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阪神が西武戦力外の陽川氏&日本ハム戦力外の江越氏を招へいアカデミー事業強化の一環「野球振興室」新設 11/26(火) 5:01配信 阪神がアカデミー事業強化の一環として、西武を戦力外となった陽川尚将内野手(33)と日本ハムを戦力外となり、現役引退を表明した江越大賀外野手(31)の招へいに動いていることが25日、分かった。 阪神は来年1月1日付で新たに「野球振興室」を設置することを発表。これまで事業本部振興部が担っていた女子野球やアカデミー事業などをそのまま移管し、新たに普及・振興活動を担うセクションを設ける。 野球振興室の旗振り役として、今季限りで現役を引退した秋山拓巳投手(33)の「ベースボール・アンバサダー(BA)」就任も内定。秋山BAに続き、球団OBを積極的にアカデミー事業へ参画させることで、球団として野球の普及・振興を重要視している姿勢を明確に示すことができる。また、球団OBに対する再雇用の裾野を広げることで、球団の価値を高めていく狙いもある。次代の選手育成に力を発揮してね!
2024年11月27日
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背番号27(その4)背番号27の第4回目です今回は3名の選手を紹介するんだけど 2代目は3人とも全く知りませんでした 「27」が重要視されていない状況は続いてるようね3人の選手は西山和良さん 中村和臣さん 西村繁一三さん どう皆さんは聞いたことある? 背番号「27」を着けた期間は それぞれ5年 1年 2年なのよ リアルタイムでプロ野球を見てた人でも覚えてないんだろうね2代目はそういう人たちを発掘するのもこのブログの仕事と思ってるので今回もできる限りは調べてみたよ では読んでみて! 西山 和良(にしやま かずよし)外野手(再掲)背番号「15」で紹介済みだが、一部加筆したうえで再掲する。和歌山県伊都郡見好村(現かつらぎ町)の出身。県立和歌山商業の3年時に夏の選手権で甲子園の土を踏みベスト8まで進んでいる。卒業後は関西大学へ進学。長打力のある外野手として活躍し4年時には4番を任されている。リーグ通算では71試合238打数66安打5本塁打で打率は.277だった。1956(昭和31)年にタイガース入団。引退した岡田から背番号「27」を引き継ぐ。ルーキーイヤーから67試合に出場しているが外野を守ったのは30試合。どちらかというと代打の出場のほうが多かったようだ。1957(昭和32)年には75試合、1958(昭和33)年には85試合で自己最多の7本塁打を記録するなど徐々に出場機会も増えていく。1959(昭和34)年にはキャリア唯一の105試合に出場、6月に行われた天覧試合ではレフトを守っており、長嶋のサヨナラホームランに対し生涯ファウルを主張している。1960(昭和35)年にマイク・ソロムコが加入するとスタメン出場機会は減っていく。実際にこの年から出場試合数と打席数の差がグッと小さくなる。1962(昭和37)年になると51試合で57打席、1963(昭和38)年も79試合で86打席となってしまう。1961(昭和36)年には背番号も「15」に変えて臨むが、1963(昭和38)年までほぼ代打専門の選手として過ごす。この間には、1962(昭和37)年7月12日の国鉄戦で、パーフェクト寸前だった村田元一に対し27人目の打者として安打を放って阻止するなどのエピソードも残した。この1963年のオフ、小山正明と山内一弘の交換という「世紀のトレード」の陰で、金銭トレードによって東京オリオンズに移籍している。オリオンズでは3年間プレーしたが、やはり代打での起用がほとんどだった。1966(昭和41)年のシーズンを最後に現役引退。プロ11年間の通算記録は、771試合1170打数277安打121打点、22本塁打20盗塁で、打率は.237だった。引退後は1970(昭和45)年にタイガースへ戻り、一軍・二軍打撃コーチや二軍監督などを務めたのちにフロント入りし、最後は編成部長で退職している。編成部長時代に取りまとめたロッテオリオンズとの「深沢-福間交換トレード」は、阪神トレード史上の最高傑作と評価が高い。中村 和臣(なかむら かずおみ)投手・内野手熊本県菊池郡津田村(現:菊陽町)の出身。強豪熊本工業高校の出身だが、甲子園への出場経験はない。1954(昭和29)年にタイガースへ入団、背番号は「37」だった。内野手として入団しており、最初の3年間はファームでおもにショートを守っていた。その中で投手としての才能を見出され4年目に初めて一軍へ上がった時には完全に投手へ転向していた。165センチ・60キロという小柄な体格にもかかわらず野手から投手に転向するのは、当時の投手不足ということも影響しているが、カーブ系の変化球にキレがあり投手としての適性が認められてのことらしい。4年目の1957(昭和32)年に初めて一軍に呼ばれ18試合に投げて3勝1敗、41イニングで41三振を奪っているのを見てもなかなかの素質だったと思われる。防御率も2.41と好い数字である。成績のピークは1958(昭和33)年で36試合に登板し先発も10試合ある。7勝3敗、防御率2.08でキャリア唯一の100イニング越えだった。しかし衰えるのが早く、1959(昭和34)年が26試合2勝4敗、1960(昭和35)年には13試合1勝0敗と登板数も減っていった。1961(昭和36)年には背番号を「27」に変えて心機一転を期したが、一軍で登板することはなく、シーズン終了後に引退。1962(昭和37)年からはフロント入りしマネージャーやスコアラーとして球団に貢献している。通算成績は93試合13勝8敗、236イニングで奪三振164、55四球、防御率は2.36である。西村 繁一 投手・外野手大阪府出身で、近畿大付属高校から近畿大学を経て1962(昭和37)年にタイガースへ入団している。背番号は引退した中村の着けていた「27」を継承した。ルーキーの年は3試合に登板、5回を投げて0勝0敗、自責点1で防御率は1.80という数字。2年目の1963(昭和38)年は4試合0勝0敗で、7回を投げて自責点3、防御率3.86。1964(昭和39)年には外野手に転向したが、一軍の試合に出場できないままオフに引退している。通算成績は7試合0勝0敗、12回を投げ6三振2四球、自責点4で防御率は3.00だった。まとめいかがでした? 再登場の西山さんはそれなりに貢献してるしフロントでは編成部長にまでなっているので知名度はあるかもしれないけど 中村さんと西村さんはどう見ても知ってる人はごく少ないでしょう 写真等があったのは西山さんだけで、それもコーチ時代のものね あとの2名は残念ながらエピソードもほとんどないし写真も見つからないわ背番号27―5につづく
2024年11月26日
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関西メディアは反省しなさいよ!2代目タイガース非公式サイトです大山さんがFA権を行使して以来 うるさくて仕方ないのよねタイガースを取り巻くメディアは選手の人権を考えてないしアスリートとしての選手をリスペクトもしてないはっきり言って芸能スキャンダル記事じゃないんだよ 私生活や個人情報まで踏み込んで 人の人生をかき回して商売してるなんて最低です! メディアなんて騒がしくするだけで何も責任とってくれないから 雑音だとおもって無視するほうがいいわよ2024年11月25日「阪神のドラフト1位となれば、関西のスポーツ新聞では、各紙が生い立ちから現在に至るまでを取材し、何日も連載が組まれます。母校や家族にも取材が殺到し、野球と関係ないことまで記事になることも珍しくありません。4番に定着してからは、試合で活躍を見せないと厳しく叩かれてしまうのも人気球団の“宿命”です。そういった経緯もあり、大山選手は完全に“マスコミ不信”なのです」(在阪テレビ局関係者、以下同じ) “宿命”って何? 勝手に決めつけてること自体マスコミ自身が自分たちがひどいことしてるってことに気が付いてないのよ まったく無神経で自分勝手!これでは“マスコミ不信”になって当たり前よ もちろんそういうマスコミの姿勢に乗せられてしまうファンも反省しないとね! 「試合後の取材は、選手が球場から引き揚げるところを追いかけながら話を聞く、いわゆる“ぶら下がり取材”が一般的です。歩きながら話をしてくれる選手や、立ち止まって対応してくれる選手もいる中、大山選手はよっぽど取材を受けたくないのか、記者たちの姿を見ると走って逃げることもしばしば(笑)。 あるときは球団の広報担当者が、さすがにまずいと思ったのか、慌てて大山選手を引き留め、しぶしぶひと言だけコメントさせたこともありました」 (笑)って何よ? 嫌がる選手を追い詰めて面白がってるの? こういう神経を疑うわ 裏付けのない憶測記事やプライベートを暴いたり 人気球団の主力選手だからって群がって記事にして「部数が売れれば傷つく人がいても構わない」というのは人間として最低だとおもわないの? 大山さんは納得いく決断すればいい 大山さんは25日の球団納会を欠席したそうです いよいよ佳境になってきたから周りに迷惑にならないように配慮したのかもジャイアンツの阿部監督は「大山くんは茨城出身なので、東京に来てくれないかな…と。懸念しているのは阪神から巨人に行くことだと思う。今は時代が変わっている。僕は大丈夫だと思う」「ブーイングは認められている証拠。意気に感じてほしい。世紀の大FAの先駆者になってほしい」 と言ってるし 推定だけどジャイアンツは6年総額24億円超の大型契約を用意してる こういう声がかかるのはアスリートとして素晴らしいこと 関西の水に合わないなら8年も我慢してたんだから関東に戻ったっていいよ 大山さんが納得できるならね そして頑張って結果を残せたら後悔はないとおもうよ いまは見守ります ただ2代目が気に入らないのは ジャイアンツが絡むとやけに金額が吊り上がってしまうことよ もらう選手がプレッシャーになってしまうのよね いままでFAでジャイアンツに行った選手の多くはそれでつぶれちゃってるからね
2024年11月26日
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大山さんと原口さん、ファン感謝デーに参加2代目タイガース非公式サイトです注目されていたFA宣言の2人が23日に行われたファン感謝デーにユニフォーム姿で登場しましたもちろん動向は未定のまま でも2人の気持ちが伝わったのか多くのファンから大山コール・原口コールが沸き上がったって素敵なことよね大山さんは21日に神戸市内で行われた「タイガース杯ゴルフ」にも参加してるし 「自問自答しながら毎日いるので」と述べてたのよファン感謝デーについても「どういう決断をするにしろ、今年1年間、僕個人もそうですし、チームを応援してくれたことには変わりない。感謝の気持ちをまずは伝えたい」と泣けてくるコメント 大山さんらしいよね一方原口さんはファン感謝デーの「最優秀選手賞」を受賞 「すてきな賞をいただき、とてもうれしいです。今年も1年間熱い応援、本当にありがとうございました」とお礼のコメントでファンに感謝してます 最後に藤川監督のコメント 「これだけ内野から外野までたくさんのファンに集まっていただけるのが阪神タイガースです。それを誇りに思い、来シーズン必ず、みんなで一番上をもう一度見に行きます。人生の岐路を迎える選手もいますけれども、ぜひ皆さま、温かい応援でよろしくお願いします」 監督さんからも理解あるコメントがありました 温かく見守るつもりでいるみたい 2人の結論が出るのはまだ先なんだとおもうけど 2人にとって好い選択・好い結果になるように2代目も見守っていきたいわ
2024年11月23日
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また京都に行ってきました2代目タイガース非公式サイトです 実は今月になって11日と22日の2回京都に行ったのよ 11月11日はいつものように釘抜地蔵と晴明神社 それに黒谷の金戒光明寺に行ってきたんだよね まあ特に書くこともないけど自分用の日記のつもりで掲載しておくよ まずは釘抜地蔵 京都に行くと寄ることが多いのよね とても天気が良かったし観光客もあまり来ないところなのでゆっくりできました 晴明神社は去年詳しく紹介してるので謂われがわかるものを載せておくよ金戒光明寺 そして金戒光明寺 幕末に会津藩の松平容保公が京都所司代として赴任した時に本陣を置いたところとして超有名なんだよ 小高いところにあってまるで砦のようね とてもさわやかな秋晴れで気持ちいい 本堂へ上る階段は数々の時代劇のロケ地として使われてきたことで これも超有名 お墓もロケでよく使われてるよ 凄く古いものが残ってるのよ 幕末の動乱期に亡くなった会津藩の藩士たちを弔う墓所もあります11月22日は都の北西へ11月22日だけど 京都でも北西の外れにある大覚寺と化野(あだしの)念仏寺に行ってきました 期待していた紅葉は終わっててほとんど葉っぱは落ちてたので残念 天候も曇りで肌寒いし かなり風も強かったから観光客の数も少なかったですね 大覚寺 最初は大覚寺だけど ここも時代劇では欠かせないロケ地だったようね 再放送なんか見てると出てくるんだけど 現地へ行くと「ああここか」ってすぐわかるわ 日本最古の庭園池として知られる「大沢池」 ここも時代劇でも現代劇でもロケに使われることが多いよね化野念仏寺 最後は「あだしの念仏寺」 みなさんは「赤い霊柩車」っていう2時間ドラマ知ってますか? 去年だったか最終回39回!が放映されて終わってしまったけど 片平なぎささんと神田正輝さんのコンビが京都を舞台に事件を解決するやつよ その各回のオープニングはこの念仏寺にロウソクをいっぱい立てたシーンで始まるのよね ファンの人は好くご存じのはずよ それがここです かなりの山の中なのよ 1200年くらい前に弘法大使が開いたお寺だそうね 周辺一帯は墓所だったらしいけど都をめぐって何度も戦乱などが続いていくうちに荒れ果て 墓石や石仏が散逸してひどい状態になってしまったのよ 明治時代になってそういう無縁仏を改めて弔おうと そこら中に転がっていた墓石や石仏・石塔を収集し 綺麗に並べて出来上がったのが次の情景なんだって 写真には写りこまないようにしてますが 意外にもここに来てる観光客の7割くらいは外国人の皆様 こういう雰囲気が人気あるらしいのよ 外国の人も詫びさびの空気を感じるみたい最後になりましたが 帰りに京都室町の「和久傳」さんで鯖の押しずしを買って帰ってきました しっかり昆布で〆てあって魚臭さが全くないのよ しかもご飯は赤酢で炊いてあるのかな?独特の酸味があって鯖と一体になると ほんのりと甘みがでて何とも言えない美味しさ 2代目は江戸前も好きだし関西風の押し寿司も大好きなのね 青い魚が嫌いな人やアレルギーのある人には申し訳ないけど 美味しくいただきましたはい!最後までお付き合いくださってありがとなお今回の相棒はデリカミニだよ 過去に批判してたんだけど・・・やっぱりカワイイ!11月4日に納車でした!
