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って、タイトルを付けてみました。普段は、根岸あたりの呑み屋で飲んで、仕事の話や人の話をして盛り上がっている仲間たち・・・プラスで増えて、男女総勢5人が参加することとなり。まず、向かったのは江ノ電・七里ヶ浜駅から急な坂道を登って辿り着く、イタリアンの店 アマルフィ・デラ・セーラです。このツアー、「恒例」なんて書きましたが。昨年は震災の影響もあって?やっていません。湘南のしらすは1月から3月がダメ、禁漁期間なので・・この時期は遅いツアー開催と相成りました。この日は、前日からの雨が残り、何ともサエナイ午前中でした。それでも三連休の真ん中の一日です。鎌倉駅から乗った江ノ電は、大変な混みあい方。長谷駅でかなりの方々が降りましたが、それでも七里ヶ浜駅まで混みあったままの電車で辿り着きました。 七里ヶ浜駅を降りて、国道134号線、その向こうの湘南海岸を臨む行合橋をのぞんでいます。 ♪サザンの歌♪ここから江ノ電線路沿いにしばらく歩き、線路を歩いて渡って、急な階段を登るとお店に着きます。 もう幾度か着ていますが、このツアーの始まりは、いつもここです。遅れて着いたメンバーもいるので、初対面の挨拶を含めて、皆、再会を確かめ合いながら和気藹々と会話が始まります。 集合が午後二時でしたが、7組ほど先に着いて入店待ちのお客さんたちがいたので、私たちが入ったのがもう三時になろうとする頃でした。それから、飲み物や食べ物を注文します。この日は最高気温が9℃だそうです。オープンエア・イタリアン店、小高い丘の上のお店はふきっさらしの冷たい風が抜けていきます。 飲み物は、スパークリングワインのボトルにしました。その後は、ビールやカクテルも含めてあれこれ それぞれ飲みましたが、最後にはホット・ワインという生まれて初めていただく飲み物にしました。 料理は、イタリアン・・あれこれ注文しましたです。これはペンネですかネ。 ここのメインはやはりピッザです。気取らないイタリアン・・ということで五人は、瞬く間に二枚のピッザを平らげました。飲んで、食べて・・・店を出る頃には、湘南の海はもうタソガレ。134号線を行き交うクルマのライトが点灯していました。 急な坂道を、酔った後で下るのは慎重に降りなくてはなりません。何とか五人とも無事に下りました。そして、腰越にある「しらすや」をめざします。 134号線を歩いて、向かいます。 とっぷり、陽の暮れた134号線。これは鎌倉高校前駅付近です。藤沢行き江ノ電のライトも、何処か哀愁がありませんか?腰越、源義経の腰越状で有名な満福寺の前辺りにある「しらすや」に着くと、お店は午後五時まで、もう閉店です・・ヘイテンって、私らしらす食べに来たのに!新しいお店が出来ていますので、そちらへどうぞ!と案内を聞き。歩き始めたのですが、見当たらない。もう一度、二度とお店に電話して、やっと見つけたのは134号線に面した、腰越漁港前の一見ファミレス風 『網元勘浜丸直営 地魚料理「しらすや」』です。ここなら、ドライブがてら立ち寄ることも出来るじゃん。などと語り合いながら、店に入ります。店の名は少し変わりましたが、メニューはほとんど前の店同様です。 五人で、しらすずくし定食(1700円)二人前と、飲み物はしらすのたたみが入った熱燗、刺身はカワハギを注文しました。 この刺身が美味しかったですネ。ここの定番は、しらす丼(800円)のようで、同じ時間帯、夕食を食べに見えていた方々の多くが食べておられましたネ。さて、我ら御一行は、この後近くのカラオケに潜り込み・・・さらに私はそれで帰宅しましたが、後の御仁は藤沢のBARへ行ったようです。深まりゆく秋、湘南の味を満喫した一日でした。 《撮影期日 2012年11月24日(土)午後》
2012年11月26日
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大和の骨董市へ行ってきました。 大和、大和市というのは神奈川県のほぼ中央にある街です。人口約23万人 特例市だそうです。 大和駅は、相鉄線で横浜駅へも行くことができますが、小田急線で新宿まで行くことができます。 あっしとのゆかりという意味では、この四月から、あっしが週3日働きで出かけている街なのです。 この骨董市は、正式には「やまとプロムナード 古民具骨董市」というようです。大和駅を降りてすぐ、東西のプロムナードに200以上(この日は300軒と言っていました)の店舗が出店しています。 毎月、第3土曜日朝6:00から16:00まで市が開かれています。 この大和で骨董市が開かれていることなど、あっしはマッタク知りませんでした。骨董市。知らなかったですが、関東だけでもあちこちの街で開催されているのですね。また、この大和の骨董市には地元ばかりでなく東京や埼玉、千葉、さらに福井や京都からも出店されているようです。 遠くの方々は、真夜中に大和に到着してセッティングを開始し、朝六時から市が始まるのだそうです。この日は、朝七時に家を出て、この秋不義理していた赤羽の墓参りを済ませました。赤羽台を出て大和へ向かう道すがら(これが東名での事故渋滞や行楽のクルマで環8が渋滞)、車内でFMヨコハマを聞いていると・・・番組「FUTURESCAPE」小山薫堂さんと柳井麻希さんが、ナント 大和の骨董市で特設スタジオを開いて公開生放送中・・だそうです。こっちも大和へ向かうところ・・・番組が11:00までなので、間に合うか?結局、11:00には大和に着きませんでした。だいぶ過ぎてから、駅前の駐車場にクルマを入れ、骨董市の会場へ行くと!なんと、まだ特設スタジオはあるではないですか!あるだけでなく、小山さんや柳井さんがそこに居るではないですか! この日は、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんも出演だったのですが・・さすがにいらっしゃらなかった。 その代わりと言ってはシツレイ・・レポーターの穂積ユタカさんが居ました。 スタジオ裏で、気さくにシャッターに納まってくれた、ホズミンこと 穂積さんです。 人も骨董・・・なんて言わないでくださいョ 骨董市というより、古民具というヒビキにヨメは惹かれたようです。でも、大してないんじゃ?行く前は、そんなこと言ってたのですが。とんでもない店舗数に圧倒されっぱなし!「こりゃ、スゴイ!」を連発していました。なんていっても、京都へ行こうが、高山へ行こうが、まず行きたいところは古民具やさん。そんなヨメなのです。 客たちは、気に入った品があると、店主とテキトーに値段交渉・・・ ホトンドの方々が満足げに買い物をしていました。骨董、趣味が高じて・・・ビンボーに!まあ、あっしはそこまで足を突っ込まない、ツモリですけどネ うちのヨメは、茶道具を物色したかったようです。しかし、これだけ多くの店が立ち並ぶ市では目移りが激しかったようです。やや消化不良気味なまま時間は過ぎ。帰宅のころとなりました。「また来ようネ」、ヨメの声を残して、大和を去りました。 《撮影期日 2012年10月20日(土) 撮影場所 神奈川県大和市、大和駅周辺》
2012年10月24日
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横浜でも、昼間の最高温度が10℃を超えない日はやはり寒いですね。ここ数日、続いていますし・・・向こう一週間の予報も10℃を超える事がないようです。厳しい寒さのこの時期、今日はうちの次男坊の誕生日。あーあ、あいつは寒い時期に生まれたんだな・・・29年前。病院で産まれるのを待っている間、廊下でそうだ寒い思いをしたんだな・・・今じゃ、デカくなりやがって!そんな記憶が過ぎります。さて、クルマで鎌倉へ出かけたのはもう先週のことになります。ヨメが、この時期に咲く花としては好きな「蝋梅(ろうばい)」を観に行きたい。と言い出して、探してきたのが鎌倉は長谷にある光則寺です。 日蓮宗のこのお寺、それほど大きなお寺ではありませんし、有名でもないですね。でも、鎌倉では花で有名なお寺だそうです。 日蓮聖人が佐渡へ流された折、弟子である日朗上人は執権 北条時頼の家臣 宿谷光則の屋敷に捕らわれの身となりました。が、やがて光則は日朗上人に帰依し、その屋敷を光則寺としたのだそうです。 庭の蝋梅です。 日曜の朝、八時過ぎです。長谷のお寺にはうちの夫婦以外、ほとんど人影はありません。 寒さの中、凜と咲く蝋梅の花です。いかがでしょうか。さて、せっかく来た寒中の鎌倉。もう一か所くらい寄っていこう・・・鎌倉の花の寺といえば・・・ そうだ!瑞泉寺へ! 光則寺が鎌倉の中心地から西南の方向だとすると、瑞泉寺は鎌倉中心地の北東に位置します。鎌倉の街並みをイッキに突っ切って、二階堂の奥にある瑞泉寺へ向かいます。「岐れ路」を鎌倉宮へ向かい、鎌倉宮の前を右折、細い道を行くとテニスクラブが左にあります。この辺りは永福寺(ようふくじ)跡といい、かって大きな寺院があったところです。さららに進むと、道はさらに細くなり瑞泉寺に辿り着きます。 瑞泉寺の山門。臨済宗円覚寺派のお寺、錦塀山瑞泉寺です。 このお寺は、鎌倉時代より文学や学問とのゆかりの深いお寺です。境内の内外には様々な石碑があります。また、鎌倉随一の花の寺としても知られています。裏手に山が迫り、一層、古寺の風情を醸し出しています。 本堂裏手の庭園は、夢想疎石が作庭したと云われる禅宗様庭園です。 あっしが記憶にある、初めてこの寺を訪れたのは15歳の春、高校受験が無事に終わり、母に連れられて来たのを覚えています・・・ 花の寺、この時期はスイセン、ですね。赤いナンテンも見えます。久しぶりに訪れた瑞泉寺も半世紀、約50年前となんら変わらぬ風景と風情であっしとヨメを迎えてくれました。やはり、鎌倉のお寺はいいですね~ 《撮影日:2012年1月8日 カメラ:オリンパスμ830》
2012年01月16日
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もう暦の上では九月も中旬なのに、暑い日が毎日 続いています。台風も二つきています。その昼下がり、愛車を走らせ、磯子から入った首都高は京橋出口を出て。昭和通りから日本橋、タカシマヤ辺りへ左折します。コインパーキングに車を止めて、 日本橋の中央通りです。先の方向は銀座通りになりますね。左がタカシマヤ、右は丸善本店になります。日本橋が基点になる五街道の一つ、東海道。日本橋からおよそ330mの地点です。なぜ、日本橋まで来たかというと、ギャラリー ここは「壷中居(こちゅうきょ)」の展示を見に来ました。 これは、開店直前の様子ですが、間もなく開店しました。」東京・日本橋のこの辺りは、こうしたギャラリーや古美術商のような店舗が、けっこうありますね。 壷中居、店名の由来です。 中国の漢書に「壺中の天」という故事があります。 時は後漢、費長房という男が街中で、ある薬売りの老人に出会う。その老人は、店をしまうと店頭に掛けてあった壺の中にすうっと入ってしまった。この不思議な光景を見た男は老人に頼み、自分も壺の中に入ってみることにした。するとそこは俗界を離れた、まさに仙境であった。男は暫し俗世を忘れ、共に酒を飲んで壺の外へと出てきた。 「壺中の天」今日これは別天地、別世界を意味する言葉となっております。都会の喧噪を忘れ、静かにゆっくり古美術と対話する。 壺中居は美術を愛する方々にとって、そんな別天地でありたいと願っております。 ちなみに、今回の展示は細川護熙展でありました。陶芸と書の展示がありました。一通り、見終わって、車に戻ります。ヨメが目指すは人形町、甘酒横丁です。 甘酒横丁。甘酒屋さんがあったかどうか、記憶はないのですが・・・ とにかく、「おいしいもん」いっぱい、歴史と伝統溢れる街。そんな呼び方がぴったりの街並みです。 このお店は「鳥忠(とりただ)」、秘伝だしの入った「たまご焼き」が超人気とかで、ヨメはよそへあげる分まで沢山 買い求めていました。 これはちょっと路地を入ったところにある、会席料理の「今半」です。 ここは「岩井つづら店」。昭和初期には全国に250店舗あった、つづら屋さんは、東京に今は2店舗しかないそうです。つづらは、軽くて丈夫、通気性もよく防虫効果に優れた・・・といってもなぁ。何処で使っているのだろうか・・・人形町から、大川・・・隅田川に近いところに浜町公園があります。ここは江戸時代、熊本藩主・細川家下屋敷があったところ。明治時代には細川家の邸宅だったところを、関東大震災の復興緑地として緑化したそうです。 この日は、細川の殿様と縁の深い一日となりました。そして、人形町のシンボルでもある明治座です。 入ったわけではありませんが。この日も、ちょうど開演時間にあたったようでバスで電車で到着した、多くの方々が明治座の中へ吸い込まれていく様子をみました。暑いアツイ、九月の東京プチお散歩でした。 《撮影日:2011年9月17日 カメラ:オリンパスμ830&iPhone4》
