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これはCar@niftyに載った、岡小百合作のショートストーリーです。歴史の街・金沢に女、クルマ・・・です。 日々の仕事に向き合っていると、ふと別の街の空気を吸いたくなる。そんなときには、美しさに惹かれて相棒にしたMiTo のステアリングを握って旅に出る──。 エンジンの音が、和音を奏でながら耳の奥を満たす。その美しさに高揚する気持ちをしみじみと味わい、さらにアクセルペダルを踏み込んだ。踏み足されたペダルの分だけ、高音になったエンジンの音を確かめる。時折、休暇をつくっては、旅行をしてきたのだ。人と接するのが仕事であるがゆえ、ひとりきりの自由を満喫したくて、ひとり旅にこだわってきた。海外を目指したのは、なるべく日常から離れたいという意識の表れなのだろう、と考えている。その半面、仕事を越えたサガなのか、あるいはサガがあるからこうした仕事を選んだのか、美しさを追求することで、自ずと欧米の街に目が向いてきたところも、あるのだろうと思う。ところが40 歳を境に、自分の意識が、日本の中にも向き始めたことを感じるようになった。今回の目的地が金沢であることも、その証拠のひとつだ。これが出張ならば、何の迷いもなく、羽田と小松空港を往復するエアチケットを、手配していたことだろう。あえて、自ら運転してクルマで行く、と決めたのは、日常から非日常へと移動する時間そのものを、刻一刻とかみしめたかったからだ。大地の上で。まるで、線をたどっていくかのように。それに加えて、実は相棒がMiToであることとも、関係があるような気がしている。とりわけ、ルックスの美しさに惹かれて、決めたパートナーだった。美の国であるイタリアが生み出したクルマらしい、情熱的でアグレッシブなスタイリング。深紅のルージュにも似た、イキイキとしつつ、艶めかしくもあるカラーリング。そうした要素が、実はブロンドやブルネットばかりでなく、アジアの地に育まれた大人の女性の、潤った肌や艶やかな黒髪を引き立ててくれるだろうことも、見越して選んだ1台だった。 だから、MiToと自分の組み合わせを、「似合う」とか「素敵」などと評価されることは、嬉しい反面、想定内とも言えるのだった。 想定外だったのは、走らせた時のフィーリングだ。そしてそれこそが、自動車でのひとり旅へと、背中を押してもくれたのだ。東京都心の自宅マンションを出発したのは、まだ朝日が昇りきらない時分だった。それから2時間半ほどの間、ハンドルを握っている。途中、一度だけサービスエリアに立ち寄り、熱いコーヒーで喉を潤した。しかしそれは、意識的に休憩をとらなければ、と自分に言い聞かせたからのこと。そうでなければ、休憩もとらずに走り続けていたかもしれない、と感じている。 それほどに、MiToは私に、ネガティブなストレスを与えない。むしろ積極的に、前へ進むことそのものを、快楽にしてしまうようなところがある。 このクルマとつきあえばつきあうほど、その確信は、深まるばかりなのだ。日常的に都心を走るのでは飽き足らず、こうして金沢を目指しているほどに。古都の風情を残す金沢には、日本らしい美しさがふくよかに薫っていた。鮮やかに染まり始めた木々の葉を眺め、深い吸気と共に、日本の秋をたっぷりと体の中に送り込んだ。 北陸一の都市。と言うより、かつての城下町。そう呼んだ方が、金沢にふさわしい。いにしえの面影を残す「ひがし茶屋街」を、ひとり、そぞろ歩きながら、そう思った。 築100年以上の建物に囲まれた、石畳を行く。今でもお座敷があげられていると聞いたお茶屋へと、足を運んだ。丁寧にしつらえられた床の間はもちろんのこと、囲炉裏、ふすま、障子、梁...。磨きあげられたそのどれもが、長い時を経て、大切に受け継がれていることを伝えてくる。 おそらく、生まれた当初はもっと鮮やかな色と形をしていたのだろう。それはそれで、存分に美しかったはずだ。けれども、時を重ねたことで初めて宿る、この深みのある色合い、つや。それもまた、存分に美しい。 存分に美しいのは、そればかりではない。 百万石のお城を支えた街らしい、艶やかな金箔工芸。細い糸から紡ぎだされる、色鮮やかな手毬。繊細な絵付けが特徴的な、九谷焼き。言わずと知れた、輪島の漆塗り。水引を艶やかに編み込んだ、水引細工...。金沢は、京都にも劣らぬ、希少な伝統工芸の宝庫なのだ。繊細な色使いのセンスと、それ以上に繊細な手の技によってしか生まれることのない、美術であり、芸術。そうした美と技に、そこかしこでお目にかかることができる街なのだ。 秀でた芸術に触れ、細胞の隅々までが、綺麗な水で満たされていく。そんな心地を味わいながら、金沢は美しい都なのだと考えていて、はっとした。そういえば、MiToはゆかりのあるふたつの都市であるミラノとトリノ、それぞれの頭の文字から名づけられたのだ。美都――ミトを旅するのに、MiToは最初から、うってつけだったのだ。 照れくさくなるようなアイディアを、堂々と受け入れてしまえるのは、40過ぎた大人の特権だ。ひらめきを、そんな風に正当化しつつ、MiToのエンジンをかけた。東京へ帰る時には、この地で受け継がれてきた美に対する意識の高さを、否、美を愛する魂と技を育んだこの地の空気ごと、ラゲッジルームいっぱいに積んで行こう。そうして、こんなに美しい街のある日本に、黒い髪の女として生まれた幸せを、たっぷりと味わいたい...。 今夜の宿に向かって、クルマを発進させる。綺麗なエンジンの和音が、古都の街並みに小さく響いた。
2011年12月31日
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これは自動車ジャンル?これは音楽イベントジャンル? VWザ・ビートルと沖野修也プロデュースJazzのコラボ・・・ゴキゲンなイベントですね。記事はレスポンスからです。 フォルクスワーゲン・グループ・ジャパンは、『ビートル』の世界デビューと来年の日本導入を記念し、世界的に有名なDJの沖野修也氏が主宰する世界基準にこだわる国内唯一のクラブ・ジャズ&クロスオーバー・ミュージックの祭典「Tokyoクロスオーバー/ジャズ・フェスティバル2011」に特別協賛する。 今年4月上海にてデビューした3世代目ビートルは、発表会をMTVとのコラボレーションによって上海、ベルリン、ニューヨークをつなぐなど、音楽と親和性の高いモデルとして展開している。日本には来年に導入する予定。 同社は導入に前に、新型ビートルのターゲットを、モノ選びにこだわり、新しい商品やファッションだけでなく音楽やアートの流行にも敏感なトレンドセッターとし、今回世界基準のミュージシャンが集うイベントに協賛、フォルクスワーゲンの先進性とビートルの持つ独自の世界観を訴求する。 イベントは「ザ・ビートル・プレゼンツ」と銘打って12月16日にザ・ガーデンホール(東京都目黒区)で開催される。
2011年09月20日
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これは横須賀経済新聞に載っていました。「絶景美術館」ですか!なかなか魅かれる・・・タイトルです。OCNのアート情報専門サイト「artgene(アートジェーン)」は昨年12月下旬、全国に約450ある美術館の中から「絶景美術館・トップ5」を選出し、横須賀美術館(横須賀市鴨居4)が5位にランクインして話題を呼んでいる。 同サイトで好評な「アートなんでもランキング」の第2弾で、「アートだけでなく、風光明媚な景色や美術館の建築自体も楽しめる絶景美術館」を選んだもの。「日本でも指折りの由緒ある名所ばかり。アート好きな方はもちろん、デートや旅行で訪れても楽しめる」(同サイト)としている。 絶景美術館の1位には「足立美術館」(島根県安来市)、2位に「ベネッセアートサイト直島」(香川県直島町)、3位に「海の見える杜美術館」(広島県廿日市市)、4位に「成川美術館」(神奈川県箱根町)などを特集紹介している。OCNは、NTTコミュニケーションズが運営する日本最大規模のインターネットサービスプロバイダで、会員数は約800万人。 横須賀美術館は2007年4月に開設。神奈川建築コンクール最優秀賞を受賞したほか、第49回BCS賞(建築業協会賞)も受賞。「2人がプロポーズできるデートポット」としてNPO法人地域活性化支援センターにより「恋人の聖地」にも認定されている。 観音崎自然公園の中に立地する同館は、海と緑に囲まれた環境を生かして周辺ビュースポットや名所を掲載した「ウオーキングマップ」を作成するなど、アート以外にもさまざまな楽しみ方を提案している。 同美術館運営課の遠藤創太郎さんは「全国の美術館の中でも有数の絶景として評価された。冬は空気が澄んでいるため、房総半島やアクアライン、スカイツリーなど美術館からの景色を1年で最もきれいに楽しめる季節」という。 開館時間は10時~18時。第1月曜休館。 この美術館の場所ですが、観音崎(かんのんざき)ですね。観音崎へ行くには、横浜横須賀道路の終点「馬堀海岸」を右折してから、あとわずかで行けますね。
2011年01月09日
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横浜・みなとみらいにある横浜美術館が企画展「ドガ展」を開催していて、好評なようですね。 記事はヨコハマ経済新聞からです。 横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3)で開催されている「ドガ展」の来館者数が、12月23日に30万人を突破した。 ドガ展は、客観的な視点で近代都市パリの情景を描き残したフランスの印象派画家 エドガー・ドガの国内では21年ぶりとなる回顧展。オルセー美術館所蔵のドガの名品46点をはじめ、油彩画・パステル画約50点など、ドガの初期から晩年にわたる約120点を展示。踊り子たちのエレガンス、水浴する裸婦の輝く素肌、競馬場のざわめきなど、ドガ芸術の魅力を紹介している。 同展は9月18日に開幕後、11月26日に来館者数20万人を突破。日本で初公開となる作品「エトワール」が話題を呼び、その後も来館者数をのばし、12月23日に30万人の動員を記録した。 30万人目の入館者は、南区在住の石塚知江さん、天寧ちゃん親子。当日は横浜美術館の逢坂恵理子館長から作品「エトワール」の額絵が贈られ、「今日は日本初公開の『エトワール』を楽しみに来ました。突然で驚きましたがとてもうれしい」と喜びを表した。 エトワール(フランス語で「星」を意味)は、パリのオペラ座でプリンシパル(主役を踊る踊り子)の花形だけに与えられる称号。作品「エトワール」はドガが描いた踊り子の作品の中でも傑作として名高く、ドガのデッサン力により、スポットライトを浴びて踊るエトワールの一瞬の動きが永遠にとどめられている。また、稽古場や舞台裏の踊り子たちを好んで画題としたドガの作品の中で、上演光景を描いた数少ない貴重な作品だと言われている。 横浜美術館の広報担当者は「生涯を通じ新たな芸術の可能性に挑戦しつづけた画家ドガの尽きぬ魅力を堪能できる展覧会です。ドガ展も残すところ、あと1週間でフィナーレを迎えます。来場者からは『21年ぶりの展覧会で、これだけの作品を鑑賞できる機会はめったにないので足を運んでよかった』とうれしいお言葉をいただいています。まだご覧になっていない方は、ぜひ横浜美術館にお越し下さい」と話す。 エドガー・ドガは1917年に83歳で亡くなったフランスの印象派画家です。すごく室内画が多い画家ですね。
2010年12月27日
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ヨメは知っていましたね、あっしは知りませんでした。眞葛焼です。そのミュージアムができるとの記事がヨコハマ経済新聞に載っていました。 ヨコハマポートサイド地区(横浜市神奈川区栄町6)に10月10日、眞葛焼(まくずやき)を常設展示する「宮川香山 眞葛ミュージアム」がオープンした。 宮川香山は幕末、京都生まれの陶工で、薩摩の御用商人・梅田半之助に海外輸出用の陶磁器製造を依頼され、1870年に横浜に移住。翌1871年、太田村(現在の南区庚台付近)に窯を開き、陶磁器に金彩を用いて上絵を描く外国人好みの「薩摩焼」や「京薩摩」を模倣した製品を創作しながら、独自の技法「眞葛焼」を開発した。 陶器の表面に身近な動植物を立体的に表現した「眞葛焼」の作風は、フィラデルフィア万国博覧会(1876年)への出品をきっかけに欧米で注目を集め、その後、フランス、アメリカ、イギリスなど各地の万国博覧会で受賞を重ねた。初代から2代、3代へと引き継がれたが、1945年の横浜大空襲で3代目が亡くなり、窯は壊滅的な被害を受けて閉鎖。眞葛焼は多くの作品が海外に輸出されており、「幻のやきもの」とも呼ばれている。 同ミュージアムを管理・運営するのは、横浜の老舗洋菓子販売店「モンテローザ」を展開する三陽物産(中区長者町9)。郷土史愛好家である同社代表取締役社長の山本博士さんが、個人的に収集したコレクションを南区の眞葛窯跡地の記念館で公開してきたが、「地域の財産をより多くの方に見ていただきたい」と、同社の社会貢献事業の一環として、記念館をヨコハマポートサイド地区に移転した。敷地面積は約50坪。 作品は、初代香山の遺作とされる、初期眞葛焼の特徴的な作風でカニの細工を施した「琅かん釉蟹付花瓶」、立体技法「高浮彫」の色鮮やかな鳥とあでやかな花が特徴の「花ニ鳥細工楽園花瓶」、中国清朝の磁器を研究して生み出した赤い「釉薬(ゆうやく)」と藍色の染付が調和した「磁質赤地竜紋花瓶」ほか。 ミュージアムには、山本さんが所蔵する個人コレクションの中から厳選した眞葛焼55点(初代から3代目まで)が展示され、近年、欧米諸国から里帰りした眞葛焼の歴史、時代ごとの作風の変遷をたどることができる。そのほか、「勝海舟直筆の手紙」を含む掛け軸3点も紹介されており、宮川家の所蔵する貴重な古写真のスライド上映も。 「世界に愛された『眞葛焼』の魅力を伝え、若い世代に横浜の歴史や文化を感じてほしい」と話す山本さんは、当地を選んだ理由について、「香山の作品は横浜の港から世界へと旅立って行ったので、『海』を間近に感じられる場所にこだわった。ここは、同社が販売する神奈川台場をモチーフにした縁起菓子『勝サブレ』ゆかりの神奈川台場跡からも近いので、将来は横浜の歴史をたどるミュージアムを起点にしたウォークイベントなども開催したい」と語る。 眞葛焼150点を豊富な写真と解説で紹介する「世界に愛されたやきものMAKUZU WARE 眞葛焼 初代宮川香山作品集」(山本博士編著)は神奈川新聞社(中区太田町2)より10月末に発行予定。価格は3,990円(A4変形260ページ)。 入館料は大人=500円、中高生=200円、小学生以下無料。開館=土曜・日曜の10時~16時。問合せは眞葛ミュージアム事務局(TEL 080-3172-8570)まで。 さて眞葛焼です。ここに登場する山本(博士)さんのブログを見せていただきましたが、御自身の名をもじって、「眞葛博士」と号していられました。 今日もブログを見て頂き、有り難うございました。
