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韓国の食べ物で食べていないものはたくさんある。食べたいと思っても機会がなくてたべられないものもある。みなさんよく言うポンテギは、実は私の住む地域では昔よく食べられていた。てか、寒村ではかなりの栄養源だったので信じられないかもしれないがまぜごはんにして食べたこともある。私の子供の頃はさすがに少なかったと思うが田舎では食べていただろう。だから昨年、全州でビビンバ食べたときにタニシのおかゆみたいなものが付いてきたけど抵抗感なく食べられた。タニシなんかも食べていたからね。いやタニシそのものも知らないか?ポンテギは…(さなぎ…ね)もちろん今は食べていないが匂いの記憶はある。やはり独特だしね。で、今回タイトルにしたのはビジ(おから)だ。これも昔よく食べたね。お豆腐屋さんでタダでもらえたのでもらってくるのはたいてい子供の役目だった。(恥ずかしいからね)どなたかのホムペで以前見かけたのだが韓国のビジ料理?豚肉で作ってたような記憶が…写真入りでおいしそうなレシピが。プリントアウトしとけりゃよかった。きのう国際親善クラブの新年会があった。中級クラスのオジサン、オバサンたちだ。 親 善 ク ラ ブ の「中級」なので…しかも週1回、1時間ちょいの授業なので“同好会”の域だ。先生もいらしたので聞いてみた。「先生はビジ料理作れますか?」みんな 何ビジ?って?って顔。「いやあ、おばあちゃんに作ってもらったことはあるけど…」やはり世代格差があるのか。お年寄りたちが作るものなのか。先生も作ることができないと言う。ますます気になるビジ。映画のタイトルにもいいかも「ビジ!」謎のネット美少女「ビジ」あるか!!こんど見つけたら作ってみようっと。
January 30, 2005
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日本人ともだち探します。そんな掲示板で知りあったのが、韓国在住のミスKSだ。23歳の会社員だという。日本語を勉強していたというが、日本語のメールは来たことがない。こちらのたどたどしいハングルメールに添削をして返してくれたりもする。知りあって1年たった。こちらはアジョッシなので「キロロが好き」とか書かれても「元ちとせが好き」とは言えまい。あるいは「ソン・ガンホが好き」も違う意味でおかしい。まあこっちが、かなり偏ったおっさんなのでありきたりな話しに終始する。若い日本人とメル友してるかもしれないしね。それでもときどきメールをくれる。写真も添付してきたことがある。春風に吹かれる女の子の顔だった。イエッポヨ(かわいらしい)楽天のみなさんよく言うつくりにつくったギトギトのアイラブミーな写真ではなかったのでそういう人なのだろう。久々に来た年明けのメールにこんなことが書いてあった。「私オーストラリアに行くことにしたの。今、英語を勉強しているので、むこうでもやるの。それでね永住権を獲得するの」出たーーー! 永 住 権。(辞書引きましたよモチロン)確かに日本語から英語に勉強の方向を変えた、ってのは去年聞いたが。いきなりホジュ(豪州)ですかい。って、KSよ。ふたりだけの姉妹じゃなかったのか。親はどーなんだ。親もあせっているらしい。そりゃそうだろう。娘っ子ひとり。男の兄弟がいないから気が楽なのか。いやその逆か。以前の日記でも書いたが日本人と違って韓国人は身軽なようだ。サクッと行動に移す。ウリナラウリナラ騒ぐくせにあっさりカナダやオーストラリアに行く。…ように見える。TVドラマの見過ぎ?KSよ、日本へおいで。オーストラリアなんかメルギブみたいのがチェーンふりまわして改造バイクで走ってたり、ラッセル・クロウみたいのが肉くわえてストリップしてたりするんだぞ!(ソーリ~)身近に韓国人がいないのでいまいちわからない人々である。
January 29, 2005