2011年09月19日
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台風六号が過ぎ去ると、なにやら、この間までの真夏が恋しくなるような めっきり秋の風情。朝晩は、涼しいくらいの日になりました。 土曜日の朝、東京・南青山にある根津美術館が開館する時刻にあわせて、家を出ました。首都高は順調に通過できていきます。高樹町のランプを降りて、右折するといわゆる骨董通り、最初の信号を右折すればブルーノートTOKYOやフェラーリ車を展示するロッソスクーデリアのショールームがあり、そのお隣が根津美術館になります。 東武鉄道の社長などを努めた初代・根津嘉一郎が蒐集した日本・東洋などの美術品を収蔵・展示する根津美術館。 開館が昭和16年といいますから戦争が始まる頃から、ここ南青山の地で美術館を続けてきたことになります。その間、戦争による休止や空襲による建物の焼失もあったそうですが、そうした苦難を乗り越え、昭和21年から展覧会活動を再開して今日に至っています。 現在のこの建物は、建築家・隈研吾氏の設計によるもので 平成21年2月に完成しています。現在開催中のコレクション展は「小筆切(こひつぎれ)~ともに楽しむために」です。また展示室6では、盛夏の茶会にふさわしい「涼みの茶(茶道具)」が展示されています。 いつもながら思いますが、敷地が都心・南青山にある美術館と思えない敷地全体 そして庭園の趣です。 南青山のこの地は、江戸時代、河内丹南藩主高木主水正の邸があったところです。この高木主水正は、初代高木正次以降、十六代にわたって丹南藩(現在の大阪府松原市あたり)を治めました。正次は徳川家康直参の家臣、十六神将に数えられた人物だそうです。 明治時代になると、鈴木大亮邸や河野政次郎邸に並んで根津邸が建てられています。 ここに隣接するお寺 長谷寺は、曹洞宗永平寺の別院、江戸時代から続く古刹です。しかし、往復に首都高を利用しますが・・・わが愛車B4はエアコン付けて よく走りますし、気持ちよくコーナーをパスしていきます。実に気持ちのいいアイボーです。 《撮影 2011年7月23日 カメラ:オリンパスμ830》
2011年07月24日
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退院、ついでに・・・もう一日、休ませていただき・・・体慣らしを兼ねて、出かけました。わが家から南へ。三浦半島です。まずは、日帰り入浴の出来る処へ・・・ 一度行って見たかった「ソレイユの丘」です。ソレイユの丘は、半島の西側、相模湾に面した側。林のロータリーから三崎へ向かって、荒崎が近くのあるあたりにあります。 天気も悪かった・・・ イマイチ、コンセプトが解りにくいのですが・・・別名「長井海の手公園」というそうです。キャッチコピーは「南仏、プロヴァンス地方の香り漂う緑の丘」、だそうです。この日は、天気がよくないこともあったので、「丘」は解るのですが、どこが「南仏」なのか解らず終いで早々に退散しました。 あっ!「海と夕日の湯」は入浴料、大人600円。これにはしっかり浸かってきました。 ソレイユの丘から、クルマで20分ちょっと、さらに南下しますと。三崎港のある三崎町に着きます。これは駐車もした、三崎市民ホール、別名「三崎フィッシャリーナ・ウォーフ」、さらに別名「うらり」といいます。 これが三崎港の漁協岸壁ですかね。向こう岸は城ヶ島です。 丁度、お昼時です。今日の昼食は、ここ。「うらり」の目の前、寿し「たち吉」にしました。 ここは、漁港産直の海鮮ものがウリです。 あっしはコレ、「本まぐろ・づけ丼」1700円なり、です。 そして、ヨメは極上のまぐろお好みにぎりを三貫、食べていました。 ここで食べるマグロは、北大西洋で獲れたマグロだそうです。国際的な環境が厳しくなる今日この頃、複雑な思いはありますが、ここまでになってしまえば、後は食べるしかありません。美味しく食べました。もう少し、三崎でぶらぶらと思っていたら、城ヶ島へ渡る船が目の前に泊まっていました。片道、大人一人200円という値段に驚きながら、さっと乗ってしまいました。 この方が、この渡船の船長さんですかね。 そして、この船です。白秋号というのですか。渡船で渡る島への海路です。といっても、城ヶ島までほんの数分の船旅です。 船は出てゆく・・・汽笛は(しませんが)・・・ 「うらり」が遠ざかっていきます。 城ヶ島は、三浦半島の最南端にある自然島です。周囲は約4Kmあるそうです。東西に長い島は、そのまま三崎港の自然の防波堤の役割を果たしているそうで、台風など自然の力が削り取った海岸の奇妙な岩礁があります。といって、城ヶ島。北原白秋の歌、「城ヶ島の雨」の碑はありましたが、船の着いた場所から歩くとややあるので、止めにしました。その程度に魅力的な島です。 望遠で眺めた、城ヶ島の灯台のある埠頭です。 三浦半島は、最南端の城ヶ島まで下る 約半日のお散歩でした。《撮影場所 三浦半島、ソレイユの丘~三崎港・城ヶ島》 《撮影日 2011年3月3日》 《カメラ:OLYMPUSμ830&PENTAX K-x》
2011年03月03日
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お正月休みも三日目となりました。昨夜は、いつもの仲間が今度は新年会と称して、集まり大いに語り、大いに飲みました・・・今朝起きると、ヨメが「蝋梅(ロウバイ)が観たい・・・」って急に言うのです。蝋梅?ロウバイ? 少しウンチク・・・ ふつうの梅は、バラ科サクラ属・・・ですが、蝋梅はロウバイ科ロウバイ属・・・ですって。そんなもん・・・何処に咲いてるの?・・・あちこち調べてみましたが、行ってみる価値が見出せません。そこで、行ってみようと決めたのが東京・調布市にある「神代(じんだい)植物公園」なるところです。 クルマで、わが家から90分くらいのところです。 ってんで、朝八時に家を出て、第三京浜・環状八号経由で向かったのは神代植物公園です。 深大寺(じんだいじ)、浮岳山深大寺に隣接する神代植物公園です。冬の青空の下、神代植物公園です。 ここは都立唯一の植物公園です。48.7万平米あるという敷地はやはり相当に広いですね。 都立の公園ですが、1月2日から開園していることには感心しました。 ここは戦前、都心街路樹造成の為の神代緑地が作られ、1961年に植物公園が開園したそうです。 ですので、あちこちに武蔵野の面影を映す景色が残されています。 こんな風景の中を歩いて進みます。 そうだ、蝋梅・・・ですが。まずは梅です。今年、お初の梅です。さすがにここでは一部咲きといった風情ですかね。 この時期に咲くのは蝋梅です。冬の寒さを感じる頃に、いい香りをもたらす蝋梅が好まれる所以でしょう。 そして、そして蝋梅(ろうばい)です。 蝋梅にも、幾つか種類があるようです。ソシンロウバイとか、マンゲツロウバイとか・・・ ボーエンで写すと・・・梅の花より、もっと香りのある蝋梅です。 蝋梅は最も簡単に育てられる木のようですが、種に有毒が含まれることがやや敬遠される根拠なのかも知れません。 植物公園のほんの一角が梅のエリアで、しかも蝋梅はほんの数本があるだけでした。 いかにも武蔵野の面影を感じさせる小道です。園内には、こんな風景があちこちに・・・ どうせ来たので、少し園内を散策・・・ ここはバラ園、ずっと向こうは大温室だそうです。時期が違うので、ちっともその気にならない、バラ園です。 ここのバラ園は5,100株あるそうで、都内最大のバラ園だそうです。 バラ園の噴水があまりに美しかったので、ついパチリ。逆光でしたけど・・・ 園内では、新春コンサートが開催されていました。女性お二人による、お琴とマリンバの共演でした。期せず訪れた公園ですが、なかなかこの時期としては見応えのある景色を拝むことができました。 今年も、これから梅、そして桜の季節となるのでしょう・・・ 《撮影:2011年1月3日 カメラ:PENTAX K-x》
2011年01月03日
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師走29日、家の事もそこそこにヨメとお昼食べにわが家からクルマで45分ほど 鎌倉山・らい亭(?亭)へ行ってきました。小高い閑静な鎌倉山にひっそり佇む?亭です。 一度行きたいと思いながら、なかなか辿り着かなかった?亭であります。 JR大船駅から湘南モノレールの下の道を江ノ島に向かって進みます。鎌倉山のバス停とロータリーを左に曲がり、鎌倉山の高級邸宅街をしばらく進むと?亭の山門が見えてきます。 《パンフ文より》 ここは昭和の初めに日本最初の分譲別荘地として開発されました。山門はその折に、1642年鎌倉西御門の古刹寿延山高松寺に建立されたものを移築したものです。 1969年から、今のような料亭となったそうです。 この山門から入っていきます。建物は一階と二階があって、二階は予約席だけのようです。 この建物には、国内で初めて焼かれたステンドグラスや明治時代のシャンデリアが現在もそのまま使われている、クラッシックな趣きです。 お店の方は着物を着て応対していただきました。ここの窓からは、相模湾の向こうに箱根山そして富士山を見ることができます。 遅いながらも、御昼を食べに来たので。お蕎麦を注文しました。これは天ぷら蕎麦です。 これが、おろし蕎麦です。 お蕎麦は、食べやすいほどによく打たれたお蕎麦でした。 午後の西日があたって、ハレーションしています(スミマセン)。ここ?亭のお蕎麦は、北海道十勝産だそうです。お蕎麦以外に、季節弁当(3675円)や小会席(3990円)、そして会席四季膳(6300円)も食べられるようです。食後、会計を済ませて、お目当ての回遊式庭園へ出てみます。 ここは標高が約60mくらいあるそうで、眺めはいいですね。この建物は八角堂だそうです。 庭の広さは約50,000平米あるそうです。 そして、これは茶室「月庵」です。月に三回くらい茶会が開かれている、とパンフには書いてありました。 高低差のある小道を下っていくと、そこは竹林です。 ここの庭は、石仏や石塔、そして四季折々の木花を見ることができるそうです。 この竹林の中には、小さな滝もありました。鎌倉山・?亭。お蕎麦と庭園を愉しむことができる、意外なお店です。なかなか結構でございました。 《撮影 2010年12月29日 カメラ:OLYMPUSμ830》
2010年12月30日
