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少しバタバタしておりまして・・・いつ落ち着くかどうかも分かりませんでし・・・(^^;てなことで、懐かしい「まんが日本昔ばなし」より。オープニング☆ 御覧になるには11分ほど掛かります ☆まんが日本昔ばなし:その人の真実というのはだなぁ・・・的な?☆ 御覧になるには11分ほど掛かります ☆おいら、少し自信が持てたような気がします・・・(大爆)にんげんっていいな
2010.07.26
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今日のよびりんさんの記事は吉四六さんのお話です・・・が、今回は、いつもと勝手が違うようです(^^;人の頭と言うのは不思議なもので、どういう場面で能力が発揮されるかは、本当に人それぞれ。吉四六さんは、もしかしたら自分の商売に関しては、我々と同じだったのかもしれませんね(苦笑)。それにしても「茶、栗、柿」と三種の商品を背負って「ちゃくりかきー!」と叫ばれても、何のことやら。近所の方の言う通り、せめて別々にアナウンスしてもらわないと(^^;こういうことは、よびりんさんの仰る通りで、よく遣りがちな失敗ではありますが。orzもっとも、先ずネーミングを考えてもヒジョーに難しかったりもしますね。分かり易く端的に商品の特徴を・・・と想っても、商標や先行品があったりで苦心することは多いもの。そうすると、第一に人目を惹くような名前を、となりますが、これまた出たとこ勝負だったり・・・当たれば大きいですが(笑)。それに、せっかく三種の商品があるんですから、セット販売にも結び付けたいものです。仕事の一服に美味しいお茶~♪小腹空きにはホックホクのクリ~♪お口直しにあま~い柿~♪とでもいうような感じでしょうか?我ながら甚だしくセンスがないことに呆れはしますが(大爆)。商売と言うのも、難しく考えると本当にいくらでも難しくなりますね(^^;どなただったか忘れてしまったのですが、「売る事より笑ってもらうように心掛けていれば自然と売れる」というようなことを聞いたことがあります。もちろん、それだけで事足れり、という商売ばかりではありませんが、TVショッピングなどを見ても、確かに上手いですね。下手な番組を見てるより面白かったりして(爆)。でもこういう失敗は避けた方が良いような気はしますです、はい(^^;*48秒位からの男性の右手に注目です(爆)
2010.07.23
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懐かしい「まんが日本昔ばなし」を発見!中々に再放送もされず、子供達にもビデオ購入出来たものなんかした見せてやれずに残念だっただけに、せめて、こういう形は許して欲しいものですが・・・先ずは懐かしのオープニング。よくもまぁ、毎週飽きずに聴いてたもんだな・・・と想いもするが、やはり今聞いても飽きないなぁ(^^;さて、今日はこの日の記事に関連した昔話を。まあ、おいらも貧乏が好きなわけでは“決してありません!”が(苦笑)、なるほど、こんな話を聞いていたんだなあ、と。☆ 御覧になるには11分ほど掛かります ☆まんが日本昔ばなし:貧乏神と福の神 ☆ 御覧になるには11分ほど掛かります ☆まあ、御感想はお任せということで(^^)そしてエンディングは・・・比較的、新しいところでにんげんっていいな そして40代向け(?)エンディング。グルッパーのうた
2010.07.22
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今日のよびりんさんの記事は吉四六さんと長鬚で金持ちの長兵衛爺さんのお話。当時は、お金持ちでも村を出て町に行くということは容易ではなかったのかもしれません。そう言えば「町一番の・・・」というよりも「村一番の・・・」という表現の方が耳目にすることが多いかも知れません。それにしても長兵衛爺さん、日本一とは大きく出たものですが・・・(^^;それでも鬚を褒められただけで大盤振る舞いとは気前が良いですね~。人には色々なアイデンティティーがあるもんなんだな、と(苦笑)。そう言えば、爪の長さ世界一という記録もありましたね。このお話、大分に伝わるものだそうですが、そうだとすれば伊勢から来た客人になれば有頂天になる気持ちも分からないでも(爆)。まあ、詐欺の常套手段とも言いますが(大爆)。吉四六さんも、頭ごなしに長兵衛爺さんを説得にかかるでもなく、穏便に収める知恵を発揮していますが、長兵衛爺さんが「そんなの出して寝るに決まっとる!」というタイプでなくて良かった、良かった。というか、そこまで拘っていないことも承知の介だったのでしょうけれど(笑)。でも長兵衛爺さん、騙される程の有頂天は大いに反省すべきですが、自慢の長鬚なんですから、更に精進して伸ばして頂き、村一番から町一番を目指しても良かったような・・・(^^;こういう他愛のない自慢をするキャラクターの人がいるのも、また面白いとは想うんですが(笑)。
2010.07.22
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パナマでカエルが大変らしい。日本でも早期に確認されているカエルツボカビによる大打撃だそうだ。Wikiで見ると、日本のカエルへの影響は今の所は限定的な可能性が見込める・・・のだろうか?しかしツボカビ門なんてのがあるんだなぁ・・・菌は種類も多いし分類も複雑過ぎて、説明を読んでも頭に入らん(^^;ミズカビが卵菌というのに分類されるというのは、何とか覚えられそうな気がしないでもないでもないか・・・(苦笑)ある動物の移動に伴って新しい病気が蔓延すること自体は、タイム・スケールは別としても、自然界でも普通に生じる事ではあるだろう。それでも、大甘に見ても人の介在する場合、往々にして急激に過ぎてしまうことは過去例からも確かだ。広まった原因は違っても、鳥インフルエンザや口蹄疫と言い、最近は動物にも悲惨な病気の蔓延が目に付くが、その度に感じるのは人間の無力さだ。人間は自然から大きな恩恵を頂戴しているが、いかほど、その恩恵に報いることが出来ているか・・・そういう意味では里山というのは奇跡的文化と言っても良いかもしれない。FAOによる世界農業遺産という構想は非常に興味深い。右左の思想が絡む問題なの?という疑問もあるが、里山が世界農業遺産のような形で評価されるだけでも、少しは我々の見方も変わっていくかも。とは言え、こういうのは大抵が利権絡みだからなぅ・・・地道に守り続けている人達を応援していくのが、遠回りでも一番良い方法なのかな?
