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今年も最後の日です。1年間、楽しく日記を書くことができました。お客さんも少しずつ増えて、中には毎日見てるよ!といってくださる人もいます。感謝。今年は自分でもびっくりするくらい、いろんな出来事があって、どれも心に残っています。特に秋から年末にかけて、時間をめいっぱい使ったなあ、と思います。形に残る目に見える作品や、目には見えない人との出会いの思い出や、そのとき考えたこと。いろんなことを全部よかったなあーと思うことができます。大晦日を何回も病院で過ごしたことを思い出して、家族もしみじみしている。年末の大掃除がパスできてよかったと母。病院の付き添いを交代した父に年越しそばを配達したとか、年賀状を病室で書いたとか、そんな話を私も懐かしく思い出す。家でお正月を過ごすことのありがたみは、家族と一緒にいられるうれしさだ。当たり前のようで当たり前ではない。今年は元気な人たちも大変な人がたくさんいるのだから、なおさらありがたいと思う。病院にいる人も大変な人も来年は元気を出してよい年になるように願います。外は雪で、真っ白である。窓がひときわ明るいのでわかる。雪の湿気と丸みにつつまれてとても静かだ。とても静かになっていると、うんと頑張ったなあと思ってくる。よくやったなあ、と思ってくる。もうちょっとできそうかあ、と思ってくる。やってみようかなあ、と思ってくる。そのうちにじわじわっと希望が生まれてくる。2009年もよい1年にしたいと思います。
2008.12.31
冬のおしゃれにはいつも悩む。寝ていることが多い私には、みんなにちょうどよい素材が暑すぎる。さらに、前あきアイテムでちょうどよいのをなかなか見つけられない。先日久しぶりにローラにいった時に、あちこちお店を覗いてみたが、ひとつもめぐり合いがなくてがっくしだった。せっかくかわいい服でも、袖のデザインが「ふつう」だと私は着にくい。前あきでも、フードがついているとパス。衿が開きすぎているとびろん、と広がってしまう。なので、ラグラン袖で、袖の長さは短く。しかも、前のボタンは調節できて、さらにレース、なんていうと、ほとんどない・・・。しょんぼりそこへ、父がおじいちゃんのセーターをたくさん譲られてきた。その中に、サイズが合わなくて着られないのがあった。色は私の好きな青であるならばと、マネージャーがそれをほどいて、私にピッタリなのに編みなおしてくれた。注文の条件が全てそろっているデザインだ。毛糸は暑くて、どうも苦手だったが、少しずつ出来上がっていくのを見たら、超わくわくしてきた。つい、にやにやして「早くね!」とプレッシャーをかけてしまった。(年末なのに)そして、ついにお正月に間に合った。ローラのスモッキングカットソーにピッタリである。どんなコーデにしようかとアクセサリーをひっくり返して考えた。ネックレスはカニューレにひっかかるのでレースに通した。真珠の白がぴったり、だと決めていた。初売りの福袋が人気らしい。好きなお店の好きな服ばっかりだったらそれは並んでも価値があるだろう。私にはローラがあって、専属リフォームもしてもらえるわけで、初売りを前に正月のおしゃれは決まりました。はっぴー
2008.12.29
今年最後のセンター利用日、朝、雪が降っていた。私の住んでいる街は山なので、道は凍るし、雪も積もる。当然、天気予報をチェックする前日夜から闘いが始まった。もちろん行きたい私VS休ませたい運転手である。行くのいかないのでみんなの気持ちが行ったり来たりする。父はすぐ、無理しないで中止。私はみなさん次第なのだけど、今年最後なのにとか、みんなに最後に会いたいとかの気持ちは変わらない。ので、結局最終的には運転手の決断次第になっていく。運転手は、できれば大変な仕事は休みたい気持ちと、仕事なんだからしなくちゃという気持ちで迷いだす。と、怒りっぽくなる。さらに、朝のヘルパーさんのキャンセルをするなら、だんだんタイムリミットが近づく。てなわけで、結局、一度私は時間に負けて、諦める。じゃあ、いいよ。という。すると今度は、運転手は、ちょっとかわいそうだなあ、という気持ちに傾いて、なんとかしてあげたいと考え出す。できそうな方法に歩み寄りだす。弟がいるから手伝ってもらおう、とか、少しゆっくり出かけようとか、考えるのだ。ここらへんになると、私はもうどっちでもよくなっている。超めんどくさい。で、多くの場合、最終的に私の希望のとおりになる。そこまでの間が疲れる。けど、ありがたい。父のようにすっぱり中止、というのも嫌だが、運転手のようになかなか決まらないのもめんどくさい。できればもう少し、ささっと決めていただきたい。というわけで、めでたく、私はセンターに行くことができた。山から下りてセンターについたら、全然雪がなくて、な~んだ、である。活動はしめくくりにふさわしく楽しいプログラムであった。冬休みになった弟は、自分も出かけたくて、一生懸命雪かきをしてくれた。運転手は雪道を緊張しながら運転してくれた。ヘルパーさんは朝早くから山まできてくれた。これまでは天候が悪いとき、外出は中止となった。のは、私の健康優先ならではのこと。雪でも雨でもへっちゃらになってきたら、支援の人の大変度も多くなってきた。苦労をかけるのは悪いなあーと思うけど、本当に出かけるのは楽しいのだ。だから、いつも最大級で感謝している。1年間、楽しいセンターの活動でした。ありがとうございました。もちろん、来年もよろしくお願いします。(もう計画はできています。うっしっし)今朝の写真は庭のサンザシ。高等部卒業記念に植えた。すくすくっと伸びている。雪にもへっちゃら。今の私の気持ちそのもの。
2008.12.28
メリークリスマス!みなさん、よい一日をお送りくださいね
2008.12.25
恒例のローラアシュレイの季節です。夏と冬には必ずお店に行くのがお楽しみになってきた。冬はもちろんクリスマス前に。23日はローラの日となった。ローラのyokoさんのオススメ情報により、短時間に効果的なローラタイムを過ごすことができるようになりました。私の行くお店は空港の近くのエアリ店で、何度もおじゃまするうちだんだんなじんできました。しょっちゅうは行けないので、いつもながら、お店に一歩入って感じるローラ空間のオーラはすごいと思う。クリスマスの飾りやそれぞれのコーナーの色やイメージはどれも幸せいっぱいである。私は視野が限られているので、壁の棚いっぱいに飾られているクッションやカーテンのところが大好きである。一つ一つは目の近くに見せてもらって確かめる。やっぱりyokoさんの情報どおりミルナーコーナーに引き寄せられた。今年はパジャマを買いました。パジャマについて、いつも心配なのはデザインだ。私は気管切開をしてるので、衿の形が重要だ。ちょうど衿がVネックになっているうえに、短いフリルがついていた。ピッタリ!うれし~。まるでyokoさんと一緒に品物を選んでいるような気分。友達にクリスマスプレゼントもおそろいで選んだ。 今年もローラに始まり、ローラに終わる一年でした。一年中楽しく過ごすことができました。もちろん、来年もよろしく!