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小石川後楽園からクルマで移動して、六義園(りくぎえん)へ向かいます。文京区本駒込六丁目の都立六義園です。 不忍通り側にクルマを止め、歩いて園内へ向かいます。正門を入ってすぐ、こんなステキな風景の門がありました。 ここは、ご存知の方も多いと思いますが、徳川五代将軍・綱吉の側用人・柳沢吉保が自分の下屋敷として造営した大名庭園ですね。 上野国・館林藩主だった綱吉に重用された吉保。元禄時代の大老として大活躍したのですが・・・なぜか敵役として描かれることが多いですね。 吉保は、この土地を加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領し、約2万7千坪の平らな土地を土を盛って丘を築き、千川上水を引き入れて池を作り、7年の歳月をかけてこの回遊式築山泉水庭園を作ったそうです。 「六義」とは、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた和歌の六つの基調をさしているそうです。和歌にも詳しかった柳沢吉保が、古今和歌集の和歌が詠うままに庭園として再現したかった。ということで、吉保自身が建物の設計に加わったと記されています。 元禄15年に庭園と下屋敷が出来上がると、以降将軍綱吉のお成りが頻繁にあったようで、記録に残されただけで58回もあるそうです。 吉保の次の代で柳沢家は大和郡山へ転封となりますが、六義園は幕末まで、柳沢家の下屋敷として使われ続けたそうです。 明治の初年には、三菱財閥の創業者あの岩崎弥太郎が六義園を購入します。 その後は、関東大震災による被災もほとんどなく、昭和13年に東京市に寄贈され一般公開されるに至ったそうです。 幸いにして、東京大空襲の被害も受けず。造園当時の面影を残したまま、今日に至っている六義園は昭和28年に特別名勝に指定されています。 実は六義園で有名なのは、躑躅の花のようで、地元では「駒込といえばツツジの花咲く街」と言われているそうです。また、正門近くの枝垂れ桜もつとに有名です。 しかし、どうしてどうして、紅葉も侮れません。~東京にも紅葉があるという~街中とは思えない静寂 実は、大学時代の友人が本駒込六丁目に住んでいました。そいつに初めて六義園に連れて行ってもらったのは、今から41年も昔のことです。 園内の吹上茶屋では抹茶も頂きました。 群青の天に紅葉や屏風岩~酸漿 六義園は、園路を歩きながら、移り変わる景色を愉しむことができる、繊細で温和な日本庭園です。晴れた空に紅葉が美しい本駒込・六義園です。紅葉を見ながら至福のひと時・・・ もう今年の紅葉も、これで終わりでしょう・・・ 尽きない美しい景色の思い出とともに、六義園を退出しました。 《撮影 2010年12月8日 カメラ:PENTAX K-x》
2010年12月12日
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あーあ、今年の秋、紅葉ももう見れないか・・・ と思い立つと居ても立っても居られません。そうです、何とか紅葉を見に行きたい・・・12月になっても見れる紅葉・・・を探しに出かけました。東京は小石川後楽園と六義園です。まずは小石川後楽園から。 首都高は、あいかわらず天王洲辺りから渋滞、止む無く芝浦で降りて、一般道を行きます。銀座通り、桜田門、九段下、神保町から水道橋駅前を通れば小石川後楽園に着きます。 東京都文京区後楽一丁目にある小石川後楽園です。園内に入って、あっと驚く・・・そうです、あの東京ドームのすぐ隣にありますから。東京ドームの建物が見えます・・・ さあさあ・・・お愉しみの紅葉 をたっぷりと写してきました。 ご覧頂きたいと存じますです。 この都立庭園は、江戸時代初期に水戸徳川家上屋敷内に作られた築山泉水回遊式の日本庭園です。広さは7万平方メートル以上あり、四季を通じて情緒豊かな景色が広がります。 水戸藩ですから、初代藩主徳川頼房が築き、嫡子の徳川光圀が全面改修してこのような姿になったそうです。徳川宗家、三代家光も来訪したそうで、この岩は家光がここから庭を眺めた岩だとか書いてありました。 ここは、国の特別史跡及び特別名勝に指定されているそうですが、岡山の後楽園と区別するため正式には「小石川後楽園」といいます。 1869年(明治2年)に版籍奉還により旧藩主徳川昭武が邸宅とともに新政府に奉還し、その後は陸軍の砲兵工廠が長らくあって、今日では都立公園として一般公開されるに至っています。 小高い清水観音堂跡から渡月橋と云われる橋の辺りを見ています。 通天橋です。 通天橋の紅葉雪崩るる如きかな~細井龍子 この地は、小石川台地の先端部にあたり、神田上水の分流を引き入れて築庭されたそうです。 「後楽」とは、「(士はまさに)天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という中国の教えから来ているそうです。 大泉水のほとり。 水面に映る紅葉・・・ 何も云いません、呆れるほどご堪能ください。 時過ぎて日が落着かぬ冬紅葉~久崎文子 このクルーはNHKテレビの方々。小石川後楽園の紹介を番組収録している現場に遭遇しました。 泉水に映る紅葉を愛でながら後楽園を後にします。そして、クルマで移動・・・六義園へ向かいます。
2010年12月09日
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三溪園へ行ってきました。もう、今年の紅葉も見納めだろうと思って・・・ 横浜の街、今日は横浜マラソン(市民マラソン)があって、本牧市民公園辺りは交通規制が敷かれていました。その間隙を縫って、本牧市民公園側駐車場にクルマを止め、南門から三溪園へ入りました。 三溪園の紅葉は、やはり内苑でしょう。昨夜、NHKテレビの気象情報番組中で「三溪園の紅葉が真っ盛り」と紹介があったそうです(あっしは見ていませんが・・・)。そんな影響もあったのでしょう、三溪園、多くの人が入場していました。 入場した多くの方々がカメラを持って、しかも一眼レフ所持者が多いのです。 多くの方々が、お目当てはここ聴秋閣でしょう。 三溪園の聴秋閣紹介記事からです。 徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物。各部の意匠は独創性・変化に富みますが、書院造としての格や茶亭としての機能に応じて緻密に構成されています。L字型の一段下がった杢板敷きの入口は舟で漕ぎ着ける場を想像させ、当初は水辺に面して建てられたのかもしれません。江戸時代はじめの上流武士階級の風流な文化が伝わります。 この建物は江戸時代の武士 佐久間将監(さくましょうげん)の作と伝わります。小堀遠州(こぼりえんしゅう)と同時代に幕府の造営・修繕に関わる作事方を務めた人物で両者とも茶の湯に深く似た境遇であったため、遠州はライバル的存在であったのかもしれません。この建物から将監の挑戦・意欲が伺えます。 過ぎ行く秋、静かに佇む聴秋閣です。 こうして建物の周りを歩いて移動すると、一歩歩くたびに、見える景色がどんどん変わっていきます。 聴秋閣は、三溪園内苑の中でも小高い丘に近く。その分、こうして高いところから眺めることができるのです。 多分、この角度がベストビューポイントになるのでしょうか・・・ 最後の一枚は、バックの建物は同じ内苑の臨春閣です。 三溪園へ紅葉を見に出かけたこの日は、天気にも恵まれたいい一日でした。 《撮影 2010年12月5日 カメラ:PENTAX K-x》
2010年12月05日
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ちょっと大げさなタイトルにしましたが、11月27日に行った根津美術館の庭園を撮った一枚が余りにも、都心を写したフォトらしからぬ様なので・・・ついつい追加アップします。 一幅の絵のよう・・・と、自分では思っていますが・・・こんなに上手く絵は書けませんので・・・深山幽谷はやや大げさですが・・・ そんな気にさせる風景ではないですかね・・・
2010年11月30日
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あるテレビ番組で観たのですが、標高の高いところの紅葉は「一日」、たった一日しか盛りの風景は観れない・・・そうです。そんな紅葉を求めて・・・出かけたいと思ったのですが・・・昨夜は高校同期会の飲み会があって、ワイン、赤ワインをシコタマ飲んだ。お陰で頭が痛い・・・。ヨメは、それなら根津美術館へ行こうと言う。観たい展示があるそうな・・・ 家を出て・・・ 都心部へ入ると首都高が混雑していたので芝浦で降りて、赤羽橋~六本木~乃木坂と通って、根津美術館へ着きました。 まずは建物の中、中二階のラウンジ。 根津美術館、現在の新展示棟は建築家・隈研吾(くま けんご)の設計で2009年10月に新装開館しています。 ここが建物と庭園を隔てるところです。ここから先は晩秋の景色です。 庭園に分け入っていきます。見上げれば・。。秋。 根津美術館がある場所は、東京都心の中・・・港区南青山六丁目なのです。 一年に一度、この都心の庭園が赤や黄色の木々で彩られます。 ここは元々、東武鉄道の社長などを務めた根津嘉一郎の私邸跡で、根津嘉一郎の収集品を展示するために設立された美術館なのです。 庭園の中には茶室が4棟あります。そう、根津嘉一郎氏は茶人でもあったのです。 南青山の自然の傾斜を活かし、深い森を構成する庭園です。 特に赤の強いモミジの樹でした。 水に映るモミジの葉です。そして、根津美術館をあとにします。246号線(青山通り)を少し西へ進み。広尾三丁目にある「広尾 京寿々」で昼食を食べてから。向かったのは、南麻布五丁目にある「有栖川宮記念公園」です。 ここは初めて来ました。 江戸時代、陸奥盛岡藩下屋敷のあったところだそうです。地下鉄・広尾駅から、公園に沿って登ってくる道は「南部坂」という名が付いています。 1896年から1923年まで、この敷地は有栖川宮邸があったのです。有栖川宮家は廃絶しますが、その後はここが高松宮に継承され、1934年に高松宮から東京都に下賜され、公園として一般に公開されるようになったそうです。 広尾駅に近いこともあり、広尾の地にあると思われがちな公園ですが、港区南麻布です。ですから港区立公園になっています。 この辺りは大使館や外国の会社も多いようで、園内には外国人の姿が多く見られました。 園内に東京都立中央図書館があります。その図書館前にホントに大きな銀杏の樹がありました。 都心にある二か所を巡りました。よい天気にも恵まれましたが、都心にこんな場所がある東京の懐の深さを改めて見直すよい機会となりました。 《2010年11月27日 撮影》
2010年11月28日
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11月3日の祝日は、よい天気で明けました。クルマで出かけ、逗子・なぎさ橋で朝食を取り。134号線で鎌倉へ向かいます。朝、八時前・・・この時間に開いているところといえば、って考えて。鶴岡八幡宮から左へ、巨福坂(こふくさか)トンネルを抜けてすぐ。鎌倉五山第一位、臨済宗建長寺派の大本山、建長寺を訪れました。 巨福山建長寺、正式には建長興国禅寺というのだそうです。このお寺は日本最初の禅寺としても有名です。 北鎌倉駅側の入口のすぐとなりは、あの桑田佳祐さんの出身校 鎌倉学園です。サザンの曲には、高校あるいは鎌倉由来の曲がケッコーありますね。2003年6月には、建長寺でサザンオールスターズのライブが行われています。鎌倉学園は建長寺の修行僧学校が前身となっています。 境内を進んでいきます。これが三門です。これは重要文化財となっています。三門とは「三解解脱」の略だそうです。このお寺は、宋からやってきた禅僧 蘭渓道隆が1253年に創建しました。鎌倉幕府第五代執権北条時頼が開基(創立者)しています。 三門の右手、この鐘楼に架かる梵鐘は寺創建当時(推定1255年)のもので、これは国宝ですね。 三門は被写体としていいですね。 秋の鎌倉に映える建長寺の三門です。 左に写っているのは樹齢750年を越える柏槇(ビャクシン)の樹です。三門の奥には仏殿や法堂、さらに竜王殿と称する方丈、庭園もあるのですがまだ開園していない時間でした。こうした建物の横を、さらに奥へ進んでいきます。 ちょっと早いですが、色づいた葉が美しいですね。ついついパチリ 青空にそびえる孟宗竹ですね。 建長寺境内のもっとも奥、山の中腹には寺の鎮守、半僧坊権現の祀られている半僧坊といわれる場所があります。半僧坊(はんそうぼう)をめざして進みます。 これは比較的新しい坐像です。 急な階段をかなり登っていきます。石段の途中には、天狗の像が12体もあります。火よけや招福にご利益のあるという半僧坊です。 半僧坊の頂から西方向を見ます。遠く雪を頂く富士山が見えます。 そして南方向は鎌倉の海、相模湾ですね。 この後、山を下ります。建長寺建築の特徴ですが、先ほどもでた、総門から三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に建ち並ぶ伽藍配置です。その一つ、法堂(はっとう)へ入ります。ここは先手観音坐像を安置する講堂で、重要文化財です。 天井には、観音坐像を見守る白い龍が彫られています。 法堂の中です。創建1253年が建長5年ですから、750年以上の歴史ある建長寺です。 クルマでなくても、JR北鎌倉駅から歩いて14分だそうです。 これから深まりゆく秋、訪れてみる価値のあるお寺だと思います。