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私の会社のスタッフにSちゃんがいる。若い時からのつきあいでSちゃんだが、二人の女の子の母親だ。上の子cocoroが生まれた時、彼女は仕事に早く復帰したがった。双方のご両親が近所にいないため、乳幼児の時から我が家でcocoroの面倒をみた。ほとんど孫。私の母にいたってはひ孫である。cocoroのほんとうのおばあちゃん、おじいちゃんたちは「ばあさん」「じいさん」と呼ばれるのをいやがった。やはり、みんなそんなものだろうか。似たようなあいまいな表現で呼ばせた。私は最初から「ジジ」と呼ばせた。地下鉄ザジではないが、固有名詞としてね。彼女は今でも私の名が「ジジ」だと思っている。小さいときからあちこちでもまれて育ったためcocoroは口が達者だ。マイブームに笑わせられる時もある。時に彼女は考古学者だ。「ハクアキ コウキノ オオガタニクショクキョウリュウティラノザウルスハ パラスウロロフスヲ タベ…」ブハッハハハハーーー!!お前どこで習うの?時にTVレポーターだったりする。私「cocoroさん、いまどちらでしょうか?」cocoro「ハイ!コチラ コウチケンデハ タイフウノエイキョウデ クジラガ シニマシタ」ブヒヒヒーーーー!!内容あってるぞ。高知県も好きなんだ?そんな彼女の愛読書は 水木しげるの 「妖怪大全集」…。5歳児の読むもんじゃないわな。←竹下登風。だいだらぼっちが怖いらしい。てか、お前「もののけ姫」好きじゃん。あそこに出てただろ?Sちゃんが私に電話をとりついだ時、こう言った。「あっシャチョーにかわります」たまたまいたcocoroはすかさず言った。「ジジってシャチョーなんだ」シャチョーの意味は知らない。まったく面白いやつだ。最近も夕飯などを食べに来るけど、私に赤ちゃんをやらせるのだけはカンベンしてほしい。語尾に必ず「…でちゅ」と言え!というのだ。僕、おなか減ったでちゅ。 ビール飲みたいでちゅ。 「天国の階段」見てもいいでちゅか?ピノコじゃねえっつーの!!
January 28, 2005
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スペシャル・オリンピックスというイベントがある。私の住んでいる街で来月末から1週間ぐらいの予定で開催される。知的障害者のオリンピックといったらいいだろうか。スペシャル・オリンピックス・ナガノだから、英語の頭文字をとってSONAというらしい。(ユン・ソナかい?)←ツッコミ不要。が、我々市民にも周知がいきとどいていないので、そんな呼び方をするんだ?と知ったのは12月になってからだ。3000人近くの選手・保護者・運営委員が世界から集まる。もちろん韓国も含まれる。私と妻はヘルパー2級の資格を持っている。たまたま5~6年前、障害者のNPO法人が主催する講座で取得した。ボランティアはしたことがあるが自分の仕事があるので、ヘルパー職についたことはない。でもそのNPO法人とは、私の仕事が縁でおつきあいが続いた。先日新聞にそのNPO法人が、韓国人ステイの受け入れ先にのぼっていた。くるかも。そう思っていたら代表に言われた。「yanpa555さん、あれ?韓国語だっけ?やってるんでしょ?」(全く知らない人にはハングルもカントン語もいっしょだ)来たーーーー!!「2~3人お願いできる?」いや、そ、それはいいんですけど、保護者の方は?「いません」韓国語といってもわたし、チョボチョボなんですが…。「だいじょうぶでしょう。2~3日ですから」押し切られた。普通の方でもアタフタなのに、知的障害の方に、私の韓国語が通じるのだろうか。まあ、でも妻と私のヘルパー取得時からいろいろお世話になってるしなあ。家に帰って話しあった。やっぱキムチぐらいは本物揃えないといけないか。なに言ってんの、タッパに入れて持ってくるって。あんまりショーユ臭いとご飯食えないかも。「チャンホ(近くの韓国料理店)」にチャプチェでも頼むか。我が家は6人家族で、犬にアヒルもいる。(どんな家だ)近所のガキもづかづか入り込んで遊んでいる良く言えばオープン。悪く言えば誰の家かわからない時がある。?そっか。むしろその方が韓国人は楽か。楽天家かも。とにかくステイは決定しそうだ。ケンチャナヨで乗り切るか。
January 26, 2005
