全23件 (23件中 1-23件目)
1
明日は、小4の長男 コーちゃんの漢字検定の日である。韓国では 過去、漢字が学校教育にあった時期と、全然無かった時期とがある。はんらの夫 ノギさん(1960年生まれ)の学生時代は、漢字の授業があったという。だから、ノギさんは漢字の読み書きができる。ノギさんより少し年上だとか、少し年下だとかになると、学校教育に漢字教育がなかったため、漢字の読み書きが全くできない、という人も多い。今も、「韓国のものが一番だ。ハングルが世界で一番 優秀な文字だ」というような、韓国至上主義(?)の考え方が 広くて、漢字は一般にはあまり使われていない。しかし 韓国語では、元々の韓国語ではない、漢字語の単語が多いので、現在 一応、中学校か高校で漢字の授業があるらしい。小学校では漢字を習わないのだが、「国語の成績を上げるため」という理由で、親が子どもたちに漢字を習わせるケースは多い。学校で習わないため、塾に通わせるか、漢字の学習誌を定期購読して、勉強させる。はんらも、コーちゃんは 今は日本語ができないが、漢字を習っておけば あとで日本語を学ぶときに役立つだろうと思って、書道塾に通わせて、漢字を習わせている。韓国では、漢字検定が1年に3回ほどある。8級から始まり、最高級は1級である。8級は、50字が読めさえすればよい。7級は、150字が読めなければならない。韓国の漢字は、ひとつの漢字に読み方がひとつしかない。日本のように、「音読み、訓読み」というのがないので、読み方を習うのは、案外カンタンである。だから、7級くらいまでは、小学校の低学年でとってしまう子も多い。コーちゃんが今回受験するのは、6級である。6級は、300字が読めて、そのうちの150字は 書けないといけない。というと、日本の小学2年生くらいの水準だろうか。しかし、韓国では日本のように略字を使わないので、書くのは大変である。 樂、廣、榮 のように書けなくてはならないのだ。4級(千字読み、500字書き)以上になると、国家公認の資格になるそうだ。そのため、大学生になってから、就職のため 漢字の勉強を始める人も多いと聞く。1級は、3500字を読んで、そのうちの2千字が書けないといけないそうだ。確か、日本の漢字検定1級は、6千字ができないといけなかったような・・・?明日の午後は、コーちゃんを連れて、検定会場に行ってくる。皆さん、コーちゃんの健闘を祈っていてね。^^
2004/10/29
コメント(28)
はんらの住む はんらマンションのすぐ東北側には、日峰山という 低い山がある。はんらの家を出て 登山口までわずか3分。そこから頂上までは 距離にして 1、4キロで、普通に歩いて 20分弱である。高さは 133メートルと地図に書かれている。「登山」というよりは「山歩き」といったかんじだ。これは、今のはんらにとって、ちょうどいい距離である。もし、この倍くらい高い山だったら、疲れて午後 寝込んでしまいそうだ。特に用事の無い日は、なるべく この日峰山に行こうと思っている。実は、マンションを決めるとき、すぐ隣に山があるのが気に入って、この はんらマンションに決めたのである。しかし、日峰山の四方八方が削られて、どんどんマンションが建っていくのは、ちょっと残念なことだ。山道の両側は木が立ち並んでいるが、木と木の間から見えるのは、高層マンションであるからだ。マンションが多いので、山歩きをする人もとても多い。近所の人にもたくさん会う。頂上近くには、なぜかテーブルとソファが置かれていて、おじいさんたちが囲碁をさしている。きょうは、よちよち歩きの赤ちゃんを連れた、よぼよぼのおばあさんもいて、ちょっとビックリした。あの赤ちゃんは、ひとりで頂上まで登って来たのか?それとも よぼよぼのおばあさんが 負ぶって来たのか??韓国人は 老いも若きもバイタリティーあふれているので、わからない。きょうは、紳士服のモデルのようにバッチリ着こなした、サングラス姿の若い男性が、革靴で頂上を目指すのも見た。なぜかは わからない。いろんな人がいるので、面白いものだ。頂上からは、また四方八方に下山する道がある。はんらは、そのまま違う道から降りていくこともある。そうすると、違うトンネ(町)に出る。そこらで、いろんな店を見たり、買い物したりしてくるのも楽しい。ついでにお昼ご飯や晩ご飯の材料を買って来たり・・・パン屋さんで食べて来ちゃったり・・・オイオイ、それでは ダイエットにならないではないか!^^
2004/10/28
コメント(14)
はんらは一家の主婦である。しかし、はんら家の財布のひもは、夫 ノギさんが握っている。というのも、はんらは衝動買いしてしまうからである。反対に ノギさんは実に 堅い人である。給料をもらうとまず、支払わねばならないものなどをチャチャッと計算し、貯金までして、残りで生活しようとする。それに引き換え はんらは、街でいいものを見つけると”あら、これいいわねー。 いくらかしら? 5万ウォン?? 財布の中にあるかしら??? あら、あるじゃないの????”と思うやいなや、「アジュンマ、これ下さい!」と叫んでしまう。はんらはいつも反省して、なるべく出歩くときは、財布の中に3万ウォン以上は入れないようにと心がけている。ちゃんと生活費をもらって、いつも計画を立てて使っているつもりであるが、給料日前になると、必ずピンチに陥る。はんらがノギさんにSOSを要請すると、人のいいノギさんは、たいてい お金をくれる。これがなければ、はんら家は今ごろ、もっともっとお金持ちだったかもしれないのに・・・というわけで、大きな貯金はすっかりノギさんに任せているが、はんらもちょっとした貯金をしようかなー、と思ったことがある。