2010年10月11日
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世界の名車マセラティと古都・京都。何とも、似つかわしい組合せです。 記事はCar Viewからです。 日本イタリア協会が主催し、マセラティ・ジャパンが協賛する『高台寺音楽祭2010』が、9月19日に京都・東山にて開催された。 当日は、美しくライトアップされた東山・高台寺において特別演奏会を開催。イタリア文化を代表するオペラの演奏には、国際的に活躍中のアーティストだけでなく、今夏イタリアのTeatro Olimpicで開催された国際フェスティバルに参加した、ジュニア日本代表も登場。会場は大いに盛り上がりをみせた。 また演奏会の後には、著名な日本画家として知られる竹内栖鳳(せいほう)氏の旧邸でレセプションパーティーを実施。約200名の観客は、往時をしのばせるサロン的な雰囲気の中で、名画に囲まれながら談笑を楽しんだ。 このイベントを主催した日本イタリア協会は、日本とイタリアを結ぶ音楽の架け橋として、日本のクラッシック音楽の草分けである故中川牧三氏が1966年に設立発足。長年にわたり芸術文化の研究、育成、振興、国際交流を促進してきた。 マセラティはこの協会の活動に賛同し、今回の『高台寺音楽祭2010』を協賛企業としてスポンサード。今後も継続して活動をバックアップするとしている。 何とも文化的な、そしてクラシックな催しです。
2010年09月23日
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文化というのは、人間生活を豊かに永続するものの中に価値があるといえます。それは人々の暮らしに根ざした、いつまでも輝き続けるものを指しているのでしょう。記事は湘南経済新聞からです。 鎌倉・小町通りの「Gallery-YU(ギャラリー・ユー)」(鎌倉市雪ノ下1、TEL 0467-22-3016)で9月7日から、日常で使いやすいスタイリッシュな漆作品展「暮らす うるし展」が開催される。 作品を手がけるのは、現在沖縄県立芸術大学でデザイン専攻助手として勤務する傍ら沖縄で制作活動している漆造形作家の松本由衣さん。大学時代に漆芸を学び、「漆という素材の魅力に出会い、漆で造形する楽しさと可能性を感じた」ことから、それ以来「漆芸作品」を制作し続けている。同ギャラリーで個展を開催するのは2回目。 現代の生活に合った漆器をデザインし、木地から塗りまで手がけている松本さん。「ぐいのみ」(8,000円~)、「お椀」(1万2,000円~)など、食器や花器、酒器など約60点を展示販売する。 松本さんは「漆器は扱いが難しいとか高価だと感じがちだが、実際に使ってみると使い勝手の良いもの。長く使えて、修理やメンテナンスもできる。ゆったりとした食事やお酒を飲む時間、生活に漆器で彩りを加えてみてほしい」と話す。 営業時間は10時~18時(最終日は17時まで)。今月13日まで。 「鎌倉」「うるし」と来れば、鎌倉彫という歴史的な漆工品がありますけどね。 古都・鎌倉には人の暮らしを豊かにし、生活に密着した文化を積み重ねる営みが続いていきます。
2010年09月07日
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横浜は山下町コンテナ街道に新しい文化施設が出来るようです。記事はヨコハマ経済新聞からです。来年1月にオープンする神奈川芸術劇場とNHK横浜放送会館との合同施設(横浜市中区山下町281)の竣工(しゅんこう)式と見学会が8月5日に行われた。 神奈川芸術劇場(KAAT)は、神奈川県民ホールと一体運営する中規模ホール。開港以来の歴史を持つ同地区を県の文化芸術の拠点とし、演劇、ミュージカル、ダンスなどの優れた舞台芸術作品の鑑賞機会を提供することを目的とする。初代芸術監督を務めるのは演出家の宮本亜門さん。 竣工式は同施設1階アトリウムで開催され、神奈川フィルハーモニー管弦楽団員の演奏で華やかにスタート。式典には松沢成文神奈川県知事、林文子横浜市長をはじめ、建設工事関係者や地域関係者、一般公募の県民35人が参加。テープカット終了後は、横浜山手中華学校校友会国術団による中国獅子舞が披露された。 同施設の完成に伴い、松沢知事は「神奈川芸術劇場の周辺には、山下公園、元町、中華街など個性豊かな観光スポットがそろい、まさに『before& after the show』。国内外から多くの人が訪れる場所にしたい」。また、林市長は「楽しい演劇を観たあとはお腹がすくもの。先端的設備を備えた素晴らしい劇場で、特に感銘を受けたのはホールの床昇降システムを導入した可動客席。宮本亜門さんのアイデアとリーダーシップに期待しています」と語った。 芸術監督を務める宮本さんは「この劇場で何を広げるかというと、人と人が心を広げるということ。KAATは皆さんの劇場、小屋です。ぜひ一緒に盛り上げていきましょう」と挨拶。 宮本さんは7月28日、都内(渋谷区)で2011年3月までの自主事業ラインナップを発表した。 演目は、2011年1月=「金閣寺」(宮本亜門演出、三島由紀夫原作)、「浮標(ぶい)」(長塚圭史演出、三好十郎原作)。2月=「ゾウガメのソニックライフ」(仮タイトル、岡田利規作・演出、チェルフィッチュ)。 3月=「Kappa/或小説」(三浦基演出、芥川龍之介原作、劇団「地点」)、春風亭小朝「春風亭小朝独演会」(仮タイトル)、「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」(平常:たいらじょう脚本・演出・美術・作曲・人形操演、水上勉原作)、「杉本文楽 木偶坊 入情(でくのぼういりなさけ) 曾根崎心中付り(つけたり)観音廻り」(杉本博司構成・演出・美術・映像、近松門左衛門作、作曲・演出 鶴澤清治)。日本文学シリーズでまとめられ、チケットの発売は10月以降を予定している。 神奈川芸術劇場は、高さ約50メートル(NHKアンテナタワーを含めると約110メートル)の地上10階・地下1階建ての鉄筋コンクリート。建築面積=約 4,900平方メートル、延べ床面積=約18,000平方メートル(NHKを含む全体面積=約24,000平方メートル)。 客席に「床昇降システム」を導入する約1,300席のホールのほか、小劇場・稽古場・イベント会場などさまざまな用途に使用できる多目的スタジオ「大スタジオ」(約400平方メートル)、中・小スタジオ(約230平方メートル)、アトリエなど多様な設備を備える。同建物にはNHK横浜放送会館、駐車場が併設。 この場所は、横浜の都心にしてはいつまでも空いていて土地ですね。この近くに、県民ホールってのがあるのですが、「一体運営」ってイッタイなんなんでしょうか? そもそも、こんなもの必要だったの? ってことにならないでしょうか・・・ 宮本亜門があいさつで、「この劇場を、我々はなぜ生きるのか、どのようにして生きるのか、を考える場にしたい・・・」と言っています。 しかし、劇場自体が「劇場はなぜ必要なのか、どのように作られてきたのか・・・」よく考えたほうがいい・・・
2010年08月08日
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そうでした、そうでした!七月の横浜は、フランス月間です。これはヨコハマ経済新聞の記事からです。横浜みなとみらいホール(横浜市西区みなとみらい2)で7月7日、「第4回 ボルドー音楽祭 Musiques Festiv’ 2010 in 横浜」が開催される。ボルドー音楽祭は、ワインの都としても知られるフランスの都市・ボルドーで2002年から開催されているクラシックの祭典。横浜では、横浜日仏学院が主催する「横浜フランス月間2010」の一環として、同音楽祭のオリジナルメンバーを日本に招き、日本の気鋭演奏家との共演によるステージを披露する。 今年のテーマは魅惑の都「パリ」。7日はプログラム「狂喜の時代 プーランク」のもと、2部構成で、フランスの作曲家・プーランクが描き出した「管弦楽とピアノのための6重奏」、「クラリネットとピアノのためのソナタ」など、フランスのエスプリ漂うステージを再現する。横浜出身、フランス在住の国際的ピアニスト・池田珠代さんも登場する。 関連イベントして、7月8日と9日は、山手の西洋館「イギリス館」(中区山手町115)ほかでパリの専門教授による「マスタークラス」を実施。レッスン料は通訳付きで35,000円、聴講料は2,000円(1日券)。いずれも少人数先着順、予約制。申し込みは横浜日仏学院(TEL 045-201-1514)まで。 会場は横浜みなとみらいホール・小ホール。開場18時30分、19時開演。チケットは一般4,000円。問い合わせは横浜みなとみらいホール(TEL 045-682-2000)まで。 七月にエスプリの利いた文化ってのも、いいですよねー
2010年07月06日
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松尾芭蕉の「春」、有名な句には ~花の雲鐘は上野か浅草か~これは、花曇りの空に鐘の音が聞こえる。あれは上野寛永寺の鐘か、それとも浅草浅草寺の鐘なのか・・・ という句であります。「花曇り」とは、桜咲くときであります。 もう一つ、あっしの好きな句があります。 ~さまざまのこと思ひだす桜かな~この句は、一見、誰にでも詠めそうな句なのです・・・ しかし、この句の解釈は、結構難しいようです。実に示唆に富んだ句でもあります。桜は、一年に一回しか咲きません。しかも、数日咲いているに過ぎないでしょう。つまり、思い出すのは遠い昔の日々なのでしょう。そして、この句には愉しい思い出はあまり浮かんできません。思い浮かべるのは、無念な思い出、残念な出来事。腹立たしい事件。そういったことが重なる。しかも、それらは全てこの短い桜の咲く季節に起こるのです。この平凡そうな句の中に、秘められた真実があるのです。あっし自身、自分の人生とも重ねて、好きな句です・・・
2010年04月03日
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うっー! 読売がこんな記事を書いている。あまりセンセーショナルに書かれると・・・ でも、まあ載せましょう。ということで、記事は読売の「旅ゅーん」からです。歴史遺産の宝庫、正倉院の宝物を紹介する「第61回正倉院展」(主催・奈良国立博物館、特別協力・読売新聞社)が24日、奈良市の同博物館で開幕した=写真、中原正純撮影=。早朝から約1000人が列をつくり、午前9時の開館時間が5分早められるなど、場内は熱気に包まれた。 天皇陛下の即位20年を記念して、会期は例年より3日長い11月12日まで。66件の宝物が出展される今年は、細部にまで技巧を施した工芸品が多いのが特徴。夜光貝や琥珀(こはく)などで表した花文様に葉脈が細い線で彫られた「平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)」などが並び、来場者が目を凝らして鑑賞していた。 開館時間は午前9時~午後6時。金、土、日曜と11月3日は、午後7時まで延長する。 出展品などの情報はヨミウリ・オンライン「天平の煌(きら)めき第61回正倉院展」(http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/)でも公開している。 やはり、秋は・・・ 文化の秋ってことで、行かなきゃ・・・
2009年10月28日
