですね(笑)。 で、本堂でのお経の後のお墓参りです。墓場にはススキですね(笑)。何ごともむかしとなりしススキかな 久保田万太郎折りとりてはらりとおもきススキかな 飯田蛇笏 で、帰り道です。 西脇の山手町あたりの町並みのなかですが、家の裏の小さな畑の柿の実を食べる人も、あまりいないのでしょうね。うれ柿をカラスもちさる時雨かな 中勘助 カラスの食べ残しですね(笑)。 柿の木の庭には、やっぱり、南天もありますね。とやかくの家相を払ふ実南天 能村登四郎まあ、そういうものなのでしょうね。 近所には神社もあります。秋葉神社というそうです。まあ、だあれもいませんけど。 そのあたりのお家の庭には。どこもかしこも南天です。赤い色がよく目立つ季節だからでしょうか、余計に眼につきますね。 南天の實をこぼしたる目白かな 正岡子規 スズメやメジロが寄ってくるのは、もう少し寒くなって、雪がちらつくようになってからでしょうかね。で、まあ、最後はこの句ですね。億年のなかの今生実南天 森澄雄 寂しいことですが、西脇にくることも減ってしまいそうですね。ボタン押してね!
2023.12.18
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「京都まで映画見に行きましてん!」 徘徊日記 2023年12月1日(金)京都・御池あたり 木曜日の夜、突如、思いつきました。梅田の阪急です。阪神では京都には行けまへん。そうだ京都に行こう! で、到着したのが烏丸河原町です。いいお天気ですが、もう、お昼過ぎです。京都はいくつになってもなつかしい街です。 烏丸通を北に歩きました。途中に六角堂の鐘つき堂とかあります。50年前にこの北の突き当り、北大路烏丸あたりに住んでいたこともあります。まあ1年だけでしたが。でも、町の雰囲気は変わってしまったようですね。 今日の、とりあえずの目的地はここです。烏丸御池アップリンク京都とかいう、映画館です。神戸のシネリーブルで見損じた相米慎二という監督の「台風クラブ」という1985年のガキの映画を、京都で見よう! という費用ばかりかかる、訳の分からない思いつきです。 京都には、愉快な仲間の最年少メンバー、ピーチ姫が住んでいますが、今日は金曜日、仕事なら不在なわけで、まあ、とりあえず出発前にラインとかをしてみると、偶然お休みのようです。「行けたら、行くわ。」 というお返事をいただいて、ここまでやって来て、もう一度ラインしてみると現地集合で、動き出しているようです。 というわけで、懐かしの相米慎二を同伴鑑賞しました。なんか、とっ散らかった映画やったね(笑) なんとも、ピーチ姫らしい感想に、そう!そう! とうなづいて、寺町から新京極あたりをアベック徘徊です。 南に歩いている途中に、こんなレンガ造りもありました。「なあ、スマホのカメラやけど、こういう暗い時に明るく撮りたかったらどうしたらええの?」「こうかな?」 ナルホド、夕闇迫る京都文化博物館も、お昼の明るさで撮れました。 で、まあ、今日は、お久しぶりの再会です。なんか、ビールでも飲んで、食べようかというわけで、たどり着いた居酒屋に驚きのメニューを見つけて感動です。 日清のチキンラーメンに温泉卵が乗っていました。これって、まあ、もちろんピーチ姫は食べませんでしたが、お腹の空いたビールのおつまみにサイコーですね。 というわけで、親子でいうのも変ですが、久しぶりの再会を果たし、無事帰途につきました。とことん名所旧跡関係なしの京都徘徊でした。それにしても、京都って、人多いですね(笑)。ボタン押してね!
2023.12.02
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「実家が、喫茶店?!」 徘徊日記 2023年11月22日(水) 和田山あたり あのォー、今日は2023年の11月22日です。で、シマクマ君は朝5時に起きて、始発の市バスに乗って、JR舞子駅から姫路駅、姫路駅から播但線で帰省でした。 よく考えたら、明日は休日ですが、今日は普段の日です。早起きしたつもりでしたが、加古川あたりから学生さんや通勤の方で満員です。7時過ぎの播但線も、通学列車のようで、立ちんぼうです。寺前までやって来て、和田山行に乗り継いでようやく一息つきましたが、いやはやなんとも、久しぶりの学生軍団にヘトヘトです(笑)。 帰省先は朝来市の和田山という町で、町はずれのド田舎の村です。駅には午前9時過ぎに到着しました。で、たどりついた実家の近所には、何というか晩秋から冬の気配が満ちていました。 まずは山茶花です。もう満開を通り越して、写真写りのいい花を探すのが大変です。 こちらはユズです。皆さん庭先とか、畑の隅に植えておられます。たくさん実をつけています。 こちらは南天の赤い実です。白い実は咳止めとかで煎じて飲まされた記憶がありますが、赤い実は縁起物で、お正月とかのお飾り用ですね。 で、実家の玄関にたどり着いて「びっくり!」でした(笑)。「あんカフェ」とかいう暖簾が下がっているではありませんか。 住む人がいなくなっていた田舎家が喫茶店になっていましたよ!家の中も少し改築されたようで、元気なおばちゃんが二人で出迎えてくれました。 朝の食事も食べないままたどり着いたシマクマ君にはこんな食事も用意されていましたよ。ベジタブルなおいしいカレーでした。 ちょっと、立ち寄ったら、人と出会える場所が作りたくて! いい話ですね。名物は「牡丹餅」にするそうです。「牡丹餅を食べてコーヒーを飲む!」 もう、その組み合わせで笑えますが、みんなが集まってくる場ですが、なんとなく、老人憩いの場の雰囲気です。今日は店開きの練習会でした。 但馬は、これから、寒くなりますが、近所の方も、お家にとじ込もらないで、ちょっと覗いてみましょうか! というふうな場所になるといいですね。 お店の、だから、まあ、実家の駐車場には以前住んでいた老人、だから、まあ、亡くなった父ですが、が植えたミカンが鈴なりでした。今日のお土産はミカンです(笑)。 但馬の冬の味覚にミカン!とはこれいかに! ですが、案外、甘くてナットク!でした(笑)。暑かった夏のせいでしょうかね。まあ、その代わり、お米の出来は今ひとつだったそうで、それはそれで残念でした。ああ、それから、カメムシは、但馬でも大群だそうです。 朝の暗いうちに出かけたのですが、夜、暗くなって帰ってきた団地のバス停の公孫樹はライトアップされていました(ウソですけど)。 上に見えるのお月さんです。くたくたでしたが、最後にこれでした。ちょっといいですね(笑)。ボタン押してね!
2023.11.23
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「おお、伊吹山!」 徘徊日記 2023年9月4日(月) 湖東・湖北あたり 朝起きて、ちょっと琵琶湖あたり行ってみようと思いついて電車に乗ったんです。まあ、新快速、乗ればいいだけだし、青春18きっぷも余っているし。 須磨の海をボンヤリ見ながら、草津から関西本線乗ってみようか、とか何とか考えていたのですね。で、神戸で事故で出遅れていた新快速に乗り換えて、いつの間にか米原です。この新快速、近江塩津行なんですよね。近江塩津ってどこか、ご存知? 北陸本線の特急のようですね。ちょっと乗ってみたいですね。あてもなく新快速に乗るんじゃなくて、特急に乗って温泉に泊まって、金沢文学散歩とか思いつけないんですかね(笑)。 で、車窓に田んぼです。湖北の水田です。稲刈りにはまだ早いようです。向うは琵琶湖です。伊吹山が見えてきました。なんでかわかりませんが、この山が見えてくるとワクワクします。 近江塩津の手前、長浜駅でおりました。琵琶湖に近いかなという気分です。何の下調べもしていませんからわかりませんが、お城があるようです。垂水から、2時間30分ほど電車に乗っていました。 駅の様子です。東出口、琵琶湖口の方からの全景です。 反対の出口、伊吹山口の方に駅の表札がありました。ステンドグラスふうガラスの細工です。 こんな置物(モニュメント?)もありました。葉っぱがガラス細工です。特産品か何かなのでしょうかね?いろんな駅に、それぞれいろんなものがありますね(笑)。 伊吹山が街並みの向うに見えます。今日は、暑くて歩く気になれませんが、冬は寒いんでしょうね。伊吹おろしとかありそうですし。 駅の近所のショッピングモール(?)のガラス窓にこんなお習字、伊吹高校書道部だそうです。書道のことなんて何もわかりませんが、なんとなく元気がいいのでパチリ!でした。 実は改装中で、左側にも何か書かれていたのかもしれませんが、わかりません。暑くて、お腹もすいてきたのでソフトクリームを食べました。まあ、写真を撮るのは忘れましたけど(笑)。結局、お城と琵琶湖には行きましたが、町の方へは歩きませんでした。また来ます。ボタン押してね!
2023.09.24
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「あれは長浜城、こっちは琵琶湖」 徘徊日記 2023年9月4日(月) 湖北、長浜あたり ハハハハハ、琵琶湖の北の端に長浜っていう町がありますね。明石から新快速に乗ると、座っているだけでつれて行ってくれます。 湖西線まわりだと敦賀まで行ってくれる場合もありますが、東海道線で米原を経由すると近江塩津という長浜市内で、滋賀県、最北の駅までやって来ます。 今日は、午前10時ごろ神戸市の垂水駅で乗車して、12時ちょうどくらいに、長浜駅に到着です。青春18キップ消化、日帰り旅ですね。長浜駅の西口・琵琶湖口を出てすぐにお城が見えました。 長浜城です。織田信長の家臣だったころに羽柴秀吉が築いたお城らしいですが、石垣はマンマかもしれませんが天守閣は再建されたお城のようです。 お城の公園の敷地の中に檻があって、お猿さんがいました。一匹だけで暮らしているのでしょうかね?暑そうで、ちょっと可哀そうでした。 お猿さんの小屋があるあたりは桜の公園のようです。今は緑の林ですが、季節に来ればかなり大きな桜の園ですよこれは。 で、その公園の向こうに見えてきました。琵琶湖ですね。なんとなく長浜まで新快速に乗ってやって来た目的はこの風景ですよ。琵琶湖を北から眺めたい! もう一度、琵琶湖です。向うに霞んでいるのは京都の比叡山とか北山とかの琵琶湖側の風景ですかね。 白い貝殻みたいな、ベンチみたいな置物があります。多分、座ってもいいのだとおもいますが、歌碑でした。 琵琶湖周航の歌 われは湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば 松は緑に 砂白き 雄松が里の 乙女子は 赤い椿の 森陰に はかない恋に 泣くとかや 波のまにまに 漂えば 赤い泊火 懐かしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か いい歌ですねえ。ボクでも歌えます。なんとなく、森繁久彌になった気分で(笑)、鼻歌を歌いながら、ボンヤリ湖を眺めて、持参したおにぎりを頬ばっていると赤とんぼ! です。なんとなくスマホを向けてむやみにタッチを繰り返していると写っていました。実は群れをなして浮かんでいたんのですがねえ。 見えますか?青空と雲の切れ目あたりに写っていますね。で、右手の葦の茂みの方をのぞき込むと糸トンボです。 緑のトンボです。見えますか? さて、これから、どうしましょうかね。湖西線をめぐって帰るのか、東海道線に戻って草津から関西本線に行ってみるか? まあ、ともかく、琵琶湖はこれでおしまいです。トンボとか、トンボとか見られて来たかいがあったというものですね(笑)じゃあ、またね。ボタン押してね!
2023.09.21
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「姫路駅そば」 徘徊日記 2023年7月28日(金)猛暑の青春18 2023年7月28日(金)の夕方7時過ぎのJR姫路駅で、久しぶりに「駅ぞば」を食べました。普段なら、この時刻に外食をすることはありません。 朝の5時45分に自宅を出発して、市バスで舞子駅、舞子駅を6時20分過ぎの山陽本線加古川行の普通電車に乗って、加古川で乗り継ぎ、姫路で播但線に乗り換えて和田山です。着いたのが9時20分でした。3時間30分の所要時間でしたが、到着は自己最早です。 コロナ騒ぎで滞っていた実家の片付けが目的の帰郷ですが、まあ、暑くて暑くて(笑)但馬は暑い! で、帰りは夕方5時に和田山駅から播但線で、万緑の中の生野峠では、土砂降りの夕立を車窓に眺めながら、姫路駅、午後7時到着でした。ちょうど12時間前に通過した駅のホームで、ふと、浮かんできました。「腹が減ったな・・・!?」 目の前にありました(笑)。ほぼ、10年ぶりの駅そばです。孤独にスープをすすっていると浮かんでくるのは30年前の愉快な仲間たちの顔です。 神戸の自宅に帰り着くと阪神キャッツの面々が鯉のアライで乾杯していました。完勝のカンパイでっせ(笑) もちろん、シマクマ君も氷をたっぷり入れたグラスで缶ビールです。乾杯! 青春18はつかれる!(笑)ボタン押してね!