2024年11月23日
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背番号27(その3)背番号27の第3回目です過去2回ではスター選手と呼べる選手は白坂さんくらいかな でもあくまで守備で名を上げた選手だし背番号「27」も1ヶ月しか着けてないからなあ ということで総合力でとびぬけた選手はつけてないのよ 今回は4名の選手を紹介するんだけどパッとしない状況は変わらないわ駒田 桂二 投手(再掲) すでに背番号4で紹介しているが詳細に加筆して再掲する。大阪府東大阪市(旧布施市)出身。東商業高校時代は全く無名で、戦時中ということもあって全国大会とも無縁だった。戦後、社会人野球の東洋紡でプレーしていたところタイガースの眼にとまり、2リーグ分裂直前の1949(昭和24)年のシーズン途中に入団している。最初につけた背番号が「27」。右投げで身長は180センチあり、当時としてはかなりの大型投手だろう。途中入団だった1年目は変化球の制球難もあって6試合で0勝0敗、防御率は4.50という数字しか残せなかった。シーズンオフに背番号を「4」に変えているため「27」は1年しか着けていない。ところが2年目の1950(昭和25)年になると改善がみられ、32試合(先発19)7勝6敗、防御率も3.52と戦力になってくる。3年目の1951(昭和26)年が駒田のキャリアハイで、45試合(先発28)で11勝13敗、227回2/3を投げており防御率3.24と好くなっている。当時各球団が2リーグ分裂による選手の絶対的附則に悩んでいた時期であり、駒田の貢献は貴重なものだった。1952(昭和27)年も43試合(先発18)とフルに働いているが、8勝8敗、投球回数は156回に減るとともに防御率も4.04に落ち、これ以降は年々登板機会が減り成績も低迷が続く。1953年 32試合(先発8) 5勝5敗 85回 防御率3.071954年 28試合(先発8) 8勝3敗 113回 防御率1.571955年 14試合(先発10)5勝4敗 67回1/3 防御率2.511956年 5試合(先発2) 1勝0敗 20回 防御率0.45駒田は2リーグ分裂後の数年をよく支えたが、徐々に選手が入団してくる中で存在感が薄れていった。1956(昭和31)年のシーズンを最後にタイガースを退団し、古巣の東洋紡績に戻ることになる。通算成績は205試合(先発95)、45勝39敗、831回を投げ奪三振264、与四死球243、自責点286、防御率3.10だった。勝ち越しているのは立派である。2016年8月1日に86歳で逝去。富樫 淳 投手 すでに背番号6で紹介しているが再掲する。景浦が亡くなり、戦後最初に背番号「6」を着けたは富樫淳。兵庫県武庫郡(現西宮市)鳴尾村出身!身近に大阪タイガースがいる環境で育ち、野球好きで少年期からタイガースの協和寮に入り浸っていたという。関西学院中から平安中を経て法政大学に進み、昭和21(1946)年にタイガースへ入団する。背番号6は入団から4年間着けた。学生時代までは投手だったがすでに肩を痛めており外野手に転向している。プロ入り後も肩の故障は続き、フルシーズン戦えない状態が続いた。タイガースで4年間プレーし、初年度には4番藤村の後ろの5番を打ったこともあるが、外野で膝に大怪我(当時フェンスがなく鉄線を張っただけだったがそこへ突っ込んで膝を負傷)を負って退場。その後は怪我とも戦いながらの現役生活となった。 昭和24(1949)年には肺結核を患いってしまう。現役最後となる1950(昭和25)年には背番号を「27」に変えて臨んだが、病気の回復が見込めないとして引退している。野手としては通算169試合516打数135安打48打点の打率.262という成績でホームランは打てなかった。投手で3試合登板しているが、0勝0敗に終わっている。引退後は1956(昭和31)年の夏の選手権で、母校である平安高校の監督として優勝するなど、アマチュア野球の指導者として活躍した。1986(昭和61)年に62歳で亡くなっている。麻田 勝也 投手富樫の退団した翌年1951(昭和26)年は「27」は空き番になっており、その翌年継承するのが麻田。大阪府出身。学歴は大坂第二師範学校という情報のほか平安高校というのもあり、実際のところよくわからない。球歴もノンプロでの経験があるとか軟式野球出身とか諸説あってこれもはっきりしない。右投げ右打ちの投手ということでタイガース所属選手だったことは記録に残っている。タイガースへの入団は1952(昭和27)年で21歳の時。背番号「27」を着けたわけだが、公式戦の登板は無く、1年の在籍で退団している。引退後は大阪市に採用されて教員を務めたと伝わる。岡田 功 投手麻田が退団した翌1953(昭和28)年は空き番。1954(昭和29)年から「27」を着けたのが岡田だった。兵庫県尼崎市の出身で高校は県立尼崎工業。1949(昭和24)年の夏の選手権では4番ライトで兵庫県大会の決勝に進むが芦屋高校に敗れている。1950(昭和25)年にタイガースへ入団。最初につけた背番号は「48」だった。入団後の2年間は1軍出場が無い。3年目となった1952(昭和27)年には背番号を「46」に変えると初めて1軍に呼ばれたが6試合の出場で3打数0安打に終わっている。1953(昭和28)年はまた1軍に呼ばれず、1954(昭和29)年に6試合5打数1安打とプロ入り初ヒットはでた。1955(昭和30)年には背番号を「27」に変えて31試合に出場することができたが、13打数0安打、代走や守備要員に終わっており2盗塁を記録しただけだったため現役続行をあきらめて引退する。1956(昭和31)年からセリーグ審判部に転身して審判を目指し、これが天職となって、以後1992(平成4)年まで37年間(そのうちプロ1軍審判員を36年間)勤めている。1969年日本シリーズ第4戦のホームクロスプレーでのセーフ判定は特に有名である(日本シリーズで初めて退場になった阪急の司令塔が“証拠写真”で納得。「僕がヘタやったんだね」【プロ野球はみだし録】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE)。 13年連続日本シリーズ出場、日本シリーズ通算94試合出場、日本シリーズ通算21回出場(1963年~1967年、1969年~1981年、1983年、1991年)、レギュラーシーズン通算3902試合出場は審判として日本プロ野球記録。1992年シーズン終了後に引退。審判としての実績はウィキぺディア等を参照。まとめいかがでした? 「27」を着けた人が選手として活躍してくれたケースが少ない感じは変わんないよね・・・麻田さんは写真も残っていないなあ 富樫さんの写真もそうだと言われてみてもよくわかりませんその中で駒田さんは唯一10勝投手になってるんだけど「27」を着けてたのは新人の1年間だけで未勝利だったのよね岡田さんは審判になってから才能を発揮してる異質な人 セリーグ審判部長まで上り詰めてるし 引退後もマスターズリーグの審判なんかも務めてたらしいよ背番号27―4につづく
2024年11月21日
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来春開業予定の新ファーム施設メインビジュアルとシンボルマークを発表11/21(木) 10:35阪神電鉄と阪神は21日、来春開業予定の新ファーム施設「ゼロカーボンベースボール」のメインビジュアルとシンボルマークを発表した。 メインビジュアルは「未来をずっと青空にする球場、尼崎から。」をスローガンに掲げ、ボールパークを彩る緑と、澄み渡る青空をデザインして作成された。11月中旬以降、球場施設の敷地内や阪神電鉄「大物駅」の装飾、球団公式ホームページなどで使用される。メインビジュアルに込めた思い尼崎の地に新たに誕生する「ゼロカーボンベースボールパーク」。野球を愛するすべての人たちの頭上に、いつまでも青空が広がるように。一人ひとりの生活スタイルを、野球場のあり方を、地球の明日を、みんなで変えたい。そういった思いから、「未来をずっと青空にする球場、尼崎から。」のスローガンを掲げボールパークを彩る色鮮やかな緑と、澄み渡る青空をデザインしたメインビジュアルを作成いたしました。阪神電気鉄道、阪神タイガースは、尼崎市と共に日本一の環境先進都市を目指し、脱炭素社会や循環型社会の実現に資する新たなボールパークを作ってまいります。 2025年3月から、阪神タイガースのファーム施設(現・西宮市鳴尾浜)を尼崎市・小田南公園へ移転し、「ゼロカーボンベースボールパーク」として開業します。同施設には「日鉄鋼板 SGLスタジアム 尼崎」、タイガース練習場、室内練習場、虎風荘を新設し、選手たちが試合や練習に励む姿を身近に感じながら野球を楽しめる「小田南公園野球場」や、くつろげる広場、散歩やランニングができる周遊コースも整備します。更に、太陽光発電・蓄電池の導入や廃棄物発電の活用、省エネ徹底による「脱炭素化」を初め、ペットボトル・プラスチックカップの回収・リサイクルや雨水・井水の活用といった環境に優しい取組みを行うなど、脱炭素社会や循環型社会の実現に資するここにしかない魅力ある公園がまもなく誕生します。 いよいよ具体的に見えてきたね!ファームの選手たちは引っ越し準備を始めてるかな?フルサイズの球場が2つあるのも練習環境としてすごくいいことよね じつは8月だったかな 工事中の新球場を観てきたんだけど まだ現場は囲われていて中の様子はあまりわからなかったのよ ファンにとっての問題は電車以外の交通手段はものすごく不便なこと 大物駅を利用してもらいたい本社の意向が見え見えだけど ここにできちゃったので何とか方法を考えないといけません 2代目も悩んでるのよ・・・
2024年11月21日
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加治屋さん楽天入り決まる2代目タイガース非公式サイトですタイガースから戦力外となっていた加治屋蓮さんが東北楽天ゴールデンイーグルスに入団することが決まったね 11月19日に会見がありました 11月初旬から既に「楽天が調査」って報道されていたので順当なところに収まった感じよね 推定年俸は1600万円 今年の6000万円から大幅なダウンだけど仕方ないかな?とにかくボールは速いしタイミング外すのも上手い 敵に回すといやだなとおもってたからパリーグに決まって2代目はちょっとホッとしてるのよね11/19(火) 16:32「野球ができる環境を与えて下さったことに感謝」会見に臨んだ加治屋さんは「来シーズンどうなるか、自分自身もそうだし家族に不安を与えてしまったのは間違いない」とさまざまな思いがあった中で、楽天から声がかかった。「すごくうれしかった。野球ができる環境を与えてくださったことに感謝しています」と語った。 ソフトバンク、阪神でリーグ優勝、日本一と経験豊富な右腕。具体的な数字目標については「最低でも40~50試合」と掲げ「プロ野球人生を中継ぎとしてやってきたので、そこは変わらないと思う。試合の勝敗を左右するようなしびれる場面で投げられるようになる。そういう信頼を得ることが一番」と話した。新天地で目指すは、自身3球団目での頂点のみ。「リーグ優勝、日本一になるチームの一員として頑張っていきたい」と力を込めた。 石井一久SDは「躍動できる場所があれば、まだ力はある投手。いろんなプランを監督が持てるようになるんじゃないかな」と期待を込めた。 昨年はリーグ優勝~日本一に貢献してくれた加治屋さん2代目は交流戦で当たるのを楽しみしてますよ 頑張ってね!