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この本が出ることは、あちこちのニュースソースに書かれています。ここは、クルマ好きらしくCarviewからお届けします。ミシュランは、日本に関する旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン』の英語版を、9月7日(月)から販売する。 日本政府観光局(JNTO)は、2010年に訪日外国人旅行者数1000万人を達成するという目標を掲げた『ビジット・ジャパン・キャンペーン』を展開している。同社は、日本政府観光局の協力を得て、2007年4月にフランス語の実用旅行ガイド『ミシュラン・ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』、2009年3月に『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』フランス語版を刊行。 この『ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン』英語版は、この取り組みで誕生する日本の旅行ガイド第3弾となる。 『ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン』は、“旅行を計画する(青)”、“日本を紹介する(オレンジ)”、“「日本を発見する(緑)”の3つのセクションで構成。“旅行を計画する(青)”は、交通機関や宿泊施設の説明と活用法などの実用情報に加え、日本の礼儀やマナー、日本人の習慣なども紹介。 “日本を紹介する(オレンジ)”では、日本の文化について詳しく解説。歴史や宗教観、政治・経済だけでなく、芸能や食文化までも紹介しており、『ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン』の特徴となっている。 “「日本を発見する(緑)”では、日本各地の見所を紹介。景勝地だけでなく、観光案内所や交通手段などの実用情報に加え、予算に応じて選べる宿泊施設や食事処も掲載する。 『ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン』では、観光地や建築物・文化財などには、旅行者へのお薦め度という観点から、“わざわざ旅行する価値がある(★★★)”、“寄り道する価値がある(★★)”、“興味深い(★)”を意味する星がつけられるのも特徴。 東京、京都、奈良、富士山、松島、日光、高野山、高山、白川郷、宮島などの観光地や、法隆寺、姫路城、伊勢神宮、高尾山、屋久島、川平湾 、五箇山などの観光スポットが三つ星に選ばれている。 ■参考店頭価格:2310円 という本の紹介でした。
2009年09月06日
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この番組は、よく見ています。ただし、時間帯がなかなか合わないので、録画しておいて土曜日にでも見ていますが・・・ もう10年経つんですね。記事は、朝日からです。国内外のすぐれた美術品を紹介する「美の巨人たち」(テレビ東京系)が今春、10年目に突入した。俳優小林薫の落ち着いたナレーションで、作品誕生の背景や作者の逸話などを紹介する。放送は主に土曜午後10時。週末の夜に肩ひじ張らずゆったり楽しめる美術番組だ。 00年4月に始まり、今年3月28日の「ホーホストラーテン作『部屋履き』」で450回の節目を迎えた。これを記念して3月末から4月上旬にかけ、レンブラントの「夜警」やレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐(ばんさん)」といった名作の謎に迫る特集をした。 番組1回につき、1作品を取り上げる。作品を収蔵する施設やゆかりの地でロケを行い、創作の経緯を紹介したり、作者の人物像を浮き彫りにしたりする。永田浩一プロデューサーは「作品から見えてくる芸術家の思いや人生を、硬くならないように伝えたい」と話す。番組に欠かせないのが、レギュラー番組のナレーターは初という小林だ。「ナレーターが前面に出ないこと。色を出さないこと」を心がけていると言う。一方で台本や企画には意見を出す。07年12月の「泰西王侯騎馬図屏風」は小林の発案から生まれた。ロケに出かけることもあり、昨年はフランスを訪れ、藤田嗣治の最後の作品「平和の聖母礼拝堂」などを紹介した。 番組に登場する愉快な案内役も番組の雰囲気をやわらげる。全身黒タイツの「モデュロール兄弟」で、人体の大きさを基にしたル・コルビュジエ独自の尺度「モデュロール」をもじっている。ジョサイア・コンドル設計「旧岩崎邸」といった回でコミカルに立ち回る。 扱う作品は絵画が中心だが、建築や工芸品も取り上げるようになった。昨夏からは夏休み特別企画として日本の建築シリーズを始め、「厳島神社」などを取り上げた。今夏も「熊本城」をはじめ4カ所を紹介する予定という。 これからの予定を見ても、ふむふむ・・・ 愉しみが拡がります。
2009年06月10日
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日本の名水100選ってのがあります。ついつい、こういうネーミングに惹かれますね。ずらっと見渡して、やはり気になるのは神奈川県の二か所です。一つは、足柄上郡山北町の「洒水の滝・滝沢川」です。ここは、行った事ありますね。滝っていうのは、あまり日当たりのいいところにはありません。ですから、オゾンだかが溢れているのかも知れません。雰囲気のある、滝です。もう一つは、秦野市(はだのし)の「秦野盆地湧水群」です。ここも行った事あります。秦野の街のあちこちに湧水が沸いています。秦野はいい街です。あまり都市化の進んでいません。かって、タバコの街だったのですが。今は、そのイメージを無くそうとしています。 名水100選。皆さんの暮らす街のそばにもあると思いますが。いつまでも、いつまでも残していたい。生活の文化みたいな存在ですね。
2009年04月28日
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パソコンのお引越しは、延期にします。やはり、土日でないとできません。そこで、こんな記事を読売で発見しました。読売新聞創刊135周年を記念して新時代の景観を選ぶ「平成百景」が決定した。反響は大きく、投票総数は64万票を上回った。それをもとに選考委員会を開き、100景観を選定した。読者投票で堂々の1位に輝いたのは「富士山」。地元・山梨の熱烈な支持で2位に入ったのが「昇仙峡」で、3位の「知床」へは「後世に残してほしい」という声が多数寄せられた。平成になってから誕生したり、見直されたりした景観で投票上位に入り、選考委員の評価が高かったのは、「甲府盆地の夜景」と「東京ディズニーリゾート」。そのほか、「横浜みなとみらい21」「鉄道博物館」「直島」など、新時代の息吹を感じさせるスポットが続々と選ばれた。 ってんで。わが神奈川県からは、「横浜みなとみらい21」、「鎌倉」、「箱根・芦ノ湖」のほか、「京浜工業地帯」がノミネート群に入っています。ベスト30にはまだ入っていませんね。
2009年04月16日
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こういうニュースは、何か嬉しいですね。しかも、江戸東京博物館の話題です。記事は、読売です。漫画家、手塚治虫(1928~89)の東京都東久留米市の自宅に残されていた愛用の仕事机が、18日から江戸東京博物館(東京都墨田区)で開かれる「手塚治虫展」(読売新聞社など主催)で展示される。一般公開は初めて。「ブラック・ジャック」「ブッダ」「火の鳥」など後期の名作が描かれたと見られる。この机は一般的なスチール製の事務机。亡くなるまで20~30年間使用し、1980年にこの家が建ってからは、2階の約8畳の仕事部屋に置かれていた。引き出しには愛用のめがねや手帳のほか、医師の資格を持つ手塚らしく年代物の聴診器も入っていた。長男の眞さんによると、手塚は自宅で仕事をすることも多く、忙しくなると布団に腹ばいになってマンガを描いていた。眞さんは、「若いころはみかん箱で描いていたほど道具にこだわらなかった。愛用したシンプルな机からも弘法筆を選ばない人生を貫いたことが分かってもらえるはず」と話している。(2009年4月9日 読売新聞) これは、一度は見にいきたいと思いますね。 手塚治虫って言えば、レスポンスにはこんな記事も載っていました。あの『鉄腕アトム』が、“アトム史上初”となる本格的な映画として、原作者・手塚治虫生誕80周年の今2009年、公開されることが決定した。タイトルは『ATOM』(アトム)。フルCGで制作される。1951年より雑誌連載された『アトム大使』の登場人物であったロボットのアトム。52年からは主人公として『少年』に連載、63年から日本初の国産テレビアニメになった。新作映画の声優は、主人公のアトム役にフレディ・ハイモア、テンマ博士にニコラス・ケイジ、お茶の水博士にビル・ナイらが決定している。監督はデビッド・バワーズだ。制作はイマージスタジオ。制作作品に『TMNT』(ミュータント・ニンジャ・タートルズ。2007年)がある。2009秋、全国ロードショー こりゃ、うちの家族がほって置かない話題となります、です。
2009年04月10日
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作家の村上春樹。同じ世代でもありますが、その動きはずっと注目しています。今回は、激動するイスラエル・エルサレムへの旅ですが。やはり注目を集めましたね。一連の報道を、アサヒの記事を横断的に掲載してみます。まず、1月24日から。イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞の09年受賞者に作家の村上春樹さんが決まった。受賞選定委員長が編集長を務めるイスラエルの有力紙ハアレツは21日付で、受賞理由について「日本文化と現代西欧文化とのユニークなつながりを描くなど、西側で最も人気がある日本人作家。読むのはやさしいが、理解するのはむずかしい」と伝えた。イスラエル各紙は、村上さんが来月の授賞式に出席すると報じている。 続いて、2月10日。イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞の受賞者に決まった作家、村上春樹さんに対して、大阪の民間団体「パレスチナの平和を考える会」がホームページに公開書簡を掲載し、受賞の辞退を求めている。欧米などから集まった賛同者約800人の署名を、村上さんに渡したいという。同会はホームページ上に、村上さんへの公開書簡として、同賞は「社会における個人の自由」への貢献を讃(たた)えるものとしているが、イスラエルがガザで行った虐殺などは賞の趣旨に反する、などとした文書を掲載している。同会の役重善洋(やくしげ・よしひろ)事務局長は「国際的に有名な村上さんの受賞は、イスラエルの戦争犯罪を隠し、免罪することにつながる」と懸念している。 同じ2月10日の記事では作家村上春樹さん(60)がイスラエル最高の文学賞・エルサレム賞に決まった。63年に始まった隔年の賞は、エルサレムの国際ブックフェアで「社会における個人の自由」に貢献した文学者に贈られる。受賞者には、バートランド・ラッセルやボルヘス、オクタビオ・パス、J・M・クッツェー、アーサー・ミラーら著名な名前が連なる。日本の作家として初めての受賞は、めでたいはずだが、思い浮かんだのは「壁」である。村上さんの長編小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」には、「高さは七メートル、街のぐるりをとり囲んでいる」壁が出てくる。越せるのは鳥だけで、門しか出入り口がなく、外の世界へ行く自由がない。いま、イスラエルは、パレスチナ自治区の周囲に、もっと高い、それこそ鳥しか越せない壁を築いている。今回のガザ攻撃では、逃げ場のない多くの子どもを巻き込んで、1300人以上の死者が出た。15日の授与式ではエルサレム市長から賞は贈られる。エルサレムにも壁がある。ユダヤ人の苦難を象徴する「嘆きの壁」だけではない。67年の第3次中東戦争でイスラエルが占領・併合した東エルサレム地域の周囲にも、高い壁が築かれているのだ。自由をはばむ「壁」と「個人の自由」という言葉の落差に目がくらむ。最近の村上さんは、共同体の記憶、社会の闇をみつめる大事さを強調し、日本のナショナリズムの高まりを警戒していた。世界のムラカミとしてどんな受賞講演をするのか気になるが、関係者によれば「現地の政情の問題もあり、最終的には参加できるかどうか未定」という。 そして、本日2月16日の記事です。イスラエルのメディアは、15日に作家の村上春樹さんがエルサレム賞の授賞式で行った講演について、批判的には伝えず、授賞式に出席したことに力点を置いた。16日付の有力紙ハアレツは講演を「詩的」と表現し、村上さんが「ガザで多くの無実の人が殺された」と述べた、と客観的に伝えた。また「イスラエルに行くなと言われたが、自分の目で見ようと決意した」との内容を引用した。英字紙エルサレム・ポスト(電子版)は「得意の難解さで受賞理由を説明」の見出しで、講演は「真にムラカミ・スタイルの、あいまいともいえるもの」としたうえで「時差と政治的反対を押し切ってエルサレムで受賞した」などと報じた。 授賞式での様子は、毎日の記事がよいので村上さんは、英語で演説し、ガザ攻撃について「1000人以上が死亡し、その多くは非武装の子供やお年寄りだった」と言及し、事実上イスラエル軍の過剰攻撃を批判した。日本国内で受賞拒否を求める声が上がったと説明するとともに、「私は、沈黙するのではなく(現地に来て)話すことを選んだ」と述べた。そのうえで村上さんは、人間を殻のもろい「卵」に例える一方、イスラエル軍の戦車や白リン弾、イスラム原理主義組織ハマスのロケット弾など双方の武器や、それらを使う体制を「壁」と表現。「私たちは皆、壁に直面した卵だ。しかし、壁は私たちが作り出したのであり、制御しなければならない」と述べて命の尊さを訴えた。イスラエルでは「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」など村上さんの作品11冊がヘブライ語に翻訳されており、抜群の人気と知名度がある。しかし、演説を聴いたイスラエル人男性からは「エルサレムまで来て賞を受けながらイスラエル批判をするのは納得いかない」との不満の声も漏れた。 文学と政治そして戦争は、往々にして桎梏しあいます。しかし、そんな状況を敢えて選んだムラカミにあっしは拍手を送りたいと思います・・・
