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朝から父と対決した。終戦記念日に、小泉首相の記者会見がきっかけ。私はめずらしく朝8時に起きることができたのに、その甲斐もなく、ただの私の何でもない一言が、父にとっては『邪魔で、記者会見が聞こえなくなる』という点で不可解だったらしく、彼は、『どうしてオマエはそうやってつっかかるんだ』とイライラをぶつけた。私は、冷静に、そういう父の意味不明で、心遣いのない言葉が私を傷つけると伝えようとした。それが無駄な努力だった。午後は、ずっと寝ていた。顔が能面の様になっている。口角を上げようにも筋肉が固まってしまっているようだ。ここ数日、昼間爆睡している。ながいジェットコースターのようなストーリーの夢を見ているので、疲れる。今日は、高校の部活時代の友人がたくさん出てきた。意味不明だが、これは、明日の部活同窓会?のことだろう。ブラックな内容で、ますます疲れた。起きてみたモノの、今度は朝の父親とのやりとりが思い出されて苦痛になる。悲しくなる。私が悪いからこうなるのか、と悲しくなる。鬱でなければ、落ち込まないのだろうか、イヤ、いつも落ち込んでいたんだ。しかし、怒りまくる気力もないので、対決も話し合いになるが、父にとっては、父に反抗する訳のわからない怠惰な娘とうつるだけか。やはり、ダークだ。もういやだ。鬱はいやだ。こんなに元気のでない自分、活力のない自分に耐えられない。死んでいるのと同じかもしれないと考える。生きているのか、わからない。人に優しくできても、どうして自分にやさしくできないんだ。私はうつ病だ。ここで涙を流して、流して、流して、苦しい。苦しい。どうしたら、能面は剥がれるの?私はこれからどうなるの?どうなるの?どうしたらいいの?わからない涙が出る涙が出る悲しい
2006年08月15日
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とても久しぶりの日記だ。もう寝なくちゃ、サッカーみれないじゃん。鬱は良くなってないと言われている。特に最近、というか3月頃から、めまいがはじまった頃からずっとずっと悪くなったとカウンセラーにも言われた。自分でもそう感じざるを得ない苦しいときがある。何事もなく一人で寝ようとするときに泣きたくなる。毎週のように、波は押し寄せ、オイオイ泣いてしまうときもある。父には『心の病気を治すには、体を鍛えて云々。。。オマエはワールドカップの試合には起きられて、いつも起きてないじゃないか』とブラジルに負けてピッチで泣いているヒデを横目に、対決。対決といっても、うつ病というものを理解せず、パニック障害も理解できない父には、私の発した言葉は、通じない。父に対する気遣いも、無駄だといろんな人に言われるが、彼自身が私のトラウマであり、トラウマを呼び起こす力をなぜか持ち続けているので、私は、対決することができても、その後数日泣いて自責で過ごすのである。本当に、本当に無駄だ。彼には、記憶もない。昔の悪い記憶はすべてない。ふたをしてしまっている。すさまじい力でふたをしてしまっている。私は向き合えるだけ向き合ってきた、自分の内面と家族と自分の人生に対して、向き合うことでしか解決しないと思っていた。でも、自分の精神力や体力が、尽きてしまったことをうつ病によって思い知らされたとき、向き合うだけが、戦うことが解決になるとは限らない。自分を幸せに出来るのは、周りを幸せにすることだと思いこんでいた私。自分を大事にして、自分で自分を守り、自分の内面に自分自身が寄り添い支える、そういうことが、周りを優先せずにできるようにならないと、私はずっと息苦しい。生きづらい。
2006年07月04日
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めまいが良くなっているのに、いい日と悪い日は鬱と同じように交互に来る。今日は、朝から眠たくて、朝寝をしたけど、おきていたら、目を開けていることがつらくなってきた。仕方なく、3回に分けて仮眠を取った。夢にうなされた。振込みに行くことも億劫で、行かなかった。手数料なしということで安心。とりあえず、健康の記録はつけよう。つまらないと思っていても、今日のようなガクガクめまいの日には何もできない。本を読めばガクガク。パソコンはもちろん最悪にガクガク。目を開けているだけで、ガクガク。とにかく寝よう。寝るしかないんだろなぁ。考えすぎるからガクガクなのかも。
2006年02月06日
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めまいがするようになってから、もう4週間目。今日は、朝から、目がぐらぐらとする疲労のような状態だった。午前4時に寝たから仕方ないのかもしれない。でも、朝は起きて、朝寝をしてしまい。昨日、ビーズ細工でストラップを作ったから、余計に疲れていたのかもしれない。ビーズのテグスの扱いに慣れるまで、時間がかかった。本を読みたくないし。勉強もしたくない。念願の家具が届いたというのに、気持ちがぱっとしない、だらだらとした日曜日。オヤジが居間のテレビを独占し、南向きで日当たりのいい居間は、ぽかぽかで、自分の部屋にこもるのはもったいないくらいだった。アンティークショップで選んだライティングデスクは、とてもいい。でも、私の部屋には陽が当たらず、そのために昼間でも暗く寒い。アンティークの椅子も、私の足が着く高さに脚を調整してもらったから、実は使いやすい。使いかっては悪くないが、大事に使いたいので、気を遣う。でも、それで部屋が落ち着くなら、いいことなのかも。遣っていくうちに、いろいろ場所が決まっていくのかも。あぁ、今これを書いていて、今日の午後、つまらないとうだうだと思っていたとき、モノの居場所を決める作業をすればよかった、と思い浮かぶ。最近、昼寝を欠かさない。めまいのために、夕方仮眠を取る。身体を休めて、ストレスを取る。というのが、目的だけれど、実は変な夢をみてしまうことが多い。半分寝ていて、夢を見ている。嫌な夢の最中でムリヤリ起きることもある。大体、夢で疲れる。昼寝を気持ちよーくするのは難しい。最近ハマッている身体にいいことは、『ゆる体操』という変わった体操。ストレッチでもない、ラジオ体操ほどの力強さもない、しかし確実に身体に効いている。もう少しで始めてからひと月になる。2ヶ月後には、2キロは体重が減るだろうと言われている。もうちょっとやせたいけど、それくらいのペースで続けていかなければ。ゆる体操。のおかげか、夜の睡眠の質は向上した。布団に入ってすぐに眠くなり、気がついたら寝ている。なかなか良い。オススメだけど、ニド先生のご指導ビデオなんぞあったら、なおいいかも。NHKに問い合わせてみようか。今日はとりあえず。寝るぞ。
2006年02月05日
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イライラする。姉に当たる。ケチをつける。父を手伝ったらやっぱり腹が立ってくる。母と話し合っても、私の気持ちを吐き出しても、母にはそれが入る隙間がないように感じる。私は理解されていないと、感じてしまう。母は私を理解できないと訴える。一生懸命、心配していると訴える。見守っているんだと訴える。私は、話を聴いて欲しいんだ。私の感情の波を受け止めて欲しいんだ。心配するだろう。でも、私の話をちゃんと聴いてよ。私の葛藤を感じてよ。私に、なにも聞かないでおいて、どうして今さら、私のために父と離婚しなくちゃいけないと思ったとか、そんなこと簡単に言わないで欲しい。離婚をしない選択を私は尊重した。母は幸せなんだと言う。私に幸せにしてもらわなくても、十分幸せだと言う。だから、私はこれから自分のことを考えて生きていけばいいという。じゃぁ、今まで私が感じてた罪悪感や、母の愚痴を一心に聴いてきたことは、なんだったんだろうね。お母さんに淋しい思いをさせたくないと思っていたんだよ。お姉ちゃんの離婚のときつらかった、つらかった、というけれど、私はそのときにうつ病だったんだよ。お姉ちゃんの離婚の問題で、私は、うつ病の治療を日本でするのが困難だとわかったから、イギリスに戻った。それでも、母は当時を思い出すとき、まず出てくるのは、お姉ちゃんを心配して、つらかった。あの時は本当にストレスで倒れそうだった。あぁ。そうさ。私がイギリスへ行ってしまったから、母は気が狂いそうになるほどだったに違いない。ストレスのはけ口がないのだもの。それに気づいてるの?簡単に私を、慢性化したうつ状態を持つ、どうしようもない娘のように扱わないで。イライラする。悲しくて。イライラする。自分に腹を立てるしかないじゃないか。こんな状況で、被害妄想や、イライラしてしまう自分を受け止めることができない親を責めてしまえば、その矛先を自分に向けてしまうんだ。腹が立つ。私の中のムシは、抑え込まれて、抑え込まれて、この数ヶ月。やっぱり痛めつけられるのは私なの?私は私を痛めつけるの?お母さん、私から逃げないで。お母さん、私の話を聴いて。聴けないのなら、聴けないのなら、私はあきらめる。聴けないの?きこえないの?聴きたくないの?いらだっている私の言葉が恐ろしいの?悲しんでいる私の言葉が恐ろしいの?ほんの注意不足で出るうっかりなコトバや表現は、本当にうっかりなの?じゃぁ、うっかりを許せない私が悪いんだね。やっぱり、私がおかしいんだ。だから、みんなが苦しんで、お母さんも苦しむんだ。生理だから、ウツだから、PMSだからこんな理由じゃ、理由にならない?理由は謎のままがよかったのかなでも、イライラするんだよ。頭に来るんだよ。父にも。母にも。そして、それは自分に腹を立てているということなんだよ。
2005年12月29日
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ずっと前に、私は『泣いている自分』を受け止めたはずだった。受け止めて、泣いていいんだ。つらかったろう。独りぼっちだったろう。と、慰め続けてきた。今日は、『泣いている自分』『怒っている自分』が、同時に私の中に戻ってきてしまった。自分のために泣いている自分。母に申し訳なくて泣いている自分。父に口惜しくて、情けなくて泣いている自分。母を許せなくて泣いている自分。父を許せなくて泣いている自分。こんな自分を許せなくて情けなくて泣いている自分。今日は、昨日より調子よかった。と思っていた。父にインターネットのメールの使い方を嫌々教えていた。気楽に自分を頼ろうとする父。楽しそうな父。イライラする自分。楽しそうな父をみて、自分のイライラを抑えようと頑張る自分。どうだっていいことのような、なんてことない日常が、日常に存在しなかった日々を思うと、口惜しくなってくる。あの流した涙と葛藤と、罵倒されたり揶揄されたりした日々を思い出す。
2005年12月28日
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今日は絨毯を掃除してから、夕方まで布団かぶってふて寝していました。変な夢をみてしまい、起きてナントカ何かしなくちゃいけないと思いつつ、ぼぉーっとしてました。夕方、やっとベッドから出なくてはと思い、ベッドメイクすると自分に言い聞かせてそのまま出ることができました。少しストレッチもして夕食を食べました。まだ生理は来ないです。明日はもう少しいい日になるかな。--------------------------↑を買いた一時間後。------------------------こんな気分の自分じゃ、働いてみたい仕事になんてつけない。きっとダメだ。弱いから。イライラする。自分に。イライラする。仕事したいのはお金がほしいから。自分の社会的な位置が欲しいから。私は私のしたいことをしているの?論文は?終わらせたい。それが一番のPriorityだけど。自立したい。お金が必要。働いてみたい。職歴がいるかも。安定したいウツウツがいや。イライラする。悲しい。
2005年12月27日
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今日は鬱々と言っても、さっき絨毯の掃除をした。塩をかけて微粒のホコリを取れるというのでやってみた。でもそのあとは、ぐったりしている。昨日は涙を流したり、おいおい声をあげて泣いたりしていた。貧血だとおもたのはウツだったんだ。実際生理前だから、ウツになるのは予想できるし、理屈はわかるが、やっぱり気分本位になってしまう。気分本位になってはいけない、とどこかの森田療法の本に書いてあった。森田療法って、悟んないとすごく苦しい。森田療法を口にされると、くやしい。そんなに簡単にはなおらない。とりあえず、ふて寝。そんな昨日と今日。
2005年12月27日
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何の前触れも、期待もなく、一通の封書が届いた。それはローマ字表記の私宛の封書。大学からだ。でも手書きの宛名はめずらしいな、なんだろう。注意も払わず、乱暴に開けた。中から、かわいらしいスマイルマークの着いた白い紙。差出人、名前はないけど、Hotspur Primary Schoolとある。あ、まさか。そうTree Houseからの手紙。元気ですか、子供達はあなたのオリガミをまだ忘れていませんよ。あなたが置いて行ってくれた折り紙と本で練習していますが、あまり上手くいきません。あなたが戻って来てくれるといいのにね。学校では、最近アーティストが来て赤レンガの壁に素晴らしい絵を描いてくれました。他の壁を白く塗ってしまってきれいにするのが大変です。白い壁のせいで、あなたが戻ってきても(学校が)わからないかもしれないわ。子供達とサッカーをしてくれる男のスタッフを募集中です。冬も最中、どんどん暗くなり子供達を外で遊ばせてあげられないからたいへんです。来月のクリスマス休みが待ち遠しいです。手紙のお返事待っています。Tree Houseのみんなより。すごく嬉しかった。なんだか、温かい気持ちになれた。家族にも手紙を読んでもらった。私が、Tree Houseにいた証し。みんなに会いたい。子供達もまた大きくなっているだろうなぁ。箱いっぱいに折り紙を折って、クリスマスのプレゼントにしようかな。折り紙買いに行かなくちゃね。
2005年11月13日