2023.07.29
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「オヤ、ここは福知山!」徘徊日記 2023年7月17日(月)炎暑の丹波あたり「海の日」とかで、世間もお休みの7月17日(月)、三宮から朝の10時に高速バスに乗って一路丹波路です。車窓の風景は丹波篠山あたりですが、緑の山々と青空、そして夏の雲です。 到着したのは福知山です。バスを降りると、肌ではっきり感じられる炎暑でした。多分、38度を超えています。駅前では、こんなふうに踊っていらっしゃる方もあったのですが、ボク自身は着なれない喪服に、黒い革靴です。そりゃあ、暑いですね! 今日は、99歳の往生を遂げた伯父さんの葬儀なのです。ボクの母親はすでに亡くなっていますが、母を入れて八人の兄妹だった最後のお一人です。但馬の田舎から、満州、旅順の師範学校に進学し、卒業と同時に満州防衛隊として徴集され、3カ月余りの従軍の結果ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留を体験した方でした。 帰国して学校の教員をなさっていましたが、80歳を過ぎたころお出会いすると、手作りのチラシを差し出しながらおしゃいました。「あんなあ、Tっちゃん、わしな、仕残してることがあるんや。二十歳のころのシベリアの話や。あれはなあ、死ぬ前に、みんなに語っておきたいんや。」 その後、伯父さんは言葉通り、90歳を過ぎるまでシベリア抑留体験の語り部として暮らされた方です。 時節柄もあり、家族で営まれる葬儀だったのですが、なにはともあれ、お線香を!という気持ちでやって来ましたが暑い! ご家族と、数人の甥っ子たちが集まった穏やかな葬儀でした。無事、お線香を手向け、お顔を拝見し、儀式を終えました。霊柩車を見送りながら、昭和元年に生まれ、昭和、平成、令和を生きた方の人生を思い浮かべました。 再び、福知山駅あたりです。青い空と白い雲、夏ですねえ(笑)。駅のあたりに、人影はほとんどありません。 駅前広場の木陰で涼んでいて、目の前に気になるお店を見つけました。東京スタイル?、何のご商売なのか見当がつきません。建物も新しいので見当違いなのですが、なんか、昭和のあの頃を感じる田舎ぶりですね(笑)。 帰りのバスの窓から見えた丹波の夏の空です。ボンヤリ、時の流れを感じさせる風景でした。それにしても、少々お腹がすきましたね。バスに乗って、ようやく気付きました。慌てて出発した朝から、何にも食べていない一日でした(笑)。ボタン押してね!
2023.07.17
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「なぜか、西脇で鯉のぼり!」徘徊日記 2023年5月4日(土)西脇市あたり 今日は2023年のゴールデンウィークの後半が始まった5月4日です。5月5日の子供の日の一日前ですが鯉のぼりが泳いでいました。青空に真鯉・緋鯉がゆうゆうと泳いでいる光景に見とれましたが、写真を見ると、結構、雲が写っていて驚きました。 ここはどこかというと、なぜか、北播の西脇市です。市内にある天神池の公園で、池の上に張られているロープにぶら下がって20匹ほどの赤青黒黄色の大きな鯉たちが泳いでいました。 西脇市天神池スポーツセンターとかがあって、体育館だか温水プールだかの建物の広場にも、少し小ぶりの鯉たちが泳いでいました。 ヤサイクンが乗せてくれた自動車で朝早く神戸を出発してやってきたのは、スポーツセンターで泳ぐためではありません。この冬亡くなったおばーちゃんのために菩提寺で花まつりの行事があるというのでやってきたのですが、お寺の玄関で「お祭りは明日ですよ。」 と軽く指摘されて、急遽、お墓参りということに行事を変更して、で、まあ、ついでというか、折角だからというか、ここにある道の駅・北はりまというお店で筍を買おうとやってきたのでした。 まあ、間違えたことは仕方がありませんね(笑)。神戸の垂水から西脇、谷川、篠山、三田、六甲山トンネルを通って六甲道、運よくゴールデンウィーク渋滞には巻き込まれずにすみましたが、ヤサイクンは本当にご苦労様でしたという鯉のぼり見学の顛末でした(笑)。じゃあ、またね。ボタン押してね!前回ご案内した豊助饅頭
2023.05.05
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「相生橋って知ってる?」徘徊日記 2023年2月8日(水)高砂あたり 一日中、いいお天気だったんです。でも、ちょっと落ち着かない午後でした。まあ、一人で家にいたのですが、なんだか落ち着かない日でした。で、しょうがないので出かけてきました。 いつもと同じ東向きの電車に乗るのが何となく嫌で、闇雲に西向きの山陽電車に乗って降りたのがこの駅でした。 高砂です。JRには高砂駅はありません。 駅前に出てみると、思いのほか鄙びていて、まあ、「なんにもない!」という印象なのですが、案内図はありました。で、とりあえず加古川の方に向かって歩き始めました。 最初に載せた写真の鉄橋まで歩くと南にそびえていたのがこの煙突です。高砂といえば海沿いまで歩けば工場地帯ということは知っていましたが、駅を降りて5分でこの煙突でした。 加古川沿いを南に歩くと橋がありました。この橋を渡れば対岸は加古川の市街です。橋の名前は相生橋だそうです。「渡って、JRで帰ろう。」 まあ、そう考えたのです。 橋の上から、先ほど歩いてきた風景を写真に収めました。この辺りになると加古川も大河です。海から2㎞くらいなところだそうです。 対岸です。ここから加古川市です。で、もう写真はありません。とる余裕がなかったんですね。マア、暗くなってしまったということもあるのですが。 すぐそこらあたりに山陽電車の尾上の松駅とかがあったはずなのですが、JR加古川駅を目的地にしたシマクマ君は北東に向かって歩き出しました。頭の中の地図では、まあ、20分も歩けば着く予定だったのですが着きませんでした。 知らない街で歩くのは不安ですね。マア、こうして帰って来られているわけで、歩数も1万歩程度で、落ち着いて考えれば大したことではなかったはずですが、その時は不安でした。 そういうわけで、久しぶりの知らない街徘徊は疲れました(笑)ボタン押してね!
2023.02.15
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「東本願寺」徘徊日記 2023年1月30日(月)京都あたり 永く、疎遠だった従弟と久しぶりに食事をして京都駅で別れたのが、お昼過ぎでした。このままJRでトンボ返りするのもなんだかなあ・・・という気分で歩きはじめるとすぐにあるのが東本願寺です。この前の道を市電が走っていたころ1年間京都で暮らしたことがあります。 住んでいたのは烏丸鞍馬口、ちょうどこのお寺の前の道、烏丸通が北大路とぶつかる手前のあたりでした。電車の停留所の前に小さな和菓子屋さんがあって水無月という、まあ、外郎(ういろう)の一種だと思います。季節が違いますが、京都独特のお菓子を買ったりしたことを覚えています。 マア、そんなことを思い出しながらやって来たのがこの門前です。 なんとなく、中に入るのを遠慮してしまいそうな立派な御門ですが、なんという御門なのか、今一興味がわきません。で、その御門の前には、これまた立派な灯篭がありました。夜になると電気がともるのでしょうかね? 気が乗らないようなことをいってはいますが、中に入りました。今、入ってきた御門を振り返ると、青空で、周りの立ち木が冬枯れていていいですねえ。 振り向くと本堂(?)です。なんだか工事中ですが親鸞生誕800年だかのお祭りがあるようです。いわゆる門徒衆が全国からお集まりになるとしたら、大変な人出なのでしょうね。 コロナなんかには負けていられないでしょうからねえ。えらいことですねえ。 それから講堂です。庭も広いですが、マア、とにかく建物の規模が大きいですね。ぼくは40年、50年ぶりでやってきましたが、懐かしい感じはありません。 境内の案内図です。ピンボケでよくわかりませんが、全体としてでかいことはよくわかります(笑)。 外に出て、ちょっと歩くともう一つ御門がありました。菊の紋章がついていたので写真に撮りました。その筋の方が来られるときには、この御門を開けるのでしょうかね? 寺の外に出てみると、東本願寺の前も、なんだか工事中ですが、さて、もう少し北に歩いてみようかなと思っています。 どっちにしても、四条あたりまでですから、大した距離ではありません。それじゃあ、また報告しますね。ボタン押してね!
2023.02.05
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「京都駅」徘徊日記 2023年1月30日(月)京都あたり 今日はJRに乗って京都駅にやってきました。電車を降りたプラットホームには親近感がありました。50年前に、山陰線に乗ってやってきた駅ですが、山陰線のホームは外れの方にあります。 中央出口で待ち合わせをしているのですが、少し早いので外に出てみてびっくり仰天でした。文字通り「仰天!」しました。 京都駅の改装工事は、もう20年以上昔のことですから、新しくなって初めてきたわけではありません。駅の構内近くにある四季劇場でお芝居を観たこともあります。 にもかかわらず、正直、ビックリ仰天でした。 約束通りやって来た知人にそのことをいうと、なにボケたことをいっているのだという不思議そうな顔で見つめられました。知人というのは父方の従兄弟ですが、これもまた不思議なことに、まあ、そんなことはあるはずがないのですが、子供の時と同じ顔をしていました。「駅の上のレストランで、ランチを予約しているけど、かまわんやろ?」「駅の上?」「うん、11階。」 というわけで、11階からの眺めを堪能しました。最初の写真は、うっすら雪化粧の北山ですが、こちらは比叡山です。 京都タワーができたのは1964年で、東京オリンピックの年ですが、ぼくにはその年にこのタワーの上まで登った記憶があります。同じ年の同じ時期に新幹線に初めて乗って、東京タワーにも上りました。そのころ、いろいろ悪口を言われていたのを覚えていますが、50年たって、こうして京都駅の11階から北を眺めて写真を撮っていると、このタワーを外せない気分になるのですから不思議です。 数年ぶりで会った従弟とは、昼食をとりながら、田舎の話なんかをしました。故郷の捨て方のについての意見交換です。兄妹だった、それぞれの親もいなくなって、親戚づきあいも、もう終わりですが、「睦たちが生きている間、まあ、もう少しなんでしょうが、年に一度くらいは会いましょう。」とライン交換して別れました。65を超えた爺二人がライン交換する時代なのですね(笑)。 ほんとうは、御所あたりまで歩いてみようかとも思ったのですが、まあ、すぐそこにある東本願寺には、と思って歩き始めましたが、それは、続きということですね。 お天気のいい冬の京都でした。ボタン押してね!
2023.02.01
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「南紀・串本・橋杭岩」徘徊日記 2023年1月20日(金)紀州路あたり その1 神戸を朝出発して、阪神高速湾岸線から高速道路をぶっ飛ばして、到着したのがお昼過ぎです。南紀、串本の橋杭岩です。 秘境です。奇景です。 橋杭岩というそうです。向こうに見えるのが紀伊大島です。その右あたりの潮岬にもよってほしかったのですが、時間の余裕がありません。 岩の上には鳥がたくさんいます。白い海鳥ではなくて、どうもトンビのようです。しっぽのかたちを観ていると鷹ではないことは確かのようです。 岩の向こうに見えるのは太平洋です。向こうの大島の南端まで行ってみたいのですが、残念ながら、今日は無理のようです。 もう、こうやってポカンと見ているよりほかありませんね。案内の看板もありました。近所には食堂とか土産物お店もあります。 看板のすぐ下は、もう海ですが浅瀬です。水が異様に透き通っていて、ピントを合わせるのがへたくそなシマクマ君のスマホ・カメラでも小魚の大群が写せました、 海沿いに置かれているベンチに座って奇岩の列を眺めながら、おにぎりを食べて、お茶を飲みました。40年ほど前に、一度、来たことがある場所ですが、何も覚えていませんでした。 確かなことは、同行の友人数人の中にチッチキ夫人もいたということだけです。今日はヤサイクンとチッチキ夫人の三人です。 さて、そうノンビリもしていられません。ここを越えればいよいよ那智の滝です。ボタン押してね!
2023.01.22
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「那智の滝」 徘徊日記2023年1月20日(金)紀州路あたり その2「20日の金曜日に那智の時に行くけど、行きますか?」「えっ?那智の滝?行く行く!」 マア、そういう次第でヤサイ君号に同乗して、今日は紀州路徘徊です。神戸の摩耶から阪神自動車道湾岸線、阪和自動車道、紀勢自動車道と走りに走って、和歌山の周参見、すさみと読むそうですが、そこから串本、古座、太地と太平洋に面した地道を走って、ようやく那智勝浦町です。 串本を通過したあたりの車窓から見える太平洋の風景です。右手の島は、多分、紀伊大島ですね。 おお、やっとのことで那智勝浦町です。那智の滝の標識が見えてきました。標識を左折して北に向かうと道の両サイドが山になって、山の上に滝です! 着きました!神戸を9時に出発しましたが、ただいまの時刻、13時30分です!。 世界遺産です!那智御滝です! ここは駐車場です! うっそうとした杉林です!石段です!よろけます!熊野のです! 木立の向こうは日が差していて、滝です! 全景が見えてきました。水量は少なめですが、まあ、それだからでしょうね、かえって、優雅な姿です。見物の人も、ほとんどいらっしゃいません。静かなものです。 これが、全景です。実は、40年ほど昔に、一度、来たことがあります。今回で、生涯二度目です。学生の頃でしたが、なぜか、その時もチッチキ夫人が一緒でした。 その時の那智の滝は、あおむけに寝転がった大地母神が天に向かって放尿している印象で、おおらかで、エロティックでしたが、今日の那智の滝は優雅で上品でした。 滝の前には蝋燭をともす燭台と護摩木を燃やす火鉢があつらえてあります。護摩木も蠟燭も一つ100円でした(笑)。そういうことには無関心なはずのシマクマ君も護摩木を焚きました。滝の霊力のなせる業ですね(笑) 滝見の広場の片隅にこんな石がありました。滝見物を終えた皆さんが撫でていらっしゃいました。遥拝石とか書いてあります。頭は、なでられてつるつるです。 ああ、これが由緒書きの看板ですね。滝のじゃなくて、那智飛竜神社ですね。この神社は確か火祭りとかもあって、なかなか、あだやおろそかにはできない神社なのですが、何度も来ることができる場所ではないですね。 さあ、ここから青岸渡寺、那智大社本殿まで、ちょっと大変です。でも、まあ、歩かないわけにはいきません。続きは「青岸渡寺」編でどうぞ。追記2023・02・12紀州路徘徊のその1をようやくアップしました。日付もテレコですが、よけれポチっとして覗いてみてください(笑)。ボタン押してね!