日本でも、よく主婦が「500円玉貯金」だとか「買ったつもり貯金」だとかしているではないか?!はんらは 最初は「小銭貯金」をしてみようかと思った。入ってくる小銭全部を貯金箱に入れていくのだ。挫折した。生活ができない・・・次に「500ウォン玉貯金」をしてみようと思った。挫折した。バスに乗るとき、自動販売機で飲み物を買うとき、小銭が無いと 不便過ぎる。韓国の千ウォン札は、ヨレヨレなので、自動販売機に入っていかないのだ。かと言って、百ウォン玉をたくさん持ち歩いては 財布が重過ぎる。500ウォン玉には、やっぱり はんらの財布に中にいてもらわないと困る。それで、今やっているのが、「子どもたちの生まれた年度の小銭貯金」「今年の新小銭貯金」である。今年2004年度製造の小銭(去年は2003年度の小銭を集めた)、コーちゃんの生まれた1993年度製造の小銭、よしくんの生まれた2000年度製造の小銭をそれぞれ、青い貯金箱、白い貯金箱、黒い貯金箱に入れている。これは無理がないので、もう長く続いている。グッド・アイディア!!!これからも続けよう。唯一の欠点は、あまり貯まらない、ということなのだが・・・^^
2004/10/27
コメント(12)
はんらのシオモニ(姑)は、とってもパワフルである。電話の声が、周りの人にも聞こえるくらい大きい。はんらが普通の声(とはんらは思う)で電話すると「な~ぜ そんなに声が小さい? 具合でも悪いのか?!」と怒鳴っておられる。韓国では、布巾や白い下着を、洗剤を入れた専用なべでグツグツ煮る。その煮たっているなべに 素手 を入れて、かき混ぜようとされる。そして「アッチッチ~」と言っている。当たり前じゃ~~~なべそのものも、なべつかみなんか使わないで、ガシッ とつかまれる。以前、一緒にカラーボックスを買いに行ったことがある。4段のカラーボックスで、ちょっと大きいので、はんらはシオモニと一緒に持とうとした。すると、シオモニは「大丈夫!」という力強い言葉とともに、その4段のカラーボックスを頭の上にドカッ と載せると、スタスタ歩き出されたのだった。敬老精神の韓国で、年寄りにこんなことをさせていると みんなから石を投げられるのではないかと、はんらは気が気でなかったが、ボヤボヤしていると置いていかれてしまうので、懸命に後について帰った。市場でも シオモニはパワフルだ。商人が「5千ウォンだ」と言っているのに「3千ウォンにしろ!」と言って、無理矢理 3千ウォンを握らせ、袋を持ってスタコラ逃げ出す。負けず嫌いで、孫のコーちゃんの幼稚園の運動会の おじいさん おばあさんの競技では、「ようい、ドン」の「ようい」のときに もう、ひとり サッサとスタートしてしまう。そして、必ず1等をもぎ取ってこられる。こういうのを書いていると、きりがない。楽しいシオモニである。こんなシオモニも、幼い頃、相次いで両親を亡くし、お兄さんによって育てられた。15歳で長男のところに嫁いで、厳しい姑につかえ、10人もの弟、妹の世話をして、嫁としての辛い生活をした挙げ句、最初の夫を韓国動乱で亡くしている。医療機関のない田舎で、生まれた子どもを何人も亡くしたという。最初の子どもは難産で、医者のいない中、1週間 苦しんだ挙げ句の死産だったそうだ。実は はんらも最初の出産が難産になり、コーちゃんが危なくなって緊急帝王切開したのである。医者がいなくて死産になったシオモニは、どんなに無念だっただろうかと思う。シオモニは、その他の子どもも、病気でたくさん亡くしている。末っ子のノギさんも 1歳くらいの時、重い病気にかかって 死にそうになり、シオモニが ノギさんを抱いて何キロ(何十キロ?)も走り、医者のところに連れていって、やっと助かったそうだ。いつもは明るいシオモニが、昔の苦労話になると 目を赤くする。自分の子どもを自分の手の中で亡くさなければならなかったシオモニは、どんなに辛かったかと思う。自分の人生が辛いものだったので、シオモニは、ノギさんがまだ幼い頃から、将来結婚したら 奥さんに辛い思いをさせてはいけないと、いつもいつも語ってきたそうである。ノギさんも、そんなシオモニを見ながら、将来の妻は本当に幸せにしてあげたい、と思ってきたそうだ。そんなノギさんのところに嫁いで来たはんらは、本当に幸せ者なんだな、と思っている。
2004/10/26
コメント(20)
というのも、日本から友達が 韓国に遊びに来たため。2泊3日で来たのだが、きのうの日曜日、ナミソムと春川に行くというので、はんら一家も交ぜてもらった。はんらも せっかく韓国に住んでいるのだから、春川に行ってみたいとこれまで思ったことがないわけではない。しかし、夫のノギさんが「冬ソナロケ地巡り」なんかに連れていってくれるはずがない。だいたい、うちから遠い。その上、一番の障害は、我が家では 韓国に住んでいながら「冬のソナタ」を見ていなかったということ!ロケ地を見ても、ドラマを見ていないんじゃ、さっぱりわからないはずである。どーして はんら家で「冬のソナタ」を見ていなかったのか、今になって ノギさんと討論しているのだが、多分、当時 韓国では同時刻に他の放送局で、「女人天下」「野人時代」などの 人気番組を放映していたからなんじゃないかと思われる。だから、「冬のソナタ」って、韓国じゃ それほど視聴率が高くなかったんじゃないかな・・・?でも今、日本でこんなにブームを巻き起こしていると、気になる~!だから 今回 友人が来て、一緒にロケ地巡りしよう と言ってくれたときは、はんらは大喜びで一発OKしたのである。友人が 冬ソナロケ地巡り用の日本の雑誌を持ってくるというから、ドラマを見ていなくても、その雑誌をみれば 大丈夫!^^この友人は、ノギさんもよく知ってる友人なので、ノギさんも、じゃあ、ということで 腰を上げてくれた。