2010年11月06日
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土曜・日曜と仕事が出だったもので、代休のお休み。何時までやっても上手くならないゴルフの打ちっぱなしに行って・・・ 午後から、ヨメが東京へ出かけるとのこと。千駄ヶ谷の国立能楽堂へ午後五時に着きたい。能楽堂は、この日 狂言と能の特別公演がある・・・んだそうです。って二時過ぎに出かけました。これなら約束の時間には早い。そうだ、久しく行ったことの無い新宿御苑へ行って見よう・・・ 住所は東京都新宿区内藤町11番地。新宿御苑は東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園です。ですから、分類は国民公園です。その広さは58.3Haあるそうです。 この広々とした敷地は、江戸時代、家康から譲られた高遠藩・藩主内藤家の下屋敷があった場所です。 明治になって、新宿植物御苑が開設されて宮内庁の管理するところとなった。 第二次大戦後、国民公園として一般に公開され、2006年(平成18年)に「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。 今日は、三つある入口のうち 大木戸門から入って、日本庭園まで歩いて行き、また大木戸門へ戻りました。 この日は、昨夜来の雨が上がり、午後から快晴の秋空となりました。ヨメと二人で仲良く歩きました。実に清清しい気分で歩けました。 新宿御苑の外周は実に3,5Kmあるそうです。 ユリノキだと思います。大変な巨木です。 遥かに新宿の高層ビル群が望めます。逆光でしたが・・・なかなか、です。撮影時間は午後三時20分頃から四時15分頃までです。 今から40年も前。学生時代(昭和43年~47年)、よく行きました。あの頃に比べると、よく整備されて、美しいところになっているように思いました。 不思議な松です。多行松(タギョウショウ)というのだそうです。 こんな風景が苑内あちこちにあります。 新宿御苑には、茶室が二つあります。 これは楽羽亭(らくうてい)という茶室です。 苑内の樹木は10,000本を越えるそうです。 新宿御苑は、昔ながらの日本式庭園とイギリス風景式庭園を巧みに組み合わせてあり わが国でも、数少ない風景式庭園の代表的な存在です。これまで、都内の都立公園幾つか回りましたが、手入れが行き届いているなァ・・・と感心した公園としては、ここがピカイチですかね。 11月1日。紅葉にはまだまだ早かったですが、晩秋迫る秋空の一日。思いがけぬ素晴らしい風景にめぐり会いました。 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)
2010年11月02日
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行って来ました。 この秋は、早々にお墓参りは済ませたし。これからの休みの日はイベントが続いて出が多くなりそう・・・ 今日くらい・・・と思ったら雨・・・アメ・・・あめ、です。でも、思い直して出かけました。東京・南麻布は根津美術館です。この時期の展示は「根津嘉一郎蒐集品と寄贈作品~コレクションを未来へ」です。入場料は、大人一人1200円ナリ。でも、展示室2から展示室5まで。それぞれ愉しめる出展品でした。ヨメは茶道具の展示に特に興味を示していました。いいですね、根津美術館は・・・さてさて、フォトです。 雨の中ではありましたが。秋の訪れを感じさせる、根津美術館でありました。南麻布のみどり・・・都心のオアシスです。根津美術館 所在地:東京都港区南麻布6-5-1
2010年09月24日
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横浜や東京では、まだまだあと二週間以上は梅雨空が続くそうですよ。今週末から北海道へ出かけますので、お散歩は電車に乗って、東京は浅草くんだりへ出かけました。都営地下鉄浅草線「浅草橋」駅で電車を降りました。ここから、お散歩開始です。 これが浅草橋です。この橋は、神田川に架かる橋では139番目の橋ですね。井の頭池から、都心を東へ流れる神田川はこの浅草橋が最後の橋で、この先で隅田川に合流します。因みに、神田川には140もの橋が架かっているそうです。この川は、江戸の街づくりの折、家康によって作られた上水なのですね。 ♪窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿♪ ~「かぐや姫」が1973年に唄った「神田川」。中野区末広橋近くの公園に歌碑があるそうですが、実際の場所のモデルは新宿区西早稲田あたりとのことだそうですよ。狭い川幅が特徴の神田川、さすがに最下流では大きな流れとなっています。お散歩は、靖国通りを右折して、隅田川に架かる両国橋へ向かいます。 両国橋を渡るとき、一瞬、東京スカイツリー(工事中)が見えました。右側の高架は首都高速6号向島線です、左の橋はJR総武本線の通る橋ですね。 両国橋から見た隅田川ですが、緑色の橋がさっき渡ってきた浅草橋の一つ先の橋です。ですので、ここが神田川の最終地点、最下流になるのですかね。 両国橋から両国駅へ向かう川岸は、首都高速の下がプロムナードになっていて、なかなかよろしいお散歩道です。両国と言えばお相撲です。大相撲、このところ世間を大いに賑わしています。「国技」というのは、どうも法制度上はない、のですね。単に、日本相撲協会が主催する相撲興行、に過ぎないとなります。1985年に、それまでの蔵前国技館からここ、現在の(両国)国技館に移ってきたのですね。 この時期、興行自体、名古屋へ出かけていますが。何となく、建物は低く見え、やや静寂な佇まいに包まれた今日の国技館です。さて、今日の最初の目的地は、両国国技館のお隣り。東京の庭園めぐり、旧安田庭園です。 旧安田庭園、潮入り回遊庭園です。元禄年間に、当時足利藩主だった本庄宗資の大名庭園として造られました。明治に入ってからは、旧岡山藩主池田章政邸となり、さらに安田財閥、安田善次郎邸となった。大正11年に東京市に寄贈されたが、関東大震災でほとんどを消失。東京市が復元して、昭和2年から市民の庭園として開園して今日に至っている。 この辺り、関東大震災では甚大な被害を被っているそうです。この庭園に隣接していた被服廠では数万人が焼死するという大悲劇を生んでいるそうです。かっては、隅田川の干満を利用して水を取り入れたそうだが、現在では地下貯水槽を利用して人工的に潮入りが実現しているそうです。 この庭園は、実は春の桜と秋の紅葉が有名だそうです。あっ、そうだ入園は無料です。さて、旧安田庭園を後に、浅草へ向かいます。 2010年7月3日撮影 カメラはPentax K-x並びにOlympus μ
2010年07月04日
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昨夜は、昔からのメンバーが集まって、退職のお祝いと称して横浜駅西口で宴会があった。二次会は、一次会にわざわざ付き合ってくれたヨメと二人で、元町あたりへ出没・・・ それほど遅くならずにご帰還ですので・・・ 土曜の朝を有意義にと出かけました。まずは、逗子の海岸を眺めながら朝食です。 逗子の海です。逗子の海は、もう海開きが終わっています。キマグレンのスタジオOTODAMA SEA STUDIOを含めて、海の家がもう営業しています。でも、海もまだ少々冷たいのか、海に入っている人は見当たりません・・・そして、今日は鎌倉へ行きます。鎌倉の何処か? というと、若宮大路の下馬から長谷へ向かう通りです。この通りは、江ノ電と平行している通りで。この辺り、地元の方は「旧鎌倉」と誇らしくおっしゃる処です。 これが笹目の辺りです。この通りには、風情のある、古いお店が結構あります。 鰻の「つるや」です。昭和4年創業、浜名湖の鰻を使うそうで・・・ この辺りに住んでいた川端康成や田中絹代、そうそう夏目雅子も食べに来たそうです。 古都鎌倉。こんなレトロな建物が現存しているのです。そうだ、夏目雅子さん。生きておられれば52歳になっているのですかね。夏目夫婦が結婚したときにここの大将夫婦が仲人役をしたという「小花寿司」。鎌倉文学館入口の交差点にあります。 最近は、回転寿司ばかりが持て囃されるようになりましたが。こんな小さなお寿司屋さんで、旨いすしを食べてみたいものであります。古都鎌倉、旧鎌倉の笹目、由比ガ浜そして長谷に至る街並みであります。 2010年7月3日 Pentax K-xで撮影
2010年07月03日
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いよいよデジタル一眼、PENTAX K-xでのフォトアルバムが始まります。最初の題材は、いつもの鎌倉 小町通りとしました。 望遠で捉えた通りの様子、これは鎌倉駅に向かって撮っています。(知らずに映っている方々・・・ ゴメンなさい)あいにくの曇天でしたが、K-xデビューにはもってこいの陽気です。 これは鶴岡八幡宮方面を向いて撮っています。通りの様子 広角で写すと、通りの様子はこんな」風でした。いずれにしても、K-xぶらさげて、お散歩する時間が増えそうです。
2010年06月03日
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土曜日の朝です。まずは、いつもの葉山Dをめざします。 そうだ、ペンタックスK-x デビューです。望遠を使って、森戸海岸の灯台を写しています。今朝は、今にも降り出しそうな曇り空でした。こんな風です。朝食後、海岸沿いの国道134号線を北上します。逗子・鎌倉を通り過ぎ、藤沢へ入ります。江の島の先を右折して、藤沢警察署前を左折すると、長久保公園があります。辻堂の長久保公園。初めて訪れましたが、ここは都市緑化植物園だそうです。 公園中央の花壇の様子です。もう夏の花ですね。そうそう、肝心のバラですね・・・ ここのバラですが、二か所ほどバラが固まって咲いていましたが、公園全体から見るとわずかなものでした。広い敷地には多くの木花が植えられている様子でした。公園を出て。次は、藤沢駅前を通過して、手広の交差点、深沢を通り過ぎて長谷へ。長谷の鎌倉文学館です。 ここは旧前田侯爵家別邸であり、その後佐藤栄作首相も使ったことのある邸です。建物の中には、鎌倉と文学のやかりの展示が数多くあります。 ここのバラ園は、邸から一番離れた庭園の一角にあります。今朝も訪れる方々が多かったですね。やはり、季節の花はバラですね。 バラの花も種類が多く。また、色もいろいろですね。でも、こうした真紅のバラが一番美しいような気がします。また、花に勢いがあるような気がしました。 曇天を背景に、美しく咲く真紅のバラです。いかがでしょうか。
2010年05月29日
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さて、鎌倉・衣張山の山頂までいきました。この衣張山ですが、その謂れは、昔、北条政子が、夏の暑い日にこの山を白い絹衣でカバーし、冬山に見立てて涼をとったという話に由来する・・・ 下りは強いぞ!なんて思っていたら・・・ 以外や以外、さっき登ってきた道は人が余り通らない急なルートのようでした。この下りは、散歩がてらの方々含めて、軽装の方々にご挨拶しながら上ったり、下ることが出来るルートです。 (ええーい!もう一枚)急に視界が開けて、遠くが見える場所もあります。これは、関東富士見百景の一つ。鎌倉の富士の場所。ですから、晴れていれば、この方向で遠く富士山を望めるのでしょう。 巡礼古道を行きます。この古道は、鎌倉・杉本寺と逗子の巡礼寺を結ぶ古道です。途中、こうした塚があちこちに見られました。古の方々の信仰篤き思いが偲ばれます。 道は急な崖のような階段を下って、竹の庭で有名な報国寺へ向かうのですが・・・ その前に、報国寺の奥にある旧華頂宮邸に立ち寄ります。この邸は、昭和4年に宮様の邸として開かれ、平成になって鎌倉市が取得して一般公開しています。 実は、邸内には初めて入りました。広い芝生に洋館が映えます。 そして、報国寺です。 竹の寺、報国寺ですが。余りに人が多く、混んでいたので竹の庭には入りませんでした。竹の根元には、美味しそうな筍が幾つも見つかりました。 金沢街道を挟んで、反対側には杉本観音、杉本寺があります。この寺は、鎌倉幕府が開かれる前、平安初期に創建された鎌倉最古の寺だそうです。坂東霊場札所の一番に位置づけられた名刹です。GW,鎌倉散歩。これだけ歩くと やや疲れましたが、いい天気と新緑に囲まれ、清清しい一日を過ごすことができました。