2024年11月20日
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FA宣言の原口さんから西武が撤退か2代目タイガース非公式サイトですFA宣言した選手との交渉は11月15日から解禁されてるけど進展はあるのかな?大山さんはタイガースとの話し合いを何度か持ったらしいわもう一人の原口さんは現状の「控え兼代打」という立ち位置に物足りなさを感じていて レギュラー級の役割ができる球団への移籍を強く要望しているようだけど そうなると限られてくるのよね。その中で有力とみられていた西武ライオンズが早々に撤退するという報道があって 事態は深刻になってきたかな RONSPOさんの記事から抜粋して見てみよう11/19(火) 7:03西武のFA撤退濃厚宣言した阪神の原口文仁の移籍先はどうなる? 新監督に西口文也2軍監督を昇格させ、最下位からのチーム再建に乗り出さねばならない西武が今オフのFA戦線から撤退することが濃厚になった。一部スポーツ紙が潮崎哲也スカウトディレクターのFA不参加のコメントを報じたもの。これに対しSNSでは、「原口調査という報道はなんだったのか」「なぜCランクの原口を取らないのか。交渉してダメだったのか」「圧倒的最下位でドラフトと外国人くらいでろくに補強もしないなら来年も最下位」「現状の立ち位置的にFA参加見送りは意味不明」などの批判の声が相次いだ。打線の強化が最大のテーマでFAで山川穂高がソフトバンクに移籍して以来、「右打ちの一塁手」が補強ポイントだった西武にとって、原口はピッタリ当てはまり、しかも推定年俸が3100万円で℃ランク。金銭補償も人的補償も不要なのだ。 さらに原口は埼玉出身。西武が移籍先として最有力という情報が球界を駆け巡ったのも無理はなかったが「西武・原口」の誕生の可能性は薄くなった。野球評論家の一人は 「今年西武は大きく期待を裏切ったのだから、ファンに対して、チームの再建にどれだけ本気なのかという姿勢を示す必要があった。原口なら年俸の負担もなく、獲得することにリスクもない選手でしかもチームの補強ポイントにも合致していた。なぜ取らないのか不可解。ファンも納得しないでしょう」という意見を口にした。では、原口の移籍先はどうなるのか。 原口は、FA権行使の決断について、球団を通じて「いち野球人として、もう一度挑戦したいという思いが強く、この度、決断に至りました」と説明した。代打ではなくスタメン出場のチャンスのある新天地を求めている。今季一塁を固定できなかったのはセ・リーグでは広島と中日の2球団だ。パ・リーグでは楽天とオリックス。評論家は 「原口は、代打実績があり、長打力を秘めていざというときに捕手もできる選手。しかも、Cランクのお手頃なFAなので、楽天、オリックスなど手を上げる球団が出てくるはず。来日してみなければわからない外国人選手よりも確実性がある」という見方をしている。果たして原口と交渉のテーブルに着く球団は出てくるのか。 微妙になったけど可能性は残ってるここからは2代目の感想なんだけど まず一番の効果は原口さんのような努力家はチームにいい影響を与えるのよ 模範となる選手そして捕手としても野手としても求められるレベルの力を持っているのも大きいよ タイガースファンの眼から見ても「使わなきゃ損」というタイプの選手なのにチャンスはあまりもらえていなかったさらに記事にあるように推定年俸6000万円でCランクというのは 獲得する側からしたら好条件と言えるのよ 西武以外で噂になってる4球団の中で一番資金面で苦しいのはドラゴンズ しかもビシエド選手を解雇しちゃってちょっと余裕ができたこともあるからかなり有力じゃないかと思うんだけど・・・ 井上新監督は2020年から3年間タイガースで打撃コーチやヘッドコーチを務めてた関係で原口さんのこともよく知ってるはずだしね 十分可能性あるよ一方でタイガースは秋季キャンプで井上君にファーストの練習をみっちりやさせてたから来季の構想が透けて見えてきてるよね 原口さんは残留しても今季以上の出番は期待できないとおもう
2024年11月20日
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もしかして大山さん残るの?2代目タイガース非公式サイトです 気になる大山さんの動向なんだけど 11月23日のファン感謝デーには出席する意向みたいなのよね いままでそういう事例が少ないから意味深というか何というか・・・何かコメントがあるのかな? ということは残留するか移籍するか23日までに結論を出して公表するのかな? ジャイアンツとの交渉が進んでるって報道もないし・・・ 交渉人に任せてても最後の結論出すのは本人だし というわけで「謎のファン感」についてサンスポさんの記事を掲載するよ 2024年11月19日大山悠輔内野手(29)が23日に甲子園で予定されている「ファン感謝デー」に参加することが18日、分かった。阪神は4年総額16億円規模の条件で残留交渉し、巨人も獲得調査中。行き先が〝白紙〟の段階では自粛する選手が多いだけに異例の行動。複数の球団関係者が大山の参加を認めた。長いシーズンを終えた選手たちがファンに感謝の思いを告げる一日。さまざまなイベントが用意され、限定でハイタッチ会もある。真剣勝負の公式戦とは異なり、ファンとの〝距離〟が最も近くなる日。国内FA権を行使した大山がそこにやってくる。しかも、ファン感謝デー以外の球団行事にも顔を出す予定だという。2012年は平野恵一がFA権を行使したため参加を自粛。17年は大和も欠席した。その後、平野はオリックスに、大和はDeNAにそれぞれ移籍。2014年に海外FA権を行使し、メジャー挑戦をもくろんだ鳥谷敬も姿を見せることはなかった。16年のオリックス・糸井はファン感謝デーに参加したが、それは阪神移籍を表明した後。熟考中の段階で参加したのは13年の久保康友(のちにDeNAへ移籍)ぐらい。それまでに結論を出すのか-。13日にFA権行使を宣言した大山はこの日の午前中に甲子園のクラブハウスを訪れた。FA宣言後は公の場に出ることを控えていたが、今回も報道陣の前に姿を見せることなく、帰路についた。大山はFA宣言にあたり「いま自分がどういう風に思ってもらえているのか、他球団からの評価が聞きたいのが一番の理由」と語っていた。決断の期限についても「しっかり納得した決断をしたい。時間というところに決まりはない」と強調していたが、阪神も巨人も大山の動向次第で編成が左右されるため一刻も早く答えが知りたいのが本音だろう。大山は心身ともにすっきりとして、イベントを楽しみ、マイクを手にして、語るのか。白紙の状態でファンの反応を待つのか。あくまでも〝けじめ〟としての行動か-。少なくとも再びタテジマのユニホームを着ることは間違いない。運命の「11・23」になる。 どうにも予測がつかないよね ファンとしてはとにかくその時を待つしかないわ
2024年11月19日
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背番号27(その2)背番号27の第2回目です今回は手抜きじゃないけど3名のうち2名は再登場 残り1名はわずか1年2試合出場で退団してるので ほぼコピペで終わっちゃいました以前のを読んでない方にはちょうどいい機会かもね 読んだことがある人も「またか」なんて言わないで目を通して頂戴よね高山泰夫 外野手・内野手(再再掲) 高山は背番号「8」「25」で紹介済みだが全文を再掲する。 岐阜県出身で旧制岐阜商業(現県岐阜商)では1939(昭和14)年の選抜大会に補欠で出場し準優勝を経験する。翌1940(昭和15)年にも選抜大会に出ている。この時も控え選手だったがで3打数3安打を記録してチームの優勝に貢献しいる。なかでも決勝戦では同点の8回に代打で登場して決勝点をたたき出しており、一躍優勝の立役者となって当時の「美技賞」を獲得している。さらに1941(昭和16)年の選抜にも出場。この年はファーストのレギュラーでベスト4まで進んだが連続優勝は逃した。 1942(昭和17)年にタイガース入団、背番号25。この年は18試合に出ているが20打数2安打で打率.100で終わっている。 1943(昭和18)年はわずか9試合という数字しか残っていないが、シーズン中に軍の招集にあい、終戦まで戻れなかった。 1946(昭和21)年にタイガースへ復帰。41試合で77打数21安打9打点1本塁打、打率.273という成績を残す。タイガースに戻ってくると背番号「25」はすでに松本太が着けていた。仕方なく空いていた「8」でプレーしていたが、同年山口政信が復帰してくると戦前から着けていた「8」を希望したため譲り、高山はまた空いていた「27」へ変更するという「背番号の玉突き」があった。 事情は定かではないが、1947(昭和22)年は出場がなくそのまま退団している。引退後は社会人東洋産業。 通算成績は68試合108打数25安打13打点2本塁打2盗塁14四球21三振、打率.231だった。東野真弓(とうのまゆみ) 捕手 京都府出身で旧制同志社中学。1948(昭和23)年に大阪タイガースへ入団している。前年で退団した高山が着けていた「27」を受け継いだが、わずか2試合に出場しただけでシーズン中に突如退団してしまう。当時は土井垣武が正捕手として君臨しており、出番がないことであきらめたのかもしれない。 退団後は社会人野球に転身して全福島日東紡に入り大生相互銀行や電電東京など移籍しながら活躍した。 プロでの成績は1年2試合1打数0安打0打点、打率.000である。白坂長栄(しらさかちょうえい) 内野手(再掲)白坂は背番号「17」で紹介済みだが全文を再掲する。なお1948(昭和23)年11月の入団だったためその年の途中で退団した東野の着けていた「27」を1ヶ月だけつけたのでここに記録が残る。背番号「17」は、渡辺が大陽に移籍した翌年の1948(昭和23)年は1年間空き番となった。1949(昭和24)年には復帰した門前が再び着けたが1年で広島に移籍。1950(昭和25)年から受け継いだのが白坂長栄である。白坂は岩手県一戸町の出身。旧制福岡中学から先代鉄道局に進み遊撃手としてプレーし、応召されたのち盛岡管理局に復帰して社会人として活躍する。1947(昭和22)年には全国鉄道大会で優勝、都市対抗にも出場し名前を知られるようになる。1948(昭和23)年、タイガースの若林忠志監督が札幌遠征の途中に盛岡へ立ち寄って熱心に説得し、シーズン途中での入団が決まる。この年に着けた背番号は「27」だった。ただしこの年は1試合しか一軍での出場はない。1949(昭和24)年、背番号を「26」に変え、遊撃手として73試合182打数39安打12打点の成績を残す。なお、この年には投手として8試合の登板記録があるが0勝2敗だった。3年目の1950(昭和25)年に、前出の渡部の移籍後1年間空き番だった背番号「17」を引き継いで139試合に出場しており、この年から3年間ショートのレギュラー選手になっている。1953(昭和28)年に吉田義男が入団してきたためセカンドにコンバートされるが、ここでも守備については一流で、吉田との二遊間コンビは息もあっており鉄壁と言われるほどだった。1950年から1957(昭和32)年まで8年連続100試合以上に出場しており、打撃より守備でチームを支えている。ただし、飛ぶボールが採用された1950年には生涯唯一の二けた18本塁打を記録したことがある。1958(昭和33)年には背番号を「1」に変えている。この年はのちに名手と呼ばれる鎌田実がショートからセカンドにコンバートされてくると、これに譲る形で出場が急激に減って、翌1959(昭和34)年は一軍の試合に出ることなく引退している。引退後はタイガースでスコアラーを務めたのち二軍監督も歴任した。まとめはい 今回はまとめようもありません 再掲の2名は別にして東野さんなんだけど まあ土井垣さんがいたからね レギュラーどころじゃなく出番が見込めないからかな すんなりやめちゃってるし 何らかの記述等も写真も見つからないよ 今回はこれまで!背番号27―3につづく
2024年11月18日
