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貧乏人は死ね! - アメリカの光と陰こんな言葉が浮かんできました。今日、今年度の医療保険のお知らせが来ました。見ると・・・・今年の月額支払い料が、今と同じプログラムで継続すると約15%アップする、という内容。実は、値上げは今年に始まったことではなく、昨年も確か約2割上がったはず・・・一昨年に加入していたプログラムは、免責(というか自己負担金)の金額が$2000、約24万円/年間でした。2割も上がってはとんでもない、と、昨年はこのプログラムを、自己負担金の上限を$5000、つまり60万円まで上げるプログラムに変更。これでも毎月の掛け金は$550、6万円超。 年間約79万円である。で、今回来た「お知らせ」は、これが月額$630、約$8千ちかく、年間92万円である。我が家は、幸運にもこの保険の恩恵を被るような病気や怪我もなく、この自己負担額には全く程遠い医療費しか使っていないのだが、何事もなくて健康でも、月々支払わなくてはならない掛け金がこう上がってしまっては、まったくどぶにお金を捨てているようなものである。しかし、日本の健康保険や介護保険の値上げが時々日本で話題になっているが、なんとかわいいレベルであることか!昨年15%、今年20%、と相次ぐ値上げ。これは所得レベルとは関係ない。アメリカでは、何年も前から医療費の高騰、それに伴う保険料の高騰が言われているが、ここの2、3年での高騰は、それ以降も続いており、その上昇幅が半端じゃない。この自己負担上限額を抑えるようなプログラムに入ろうとしたら、ますます掛け金の月額は大きくなり、年間100万円など簡単に超えてしまう。かと言って、こんな掛け金は払えない、と掛け金の安い保険に入ると、自己負担額の上限が簡単に100万円を超えてしまう。つまり、どっちを取るか、という選択をせまられるわけだが、こんな高額になると、どちらの選択肢も選べない人が出てくるのは当然である。なにせ、年間収入が3万ドル以下、という世帯が数十%を占めているのだから、そのうちの1万ドルを、使うかどうかわからない医療保険に掛け捨てにするなんて、とてもではないができないだろう。そんな家庭は、安い掛け金の保険に入ったとして、自己負担金の1万ドルなど払える余裕があるはずもない。勢い、アメリカでは医療保険に入らない、いや「入れない」家庭が激増しているのだ。つまり「貧乏人は死ね!」と言っているに等しい。しかし、考えてみると、この医療費の高騰と医療保険料の高騰を招いているのは、かなりの部分、ほかならぬ彼らの節操のない医療依存にもあるのである。会社の保険制度がどんどん窮地に追い込まれているのも、低所得者層で、会社に入って、会社のグループ医療保険を徹底的に利用するような風潮があり、自分の健康管理は棚に上げて、食べたいものをジャンクフードを中心にガンガン食べ、炭酸飲料水をガンガン飲んで、その結果害した健康のしりぬぐいを医療に求めるのだ。それが全体の医療費を押し上げ、医者にかかっても居ない人間の基本保険料まで引き上げざるを得なくなる。つまり、保険が、疾病防止、健康増進の方向には使われず、病気治療のための支出にほとんど回ってしまっているし、保険を掛けるほうも、その予防医学的な面にはお金を使うことの重要性を認識していない。これは悪循環以外のなにものでもない。しかし・・・・そんなことをぼやいてみても、現実は着々と負担増の方向に行っている。そして、現実的に、この保険負担は、耐えられる限度を超えつつある。もしかしたら、いやもしかしなくとも、日本での保険の事情も、実際のところ、かなりのひずみが生まれつつあるのではないか、と推測している。医療の高度化、高額化、そして年々上昇する受益者の年齢・・・・本気で、真剣にこれを憂えている人は、その未来に絶望的になってはいないだろうか・・・
2007.01.31
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日本での銀行自動引き落としが一般的ではないアメリカでは、いろいろな経費、例えば電気代、水道代、ガス代、それに税金など、もろもろの支払いが普通はパーソナルチェックを切って行う。それが面倒くさい、と、各銀行では、オンラインで毎月の支払いができるオンラインペイメントというのがあり、いちいち小切手を書き、それを切手を貼って郵送する、とう手間はある程度省ける。税金に関しては、昨年までやはり小切手を切ってそれを郵送していたのだが、今年、ふと見るとオンラインでも支払いができる、ということがわかった。(というか、今までよく見ていなかっただけの話だが・・・)それも銀行からの引き落としもできれば、クレジットカードでの支払いもできる。これはしめた!と、クレジットカードで支払いをすることにした。目的は、クレジットカードだとキャッシュバックやマイレージの特典が付くのに加え、実際の支払い時期は1ヶ月から最大一ヶ月半後になるからだ。税金の支払いが何百万円にもなると、この一ヶ月と一ヶ月半、という期間も利子を払うことを考えたらばかにならないからだ。で、支払いを済ませたら・・・・・あらららら~・・・なんとクレジットカードによる支払いには「手数料」がかかり、よくよく見たらこの手数料、支払い金額の3%ぐらいに相当していた。つまり、たった一ヶ月か一ヶ月半の支払いを延ばすために3%の利息を取られるのと一緒だった。ところが納税期限が迫っていて、一両日中に支払わないと、そのペナルティーは今度は5%ぐらい付いてしまう。こんなことだったら、もう少し早めに気が付いて、手間でも小切手を切って郵送しておくんだった、と思っても後の祭り。来年からは、納税手続きだけは、少し早めにやろう、と反省したリンロンでした。(皆さんも納税はお早めに! 納税は市民の義務です!! 笑)
2007.01.30
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私が行っている教会で会うクリスチャンもそうだが、多くのクリスチャンは、「イエスの死」を以って、自分がキリスト教を信じるようになったきっかけだ、という人が多い。身近な人だけでなく、牧師さんが書いた本を読んでも同じことがあるし、作家の三浦綾子さんもクリスチャンになったきっかけに、この「イエスの死」を挙げている。その考え方の根本にあるのは、「人間の、生まれながらにして持つ『罪』」という考え方だ。その人間の罪を一身に背負って、イエスは十字架にかかり、自分の命を以って、人間の罪の償いをされた、そして人間はイエスによって、その罪から開放された・・そういった流れの中で、「そのような尊いイエスが神のひとり子でなくなんであろうか」「それを本当に感謝して、自分はイエスを神のひとり子として認め、これを信じよう」ということになるようだ。確かに、人間、生きている限りは、なんらかの罪悪感を持たないで居る人などはいないだろう。だから、その罪悪感を「罪」と同義語として、それがある人は神に祈って救ってもらわなくてはならないのだが、イエスを信じれば、その救いは即座に与えられる、と聖書は説く。