2023.01.21
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千早城跡徘徊(その4)徘徊日記 2022年10月29日(土) 南河内あたり 大阪の金剛山のふもとにある千早赤坂城に行った徘徊なのですが、なぜか、最終回は地元では「シンデレラ城」と呼ばれているらしい、この写真からスタートです。このお城、ご存知の方いらっしゃいます? 千早城を下山したところにあった山の豆腐のお店です。チッチキ夫人は元気を取り戻してお買い物のようです。 で、その近くの渓流公園で、おやつです。お豆腐屋さんで売っていたらしいオカラ製のカレーパンでした。マア、おいしいような、つめたいような味でした。 渓流沿いの公園ですが、人はいません。近くに金剛山のハイキングコースの地図もありました。シマクマ君が歩いたのは右隅の下の方だけでした。「あのな、駅でも学校でも、エスカレーターに飛び乗ったりせんと、隣の階段を2段上がりでのぼるとか、駅前に来たら、隣の駅まで歩こうとか、努力せんと、ボケるでえ!」 きっぱりと言い切るヤサイクンの言葉が、妙に身に沁みましたが、ともかくも、千早城には登れたわけで、今日はそれで満足して帰路につきました。 千早赤阪村の町役場あたりです。残念ながら、「村」という、まあ、行政単位の名はついていますが、さほど田舎の感じはありません。 しばらく行くと、学校らしい建物に到着しました。どうも、裏口のようで、金網の塀というか柵というかの向こうにはここからは入れないようです。 で、あったのが、このお城です。大阪芸術大学の「シンデレラ城」ですね。どういう用途でつくられたものなのか、ここからではまったく分かりません。今日は日曜日ですが、お城に入っていく学生さんの姿もちらほらしています。 遠くには、やっぱり、富田林名物(?)のPL教の不思議な塔も見えています。芸術大学のお城といい、宗教団体の塔といい、不思議というのか、奇態なというのか、南河内ってすごいですね(笑)。 というわけで、千早城徘徊もこれで終わりです。できれば、今度は、見晴らしのいい金剛山の山頂まで行きたいものです。マア、そのためには、駅の階段の2段上がりから始めるほかないのでしょうね(笑)。ボタン押してね!
2022.12.13
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「童子山の観音さん」徘徊日記2022年10月16日(日) 西脇市、山手町あたり 久しぶりの西脇市の山手町です。本当は童子山の展望台(?)まで上がればいいのですが、ふもとの観音堂でUターンです。本堂は扉が閉まっているので、周囲に気をとられますが、まあ、この老人と、仏像なら脇侍というのでしょうか、二人の小僧さんの像が好きです。 座っている老人は役行者というらしいです。小僧さんお二人にも名前があるのでしょうが、わかりません。 マア、小鬼というところでしょうが、子供って、本当は、こうだよねと思うのですが、そういうことは、今のご時世、口に出してはいけませんね。 こっちの小僧さんは、右手の手首から先がありません。取れてしまったようで、かわいそうですが、これはこれで、なかなかいい感じでもあります。 三人の前には大きな切株があります。何の木なのか、ぼくにはわかりませんが大木であったらしいことは、わかります。 どこに行っても、木を切りたがる人というのはいるものですね。神戸の街路樹でも、銀杏の実のなるイチョウの木がめっきり減りました。実が落ちると匂うのを嫌う人が市役所とかに苦情の電話を入れるのでしょうか。イチョウの実が熟せば匂うのは街路樹になる前からですが、街路樹で植えられたばっかりに、ようやく実をつけ始めると切り倒されるイチョウの木は、やっぱりかわいそうですね。 このお堂の広場には大きなイチョウの木があります。まだ色づいていませんが、色づいて散り始めるとなかなかな姿です。散り終わると立派な箒の姿になりますが、落ち葉の掃除が大変とかいう人が騒ぐと切られてしまうのでしょうか。 忘れるところでした。これが観音堂です。ちゃんとお参りはしましたよ(笑)。 次に来るのは、また一年後とかでしょうか。ボタン押してね!
2022.11.10
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千早城跡徘徊(その3) 徘徊日記 2022年10月29日(土) 南河内あたり さて、下山です。石段の道ではなくてヒノキ林の道を下り始めたところに赤い実を付けたかん木がありました。マムシグサの実ですね。巻頭を飾るのにふさわしい禍禍しさですが、田舎で大きくなったぼくには懐かしい実です。 こちらから登ってこられる方もありました。マア、同じくらいのお年のご夫婦らしいカップルでした。こちらは下り道ですから余裕ですが、なかなかお元気でした。 山の中の道を降りきって、金剛山の登山道に出たところに地図がありました。金剛生駒国定公園だそうです。 登山道の脇には石仏です。真言が書いてありますが、唱えるのは忘れました(笑)。マア、いつものことです。 藪のなかから湧き水も出ていました。マア、とりあえず一口いただきます。おいしいような、ただの水のような、そういうことに鈍いんですよねぼくは。 湧き水のそばにノアザミの花です。「ちょっと、ノアザミよ。これ、写真、写真!」 まあ、うまく撮れていませんが、チッチキ夫人の要望です。 水場の近くに、もう一人、石の仏さんがいらっしゃいました。 金剛山にのぼる人、下りてきた人、結構、人通りのある山道です。でも、圧倒的に下山の人が多いですね。昼前くらいの時間でしたが、皆さん、かなり朝早くから登って降りていらっしゃったようです。 前を歩いていたチッチキ夫人が、草むらを指さして呼んでいます。「ねえ、これ、水引草よ。」「立原道造ですか?」「なにそれ?」「いや、水引草に風がたちですけど。」「まあ、それはともかくとして、あんまり見ないのよ。」「おばーちゃんのとこにもないの?」「ないない。似たようなのは、あっちこっちあるけどね。」 ほんとうは、ここからふもとの駐車場のあたりまで、もうちょっとあれこれ書いて「下山」編を終わるつもりでしたが、ちょっと無視されて癪なので、水引草にこだわって引用しますね。 のちのおもひに 立原道造夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に水引草に風が立ち草ひばりのうたひやまないしづまりかへつた午さがりの林道をうららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた――そして私は見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光をだれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……夢は そのさきには もうゆかないなにもかも 忘れ果てようとおもひ忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらうそして それは戸をあけて 寂寥のなかに星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう 但馬の田舎暮らしの少年が京都の町中で下宿しながら予備校通いの1年を送ったのは、50年前の事なのですが、その時、生まれて初めて覚えた詩がこれなのですね。 今となっては、四季派の抒情詩の代表のような詩を口ずさむ少年だったというのは、何とも恥ずかしい話なのですが、たぶん、初めての一人暮らしで、「夢はいつもかえって行った 山のふもとのさびしい村に」の一節に惹かれただけなんでしょうね。だって、水引草って初めて見たんですから、この日(笑)。ほんと、いい加減なものですね。 というわけで、下山編、もう少し続くかもです。ボタン押してね!
2022.11.08
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千早城跡徘徊(その2)徘徊日記 2022年10月29日(土) 南河内あたり さて、山中の石段道をヒーヒーうめきながらたどり着いた、広場ですが、石灯籠と城跡の石碑以外これといった建造物はありません。 まあ、しかし、紅葉一歩手前の、緑から黄色、赤へのグラデーションの立ち木を眺めて、ようやく一息つきました。お茶など飲みながら広場の、向こうの端をうかがうと、狛犬さんです。 あっちが神社のようですね。その前に狛犬さんの写真です。 こちらが、盛大に吠えていらっしゃる「阿」さんです。 こちらも、何か御腹立ちのようすの「吽」さんです。狛犬さんというのは、ここのように猛々しい雰囲気でも、やっぱり笑えますね。 狛犬さんがいらっしゃるわけですから、神社の印、まあ、鳥居とかあるんじゃないかとお気づきでしょうが、実は、ありました。撮り忘れただけです(笑)。 通り過ぎてから、思い出して一枚だけ取りました。向こうが、さっきたどり着いた、三の丸広場というところだったようです。 で、また、また、歩き始めて、分かれ道です。 右に行けば金剛山のようですね。先ほどから近くで歩いていらっしゃった若いカップルの方が、ヤサイ君に尋ねています。「この道を行けばいいんですかね?」「ああ、大丈夫ですよ。そっちを行けば金剛山の登山道に出ます。結構きついですからお気を付けて。」 ヤサイ君は、ここに来るのは初めてではありません。前回は金剛山のてっぺんまで歩いたようですが、今回は老人夫婦にお付き合いしてくれています。 カップルのお二人に丁寧に案内をしてから振り返って一言。「あんたらには、無理!」「はい、わかってます。」 再びというか、またまた石段です。しかし造りがこれまでとちがって立派です。いよいよ、本殿でしょうか。 おお、本殿に到着のようです。 この広場が二の丸広場らしいですが、周りには手水場とかいろいろあります。どなたが祭られているのかよくわかりませんが、ちいさなお社もあります。 宝物殿? ご由緒書きの看板です。ブロンズ製!のようです。全文漢字書きで読めません。悔しいですが、お読みなる方のためにズーム・アップしておきます(笑)。 こちらが拡大写真です。 短い階段を上がったところ、本殿の前に再び一対の狛犬くんがいました。 こちらが「阿」くんです。なんか、遠吠えのご様子ですね。 こちらが「吽」くんです。なんか、彫り方が直線的で、どこかで見た気がする前衛彫刻みたいですね。それにしても、歯がむき出しのお顔は、やっぱり、笑えます。 で、ようやく本殿到着です。飾り気がなくて、いい風情ですね。 マア、湊川神社の地元からやって来たわけですから、まじめにお参りしました。珍しくお賽銭も5円(ご縁)ではありません。 本殿の横にありました。ご神木のようですが、クスノキではなくて榊のように見えましたが、よくわかりません。 本殿の裏の杉の大木です。この城山は檜の森のようですが、この木は杉のようです。樹齢がどのくらいなのかよくわかりませんが、100年ということはないでしょうね。かなりでかいです。チッチキ夫人が感心して見上げています。大木というの、もう、それだけでいいものですね。 この奥が本丸跡地のようです。 さて、下山です。ここからは石段ではなくて山のなかの道を降りていきますが、様子はその3で報告します。 じゃあ、また、覗いてください。バイバイ。ボタン押してね!
2022.10.31
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千早城跡徘徊(その1)徘徊日記 2022年10月29日(土) 南河内あたり 2022年10月28日(金)の宵にヤサイ君から電話でした。「明日、千早赤坂村いくけど、いっしょにのいく?」「ああ、この前、金剛山登ってたとこか?行く、行く。チッチキ夫人も行ってええの?」「ああ、ええけど、朝、道が混む前にスタートな。」「チビラたちは?」「ああ、ぼくだけ。いろいろ用事あるらしい。」「赤坂村って、お城?」「ああ、ホントは金剛山にのぼるのが普通やけど、ずーと階段で、あんたら無理やろうから、千早城だけ。行きたいゆうてたやろ。」「わかった。灘駅に8時半ぐらいでええか?」「うん、8時半な。」 というわけで、10月29日(土)、JR灘駅で拾ってもらって、「いざ、千早赤坂城!」の徘徊の始まりでした。 マア、ヤサイ君の自家用車便乗なので、大阪の市街地を超えるのも気楽なものです。 久しぶりの富田林です。自動車の助手席からの写真ですが、中央に写っている、あの、不思議な塔が、ぼくには富田林ですね。 で、ここからちょっと山道を登っていくと千早赤阪村、あっという間に金剛山登山口の駐車場です。 茶屋のおばちゃんに駐車料金を払って、目の前が登山口でした。下の写真の左側が手すり付きの急な石段で、その左に公衆便所もあって、気になる場所がすぐにあるのがいいですね。 千早城の解説が看板になっていて、そのほかにも石碑とかあれこれありましたが、ちょうど下山してこられたご夫婦らしい、まあ、少し年配のお二人のご様子に気をとられて、肝心の石段の写真を撮り忘れました。ちょっと、動揺してたようですね。 で、歩き始めたのがこの石段でした。下の光って見えるところが登り口で、とりあえず、50段ありましたが、ヤサイ君はさっさと、上のほうへ行ってしまったようで、チッチキ夫人を待っていて、ようやく写真を撮ることを思い出しました。 立ち止まって、周りを見ると、大木のヒノキ林なのですが、こんな仏像が置いてあったりします。シマクマ君は歩き始めたばかりなのに、もう、座り込みたいような気分ですが、ヤサイ君はもちろんのこと、チッチキ夫人もどんどん登って行ってしまいました。座ってはいられません(笑)。 手すりがついた50段が終わると、鳥居がありましたが、目的地が見えているわけではありません。石段も手すりなしでグネグネ、ぐるぐる続いています。なんといっても城跡なので、天守というか、一ノ丸というか、そういうところがあるはずです。 大きな石碑がありました。楠公がどうのと彫ってあるようですが、光の加減もあって、まあ、教養の足らなさが理由なのですが、読めません。しようがないので、とりあえず、前に座り込んでお茶を飲みました。 上のほうから声がします。「その石碑なんて読むのー?」「わかりませーん!ゼーゼー。」「なーんや、役立たんなあ!」「だいじょーぶー?」「大丈夫ちゃうし、あんたら元気でええなあ。」(声は出ていません) 下の写真はヤサイ君が撮ってくれた写真す。右下に人影がありますが、シマクマ君のようですね。マア、こういう道をエッチラ、エッチラ、ゼー、ゼー、息を切らせて歩いていたというわけです。 周りの木立はこんな感じです。マア、この風情は嫌いではありません。子供の頃を思い出しますね。暮らしていたのがそういう田舎でしたから、こういう山のなかを、よくウロウロしていました。 同行だったはずの二人の姿はもう視界にはありませんが、時々、下りてくる人がいます。「ああ、こんにちは。城跡はもう少しでしょうか?」「はい、広場まで、ここからなら10分くらいですが、やっぱり、結構きついですよ。」「ああ、ありがとうございます。10分ですか。はあ、10分・・・・。」 この坂を登れば、どこかにつくのかなあ。ゼー、ゼー。歩き始めて、どのくらいたつのかなあ。 で、ようやく、どこかに到着したようです。よくわかりませんが、千早城跡という看板がありました。 最初に載せた石碑もありました。隣には案山子のような、武者人形(?)があります。でも神社は、まだ、ありません。 どうも、ここは本丸の広場のようですが、千早神社はまだ奥のようです。それは、(その2)でお伝えしますね。 マア、こういう、バカバカしさに懲りず、そっちも覗いてみてくださいね(笑)。じゃあ、とりあえず今日の(その1)は終わりです。ボタン押してね!
