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私のバイトするホテルはお客のクルマが入るとメロディが流れる。こんな曲。 「春が来た~春が来た~どこに来た~♪」一年中春かよ( ̄皿 ̄;とツっ込みたくなるけど世の中、春のような天気が続く。勤めているのは全20室のこじんまりした丘の上のホテルだ。この丘の上というのがかなりのポイントで、眼下のクルマのライトの列が続く農道が美しい。少年が浜辺で沖を見ながら「バカヤロー!!」と叫ぶのが青春なら、オッサンは暗やみに光る冬の農道を見ながら腰に手を当て、 「なんでやねん」と、ぼやくのが正しい中年像なのだろう。そんなことないか。さて、お客が精算を済ませ帰ろうとすると「パプ~ン」と物悲しい音とともにランプが“精算”の表示になる。お客はマシンにお金を投入する。そしていよいよクルマが出庫する瞬間 「トッテヶチッテタ~!!!♪」 (; ̄□ ̄!と、場違いな進軍ラッパが待機室に豪快に鳴り響く。われわれ仕事人の出番なのだ。なぜ進軍ラッパにしたのか、オーナーがユーモアのセンスにあふれているのか。ここは硫黄島か。そんなことはない、ただ早く行けの合図なのだ。ニタリ顔のオーナーの口ぐせは 「もうかんないね~もー」ばかりだ。ラッパの合図のあとは掃除道具一式をかかえて、まさに夜のホテルに進軍を開始する。途中、帰ろうとするカップルと鉢合わせにならないように、悪いことをした子どものようにビクビク部屋へ向かう。いままでチラリとお客の顔を見かけたことがあるけれど、けっこう年配が多くてびっくりする。コンビニのレジで小さなサイフから10円玉1円玉をごそごそ出しては戻し、後ろにいるあんちゃんから舌打ちされそうな年代まで含まれる。ジジイって元気なんだなー、とつくづく思う。そして金もある。そして、いったい相手は誰だ?新米ラブホアジョッシのバイトはさらに続く。
January 29, 2007
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ブラジル人日系2世夫婦と知りあいになった。“マナスルの怪力ジュゴン”とでも名付けたいくらいのIさん夫婦。奥さんはそれはそれは心根のやさしい、ジュゴンというよりもトドのような体型と愛くるしい顔立ちをしている。ふたりはある会社に住み込みで働いている。私も今そこでアルバイトをしている。 アルバイトォォォ???そう25年ぶりに履歴書なんぞ書いちゃいました。(理由はまたそのうち)友人S井とK坂がすでにそこで夜のバイトをしていて、ローテーションを組みたいので入ってくれないかとと誘われたのは昨年12月。1月に1週間の研修を経て夜間のバイト勤務となった。ヒマなときはまったくヒマ、忙しくなるとモーレツに忙しい。そんなお仕事。何かって?う~む。アジョシのブログ仲間は「真面目な主婦の皆さん」が多いからなあ。嫌われるのを覚悟で言うと… ラ ブ ホ。小さい?自分でもあきれるけどラブホのお仕事をしている。聞いてみるのとやってみるのとでは大違い。びっくりの連続の毎日だ。なんといってもオーナーたちの志が高い?せいか、仕事自身も徹底している。きれいに、清潔に、完ぺきに、がモットーだ。つくづく日本人だなあと感じられる瞬間である。私は韓国のラブホまがいの旅館もたくさん知っているのでその違いにも驚かされた。そうそうアミーゴスの話しもあったっけ。今は、風呂からベッドまでふたり一組で徹底的に磨き上げる。アメニティグッズの豊富さにも目を見張る。ハンパじゃない。お店でも開けそうな雰囲気だ。お客の中の面白話しはまたいずれ書くことになるかもしれないけど、このお仕事に引け目を感じるどころか、プライドを持ってきちんと働いているおばちゃんたちに私はたじろいだ。その中の一人コーノさんに毎日レクチャーを受けた。コーノさんは、なにものも水平に、垂直に、シャキっと置かないと気が済まない人である。「斜め」は絶対に許しません。そんなロッテンマイヤーさんのような人だ。「スリッパとスリッパの間は指1本ぐらい空ける感覚で並べてね」などといちいち指図、いや、指示される。^^;半世紀、斜めに傾いて生きてきた私には絶えられない地獄責めのような苦難の行軍だ。^^;いつまで続けられるかわからないけれど、習慣化した晩酌をやめられたので感謝もしている。これからは私の呼び方に「ラブホアジョッシ」も加えられる。^^どうぞよろしく。
January 27, 2007
