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少し前に区小P連の教育懇談会に出席したとき、ある大学関係の方が「今、PTAは過渡期です。これから、バブル期に大学時代を過ごした団塊ジュニア世代が小学生の保護者の主な世代になりますが、その世代は社会参加意識が低い。そのためPTA自体が存続の危機です。ここは踏ん張りどころですからみんなで乗り越えましょう」みたいな内容のこと(少し意訳というか曲解されているかもしれません)をおっしゃっていて、私自身、まさにその世代なので、なんだかいまだに複雑な思いで、その言葉を噛み含めています。最初に聞いたときは、“私たち世代は確かに世の中ハスに眺めちゃうようなところがあるし、まあ言いたいこともわかるかな”と思ったのですが。今となっては、う~~ん。どうなんだろ?私たちの世代って、そんなにダメダメ揃いかな。そうでもないような気もするんですが。* * *たしかに、私を含め、みんな「頑張ってはみてもいいけど、 どうせだめなんじゃないの?」という気持ち(懐疑)とか、「いや、今ならやればできるはず。 うまくいかないのは自分のせいじゃなかった」という気持ち(転嫁)とか、「でも、結局、きちんと危機感を持って学ばなかった 自分の力不足のせいなんじゃないだろうか」という気持ち(不安と後悔)とかを抱えていて、どこかエネルギーをうまく使い切れないという気はすごくしている。それがひいては、「とにかくもうどうでもいい。 面倒くさいことには目をつぶりたい。 オレ知らない」ということで決着されてしまいがちなことは否めない。* * *でも…確かになぁ。バブル後というあの時代、どうにもならなかったですよね???(気のせいとかにして欲しくはない)直前まで目の前にかけられていたハシゴが、(手をかければ昇れると思っていた場所が)突然、誰かの手によって取り去られてしまったという事実。“努力すればそのあとどうにでもなれたはずでしょ?”なんていうのは理想論で、みんなけっこう本気で、ハシゴがなくなった空間をなんとか自力で昇ろうと必至で頑張って、そして結局手が届かなかったり、届いたときには疲弊してしまっていたり。または全然描いたことも無いような未来を見つけて「よし!」っと思ってそこで頑張る幸運を手にした人も。「本当にコレでよかったのだろうか…」という不安は消えなかったり。みんな(とは言わないまでもたくさんの人が)している(気がする)。* * *で、最初の話に戻るのだけど、終身雇用とか、学歴神話とか、土地神話とか、たくさんの「今までそこにあったもの(価値観)」が“経済”という多勢の理論でどんどん壊されていくのを見てきた中で、「PTAも、ああやってなくなっていったものと同じように、必要ないんじゃないの?」と、まずは一旦思ってみるのは、そんなに責められるべきことなんだろうか?* * *ここ数年聞く頻度が減っては来た『リストラクチュアリング』という言葉。(この言葉は、私たちの世代の心の中に“社会に出て最初に強くインプットされた言葉”としてずっと残るだろうな)まずは、不要なものをそぎ落とし、そのあときちんと、前向きな再構築まで成功すればもちろんそれはとても意味のあることなのだけど。継続は力なり。という言葉の強さに憧れる気持ちとの間で揺れる、価値観。そして、そんなやりとりに疲弊してしまった、たくさんの“心”の再構築は、個々人の“強さ”にばかり寄りかかられていて。デリケートな人や、弱い立場の人ほど心のリストラを(進めたいのに)進められなくて、もがいているような気がしてなりません。そうやって、自分とその周辺の事項に関心が向いてしまうのは、「社会性の無さ」??あ~~~~~~~~~~(-_-;)答えが出ないからこそ、なんだかずっと、引っ掛かり中。考えても不毛なんだけど。「子育ての社会化」ということがもっと具体的かつ目の前の課題になったとき、私たちはまた、ここで躓いてしまうんだろか?なんて思っています。
August 17, 2007
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まったくプライヴェートなことで怒濤の一週間でした。自分なりに時間をかけて、消化して、決めたことを、実行に移し、それを報告する。できる限り、理解してもらおうと努力する。何度も何度も説明することで、自分自身を整理する。そのプロセスに予想以上に消耗し、おだやかなつもりが自爆して炎上し、リセットするはずだった出来事に囚われて、目が腫れるほど泣いてみたり。でも、そのあとに残ったのは私にとって「核になるもの」でした。それは、コミュニケーションと言葉。そして、自分の色。です。* * *今週は、たくさんの大事な人たちからたくさんの言葉とたくさんの時間の花を貰ったのだけど、そのなかでも、いちばん心に残っている言葉を書き留めておこうと思います。「あなたは大丈夫よ」そう。私は大丈夫です!そして、私の周りのひとたちもこれを読んでくれたあなたもきっと大丈夫なのだろうと思います。