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秋季キャンプの成果は?2代目タイガース非公式サイトです高知県安芸市で行われていたタイガースの秋季キャンプが終わったね今年は11月3日から4日間を完全オフにしてたんだけど色々用事が入ってきちゃって断念したんだよ 土佐ロイヤルホテルも取れなかったし 球団関係だけじゃなく報道関係者もいつもの何倍も来て宿を抑えちゃってたから全然空いてるところがなくて文字通り「キャンプ覚悟」で行くつもりだったんだけど・・・ 報道を垣間みてると 終盤にきてテル君にポンポンホームランが出たとか 中野選手が初球打ちに取り組んだとか 前川君の選球眼がよくなったとか とてもうれしくなるような話題が出てきてるねそういうなかで山田選手の成長が楽しみ 2024年のショートは結局木浪さんが多くを担ったけど実際は激戦が続いているポジション 2代目も1年間ファームでやってきた山田選手を見ていて まだ線は細いけど走・攻・守にポテンシャルを感じさせる動きをしてたんだよね藤川監督は山田選手について「育成中なんで。チームとして進んでる方向は間違いじゃない。持ち味と能力を開花させる準備をしている。」「1軍キャンプ抜てきは 彼の来年、再来年、3年後、4年後を見ていかないといけない。その他の選手と現状の能力を見比べて。(1軍の)ベンチに入れておくかというところで言うと、順序はまた帰ってからゆっくり考えます。1軍のベンチに座っているということは、試合に出場できる機会が少ないということ。なかなか彼のためにならないケースがあるので他の選手と(の兼ね合いを)考えてですね。」と話してます 高校から入った山田選手だけど 仮に大学に行ってるとした期間を考えての育成判断なんだろうね 一軍ベンチで控えてるのがいいのかファームで毎試合出ているのがいいのか これから検討していくみたい 選手の皆さんはこれからのオフの間が勝負 来季に飛躍するためには気を抜けないよ
2024年11月17日
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背番号27(その1)背番号27の第1回目ですNPBでは一軍登録選手の上限は2018年までは28名 2019年に29名になり 2020(令和2)年から31名になってます これはコロナ感染症対策の影響で増えてきたんだよねそれにしても球団創設からしばらくの間は 監督を含めたチーム全体でこの人数に収まってしまうのよ コーチなんてものもいなかったしなので25番より大きな番号の人は少ないわ だから戦前は活躍した選手がほぼいない そういう中でタイガースに籍を置いていた選手なのであまり知られていない人が多いのね今回は戦前にこの番号を着けた3名の選手を紹介するよ松広金一 外野手和歌山県出身だが大阪の浪速商業に進学している。浪商時代は左打の好打者として1933(昭和8)年の夏に5番打者で、1934(昭和9)年の選抜は4番で甲子園に出場している。 1936(昭和11)年、明治大学に入学するが長打がないという理由からあまり起用してもらえないことを不満として1年で中退し、1937(昭和12)年に大阪タイガースに入団している。背番号は「27」で、最初にこの番号を付けた選手となる。167センチ64キロの小柄な選手。 1年目の春季はわずか3試合の起用に終わり3打数1安打の数字が残る。秋季は6試合で8打数0安打1盗塁の成績だった。 翌1938(昭和13)年春季はたった1試合3打数2安打、秋季は11試合に出て28打数6安打1本塁打6打点と少し成長の跡が見られた。 1939(昭和14)年になると32試合66打数15安打3打点の記録を残すが病気がちとなり同年オフに退団してしまった。(病名不明) その後満州にわたって満州実業団でプレーしたと伝わっているが詳細は分からず、生死不明のまま現在に至っている。 通算成績は53試合108打数24安打12打点1本塁打、3盗塁12四球15三振、打率.222である。比留木虎男(ひるきとらお)内野手(再掲)松広引退のあと「27」は1年間空き番になる。次にこの番号を着けたのは比留木虎男だが、すでに背番号「21」で紹介済みのため全文を再掲する。長崎県出身で長崎商業学校時代には1933(昭和8)年の選抜大会で甲子園を経験している。当時はセンターを守っていた。1936(昭和11)年11月にタイガースと契約。1937(昭和12)年が1年目のシーズンだが、当初背番号は無く、小島が移籍した春季リーグ途中時に「21」を継承し、おもにサードで起用されている。この年は春季・秋季合わせて8試合に出たが14打数0安打1打点でヒットは出なかった。1938(昭和13)年1月早々に応召すると約3年間軍隊生活をおくる。1940(昭和15)年の秋に復帰して7試合13打数2安打2打点、翌1941(昭和16)年には背番号を「27」に変えたが17試合で29打数3安打0打点に終わって引退しているので「27」は1年間着けただけだった。その後、高校野球の指導者に転じ、監督として母校長崎商業を率いて1952(昭和27)年の夏選手権、1953(昭和28)年の春選抜に甲子園出場を果たした。プロ通算は実働3年32試合56打数5安打3打点、1盗塁5四球9三振、打率.089である。森田明義 投手・外野手・内野手 香川県生まれで坂出商業校の出身。1938(昭和13)年の夏の甲子園に出場し、初戦で掛川中を完封したが2回戦で敗退している。 比留木の引退と入れ替わるように翌年1942(昭和17)年にタイガースに入団しており背番号「27」を継承したが、1年目は出場機会がなかった。 続く1943(昭和18)年も試合での起用は無く、1944(昭和19)年にようやく1試合に登板したのがプロでの唯一のマウンド。しかもわずか1回1/3に過ぎず、無失点ではあるが勝敗は関係なかった。 逆に3年目は野手として15試合に出ており、外野を11試合、一塁を3試合守った。打撃成績は15試合41打数9安打3打点1三振、打率.220。 戦争が激化し職業野球も中止に追い込まれていく中、在籍3年で引退し、戦後は実業団の四国鉄道管理局でプレーした。まとめ「27」という番号は当時のタイガースでは一番大きいほうなのよね だからこの3名は今で言うと育成選手扱いのような感じだったんだとおもう当時は主力選手が兵役で抜かれてしまうことが多くていつも選手不足に悩まされていたわけ しかも大学野球や実業団のほうが権威があった時代だしねそういう状況だからとにかく数合わせでも選手が欲しくて たいして期待してない人でも入れてたっていう事情もあったんじゃないかな?とおもいますね当然ですが画像資料が発見できたのは比留木虎男さんだけでした背番号27―2につづく
2024年11月17日
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糸原健斗選手は行使せず残留2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 糸原選手は国内FA権の行使をしないでタイガースと再契約することになったね 既に球団から発表されて会見も開かれてるよ2024/11/12(火) 11:36阪神12日、糸原健斗内野手(32)がFA権を行使せず残留することを発表した。11月11日に32歳の誕生日を迎えたばかりの糸原は、8年目の今季、主に左の代打の切り札として89試合に出場した。FA権を行使せず、1年契約で現状維持の7000万円(金額は推定)でサインした糸原は「このチームが好きだから。監督からも一緒に頑張ろうと言われたし、優勝、日本一をもう一度味わいたい」とチーム愛を強調した。以下は一問一答。 「この度、FA権を行使せずに、阪神タイガースで来年もプレーさせてもらうことを報告します」 ――残留の決め手は。 「やっぱりこのチームが好きですし、このチームでもう一回優勝、日本一というのを味わいたいなと思って決めました」 ――球団からは。 「来年も力が必要という言葉をいただいて、素直にチームのために来年からも頑張ろうという気持ちになりました」 ――藤川監督と話は。 「連絡させてもらって、『一緒に頑張ろう』という言葉をいただいたので、チームに貢献できるように頑張っていきたいなと思います」 ――ファンの声は届いていたか。 「そうですね。僕が打席に立ったりしたら、すごい声援をくれる熱いファンの方々がついているので、阪神というのは。その熱いファンの方の前で来年プレーすることをモチベーションとして、すごく力に、いつも背中を押してもらっているので、すごく、来年も頑張ろうという気持ちにはなってます」 ――阪神タイガースという球団は。 「本当すごい、去年は優勝を経験しましたし、日本一になりましたし、すごい熱いファンがついているので、そのファンの声援に応えられるようにチームのために頑張っていきたい」 ――残留を決めて球団への見方は変わったのか。 「そうですね。好きなチームですし、このチームでチームメートと監督コーチ、裏方さんと一緒にもう一度最高の1年にしたいので、来年また頑張っていきたいと思います」 ――改めて阪神で戦う意気込みを。 「そうですね。チームのことだけを考えて、必死に与えられた仕事を自分の中で全うするだけだと思うので、ファンの方と一緒に最高の瞬間を分かち合えるようにまた頑張っていきたい」 糸原さんは辛抱強く出番を待って結果を出してくれる貴重な存在 矢野監督時代にはレギュラー級の出番があったシーズンもあったんだよねいまはどんどん遊撃手候補が入ってきてるし レギュラーは遠くなってしまったけど 球団として手放せない代打の切り札 もしもの時は守備でも貢献できるユーティリティなバイプレイヤーとして頼りにされてます来季もチームを支えてくれますように 期待してるよ
2024年11月15日
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FA選手の獲得見送りへ嶌村球団本部長「静観させてもらいます」2代目タイガース非公式サイトですタイガースフロントの方針について嶌村球団本部長が語っています 東京スポーツさんの記事抜粋です阪神・嶌村聡球団本部長(57)が13日、秋季キャンプを行っている高知・安芸で取材に応じ今季、NPB他球団からFA宣言した選手の獲得を見送る考えを示した。「他球団からの選手に関しては今季は考えておりません。静観させてもらいます」と明言。その方針は藤川監督とも確認済みであることを明かした。4番・一塁としてチームの中心を担った大山悠輔内野手(29)が同日、今季取得した国内FA権の行使を表明。 これを受けては「残留してくれることを前提として考えていきます」との編成方針を示した上で「残ってくれると信じているし、引き続き慰留に努めたい」と今後の方向性を語った。 「我々が言える事は慰留に努めるということだけ。残ってほしいに決まっている」と全力で交渉に当たる。 一方、FA権を公使せず残留を決めた坂本誠志郎捕手については「残ってくれたのは大きい。ホッとした」と安堵のコメントを残した。また、残留交渉を進めていた助っ人のジェレミー・ビーズリー投手(28)、ハビー・ゲラ投手(29)については「大筋で合意。近いうちに正式発表させてもらいます」と言及。 来季の外国人選手に関しては5人制を敷く方針で野手、投手を含め3人の補強を目指す模様だ。
2024年11月15日
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遠藤成選手 育成枠でオリックスへ2代目タイガース非公式サイトですタイガースを戦力外になって移籍先を探していた遠藤選手がオリックスに入団することになったようね トライアウトに参加してなかったところをみるとすでに決まってたんだとおもう実際にファームの試合では常時対戦があった球団だから観察されていたんだろうし 好いものを持っているのは間違いないところだからひとまず「よかったね」と言いたいところだけど これからまだ大変だわ 育成枠での入団ってことは 支配下を勝ち取るところからのスタートだからね 今季の板山さんと同じで相当な頑張りが必要よ板山さんは支配下に食い込むどころか65試合に出場して打率2割3分6厘・3本塁打・13打点をマークして 14日には550万円アップの1400万円で契約更改したくらいだから 遠藤選手も努力次第でまだまだ上を目指せるよ未来はこれからよ!今シーズン遠藤選手はウェスタンリーグトップの出塁率.392 リーグ2位の30盗塁も記録していよいよ来季は飛躍か?と思わせていたところでの戦力外でもまだ23歳だから必ず獲得する球団はあるだろうなと予想はしてました オリックスは内野陣が手薄なんだってね 遠藤選手は複数ポジションが守れるから食い込んでいくチャンスはあるよ!