し・・・しかし・・・!あんなに混んでいるとは思わなかった。友達一行は5人だったので、タクシーを1台チャーターして、ノギさんの車と連れ立って出発したのだが、車が全然進まない!やっとの思いで ナミソムに着くと・・・な・・・なんだ・・・!あの行列は!!!ナミソム(ナミソムが島であることを、はんらはそのとき 初めて知った^^)に行く船に乗るための行列だという。その行列が、ざっと、500メートルくらい?(計ってないからわからないけど、それくらいはあったと思う)ちょっとあの行列につく気にはなれない・・・と思っていたら、タクシーの運転手さんが、「ちょっと高いけど、モーターボートがある」と言うので、早速行ってみた。モーターボート代は、6万ウォンだと言う。ノギさんや はんらは「ゲッ! 高い!!」と引きつったが、日本から来た友人たちは「あら、6千円ね? 乗りましょうよ~」と言った。さすがは、日本から来た人たちである。6千円が高いのか安いのか、はんらにはもう、よくわからなくなっている。^^それで、行列の人たちを尻目に、はんらたちはモーターボートに乗って、しゅっぱーつ!(モーターボート代は、もちろん、友人たちが割り勘で出した)モーターボートを運転するおっさんは、はんらたちが「きゃーきゃー」言うので、大ハッスル(^^)して、急ハンドルを切るやら、急発進させるやら、大サービスしてくれた。コーちゃんは、きのう1日の中で、モーターボートが一番楽しかった、と あとで言っていた。無事、ナミソムについて、あてもなく歩きはじめた。どこがどこだか、さっぱりわからない・・・と、かわいい車がお客を乗せて走っているではないか。見ると「短距離 移動 1万ウォン、島一周 2万ウォン、冬ソナコース巡り 3万ウォン」と、日本語で書かれている。「ゲッ!高い!!」と、はんらとノギさんは、またもや引きつったが、友人たちは「3千円ね。乗りましょうよ。」と言っている。日本語で書いてあって、大正解である。こういうのは、日本人しか乗らないだろ~な~。だって、モーターボートは ほんの4~5分くらいの乗船。この車だって、30分くらい、そこらへんを回ってくるだけなのである。それで6万ウォンと3万ウォン・・・韓国人だったら、乗らないだろ~な~。でも、お金持ち(?)の友人たちのおかげで、帰りも 500メートルの行列を尻目に、はんらたちはモーターボートで帰ってきた。すぐに、春川に向けて、出発。しかし、またもや大渋滞。春川に着くともう、夜だったが、チェ・ジウがヨン様とデートの待ち合わせをしたとかいう、クリスマスツリーの下で、せっせと写真を撮った。「ここでユジンが待ってたんだけど、チュンサンは事故にあって来れなかったのよね~」「きゅあ~」なんて騒いでいる友人たち。「ふぅ~ん」と、よくわけがわからないはんらたち。大感激していた友人たちと、「韓国のレンタルビデオでレンタルしてるのかなあ、冬ソナ? 一度見てみなきゃ・・・」と思った はんらたちだった。天安に帰ってきたのは、真夜中だった。1日中 運転してくれた ノギさん、ご苦労様でした。^^
2004/10/25
コメント(24)
はんらの住む天安市でも、新築分譲マンションのモデルハウスが あちこちでオープンし続けている。マンションの供給過剰で、余っている分譲マンションがたくさんあるらしいが、それでも どんどんマンションが建つ。日本では、「マイホーム購入」というと、一生の買い物だが、韓国ではそんなことはない。買っては売り、また買う、というのを繰り返す人が多い。マンションの価格があまり下がらないため、そういうことが可能なのだろう。少しずつ お金を足して、少しずつ 広いマンションに引っ越していく。韓国の中流階級では、年齢が マンションの坪数の目安なんだそうだ。20代では20坪~29坪、30代では30坪~39坪、というふうに、広いところに引っ越していくんだそうだ。ということは、はんらたちは そろそろ 50坪近いマンションが目安ということ?!!ひぇ~~~はんらたちは、坪数で言えば、ピチピチのヤングである。さてきょうは、きのうオープンした LG建設の新築分譲マンション「LGジャイ」のモデルハウスに行ってきた。モデルハウスに行くのは、はんらの趣味である。素敵な家、家具、インテリア、電化製品の整ったモデルハウスに行くと、気分はすっかり いいとこの奥様である。「ここに ベッドを置いて、コンピューターはここに置いて・・・」なんて、勝手に頭の中で計画を立てている。分譲価格が高騰して、とても手が出ないが、考えるのは勝手である。はんらが「LGジャイ」マンションを購入してしまったら、はんらではなくなってしまうではないか!もし、そんなめでたいことがあったら、早速ニックネームを「ジャイ」に変えよう。^^そういえば、はんらマンションの真向かいに、つい最近「ゲートボール場」がオープンした。このまま、はんらマンションに住み続けても、老後を過ごすにはいいかもしれない。夫のノギじいさんと一緒に、毎日手をつないで ゲートボールしに行くのも楽しそうだ。
2004/10/23
コメント(18)