この辺の論理の飛躍が、私にはどうしても付いていけないのだが、一度信じてしまった人にはそれが「自明」のようになってしまうらしく、それを「自明」のこととして話す人と、そうでない私が話すと、昨日の日記ではないが話がかみ合わない。前提に前提を積み重ねて結論を出すときに、どうしてもその前提の前提たる条件を考えずには居られない私と、前提をそのまま「是」として話を進める人とではどうしてもギャップが出てきてしまうのは仕方がないことだろう。イエスが史上まれにみる偉大な思想家(といわなければ、宗教家、あるいはマスター、なんでもいいが)だと言うことはまぎれも無い事実だろう。たった3年間のその活動で、これだけの長期間、これだけの影響を人類全体に及ぼしていることの驚異については誰も異存はないはずである。だけれども、だからと言って、聖書は彼の言葉、すなわち神の言葉で、全ては「真実」を語っている、ということになると、そこにはどうしても疑問符がつく。でも、もしイエスの死が、神の計画の中で偉大なる人類への贈り物だとしたら、そして、もしそれが、多くのクリスチャンが考えるような、人間の罪を一身に背負って神の許しを得るためではないとしたら、その死の意味と言うのはなんだろうか。
2007.01.29
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ふと、自分の性格ってこうなんだと気づいたことがあります。それは、なぜか「断定」を嫌う、という性格です。人の言動を見て、いつも、「この人はなぜ、なにを以って、こう断定的に物事を判断したり、言ったりできるのだろう?」といつも感じていました。これは「決断」とは別です。そうでない、と自分で感じている場合はなおさら、その人がそう断定することに対して、違った考え方も成り立つことを説明する必要さえ感じてしまいます。でも考えてみると、多分その人の世界観に照らして、その人にとっては、それも「真実」なのでしょう。ただ、私の世界観に照らしてみれば、そうではない、と思えるだけのこと。真実は人の数だけありえます。人が「これが真実だ!」と言っても、それはその人にとって、という断り書きがいつも付きまといます。ただし、これが、その真実の押し付けにまで発展する場合は、ほとんどの場合、私の中に反発が生まれます。しかし、世界観の違いでの「真実」の捉え方の違いは、いくらその対象の事象、対象の考えだけを論じてもむなしいだけです。その人にとっては、「真実はひとつ」という考え方に立っている限り、平行線になることはまぬがれないからです。キリスト教なりどんな宗教の考え方にも、これが同様に感じられます。「信じよ、さらば救われん」信じた人にとっての「真実」は一つであっても、そうでない人間とはずっと平行線。あるいは違う「真実」を唯一の真実と信じる人間とも、ずっと平行線。私のような人間にとって、物事を断定する人が、なぜそうできるのか、不思議でなりません。この性格は、よく言えばバランス感覚の良さ、悪く言えば優柔不断、となりえます。考えてみると、いつもやっていることは、それゆえの、「自分にとっての真実追求」なのかもしれません。
2007.01.28
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先ほどの日記は、何を書こうとしていたのか忘れてしまったので、「世界一短い」日記になってしまいました。(笑)で、思い出しました。この世で、人が生きる上で一番大切なことはなんだろうか? ということを書こうと思っていたんでした。でも、何が一番大切か?ということを直接書くつもりはありません。もしかしたらそれは人それぞれかもしれませんから。あなただったら何と答えるでしょうか。「愛」? 「誠実さ」? 「感謝」? 「努力」? 「経験と感動」? 「生きることそのもの」?なんでしょうか。ところで、日記の主題は、これが「何か」ではなくて、その答えがなんだとしても、そのあなたが考える「一番大切なこと」が、今の小学校(あるいは幼稚園)から大学までの「教育」の中で、あるいは家庭の中で、どれだけ子供がその重要性を、その大切さを学んでいるのか、ということでした。知識ではなく、智恵が大切。知っていることの多寡ではなく、自分で考える力が大切。智恵も、自分で考える力も、その拠って立つところの考え方が大切。そういったことに照らして、今の子供達がどんな状況に置かれているのか、それに我々大人がどうかかわっているのか、昨日の日記のコメントに返事を書きながら、そんなことを考えていたのでした。
2007.01.27
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お~い、どうしてる~?なんとか生きているよ~。
2007.01.27
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長くアメリカに生活していると、ふと忘れそうになることがある。それは、「なんという贅沢な生活をしているのか」ということ。私の年代では普通かもしれないが、子供の頃を思えば戦中派の人よりはよっぽど恵まれていたにしても、水は井戸、風呂は蒔き(それから石油)、家には隙間風がいつも通っていて、冬は寒くてなかなか眠れない時もあった。それに比べて今の暮らし・・アメリカの家では普通ではあるのだろうが、集中冷暖房と、各家にはいくつものバスルーム(風呂とトイレ)があり、子供達は個室を持つ。アメリカ人などは、冬でも家の中ではTシャツで過ごせるぐらいに暑く、夏では寒いくらいに冷房を入れているのが普通で、これが殆どの部屋がオープンになっている「オープンフロアプラン」などでやっているのだから、その消費エネルギーがバカにならない。世界的に見たら、アメリカがたった3億人の人口で世界のエネルギー消費の数十%を消費している、という批判を浴びているのも当然だという気がする。それに加えて、どこへ行くにも(タバコ一つ、パン一切れを買うにも)車を使わざるを得ず、それも大体3Lクラス以上の車をどの家も数台保有している。かく言う我が家も私用に一台、妻用に一台、どちらも3Lの日本車である。これだけでも如何にエネルギーを消費するかがわかる。移動は車、家に帰れば快適な温度に常に保たれていて、寝苦しいということがない。庭は広く、犬は思いっきり庭で駆け回り、時には子供達とサッカーやバレーボールに興じ、泳ぎたければすぐ近くのプールがいつでも使え、テニスコートやエクササイズルームも完備している。こんな暮らしをいつから「普通」と感じるようになったのだろう。うちのバカ息子とバカ娘などは、(他のアメリカ人の子供も同様だろうが)これを「当たり前」として育っている。考えてみれば恐ろしいことなのかもしれない。人間、一度味わった「贅沢」、一度上がった生活レベルを捨てるのは非常に難しい。しかし、「宇宙船地球号」の限界もますます明らかになっているこの時代、すべての人が共に子孫の生活まで考えた「考え方の基本」を再考すべき時に来ている気がする。それも、あまり時間がない、という切迫感もある。物質至上主義、現世利益第一の考え方に変わりうるもの・・それが今一番人類には必要なものなのだろう。そして、自分から、自分の身近なところから、という考え方。これが不可欠だろう。もっともこれが一番難しい部分なのだが・・・