August 10, 2007
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来月、大学サークルの後輩(35歳・女)が9歳年下の彼と結婚するのですが、そのパーティーの連絡を頼まれて、別の後輩(36歳・女)に久しぶりに電話しました。彼女には、1歳半になる娘がいます。で、最近出産したばかりの、別の後輩(35歳・女)の話題になりました。それから、もうすでに3児の父である先輩(37歳・男)の話題にもなりました。そして、その先輩と何カ月か前に飲んだよ~と話しているうち、そのとき来ていた、別の先輩たちの話になりました。1人は未婚(38歳・男)、もう1人は二度目の結婚ライフを満喫中です(38歳・男)。子どもはいません。* * *なんでこんなことをつらつら書いているかというと、“今の時代、人生にはものすごいたくさんのバリエーションがある”ということを、忘れたくないなーと、よく思うから。子育てに関わること周辺にいると、“子どもがいる人と関わる”機会ばかりでそれが、あたりまえみたいに感じちゃう。でも、これだけ少子化少子化と叫ばれている時代です。“35歳女。13歳と11歳の2人の娘がいる”という私はカナリなマイノリティなんだわー、ということを彼ら、彼女らと話していると、たまに思い出します。で、それを思い出すことって、絶対必要なことだと思う。(というか、マジョリティかマイノリティかなんて区分けは本当はナンセンスで(自分のことだとついついその区分を気にしちゃうけど)、実は、そこにあるのはただ単に「限りない可能性とバリエーション」なんだな、と思っています)* * *ちょっとむかしには、結婚にも、出産にも「適齢期」と呼ばれるものがアリ、そこを“みんなと同じように”進むことはきっと、「お約束」だったんだろうな、と推測しますが、その頃考えられた「常識」は今の時代にはかなりミスマッチですよね。戦前→戦後みたいな目に見える大きな変化が無いから同じ時代がのんべんだらりと続いてるようについつい見えちゃうけど、実際のところ、この10年くらいで価値観や個人の意識はものすごく大きく変わっている。自分自身も含めて。今の世の中、価値観は多様だ。そして、それは基本的にはとても良いことだと思う。* * *昨日開かれた協働フォーラムin東京実行委員会準備会で記録係を務めながら話を聞いていましたが、そのなかでものすごく心に残ったキーワードは「格差」と「地方分権」(濃い~なぁ)。その解決策の根本は、みんなが選んだ「可能性とバリエーション」を、お互いのいがみ合いの材料にしないで、お互いを認めあい、助け合っていくことができるようにしようよ!って、ことかなと思うんだけど。じゃぁ、実際それを「制度」や「実行力」として考えたときなにをすればいいのかは、なかなか難しいです。
August 3, 2007
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水曜日に、不在者投票に行ってきました。平日の昼間だというのに、区役所の投票所にはあとからあとからひっきりなしに人が訪れていて、正直、ちょっとビックリ。ほんの数分で終わることだけれど、申告すればちゃんと駐車券もくれる。買い物ついでにふらっと立ち寄ってふらっと投票できる気安さだった。係の職員さんの応対も丁寧でイイ感じ。こんなことなら今までももっと積極的に活用すればよかったなぁ。不在者投票に二の足を踏んでいた方で、「明後日は用事があるけど、明日はあいている」という方が居たら、ぜひ行ってみることをおススメします♪* * *ちょうど私が投票に行ったときに職員さんにかみついている人が居て、その内容が聞くともなしに耳に入ってしまった。どうやら、病気の親が(たぶん体が不自由で)投票したいのに投票に来れない。投票したい人が投票できないなんて状況が許されるのはオカシイ、と訴えているようだった。で、気になって帰宅後調べてみたら郵便投票、という方法があるんですね。(↑リンクを貼ろうかと思ったけど 自治体単位のものしか見つからず断念)前出の人は、そういう方法があるのに知らなかったのか、(私も知らなかった)その要件に当てはまらなかったのか、どっちなのだろう?と考えてしまいました。っていうか、自分の一票を、そこまで大切にしたいと思う人、日本にどれだけ居るだろうか?きっと、自分にその権利がなくなったとき、はじめてその大切さに気付くんだろうなぁ。* * *そうそう。産まれたばかりの子どもを殴り殺したティーンの子だって、選挙権は無いんだよね。ってことは、その権利は彼女に代わって親が行使するわけだ。じゃぁ、彼女の罪は、親がきちんと被るのだろうか。大人と同等の機能を持っているのに大人扱いされない子ども。大人であるにも関わらず、大人としての権利を使いこなせない大人。大人であるにも関わらず、大人としての人格を尊重されない大人。ほんとにいろんな人がいる。そう思うと、あの白い紙がそれなりに重いものに見えてくる気がしませんか?