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東京で上映して、すこし時間をずらせてやるのが田舎の映画館のやり方。東京の入りを見てから上映する館を決める。きのうから地元で始まった韓国映画「王の男」もどうやら東京での入りがよくなかったからか、シネコンの中でも比較的小さいスクリーンで上映された。きょうは朝10時からの上映に合わせてバタバタとでかけた。入場するとなにやら騒がしい一団がいる。知的障害を持った10代と思われる男の子4、5人が賑やかだ。中年のおばさんがひとり付いているのでつきそいなのだろう。 「王の男っておもしろいかなあ~!」誰に話しかけてるのかわからないくらい声が大きい。私は横の妻に「これ、けっこうむずかしい映画だから、あの子たち理解できるかな?」なんて話していた。彼らはスナック菓子を口に運び「うめー!うめー!」などと騒いでいる。で、な~んの心配もなかった。彼らは夢中になって映画の世界に入っていったのだった。主人公チャンセンとコンギルの歌とおどり、おまけに仮面と綱渡り。朝鮮半島の旅芸人のエンターテイメントにすっかり魅了されたようだった。つきそいの人の着眼点に驚いた。いくらでも子どもの好きそうな映画があるのに、「王の男」を選んだどこにでもいそうな地味なおばさん。彼らが夢中になることをちゃんと予想していたのだろうか。「王の男」は以前ブログに書いたようにVCDで見てはいるものの、韓国語がいかんせん実力不足で細部までわからなかった。字幕さまさまです。すっきりしました。そして…ハングルを学んでいることは抜きにして、あらためて韓国映画の底力にためいきが出た。判官贔屓じゃなく、ここ10年の韓国映画の実力と魅力は世界映画界でも抜きんでています。今は日本映画も活況を呈しているみたいですが、こと巨大なスクリーンで映すことを考えれば、脚本とともに韓国映画がしばらくは好作品を提供してくれるでしょう。こんなこと書くと、また邦画命のどっかのあんちゃんにののしられそうですが。ま、事実は事実ですから。日本沈没に犬神家に大奥じゃねえ。
January 21, 2007
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最初にお会いしたのはソウル教保文庫の日本書籍コーナー。昨年待ちあわせたのは永豊文庫の地下。今回落ち合ったのが私の地元の大きな書店。どうもかざはなさんには、文学的な香りがしてならない。(゚~゚)私が学もないのにすかした待ち合わせ場所を選んでる!とのやっかみも聞こえるが、別に胸に薔薇の花をさして待っていたわけではない。きのうは鼻水をすすりながら三両編成^^の電車にゴトゴトゆられて会いにでかけた。ソウルでサンパプをごちそうになったので、今回はアジョシがドバ~~~ん!と豪華・ニッポンの居酒屋でしょぼいつまみを肴に一献かたむけた。( ̄ー ̄;韓国人もビックリ!の馬刺し、湯豆腐、イカ刺し、牛肉のチム、秋刀魚の塩焼き、漬物盛り合わせ、そしてかざはなさんも満足してくれたアジョシ推薦のモッツァレラと肉味噌のピザ。脈絡のないメニューだけど若い板さんは凝り性だ。ハングルを独学するかたわら始めた楽天韓国のブログがなければ、およそ知りあうことなどなかった方にこのかざはな先生とほしそら先生がいる。ヤンパの学歴ではおふたりの草履を胸であたためても、きびだんごももらえないことはわかっているが、アジョシは素直にうれしくかざはなさんのソウル事情に耳を傾けた。酔っぱらって何を話したかアルツ君なので忘れてしまったが、4時間べらべらしゃべりまくってしまった。(かざはなさんが高校生の時、キャンプファイヤーに飛び込んで死んだ学生の話しは覚えてる)怖そうそう、ほしそら先生のパートナーの041先生は素晴らしく人間のできた方で、人情のある方だという点で私とかざはなさんは一致した。ほしそら先生のことではない。ウソ^^:ことしはぜひ、水原でお会いしたいと思う。いや、カルビを奢れとは言ってませんが。 ( ̄皿 ̄)告白 ※かざはなさんはお酒が強いです。ん?日本語的にはお酒に強い?か。
January 20, 2007
