星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2022.11.27
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​​ 2011年発行の村上春樹著「雑文集」を読み返していたら「音楽について」の章の中に
「ジム・モリスンのソウル・キッチン」と題したエッセーがあって、大切に取ってある写真のコピーの事を思い出しました。


​パリ東部の「ペール・ラシェーズ墓地」にある「ジム・モリスン」のお墓。​

 「Touch Me」や「Light My Fire」など有名な曲は知っていても、1965年に活動を開始し71年に27歳で亡くなった「The Doors(ドアーズ)」のボーカルだったアメリカ人「Jim Morrison(ジム・モリスン)のお墓がパリにある事を知ったのは、日本で日本語を教えていた学生が一時帰国の際にフランスやアフリカ等を旅行した時の写真を見せてくれた時です。お墓の右横に学生がジムモリスンと真摯に向かい合っているような姿がちょっと写っていて興味を惹かれ、写真をコピーさせてもらい今でも大切に取ってあります。

 改めてこの墓地を検索すると音楽家では「ショパン」、作家では「バルザック」、画家では
「モディリアーニ」、歌手では「エディット・ピアフ」等々、歴史に残る人達のお墓が並ぶ墓地で機会があれば是非訪れてみたいものです。

 確かこの写真を見た後、1991年公開のアメリカ映画「The Doors」を見て、彼の破天荒な生き様(常軌を逸しているような収録中の様子や反社会的なカリスマとまでなったコンサート会場でのパフォーマンス)には驚きましたが、それ以上に驚いたのは、映画の最期のシーンでパリのアパートの浴室で亡くなっている姿でした。ジム・モリスンを演じた「ヴァル・キルマ―」の演技も素晴らしかったのですが、麻薬やお酒でボロボロになっていたはずの体は一回り以上大きく見え湯舟に浸かっている姿はとても27才とは思えず、40年も50年も生きた姿に見えた事が印象に残っています。

『飛行機事故で死んだって別にかまわない。むしろ良い死に方だ。眠ったまま死んだり、年老いて死んだりするのはごめんだ。僕は死を感じたい。舌で、耳で、鼻で・・死はたった一度しか起こらない。それを逃したくない』

 果たしてパリの浴室の中で彼がそれを実践する事が出来たのかなとしみじみ思います。そしてドアーズをこよなく愛していたかつての学生はお墓の前でどんな言葉をジム・モリスンにかけたのか今でも気になっています。
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 因みに「ジム・モリスンのソウル・キッチン」は楽曲のタイトルで「雑文集」の中に数行の邦訳があります

「~あと行けるところといや 決まってるじゃないか おまえのソウル・キッチンで一晩寝かせてくれ~」

 村上春樹氏は「ジム・モリスンの亡き後、ジョン・レノンもボブ・ディランもミック・ジャガーもその空白を引き受けることは出来なかった」と記して彼の死を悼み「ジム・モリスンが彼のために用意されたソウル・キッチンに消えてから12年経った(雑誌に寄稿したのが1983年)」「ジム・モリスンは決して伝説ではない。伝説をしてもジム・モリスンの空白を継ぐことは出来なかったのだ」と結んでいます。



 当時薦められて買ったCDでシンガポールに持ってきています。ちょっと気合を入れて聞きたい気分になってきました。





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最終更新日  2022.11.27 11:53:33
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