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妻は島の女だ。なんかすごいな。え~佐渡島の出身である。私が原チャリで旅行していたとき峠の茶屋(ってところもすごい)でお母さんとアルバイトをしている時に知りあった。もう遠~い昔の話だ。海っぱた(海のそば)の人間はのほほんとした人が多いな。佐渡島の人たちを見ててそう思った。拉致されてしまった曽我さんの町の隣町の出身だ。家の目の前は浜。歩いて2~3分のところに松林。年齢も似かよっている。いきあたりばったりでなかったら、かなり危なかったと思う。不謹慎を覚悟で言えば私がジェンキンス氏に替わっていた可能性も大きいということだ。自ら国境を越えたジェンキンスと違って曽我さんはどれほど心細かったことだろう。運命の偶然が重なったら、私の一家もなかったかもしれない。拉致のニュースを見るにつけそう思う。国境を越えた問題に、何故個人がこれほど努力しなければならないのだろう。エンドレスに続くのか?話しは韓国に移るけど韓国の被害者は400人、500人?ケタが違うのではないのか?そもそも太陽政策がよくわからない。韓国人は身軽な民族だと思う。移住や永住権獲得もわりと軽く考えているように見うける。違う?もし、朝鮮半島が統一されたら北の避難民よりも、韓国国内からの韓国人の大量の脱出!そちらの方を恐れているのではないか。著しい国力の低下だものね。きのうの報道特集は科学でも証明できない拉致被害者の問題をとりあげていた。ある韓国人が拉致をビジネスととらえたからだ。中朝国境に住む人がすでにビジネスにしているのだから当然だろう。てことは日本人の中にもチャンスととらえている人がいるということだ。国の無策のツケを我々が払っているのだろうか。
January 24, 2005
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竜山電子商街へ行ったときにバッタDVDを買ってきた。って自慢できることじゃないけど。その中のひとつ、「僕カノ」。今も日本で公開中かな。「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョンとクァク・ジェヨン監督の柳の下な映画だ。クァク・ジェヨンはアルフレッド・ヒチコックに似ている。チョン・ジヒョンに恋してる!ヒチコックもメラニー・グリフィスのお母さん^^ティッピィ・ヘドレンとかに恋した。いつも片思い。自分の映画の主演女優をきれいに撮りたい。イチバンいい顔を記憶させたい。…できれば恋愛したい。でもだめなんだな~これが。「僕カノ」の映画自体はその監督の夢から脱しきれていない。猟奇的…がいかに素晴らしい映画だったか、荒唐無稽でも、どんなに愛らしい映画かよくわかる。多くの日本人が韓国の今を知る、いいきっかけにもなった。猟奇的のあと、チョン・ジヒョンは似たような役を受け付けなかった。自分の可能性を信じたんだろう。裏目に出たのが「4人の食卓」だった。前の日記に書いた韓国人のコメディセンス。それは“猟奇的~”のチャ・テヒョンにもいえる。彼がいたからチョン・ジヒョンがブレイクした。彼女がメインではないのだよカァク!映画のファーストシーン。キョヌが写真を撮って泣き顔のこどもの頃にオーバーラップする。あそこで僕らを引き込んだからチョン・ジヒョンを守りたい!って言う共感が生まれた。「猟奇的な彼女」の評価、低すぎると思うな。
January 23, 2005
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私には1人のキョーレツなおばがいる。死んだ親父(長男)の妹だ。名をCちゃんと言う。1.犬や猫をとてもかわいがる優しいおばだ。(つまりどこに住んでも化け猫屋敷にしてしまい、蚤とシラミとミイラと骨壷と名も知らぬ動植物のの巣窟にしてしまう)2.敬虔なクリスチャンである。(右のほほをぶたれたら、左の側面にケリを入れるすばやい対応が自慢だ)…もちろん言葉でね。3.レインマンである。(人からされた恨みは死んでも何一つ忘れない…てか、勝手にそう思い込む)4.全財産はふろしきひとつである。(まわりはすべて泥棒!