2008.12.24
願いの扉 この願いがささやかでも生まれたことを祝おうたとえ今ただ一人でもいつかあなたと力合わせて新しい扉開こう 今日を生きる命ひとつ小さな時間が流れる大切なもの目に見えないさああなたと力合わせて新しい扉開こう 夢輝き希望に満ち知らない世界が広がるまだ誰も見たことはないさああなたと力合わせて新しい扉開こう クリスマスコンサートにむけて、賛美歌神の御子は今宵も、に作詩をした。クリスマスの意味を考え出したら、わからないことがいろいろ。なんで、みんなパーティーをするのか?とか、バーゲンがさかんになるのか?とか。考えるのは置いておいて、ひっくるめて祝福の感じを思い出してみた。今年新しい出会いがたくさんあった。年の始めにぽっぷ君(本の表紙に描いたひつじくん)が旅に出る準備をして、春に出かけた。旅の出会いや、読んでいただいた感想や、作詩の仕事や、いろんなことがどれもうれしいことであった。第一、今年の私は、女白鵬といわれるくらい丈夫になった。病気の入院もしなかった。そんな全部をうれしいと思って、この詩ができた。コンサートでテノールさんとあるとさんの二重唱で聞いたら、お腹のそこから力がわいた。うちでも、すっかりはやっている。朝からマネージャーは歌っている。皿洗いも洗濯もはかどるそうである。元気になるうたになった。年の終わりにこの歌が生まれたことは、とってもふさわしいと思う。来年にむけて、みんなも、願いの扉を開きましょう
2008.12.22
コンサートに出かける用意をしていた。宅急便でチューリップが届いた。矢本の社会就労センターぎんの星で作られている。たくさんつぼみがついている。急いでマネージャーに花瓶に生けてもらって車に乗った。教会の窓から午後の光がまっすぐに私の顔にあたっていた。いつもならまぶしいのだが、音楽の中では不思議な光になった。光は私の見えない目の中にも届いてきた。視野の限られている私の目の中には、暗いところとぼんやり明るいところがいつもある。それが全体に明るくなっていた。大きなスクリーンになって不思議な風景を見た。そこにいるのは私で、自由な足で走ったり踊ったりしていた。自由な口でいろんな声を出してうたを歌いながら、である。映画の回想シーンのように、背景が白い。その自分を見ている自分はいて、感動して動き出す緊張するからだも案外同じように見ていた。以前初めてホールでアベマリアを聞いたとき、すっかり気持ちがからだから離れてふわふわした。ホールの響きに浮かんだ気持ちになった。そのとき、アベマリアの詩ができた。アベマリアの演奏前にその詩を朗読したいただいた。きっと、お客さんはそれぞれのゆかりの天使を思い出したことだろう。クリスマスの天使にまた会えるかチャンスである。もちろん私が思い出すのは姉の天使だ。光のすべりだいをすべってこつん、とおでこにストップするはず。でも、まあ、お客さんもいっぱいだっただけに、天使の道も混雑したことだろう。大切な人の気配といっしょに聞くアベマリアはほんと、染み入る。太陽が動いて、光が傾いた。私のスクリーンも終わりである。また、いつものぼんやりした視野の世界に戻ってきた。ふと周囲に流れるざわめきの中には、音楽の世界からもらった暖かいほほえみがたくさん感じられた。白いスクリーンの世界の私は幸せそうにみえたけど、見えない目にもどった疲れたからだをもつ現実の私は、ずっとずっと幸せだった。 教会の窓の光に照らされて私ゆかりの天使をさがすふりそそぐ響きの中で天使たちあちらこちらで友達になるひとりずつ頭の上で手をつなぐ天使といっしょにほほえみのうた 今朝の朝日の中でチューリップが昨日より少し開いた。赤が増えた。花の顔はそろって天使の椅子になっているようだ。クリスマスのあいだ、ちょこんと座る指定席にしておこう。
2008.12.21
感動中です。音楽脳にになって頭の中がひらひら中です。言葉のスペースがちょっとまだできません。明日のレポートをお楽しみに。天使が来ましたよ!