2007.01.26
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依然として「初のローン」でもがいています。この会社に入り、このシステムを見たときは「なんという効率的ですばらしいシステムか!」と思いました。実際、ローンを申請するまでのプロセスは、ほとんど素人に近い私でさえもシステムにしたがってステップバイステップで行えば、かなり経験をつんだ人と同じようにローンを扱えることもわかりました。しかし、今から考えると、これは相手が「システム」そのもの、つまり人間が介在していないステップだったからこそ上手く行ったのではないか、と思います。その申請を上げてからすでに2週間以上、それからのステップは主にローンコーディネーターと呼ばれる人と、ローンプロセッサーと呼ばれる人が実際のローンをレンダーから取り付ける作業に入るのですが、この段階からこのシステムが全然ワークしなくなりました。原因は「人」です。システムのプロセスが如何に完璧に出来ていても、実際の作業にかかる人間がこのシステムを忠実にフォローしない限りは、このすばらしさも現実には実現できない。実際、残念なことに、いい加減な人間が入っていると、結果もいい加減になる、という、まさにコンピューターのように(いい加減なインプットを入れれば、出てくるアウトプットもいい加減になるという意味で)確実に関わっている人間の「質」がまともに結果に影響してしまいます。この点において、この会社がどれだけ注力してきたかは定かではありませんが、今のところ働いている人間の「質」は控えめに言ってもけっして「良い」とは言えない。初めからこの辺を認識して今回のアプリケーションを進めていればもう少しやりようがあったのでしょうが、システムも初めてならそこに関わる人間も全て初めての人ばかり、ある程度信用しながら進めていったのは致し方ないこと。(だと正直思います)それが完全に裏目に出て、現在この人たちが本来はやらなければならないところまで自分でやりまくっています。もう、任せて置けない!てな感じで・・・システムと人・・やはりどんな完璧なシステムができたとしても、究極的には「ビジネスは人!」だということをまたもや思い知らされました。
2007.01.25
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今年もTax Returnの季節になってまいりました。日本で言えば「確定申告」ですが、違うのは、アメリカの場合は全員が申告する義務があることでしょうか。それも「全世界の収入」を申告しなければなりません。例年だと、2月に日本に行き、日本で確定申告をして、その確定申告の控えを英訳して添付、それでアメリカのTax Returnを行うのですが、ことしは輪をかけて、昨年末に設立した会社の申告までしなければならない・・・通常のTax Returnは4月の15日までに行えばいいので、日本から帰ってきても一ヶ月以上の余裕があったのですが、今回突然、こちらの「法人」の方の申告準備に関して、この申告を担当する会社から連絡が来ました。曰く、「申告に必要なすべての書類・帳票を3月1日までにお送りください」・・・・・・う~ん、日本から帰ってくるのが2月26日。3月1日まで、となると、帰ってからたった2日しかない・・・それも多分、時差ぼけで朦朧としている間に、ということになりかねない。こりゃ、日本行きの前に、かなり準備をしておかなければならないな~、と感じてはいるものの、どうも先の話なので腰が重い。そして、何よりも、「法人の申告はどうやっていいか、よくわからない」。(笑)それに加えて、このところ「初ローン」の件で依然としてすったもんだしているので、落ち着いて書類を整理する気にもならない。しかし、なんとかしなければ・・・・と思うこの頃。
2007.01.24
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う~ん、これが仕事の醍醐味というものでしょうか・・・何度言っても約束を全く守らない相手にかなりフラストレーションが溜まりつつあります。サラリーマン時代にはよくあったことですが、自分ひとりで全てをやるというスタイルが2年以上続いて、その後にまた普通の「ビジネス」の世界に戻ったので、ことさら感じるのでしょうか。相手を信用してはいけない、とはよく言われることですが、信用しないことには仕事にならない、という部分がどうしてもあるのは仕方がないことです。とにかく、「結果や経過を電話で連絡してくれ」、これだけです、頼んでいるのは・・・今まで何回頼んだことか・・・・そして、電話が来たことは「一度も!」ありません。このために金銭的な損害が出掛かっています。私自身の損害だったらどうでもいいのですが、私のクライアントにまでその影響が出てきそうです。う~ん、アメリカのビジネス・・・・久々に味わう緊張感です。(笑)
2007.01.23
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このところちょっと書き込みが遅れたりしています。主たる理由は「掛け持ち」。今現在、この楽天ブログで始まった私のネットライフも、Mixiとイーカネットという媒体(?)にも広がり、現在この三つを「掛け持ち」しています。特にイーカネットには、この楽天とは別に私のブログもあるのでそこへの日記の書き込みもほぼ毎日している関係で、やはり多少は「精力」が分散されます。(笑)加えて、Mixi関連のやり取りも増えてきていたりして、結構メールのチェックだけでも時間がかかったりします。で、ふと気づいて、Mixiの「マイミク」(自分といわゆる「お友達関係」にある人」)の数を数えたら28名にもなっていました。そして、それよりも驚いたのが、この「マイミク」のうち、アメリカ在住者が過半数の16名!つまり、もともと日本の読者を中心にした楽天から始まった私のネットライフも、今では、ある面、アメリカへと中心が移ってきているというか、それだけアメリカでのネットワークが広がった、ということでもあるようです。これも昨年後半からこうなってきた、とう認識があり、やはり実社会の人的ネットワークの拡大と、このネット社会でのネットワーク拡大はともに相互補完の関係にあるような感じです。全てに今までと同じように対応するのはだんだんと難しくなりつつありますが、なんとか時間を作り出して、この新しいネットワークを最大限有効に活かして行きたいと思う今日この頃。
2007.01.22