2009年02月16日
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新作映画のご紹介です。クリント・ イーストウッド主演・監督の映画作品の紹介が、レスポンスに載っていました。レスポンスですから、当然、クルマものです。 クリント・イーストウッドがオスカー受賞作『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)以来の映画出演となる。監督も兼ねる作品は『グラン・トリノ』、そしてもうひとつのメインキャストが題名のフォード車の『グラン・トリノ』だ。イーストウッドの役どころは朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキー。偏屈で頑固なコワルスキーが隣人との交流を通じて、自らの先入観や偏見を改めていく。ウォルトの唯一の楽しみはグラン・トリノの手入れだ。この72年製の愛車にシルクのシートをかけ、自宅のガレージに大切にしまいこんできた。フォードの自動車工場で、この車にハンドルを取りつけたのはほかならぬウォルトである。「あのグラン・トリノは自慢の息子なんだ」とイーストウッド。「というより、ウォルト自身だね。運転するわけでもなく、ただガレージに置いているんだが、ときどき外に出してワックスをかけてやる。ビール片手に愛車を眺めるのが老後のいちばんの楽しみなんだ」グラン・トリノはスタッフがユタ州バーナルで見つけた実物だ。車両部のラリー・ステリングが説明する。「我々はのっけからツイていた。ちゃんと動く1台に出会えたから」。「あのグラン・トリノはメンテナンスが行き届いていて、クリントも大いに気に入った。多少は手を入れたが、バンパーを交換した程度で、少々ツヤも出した。色味もいいし、車内もきれい、おまけによく走る」ミシガン州のロケ現場で無事に出番を終えたグラン・トリノだったが、そこで話は終わらない。「下取りに出すつもりだったが、時間が経つにつれて愛着がわいてきてしまった」と製作のロバート・ローレンツは明かす。「クリントに相談したら、手放すのはやめようと言われたよ。我々のためにがんばってくれた車だから、しばらくは手元に置こうと思う」『グラン・トリノ』は09年4月ゴールデンウィークに全国ロードショー。 クリント・イーストウッドは、1930年5月生まれですから78歳ですかね。日本だったら、後期高齢者・・・ ですよね。どれもカッコよかったですね。最初の「ダーティ・ハリー」が1971年ですね。「荒野の用心棒」は1964年です。白黒テレビ時代の「ローハイド」は1959年から1965年まで放映されています。驚くなかれ、半世紀前のことです。
2009年02月01日
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秋です。そう、秋は文化の秋でもありますね 横浜美術館の展覧会の記事は、ヨコハマ経済新聞からです◎横浜美術館で展覧会「セザンヌ主義」-ピカソやゴーギャンなど横浜美術館(横浜市西区みなとみらい)で11月15日より、画家ポール・セザンヌと、その芸術に影響を受けたヨーロッパと日本の画家の作品を紹介する展覧会「セザンヌ主義-父と呼ばれる画家への礼讃 ピカソ・ゴーギャン・マティス・モディリアーニ」が開催される。主催は横浜美術館、日本テレビ放送網、読売新聞東京本社 。同展は「近代絵画の父」と呼ばれたセザンヌが後世に与えた影響を、「セザンヌ主義」とも呼ばれる作家の作品を並べて展示することで、比較しながら読み解こうというもの。セザンヌの絵画を「人物・肖像・水浴」「風景画」「静物画」の3つのセクションに別けて紹介するほか、ピカソやゴーギャン、モディリアーニをはじめ、安井曾太郎、岸田劉生、森田恒友、佐伯祐三ら日本の近代美術を代表する画家たちの作品が一堂に会す。関連企画としてアニエス・ドラノワさん(モーリス・ドニ=プリウレ美術館館長)による講演会「セザンヌと絵画における象徴主義の誕生」や永井隆則さん(京都工芸繊維大学大学院造形科学研究科造形工学部門准教授)による講演会「セザンヌ主義の発生と変遷」、元お笑い芸人のとに~さんによるおもしろ作品ガイド「とに~の美術館へようこそ!」などが開催される。開館時間は10時~18時。観覧料は一般=1,400円、大学・高校生=1,100円、中学生=800円。関連講演は聴講無料。1月25日まで。横浜美術館に限ったことではありませんが ミュージアムショップをのぞくだけでも、興味をそそられる品々あります ぜひ、お出かけください
2008年11月11日
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深まりゆく秋に 一期一会の茶事体験 うちのヨメは、(まだ結婚する前)若い頃にお茶のお稽古に通ったが 仕事が忙しくなり、ついつい行けなくなった 子どもも大きくなり、やはりお茶を習いたいと 五年ほど前から 習いに通っている 夫たる、あっしも誘われ「一緒に、教わろう・・・ 」 一年半ほど、教わりに通ったのだが ダメだ。膝が痛くなる ずっと座っていられない ってんで、あっしはあえなく挫折 その代わりと言っちゃなんだが、次男が通い始めた これは、今のところ二年近く続いている そんなこともある訳で、茶席に付き合う機会は 今でもときどきある「茶事」とは一期一会の精神で一碗のお茶を深く味わう日本の伝統あるおもてなし。一期は一生、一会は唯一、今生の出会い。つまり茶席で幾度同じ主客が会するとしても今日の茶会はただ一度限りの茶会という意味が一期一会である。 茶事の構成は懐石、炭手前、中立ち(休憩)、濃茶、薄茶のお点前から成り立つ。その中心はあくまでも濃茶であり、濃茶をおいしく飲んでいただくために懐石や菓子を供するのである。懐石は濃茶をいただく前の空腹を整えるという意味があり、美しい料理とともに季節の器やしつらいなども堪能したい。懐石の後、主菓子をいただき、いったん休憩に入ることを中立ちというのだそうだ。茶事は、ひとつひとつの所作に美しい表現方法が使われているのだな、と今さらながら感心させられる。 再び茶席に戻ったら、亭主が炭をおこし、濃茶、薄茶と茶事は静かに進められていく。夕暮れから始まり、夕闇へむけて、暮れゆく日のうつろいを楽しむ夕ざりの茶事。 蝋燭のほのかな灯りのもと、静寂な時の流れと幽玄な世界に包まれ味わうお茶は、言葉では言い表せないほど格別だ。 信長や秀吉、千利休の時代は戦国時代 いつ死ぬか、殺されるか解からぬ時代 一期一会が「一度限り」という言葉に実感があったのでしょうが 現代では、こう解釈したほうがよいということです もう一つ、茶席の愉しみ茶事や茶会では、基本的に会話をするのは正客と亭主のみ。ほかの客は正客のお尋ねと、亭主の受け答えをじっと聞いて、その日の席のテーマや趣向を知るわけです。つまり、その会話の内容如何で茶会が楽しくもなり、あるいは楽しくないものになり、また正客のお茶の修練の度合いもすぐにわかってしまう。そんな茶席のおハナシです 時代が移ろい、いろいろなことが変わっていきます しかし、旧き善きものは いつまでも大切にしていきたい そんな、自然な気持ちにさせてくれる 茶の世界です
2008年11月03日
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逗子のことです 記事は、湘南経済新聞です◎「逗子湘南ロケーション映画祭」12月開催-新藤兼人監督特集も逗子をロケ地とした映画などを紹介する「逗子湘南ロケーション映画祭」が12月6日・7日、逗子文化プラザホール(逗子市逗子4、TEL 046-870-6622)で開催される。同映画祭は、逗子・湘南のロケ地としての魅力の発信、若手映画監督・脚本家の育成、市民参加を目的に毎年12月に開催されているもの。昨年は約600人が参加した。4回目となる今年は、ベストセラー児童小説を映画化した「テラビシアにかける橋」ほか、逗子がロケ地となった松尾スズキ脚本・監督の「クワイエットルームにようこそ」を上映(6日)するほか、逗子に長年居住していた映画監督であり脚本家の新藤兼人さんによるトークショーを含む「新藤兼人特集」(7日)を予定する。前売り券は一般700円(1日セット券1,000円)で、同ホールほか同市内レコードショップ、書店などで発売している。特集の前売り券は11月10日に発売予定。同映画祭では併せて運営ボランティアも募集している。主な業務は場内整理など映画祭当日の接客などで、すでに数人の応募があるという。担当の畠山さんは「市民参加はこの映画祭の目的な要素のひとつ。逗子市内外、学生から社会人まで幅広く募集している。一緒に映画祭を楽しく盛り上げてもらえる明るい人に応募してもらえたら。気軽に応募を」と話す。こういう話題は いいですね 何か、殺伐とした 金、経済の話ばかりでなく 地方文化を、根付かせようとする人々が 一生懸命にやっている姿勢が見えます逗子文化プラザホールです
2008年10月28日
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2001年に始まった日本最大級の現代アートの国際展・横浜トリエンナーレ その3回目となる「横浜トリエンナーレ2008」が9月13日(土)に開幕しました 期間は11月30日(日)まで 今回のテーマ「タイムクレヴァス(ときの裂け目)」に基づいて、世界25カ国・地域から73名のアーティストが参加していますこのトリエンナーレの中でも 日本的な風景の中、インスタレーションの展示を行っているのが三溪園です サブ会場という位置付けのため、展示作品は6つと少なめですが、各アーティストの趣向を凝らした演出は必見です横浜トリエンナーレのホームページは、こちら横浜を代表する名園、三溪園と現代アート国際展「トリエンナーレ2008」が同時に愉しめる企画です 三溪園を観るだけでも、ぜひお出かけを と申し上げていますが こうした付加価値のある三溪園 これは見逃せませんね
2008年09月21日
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何のこっちゃ!厚木を代表する2大アイドルといえば、榊原郁恵と小泉今日子! この2人が故郷で地元市民と共演するという特別イベントが9/6(土)・7(日)の2日間にわたり、厚木市文化会館にて実現する! このイベントは、11/2(日)に同所が開館30周年を迎えることを記念して開催される音楽劇「リバーソング~永遠のハックルベリィ・フィンたちへ~」。横内謙介作・演出の本作は、1人の少年が小さなイカダで旅立ち、夢見る力を尽くし、さまざまな経験をしながら、あこがれの海へと向かう物語。郁恵ちゃんとキョンキョンは、この中に特別出演し、あのヒット曲を披露。30周年の記念イベントに華を添える。 だそうです Wikipediaによれば、榊原郁恵は (1959年5月8日生まれ)は、日本の元アイドルで歌手、女優、タレント。本名、渡辺 郁恵(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原。川崎市で産まれ、3歳より同じ県内の厚木市に引っ越す。神奈川県立厚木東高校を経て堀越高等学校卒業。ホリプロ所属。夫は、俳優の渡辺徹。2男の母でもある。小泉今日子は (1966年2月4日生まれ)は日本の女性歌手、女優。所属事務所はバーニングプロダクション。血液型O型。愛称:キョンキョン、キョンツー、キョンちゃん。神奈川県厚木市出身。厚木市立三田小学校卒業、厚木市立睦合中学校卒業、神奈川県立津久井高等学校中退。明治大学付属中野高等学校編入・中退。 だそうです 思い出しました 厚木市文化会館は、あっしも仕事で行ったことがあります・・・皆さん、地図を開けて 神奈川県を見てください 厚木市こそ、神奈川県の真ん中にあると思いませんか 横浜市は、東のはずれ 海に面してあります・・・ 厚木市こそ、神奈川県の県庁所在地に 相応しいと、子どもの頃から思ってきました いつも明るく 愛くるしい榊原と、どこか秘密のありそうな神秘的な小泉 この二人が居るのなら、厚木は安泰かもしれません
2008年09月06日