2010.07.21
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今日のよびりんさんの記事は有名な猿蟹合戦。御紹介されているのは表現や筋書きを柔らかくした現代版ですね。小学校の教科書で見た記憶があるのですが・・・例により記憶が怪しい(^^;この猿蟹合戦、元は残酷なオチだったりで、含意するところは難しいと感じさせられたりも。かの文豪芥川龍之介は、それに対して後日談を作っていますが、仏教で言う「怨みは怨みによって・・・」の一節を想い出させます。実際に、日本は、この思想の大恩を頂戴することになったわけです。ジャワルデネ閣下(セイロン、スリ・ランカ)の演説は有名ですが、北に頭を向けて寝ないのではなく、南に足を向けて寝てはいけないというべきかもしれません。とは言え、その理想が難しい実務的議論に及ぶことは想像に難くなく・・・参考私なんぞも、万が一、家族に危害が加えられたら捕縛される前に復讐したる!捕縛されても、どっかで復讐したる!!とか考えてしまう方です。orzこの御釈迦様の一言自体はシンプルですが、どう受け止めていいのかは、高潔な心魂を以てしか真意を図ることは出来ない気がします。ただ、一つ言えるのは、「あの人は悪い事をしているが、自分は悪い事をしていないからいいんだ。」というような、自分だけが正しければ良いというような感覚や発想は、少なくとも仏教的には馴染まないだろう・・・と。そして「自分さえ我慢すればいいんだ。」と自虐的になるのではなく、力の及ぶ範囲で、より積極的に悪事を為さしめない(生じさせない)ための智慧も必要だ、とは言えそうです。う~ん・・・子供の頃に感じた違和感から大した成長をしていないのが悲しい。orzおいら、大した事を学んできてねぇなぁ・・・つくづくに・・・(^^;
2010.07.21
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お休み中、南房の民宿にお泊り。夜中にプカリしながら裏庭を眺めていると、珍しい姿が・・・おお、便所コオロギ!・・・もとい(笑)、カマドウマ!!比較的、色んな生物がウロツク我が家ではあるのだが、そう言えばカマドウマを目にしたのはいつ頃か??などと想いふけってしまった。もちろん、美しい海山に恵まれた南房と比較するべくもないのは承知だが、鬱陶しい程、そこらにいたカマドウマすら目にすることが少なくなってしまっているんだなぁ・・・と。少し見遣れば大きな地蜘蛛や光に誘われたカナブンやら、そして虫の音。私の住んでいる辺りは、むしろ宅地化を進めるべきだろう地域だとは想う。それでも、やはり自然が減っていくことには寂しさを禁じ得ない。日本は本当に素晴らしい自然に恵まれた国だと想う。しかし、如何せん、狭い・・・小さな土地であっても、大切に活かさなくてはいけないな、と想わされた。
2010.07.20
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しばしお休みを頂戴しておりました(^^)今日のよびりんさんの記事は吉四六さんのお話。いつも想うのですが、主役の吉四六さんの知恵回りも冴えていますが、周囲の素朴な方々も素晴らしいですね。今回は年貢のお話と言う事で、どれだけ厳しい時代かは分かりませんが、少しは楽な時代に当たっていたとしても、年貢を納められなければ大変ではあったことでしょう。それでも、馬に飲ませる水がないことが分かった時の言葉が、「このまま水も飲ませずに無理をすれば、馬が倒れてしまうぞ」という馬を労わるものだというのが何とも。もちろん、馬の心配と自分の心配は一緒だということでも、馬自体が貴重な財産であったということでもありはしたことでしょう。それでも馬と自分が運命を共にする仲間ではある、ということではあったようで、少なくとも、このお話からは、馬を“単なる道具”として使っているというような様子は伺えない気がします。ノンビリ屋の私などは、このような生物や自然との温かい交流が描かれている文章を目にするだけでも安らかな気になってしまうわけですが(^^;知恵というものも、冷たい知恵もあれば、温かい知恵も、悪戯な知恵もあります。一人で生きている中で発揮する知恵もあれば、皆と共に生きている中で発揮する知恵もあります。吉四六さんは「色々な知恵」を使いこなしたようですが、このような温かい知恵の発揮振りが、やはり一番、吉四六さんらしい気がします。そこには、厳しい時代でも色々な特技の持主がいて、そこに温かい交流があって「共に生きている中での知恵」を感じるからだと想うのです。吉四六さんは、自らの知恵が自分だけが幸せであればいいというようなものではなく、皆と共に幸せになるために授かったものである、と知っていたのかもしれません。もちろん、どのように備わっている知恵なり才能なりを使うかは、それに恵まれた人に任されているわけではありますが・・・(^^;
2010.07.20
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AKB48が大変なこと(?)になってるようだ。エロ系絶対反対という方には「ケシカランッ!」という一言で終わらされそうではあるが・・・まあ、裁判所の判断が妥当のような気はする。「AKB48のイメージを傷つけるような仕事を3年間は行わない」という気持ちは分からんでもないが、これってブッチャケ、「商売の邪魔をするな」ということですわな。辞めていくメンバーの立場からすれば「何と勝手な・・・」という話だろう。本人も承知の上とはいえ、元々は「売り物」ですからね。それにしても元所属事務所の代理人の発言がなぅ・・・「AKBを辞めた女性たちに悪い大人たちが群がり」って、自分達は悪い大人ではないのね(^^;しかも「本当にヌード写真集を出版したいのか、中西さん本人の意志を確認する意味もあった」って、22歳の女性、それも知らぬ中でもないのに裁判を起こすかね?本当に心配なら本人に直接、会って聞けばいいじゃないか・・・(苦笑)これって、うがった見方をすれば、裁判で申し立てが無効になるのを見越して、「今後、ウチ(アイドルなんか)を辞めるメンバーのアダルト業界進出が認められましたよ~♪」と言う路線狙いの布石じゃないのかね?と想ってしまう。なんなんだかなぁ・・・orz
2010.07.16
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今日のよびりんさんの記事は竹の由来、朝鮮半島に伝わるお話だそうです。古今東西、意地悪な継母・継父というのは定型的に語られています。ある種の猿にも子殺しの習性が見られる等、学問的には難しい問題になるようです・・・とは言え、戦時でも老人や女性・子供というのは第一に保護すべき対象でもあり(非戦闘員ということもありますが)、なにより人命を軽んじていいという倫理的な理由もないでしょう。神の化身か、見知らぬ男が吹いた笛の音から響くタエの歌は悲しいです。天知る地知る我知るとは、こういうことで、形は変われども、このように悪事が露見することは決して珍しいことではありません。やはり日々刻々、自らを省みることが大切ですね(^^;ただ、この手の話で非常に残念なのが、このお話であればお父さんの対処です。この、やさしいはずのお父さん、タエが可哀想で、世話をしてもらうために新しい奥さんをもらったようです。その気持ちも痛いほど分かりますが、どれほどの想いを新しい奥さんに振り向けてあげたでしょうか?どうも大したものではなかったようで、それでは継母も遣る瀬無いでしょう。もっとも、優しく愛情を持って接したとしても、新しい継母は意地悪だったかもしれませんが・・・(^^;それでも新しい奥さんとの間での交流があれば、どのような人か分かっても良さそうなもの。時代が時代だからということもありましょうが、ただ、単に子供の面倒を見る母代わりであれば、お手伝いさんを雇うのと何変わることがありましょうか?とは言えるでしょう。そう言えば、アメリカでは少し違う風が吹いている様子です。こういう事は形は違えども決して珍しくないもので、私も含めて世の男性は猛省すべきでしょう。私の場合であれば、今の時代には珍しくなってしまった三世代同居。女房は嫁という立場で、両親にも良くしてくれています。これはもう何を言われても頭が上がらない位、大変なことだと想っておりますので、折に触れて感謝、感謝!です。いくら折り合いが良いようでも、所詮、他人は他人なのですから。カウンターとして、夫は食費運搬人のようなもの、という考えもまた。お互いの少しの心遣いや愛情があるだけでも、物事が穏やかに進むことは多いもの。特に疎かになりがちな家族への想いは、血の通ったものでありたいものです。それにしても・・・四度も宝くじ当選ってスゴイっすな・・・18億というと・・・金利無で1億/年遣っても18年も掛かるだ~よ。確かに募金位しか使い道が想い浮かばん(爆)。
2010.07.16