2010年05月04日
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五連休、一回位は鎌倉散歩をしましょうか・・・ 敢えて1000円高速を使わず、健気に小市民的な近場で一日過ごそう。そんな夫婦の利害が一致して、ヨメと二人で出かけました鎌倉です。 GW、混んでいるだろうと思い込み。出かけました、電車で大船経由、JR鎌倉駅です。実は、新杉田駅までもう20分歩いていますが・・・ 本日のスタートは、この鎌倉駅としましょう。目指すは、鎌倉最高峰「衣張山(きぬばりやま)」です。最高峰なんて言っちゃって?大うそ。標高は120mです 駅前から歩きます。小町通りを少し行き、右折して、段葛へ。この時間は、ここはまだこの程度の人出でした。新緑の鎌倉です。 鶴岡八幡宮前を右折、鎌倉シャツ本店前を通り、岐れ路(わかれみち)の先を右折。田楽辻子(でんがくずし)のみちに入ります。ここは、その昔、田楽のプロが住んでいてこういう名になったそうです。 最初は、こうした住宅地を進みます。鎌倉・浄明寺の閑静な住宅地です。 ところが、急にこうした山道です。これが標高120mまで続きます。ヨメは、季節の花など散策しながらですが。あっしはややキツイ登り路を沈黙して行きます。 急に視界が開けて・・・ そして、やってきました衣張山山頂です。お地蔵さんが並んでいるだけじゃ寂しい・・・ こちらの方向が視界が開けている。やや曇っていますが、由比ガ浜、稲村ガ崎の方向です。少し江の島が見えていますが、天気がよければ、丹沢や箱根、富士山が見えることでしょう。山頂ですから、ここからは下ります。=その2 に続く・・・
2010年05月04日
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GWであります。しかし、時の移ろいはいつもと変わりありません・・・ 何か、哲学的な書き出しでありますが。要は、いつもと同じような生活をしていると言いたかっただけであります。 朝起きて、クルマで葉山へ向かいます。朝食はいつものDです。葉山の海は、波飛沫が立っていました。 First of May この時期は花の季節でもあります。ここは鎌倉、安国論寺に立ち寄りました。まだ山門の開いていない、朝早いお寺であります。 続いて、ここは鶴岡八幡宮の境内。あまりに新緑が美しかったので・・・ そう、鶴岡八幡宮といえば 大銀杏です。樹齢800年とも、1000年とも言われる銀杏の木。実朝を殺害するため公暁が隠れていた、あの木ですが。3月10日ですか、強風で倒れましたね。右の大石段脇に立っていたのです。左のように根元から4メートルの高さまで移して置かれたいます。ちなみに、倒れた跡には、若芽が沢山芽吹いていました。 倒れた大銀杏のあたりは祀られていました。そして、そこには若芽が・・・ なんと倒れた木の幹からも若芽が・・・ 大石段を昇って、本宮から舞殿の屋根の向こう、大鳥居から段葛、若宮大路、そして由比ガ浜の海方向を写しています。新緑の鎌倉であります。 鶴岡八幡宮には源平、二つの池があります。これは源氏池ですね。 この一枚だけ、ASA1600に増感してみたのですが・・・変わりありませんね・・・そんな、いつもと同じような・・・ 葉山から鎌倉を写してみました。
2010年05月02日
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東京がサクラの開花日となりました。 お散歩と言うより、赤羽まで墓参りに出かけたついでに、環状七号線を走り、柴又まで足を伸ばしました。柴又・散歩は、京成金町線の柴又駅前から始まります。 駅前に立つ車寅次郎の銅像と柴又駅です。この反対側が帝釈天へ通じる参道となります。言うまでもなく、この柴又を有名にしたのは映画「男はつらいよ」シリーズでしょう。帝釈天参道のお店、帝釈天、そして江戸川の川岸etc。映画にまつわる場所は限りなくあります。柴又駅も何度と無く登場していると記憶しています。 参道は、大変な賑わいです。今にも、寅さんとさくら、そしておいちゃんやおばちゃんが通りに飛び出してきそうな。そんな帝釈天通りです。 有名な「とらや」です。「男はつらいよ」第4作まではこの場所で撮影したそうです。草もちですかね・・・ こういったお店が続きます。 そして帝釈天が見えてきます。正式には経栄山題経寺。日蓮宗のお寺ですね。 今日は、とてもよい天気でした。 笠智衆演ずる御前様が源公と一緒に庭を掃いていそうな境内です。今日の本命は、実はお隣の山本亭を訪れることだったのですが・・・ 帝釈天にも庭があると言うことで、中へ入ってみました。庭をぐるりと囲むように回廊が設けられていて。何処からでも、庭が眺められる。それはステキなお庭です。そして、いよいよ山本亭へ向かいます。地元ゆかりのカメラ部品製造山本工場創立者、山本栄之助翁の自宅だったのです。 これは山本亭の長屋門です。この門は、和洋折衷ですね。ここから入った玄関の中には、人力車が置かれていました。 山本翁家は関東大震災後から四代にわたってここに住みました。その後、平成3年4月から葛飾区がこの建物を公開しています。 典型的な書院庭園には、約400本の樹木が植えられているそうです。これは居宅、6室ある和室のうちの「花の間」床柱を背にした、一番眺めが素晴らしいところを写しました。 これが庭側から居宅側を見た様子です。日本庭園ランキングに入る山本亭です。驚いたのは、国際的にその文化財的価値を認められるこの山本亭の入館料が一人100円であったことです。中学生以下と障害者手帳を持っている方は無料です。山本亭から、江戸川沿いの道をあがると、一気に視界が開けます。 ここは、江戸川の河川敷です。よい天気に恵まれ、久しぶりに広い空を見ることが出来ました。そして最後は、矢切の渡しです。 ここは葛飾区柴又。渡しの向こうは、千葉県松戸市矢切です。あの歌は、ちなきなおみのシングルB面曲を、五年後、細川たかしがカヴァーして大ヒットした曲ですね。 サクラの開花と同じ日に、よい天気に恵まれた柴又散歩でした。
2010年03月22日
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寒い日が続きますね~ って言っても、横浜あたりの寒さは大したこと無い! 昨日は寒かった。来週は暖かくなるとの予報が出ているので、「今日が寒さの底かも・・・」なんて、家族に昨日言っていたのに。今朝の寒さは昨日以上です。朝、六時半に家を出るときに0℃だったのが、クルマで走っているうちに、金沢区の六浦あたりで-1℃になり。逗子市内に入ると-3℃まで下がりました。そして、葉山は森戸にある いつものD'sに入りました。余りに相模湾の向こうに見える富士山があまりに美しく見えるので、ついパチリです。 これは、コンパクト・デジカメ(ズーム)の限界ですね。実際の景色はもっともっと美しいです。あー、デジタル一眼がほしいな~ 手前の灯台や鳥居、箱根の山々も入れると、こうなります。 その右には、江の島と丹沢の山々が見えてきます。富士山だけでなく、箱根も丹沢も雪が積もっているようですね。 手前の岩場は森戸海岸です。 今度は富士山の左側は、伊豆半島、天城の山々ですかね。このさらに左には、伊豆大島も見えていました。 これも実物があまりに美しいのに引き換え、このフォトは・・・やはり、デジタル一眼のダブルレンズ・・・が欲しい。あっしを、そんな気持ちにさせてしまう、今朝の光景でした。
2010年02月07日
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明日から二月です。明日から明後日にかけて、関東の平野でも雪が降るという天気予報を聞きました。日曜日のお出かけは、セーカイだったかも・・・ もともとは、上野毛の五島美術館へ行こうとしたのですが。まだ早かったので、世田谷区の砧公園に寄ってみました。広い敷地に、季節がよければ緑の多い公園ですが、冬枯れています。そんな公園の一角に、梅園があったのです。青空をバックに、白梅が咲いている木もあったのです。全体としては、まだ二分咲き程度ですかね。運悪く、デジカメを家に忘れてきた。ケータイのカメラに接写機能が付いているのです。いかがでしょうか。梅の花も美しいですよね。そして、紅梅も咲いていました。紅白の梅が、やや春の日差しが入り込んだ日に綺麗に咲いてくれていました。この後、上野毛へ戻って、五島美術館を堪能しました。そうだ、愛車B4が元気なところをお見せしたいと思います。 五島美術館玄関駐車場に佇む、愛車B4です。
2010年01月31日
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昨年10月に新装なった根津美術館へ行ってきました。港区南青山六丁目あたり、骨董通りと交差する美術館通り。美術館に入る前に。すぐ横にあるJazzClubブルーノート東京です。この時間はさすがに開いていません。すぐお隣はフェラーリのディーラーがあります。Jazzでフェラーリで、美術館です。新装成った根津美術館。開館10分前の様子です。新美術館は、現代日本建築を代表する隈研吾の設計による建物です。当然ですが、以前の建物よりぐっと現代的で快適な空間となっています。しかも、こうした和の趣が随所に見られる落着いた建物です。建物の中も、こうした和と機能性が調和したものとなっていました。展示室は大小、それぞれに印象深い設えとなっています。今回展示も、中国青銅器も多かったのですが茶の湯道具も多く、興味魅かれる展示でした。ここが何より驚くには庭です。ここが都心、南青山六丁目とは思えない空間が広がります。こうした茶室が三軒ですかね。庭中に点在しています。しかも起伏のある庭園は、池あり滝ありの変化にとんだ設えです。庭の中にNEZUCAFEなるオシャレなカフェも出来ていました。ここでお茶だけはいただきましたが、やはり文化には空腹がついて回ります。どこぞで、食事を・・・行った先はここ。青山学院前、青山通りの反対側ビルの地階にある「雅灯Gatou」へ行きました。ヨメと二人で、一人3,800円也のランチ懐石をいただきました。オイシかった
2010年01月05日
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その5となります。砧公園から、首都高を走り。池尻で降りて、山手通りを中目黒方面へ向ったあたり。電車だと、東急・田園都市線「池尻大橋」駅と東急・東横線「中目黒」駅の間。左側を目黒川が流れています。このあたり、両岸が美しい桜並木になっています。辿り着いたら、桜は満開です。これは、片方の川岸の通りです。ここも、あっしは初めて来ましたが。ここの良さは、川面に映る桜の影ではないでしょうか。一つ向うの橋は、真赤に塗られた橋で。これまた、桜と対比しても美しさを際立たせていました。花を、アップで撮ると。バックに川面が写ります。目黒川は都心の川です。護岸もしてあります。でも、いいですよね。いかがでしょうか。この通りは、中目黒駅方面に向って、真っ直ぐに伸びる通りで。ずっと桜並木が続いています。夜桜は、それはそれ、また格別なようです。川面にサクラを映す目黒川です。さて、この近く。青葉台から少し渋谷へ寄った、小高い丘に西郷山というところがあります。西郷従道がかって暮らした別邸があったそうです。ここへ、歩いて登りました。 丘の上が公園になっていて、このような景色が広がっていました。本当に、日本人はサクラ好きです。この季節、あちらこちらに桜。ソメイヨシノの花が咲いています。春、爛漫!