2008.12.20
テノールさんのふるさとを歌う会クリスマスコンサートが明日です。チケットがものすんごく売れているそうです。私の車いすで教会に入れるかな?と、思うくらい、みんなが楽しみにしています。今年のあとりえはとても充実していた。その集大成という感じです。哲学さんの新聞取材効果もばっちりのようです。期待にこたえる美しい演奏ですよ。みなさん、明日会場でお会いしましょう!! 12月20日(土)14時開演 入場料1000円仙台北バプテスト教会(泉区長命が丘3-2-7)
2008.12.19
昨日は一日で3つも仕事をした。事務員のうっかりで、お客さんとリハビリがバッティングした。でも、思いがけない顔ぶれで、それはとっても楽しく過ごした。リハビリしながら、面白すぎる話に耳が行ってしまい、ちょっと集中しなくてからだが緊張してしまうので、ぽんたさんにはごめなさい、でした。しかし、ぽんたさんと、なんさん(お客さん)の出会いで、障害のある人の感覚の話がもりあがった。手がかり(アフォーダンス)という初めて聞くことばも知った。気になる。夕方は師匠とセンターの個別面談もして、ほんとのほんとに疲れた。マネージャーに昇格した事務員も疲れたようである。私は疲れて体のコントロールができなくなっってしまった。今朝は返事ができなかった。待ってもらってもできなかった。そしたら、マネージャーは態度が悪い!とむっとした。ガイドまで拒否した。昇格したせいか、なんか強気になっている。それで、私もむっとした(表情)。→しばし冷戦。→コミュニケーションのタイミングをお互いに失う。→しばし頭を冷やす。→観察していると相手も頭痛がしていたり体調悪そうだとわかる。始めは無視したわけではないんだけど、表情は悪かったなあとちょっと思う。→薬を飲んで効いてきたのか、譲歩してきた。それでやっと会話は戻る。(でもまだ仲直りというわけではない)昨日のなんさんの話で、盲ろうの人が奥さんと喧嘩をするとき、通訳をしてもらえなくなってうんと困る、と聞いたのと同じだ。通訳者がいないと話ができないのに、その通訳者と喧嘩するのは、マジ、大変だ。もう一人通訳がいれば助かるのに。その人しかいないのに、遠慮しないで本人と喧嘩できるというのは、ある意味すごいことではある。なので、多少強気でむかつくときもあるマネージャーだが、しょうがない。社長と社員は上下関係で、最後は上の責任者が決定権を持つ。うちのあとりえは零細だが、もうちょっと私が責任をたくさん果たせるようになったら、いつかもっと喧嘩ではない交渉ができるようになるのかもしれない。まだまだだね!とマネージャーに言われた。また、むかついた(笑)。
2008.12.18
今年もあと少しになってきた。道が込んでいたとか、予定がどんどんつまってくるとか、なんだかあわただしくなってきた。ニュースでは、仕事が急になくなって家もないという人がたくさんいるというし、就職が決まった人がとりけしになったりして、とても気の毒だ。 私は暖かい部屋でみんなに世話をしてもらってありがたいことだ。今日、生活していけるというのは当たり前のようで、健康な人にもあたりまえでなくなってきたようだ。いらない人を切る捨てる、というのはひどいことである。障害者もいらない人になりやすい。そもそも、いる人と、いらない人なんているのだろうか。みんな同じで助け合おう、といっても、当事者にならないと気がつかないことも多い。派遣会社をクビになった人が、自分がそうなって初めて、今まで切捨てた人に申し訳なく思っていた。気がつくのが遅いことがたくさんある。当然と思ってはいけないことがあるのだ。はた、と自分のことを考えると、事務員に支えられていることにもちろん感謝しているのだけど、もう少し待遇をよくしてほしい、といつも言われてきた。それを、ちょっと聞き流していたことを反省した。社員を大切に思う社長の気持ちを想像してみる。会社と組合が話し合うのは団体どうしでも、個人経営でも同じことだな。そこで、給料をあげてないので給料アップもないんだけど、せめて、事務員をマネージャーに昇格しようと思う。名前を変えただけであるでも、少しだけいたわる気持ちを込めたつもり。というわけで、来年からはマネージャーが仕事の調整をいたしますので、これまで同様よろしくお願いします。
2008.12.17
ALSのホーキング博士の話を聞いた。重度の障害でコミュニケーションもしゃべるパソコンを使っている。全介助が必要な肉体でも、脳の中には宇宙が広がっている。ホンモノの宇宙学者だ。その博士が無重力体験でにっこりした、というエピソードを聞いた。どんなにうれしかっただろうと、想像するだけで、私もうれしくなってしまった。私はもちろん、無重力というのを体験したことはないが、ものすんごく美しい音楽の中にいるときにそのふわふわの感じを体験したことがある。いつもではないけど、すごく集中して感動したときに、そんな感じになる。いつも肉体の重さにしばられているから、そのふわふわ感が、想像のものでもすごく実感をともなって感じられた。想像だけど、それは、もう脳の中で体験したことに等しいくらいなのだ。うまくいえないけど、博士の脳の中に無限大の宇宙が実在するように、私は詩や音楽の中にそんな世界をみつけることができる。その体験は、思ったときに、思ったようにできないのが、超くやしいことだが「それがある」ということが、とっても心の支えになっている。 悪いけど、こういう感覚の感動は、障害が重い人にしかわからないことかもだ。なので、自由にからだを動かせる人たちにはまだ、わからないでしょうね。ならばある意味私達の特権でもある。ふっ、ふっ、ふっ。人間は、ものすーんごく感動したときに、だれでも自分の中に宇宙の芯を持つことができると思う。それは、探さないと見つからないし、諦めている人にはたぶん、見えないでしょう。目の前にせっかくあっても、気がつかないなんて、もったいないことである。見える目には見える。 博士は、今度は、本当に宇宙に行く夢をもっているという。すごすぎる。本当にすごい人とは、願いを捨てない人だ。そして、かなりしつこい人である。しつこさをやめないで続けるというのも大変なことである。でも、障害者にはそれができると思う。何しろ、障害が消えてなくなるなとはないのだし、それによってできないことが多い分、できることを真剣に探そうとするだろうからだ。やるよね~博士!