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見たことのあるイノシシのイラストでいっぱいのブログ見つけちゃいました!と、友人のコピーライターからメールが来た。私のブログはどこで書いてるのかも秘密にしているのに、包囲網はどんどんせばめられていく。イラストで足がつくかもとは思っていたがすでにビオシン、横浜の妹、そして今回のコピーライターと、3人にばれてしまった。ああ恥ずかしい。さて人間半世紀もやってくるといろんな制度疲労がおこることがこの一年でよ~くわかった。「アジョシは体が弱いのか?」なんて言われたりもしたがそんなことはない。特になんの問題もなく中年をやりすごしてきた。この一年は、ハイ!胃の検査だ腸の検査だ腰の手術だと、いろんな医者に体中のぞかれてほとほと老人のようになってしまった。そしてこの正月、私はまた!生まれて初めて “胃が痛い!!”という経験をした。厳密にいうと20歳の頃、「恋の三角定規」にはさまれてゲッソリやせたことがあったが(49kg)、そんな夢のような楽しい時期はすっかりミアリ峠の向こうに連れていかれてしまった。話しもどって、正月早々胃が痛くなったのは友人teraに言わせると「大阪・鶴橋でオネーチャンとバカづらこいて酒かっくらってたからだろう」という身もふたもない半分は事実、残りシクシク痛いのは私。恥ずかしながらまたぞろ病院を訪ねた。結果は胃が荒れているだけですねということなのだが、どうやら私の体内には ピロリちゃん が住んでるらしいなんじゃそのピロリとは?(勝手に調べてください)いつのまにそんな奴が私の体内にまぎれこんだのだろう。北の共和国の新たなテロか。オットッケー!一節には胃カメラから進入するケースもあるという。ふ~む。ピロリ菌は増える?とガンの原因にもなるらしいが、胃潰瘍!!と診断されないと治療に保険は適用されないらしい。知ってましたか?つまり、いるかどうか検査するのも、治療するのも自由診療になるのだそうだ。そんなん払えっこないじゃん。保険証きいても高いってのに。ということでピロリちゃんとはしばらく同居することにする。こんな子だったら同居もいいんだけど。 ピロリ倶楽部No.26 シムナちゃん
January 17, 2007
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私には友だちというにははばかられる年上の友人がいる。むかし通っていた韓国語市民講座の同級生Oさん(70歳すぎ)だ。私ヤンパや、このブログにも登場するビオシンの間で「ジイ」と呼ばれているOさんは、実は若い頃共同通信でならした元記者さんである。つまり、あの 黒田勝弘氏(現サンケイソウル支局長)の元同僚なのだ。そのジイからことしも年賀状が届いたのだが、その一週間後もう一枚ハガキが届いた。たどたどしいメールアドレスが書かれてあり、メールをいただければジイの韓国旅行のエッセイを送る、とのことだった。私はさっそくメールを送った。どうやらジイは苦手なコンピュータを克服したようだった。すると、 「あと2、3分で送ります」( ̄∇ ̄)というご丁寧なメールの後に昨年10月の旅行記を送ってきた。読んでみたらなんのことはない、私と1ヶ月違いであの順天の楽安邑城民俗村にも旅行していた。(ジイは宿泊はしなかったようだ)ジイは実は国民学校のとき終戦を迎えて、友だちたちと泣く泣く別れて引き揚げた記憶があるソウル出身者だ。旅行記には民俗村の様子と、小さいころソウル周辺で体験した記憶とが重なって感慨深かった様子が書かれていた。私も以前ジイに昔の色あせたソウルの写真を見せてもらった記憶がある。ソウル駅前か、確か朝鮮族独特の白い(たぶん)衣裳のおばあさんと子どもがモノクロで写っていた。私の旅とジイの旅ではかくもこころの侵食度にかなり大きなひらきがあるのだ。その思いを考えるだけでも何かジンとするものがある。彼もたどたどしい韓国語で3~4000ウォンの旅館に泊まり旅をしていた。いい年しておもろいじいさんだ。あやかりたいものである。そして案の定、K氏(たぶん黒田勝弘氏)とソウルで二晩も飲んだくれていた。「お互い年をとったのう」と江原道料理などつつきながら酔っぱらったようだ。そして笑ってしまったのはこのヤンパと同様、ひとり旅の途中で酒のつまみにオジンオ(いか)を頼んだら、スルメが出てきてびっくりしていたのだった。例の 「マルンオジンオ」である。韓国主婦の友アジョッシ、ヤンパ と 国民学校ハラボジ、ジイ。やってることは全く同じなのであった。
January 14, 2007