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皆さん、リンロンでございます。本日、ツアーガイド職の面接に行ってまいりました!で、3月から、試験的にツアコンをやることになりました。まず初めは当然のことながら「見習い」ということで、何回か正規のツアーガイドにくっついて場数を踏む、ということになりますが、話を聞いて見て、まあ大変なところもあるだろうけれどもやってやれないことはない、というのが今の感触。通常、なにも問題が無ければ本当に楽な仕事みたいですが、肝心なのは異常事態。お客様が怪我をした、病気になった、飛行機が遅れて乗り継ぎ便を逃した、乗り過ごした、荷物が届かない、出てこない、飛行機がオーバーブッキングで乗れない、ホテルに行ったら予約が入っていない、部屋の手配が間違っていた、食事の予約が取れていない、などなど、想定される「異常事態」は様々。そんな時に臨機応変に対応し、万事うまく納めるかが「本当の仕事」みたいなところがある。まあ、個人的には、飛行機に遅れたり、欠航になったり、オーバーブッキングになったりで乗れなかったりしたことは何度もあるし、荷物が出てこない、なんていうのは日常茶飯事である。それでも、慣れていなければ右往左往して、どうしていいかわからない、という状況になりかねず、そこにこそ「ツアーガイド」の存在意義があるようなところがある。さて、2月はほぼ丸々一ヶ月日本に行く予定なので、帰ってきて3月から、という話になった。アトランタというと、アトランタオリンピックがあったとき以来観光客の数は激減しているし、見る所もこれと言ってない。4月にオーガスタで開かれるマスターズの観戦ツアーが最大の年間行事みたいなところだが、もし機会があったら皆さん、是非お越しください。フルサービスのツアーガイドがお供いたします。(もうなったつもり・・・笑)
2007.01.20
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Hi Mike,I will let you know about my concern on my experience with our company.So far, we went through all the process in which we have to follow.But, unfortunately, it seems to be failed.The main reason why it failed is that we didn't know the system as you know.But, the secondary reason is the people.As of today, I have no confidence to invite anyone into our company based on my experience with this situation.I need to have a confidence before I invite or recruit anyone else to work with us.As you may know, we, me and you, followed the MCS as much as we can, and still felt something may happen.And It happened.This indicated me that something is wrong, either our action and/or something else.But, I could not find any mistake in my action.That means that something is still wrong or not working properly within this company or system.When I started this application, I expected that some problem may happen, and thus, I continuously contacted with you as well as Bill.Everytime I talked with him (not you), he told me everything is Okey, even I didn't feel that way without any concrete reason.Then, it failed. (at least, faild to meet with our goal which is the closing on the target date.)I feel, he is nice guy, as you know. But, unfortunately, he is not the person to work with.He supposed to be the cordinator for my loan application.Even with my several call to him, he never call me back even it comes to final stage with many unsolved problems.Is he Loan Cordinator?If so, what is the responsibilty of Loan cordinator?Is the responsibility to keep silent untill it completely failed?I still don't know this is the system problem or peoples problem.But I can say " Something Wrong !!! "That is why I can not have a certain confidence on our company, and it is not good for me as well as you, I believe.Is there anything we can do for this concern?Thnak you for your support, and I really appreciated.Rin-Ron
2007.01.19
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魂の究極の目的が神との一体化にあるなら・・・それでもなおかつ、個々の魂が「個別化」の道を選択したのなら・・・私たちがこの現実の中ですることはただ一つ。その「個別化」の目的をどう理解し、それを徹底的に楽しむか、それに尽きるのではないか。時は存在しない。全てが「現在」に在る。であれば、その「時」の中で輪廻を繰り返す「生命」たる我々の目的はただ一つ。限りなき輪廻転生の中で、「今」の自分を、しいて言えば「今」在る神を創造すること。神は人類を創造した。同時に、人類は神を創造し続けている。だからこそ、神はいみじくも言った。「あなた方は神に似せて、神をかたどって創造されたのだ。」と。
2007.01.18