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昨日の夜私は少し興奮気味だった。気づいて、もやが晴れてぴょんぴょん跳ね回れるくらいだった。でも気をつけないと。いつ足をすくわれるのかと、不安になる。パニックはなくならない。いつどんなときでもなくならなかったから。でも、意欲、前に進もう。何かをしようという意欲が出てきた。論文を書きはじめようと、本当に思った。もうダメかと思っていたのに。不思議な経験。薬を飲むのをやめなくて良かった。これからも、薬はしばらく飲み続けないといけない。今日は姉の部屋を掃除し、私がどうやって論文を書くようにするか考えたりしていた。私は、私。泣いても、笑っても、私。うつにのっとられた気がしてた。ずっと暗闇にいなきゃいけないと思ってた。でもそうでもないみたい。光は見えてきた。トンネルはもうすぐ出口だ。転ばないように、しっかり歩けば、安定して行ける。パニックは、なくならないようだ。今日も少し不安を感じて、もの悲しくなった。でも。私が私のために何かできるようになって来た。私が少しわがままだけれど私のために時間を使おう。前に進むために。でも、ゆっくりね。信じて。ゆっくりね。
2005年11月11日
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今日、気づきというか、何かが吹っ切れた。今日だけなのかもしれないけど、明日はどうなるのか少しだけ不安だけど。でも、自分で、自分を信じよう。ここまでやってきたこと色々思い出して、私がやってきた。私が歩いてきた。私がはいつくばってきた。回り道と思って否定してきた時間を、私が通ってきたちゃんとした道、回り道だろうがなんだろうが、頑張って通ってきた道だと、思うことができた。自分を信じたい。自分を信じよう。自分に向けてのメッセージ。大丈夫。自分を信じて。
2005年11月10日
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今日は、母が仕事を休んだ。私の様子を心配してか、仕事を休んで朝から、大野裕著の『うつを治す』という本を読みメモまで取っている。私がはじめてうつ病と診断されたのは2002年の4月。その後、1年の休学・休養を経て、復学。今年帰国した。帰国後の私はとりあえず帰国した勢いで元気な様子でいた。でも、帰国前のバタバタとか、会えなかったイギリスの人たちに思いをはせ、ゆっくりする間もなく、荷物の片付けに追われていた。両親も、早く片付ければその方が落ち着くと思ったから、そうすることで最初の一ヶ月を過ごした。母の書斎も整理し、私の本が入るように新しい本棚を買い、書斎を整えた。私の部屋も物置状態から、収納ケースを買い、私好みの部屋になるように機能的に暮らせるように、とせかせかと頑張った。そのつけのように、10月に入って私はガックリと疲れてしまった。気分もぐったりし、発作・大(叫びあり)も起きてしまった。毎日のように、夕方仮眠を取って、しかも夜もきちんと眠れるほど疲れていた。10月半ばから、熱を出し10日以上熱で寒気が取れず、高熱を繰り返し、その風邪が治まったかどうかのタイミングで次の風邪をひき、やっと普通の気温の中で寒気を感じなくなった。そのあと、私は立て続けに予期不安から発作というお決まりのコースで、毎晩のように非現実的な日常を見る感覚や、落ち込みに襲われる。母も私が倒れて、家事を手伝う手も無く、くたびれていた。きちんと病状を説明しようにも、私が主観的に感じていることをどう説明すればわかってもらえるのか、自信がなかった。父とのやり取りも、苦痛になっていくばかりで、大きな声を出されると、それだけで、エネルギーがなくなるというか、対抗してもその場で意思を伝えることができずに、もどかしさと、息苦しさのようなものを感じていた。今日は、母が仕事を休んだと聞いて、申し訳ないと思い、私の意思を伝えることが大事だということは、感じた。友達とチャットで話しているうちに、手紙などや交換日記のようにして伝えるのはどうかという話になった。私も短い文章での方が、伝わりやすいかもしれないとは思っていたが、今日実行に移すことにした。疲労の色を隠せない母が、私のために本を読んで考えている姿が痛々しくて、そこまでしているのをみて、上手く気持ちを伝えられない自分にイライラしてしまっていたし、自己嫌悪に陥ってしまいそうだった。母に自分の発作のこと鬱々とする気分のこと、短い言葉ではあったけど、とにかく見守って欲しいということ、私の見ているサイトを紹介したりした。定年を控えている母には私の不安定な状況、私がまだ論文を仕上げていないという状況も心配に違いなかった。やる気が出るかどうか、頑張り過ぎないのを理解してもらわないと。私だって自分の症状が、無意識の自分がコントロールしてるんじゃないかと思ってしまうほど歯がゆい。私はどこかで逃げているのかと感じるほど、悶々としていく。発作が起きれば不安になる。その思考や場面が避けられるならともかく、発作が突発的に起こるときは、防ぎようがないし。この小さな手紙のやり取りが母への負担を少しでも軽くなるように、私のつたないコミュニケーションの方法。。。わかってもらえるかな。。。
2005年11月08日
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今日は、姉と二人でとあるホームセンターに行った。ペットエリアで気晴らし。。。うちは大型ペットはルールで飼えないことになっている。いつも誰も昼間家にいなかったし。だから、あるとき夜行性の小さな動物を飼うことにした。ゴールデンハムスターである。初めの3匹はあまりうまく育てられなかった。噛み付かれたりしてしまったし。そのあとはかな~り間があいて、次は、姉が一人暮らしのときにまた飼いはじめた。うち、夏休かなんかの間に2匹は私がみとることになり、その後の我が家にはこの2匹のうちの1匹の血を引く2匹が残り、小さいうちから育てたので、いろんなことがわかり、かなりの愛嬌をふりまいてくれた。この頃、驚くべきことに父もハムスターに愛着を持つようになった。いつも違う毛色のゴールデンハムスターを見つけるようになった。究極小さいハムスターが一般に出回るようになったけれど、顔の愛らしさ、バランス、しぐさや、表情などは、ゴールデンが一番だ、と思う。何匹もずっと飼ってきたけど、どれも性格や食べ物の好み、外へ出してあげるときの遊び方などが違うので面白い。今回であった子は、茶色で長毛。フワフワしている。生まれて2ヶ月弱だろうか、まだ小さい。毛が長いのででかく見える。早く私のにおいをおぼえてもらうには、えさを手からやったりするといいらしい。今日は、来たばかりだから、びくびくするかなぁと思ったら、さっそく新しいケージの中を散策。。。車輪を猛スピードで回している。こヤツやるなぁ。。。名前は、マロン。秋に来たから。栗毛?色だし。丸いし。呼ぶときは、まろまろ~にすでになっているが。。。そして、もう私のココロを癒してくれている。温かい。仲良くしようね。マロン。
2005年10月30日
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ともすると発作になりそうな、もの悲しさを最近よく感じる。大学浪人時代に、よくわけもなく悲しくて、生きていることが悲しくて、周り見えるモノがいくら綺麗でも、それが即はかないモノとして感じられ、いっぱい、いっぱい、ぽろぽろ、ぽろぽろ泣いていた。そのときの感覚に似ている、もの悲しさに、振り回されている。悲しいのか寂しいのか、泣きたくなる。何もしないでいるから、時間をもてあましているんだ。自由な時間を楽しめないでいる。時間がありすぎると人間ろくなことを考えないと、誰かが言ってたかな。正直、イギリスのあの空間が恋しい。公園へ行って、お気に入りの道を歩いて、顔なじみの猫に挨拶して。大学の中庭でため息をついてたときが懐かしい。贅沢な、時間だとわかっていたけど。一人でいる時間がよくないのだろうなぁ。
2005年10月28日
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熱もひどいが下痢も頻繁になっている。いつから風邪をひいたのかもわからないくらい。今日は、朝とにかくシャワーを浴び、スッキリした。が、熱はこの時点で38度あった。ほぼ入院患者のような気分。実家にいるのに。実家にいるから幸いだったよ。こんな風邪、イギリスでひいたらかなりのダメージだった。でも焦る。こんな風邪ひきたくないとひいてしまっているのに、受け入れられないというか、気持ちがあがく。なにも焦る理由もないといえばない。。。明日のTOEICが無駄になるくらいか。。。下痢がひどくて、熱も下がってもすぐ上がるので、途方にくれてしまった。民間療法を検索して、濃い目の緑茶とハチミツ少々というのを2杯飲んだ。温かいお茶を飲んだとたん、汗が噴き出してきた。ベッドに入って、汗を出し切るべく気合を入れたつもりだった。それがだんだん呼吸が荒くなりはやくなり、ドキドキして不快になってきた。すぐに母を呼んで、そばについていてもらった。情けなくて、焦っていて、どうしようもなくて涙が出た。泣いている私の姿は、まるで子供だった。母も、『いろいろ焦らなくていいから、悪い流感なんだから仕方ないでしょう?TOEICも受けられなくても仕方ないでしょ。気にしないの。』とやさしくしてくれて、涙がもっとあふれた。最近の私の子供がえり。。。恥ずかしいけれど、そういった形でも、ぬくもりというか、コミュニケーションが必要だと思うし、私もどんどん私をオープンにしていかないと理解されにくいことに気がついた。ココロの病気も、身体の病気も、助けを求めていいんだ。家族に助けを求められるなら、それはとても幸いなことなんだ。まだ、まだ、私の不安定さは続くみたい。この風邪が治ったら、健康オタクになろう。。。
2005年10月22日
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熱だけの風邪だと思ったら違った。今日も起きて食後に熱を測ったら38度。上がったり下がったりじゃ。。。と嘆いても始まらんので、病院へつれてってもらった。ただ、ただ、熱で苦しいので、でも2日たっても汗かいても、熱が上がってくるから、そのことが気になるし、38度はうんざりだ。お医者様に、熱以外の症状は説きかれ、節々の痛みと、そういえば、便秘気味だったかも、でも今日はゴロゴロしてます、と言ったら。熱が出て後からお腹に来るタイプのかぜですかね。。。と、お医者様。これから、お腹が悪くなるのぉぉぉ???それもいやだなぁ。。。。しかも抗生物質くれなかった。お腹に悪いからかなぁ。ふううう。薬もいただきましたよ。でもね、昼に解熱剤飲んで、す~ぐ、汗がだらだら出てきて、やっと汗が止まったときの熱は37度。そして、9時間後には解熱剤の効き目が切れて、そこで測ったら39度。おいおいおいおいおいおいおい。大丈夫なのかぁ。ストレス感じてるけど、それはさ、熱にしなくてもいいと思うんだけど。今週末のTOEICはどうなるんでしょう。フラフラになりながら行くしかないよなぁ。もおおおおおおおおお。いつ、どこで、こんな風邪をもらったんだ。どこのバイ菌だ!ふううううまた、解熱剤飲んだので汗がまた、だらだら出てきてます。早く寝たいんだけど。。。熱も3日目となるとインフルエンザみたいだよなぁ。。。。もうろうとしますね。おまけに少し小さい発作もあったよね。どうなるの?どうにかして。。。
2005年10月20日
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昨日もだるかったけど、今日はもっとだるい。筋肉や関節がいたい。落ち込んではいないが、ぐったりしている。母にあなたのも神経症。。。と言われて、新たに神経症とか調べて、ちょっとぐったりしている。私の風邪。。。つまらない。風邪でなくても、やる気ないけど。。。
2005年10月19日
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昨日、午後に家でひとりだった。だらだらしてるのが悪い気がして、焦ったりしていた。ドキドキして、ちょっと具合もよくなかった。午後は、そういえば、母が半身浴でもすれば?って、イギリスではお風呂なかったでしょう?と言われたのを思い出し、重い腰をあげて、お風呂を掃除し始めた。焦ってドキドキ、『何かをしなくてはいけない』と思う気持ちが身体にでるなんてね。でも、やっとこで身体を洗って、その時点で半身浴なんて贅沢なことをしてはいけないとか、そんな時間はないとか、理屈抜きで少し罪悪感をかんじたりしていた。が、である。ラベンダーのエッセンシャルオイルを一滴、洗面器のお湯に垂らしてみた。広がる香りに、少しだけでも風呂につかるかという気持ちがでた。そのまま湯船につかって、ラベンダーオイルをもう2,3滴今度は湯船に入れてみた。鼻からゆっくり呼吸をして、気持ちいいと思った。朝から続いていた焦燥感も薄らいでいった。肩がこっていて、身体が硬くなっていたのも少しずつ和らいでいった。アロマはいいなぁ。。。ホントに効くんだなぁ、とほっとした。一瞬だけでも頭を空っぽにできた気がして、どれくらい浸かっていたかわからないけれど、湯船をでると鏡に映った自分の顔をみて、おどろいた。ワントーン顔色が明るくなっている。風呂にはいるまで眉間にしわを寄せていたけれどそれもなくなっている。自分に優しいことをしたんだ、とほっとした。まだまだだけどねぇ。。。
2005年10月18日