なので、腰のまわりにふろしきを縫い付けて持ち歩いている)5.心優しいので、バザーなどに兄弟からもらった服や物などをポンポン出す。(兄弟は何もしてくれないと言いふらす。そしてまた、盗まれたと騒ぐ)6.今暮らしている老人施設では有名人のひとりである。(他人はすべて敵、が信条なので、寮母を含め友人など誰もいない)7.施設の男に好かれてると思っている。(夜ばいに来た。なんて世まい言をほざく)つまりかわいそうな老人である。(本人はケロっとしている)Cちゃんを施設に入れたのは長~い話しになるので省く。ひとつだけあの日のキョーレツな姿は忘れることができない。Mという田舎町に住んでいたCちゃんにカップ麺や、簡単なおかずを届けた日、あの夏の日。ここちよい汗をかきながら門をくぐった。そこに開け放した古い民家の軒先に彼女はいた。全裸だった。ヤノマモ?(←勝手に調べて)着ていた服は玄関で山のように通路をふさぎ、押しても引いても動かない。電気もとめられ、やかんの水と小麦粉を溶かして焼いて食べる。ネアンデルタールかい!!!ボロボロの屋敷に信じられない巨大なテレビ。しかも新品のまま朽ち果てている。猫はニャーニャー、犬は柱に結ばれている鎖できのうまでここにいた痕跡。(しかも大型犬)夏なのにこたつが…どかすと、人生でただ一度も見たことのない量のあらゆる虫たちがワラワラと。死?Cちゃん、ここで死ぬな。きっと。1週間後、妻と破壊工作にでかけた。産業廃棄物の業者を連れて。トラック2台分。ものすごい量のゴミが運ばれていった。残ったものは。これまた大量の骨壷。(何十匹分?)クリスチャンのくせに戒名つきだ。Cちゃんは今幸せではないかもしれない。しかし、家賃も払っていないあの化け物屋敷で死なせるわけにはいかなかった。どこの家にも問題はあるものである。でもね~残った兄弟の中で彼女が一番長生きしそうなのだ。
January 22, 2005
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韓国語を勉強し始めたころ、なにかのたしになるかな?とビデオ屋をまわった。4~5年前のことだ。あったのは、こんなもの。「プルガサリ」(北朝鮮の怪獣映画)「ジバジ」(韓国の色物系)「将軍の息子」(韓国の仁侠物)あと数本かな。田舎だしね。しかも香港物とかベトナム物とかもいっしょくたに混ざってるコーナーだった。そこに登場したのが「八月のクリスマス」だった。韓国のテイストを初めて感じた映画だった。マダンで葱を洗うハン・ソッキュとかね。当時通った韓国料理店に行って「シム・ウナっていいね」と言って、アジュンマに「ん? あーシムナね」って言われた頃だ。その後初渡韓して、どこかの町の映画館前で偶然もらってきたパンフレットが韓国で公開直前の「シュリ」のパンフだった。今もそのパンフレットが手元にあるが、韓流という言葉が、もしあったならこの時から映画、ドラマの流入が始まったんだと思う。韓国語をラジオ講座で勉強し始めた頃とシンクロしたので意味もわからず、ドトーのように見た。で、いつも感じるんだけど、韓国人ってシリアスな映画でもコメディのセンス抜群じゃない?くすぐり加減が絶妙じゃない?年間80~90本のビデオとか映画見るけど、人間くさい笑いっていうのかなあ、「動いてなんぼ」の役者の雰囲気、しぐさ?韓国人はグン抜いてると思う。「殺人の追憶」のソン・ガンホが知的障害者のクァンホを畑で追う“足の運び”なんか笑えたなあ。「生活の発見」(日本名=気まぐれな唇)のキム・サンギョンの揺れながら食べる姿。「女教師vs女性徒」のヨム・ジョンア。いかず後家!といわれるときの顔。クスクス感が楽しい。日本のおばちゃまはメロウなドラマにはまったようだけれど。てか、あれ、「昔の日本のドラマみたい…」ってのとちょっと違うと思うんだけど。そう言って納得させてない?「青春を感じるのよー」って違くない?なにかを解きほぐそうとする韓国式「恨」な世界。日本人に“ない”話し。欲しがっても届かない世界。そんな感じがする。ハナシ飛んじゃった。そうクスクス感が楽しい。韓国語がわかり始めたのでまだまだ見てみたいと思う。
January 20, 2005