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以前は、あまり周囲の社会との接点も無く、このブログで日常の出来事や思ったこと、考えたことをあまり周囲を気にせず書いて来れました。それでもたまには、ごく身近(例えば家族など)から内容についてのクレームを受けることもありました。それが最近では、考えることやしていることの多くの部分が私自身や家族の範囲に限られず、私の仕事などに関係することが多くなり、いきおい、ブログを書こうとすると、「いや待てよ。これを書いてしまうと、読む人によっては他人のプライバシーに触れることになるのではないか」とか「これは確かに私自身が今考えていることだが、これを公開しているブログに載せることは、まずいのではないか」と思うことが多くなってきた。何度か内容を書きかけて、途中でそれに気づき全部消したこともある。社会との接点、それも特に身近な人との接点が増えるにつれて、この手の「制約」が多くなってくるのは仕方がない。一度文章になってしまい、それが予期せぬ形である人のプライバシーに触れたり、気分を害したりすることになったら、それこそ取り返しがつかない。最近の日記は、そういう意味でちょっと書きにくくなっているのだが、それでもそういった事象の中からできるだけ抽象化して書けることを書いていくしかない、とも思う。不動産投資に関しては特に、以前は自分ひとりのこととして書くことができた。ところが今は、クライアントなどの自分以外の関わりが中心になってきてしまうと、それこそ全然具体的なことは書けなくなる。勢い、以前よりは日記の内容がより「不動産」や「資産形成」というテーマから離れることにならざるを得ない。これはこれで、ブログの公共性を考えた時には致し方ないことなのだろう。
2007.01.17
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以前から時々日記にも書いてきたが、日々の予定を少しは書いて生活した方がいいだろう、と、2007年になってから手帳を買い込んで予定を記入していった。すると・・・・なんと(驚くことではなく、予想されたことではあったが)、予定表はスカスカ。例えば、月曜日:予定なし(夕方、子供が音楽教室に行っているので、それを頼まれるかもしれない)火曜日:10時から英会話 12時から聖書研究会水曜日:9時半から一時間 不動産投資セミナー(オンライン)木曜日:予定なし金曜日:予定なし土曜日:隔週で「アトランタ投資研究会」が午後2時より5時まで (この研究会が無い時は、午後2時より子供をピアノ練習に連れてゆくことを頼まれるかもしれない)日曜日:9時半より聖書研究会 10時45分より1時まで 日曜礼拝と「お茶会」と、これしか定常的な予定が入っていない。しかし、こうしてみると「仕事」がなんにも入っていない。(笑)つまり、仕事は完全に不定期で、いつもやる、あるいはやらなければならないこと、と言うのが何も無い。カレンダーはいたって寂しいものになる。あまりにも寂しいと、サラリーマン時代の、時間単位でびっしり埋まっていた予定表が懐かしくなるから不思議だ。(笑)予定表に入れていないものとしては、瞑想や犬の散歩や読書があるが、これは予定表に入れる類のものでもない。これで「生活できない!」なんて言っていたらバチが当りそうである。なにか、もう少し生活にメリハリをつけた方が自分の性にあっているんだろうか・・・
2007.01.16
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教会の方である旅行会社のツアーガイドをしている人と話をしました。聞いてみると、結構楽しそうな仕事・・・時間給+チップで、一日皆さんのツアーにつきあってお世話をして$200ぐらい。フルに毎日ある仕事ではないけれど、もしあったとしたら一ヶ月で20日間働いたとして50万円近くの収入。これって悪くないと思いませんか?不動産の仕事は有るときは有るのですが、ヒマな時はヒマ。そんな時、この旅行会社に登録しておくと、向こうから何日にはガイドをお願いできますか?という形で確認が入り、こちらの都合が合えばそれで仕事をする、という形(らしい)。丁度、私のように不定期に仕事をしている身には都合が良さそうだし、ツアーガイドをやったらまた人との縁もできるかもしれないし・・・なによりも、この方がおっしゃっていたように、仕事そのものが楽しいらしい。そこがなんとなく魅力に感じて、もしかしたら、明日にでもこの会社に行って話を聞いてみることになるかもしれない。う~ん、時間がフレキシブルに使える、っていうのはなにかにつけていいものです。
2007.01.15
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昨日書いた「初収入」、なんでこんなに嬉しいのかな、と思っていたら、はたと思いついた。それは「生きてゆく自信」みたいなものに繋がっていたからだ、と。退職する人は、特にそれが私のように「早期退職」する場合、退職後どのようにして生活してゆこうか、と思い悩む。私の場合は、それに輪をかけて、日本からアメリカの家族の元に戻り、アメリカで一から出直そう、と思ったわけだからその時点で収入のあても、再就職の当てもない状態だった。だからこそ、不動産投資というものに目をむけ、ある意味、不労所得という部分にその回答を求めたのだが、それだけで足りるはずも無い。一昨年の末に不動産ライセンスをとり、昨年からぼちぼちとエージェント業務を開始はしたものの、まだまだそれで生活していく自信に繋がるレベルには成りえなかった。まだ今でもそのレベルに達したとは思っていないが、もしかしたら、これで食べていけるのではないか、という感触をつかんだのが昨日の「初収入」だ。人は資格を持っていたり、ある能力を持っていたりしても、ただそれだけでは生活することは出来ないし、すぐに就職できるわけでもない。また資産がある程度あるから、と言ってなにもしなくても良いわけでもない。何がこの人生に起きるか、わからないからだ。まあ、それが「不安」の原因でもあり、人生の面白いところでもあるのだが。結局一番強いのは、なにもなくなっても一から出直せる、始められる、という自信ではないだろうか、と思う。特にサラリーマン生活が長くなると、その会社を放り出されたら、あるいは辞めたら、自分はどうやって生きていったらいいかわからない、という人も多いのではないか。私自身もその一人だった。それが、昨日の「初収入」で、曲がりなりにもこの方向で行けば、たとえ今全てを失っても、また一からやれるのではないか、と思えるようになったのが何よりも大きい。当然、生活レベルは一時的にか、かなり長期的にかはわからないが落とさざるを得ないにしても、なんとか家族を養っていけるだけの収入を確保できるのではないか、と思えるようになった。退職後3年近くになる。3年。短いようで、かなりの変化、かなりの道のりを歩いてきたものだ。
2007.01.14