きょうは、はんらの通うパソコン教室で、5ヶ月過程を終了した人の 終了証書授与式があった。はんらは まだ5ヶ月の過程を終えていない。途中からの参加である。ダメモトで、先生に言ってみた。「来月もちゃんと通うので、終了証書 出してくださいよ。」日本だったら、そっけなく「駄目です。ちゃんと5ヶ月終えてください。」と言われそうである。しかし、ここは韓国。「じゃ、ご一緒に。」ということで、今回、はんらの終了証書も出してもらった。^^来月からも、勿論ちゃんと通うつもりである。以下が終了証書の内容である。*********************修了書氏名 : はんら上の者は 天安市で運営する住民情報化教育の委託機関(セジン コンピューター教室)で5ヶ月過程を履修されたので 修了書を授与する。教育科目:ハングル2002、ウインドウXP、エクセル、インターネット、パワーポイント、ホームページ教育期間:2004年 5月 31日~ 10月 22日2004年 10月 22日セジン コンピューター 教室 室長*********************今回 修了証書をもらったのは、10人ちょっとである。始める人は多いが、5ヶ月間 通い続けるのは なかなか大変で、全過程を終える人は少ないのだ。そのあとで、食事会に行った。「コンサモ」(きのうの日記 参照)の発足式でもある。30代から50代までのアジュンマ(おばさん)たちの集まりだが、30代のアジュンマたちは 声も小さく、話す内容もかわいらしい。50代のアジュンマたちは、アジュンマ パワー炸裂!である。声もデカいし、話す内容も 下ネタのようなものから ご近所の噂話まで、実に詳しい。でも、さすがに50代にして パソコンを習いはじめるだけあって、積極的に いろんなことをして人生をエンジョイしているアジュンマたちである。商売もしながら、スポーツダンス、水泳、書道、楽器など、あちこちで いろんなことを習っているらしい。すごい バイタリティである。アジュンマたちの 話に 大笑いしながら、あっという間に時間が過ぎた。
2004/10/22
コメント(18)
はんらの通っている パソコン教室では、今 みんなで「個人HP」を作っている。だんだん難しくなり、朝9時からの教室は、25人くらいで始まったにもかかわらず、最近では 5人くらいしか出てこない。主婦はどうしても、家族や親戚の用事を自分の事情より優先させなければならないので、授業に出てこれないことも多い。それで、何回か欠けると、続けられなくなってしまうのだ。しかし、小人数になったので、その分、絆(?^^)は深くなった。前、日記に書いた「ダブルクリックのできないおばさん」も ちゃんと残っている。すっかり仲良くなって、5人でこれから「コンサモ」を作ろう!という話も出ている。「コンサモ」って何?って??韓国に住んでいる人なら、「ノサモ」をご存知であろう。「ノ・ムヒョン大統領を 愛(サラン)する人の 集まり(モイム)の頭文字を取って「ノサモ」である。与党のイ・フェチャン大統領候補よりずっと劣勢だった ノ・ムヒョン候補を当選させたのは、この「ノサモ」の力だった。それ以来、「○サモ」というのが、流行した。「コンサモ」とは、もちろん、「コンピューターを愛する人の集まり」である。このメンバー5人には、共通点がある。全員、息子しかいない、ということである。はんらを除いて全員、声がデカい。息子を育てていると、声がデカくなるそうである。^^さて、はんらの作った 韓国語での初HPである。ちゃんと見れるのか、はんらも知らない。うまく行けば、はんらとノギさんの写真も見れるのだが・・・ ここをクリック
2004/10/21
コメント(27)
はんらの家には プリンターもスキャナーもデジカメもない。今年のはんらの誕生日(3月)に、夫 ノギさんはこう言った。「何か欲しいものはないか?」はんらは、「プリンターが欲しい」と言った。ノギさんは、確かに「よぉし、買ってやるぞ!」と言った。一緒に、お店にプリンターを見に行った。気に入ったのがあった。ノギさんは、言った。「他の日に、他の店も回ってみよう。1軒めで決めないほうがいい。」それっきりである。あれから7ヶ月も経っちゃったんですけど、ノギさん・・・というわけで、はんら家には、プリンターがない。はんらは、パソコン教室に通っているので、パソコン教室のプリンターで写真をフロッピーに保存してきた。超初心者がはじめてやることなので、はんらにもどうなるか、わからない。 さあ、どうでしょうか。週末農園での収穫のもようである。あ、何だか 怒りの声が聞こえるようである。過去の日記を読んだ人ですね?よしくんのどこが クォン・サンウに似てるんだ、って?まあまあ、クォン・サンウ ファンの皆様、落ち着いて、もう一度日記を読み返してみてください。「カッコイイところが似てるんじゃなくて、ハンサムではないけど、なんか母性本能をくすぐるところが似ている」と書いてますね。母性本能を・・・あ、くすぐられない?はんらは くすぐられるんだけどな~。でも クォン・サンウも、2年以上前は 今みたいに垢抜けてはいなかった。主役級をやるようになる前である。化粧品モデルをやるようになるとは、夢にも思っていなかった。もちろん、親ばかのはんらには、クォン・サンウより よしくんのほうが 可愛く見えるんだけど・・・
2004/10/20
コメント(24)
はんらが韓国に来た16年前、韓国で買い物をするとなると、デパートか市場しかなかった。大型スーパーのようなものがなかったのだ。デパートは、高価で 庶民が手軽にショッピングできるところではなかった。市場は安いが、数回洗えばボロボロほつれてくる服ばかりだった。魚、野菜なども安いが、少しずつ買うということができなかった。新婚の2人暮らしでは、キャベツ丸ごと1個とか、魚5匹で千ウォンとかいうのを買ってしまうと、数日間、同じものを食べ続けなければならなかった。日本のユニーとかダイエーみたいなのができないかなあ、と はんらは毎日祈っていた。その願いが通じたのか(?)、いつ頃からか 韓国に大型スーパーができはじめた。フランスから入って来たという「カルプ」(日本のカルフール)、アメリカから入って来たという「ウォル・マート」、そして韓国の各財閥グループも次々と大型マートを作った。