2008.12.16
市の成人式のご案内が来た。ちゃんと来た。当たり前といえば当たり前である。けれど、一人分数えられていることが、うれしいことである。実は、ちゃんとメンバーに数えられる、ということは私にとっては当たり前でないことが多くあった。20年の間には、いろいろな集団に所属してきたが、おまけ、だったり、その他、だったりすることもかった。地域の運動会に出なくていいよ、と言われたり、並んでいるのに順番を飛ばされたり、数に入れるのを忘れ去られたり、何かと悲しい思いもしたもんだ。そういうのに触れるたび、みんなには悪気があるわけではなくて(あるときも時にはあるけど)、どうしてよいかわからないとか、やっぱり数が少なくているのを数えるのを忘れた、なんてことが多いこともわかった。ので、いちいち無視されたと落ち込むのではなくて、私もいるんですけど!とアピールするのがよい、ということを学習した。 とはいえ。市の成人式は人数がものすごく多いし、人ごみにちゃんといけるのか?という心配はある。風邪ひくと肺炎にもなるし、冬だし、長時間動けないし、とかとか、考えることはたくさんある。でも、大勢の中で、ごった返していたとしても、いろんな人がいて、見えているのに見えていない、ということがない世の中になったらいいと思っている。ので、行けるならば、行けるようにして、行きたいと考えてきた。必要な手伝いをもらうのは仕方がないが、だからといって、ビップで仰々しいのもちょっと違うと思っている。 大勢の人の波に入っていくのは実は、いつも、とても勇気がいることだ。ひとりひとりが、そう考えなくても集団の勢いで流される危なさは怖い。それでも、準備を周到にすればきっとできるような気もするのだ。私達を受け取る環境の人も、何回かやるうちに慣れるだろう。市の人ともよく相談して、思い出に残る一日にしたいと思う。まずは「私も行きます」ということを今日、市に伝えようと思います。
2008.12.15
区役所の疲れでちょっとばかり嘔吐発作をおこしてしまったようだ。胃ろうの皮膚はかなりよくなって、痛みもとれた。今度は元祖嘔吐の出血である。ありゃりゃ。心の中は案外充実感でいっぱい。でも、からだはもう一歩みたいである。体力をつけたいな、とマジで思う。弟が一足早く、光のページェントを見に行った。私も誘われたが、今回はパス。ゆっくり休みたい。ので、父と留守番することにした。あー、やっと寝られる。弟がいるとなかなかタイミングが合わないのだ。夕方にかけて出かけてくれるのは、実はありがたい。そこへ、夕刊が!なんと、テノールさんのクリスマスコンサートの記事が載っていた。父びっくり。おじいちゃんから電話が来たりして、これまた寝ている場合ではなくなった。私もびっくり。http://www.kahoku.co.jp/news/2008/12/20081213t15054.htm記事を書いてくれたのは記者の哲学さんだ。哲学さんに会ったのも、テノールさんに会ったのもバラ夫人の引き合わせだ。そして、今回哲学さんがテノールさんにもであった。どんどこ、どんどこ、人と人がつながる。ひろがる。私は詩を書いているだけなのに。すんごくうれしい。本当は嘔吐発作なんて起こしている場合ではないよ。 クリスマスコンサートの記事はもちろんうれしいし、コンサートに行くことも楽しみにしている。だけど、それを実現させていく不思議な力のことがとても気になる。これが出会い係りの神様の仕事の一部分なのだろう。モノをいただいたり、自分がやりたいことが少しずつ形になるのはもちろんうれしいけど、何より何より、人と友達になってそれで何かが生まれることがすごくうれしいことだ。なんか、今年はクリスマス前に、やけに集中してやってきた。これが今年の私の分のプレゼントなのだ。ほんと、これで、十分っていう気分になる。 弟が一足早くプレゼントを買ってもらってにっこにこで帰ってきた。アーケード通りでオルガンの生演奏を聞くことができたそうである。その中に、なんと、今度コンサートのために詩を考えた賛美歌「神の御子は今宵しも」が演奏されたそうである。大きなステンドグラスも美しく、母はうんと機嫌よく帰ってきた。これは母へのプレゼントだろう。神様もにくいね。来週のコンサートまでに絶対体調復活させます。
2008.12.14
いってきました、区役所へやっと、ついに、とうとう、いまごろ?何はともあれ、とーっても緊張した。一応、自分のことなので、ひとこともらさず、神経を集中して、よーく話を聞いたのだ。センターの師匠と、代筆の母と3人で出かけた。区役所の中は落ち着いた雰囲気で、静かな音が聞こえた。説明の声や、呼び出しの音や、書類の音など。私は障害者年金の窓口へ。車いすが大きいので椅子をよけて、私が聞きやすい場所にしてもらった。窓口のおじさんはとっても丁寧で、親切に教えてくれた。師匠が代表で説明を聞いてくれた。まるでお父さんのようであった。母は若いご主人のご夫婦、ってな感じで喜んでいた。私は、そんな余裕はゼロ。障害手帳のことや、診断書のことなどをもらさず聞こうとがんばった。すでにお医者さんに診断書を書いてもらうために予約しているが、誕生日の次の日だ。手続きとは日付が大事なのだな。書類もたくさんもらった。ローラの手提げに入れて大切に持ってきた。 次に、二階へ移動して、今度は車いすの修理申し込みだ。なんといつもお世話になっている区役所王子がすぐ出迎えてくれた。お待ちしていました、というので、なんで?と思ったら、ブログをしっかり読んでくれていたので待っていてくれたという。感動した。いつもは自宅でケース会議をするときに会っている。師匠も、区役所王子も、私達も、初めて区役所の窓口で集合した。こういうことろで仕事をしているのだ。と、思うと、その前の担当の人や、今は異動してしまったスーパードライさんとか、これまで20年の間に、なんとたくさんの人たちにお世話になってきたのか、と思った。帰り道に、小児慢性疾患でお世話になっていた保健所ににたちよった。もう小児慢性疾患は私も弟も卒業なのだ。長いこと、手続きでお世話になった担当の人にも最初で最後の挨拶ができた。ひょっとしたら、書類のことだけで会えないでしまう、ということもある。私は初めて小児慢性疾患で訪問看護を頼んだとか、いろいろ苦労をかけた。本当にお世話になりました。 もろもろの仕事を一度に片付けて、無事にセンターに帰ってきた。仕事としては、からだはそんなに働いていないのに、すんごくくたびれた。緊張したようだ。初めてのことはとても緊張する。担当の人と直接話すというのはのは、なんか、とっても安心することであった。また来たいと思いました。師匠のおかげでいけました。ありがとうございました。