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昨日書いたクロージングが無事済みました。正直、かなりホッとしています。(笑)昨年も自分のものを含めて、6件のクロージングを経験していますが、今回のものは、何と言うか、「仕事をやった!」という手応えがあり、喜びもひとしおです。よく「不労所得」とか言いますが、ある面、こういった「仕事」をやって得られる収入というのはそんな「不労所得」では得られない満足感がありますね。これで今月予定している2つのクロージングのうちの一つを終了。あと一つが来週です。こちらは、初めて家を買うお客様なので金額的には少ないのですが、投入した労力と時間は一つ目の物件より数段上です。しかも、自分でローンを申請している初めての物件。こちらはこちらで、私にとっては一つのエポックですので、なんとか無事に終了させたいですね。
2007.01.13
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いよいよ明日は、私が物件売却をエージェントとして担当した初めての物件のクロージング(最終決済)です。クロージングは専門の弁護士のところに一同に会して行われ、すべての書類の準備などもこの弁護士が取り仕切ります。今日現在確認したところ全て揃っていて問題はなく、明日のクロージングは予定通り開かれるようです。アメリカの不動産売買の場合、その前日まで行ってキャンセル、というドタキャンもままあるので、かなり神経質になっていましたが、なんとかここまで来ました。なにぶん駆け出しの不動産屋、売主にも「やっぱり新米の不動産屋に頼んで失敗だったわ」と言われないように誠心誠意やってきたつもりですが、やはり結果がついてこないとそう言われても言い訳できません。すでに購入の時には「あなたに頼んでよかったわ」と言ってもらっているので、その縁で「売却」も担当して、こちらもすんなり行けば、なんとかこちらの努力も認められる、ということになるでしょう。とにかく明日のクロージング、すべて問題なく終了して欲しいものです。
2007.01.12
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クリスチャンでもないし、キリスト教を信じているわけでもないのに教会の日曜礼拝に参加し、そこで開かれる「聖書研究会」に参加してからすでに2ヶ月余り。先日は、そこの蔵書にある「聖書教理入門」なる、青少年向けのキリスト教あるいは神学学習の教本みたいなものを借りてきて、それを今読んでいる。明後日にはセラーズエージェントとしては初仕事となる物件売買契約のクロージングを控え、そこそこに急がしい毎日を送るかたわら、これらの「真理探究」とも言える読書や勉強はすでに生活の一部となっている。ところで、こういった本を読み、また聖書研究会に参加して、聖書を読みながらその教えるところを皆と話し合う機会が増えれば増えるほど、正直に言えば自分の中である種の「違和感」が育ちつつある。私が考える「神」のあり方とこの世の中の存在理由、しいて言えば人間の存在理由に関する見解の相違が、その根本的なところでの食い違いのためにだんだんと広がりつつ有るのだ。「神」に近づくことは「論理」や「理性」を超越したところで初めて可能になる、ということはよく言われるし、私自身もそうなのだろう、という漠然とした予感めいたものがあるにはある。しかし、それでもなおそのことが、だからと言ってあるところに書かれている、あるいは有る人が言っていることを鵜呑みにする、ということとは、全く違うことだと理解している。人は、本を読み、人から話を聞き、自分の経験に照らして自分なりの考えを形作ってゆく。自分の経験を省みて、先人の知恵を尊敬することにやぶさかではないが、それが即ち自分の経験を否定し、人の言うことを「真理」として盲信するということには繋がらない。教会に参加して思うことの一つに、ここへ参加したり話し合ったりしている人たちには、本当に純粋な人が多い、ということ。本当に「いい人」たちだ。そういった人たちと、聖書の内容や神が言ったとされること、イエスの言葉と「されていること」などの解釈やその意味するところを話し合うと、方や「まず信じる」という方向からのアプローチをし、方や(私の方は)「まず疑う」という方向からアプローチする。この「まず疑う」という形のアプローチは、自然科学や工学の基本的なアプローチ方法であり、それが今までは「真の理由」「真の原因」を追究する際の欠くべからざる態度である、との教育を受けてきている身には仕方がないアプローチ方法ではある。しかし、その結果現れるのは、どうしても根本的に納得できない部分を残しながら、それらを土台として進める議論が非常にむなしいものになりうる実感である。例えて言えば、「ドンでも本」において語られる「トンでもない」論理と同様に、ある間違った前提で話を進めると、その展開がいかに論理的、正論的であったとしても、それはやはり「トンでも」ない結論に至ることが往々にしてある、ということに似ている。つまり、この辺の考え方を棚上げしては、その後の話を解釈し理解するうえで雲泥の差があらわれてしまうことを知っているからでもある。「素直に生きる」ということを自分に課した場合、このような場において自分がとる態度、というのはどういう「態度」なのだろうか、と、このごろかなり真剣に考えるざるを得なくなりつつある。
2007.01.11
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満53歳になりました。火曜日ということで教会の英語クラスに出席した後、いつものように聖書研究会にも出席。すると、別に私のためではないのですが今日はたまたま誰かがケーキを持ち込みしていて、今日が私の誕生日だと知ると、皆でハッピーバースデーの歌を歌ってくれ、そのケーキがバースデーケーキに早や変わり。(笑)家に帰ると、妻が新しいワインを買ってきてくれ、ささやかながら誕生日ディナーをいただきました。昨日江原啓之の「天国からの手紙」を見たから、というわけではないのでしょうが、いつもはさらっと通り過ぎる誕生日、今回はなにか、「ここまで生きてこれた。これは本当に周囲の皆、特に自分の親や妻のお陰だな」と感謝の気持ちが強く湧いてきた。誕生日、というと誕生日を迎えた人がお祝いされるのが普通だが、もしかするとそこまで育ててくれた親なり、いつも苦労をかけていたりする周囲の人に対して、あらためて感謝をする日にした方がいいのかもしれない、などとも思う。私の両親もこのブログを時々は見ているようだ。面と向かってはなかなかいう機会がないし、有ったとしても、直接言うのはなかなか恥ずかしいものがあるので、ここでそっと書いておこうと思う。「おやじ。おふくろ。今自分がここにこうして在り、いろいろな勝手なことを書いたりできているのも、本当に二人のお陰です。本当にありがとう。」そして、妻にも。(これも面と向かってはなかなか言いづらい・・・笑)「会社を早期退職したときから始まって、今現在やっていることも含めて、何から何まで私の勝手を許してきてくれてありがとう。今、こうして好きなことができているのも、君のお陰です。」
2007.01.10