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もやし汁めし。日本語でいえばそんな感じか。「コンナムル クッパ」という。韓国人は好きらしい。田舎町のモーテルで、朝飯はそこへ行け。主人にそう言われてでかけた。それらしい看板はないので、店の真ん前で通りがかったアジュンマに場所を聞いて思いっきりケゲンな顔された。店に入る。湯気、湯気、湯気。朝だ朝だ~よ~。労働者の飯だよ~。そんな活気。働くアジュンマ、食べるアジョシ。おばちゃん、おじちゃんの世界。ウキウキして私も言った。「コンナムルクッパください」オバ「?何言ってんの?それしかないんだよ、やだねこの人」アッチャー(インド人)すんません、知らないもんで…↑心の中(恥)後ろにいたオジサンが何か叫ぶ。“おかわり”のようだ。え?おばちゃん、アイヨーってもやしの山を持ってきて鍋にぶち入れた。ただでさえ多いもやし。朝っぱらから、日本で言えばもやし2袋。ものすごい量をワシワシ食べる。いやあ、こりゃ日本のメシ屋だったら怒るわけだ。韓国って朝からイギョラ!(勝て)なのね。
January 19, 2005
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カッチとは韓国語で“かささぎ”。吉鳥と考えられている韓国の国鳥だ。日本語の異名カチガラスのカチはここからきているらしい。韓国を旅していると確かに鳩やすずめは少ない。…気がする。食べる?かもね。ああ、でもテレビで映画の予告編やってて「酔画仙」のチェ・ミンシク(役者)が雀を描いていたなあ。で、甲高い声がすると、たいてい、かささぎだった。あ~やっぱり多いんだって思った。逆にカマギ(韓国語でカラス)が少ないのは、薬として獲られてしまったからだと本で知った。かささぎと違って不吉な鳥なはずだけどどんな食べ方するんだろう。カマギムチ?カマギポックンパプ?カマギジョンゴル?ちょっといやかも。かなり昔だけど日本のテレビでもどこかの地方で“さしみ”で食べる!!と言っていた。その時の映像は…仰向けになった丸ごとカラス。お腹が開かれていて、パックリこ。そこへ箸をつっこんでたような…。韓国ではやっぱり精力剤かなんか?韓国ってその手の薬好きでしょ。私は昔、祖母に体にいいからとすずめのみそ汁を作ってもらった。おいしかった記憶があるけど単純にビンボーだったからだと思っている。
January 17, 2005
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市場めぐりの好きな私は、韓国でもあちこち覗いてまわる。妻が肉体労働^^していて、よく疲れる~と言っていたので今回、京東市場へも行ってみようと思っていた。京東市場はガイドブックにも必ず載っているような漢方薬(韓国では韓方薬という)で有名なところ。駅を出ると確かに独特の甘い香り。この街全体が漢方の匂いだ。敬愛する?^^shaquillさん一家がちょうど京東市場に行ってヤモリは入れないでくれ!!!と震え上がったその翌日に私はいた。(チョンガクの韓国観光公社の日本語OKのPCで見ていた)市場の大きさはかなりのもので、在来市場とも繋がっていた。私はヤモリでなく、犬肉に飛び上がったりしたが、大きな薬箱?(壁いっぱいの本棚のような…)があるあるお店に入って言った。「日本から来た観光客なんですが…妻に薬を作ってもらおうかと…肩がだるくて、腰も痛くて、具合が悪いのですが…」そんなようなこと、何とか言ったが、ギョロ目のアジョシ(おじさん)は、いろいろ聞いてくる。「…あのあの、韓国語は勉強中でよくわかりません簡単な薬でいいのでお願いしたいのですが」漫画だったら右肩にアセアセの文字がでてるところ。おじさん、わかったよ!と壁の薬箱からいろいろな材料?取りだしてまぜだした。何回分かにわけて、包んで結構な量。1週間?2週間分??「……これで3万円とか言われたら困るかも…」おじさんニコニコして私に渡す。私「あの~おいくらですか?」オジ「いりません」私「エッ?あのーお金なんですが」オジ「いりませんってば」私「いやそういうわけには…」オジ「どうぞお行きください」実際はもっとバタバタしたのだが、結局お金は取らなかった。ホワ~~~イ??とにかくペコペコして帰るしかなかった。カmサハmニダと。ガチャピンみたいな顔した京東市場のおじさん。妻はその気持ちだけで元気になったよ。言われた通りお茶のようにして飲んだよ。そして妻にはこうも言われたよ。「礼をするから、そこへ連れていけ」と。涙