2008.12.13
クリスマスが近づき、今年のリクエストを聞かれている。世の中が厳しいニュースをたくさん聞くので、プレゼント、なんていいのかなあという気持ちになる。大変な人たちも、何かひとつくらいいいことがあるといいと願う。自分のことを考えても、今年は元気に過ごせたし、いろんな出会いもあって充実していた。いいことがたくさんあって、あんまり大変なことはなかった。ので、プレゼントといってももう十分、なにもいらない、という気分だ。しかし。この季節になると、やっぱりローラアシュレイが気になってきた。一度くらいお店を覗いて、ローラの世界に行かなくっちゃと思ってきた。なぜか、年末に毎年いくようになってきた。それというのも、初売りはちょっと人ごみでいけないので、ちょうど今頃がちょうどよいのだ。お店の中もクリスマスの飾りになっているだろうし、美しい空間の中に入るだけでほっとするだろう。なので、やっぱり、行かなくっちゃ。今年のオススメはなんだろう?そう思ったら、何もいらない、なんていうのはウソだ、とわかっちゃった。ややっ。楽しみだ~。
2008.12.12
誕生日が近づいた。そろそろ年金の手続きをする時期になった。障害がある人の基礎年金にはいろいろな種類があることを知った。私のように身体障害と知的障害がどちらもあるものは、どちらで申請するかを考える。私は身体障害が重いので、お得な方で申請することにしている。就職が困難なので、生活を支える年金は本当にありがたい。なるべく自分でできるのはしなくちゃ、と思う。まずは、区役所で手続き用紙をもらって、次に病院にで診断書を書いてもらう。実は、なんと、私は区役所に行ったことがないのだ。今までは全部母が手続きをしてくれた。弟の分も合わせると、しょっちゅうお世話になっている。区役所はセンターの近くにある。明日、いよいよ出かける計画だ。ちょうど訪問のリハビリで、車いすの様子をチェックしてもらった。おかげさまでたくましく成長して、こちらも修理が必要になっている。その手続きも一緒にしたいと思う。なんか、けっこう、わくわくしている。コミュニケーションに事務員の手助けは必要だが、「私が」行くのである。センターの師匠にも移動を手伝ってもらう。自分のことを自分でするのは、なかなか楽しい。
2008.12.11
新聞記者の哲学さんとたくさん話をした。哲学さんと話していると、次々にいろいろな面白い質問をしてくれるので、いつもの自分が考えていることとは全然違う方向から考えることができる。難しいこともあるし、質問によって、あっ!とひらめくこともあったりする。自分のことなのに、別の考えが浮かんでまた、自分を見直したりしてすごく面白いのだ。今回も言葉と表現について、いろいろと話題が広がった。哲学さんはもともと文章がうまいから仕事にしているだけあって、たくさん言葉とも付き合っている。そして、音楽や芸術も好きなのでそれらを大きな袋にしょっているサンタのようである。袋の中身はまだ全部見せてもらっていないけど、どんなものを引き出して教えてくれるかと思うと超、おもしろいのだ。だんだん人間の話になっていくし、哲学っぽくなってどんどん考えていくのが実に楽しい。だから哲学さんと呼ぶことにした。 ことばと表現について。私にとって、ことばと他の表現はどう違うか?と考えてみた。始めはことばそのものを使えることで自由になった。けれど、ブログだけではなくて、書や歌や音にことばをつけるときに音楽などとつきあうようになった。それぞれの意味を考えるきっかけをもらった。私はことばを案外感覚的なひらめきにたいに作ってきたけれど、私にとっての表現について考えてみると、このごろ方法によって目的も意味も少しずつちがってきている。それを、質問されて考えてみたら、気がついた。私にとって、介護で使うことばと、作品のことばとはもちろん違うものだ。作品の中でも、詩と音楽と書は全然違う。心の中で科目が違うように分担しているようでもある。作品が作品のままでいることと、誰かに見てもらう(聞いてもらう)ことでは、これまた、まったく違う。どの方法もわたしにとってはことばなんだけど、うけとる人のどのチャンネルにひっかかるかで違った広がりをもつ。別の国の別のことばのようでもあり、別の宇宙の別のできごとのようでもある。ことばがつうじないと、別の国の人としゃべるのは難しい。言葉を口でしゃべれない私は不便だ。でも人間の感覚の何でもあり度を日々体験している私には、ことばでないやり取りの中に、音楽や絵画の踊りなどの芸術が万国共通度に通じる自由さも感じたりすることもできる。 ことば、という、言葉の意味を詳しくしても、大きくしても、自由どがどっちにも広がる感じがする。詳しく詳しくすれば細胞の世界。大きくすれば宇宙だ。だから、ほんの小さな尺度の中だけで生きるのはなんか、もったいないような気がする。ちっちゃくも大きくも、伸びたり縮んだり、時間も越えてどこにでも何にでもなれるしいけるのがことばだ。だから、ことばは、とっても不自由でもあり、とっても自由でもある。一生けんめい考えるので疲れるけど、楽しい。ほんともっとしつこく話たいなあ、と思う。考えるのも体力がいる。私は休み休み。だけど、次に会うまで、考えておく、という宿題みたいなのもいいなあと思う。また、哲学さんと話したいです。
2008.12.10