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今日は、朝11時くらいに起きた。実は午前3時くらいから6時くらいまで起きていた。昨日は昼寝も夕寝もなかったから、夜9時には体操をしてたら眠くなってしまった。姉の部屋でテレビを見ながら。姉が出張で遅くに帰ってきて、そのとき自分の部屋に戻ってまた寝た。薬も飲んだ。この間病院に行ってから、薬の量を減らした。実は少し気になっている。というか、心配している。何が変わったというわけでもない。が、いざ、わかっていても、『鬱病あんまりよくなってないみたいですよ』と医者が親に言ったと聞くと、どうにかしなくちゃと思う。何かして、治るモノでもないのに、なにか特別なことでもしなくちゃいけない気分になったりする。おかしいぞ。休むしかないし、自分を焦らせてもよくないのに、どうして焦るの?休みなさいって言われて、休めなくなっちゃった。それまでは、泣いたりどうしたりって、なるべくやすんでたか?あぁ、わからない。あ、体重測定は続いてて、体脂肪率は下がらない。そんなのどうだっていいけど。人間ドックもね、入るはずだったけど、精神科行ったからキャンセルした。それもどうでもいいね。何もしちゃいけないわけじゃない。でも焦って、あ、焦ったら、それも良くないってまたドキドキしたりして、アホだ。。。(いや、アホじゃなくて、脳みそが疲れてるから)もう~。ぐるぐるぐる、するね。よくないよ。わからないよ。はぁ。半身浴したらよくなっかな。脳みそ空っぽにしたいの。
2005年10月17日
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初めて鬱病と診断されたのは、2002年の4月。具合が悪いなぁと思っていたのは2001年の11月には、何となくもの悲しい気分はあった。実験が機械の都合もあり滞り、学校に行かなくなった。そんな感じで年末年始は日本で過ごして、イギリスへ戻るときは不安で、戻る前から、ホームシックになるだろうなぁと思った。チャットルームでいろんな人と話したりした。モトカレともチャットルームで知り合った。そんな時期だった。そして、毎晩のように泣きながら、電話相手をさがしたり、チャット相手を探したり。『イギリスに留学して、何も不幸せに感じることはないはずなのに、とても悲しい。やるせない。自信もない。寂しい。理由がわからない。もっとちゃんとしなくては。』眠れない日も多かったように思う。不眠で、初めて市販の睡眠薬を買った。当時は自分を苦しめるがごとく、発作もあって、何もわからず、できることと言えば、友達と話しをすることだけだった。今と比べると、よく生きていたなぁと思う。自殺願望はなかったけれど、消えてしまいたいと思うことはあった。医学生のフラットメイトのひと言で、知り合いが私より先に鬱っぽくなってたこともあり、驚いたがすぐにチェックテストをネットでしたら、すべてに当てはまってしまい、さらに動揺したのを憶えている。動揺しながら、私はどうすればいいの?とポロポロと涙がこぼれた。人の目も気にせず、止まらない涙がこぼれた。図書館のPCで、涙があふれて、どうしていいのかわからなかった。その場に偶然居合わせた友人が、鬱の経験者であったことがラッキーだった。彼女は、私のかわりにGPに電話で『緊急です。すぐにお医者さんに合わせて下さい。彼女はとっても落ち込んでいて動揺しています。』と。ただただ、申し訳なく、自分を責め、罪悪感を持ち、指導教官とのミーティングでも涙を流す始末、常にココロは鬱々として、思考は混乱・動揺していた。心を鬱に乗っ取られた。ココロ、ここにあらずとした、ふらふらした自分を思い出す。思えば、幸いなことは多かった。フラットメイトに医学生(研修医)がいたこと。心理学・言語障害のセラピストの勉強をしていた学生がいたこと。鬱の経験者が周りに二人ほどいたこと。イギリスが鬱病に新しい国でなかったこと。周りの目が優しく、温かかった。私は鬱病を治すために、自分を守るための治療をすることにした。日本に2002年の6月のワールドカップに合わせて帰国することにしていたから、それを待って帰国することにした。それからも、いろいろありすぎて、どうやってイギリスに戻るまでにいたったのか、思い出せない。昨日は、病院へ行った。前に御世話になっていた先生が移られた病院に。先生とは話しが少ししかできず、でも会えて『おつかれさん。疲れがでてると思うから、やっぱりゆっくり休みなさい』と言われてほっとした。これから、今日から、また、鬱病との付き合いが始まる気分。ゆっくり。ひとつずつ。すこしずつ。立ち止まっても、やすみやすみ。なにをどうすればいいのか、また模索の日々になるんだろうか。
2005年10月16日
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昨日はとっても鬱々で、友達とチャットできなければ一日中泣いていたかもしれない。うつ病テストを3つの違うサイトでやってみたら、2つが中程度以上と出た。ひとつは重度とでた。心配に心配が重なって、私大丈夫なんだろうかとまた涙が出てきた。モトカレも、心に余裕がないのかあまりゆっくり話を聞いてくれない気がする。夜中だし。国際電話だし。日本に帰ってきたから、不安定になることはあるだろうと思っていた。昨日は、15時から23時まで寝てしまった。母が帰宅したのにも気がつかなかった。みていた夢は、留学の引越しの夢だった。また、私は引越しで右往左往していた。寮にいる設定だった。でも、周りにいたのは日本人で。引越しなんか嫌いだ。今日は、初めてうつ病と診断されて、一時帰国していたときにお世話になっていた先生の病院へ行く。親にも一緒に行ってもらう。ただ父なのだけれど。母はここ数週間寝てばかりいる私と情緒不安定な私のせいで、私が手伝えない状況で神経も体もくたびれてしまったようだ。本当は、母と病院に行きたかったのだけれど。
2005年10月15日
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発作があった次の日。それでも9時に起きた。ちょっと便秘気味。そんなことまで気分が暗くなる。発作があったからか、ぼぉっとしている。何も考えたくない。何もしたくない。ビデオをみたけど、集中力もない。もう昼になった。昼飯を食べるのも億劫だ。買い物に行くのも億劫だ。このまま寝てしまおうか。また寝てしまおうか。今日は無駄になる日だ。明日は人間ドック。一日の健診だ。面倒くさい。その書類を見ないと。今日は家にひとりだ。独りは楽だけど、刺激はない。疲れないけど、眠くなる。なんだか、自分がどうでも良くなる。寝ていても、何していてもどうでもよくなる。バカ食いしないように寒天を食べるか。ご飯は美味しいかな。ご飯をおいしく食べたいな。食欲も無いんだ。食いしん坊な私が食欲がないとは何事だ。。。頭が働かない。思考がとってものろくなっている。まだ12時だけど、今寝たら起きるのはきっと夕方6時くらいだ。もうなんでもいい。どうでもいい。無気力だ。
2005年10月14日
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早起きだった。6時前に目が覚めた。もっと寝ているはずだった。洗濯をした。布団も干した。ジムのオリエンテーションをしなければならず。。。行くのはかったるいなぁと思った。色々先々のこと考えて、やっぱり行くことにした。母と一緒に行った。洗濯をしたから気持ちよかった。やっぱり『~しなくてはならない』と思うことが多い。プールに行ったときも、泳ぐのは楽しいけれど、『運動しなければならない。』『体重を落したいし、でも、すぐに落さなければならない。』『常に太っているということを意識して、申し訳ないと感じる。』『常に、何かをしなければならない』と感じる。勝手に。。。『勉強しなければならない』『手伝いをしなければならない』『家族の役にたっているとわかってもらわなければならない』私は、今、この時点で、自分の本当にしたいことをしていない。するべきこととか、しなければならないこととか、そういうことに振り回されて。体裁をとることに振り回されている。体裁を気にして、自分のココロにケアをしていないんじゃないか?発作は結構ひんぱんに起こっている。それにしては、自分を守ってないんじゃないか?周り・家族に気を遣っているのか?どうして、気を遣うの?なぜ、みんなが出払っているときに休んで、眠っていることで隠してても良くならない。家族も少しは気がついているだろうけどそれもどこまでか、やっぱりどうしたらいいかがわからないと思う。私もどうやって説明していいかわからないし。発作がおきてしまって。叫んでしまって。発作が、バロメーターになるようじゃ。。。苦しいだけだし。
2005年10月13日
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体重測定をし、体脂肪率の高さに目を疑い、ってExcelに入れると5%は上がり下がりが激しいので仕方ない。あぁ、今日は天気がいいんだなと気がついた。散歩する『べき』なんだろうなと思った。秋晴れは明日まではもつって天気予報で言ってた。できれば、チャリンコで、ひとっ走りぐるぅっとしたいけど、目的が。。。ない。チャリンコは好きなんだけど。。。やる気が、まだでてないなぁ。。。起き抜けだからか?今朝も4時半まで起きてたから。せっかく近くにある区役所にでも行って、ボランティアの広告でも出してくるか?どうするか?ボランティアじゃ、お金にならない。。。少しでもいいから、小遣い稼ぐ仕事を持つ『べき』。。か?あぁ、英語を話せる相手がほしいと思う、今日この頃。忘れそうだし、なんとなくつまらない。日本語の勉強もする『べき』だ。漢字練習もする『べき』だ。。。『べき』使ってたら、やる気なくなってきた。。。よくないなぁ。。。。+++ should do +++ have to +++ had better +++ must +++ ought to ++++++ sigh +++ heavy +++ sigh +++ heavy +++ shouldn't +++ sigh +++ただいま夜中、両親に寝る時間を『普通』の時間に合わせるようにといわれた。昼間寝てるから夜寝られないわけじゃない。今日の朝は実は日記を書いた後、発作があった。焦りが高じて、ドキドキしてきて、呼吸ができなくなったりして苦しかった。体も硬直してしまって、一人だったし不安で、昼間だから、みんな仕事。忙しいから、結局イギリスのモトカレを起こす羽目になった。呼吸の途中に、『ごめんなさい』というのだけれど。。。つらかった。
2005年10月12日
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今日は7時前に目が覚めた。ただいま14時すぎ。起きて、少しストレッチ体操をする。洗濯をすることにした。体操の続きをした。体重測定をした。着替えて朝食を食べた。朝食の後は片づけをした。すぐに、洗濯機が終わったので、洗濯物を干した。姉が仕事へ出かけたので、掃除機をかけ始めた。リビングに掃除機をかけた。廊下と和室も掃除機をかけた。KLMに送る苦情の手紙を用意した。そのまま封筒に入れて、送るようにした。出かける用意をしながら、トイレ掃除をした。すべての部屋の空気を入れ替える。スーパーに出かけ、豆乳とミネラル水とお昼のおにぎりを買った。スーパーのついでに、小遣いを貯金しにいった。入れると通帳に残るし、出しに行くのが面倒で使わないようになる。郵便局で苦情の手紙を書き留め速達で出した。+++ for the moment +++ early bird was successful +++ now sleepy +++寝る前に姉の部屋も掃除機をかけた。昼寝。起きたのは19時半くらいだろうか。まずまずな一日かな。
2005年10月11日
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今日はプールへいった。スポーツクラブの会員に昨日なったばかりだ。そして、なんと現時点で、熱っぽい。おかしいなぁ。。。今日は少し肌寒かった。耳鼻科に行ったら、プール行くの禁止されちゃうかなぁ。先週からTimの具合が悪くて、彼にしては珍しく2日も会社を休んでいたので、具合が悪いから機嫌もよくなくて心配していたけど、今日は元気な声が聞けた。案の定、仕事の準備にオフィスに行ってた。最近、テレビでイギリスの風景や、ロンドンの町並みが写されると、ホントに、『あぁ、戻りたい』『あぁ、あそこにいたんだ。』と思ってため息が出る。戻りたいといっても、それは、その空間にいたいと思う気持ち。イギリスの空気を吸っていたいと思う気持ち。ニューカッスルの抜けるような青空が懐かしく思い出される。寮の前の公園の木々を見上げたときの緑が優しくて思い出される。ドリーさん、バーバラさん、イーニッドさん、近所のおばさま達の様子を思い出す。イギリスはこれから、短い秋を一瞬にして通り過ぎ、冬に向かっていく。クリスマスの飾り付けを楽しみにしながら、その後のセールを楽しみにしながら、暗くなる冬を乗り切る。ノルウェーの友達は、ノルウェーでは6ヶ月くらいから、と、夏に陽が出ると常に外にいたいと思う気持ちを教えてくれた。真冬は、確かにつらいけれど、それを乗り越えられれば、待っている春が来る。日本はこんなに四季がはっきりしていて、温暖で、日光の心配も少ない。いろんな娯楽や、季節の食べ物、温泉も充実していて、冬も関東ならそこまで寒くはならないし。どちらがどうというわけでもないけれど、苦しいことも多かったけれど、刺激もたくさんあった。一生忘れないためには記録しないとと思う。であった人を、出会ったモノを、出会った猫達も、出会った街を、出会った国を。知らないこともいっぱいあると思うけれど、辞書やガイドブックにのってないことを忘れないうちに記録したい。第二のふるさとと呼べる存在になった、とてもとても素敵な時間をわすれないうちに。
2005年10月09日