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正月明け、年末に放送されたいくつかの特別番組をDVDで今頃見ている。その中の一つ、「天国からの手紙」。江原啓之が、愛する人の死で悲しみに暮れ、死者のことに対して後悔や心配や苦悩を持ち続ける「残された家族」に対して、死者との「交信」を通して、「生きている者」はどうあるべきか、を語る番組である。いろいろな批判はあるだろうけれど、霊との交信で得た(ということになっている)江原の見解は時として意表を突くが「愛」という観点で見たときには非常に感心することが多いことは確かだ。私もこの2時間余りの映像を涙をもって見ざるを得なかった。だが、この「感動」とか「涙」の原因を辿ると、そこにはやはり「死」というものに対する我々人間の考え方が色濃く反映されていることに気づく。最愛の人、最愛の子供を突然の「死」で失い、その死の原因が病気であろうと事故であろうと犯罪であろうと、その不条理にとまどい悩み苦しむ。なぜ「この人が」「この子が」「こんな形で」生を終えるなどと言うことがありうるのか、と。そんなことがありうるのだったら、この世に「神」など居るはずがない、と思えるほどの不条理性に怒りさえ感じるはずだ。そして、二度とこの「死」んだ人との再会、死んだ人との会話、死んだ人の温かみに触れることさえ出来ない、ということによる喪失感・・・覆いかぶさるような現実の「生きる」ことへの悩み・・・その全てが合わさって、「涙」になるのだろう。しかし、一方で、人間の死を、「生き残るもの」としては悲しみながらも、「死するもの」に対しては祝福を与える民族もなくはない。「魂」の永遠性を信ずるが故の考え方であって、けっして死者への「冒涜」ではない。何を信ずるのか、世の中、いやこの「世界」の構造の真のあり方に対する考え方次第で、「死」に対する考え方もまた変わってくる。それでも、「現実界」に残された人間のおかれた状況も変わらなければ、その「喪失感」も完全に拭い去ることは出来ない。それでも、「真実」を理解することは、この痛みを和らげるのにどれだけの効果があることか。で、その「真実」とはなにか・・・「この世の中には人間の想像も及ばない真実があるのだよ。」- By シェークスピア「真実」に対する興味は尽きそうも無い。自分の生き方にも直結するものだから・・・
2007.01.09
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というわけでは無いのですが。このブログの「メッセージを送る」で、直接メッセージを送ってくださった「Ayumi」様。残念ながら、書き込まれたメールアドレスが違っていたようで返信が「Fail Delivery」になり、御連絡できません。もしこの日記をお読みでしたら、再度、「メッセージを送る」で御連絡ください。
2007.01.08
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昨年は、1月から自分の投資用不動産の購入からスタートした一年でした。1月から6月まで、6ヶ月連続して一軒ずつ購入して後半は息切れしましたが、その息切れもなんとか治まってきた今年は、今度は、不動産エージェントとしての仕事で幕を開けました。先日の「仕事初め」でも書いたように、今月は2件の取引があります。一件は今週金曜日にクロージング(最終決済)がある、知人宅の売却。もう一件は、知人から紹介されたクライアントの物件購入で、こちらは20日がクロージングの予定です。自分用の投資は自己資金がすでに尽きているので、その面ではちょっと休戦状態の今年は、この不動産エージェントと先日から始めたローンブローカとしての仕事をメインにしていこう、と思っています。2月には日本へ3週間ほど行く予定なので、現在は積極的に顧客開拓をしているわけではないのですが、2月末に帰米してからはもう少し腰をすえて取り組もうかと・・・やっていると感じるのは、一度不動産のエージェントとして顧客を持ってしまうと、当然のことながらスケジュールや時間の都合が顧客中心になること。サラリーマン時代みたいに、ではちょっと2週間休暇をとって、というわけにはなかなか行かない。それでも、ある一定期間、この仕事に打ち込んでみることも長い目で見れば大きな意味があることではないか、と思っている。だらだらと何年もやるよりは、集中して1年なり2年なりをやりきれば、また違う世界が開けてくるのではないか、という予感もある。昨年は自分としての投資拡大の年。それに対して、今年は不動産ビジネスの枠を広げる年にしたいものだ。
2007.01.08
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先日、イーカネット加入希望者の皆様へ、ということで日記を書きました。すでに何名かの方が私宛に入会希望を伝えて来られており、その方々の入会の申し込みはすでにイーカネットの管理者宛て連絡しております。しかし、ここへ来て、若干当初の目論見とは変わってきた部分がありますので、今回それをお知らせして、もし、「それだったら入会は止めよう!」という方がいらっしゃいましたらまたお手数ですが御連絡ください。それは、この「有料制サイト」ならではの問題なので、あまりおろそかに出来ません。詳しくは、よしおかたろうさんのブログ、「日本人に生まれてよかった!」に書かれているので、これをご覧になってもらえればわかりますが、要は、会費の徴収方法に問題が出てきたため、今まで月会費、ということになっていたものが、年間一括払いの形にならざるを得ない、ということのようです。さらに紹介者のIDとかは要らない代わりに、申込者本人の「車の運転免許証」か「保険証」のコピーを送らないといけない、ということのようです。私宛に申し込みをいただいた方は、アメリカ在住の方もいらっしゃいますので、この「保険証」はいざしらず、「免許証」もアメリカの免許証で当然構わないと思いますが、それをスキャンしてそのファイルをイーカネット管理者に送る、ということになると思います。なにぶん、こういったインターネットサイトに関しては「ど素人集団」がほぞぼそと初めて立ち上げたサイトですので、こういった「不具合」はこれからも「たま~に」出ると思われます。ただし、これを始めた「動機」には、なんら不純(?)なところはないと、私、リンロンは信じておりますので、その辺は御心配なさらなくとも結構かと思います。なにとぞ、御了解の程をお願い申し上げます。
2007.01.07
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神がこの世界を作ったのは相対性を作り上げたのだ、と言ってもいいかもしれない。つまり我々が住むこの「現実界」だ。それに対して神の世界は「絶対性」の世界だと言う。この相対性の世界、すなわち現実界では全てに両極が存在する。上と下、左と右、暑さと寒さ、善と悪、喜びと悲しみ、そして、愛と不安その全てにレベルの違いが有るに過ぎない。ひるがえって「神の世界」すなわち「絶対性」の世界のものは三位一体がその基本となる。それら三つのもの(あるいは状態)は果てしなき「循環」を繰り返す。過去ー現在ー未来、精神ー肉体ー魂、無意識ー意識ー超意識、思考ー言葉ー行為神ーその御子ー精霊そして、これら三位一体のものたちは、実は「ひとつのもの」だと言う。全てが一つに存在する中をめぐりめぐっているのだ、と。過去も現在も未来も同じ「時」に同時に存在し、めぐる。全ての未来も「今」存在し、現在がその未来を選択し続けている。予知能力者が未来を垣間見る。その「未来」は確かに今存在している。しかし、私たちがそうなるかどうかは決まっていない。その未来を選択するかどうかは、「今」の私たちなのだ。