弟が治療を卒業した。小児科も卒業した。生まれたときから15年。一緒に何度も何度も病院に通った。生まれたときから障害がある私達は、病院はもう一つの家みたいなものだ。一緒に小児科にも行ったし、リハビリもしたし、検診もしたし、長い間には病院も先生もいろいろかわったけど、ず~っと一緒に通ってきた。なんだか、一人だけ卒業しちゃって、うれしいんだけど、少しうらやましい。私は成人になっても小児科にお世話になる。これからもたぶん、一生病院を卒業することはない。こうなったら、小児科の最長老になる覚悟である。慢性疾患とか生まれたときからの障害がある人は、病院人生がもう一つの歴史だ。いい病院といいお医者さんに出会うとずっと快適ライフである。私は生まれる前から患者さまだ。まさに病院のおかげで生きてこられた。今日があるのもなんと、たくさんのお医者さんや看護師さんの力によるかと思うと、感激する。弟はこれから健康管理を自分でまかされた。ひとり立ちの一歩をふみだした。うれしそうである。私もそうだが、自分のからだをよく知って、元気にいられるように管理するのは、けっこう大変なことだ。やりたくないときも、めんどくさいこともある。食べすぎ注意の弟は、世の中に山ほどある誘惑と戦わなければならない。私のように医療の分量が多くてもそれは同じことだ。治療をあとまわしにして好きなことばっかり本当はやりたい。でも、治療にたくさん時間もエネルギーもとられるので、やっぱり、弟のように治療を卒業して自分の時間が増えるのは、いいな~と思う。 とはいえ、最近の私の検診は、ほとんど世間話で、先生と1か月分のおもしろい話をしてくるのだから、それはそれで楽しみな時間である。そして、この1年、なんと入院しなかったのだ快挙だ。これで、ゆっくり座って、ケーキとお茶でもあれば最高なのにね。とにかく、15年間、弟も家族もよく頑張って治療したと思う。ひとつ、めでたいことであった。年末の病院ロビーのツリーを一緒にみるのも最後だった。 卒業おめでとう。
2008.12.09
ラムズイヤー 雪がとけるように苦しみをとかす雪がとけるように悲しみをとかす雪がとけるように憎しみをとかす雪がとけるように妬みをとかす 少しずつとかしていると心の中があたたかくなってやわらかい椅子ができるそこに座ってあたりをみわたすといつのまにか雪はみんなしずくになっていた ふわふわ新芽の小さな椅子みつけた
2008.12.08
雪が降った。うっすら白い。窓の外が明るいのでいつもよりおでこが光る気持ちになる。朝日が雪に反射してさしこむのだけど、受ける光と一緒に自分にもおでこになにかを発するエネルギーの出口があって、刺激されるようだ。一緒になって頭が冴える。たぶん、マクトスでいつもそこに脳波を受け取るシールを貼るからかもしれない。うんと、おでこに集中する。光の刺激にはすごく影響を受ける。目がよく見えないからかもしれないが、「明るい」ということはそれだけで、なんか頭がスッキリするのだ。頭周辺は顔の近くでもあり、からだの中でも、しゃっきりするポイントが多い。シャンプーしたり、髪をとかしただけでもさわやかになるし、歯磨きや耳掃除なんかは最高である。なんで、こんな話題がマラソンか?というと、弟である。今日は高等部の生徒がみんなでチャレンジするマラソン大会。早起きしてさっき出かけた。昨日のこと。どうしても、今日のうちに床屋にいく必要があるとこだわっていた。何でかな?と思っていたら、「男の髪型にすると早く走れる」のだそうである。天気予報は雪だし、両親の予定もいろいろだし、来週にしたら?と説得されていた。でも、譲らなかった。 初めて理髪店に行って、シャンプーも一人で行って、ジェルでセットしてもらって、お店のポイントカードも自分用を作ってもらってきた。ものすんごく、うれしそうに帰ってきた。親は笑っていたけど、私にはよくわかる。一人前に扱われるうれしさと、そして、頭周辺のスッキリ効果だ。すごくヤルキが出たに違いない。母にカットしてもらうのとは全然違うと思う。ジェルでつんつんした髪を何度も触ってにこにこしていた。 弟は単純なのかもしれないけど、そんな、日常のたいしたことなさそうな小さいことを素直に喜んで力がわくのは、とてもいいことだと私は思う。そういうのをひとつひとつ忘れていって、あたりまえになっていくよりいいと思う。素直に応援したくなる。頑張って最後まで走ってきてほしい。
2008.12.07
お茶を販売するさたけさん、すごかったですね!電動車いすで異動して文字盤で話もできる。なにより、たった一人で好きなところにいけるのだから、ホントすごい。というか、いいなー、とつくずく思った。超、うらやましい。そしてお茶を売って仕事もしている。社会人だ!障害の重さによって、できることが制限されるぶん、社会に参加できる分量も制限される。私からみたら何でもこなしてすごく自由なさたけさんでも、もっと自由に一人暮らししている先輩を目標にしている。上には上がいるのだなあ。障害が軽い人は、もっと上をみて、普通の暮らしをしたいと思うだろう。普通の人の中にいる障害がすごく軽い人も、もっと普通になりたいと思うだろう。普通をかなえようとする欲にはきりがない。私だって底なしの欲がある。欲というとちょっと、というなら希望ともいえる。願いでもいい。そこでいつも思うのだが、ふつうとはなんだ?ということだ。みんなが考えるふつうと、当事者が考える普通はちょっと違うのかもしれないと思ったりする。ふつう、という理想の形がある限り、そうなりたいと思う。けれど、あんまりふつうを理想に仕立てないほうがよい、という自分もいる。数が多いことがふつう、でもない。でも案外、世の中はそのようになっている。自由に行動して、自由にコミュニケーションできて、仕事ができたらかなりふつうの社会人である。私にはまだまだできないことだ。それでも、できる人はできることをめざしたらいいと思う。私も「私にとってのふつう」に向かって努力している。まあ、あんまり「みんなにとってのふつう」でなくてもいいと思っているけど。十分ふつうでないから。すでに。障害者もちゃんと社会の一員になるには、みんなのふつうと自分のふつうをなんとか近づけたいものである。その手がかりはコミュニケーションだなあ、とまた思った。これが、ハードル高いのだ。とっても。なかなか外出できなかった私も少し外に出られるようになってきた。どこかで、さたけさんに会うかもね。そしたら、お茶を買いたい。事務員は紅茶もすきなの。紅茶も売らないかな?