LGグループの「LGマート」、ヘッテグループの「ヘッテマート」、ロッテグループの「ロッテマート」、そして、最大手はサムスングループ系列の「イーマート」である。これらは、あっという間に全国に広がり、売り上げを急激に伸ばした。やっぱり、韓国人もこういう大型マートを渇望していたのね・・・今では、イーマートなどは、大都市にはいくつも店舗を持ち、地方の小都市にまでたくさん進出している。さて、きょう、はんらは このイーマート天安店に行って来た。目的は2つ。ミーナさんが書かれていた電気スロークッカーという、はんらにもおいしい料理が作れそうな予感のする電化製品の下見(はんらは買わない。夫 ノギさんをそそのかして買ってもらう)。そして、もうひとつの目的は、chueiさんが書かれていたクォン・サンウが専属モデルをやっているというブティック、ビルトモアに行くことである。ビルトモアに行くと、販売員がニコニコ近寄って来た。「主人のコートを新調するんですけど、きょうは 下見に来ましたの、ホホホ。」と言って、店に入り込む はんら。そんな予定も予算もないんだけどね。(^^)さすがに なかなかステキなコートたち・・・ずんぐりむっくりの ノギさんにも似合うかしら?おっ! カタログがあるじゃないか!!「今度、主人とゆっくり見に来ますので、きょうはカタログだけ いただいて行きますわ。」と言って、カタログをゲット。見ると、全ページ クォン・サンウで、写真集みたいである。サイン入りのポスターまで挟まっている。日本のヤフーのオークションなんかで売れないかしら、これ。^^ついでに 化粧品売り場に行って、クォン・サンウがこれまた専属モデルをやっているという「ザ・フェイス・ショップ」を捜してみたが、どうやらこれは、イーマート天安店には入店していないようだった。次は、カルプ天安店で捜してみよう。有意義な午前中だった。^^
2004/10/19
コメント(18)
きのう、はんら家は 家族で、ケリョンサン(鶏龍山)国立公園に行って来た。はんらの住んでいる天安市のすぐ隣(車で30分くらい)の公州市にある国立公園である。とは言っても、3歳のよしくんは、とても山道を歩けない、いや、歩かない。長男のコーちゃんは 小さいころから、山道であろうが、雪道であろうが、かまわず歩いて行っちゃってたので、これは 個性であろう。そこで、はんらとよしくんは、駐車場から約2キロのところにあるドンハクサ(東鶴寺)まで、夫 ノギさんとコーちゃんは、そこから山道を 1.7キロほど行ったところにある ナンメタプ(男妹塔)というところまで登山してきた。よしくんは、草をむしったり、石を転がしたり、小川の魚を見たりしながら、1時間半もかけて、2キロを完歩した。帰りは、ノギさんの背中に負ぶわれて 帰って来たが・・・途中、民放テレビ局のMBCが 撮影をしていた。レポーターが「鶏龍山の紅葉は、25日頃が見頃です。」と言っていたので、来週行けば、美しい紅葉を楽しめそうだ。それにしても、国立公園だというのに、大人の入場料が 3,200ウォンって、結構高い。それ以外に 駐車料金まで取られちゃうのだ。観光地って、どこでもこんなものかな。「最近は運動をしているから、こんな登山、オチャノコサイサイだ。」とはしゃいでいたノギさんだったが、帰りの車を運転しながら、「足首がイタイ!」と騒ぎ出した。1週間くらい寝込んでしまったら どうしよう?!と心配したが、今朝、ちゃんと起きて出勤して行ったので、ホッとした。コーちゃんも、オデブではあるが、鶏龍山は ボーイスカウトで一度 山越えしているので、楽勝だったらしい。(きのうは、1.7キロしか行かなかったからね・・・^^)さて、秋の山を楽しんで来た はんら一家。近くの大田のユソン温泉に入ったあとで、異口同音に「お腹すいて動けな~い」ということになり、ご飯をたらふく食べて、帰途についた。やっぱり、はんら一家にダイエットは難しそうである。^^
2004/10/18
コメント(22)
はんらが韓国に来たころは、まだ医薬分業が行われておらず、病院で看護婦さんが薬を出してくれていた。何年か前から、韓国でも 医薬分業が法律で取り決められ、診察は病院で受け、処方箋をもらって薬局に行き、薬局で薬を受け取るようになった。そのため、病院の入っているビルの1階には、たいてい薬局が入っている。はんらが、今住んでいるところに引っ越して来たとき、周りに薬局は1軒しかなかった。小児科、内科、皮膚科などがあるのに、薬局は1軒である。はんらマンションだけで千世帯を軽く超えているのに、薬局が1軒である。当然、いつもすごく混んでいた。小児科はほとんど待たずに診察を受けられるのに、薬局ではいつも20~30分待たされる。椅子が全部うまると、立って待たねばならない。病院のように子どもの遊び場があるわけでもないので、子どもはすぐに飽きてぐずる。その上、薬剤師も受け付けの女の子も、ものすごく無愛想だった。いつもいかめしい顔をしている。薬の説明もせず、聞くと 面倒くさそうな顔をして、ボソボソと話す。近所ではとても評判が悪かったが、1軒しかないので、そこに行くしかなかった。ところが 嬉しいことに、今年の夏、ついにもう1軒の薬局が近所に誕生した。我々 はんらマンションの住民は、当然のごとく、新しい薬局に行くようになった。今週、第2王子のよしくんが中耳炎にかかり、小児科に行くことになってしまった。ビルの1階には、例の無愛想な薬局がある。ふと中を見ると、あの無愛想な薬剤師と受付嬢が2人で、ニコニコとこちらを見て、頭を下げるではないか?!!はんらは急に好奇心がムクムクわいて、久しぶりに、「無愛想薬局」に行ってみた。無愛想薬局はすっかり変わっていた。受付嬢がニコニコとよしくんに声をかける。「ボク、おりこうさんね~^^」横を見ると、無料でカフェ・オレなどが飲める機械が設置されている。女性雑誌も置かれている。薬を調合して出て来た薬剤師は、眉間にしわをよせてないで、目尻に笑いじわを作っている!手にはキャンデーを持って、「ボク、おりこうさんだから、これをあげる」と、よしくんに笑いかける。本当に同じメンバーか?と顔をよく見てみたが、同じ薬剤師に同じ受付嬢だった。薬局の中は、客もなく すっかり閑散として、ちょっとかわいそうにもなってしまった。自業自得なんだけど。このサービスを地道に続けていけば、また客は戻ってくるかもしれない。ガンバレ!無愛想薬局、改め ニコニコ薬局!!やっぱり、競争相手は必要ですね~。