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昨夜まで3日続けて、発作があった。実家に帰ってくると、より発作が大きくなることがあり、親に見えない所で、モトカレに電話をして、治まるのを待つばかり。電話をかけられる相手はもっといるかもしれない。でも、実際、そんな電話をかけて、私が叫ぶほどの発作だった場合、相手を怖がらせてしまうだろうと思ってしまう。以前、リビングで発作を起こした。簡単に言えばストレスがたまっていた。自分の不甲斐なさを責めながら、家族分の夕飯を作っていたのだった。でも、それにも疲れて、何もいえないまま疲れて、とうとう何かテレビのニュースのきっかけか、殺人ニュースでもあったのか、体が硬直してしまい動けなくなった。もしそのまま動いて、薬を取りに行ったらココロが耐え切れず、恐ろしくて、叫んでしまうと思ったから、呼吸がやっとできる状態で、食卓の下で発作が過ぎるのを待っていた。そのときは叫ばないと食いしばって、親友に電話したのだった。パニック発作はうつ病になる前からの症状で、それが病気だと私が自覚したのは、うつ病になってからだった。そこから頓服をもらえるようになりだいぶ楽になった。それでも、発作を起こしてしまう自分の体や、ストレスのため方を調教し切れていない。今日も、ここずっと鬱々とした気分が続いていた。先週あたりからか。夜も発作があると、ついつい眠れず、朝の5時まで起きていたりするから、起きても疲れてまた昼間も寝てしまうという悪循環が続いている。帰国してから、ずっと、親にせかされるように片付け、荷物の引上げ作業、さらに家の掃除、書斎の模様替え、と母に言われることには極力協力してきた。もちろん、私のためにやってもらってることもわかっていたが、それでも、少し無理をしすぎたようだ。思えば8月から続いているこの引越し片付け作業。もう、帰国のどたばたもさることながら、引き上げてくるだけで死にそうだった。体力も気力も使い果たしてきたのに、それを忘れて、日本にいるのだから、実家にいるのだからと、うつも発作もある自分の体を思いやるのを忘れていたようだ。8月からやっていたとすれば、9月もいれたら2ヶ月。やりすぎる。気も遣っていた。申し訳ないと常に思っていた。発作の数と予期不安が大きくなった。抑うつ状態も生理が終わったのによくならなかった。親に当たってしまった。母にキツイことを言ってしまったりした。母に頼みごとをされるとイヤといえない、でも母に甘えているのに。今日はこれに気がついて、罪悪感が少し軽減された。私は休まなければならない。体力づくりなどして、マイペースで自分を守っていくことが大事なんだ。落ち込んでるときはツライ。それが長くならないようになんとかしなくちゃと思って、友達にメールしているときに自分を痛めつけていた自分に気がついた。難しい。欝で発作もちで、自分が難しいよ。
2005年10月07日
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昨日10日ほど遅れて生理が始まり、生理痛とストレスのため一日中、これでもかっていうほど寝ていた。すんごいすんごいストレスが続くと、生理は遅れる。遅れると鬱々な次期も長くなり、ストレスはもっとたまる。こんなときは寝るしかないのに、オヤジの態度が、私のトラウマを呼び起こして、26日の夜に大爆発。発作にはならなかったが、子供のように泣きじゃくって、『怖い、怖い、お父さんが怒ると怖い』と、泣いていた。まるで子供だ。ホントに子供に戻ってしまうんだ。オヤジが私につらく当たり始めた次期は中学3年くらいから浪人中でピークに達した。そのピークは今思えば、まだまだ私は子供だったから、親に精神的に刃向かうことはできていなかった。自分を守るスベを知らなかった。過去を自分の治療過程でこういう状態で思い出してから、ときどき私は、ココロだけ子供がえりする。さびしい。ひとりだ。私なんかどうでもいいんだ。私なんかこの家族の中にいない方が、きっともっと平和に暮らしていけるんだ。じゃぁなんでここにいるんだろう。私はお母さん子だ。父と母が離婚するとかしないとかそういう話しが現実味をおびてきたとき、母が私を頼りにしたから、私は母を絶対シアワセにするんだと、そのために大学に入って、母と一緒にいられるなら、名字を変えることだって少し悩んだりしたけど、どうでもいいことだった。私が、離婚を受け容れる心構えをして、彼らの決断を待っていたのに、母と父は離婚しないことになった。ある日突然離婚しないことになった。父の理不尽な行動言動はつづいたけれど、それはある種病的で、被害妄想的だった。いま鬱を経験し、いろんな本を読んだ私にとっては、父が抑うつ状態になる理屈は、理解できた。私が、トラウマを持っていたことも理解できた。だけど、それを乗り越えることはまた別の問題。鬱症状も認識している。発作も20分以内で薬で治まる。でも、治るには、まだ時間がかかりそうだし、結局まだ治療というか、鬱と発作とPMSとは付き合って行かねばならず。今回大爆発が、この先に少し不安を与えたことはいうまでもなく。ちょっと、また、認知療法の日記を始めないといけないかもしれない。
2005年09月28日
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9月1日に帰国した。引き上げは、予想以上に精神的にきつかった。昼が長くて、その分明るいうちはナントカ荷造り作業をしても、夕飯を食べると、ベッドに横になり、モトカレに電話して泣きまくる日々が続いた。最後の方はめまいぐるぐるだった。ふと、気がつけば、もう3週間以上を過ぎた。そんな私。身体的な回復と共に、ココロの隙間ができてる気がする。何となく物足りないという部分もある。自分で自分を守る緊張感から解き放たれて、もっと楽にいろいろやろうと思っていたのに。まず、遊ぶお金が必要だと言うことがきつい。何なんだ。じゃぁ、働けよっていわれるかもしれない。論文も終わってない。先にバイトを探したら、いいだろうか。週の半分くらいならバイトに当てても論文は書けると思う。発作も相変わらずチラチラと姿を見せる。非常に厄介だ。このまま仕事をしないと、ずっとだらだらしちゃいそうだから、バイト探そうかな。バイトならすぐ止めても後腐れないし。小遣いがほしいんだ。東京に行ったら往復で1500円とかって考えると、ケチくさい計算をしなくちゃいけなくなる。そんなのがイヤだけど、そうも言えない立場なんだよな。独り立ちの準備をどんどんしないといけないんだな。難しいよな。人生。一つ山を越えたかなって思ったのは一瞬だった。まだ、本調子じゃない。それも、自覚しないとね。まだ、飛行機に乗る前間でのどたばた状態をよく夢に見る。それだけ、衝撃の大きい、負担の大きいことだったし、キツかった。これからどうなるのかな。不安です。
2005年09月25日
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やっと帰ってきた。やっとこ帰ってきた。実は8月31日にイギリスを出た。長いこと日記も書けず~元気もあんまりなかった。けど、とりあえず大事なものと持って帰りたいものは全部なるべく箱に詰めて、捨てて、詰めて、すてて…出発は散々だった。30日に出るはずだった。縁起を担いでいたのに、手伝ってくれてた日本人の友人(もう友人じゃないかも)に最後の最後に見捨てられた。このことは上手く説明できない。私の寮からの引き上げをあまりにもみすぼらしく、スマートでないと彼女は思ったのだろう。ゴミ一つないという状況にすることも出来ず、でもモノでいっぱいいっぱいだった私の部屋は空っぽになっていたし、掃除料金は払っていたし、壁に大きな傷を付けたわけでもなく、絨毯に吐いた後とか、ワインのこぼし後とかあるわけでもなく、家具も傷ついていなかった。。。絨毯には乾燥したローズマリーの葉っぱを蒔いておいたのだけれど、それは虫除けと掃除をするときに効果があるからで、でも掃除機をかける時間と体力がなかった。彼女と私は親友ではなかったし、でも手伝ってくれるという心遣いに甘えてしまった。まさか、出発の日の朝、タクシーのくる30分前にキレられるなんて予想もしてなかった。昨日、帰国初めて幼なじみに会った。近くに住んでてありがたい。相談したら、『その人、なんか別のことでなんかあってそれがアンタぶつけられたって感じ。それにしても、最後の出発の直前にそんな風になるのも大人げないよ。どうしてそうなったかなんて考えない方がいい。』と言ってくれたから、ちょっとココロが楽になった。私は自分で自分が頑張っているのを感じていて、前日も感情と感傷と思い出とで、ホントにホントにいっぱいいっぱいだった。発作も連続に起こったし。ストレスと感情と発作の渦で、泣きながら震えながら最後の出発の準備をしていたんだ。今思い出しても、あんな発作の連続は受験以来だ。私の感傷・ストレス袋から涙が嗚咽になり泣きながら、たった独りで空港まで荷物をやっとこ引きずりたどりついた。結局その日は荷物が重すぎて、ココロも傷ついて、フライトを変更した。ここまでの緊急事態を想定していたわけではないけれど、KLMで直接予約したのビジネス・エコノミーフレキシブルにしていて本当に良かった。あと、イギリス留学・駐在する人びとへ、近所の日通をチェックしておきましょう。日通さんがいなかったら帰ってこれなかったかも。。。今回のトラブル、最後は結局日本企業に御世話になり、日本人の客商売・礼儀正しさ・気遣いの精神に助けられました。さて、出発の31日に何が起こったかは、後ほど書くかもしれませんが、最悪だったとだけお伝えします。
2005年09月03日
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気がつけば~ずぅうううっと日記書いてなかった。書く余裕も無かったのと、友達めぐり旅をして帰ってきたと思ったら、荷造り開始。。。100キロまでの荷物は先週日通で送った。お金かかったけどしょうがない。今もまだまだ片付けたいもの、送りたいものでいっぱいいっぱいだ。スーツケースにつめてみた服でいっぱい。。。なぜ。。。あんなにOxfamに持っていったのに。詰め方の問題かも。。。あと20キロは持って帰るつもり。不思議な状態になってます。航空券は親の言葉に甘えて(あとで何言われるかわからないけれど…)帰国便だけビジネスクラスにしていっぱい持って帰れるようにした。でもまだまだまだだ。困っている。焦っている。自分の持久力もここまでか…あと、実際に郵便局から送れるものを送る期間は、6日間
2005年08月21日
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旅行はやっぱり疲れる。今日は一日中、ほぼ一日中寝ていた気がする。やる気がないわけでもないが、部屋が凄まじく散らかっている。ロンドンでは、まだ爆弾が何者かによって仕掛けられ、不発に終わったものも含めて4人の実行犯が監視用ビデオに写っていた。私が起きた頃には、いわゆるSATと呼ばれる警察のグループが、一人の男に職務質問、警察で調査を示唆したところ逃げ出したため、追いかけた。男は、地下鉄に乗ったところで足もとを取られた。警察は乗客に地下鉄を降りるように叫びながら、その男を押し倒し、銃殺された。こんなことはめったにないイギリスである。何せ、普通の警官の携帯しているものは警棒だけだったりすることもあるくらいだ。大体が、銃のからんだ犯罪ではないし、暴れるスリや強盗を抑えるときの迫力といったら、銃はいらないと思われる。今回の、銃殺された男性については、夏なのに冬の綿の入った集めのコートを着ていて、SAT及び警察が尾行していたとのこと、そのまま調査するべく捕まえようとしたが、男は逃げ出し地下鉄へ入り込んだ。どうやら、その男が自爆用爆弾を着込んでいた可能性があり、止める手段が他に無かったため、射殺したということになっている。昨日に続き、連続でロンドンは機能しにくくなっている。アルカイーダ系のグループが、イギリスがイラクから軍隊を引くまで、このテロ活動を続けると宣言した。首謀者が見つからない場合、イギリスのコスモポリタンの亀裂が深くなれば、テロリストの思うつぼ。まずは、周りを見回し、冷静な対処をとトニー・ブレア首相の言葉。テロリストにあった場合、何か不可解な動きをしている人を見たらすぐに警察に通報するように。と連日そのことばかりである。ロンドンは、これが始めてのテロに脅かされる日々ではない。北アイルランドとアイルランドとの紛争は今でも、なまなまと人々の脳裏に焼きついている。イスラムの過激派を諭すには、西洋的クリスチャン的思考でもなく、東洋的思想でもなく、『目には目を、歯には歯を。血には血を。怒りには怒りを。国の侵害には国の侵害を。。。』という考えに対抗する第3の考えが必要なようだ。それを誰が考えつけられるのか、それがもんだいなのだけれど。
2005年07月22日
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今まで旅行しなかった分、最近慌てて?旅行をしている。こんなに小さく見えるヨーロッパ大陸の国々特にEUの国々は、それでもやっぱりそれぞれ独立した国であり、それぞれ少しずつ違うシステムで機能している。留学してから、これまで行った国は、アムステルダム&ナイメヘン(オランダ)、ダブリン&うレックスフォード(アイルランド)、ケルン(ドイツ)だ。今回のベルギーへの旅は短かったものの、友達を訪れること彼女のベルギーを案内してもらうことになっていたので、予定の詰まった安心感のある旅だった。あえて、言えば、ヨーロッパ全体(イギリスも含めて)休みに入ったために、空港は混んでいたり、KLMの飛行機がうごかなかったり、暑さでぐったりしながら飛行機が準備・修理されているのを待ったり。初日は乗り継ぎできず、ブリュッセル(ブラッセルの方が通じそう)へアムステルダムから急遽電車で行くことになった。携帯電話と、英語、Internetのおかげで、常にベルギーのAalterという街にいる友達と連絡が取れたし、彼女も最終電車など調べてくれて、終電でAalterに着いたのは午前1時だった。途中、KONGAから来たという男性に、酔っ払ってからまれてしまってイヤナ思いをしたが、そういうことは夜の電車にはよくあることだし、他の人もいるから大丈夫と自分に言い聞かせた。私の経験というか、友達の経験も含めて、『NO』というのが一番いいのだ。しかしながら、ここヨーロッパでも『逆ギレ』現象はあるので、妖しい人に声をかけられたらなるべくすぐに『立ち去る』というしかない。ほとんどの人に英語が通じるという点で、申し訳ないくらい英語で物事がすんでしまう。最近は、アムステルダムのスキポール空港では、日本人には日本語で対応できるOfficerがいる。英語でもオッケーな私としては、最初に『元気ですか?』と聞かれることは英語ではないので、不思議な感じがする。最終的に、私がムスッとしているので、向こうも悟って英語で話し出す。日本語の話せる?Passport Check Officerは、まず、『お元気ですか?』とか『こんにちわ』とオランダ訛りで丁寧に言うが、英語の『Hello』とは若干、意味合いというか雰囲気が違うので、ちょっと緊張感がない。英語だと、丁寧な部分が全部略されて合理的なので、『Hello, where are you going? What are you going to do?』で済んでしまうのに。。。日本語でのパスポートチェックは、日本人パックの観光旅行者を対象にしているせいか、『こんにちわ、元気ですか?Nさんですか? どこへ行きますか?』ひとつひとつの質問が長めになる。うーーーーんん。。。。。ありがたいと思うべきなのだろうけど。なんとなく違和感を感じたりする。最悪の場合は、相手が日本語で挨拶してくれてることがわからなかったりするので、私はとんだ失礼野郎?になってしまうときもある。。。まぁいいや。ベルギーでは、GentとBruggeという街に行った。ポストカードにGentの日本語での音がこれまた間違っていてガックリ。フラマン=フレミッシュといわれるオランダ語のひとつである言語はベルギーの公用語のひとつだ。フレミッシュでは、Gの発音は英語のGではなく、どちらかというとハヒフヘホに近いような音である。それをのどを使って発音する。力を入れすぎると、カッとかなってしまうので気をつけたい。Gentはヒヘント、Bruggeは ブルッへとなる。ガックリしたのは、ヘントと書かれるべきところをヘソトとなっていたこt。確かにカタカナは難しいかもしれない。申し訳ないと典型的に日本人的に思ってしまったりする。明らかにソ=そを使っていたので、修正してカナダ人の友達に送りました。あんまりわからないと思うけど。では、日記が消える前にこの辺で。