2009年04月06日
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さて、その4は世田谷の砧(きぬた)公園です。横浜から、第三京浜を玉川ICで降りて 左折。環八通りを進むと、東名・用賀ICを過ぎた左側が砧公園です。初めて来ましたが、ここも広いですね。約39万平米ですから、その広さと言ったら・・・ ここは、戦争後ゴルフ場だったところだそうです。 ですから、こうした広々した緑地が広がります。その中に、サクラです。樹形も大きなサクラが、広々した緑地に一層映えます。書き忘れましたが、ここも都立公園です。町名は「砧公園」というのだそうです。電車だと、東急・田園都市線「用賀」駅から徒歩20分だそうです。敷地内には、区立世田谷美術館もあります。何はともあれ、砧公園の桜をご覧いただきます。桜の美しさは、花ばかりでなく、がくの桜色や葉も美しいと思います。古代より桜といえば、ヤマザクラだったのでしょうが。近年、ソメイヨシノの繁殖ぶりはめざましいものがあります。桜の種類は、国内だけで約600種あるのだそうです。春といえば桜花。世田谷・砧公園 満開の桜をお送りしました。いかがでしょうか・・・
2009年04月05日
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その3は(ちょっと番外かも)、横浜・横須賀道路が休日割引とやらになった。馬堀海岸まで伸びて、初めて走ることもあって。行って見ました。馬堀海岸で降りて、国道16号線を右折すると(16号線の始点)走水です。ここに、横須賀水道発祥の地とかの碑があります。もう目の前は海、東京湾です。ここの桜のよさは、海に面していることですかね。桜の枝の向うに、東京湾が見えます。空いてますが、ここの駐車場にクルマを停めました。桜越しに、観音崎よ海が見えます。ここの湧水、「ヴェルニューの水」を無料で汲むことができます。この水はカルシュウム、マグネシュウムなどミネラルを多く含む軟水とかで。ちょっと飲んでみましたが、水は水です。ここから、少し走ると。観音崎です。小高い丘の上にかっては白い灯台がありました。今は、だいぶ趣がちがっています。海に面したリゾートホテル、観音崎京急ホテルです。ここにも桜が咲いていました。ここからは、東京湾を行き来する大きな船を眺めることができますね。やや波が荒かったです。
2009年04月05日
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さて、今年初めてのお花見。その2は、井の頭公園です。小金井公園から井の頭公園へ行く間に。お腹が空いた、「お昼を食べよう」となった。適当に、ナビで探して・・・ 行ったのは、「三鷹砂場本店」です。 あっしは「あわせせいろ」1200円なりを注文しました。せいろに、蕎麦とうどんが一緒に盛られています。ヨメは「天ざる」1400円なりを注文しました。味は・・・ ともかく、量は多い・・・井の頭公園へは、自然文化園側。ジブリ美術館に近い側、御殿山と言われる側から入りました。 入口付近にあった案内図です。井の頭公園へは、本当に久しぶりに来ました。学生の頃、ここへ男女4人で来て。ボートにカップルで乗った。あっしだけがボートを漕ぐことができたことを覚えているくらいです。弁財天。池に桜も映っています。井の頭池は、神田川の源流になる湧水池。公園のあちこちに湧水があるようです。さて、桜です。池に向って桜の枝がのびています。歩いて反対側。井の頭公園駅に近い橋の上から写しています。ここは、当たり前ですが、池に映るサクラが見ものです。そして、この景色。吉祥寺駅側から、人が沢山来る七井橋の上から写しました。こう見ると、やはり今日は、まだ六分咲きくらいなのでしょう。満開とはいきません。快晴の昼下がり、池面にサクラの映る。井の頭池です。よかったですよ。
2009年04月03日
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「今日は、風もなく いい天気でしょう。明日、明後日は天気は下り坂。」なんて、天気予報が言うもんで。仕事休みました。12月から、一回も休んでなかったし・・・ 天気がいいって言うし・・・朝、七時に家を出て。第三京浜から環八を下高井戸まで。左折して、久我山から連雀通りを通って、小金井へ出ました。二度目の小金井公園です。 小金井公園は、本当に広いですね。桜は、(そうですね)六分か七分ってところでしょうかね。でも、咲いている木はこれくらい咲いています。いかがでしょうか。2009年春の小金井公園の桜です。青い空をバックに、美しく咲くサクラの花です。これでもか、とばかりソメイヨシノのオンパレードです。そうそう、この公園の中。もう小金井カントリー倶楽部に近い側に「桜の園」という場所がありました。ここが、桜の園です。あれっ、サクラ咲いてないじゃん。ではないのです。手前にソメイヨシノが見えますが。あとは、他の桜の木なのです。いろんな桜の種が植わっているので、まだ咲いていない種が多いのです。逆に言えば、これからが愉しみな場所になります。次々、咲いていくことでしょう。ヨメは、桜の種類を一生懸命にメモしていました。最後に、こんな風景はいかがでしょうか。チューリップは、本当は桜の次の花でしょうが。咲いていました。夜桜見物の方のブルーシートも相まって、美しい彩りです。いかがでしょうか。ちなみに、小金井公園と井の頭公園は「日本さくら名所100選」に選ばれていますね。 次は、三鷹で蕎麦を食べた後。井の頭公園へ向います。
2009年04月03日
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あっしの出た大学のゼミ担当である恩師が、この三月で退官する。その卒業生向け最終講義があるとのことで。芝白金の大学へ、ヨメと二人で出かけました。電車で、高輪台駅でおりて、歩いて大学へ辿り着きました。 昔から、狭いキャンパスなのですが。入口から校舎へ向う坂道です。クリスチャンの大学なので、左側にチャペルがあります。この建物は、かの建築家ボーリズの手による、1916年建築だそうです。今は、だいぶ手を入れて、一応綺麗にはなっていますが。往時の姿をとどめる外観です。こちらは記念館という建物。この建物は、1890年建築だそうです。こちらは、その隣りのインブリー館という建物で1889年建築だそうです。あっしが学生の頃、ここに学生課の分室みたいなものがあり。奨学金もらうための面接を、ここで受けた覚えがあります。今では、この大学にも近代的な高層の建物が出来ていますが。こういう古い建物を修復して、残しているのです。さすがに、激動の1968年から1972年までの四年間、いろいろな思い出がよぎる、キャンパスです。恩師の講義を聴いた後、ゼミ当時の友人五人にそのつれあい三人を加えた八人で。他の講義を抜け出し、隣りの八芳園でお茶でも飲もうとなりました。昔と変わらぬ、不真面目な学生(?)たちです。八芳園の庭です。白金や高輪には、昔の屋敷跡が多くあります。ここは、その昔、大久保彦左衛門の屋敷があったところだそうです。山の手台地の地形をいかした庭園は、池を中心に、なかなかな風情のあるところです。だいぶ、もう黄昏ときとなる時間の、都心にある庭園の佇まいです。このあと、大学に戻って、最終講義後の懇親会に出ました。懇親会が終わってから、八人だけでグランドプリンスホテル高輪のバーへ行き。久しぶりの再会の旧交を暖めました。
2009年03月08日
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東京・浜松町の日の出へちょっと用事があって出かけました。歩道の正面、階段をのぼった右側が東京臨海新交通ゆりかもめ・日の出駅になります。このあたりは、土曜日の午後はほとんど人通りがありません。そして、これは芝浦ふ頭あたりからベイブリッジを見上げています。ベイブリッジは、お台場方向へ進んでいきます。そのあたりから海を眺めると、遥か先に東京港へ入ってくる船が見えました。左岸はお台場ですね。東京湾トンネルが見えます。そこから田町駅方向に進み、駅を迂回して、赤羽橋方向へ進むと。東京タワーがきれいに下の方まで見えました。赤羽橋から、一の橋へ向います。一の橋です。このあたりは、学生の頃。よく歩きました。金はないし、暇はある。歩くことが大好きな学生でした。よくあちこち歩きました。右側は、麻布十番の街になります。古川橋から、白金台の大学のそばを通り。高輪の街に入ります。この建物は、消防署(現在は高輪消防署二本榎出張所)なのです。なんかレトロで、最近、新聞にも載っていました。そんな、土曜日の昼下がりのお散歩でした。
2009年02月07日
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箱根の帰り道。時間もあるので、寄り道みたいなお散歩。茅ヶ崎の街に立ち寄ってきました。茅ヶ崎は、神奈川県、相模湾沿いのど真ん中にある街。やはり、「湘南」という響きの中でもど真ん中にあるのが茅ヶ崎でしょう。茅ヶ崎ゆかりの有名人といえば加山雄三、ブレッド&バター、徳光和夫、尾崎紀世彦、萩原聖人、松浦亜弥などなど・・・ しかし、やはりサザンオールスターズ桑田佳祐でしょう。茅ヶ崎には、桑田佳祐ゆかりの場所やなんかがいろいろあります。いくつかご紹介していきます。まずは湘南と言えば海。そう、サザンビーチです。サザンビーチといえば、東に江ノ島。正面に烏帽子岩です。本当は、西に富士山まで加わりますが。ケータイカメラなので、遥か遠方。うっすらとしか写っていませんが、左に江ノ島。右に烏帽子岩が写っているのです。そして、すっかり有名になりましたサザンビーチ・モニュメントです。茅ヶ崎のCです。あっしの前後にも、ここでカメラを写す人がいましたです。海の彼方の烏帽子岩より、モニュメントの方が身近ですから・・・そして、このモニュメントの脇に、烏帽子岩の説明がありました。 これじゃ読めませんが。お知りになりたい方は、検索してみてください。なかなか面白いですよ。このサザンビーチの近くに、茅ヶ崎公園野球場があります。あれは2000年の8月、二日間のサザンオールスターズ・コンサートがここで開かれましたね。そして、茅ヶ崎第一中学があります。この中学は、桑田だけでなく加山雄三、尾崎紀世彦もここの出身だそうです。そして、サザンの曲「ラチエン通りのシスター」。ラチエン通りです。海岸線を通る134号線から、茅ヶ崎の1号線に至る。ある意味、さもない通りです。この写真は、海の側を向いていますが。もっと先まで行くと、通りの向うに烏帽子岩が見えてきます。海に向って歩く=烏帽子岩が見えてくる、です。この通りが海岸線の134号にぶつかる交差点の左側が、かってパシフィック・ホテルがあったところですね。この通り沿いに、桑田の初恋の人が住んでいた。そんな想いが、曲「ラチエン通りのシスター」にはあるそうです。 こう並べてみると、何かありきたりですが。このあたりが、桑田佳祐の故郷ですね。
2009年01月29日