2004/10/16
コメント(14)
はんらはきょう外出中に、知らないアジュンマ(おばさん)から声をかけられた。「まあ、こんなところで会うなんて」とか言って、向こうはニコニコしている。はんらは、顔に見覚えがない。怪訝な顔をしていると、そのアジュンマが言った。「私は あなたを知っているんだけど、あなたのほうは、私の顔を知らないのね。子どもたちが同じクラスだったんだけど。」「誰のお母さんなんですか?」「ムンギョンの母です。」ムンギョンのお母さん!!!ムンギョンのお母さんとは、以前、電話で話したことがあった。コーちゃんが3年生にあがるとき、はんらたちはテグから天安市に引っ越して来た。しばらくすると、コーちゃんが「ムンギョン、ミンジョン、ユナの 女3銃士が、ボクを叩いたり 悪口言ったりする~!」と言い出した。まあまあ、女の子が男の子を叩くとは!!そんなある日、ムンギョンのお母さんから電話があったのだ。「うちのムンギョンが、お宅のコーちゃんが嫌がらせするのでやめてほしい、って言ってるんですけど。」という電話だった。はんらは、こういう電話や苦情には慣れている。というのも、コーちゃんは見た目は全く普通の子どもなのだが、発達障害があって、コミュニケーションの取り方が下手なので、よく誤解を受けたりトラブったりしているからである。うまく表現ができなくて、先に手が出てしまったり、言ってはいけないようなことを言ってしまったり、周りの雰囲気が読めなくて 場違いなことをしていたりしてしまうのだ。日本では「子どもの喧嘩に親が出て行くなんて」という風潮があるかもしれないが、韓国では、子どもの喧嘩が親の喧嘩に発展する。韓国人の親は、自分のかわいい子どもに何かあると、黙ってはいない。だから、はんらも よく あちこちの親御さんから、いろんなことを言われている。その時の対処が難しい。「自分の子どもが被害者だ」と思っている韓国人の親は、たいてい興奮して熱くなっている。また、韓国ではまだ「発達障害」というものが あまり知られていないので、「発達障害があって・・・」という一言で理解してもらうのは、難しい。その上、はんらの韓国語にも問題がある。意志疎通に困りはしないが、微妙なことを話し合うには、実力が伴わない。コーちゃんは 悪者ではない。ただ、悪気がなくても 友達に不快感を与えてしまうことがあることを 理解してもらうには、はんらの下手な韓国語で電話で話していては 無理だ。でも、仕方ない。はんらは、その電話で、ムンギョンのお母さんにこう言った。「うちの息子は、お宅のムンギョンに いつも叩かれてる、って言ってるんですけどね。」「え?! うちのムンギョンが?! 叩いているですって??」電話の後ろで、ムンギョンが大声で弁解したり、コーちゃんの悪口を言っているのが聞こえて来た。「お宅の息子が嫌がらせをするので、うちのムンギョンが叩いちゃったんじゃないでしょうかね~?」とムンギョンのお母さん。「ムンギョンはうちの息子が嫌がらせをするから叩いたと言い、うちの息子はムンギョンが叩くから 嫌がらせしたと言っている。お互い、自分の子どもの言うことは正しいと思うから、こうして言い合っていても仕方ないんじゃないか。うちの息子には、ムンギョンに嫌がらせしないように言っておくので、ムンギョンにもうちの息子を叩かないように言っておいてほしい。」ということで、その時の電話は終わった。その後は、コーちゃんの話によると、コーちゃんもムンギョンも、お互いに関わらないようにしているということだった。4年生のクラス替えのとき、コーちゃんは「どうか、女3銃士と一緒のクラスになりませんように」と願っていたが、ムンギョンとは同じクラスになった。しかし、3銃士はみんなバラバラのクラスになったらしい。そして、2学期になって、ムンギョンは転校して行った。「ムンギョンのお母さん! お引越ししたんじゃなかったですか?」とはんらが聞くと「新しいマンションで、周りに店が少ないので、バスに乗って市場まで よく出てくるの。」だそうだ。「ムンギョンは活発だから、新しい学校にもすぐなじんだでしょう。」と聞くと、転校先でも 早速クラスの副会長に立候補して、副会長になったそうだ。「じゃじゃ馬で困っている。」と苦笑していた。「コーちゃんのお母さん、故郷が懐かしいでしょう。大変ですね。」などと、いろいろ話しているうちにバスが来て、ムンギョンのお母さんは、名残惜しそうに去って行った。一時は憎たらしいと思ったことのある(^^)ムンギョンのお母さんだったが、こうして話してみると、実にいい人であった。結局、はんらは コーちゃんの悪い面も知っているけど、いい面もいっぱい知っている、他の人や友達に、コーちゃんのいろんな面を理解してもらいたい、と思っているように、ムンギョンのお母さんも、他の子のお母さんも、みんなそんなふうに思っているんだろう。じゃじゃ馬のムンギョンも、一風変わったコーちゃんも、わんぱく坊主も引込み思案も みんなが 未来の世界を作っていく ひとりひとりである。個性のあるみんなが、お互いの個性を尊重し、理解し合って、よりよい世の中を作っていけますように、と思うと同時に、ムンギョンのお母さんが引っ越していく前に、親しく付き合えていたらよかったなあ、とも思った。