2022.10.30
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「お久しぶり!山手町」徘徊日記 2022年10月16日(日)西脇市、山手町あたり 北播の西脇市はチッチキ夫人の故郷です。高齢の義母が一人で暮らしています。時々帰りますが、普段は電車です。コロナ騒ぎになって、シマクマ君は帰っていません。 この日の朝、ゆかいな仲間のヤサイ君から電話がありました。「アンナー、西脇に行くけど、一緒に行くか?」「えっ、行ってくれるの?」「オバーがな、あんた来るゆうてたけど、何時に来るの?って電話してきてん。」「電話してたんか?」「いや、思い込みか、勘違いやろ。でも、まあ、そういうならいこかと。」「それは、ありがたいね。こっちは二人載せてもらうわ。」「ほんなら、昼過ぎに、そっち回るから、出られるようにしとってな。」 というわけで、お昼過ぎに出発しました。マア、自動車に便乗ですから気楽なものです。 播州の田んぼ道です。稲の穂が実っているのを見るのは久しぶりです。兵庫県の北部の但馬地方の稲刈りは9月中の終わってしまうのですが、播州平野ではまだ稲刈りが始まったばかりのようです。 国道175号線を北上しています。少し曇っていますが、日差しもあって、穏やかな秋の午後です。その昔、亡くなって10年以上になりますが、元気だった義父の車に乗ってよく通った道です。 今日はヤサイ君とゆかいな仲間が一緒です。一番おねーちゃんは、「反抗期なので、一人がいい」ということでお留守番だそうです。二番目のホタル姫が説明してくれました。 到着しました。西脇市山手町です。もっとも、これはおばーちゃんの家ではありません。來住家住宅という文化財です。西脇には、こういうでかい町屋が結構あります。 來住家住宅の蔵の壁沿いの路地です。左のお屋敷も、確か來住さんだったと思います。大きな屋敷です。 さて、おばーちゃんの家です。 これは前の家の土塀です。瓦は少々傷んでいますが、大きなお屋敷です。壁をよく見るとゆかいな仲間たちが子どもだったころの落書きが見えます。 落書きに名前を書けば捕まりそうなものですが、これといってお咎めはなかったようです。 おばーちゃんの庭の菊の花(?)、タンポポの一種ですかね。彩のあるのはこの花だけでしたね。やっぱり、少し寂しい庭になってしまいましたね。 こっちは吾亦紅ですかね。どっちの花も、まあ、見かけ上は雑草なのですが、こういうのを抜き捨てずにとっているところが、この家のおばーちゃんらしいのですね。 家の中からはおばーちゃんの声もしますね。チビラくんたちはおばーちゃんが二人いるので、呼び分けないといけませんが、若いほうがバーバらしいですね。 同乗していた自動車の中で、はじめて、チビラくんたちから「オジーちゃん」と呼ばれて、ちょっと焦りました。今まではジージだったのですが、何かあったのでしょうか。「わっ!はじめてオジーちゃんっていうてもた。」 口にした本人が照れてましたが、別に間違った呼ばれ方ではないのに、お互い何を焦っているんでしょうね。 これからちょっと童子山の観音さんにお参りしてきますね。続きはその2でどうぞ。ボタン押してね!
2022.10.21
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「オバーチャン家で花火じゃ花火じゃ!」徘徊日記 2021年7月24日 西脇あたり いつもの年は、8月のお盆前後に行くのですが、今年はヤサイクンのお仕事の都合が合わないとかで、この時期になりました。 神戸を夕方出発して、西脇についたころは日も暮れつつありました。 播州の夏の夕暮れです。ほんのり夕焼けしている西の空に飛行機雲が鮮やかでした。夕食をオバーチャンと一緒に食べて、いよいよ恒例のお庭花火大会です。 火が怖かった、末っ子のクルチャン姫も、両手に花火をもって立てるようになったようです。そういえば1年生になったんですよね。「燃える女の肖像」ならぬ「燃える少女の肖像」ですね。 三姉妹、仕切っているのは6年生のコユちゃん姫です。ガールスカウトとかに行っているらしく、火の扱いも手慣れたものです。 足元に、新型ねずみ花火をぐるぐるさせながら手には別の花火です。妹二人は、足元のねずみ花火が苦手です。 次々と点火していきます。手慣れたものです。 ホタチャン姫も、二刀流で参加です。彼女は「暗い」のはこわいようですが、花火は大好きなようです。 若い方のオバーチャン、チッチキ夫人も線香花火で参加ですね。なんだか、いかにも、腰の曲がったオバーチャンスタイルですが、腰をかがめているだけで、ずっと腰が曲がっているわけではありません。 けっこう高くまで火花を噴き上げる花火もありますね。スマホのカメラもデジタル・カメラも、思ったように写してくれませんが、偶然、写った写真でも、花火は花火で、いいものですね。 ピンぼけですが、「夏の思い出」ポクっていいですね。 例年は、夏の終わりの雰囲気でしたが、今年は夏の始まりですね。コロナ騒ぎで落ちつきませんが、子供たちの夏休みは始まったばっかりです。明日はプールに行くそうです。ボタン押してね!
2021.07.28
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「鶉野飛行場跡」 徘徊日記 2021年2月22日 青野ヶ原あたり 小野の鴨池でコハクチョウとか鴨とか見た後、お昼ご飯は「がいな製麵所」という所で「おうどん」をいただきました。 「おうどん」なんて言い方をすると、いかにも関西風ですが、「讃岐うどん」でした。「釜揚げ」と冷たい「ぶっかけ」をいただきましたが、とてもおいしい「おうどん」で、まわりには田んぼとかしかない雰囲気の場所でしたが、お客さんは結構込み合っていました。 うどん屋さんの隣が、向こうに見える神社の参道でした。鎮守の森というか、懐かしい風情でした。 このお店にやってくる途中で、第三セクターというんでしょうか、北条鉄道の網引駅に寄りました。「あびき」と読むようですが、もちろん無人駅です。 駅前の大きな銀杏の木が有名らしいですが、今は、巨大な箒を逆さに立てた様子です。芽吹きの直前でしょうね。 駅前の観光案内によれば、ウオーキングやサイクリングの人の休憩所になっているようです。近くに湿原とかもあるようで、今度はそこに連れて行ってくれるらしいです。 で、興味を持ったのが飛行場でした。とりあえず、昼食をすませて「鶉野(うずらの)飛行場跡」にやって来ました。 飛行場跡地の近くに、昔の戦闘機が置いてありました。この飛行機は「練習機」らしくて、作り直した「紫電改」が近くの倉庫に展示されていたようですが、気づきませんでした。ざんねん! 姫路の海軍航空隊の慰霊碑がありました。沖縄戦にさいして60数名の兵士が特攻作戦によって亡くなったことが記されていました。播州平野の、この飛行場から、はるか沖縄海上目指して特攻隊の飛行機が飛び立ったことに驚きました。 多分これが飛行場の跡地です。そもそも、こんなところに飛行場があった事すら知らなかったわけで、亡くなった方の年齢のほとんどが20代、それも20歳か21歳でした。父親と、ほぼ、同い年の青年たちであることに胸を突かれました。 今日は楽しい徘徊でした。お天気はいいし、ほとんど歩く必要もなかったし、見るべきものは見て、食べるべきものを食べました。 やはり、持つべきものは友ですね。2月22日徘徊(その1)「小野の白鳥」はこちらをクリックしてみてください。 ボタン押してね!
2021.03.02
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徘徊 2021年2月22日「小野の白鳥」「あのなあ、白鳥がそろそろ帰ってしまいそうやねん。ちょっと見に行くか?」「白鳥って、あの白鳥?兵庫県にも飛んできてるの?」「そうや、地元の人は飛来地、南限っていうてはるなあ。コハクチョウや。小野の鴨池か、あのあたりに来ててんけどな、そろそろやから、もうおらんかもしれんけど。」「ふーん、そりゃあ行くよ。家で待ってたらええんかな?」「うん、月曜日の午前中に迎えに行くわ。」 というわけで、野鳥観察のお友達から連絡をいただき、播州、小野の「鴨池」という所に行ってきました。 これが鴨池です。小野カントリークラブというゴルフ場に隣接している大きなため池です。二つの池が隣り合っていて、こっちが男池で、上の写真が女池です。 上の写真の女池の向う岸のあたりに白い物体が写っていますが、あれが白鳥です。コハクチョウだそうで、10羽ほどの中に若鳥が4羽いるそうです。きしでのんびりカメラを構えておられた方に教えていただきました。 ぼくの写真は例によってスマホのカメラなので、こんなふうにしか映りません。 向うに小さく写っているのが白鳥ですが、手前には鴨がたくさんいます。 鴨のアップは写っています。 ピントが合っている(?)写真もありました。何やら池の中を覗いていますね。 池の周りには大きな看板もあります。 さっきまでの写真が女池ですが、こっちは男池です。看板をアップすると鴨の種類が描いてあります。 10種類以上の鴨が生息しているようです。今日ここに連れてきてくれた、野鳥観察の「達人」(?)の友達が、しきりに男池の群れを見ながら解説してくれました。 こんな感じです。 解説を聞くハナから名前を忘れる生徒にとっては、まあ、なんとかの耳に念仏なのですが、こうして水に浮かんでいる種類が微妙に違うのは、少しわかりました。 ちなみに、この池は、この辺りの灌漑用水らしいのですが、ここに写っているのは大きなパイプですが、今日は水が流れていませんでしたから、今でも使っているのかいないのかわかりませんでした。こういう大きな水路が池の周囲にあって、興味を惹かれました。 電車ならJR加古川線の「小野町」という駅が最寄り駅のようですが、「来住(きし)」町という地名のようです。 今年は、もう無理でしょうが、なんとか「白鳥」の姿を上手に撮りたいものですね。半年後に、また飛来してくる頃に、もう一度連れてきてもらえるように、友達を大切にしたいと思いました。 それにしても気持ちのいい水辺でした。追記2021・03・02この日の続き、徘徊「鶉野飛行場跡」はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!
2021.02.24
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徘徊日記2021年1月1日 徘徊はじめ 初詣 西脇八幡宮 2021年が始まりました。播州の北の町、西脇市で一人暮らしをしているオバーチャンを、愉快な仲間のチビラ君たちと訪ねました。 オバーチャンと一緒に、まず、お寺とお墓にお参りしました。 鐘撞き堂です。昨晩は忙しかったのでしょうが、今日は誰もいません。 本堂に上がって御本尊さんにお参りです。 チビラ君たちが喜ぶ大きな木魚もありました。 さて、次は八幡さんです。こうして元日にお寺さんと八幡さんにお参りするのがオバーチャンの年中行事です。 西日が差してきましたが、シマクマ君は写真のピントが合わないのでオタオタしています。参道でチビラ君たちが待っていました。他の参詣客はほとんどいません。それにしても冷たい風が吹いていました。 今年は令和三年、辛丑(かのとうし)の年だったのですね。まったく、気づきもせずに新年を迎えました。 本殿です。お参りした時刻が、午後4時を過ぎていたということもあるのでしょうが、それにしても閑散というか、こうして写真を撮って、誰も映らないのが元旦というのが凄いですね。 社務所で、おみくじを引いて盛り上がっているのも、この「愉快な仲間たち」だけで、他には数人の参拝客がいるだけでした。 振り返ると夕焼けでした。明日もいいお天気なのでしょうね。 なんだか、とんでもない年が明けたような気もしますが、どうなるのでしょうね。空気の冷たい美しい元日の夕焼けでした。ボタン押してね!