July 27, 2007
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乳幼児とその母親に対する支援の話だとあまり話題に上らないけれど、小中学生の親として、やっぱり教育問題はいやでも目につく。今朝、とある番組で例の一斉学力テストでの不正のニュースをとりあげていて、なんとなく見入ってしまった。実はつい数日前、杉山さんとゆとり教育について話していたばかり。最近の大学生は真面目に勉強してるし、授業の感想のコメントも、ものすごくいい意見を書いてくるし、私たちのときとは違うね、えらいね、という話をしました。小さいときから、総合学習的な授業に慣れているからだろうね、と。自分の体を動かして、自分の目で見て、体験する学習。決まった答えも点数もない。(それって、よく考えたら、 大人になってからの 社会での経験そのものだ)「そういう授業があることがあたりまえだ」と思える、っていうのは、「戦争にいかなくていいのはあたりまえだ」と思えるのと同じくらい、いいことだと、わたしは思っている。「総合学習のために通常授業が削られて必要な知識が身に付かなくなった」って言う人、よくいるけど、人にとって“真に必要な知識”って、いったいなんだろう?(円周率が3.14だ、とかいうことなのだろうか)ましてや、その、世論全体がまだゆらゆらとゆれているような「知識」の習熟度によって、学校の予算配分が決められるなんて、「公平・公正」が信条のはずの公務員の意識にそぐわないんじゃ???現場の人たちは、そうまでしてでも本当に「カネ」が必要なほど、逼迫した状況におかれているのだろうか?もしそうなら、もっと全体に予算をつけることを検討しなくちゃじゃないの??(成績が悪かったところにこそ金かけて、全体の教育を充実しようよ!って、私なら思っちゃうけどナ……)* * *今日は1学期の終業式。娘たちは通知表を持って帰ってきました。本人も親も、それを見て、もちろん最初は点数的なところが気になったとしても、最終的にいちばん気になるのは、先生からの通信欄にどんな「言葉」が書かれているのかということ。やっぱり、褒められて、評価されて嬉しいのは○の数、Aの数よりも、言葉によるものなのでは?担任の先生が、自分のことを、自分の子どものことをどんなふうに見ていて、どんな子だと思っているのか。どんなふうに育って欲しいと思っているかのコミュニケーション。数字で評価するよりずっとデリケートでずっと難しいだろうけど、でも、だからこそ、そこにこそ、人が人を教える意味があるんじゃないのかなー。* * *(私)「ゆとり教育とか総合の時間って、誰が考えだしたんですか?」(ボス)「寺脇さん?が進めていたよね」そんな我が社での話題を受けるかのように、今朝のTVで初めて元文科省の寺脇さんを拝見しました。で、あらためて思うのは、「結果が出るのはもうちょっと先だろう」ということ。人が育つのには、流行り廃りなんかのサイクルよりももっともっと時間が必要なはずでしょ?みんな結果を急ぎすぎ。* * *あ、でもね。教育に関することでもし急ぐべき改革があるとしたら中高生へのきちんとした性教育!! これは急務でしょう!男の子には「安易な性交渉が相手の心と体に負担を与える可能性が、どれだけ高いか」を女の子には「もし自分の手で自分の子どもを殺すような事態になってしまったとしたら、のちのち自分自身がどんなにつらい想いをするか」を、そして、どうすればそれを防げるのか、をきちんと「カネ」かけて「教育」してあげて欲しいです。
July 20, 2007
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今年度はなんだかたまたま、小学校のPTAの役員をしています。これがけっこう、地域に出て行く用事が多くて!昨日(もう一昨日か…)は、地域の『非行化防止連携強化懇談会』とかいうものに、出席してきました。ちょっと遅れて会場に入ると、ほとんどの出席者が「高齢者」の範疇の方々。いつも地域の見守りをしてくださっている町内会や婦人会の方々が大半とは言え、“子どものこと”を考えるにはあまりに当事者が少ない感じ。講義をしたのが警察署長さんだったこともあり、公園の近所に住む、とある人が、「中学生が夜まで騒いで本当に困っている。 ちゃんと取り締まってくれ」と言い出したことで、話の内容は、どんどん中学生の行動を「どう取り締まるか?」「どう厳しく縛るか?」というほうに流れてしまって。たぶん、もうみんな、自分の娘や息子が10代だった頃のことなんて、忘れちゃったんだろうな~。「どうしたら子どもが非行に走らないですむのか?」「子どもたちはどんな気持ちでそこにいるのか?」なんて視点は、そこにはまったく感じられなかった。そんなわけで、ついつい、「中学生のムスメを持つ母ですけど、学校選択制や私立への進学でバラバラになる今の中学生たちには、小学校のとき仲良しだった子と会う時間や、場所すら、充分ではないんです! 補導だなんだと騒ぐ前に、居場所を作ってあげる必要があるんじゃないんですか!?」と発言してしまいました!* * *参院選のマニフェストを読んでいても感じたんだけど、子どもはある一定の歳を超えると、とたんに“注意して取り締まり、正しい方向へと教育すべき存在”に、位置づけられてしまう気がする。“子ども、かくあるべき”みたいな窮屈な押し付けがましさが見え隠れして。それは、“母親たるオンナ、かくあるべき”みたいな、窮屈な押し付けがましさとよく似ていると思った。* * *教えるべきは「知識」でしょ!(“思想”ではなくて)生きていくための知恵。たくさんの選択肢の中から自分に必要なことを選ぶチカラ。強化するべきなのは「管理」や「監視」じゃなくて「自主自律のココロ」を育てる環境づくりでしょ。自分自身を大切に思えれば、周りからも大切にされていると思えれば、他人の自由や人権も尊重しようと自然に思えるようになるんじゃないのかなぁ。2週くらい前のブログで恭子ちゃんが言っていた「エターナルライン」。そのずっと続く一本の道はきっと、大人になってからだけじゃなくて、もっと前からずっとつながっているものだろうなと思う。母になった女性だけではなく、子どもたちにだって、もっと「どう生きたいのか?」って真面目に考えられる居場所や機会をいっぱい作ってあげたいなー、としみじみ思った1日でした。