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今日のよびりんさんの記事はイギリスの昔話だそうです。物に名前を付けて可愛がったり大事にする方はいらっしゃいますが、それは可愛がったり大事にしたりした結果であって別というか逆というか・・・の話ですね(^^;自分で訳の分からない名前を付けまくって分からなくなってしまうとは。他にも、身近なところでは警察の方なども、職務上、隠語を使ったりしますが、それは必要性あってのこと。短時間で正確に意図を伝える必要がある場合、というケースですね。しかし、笑ってばかりもいられず(爆)、よびりんさんが付記されているように、>この、おじいさんのような人、世の中にたくさんいますよ。ああ、おいらみたいなんですのぅ・・・( ̄▽ ̄;忘れないようにメモしたはずの内容がなんだったのか、自分でも分からなくなってしまうという(大爆)。まあ反省は置いておいて、このおじいさんのように、人を煙に巻くような言辞というのは、詐欺的セールスでも頻繁に使われるから要注意ですね。ただ、誠実に説明しようとすると、止むなく長くなってしまうこともあるので見極めが難しかったり。もっとも、一言で済む事を長々と・・・ということは普段の生活でもありがちで汗)。逆に省略し過ぎて分からん!ということもあったりして(苦笑)。また理屈と現実では違うんだよ、という意味でも反省材料になります。実務上、何の関係もない時は評論家として滔々と論陣を張るのも、それはそれで良いかも知れませんが、大抵の場合、実務で役立てるのは難しいものです。実務では、細かい事も気配りしたくても出来ないケースが多くなりがちで「エイヤッ!」とせざるを得ないことも多々あるもの。それでも外せないポイントは外さない、というのが実務能力に大きく関ってくるものです。いずれにしても、下らないお遊びと大切なことをゴッチャにしないことは、やはり大切ですよね。そうでないと大事を見失って無意味に帰す、と・・・(汗)それにしても、この女の子、頭良いですね~(^^;
2010.07.15
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歌謡曲の王道を歩み続けた美空ひばりと岡林信康の交流が深かったとは聞いていたが、どう結び付くのか分からんかった(笑)。風の流れに(美空ひばり)岡林と言えば山谷ブルースを中学時代に歌っていたが(爆)、さすがに影の軍団のエンディングに出てきた時は驚いた(フルコーラス版)。今想えば、中学生で山谷ブルース歌ってたオイラも・・・我ながら引くな・・・(大爆)まあ、そんなことはともかく「フォークの神様」という呪縛を負って煩悶することになった岡林が、やがて隠遁してしまったのも分かる気がする。そして、そんな岡林に自分の詩を託した美空ひばりの気持ちも。NHKの特番に岡林が取り上げられる時代かぁ・・・と想って見ていた岡林番組だったが、「そんな岡林だからこそなのよ。」という美空ひばりの声が聞こえてくるような気がする。レクイエム~麦畑のひばり~ようやく託された詩に曲を付けることが出来るようになったという岡林。「フォークの神様」であった岡林の変わらない本質を、美空ひばりは見抜いていたのかもしれない。
2010.07.14
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今日のよびりんさんの記事は、鹿児島は吉野町に伝わる民話だそうです。登場する神様が火と土の神様だったり、多様な人種を創造したりと鹿児島らしいお話です。子供の頃、「西郷さんみたいな(体格の)人が何でいるんかいな?」と想ったことがありますが、鹿児島には色々な人種が渡来したのか、体格の大小から色の白黒に至るまで、非常にバラエティーに富んでいるところがあります。地元に行くと、西郷さんのような、いかにもサモア系の方も少なくなく、私の祖父も同じような体格の持主でした。一方で、小柄でガッシリという、ミクロネシア系(?)っぽい体格も多く、祖母なんかがそうでした。そのようなことが、鹿児島ならではの独特のおおらかさの土壌でもあるのかもしれません。それにしても、五十年というと、長いようで短いもんだな、と四十を超えた私などは想うこと暫しだったり・・・というよりも、まだまだ学びたい事、研究したい事、やりたい事は山積みなので「マジですか??短っ!!(@@;」という感じです。時間が足りなぃですら・・・(^^;が、その五十年にも大きく満たない中で日本を背負い、動かしてきた多くの人達がいらっしゃったわけでもあり、その偉大さには頭が下がります。もっとも江戸時代に遡ると、寿命自体は比較的長かったらしいという説もあります。戦国時代以前の戦乱時代には、やはり寿命は短かったようですので、やはり人の命を縮めてしまう大きな要因の一つは、戦争に他ならぬようです。長寿であってもなくても、戦禍で命を落とすというのは悲しい事で、やはり避けねばなりません。そう言えば、武術や武道というのは当然ながら世界中のどこにでもあるわけですが、日本の武士が禅を嗜むなどして真正面から生死に向かい合い、一種の哲学と言えるほどまでにした様な例と言うのは比較的珍しいようです。そこには、勇猛果敢である一方、元来は平和主義者という相反する側面を持ち苦悩した日本人の姿を見る気がします。話変わって、恒例の「山笠ビール会」では、「六つの魂の話」が出たようですね。「三種の神器」のお話から少し離れますが、伺うと「なるほどな~!」と、これまた非常に面白いお話です。機会に恵まれた方は、よびりんさんに御伺いすることをお薦めします(^^)目が点になる方もいらっしゃるかもしれませんが、その時はその時なのです(爆)。
2010.07.14
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今日のよびりんさんの記事は、ニュージーランド民(神)話から。「マウイ」と聞けばハワイのマウイですが、この場合は神話に近いので、スピリチュアルっぽくなりますが、我々に馴染み深い言い方(?)ではムー大陸あるいはムー大陸に住んでいた人々ということになります。より厳密には「人」という形を取る前の「魂としての人(集団)」でしょうか?いずれにしても、神と人との境が、まだあやふやだった頃の世界のお話です。マウイは、地上の人間が永遠の命を持てたら良いな、という、素朴ながら現世の摂理に反する願いまで抱いてしまったために、この世にいれなくなってしまいましたが、その想いは優しく尊いものと言えましょう。その姿は、全ての人を愛しむ聖人の姿に重なるかのように語られているかもしれません。あるいは視点を変えて、自然界で人として暮らすための知恵を得ていく物語と見ても良いかも。神話のマウイは一人でしかありませんが、その場合はマウイという一人に仮した、様々な能力を獲得した歴々の先祖達、ということになりましょう。それら先祖達も、やはり永遠の命を求めつつも、この世を去らねばならぬ時が来ることは拒めないのです。さて、このマウイ神話でもそうですが、往々にして神話や、あるいは現代文明と言われるものに毒されていない世界では、我々から見れば残酷、あるいは非人道的と想われてしまうような習慣があったりするものです。NHKの秀逸な作品にアマゾンのヤノマミ(族)を長期取材したものがあります。ヤノマミでは、人は産まれて後、人か精霊かを母の選択により決められます。胎児の間は(森の)精霊なのですが、産まれ落ちて後、人となるか精霊のまま森に還されるか・・・両親や社会を保持するための体のいい言訳的なお話(習慣)だ、と言う意見が強いことは想像に難くありませんが、それがヤノマミにとって“自然と共に生きる”ということなのであって、他文明や文化の視点で語って良いものか・・・?そこには、大宗教や現代文明すら伺う事が難しい、自然の只中に生きる、一生物としての人間の在り方を受け入れている姿を見て取れはしないでしょうか。人間が“自然の異物”とならないための戒めとは見れないでしょうか。愛や慈悲というものにも、感情であるものと、感情でないものがあります。感情ではない愛や慈悲は、時に人にとっては苛烈にしか想えないものです。しかし、その苛烈な愛の中でこそ、本当の愛というものが光り輝くのかもしれません。
2010.07.13
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きょうのよびりんさんの記事は、長野・塩尻の桔梗ヶ原に住む玄蕃丞狐(げんばのじょうぎつね)のお話から。この玄蕃丞狐、地元では大変に愛されている人気者だそうです(笑)。御祭まであるとは驚きです(爆)。上に御紹介したのは「よさこい」になっていますが、元は武田家由来で土佐との関連もあるとか(武田勝頼土佐の会)。大変に古い時代から大集落があったようですから、狐に化かされたお話も身近なのかもしれませんね。とは言え、玄蕃丞狐の場合は化かしたと言っても邪気のない悪戯の範囲で、ちょっと手を焼くヤンチャ坊主という感じ。化かされた当人はともかく、お話を聞かされても想わず笑ってしまいます。罪のない嘘戯れと言ったところでしょうか?大変に意外だったのですが、人が、その成長過程で「嘘をつくことが出来るという能力」を身に付けること自体は大切なことだそうです。なんでも、その「嘘をつく能力」というのは、現実と観念世界を区別したり、人の感情や心を察するなどといった重要な能力の現れなんだとか(@@;私が知ったのは娘達が嘘をつけるようになる前だったので、子供達が嘘をつけるようになった時には「それは、本当は・・・だね~(笑)?でも、凄いね~!嘘を付けるくらい大きくなったんだね!!でも、せっかくだから、その頭は良いことに使おうね~。」などと呑気なことを女房といっておりました(爆)。しかして不思議なもので、二人とも、相変わらず可愛い嘘や優しい嘘はつきますが、人を傷付けるような嘘を言うところは、見掛けた記憶がありません。基本的に嘘はイカンことに変わりないのですが、それも時により場合により。優しく人を気遣う嘘もあれば、玄蕃丞狐のように皆で面白おかしく、という嘘もあります。よびりんさんの仰る様に、勝&龍馬の大ボラ・コンビみたいな例も決して少なくはありませんし(笑)。そうそう!そう言えば私、始めて書きますが・・・実はよびりんさんの歳離れの弟なんですよ(大爆)!!