2024年11月15日
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FA宣言選手 出揃う!15日から全ての球団と交渉が可能に2代目タイガース非公式サイトです11月14日 今年度のフリーエージェント選手が公示されたね 大山さんも原口さんもこれから注目されるね 注目の選手たちは中日スポーツさんの記事から抜粋させてもらって紹介するよ11/14(木) 15:04NPBは14日、フリーエージェント(FA)宣言選手を公示した。海外FA権を行使して宣言したのは大リーグ移籍を目指す巨人・菅野智之、広島・九里亜蓮の2投手で、国内FA権は阪神・大山悠輔内野手、ソフトバンク・甲斐拓也捕手、中日・木下拓哉捕手ら7選手が行使して宣言した。FA宣言選手は15日から全ての球団と交渉が可能となる。 以下はFA宣言選手と今季成績【海外FA宣言】 菅野智之投手(35・巨人)24試合、15勝3敗、防御率1.67 九里亜蓮投手(33・広島)23試合、7勝10敗、防御率3.21【国内FA宣言】 福谷浩司投手(33・中日)8試合、3勝1敗、防御率3.72 石川柊太投手(32・ソフトバンク)15試合、7勝2敗、防御率2.56 木下拓哉捕手(32・中日)74試合、打率.228、3本、9打点 甲斐拓也捕手(32・ソフトバンク)119試合、打率.256、5本、43打点 大山悠輔内野手(29・阪神)130試合、打率.259、14本、68打点 茂木栄五郎内野手(30・楽天)46試合、打率.265、1本、8打点 原口文仁内野手(32・阪神)52試合、打率.241、2本、9打点 今年の顔ぶれを見て気が付くのは 20代の選手は1名だけなのね 9名中8名は30代なんですよ これは相当な意味があるよね結局自分のいる球団でやることはやって一区切りとして 「残された選手生命で何かに挑戦したい」という気持ちが見えてくるのよもちろん金銭や待遇ということもあるだろうけど 環境を変えて現役生活の後半や晩年にできることをしてみたいという思いがあるんじゃない?みんな所属球団で貢献してきた選手ばかり 自分のために権利を行使してもいい時期に来てるわ これから交渉に移っていくけど 各選手の思いが実現できるように見守りたいですタイガースファンの2代目は 大山さんや原口さんには残ってほしいと思ってる でもそれぞれの人生だし いままで心の中で思っていたことがきっとあるはずだから 結果は受け入れたいとおもってます
2024年11月14日
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大山さんFA宣言! 争奪戦の行方は?2代目タイガース非公式サイトです大山さんがFA権を行使したことを正式に公表したね いよいよこの時が来てしまったわ取材に応じた大山さんの言葉が報道されてます 日刊スポーツさんの記事から抜粋させてもらって紹介するね11/14(木) 7:00大山悠輔「すごく悩んだ」FA行使「他球団の評価聞きたい」すでに阪神は複数回の残留交渉阪神大山悠輔内野手(29)がFA(フリーエージェント)申請締め切り日となった13日、今年4月に初取得した国内FA権を行使したことを発表した。甲子園球場内の施設で取材対応し、「他球団からの評価を聞きたいのが一番の理由」と胸中を説明。今日14日にFA宣言選手の1人として公示される。すでに巨人が獲得調査を進めており、交渉解禁日の15日を待って獲得交渉に乗り出すとみられる。残留か他球団移籍か、期限を設けずに「納得した決断」を導き出す。 なぜFA宣言したのか? 一番の決め手を問われると、偽らざる胸中をよどみなく明かした。「やっぱり(プロで)8年間やってきて、今の自分が他球団の方からどういう風に思ってもらえているのか、評価されているのかを1度聞いてみたいとずっと思っていた。それを聞ける1つのタイミングでもある。他球団からの評価を聞きたいのが一番の決断理由かなと思います」 FA権を行使するか、否か。申請期間最終日の前日12日まで熟考を続けた。「毎日毎日、どうしたらいいのか、いろいろなことを考えながら過ごしていました。本当にすごく悩みました」何度となく愛妻とも話し合い、最後は一野球人としての欲求に従った。前日のうちに藤川監督にも電話で報告。新指揮官からも意思を尊重され、堂々とFA市場に打って出る。すでに阪神とは複数回に渡って残留交渉を行い、5年前後の大型契約で強く慰留されている。「残ってほしいという言葉をいただけましたし、いろいろ話をさせていただいた中で思い、気持ちも伝わってきました。本当に感謝しています」一方、他球団では巨人が獲得調査を続けており、交渉解禁日の15日を待って獲得交渉に乗り出すとみられる。 前代未聞のTG争奪戦へ注目度は高まるばかりだが、本人は至って冷静だ。「野球人生において、すごく大きな決断のタイミングだと思うので、慎重に時間をかけて考えさせていただきたいと思います」当然、宣言残留も選択肢の1つとなる。移籍ありきではなく、あくまでフラットな状態で新たな熟考に入る。決断に向けて重視するポイントについては「それは自分の中でたくさんあるので」と話すにとどめた。「しっかり納得して決断したいので、時間というところに決まりはないかなと思います。(決断が)どのタイミングになるかはまだ分からない。いろいろ考えて悩んで決めたいと思います」期限は設けない。悔いのない結論へ、丁寧に歩みを進めていく。【佐井陽介】森下君に続き前川君や井上君も成長してきてはいるんだけど皆若いのよね 大山さんのような選手が背中で引っ張ってくれてるのが今のタイガースまだテル君がそういうリーダーシップを感じさせないだけに大山さんの存在はチームにとって大切なものなのよでも8年間苦労してリーグ優勝や日本一も経験出来て一つの区切りがついたというのも事実 30歳になった大山さんの野球人生でも大きな節目だとおもう悔いのないようにじっくり考えて選択してほしい 監督さんは「選手ファースト」と言ってくれてるし 一野球人として権利は有効に使うべきね
2024年11月14日
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坂本さんも行使せず残留2代目タイガース非公式サイトです坂本誠志郎捕手(31)が今季取得した国内FA権を行使せず残留すると球団から正式発表されたね2024/11/13 10:38坂本にとって来季は節目のプロ10年目。もし権利を行使すれば複数球団による争奪戦となる可能性もあったが、坂本はタテジマのユニホームを着ることを選んだ。昨季は扇の要として18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一に貢献。今季も梅野と併用される形で、投手陣を引っ張った。明大から15年ドラフト2位で入団し、名実ともに人気選手。アマチュア時代から主将を務めるリーダーシップも健在で、阪神でも人望を集める。藤川球児監督(44)が率いる新体制で、王座奪還を目指す来季。指揮官も現役時代ともにプレーした坂本の残留は、球団にとっても朗報となった。 坂本さんのインスタグラム「毎回思い浮かんだのは昨シーズンの18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一でした。(中略)タイガースに関わる全てのみなさんと一丸となって掴むことができた栄冠は何事にも代え難く、どうしても忘れることができませんでした」「もう一度2025シーズンは藤川新監督をはじめ、皆さんとともにリーグ優勝し日本一を奪還するために自分が持っている全てを捧げて、少しでもチームに貢献できるよう全力で取り組んで参ります」 坂本さんと梅野さんのあとを引き継げる捕手が育っていない今のタイガースにとって絶対に出せない存在よ 捕手はケガも多いポジションだし大事な2枚看板がいて投手陣も成り立ってるからね とにかく中川君など次代を担う選手を一軍で育ててほしいわよ かつて野村監督も捕手は実戦でしか育たたないというようなことを言ってたような・・・
2024年11月14日
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原口文仁選手も国内FA権行使2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは こちらも寂しいニュースね2024/11/12(火) 11:36阪神の原口文仁内野手(32)が12日、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権の行使を表明した。原口は「もっとゲームに出たい、スタメンから勝負したいという気持ちが強かった」と決断の理由を説明。「まだ感情として、はっきりとしたものはないので、自分でも表現するのが難しい心境」と複雑な胸中も明かした。球団から残留要請があったことを明かした上で「球団関係者の皆さま、携わっていただいた監督、コーチ、スタッフの皆さまに感謝の気持ちでいっぱい。皆さんへの気持ちは言い表せないくらいたくさんある」と15年間在籍したチームへの愛着を語った。今後は14日にFA宣言選手として公示され、15日から他球団の交渉が解禁となる。今季は年俸3100万円(金額は推定)で金銭と人的補償が発生しないCランクとみられる。近年は代打の切り札として活躍し、今季は52試合に出場して打率・241、2本塁打、9打点だった。 新人の時は背番号「52」だったのね! 原口さんは苦労人よね 本来ならレギュラー捕手になれる力もあったとおもうし 掛布さんや金本さんはバッティングのセンスに注目してたよね 肩が強いからファーストやサード 外野へのコンバートにも取り組んでいたしところがチーム事情や原口さん自身の怪我や病気など不運も重なって 残念ながらレギュラーとして活躍できるチャンスが無いまま代打の切り札っていうポジションに落ち着いてしまったのよ このままでは代打で終わっちゃう可能性が高いから レギュラー目指して宣言したいという気持ちはよくわかるわ原口さんには残ってほしいけど レギュラーとして考えてくれる球団があるなら行くべきかな 最後のチャンスだとおもうからファーストで考えてくれそうなのは西武ライオンズ パリーグだからDHと併用ならシーズン通じて打席にも立てるかも そういう姿を見て見たいよ
2024年11月13日