January 16, 2005
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つづきおじちゃんは商売道具の自転車と包丁研ぎの一式を入院騒ぎでなくしていた。若だんな(私のこと)のとこで、保管してないかと退院後、探しにきたらしい。おじちゃんの故郷は北海道。年老いた母と兄家族がいるらしいことは聞いていた。ただ若い時から本人いわく「勢いがあってさ…」全国をテキ屋とか、いわゆるその筋の世界で生きてきた。寅さんである。風呂で会ったことがあったが、刺青もある。「だんなぁ、コレ(刺青)のことは内緒にしてくれ」っと、言われたこともある。兄にはどうやら絶縁状をわたされているらしく私たちに連絡されたくないらしい。おまわりさんを呼んだ。北海道の住所と電話番号をプロに聞きだしてもらおうかと。おじちゃん「サツ、呼んだな」サツじゃないだろ。おじちゃん、みんなに1000円、2000円もらったって生きていけないだろ!生活保護受けなければ、死ぬよ、あんた。おじちゃんは私のお古のシャツや履かなくなったズボンなど着ている。そのカッコでまた“ウジ騒ぎ”にでもなったものなら私だって夢見が悪い。先日、再度病院に逃げ込んだおじちゃんから電話があったらしい。(ごはん3食付くからね)「若だんなに来てもらいてえんだ」……いやな予感。ほんと、どーしたらいいんだろう。ハ~チョンマル。
January 14, 2005
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またまた韓国つながりで。旅行中、地下鉄の階段などでよくホームレスを見かけた。一番強烈だったのは階段につっぷして、頭をコンクリに押し付けて、両手を「ちょうだい!ポーズ」で、さし出していたオジサン。韓国と日本のホームレスを比べてみても、せっぱつまったものを感じた。いくばくかのもお金を置いてきた。我が家にもホームレスのオジサンが訪ねてくる。名前は知らない。みんな「研ぎ屋のおじちゃん」と呼んでいる。包丁1本研いで300円だから研ぎ屋のおじちゃんだ。うちでは2本研いで千円。それと、おにぎりやおかずもあげる。新しい包丁を買ったほうが早い。しかし今どき、どこの馬の骨とも知らない怪しいオジサンに自分の家の包丁を預けるバカもいないため、おじちゃんを知る何軒かが“協力”していた。昨年10月頃そのおじちゃんが消えた。忽然と。ご近所網を通じて1ヶ月過ぎてニュースが入った。3キロほど離れた公園で「浮浪者」に“ウジ”がわいて警察官が来ていた。というニュース。「エエエ!!!おじちゃん死んだんか?」母がいちばん心配していたので私が交番へ。なんと交通事故にあって金をせしめたまではよかったが、病院に行けないので足が化膿して強制入院させたとのことだった。おまわりさんもホトホト困っていた。入院した所は大きかったので「名無し」のおじちゃんを訪ねることはなかった。そして年の瀬。ある日、おじちゃんは我が家の玄関前に。「帰ってきた研ぎ屋」タイトルつけてる場合じゃない。つづく
January 13, 2005
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韓国関係の本を読みあさっていたころ、かなり気になることがあった。「韓国人にとってチャジャンミョンは特別な食べ物」ということ。なんでもグチャグチャにかきまぜて食べるという…見たい。なんとしてもその姿をこの目で。(アホか)初渡韓の日、それは突然訪れた。例のMと入った店で隣りのおねーちゃん2名がまぜまぜしてたのだ。コ、コ、これかー!!「チャ、チャジャンミョン ジュセヨー」(←覚えていった^^)私の鼻孔は5ミリほど広がっていたに違いない。で、味は?覚えていない。