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行って来ましたですよ サザン・オールスターズのコンサート In日産スタジアム 第一日目です最初に言っておきますが サザンのコンサートは、その存在自体が文化です あっしと比べると、桑田さんはじめ、みんな同い年 とは言いませんが(年下です) J-Rockを普及した方々という意味で、新しい文化を創った方々であります サザン・オールスターズとともに30年間、人生を歩んできたものとして 共有した文化を感じています今日の、新横浜ですが それは、スゴイ人出でした これは、JR新横浜駅から日産スタジアムへ向う 駅前の横断歩道橋です クルマは混んでいますが、左の歩道を歩いている人垣がスタジアムへ向う人々です 話は違いますが、サザンのコンサートへ行く人々は 一種独特な人種ですね 一言で言えば、皆さん 善人ですね そして、ノリがいい方がほとんどですねもう一つ、先に言っておきますが ライブ中継は、Wowwowほかで見てくださいそして、コンサート会場 日産スタジアム内です あっしたちの席は、今回 アリーナ席(ちなみにG7というブロック)でした これは、アリーナ席からバック・スタンド側を見ています もちろん、開演前の光景です 言うまでもなく、満席です 今日が、初日で 明日、そして来週の土日曜と四回の公演日程ですね これは、バックスタンド側に設けられたクルーサイトですかね しかし、この裏側で あとで、バックヤード・コンサートが行われます そして、これがメイン・ステージ側を見ています 当然、開演前の光景です ステージが始まってから、桑田さんも言っていましたが 台風や前線の影響で、天気が心配されました ですので、ステージは レイン対応、していました でも、開演前の空は これくらい晴れていました ステージが始まってから、この方向にほぼ満月の月が昇ってきました まあ、なんとか天気には恵まれたコンサートとなりましたしかし、ほぼ六時丁度に始まって 約三時間ちょっと 桑田さん以下、サザンとサポーターの方々のサービス精神旺盛なステージにより 本当に愉しい、ひと時を過ごしました 演奏した、曲数も本当に多かったですし 何より、あっしでも知っている曲を多く演奏していました サザンの曲には「バラッド」という分野があります いい曲が多いのですが、なかなか野外コンサートには似合わない曲が多いのです でも、今回はアップテンポの曲ばかりでなく 「真夏の果実」や「TSUNAMI」などのバラッドを上手な編曲で演奏してくれています J-Rockを文化に昇華したサザン・オールスターズ 一応、ファイナル・コンサートは 本当にあっという間の三時間が過ぎていました 唯一、心配だったのは「毛ガニ」さんこと野沢秀行さんが ラスト前にやっと登場して、数曲だけパーカッションを叩いていたこと ですかね Wikipediaによれば、サザンの発足は、1978年6月に「勝手にシンドバッド」を発売したとき だそうですが その頃、いまのヨメと結婚することを決め 翌年、「いとしのエリー」が大ブレイクしていた頃に 結婚した夫婦として いろんな人生の節目に、サザンが居たな サザンの曲が聴こえていたな、って思います その度、勇気づけられ 前へ向わせてくれたのはサザンだった・・・ のです帰り道 気が付けば、白い風船と青・銀テープを戴き物のように抱えて 帰ってきました いろいろあるとは思いますが サザン、何時までも いつまでも と心に願いを捧げるコンサートとなりました
2008年08月16日
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突然ですが・・・ 太宰治って言えば、「人間失格」「斜陽」「津軽」「女生徒」「ヴィヨンの妻」「桜桃」「花火」・・・といった作品が今でも、持て囃されますでも、あっしは「走れメロス」が一番好きですかね 人間不信のために多くの人を処刑台に送る王がいた。純朴な青年メロスは暴君の話を聞き、暗殺を企てる。しかし、彼はあえなく捕らえられ、処刑されることになった。 メロスには妹がいた。妹は結婚を控えていた。メロスは、親友を人質として王にあずけることを条件に、妹の結婚式に参加するため三日間の猶予を願いでる。 結婚式からの帰り道、川が氾濫したり、山賊に襲われたり、さまざまな困難が起こる。メロスは、不運に負けそうになる。ほとほと疲れ、一度は暴君のもとに戻ることをあきらめる。しかし、メロスは自分を叱咤し、再び走り出す。人間不信の王を見返してやる。自分を信じている親友を救うためだ。 メロスは約束を果たす。 王の気持ちは変っていた。王もメロスの正義に改心する。ある意味、他愛も無い正義感の勝利のようにも見える この作品が あの太宰の作品だと知ると、高校生のときの読んだ感慨と 二十歳を過ぎて読んだ感慨の違いに驚かされる なぜ、太宰は異質とも思える この短編を書いたのか そして今、太宰がこの作品を書いた背景を知るほど 怖さのようなものが込上げて来る作品です Wikipediaが「著作の発端」を記しています懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、奥さんが「きっと良くない生活をしているのでは...」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」とお願いする。 往復の交通費と宿代等を持たされ熱海に向かった檀を、太宰は大歓迎。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきたお金を全て使いきってしまう。呑み代や宿代も溜まってきたところで、檀を人質にと説得し、太宰は東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。 数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀は、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。激怒しかけた檀に、今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいた太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。 後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた。」と書き残している。また、「作品の紹介」としては なお、小説の最後に伝説(ギリシア神話のエピソード)とドイツの古典主義作家「シルレル」、すなわちフリードリヒ・フォン・シラーのバラード形式の詩『Die Bürgschaft 人質』をもとに創作したと明記されている。最近の研究で小栗孝則が訳した『人質』とわかり、表現が一致している部分も多い。と書いています 太宰は、いろんな意味で ヨイデスね・・・
2008年07月22日
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京都の話題です 行く予定はないのですが、やはり京都はいいですね 烏丸経済新聞からです◎「祗園祭マップ」無料配布-山鉾の位置情報や巡行ルートも掲載京都の地域産業・商業の広報企画を行う「すなば」(京都市中京区堺町蛸薬師上ル雁金町)は7月1日から、祗園祭りのまち歩きに便利な「祗園祭マップ」の無料配布を開始した。祗園祭マップは折りたたむと葉書サイズ、広げるとA3サイズになる、正確で分かりやすい「地図」をベースにした祗園祭りの案内フリーペーパー。南北は御池通から松原通まで、東西は河原町通から油小路通をカバーした詳細地図に、山鉾の位置情報、巡行ルートと時間、神輿のお旅所の位置や、屏風祭りの開催予定場所などが記されている。そのほか、京都らしい土産を取り扱う店舗を分かりやすい位置情報とともに紹介する「京都おみやげ手帖」も掲載している。同社の広報担当は「これまでありそうでなかった『地図』に絞り込んだ祇園祭りのガイド。今年はこれを片手に祇園祭りを楽しんでほしい」と話す。京都市内の宿泊施設や観光案内所、マップエリア内の店舗やコンビニ、交番などでも無料配布している。印刷部数は5万部限定。◎「市民でつくる祇園祭コンサート」-主婦・教授・社長など16組が演奏京の三条まちづくり協議会(京都市中京区三条通堺町西入ル)は7月12日・13日の2日間、京都文化博物館・別館ホール(中京区三条高倉)で「宵山ミュージアムコンサート~市民でつくる音の玉手箱~」を開催する。今年で5回目となる同イベントは、祇園祭の先触れとして多くの市民の参加を得て、市民ミュージシャンによる祇園祭コンサートとして親しまれている。京都市内だけでなく、幅広く活動している音楽チームも多数出演し、祇園祭の宵山を間近に控えた週末に、ジャズやポップスなど多彩なジャンルの音楽イベントが、世代や趣味を超えて開催される。出演者の応募は年々増加し、今年は半年前に募集を締め切った。2日間で大学教授、会社役員、主婦など計16組のさまざまな市民ミュージシャンが演奏を繰り広げる。同協議会会長は「年々演奏者の腕前も上がり、重要文化財の会場の雰囲気を楽しんでいる。オーディエンスに親しまれ、愛されることで知名度を深め、来年以降も良質の市民バンドの参加を呼びかけたい」と話す。入場無料。会場にユネスコ募金箱を設置する。◎京都の街の中で宝探しゲーム-「SCRAP」創刊4周年イベントでフリーペーパー「SCRAP」は7月13日、BAR探偵(京都市左京区東大路御蔭通西入ル)で創刊4周年イベント「京都宝探しの宴」を開催する。同イベントは、創刊4周年を向えたSCRAPが「株式会社SCRAP」を設立したのを記念して開催される。フリーペーパー紙面では株式会社設立の特集も掲載した。SCRAPの加藤隆生編集長は「クライアントからの要請があり、SCRAPを株式会社化する必要があった。調べてみると個人でも結構簡単に株式会社をつくることが出来たので、読者の人生の選択肢に『株式会社を作る』という項目が入れば面白いと感じた」と話す。同イベントは、北大路通、今出川通、北白川通、川端通の内側の範囲で謎を解きながら街中を動き回るゲーム。約2時間の制限時間で、ヒントの隠された場所をスタンプラリーのように探し回り、最終的に宝物を見つける。現在130人ほどの予約が入っているという。このアイデアを、同誌創刊当時から温めていたという加藤さんは「誰かに何かをやってもらうのではなく、自分が動き、さまざまな謎をクリアしていく喜びは何なにものにも変えがたい。今後も参加者が主人公になれるイベントを作りたい」と話す。夜の部は完売。昼の部の料金は、前売り=2,000円、当日=2,500円(定員あり)。京都は七月、祇園祭の時期ですね 宵山が、明日から16日が本番ですかね そして、17日がクライマックス 山鉾巡行と神幸祭です 一度、もう25年以上昔に 見たことがあります 京都 古い街の規模の大きな祭りに、驚いた思い出があります 御池通がなぜ、あんなに広いのか その訳も合点がいきました
2008年07月13日
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奈良へ行く予定を立てましたので 奈良についての、日本の百選を探してみた◎日本の自然百選大和三山 万葉の世に誘うたたずまい、天香久山・畝傍山・耳成山 玉置山 山の香むせかえる熊野奥の院、9合目に玉置神社◎日本の音風景百選春日野の鹿と諸寺の鐘 早朝の春日野では 鹿寄せホルンの音とともに鹿の声が近づいてくる。夕暮れになると興福寺 東大寺などの鐘の音が辺りに響き 古都の一日の終わりを告げる。◎日本の道百選暗越奈良街道 奈良県奈良市三条町~生駒市西畑暗峠(国道308号線) 平城京への道 奈良県橿原市久米町~四条町(畝傍御陵前停車場四条線・橿原神宮公苑線)◎遺跡(これは沢山ある)奈良県高市郡明日香村 キトラ古墳、伝飛鳥板蓋(イタブキ)宮跡、酒船石、石舞台、飛鳥水落遺跡、高松塚古墳 他に、唐古・鍵遺跡、纏(マトイ)向遺跡、藤ノ木古墳、黒塚古墳◎日本の都市公園百選奈良公園(奈良市登大路町)◎日本の百名橋谷瀬の吊橋(奈良県吉野郡十津川村谷瀬) 高さ54m、長さ297m◎伝統的建築物群今井町伝統的建造物群(橿原市今井町) 江戸時代の土蔵造りの家並み◎日本の名園願行寺(奈良県吉野郡下市町寺内) 慈光院(大和郡山市小泉町865) 平城京(左京三条二坊宮跡 奈良市三条大路1-5-37) 依水園(奈良市水門町74) 円成寺(奈良市忍辱山町1273) 法華寺(奈良市法華寺1352)◎日本の名城200選大和郡山城(大和郡山市城内町) 高取城跡(奈良県高市郡高取町高取)◎日本の滝百選双門の滝(奈良県吉野郡天川村) 不動七重滝(奈良県吉野郡下北山村) 笹の滝(奈良県吉野郡十津川村) 中の滝(奈良県吉野郡上北山村)◎日本の百名山大台ガ原山(1695m 奈良県吉野郡上北山村) 大峰山(1915m 奈良県吉野郡)◎森林浴の森百選大台ヶ原 玉置山◎ふるさとの駅百選奈良駅◎新日本名木百選二見の大ムク(五條市須恵) 戒場神社のホウノキ(奈良県宇陀郡榛原町戒場)※「桜の名所100選」などは止めましたしかし、さすがに奈良ですね 全部、見れるとは思いませんが 出来るだけ、見てきたいと思います
2008年06月21日