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大山悠輔選手FA権行使確実!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは いよいよ現実問題になってきましたね2024/11/13(水)8:32大山悠輔内野手(29)が今季取得した国内フリーエージェント(FA)権を行使することが13日、分かった。FA権の申請期限となる同日に正式発表する。大山はFA権行使を想定し代理人と契約。球団は代理人と複数回にわたって交渉を行い、前日12日には甲子園の球団施設内で、大山本人とも話し合ったもよう。球団は、これまでの実績や野球に取り組む姿勢を評価。4年総額16億円規模の条件を提示して交渉に当たっていた。大山は昨季「不動の4番」として阪神をリーグ優勝、日本一に導いた立役者。昨年の契約更改交渉では複数年を提示されたものの単年で契約していた。今季は130試合に出場し、打率・259、14本塁打、68打点。膝に古傷を抱えていることもあり6月には2軍降格も味わったが、夏場以降は本来の状態を取り戻した。14日にFA宣言者が公示される。15日からは他球団との交渉が解禁となるが、球団首脳は前日12日に「大山君には残ってほしい」と改めて〝宣言残留〟を認めたうえで、今後も残留交渉をしていくことを明かしていた。 というわけで宣言は確実 しかも一番興味を示しているのがジャイアンツということで 引き留めるにしても金銭闘争ということになりそうなのね大山さんはおもうように試合に出してもらえないって選手じゃないし起用面での大きな不満があったとはおもえない 強いて言えば 2代目はタイガースを取り巻く環境(球団の体質・マスコミの取り扱い方・熱狂過ぎるタイガースファンなど)が関東出身の大山さんにはきついのかなとは感じるなあ過去を振り返ると 田淵さん 掛布さん 鳥谷さんなど関東出身者はどうしても溶け込めないものがあったというニュアンスのことを言ってるしね そんな意味ではジャイアンツは東京 大山さんは金銭や待遇のような条件とか以前に関東へ戻るという選択肢を考えてみたいんだとおもうこれはもう大山さん次第ね
2024年11月13日
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青柳晃洋のメジャー挑戦に球界OBが期待感2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 青柳晃洋投手がが今オフにポスティングシステムを利用してメジャー移籍を目指すみたいね 球団も容認する方針を明かしてます2021~22には連続最多勝のタイトルを取っていたのに 岡田監督になってからの2年間は完全に期待を裏切ったよね 特に今年は12試合2勝3敗でほとんど一軍戦力と呼べなかったわその青柳さんがメジャー挑戦を目指すってことだけど 2代目は好いんじゃないかなと感じるのよ メジャーにはこういう腕の振りの投手がいないからね以下は「COCOKARA」さんの記事から抜粋「目先を変える意味では面白い」高木豊氏は11月6日に自身のYouTubeチャンネルで「【電撃表明】阪神青柳晃洋投手がポスティングで今オフの大リメジャーグ挑戦を表明!!『日本にいるより面白い投手になれる!』青柳投手の可能性を語る!!」と題した動画を更新。高木氏は青柳のメジャー挑戦について問われると、開口一番「面白い」とコメント。日本球界でも珍しい下手投げと横手投げの中間のような変則投法について触れ、「先発というのは考えづらいが、中継ぎなら(打者の)目先を変えるという意味では非常に面白い」と評価した。「働き場所はいっぱい出てくる」青柳はプロ9年間で154試合に登板し、そのうち中継ぎ登板は1試合のみだが「働き場所はいっぱい出てくるような感じがする」と予想し、メジャーでは中継ぎとして重宝されるとの見方を示した。また、青柳の持ち味である変則投法からボールを動かす投球スタイルについて「外国人(打者)は慣れていない」と主張。加えて「バットの軌道が変則(投手)に合わなくなってきている」とし、「(青柳の)価値が高くなると思う」とした。青柳はここ2年思うような成績が残せていないものの、東京五輪メンバーに選出されるなど実力は折り紙付き。虎の変則右腕は来季、どこの球団のユニフォームに袖を通しているのか注目が集まる。〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 以上なんですが 一方で日刊ゲンダイさんの記事では厳しい意見も紹介されているのでこちらも抜粋しますねメジャースカウトがシビアに評価「球威、制球ともメジャーレベルにないように思う」「昨季と今季の防御率(4.57、3.69)がそれを裏付けている。特にストライクゾーンの四隅に投げ分ける制球力がないので、メジャー契約を提示する球団はあるかどうか。メジャー公認球がフィットして変化球のキレが増すケースがあるだけに、スプリングトレーニングやマイナーの実戦で結果を出した場合にメジャー昇格するスプリット契約になる可能性が高いと思う。フォームが変則? メジャーに変則投手はいくらでもいます」「23年のWBC日本代表メンバーには選ばれなかったのは、青柳が低めの制球で勝負するタイプのため 高めを使えないと、米国やドミニカ共和国のメジャーリーガーには低めの球を拾われてしまうという理由で選考から漏れたと聞きました」(マスコミ関係者)メジャーの打者はアッパースイングが主流。今季2年連続本塁打王を獲得した大谷翔平(30=ドジャース)も含めて高め速球が弱点のひとつとされる。それだけに高めに150キロ超の剛速球を投げられない青柳は、出場各国を代表する一線級のメジャーリーガーに通用しないと判断されたのだろう。〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 なかなか厳しい意見もあるようね 青柳さんは今30歳 メジャー目指すには微妙な年齢でもあるし・・・でもね やらずに悔いを残すくらいなら 当たって砕けるつもりでやってみたほうが好いとおもうよ 菅野投手だってもっと歳は上だけどやる気だし 雨男の青柳さんでも西海岸なら雨も少ないよ!とにかく今年の成績ではメジャー契約は無いだろうとは予想できるのでマイナーから這い上がるしかないわ そういう覚悟があるなら挑戦よ!
2024年11月11日
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井坪陽生くん来季飛躍か!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 藤川監督が井坪選手を大絶賛してる2代目は井坪君については入団以来とても期待してるから ウェスタンの試合を見に行くたびにフォームの変化など観察してるんだけど 藤川監督も能力の高さに大きな期待感を持っているようね安芸秋季キャンプ第2クール3日目の11月9日 2度目の紅白戦に紅組の「3番・中堅」で先発し初回1死二塁の先制機に打席に入ると 白組先発・津田の148キロ直球を鮮やかに振り抜いてレフト翼線へ先制タイムリー2塁打を放ってキャンプ初得点を挙げました井坪君のコメント「真っすぐに振り遅れないように、しっかり打ち返すことを意識してやっています。守備、走塁、打撃、全部で勝負しないといけない選手だと思っているので、全部一流のレベルまで持っていけるようにやりたい」プロ入り3年目のシーズンになる来季は まず第一歩として初の一軍昇格を目指さないといけないわ外野は競争が激しくなっているけどノイジー選手が抜けたし 井上君がファーストの練習をしてるのを見ると おぼろげながら監督の描く構想がみえるような・・・これって大山さんがFAで移籍した場合に備えてる感じよねその監督さんは井坪選手についてどんな思いで見てるのかな?藤川監督のコメント「もの凄く能力が高いことを重々分かっているし、チームとしても非常に今後大事な存在になる。この前は1番で、きょう3番に入っているのは、彼を引き上げたいというか。能力を非常に高く考えているとは思います。全てのポジションのコーチもそう思っているんじゃないですかね」「監督も打撃コーチも新しく交代したタイミング。そういう部分では彼自身が次のステージに上がるチャンスはあると思います」 オリックスから加入した小谷野打撃チーフコーチも「もともと対戦相手としてウエスタンで見ていても良かった」と外から見ても高い評価だったんだね大山さんについては監督さんは「本人の人生だから見守る」というようなコメントをしてたと思うんだけど 流出も視野に入れながら来季戦力を考えるなかで井坪君を重要視してるのよ2代目も一軍公式戦で井坪選手が観れる日を楽しみにしてるよ!
2024年11月10日
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高めのストレートで勝負だ!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 藤川さんが監督になって2代目が何を期待しているかと言うと「高めのストレート」でバンバン三振を取れるピッチャーの育成なのよね剛腕というよりもキレのある速い球でバットに当てさせないって感じかな?過去の動画を見てるとオールスターの時にカブレラさんに全球ストレートを予告して三振に取った藤川さんは圧巻なのよ 投手の理想だわ そして藤川監督もそういう思いはあるようで 高めで勝負できるピッチャーに出てきてほしいという思いで秋季練習に臨んでいるみたい藤川球児監督が秘密兵器導入「僕は高めの投手でしたけど、そういう投手って、今いなくて…」 2024年11発1日配信阪神・藤川球児新監督(44)が初日から火の玉投手の育成に乗り出した。ブルペンで捕手前にテープを張らせ、高めへの意識を徹底するように要望。自身も得意としたコースへの投球術を磨かせ、V奪回への戦力に育て上げる。浮き上がるような球筋で胸元を突き、強打者たちを次々と料理してきた。火の玉直球に近づくためのヒントが秋季キャンプ初日から導入された。藤川新監督の要望でブルペンの捕手前に2本のテープが張られる。ストライクゾーンの高低部分のみ。これで威力抜群の球を手にしてもらう。「投げ込むときにどういうことを意識して投げるか、高めなのか低めなのかはすごく大事。特に、僕は高めの投手でしたけど、そういう投手って、今いなくて…。(一般的には)低いところに集められる投手が優れていて。コーチと相談した上で、僕からお願いしたんですけど」藤川監督は現役時代、2006年の球宴でカブレラ(西武)に直球を宣言。空振り三振に斬ったように分かっていても打てない球で勝負してきた。投手は低めに投げることが基本と昔から言われ、変化球も全盛の時代に突入しているが、米大リーグでは今永(カブス)のライジング・ファストボールが高評価されるように時代とともに変わってきた。置きに行っては意味がない。火の玉に達するのは容易ではないが、腕を振ることこそ若手に求められている。まず門別啓人らが体験さっそく火の玉講座を受講したのが来季高卒3年目の門別だった。今季はブレークを期待されながらも5試合の登板で0勝2敗、防御率4・50にとどまった。 「高さとかは分かりやすい。意識しても高く浮いちゃうときはありましたけど、しっかり間に抑えられた」。打者からすればベルトよりもやや高めで、思わずバットが出てしまうゾーン。そのウイニングショットをマスターすることで変化球も生きてくる。目指すは火の玉!そもそも150キロを超えるような速球が投げられること自体 特殊な能力なわけよ そういうスピードボールが投げられないピッチャーが大半な中で並ではない素質を持っているということその中でもさらに回転数の多い浮き上がるようなストレートは一握りの選手しか投げられないわだからこそ打者から見た「火の玉ストレート」は下手な変化球より恐ろしいボールなのよ 藤川監督は現役時代の自分のような投手に出現してほしいんだとおもう 選手たちは「自分には無理」とか簡単にあきらめないでほしいな先代が言うには 藤川さんは新人から数年間は140キロ前後の平凡な投手に過ぎなかったんだって 山口高志投手コーチのアドバイスや指導によって4年目くらいから急に150キロを超えたんだよタイガースの若き速球派投手の皆さん 経験してきた監督さんの実体験からたくさんの極意を授かって「火の玉」を継承していってね!