2021.01.01
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2020年9月2日 徘徊 万博記念公園の「ひまわり」 夏の終わりの「ひまわり」に万博記念公園の片隅で出会いました。 背景はもう秋の青空です。気温は「35度」を軽くこえています。温度計を持っているわけではありませんが、この「ひまわり」の写真を撮って、その足で入って行った映画館の入り口で「38度」を宣告されましたからね。 要するに、9月にはなったものの、ここは炎暑の広場なのです。直射日光の下では「40度」をこえていたのではないでしょうか。 少し種類の違う花なのでしょうか? 誰かの俳句とかを探して貼ってみようかと思いましたが「ひまわり」に俳句は似合いませんね。どうしてでしょうね。 そういえば、太宰治にいつも同じ方を向いているとか何とか、そういう警句のような言葉があったような気もしますが、「それで、何が悪いんだ」っていうここの「ひまわり」の態度が笑えました。だって、あっちこっち向いているんです、ここの「ひまわり」は。 ここは大阪の千里丘にあるエキスポシティという公園の一角です。バスの発着所があって、東を見ると、ホラ、「太陽の塔」があります。コンビニエンス・ストア―の裏手に少しだけある木陰が「喫煙所」になっていて、目の前に「ひまわり」が群れて咲いていましたが、人通りはありません。 喫煙所の正面に見える「太陽の塔」です。ぼくは16歳でしたが、あれから50年、半世紀の間、こうやって大手を広げて立ち続けているのですね。 タバコを喫いながら、今こうやって眺めてみると、なんだか妙な気分になりました。「太陽の塔」って姿かたちは意味不明ですが、異様な「存在感」があると思いました。岡本太郎はやっぱり偉かったのでしょうか。にほんブログ村
2020.09.10
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「今年も、オバーちゃん家で花火じゃ!花火じゃ!」徘徊日記 2020年8月9日 西脇あたり「今日はオバーちゃん家で花火やから。三宮3時集合ね。」「はい、神姫バスのところね。」 ヤサイクンから電話です。今年もチビラ君たちはオバーちゃん家の花火を心待ちにしているようです。 オバーチャン家は播州の北の端、西脇です。昔はここからバスに乗りました。今日はヤサイクン号で行くので、神姫バスに乗るわけではありません。 約束の時間より早くやって来たので、炎天下でしたが、学生時代から結婚の頃の懐かしさもあってウロウロ徘徊しました。 40年前とあまり変わっていないような気がしますが、錯覚でしょうね。実は最近もよく通ります。JRと阪急の高架下ですが、昔はこの辺りに屋台の飲み屋さんがありましたよ。 北側に出ると、阪急の新しいビルが工事中ですが、西の方に見えています。そうこうするうちにお迎えの車が到着しました。いざ西脇です。 到着しました。市民広場の横の溝川には大きなコイが泳いでいます。保育園に通っているクルちゃん姫が騒いでいますが、小学2年生のホタル姫は生きものが苦手なようです。 「なあ、なあ、みて、大きいサカナおるよ。さわれるかも。」 「いいって、いいって、はよ、いこ。」 毎年の風景ですが、住んでいる鯉は成長しているようです。さてオバーチャン家について、お墓に参って、一緒にご飯を食べて、いよいよ花火です。 夏休みですね。チビラ君たちのオトーサンのヤサイクンとか、おじさんのサカナクンたちもここで歓声を上げていたことを思い出します。もう何年も前のことですね。 はじめは恐々(こわごわ)だったのですが、チビラ君たちも慣れて来て、だんだん上手になりますね。 ネズミ花火が回転するのですが、最後のパアーンがありません。「えー、なんで、パーンってならへんの?」「怖がるやないか。今のはならへんねん。」 こういうことには、シッカリ興奮する、チッチキばーちゃんはヤサイクンに諭されて残念そうです。 火花の吹き上げるシャワーがうれしいですね。「わっ、すごい!クルちゃん、あぶないよ。」「おばーちゃん、家、燃えるんちゃうん。」「もえへん、もえへん。」 最後はやっぱりこれですネ。線香花火。孫の来て 線香花火の にぎやかに 大平保子終はらないで 線香花火 終はらないで 辻桃子 今年、2020年の夏が一つ終わりました。2020・08・09にほんブログ村
2020.08.14
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2020年 徘徊 8月5日 「蛍池 大阪モノレール」 今日は阪急宝塚線の「蛍池」にやって来ました。ここからモノレールに乗り換えて万博公園を目指していますが、ちょっと途中下車です。 時間に余裕があるので、ふらふらと外に出てみると、駅前に大きな石碑がありました。「麻田藩旧跡」とあります。陣屋の跡らしいですね。この辺りは江戸時代には麻田藩、廃藩置県後は麻田県だったそうです。ふーん、知りませんでしたね。 阪急の駅の隣にモノレールの駅がありました。モノレールの駅は高いところにあるので、下から見上げているとモノレールがやって来ました。 しばらく、駅前をフラフラして昼食を食べました。「みつか坊主」というラーメン屋さんです。写真を撮りわすれたので省略しますが、「海老みそカレーラーメン」を食べました。中々美味しかったですよ。「食べログ」を貼っておきますね。 駅に戻りました。「大阪モノレール」の路線図です。反対の終点が門真市ですから、淀川を渡るんですね。今日は「万博公園」で下りますが、今度、門真まで乗ってみようと思います。 だいたい「大阪モノレール」とか、乗ったことが、多分、二度目くらいです。掲示板にある「彩都」という地名がどのあたりのことなのかも、全くわかりません。初物みたいなものです。ちょっとドキドキしました。 ホームに上がると、当たり前ですが、線路(?)が見えます。上の写真が伊丹空港の方角らしいです。 こっちが万博公園方面らしいですね。こういう高架を見ると、地震があったらどうしようと思ってしまいますが、まあ、大丈夫なんでしょうね。 あっ、向こうから空港行きのモノレールがやって来ましたよ。 うーん、なんだか芋虫みたいですが、ヤッパリ地震があったら怖そうですね。青虫が抱えている枝から落ちる様子を思い浮かべてしまいます。 向うの山並みは宝塚の裏山でしょうね。 乗車してから撮った駅名の看板です。万博公園まで30分もかからないようです。 車内の様子です。普通の電車と変わりません。問題はこの車両そのものが空中にいることですね。 運転席の後ろの席から写真を撮って喜んでいます。今、大阪のどのあたりにいるのか全く分かっていませんが、ずっと向うに目的地のランド・マーク、「太陽の塔」が見えます。「あれが出来て半世紀たつのですね。懐かしいですね。」 と、わかった風なことをつぶやていますが、1970年の万博にも行かなかったし、万博公園そのものにも、記憶にある限り2度しか行ったことはありませんから、まあ適当に懐かしがっているだけですね。 到着しました。「太陽の塔」を間近に見て浦沢直樹の「二十世紀少年」を思い出しましたが、残念ながらT・レックスは聞こえてきませんでした。 今日はここにある映画館で、IMAX映画をみます。じゃあね。ボタン押してね!
2020.08.10
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「春ですね!」2020年 徘徊 4月4日 四国路 土曜日の朝、ゆかいな仲間のチビラ1号コユキ姫から電話です。「あのさ、ジージとバーバ今日ヒマ?」「うん、毎日ヒマ。」「そしたらさ、今から一緒に出かけるから、お昼食べるなって。」「えー?どこか行くの?」「松山。サカナクンのとこ。行かん?」「行く、行く。」 一時間後にやって来たヤサイクン号に乗ると、チビラ君たちは全員、バーバ手作りのマスク装着で、ニコニコしています。 長い春休み、毎日、学童保育と保育園通いのチビラ君たちは、久しぶりのお出かけで上機嫌です。 垂水ジャンクションから一気に阿波池田ドライブイン到着です。 写真はチビラ2号ホタル姫が撮った吉野川。カメラの扱いは、ジージよりも一年生のホタル姫の方が上手です。 一休みしてヤサイクン号は自動車道路を降りて、右手の山の上に向かいます。「ここから、どこいくの?」「昼めしや、ここな、讃岐の金毘羅山の奥の院とかいうねんて。うどん屋さんがあるねん。」「そうか、この辺りが讃岐の満濃池とかの裏山になるんか。ロープウェイが動いとるな。」「アッ!ロープウェイとかある。のりたい!」「のりたい!」「のりたい!」「あかん、あかん。そんなもん乗っとったらサカナクンのとこにつかへんやろ。ここはうどんだけや!」 やって来たのは、箸蔵山ロープウェイ乗り場の前の「さぬきや」さんでした。「見晴らしのええとこやな。」「あの川なんていう川?」「さっきもあったやろ、吉野川いうねん。」「カメラ貸して。」「うん、好きに撮っていいで。」「線路あるやん。どこいく線路?」「土讃線や。高松から高知行くねん。」「高知って?」「去年やったっけ、ジージも一緒に行ったやん。カツオのたたき食べたとこ。」「高知ってどっち?」「あっちやと思うけど。この線路の左の方。で、あの川渡って、あの川の向こうの山の向こうやな。」「アッ、これ撮ろう。撮って、撮って。」「ハイハイ、パチリ」 ゆかいな仲間チビラ1号、2号、3号ブログ初登場ですね。遅いお昼でしたがここから、まもなく道は徳島道から松山道になって、石鎚ハイウェイオアシスに到着です。 どこに行っても桜が満開です。 さて、いよいよというか、ようやく松山市到着です。ヤサイクン号は、何処に行っても、まずこういうところにやって来ます。 農家直売センターですね。JA愛媛・太陽(おひさま)市です。要するに市場調査のようですが、チッチキ夫人はニコニコお買い物です。筍やえんどう豆を買っていました。 松山の夕焼けです。時刻は午後6時を回っていました。 目的地到着です。サカナクンのお店、松山市二番町「肴薫」です。 暖簾が出ています。お客さんが来てくれているようですね。新コロちゃん騒動で、どこの町の居酒屋さんも大変だと思います。 ヤサイクンはおにーちゃんのサカナクンと以前から約束していたようです。まあ、陣中見舞いというわけですが、チビラ君たちの笑顔だけがお土産でした。不要不急の世相に逆らうようですが、遠くに離れて暮らす「ゆかいな仲間」が顏を見て励まし合うことは蔑ろにはできないんじゃないでしょうか。 ジージとバーバは笑顔のカヨちゃん女将の顔を見てホッとした旅でした。ボタン押してね!
2020.04.21
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2020年2月1日「ああ、鳥谷!引退か!?」 2020年のプロ野球のキャンプ・シーズンが始まりました。なんといってもこの日が開幕(!?)ですよね。でもね、どこのチームのグラウンドにもあの人がいませんね。どういう経緯かはよく知りませんが・・・・・。 掛布の引退とか、バースの帰国とか、言い始めると、本当は、トレードの話なんかしだすと、もっともっとあるんですよ寂しい思い出が、このチームには。 まあ、腹を立てるのはやめて「タイガースやもんなあ」と、ちょっとムシャクシャしながら次のシーズンが始まるんです、いつも。50年もファンやってると、「いつも」って思うんです。 今では、もう、古い話というか、記録ですけれど、2018年のシーズンに京セラドームで観戦したときに打席の鳥谷を撮ったのが、ぼくのなかでは、写真で撮れている最後の雄姿ですね。セカンドゴロだったんですけどね。その時のブログの記事が残っていたのでここに載せます。 二年越し、ついにホームで観戦、初勝利! シマクマ君が甲子園とかに出かけて行くと負ける!雨が降る!ろくなことがありません。「ああ、今日はどーなるんや?」 昨日の奇跡が、吉と出るのか凶とでるのか。 1回から5回まで、これでもか、これでもかと、ただ、ただ、もうやられてしまうだろう、ひどいことになるだろうと、うなだれるか、ため息をつくか、「今日もひっくり返して、目にもの見せたるんじゃ」と力のない負け惜しみをいう準備をしていた人は、ぼく以外にもたくさんいたに違いありません。 な、なんと、そこに、ハズレのロザリオ、アホボンの中谷のありえへんコンビの連続長打です。一気に盛り上がるボルテージ。 「ええなあ、ええなあ、勝ってる試合はええなあ。外野フェンスに当たるボールがドッチボールみたいに大きいに見えるなあ。」 みんな、へったクソのヤクルト打線のおかげかもしれんけどね、ええねんええねん、勝ったらええねん。「おー、これやこれや、これをまっとたんやど!鳥谷!ここでもう一発、いてもたれ!!」 というシーンだったわけで、で、結果は3-1の大勝利(笑)でした。 「やっぱり、野球は勝たなあきまヘンなあ。」 まあ、鳥谷はセカンドゴロやったけど。負けとったら、こんなんいわれへしな。(2018/08/06) というわけで、まあ、このシーズンで金本監督はやめちゃうし、いい思い出とも言えないんですが、キャンプに「あの選手」がいないことがさみしかった、2020年2月1日の、今日の記念にというわけで、ひとりごとです。追記2021・11・17 なんだか、気味の悪い夢を見た目覚めの悪い朝みたいに、シーズンが終わりました。スアレス君も梅野君もいない2022年の2月1日を想像すると絶句しますが、中谷君や俊介君のように、高山君も江越君も消えるのでしょうか?まあ、プロなので、その時に出来なければ、失格なのはわかりますが、なんとなくご都合主義を感じさせる采配には、何だか疲れましたね。 「ホント、何がしたいチームなのでしょうね。」ボタン押してね!