2010.07.12
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今日のよびりんさんの記事は田植えを手伝ってくれた地蔵尊のお話。そういえば最近は、お地蔵様を見掛ける機会が減ってしまったような気が・・・というより、昔は普通にあった謂れも知らぬ祠や仏像といったものを見掛けること自体が減って来たのか・・・?「お参り」というと、どうしてもお願い事、それも都合の良いお願い事に走ってしまいがちなものですが、御礼に行くものなんだよ、と教えられたことがあります。典型的には墓参りなどでしょうか「ちゃんと御挨拶した?いつもの御礼をした?」と、よく言われたものです。元より御照覧の上、守護して下さっている神仏・御先祖様ですから、まず御礼が先だ、ということだとか。お願いするにしても、この老夫婦のお二人のように「お役に立てますように(=元気で、働けます様に)」とお願いするもんだ、と。大した努力もせんで都合の良い頼みごとばっかするもんじゃない!とは、当然と言えば当然のことではありますな・・・(^^;考えてみれば「参る」と言って「誰が参る」のかと言えば、我々が参るのであって、仏様が参ってきてくれるわけではないのですよね(笑)。少し厳しいようですが、礼法上は、目下の者が呼ばれもせずに自ら目上の人に声掛けしたり、呼ばれて先に言を発するのは失礼にあたるとか。それは煩わせないということが一つの理由であるようですが、神仏だと言って煩わせてばかりいて良いのか?とも・・・(汗)まあ、神仏は「いつでもいらっしゃい」でしょうが、いきなり勝手に参上して「後は頼みまする~!!」ではなぁ(笑)。話変わり、このお話ではお地蔵さまが坊主頭の子供と化して登場したことになっていますが、お地蔵さまと分かるまでの遣り取りでは、みんなで助け合って過ごしていた、昔の日本の姿も見てとれます。今でも農村や漁村と言ったところでは変わっていないところも多いようですが、元々、村や集落というのは、その中で互助的な生活を営むのが当たり前で、たとえば「苗作りは○○ベエに」というような、一種の分業に近い助け合いまでもあったようです。また若手は力仕事、高齢の方は知恵袋、といった具合に、各々の長所・力を合わせて事に当たっていたことも。そういうことは今でも変わりはないはずなのですが、昔に比べると大量生産型にシフトしてしまったような“仕事”を典型に、どうしても画一的な能力のみが求められがちになっている傾向はあるようです。その分、そういう枠組みにない長所を持っていても埋もれがちに、ということがあることは、一考を要することのような気がします。人は誰しも異なる長所短所を持っているものですから・・・そして地蔵尊ですが、立像が多い事(ほとんど?)には理由があると聞いたことがあります。立像は地蔵尊に限られてはいませんが、その姿には「今、直ぐにでも助けに行きますよ」という菩薩の願いを現したものなんだとか。座して広く徳を及ぼすのと少し異なり、(より具体的に)手を差し伸べましょう、と。このお話や笠地蔵に見られる地蔵尊のお姿は、高貴な菩薩でありながらも一切衆生を救わんと自ら六道輪廻の世界に身を投じたと伝えられる、その願いと行動力そのものを物語るようにも想えます。立ったまま、多言せずして慈悲深く微笑む姿は、そのまま御手本そのものと言えるのかもしれません。駆け足ではありますが、このお話には我々が忘れてしまった、あるいは置いてきてしまった大切なものが、たくさん含まれているようです。
2010.07.11
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今日のよびりんさんの記事は「とびじいさん」という大男が登場する話、スウェーデンの昔話だそうです。咄嗟に頭に浮かぶのがヴァイキングだったりしますが、ノーベル賞の国でもあり、また、様々な社会施策に積極的に取り組んでいる国でもありますね。スウェーデンこの大男の「とびじいさん」の姿は、ヴァイキングに重なる面もあるようです。このような嫌味で意地悪な金持ち像というのは、色々な国に伝わっているようですが、万国共通なのでしょうか(苦笑)?それにしても、仲良く共同利用していればいいものを、独り占めしたい、というのも極端ですね(^^;それでも30人も調達されてしまうわけですから金の力は恐ろしい・・・この金持ちじいさん、何が楽しみなんでしょう???逆に意気消沈していた貧乏じいさん、追いつめられて、「ガオオーーーーーーーーッ!ガオオーーーーーーーーッ!!」と吼えてから大変身、一気に底力を発揮したようです。残念ながら、真面目に働きさえすれば、お金に不自由することはない、はは必ずしもいかないようで、逆に、その真面目さが仇になることがあることは、よびりんさんも注意されています。「お人よしを卒業する」ことは、普通の心掛けとして、やはり必要なことでしょう。極、稀に仙台四郎さんのような方も現れますが、それを倣いとするのは非常に危険な一面もあります。逆に、そのような方々のために、仙台四郎さんみたいな方が身を呈して現れてくれるのかもしれませんね。話が全然、飛んでおりますが(爆)、やはり仙台四郎さん、スゴイですねぇ・・・女房に見せたら、やはり東北出身だけあってか、店先に写真が貼られていたりするのを拝見したことがあるそうです。厳しい北国では、時に、そういう神と見紛う人が現れるようで、そう言えば座敷ワラシも東北(出身?)ですね。決して贅沢ではない、ささやかな幸せへの人々の想いがヒシと伝わってきます。まあ独り占めを喜ぶような意地悪なお金持ちには・・・少し反省して頂きましょう。往々にして、金持ちでなくても自戒は必要だったりするものですが(苦笑)。
2010.07.10
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不死身生物の研究に取り組んだとかいうペンタゴン、その課題は、実は恐るべきものであった!記事このDARPA研究リストを見せたら、仕分け人は何と言うのだろうか(爆)?しかし、アメリカというのは混沌としつつも恐ろしい国だ。最近では日本人より日本人らしいアメリカ人が珍しくないが、何と言っても貪欲であり、チャレンジャーである。こういうバカげたことにも大真面目で取り組むというのは、やはり大国ということなのではなかろうか?いや、単にバカなのであろうか(爆)?でも、こういうアメリカって素敵だと想うし、恐ろしいとも想う。一目しただけだと笑ってはしまいますけんども・・・(^^;
2010.07.09
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今日のよびりんさんの記事では「生まれ変わり」について触れられています。特に現代の科学教育を受け育った我々ですので、たとえ事実として疑うのが難しい事例が報告されていても、それをマルッと信じることは難しいかも知れません。いや、基本的には信じない方向で生活するのが現代社会においては正しい姿勢だと想います。ので、この記事は「それでも気になるなぁ~」という非常に(笑)奇特な方向けとお考え下さい。さて早速、例として、ここでは、よびりんさんの記事を取り上げますが、文中に、『平等院鳳凰堂の、国宝「雲中供養菩薩像」は、高き修行を積んだ漁師の生まれ変わりである、尊い仏師によって「心眼」で彫られたと伝えられます。』とあります。では、その漁師は、ただ一人、その仏師に“のみ”生まれ変わったのでしょうか?逆に言えば、その仏師は、ただ一人、その漁師“のみ”の生まれ変わりなのでしょうか?「生まれ変わり」でも「転生」でもいいのですが、そこに「唯個我論」とでも言うような「先ず、区分けされた個(体)が存在するのだ!」と見れば、上の答えは「Yes」です。では、魂の世界というのは「ここからここまでが私の魂です、ここからそっちが貴方の魂です」というようなものなのでしょうか(笑)?そして、そのような「ここからこっちが・・・」というようなものでは“ない”とすれば、上の答えは「No」です。ここからは、自らに問うて頂くべきことですが・・・私の考えを理屈で分かり易く言うとするなら、私達は色んな影響を受けて産まれ育ってきています。あるいは良い事、あるいは悪い事を耳にもし、眼にもし、経験もし、それらは全て心に、魂に、というと抵抗があるなら(抵抗があるのが普通ではありますが 爆)脳味噌に、一度はストックされます。我々が言葉を話せるにしても何にしても、その「ストックの集積」がある故ということは、大凡、正しいでしょう。では、そんな、いわば「寄せ集めの私」の、どこからどこが「私」で、どこからどこが「私ではない」のでしょうか?目前に愛しい人がいます(いない人も、取り敢えずいるとします 笑)。たった今、目前のケツの穴が開き、そこから臭~くてベチャベチャの、「これは・・・!!」という汚い糞が出て参りました。そして、その糞は、残念ながら、その愛しい人ではありません“今となっては”(爆)。一瞬前までは、その愛しい人の体内に間違いなくあって、その愛しい人の一部であったにも関わらず、です。かかるように「現実的な私」ですら「どっからどこまでが私」なんてものは無いに等しいわけです。(であるからして、その辺をスッとクリアーして糞掃除してくれる(た)母親というのは、既に悟りの境地を経た人なわけですが)ましてや、魂の世界に「こっからここまでが私です~!」なんて話があるわけがありましょうや???そのような世界の在り方の一つは、神道等の「分霊」という言葉に見ることも出来ましょう。