風邪で蟄居のお正月でありましたが、久し振りに少し外を散歩してみました。初詣と言うのではありませぬが、枚岡神社付近を散策です。
枚岡神社は河内国一之宮であり、小生の自宅にも近いので度々当ブログにも登場して居りますので、詳しくは省略しますが、春日大社と同じく天児屋根命、比売大神、武甕槌命、経津主命の4神を祀っている。元々は天児屋根命と比売大神を祀っていて、春日大社が出来た時に当神社からこの2神が春日大社に勧請されたもので、そのことから枚岡神社は「元春日」とも呼ばれる。武甕槌と経津主の2神が当神社に祀られるようになったのはその後のことで、この2神は春日大社から勧請されている。
普通、神社には鳥居の脇に狛犬が鎮座しているものであるが、当神社は鹿が鎮座しているのが特長である。
(なで鹿<左>牝鹿と仔鹿)
(なで鹿のいわれ)
※追記:
本日(2020年8月29日)上掲の写真が横に倒れた形になっていることを発見し、正しい向きの写真に修整しました。先月にも過去記事の写真でこのようなことがありました。時間経過によってこのようなことが勝手に起こるなら困ったことですが、原因不明です。
上の謂れに記載の通り、鹿は鹿島神宮の祭神・武甕槌命に由来するものである。タケミカヅチとフツヌシは出雲に出向き強談判の末、オオクニヌシに国譲りを承諾させることに成功するという役回りで登場する神であるが、春日大社の社伝では、鹿島神宮から春日大社へ勧請した際、タケミカヅチは白鹿に乗ってやって来られたそうな。それで、奈良では鹿を神の使いとして大事にしているのであるが、「なで鹿」もそれと同様のものでありますな。
なで鹿の居る前は広場になっていて、鞠場になっている。蹴鞠をする場所でありますな。秋の祭では近郷の集落から繰り出した太鼓台がここに立ち並ぶのでもあります。
(鞠場の石碑)
(鞠場)
元々の枚岡の神は天児屋根命である。現在の社殿の裏に聳える山、神津嶽の頂上に、アメノコヤネノミコトを祀ったのが枚岡神社の始まりである。その神津嶽を望むようにして、社殿の南側に遥拝所があり、若宮社がある。春日大社と同じ構造である。
このアメノコヤネノミコトは、天照大神が天岩戸に隠れた際に、岩戸の前でフトタマノミコトと共に祝詞を唱えたこと、アマテラスが岩戸を少し開いたのをとらえてタヂカラヲノミコトがアマテラスを岩戸から引き出した時に、素早く注連縄(端出之縄・シリクメナハ)を張って引き返せないようにしたこと、天孫降臨のニニギノミコトにつき従って地上に下り、中臣氏の祖となったこと、などが日本書紀に見える神である。
(遥拝所)
(若宮社)
若宮社から更に南に進むと、枚岡梅林へと続く巽橋の手前に末社の天神地祇社がある。
これは、近郷の多くの神社を当神社に合祀したもので、神社は一町村につき一社に限るとした、1906年明治政府発布の神社合祀令に基づくものでしょうな。明治期に合祀された神社として次の神社が列記されている。
額田村・・・・額田明神社・若宮八幡社・恵比寿社・山神社・高城社
豊浦村・・・・春日神社・東山神社
出雲井村・・・八坂神社
五条村・・・・八幡社
客坊村・・・・市杵島姫神社
四条村・・・・春日神社
松原村・・・・春日神社・八幡社
また、境内地各所に鎮座していた次の19末社も合祀したとある。
椿本社、一言主社、青賢木社、坂本社、太刀辛雄社、須箋鳴命社、勝手社、八王子社、地主社、戸隠社、笠社、大山彦宮、住吉社、門守社、飛来天神、角振社、岩本社、官社殿社、佐気奈邊社
(天神地祇社)
<参考>枚岡神社関連記事
枚岡神社秋郷祭2009
2009.10.16.
枚岡神社秋郷祭
2008.10.14.
枚岡神社
2008.7.12.
墓参と桜散歩
2011.4.2.
初詣2011
2011.1.3.
贈呈図書
2009.8.16.(枚岡神社・一の鳥居)
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