2007.01.05
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おそらくこれはかなり長くなるだろう。またこの日記で書いていく上で多くの困難を伴い、最終的には、かなりの再編集が必要だと思われるので、後日できればフリーページの方に乗せ変えたいと思う。まずはその(1)- 人間の誕生「誰か」あるいは「どこか」がある物質を要求し、好み、必要とし、収集していた。この物質はL。これは「どこか」にある物質で、これを有するものはそれがどういう目的で使われるにせよ、この物質を極めて重要なものと考えている。この「需要と供給」と言う問題に直面し、「誰か」がこれをその「自然」体の形で探すより、いわば人工的に製造しようと決心した。彼は「庭」をつきりそこで「L」を生育することにした。「L」はもともと自然状態のまま存在していたのだが、その純度はさまざまであり、かつごく微量にしか見つからなかった。だからこそ、この新しい「L」の元が発見されるとそれは多いに歓迎された。この状況を一変させたのが、他でもない、「誰か」と彼の「庭」であった。遠く離れた「土地」で彼は自分の実験に取り掛かった。まず彼はそれが繁茂する炭素-酸素サイクルのための適正な環境を作り上げた。彼は適切な放射とその他の滋養が継続して供給されるように慎重に「均衡」状態を作り上げた。こうして「第一作物」を作り上げたが、その生成する「L」の質にも量にも満足できなかった「誰か」は、次々に「第二作物」「第三作物」と改良を重ねていった。そして「誰か」は、ついには「第四作物」として「可動性作物」を作り上げた。ところが、偶然にして、「誰か」は、この炭素-酸素サイクルの作物同士の間で起こる対立が「L」を不断に放出させることに気が付いた。この点に着目した「誰か」は、さらにこの「可動性作物」の改良を行っていく。「誰か」は付加的実験として「第四作物」の中のほかの「可動性作物」の水準からすると弱々しく効率もよくない「可動性作物」の一形態を考案し、作り出した。しかし、この実験的「可動作物」には有利な点が二つあった。第一には「固定作物」と他の「可動性作物」の両方を食物として摂取して、そこからエネルギーを吸収できること。第二には、「誰か」が「自分の一断片」を引き出して、それを強力で究極的な可動性の引き金として使用した。「誰か」は「断片」をこうして注入すると、この特定の「可動性作物」が「親和力の原則」に従って間断ない可動の状態を呈することを知って居たのだ。この特定の「可動性作物」は無限なる「全体的なるもの」との再結合を求めて、この「彼自身の断片」が生成する親和力を常時満たそうとするのである。このようにして、エネルギー要請を食物摂取によって満足させようとする推進力のみが誘引力ではなくなり、より重要なのは「誰かの一断片」によって生まれた必要性や衝動は「庭」のいずこにおいても満足させることができなくなることだった。こうして可動する必要性は常時存在し、この必要性とエネルギー交代の必要期間の葛藤が不断のものとなり、もしこの「可動性作物」が生き延びれば、多分に良質の「L」が継続して生成されることになるのである。こうして「人間」は誕生した。
2007.01.04
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さて、元旦はぶらぶらと過ごし、今日2日は、ちょっと仕事のやり方を今年は整理しよう、という思いで、事務所(自宅の一室)の整理をしようかな、と考えていた。そうしたら、朝の9時ごろから次々に電話がかかってくる。いわく、年末に送ってもらったFAXがよく読めないので再送して欲しい、とか、バイヤー側の都合で、15日予定だったクロージングを16日に変更できないか、だとか、やっとセラー側の了解をとりつけて、16日に変更したと思ったら、やっぱり16日も都合が悪いので、12日に前倒しできないか、と言われ、またまた調整。午後には娘のバイオリンレッスンの送り迎えをした後、これからローンの関係でブローカーのローンコーディネーターと打ち合わせです。う~ん、年末に書いた日記の通りになってしまい、ほとんど正月気分なんてのはなく、2日目から全開モードです。でもとにかく2月頭に日本に行くので、それまでに二つのクロージングを完了し、なおかつ、自分のTaxリターンの準備も少しはしておかないと、2月末にアメリカに帰ったらすぐに提出期限が来てしまう。年末に会社を登記したので、今年の申告はこの会社分もしなければならないはずだが、なにせ未経験のため、なにをどう準備したらいいかわからない。とにかく、その辺を多少とでも調べておいて、アメリカに帰ったら効率的に帳票類を集めて申告できるように、多少とでも整理しておきたい。あれやこれで、1月はなんとなく忙しい月になりそうです。
2007.01.03
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年の初めの日記から、ちょっと焦っておりますが・・・先日より、イーカネットの新規加入を御案内していましたが、言い忘れていたことがありますので、これは「ビジネス上」非常にまずいのであわてて掲載いたします。このイーカネットは「有料制」です。入会金1000円と月会費500円がかかります。これをどうやって払うか、というのがまだ決まっていないらしいところがイーカネットらしいところですが・・・笑ということで、すでに私宛に入会希望を送られている方で、「有料制だったら、止~めた!」という方がいらっしゃいましたら御連絡ください。なお、入会申込書が送られてきた際に、紹介者として私の情報を記入することになっているそうです。その節はあらためて私宛てにお問い合わせください。一応、主催者のよしおかたろうさんの入会案内の日記を下記にリンクしておきます。「日本人に生まれてよかった! - イーカネット入会案内 - 」よろしくお願いいたします。
2007.01.02
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明けましておめでとうございます。さて、2007年の初めにあたって、ブログ名を「ちょこっと」変更しました。「我、今、ここに、生きる」です。Happy Richは変えません。今を生き、人生を創造する。瞬間瞬間を大事に、ひとつひとつの選択を意識的に行なって生きたいものです。全ての選択に責任を持ちながら・・・本年もよろしくお願いいたします。
2007.01.01
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