2008.12.06
なりたてほやほやの若いテレビディレクターさんを応援しています。初めて社会人になって仙台に来た。九州の出身なので、冬がさむいよ~といっていました。まだ、慣れないらしい。そのころ私はまだ、高校生で、社会人ってどんなの!?とうんと気になっていた。それで、いろいろ逆インタビューしたものだ。それから3年。お互いに社会に居場所をもらって、仕事について経験を積んでいる。あおぷーは中継をしたり、ドラマ製作にかかわったり、地震のドキュメントとかいろんな番組を作る修行をつんでいる。オンエアのたびに教えてもらって、楽しみにしてきた。いつもはほとんど番組を「作る」方の気持ちは考えないので、そのときだけは、見方が変わる。伝えたいことを一番わかりやすくするのに、どんな苦労をしているのかなとか、中継の時にはどんな準備をするんだろうとか、とか。先輩にいっぱいおこられるそうである。今日、放送の番組は、全国放送でみんなが見ることができます。そして、障害のある人の話題です。是非見てね!そして、厳しいご意見をあげてください(うひひ)。もちろん、うれしいご意見も大歓迎だと思います。私も自分が社会にどれくらい通用するのか、社会に必要とされているのか、うんと考える。全国に番組を流す、というテレビの仕事は、私なんかよりははるかに責任が大きい仕事だ。その厳しい世界でがんばるあおぷーを、応援してね。きらっといきる「お茶売って夢よ広がれ車いす行商」午後8:00~8:30放送NHK教育
2008.12.05
人間はいつか死ぬものだが、ほとんどの人は標準的な平均寿命の近くまで生きられる。ほとんどの人がそうだから平均なのだ。で、もちろん、病気や事故で早く死ぬ人もいる。命が助かって私のように障害がある人もいるわけだ。病気といっても世間には山ほどあって、たくさん患者さんがいてグループで励ましあうことができるのもあるし、少なくて治療法さえわからないものもある。同じ病気でもその重さは様々。私は障害を各種たくさんもっているし、弟もめずらしいやつをもっている。欲張ったわけではないんだけど、なんだかいろんな病気や障害のことを当事者になって知ることができた。だけど、あおいさんの書き込みの「だんだんなくしていく気持ち」をいうのを私は知らない。想像することしかできない。偶然の事故もつらいことだけど、進行していく、という病気にどんな精神状態で向き合えばいいのだろう。今の自分は少し落ち着いていて、みんなよりはゆっくりすぎるスピードだけど、自分で前に進んでいる実感はある。進むも止まるも自分でほんの少し決められる。どんな人でも、自分が持っているものは、自信の種にするだろうし、大切にするだろう。それがなくなることを止められないというつらさの中でも最大級の中にいる時、どんな励ましをもらったって、人事にしか聞こえないのではないだろうか。当事者の気持ちを同じように感じることはなかなかできないけど、想像力のある人と出会うとちょっと愚痴れるようになる。ちょっとわかってもらえそうな気持ちになる。そうしたら、なくなっていくけど、今あるものを大切に思える元気が生まれるのだろうか。たった一人で、自分の心の中だけで荒れたり、ぐちったり、なぐさめたりするのはものすごく大変である。となりにいる人(やっぱ、家族か?)が幸せのカギを握っている。障害や病気を前にしたとき、うんとまとまるか、壊れてしまうか、家族はびみょーな関係になる。病気のときこそ頑張ろうと思うか、そうでないかは大きな分かれ道である。うちだってすんなりと今があるわけではない。それでも、障害や病気をまるごと家族だと受け止めるかどうかは、その人を大切に思えるかどうかがこれまたツボだ。進行しているということは、時間があまりないかもしれない、ということでもある。時間がない、というだけで焦る。笑って過ごすことも、ごまかしていくことも、見ないようにすることも、考えるチャンスにすることもできる。たぶん、たった一人では、選べないし、決めることも困難だろう。一緒に歩いてくれる家族か、そうでないか。もし、私が、支える家族の方だったらどうしたかなだから、あおいさんが、聞こえるうちにいい音楽をたくさん聞いておきたい、といえるのはものすんごく、すごいことだと思う。ものすごく支えてくれる人がたくさんいるに違いない。障害は個性、とよく言う。丸ごとその人、という意味で使われているのだろう。障害はその人の特徴だから個性ともいえるだろう。個性は尊重してなくさなくてもよいものだ。周りの人が障害を個性と見て、普通に接してくれたらいいな、とは思う。でも私が自分の障害を前にしたとき、やっぱりなくすることができるならなくしたい。障害の悪いところだけでなく、よい面も今ならわかる今でも、やっぱりひとつでも、ないほうがいいなあ、と思うのが本音だ。当事者のわたしには障害はただ、そこに存在する障害君だ。人格を認めてつきあっている。障害君が教えてくれたものは、想像力をもつと楽しくもなれる、ということかな。なかなかよい贈り物である。あおいさんも聞こえなくなる、という障害君から想像力という贈り物をもらったと思う。だから、今の時間を楽しむことができるのに違いない。私も、自分の想像力を使えば、あおいさんが楽しもうとしている時間を一緒に喜ぶことができるような気がする。進行する病気の人の今日もまた、後ろに進んでいるのではない。ちゃんと前に進んでいるのである。みんなに今日はある。あおいさんのおかげで、なんか、元気をもらった。
2008.12.04
連日音楽の話題で、ほんと、幸せいっぱいです。で、今日は和風な話。以前講演会でお世話になった文庫の会のみなさんが訪問してくださった。おばさんたちはしゃべる、しゃべる、しゃべる。→いつものことながら、聞いているほうもけっこう、かなり、とっても楽しい。もちろん講演会ではちょっとだけお会いした人々だけど、ゆっくり話をして、超おもしろかった。こうしていろんな人が知り合いになっていくのが面白い。絵本のこと、障害のある子どものこと、児童館のこと、訓練のこと、などなど、のなかに、なんと「しのぶえ」を聞かせていただくという初体験があった。笛といったら、リコーダーだ。例の音楽室でピーピー聞いたあの音。しのぶえというのを近くで見せてもらった。竹?でできている。着物の布の袋に丁寧に入っている。そして、長さや細さに番号がうってあった。 「萩の山唄」という曲を聴いた。テレビの時代劇で聞いたことはある。でも、ホンモノはもちろん初めてだ。きーん、と集まって細いすじになって一直線に響く音だ。のばすところと、ちらちら、とりとりするところが対照的だ。とりとりのところでは、着物のすそが踊りの動きでちらっと裏側が見える時、表の地味な色とはちがって、ちょっときらびやかな派手な色がちらっ、と見えるような感じ。はじめの音を聞いたとき、すぐに「秋晴れ」の空を思い出した。青は青でも、きりっとちょっと涼しい澄んだ空だ。山の中で、ふと上を見たらそんな空が、かーん、とあった。という景色が見えた。母は、「はぎ」と聞いて、仙台の野草園の萩を思い浮かべていたと感想。そしたら、本当にこの曲は、その萩のために笛の先生が作曲したものだという。ぴったし。 笛はたった一本でも、すごくよく聞こえる、鋭い音がでる。音の道筋は細くて冷たい。でも曲になると、あたりの空気を交通整理して、一つの方向に導くようでもある。フルートの音や合唱がほわんと包み込むのとはかなり違う。そういえば、民謡の声はしのぶえと同じような歌い方をする。 お正月を前に、手作りだるまちゃんもいただいた。一気に華やか。日本の文化コーナーができあがった。うーん。和風もかなりいいね。今度は獅子舞いも見られるかもしれないぞ