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昨年11月のベトナム・ハノイでのノムヒョン大統領との会談を思い出している私(安倍)。ノム「おお、アンニョンハセヨ、おひさしぶりです」アベ「初めましてではないですな^^、大統領お元気で…」ノム「この国の食事は口に合いましたか?私はあのポーがどうもねえ」アベ「ポーではないのですよ、フォーです。濁らないの。」ノム「そうそう、そのポー」アベ「……まいいや、、、ん?やはりお顔がりりしくなられましたね」ノム「いやお恥ずかしい。ミスターアベもその目の隈、いじってみますか?いい店が…」アベ「いや大統領それには及びません。武士には一分というものがございまして…」ノム「またMUSAですか、ニッポンジンは武士がお好きですなあ。チムタクですか?」アベ「キムタクです。トリ煮てどうすんですか。ところで今日は?」ノム「ふむ、本題に入ってよろしいかな、その…東海(トンヘ)の呼称について…」アベ「チャムカン!大統領、この席上でそれはちょっと、学識会議もすすんでますし…」ノム「いや、非公式じゃよ君と僕との間の。」アベ「ブッシュとコイズミじゃないんだから」ノム「こういうのどう“平和の海”?」アベ「平和の海に核ぶちこまれてどーすんですか?」ノム「じゃさ、“友好の海”なんか素敵じゃない?」アベ「間に竹島あるっていうのに?」ノム「あれは独島(トクト)。何回言ったらわかるの!!」アベ「ほら、友好じゃなくなってる。」ノム「は~キガマッキョ。ではぐっと高尚に“和解の海”なんつーのオッテ?」アベ「オッテ?じゃねーだろ、ここは折って世界の常識を受けとめてくれよ。」 「いや、言葉が過ぎ申した。by渡辺謙。」ノム「いやあパンマルが出ると私もやりやすくなるというものだよ」 「言葉置きますか?」アベ「意味わかんねー」ノム「日本もそろそろ韓国を見習うべきでは?」アベ「確かにお互いレームダックなんて言われてますものね~、どうします大統領。」ノム「ソウルの清渓川の親水公園を日本橋に応用してカモ浮かべたりして…」アベ「聞いてないなこの人。。。私たちプルート(冥王星=惑星を降格)なんて言われちゃいますよ、そのうち!」ノム「マッタ。^^プルートよりグーフィーに似てると言われてるんだワシ。」 「ああ、ロッテワールドが4ヶ月も休業なんだよ。孫と遊びに行けないがな。」アベ「あそこにグーフィーはいませんて。」金正男「僕さあ、東京で行けなかったからソウルで遊ぼうかなぁ」アベ「出たあ!マサヤン。あんたこんどこそ確保だよ。」ノム「誰?この人?孝子洞の床屋?」アベ「おっさんプルートだわ、本物の。」韓国語がわからないと、ようわからんジョークでした。
January 10, 2007
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ニューヨークでは記録的なあたたかさが続いてニュースでは半そでの人々が歩いている。雪がまだいちども降っていないそうだ。こちらはようやく冬らしい景色になってきた。今朝は吹雪。きょうは一日寒気で荒れるようだ。ということで昨晩は寒かったのでうどんにしてみた。大阪黒門市場で買ったえごまの葉のキムチのヤンニョムと、コチュジャン、テンメンジャン、自家製日本のみそで玉ねぎとひき肉を甘辛くじっくり炒めて、野菜を煮込んだ鍋に投入。コチュカルで辛さを加えつつ、ついでにすっぱくなったキムチも入れて仕上げに三つ葉をパラパラ。 なんちゃって韓国風うどん 「あたしゃ辛いのは喰えないからね」と言っていたバァーサンもとい母が一番食べてるってのはご愛嬌?きょうの昼はもちろんぞうすいです。
January 7, 2007
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昨年末の大阪行きのことをもうちょっと補足。実は楽天!韓国のブログ仲間、らんまる氏とカンノっ子さんとお会いするほかに、もうふたりかわいい女の子と会う予定で大阪に行ったのだ。どこまでも厚かましいオッサンである。ふたりは韓国・春川でのプチ留学のときの同級生、ポン・スニとえりちゃんである。兵庫と大阪で働いている。今回は1年半ぶりの再会となった。楽天仲間と会った翌日、ふたりと待ちあわせる前に、どえらくヒマだったので初めての大阪城へ。 寒風吹きすさぶ巨大な大阪城公園に聞こえるのは、 (; ̄□ ̄(((((「ハナ、トゥル、セ~!」と、記念撮影する韓国人たちの明るい声ばかり。それも団体ではなく、2~3人の小グループばかりだ。 ウエグレェ~~~!!!ここは君たちのご先祖様から代々忌み嫌われている秀吉公のお住まいだったとこぞよ。