仏教では「諸法実相」と言いますが、その時の「相」というのは姿あって姿なきものです。まさしく禅問答のようですが、「そう」としか言いようがないのですからショウがない(いや、ダジャレであってダジャレじゃなく)。だって、どこからどこまでも何もないんですから、区別してどうこうなんて、しようがない。さらにさらに「いつからいつまでが私」というのもありません(爆)。時には仏様もかくや、という魂の持主にしか見えず、時には鬼畜生そのものだな、という魂の持主にしか見えず・・・とまで極端でなくても、その人の心、ましてや魂などというものが「確固定されたモノ」であるはずがないのです。そんなに強固なものであるなら、フワフワとそこらに浮いているはずがないんであります(大爆)。であるので「ああ、この人は私に似てるな・・・」とか、「ああ、あの時の自分だ・・・」というようなことを過去の人のエピソードに見るときは、それが一つの生まれ変わりである可能性が非常に高いわけです。もちろん、全く見当違いである可能性も高いですが(爆)。いずれにしても、そんな目で見やるならば、現世のアレコレとも深く因縁で結ばれている私がソコにいることが分かるのでして、至らずとも尊い私であるとの自覚も芽生え、どんな私も徒にしてはイカン、という気持ちくらいは生じて慈悲の心も起きようというものです。まあ、それが一瞬で霧散してしまうことが多いのが凡夫の悲しさですが、霧散してしまったことを悔いても仕方ないので、そん時は次に行くのであります。ということで「おいらの魂は、どんだけ低級なんだ・・・orz」と嘆く必要もなく、「おらの魂は、こんなに高級ずら( ̄▽ ̄)」と有頂天になる必要もないのでありんす。・・・というのが、まっく・響流なのでし。てなことで、モヤモヤッとしている方がいらっしゃったら、そのモヤモヤが少しでも解消されれば幸いです(^^)
2010.07.09
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今日のよびりんさんの記事は「濡れ衣」の由来になったお話、よびりんさんの当地、博多の昔話だそうです。継母による子供苛めの話は多いですが、この継母の場合は佐野近世の性格を見越しての一芝居のようです。このお話では釣り衣が取り上げられていますが、近世にとっては「娘が盗みを働いた」ということが、咄嗟に許せなかったのでしょう。後に近世の枕元に立った春姫は、「濡衣の 袖よりつたう 涙こそ 永き世までの 無き名なりけり」と歌ったとも伝えられているそうです。自分の子供の不始末に、親としては、とかく厳しくなりがちなもの。確かに悪い事は悪いと叱らなくてはなりませんが、近世の脳裏には、私達と同じく世間体がよぎったやもしれません。見栄体裁は、かくも恐ろしいものでもありますれば。無実の罪で親に斬り殺された春姫の涙や歌は、それでも親を想う心が伝わってくるようで切ない限りです・・・よびりんさんが後記されているようなお話がなければ遣り切れません。掲載されている雲中供養菩薩像、持物 北25号像と称される像だそうですが、その佇まいが持物とも相俟って一際、心を打ちます。蓮華は泥中より出でる美しく花咲くことから、あるいは凡夫の仏性を意味するとも言われていますが、この菩薩像からは、「今こそ、その美しさを引き出しましょう」という溢れんばかりの慈悲が感じられます。祖母の「なまんだぶ」を聞き育ったからでもありましょうか・・・手前勝手を避け得ない人間が、阿弥陀様を心に「なまんだぶ、なまんだぶ・・・」と唱え続ける気持ちは、痛いほど分かる気がします。
2010.07.09
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イラーガーというと何となくカッコいい気が・・・しないか(苦笑)。先週までは気配がなかったのだが、昨日、発生が確認されたイラガども。イラガ薬を撒くのは躊躇われるので、チビチビと駆除するしかないのだが、なんとか天敵駆除で対応したいところ。カマキリは代表的な天敵なのだが、ここ最近、我が家の庭でもあまり見掛けなくなってしまった。さすがに宅地化の流れには逆らい難し・・・どっかで捕獲して補充を図ってみるか・・・(==;イラガの天敵は他にもいるが、あまりヤドリバエは見掛けないし、(イラガイツツバ)セイボウは外来種なので、あまり歓迎したくもなく(^^;やはり、ここはカマキリの活躍をば。しかし・・・捕獲してきても我が家の守り神の如く住みついているトカゲ達に襲われるんだろうなぁ・・・今の所、父の個体確認(?)では三匹が活躍中のトカゲ、一匹は尾まで入れると20cmを超える(笑)。草むらを走る時には、知らねば何が走ってるのか?と想う程である。他二匹は10cm強、後はチビ助という感じだが、トカゲにとってはカマキリは良い餌だもんなあ。うぅ~ん・・・恐るべきイラーガーとの闘いは続くのであった・・・
2010.07.08
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今日のよびりんさんの記事は気前のいい男の話、ロシアの昔話だそうです。このお話、ジャータカに由来する月の兎を想い出させますね。*本生譚としては、コチラが元のようですロシアと仏教が結び付かなかったのですが、むしろ比較的メジャーなんですね。よく考えてみれば当たり前ですが・・・(^^;仏教国まであるとは驚きました。この物語の主人公も「アツムタイ」ですので関連がありそうです。さて、大乗仏典である法華経にも薬王菩薩のお話がありますが、その姿は人のために身を尽くす(燃えてしまう)象徴だとも言われます。また、貴乃花で有名になった(?)「不惜身命」という道元禅師の御言葉も、それに連なるものとして読むと、少しは分かったような気も・・・?(^^;*不惜身命・但惜身命このロシアの昔話でも、王さまの命を受けた旅の男や王さままでが心打たれる様を描いて、単なる自己満足では終わらせない仏教思想が反映されていることが伺われます。さて、この王さま、「気前がいい男」という人の評判など忘れて暮らしても十分に満足出来る、地位・財宝に囲まれていることでしょう。それなのに、何がそんなに悔しいのか?周囲の人の評価の重さを読み取ることも出来ますし、単なる負けず嫌いとも読み取れます(笑)。ロシアでは「男というのは、かくあるべし!」という考えが強いと聞いたこともありますので、男として負けたくなかったのかもしれません。いずれにしても、人の心に住まう見栄・体裁と言ったものは深いものだ、ということは言えましょう。最後の傑僧とも言われる澤木興道禅師、口が悪いことでも有名でしたが・・・(笑)さておき、禅師の御言葉に興味深いものがあります。「七十になるまで、衲は人によく思われたいというところがあった。 でも今ではもう全く人にどう思われようと、そんなこときにしなくなった」(「沢木興道聞き書き」P.4~酒井得元著)まだまだ捨てるものは山ほどありますです・・・(滝汗)
2010.07.08
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知覧の田舎に行くと、祖父は五月蠅がりもせずに私と妹の相手をしてくれたものである。海軍に志願した祖父は、鹿児島で散見されるサモア系のガッシリした体格の持主で、寡黙ながらも優しさを奥に秘めた鋭い視線が印象的な薩摩隼人であった。小学生の頃だったか、その大好きな祖父と肩を並べて畑を眺めている時、「お爺ちゃんの跡を継いで百姓をやりたい!」と訴えたことがあったのだが、嬉しそうな顔をしながらも、困ったように、「お前じゃ(百姓は)無理だ。」と笑って却下されたことが懐かしく想い出される。体力には自信があると訴えても笑って相手にしてくれず、(鍛えてるつもりでも、なるほど祖父と比べればガタイが違う。 まだまだ、この程度の体力では百姓は無理なのか・・・)とガッカリしたものだが、後年、その話を父にしたところ、「嬉しかっただろうが、自分が苦労した分、孫には同じ苦労をさせたくなかったんだろう。」と祖父の心情を聞き、無駄言のない深い愛情を噛み締め直したものである。確かに鹿児島の土地は、知られているシラス台地で実際に耕作すれば驚くような土地で、適する農作物も少なく、お茶が盛んとは言え、最近でこそメジャーになった知覧茶も、当時は産地名を変えて出荷する程のマイナー振りだったのである。高地な上に水を引くのも難しい土地なので、父の子供の頃には陸稲しか採れず、野菜の育ちも決して良くなければ、植林しても多寡が知れている。食う物が全くなくなってしまう北国とは異なるが、やはり貧しい生活を余儀なくされてきたことも確かな、貧しく厳しい土地なのだ。そうでなくても、お百姓さんというのは、やはり大変ではある。これは何処でも同じだろうが、法事か何かの時、子鼠が飛び出してきたことがある。子供連中は普段は見れない小動物に喜んで、「鼠だ鼠!可愛いね~!!」などとはしゃいで見ていたが、地元のおばさん達は、一斉に、「つぶし!はよ、つぶし!!なにしてる!」「へ・・・・・?????」と、事情を呑み込むまで数秒か(苦笑)?結局、近くの薪でドスン!「キュッ・・・!」とお陀仏。百姓の現場を知らない私らからしたら可愛い鼠も、そこでは“害獣”以外の何者でもないのである(^^;考えてみれば当たり前のことだが、モグラ、イノシシ、鹿、猿などなど挙げればキリがないが、これらも皆、百姓にとっては須く害獣なのである。祖母は、大変、優しい人だったから心苦しくもあったのだろう、虫を潰す際などには、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・すまんね、すまんね」と言いながら作業していたと言う。やたら農薬をブン撒くようなのは流石に考えものだとは想うが、それでも「現場」というのは、そういうものだ。耕して種蒔いたら天気次第で刈り取るだけ・・・後は茶飲み、というわけにはいかない。機械化の流れで作業の多くが楽にはなっても、それで地味な自然との戦いが解決するわけでもない。とは言え、祖父のトラクターの荷台に妹と二人、乗せ連れられた茶畑から望んだ紺碧の空に聳える開聞岳。あの美しい空の下に、大切なものを忘れてきてはいないだろうか?と、ふと想ってしまうことが、いまでもある。