2008.12.03
またまたコンサートのお知らせです。たくさん音楽が飛び交うこの季節。幸せだ。でも、年末になると、世間がクリスマスやお正月で盛り上がるので、病気や苦しみの最中にいる人にとっては、ちょっとうれしくない季節に感じるかもしれない。実際、私も、病気が重いときは、とてもじゃないけど浮かれて騒ぐ気分になれなかったものである。でも、ちょっと、そのお祭り気分と音楽を切り離してみてほしい。じっと、静かに、音楽をきくことは、一番だれにでも与えられている幸せの入り口である。音楽そのものを、直接からだにしみこませてみてほしい。すると、不思議な暖かさがわいてきて、きっと、元気のもとが生まれることだろう。コンサートにいけなくても、CDを買えなくても、町のあちこちに音楽が流れる。お金のかかるプレゼントがなくても、ほんの一筋の光を感じることができれば、幸せは隣にもうきている。でも!コンサートにいける人は、ぜひとも行きましょう。やっぱり、そこで浴びる音はすごくパワーがあります。ふるさとを歌う会を企画しているテノールさんは、松尾英章さんというすごく美しい声の持ち主です。毎月会であちこちでコンサートをしておられますが、12月はいよいよクリスマスコンサートです。私もコンサートにむけてクリスマス用の詩を一つ考えました。今まで、プレゼントをもらうことばっかり考えていたので、クリスマスというものの意味を考えはじめたら、かなり悩んでしまいました。信者でなくても教会は人々に開かれている、という牧師さんのお話にうれしくなって、教会という空間で音楽を聞くことができた。その2回目である。本当に美しい声ですよ。一緒に出演する人たちもみんなすごいよ~。是非聞きにきてください。私も楽しみにしています。12月20日(土)14時開演 クリスマスソング、アヴェ・マリア、フランス組曲など場所 仙台北バプテスト教会(泉区長命ケ丘3-2-17)入場料1000円
2008.12.02
白石キューブのコンサートに出かけた。みやぎミュージックフェスタ2008in白石だ。パンフレットには、秋おくる 響け 白石 キラリとある。キラリ、は私が大好きな言葉だ。さらに表紙は秋の色で、しかもきらきらしている。流れ星!?芸術祭というのはどんなものかと楽しみにしていた。いろいろな演奏を一度に聴いた。いきなりギター!まさか、ホンモノを聴けるなんて!ギターの音は大好きなのだ。(でも絶対静かにしていられないからコンサートに行くにはまだまだ遠い道のり)たった一人でステージのまんなかで静かに始まる。もちろん息をひそめて全身を耳にした。斉藤功一さんのギターにも、やっぱり神様が住んでいた。しかも相当地位が高い。ものすごく美しい音だった。私のからだはちょっと準備が足りなくて、空気の切り替えに追いつかない。案の定緊張して痰が出てきた。まずい~と思ったら、汗が出てきた。おしい~と思ったら、歯軋りの音をたててしまった。くやしい~と思ったら母がタオルをかませてくれた。と思ったら、演奏が終わってしまった悲しすぎる。合唱、ピアノ、デュエット、オルガン、どれもこれも、本当にびっくりした。おいしいご馳走のつまみ食い状態。全部びっくりした。廊下に出て頭を冷やした。ピアノの福原佳三さんは知る人ぞ知るピアニストである。ということを母から聞いた。母も古い知人だが、再会して感動していた。私はもちろんピアノを聴いて感動した。感動って、どこから生まれるのかと思う。曲も、演奏のうまさもあるけど、それを生み出す人の力が大きいと思う。知っている人の演奏だと音の染み入り方が違うような気がする。今、ここで、この人が演奏している息なのだ。その、ここ、にいるからすごく感謝する。(贅沢)私は演奏はもちろんできないので、聞く、ということで参加する。聞く、というのは一瞬自動的にできる能力のようで私のように障害がある人にはそうでもない。会場にたどりつき、いることができる体力がいる。考えなければならないことが山ほどある。2時間観客のみなさんといっしょに空間を共有するまでに、たくさん扉を開かなければならない。(第一、ホールの扉だって、一人ではあけられない!) キューブ合唱団のみなさんにはまた私の詩から合唱曲を歌っていただいた。新曲「クリスマスの祈りより」は、美しさにビックリして固まってしまった。神様の声のように全身にふりそそいだ。最後にアーメン、と言いそうになったくらいだ。いつもより、うんと車椅子の角度を立ててもらった。正面から音を受け止めたかった。弱視の私にはもちろんみなさんの顔は見えないが、音の集まるところの中心にいるような気持ちになった。どの曲も進化して、ものすごく上手になっていた。同じ曲で、同じ人たちの演奏なのに、全然違う響きがした。なぜだ?それはたぶん、この2年間の間に、歌う人々のからだの中にとどまった音楽が育てられ熟成したのだ。2年前の人が2年分進化したのだ。それは、歌う技術だけではない。生きた、という時間である。聞いている私も、2年分進化した。落としたりなくしたりしたものもあるけど、今の自分は今の分を一生懸命生きているつもりである。6時間も車椅子にのっていたし、帰ってきても大丈夫だった。そして、歌が2年分また出会いを広げて、力をくれる。生きているということは、けっこう苦しいことが多いものだ。そっちの方が多いくらいでもある。そんなことも、音楽はこうやって吹き飛ばす。胃ろうの痛みもなんのそのだ。帰り道、蔵王のちかくの白石は寒くて雪もちらついた。自然の冷たい風に車椅子の毛布がふき飛ばされそうになった。でも音楽のあたたかさに守られた私は大丈夫だった。幸せな気持ちでいるときは肉体のつらさをはねのけるような精神になれる。怒りを原動力にするのもいいけど、こっちのほうが何倍も力強い。
2008.12.01
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