2004/10/15
コメント(12)
はんらが第一王子、コーちゃんを身ごもったころ、シオモニ(姑)がおっしゃった。「妊娠したら、いろいろ気をつけないといけないことがある。」そりゃそうよね~。重いもの 持っちゃいけないとか、靴はヒールの低いもの履けとか・・・?「とり肉を食べちゃいけない。」とシオモニ。へ?!? なんでとり肉???「妊娠中にとり肉を食べると、鳥肌の子どもが生まれる。」とシオモニ。思わずはんらは、わはははは~!と笑った。冗談をおっしゃったのかと思ったのだ。しかし、シオモニは真剣な表情で怒って言われた。「全く、お前は何にも知らない。本当のことだ!」さらに、「イカもだめだ!」なんでイカまで・・・?「骨の無い子が生まれる!」ま・・・まさか・・・^^;「アヒルの肉もだめだ。指の間に水かきのついた子が生まれる。」シオモニに、そんなことは 医学的に 何の根拠もないことでしょう、と言ってはみたが、シオモニは真剣そのもの。絶対にそうなんだと言い張られる。そんなわけで、妊婦のはんらは 食べるものをあれこれ制限されることになってしまった。同居していなかったので、毎日のように シオモニからチェックが入った。しかし、あんまり食べるな、食べるなと言われると、反って食べたくなってくる。はんらは、電話口で はいはい、と答えながら、しゅっちゅう とり肉やイカを食べていた。生まれて来たコーちゃんは、幸いにも(^^)骨があった。しかし、肌はあまりきれいなほうではない。とり肉のせいか!?!(笑)予定日が近づくと、シオモニは「この日に生まないといけない。」というようなことを言い出した。生むのにいい日、というのがあるらしい。そんなこと言ったって、陣痛が始まるのは、はんらの力では決められない。うちのシオモニは特別なのかと思っていたが、そういうことをおっしゃるシオモニは、韓国には多いらしい。生まれてからも、シオモニはいろいろ やかましかった。寝るときの頭の方向だとか、外出の方向だとか、いろいろ指図された。子どもなんて寝相が悪くて、寝ながら ゴロゴロ転がっていってしまうものだが、その時に頭が北を向いてしまうと、シオモニはわざわざ南向きに直しておられた。いろんな御札のようなものも、たくさんプレゼントしてくれた。はんら家には、玄関、台所、部屋の四方に いろんな御札が貼り付けられている。はんらも、目に見えないものを信じてはいるが、こういうものまでは信じない。そのシオモニの息子であるノギさんも、占いのようなものが好きである。新年には毎年必ず、何万ウォンか払って、運勢をみてもらいに行く。そして、一喜一憂している。はんらは そういうのもあんまり信じていないので、その何万ウォンがもったいないなー、と思っている。はんらが ブツブツ言ってると、何か おごってくれたりするんだけど。シオモニは、ノギさんが「結婚したい女性がいる。」と言ったときにも、はんらの生年月日を聞き出して、占い師のところにすっ飛んでいったそうだ。幸い、「まあまあ」と言われたらしい。もし、「相性が悪い」なんて言われてたら、結婚を大反対されていたと思う。そして今でも 何かあるたびに「やっぱり相性が悪いせいだ」と言われ続けたかもしれないのだ。
2004/10/14
コメント(24)
はんらの夫、ノギさんは 最近 ダイエットと健康作りに目覚めはじめた。ことの始まり(?)は、ノギさんが 週末農園で 真夏、雑草と格闘しながらいい汗をいっぱいかいたことであった。秋夕の時も、親戚一同から「痩せたんじゃ?」と言われて、すっかり 自信をつけた。毎日、会社の外を走ったり、運動をしているんだそうだ。いいことである。特に、はんらは外国暮らしであるから、ノギさんに突然 ポックリ逝かれてしまっては、ヒジョーに困る。いつまでも 健康で長生きしてほしいものである。ところで、燃えているノギさんは、はんらにも運動して痩せろ、と強要するようになってきた。これも、ちょっと困る。はんらは、運動して太ったので、運動して痩せるとは思えないのだ。はんらは、 幼少のころ とても痩せていた。小3までは・・・小4のとき、近所の友達が「スイミングクラブに入りたいんだけど、一人じゃ嫌だから、一緒に入って」と言って来た。内気で気の弱かったはんらは、断りきれずにスイミングクラブに入った。友達は、あっという間にやめてしまった。内気で気の弱かったはんらは、やめると言い出せずにズルズルと小学校卒業まで、スイミングクラブに通い続けた。給食を半分も食べられなかったはんらであるが、水泳のあとは、すごくお腹がすいた。クラブのあとで配られる菓子パンをペロリとたいらげた。家に帰って間食を食べ、夕食もガンガン食べた。はんらは、急激に太りだした。ガリガリだったはんらが、中学校入学式の写真では、真ん丸の顔をしている。そんなわけで、はんらは、「うちの子、痩せてて太らないのよね~」と心配するお母さんには「何か 運動させなさいよ。太るから。」なんて言っている。今のはんらは、運動しても「ああ、運動したあとのご飯はおいしいわー!!!」というふうになってしまい、ダイエットにはつながらないと思う、絶対。実は、ノギさんも痩せてはいないのである。体重計に乗って、いつも「おかしいなあ~?」と首をひねっている、ノギさん。体が締まってきたんだとは思うが。そんなノギさんに、はんらは言う。「お相撲さんを見なさいよ~。たくさん食べて、たくさん寝て、たくさん運動すれば、あんな体になるんだよ。」と。やっぱり、カロリー摂取量を減らさないと・・・でも、運動することは、体には 絶対いい。虚弱だったはんらが こんなに健康になれた理由のひとつは、スイミングクラブのおかげだと思っている。はんらも ぐうたらしていないで、ノギさんと一緒に 健康作りを始めてみようかな・・・