2010.07.07
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今日のよびりんさんの記事は七夕様のお話です。今日がまさしく(新暦の)七夕の日ですね。それはさておき、古今東西を問わず、恋する二人は盲目なのですね(笑)。・・・と笑いつつも自戒して聞ければいいのですが、最近は「恋がした~い!」という台詞を聞くこともしばしば。恋というものが「したい、したい」と想ってする(出来る)ものなのかは疑問ですが(苦笑)。仕事を忘れてしまうのも考えものながら、恋するお年頃に想う人がいないというのは、もっと考えものかもしれません。笹の葉に想いを乗せて七夕の夜空を眺める、などということも忘れて世知辛いばかりでは(^^;まあ、私の娘達も“嵐”に首ったけの間は・・・ということなのでしょうかねぇ(==;
2010.07.07
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今日のよびりんさんの記事はスサノオのオロチ退治のお話。オロチ退治は川の氾濫との関連でも解釈されていますが、この辺りまで遡った話は、恐らくは今後も判明することはないでしょう(色んな意味で・・・ ^^;)。ただ、よびりんさんが仰っているように、先祖を遡って明らかにすることは良い供養になるのだそうです。私も、分かる範囲で家系図作りをしたことがありますが、母が非常に喜んでくれました(まあ、いかに複雑かも想い知りましたが 爆)。私の場合は、父方の家系には「平家の落人説」が伝えられてはいますが、恐らくは土蜘蛛やサンカ、それに南洋系やらが色々と混じっている、訳の分からない一族であることは間違いないだろう、と(笑)。元々、薩摩というのは、よほどの名家(別格では島津・東郷家とかですね)以外は、そんな土地柄らしく、況や知覧なんぞはドエライ山中ですので色んな流人や落人の吹き溜まりであっても不思議ではないどころか、適所なのですな(^^;とは言え「折田」という姓の由来が分からず“折れた田”なんていうのから来たのかな???などと想っていたのですが、腰折田という地名があることや隼人が大和朝廷で武警に当たっていたことなんかを考えると、野見宿禰か当麻蹴速の身近に住んでたかして「(腰)折田」と名乗るようになりぃの地元に帰りぃの、と考えるのが自然かもしれん。折田という地名はダイレクトに群馬にもあるんですが、その由来も腰折田に遡るらしいし。でもって、そう考えれば折田姓の分布と言うのが鹿児島(知覧)、京都・奈良辺り、新潟となるっぽいと言うのも整合的に説明し易い。もっとも「腰折田説(^^;」に遡っても課題は残るのだが・・・ただ、血族なんかを見渡す限り納得はいくのである(爆)。農耕民なのに反骨精神旺盛だったり、意味不明に放浪癖があるとか、気性が荒いだとか、猪突猛進な反面、変化自在とかですねぇ・・・とにかくイレギュラーでバラエティーに富むのである。うぅ~ん・・・他人事だと面白いのだが、濃厚に私の性格にも反映されてる気配アリであるのが複雑な気分ですら。orzそう言えば、知覧にはコレという武道の道場すらなかったらしいのだが、置いてもらえなかったんじゃないの?とも想われるんですが、それって・・・(大爆)祖父に至っては戦時中に痛い目を見たせいで、親父には「電機科に行くべし!」と、その理由が「これからは電子戦だ!」というのだから、なんと言って良いのやら・・・(^^;(しかも三年後には「これからは平和の時代だ!」ということで印刷会社に勤めることに。素直に従った親父は偉い!)ついでに「政治に手を出すな」というのは曽祖父だかの代に当時の知覧村の政治資金を調達して没落したことに由来するらしく、知覧町時代の役場には曽祖父だかと思しき像が立ってた(る?)そうな。なんで自分で牛耳ろうとしなかったんかね(笑)?追記)銅像を見た記憶があったので検索した折田兼至像。曽祖父自身ではなく血縁だったんで出資したらしい、とかいう話だったかな???肝心の親父が、その手の話が好きでないので聞き難いですが、機会を見て聞いてみましょう。聞いた私も忘れるんだろうけど・・・(^^;ちなみに従弟によると折田先生との直接的な血縁は確認出来ないらしい。折田先生は市内の折田家出身で、どっかで繋がってるにしても遠くて分からんわな、だとか。特攻館長の折田盛彦さんは「知覧の折田は血縁くらいしかいないから、どっかで繋がってるだろうが良くは知らん」とは父の言だった気が。確かに田舎に帰ると、あの狭い知覧の中に、挨拶回りだけで大変な数の折田がおるからしてキリがない(苦笑)。ともあれ、さらに母方となると不明さは増し、祖母は新潟豪族が元らしいが、上方っぽい顔立ちだから弥生系か?というところまでしか分からんようになってしまっている。祖父は板橋辺りをし切っていた侠客の子供(落し子?)てな具合で、事情に詳しい伯母に聞いて整理するようにお袋に言われてるんだが・・・なんか、調べるの怖いんですけど(^^;爺ちゃん自身は真面目な職人で、私には優しかったが、気が強いことに掛けては親父に劣らずというところ。いずれにしても、幕末から明治に掛けての板橋で侠客を張っていた時点で、そこから先は、まず分かるまい。上州に落ち延びてた某かの子孫が再上してきたんだ、みたいな話でも不思議ではない、って位か(大爆)?てな具合に調べても分からんことが多いのだが、それでもこうして子孫を繋いでくれたことは確かなんだからして、それで充分に有難い。たとえ親御さんすら分からないとしても、永きに亘って命を繋いでくれたことに変わりはないのである。むしろ家系が分からないということは、とんでもない高貴な御方の末裔である可能性があるではないか!いや、多分、そうである。物騒な時代には影武者に始まって、あらゆる手立てを使っても生き残るのが先決というのが常套だったのだからして、今に至っては真偽なんぞは永遠に闇の中なのだ。実際、近代の偉人の御落胤だが・・・という知人もおるし(必然的に生活は厳しいらしいが・・・ ^^;)。ということで、なんにしても苦難の時を超えて今の自分を在らしめて下さった御先祖様達には、取り敢えずでも感謝して悪うはずはないのである。
2010.07.06
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今日のよびりんさんの記事は彦一話、空威張りの居直り強盗を鮮やかな智慧で諌めたお話です。話中では“浪人”ということになっていますが、それでは真っ当な浪人に失礼と言うものですので“居直り強盗”とさせて頂きましょう(笑)。当然ながら、石上の紙を斬る等と言う芸当が出来ようはずもありません。伝承の範囲ながら、昔の達人には、こういう事を難なくし遂げたという方も珍しくなかったというから逆に驚嘆してしまいますが(^^;いずれにしても、このような“弱い者イジメ”というのは不愉快なものですが、いつの時代になっても変わるものでもないことも確かなようで・・・現代では、この居直り強盗のような実力行使型(?)を見掛けることは少なくなったかもしれませんが、代わりに社会的地位、権威・権力やお金等の力にモノ言わせて、ということは決して珍しくありません。不当なクレーマーなども同じようなものですし、飲食店で従業員に対して横柄な態度を取る人もいます。見方によっては寂しく惨めな人達に過ぎないのですが、本人に自覚がないことが多いですからね(^^;また、知恵廻りの良さも、使い方によっては悪用出来る“刀”みたいなものです。中々に巧妙になってきていたりもして、彦一のように上手くあしらう事も難しいことが多いものですが、少しでも善い方向に向けられるようになりたいものですね(^^;この居直り強盗の場合は、その身なりから貧しいままに苦労もしてはいるんでしょう。元は位の高い武士だったかもしれません。しかし「貧すれば鈍す」の言葉通りになってしまったことが残念です。武士は食わねど高楊枝、とも言います。貧するほどに高潔になる!・・・というのはヒジョーに難しいですが、たとえ見栄体裁に拘ってのヤセ我慢であっても、せめて人様を泣かすようなことはしたくはないものです。武士は食わねど高楊枝
2010.07.05