2005年07月21日
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今日は7時半過ぎに起きた。すごいぞ。でも夕べは、モトカレに電話して、ちゃんと話ができずイライラした。ちゃんと話がしたかったのに、遅かった自分にイライラ。眠くて相手にしてくれないモトカレにイライラ。虚しくて悲しかった。早起きは三文の徳とはよく言ったもので、時間がゆったり流れる。起きれないときは、お昼頃になってしまって焦って起きて、起きた瞬間からココロに悪い。眠れない結果のおそ起きだと余計だ。最近、日記をさぼっていて、どうやら頭の中にあるいろんなことが、飽和状態になっている。でも手書きだとイライラしちゃうから、やっぱりパソコン。書いては消えちゃう状況にイライラしていたんだけど。やっぱり記録だからちゃんと書いていたい。今日の出来事。トロント出身のAshleyとNY出身のLaurenは、鶏肉に触れない。素手で触るのがどうしても生理的に耐えられないというのだ。二人とも十分人生経験をつんでいるであろう、24歳になったと言うのに。。。そして二人とも揃って、筋や血管などが見えると取り除く。見えなくても疑わしいものも取り除いている。結果的に山盛りの筋とちょっと血の管のついた鶏肉が残る。私から言わせてもらえば、その状態はかなりDigustingだ。昔、豚肉の脂身や筋が臭くて食べられなかった。そんなことを思い出し、ハサミで胸肉を切り開き、血管や筋を取り除くが如く奮闘する二人。なんというか、ばかばかしさと、虚しさを感じる。北アメリカ人を一般化するわけではないが、この二人だけではない、もう一人のアメリカ人のAmandaも、鶏肉を扱うたびに、吐き気の音を立ててみたり、『もうううううウイやあああああ』とでも言おうか涙声になっている。さらに、調理した肉も、筋を感じれば、取り分けられる。なんとも情けない。1年で、料理をたくさんするようになった彼らとは言え、首をひねらずにはいられない。また、PMS時期に入っている私は、突然落ち込んだり涙ぐんだりする。もう寝なくては、さっき日記が消えそうになった。何と何を押すとBackかRefreshしてしまうんだろうか。。。はぁ。また明日。できれば。
2005年07月06日
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I just wanted to talk to him for a bit.But it was too late at night, it was 1.30AM.I felt sad, so I called.He was too sleepy to talk. I felt dimissedI should have called him earlier.I forgotI was still making graphs tidy on Excel.Excel also behaved oddly so it was really annoying.I had to restart Excel or Computer itself all the time.I wanted to have good conversation with him.But it was too late.Bad timing of me.I know that.then I felt so sad, I felt stupid, silly to call him.As a result, I'm writing this diary to spread my anger.I know I'm to be blamed, I shouldn't have called him in a first place after midnight.It's so annoying I was fine before that, after I called him I became sad.Cos he couln't talk properly, wasn't listening.That was caused by me,I was to be blamed.He could have been angry.but he wasn't. He just wanted to go back to bed.I'm so stupidI'm so stupid.I just wanted have some nice conversation.I should know it's not possible when it's too late at night...sadsadstupid.
2005年07月05日
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今日の起床は午前11時前だった。昨日も睡眠不足のまま洗濯機を2回まわし階段を昇ったり降りたり頑張った結果、昼寝をせずに済んだ。時々微妙に孤独だったりヒキコモリたい気分だったり、誰かと話したいけど誰と話していいかわからず、話さない方がいいのかもと思ったりして、やっぱり一人で居ようと思ったりして悶々としていた。表情も無表情なのが自分でもわかった。誰かと話しても、自分が過敏になって傷ついたりするんじゃないかとか、相手に不快な思いをさせるんじゃないかとか、いやな気分になるんじゃないかとか、否定的な考えで、自分でもほとほと呆れた。でも、自分も嫌な思いをして相手も嫌な思いをするかもと考えるのは、きっとココロを許せる相手がそばにいないからだと思う。何も期待をしていなければ、傷つくこともないのかもしれない。でも、疲れてる自分、落ち込んでる自分が、(大げさかもしれないけれど』わらをもつかむ気分でどうしたらいいかわからず悶々としているとき、優しくされたら頼りたくなる。でも頼りたいと寄りかかったとたん肩透かしを食らったら、本当にがっかりするだろう。期待して無くてよかったと思うことが昨日も合った。スイス人のレズビアンのAnnetteが公園にいるからこないかとメッセージを送ってきた。清々しい日和だったので、洗濯の合間に公園へ出かけた。彼女は、そこにどれくらいいたのかわからないけれど、私がついて5分も経たないうちに、『やっぱりトイレ行きたくなったから私もう行くわ』と言う。『なんだ、せっかく来たのに。。。』もちろん口から出てしまった。と同時に『やっぱりタイミングが合わないんだな。この人には期待できない』とも思ってしまった。なかなか難しいんだ。私のココロが難しいのか?+++ sleepless +++ sleepy +++ worries make me sleep? +++ or not? +++寝てしまった。昼寝だ。テニスを見ていたんだ。雨の日は散歩しないから。乾いた洗濯物をベッドにのせてあって、たたみながら心地よい洗濯物の香りに誘われて?眠ってしまった。一仕事は、チャリティに出す服を選んでいた。でも午後4時半くらいには起きた。と思う。実際何時に起きたか憶えてない。多分、6時のニュースを見れたから、午後5時半だったかもしれない。ニュースをみてから、ご飯を食べにキッチンへ。今日はおそばを久しぶりに食べた。あったか汁で。親がだいぶ前に送ってくれたカニ缶もセロリにのっけてマヨネーズをつけて食べた。今日は、いきなり寒い日だったので、どくだみ茶を煮出して飲んだ。おいしかった。この間飲んだ八百葉茶?は暖かいまま飲むと、飲んだそばから、のどが枯れるような、口の中が乾くような感じで不快だったけど、こっちのどくだみ茶は同じようなブレンドなのにもっとまろやかで飲みやすかった。久しぶりに身体にいいものを取った気がした。ただ単に睡眠不規則なのをカバーするためか。夕べはよく眠れた。今日もよく眠ろう。今すでに眠いし。寝ようかな。寝ます。ただいま午前0時。+++ can't sleep +++ i want to sleep +++ my family is 6000 miles away +++とうとう起きてしまった。いろいろ飲んで眠剤も飲んで、豆乳も飲んだけど、眠れない。お茶は飲んだけどあれはカフェイン無しのはずだし。やっぱり睡眠サイクルは一晩では治らないし、豆乳で治るわけでもないのかな。PMS期に入って、体とアタマがナゼカ緊張しているのがわかる。頭痛薬でも飲んで寝るか。でもこの薬漬けな状態がいやなんだ。許せないんだ。自分で。でも薬を飲まないと不安になって、市販で買える薬に手を出してしまうんだ。SSRIは、働いてると思う。でも、鬱が良くなってきてから、ホルモンの変化に左右されるようになった。『あぁ、これ鬱だ』ってわかるとき、自覚はできるけどだめだなぁって思う。自分に厳しすぎるんだって言われても。鬱だって思う自分が嫌いだし、鬱を感じてしまう状態の体を受け入れたけど、またこの状態に苦しんでいる自分が、情けない。昨日は寝不足ついでに眠れたけど、今日はダメだった。と、決め込む。ホントは朝起きて勉強をして、昼寝でもして、夜をゆったり過ごすなーんてのが理想なんだけど。理想は私の机上の空論的“完璧”を目指していて、それが問題なんだ。家族に電話したら、お父さんは心配してたけど、お母さんは仕事に出る直前だったから、忙しくて、『眠れないなら仕事しなさいよ。全く頑固ねぇ。』とケラケラと言い放った。こっちの状態を知らないわけじゃないけど、忙しさでいっぱいいっぱいになっているときの母は、もっとひどいときもある。こちらからかけると大体向こうの方がテレビとかドラマとか、サッカーとか見るものがある時間帯で切られちゃったりする。時差っつうのは厄介だ。ほんとに眠ろうと思ったんだ。眠れると思ったんだ。それが眠れなくて悲しいんだ。理想どおりに行かないのは世の中の常だってわかってる。眠れない時間帯に勉強すればいいんだと思うけど。。。それにまだ踏み切れてない。元々夜型だから、それでも自分を納得させられるはずなのに。論文のような長丁場は、ある程度のパターンにはまらないとやっていけない。言い訳、言い訳、言い訳、言い訳。。。そんな風に感じるし、そうなんだろう。気分が鬱なときには、どんな判断も自分自身ですら白黒言うもんじゃないけれど。とにかく、また自分で自分を痛めつける状態。よくないとわかってるなら止めないとな。。。。もうダメかなぁ。早寝早起きが、身体にいいし鬱にもいいから、そっちへ戻したかったんだ。それだけなのに、考えすぎて、Supervisorに会うこととかアタマに重くのしかかって、自分で自分にプレッシャーを作り出してしまった。
2005年06月29日
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久しぶりに朝起きた。二度寝のような感じで午前5時に寝て、おきたら10時半は過ぎていた。最初は、洗濯物の選別とかしていて、つくづく紺・黒・グレー・茶ものが多いなぁと思いつつ洗濯面倒くさいわ。。。と思っていた。それでもだ。洗濯して、5年以上着たものとかあるの。普通か。一番すごいのは、お気に入りの縞々柄の長袖のトップ。これを買ってもらった時期を覚えているので、多分10年近く着てるかもしれない。。。ずっと学生だからって言うのは言い訳かもしれないが、はっきり言ってメインは、Tシャツ&ジーンズ。こっちでも、長Tにジーンズ。お金がかかってるのはスニーカーとマフラーとジャケットだったりする。まぁ、いい。洗濯しなくちゃいけないんで、白いもの-ブラウス、シーツ。紺・茶・黒モノ&グレーモノオシャレ着&デリケートなモノ洗濯機三回もまわせねーーーと言うわけで、げんなりした。そんなげんなりは普通のげんなりだ。今日のげんなりは普通のげんなりから、動悸に変わり昨日起こったように、『どうしたらいいかわからないけど、寂しい。悲しい。ひとりぼっち。。。』という、焦りのような、悲しい気持ちのような、落ち着かない気持ちが突如襲ってきた。アタマにいい血が行ってないんだきっと、と思って、ポカリスエットを飲み、水をがぶ飲みし、着替えて出かけることにした。+++ not right +++ quite heavy +++ medicine ran out +++ had to go out +++シリアルを食べて出かけた。やっぱり動悸はしていて、気持ちは落ち着かなかった。あまりの暑さに驚いて、ジャケットを脱いでも焦っていた。ジーンズに穴が開いてきて、悲しくなり、部屋が洗濯物でいっぱいで悲しくなり、何がどうしようもないわけでもないのに、悲しくなる。そのままBOOTSへ直行するはずが、お気に入りのTHE PIERでキャンドルのセール。お気に入りの香りのキャンドルの小さいのがセールされてたので、買った。次にやっとBOOTSへ。薬を見ていて、入眠剤のセクションへ。みんな同じような内容物で、とりあえず買う。そのあと、Cliniqueで SUPER CITY BLOCK SPF40を買った。Cliniqueのリップバームは意外に持つし、唇をぷるんと保湿し守ってくれるので買うことにした。あと気になっていた香水Simplyも買ってしまった。香水はほのかに香る爽やかなフェミニンさ演出するモノを探すのが難しい。いろんなものを香ってみると、最初に甘さとフェミニンさが強すぎると思ったものも実際つけてみると香りが変わったりする。時間が経つとやわらかな印象に変わったりする。不思議なものだ。こっちの人はもちろんと言っていいほど、香水をつけているので、オシャレをしない私は、まずはメジャーなものから集めていった。もちろん名前の知られているもので、私の印象が良かったものから集めてもうすでに10本くらいになってしまった。あらら。。。そして今日は他のSaleにも行った。JohnLewisの売り場へ行ったら、少しオバサンぽいかなと思ったけれど、長くはけそうで、カジュアルにもオシャレ着にもなるスカートを購入。やっぱりこれからはお出かけに、スカートをはけるようでいたい。30%OFF.白いサンダル買わないとな~。ジーンズに穴が開いてしまったのと、実験でひとつダメにしたので、Levisの女性用のLoose Fitと男性モノのLoose Fit。これもSaleだったので半額だった。気がついたら、もう閉店の時間。午後5時半なのに。まだ開いているM&Sで豆乳とOakBuiscuit(GIでいいらしい)とSemi-Skim Milk, French Bread, Spreadable Butterを購入。家に着いたところで、また鬱発作気味になった。また、すごい早さで悲しくなり、処方してもらったSSRIを飲む。別に即効性はないけれど、一日切らしてしまったから。排卵日なんだろうか。PMSか。。。