July 13, 2007
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あわわわわ、という間にタウンミーティングも無事終わりました。ゴスペルグループSISTER☆SISTERのメンバーの中に偶然(!!)友人が居て、びっくりしながら6年ぶりくらいの再会を喜んだり。(都立技術専門校、いわゆる“職業訓練校”に通っていたときの同級生。そこで学んだ技術が今回のプログラムづくりに生かされていたりするという、なんとも不思議な感じの再会)「うたをうたいたい」ということと「私たちの(子どもたちの)未来について深く考えたい」ということとは、“おなかの底に力を入れてみる”という点において、同じだな、と思ってみたり。私って、そう言えばステージの上はけっこう好きだった。なんてことを思い出してみたり。しました。昨年はブログで様子を知るだけだった私が、今年は実際に“開催する側”になってみて、いろんな経験をしました。いろんなことを学びました。定点で居続ける“核”のメンバーに新しい人が加わり、カラーが変わり、違う風に乗って、くるくると育って行く。でも、本当に大事なところは変わらない。4つ葉はきっと、これからもそんな、懐深い場所であり続けるのでしょうね。今ここを見ている昨年の私のような人が、来年は、みんなと一緒に会場でニコニコ笑っていたらいいな!* * *そんなこんなで、さぁ今週は、次の仕事に向かってまっしぐら!かと思いきや。大好評(生みの親の1人として単純に嬉しい!)であっという間になくなってしまった当日プログラムの、増刷準備にとりかかっています。そして、それと平行して今回の参院選に向けて出された各党のマニフェストを読み込み書き出す作業をしています。近日中にこのブログに選挙に行こう!キャンペーンのバナーが貼り出されるはず。みんな4つ葉を読んでよく考えて、今回も、選挙に行きましょう!(私は当日フジロックに行くため 不在者投票の予定ですが。)子ども子育て、家族政策、その他もろもろ、わたしたち大人は子どもたちの未来のために、なにを選ぶ?それをどんなふうに、子どもに伝える?子どものために、今、なにをする?子どもと一緒に、今、なにをする?自分の人生のために、今、なにをする?(“子どもに自分を投影した”ものでは決してなく)どんな後ろ姿を、子どもに見せる?厄年まっただ中の私。自分への問いかけは、ともすると重くなりがち。もっと軽やかに。そしてもっとディープに。パワフルでカラフルな人生を自分にも娘たちにも、見せてゆきたいです。
July 6, 2007
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今週火曜日に、やっと当日プログラムの入稿を終え、ほっとひと息…なーんて思っていたらいよいよ明日はタウンミーティング当日!(あっという間だったなー)今日はボスの勧めもアリ、トークセッションのコーディネーターである浜尾朱美さんにくっついて慶応大学の樋口美雄先生のお話を伺いに行ってきました。浜尾さんは既に、明日のゲストである厚労省の度山さん、世田谷区の田中さんの家族政策や施策に対するアツい想いを聞いていらっしゃいます。(浜尾さんの真摯な人柄には ホント学ぶことだらけです)浜尾さんが、度山さん、田中さんのお人柄とか想いとか、群読の台本に込められた現状や願いとか、当日配布の資料に載せた4つ葉プロジェクトとしてのアピールとかを樋口先生にアツく語っているのを横で聞きながら、私はなんだか、おなかの底からほわっと何かが発熱してくる想いがしました。(樋口先生も素敵な方でしたー!)なんだか明日は、すごいことになりそうな予感がする!!度山さんのお話も、田中さんのお話も、聞いているといつもその情熱や真摯さにくわーっと感じるものが在るのだけど。今日初めてお目にかかった樋口先生のお話も、今回初めて聞くことになる野田聖子さんのお話も明日、間近に聞いたらたぶん、おなかの底に火がついちゃうだろうな、「うわー!うわー!」って思っちゃうだろうな、っていうワクワク感が、からだのなかに満ち満ちています!(この期待感はたぶん私にとって「フジロックに行くぞー!」っていうのと同じものだ。 スゴい人のスゴい想いをライブで体感するという ゾクゾク、ワクワクする、あの感じ)迷ったまま、まだお申し込みされていない方も、もし時間があるのなら、一緒に聞きましょうよ!!絶対おもしろいって!* * *火曜日に久しぶりにゴスペルを歌いに行って、メイ先生から、ゴスペルという音楽の持つ歴史的な背景(虐げられ、人として扱われなかった人たちの それでも歌に希望を見いだそうとするその想い)を、さらりと聞きながら、言葉や、メロディーや、それを紡ぐ声の力、その背景にある想いの力に、やっぱり胸が熱くなった。この発熱は、どこからやってくるんだろう?それはきっと、PCの画面の向こうやTVという箱からなんかじゃない。人と交わり、話すこと、コミュニケーションすることで初めて得られるものだと思う。1人の、初参加者として、明日のタウンミーティング、ホントに楽しみです!