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たまたまテレビで見掛けた花の中学生応援団が面白くて最後まで拝見。不条理・不合理としか想えない様なシゴキ(?)をされているように見えるが、一概には、そうは言えないのが難しいところ。剣道のは穏便なのしか見つからなかったので(これ以上、競技人口が減っても困るしな・・・との配慮か?爆)珍しい銃剣道の動画を。銃剣道での呼称は分からないのですが、剣道だと円陣掛かりとか相掛かり、あるいは単に掛かり(稽古)と言われている稽古法ですね。見慣れていない、あるいは経験していないと危険に感じるかもしれませんが、それでも演武ということもあってか、まだ穏やかで、元立ちの方も激しく突き込んでいるようで、非常に丁寧にシゴイて(?)るようです。・・・かと想ったんですが、よく見たら連続の一本取り稽古みたいですね。まあ、この稽古でもキツさに左程の変わりはありませんが(^^;*銃剣道に対する誤解なきように試合の様子&剣道での実際のシゴキも動画が見つからないだけで同じようなものです、はい(汗)この手の稽古や練習は、どんな武道でも、あるいはスポーツでもありますが、まともには一分も持てば上々でして(^^;そのうちフラフラと漂うままに叩かれ突かれして、やがては立てなくもなり、地に這ったまま力なく竹刀を振り回したりしてですね・・・しかも技能向上とかの意味は?と聞かれると「・・・」であったりして(爆)。「単に試合に勝つため」であれば、より合理的な稽古・練習は、いくらでもありますからね。そう言えば、有名な「水を飲ませない」というのも、飲水後の体調のこともありますが、武道の場合だと「戦場で水飲んでらんねぇだろ?」というのが元々の由来だそうです。簡単に言えば「畳上の水練」にならないようにするには、かく厳しくならざるを得ないということですが、スポーツでも特に長時間、合い競っている極限状況では、最後の一踏ん張りが効くかどうかが分かれ目ということは少なくないですからね。最後の一踏ん張りは、こういう練習からしか、中々、出てこないものでもあるでしょう。当然、歳を取った人が同じ事を、しかもイキナリするようなのは単なる無謀というもので、たとえ若くても、特に指導者は目を光らせていないと想わぬ悲劇を招きかねません。また歪なシゴキを許さない見方も常に必要です。事故に繋がるシゴキをするような輩は、大概が自分自身がギリギリまでの経験をしていないで、気分だけは「シゴイてやってるんだ!」ってな感じなので性質も悪くなりがちですからね・・・最近は、ボクシングなどでも早期にレフェリー・ストップが入るべきということが周知されてきています。格闘家などは意識が飛んだままでも戦い続けるように普段から鍛えていますから、第三者でもあるレフェリー、セコンドの役目が重要であることは間違いないことでしょう。有名な話で「辰吉丈一郎と一緒にトレーニングさせてくれるな」というのがありますね。ハード・トレーニング過ぎて、それに付いていこうとして選手が潰れてしまうんだとか。一方で、ガッツ石松のように、敵わないと想ったら自分から大の字になってテン・カウントを待つというトンデモをやらかしてセコンド達を怒らせる、というようなタイプもいるわけですが(爆)。いずれにしても、厳しい経験を通してこそ成長するナニカがあることは確かですが、それを見守る人の重要性を心する必要は欠かせませんね。あの若い涙が将来の礎になるように・・・と想わずにはいられませんでした。
2010.07.04
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今日のよびりんさんの記事は杭を握らされてしまったお話、福井県の民話だそうです。呼び名が違いますが同県の“むかさ”かもしれません。向笠城というのもあるんですね。いずれにしても古い土地柄であることは間違いないようです。この酔っ払いの伊太郎さん、狐に騙されずに賢かったのか、バカ真面目に杭を握り続けてアホなのか・・・(^^;「私だけは騙されない!」と言う人ほど騙されるものだ、という現代の話を想い出してしまいます。昔話には、こういう他愛のない狐や狸に化かされた話も多く、貧しくとも心豊かだったことが偲ばれるようで、ホノボノさせられます。もっとも、このお話、元より狐だったのかは怪しいですが(笑)。少なくとも、狐だったとしても、そんなに悪さをする積りはなかったんでしょう。何で聞いたのか忘れましたが、狐などは「その人の願っているもの」に姿を化かすのだとか。伊太郎さん、私と同じく美しい娘さんに弱かったのかもしれません(爆)。こういう民話は、そのままホノボノ楽しむのが一番かも。世知辛い世情ですが、心安らがせてもらいました(^^)・・・にしても伊太郎さん、狐を捕まえて、どうしようと想っていたんでしょう(笑)???
2010.07.04
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今日のよびりんさんの記事は桃太郎のその後、「かくれ蓑」のお話です。少し調べたら、関東以南には隠れ蓑という植物があるんですね、笑ってしまいました。実物はこんなだそうで、見た事ありそうです。このお話、「天網恢恢疎にして漏らさず」の変形(?)と聞くのがオーソドックスだと想いますが、ふと、別の意味があるように想われました。桃太郎が鬼が島から持ち帰った、ということに意味があるんだと想うのですが・・・この話は、人が亡くなる時の様を戒めているのではないか?と。「天知る、地知る、我知る」と言われますが、そうは言っても生前に、それを想い知ることは凡夫には難しいもの。往々にして「自分は違う」と想っているものでして、私も当然、例に漏れません(爆)。しかし、この世を去る時はどうでしょう?生前、いかに欲・煩悩を秘しているつもりでも、その全てを明らかに見せつけられてしまいます。元は己から発しているので当たり前なのですが(^^;それは心奥深くまで、やがては全て丸裸にされてしまうわけですが、世で貪ってきたアレコレは、どう言っても・・・生前、それを隠す様は、灰になった隠れ蓑を糊に塗れてまで隠そうとする、この泥棒の姿に重なって見えます。「上手くやった」とクスリとした瞬間、その全てが明らかになるというのも非常に象徴的です。「油断するな」とは御釈迦様が繰り返し説かれる教えの一つですが、人の欲・煩悩の深さを知り尽くしての暖かい想いやりが心に沁みます。この泥棒、恐らくは桃太郎その人なんでしょう。人間は、産まれてより末期まで悪に、善に染まり続けているわけには、中々いかないものです。若い頃に悪さをして悔い改める人がいる一方、逆もあるのが常。あの頃の桃太郎とは違う桃太郎が隠れ蓑を「盗んだ」とも読めそうです。常に気を付けておれ御釈迦様が繰り返される、このたった一言の真意は非常に重いです。重過ぎます(百万石饅頭 違)・・・ので、せめて縁ある皆さんと一緒に笑える生活を送りたいものだと想いました(^^;
2010.07.03
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今日のよびりんさんの記事はうりこひめとあまのじゃく。引用されているのは山口県バージョンのようですが、全国的にある話なんですね、知りませんでした。ついでに天邪鬼。「知ってるつもり!?」状態ですが(爆)、悪神「天探女(あまのさぐめ)」に由来する転訛&仏教では煩悩の象徴となるんですね。「人の心の内を探る」能力が高いということ自体は素晴らしいわけですが・・・(^^;さて昔話に戻って、先ず始めに想ったのが「こやつ、そもそも何がしたかったんだ?」と(苦笑)。少し遡って読み直すと、あまのじゃくは、どうも「うり姫を頂きたい」という“お殿さま”の心中を探って先回りして来たようですね。うり姫としてはとんだ災難ですが。カラスに言われて始めて真実を知る件は、よく見掛ける表現です。目に映るもの耳に聞こえるものには、どうしても人間は惑わされ易いもの。外見の美しさに囚われているばかりでは、中身までは観えない、ということでしょうか?若いピチピチ・ギャルの外見ばかりに目を奪われていてはいけないのです!!という戒めですね(大違?)。またウリ姫に巧みに言い寄るところ、有名なフット・イン・ザ・ドアの手法ですが、いまでも詐欺の常套手段の一つでもあります。詐欺まで行かずとも、不要なものまで買わされてしまった・・・などというケースでは、大抵が、このテクニックを用いられていますね。残酷なようですが、こういう時には差し込んできた手を「ピシャリ!」と挟んでやるしかないようです。嫌な奴だと想われたくない、とか、体裁が悪いなどと考えていると、そこを突かれてしまいますから。変形で、人間関係絡みで「ピシャリ!」と単純に出来ない場合に私が用いるのはフット・イン・ザ・ドア・カウンター(爆)です。相手の差し出すものに対して、こちらも相応の条件を付ける、という簡単なものなのですが、前回の条件を必ず実行させる、という点がポイントになります。それが実行されない限りは、次の話は受けられませんよ、という流れですね。これは比較的、穏やかに話が進められますので「断れない症候群(?)」の方にはお薦めです。最後に、一番に厄介なのは、よびりんさんの言葉にある通り、心中の天邪鬼ですね・・・(涙)「ああ言えば、こう言う」の典型のような私などは、心当たりがあり過ぎで御座います(爆)。まあ、誰にでもあると、よびりんさんの仰って下さってますので、取り敢えずは、あまり溜め込まないように心掛けましょう(^^;そう言えば、子供の頃に言われました。「気持ち良く素直に、はい!と返事が出来ると幸せになれるんだよ。」と。なるほど、そういうことだったのか・・・(大爆)
2010.07.02