2020.02.01
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2018年 阪神対ロッテ 三回戦 甲子園野球場 雨天中止 トラキチの「まことちゃん」から電話がかかってきた。「今日、甲子園に行くぞ。あんたもいくやろ。」 「はい、はい。」 「雨天変更の試合やからな。エエ席あんねん。ネット裏や。」「えーっ?そうなん。今日は試合すんの。何時にどこ行ったらええん。」 「球場の前の高速道路の下に5時半や。ええやろ。」 「雨降っとったらどうするの。」 「高速道路の下やから濡れへんやろ。」 「ああ、なるほどな。」 ・・・・・・・・・・・・・・ 「先発は小野か。今年も勝ち運ナイなあ。」 「福留の名前ないで。」 「あいつも、もう年やからな。休ませたらんと持たんのちゃうか。」 「おにぎり喰うか?」 「ありがとう。すませてきた。ばんめし。」ホントはここに写真があるはず。「雨天中止」と大きく掲示されていた。 「あっ、あたらしいに電光掲示ついたで、メンバー表の横や。本日雨天のため中止やて。」 「わしな、今年、甲子園4連勝やねんで、あんたのツキ変えたろ思てさそったったんやけど。あんた負けっぱなしやろ、甲子園。負けへんかったけど中止かいな。しゃあないな。ホナ、いのか。」 「ボクが来てるから、試合やったら負けるってか。ほんで中止かいな。待ってえな、まだ、最初のビール済んでへんがな。」※グランドには選手も審判も出てこないという超豪華なヒマつぶし観戦?をした甲子園名物「銀傘」の下だった。銀傘の屋上は、太陽光発電パネルって知らんかったわ。すごいんやなあ。2018/06/12追記2020・02・01 以前のブログが閉鎖されて、写真がなくなってしまいました。こちらに移しましたが、中途半端で申し訳ありません。 2020年シーズンも今日からキャンプ・インですね。キャンプ・インの当日に「雨天中止」の記事載せてどうするねん!と自分でも思いますが、僕のなかでは「鳥谷」君の去就が聞こえてこないのが、ちょっと引っかかっているのですね。 何はともあれ、さて、今年はどうなることやら…?ボタン押してね!20%OFF 阪神タイガース 2020年 カレンダー CL-591
2020.02.01
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西脇市 山手町あたり その2 徘徊日記2020年 西脇の山手町といえば「来住家住宅」ですね。「きし家」と読みます。信州の須坂に「田中本家」というお屋敷があって、2019年の夏に訪ねましたが、こちらは毎年前を通りながら、本日も前を通るだけでした。 お正月飾りがしてあって、本日は休館日です。 お屋敷の前の小川には、鯉が泳いでいます。加古川の支流の杉原川から引かれた水路ですが、水量は一年中たっぷりあります。網がかけてありますが、上空からのサギやトンビの攻撃よけでしょうか? 西脇の山手町といえば路地ですね。自動車では入れない路地の街です。 おばーちゃんが娘さんと、娘さんのお孫さん、だから曾孫さんをお見送りでついていっらっしゃるようですね。向こう側の路地の土壁には、懐かしい落書きも残っていました。お孫さんが、お隣の壁にいろいろ描いたのは、もう20年ほども昔のことです。 もう、20年以上前の落書きですが、犯人は「立派な(?)」社会人になって、時々このブログにも登場しているような気もしますね。時が経つのまことに早いものです。 信州の須坂の記事はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.08
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「山手町あたり」徘徊日記 2020年 お出かけ徘徊 西脇市 兵庫県のへその町、西脇市です。播州の北のかなめというのでしょうか、杉原川と加古川が合流するところです。 その西脇市の山手町にある童子山公園の南のふもとに「観音堂」があります。ここが今年2020年の初詣、三軒目でした。この裏の石段を上がっていけば童子山公園です。 サカナクンの自動車に同乗してのおばーちゃん訪問でやって来たのですが、おばーちゃんは「お観音さん」と呼んでいます。 お隣には「お不動さん」が立っていらっしゃいます。 お不動さんの背中には火炎がブリキで配置されていたらしいのですが、ちょっと錆びてしまって、少々哀れです。お顔はなかなか可愛らしい表情でした。 その隣がお地蔵さんです。 普通、お地蔵さんは横並びでいらっしゃると思っていましたが、ここでは縦並びですね。頭巾も前垂れも新しくて、お花もお正月用でしょうか、お掃除も行き届いていました。 さて、そのお隣がどなたでしょうね。三十数年前にお出会いして以来、何度も拝見しているのですが、この方はどなたなのでしょうね。 どうも、小鬼を二人引き連れていらっしゃるようなので「地獄」界隈の方なのでしょうかね?お顔は中国の賢人風なのですが、高下駄が天狗の眷属風で、住んでいらっしゃるところが洞窟ふうなんです。中々興味をそそられる風体の方ですが正体はわかりません。 観音堂の隣は明治の初めの小学校の跡地だそうです。記念の石碑がありました。 学校跡地の草むらには、これは「千両」でしょうか。赤い実をつけた灌木がありました。 前の庭には大きな銀杏があります。 けっこうな樹齢を感じさせる大木ですが、背が伸びないように剪定されているのがザンネンです。冬の青空に大箒という感じでよろしいですね。 誰もいらっしゃらない、それでいて、お掃除とかお花とか篤信の気配のする小さな観音堂の初詣も、なかなかなものだと、ひとりで納得の、いつものシマクマ君でした。 この後、もう少し山手町を徘徊しますね。追記2020・01・07 三人目の岩窟の老人は「役小角(えんのおづぬ)」、通称「役行者(えんのぎょうじゃ)」らしいですね。飛鳥時代の人らしいですが、呪術の達人、まあスーパーマンですね。ぼくでも知っている伝説はいろいろあります。前鬼と後鬼の二人の鬼を従えていらっしゃるのが特徴らしいですね。 栗本薫の「魔界水滸伝」とかにも登場なさっているらしいです。昔読みましたが、わすれてしまいましたね。 ブログを読んでいただいたらしく、昔の同僚だった社会科の先生に教えていただきましたよ。N西さんどうもありがとう。ボタン押してね!
2020.01.07
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「向こうから風が吹いてくる!」2018年 仁徳天皇陵 徘徊 その4 仁徳天皇陵のすぐ南に、履中天皇の陵があると公園案内図には書いてあります。 南を向くとシロツメ草の草っぱらが広がっていました。歩道がつけてあるのですが、そんなところは歩きません。せっかくの、野原にであったのです。真ん中を、てくてく徘徊してやりました。寝転がりたかったのですが、こんなところで行き倒れの老人と勘違いされてもヤバイと、辛抱しました。 「向うに小山が見えるな。」 「あれかもしれんな。」 「とりあえず、あの林を越えて行かなあかんねんな。」 着きました。これは「海」です。 履中天皇陵です。 やっぱり、案内図より、ずっと遠かったです。ああ、もう、夕暮れです。 「おお、海がちゃんと見える。」(もちろん、ため池の、お濠ですが)「こっちの方が、いいね。さわやかな風が水面を渡ってくるね。」 仁徳陵より、ずっと小ぶりです。そのせいで、全景とまではいえないのですが、広く見晴らせて、内堀も覗きこむことさえできます。広いお濠の周りを歩くこともできます。いや、ほんと、「大仙公園」は歩きがいがありました。「さあ、帰ろう。」 歩いて、南海堺東駅に向かいました。ところが、これが難行苦行でした。東西南北がくるってしまっていたんですね。迷いに迷って、ガイドのおじさんの、あの小さなパンフレットがなかったら、お土産どころの話ではないことになるところでした。 方向感覚というものは狂い始めると、本当に不安になります。ランドマークが、何に一つ、わからない知らない土地なので、街の真ん中で歩き疲れて座り込みそうになってしまうのは、初めての経験でした。 遠出だったので、張り込んで「利休プリン」がお土産です。もちろん、利休ゆかりの場所など寄る余裕は、モチロン、ありませんでした。もちろんが二度出てきます。 結論。「またこ!」(又、来!) なかなかな「堺・仁徳天皇陵」徘徊でした。ここまでお読みいただいて、ご苦労様でした。ありがとうございます。2018/06/26追記2019・11・13徘徊「和歌山城」はこちらです。にほんブログ村利休プリン6個セット 自由に選べる味 ハロウィン プリン (プレーン ほうじ茶 煎茶 紅茶 かぼちゃ 紅はるか) これがお土産。
2019.10.05
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「こちらが正面!」2018年 仁徳天皇陵徘徊 その3 裏門から、てくてく、てくてく、ぐるりと3キロメートルの周囲を半まわり、ようやくたどり着きました。 おお!正門じゃ! もう、ほとんど叫びです。 おっ、やっぱり立派な鳥居もありました。な、な、なんと、今までお濠やとばっかり思って「あっ、カメがおる、鯉もおる。さすがやな」とカンドーしていたのは、ただの外堀でした。 写真の鳥居と山に見える陵の間には「海」のような(まあ、これも、誇張といえば、誇張です。しかし、ここまでもう数キロの道のりを歩いてきました。言いたくなる気持ちもご理解願いたいわけです。)なるほど、さすがですという内堀(というわけで、写真を撮り忘れた)でした。 「仁徳陵遠泳大会、一周3000メートル!」なんてことは、せんわな。 ボンヤリ感動していると、年の頃は、どうも、いい勝負、いや、ちょっと上かな。マジメそうなおじさんが寄って来はった。「これ持ってはりますか?」「いえ。いただけるんですか?」 ガイドのボランティアのおじさんでした。「こういう積極的な、ヒマな人生というのもあるな」と口には出していませんが、地図付きパンフレットをいただきました。「あの、向こうの島というか、御陵の森は原生林ですか?」「イエ、明治になって、天皇さんの陵が笹薮では、ということで、植林したらしいのですよ。」「じゃあ、樹齢100年くらいのもの?」「そうですね、150年かな?」「そうだよな、1000年ということはないよな。」とか、心でつぶやきながら、濠も森も、なかなかでありました。 しかし、じつに青空がよい風景でした。空の写真は撮ってきました。2018/06/26 「仁徳天皇陵徘徊」(その4)に つづくボタン押してね!
2019.10.04
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「おお、これか! 到着の巻」2018年 仁徳天皇陵 徘徊 その2 生まれて初めてやってきた堺駅から、地図もみないで、ふらふら歩き始めて、東の果てをにらむのですが、見当がつきません。 「あっちの方やな、きっと。」 行けども行けども…。「徘徊に地図があるなんて、ポリシーに逆らうじゃないか。」「まあ、徘徊にポリシーがあるか、どうか、、あんたの勝手なのだけれど。」「まあ、駅前の、案内図のようなものを、ちらっと見たし。」 「おお、これかも。」 何分歩いたのか、よくわかっていないのですが、漸く、古墳らしきものを発見しました。 「なんか、小さくねーか?」 看板には「永山古墳」と書いてありました。 「うーん、ちがうなこれは。」 振り向くと、道路の向こうに「異様な雰囲気」が漂っています(まあ、発見した喜びと申しましょうか、ちょっと脚色ね)。古墳というより、山そのものなのですが。 こっちに山が見えます。その向こうに、もう、れっきとした緑の小山です。「これか?こっちか?おおー、これや!これや!ただの、山やん。」「おっ、あっこに、入り口らしき扉があるぞ。」「えっ、ここは裏門やん!」 道案内の石標がありました。正門まで、短い方を歩いても1200メートルって書いてあります。「どいうことでしょう、一周3キロですか。どっちに行ったら得なんでしょう、そら1200メートルの方ですね。真反対に来てしもたいうことですか?仁徳陵いうたら、周りは池やったはずやなあ。」「これちゃうわなあ。こんな溝みたいなもんのはずないなあ。もっと広いお濠のはずや。ズート向こうが表か?こっちは裏か。往生しまんな。そやかて、これで帰るわけにはいかんしな。あー、しゃない!歩こう!」 無計画なシマクマ君、どうも仁徳天皇陵の裏側に到着したらしいです。しようがないので正面方面に向けて歩きはじめました。周りには民家が並んでいる普通の町中です。 徘徊 堺(その3)へ つづく2018/06/26ボタン押してね!