コーフンしていたのだろう。(アホか)生玉ねぎとタクワンがついていたような…。話しかわって頭でっかちな私であるが04年末の韓国旅行はまだ3回目である。私は初冬の小春日和のプヨにいた。ブヨではないプヨである。扶餘と書く。百済滅亡の古都。意味もわからないのに地元の中学生のお勉強会にまぎれこみ、遊覧船にも乗って「先生」の話しに耳をかたむけたりした。「ここで昔、女官たちが身を投げンヌンデヨ~」とか言っていたのだろう。船をおりて町まで歩いたので小腹がへった。ラジオハングル講座4年の旅人は“チャジャンミョン”の文字を見逃さなかった。う~ん、配達専門の店かな。店に入ると「僕まったくやる気ないかんね」な中学生1名。私「チャジャンミョン ジュセヨ~」中坊「ハッ?」←…何言ってんだこのオッサン。顔は志村ケンの「…あんだって??」の顔だ。私「チャジャンミョン…」中坊「?…ア~イェー」不安。トイレを借りようと厨房の横を通ると製麺機と麺がある。製麺機!と言えば「さぬきうどん」!ホクシ(もしかすると)、いやかなりの確率でバカウマー!!!^^(←文字大きくできないの、まだ)いやほんとーーーにおいしかったの。こんな田舎で、志村ケンの前で、鼻孔は8ミリに広がっていた。百済文化よありがとう!クダラ ナイなんてつまんない洒落言って日本人ごめんなー。ぐちゃまぜ精神コマプター!(サンキュー)古都プヨの味はグッチャグチャ。ところで、チャジャンミョンも当たり外れあるのだろうか?
January 12, 2005
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↑何故って、今朝は大雪。もー大変なことになってきている。きのうはZ寺へ初詣に行ってきた。ここは全国でも有名なお寺。yanpa555はこのお寺の名がついた町で育ったのでつまり遊びのテリトリーだったので隅々まで知っている。全国から集まる参拝客は以下のことは知らないだろう。この寺の周りには「宿坊」というお寺兼、宿屋がある。坊さんにもいろいろいると思うが、ここは問題なのだ。駐車場を見ればすぐわかる。並んでいる車が異常だ。ポルシェ、フェラーリ、ベンツはあったかな?私利私欲の坊さん、坊主まるもうけ?近隣のゴルフ場の会員も坊さんぎっしり。やっぱりどこの世界もズーっと権力にぎっていると同じこと。自分たちだけが普通でないことに気付かないの。お寺の雰囲気もたたずまいも好きなのに。せまい地域なので例えば地元の新聞でたたかれることもない。経済大国日本って、こういうことなんだよねえ。
January 11, 2005
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きのう久しぶりに銭湯Sに行ってきた。ここはめずらしく“モンモン”の入った人も入れてくれるところ。スーパー銭湯の600円より銭湯の360円が好きな私だ。先月、韓国に行った時も下町の銭湯(モギョクタン)に2度ほど行った。1回目は320円。2回目は何故か20円まけてくれた。韓国の物価を考えれば安いとはいえない。湯船の中で両手両足をバタつかせているオジサンがいたが、そんな話しを聞いたことがあったので、オオ!これのことかー、と懐かしい感じさえした。しかし、これにはたまげた!色、真っ白のデブ兄弟(推定1人120k)。しかも坊主。しかも刺青。しかも湯船で潜水。白く平たくなった影がユラユラと~細い目あけてこちらを見てる~ギャグですか!!怖くはないけど笑えないしね~。あの刺青、カッコ悪かったなあ。色数も少なかったし。在韓の方、あの模様なんですか?って、知らねーよ!!ですよねえ。
January 10, 2005
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オオ!今(9時30分)ボンボンと雪が降り出した。ほんとにボンボン、音がしそうなくらい。我が家の犬ブラ雄はチベット犬となんとか犬の雑種。全身まっくろくろすけのパワー全開犬だ。もちろん散歩が大好きなので、めんどうくさいが今朝もはよから行ってきた。道はバリバリに凍っているし、奴はリード引く力がハンパじゃないので散歩も命がけだ。すっころんで頭でも打ったらマジであの世行きである。しかもブラ雄はウン○をケツをまわしながらする。うん?わからないでしょ。前脚を軸にしておしりを振りながらするの。「すなー!!!」何回教えてもだめ。これを我が家では「ブラ雄のマキグ○」と呼んであきれはてている。フー
