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3月16日も練習形式で非公開。マートン1発、ブラ好調など新聞でその一端を垣間見るだけです。今日も練習試合で林、俊介が連発など、チームとしてはいいニュースが伝わっていますが、震災被害は深刻さを増しています。
同じく16日、パリーグは理事会を開き、どうやら当面4月12日まで開幕を延期する方針を固めた模様。セリーグは3月25日開幕を堅持しているようです。そんななか阪神の鳥谷選手会長が南社長に開幕延期を要望したことも伝わっています。まだまだ紆余曲折がありそうです。
現実に疲れてしまいましたので、しばらく昔話を綴ることにします。小林繁さんが亡くなって1年以上がたってしまいました。あっという間でした。ますます風化していく 「あの事件」 について書き留めなければなりません。何回かに分かれますが興味のある方はお付き合いください。
空白の一日(連載第1回)
ドラフト会議を翌日に控えた1978(昭和53)年11月21日午前9時30分、読売の正力亨オーナーは突然記者会見を開き次のように発表した。
「本日午前5時に江川卓君と契約した。彼とは自由に契約できるものと判断する」
会場は東京赤坂の船田中衆院議員の事務所。正力氏、江川氏のほかに後見人として船田氏が同席するという異例の会見だった。
これを聞いた記者団は、「 ドラフト会議を翌日に控えているのに、何を血迷ったか? ? ? 」と首をかしげた。ところが、確かに当時の野球協約第138条には「前年獲得した交渉権はドラフト会議の前々日をもって喪失する」という取り決めがあり、ドラフト会議の前日に「空白の一日」が存在していたのである。
しかし、この「空白の1日」は、事務処理等のためにドラフト会議の準備期間(閉鎖日)として便宜的に設けられた「紳士協定」で、当然ながらこんな形での悪用はしないとの相互信頼に基づいて設けられた条文であることは言うまでもない。
また、この年の7月31日にはドラフトの対象が「日本の中学・高校・大学に 在学している者 」から「 在学した経験のあるもの 」と改定されていたが、発効・適用するのはドラフト会議当日の22日からとなっており、ここにも仕掛けがあった疑いが残っている。
江川は、前年のドラフト会議でクラウンライター・ライオンズに指名され、これを拒否して「浪人生活」をしており、確かに11月20日をもってライオンズの交渉権は消滅している。さらに社会人野球にも属さず「在学している者」でもないことから、ドラフト対象外の選手と解釈でき、11月21日には自由に契約できてしまうことになるわけだ。
この二つの協約上の隙をついて、読売と江川は入団契約を交わし、開き直ってしまったのである。
あすの会議はどうなるのか!
注目のドラフト会議は次回。
左が江川卓(えがわすぐる)氏。中央は作新学院経営者で衆院議員でもあった船田中(ふなだなか)氏。右側は船田氏の秘書である蓮実進(はすみすすむ)氏。
この写真は毎日JP・NewsBox 「1978年11月21日 江川投手、「空白の1日」で巨人へ」から出典しています。
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