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BSジャパンの30分番組「横山大観-夜桜」を見ました 画家 横山大観という、美の巨人を描く うーむ、見ごたえのあるテレビ番組でした 感動しました 季節がらもいい番組ですが、大観のスケールの大きさや国際性には感嘆しました横山大観の経歴をWikipedia抜粋大觀(1868年11月2日生。1958年2月26日没)は、日本の美術家。日本画家。茨城県水戸市出身。 近代日本画壇の巨匠。旧水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれる。1888年、母方の縁戚である横山家の養子となる。狩野派の巨匠狩野芳崖などに教えを受ける。1889年、東京美術学校第一期生として入学。岡倉天心、橋本雅邦らに学ぶ。同期生には菱田春草、下村観山などがいる。 美術学校卒業後、京都に移り仏画の研究を始め、この頃より雅号「大観」を使い始める。1896年、母校・東京美術学校の助教授に就任。しかし2年後、校長・岡倉天心への排斥運動が起こり、岡倉が失脚。岡倉を師と仰ぐ大観はこれに従って助教授職を辞し、同年日本美術院創設に参加する。 菱田春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表する。しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びた。現在ではその画風を的確に表す言葉とされる『朦朧体』という呼称も、「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」という意味で、批判的に使用された。保守的風潮の強い国内活動が行き詰まりを見せはじめたため、大観は菱田と共に海外に渡り、コルカタ、ニューヨーク、ボストンで相次いで展覧会を開き、高い評価を得た。その後ヨーロッパに渡り、ロンドン、ベルリン、パリでも展覧会を開き、ここでも高い評価を受ける。この欧米での高評価を受けて日本国内でもその画風が評価され始め、1907年には文部省美術展覧会(文展)の審査員を務め、1913年には守旧派に押されて活動が途絶えていた日本美術院の再興に至った。 以後、日本画壇の重鎮としての地位を築き、1935年には帝国美術院会員となり、1937年には第一回文化勲章受章者となった。1957年、89歳で死去。また彼の脳は、東京大学医学部に保管されている。
2008年04月07日
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そうなんです 急な雨と雷は、やや遠のいたようです ニュースソースはすべてヨコハマ経済新聞です◎赤レンガ倉庫でオールナイトジャズライブ-開港150周年記念横浜赤レンガ倉庫2号館のライブバー「モーション・ブルー・ヨコハマ」(横浜市中区新港)で4月12日、「ヨコハマ ジャズ サミット2008」が開催される。同イベントは、2009年の横浜開港150周年と横浜赤レンガ倉庫が今年オープン6周年を迎えるのを記念したもので、横浜市内のジャズクラブ各店舗が協力して国内人気ジャズアーティスト約13人が出演するオールナイトライブイベント。当日は、バンド「EGO-WRAPPIN'(エゴラッピン)」のライブサポートで知られる島祐介さん(トランペット)や、弱冠21歳でジャズ系ミュージシャンの登竜門「ギブソン ジャズ ギター コンテスト」で最優秀賞を受賞した吉田智さん(ギター)、東京スカパラダイスオーケストラのメンバーが参加する人気バンド「SFKUaNK(スフォンク)」の塩田哲嗣さん(ベースギター)、横浜、湘南で活躍する若手ジャズシンガー牧野竜太郎さんらが出演する。開催時間は22時30分~翌4時30分。チケットは4,200円。当日、「Bar Bar Bar」「DOLPHY」など協力ジャズクラブの利用客のほか、イベントに先立ってモーション・ブルー・ヨコハマで開催される「塩田哲嗣 スペシャル・セッション "Mo' Swing" Vol.9」の来場者には割引チケットもある。◎「横浜トリエンナーレ2008」-参加アーティスト30人が決まる今年9月に開催される国際美術展覧会「横浜トリエンナーレ2008」の参加アーティスト第1陣として30人の作家が3月18日、発表された。参加アーティストは、フィルム、絵画、パフォーマンスなどあらゆる手法を用いて問題意識の高い作品を発表するダグラス・ゴードンさん、中国のポップ・カルチャーを取り入れた写真・ビデオ作品を発表するツァオ・フェイ(曹斐)さん、画家、彫刻家として知られるほか、人工霧を使った作品を世界各地で制作する中谷芙二子さん、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞し、パフォーマンスを取り入れた作品で知られるミランダ・ジュライさん、舞踏家・田中泯さんら。選定は同展総合ディレクター水沢勉さんほか5人のキュレーターによるもの。水沢ディレクターは「作品の展示だけでなく、そこに『身体』という要素を絡ませるパフォーマンス性を重視した」と話している。会場は、新港埠頭、周囲のパブリックスペース、三溪園に展示スペースを設けるほか、既存の横浜赤レンガ倉庫、日本郵船海岸通倉庫を整備することも決定した。同展は、2001年に始まった現代美術の国際展の第3回展。水沢ディレクターの掲げるテーマ「TIME CREVASSE(タイムクレヴァス)」に基づき、世界各地より60~70人程度の作家を選定、多様な作品(映像、インスタレーション、写真、絵画、彫刻等)を展示する。会期中にはワークショップやギャラリートークなどの交流イベントを実施し、「芸術の祭典」として海外への発信も行っていく。◎ZAIMでダンスショー、横浜拠点のダンサーが「キャバレー」を再現横浜を拠点とする映像プロダクション「パシフィックハウス」とイベント企画制作「プロジェクト・レインボー」は3月29日、ZAIM(横浜市中区日本大通)でダンスパフォーマンスショー「Hommage/オマージュ」を上演する。「ZAIMフェスタ2008」の一環。同公演は、横浜を拠点に活動するBianca(ビアンカ)さんが出演、振り付けを担当したもの。ダンサー歴約40年というビアンカさんが、若いころに影響を受けたジャズシンガーのビリー・ホリデーやマリリン・モンロー、フレディ・マーキュリーら8人をテーマに、当時感じた印象を独自のダンススタイルで表現する。ダンスの合間には、パントマイマー・北京一さんや詩人Dr.セブンさんらによるコントや詩の朗読などのパフォーマンスも披露。ダンスだけでなく、笑いの要素も交え「今はなきキャバレーを再現する」(ビアンカさん)という。「私がダンスを始めたきっかけはキャバレー。文豪や有名アーティストはもちろん、その日のために特別に正装して訪れる人などあらゆる人種が集う社交場だった。今ある『キャバクラ』などと違い、ダンサーやマジシャン、コメディアンが登場し、笑いの中にもペーソスを感じる昭和が生んだ娯楽文化だった。今回はそんなキャバレーの雰囲気を再現し、エンターテインメントととして楽しめるダンスショーにしたい」(ビアンカさん)とも。開演時間は19時30分~。入場料は、前売り=3,000円、当日=3,500円(ワンドリンク付き)。
2008年03月25日
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横浜で、ちょっと面白そうなイベント二つ、ご紹介します ニュースソースは、ヨコハマ経済新聞です◎「お笑いぱっちり倶楽部」-にぎわい座で落語家による写真展桂歌丸さんをはじめとする寄席芸人でつくる「お笑いぱっちり倶楽部」の写真展が3月1日より、横浜にぎわい座(横浜市中区野毛町、TEL 045-231-2525)で開催されている。芸人ならではの視点で写し撮られたユニーク作品約20点を展示している。「お笑いぱっちり倶楽部」は、写真を通じて「遊び・洒落・技術向上」を楽しもうと落語芸術協会会員らで結成されたもの。同施設で3回目の開催となる写真展では、桂歌丸さんや、三遊亭圓輔さん、江戸家まねき猫さんらカメラを趣味とする落語家など12人が参加。作品には歌丸さんが舞台前にくつろぐ姿や、立川談志さんの田植え姿などが収められている。開催時間は10時~22時。入場無料。3月15日まで。◎エコ活動拠点で体験型イベント「みなとみらいスマイルフェスタ」エコをテーマにしたイベント「みなとみらいスマイルフェスタ2008」が3月9日、「みなとみらい21クリーンセンタービル」(横浜市中区桜木町)で開催される。主催は横浜市資源循環公社など。今回が初の開催となる同イベントは、「横浜から始めるエコアクション」をテーマに、エコ活動の拠点として関連12団体が入居する同ビルのPRを目的としたもの。会場では、同施設に入居する団体を含む約25団体が参加して、それぞれのブースで体験イベントや飲食コーナーなどを展開。市民グループ「神奈川ハートフル食農サポーターズ」による地産地消をテーマにした地元野菜の紹介や、野菜ソムリエ入門講座などを実施する。そのほか、玩具リサイクル「おもちゃの病院」や工作教室など子どもを対象にしたイベントも。開催時間は10時~15時。入場無料(一部企画に別途必要)。おまけに 「横浜」を知る・学ぶ本
2008年03月07日
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暖かくなりましたね 今日は、三月三日です そうですお雛様です 旧暦の三月三日は「桃の節句」あるいは「雛祭り」。五月五日の端午の節句が男の子の節句といわれるのに対して、こちらは女の子の節句。五節句の一つ。ってんで、わが家にもヨメとおばあちゃんが居ますので お雛様を飾りましたです 普段は、男クサイわが家ですが 今日だけは、お雛様が存在感を示しています 春めいて 雛飾りが わが家にも
2008年03月03日
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ニュースソースは、ヨコハマ経済新聞からです◎ロバート・ハリスさんの劇団が初公演-60年代の横浜舞台に横浜出身で作家・ラジオ番組のパーソナリティとして知られるロバート・ハリスさんが主宰する劇団「B-chan's 8」が1月25~27日、ラゾーナ川崎プラザソル(川崎市幸区堀川町、TEL 044-874-8501)で第1回公演「64」を上演する。同公演は1964年の横浜を舞台にしたミュージカルコメディで、ハリスさんが脚本・演出を手がけた。ビートルズやアメリカンポップス、歌謡曲といった当時のヒット曲に乗せ、東京オリンピックや東海道新幹線開通などの社会的事件や当時16歳だったハリスさん自身のエピソードも盛り込みながら、横浜・元町の裏通りにあるカフェバーへ集う人々の人生模様が描かれる。ハリスさんは時代背景に選んだ1964年について、「戦後から続いてきたアメリカ主導の保守的な資本主義バンザイから、文化が一気に激動の60年代へ突入する一歩手前の分岐点的な年だった」と語る。また、「当時は、音楽が思想や人生観を形成したと言っても過言ではなかった時代。音楽が人生そのものだった。そんな音楽への愛着や横浜が当時持っていたエネルギーを表現できれば。ぜひ、横浜でも上演したいですね」とも。開演時間は1月25日=19時、26日=14時・18時30分、27日=14時。チケットは前売り=3,500円、当日=4,000円。1964年の横浜って言えば、あっしは15歳 中学三年生です 東京オリンピックは、朝霞の射撃や、横浜・文化体育館のバスケ予選、江ノ島のヨットなんか観にいきましたけどね 「激動の60年代に突入する一歩手前」って表現は、ちょっと気になりますが 「音楽や思想や人生観が形成された時代」って表現は、そのとおりだと思います
2008年01月26日
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千利休の遺した言葉 これが実によいです。利休の波乱の人生と重ねると、その意味が深まります「佗ぴ茶」を完成した利休居士、千利休は大永二年堺で生まれ、幼名を与四郎といい、早くからお茶をたしなんでいます。はじめは、能阿弥の流れをくむ北向道陳について書院の茶の湯を学びましたが、後に武野紹鴎に師事して草庵の茶の湯を歩みだしたのです。 京都の大徳寺は、お茶と縁の深いお寺です。珠光や紹鴎のように、利休居士もまた大徳寺で参禅し、修行しています。それを機会に名も宗易と改め、姓も祖父の千阿弥にちなんで、千と名のりました。 利休居士は歌に、「世の中に茶のむ人は多けれど、茶の道を知らぬは、茶にぞのまるる」と詠んでいます。つまり、修行がなければ、お茶をのんだつもりでも、のまれていることになりかねないということなのです。また、「茶の湯とは、ただ湯をわかし、茶を点てて、飲むぱかりなることと知るべし」という利休居士の言葉もありますが、この言葉もきびしい修行の道の裏づけがあってはじめて言えることなのです。 こうして利休居士は、茶道の理念を大成しました。利休居士は五十八歳の時、織田信長に召され、信長の死後、秀吉のもとで茶道をもって仕えました。茶道役といっても、実質的には秀吉のブレーンの役割を果たしていたのです。 天正十三年、秀吉が催した宮中の茶会のとき、正親町天皇からとくに利休宗易居士の勅号を賜わりました。これによって利休居士は、天下一の大宗匠としての地位を確立したのです。 1 茶は服のよきように立て これは、お客さんが飲まれるペースに合わせて、相手の立場を考えてサービスをす る。2 炭は湯のわくように置き 炭のおき方によって、お茶の沸く時間や、うまく沸くかどうかが決まります。つぼ、ポイントを押さえた準備をする。3 花は野にあるように あまり、おもてなしの心が、鼻につきすぎないように。野にある花のように自然体に。4 さて夏は涼しく冬暖かに 夏は、涼しくするようにして、冬は暖かに心がけ、お客様が快適に過ごせるようにする。 5 刻限は早めに 準備は、余裕を持って、早め早めを心がける。 6 降らずとも傘の用意 何事がおきても大丈夫なように、お客様のために、不測の事態にも対応できるようにしておく。7 相客に心せよ いらっしゃったお客様同士の人間関係のバランス、楽しんでいただけるように注意する。