2024年11月10日
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背番号26(その7)背番号26の最終回です残すところ4名となりました 今回で一気に紹介しますねこのところ「26」は目立たない番号になってしまってるよね 活躍する選手が出てないのよ 今年から背負ってる椎葉投手には頑張ってほしいんだけどね・・・歳内宏明 投手地元兵庫県尼崎市出身で宝塚ボーイズ時代に才能が認められ、高校は福島県の聖光学院へ野球留学する。(同校では後輩に湯浅京己がいる)高校では1年生からベンチ入りしており、2年の夏にはエースとして甲子園に出場し、2回戦で有原航平(広陵)に1-0で投げ勝つなどチームをベスト8へ導いた。3年になる直前の2011(平成23)年3月11日に起きた東日本大震災では学校が大被害を受け、練習グランドもなくなる中、復興のボランティアをしながら練習を続け夏の甲子園に出場を決める。大会では2回戦で敗れたが、2年時に習得したスプリットが冴えわたって、2試合で30奪三振の数字を残すことでドラフト上位が決定的となった。2011年のドラフト会議ではタイガースの2位指名を受けて入団が決まり、背番号「26」を着けることになる。 ルーキーイヤーの2012(平成24)年は8月までファームにいたが、ウェスタンで4勝2敗、防御率2.32を記録し9月に1軍登録される。9月2日の広島戦でプロ初先発を果たしたもののすぐに腰痛により抹消、登板は1試合のみで勝敗も付かなかった。 2年目の2013(平成25)年には4月に1軍に呼ばれリリーフとして5試合に登板したが、ホームラン3本を許すなど結果が残せず、4月末に抹消されてそのままファームでシーズンを終えている。 2014(平成26)年は沖縄の1軍キャンプに抜擢され7月にはプロ初勝利を記録するなど13試合(先発3)に登板して1勝3敗。防御率は6.75だったが、24回を投げて25奪三振が示すように150キロのストレートを見せ球にしてスプリットで勝負する投球が確立されてきて、翌年への期待が高まった。 2015(平成27)年、飛躍の年にしたかったが春季キャンプで肩を痛め、その回復に時間がかかり、1軍に登録されたのは6月14日。そこからすべてリリーフで29試合に登板している。防御率は2.62と好かったが、実際は肩を痛めたことでストレートの伸びがなくなり、34回1/3で23奪三振と数字は物足りない。逆に制球は悪くなってフォアボールが増えている。右肩故障の影響は「違和感」としてその後も消えることがなく 2016年(平成28)年の9試合を最後に、タイガースでは2017(平成29)年、2018(平成30)年と1軍の登板機会は失われ、2019(令和元)年のオフに戦力外となる。 退団後、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズへの入団が決まったが2020(令和2)年はコロナ感染拡大によりほとんど登板機会がなかった。 そこへヤクルト・スワローズが声をかけ9月6日に入団が決まり、ペナントレース終盤の7試合に登板して5年ぶりに1勝を挙げる。しかし、2021(令和2)年は一度も1軍登録は無く、同年10月に戦力外となって現役を退いた。 2022(令和4)年からタイガースの球団職員としてタイガースアカデミーで少年たちを指導している。 通算成績は64試合3勝6敗4ホールド、114回を投げて59四球76奪三振で防御率4.18である。呂彦青(ルー・イェンチン) 投手 中華民国(台湾)高雄市出身。2015(平成27)年のWBCプレミア12、2016(平成28)年のU―23ワールドカップ、2017(平成29)年のアジア選手権など台湾代表チームで活躍し注目が高まる。 2018(平成30)年、タイガースへ入団し、退団した歳内のつけていた「26」を継承する。 150キロのストレートを持つ左投手ということで期待されたが、公式発表では175センチ65キロ。体格的にプロの投手としてどうなのかという声もあり、1年目はウェスタンで12試合に登板し2勝3敗1セーブ、防御率4.31という数字だった。 2年目3年目も1軍に上がる気配すらなく、2020(令和2)年12月に自由契約となり退団した。台湾に戻り、2024年現在は中信兄弟でプレーしている。北條史也 内野手 背番号2で紹介済みだが先代の記述は入団4年目だったため その後の内容を加えて全面的に改めて掲載する 大阪府堺市出身。高校は青森県の光星学院へ野球留学している。2年夏に甲子園に出ると4番・遊撃手として準優勝。続く3年の春・夏とも甲子園に進んでいるが、いずれも決勝でエース藤浪晋太郎のいた大阪桐蔭と当たって敗れ3季連続の準優勝だった。北條は3年の夏の大会で4本塁打を記録するなど高校通算25本のスラッガーとしてドラフト注目の一人になっている。2012(平成24)年のドラフト会議では1位藤浪に続き2位でタイガースから指名されて入団、引退した城島健司が着けていた背番号「2」を継承した。 当時の1軍では鳥谷敬がショートのポジションを堅持しており、北條はルーキーから2年間は1軍出場は無くファームで育てられている。 3年目の2015(平成27)年5月28日に初めて1軍登録され、同日の東北楽天戦に代打でファウルフライに倒れると、翌日抹消されて結局この1打席のみでシーズンを終えている。 4年目の2016(平成28)年になると1軍キャンプを経て開幕から1軍登録される。当初は代打から始まり、徐々にセカンドやサードを守ってスタメン起用が増えていく。7月に入ると開幕から不振が続く鳥谷がスタメンを外れるようになり、ショートのポジションに抜擢されると8月には月間打率.311を記録して定着していく。鳥谷がスタメンに復帰しても、北條がショートで鳥谷がサードという状況になり、実力でショートスタメンをつかみ取った。結局1年間1軍登録を抹消されることなく122試合に出場、惜しくも規定打席には到達できなかったが385打数105安打33打点5本塁打、打率.275という数字を残し、レギュラーへ上り詰めていくだろうとファンは次のシーズンに大きな期待を抱いた。ところが2017(平成29)年はオープン戦から打撃不振が続き、シーズンに入っても遊撃への復帰を目指す鳥谷や大和との激しいポジション争いの中で打率.210に終わっている。83試合出場で71試合にショートを守っているがレギュラーからは大きく退いてしまった。2018(平成30)年から2022(令和4)年までの5年間は、62試合→82試合→40試合→33試合→32試合というように、徐々にファームにいる期間のほうが長くなっていく。この間の2021(令和3)年には背番号「2」を梅野隆太郎に譲って「26」に変更したが効果は無かった。2023(令和5)年、岡田監督が就任すると全く1軍に呼ばれず、オフに戦力外を通告されてしまう。他球団からのオファーを待ったが声がかからず、社会人の三菱重工WESTへ入団することになった。2024(令和6)年は都市対抗本戦に駒を進めベスト8になっている。 プロ通算成績は455試合1210打数308安打113打点18本塁打、118四球245三振、打率.255だった。椎葉 剛 投手 大坂府堺市出身で高校は長崎県の島原中央。3年春までは主に捕手としての出場が多く、その後本格的に投手となる。 高校卒業後ミキハウスに入社し、投手としてプレーするも在籍3年間で公式戦には1試合しか登板していない。ミキハウスを退社し2023(令和5)年に四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団し、本格的にウェートトレに励んだところストレートの球速が150キロを超えるようになる。同年9月には159キロを計測して一躍ドラフト上位候補となり、10月のドラフト会議でタイガースから2位で指名されて入団が決まる。背番号「26」。2024(令和6)年、プロ入りすると壁に当たり、球速も出なくなって「プロでは多少甘く入ったときは全部打たれる。去年まではファウルを取れていたのに、それが取れない。ストレートの速さも強さも求められる」と出直しとなった。7月にはフレッシュオールスターに選ばれるなど、少しずつプロの調整方法なども身について成長の兆しはある。 2024年のウェスタン・リーグ成績は23試合0勝0敗、30回1/3を投げ13四球18奪三振、自責点15で防御率は4.45だった。来季(2025年)は真価が問われる。まとめ歳内さんは先代のお気に入りの投手だったようだけど肩の具合が治らず惜しいところで終わっちゃいました スプリットは一級品だったらしいね でも故障というのは恐ろしいわ 人生が変わっちゃうからね北條さんは藤浪さんと同期でレギュラーを期待されていたんだよね 実際に衰え始めた鳥谷さんと入れ替わりでショートのポジションを取りそうなときもあったんだよ でもその後少し干された感じになって 岡田監督が就任したころから戦力とみなされてなかった感じ 残念ね ルー・イェンチン投手は見たこともないよ ちょうどコロナが猛威を振るってたころで 2代目もファームの試合すら観に行ってなかったのよ なので評価のし様がありません椎葉投手は剛腕タイプの触れ込みだったけど ルーキーの1年間は好いとこを見せられなかった これからよね ということで背番号「26」はこれで終わりです 最後までお付き合いいただいた皆さん ありがとう結局この番号で「大物」とまで呼べそうな選手は出ていないよね 椎葉さんへ期待しましょう!背番号27につづく
2024年11月09日
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戦力外選手に光明射すか!2代目タイガース非公式サイトです9月30日に戦力外通告があってもう1ヶ月以上が経ったのねえみんなどうしてるんだろう 昨年は山本さんと板山さんが中日ドラゴンズと契約で来たけど今年の5名は何か決まったのかな? 遠藤 成(じょう) 内野手2024年11月3日 デイリースポーツオリックスが阪神から戦力外通告を受けた遠藤成内野手(23)の獲得を検討していることが2日、明らかになった。育成選手での契約を視野に入れている。若くて走れる内野手は、今のオリックスに貴重な戦力だ。チームは今季、盗塁数がリーグワーストの61盗塁。遠藤が持ち味を生かしてチャンスをつかむことができれば、念願の1軍初出場も見えてくる。 オリックスとの縁も深い。元オリックスで現在はレッドソックスでプレーする吉田正尚と22年から自主トレを行い、打撃技術などを学んできた。また、宮城は19年のU-18W杯でともに日の丸のユニホームに袖を通した間柄だ。阪神退団が決まった際に遠藤は「正直びっくり。それを受け止めて、次につながるように阪神でやって来たことを生かして頑張っていきたい」と現役続行に意欲を示していた。虎で思い描いた活躍ができなかった悔しさを胸に、オリックスで才能を開花させる。 高濱 祐仁(ゆうと) 外野手 11月7日現在 具体的な情報なし岩田 将貴(まさき) 投手2024年11月3日 デイリースポーツDeNAがストーブリーグの〝台風の目〟となりそうな気配だ。下克上を成し遂げ、26年ぶりの日本一にまで上り詰めた。その余勢を持続させるかのように、シーズンオフも手綱を緩めず〝超巨大補強〟で攻めの姿勢を貫くつもりのようだ。その背景には、記録的な本拠地来場者数に伴う球団の「ハイパー黒字化経営」と「今永資金」が大きな武器として混在している。フロント側は、DeNAで昨季プレーしていたトレバー・バウアー投手(33=メキシコシティ・レッドデビルズ)、中日のライデル・マルティネス投手(28)、海外FA権を取得している九里亜蓮投手(33=広島)、国内FA権を取得済みの高橋周平内野手(30=中日)と酒居知史投手(31=楽天)、阪神を戦力外となった岩田将貴投手(26)の動向を水面下で注視。いずれも契約が可能となり、オープンな状況となれば本格的な獲得調査に乗り出すとみられている。 加治屋 蓮 投手2024年11月7日 サンケイスポーツ楽天が、阪神から戦力外となった加治屋蓮投手(32)の獲得に向けて調査を行うことが6日、分かった。加治屋は中継ぎとして今季13試合に登板し、2勝0敗1ホールド、防御率4・50。昨季は51試合登板で防御率2・56の成績を残し、セ・リーグ制覇と日本一に貢献した。宮崎・福島高からJR九州を経て2014年ドラフト1位でソフトバンクに入団。20年12月に自由契約となり阪神に移籍した。11年目を終えた右腕は現役続行を希望している。 片山 雄哉 捕手 11月7日現在 具体的な情報なしプロ野球は厳しい世界5名の戦力外選手に対して声がかかりそうなのは今のところ3名 高濱さんと片山さんは厳しい状況のようね遠藤選手はいつもファームの試合に出てたからよく見させてもらったけどいい選手なのよ 足も速いし打撃にも確実性が出てきたなって思ってたところへ戦力外はちょっと信じられなかった ぜひ他のチームで活躍してほしいよ岩田投手に至っては「なぜ1軍で試そうとしないの?」と2代目は疑問だったのよ そしたら戦力外だから言葉もなし もしベイスターズに入ったら絶対1軍の試合で当たるよ 左バッターは苦労するとおもう加治屋さんの実力はみんな知ってるよね 戦力外については選手の頭数の問題なのかちょっと理由が分かんなかった ソフトバンクから移籍してきた選手という外様感が影響したのかな??? 楽天の話は確実性高いみたいなのでぜひとも来季も現役でいてほしいな