2019.10.03
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南海電車 堺駅到着 徘徊日記2018年6月25日 仁徳天皇陵徘徊 その1 「これなに?」 もちろん住んでいる人や、通勤してい知っていらっしゃるでしょう。 いや、しかし、これ何? 思いついて、ナンバから十数年ぶりの南海電車。それだけで、十分、盛り上がって、窓から外ながめて、ウレシガッテル間もなく到着しました。 で、堺の駅に降り立つと、これがありました。 「おっ、これはなんや!」 理由はよくわからないのですが、いたく感動することしきりです。 行ってみないと、知らないことって、いや、ホントにたくさんあって、チョット、カンドーみたいな。「そんなこと、感動している場合やないでしょ。」「いや、場合やし、ぼくの場合。」 この後、道に迷って、えらい大変な徘徊の半日でした。まあ、暑かったし。やっぱり、大阪の南はアツイなあ。 10数年、海の向こうの高台から、ずっと、毎日、見ていたのですが、初めて来ました。「堺はおもろいとこやで。」「ほんまかいな。」「いやほんま、気に入った。また来たろ!」2018/06/25 続きがありまっせ。徘徊堺(その2)でっせ。追記2019・10・03 2018年から始まった、地図なし「徘徊老人」生活です。大阪湾の対岸、垂水の丘から海を見てて、思いついた「堺」徘徊です。ちょうど対岸なのです。晴れた日には堺から岸和田、関西空港あたりが見えるのです。この後、仁徳天皇陵に行きましたが、帰り道、迷って、往生しました。エエ思い出です。ボタン押してね!
2019.10.03
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「和歌山城は猫のお城?」徘徊日記2019年1月18日 紀の国 その3 ちょっと戻るようですが、お堀端から門をくぐって城内に入ると、立派な石垣があって、見上げても天守閣は見えません。大きなクスノキが茂っていて、実は、その下に大きな虎が寝そべっていました。 鉄の柵で囲ってあるから襲われる危険はありません。戦う気概はまったく感じさせない、風情のある大トラです。さすが、御三家、紀州の殿さんはちがいますね。まあ、大きな猫にしか見えないのですが、イヤ、ひょっとしたら、ホントは猫かも?です。なんともいえない愛嬌があって、「門番」にも「魔除け」の役にも立つとは思えませんが、気持ちが明るくなること請け合いです。笑えます。 しばらく歩くと見晴らしのいい「何とか櫓」の跡地にベンチがあって、一休みしました。 目の前にせり出している石垣の端っこで猫が日向ぼっこをしていました。こっちは正真正銘の「ネコ」のようです。我が家のベランダに時々徘徊してくるノラにちょっと似ています。イヤ、「じゃりん子チエ」の「小鉄」の子孫か?という気もします。 写真をとろうとするのですが、手があせってピントが合わないのです。オタオタしていると、さっきの大虎の方へノソノソ。 「あーあ、いっちゃった。おや、こっちななんだ?」 なんとか櫓の石垣の上から見下ろすとポニーがいました。お城の中が小さな動物園になっているらしいですね。ちょっと驚きました。 一服していると、隣でオジサンが体操を始めました。ぼくはベンチに座っているのですが、オジサンは後から登ってきて、掛け声をかけながら一人で「ラジオ体操」みたいに体を動かしていらっしゃいます。 さすが、御三家! こういう感想でいいのでしょうか?のんきで楽しいですね。お城の道には喫煙コーナーも完備されてました。天気も上機嫌でボンヤリノンビリしていて罪を感じません。 すべて世はこともなし!プカプカ。 イチ、ニー、サン、シー♪続きは徘徊和歌山(その4)へどうぞ。2019/01/20ボタン押してね! じゃりン子チエ ソフビシリーズ 小鉄 フィギュア 再販 【11月予約】かわいいでしょ!じゃりン子チエ 【新訂版】 23【電子書籍】[ はるき悦巳 ]永遠の傑作。
2019.09.30
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「和歌山城は鞠と殿様」 徘徊日記 2019年1月18日 紀の国 その4 「何とか櫓」跡から少し上ると数体の石の立像がありました。まあ、立像というより自然石の石塔なのですが、何やら不思議な、意味ありげな表情をしています。立ち止まってしげしげ眺めていてわかりました。。「はははは。七福神やがな。こりゃあええなあ。お正月の徘徊にはピッタリや。ただの石やのに、集めてみると七福神!」 ここのお城は、なんだか愉快なことがいろいろ待っていました。なんの下調べもせずに、ちょっと、立ち寄ったのですが、「余裕のユーモア」みたいなもんが漂っていて、エエ気分にさせてもらいました。 だいたい、こうやって立ち止まると、ちょっと横に喫煙コーナーというか、きちんと掃除された灰皿ボックスもあります。まあ、意見は分かれるのでしょうが、こういうサービスも煙草吸いにはうれしいものです。 クスノキの明るい並木路を歩いて最後の広場にやってくると、もう一つ気に入ったもんがありました。 西条八十の詩碑です。 『まりととのさま』 童謡 作詞:西条八十/作曲:中山晋平 てんてんてんまり てん手まり てんてんてまりの 手がそれて どこからどこまで とんでった 垣根をこえて 屋根こえて おもての通りへ とんでった とんでった おもての行列 なんじゃいな 紀州の殿さま お国入り 金紋 先箱 供ぞろい お駕籠のそばには ひげやっこ 毛槍をふりふり ヤッコラサの ヤッコラサ これが天守閣です。ここのお殿様の行列は、きっとのんびりのんびりしとったんやろうなあと思いました。お城ものんびりしている。近所にこんなお城があるんは、ちょっとうらやましいですね。「さあ、大猫さんに、挨拶して帰ろか。」「おいおい、天守閣には行かんのかいな。」「また今度来た時で、ええやろ。」2019/01/20 追記2019・11・13ここまで読んでいただいてありがとうございます。2019年夏の終わりの「法隆寺徘徊」なんかいかがでしょう?相変わらずの、無計画ですが。追記2021・09・26 昔の投稿記事を直していて、コロナ騒動になる前には、結構うろついていたことに気づきました。この年は、後、京都の醍醐寺とか堺の仁徳陵とか、元気に出かけては道に迷っていたりします。 何となく電車に乗るのが億劫な2020年~2021年とはえらい違いです。本当は、かなりな徘徊力の持ち主らしいですから、ちょっと考え直さないといけませんね。(笑)ボタン押してね!西條八十詩集 (ハルキ文庫) [ 西条八十 ]
2019.09.29
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「和歌山城は楠の森」 徘徊日記2019年1月18日 紀の国 その2 昼下がりの和歌山の町です。真冬、一月とはいいながら、信じられないほどの晴天でした。ラーメン一杯で、和歌山、和歌山と騒ぐのも、いかがなものか?というわけで、生まれて初めてやってきて、まったくの見ず知らずの町をウロウロしはじめました。 きっと、あっちが南だろうと、お日様を見上げて見当をつけた方角に、和歌山の南だから太平洋だろうと、すぐそこに海があるんだろうと、とことこ、よたよた歩きはじめました。 しばらくすると、右前方に「海」ではなくて、お堀端らしき並木道があらわれました。「おっ、お城やないか?!」 ありました、雰囲気のいいお堀端に出て、小さな門に向かって太鼓橋がかかっております。今どき、藁蓆(むしろ)が敷いてあるのが、なかなか風情がありますね。とりあえずここで一服です。 和歌山城です。城内に入ると、大きな楠が聳えていました。思わず写真を撮りたくなる巨木です。並木も、みーんなクスノキのように感じます。「そういえば京都の南の石清水八幡宮もクスノキやったな、やっぱり、南のお城やな。松や杉とは違うんやな。」 勝手にいい気持ちになりながら石段と坂道を登ってゆくと犬を連れたおばさんとか、散歩姿のジーさんとかすれ違います。町に住んでいる人のお城なのですね。のんびりしていて、木陰は涼しくて気持ちがいい城内です。 少々汗ばみながら天守閣(?)に上る入場門に到着しました。そこで南を望むと町並みのはるか向こうに海原が見えました。南に行けば「海」だと思い込んだこと自体は、間違いではなかったのですが、「はるか」南でした。 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、写真を撮り忘れました。 「こりゃ、海まで歩いてゆくのは無理ですな。」 北の方を望むと、JRの和歌山駅が、これは歩けるほどの彼方に見えます。そりゃあ、そうです、歩いてきたのですから。 もっとも、これも撮り忘れ、ヤレヤレ・・・。 「さあ、帰ろうか。お土産は、やっぱりめはり寿司かな」。 続きは徘徊和歌山(その3)へどうぞ。 2019/01/20ボタン押してね!
2019.09.29
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「和歌山ラーメン 井出商店」徘徊日記 2019年1月 紀の国・和歌山 その1 2018年の大晦日、2019年のお正月の喧騒は楽しい限りでした。愉快な仲間たちが、それぞれ遠くの町からやってきてくれました。信州松本からはヨチヨチ歩きを始めたチビラ4号までやってきました。神戸にいるチビラ1号、チビラ2号、チビラ3号も集まって、勢ぞろいの笑い声が狭い公団住宅に響きました。 まあ、当然ですが、三ヶ日がすむころには、チビラたちも帰ってしまって、静かになって、「咳をしても二人」みたいな、咳が止まらない老人になってしまって、もとの二人きりになりました。タバコ止めたらとか思いながらも、あんまり苦しいので正月早々の医者通いでした。「気管支炎ですなあ。」 ヒマそうなセンセエーに宣言されて、しようがないので、寝正月に切り替えてうつらうつら。ボンヤリ天井を見上げながら思いだしてしまったのです。「ああ、冬の青春十八切符が使いきれない。・・・・・・・・・」 ウツラ、ウツラ・・・「そうだ、和歌山に行ってみよう。ヤサイクンの農場も見えるかもしれんし。和歌山ラーメンもある。」 というわけで、今日は切符の使用期限まであと二日の1月8日です。朝からJR旅のハジマリハジマリということになりました。まあ、ちょっと元気になったというわけですね。 JR大阪駅から南に向かって紀州路快速です。日根野というところで関空快速を切り離して、さあ和歌山へ直行です。 ええっ?ここで「鳥取?」とか、ええっ?どう読むの?の「新家」なんて駅もあって、とか何とかいう間に和歌山駅に到着しました。 駅を出て、「ラーメンじゃラーメンじゃ!」と下調べしてきた井出商店めざしてホイホイ歩くきます。 「おー、あったあった。」 看板は、なかなかデカイですね。お店の作りはなかなか渋くてなつかしい。入って中華そばを注文。前に座ったオニーサンが、まじめな顔で写真を撮って食べ始めるのに、ポカンとして、巻きずしとかがテーブルにあるのをしげしげと観察して、やってきたラーメンをいただきました。 まあ、濃いめの中華で、スープまでいただきましたが。ぼくは少々苦手。お店の雰囲気はちょっといいんですがね。 「和歌山ラーメンいってきたぞ!」どっちかというと、わざわざ出かけてきたことを面白がるパターンでした。 「はははは。」 さてさて、つくづく自分が暇な奴やと思いながらも、2019年、県外初徘徊です。腹ごしらえもできたことやし、またしてもやみくもに「地図無し」の徘徊老人、見当だけでよたよた歩きだしました。 「あっちの方にお城があったな。」続きは「徘徊紀の国(その2)」へどうぞ。2019/01/18追記2019・09・27 今年2019年の一月の記事です。ブログの引っ越しをして、掲載日がズレていますが、悪しからずです。でも、時のたつのは早いですね。追記2021・09・24 古い投稿を修繕をしていますが、この年は新年早々元気に徘徊していますね。思えば、熱を出すほどの風邪をひいたのはこの年が最後で、翌2020年の冬あたりからは「コロナ騒動」が始まって、「風邪はヤバイ」という気の持ちようのせいでしょうか、無事過ごしていますが、お出かけはめっきり減りました。 このご時世、やっぱり、ちょっと引っ込み思案になる自分がさみしいですね。ボタン押してね!
2019.09.27
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「JR奈良駅」 2019年 法隆寺徘徊 その7 中宮寺から引き返して、法隆寺の「東の伽藍」を通り抜けて境内の外に出ました。 法隆寺の外の土塀沿いに歩いているとマンホールがありました。観光用もというよりも、町の名前でしょうか。「いかるが」なんですね。マンホールで町の名前を確認するのもなんですが、観光マンホール、面白いですね。 ヨタヨタ、うんうん、九月の初旬とはいえ炎天下、暑いのなんのって、ようやく「法隆寺前」のバス停にたどり着きました。時刻表を見てみると「春日大社行」が出るところ。一時間に一本のバスらしいです。ラッキー!でした。 出発してみると、聞いたことのあるいろんなお寺のバス停があって、大和郡山市を通過して・・・、知らないところを走るバスに大興奮!でした。 奈良は、お寺だけじゃありません。驚いたことにお城もありました。バスの車窓からの「大和郡山城」です。 「パチリ!」 そこから「薬師寺駐車場」、「唐招提寺前」、降りてしまいそうな誘惑とたたかいながら「JR奈良駅前」到着。近鉄電車で来たことはありますが、JRの奈良駅は初めてです。 ほんとに、初めてのところが沢山あります。 大きな石灯篭に横に、こんな石碑がありました。平城宮だったんですね。歩けば「東大寺」の「大仏」さんも、興福寺もすぐそこなんです。時間もそんなに遅いわけではありません。「イヤ、まあ、今日は、これくらいで。行ったら、どうも、ただではすまんやろ。博物館とかもあったはずやしなあ。それにしても、この熱気はなんやねん。奈良は暑いなあ。」 弱気というか、なんというか。でも、奈良駅前の気温は確実に40度近かったと思います。確実という根拠は何もありませんが、スゴイ気温でした。体で分かりました。 ここから京都の方に向かって行って、木津で乗り換え。そこから学園都市線で神戸まで直通です。 な、なんと、木津で神戸方面、いや大阪、京橋方面か?40分以上の待ち合わせ。「やれやれ・・・」と駅の前に出てみると、閑散とした田舎の住宅地駅でした。やっと見つけたコンビニでお土産の「クリームパン」を買いました。 折角やから、奈良の駅前ででも買えばいいのにと、さすがのぼくでもわかりますが、忘れたものはしようがありません。こうやって、観光地を徘徊しても、お土産意識はゼロですね。まあ、そういう性分なのですが。 自宅に、無事、帰り着くと、なんとピーチ姫が帰ってきていました。「京都は暑いよおー。耐えられへんから帰って来たよおー。」「奈良も暑かったで。法隆寺はよかったけど。」「好き好んでいくからやん。奈良、京都は暑いねん。今頃は。」「うーん、まあ、そうやけど。」「このお土産、なんで、わざわざヤマザキパンなん?」「奈良には、ヤマザキパンしか売ってないねん。」「奈良の人も、たいへんやなあ。」というわけで、「法隆寺徘徊」、無事終了しました。また行ったろ!追記2019・11・13奈良、法隆寺あたりへの徘徊にお付き合いくださいましてありがとうございます。ところで、四国の丸亀あたりはいかがでしょう?徘徊「丸亀城あたり」は←こちらをクリックしてください。ボタン押してね!