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今日は、いい天気でした。朝起きて、布団を干してから。出掛けました。それも、ヨメと二人 電車でです。なぜって、せっかくの休み。クルマで移動、ではできないことを求めて・・・まず、向ったのは横浜駅東口です。 横浜駅東口のそごうデパートです。エレベーターで6階へ上がります。6階に、そごう美術館があります。そごう美術館は、『白州次郎と白州正子展』が開かれています。鶴川の武相荘がこっちへきちゃったんじゃないの、ってくらい、いろいろ展示していました。一通り、見ました。やはり、男のあっしは、やはり白州次郎に惹かれますが。美学的な感性をもつ白州正子を理解するのは、なかなか難しいものがありますね。なお、そごう美術館の展示は1月22日までです。見終わってから、そごうのレストラン街へ。クルマでない お楽しみです。「やぶそば」という蕎麦屋へ入りました。まだ11時半くらいでしたが、日本酒をいただきました。これが美味かった。そばとてんぷらをツマミに・・・駅に戻り、横須賀線に乗ります。保土ヶ谷・東戸塚・戸塚・大船駅と止まったはずですが、覚えていません。そう、休みの日の日本酒はほどよい眠りを誘います。目覚めたのは、北鎌倉駅の手前あたりでした。 鎌倉駅です。新年早々の鎌倉は、人出が多いですね。ここ十数年以上、新年の鎌倉には近づいたことがありませんでした。なぜって、人とクルマが多いから大変なのです。その大変な人出の小町通りです。しかし、鎌倉へは結構行っているつもりですが。こんな店なかったな。あんな建物なかったな。結構、街が変わっています。さて、鶴岡八幡宮です。新年も11日だというのに、すごい人出です。石段は、ロープ規制をしていましたね。しかし、いつも驚きますが われわれ日本人は信心深いですね。皆さんも、お正月はこうしてお参りに行くのです。縁起物の破魔矢です。今年一年の魔よけですかね・・・八幡宮をあとに、以前、日記で紹介したことのある「茶織庵」へ立ち寄りました。鎌倉シャツ本店の隣り。小さな蕎麦屋ですが、店の中に茶室ありのなかなかな蕎麦屋です。ここでも、清酒・玉の光と蕎麦湯割り焼酎をいただきました。いやー、実に結構ですな・・・まあ、本来ならここまでで終わりなのですが。今日は行きましたですよ。ヨメ待望の大仏茶廊です。 ここは、雪ノ下一丁目 静かな住宅街の中にあるのですが、なんと土日しか開いていないのです。じゃ、混んでいるのか。それが大して混んでもいない。なぜ? ですかね。 ここは作家大仏次郎(おさらぎじろう)邸だったところ。庭から見た邸です。意外と質素な外観ですが、結構な広さでした。この時期、花といえば水仙と梅が咲き始めていましたです。うれしいですね。花が咲いていることに歓びを感じられる歳になりました。梅は紅梅、白梅、蝋梅と咲いていました。梅はいいですね。ヨメは、蝋梅が好きだそうです。ここで、お菓子つき 一杯1500円也のコーヒーをいただきました。空いているのは、このせいかな・・・大仏茶廊 鎌倉市雪ノ下1-11-22 電話0467-22-8175(土日祝日専用) まあ、そんな好天に恵まれた 休日のお散歩でした。ケッコーでやんした
2009年01月11日
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いよいよ、今年も残すところ あと三日となりました。その12月28日は、横浜でも寒い朝でした。それでも昨日ほどではないのですが、クルマの外気温が1℃まで下がっていました。朝起きぬけて、出かけました。いつもの葉山・森戸海岸です。 今朝7時50分の森戸海岸から見た富士山です。森戸海岸から見た富士山です。森戸海岸から見た富士山と江ノ島です。少し靄がかかっていますね。残念です。昨日のほうが綺麗だったでしょうか。 そして、葉山・鐙摺(あぶづり)にあるパティスリー・ラ・マレー・ド・チャヤです。チャヤは日影茶屋グループですね。そして、ヨットハーバーです。このハーバーのすぐ隣りは、ユーミン夏のコンサートが開かれる葉山マリーナですね。そして、いつものように国道134号線を走って。鎌倉の街へ。いつもの農協連で買い物を終えて、今日は鶴岡八幡宮へ立ち寄ります。 あと、3日もすると賑やかに人で溢れかえる八幡宮もこのとおり。誰も居ないような光景です。こんなアングルから八幡宮を見たことはありませんでした。驚いたのはこの源氏池です。何と、池が凍っているのです。表面は氷です。この頃で、午前九時ころです。まだまだ寒かったです。そして八幡宮前の大鳥居と段葛。ここもあと3日で、人で溢れかえることになるでしょう。でも、今朝は人っ子ひとり いません。そんな、大晦日前。よく晴れた朝の葉山から鎌倉のお散歩、でした。
2008年12月28日
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11月も16日となりました 今朝は、雨が降っていますが 気温はそれほど寒くありません 次の木曜日あたりから、寒気がやっているそうですが・・・これは、休みの日のあっしら夫婦の よくあるパターンですが ここ数ヶ月、行っていなかったのです 朝、六時半前に家をクルマで 出て 一路、逗子の街を抜け 葉山へ向います 森戸海岸のファミレスDへ行きます 店内は、同じような年齢の夫婦らしき組合せ客が多かったです今日は、横浜も葉山も そして鎌倉も雨空です 森戸海岸も、こんな天気です 晴れていれば、この時期 はるか遠くに箱根の山や伊豆半島が見えているはずです 全くダメです これもいつもの真名瀬港付近です 今朝、七時半ころの様子です この時間、この天気をおして つり船は幾艘も出かけていきました そして、朝食を済ませ 逗子海岸を抜けて鎌倉へ行きます 若宮大路です。横須賀線のガード越しに、由比ガ浜方面を見ています やはり、小雨が降っていました しかし、農協連市場の中は 何と熱気に溢れています 買い物客も多かったですが ご覧ください。野菜の多さです 地場の野菜。秋野菜は、今が旬なのでしょう うちのヨメも、シコタマ買い込んでいました これだけじゃ、秋らしい風景が少なすぎます この景色も幾度か紹介したしましたが お隣のおうちです 垣根ごしに、晩秋の光景が美しいので つい一枚パチリ (アンタの家はどうなの・・・ ) ってんで、わが家の門脇の花壇です 秋から冬への花を植えてみました
2008年11月16日
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「チケット二枚 もらったから・・・ 」ってヨメが言うモンで 出かけました お江戸・東京は、六本木・東京ミッドタウンにあるサントリー美術館です これは、隣りの檜町公園側から写したミッドタウン・タワーです 地上54階、高さ248mはわが国第四位 東京では一番高いビルです このビルは、去年(2007年)3月30日グランド・オープンだそうで 大変です! あっしのクルマのナビにまだないのです 仕方なく、ナビは三島クン終焉の地 旧防衛庁を目指しました 新しい高層ビル 初めて行った横濱の田舎モンにゃ ヒェー! の連続です 驚くことばかり このエレベーター表示 どこを押していいのか、ホントに悩みました これがサントリー美術館の入口付近です 展示は「小袖展」ですかね あっしにはサッパリ、解かりませんが・・・ ヨメは、嬉々として見ていました (あっしが昔から、角びんやオールドを飲み続けて この美術館設立に協力したんだぞー!!!・・・ ) 朝、十時の開館と同時に入場して 約一時間見ました (疲れやした ハラヘリやした・・・ ) 「何か、食べていこう・・・ 」ってヨメが言うモンで ミッドタウン ガーデンテラス1階のピッツッリア・トラットリア「ナプレNAPULE」へ入りました この店が、実に・・・ このように並ぶ店だったのです あっしらは、運良く すっと入ることができました ここの オススメ・メニューはピッザです 実際、美味しかったですよ そして季節の野菜パスタです これも、チーズ味濃厚なソースが とても美味しかったです テラスでの、ちょっと早い昼食を堪能しました 会計のときに、この店のピッザ焼き窯が見えました表へ出て、 タワーの一部である ガレリアを表から見たところです 秋の季節に、屋外テラス席でのランチがよく似合います 久しぶりに、心やすらぐ都心でのひと時でした
2008年09月14日
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「江戸東京たてもの園」へ行きました その後、近辺を何か所か 回りました プラスで何枚か、フォトをアップします これは園内にあった交番 万世橋交番とのこと 赤い郵便ポストも、今の時代にしてはレトロな趣です ちょっと早い昼飯は休憩棟二階でとりました これは、あっしが食べた冷たいうどんです こしのある、うどんがとても美味しかったですね 小金井公園の前、五日市街道の向うには 玉川上水が流れています これは陣屋橋という、小さな橋の上から写しています ゲリラ豪雨が続く時期なのに やはりと言うか、玉川上水の流れは 期待するほどではありませんでした 小金井公園に隣接して、小金井カントリークラブがあります これは、クラブハウスの建物です 一昨年、ひょんなキッカケで 夏、ここでプレーする機会がありました 今度は南に向って 少し走って、三鷹市に入ると 国際基督教大学ICUがあります 高校生のときに、ここに憧れ 受験したのですが、ダメでした ICUの隣りに、富士重工東京事業所があるのですが ここに、SUBARUテクニカインターナショナルがあります そうです、 SUBARUファンなら憧れの的 STIであります さらに南下すると、国立天文台があります 前の二か所はセキュリティで入門不可でしたが ここは見学もできます 天文台があるくらいですから、この辺りは 相当に暗いところだったのでしょうか・・・以上、本日の小金井・三鷹散歩 でした 今日で八月は終わり です 明日から 九月 皆さま、新しい月も 健やかにお過ごしください
2008年08月31日
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今朝起きると、ヨメがふっと言いまして 「出かけよう。エドトウキョウタテモノエン」 こっちは、眠いこともあって 最初、何言っているのか 解からなかった 何だかな・・・ 思いなおして 出かけました 東京は小金井市にある「江戸東京たてもの園」第三京浜から環八、井の頭通りを吉祥寺駅前を通って 五日市街道と来て 小金井公園へやってきました 緑の多い、小金井公園です この一角に「江戸東京たてもの園」があります 久しぶりの晴れ間がのぞく日曜日です でも、油断大敵 ヨメは傘を持って歩き始めました 「江戸東京たてもの園」 これが全景案内図です 何と言っても、ここの目玉の一つは この高橋是清邸でしょう もともと赤坂にあった高橋邸 1936年2月 2・26事件の現場となった邸です この二階の部屋で、寝ていた高橋是清は ここで亡くなったそうです さて、下町中通りと言われる この通り 昔の商家・銭湯・居酒屋など下町風情を楽しむことができます 有名な 銭湯「子宝湯」です この建物は、昭和4年に足立区千住に建てられたものだそうです 銭湯の中は、番台も脱衣所も、そして風呂場も ご覧の通り、昔のままです そう、なぜか銭湯の絵は富士山が多かったような気がします 子宝湯の隣りは、居酒屋「鍵屋」です これは安政3年に台東区下谷の言問通りにあった居酒屋 店の中には、こんなお品書きがありました 店内は、昭和45年頃の姿を復元しているのだそうです これは、田園調布の家と紹介されている大川邸 大正14年田園調布四丁目にあったそうです これは、世田谷区岡本に江戸時代中期に建てられた綱島家(農家)の中です ボランティアの方々が囲炉裏に火を焚いておられました これは品川区上大崎にあった、建築家前川國男の自邸 さすがに建築家の家です あちこち、凝った建物でした これは三井財閥本家 三井八郎右衛門邸を庭から見たところです これは、中も外も実に立派な建物でした 園内には、「武蔵野の道」という通りがあります この武蔵野の趣の残る 雑木林の向うは、フェンスを隔てて名門ゴルフ場 小金井カントリークラブがあります全ての建物は、紹介できませんでしたが ふいに出かけた割には、江戸東京たてもの園 よかったですね。本当に・・・
2008年08月31日
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またまた、暑い一日が始まりました 今朝は、日曜日です 昨日は、南神奈川の代表に横浜高校がなりましたが 今日は、北神奈川の決勝戦なんですよね そんなことは、気にもせず 出かけてきました いざ鎌倉 鎌倉の市場へ まったく、いつもと変らぬ 市場の(倒れかけたような・・・ )看板です たまたま、市場前の若宮大路から見えるJR横須賀線を上り電車が走っているのが見えました このあたりでは、横須賀線ですが 総武線になって、千葉県まで行くのですね 若宮大路ですが、向う先が海岸 由比ガ浜になりますね 市場の写真は、何度かアップしましたが 市場の中、野菜を売っているところがなかったと思います ご覧ください。採れたて地場野菜です どうです。新鮮そうな野菜が並んでいるでしょうが(生姜はあったかな? あったはずですが)・・・ 今朝、行ったときは 結構な人が出ていたのですが・・・ ここで売っている野菜は、鎌倉市内と横浜市栄区内の農家が栽培する野菜です 市場ですから、買いに来る人も わが家のように、普通のおうちの方も多いと思いますが イカにも、商売やさん お店やさん、シェフという感じの方も多いですねそんな、暑い七月の日曜 朝の鎌倉、野菜市場 でした
2008年07月27日