2024年11月08日
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ジーン・アルナエス選手入団2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちはいやはやニュースが遅くなっちゃったけど 2024年10月29日にジーン・アルナエス選手の入団が球団から発表されたよね新外国人選手としては異例となる推定年俸300万円の育成選手として契約したんだけど 新戦力とか即戦力とかではなく将来性を買ってのことかな これからキャンプやオープン戦などを見て見ないとわかんない未知数ね・・・でもせっかく縁あってタイガースに入団したんだから どんな選手なのか経歴や特徴を見ておこうねまだ若い! 球団がHPで発表したプロフィールを載せるよパナマ出身で今年22歳と若い選手なんだね 身長を見るともし日本人選手だったとしても今では小柄って言われるくらいだと思う ただし体重はそこそこあるのでガッシリ型なのかな?右投げ右打ちの内野手・・・というか捕手・一塁・二塁・三塁を守ったことがあるユーティリティプレイヤー でも実際にはポジションが固まっていないんだろね実績はあるの?2021年にトロント・ブルージェイズと契約 2024年の成績を見ると同球団傘下の1Å級で51試合に出場 打率・233 2本塁打 12打点マイナー通算でも4年間で124試合しかでてないんだよね 打率が.241 2本塁打 35打点 この実績だけでは育成枠でってことも仕方ないかな やる気満々?入団発表の当日に秋季練習に合流して打撃練習をこなすなんてやる気はすごいよ アメリカで芽が出なかっただけに「日本で成功したい」という思いは強いんだろうね練習着姿で登場すると藤川新監督や佐藤輝らと笑顔であいさつを交わし キャッチボールで肩を温めた後は約40分間トス打撃などを行って体をほぐすと 初練習を終え「体の状態はすごく良い。温かく迎えてもらって、本当にいい人たちばかり」と充実した様子で汗をぬぐっていたそうです チーム側の感触は?嶌村球団本部長「小力というかパワーもある。まだ22歳で、鍛えがいがある」藤川球児新監督「(育成枠という)入り口は関係ないと思う。すごく楽しみ。スローイングは強いし、ほかの選手の刺激になる」アルナエス選手の談話阪神タイガースと契約をすることができて、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。新しい環境でプレーできることに感謝して、精一杯頑張ります。 「(米国で)最後の方は内野手でやっていたけど、チャンスがあったらキャッチャーもできるというところを見せたい」「(藤川監督が)冗談を言ってくれた。自分の名前を面白く言っていただいたりとか、自分の国のことを言ってくださった。いい迎え方をしていただいた。彼のためにも頑張りたい」育成外国人選手頑張って!2代目は育成の外国人選手たちを応援しています昨年入団したホセ・ベタンセス投手(25)とアンソニー・マルティネス投手(24)と来季の育成選手契約を締結したと11月5日に球団から発表があったよね 2人ともファームの試合で何度か見たけどスピードはファームでも抜けてる 制球力や球種のバラエティ それとクイックやバント処理などまだ学んでいるところだけど残留は当然だとおもう そう感じさせるポテンシャルは持ってるアルナエス選手の入団によって育成枠の外国人選手は3名になります 彼らがどう成長していくか楽しみに見ていきたいなぬくぬくした国産選手なんか追い越していく そういう姿を期待してるよ!
2024年11月07日
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背番号26(その6)お久しぶりって感じかな?いろいろ忙しさに追われてましてブランクができてるのでお詫びです 合間に少しでもと思い今日久々のアップです なんかバタバタやってるうちに あっという間にワールドシリーズ終わっちゃってショック 一文字も書けなかったよ 大谷選手は不完全燃焼だったけどとにかくおめでとう 来季はまた二刀流てことかな? まずはケガした左肩を大事にすることね では背番号26の第6回目です第5回で紹介した根本隆輝さんは半年ほどしか「26」を着けてなくて すぐ「37」に変えちゃったんだけど それは新外国人投手に譲ったからなのよね それが今回一人目に紹介するカーライル投手 実はこの選手も2年しか着けてないよそのあとの江草さんが比較的長くて9年着けてるわね 今回はこの2名の選手を紹介しますバディ・カーライル 投手アメリカ合衆国ネブラスカ州の出身。高卒ながら1996(平成8)年のドラフト2巡目でシンシナティ・レッズから指名された右投げ左打ちの投手で、将来が期待されていたようだ。レッズ傘下には2年在籍したが、1998(平成10)年4月にサンディエゴ・パドレスにトレードされる。パドレスには2000(平成12)年まで在籍しており、1999(平成11)年にメジャーに昇格し7試合に先発、1勝3敗の数字が残る。野村監督の3年目に当たる2001(平成13)年にタイガースへ入団、190センチの長身から投げ下ろすストレートは威力があり、まだ24歳という若さも魅力で、先発ローテーションの一角を任される。登板した28試合のうち26試合に先発しており、7勝10敗と負け越したが防御率は3.87なので打ち込まれたという感じではなかった。2002(平成14)年に星野監督が就任しても残留している。しかし、この年にはマーク・バルデスとトレイ・ムーアが新たに加入して好く働いた上に、カーライルは完全に調子を落としてファーム暮らしとなってしまい、ウェスタンでは9勝5敗で防御率2.22と活躍したが、一軍ではわずか3試合しか登板がなく0勝2敗で防御率7.53の成績に終わって解雇された。タイガースでの成績は31試合7勝12敗、167回2/3を投げて69四球124奪三振、自責点78で防御率は4.19だった。この後は短い期間で多くの球団を渡り歩いている。2003(平成15)年にはアメリカに戻ってカンザスシティ・ロイヤルズ、2004(平成16)~2005(平成17)年はロサンゼルス・ドジャース、2006(平成18)年には韓国のLGツインズ、2007(平成19)年~2009(平成21)年はアトランタ・ブレーブスと忙しい。2010(平成22)年には日本ハム・ファイターズに入団してNPBに復帰してみたが7試合0勝3敗に終わって1年で解雇されてまたアメリカに戻る。2011(平成23)年はニューヨーク・ヤンキース、2012(平成24)年はブレーブスに復帰、2013(平成25)年はトロント・ブルージェイズ、2014(平成26)年から3年間はニューヨーク・メッツで過ごし2015(平成27)年に引退した。メジャー通算では実働9年で13勝13敗8ホールド、防御率5.14の記録を残している。江草 仁貴(ひろたか) 投手広島県福山市出身で高校は地元の盈進高校。高校時代からバランスのいい綺麗なフォームでキレのあるストレートを投げ込み安定感のある投手だった。三振が取れるのも特徴で、3年時の夏の地区予選では31回を投げて42三振を奪っている。甲子園とは縁がなく専修大学へ進学したものの当時は2部リーグ。4年生の春に5勝0敗の好成績で2部リーグMVPとなり、1部リーグ昇格の原動力になって注目された。2002(平成14)年のドラフト会議では自由獲得枠でタイガースへ入団し、前年までカーライルが着けていた背番号「26」を引き継いだ。1年目の2003(平成15)年は、大学時代の試合で打球を受けた腕の怪我の回復に時間がかかり、1軍では1試合しか登板がない。ファームでは後半戦でようやく投げることができ、11試合で5勝1敗、防御率3.07と内容もよかった。 2年目の2004(平成16)年から岡田監督が就任し、9試合で先発も1試合経験する。勝ち負けは無かったが防御率は2.76と感触をつかんだ。 続く2005(平成17)年はリーグ優勝の年だったが、江草は51試合すべてリリーフ登板でシーズンを通して安定した投球を見せ、優勝への貢献度は高い。70回2/3を投げて4勝3敗6ホールド、28四球74奪三振、防御率は2.67という素晴らしい内容だった。 ただし日本シリーズでは第2戦でベニーの打席で3つのワイルドピッチという不名誉な新記録を打ち立てるなど活躍できずに終わっている。 2006(平成18)年は台所事情から先発への転向も経験した。36試合の登板で12試合に先発しており、5勝6敗5ホールド。 2007(平成19)年は再び中継ぎ専門に戻り50試合にすべてリリーフで登板している。この年が江草のキャリア中最高の成績で、5勝0敗5ホールド、60回で82個の三振を奪うなど切れ味抜群で、防御率は1.95と冴えわたっている。 その後もすべてリリーフで過ごしているが、2008(平成20)年が55試合3勝1敗9ホールド防御率2.78、2009(平成21)年は62試合4勝5敗11ホールドで防御率2.71と非常に安定しており、JFKに注目が集まる中で江草の貢献度も高かった。 5年にわたる酷使が影響したのか、2010(平成22)年になると突然それまで145キロ前後で安定していたストレートが、130キロ程度しか出なくなって低迷してしまう。21試合1勝0敗2ホールドに終わり、翌2011(平成23)年の5月に黒瀬春樹との交換トレードで西武ライオンズへ法主されてしまう。これにはタイガースファンからも不満の声が多く惜しまれての移籍となった。 一応タイガースでは在籍9年にわたって背番号「26」を着け続けたことになる。 西武では2011年を過ごしただけで、2012(平成24)年から2017(平成28)年までの6年間は生まれ故郷である広島東洋カープに移ってプレーしている。 カープでもすべて中継ぎとして登板しているが、1年目こそ26試合に使われたものの、翌年からの4年は1桁の登板しかない。トミー・ジョン手術も受けたが復活はできず、2017年は1軍登板がないままシーズン終了直前に引退を表明している。 2022(令和4)年からタイガースへ復帰、ファーム投手コーチとして若手投手の指導に当たっている。 プロ通算成績は349試合22勝17敗48ホールド、442回1/3を投げて226四球433奪三振、自責点155防御率3.15である。まとめカーライル投手はかなり有望な感じだったらしいよ 2年目はもっと優秀な助っ人投手が入団してきたのではじき出されてしまったようね それにしてもたくさんの球団を渡り歩いてるなあ 友達出来る間もなく移籍を続けてるって感じよね江草さんはいつもファームの試合を観に行くとお見掛けしますね 若い人と一緒になって汗をかきながら経験を伝授されてます改めて成績を見るとすごいんだよね 活躍のピークは5年間ほどなんだけど ロングリリーフもできるし同点やビハインドの時も行ってくれるから JFKの活躍も陰に江草さんがいてくれてこそだってわかるのよ過去の写真や映像を見てもフォームに無理がなく美しい感じね タイガース時代は投球回数を上回る三振を取ってる先代の評価を聞いてみると 同じ左投手では杉本正投手(西武など)や石川雅則投手(ヤクルト)などに感じが似てるけど 江草さんのほうがもう少し躍動感があったんだって26の7につづく
2024年11月03日
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