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残念な形で終わってしまったプロジェクトXながら、それでも尚、珠玉とでも言うべきものは多く。中でも、VHS版限定でのみ見れるこの回は大好きなものの一つ。社内的にも隠密裏に進めざるを得なかったプロジェクト、それが日本初の世界標準にまで育った・・・と一言で言えば、それで終わりだが奇跡そのものだ。今後、国内消費をアテにした経済成長は、少なくとも当分は見込みようがなく、残るは残パイの取り合いのみと言って良い。しかし、このような形で世界に打って出ることが出来れば・・・故・高野氏は、後世に不朽の希望をもたらした偉大な産業リーダーでもあったと想う。中々に見つからなかった動画でしたが、縁のある方は、是非ともご覧下さい。本当はNHKで再放送してくれれば一番、良いんですが・・・
2010.07.01
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藤田まことさんが亡くなり、いかに・・・?と想われた必殺・仕事人。中村主水という大黒柱を失いつつも2010年度版が!ジャニーズ番組と化すのでは?との懸念がなくもないが(苦笑)、和久井映見や野際陽子、中越典子らの女優陣にも恵まれ、東山紀之扮する渡辺小五郎も中々。別にジャニーズでもいいんだが、武士の一分で懲りたからなあ(^^;ただ、山桜でも良かったし、個人的には東山紀之の時代劇は好きな方に入るようだ。現在、予告編で流れているナレーションは仕事人シリーズとして確立して初のときのものだと想われるが、「かけ」は「掛け」なのか「欠け」なのか・・・全文はこんな感じ。 一掛け二掛け三掛けて 仕掛けて殺して日が暮れて、 橋の欄干腰おろし、遥か向こうをながむれば、この世は辛いことばかり。 片手に線香、花を持ち、おっさん、おっさん何処行くの。 わたしは必殺仕事人・中村主水と申します。「それで今日は何処のどいつを殺ってくれとおっしゃるんで」<必殺シリーズ第15作・必殺仕事人 作:早坂暁 語り:芥川隆行>引用元必殺シリーズと言っても、悪人殺しを手放しで礼賛するようなものではなく、その中身は決して明るくもない、というか暗い(^^;これまた好きな鬼平犯科帳とは比べるべくもないほどに殺伐としている。それでも、その中でギリギリの良心とでもいうようなものもあり。今、再放送中の2009の十三話中でも、中村主水の、こんな台詞が聞ける。「おめぇよ・・・てめぇの分け前、取らなかったそうだな。 取んな。 おめぇも俺も神様じゃねぇんだ。 善悪を裁いて下さるのは地獄の閻魔様の御役目だ。 俺達はな、銭貰って人の恨みを晴らす・・・薄汚ねぇ裏仕事だ。 おめぇ、それ忘れると人じゃあなくなるぜ・・・」元より地獄行きは覚悟の上だがよ、せめて生きている間くれぇは同じ仮面でも人の仮面を被っていてぇじゃねぇか・・・そんな呟きが聞こえてきそうだ。ただ・・・特に江戸時代前の武士の(位の)元を辿れば死を決しての血山行き、それがために俸禄も頂戴出来たのであって、その心情は仕事人に近かったかもしれないな、などとも。そして時事を取り上げてきた仕事人、2010SP版のテーマは「事業仕分け」だそうである(笑)。
2010.07.01
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御釈迦様の教えというのは、シンプルなのに多面的である。タイトルの「仏に逢うては」は「臨在録」で読んだ記憶があるのですが、「無門関」にもほぼ同じ記載があるのだそうだ。「仏に逢うては,仏を殺し」とは物騒な表現ではあるが、御釈迦様の教えが「何ものにも囚われるな」と徹底して繰り返されていることからすれば、これくらいの表現をして通じるかどうか?というところかもしれない。それでも、現実的には難しいことも生じるもので、身近な所では道元禅師のエピソード等が挙げられよう。この辺り、御釈迦様は?というと、国王等からの信も厚かったのだけれど“その体温”を感じ取ること自体が難しいし、易々と表面を嘗めて良しとするのも如何なものか。そういったことは御釈迦様の在世にすら既に生じていて提婆達多の事件をどう考えるべきか?などにも連なってくる。もっとも、御釈迦様はと言えば「最後の旅(中村元先生)」にもあるように、そもそも「教団を作るぞ、導くぞ!」なんてのすら希薄だった気配が濃厚。そういう意味では、原始仏教は「宗教」と言えるのかすら、定義的には難しい。大体が、当時インドの最高神格である帝釈天・梵天が梵天勧請がなければ「このまま涅槃に入ってしまおう」と想われていたほどであるからして。仏教を宗教とするならば、神様をして懇願せしめるという壮大な話があること自体が大問題に繋がりそうだ(^^:(もちろん、御釈迦様の後は宗教としての態も成していくわけですが・・・)それはともかく、明確かつ重大な違背をしたと想われる提婆達多ではあるが、御釈迦様個人としての対応がどうであったかは疑問もある。御釈迦様在世時の他の弟子ですら、かなり奔放な事件も起こしたもので、それでも破門という例は皆無に近いのであるからして。もっとも、そんなこんなが提婆達多には納得出来なかった節も強いようだ。かと言って、御釈迦様が苦行に見切りを付けられて後、菩提樹の下に座してよりも、やはり安穏と悟られたわけではないのだ(^^;その戦いの凄まじさは「ブッダ・チャリタ」等にあるが如しであって、鈴木正三禅師の仁王禅が奇を衒ったようなものではないことは明らかだろう。しかし、慕ってきた弟子や一般人・神々に対する慈悲の濃やかなること、この上ない。提婆達多も、そういう御釈迦様や、その教えの本質に忠実でありたかっただけなのかもしれない。てな具合に、御釈迦様は恬淡と執着を離れ続ける行を積まれるばかりであったが、その御釈迦様に魅かれた人々は、往々にして迷ってしまうのである。それは常に従事していた阿難尊者の釈尊涅槃時の号泣振りにも見てとれるし、御釈迦様ご自身も目連・舎利弗尊者に続けて先立たれた際には、集いで、その悲哀を語ったとされる伝承があるほどだ。何ものにも囚われるなと全てを断ち切って澄み渡った境地に達して尚、御釈迦様は人としての暖かさを失わなかったようだ。没後2500年を経て仰ぎ見ずにはいられないのであるから、その在世にあっては、どれほどの大導師であったことであろう?「導くとか考えてないよ♪」などと言われても、その後の大潮流が止め処なかったのも納得である。もっとも、当地インドでは、仏教はヒンドゥー教に取り込まれ、ほぼ同一視されているらしい。日本での神仏習合みたいなものだろうか?しかし、どのような在り方であったとしても、御釈迦様は淡々と抜苦与楽の道を歩み続けるだけなのであろう。
2010.07.01
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民主 参院選対策「マニフェストは生き物」修正正当化へ問答集なんだか、益々、グダグダして参りましたな。マニフェストの歴史的背景からすれば・・・まあ、いいんですが(苦笑)。どんな政策も満点ではあり得ないわけで、「斯く斯く云々により、こうすることにしました」と説明するならともかく、要するに金が足りなくなったわけでですね(^^;せめて、間違っていたら間違っていた、とですね・・・言ってもらえるような政党であって欲しいんだが。棄権というのも一つの意思表明ではあるものの、棄権せざるを得ないというのは寂しい限り。優秀な方々は一杯おるのだから、是非とも頑張って欲しいものだす。
2010.07.01
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今日のよびりんさんの記事は「仙台四郎さん」の話。御尊影があるように実在の方だそうです。少し大きめの写真はコチラに。*ダメブロさんよりしかし・・・笑っちゃうほど凄い写真ですね、これは(大爆)。中々に、これだけの写真は拝見出来るものではありません。話変わって、今でも同じようですが、私の時代でも小学校までは普通学級とも出来るだけ交流しつつ、知的障害児も通学していたものでした。私のクラスにはMちゃんが交流児童(?)として参加してくれており、やはり菩薩様そのものといった風情だったことを想い出します。下校路の関係で一緒させてもらうことも多かったのですが、いつもニコニコと穏やかに笑っていたことが今でも強く記憶に残っています。なんとか楽しんでもらえないものだろうか?と話すにも工夫したものですが、なんとも無力で傍にいる位しか出来ない自分の愚かさにはガッカリしたものです(^^;多少のことが出来るとしたら、やはり子供ですから意地悪を仕掛ける輩もおりますので、そやつらを払いのけるくらい。これだから、ガサツな人間はイカンのですな。orzまあ、それが私の御役と言えば御役だったのでしょう!・・・と慰めましょう、自分でね( ̄▽ ̄;後年、卒業来、20年近く経った頃でしょうか?街で遇うと覚えていてくれたようで、昔と同じように「ニコニコ」笑い掛けてくれたのには驚きました。お母様も御一緒で、やはり御苦労も多かったのでしょう、少しやつれられた印象でしたが、それでも元気そうな姿には安堵させて頂いたものでした。残念ながら、知的障害があっても人の子ではありますので、色々なこともあります。それでも、普通、言われる「知」を持っているはずの人と比べれば、果たして、どちらに本当の「知」があると言えるのか・・・ということは、やはり圧倒的に多いもの。仏教では、智慧とは慈悲と同義に使われることがあります。せっかくの知が痴にならないように心せねば、です・・・(滝汗)もしや、四郎さんの写真を拝んでいれば、多少はマシになるのかしらん?(^^;
2010.07.01
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