June 29, 2007
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この1週間、参議院厚生労働委員会への随行に始まり、小学校のPTAの役員会とか、4つ葉タウンミーティングの当日プログラム作成とか、なんだかわさわさと過ぎてしまいました。金曜担当なのに、ハッと気付いたらもうすっかり土曜日です!「随行記、ちゃんと書いてね♪」とボスに言われていたのですが、もう、感想は「疲れました」のひとことに尽きる感じで…。(帰途、あんまり「疲れた」を連呼する私に、「答弁したのは私なんだけど(笑)ま、初めてだからしょうがないわね~♪」とケーキまでごちそうになる始末)与党側からの参考人、野党側からの参考人合わせて5名が決まった時間内に意見陳述し、それに対して、各党から参考人へ質問が出る。そのやりとり合わせて3時間、休憩なし。もちろん、みんな陳述内容も準備し、参考資料も用意し、質疑応答もその内容の確認なのですが、なんの予備知識もなく後ろで聴いていると、どんな立場からの意見なのかに関わらず、「そうだよ!それをみんなは望んでいるよ!」と深く頷きたくなる内容もあったりして。で、それを実現するためにはどうアプローチするべきなのか、そこからまたみんなそれぞれ議論し、実効性を検証し、進めていくのだな、というプロセスを垣間見ることができました。ホント、いい勉強になりました。* * *serenoの仕事とは関係なく、一昨年から、なぜか縁あってテレビ番組のホームページに原稿を書く仕事をいくつかやらせていただいたのですが、その経験と、今回の経験は繋がっているなと思います。要するに「箱の向こう側とこちら側は同じ世界」ということ。そこに映っている人も、その場を作っている人も、それを一方通行で眺めている人も、同じ現実の中に生きている。とくに都内に住んでいれば、お互いは頑張れば歩けるような距離にいるわけです。なのに、両側から手を伸ばせる接点がない。だから、“あっちは別世界”と感じてしまう。だから、お互い理解しあえない(と思ってしまう)。すごく、もったいないことだなと思います。もっと「場」があれば、自分が一歩踏み出せば、コミュニケーションの機会は必ずやってくる。意見をぶつけあう場ではなく、伝えあう場を持つこと。来週のタウンミーティングが、そんな場になりますように。と願いながら、今日は一日プログラム作成に没頭しま~す!いろんな省庁、組織から公に出されているにも関わらずなかなか目にする機会のない、アンケート結果や他国との比較などの資料も盛り込まれます。高野優さんの「そこぢからおかあさん」のイラストも本当にカワイイ!です。乞うご期待。
June 23, 2007
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今日から発売の三角マンゴーパイがどうしても食べたくなって、東松原のマクドナルドに行ったら、「職業体験実習中」と書かれた大きなバッジをつけた中学生がレジで一生懸命対応してくれました。お昼時を少し過ぎているとはいえ、お客さんはそれなりにひっきりなしに居て、レジに立つ2人の中学生の間で、社員の人が一生懸命フォローをしている。入口の外からは、同級生らしき子どもたちがちょっと囃し立てながら中の様子を覗き込んだりしている。「中学生ですか?」と訊くと「はいそうです。2年生です」と社員の男性はとっても嬉しそうにニコニコと答えてくれて。「あ~、ウチの娘と同い年です~!楽しそうでいいですねー」と言ったら、またまた満面の笑みを返してくれた(さすがスマイル0円!)。実習の中学生本人たちはカナリこわばった形相だったのがとっても微笑ましくておかしかったのだけど、彼らがここにいて、働いている裏でどれだけたくさんの大人たちが、一生懸命考え、動いて、この企画が実現したんだろう?と考えると世の中捨てたもんじゃないなー、と思ってしまいました。最近では中学生のインターンシップ、普通に増えてきているのだろうけど最初に言いだした人は、やっぱりいろんな壁にぶつかったんだろうな。* * *それを言えば、もっとあたりまえのように見えていることだって、誰かが最初に始めたときは、きっと大変だったに違いない。子育てひろばや、サロンや、情報誌や、メッセや、とにかく「なかったもの」を「そこにあるもの」にした人たちって本当にすごい!それに、積み上げてきたものを、何も考えずに踏襲していくのにはそれほどエネルギーはいらないけれどより良くしながら継続しようと思ったらすごくパワーが必要だ。昨日の杉山さんの「エンパワメント」の話にもあったけれど、誰かが前を走ってくれてるから続けられる、そこからまた新しい発想が出てきて広がって行く、って、すごいことですよね。* * *川越のワーキングマザーさんのエントリを読みながら、私も、いろんなことを考えてしまいました。意見は様々あるとは思うけれど、ひとつ確実に言えるのは学校から求められている「保護者像(おもに母親)」とたいていの一般企業から求められる「働く女性像」は非っっっっ常に!