2007年11月26日
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上野の東京国立博物館の平成館で開催されている「大徳川展」 あっしは行っていないのですが うちのヨメは、何と二度も見に行っているのです 何が、そんなに面白いのか解かりません でも、仕方ない 興味本位に取り上げてみますまず、見どころについて徳川将軍家をはじめ、御三家と呼ばれた尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家に伝えられている宝物300余点を紹介。関ヶ原の戦いや大阪の役に勝利した吉祥の鎧として尊ばれた重要文化財「歯朶具足(しだのぐそく) 徳川家康所用」や"水戸黄門の印籠"として有名な「黒地葵紋蒔絵印籠 徳川光圀所用」、三代将軍家光の長女で尾張徳川家に嫁いだ霊仙院千代姫の婚礼調度である国宝「初音蒔絵調度のうち貝桶 霊仙院千代姫所用 一対」など、門外不出の宝物が一堂に会する絶好の好機となっている。 そして、会場の混雑状況については、国博のサイトに載っています 「大徳川展は展示作品数が多く、観覧時間が非常に長くかかります。時間に余裕をもってお出かけください。」ですって昨日(11月22日)に、入場者数が300,000人に達したそうです 12月2日までです 興味のある方は、ぜひ、お出かけください
2007年11月23日
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横浜美術館は、みなとみらい地区にあるのですが、今から18年前、そうバブル期にできた建物です 当時、あちこちの自治体で美術館づくりがあったと思います この美術館、みなとみらい地区の中では低い建物になってしまい 名実ともに埋没しているように思います そうしたら、ヨコハマ経済新聞に、久しぶりに記事が載っていました◎横浜美術館、開館18周年記念で観覧無料に-額縁半額セールも 横浜美術館(TEL 045-221-0300)は11月3日、開館18周年を記念して、イベントの開催や全展示作品の鑑賞が無料となるキャンペーンを行う。1989年11月3日に開館した同館は、これまでコレクション展や企画展を年に7回開催し、昨年度までで延べ約1,373万人が来場。2005年に開催した日本初公開のものを含むルーブル美術館所有の絵画73点を展示した「ルーブル美術館展」では、同施設最多入場者数の約62万人を記録した。当日は、現在開催中の企画展「シュルレアリスムと美術」や横浜美術館コレクション展が鑑賞無料となるほか、学芸員による展示作品のレクチャーやプロのカメラマンによるカメラ撮影技術のワークショップを開催する。そのほか、美術振興に役立てる目的で、閉店した額縁販売店から寄贈された「油絵額」や「色紙額」など約300点の額縁を市価の半額で販売する。同館担当者は「これまでたくさんの方へ美術に興味を持ってもらおうと、さまざまな企画展を実施した。小学生から年配の方まで多くの方に足を運んでもらい、美術館がより身近に感じる機会を提供できたと思う。18周年を迎えられるのも市民の皆様に支えられたおかげ」と話している。開催時間は10時~18時一日だけ無料とか、額縁半額とか、内容はちょっとショボイですが 建物が埋没していても、存在感を示すことができるでしょうか がんばれ、横浜美術館因みに、横浜美術館のサイトです
2007年11月04日
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本論の前に、プロフィールの写真を換えました あっしの愛車、B4です 撮った場所は、ヨコハマ・みなとみらいです みなとみらい地区は、まだまだ建設ラッシュです 次々新しい建物、ほとんどはマンションが建っていきます さて、本論はヨコハマ経済新聞からです横濱夢語りプロジェクト(横浜市中区野毛町、TEL 045-622-3324)は横浜開港記念会館(中区本町)で10月20日・21日の2日間、朗読音楽ライブ「本牧60s★70s-フェンスの外の青春」を開催する。同プロジェクトは、時代とともに移り変わった横浜の生活文化を「街の財産」としてDVD、メディア、朗読音楽ライブなどで語り伝えていこうとするもの。開催は今回で19回目。朗読作品は、60~70年代の本牧を舞台に、当時の横浜の流行をリードしていた暴走族「本牧ナポレオン党」のリーダー・小金丸峰夫さんや、伝説的なレストランバー「イタリアンガーデン」の常連だった女性たちなど本牧で生まれ育った6人のインタビューを基に、横浜在住の作家・山崎洋子さんがオリジナル脚本を手掛けた。朗読は、俳優の金田賢一さん、桐山ゆみさんが担当する。音楽は「GIMME SOME LOVIN'(ギミ・サム・ラヴィン)」(スペンサー・デイヴィス・グループ)や「青い影」(プロコル・ハルム)など当時の洋楽ヒットのほか、作曲家の丸尾めぐみさんによるオリジナル曲をギタリスト中村裕介さんらが朗読とともに演奏する。脚本を手がけた山崎洋子さんは「戦争や地震などの壊滅から何度もはい上がってきた横浜。今回は『青春』をテーマに、華やかさの裏にある横浜が持つ力強い個性を表現した」と話している。開催は20日=16時30分、21日=13時~、16時30分。チケットは一般=4,300円、学生=2,500円。本牧の話です 本牧とは、横浜市の中区にある独特な街です 「フェンス」というのは、本牧の通りの両側には、米軍属のハウスがあって、広い芝生の中に大きな家が点在していました これらのハウスは、ずっと続くフェンスに囲まれていました 柳ジョージの唄に「フェンスの向うのアメリカ」って曲があります・・・ PXとか、将校クラブとか、アメフトのグランドなど、あっし達にとっては、懐かしい光景です
2007年10月15日
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二週連続の三連休が始まります 年取ると、いろいろなことを考えますが、今日は、夫婦について 能の高砂から夫婦を考えてみたいと思います まずは、高砂の紹介をウィキペディアから紹介します『高砂』 (たかさご) は能の作品の一つ。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変目出度い能である。 ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ謌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり』は結婚披露宴の定番の一つである。 九州阿蘇宮の神官が播磨の国、高砂の浦にやってきた。春風駘蕩とする浦には松が美しい。遠く鐘の音も聞こえる。そこに老夫婦が来たり、木陰を掃き清める。老人は古今集の序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる。命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精である事を打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。 神官もまた満潮に乗って舟を出し(ここで『高砂や...』となる)、松の精を追って住吉に辿り着く。 『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬらん』(伊勢物語) の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影向(ようごう)され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。 『千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯々の聲ぞ楽しむ、颯々の聲ぞ楽しむ』なぜ、高砂が結婚披露宴の定番ほどになったのか 夫婦愛と長寿を愛でる 夫婦相老(アイオイ)の仲睦まじさ こうした、単に言葉、ではない 普遍とも思える人々の生きるカタチ、が好まれてきたのではないでしょうかあっしも58歳になり、ヨメはもうじき55歳になります 相生の松、離れていなくとも夫婦 仲睦まじく、生き長らえたいものであります
2007年09月22日
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秋の夜長、落語を! ウィキペディアからでございますとある長屋に住むのが本名を「馬」、あだ名を「ラクダ」と言う男。そのラクダの長屋に、ある日兄貴分の「丁目の半次」がやってきた。返事が無いので入ってみると、何とラクダが死んでいる。そう言えば、夕べ会ったときにフグを持っていたが、さてはそいつに当たったのか......。「兄弟分の葬儀を出してやりたい」、そう思った半次だが金がない。考え込んでいると、上手い具合に屑屋がやってきた。早速、その屑屋の久六を呼んで室内の物を引き取ってもらおうとするが、久六はラクダ宅の家財道具の状態を全て言い当てて断ってしまう。訊くと、何回もガラクタばかりを引き取らされたらしい。ますます困る半次。と、その頭にあるアイディアが。「月番を呼んで来い」久六を月番の所に行かせ、長屋から香典を集めて来るよう言いつけさせるのが半次の魂胆。久六は断るが、仕事道具を取られしぶしぶ月番の所へ。月番は、「一度も祝儀を出してもらった事はない」と断るが、結局「赤飯を炊く代わりに香典を集めてくる」と了承した。安心した久六だが、ラクダ宅に戻ると今度は大家の所に通夜に出す料理を届けさせるよう命令された。ところが、ここの大家は有名なドケチ。そのことを話すと、半次は「断ったらこう言えばいい」と秘策を授ける。「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。ついでに『かんかんのう』を踊らせてご覧に入れます」仕方なく大家の所へ行った久六。大家は「家賃を何年も貰っていない」と断り、すかさず久六が「かんかんのう」の話をすると「やれるものならやってみろ!!」。久六がそのことを伝えると、何と半次は久六にラクダの死骸を担がせ、本当に大家の所へ乗り込んでしまった。そして、死骸を文楽人形のように動かし、久六に歌わせて「かんかんのう、きゅうのれすー」。本当にやると思っていなかった大家、縮み上がってしまい、料理を出すよう約束した。これで解放されたと思った久六。だが、今度は八百屋の所へ「棺桶代わりに使うから、漬物樽を借りて来い」と命令された。しぶしぶ行くとやはり八百屋に断られた。「かんかんのう」の話をすると先ほど同様「やってみろ」と言われるが、つい今しがた大家の所で実演してきたばかりだと言うと「何個でもいいから持って行けー!」。これで葬式の準備が整った。久六がラクダ宅に戻ると、大家の所から酒と料理が届いている。半次に勧められ、しぶしぶ酒を飲んだ久六。ところが、この久六という男、普段は大人しいが実は物凄い酒乱だったのだ。呑んでいるうちに久六の性格が豹変、もう仕事に行ったらと言う半次に暴言を吐き出してしまう。これで立場は転倒、酒が無くなったと半次が言うと、「酒屋へ行ってもらって来い!断ったらかんかんのうを踊らせてやると言え!!」何だか分からなくなった半次は言われたとおりに酒を買ってくる。そうこうしている内に、話はラクダの葬礼へ。剃刀を借りてきて坊主にし、漬物樽に放り込んで荒縄で十文字。天秤棒を差し込んで二人で担ぎ、久六の知人がいる落合の火葬場に運び込んだ。が、道中で樽の底が抜けてしまい、焼き場についたら中は空。仕方なく死骸を探しに戻ると、橋の袂で願人坊主(にわか坊主)がいびきをかいて眠っている。酔った二人はそれを死骸と勘違いし、樽に押し込んで焼き場に連行するとそのまま火の中へ放り込んでしまった。熱さで願人坊主が目を覚ます。「ここは何処だ!?」 「焼き場だ、火屋(ひや)だ」 「うへー、冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯頂戴......」
2007年09月18日