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2005年から続いている「キャンドルナイト・イン・さかえ」に行って来ました 「夏至と冬至の日20時から22時までの2時間だけ、電気を消して過ごそう。」というシンプルなコンセプトから始まった「100万人のキャンドルナイト」の一環です ここは、JR京浜東北線「本郷台」駅前広場です ヨメが、「浴衣着て 行こう」って急に言ったものですが・・・ 何となく着て、行って来ました2008年 今年のよびものは「竹のキャンドル」ということだそうです 回りはペットボトルを切ったキャンドルですが、真ん中は竹細工のキャンドルになっています 栄区という地域は、横浜の田舎と言ってもいいくらいのところ この特性を活かし、人と自然を大切にする・・・ そうした姿勢が、竹のキャンドルには現れています この写真は、すべてペットボトルのキャンドルになっていますね 灯りを消して、スローな夜を ということで19:30には 駅前広場の電気が一斉に消されました あたりは真っ暗 いつもは、暗くすると気味悪いような場所でしょうが 今夜ばかりは暗いことが、主役です 結構な人が集まっていました 駅前の、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドも消灯に協賛していました 何やら、黒衣装で怪しい奴ら ではありません この方々は、ミニコンサートのステージで唄うゴスペル・グループなのです ピンがやや甘い・・・ 他に、三組と朗読などがありました真夏の夜 キャンドルライトに浸るひととき でした・・・ 今日も、暑い一日になりそうですね・・・
2008年07月26日
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梅雨明けの翌日です 朝、九時前に家を出て 十日市場から青葉台を抜け 愛車B4で行ってきました鶴川、武相荘(ぶあいそう)です 白州次郎・正子旧宅、武相荘です 武相荘のホームページはこちらです午前十時とはいえ、真夏の陽射しが照りつける鶴川街道を走り 武相荘に着きました 戦争が始まることを知って、白州夫婦が ここ鶴川に居を構えたのは、昭和十五年だそうです 当時は、農家が点在するだけだった鶴川だったそうですが ここで夫婦は、戦中・戦後を過ごします 正子は、夫の死後もここの邸で膨大な著作を残しています これが、今日の母屋です 夏の太陽が、容赦なく照り付けていました 確かに、ここで夫婦は暗い時代を そして夫亡き後の人生を刻んでいったのでしょうその足跡が、アチコチに残る邸です 室内が、全面的に 撮影禁止なのが残念です 母屋だけでなく、夫婦の生活の後が今でも漂う邸です 戦時中、次郎が農業に専念したといわれるところは母屋の前は庭になっています 緑濃い、庭園がまた見事です 庭は、小高い丘になっており 緑の丘をめぐる散策路がついています 時代を読み、時代に翻弄されず 己を信じて生きた夫婦です 小高い丘に建つ邸から、遥かに何を見ながら 過ごしたことでしょうか鶴川に移った頃の思い出を綴った、正子の文を引用しますそんな風であったから、家の中は荒れ放題だった。茅茸屋根は雨洩(あまも)りがしていたし、床も腐って踏みぬくというあんばいである。買ってはみたもののそのままでは住めなかったが、さすがに骨組だけはしっかりしており、大黒柱や梁(はり)などは見事なもので、それだけで私たちは満足した。 それは昭和十五年のことで、若者たちはみな召集されて村には年老いた大工が一人残っているだけだったが、戦争がはじまった後でも、すぐ空襲がはじまるわけではなし、ゆっくり修理をすればいいと思っていた。で、私どもは水道町の家から鶴川へときどき通っていたが、そうしたある日のこと、突然東京にアメリカの艦載機が現れて、何発か爆弾を落して行った。空襲警報は鳴る。兵隊さんは駆けつける。隣組の人たちが右往左往する。私はどうしていいか判(わか)らず、子供たちを抱いてぼんやり眺めていたが、飛行機は数発爆弾を落しただけであっさり引上げてしまった。そのあとから黒煙が上るのを見ていると、とてもこうしてはいられないと思い、直ちに鶴川村へ引越すことに決心した。なまじヨーロッパの状勢を知っていただけに、臆病になっていたのと、そうでなくても私ども夫婦はせっかちだったのである。白州正子の著作はもとより 白州次郎についての、本やテレビ番組も多く流れています 白州夫婦を理解するには、やはり鶴川・武相荘を訪ねることではないでしょうか 武相荘には、ゆったり しかし確実に時間がながれています
2008年07月20日
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日曜日です 天気もいいし、「掃除や洗濯も終えたから、お出かけしましょう」ってヨメが言うもんで 出かけました 目指すは、日本橋 三井記念美術館 首都高速を「本町」で降り、ナビのいいなり 着きました。日本橋です 右手前のビルが三井本館 この中に、三井記念美術館があります 左側は、日本橋三越ですね この三井本館 結構な高層ビルです 苦労して撮って、こんな具合です ここまで来て、三井記念美術館の催しを知らずに来た 二人です 「お雛様」展なら、いいやってんで方針変更 出光美術館へ向います 三井本館を出て、すぐ日本橋です ~お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ~ 旧東海道シリーズやるなら、ちっとは敬意を表して 現代の日本橋は、橋の上を首都高速が架かっていますね ここから、丸の内の国際ビル 帝国劇場もある同じビルの出光美術館まで移動します やってきました出光美術館 です あっしは初めて来ましたが、ヨメは帝劇含めて、何度も来ているそうです 館内は撮影禁止ですので、写真はご法度 でも、外の景色くらいいいでしょう これは正面 お濠ごしに皇居外苑 奥に二重橋方向を見ています 左にパンすると お濠の左は日比谷公園、右は警視庁そして国の合同庁舎が並んでいます 右に向くと 外苑が続き、北の丸から九段方向です ここは、帝劇ビルの九階からの眺望です このフロアには、「朝夕菴」という茶室があります これがビルの中とは思えない趣きのあるところ です 純粋に、いいと思いましたので パチリ
2008年04月06日
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幕末のわが国を震撼させた、米国ペリー提督上陸の地 横須賀は久里浜に「くりはま花の国」があります 結構、広大は敷地に四季を通じて花が咲いて、素敵なところです いくらなんでも、この時期にゃ花はない と思い込んで、出かけて見ました「花の国」です これが、実に広いんだ 現在地は、右側の下のほう 園内は、あきれるほど広いのです 時期ともなれば、こんな美しい景色になる花の国です しかし、 今日は、こんな景色です 仕方ありません 「いいところ見つけたので、また来よう」・・・ でも、ちっとは花、咲いていないのでしょうか ってんで、園内を歩き始めました ありました、ありました 緋桜ですかね この木が道端に植えてありました 「緋色」って言えば、シャーロックの世界ですが・・・ もうないの・・・ ありました 反対側の道端(シツレイしました)のノースポールですかね これだけじゃ、アップダウンのある道を とても、見て歩く元気が出ません またの機会にします でも、きっといいところですよね「くりはま 花の国」 デシタ
2008年03月14日
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あーあ 三連休が終わっていきます・・・ 今日は、陽があたって、寒さも少し穏やかです(明日は寒く、雨か雪とのこと) いつもの葉山、写真は真名瀬漁港のすぐ脇あたりから写しました ちょっとボケてますが、富士山、江ノ島、そして右側には名島の森戸神社鳥居が見えます カメラを、少し右に振ると、富士山は見えませんが丹沢の山々、江ノ島、鳥居、そして葉山灯台と鎌倉・逗子の景色が見えます今日は、穏やかな日でした この後、三浦半島の日帰り温泉を探し 葉山・御用邸前から池上十字路、衣笠十字路を抜けて 横須賀・衣笠の近く、佐野町の「のぼり雲」へ行ってきました 入浴料は、大人一人1000円 沸かし湯だそうですが、温泉で 露天風呂も結構 温まりました なかなか結構な湯でしたよ
2008年02月11日
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春を求めて、東京は池上・本門寺とその隣りの梅園へ行ってきました まずは池上梅園です 2月10日、例年なら梅が開花している時期ということを聞き 初めて行きました ここが入口です 本門寺の墓地に続く、小高い丘に梅の木が植えてあります 園内には、大田区の花である梅が約370本あるそうです この日は、実はほとんど咲いていませんでした 案内の方によると、昨年の同じ日には、相当咲いていたとのことです 梅園の中には、清月庵と聴雨庵という、二つの茶室があります これは、清月庵で、この時茶会が開かれているようでした 今回、梅園へ行くのは茶室を見ることが楽しみの一つでした こうした、池に面した和室の建物もありました 実に、いい雰囲気です 梅の花です 接写っぽく写してみました いかがでしょうか 梅園を後にして、坂道を登り、本門寺へ向います 池上本門寺は、まともに来たのは初めてです 実に立派な山門です 山門の向うの建物は、大堂という建物です 本当に大きなお寺ですね この寺自体が、日蓮宗の本山だそうですが 1282年、病の日蓮が身延山を離れ、常陸の国の湯池場へ療養に向う途中、ここ池上で没したのですね 幕末に、勝海舟と西郷隆盛が江戸無血開城の会見をした、松涛園が境内にありますね 境内にある五重塔は、1608年の建物で、唯一空襲を免れて現存しています
2008年02月11日
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気温は、さほど低くないのですが、寒い朝です 六時に起きて、七時チョッと前に家を出るときに、温度は5度でした 葉山目指して、走っていると、なんと小雪が舞っています 当然、今年の初雪です でも、積るほどではなく、ほどなく止みました いつもの、葉山・森戸海岸から江ノ島方向を写しました 今朝の八時頃です 先ほどまで、小雪がちらついていた海の景色です ヨメが、初詣に行きたいって言うんで、鎌倉へ 葉山から鎌倉への移動は、海沿いの134号線を走って 鎌倉・鶴岡八幡宮へ向います その前に、いつもの市場へ寄ります 鎌倉市農協連即売所です 鎌倉周辺の農家による野菜の即売です まさに地産地消です ヨメは、たんまり野菜を買い込んでいました この建物の左隣りは、パタゴニア鎌倉店ですよね そして、鶴岡八幡宮です 元旦や三が日は、とてつもない人出、混みようのはずです しかし、今日は正月も13日です しかも、日曜とはいえ天気の悪い、朝の九時前です それほどの人出ではありません 境内の人を見ていただければ、お解かりでしょう 写真は、石段の上から、段葛、遠く由比ガ浜の海を望む方向です 新年、初詣なので、破魔矢とお守りをいただきました 写真にしてしまうと、ご利益がない、なんてことはないでしょう・・・ お守りは、交通安全です 今年一年、無事故でいきたいものです (違反除けには、ならないでしょうか・・・)そんな、初詣をかねた、ぶらり鎌倉散歩です 帰り道、朝、九時半なのに気温はやっと6度です 寒い一日になりそうです
2008年01月13日
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雨上がりの午前中です 浅草、そぞろ歩きは曇り空、しっとりした雨上がりの空気の中 穏やかな気持ちで、歩くことができました お茶を始めた次男坊 初釜に着る袴を買いに、浅草のちどり屋まで行きました (六月に行ったときのことは・・・) ちどり屋の後、仲見世や浅草寺界隈をぶらぶら歩いて 写真は正月支度のすすむ、浅草寺山門 ヨメは、象牙の簪(かんざし)が「欲しかったの・・・」とかで、仲見世の店で嬉しそうに買っていました 写真は浅草寺の五重塔 お腹が空いたので、釜飯の春まで行って、釜飯を二人で食べました 写真は浅草寺 今日は、馬券売り場が営業していないからでしょう 人出が多くありませんでした でも、仲見世通や浅草寺は、相変わらず、日本語じゃない言葉を話す人々で大いに賑わっていました 浅草は、独特の雰囲気をもつ街です 好きか嫌いか、聞かれれば、まあ好きな街ですね
2007年12月29日
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