2005年06月27日
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誕生日は昨日だった。日記は2週間も書いてなかった。でも、だ。楽天で書いてるときにTouch Padに当たってか、ミスタッチでか、消えてしまった日記が数回あった。実は昨日も日記を書いた。でも消えてしまったので、同じことを書けないから、そのまま断念した。本当はきっと。Wordで書いてから、こっちに移した方が懸命だ。でも面倒くさくてやってないの。今回もそのまま書き込んでるし。今日は、なんと、朝まで起きていた。友達が朝の7時に電話してきて、何かと思ったら、『誕生日おめでとう』って。期待してなかったから嬉しかったけど、普通の日なら起きてないよ~。と思って、びっくりした。その後、シリアルを食べ、外へ出てゴミを捨て、タイガー(猫)と遊び、アデリーナに出くわし論文と研究環境の話をし、それからやっと公園へ向かい、座り込んでまだまだふわふわの白鳥のヒナ達を観察し、みるみる大きくなったカナダ雁のヒナたちに驚き、白鳥の父ちゃんに威嚇される前に立ち上がり、植木の選定をしていたバーバラに声をかけ、少しほっとし、寮に戻ってきた。それなのにだ。帰ってきて、シャワーを浴び、さぁお片付けと思ってモノを動かしていたら、軽い発作が突如襲ってきた。動悸と、漠然とした不安がどんどん、更なる不安に拍車をかける。きっかけは、はっきりしないけど、突然だったので、横になり、ゴリラを抱っこして、呼吸を整えようと思ったんだ。でも、できなくて、動悸に、寂しさと虚しさ、自分への情けなさ、どうしたらいいのかわからない、という根拠のない無力感が襲ってきて、涙まで出てきた。モトカレに電話して、でも涙が止まらず。体がこわばり、こんなはずじゃないのにと自分でもがいて、散歩に行ったのに、シャワーも浴びたのに、ただ片づけがしたいと思っただけなのに。悲しくて、無気力になり、つくづく悲しかった。コントロールできないんだもの。それから、薬を飲まずに寝てしまい、テレビは消えていたのにいっぱい奇妙な夢を見て、疲れてしまった。これから眠剤を飲んで寝ようと思う。豆乳を飲んで。
2005年06月26日
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結局、この夜もいっぱい泣いた。悲しくて、寂しくて、どうしていいかわからなくて、モトカレを何度も起こしてしまって、さすがの彼も辟易としているようだった。それもまた悲しくて、でもわけもわからず悲しいから、どうしていいかわからず。ただ、ただ、自分が情けなくただ、ただ、自分があまりにもちっぽけで価値のないものに思え、ただ、ただ、私がいなくなってもどうにもなるわけじゃないとおもったり、ただ、ただ、泣いている頭のスイッチを切って、穏かに眠りたかった。最終的に、日本の家族、母に電話した。今まで、今でも、そういう状態のときに電話できないのが私の悪いくせ。家族を信頼してないわけではない。でも、鬱病・パニック発作を合わせて抱えている私にとって、理解されない時間は長く、自分で抱えている時間も長かった。鬱病になって、崖っぷちに立たされてやっと家族にココロを開いた。家族に迷惑をかけたくなかった。いつも迷惑をかけてると思っていた。いつも私が悪いと思うことで、いろんな家族の摩擦を解決しようとしてきた。それが、母のストレスになってることにも気がついていたけど。結局寝付いたのは、母に電話して、午前5時半くらいだった。
2005年06月12日
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金曜の夜にも同じように鬱発作があった。最初は薬を飲んだのに効いているのかわからず、逆にのどの辺りが苦しくなってきて、いろいろ試したけど治らず、不安になって、最終的に泣き出すという始末。泣いているときは、その苦しさへの不安と、自分自身の不安が複雑に入り組んで、何で泣いているのか自分でもよく把握できないまま、なき続けた。なんとなく一人。いつも一人。一生一人。ずっと私はひとりで頑張らなくちゃいけないんだ。どんなに頑張っても足りないんだ。そんな思いがのしかかって苦しくて泣いているようだった。一方で、昔の自分が泣いている様でもあった。私が放っておいてしまっていた独りぼっちの二十歳の自分。いつも泣いている自分。彼女はとにかくがんばるしかないんだと、歯を食いしばっていた。父親とうまく行かなくても、家族の問題は自分のせいだと思い込んでいた。そうすることでしか、理屈が通らないほど私と父の衝突は激しかった。私は母を守るためにそうしていたけど、母は父が逆上するたびに私をたしなめた。私がたしなめられるべきではないのだけれど、取っ組み合いになりそうな口論を止めるには私が引くしかなかった。その当時の自分にはすでにパニック発作があり、病気と気がつかず、人として避けられない私の思考のせいなのだと思っていた。週に一回は自制が効かず叫んでいた。その当時の私が泣いているように思えるんだ。今日も、また彼女は泣き出した。私も泣いていた。オイオイ泣いていた。薬を飲んだけれど効くまでに相当時間かかった。やっと寝れそうだ。明日もこんな風になるんだろうか。
2005年06月11日
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夕べは眠れなかった。ひとしきり、胃もたれのせいでげっぷが止まらず、胃が落ち着くまで起きていた。朝方、面白いドキュメントをやっていて、Life After Football....England代表やプレミアで活躍した元選手たちの引退後を追ったドキュメント。天才と呼ばれた人達のなかには、Gazzaもいた。あまりにも有名な話らしいが、サッカー依存による麻薬・飲酒中毒に陥って抑うつ状態・自殺未遂を繰り返しタブロイドをさわがせるばかりだった。最近、自分にとってのFootballと引退後の自分を本に書いて、表舞台に復帰した。彼は言う。『未来を計画するなんて怖くてできなかった。サッカーしかできない自分に何ができる。サッカーのあの大舞台でのゴール・勝利の刺激はいいつくせないほどすばらしかった。それは、引退後には味わえないもの。寂しかった。だから酒に溺れて、騒ぐしかなかった。』もちろん、それだけじゃ長続きするわけじゃない。天才は、天才だけにFootball一筋だったんだ。Wayne Rooneyのような若い上手いプレイヤーが注目されると、必ず先行きを慮られる。-Gazzaのようにならないように-そう寂しいが悪い例としてあげられる。ある意味、親心のような考慮もあり、コメンテイターが十代の幼いプレイヤーには保護が必要だと指摘する。天才もいれば、用意周到な秀才もいる。Gary Lineker は引退を前に日本へやってきた。J-Leagueの開幕の年の名古屋グランパスの目玉選手だった。England元キャプテンだ。日本では残念ながら活躍はあまり見られなかったが。。。彼は、現役のときに、絶対に監督業・コーチ業は向いていないとわかっていたと言う。そのうちに放送する立場に興味が湧いたと言う。彼はそのままイギリスで一番のFootball番組、"Match of the Day"の司会をしている。引退して一番成功している人の一人でないだろうか。不思議なものだ。あるステイタスから、次の人生のステージへ移行するとき、どうやって準備するか。準備できるものなのか。ましてや、プレミアのスター選手から、引退後のただの人というステイタス。そんなギャップに苦しむ引退後の選手達。用意周到になれるほど、プレミアのスケジュールはゆるくないし、England代表だったりしたらもっと余裕はない。そんな状況からどうやって、地に足の着いた生活を勝ち取るのか、興味深いドキュメントだった。私も次のステージへ進む。要領が悪いから、苦しむかもしれない。天才でも秀才でもないけど、学問の世界で頑張ってきた。科学の発展のすそのにでもたどり着いて置石をできるかなぁというところだ。次のステージがどんなところなのか全く予想できない。やってみたいことは、意外といっぱいありそうだけれど、やってみたいこととできること、生活費を稼ぐ仕事に就くことは別のことになるかもしれない。研究の中で培った何かが、活かされることは、漠然とだけど確信している。
2005年06月10日
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今日も8時に起きた。夕べの不安発作の余波で、寝付いたのは4時ごろになってしまった。でも8時に起きれた。昼寝してるからかな~。うれしかった。できたこと1. 朝起き。早起きだよなぁ~最近。午後2時くらいまで寝ていた頃を思い出すと、いい傾向。お腹が空いてなかったので、水を飲んで、散歩に行くことにした。週末は晴れないと言う予報なので、散歩しながら高価なバカチョン・超ズーム光学カメラで写真を撮ることにした。(バカチョン...死語?)できたこと2.朝一で水を飲んだ。できたこと3.散歩した。できたこと4.カルガモや新緑、Quadrangle(お気に入りの大学の中庭)のお花の写真を撮った。散歩をしていたら、あちらこちらで市の管理する花壇、大学の花壇に花を植える園芸屋さんの姿が。中庭の春はチューリップだった。夏はゼラニウムだ。市の花壇には、いろんな花が四角の枠の中にきれいに並べられていた。今日はとても暖かい日で、20度くらいになった気がする。珍しく湿度もあった。でも週末の予報は下手をすると10度のギャップがあるかもしれない。今日の散歩は長かった。最初はウォームアップと思って公園をひとまわり。そのまま大学の構内にある中庭へ、バラやポピー、レンゲの花を撮る。大学からメインストリートをはさんで向かいにあるCivic Centreの池に向かった。途中、知り合いに会い、少し話をする。私のビルの中に入ってみたと言う知り合い。随分なオープンプランであんな中じゃ集中できないわね、という彼女。わかってる。彼女と話すといつも、結論は彼女の環境・状況・論文の進捗状況の話になり、私の環境の悪さ、進捗状況の比較になる気がする。お互いの状況を言ってるだけなのだが、『私はあのビルじゃなくて良かった。あれはひどいワ。何でああなの?随分スペースを無駄にしてるし丸みえじゃない』と言う。もう一年経っているから慣れたけど、別に自慢する場所でもなくすごく好きでもないので、同意する私。他の、研究課程の学生の友達には『How can you work there?(どうしてあんなところで仕事できる?)』なんて聞かれたことはない。最初は、あぁあの変なビル?っていわれる。でも理系はみんな状況が似てるからオープンプランのオフィスと言っただけで、ほとんどの友達は、眉をひそめるか、申し訳無さそうに、『That's too bad....』と言う。でも彼女は笑いながら口に出す。彼女はほくそえんでいる様に見える。いつもこうだ。朗らかにそう言う。『あなたは、いつもアンラッキーね。』と言われているように聞こえる。被害妄想といわれようが、私にとって笑えない状況を、『あれはひどすぎる』と笑いながら言う。そう、これは笑えない状況なんだけど。。。何でこの人笑っているんだろう。不快感が私の中をよぎるが、辛口の冗談と私なりの解決方法を意味もなく話す。彼女はもう博士号の試験にパスした。それは、彼女の実力だ。日本でも博士号を取ろうと頑張っていたのをやめて英国の大学に博士課程1年めから乗り換えただけに、たくましく、したたかに、生き残っている一人だ。私には真似できないしたたかさだ。彼女と話をすることは、余計に、私が自分自身を弱く感じる時間が多くなるのでエネルギーを消耗する。出くわしたのが散歩と言う目的の途中でよかった。彼女の私の研究棟の感想をひとしきり聞いたところで、やっと別れた。カルガモの池へ。できたこと5.日本語を話した。できたこと6.カルガモを見に行った。そのままスポーツウェアのままでM&Sに、スカートを見に。Royal Ascotに行くのにきちんとした格好をしたい。でも太った身体に合うものがない。。。と思う。服はある。きちんとした格好をしたいし、やっと女性らしい洋服にも興味が出てきた。不思議なものだ。できたこと7.散歩後シャワーを浴びた。できたこと8.洋服買い物に行くために、久しぶりにスカートをはいた。だってレィディだと思われたいし、遺伝的に?年齢不詳ベイビーフェイスの私。やっぱりちゃんとした格好をして、ちゃんとしたジャケットを着て、デパートに行けば、それなりに扱ってもらえる。Royal Ascotを観に行くんだったら、ドレスアップしてかなくちゃね。とカウンセラーに言われた。チケットも送られてきたし、いろんな案内が書いてある。FAQに『どんな服を着て行けばいいですか?』とドレスコードについての云々があった。...スペシャルゲストエリア-芸能人やハイクラスの人々-を除いては特にドレスコードはないが、なるべくSmartなスーツ、女性なら胸のあいてないものがいいでしょう。帽子などは必須ではありませんが、Royal Ascotですから、たくさんのお客さんがドレスアップしていらっしゃいます。。。チビで太った日本人がそれなりに、きれいにに見える方法。。。わからない。でもなんだかRoyal Ascotの日が近づくにつれ、ドレスアップしたくなってくる。今もってるスカートはツイードの秋冬用と、普段着もしくは春秋用の柄のスカートと、春夏秋用のグレーのデニムのプリーツがある。プリーツにあわせた白のブラウスもある。温度が読めない夏の日。。。オシャレは我慢というなら、靴を買おうと思った。夏春秋ようの、ちょっとヒールのあるサンダル系。。。形はいいものはあった。でもヒールが高い。高すぎる。。。両足首捻挫経験でかなり痛い思いをしている私としてはヒールの高さはリスクアセスメントを要する。。。結局、夏用オシャレスカート(Royal Ascotには、はいてかないけど)買ってしまった。のに何軒も見た靴屋は、ヒールのリスクアセスメントで買えなかった。ウーーーーンン。ジーンズにも合うオシャレ春夏秋靴が欲しいんだ。ヒールはなるべく低めで、つま先は砂が入るのはイヤだから閉じてて、紺か茶系かモノトーン。今回友達と3人で買い物に行ったので、明日一人でもう一度チェックに行こうかな。来週まで待つか、入荷するって言ってたし。スカートだけ観に行こうか。はぁ。。。みんな、洋服のために痩せてるのかなぁ。またもや、試着室で自分の体を見てげんなり。。。心臓に悪い。。。明日一日中泳いだら何キロ減るんだろう。。。なんちゃって。夜はフルーツでチョコレートFondueをしたので、胃がゲフゲフしてまだ眠れません。もう午前5時半。これから寝ます。