食い違っている!!ということ。働く母親の中で、この点にまつわることで、イヤな思いを一度もしたことがない人なんてたぶんいないだろう。ワーキングマザーが以前ほど珍しいものではなくなり、「特別扱い」はされなくなってきているし、働く女性自身も、ヘンな特別視をされるのはイヤ!という気持ちもある。そのうえ、周りの人間に自分が「やっぱり子どもがいると休んでばっかり。ツカエナイ!」と思われてしまったら、その後に続く人たちが採用されなくなったり、イヤミな肩たたきにあったりするかもしれない、なんて余計なことも思う。おもねることなく意見を伝えあい、少しずつ、お互いが納得できるほうへ進んで行くならそれがきっと一番いいのだけれど、垣根は(少しずつ取り払われているとは言え)まだまだ高いのだな~、と、コメントを読みながら感じました。* * *あとに続く人たちのためにも…という気概を、「おかあさん」は、たいてい強く持っているもんじゃないかな、と思うんです。それは、次世代を本気で担おうとするからこその「そこぢから」。何気ない日常の中の喜びや怒り。それを口に出して言ってみて、そこに反応があってコミュニケーションが産まれて、そうして初めて「次」を育てる力に繋がっていくのだろうな、なんて、思っています。
June 15, 2007
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「もし子どものために10兆円使えるとしたらさあ、何があったらいいと思う?」と娘2人に聞いてみた。2人そろって、答えは「公園!」。アネのほうは「どっかに土地を買って、大きな公園を作るの」と微妙に現実的。イモウトのほうは「楽しいのがいっぱいあるところがいい」とカナリ漠然。どっちにしろ、彼女たちが欲しいのは、“豊かな気持ちで安全に遊べる場所”ってことだろう。(それを欲しがるウチの娘たちは、とっても健康的だ)でも実は、ウチの周りには、たくさんの公園があるんです。そのなかのひとつはなかなか充実した公園で、ミニ動物園も水族館もあった。10年くらい前は、わざわざ遠くからでも遊びに行こうと思うような公園だった。なのに、数年前、施設の老朽化と、その修繕等の予算が立たない事を理由に水族館は閉館され、大人気だったじゃぶじゃぶ池が廃止された。その公園は、手入れの行き届かない大木群があだとなり鬱蒼として午後には薄暗く、ちょっとコワくて、子どもはあまりそこで遊びたがらなくなった。一時期はプレーパークも開かれていたのに、継続が困難になって、いつのまにかなくなってしまった。道路や民家から目が行き届くような少し小さくて遊びやすい公園には今年の四月からいっせいに大きな赤字の横断幕が貼られた。「野球・サッカーは禁止」と。(子どもが少なくなる、ってこういうことだ。)予算がどんどん縮小されて、子どものいられる世界がどんどん狭くなる。これが結局、少子化の結果でも、理由でもあるんだろうな。* * *7日の朝日新聞に、『少子化対策 「仏モデル」直輸入は疑問』というオピニオンが載っていた。10兆6000億円の数字が引き合いに出されてたけど、結局、その数字についてどう思うのか?何に使えばいいと思うのか?について触れられていなくて、ちょっとがっかり。確かに「もっともだ」と思う言葉はたくさんあったのです。でも、じゃあどうしたら日本はよくなるの?という部分がよく見えなくて、なんだかどうにもすっきりしない。「安易に制度を輸入すればいいというものではない」と言うけれども、もともと厚労省の試算は、制度をそっくりそのまま導入しよう!なんていう内容のものだったっけか?(家族政策関係予算の、GDP比の計算だったはずでは?)日本の家族政策はあまりにも予算が少ない。みんながハッピーと感じられる世の中にするためにはもっと子どもの育ちにお金を使う必要がありますよ、というものではなかったのか?中身はこれからみんなで知恵を絞って作り上げていくんじゃないのか?(少なくとも、私はそう解釈していたんだけど)フランス式の安易な導入なんて、現場の人たちはきっと誰も考えてない。だって、みんな、自分のビジョンを持っているから。そのビジョンを実際の政策へ反映していくために声を上げる場が、4つ葉プロジェクト(のはず)。そのためにワークライフバランスについてみんなで考えたり、個人の声を載せるための場を作ったりしてるんです、きっと。小・中学生にだって、「お金があればこうしたい!」という夢はあるんだから。* * *先のオピニオンが示している、「多様なカップル関係を認める社会」とか、「週労働時間の短縮」とか、「人生の選択肢として「産んだ」人を行政が支援する」とか、そのあたりを今の日本で実現するためには時間もお金も人の知恵も必要。「これがダメ」「あれがダメ」じゃなくてもっと建設的な意見を、みんなで出し合って行ければ、そして、そこに予算がつけば、日本ももっと根本的に変わるだろうか?今度のタウンミーティングでは、“じゃあ、どうすればいいのか?どうしていきたいのか?”について、具体的で中身の濃い話が繰り広げられる予定です!