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垣根涼介は41歳だから、あっしの世代とは違いがある作家だ しかし、クルマ、都会、そしてミステリーとハードボイルド、魅力的な作品が多く、ついつい読んでしまう作家だ その垣根の作品に、スバル車が登場するので、取り上げてみるまず、 『ギャングスター・レッスン』では、主人公のアキが2001年製スバル・レガシイB4RSKに乗っている これが450馬力の、モンスター・レガシィとなっている『ヒートアイランド』から登場する桃井は、1997年製スバル・インプレッサWRXのSTiヴァージョンに乗っている このクルマは、フルチューンの600馬力となっている垣根が、自分のサイトで面白いことを述べているので、抜粋してコピーするCAR & LIFE(登場人物とクルマ) さて、クルマはその乗っている人間の『人となり』を現すと、よく申します。 少なくとも、ぼくにはそう見えます。 クルマに特に興味のない人間でも、その車種へのチョイスに、その本人の志向性や、こう見られたい自分、あるいは生きてきた背景が無意識に滲んでいるような気がします。 たとえば同じファミリーカーに乗るオトーサンでも、「カローラ」に乗る人と「ヴィッツ」に乗る人とでは、やはり微妙にそのカラーが違いますよね。「プリウス」を選ぶようなヒトなら、さらにその違いは際立つでしょう。もっと知的といえばいいか。時代に対するセンスがいいというか。 その職種や生きている業界によっても、これまたクルマの傾向が違ってきます。これはぼくの経験からも言えるのですが、土建業は不動産屋には、いわゆるはったりの利くクルマが明らかに多い。メルセデス、セルシオ、クラウンなど、どう見ても自分の押し出しのひとつのツールとして乗っている人種が多いですね。 あるいはコンピューターやネット関係も含めた技術職に就いている人間には、「スバル」含有率が高いようです。それもレガシイならワゴンではなくB4であったり、あるいはインプレッサでもWRXであったりする。トヨタだとアルテッツァ、ニッサンだと、スカイラインでもクーペやR系ではなく、GTセダンを好む。渋め好みというか。 ちなみに付き合いのある編集者のC(男)さんは、昔はローバーの114でしたが、今はミニ・クーパーに乗っています。鉄色のボンネットとルーフに白いラインが走っているやつ。その色のチョイスはいいとしても、うーむ、やはり、その本人の雰囲気どおり、やはり『軽い』というか、多少『女の子』っぽいというか。 そういうわけで、ぼくは初対面の人間と話をしているとき、もう少しその相手のことを知りたいと思うと、「ところでクルマ、何乗ってます?」と必ず質問します。そして返ってくる車種の答えで、その人物にたいする不足分の情報量を補おうとします。その本人の、性格付けをしようとします。かなり乱暴なやり方ですが、でもこれ、あとあと考えてみれば、意外に当たっているんですよ。 ちなみに、ぼくが道を走っていて、(こいつ趣味が悪いな、運転のセンスねえな、マナーを知らなねえな)と思うクルマは、だいたいトヨタならマークII、ホンダならオデッセイ、ステップワゴンなどに集中しております。いわく、信号でもたつく。前触れもなくいきなり右折する。ストップ&ゴーのメリハリがない。狭い十字路にも恐れを知らず突っ込んでくる。ようは、運転の仕方に知性とイメージングがまったく感じられない。時おり運転しながら「おんどりゃーっ、ぶっ殺すぞ!」とわめいております。大きなお世話ですけど。
2007年08月11日
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緑、というと何を思い浮かべますか あっしは、色の中では好きな色であります その「緑」をWikipediaから、探してみます まず、「定義」です緑(みどり)は、寒色の一つで、植物の葉のような色。黄と藍(青)の中間色であり、光の三原色の一つである。1931年、国際照明委員会は緑色の波長を546.1nmと定義した。 漢字では、碧や翠といった字も使われるが、いずれも藍緑色を指す。 マヤ文明や漢字圏文化(日本、中国、ベトナムなど)では、"green" と "blue" を明確に切り分けないが、別の文化圏においては厳密に区別される。これは色の区分に物理学的な根拠が無く、文化によって区切られていることによる。続いて、「緑に関する文化」です緑は寒色であるが、他の寒色(藍、紫)と比べて、暗い所でも識別が容易である。特に「緑と白」との対照は、「黄色と黒」と同様に目立つ組み合わせとなっている。この為、寒色の灯火には緑色灯が多く用いられ、蛍光塗料には緑で塗装される物が多い。例えば、非常口の看板・灯火は緑と白の組み合わせで示され、非常に目立つ対照となっている。 緑色の物一般を「緑」と呼ぶ事がある。又、広く植物、自然やアウトドアなどを表す。 植物の葉の色は緑色である。葉の緑色は、葉緑素(クロロフィル)によるものである。 葉のイメージから転じて、「安全」「成長」「少年」「幼稚」のイメージを伴う事が多い。日本では、幼稚な様子を「緑い(あおい)」「青二才(緑二歳)」と表現する。 植物→良好な自然環境のイメージから、政治的には、環境主義を掲げる緑の党を象徴する。 中国語圏では台湾独立支持派を緑で表す。 宗教的には、緑はイスラム教を象徴する。特にリビアの国旗は緑一色のみである。 アイルランドおよびアイルランド人を象徴する色(ナショナルカラー)として使われることがある。 日本テレビのマスコット「なんだろう」は、緑の飛行船を描いた物である。 理由は不明だが、フランスでは、緑は性の対象として認識される傾向がある。フランスでは色欲の深いお爺さんを、「緑のお爺さん」と呼ぶ。 特に12月が夏にあたる南半球の国における雪の降らないクリスマスを、「グリーンクリスマス」という。 日本の人名では「みどり」がさまざまな字で表されるが、一般に女性名である。 透明感のある鮮やかな緑は、宝石にちなんでエメラルドグリーンと呼ばれる。 緑は野菜など食材に多く用いられる色であるが、緑は食欲を殺ぐ色とされる。緑黄色野菜が敬遠されることが多いのは、このためである。しかし、黄緑に近づくにつれて食欲を増進させる効果がある。サラダや青菜の煮物に対して食欲をそそるのは、青々とした色が褪せ、黄緑色に近づくためである。 緑色は目を休ませる色でもある。 英語で"嫉妬"のことを、「グリーンアイド・モンスター」(Green-eyed-monster:緑の目の怪物)と呼ぶ。 アメリカメジャーリーグ・アメリカンリーグ所属の球団・ボストン・レッドソックスの本拠地球場であるフェンウェイ・パークには、狭い左翼側に「グリーン・モンスター」と呼ばれる巨大なフェンスが設置されている。塗られた色が緑色であることに由来する。 さらに、「地理・交通に関する緑」です交通信号の進行は緑で示される(「青信号」と言われるが、色としては緑。日本では赤緑色弱の人でも見易いように青に近い緑色灯を用いる場合が多い)。現代の中国では、交通信号を「紅緑灯」という。⇔赤 転じて、緑は「許可」「合格」の色としても使われる。例:グリーンゾーン(=安全圏) 交通安全のルールを児童に遵守させたり、登下校の際に児童を誘導し安全に歩道を横断させるなどの女性を、「みどりのおばさん」という愛称で呼ぶ。正式名称は学童擁護員。ボランティアのこともあるが、都市部では給与の出る仕事として"勤務"している自治体もある。 日本では、自動車専用道路で表す際に、緑の看板が使われる。 NEXCO東日本のコーポレートカラーは緑。 地図上では、温帯は緑で示される。 方位や季節では、緑は「春」や「東」を表す事が多く、五行思想でも同様である。⇔黄 東京都のシンボルマークとなっている「イチョウ」の色は緑。 キャセイパシフィック航空やエアリンガスのコーポレートカラーは緑系である。 最後に、「緑の色材」です天然に大量に存在する緑色は葉緑素で、化学的にはポルフィリン構造(ポルフィリン環)と呼ばれる特殊な有機構造を持つ分子の中心に金属元素(マグネシウム)を配位している。古くから絵の具に使われたのは孔雀石の粉で、銅の銹(緑青)と同じ成分。ただ今日では有毒かつ不安定なので使われず、無機顔料では毒性のない酸化クロム(ヴィリジアン、オキサイド・オブ・クロミウム)がよく使われる。現在使われる緑は、黄と藍の混合色が多いが(代表的な例として黄鉛と紺青の混合物であるクロムグリーンがある)、鮮明な緑色には葉緑素に良く似た構造のフタロシアニングリーンを用いる。ポルフィリン構造を持つ合成顔料は、緑のほかに鮮明な藍のフタロシアニンブルーがある。いずれも化学的に安定な構造で、安価に大量生産されている。また、セラミック顔料のピーコックも緑の顔料である。ちなみに、「緑区」という地名ですが、横浜市のほかに名古屋市、千葉市、さいたま市にそれぞれあります
2007年07月21日
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梅雨空の下、横浜は三渓園へ行ってきました 大池の向うに、小高い丘があり、三重塔がそびえる景色が迎えてくれます 梅雨空とはいえ、もうすぐ夏です はすの花が咲いていました もうしばらくすると、早朝(五時頃から)、はすの花見ができます 三渓園をご存じない方のためにWikipediaからご紹介します 三渓園(さんけいえん)は、横浜市中区本牧三之谷にある庭園で、敷地面積は17.5ha。実業家で茶人の原富太郎(号:三渓、1868年-1939年)によって作られた。 原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した。原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集した。平安時代仏画の代表作である「孔雀明王像」(国宝、東京国立博物館蔵)をはじめ、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本の美術コレクターとしては、益田孝(鈍翁)と並び称される存在であった。彼は古美術品のみならず室町時代の旧燈明寺三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築、庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民に公開し、その後も建造物の移築は続けられた。 三渓園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、神奈川2棟、和歌山3棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。2000年には、会議、パーティーなどにも利用できる、鶴翔閣(かくしょうかく)を復元した。この建物は横浜市指定有形文化財に指定されている。 第二次大戦中、横浜大空襲で被害を受け、一部の建造物を失った。原富太郎の古美術コレクションは戦後の混乱期に散逸し、建造物だけがかろうじて残った。1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立され、再び庭園の整備を行い、今日に至っている。なお、旧燈明寺本堂、合掌造の旧矢箆原(やのはら)家住宅などは第二次大戦後に三渓園に移築したものである。 園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築であり、移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている。 2006年11月17日に国の名勝に指定された。 三渓園の中庭にある、比較的大き目の茶室、白雲邸の庭です この写真は、白雲邸の縁側から写しました 白雲邸の反対側の庭です 景色ばかりアップしましたが、ここ白雲邸で、7月1日お茶会が開かれました あっしも行きました、って言っても荷物運びとか・・・
2007年07月03日
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静岡と言えば、有名な茶どころです 静岡市の竹茗堂をご紹介しましょう竹茗堂は、いまから220年前の天明元年、徳川第11代家斎の時代に現在の静岡市、当時の駿河の国の中心地、駿府の城下町に誕生いたしました。 「苦節10年のすえにようやく、茶葉を緑色に固定することができた」と竹茗堂の初代、西村庄八忠実が苦心談を刻んだ 大石が、静岡市郊外の茶畑の中に残っています。 竹茗堂の本店がある静岡市呉服町は第二次世界大戦後いちはやく不燃化商店街を完成させたところとして全国から沢山の見学者を集めたところです。 商店街が足並み揃えて不燃化するのは、大変に困難なことでしたが、取りまとめに大きく貢献したのが竹茗堂6代目西村重吉翁でした。ってな訳で、泊ったホテルに竹茗堂の喫茶があり、お茶をいただきました茶の味は、大別すると旨みと苦みからなりたっている。旨みはアミノ酸の一種のテアニンと言う物質が作り出し、苦みはサポニンの作用である。テアニンは一般に知られている味の素の仲間であるグルタミン酸、アスパラギン酸と同様に旨みの素である。テアニンは玉露に多く含有され、煎茶、番茶とクラスが落ちるに従い少なくなっていく。又、一番茶に多く、二番茶、三番茶では減少してくる。一方、苦みのサポニンは、これまで茶の苦みの代表とされていたタンニンに作用して、ただ苦味だけでなく、苦味をおいしくさせる働きを持っている。玉露を味わう時、一煎目で甘みを、二煎目で渋みを、三煎目で苦みを味わうのは、甘みはアミノ酸としてのテアニンの働きであり、渋みはサポニンの働きであり、苦みはタンニンの働きであると言ってよい。この通りに、言われるままに戴きました 実に結構な味です 本当に一杯づつ味が違うのです 改めて、茶の湯の奥深さを感じました
2007年06月02日
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