2005年06月09日
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今日もできたことを書こう。夕べは何回も目が覚めてしまったなぜだろう。現在もうすでに午前2時45分ごろだ。早寝をしようと思って、ベッドに入って、何とはなしに将来を思い浮かべていた。子供は生まないと思っている私が、今日、初めて『子供のいるおっきなファミリーが欲しいかも』と思った。でも、思ったとたんに『子供を生むのは無理だ。私におっきなファミリーは無理だ。わがままだから。。。』という不安が襲ってきて、涙が止まらなくなってしまった。ばかげている。20年後をすごい速さで想定したら不安発作のようになってしまった。今日できたことを書こう。できたこと1.-朝8時前に起きた。できたこと2.-W杯の予選があることに気づいてそれに向かって一日の計画をたてた。できたこと3.-水を飲んで30分散歩した。できたこと4.-寮の受付で手紙類をうけとる。できたこと5.-寮に戻って、朝食を取った。できたこと6.-健康のために寒天ゼリーを作った。できたこと7.-水を浄水してボトルに保存。多分2日でなくなっちゃうけど。。できたこと8.-冷凍用にご飯を炊いた。できたこと9.-昼ごはんを食べた。できたこと10.-部屋を少し片付けながらグラフ書き。できたこと11.昼寝をして一休み。(W杯一番乗りおめでとう!こっちでも放送されたよ!ていうか、北朝鮮の選手の様子が主だった。。。)できたこと12.-夕飯も食べた。できたこと13.-フラットメイトと喋った。できたこと14.-グラフ書き、合計8個。少しずつ進んでいる。できたこと15.-レポート用Summaryの訂正を検討中。できたこと16.-夜のBMストレッチでは寝ます。
2005年06月08日
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今日は火曜日。快晴。スッキリ。夕べは実は、自分で自分を慰めようとして、結局夜中に泣き出してしまった。何かが引き金に触ったように泣き出してしまった。寂しくて、虚しくて、情けなくて、どうしようもなくて、悲しくて。涙が止まらなかったから、結局モトカレを起こしてしまった。その前にも電話していて少しけんかっぽくなってしまったが、やっぱり電話してしまった。誰かに大丈夫って言って欲しいんだ。彼にそういって欲しいんだ。彼に私が苦しんでいることを知って欲しいんだ。それだけなんだ。何をしてくれといっているわけではなくて、鬱を治して欲しいとか、落ち込みを治して欲しいとかじゃなくて、私の状況を理解して、少し話を聞いてくれて何か心のある言葉をかけてくれると落ち着くんだ。『つらいだろうけど、大丈夫だよ。僕がここにいるよ』って言ってくれるとそれで落ち着くんだ。できたこと1.今日-火曜日の朝は8時前には起きただろうか。寮の夏の契約書を提出するのを忘れてて昨日発見し、夜かなり心配になった。最悪のケースを想定したりしてたから。とりあえず、9時ぴったりにAccommodation Officeへ、そんでもってかなり緊張してOfficerに会って、事情を説明した。不思議なもんで、すんなり何も突っ込まれなかった。負い目が夜の間に増大していたから、妙に最悪の事態をそうていしていて緊張していた。できたこと2.夏の寮の契約書提出できたこと3.EvaへHPLCの使い方の伝授に行った。できたこと4.買い物-BODYSHOPでギフトセットのセール品を買う!ラッキー。できたこと5.Fenwickでパン、Blood Orange JoiceのDiscountを買う。豆乳も買う。できたこと6.カルガモの親子発見。Civic Centreの池(わりと小さな人工池)で9匹のコガモと他のオスの鴨。コガモがとってもかわいくてEvaを待っている間、癒された。できたこと7.おいしい身体によさそうな野菜を買った。できたこと8.一時間以上、買い物で歩き回った。M&Sにも行った。できたこと9.Evaに会ったあと、寮に帰ったところで2時半。できたこと10.昼寝をした。できたこと11.カウンセリングに行った。少し楽になった。 明日すこし今日言われたことを実践してみよう。できたこと12.普通にモトカレと今日の報告をできた。泣かなかった。できたこと13.寝る前のストレッチ終了寝よう。。。。。。できたこと14.日記書きました。
2005年06月07日
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今日は、なんと朝6時に起きてしまった。そんなつもりは無かったのだけれど、夕べかなり早く就寝したのと、昼寝も含めて、随分眠れたので、早く起きれたらしい。できたこと1.-早起き。今日はLIVE AIDのLive 8のチケット応募開始の日で、朝からその情報を手にして、Txt(ショートメールみたいなの、Emailじゃないんだ。。。)を送るために待ち構えていた。できたこと2.-携帯でLive 8のチケット応募。(結果は6月15日発表らしい)できたこと3.-8時半ごろ、公園へ散歩へ。鳥の観察ショックだったのは、白鳥のヒナが一匹いなかったこと。。。オーノー。ママ白鳥と残った4匹のヒナの様子からして、何か怖いことがあったのかな。できたこと4.-散歩30分。できたこと5.-散歩帰り、角のサンドイッチ屋に朝食とお昼を買いに行った。できたこと6.-散歩後、朝食(サンドイッチ)をちゃんと食べた。できたこと7.-いい汗をかいたので、朝のシャワーを浴びた。できたこと8.-グラフ(論文用)をカラーから白黒に変えた。できたこと9.-昼にBMストレッチをした。できたこと10.-リラックスするために、昼寝。できたこと11.-Supervisorに提出用のDocumentとグラフをチェックした。 (まだ未完。先生から連絡無し。)できたこと12.-夕食はサンドイッチを食べた。できたこと13.-テレビの誘惑に勝った?かな。できたこと14.-重要な寮の延長届けを発見。。。明日提出する。できたこと15.-夜寝る前のBMストレッチちょっと悲しいけど、こうやって自分を励ます方法もあるとモトカレが教えてくれた。でも、彼と話すと落ち込むときもある。忙しい彼は、それでも、私の電話を取ってくれる。私が軽い落ち込みだと、すぐに電話を切ろうとするのが手に取るように見えて悲しくなる。彼しか電話する人がいないような自分にも、悲しくなる。だから、彼に言われたことをする自分も嫌いになる。でもできたことは私がしたことで、彼が言ったことはきっかけと言うか提案に過ぎず、私がやらなかったらそれまでだったんだ。。。何もかもがストレスになりがちな今日この頃。ふと考え事をすると、ため息が止まらない。やらなければ終わらないのはわかっているのに、アタマが重くなったりして、ついつい横になってしまう。最近の私。半日は寝てるかな。明日も早起きできるかな。8時までに起きればいいんだ。ねよう。。。
2005年06月06日
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金曜日の夜にモトカレを問い詰めてしまった。メッセンジャーで。そうでなくてもあまりいい日が続いていなかったのに、墓穴を掘ってしまった。最近、本当にココロに潤いのない生活で、じゃぁ、ロンドンにでも行こうかなぁと思って、でもロンドン行くんだったら彼に会いたいと思った。だから、会いたいなぁって言ったんだ。そしたら、『I'd prefer not to (see you)』と言われた。彼と私の友達へ移行した期間があいまいで、私の気持ちは実はあいまいで、私は彼の気持ちもあいまいだと思っている。突き放したいのにできない息苦しさを感じているのだろうかと被害妄想を持つときもある。でも、彼が仕事などでうまく行っていないとき、疲れているとき、彼のココロをほぐせるのは私だと自負している。そう言うときに職場から電話してくれている。彼は、私をサポートしてくれてる傍ら、彼は彼で自分の生活に潤いを与える方法を探している。私は、今でもやっぱり彼というサポートが必要なのが、それが情けないけれど、私はここで今動く意味がないし、体力的・気力的にも恋愛は無理だから、彼とつながっているほうが気が楽なんだと思っていた。彼は、デートサイトに登録して、デートする予定があるから、君とは会えない。。。と言った。私は、彼の微妙な表現から、もうすでに付き合い始まりそうな人がいると思った。私は、そりゃ、私はそのうちいなくなる。彼にしたらいつでも誰でも会ってみたいだろう。もともとバーで女性を引っ掛けるタイプじゃないし、出会いの時間がないからデートサイトに登録しておくらしい。私とはチャットで出会ったんだけど。遠かったから、メッセンジャー友達から実際の恋人になるまで2年くらいかかった。2年つながっていたからこそ会いたいと思ったのだけれど。彼も抑うつ状態もしくは軽い鬱病状態を経験している。そして、セルフヘルプについては、本当によく本を読んだり実践したりしている。パニック発作のことはもちろん最初はかなり驚いていろいろ調べてくれた。家族よりも少し距離があり、ほぼ何でも話せる状態になっている。彼に誰か別の人ができて、私は一体大丈夫なんだろうかという不安が、昨日の私の落ち込みモードにさらに被害妄想モードを加えた。彼はメッセンジャーで説明し切れてない部分の混乱で、私が『付き合ってる人がいるなら言って欲しい』と書いて送ったとたん、電話をかけてきた。『私のことが負担ならやっぱり私を切るべきなのよ。』『そのことは、友達として今までどおり支えることが君のためでもあり、僕のできることだから。つながりを切るのは良くないって言っただろう。お互いそうしたくないって。』『でもデートの相手は?私との電話の回数を減らす準備って何なの?友達なら私は私の電話したいときにするし、発作で電話しないと困るときもあるし。コントロールしようとしないで。あなたの都合のいいように、コントロールしようとしてるの?私の大事な時期に、私を悲しい気分にさせるのね。』『デートの相手はただ会うだけだ。初めて会うんだから、食事をするかお茶をするかくらいだよ。』そんなの、どこでどう相手と相性が合うかわからないじゃないか、私は彼が万人受けするタイプじゃないことは知っているけど。。。彼は絶対に謝らない。付き合ってるときに2回ほど謝っただろうか、彼は自分が悪いと認める方向に議論を進めない。『君が必要としてるときは、僕はいつもここにいるから。心配しなくていい。僕だって誰かを探すことが必要なんだよ。君と僕とは終わったことは受け止めて欲しい。でも僕達はお互いを支えあう友達なんだ。そうありたいんだ。』『うざったいと思われるくらいなら、鬱で落ち込んであなたの前からいなくなるほうが、お互いのためなんじゃないかと思うときがあるのよ。』『でも、それはベストな結論じゃないだろう。考えすぎだと思うよ。』『だって、私はあなたに気持ちがあること、あなたは知っているのよ。私が落ち込んでいるときあなたに申し訳ないと思うの。それがイヤなの。』『そりゃ君が落ち込んでるときは難しいけど。それでも僕は君をすばらしい人だと思っている。』誉めてどうすると思う私。結局、ワンワン泣いてしまった。泣きたかった。いろんなストレスもついでに流してしまいたかった。でも、謝るのはいつも私。夜中に起こしても怒らない、発作で電話してもやさしい彼に頼っているのだから。。。私は彼とつながっていたい。でも、彼に好きな人ができたら、そこで自然にFade outするのかもしれない。それが悲しいんだ。それが今起こるかもしれないと思うと、怖いんだ。論文に集中できるかわからない。彼の支えに変わる自分の中の自信はないし。もう。。。。私やっぱりダメだな。
2005年06月04日