June 8, 2007
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4つ葉のタウンミーティングまであとひと月をきりました。私はパンフレット制作の担当になっているので応援メッセージが早く埋まらないかな~、と心待ちにしております!みなさん、遠慮なさらずこちらまでどしどしお寄せくださいね♪* * *さて。このブログを読んで、私に娘がいると初めて知ってビックリ!!と、ぶりっじでいつもお会いする方から言われてあ~、そんなもんかなぁ?と久しぶりに新鮮な思いを味わいました。そんな、見た目にはまだまだ貫禄も足りずひよっこな私ですが、10ン年前よりずいぶんよくなってきた今の子育て環境をみていると、ホント、近所のおばちゃんみたいに「私が子育てしていた頃はね~」と恨みつらみを言いたくなります(笑)。たとえば、駅のエレベーター。たとえば、公立保育園での一時保育受け入れ開始。などなど。学生時代をともに過ごした友人たちがみな就職し、ぽつんと取り残されたように思っていた13年前の春。A型ベビーカーを担ぎ上げて地下鉄の階段を下り、衝動的に、長女を連れて上野動物園まで出かけたっけ。先週、たまたまその頃住んでいた家の近くへ用事があり、駅を利用したら、エレベーターがついていました!(当然か)父が入院していたとき、専業主婦でした。娘2人を連れて区役所の窓口へ出向き、「入院している父の看病がしたいから保育園を利用したい」と言ったら「同居ですか?」と聞かれました(愕然!)。緊急に子どもを預かっている保育園は区内に3園あるけれども。数ヶ月の間限定で、それにもいろいろ要件があります、と。「離れて住んでいると、親の看病さえもさせてもらえないの!?(激怒)」と窓口で私が吠えたことは、まぁ、ご想像通りです。2年前、杉並在住の友人と都立中高一貫校の説明会で久しぶりに会ったとき、…あれ?3人目の長男くんは?と聞いたら、「一時保育に預けて来たわ~、あれは便利だね~!」とのこと。えー?世の中はそんなによくなってるのか!とほんとにビックリ。* * *きっと、誰かが声を上げてくれたんだ。その声がきちんと届く場所で、何かを変えることができる場所で。声を上げてくれたんだな。* * *ウチの長女がもし、私と同じ歳で子どもを産むとしたら、もう、あと10年をきってしまいました。その、もしもの10年後が、実際にあるとしたら。彼女は「子どもが生まれてホントによかった!」と私のときよりもっと素直に、心から思ってくれるでしょうか?「なんでこんなこともできないの?」ではなく、自分の人生も享受しつつ、友達や新しい家族と楽しい時間を過ごし、「もっと、もっと家族が増えたらイイナ!」って思ってくれるかな?(孫、欲しいんです、私。でも40代で毎日毎日孫の世話はイヤ!!)そのためには、いま、何をすることが必要だろう?いま、どんなことが起こっているのか?それを解決するためには、どんなものがどのくらい必要で、そのためにはどのくらいのお金がいるのか?走りながら声をあげて、そして知恵を絞って、声をあげる場所を作って、見つけて、また声をあげて。地味だけれども、届くかどうかもわからないけれども、それが、きっといま必要なこと。* * *とりあえず、まずは4つ葉タウンミーティングへの応援メッセージ☆どうぞよろしくお願いします!
June 1, 2007
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もともとそういう傾向はあったのですが、セレーノで働き始めた頃からとくに「ワーク・ライフ・バランス」についてよく考えます。で、最初こそ「仕事とプライヴェートのバランス、暮らしの充実」と素直に思えたのですが、でもなんだか最近、もやもやしてます。「そもそも“ライフ”ってどんな意味だっけ?」とかいうところで、です。(ちなみに、私が「ライフ」と聞いてまず思い浮かべるのはオザケン! あのアルバムのなかの「Life」は「=愛」ですよね)あんまりもやもやしてきたので、電子辞書を引いてみました。まず、英和辞典で「life」を引くと、最初に出てきたのは[「生命(のあるもの)」「生命の力」が本義]という言葉。1 生命、命;生きていること2 [集合的に]生物、生き物3 人生、この世に生きること;現世;世間4 一生、生涯;(物の)寿命、耐用[有効]期間5 [通例lives](死者と対比して)人、人命6 生活、暮らし(方)、生き方7 =~ story.8 活気、生気、元気、快活;(生命の)活動、動き9 活力源、生気を与えるもの;[the ~][…を]はなやか[にぎやか]にする人[物]、[…の]中心人物、原動力[of]10 《略式》=~ sentence11(死などからかろうじてのがれた後の)命、新しい出発、命拾い12 [美]実物13 《略式》終身刑すごくいろんな意味と含みを持つ言葉なんだなぁ。同じ辞書の広辞苑で引いたら、1 命。生命。2 生活。暮らし。3 生涯。人生。一生。4 「救命用の」の意。とのこと。英和で見る限り、明らかに「命」という意味のほうが強いのに。日本語で「ライフ」と聞くと、なぜかもっと軽いものに聞こえる。