January 9, 2005
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きのうのつづきです。明洞で私たち二人をカモったのはほんとに学生っぽかった。似たような文化でガードが甘かったオッサン二人に原因があるのだが、それでも悔しいので言った。「こんなこと続けていてもお互いの国にとってよくないから、やめなよ」ふたりはシュンとしている。きっとヒョン!(兄貴)に指示されてやったのだろう。でも私にとってはこのことが韓国および韓国語へのアプローチになったことは確かだ。もう1回、あの青年たちに会って今度こそおごらせよう!と勉強をはじめたからだ。せこい?わずか数年前だが田舎の本屋にはNHKのハングルテキストは数に限りがあった。ちょっと遅れると探すのに苦労したものだ。ところが今はどうだろう。本屋には韓国語関係の本だけで山と積まれている。この楽天の韓国!テーマだけでもすごい量だ。ビデオ屋さんにも韓国の映画やドラマが1コーナーぎっちり。10年も20年も前から隣国にかかわってきた方々は目がテンだろう。昨年は「殺人の追憶」というどの国際映画祭に出しても1歩もあとに引かない秀作を生み出した韓国。韓流とは別物かもしれないが、私には引き続き興味大な対象だ。
January 7, 2005
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私yanpa555のyanは「洋」paは「ネギ」。韓国語でいうところの「タマネギ」だ。何故にハングルか。アジア好きの私は昔チョコチョコアジア各国を旅した。今も行きたいところは山とある。韓国はショッピングに興味がないため行くことはなかった。が、5年ほど前厳寒のソウルへ格安旅行で友人Mと行った。繁華街明洞(ミョンドン)で赤ら顔で歩く二人。すると学生風の二人がA「ナンタラカンタラ!」(恐らく時間でも聞いたのか)私「エッあの~」B「あっ日本の方ですか?私たち日本語勉強している学生ムニダ」A「勉強のため私たちと飲んでもらえまシムニッカ?」友人M「いいね、いいね」で、“何故か”タクシーを拾う。向かった先は江南(カンナム)のプチリッチ街。この時点で酔っ払いのオッサン2人はレベル90の危険地帯に足を踏み入れたことさえ気付いていない。お店は地下。しかもいちばん奥(←ここポイント)お酒と女の子登場!Mの目はのの字だ。いささか盛り上がったところで女の子脱ぎ始める。私「ん?…やばいよ!」M、私の忠告聞かずにモミモミで、のの字。帰ろう!といったところでテコンド青年指をならして登場。やってもーた。翌日スッテンテンになったオヤジ二人は成田空港でさらなる寒風にふきさらされていた。で私はあの美人局に会うためNHKハングル講座の門をくぐったのだった。つづく
January 6, 2005
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約10日ぶりにスタッフのSと会う。里帰りしたその日に愛犬ネルが「殺鼠薬」を食べて死ぬという悲劇を味わったSは元旦に祈った。「どうかこの1年はおだやかで健康な1年でありますように…」その舌の根も乾かぬうちに元旦から親父とおおげんか!S「酒飲んで説教すんな!!」父「誰が説教したってんだ」…売り言葉に買い言葉。父「おーおーこんな家出て行ってやらあ!」←普通逆だろ…S「だったらすぐ出て行け!」SもSさ。笑っちゃいけないんだろうけど、二人とも知っているので昼めし喰いながら笑っちゃった。正月なんですけど。元旦なんですけど。でも年の初めに印象に残って、かえって1年パワフルに過ごせるかも。さて日記。私にもできるのかな。
January 5, 2005
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