(韓国にハゲ山が多いのは秀吉が焼き払ったと本気で思ってる人も多い)ミッチゲッソ!の城跡ムニダ。アラッチ?と聞けるわけもなく鼻水垂らして歩く安倍晋三ひとり。見回してみるとその比率韓国人40%、中国人40%、インドネシアだか、ベトナムだか、アルジャジーラみたいのが10%。あとは地元のジジイもとい、常連のじいさんたちばかりである。私のような田舎から来ました!まさかお城が年末で閉館しているとは知りませんでした!みたいな日本人オッサンは皆無である。(三河の住人さんみたいな城マニアの青年がひとりバシバシ写真撮っていましたが)さて気を取り直して大阪の庶民の台所、黒門市場へ。いやあぎょーさん人がいました。しかもマグロも高い!フグも高い!あとでテレビを見たら正月食品5万買いました、10万買いました。って人がたくさんいたけど、大阪人も年末はサイフの紐がゆるいのか? 私はここでついにオモニのなんとかっていう店で「エゴマの葉のキムチ」をゲット!!今も毎朝食べてます。(実は高かったT_T)夜になってスニちゃんえりちゃんと感激の再会。注)関西弁はアジョシがテキトーにつけてます。^^ ヤン「どこに行こうか?」 ←ふところがヒジョーに心配。 スニ「鶴橋にしいへん?私ここんとこ肉食ってないもん」 えり「ええんやない?ひっさしぶりやわあ。行こ行こ」 ヤン「あのさ、昨日鶴橋でホルモン喰ったんだよね~」 ←こころ汗でまくり。 スニ「そうなん?まっ韓国料理でもええし、店も知ってるし」 えり「チゲとかでもええよ、チャプチェもあるしな」 ヤン「そだね。チョッパルでも食べようか?」←安くあげなあかんねん。(なぜか関西弁)ということで昨晩見慣れた鶴橋へ。ところが…店がほとんど閉まってる!!!年末で早じまいしちゃったようだ。3人であちこち探すも、お目当ての韓国オモニの店はない。 スニ「ここええん ちゃう?」 えり「しゃないな」 アイゴー!焼き肉店 一力じゃんかー!! ( ̄∧ ̄#)ということでガツガツ喰らう、えりとスニ。イーッシ。 おまけにえりちゃんに「アジョッシ、安倍晋三より目の隈、小さいやん」などと言われる始末。さらに梅田の東通り?に流れてお好み焼きでガフガフ。そろそろお開きか?いやサイフも開いてしまったが。大阪駅へ行くとすでに終電もなし。タクシー乗場へ向かった。私の泊まっていたホテルは確か午前1時までに帰ってくださいと書いてあったような気がしたので電話を入れる。 ヤン「じきに着きますのでお願いします」 スニ「あたしもアジョシのホテルに泊まるわ」スニは西宮。 へっ??いや…アジョッシ心の準備もできてないし、そんなお酒が入っているからってダイタンな、いや僕はいいけど、君はええん?(かなり狼狽して意味不明)ふたりで仲良くチェックイン。しかも同じ階。 ヤン「ビールでも飲む?」 ←この期に及んでまだ酒でだます? スニ「うんええよ」ホテルの一室。かなり話し込んで午前2時半。スニの顔が紅潮。目もトロン。体もゆらゆら揺れてきた。ええんか?ええんか?知らんぞワシ。(この時点で椎間板は忘却のかなた)スニが口を開いた。「眠ム!帰って寝るわ」 (;゚Д゚) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・大阪淀川下町ホテル♪私は息子チャリの弁当を気にすることなく爆睡したのであった。
January 5, 2007
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きのうは元旦とは思えないあたたかな日だったので、めずらしく初詣なんかに行ってみた。お寺も化粧して青空に映えている。カメラを下に向けると“しもじも”^^は押しあいへしあいだ。ロープ規制されていて本堂には限られた人数しか入れない。これでもいつもより少ないほうかな。全国はどうだったのだろう。帰りがけに小さな動物園を抜ける。1つ100円の「猿の餌」を買って与えてみた。小猿たちは大人の迫力に負けてなかなか口にできないようだった。私たち人間社会は子どもたちに優しい社会でありたいと思う。(ここ数年、虐待!に怒り心頭なので)さてことしも50数パーセント代の記入率で日記がかけるかな。かざはなさんには褒められそうだ。( ̄~ ̄ みなさんにも幸多い年でありますように。
January 2, 2007
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