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下記は昨年の2月に書いた日記ですが、修正してアップします。
国立西洋美術館の基礎となる「松方コレクション」を鬼集した「松方幸次郎( 1865-1950
)もまた興味深い人物です。
「川崎造船所」の社長という実業家の傍ら 1916
年に商用で訪れたロンドンで初めて美術品を購入し、その後フランスでも印象派の絵画を中心に購入を続け、日本で売られた千数百点を含めると一時は1万1千点以上のコレクションを所蔵したようです。
そして鬼集した時期はわずか 1910
年から
20
年の 10
年間ほどです。
そのうちの 8
千点が「浮世絵」で、パリの宝石商「アンリ・ヴェヴェール」から 1918
年に一括で購入したとあります。
そしてその 8
千点もの「浮世絵」は 1938
年(昭和 13
年)に皇室に献上され、現在は「東京国立博物館」の所蔵になっています。
そして彼のコレクションもウィキペディアで見ると戦争などに巻き込まれ「波乱の人生」を送ったようです・・・。
松方幸次郎はヨーロッパではロンドンとパリの 2
か所に鬼集した美術品を保管していましたが、
1939
年の「ロンドン火災」によってロンドンに保管していた 300
点は全て消失してしまいます。
パリの「ロダン美術館」に保管していたゴッホの「アルルの寝室」とルノワールの「アルジェリア風のパリの女性」を含む 400
点の絵画等は第二次世界大戦終了後に「敵国の財産」としてフランス政府に接収され、その後戦後処理のために開催された 1951
年(前年に松方幸次郎氏は亡くなっています)の「サンフランシスコ講和会議」で吉田茂首相が返還を求めたという経緯を読んで、返還を巡る戦いと歴史のスケールの大きさに驚きました。
結局ゴッホとルノワールの 2
点はフランス政府から返還について強い反対があり、また保管料との相殺のようなもので結局日本に返還されたのは絵画 196
点を含む 370
点のみだったそうです。
フランス政府は返還に当たって美術館を建設しそこで展示することを条件としたそうで、松方幸次郎氏本人が亡くなってから 9
年後の 1959
年に「国立西洋美術館」がオープンしています。
そして昨日のネットの記事は1959年4月にフランスから船便で届いた松方コレクションについての記事でした。
1891年
最初に紐解かれたのはルノワールの「帽子の女」で当時の白黒の写真も載っていました。
初めて「国立西洋美術館」に行った時、ロダンの「考える人」が前庭に置かれていて「何故ここに?」と驚きましたが、ロダン美術館で松方コレクションが保管されていたという経緯があったからなのだと今更ながらに納得です。
余談ですが、作家の原田マハ氏がパリのお薦め美術館で「ロダン美術館」を挙げていて、その理由の1つは実際に画家が住んでいたところでその時代の雰囲気が味わえるということでした。日本贔屓でもあったロダンのコレクションした絵画(ゴッホのタンギー爺さんも含めて)を是非見てみたいものです。
「アルルの寝室」 ゴッホ 1889
年 オルセー美術館蔵
「黄色い家の寝室」は 3
枚同じ構図で描かれています。フランス政府から返還を拒まれたのはこの「オルセー美術館蔵」かと思います。オランダの「ゴッホ美術館所蔵」のものの方が画集で見る限り床の色が濃く少し暗めの印象があります。
次回「国立西洋美術館」を訪問出来る機会があったら今までとは違った気持ちで絵を観賞することになるのかなぁと思います。
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