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夕べ書いていた日記はタイプしてる途中で、よくわからないけど消してしまった。Ctrlと何かを押したのか、Backしただけだと思ったのに、消えてしまった。最近、こういうことが良くある。TouchPadもよしあし。BlindTouchもよしあし。ここ数日、簡単に落ち込むが。今日が悪い日の始まりのようだ。何をするにも億劫だ。睡眠が不規則なのも、論文が先週末からほとんど進んでないのもストレス。毎晩、予期不安を感じて結局、真夜中過ぎても夜明けまで起きている。BBC News24が始まるとなぜだか安心してテレビをつけておいて、体操したりする。今日は起きたとき、久しぶりにベッドから出たくない気分でいっぱいだった。もう動きたくない、考えたくないから眠っていたい。やらなくちゃいけないことはわかっているけど、親が送ってくれたカステラがなかったら何も食べずにいちゃったかもしれない。とにかくだ。日記が消えるのもイライラする。こうやってタイプしていて、変換したりするときにそうなって、悲しくなる。昨日は、朝ちゃんと起きて、親に頼まれた荷物を郵便で送りに行った。日本スピードからすると遅いかもしれないが、とにかく今夜中(木曜日)の飛行機に乗って欲しいな。そうすれば、週末には家族がイギリス直送の紅茶が飲める。ううう、ちゃんとしたご飯を食べなくちゃ。これから夕飯。
2005年06月02日
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今日は、火曜日だった。日付けの感覚がBank Holidayでずれてしまった・今日やりたかったことはすべてと言っていいほどできなかった。1.日通と郵便局で値段を比べて、親に頼まれた紅茶を送る。2.郵便局へ行く。3.論文。4.Oxfamへいらないものを少しずつあげていく。5. カウンセリングに行くー手帳をチェックするのを忘れて逃した。6.レポートをEmail.7.買い物-寿司用8.水泳に行く。やる気満々なわけでもないただ、今日やっておきたかったことがあったことはたしかで、でも、できなかった。その結果夜になってこんな風にだらだら自己嫌悪を書きなぐっている状態。寝付けたのは今朝の5時ごろで、一度目が覚めたのはお昼12時ごろで、起きたのだけれど、窓を開けて空気の入れ替えをしている時にまたベッドに戻ってしまった。親に頼まれたものは紅茶とクッキーとジャム。日本で買えない物をというわけで、頼まれた。日本でもイギリスから輸入されてる紅茶はある。でも、私が、おいしい紅茶を見つけてから、イギリスから日本へ帰国するたびに紅茶を持って帰ることで我が家の紅茶は賄われていた。はぁ。それはいいんだ。私は一回頼まれると、それを最終決断と受け止める。ところがうちの母は気が変わる。私が注文してしまってから、ジャムはもう待てないから注文しちゃったと言う。私だって待てないから注文しちゃったのだ。お金の問題じゃなくて手間の問題なんだけど、一人暮らしって手間がかかる。家族でいると手間もかかるけど、その分人手がある。文句を言う相手もいる。頼まれてから、私だって早く送りたいと思いつつ、注文したおいしい紅茶が届くまで待っていればやっぱり時間はかかる。なんつったってここはイギリスだ。でも案外早く届いた。そしたら、母との電話で、ジャムは買っちゃったから、クッキーでいいのよ。という。ジャムは重いし。という。でも私も買っちゃったのだ。完ぺき主義がこういうところにまで出てしまう私としては、もうどうでもいいから欲しいもの全部送るよ。お母さんのお金だしね。いわれたままにするしかないのだけれど。とにかく。とにかくである。ここはイギリス。荷物を送れるコンビにもなく。目の前に郵便局があるうちの実家の状態を創造すれば、『あらまだ紅茶届いてないの?あと詰め合わせも買ってきてね。くっきーもね。安いのでいいんだけど。仕事場で若い人とお茶の会をしようと思っているのに、待っているのよ~』とプレッシャーがかかる。紅茶は元々ロンドンからなので、どれくらいで届くかわからなかった。注文した日の3日後に届いた。ただ私も具合が悪かったりして、データ整理もしてたし、紅茶が届くまでクッキーは買わなかった。それがいけなかったのかも知れない。そういう問題でもないけれど。こんなことで、こんな些細なことが、精神衛生を狂わす。悲しくなる。被害妄想になる。やっぱり鬱なんだなぁとおもう。貧乏ゆすりをする。ツライつらい。できることを、自分のペースでやること、スラ難しいのに周りの人の期待に応えることと重なるともっと難しい。ふうううううううううううううううううううううううう体は生理前だ。むくむく・パンパンだ。衝動的に食べてしまうときもあるし。微熱で、ココロ安らかに昼寝をするはずが、変な子供用SFが夢に入ってきて妙な夢をみてしまい、疲れてしまった。夕飯が遅くなり自己嫌悪。アタマをスッキリさせたいんだ。体も。論文も終わらせたい。明日は1.Fenwickへ行って、ジャムと紅茶詰め合わせを買い、郵便局へ行く。2.お金をどこかで下ろす。3.スモークサーモン、レモン、ディル、アボカドを買う3.カウンセリングの予約を取る。4.病院の予約を取る。5.レポートを書く。だ。はぁああああああああああああああああああああああああああそう、夜は発作が多くなってきた。今日は少し動悸・不快感があって、気持ちが悪くなった。さぁ、寝るか。
2005年05月31日
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今日はSpring Bank Holidayだった。数少ない国民の休日のひとつだ。最近、部屋を片付けて、体操できるようになったのだけれど、今日はできなかった。しなかったと言うべきか。家族に頼まれた紅茶・クッキーが缶入りを大量にかさばる量になり、部屋の真ん中にデーンと居座っている。送りたいけれど、郵便局は3連休でお休みだったから仕方がない。だんだん、この箱のでかさが、私のストレスになる。日通で送るか、郵便局で送るか。そんなことまでもアタマの隅で大きくもたげる。とにかく、送りたいものは明日起きたら一番に済ませる仕事にしよう。私の部屋はどんどん狭くなる気がする。片付けても片付けてもエンドレスだ。そろそろ捨て始めないと。現在、午前3時半。もうすぐ夜が明ける。昼寝を2時間しただけなのですぐ眠れるはずだった。そこで寝ていれば、罪悪感は最低限に抑えられた。食べ始めてしまった。カロリーも見ずに食べてしまった。明日泳ぎにいけたらやっとプラスマイナスゼロだ。オレンジに手をつけてたらカロリーは100kcal以下だったのに。。どよーーーん、だ。悪循環だ。ダイエットと言うか、ジャンクは間食しない、BM体操をする。それだけで、普通に食事するはずだったのに。。。体調もなんとなく微熱があり、高温期なのだろうけど、だるくなる。明日メールするはずだった、レポートも終わっていないし。もう眠いけど、悲しい。自己嫌悪。太る脳がにくい。もう少し起きてて、腹筋をしたい。この血流を良くしてから寝たい。やっぱりこのままじゃ寝れない。片付けて、少しストレッチをしてからじゃないと寝られない。クッキーの箱ももう詰め終わってるんだから、よしとしよう。明日送れますように。とにかく、片付けて、ストレッチして身体もココロもスッキリしてから寝よう。はああああああああああああああああああああああああああああ
2005年05月30日
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夕べも発作があった。些細なことが、脳みそのストレスになり、発作になる。そんなことは前からわかっているんだ。昨日-木曜日は、ノルウェー姉ちゃんが戻って来て、スイス人のAnnetteも仕事の面接のためスイスに先週から帰ったのが戻って来た。なんとなく、ほっとしたのだけれど、Karinが少しやつれて元気が無さそうな状態が痛々しかった。だから、話を聞くほうに回ったんだ。サポートする側に。Annetteは実家でも相当喋ってきたはずなのに、寮へ着いてすぐにうちのキッチンへやってきて、一人でべらべら喋っていた。金曜日にスイスへ飛んだから、それから何があったか逐一報告しないと気がすまないらしく、ずっとしゃべっていた。Annetteの場合こういうとき真剣に話を聞くと、疲れる。頭に思い浮かぶままにランダムに口に出す癖がある。紅茶の話をしていたのに、2,3秒黙ったと思ったらチベット密教の修行の話をしだす。誰かがブルーベリージャムの話をしていたとしよう。話が終わる前に、Annetteがブツブツと話し出すだろう。『ブルーの自転車が。。。』とか『チーズが』とか『うちの弟が。。。』。。。慣れるまでは、仕方なくみんな黙ってAnnetteの話に移っていた。なれた今は、話が変わる度にAnnetteをからかうことにしている。それでも彼女は自分の話を吐き出さないとき気が済まない。それが悪気がないからある意味罪でもある。North American 3人娘はひどいときは自分たちのトピックをとりあえず進める。そして、誰か一人相槌を打つフリをするなりしてAnnetteも話す。2,3のトピックが飛び回り収集がつかなくなるときもある。Annette中心になると、話題はブチブチ切られて結論が無くなり、私にとってはストレスが溜まる。これって私の完璧主義の脳みその問題なのだろうか。聞き流すって意外に難しい。そこに到達するまでが難しい。水曜日は、ビバ・LIVERPOOL! ビバ・Steven Gerrard! ビバ・Dudek! ビバ・Smicer! ビバ・Carragher!だった。木曜日もそうだったけど。ヨーロッパチャンピオンズ・リーグの決勝だった。すばらしいと言うか、3-0からの後半劇的な引っくり返し、延長、PK。20数年前の過去のGKの動きを真似るなどしてPKを3つも止めたDudek! それはそれは興味深い試合だった。若き大将Steven GerrardはMichael OwenなきLiverpoolに残り、走りつづけた。なんだか、それだけでも私には十分な伝説だ。伝統のあるチームを任された24歳のキャプテン。MF。Owenの影に隠れてデビューなどは日本ではあんまり知られていないと思うが、彼も十代で期待されてスタートしたプレイヤーだ。Scouserにとって5個目のヨーロッパ・チャンピオンカップ。だそうだ。Englandにとっても久々のチャンピオンカップだ。Gerrardは最初のインタビューで『本当に信じられない。勝てると思ってなかった。チームメイト一人一人が貢献した試合だった。Dudekのスーパーセーブもすごかった。そして何よりもサポーターのみんなのおかげだ。本当にサポーターの支えが大きかった』とファンにカップを捧げると言った。私は中継を観終えて興奮して、ハイライトやすべてのスポーツ番組を見たりした。何よりも勝った瞬間の選手がDudekにすごい速さで走り飛びつくシーンには、ちょっと笑って、選手の緊張がほどけた瞬間のエネルギーのほとばしりが手に取るように感じられた。頂点に上ったという緊張がほどけるときとはどんなものなのだろうと想像してみても無理と言うものだけれど。。。実は水・木曜日とも少し微熱があり、ぐったりしていた。データが進まない。+++ Today = Friday +++ Meeting Ian +++ what was I supposed to do? +++水曜日にIanからメールがあり、研究用の奨学金をくれた財団にレポートを出すので、結果を『いくつかメールして欲しい』と言われた。もちろん、そんな『いくつか?』という意味合いが、私にはきちんと解釈されず、Ianをまたがっかりさせてしまった。とりあえず、抽出のグラフを8個ほど、表と一緒にプリントして持っていこうとしたら、ファイルをもってこいといわれてしまった。はぁああああああああ、だーかーらー。いくつかって言われても私のデータはいくつかで表現できるものではないのだよ。。。もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。仕方なく、書いて欲しいものをリストアップするIan。ぼぉっとして、『やっちゃった』と思う私。しかし後の祭り。不能だと思われても仕方がない。私は今私のペースで私のやり方でデータ整理をしているのだ。そこへ、『いくつか』とあいまいな表現でデータを求められても、きちんとリストアップしてくれればそうしたのに。。。しかもSummaryはだいぶ前に渡してるのに。。。だまって、オバカサンになりIanの言っていることを右から左に流す私。ブツブツ言ってたけど、こっちは熱もあるし、膨大なデータの中から何をピックアップすればIanの『いくつか』にあてはまるのかわかるわけない。仕方なく書いたリストは、ほとんどすべての実験結果のまとめと同じだった。なんだよ。それ。よくわからないなぁ。何でこの間のSummary使ってくれないんだろう。過去のメールから探してよ。私はアンタのFolderの一つかい?開かずのFolderってか?ていうか、記録は私がするものなの?何のためにIanはキャビネットに『Kaoru』の場所を設けてるんだろうね。そうそう、私はできない学生。あれ出して、といわれてすぐ出すようなそんな状態に今ないんです。それが今の私。スローでできの悪い状態。コミュニケーションも、熱がある頭じゃ悪くなるのは、仕方ない?Ianとのコミュニケーションはいつも悪くて、昔は私が元気だったので勝手に私が心配しすぎてIanが『すべてどうにかなるのさ~』といわれて余計心配になるというパターンだった。最近は、私の調子が良くないのをIanが心配している。しかーし結果も出してほしいから、その分微妙な表現になり、私が反応してしまうという事態が多いかも。でも、Easter Holiday前のIanがひどかったから、この状態になったのかも。あれは、かーなーりー、頭きたから。今でも思い出すとムカつくのじゃ。でも、負けない。と思って自分のためにがんばっているんだ。だから、もうIanの話は半分以下に聞くことにしたんだ。『いくつか』とか言われたってよくわからないもの。昔の私ならそこで『よくわかりません。』って訊いたのかも知れない。訊くまでもなく、レポートを提出できたかもしれない。でも、現在の時点で数々の実験をまとめる時点で、『いくつか』なんてありえないんだよーーーーーーー。ムカつく。わかってないよ、全然。私は私のデータを、私の手で整えてるんだ。いらん、邪魔はしないでほしい。渡したSummaryも見ずに、また送れってか?冗談じゃないよ~。もうおうおおうおうおうおうおうおう。熱が上がっちゃうよ。この微熱はまたバイ菌のせいなんだろうか。血液検査してくれたらバイ菌の検査できるのかな。。。
2005年05月27日
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