「ライフ」という言葉は、日本語になるとき意味がだいぶ端折られちゃったんだろうか。そこで翻って、ワーク・ライフ・バランス。言葉の本当の意味通りにとれば、「仕事、労働、作業」と「命、人生」のバランス。難しいな…。どう比べればいいんだろ。ワークはライフの中の、一部分なのに。* * *日本中の様々な場所で毎日のように弱くて小さい命が失われた、と報道されてます。あの子たちのなくしたものも「ライフ」。言葉の意味と同じように、命そのものの重さもまた軽んじられている。松田さんの怒りは本当に身にしみて痛い。でもきっと、この「痛さ」が本当にわかることこそ「おかあさんのそこぢから」に繋がるんだろうな。* * *彼ら、彼女らの「ライフ(これから先の命や人生)」を守るためにはどんな「暮らし」ができる社会を目指せばいいのか。私たちはどんな「仕事」をすればいいのか。結局これが、私なりの、ワーク・ライフ考?もやもやしてるうちに、一般的な議論からは、相当ずれましたねー。あ、そのうえ、いつのまにかバランスが抜けてます!ていうか、ぜんぜん違う話になっちゃった。笑
May 25, 2007
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はじめまして。今年の2月から、セレーノ(代表:杉山千佳)のスタッフとして働いております、葦澤美也子です。毎週金曜日のブログ当番を担当することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。…とは言っても、いまだになぜこのブログの担当に指名されたのか理由もわからぬまま(笑)、そして、何を書けばよいのかもわからないまま、今日を迎えてしまいました!そもそも、私がなぜここにいるのか?どうしてだっけ?と思いながら、「4つ葉プロジェクトについて」のページをつらつらと眺めていたら、ちょうど、この4つ葉プロジェクトが立ち上がった頃、私は某出版社にて、身に覚えのないミスについて「子どもがいるから、って甘えてるのか!」と上司に言われてブチ切れていたのだなー、と思い出しました。この言葉だけこうして書き出してみると、なんだかよくある話。スマートに受け流せばよかったのか?、という気もするのですが、いちおう私なりの「キレた理由」はあって。その上司がものすごく(当時の同僚曰く)エキセントリックで、“セクハラ・パワハラ発言はあたりまえ!”“抑圧することこそが部下の力を引き出すエネルギー”みたいな人だったので、日頃の不満と鬱憤がたまっていたのでした。* * *そもそも、低報酬の内職とか、扶養控除を超えないよう賃金設定されたパートとか、専業主婦から仕事を始めようとしたときに「???」と思うような経験の豊富な私。ついでを言えば、ロストジェネレーションと呼ばれる世代のハシリでもあります。(子どもを産んでいなければ、就職氷河期一期生だったはず)女性は、子どもを産んだら“子どもがいてもできる仕事”を選ばなければいけないのか?どうしても自分がやりたい仕事に就きたければ(または続けたければ)、保育園のお迎え時間と格闘したり、パートナーより重い家事の負担に喘ぎつつも、“男性と同等かそれ以上の頑張りを見せる”しかないのか?という疑問を、デフレスパイラルの中で、常に考え続けてきました。子どもを産んでも働き続けようとする女性はどちらかを強いられる場面が多い。実際、自分の決意でそれを実行している優秀な女性もたくさん!でも、私はどちらも違うと思う。そう思って答えを探しているときに出会ったのが4つ葉プロジェクトだった、というわけなのです。(そして今に至る。いまだに明確な答えは出ません)* * *そんなわけで、私がここに書く意味は、たぶん4つ葉にはとってもスゴい人がたくさん集まってるけれど、私のように、その想いに心も行動も動かされ、なんだかわからないうちに走り出してみちゃった!みたいな人もいるわけよということを伝えることなのかな。子育ての専門家でもなく、支援者でもなく、もうすっかり子どもも大きくなり過ぎちゃった(中二と小五です)、でも、あいかわらず、おかあさんである私。なのに、同い年やちょっと年下の友人たちは、やっと子どもを産もうかと考えているところだったり、いまだに結婚相手探し中だったり、離婚後の心の傷に悩んでいたり。そもそも“結婚って何?その一歩を踏み出すにはどうしたらいいの?”みたいなところで迷っていたり。友人たちの今を、いちいち自分のたどってきた道と重ねあわせてはぐらぐらと揺れている、そんな私が伝えられるのは、本当に丁寧に掬わなければ誰の耳にも届かずこぼれてしまいそうな、小さくて、でも大事な、想いであるといいなと考えています。それにしても、まさかこのブログを自分が書く時が来るとは!まったくの想定外です(笑)。いろんなイヤな経験が募ってもなお、「アツくなって拳を振り上げてエイエイオー!」みたいなのはちょっとなぁ…、と思い続けていたのになー。でも、こんな“ちょっといいかげん”で“気弱で小粒”な人が集まることが、大きな力になるのなら、それもいいな、と今は思うのです。
May 18, 2007
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