2019.09.20
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東の伽藍「夢殿」徘徊日記 2019年 法隆寺徘徊 その6 西の伽藍の東門を出たところから、東を見ると「夢殿」の屋根が見えます。ここは、いったん、法隆寺の境内から出たようで、先ほどとは違う色の土塀が続いています。その向こうを近所の人の生活道路が横切っています。 さすがに落書きはありませんが、何百年のという時が経っているのでしょうね。薄汚れた感じが、何ともいえない味わいです。塀の中はお寺のようです。左の奥が東の伽藍。その中に見えているのが夢殿の屋根です。上の写真ですね。 少し歩いて門を入るとありました。 「夢殿」です。傾いて見えるのは、やはり撮り手のせいですね。中には仏像がありましたが、それがなんという、どんな仏像だったのかは忘れてしまいました。聖徳太子さんの像もあったような? 外回り、ぐるりの回廊は上にあがって歩くことができます。八角形なんですよね。 屋根の上の、あの飾りは、下の玉のようなものが「宝珠」、上のイガイガが「水煙」というそうですね。千年前はキラキラ輝いていたんでしょうか? ここでようやく、鬼瓦を撮ることを思いつきました。もう一度「金堂」とかに戻るのは今日はやめます。しかし、なかなか面白い顔をしています。 東の伽藍を、道なりに東に抜けると中宮寺でした。 庭木の風情が少し違いますね。中にはお堂があって、如意輪観音菩薩。いわゆる半跏思惟像があるはずです。 写真はもちろん撮れませんね。というわけで、こちらをご覧ください。パンフレットの写真です。 ここも、参詣の人が少なくてラッキーでした。お出会いするのは二度目です。前に座り込んで一人で御対面できました。しばらく座らせていただいて、ボンヤリさせていただきました。出来れば、静かにしておいてほしかったのですが、途中、ぼく一人のための解説テープが流れ始めてしまいましたが、断るわけにもいかず・・・。 お堂は現代の建物ですが、まわりをお濠のような池が囲んでいます。 亀ですね。亀は万年の亀です。大阪にも亀が沢山いるお寺があったように思いますが、ここの亀は元気にゴソゴソしていました。沢山いましたよ。 本堂の遠景です。カメラがいいと写ったはずなんですが、国宝の本尊さん、半跏思惟像ですが、写っていませんね。今度は、シッカリ狙って写してやろうと思います。 この中宮寺は尼寺なんですが、なんか、結構オープンなお寺でした。 さあ、帰り道ですね。法隆寺徘徊(その7)でどうぞ。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.09.20
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「風鐸〔ふうたく〕のすがたしづかなれば」 2019年 法隆寺徘徊 その5 境内にある休憩所で一服しています。見上げれば金堂の廂(ひさし)に何かぶら下がっています。風鐸ですね。廂々に 風鐸のすがたしづかなれば ひとりなる わが身の影をあゆまする甃のうへ 三好達治の詩「甃のうへ」の一節ですね。この詩の季節は春なので全部は引用しませんが、ムードはこんな感じ。風鐸は、まあ、いわば風鈴、鈴でしょうか。石畳を撮り忘れたのがザンネン! ここからこんなシーンも見えますね。「九輪」というそうです。「空輪」とか「相輪」ともいいますね。五重塔の空に突き出した先端。なんか、いい眺めですね。 五重塔というのは釈迦の舎利、遺骨が納められている舎利塔なわけで、考えてみれば、お墓の石塔の王様みたいなもんですね(ちがうかな?)。地・水・火・風・空の重なりから宇宙に突き出ているのが九輪だそうです。とか何とか、ボンヤリしている目の前に花が咲いていました。 百日紅です。この夏は東京でも信州でも、四国でもこの花を見ました。住んでいる団地の部屋の前にも咲いていました。これは、法隆寺の百日紅です。この花が終わると秋ですね。 さて、次は夢殿ですが、どっちかな。 長い土塀が続いていて、ずっと向うが西門です。あっちから歩いてきました。それにしても、この土塀の感じがいいですね。右側を見ると、何でしょうこれは。 「東室(ひがしむろ)」、「妻室」と看板があります。僧房らしいですが、「妻室」とは何でしょう。女性もいたんでしょうか?別の意味があるのですかね? しばらく歩くと東門にたどり着きます。 東門を出て境内を振り返っています。人が見える方から歩いてきました。今気づきましたが、向こうから、ずっと、石畳を歩いていたんですね。 振り返って、東を向くと、さあ、そこが東の伽藍、夢殿です。 夢殿から中宮寺は「法隆寺徘徊(その6)」でどうぞ。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.09.19
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法隆寺 西の伽藍 大講堂 2019年 法隆寺徘徊 その4 五重塔と金堂の奥、たぶん、北になるのでしょう。大講堂が見えます。中には薬師如来さんとか、大勢いてはりましたが、こっちから西の伽藍を見ればこんな感じですね。 左が金堂、右が五重塔です。大きな灯篭がありますね。夜になって、この灯篭に灯が入る様子で、この伽藍を思い浮かべると、それはそれで、壮観ですね。ちょっと見てみたいですね、昔のまんまの光で見れば、1000年が浮かび上がるんじゃないでしょうか。 向う側に西の回廊が見えています。柱をよく見てください。あんまり見えませんね、近くで撮るのを忘れたんです、写真。東の回廊はこんな感じ。 大講堂から東に出てきたところの回廊の柱です。中学校の教科書で習いましたね、「エンタシス」ですね。ちょっと見には、どこがそうなのかぼくにはわかりませんでしたが、ああ、「エンタシス」というのは、ギリシャの神殿の柱とおんなじ「中ぶくれ」のことです、柱の。向うの柱は石ですが、こっちの柱は木製ですけどね。 鐘撞き堂ですね、中に梵鐘が下がっていますね。だから、まあ、鐘楼というべきなんでしょうが。でも、これをみると、これは、もう、あれですね、誰も知ってるあれ。 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」 子規 「ここらで柿を食うと鳴るんですね、あの鐘が、きっと。」 「そんなわけないか?!」 ところで、この写真傾いていますね。たぶん、同居人もそういうのですが、写真の撮り手が傾いているのだとは思うのですが、まさか、鐘撞き堂が傾いているわけではありませんよね。その上、子規の句碑も、そこの池之端にあったらしいんですが、気付きませんでしたが、振り向いてもう一度五重塔をパチリでした。 最初の写真と、ちょうどマ反対の方角からとりました。青空がいいですね。浮かんでいるのは秋の雲ですかね。写真の腕を磨きたくなる被写体ですね。まあ、afのデジカメ男のぼくには無理ですがね。 ここらでちょっと休憩。喫煙所がありましたよ。続きは「法隆寺徘徊(その5)」でどうぞ。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.09.19
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「千年の祈り・千年の苦役」徘徊日記 2019年9月9日 法隆寺 徘徊 その3 西の回廊から伽藍に入ると、正面にあるのが五重塔です。その東に金堂があります。金堂の中はこんな感じです。写真を撮れました。 これはパンフレットを写真でとった図ですが、有名な釈迦三尊像をはじめ、かなりたくさんの仏像がい安置されてました。 ラッキーなことに、ほかの入場者が誰もいないので、静かで、薄暗い中での御対面でした。外の熱気は遮断されているのか、お堂の中は案外涼しく、一人でボンヤリ覗き込んでいると時がたつのを忘れそうでした。千年を超える時間がここにある。そういう凄みですね。 金堂から出て、五重塔を見上げると千年の間、唸り続けているかの如き小鬼と目が合いました。「わしら、この姿勢で千年やで。イヤ、ホンマ。わかるかなあ、わからんやろ。まあ、わしは手つこてるからええけど、あっち行ってみ、頭でかついどるからなあ。」「背筋がなあ、こう、曲がってしまいそうでな。首は埋まってくるし、いっぺん立ち上がって、伸びがしてみたいんや。それが夢やなあ。」「キツイでえー。もうアカンって、何回思たことか。宿命やな。こんなとこに、この格好で千年や。いや、もっとか?運命ちゅうような甘いもんちゃうで。宿命や宿命!こんなんゆうとったら腹立つから、はよ、あっち行きなはれ。」「こうやって、歯ァ食いしばって、いつからここにおるんかって?もう、忘れたなあ。あんたらが生きたり、死んだり、生きたり、死んだり。何回もしてはる間、ずーっとやな。一ぺん、ゴロっと寝てみたい。」 まあ、そんなことをしゃべっているわけではありませんが、鬼とはいいながら、なんか、人間的な表情をしてますね。それならと金堂を振り返ると、こっちの苦役係は動物でした。 「あんたは獅子かいな?お寺担がなあかん獅子も大変やな。」 「あかんなあ、貌がどっち向いてんのかわかりまへん。ん?あんたは象さんかな。」 「ホンマに、わかりませんね。あんたの正体はなんや?」 その上の階の回廊かな、あそこにおるのは龍でしょうか?上ったり下りたりしてますね。 これは下り龍ですね。 こっちは上り龍。こうやって見ると、龍というのは、やっぱり、蛇の仲間ですね。巻き付き方が、🐍そのものです。これも上ってます。 これは下ってますね。それにしても龍はいい気なもんですねえ。空飛んでるんですかね。それに比べて、獅子や象、五重塔を支えている小鬼なんか、大変ですね。なぜか、そっちと気が合う感じがしますね。 帰ってみると、一人と一匹、写真を撮り忘れたようです。ザンネンですが、またの機会にということで。まだまだ続きます。法隆寺 徘徊その4へどうぞ。にほんブログ村にほんブログ村
2019.09.17
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「楼上の決戦?」法隆寺・中門 徘徊日記 2019年9月9日 法隆寺徘徊 その2仁王門ですね。人影も少なくて、よろしいですね。それにしても、この青空。日射しも、とても秋とは言えません。空は真夏の青さでした。 仁王門というくらいですから、仁王さんです。どうも修繕中らしいのですが、右側の仁王さん、リングに上がって、いきなりファイチングポーズという風情ですね。セコンドのオジサンが、なんか、なだめてますね。「まだや、まだや、そんなに入れ込んだらアカンでえ。落ち着けよ。相手の思うつぼやないか。」「ウルサイ!かかってコンカイ‼ワレ―なめんなや!」 まあ、モチロンそんなことはおっしゃませんが、お相手の左のコーナーの方が、この方です。なんか覆面されてるみたいですね。「ナニいー、えらいイキッとるやないか。ワイを誰や思てんねん。いつでも、どっからでええねんど。この覆面、伊達ちゃうど!コラ!」 なんてことも、もちろんおっしゃいません。 まだゴングはならないのですが、お互い気合は十分ですね。覆面している悪役レスラーではありません。たぶん、修繕のために何か塗ってあるんでしょうね。どんな色でよみがえるんでしょうね。でも、ぼくは、これで十分納得の表情でした。 さて、いよいよ西院伽藍へ。ここでチケット購入ですね。 これで、三か所、西院の伽藍、大宝蔵院、東院の伽藍に入場できるそうです。1500円でした。伽藍というのは建物だと思い込んでいましたが、お坊さんの修業の場所のことらしいですね。宝蔵院は、まあ、美術館ですね。現代の建築でした。ウロウロしてみてわかりましたが、一瞬、高いかなと思いましたが、 1500円はお値打ちでした。ぼくのような「もの知らず」にそう思わせるのですから、やはり法隆寺はすごい!ですね。 一緒に、パンフレットをいただきましたが、帰ってきて初めて見ました。いい加減なシマクマ君には、こういうことが多いのですが、治りませんね。失敗でしたね。 見どころ解説が、簡潔に書かれていて、見落としたところがいっぱいあったことに気付きましたが、後の祭りです。こういうものを、ちゃんとその場で見ないいつもの態度を、ホント、反省しました。まあ、口だけでしょうが。 裏には寺内、周辺の地図もありました。トホホ・・・バカですねえ。 さて、西の院、伽藍の様子は「法隆寺 徘徊(その3)」でどうぞ。 (記事の図像はチケットとパンフレットの写真です)にほんブログ村木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)[ 西岡常一 ]これは、読んだことがあります。面白いです。
2019.09.17
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