2004/10/13
コメント(12)
はんらは、土・日に 知人に誘われて、ソウル近郊で開かれた 障害児の親の集いに参加してみた。障害者の大会のようなものは、今週14日(木)にソウルのどこかの公園で大々的に行われるそうである。韓国では、障害者に対する 福祉などが非常に遅れているため、それを政府に訴えるための大会で、毎年1回、この季節に全国から集まって開かれるらしい。が、はんらの参加して来たのは、そういう大会ではなくて、勉強会のようなものだった。韓国では、とにかく情報が少なくて、障害についてよく知らない人もとても多い。自ら進んで情報を求めていかないと、何もわからない。まず、韓国では、1歳児検診とか3歳児検診のようなものがない。だから、親は、自分の子どもの成長が正常なのかどうかもわからない。もちろん、就学前の検診とか面接のようなものもない。就学時にも、わからないのである。幼稚園の保育士も、まだまだ障害については何も知らない人が多い。自分の子どもに発達上の問題があるのかどうか、保育士に相談しようとしても、その知識のない人が多い。小学生になっても、先生の家庭訪問もない。個人的に先生と面談するためには、わざわざ手土産を持って、学校まで足を運ばなければならない。それが面倒だと、いったい自分の子どもが学校でどのように過ごしているのか、さっぱりわからない、ということになる。そういう理由などで、言葉の遅れなどがあまり顕著でなかった場合、小学校高学年や中学生になるまで、我が子に問題があるとわからなかった、という親もとても多い。はんらも、コーちゃんが言葉が遅かったので 特殊教育(療育)を受けて来たものの、未だに はっきりした診断名はわからない。韓国では、そのようなものである。それにしても、このような集いもあまりなかった韓国であるが、これからは 少しずつ増えてくるのかもしれないと思うと、希望的である。勉強会の内容も、やはり 福祉や 障害の研究の先進国(?)である日本やアメリカなどの内容がほとんどであるが、これからは、情報不足に悩むことも少なくなってくるかな、と思うとうれしい。
2004/10/12
コメント(14)
先回の 夏休み明けのテスト結果には、皆さんから「コーちゃん、スゴイ」というお褒めの言葉をいただいた。そして、今回、中間試験の結果もまたまた 教室の後ろに貼り出されたそうだ。「今回は、23位!」だったそうである。思わず はんらも「後ろに 9人も いるじゃないの!」と叫んでしまった。これが、先回 23位で今回26位だったら、はんら家はお通夜のようだったかもしれないが、成績アップしたもんだから、はんら家はお祭り騒ぎである。^^「いやぁ~、この分だと、次回はきっと 下位脱出して、中位圏に突入しそうだねぇ。」「この法則でいくと、次は20位、ってことになるね?!」なんて浮かれているはんら家は、楽天的過ぎ?でも いいの、楽天日記だから。(なんのこっちゃ)それにしても、コーちゃんの友達のひとりは、先回7位で、今回32人中30位だったそうである。思わずコーちゃんと笑ったが、まだ小学生では 成績も定着してなくて、ちょっと油断すると あっさりビリ、ってことかも。笑ってる場合ではない。でも、中・高生になれば、本当に笑ってるどころではなくなるかもしれないので、やっぱり今のうちに 笑っておこう。
2004/10/11
コメント(8)
はんらは、仮死状態で生まれて、小さいころは よく、生死の境をさまよったそうだ。はんらの両親も、はんらが 大きくなるまでちゃんと育つかどうか、と思っていたそうだ。小学生になっても、給食が半分くらいしか食べられず、体も弱くて小さかった。おまけに3月30日生まれだったので、同級生より ひときわ小さくて、動作も遅く、運動能力なんかも劣っていた。はんらの小学校では毎年、花の球根や種を ひとりひとりが鉢に植えて、育てていた。出席番号も遅く、行動も遅いはんらは、いつも最後に球根をもらうことになり、小さくてゆがんだ球根ばかり植えるハメになった。でも、体が弱くて 引込み思案で、友達もなかなかできなかった はんらには、その鉢植えは 大切な友達だった。毎日毎日、放課後には鉢植えを見に行って、話し掛けたり、水をやったりしていた。芽が出て、どんどん成長していく様子が、はんらには嬉しくてたまらなかった。毎年、はんらの鉢植えが、クラスの誰より、学年の誰より、早く 大きく きれいな花を咲かせてくれた。そのころは、まだ幼くて、難しいことはよくわからなかったが、はんらは その花たちから、「真心を込めたことは、いつか実る」ということを学んでいたような気がする。そして、「ギブ アンド テイク、一生懸命やってあげたことが、必ず自分に 返ってくる」ということが正しいことも、無意識のうちに花たちから 学んでいたんだと思う。かわいがって育てた花たちが、ドンドン はんらに自信をつけさせてくれた。はんらは 今、マンションに住んでいるので、ベランダガーデニングしかできない。毎年のように 鉢植えを買って来ては、毎年のように 枯らしてしまっている。今のはんらには、小学生のときのはんらには無かったものがある。体も今では すっかり健康だし、多くの友達もいる。体格だって、立派なものだ。動作も人並みに早く(^^)なった。韓国人相手に喧嘩もできるくらい、引込み思案でもなくなった。しかし、ベランダの観葉植物や花を枯らしてしまうたびに、はんらは 反面、大切なものを失ってしまったのかもしれない、とも思っている。
2004/10/08
コメント(18)
きょう、映画館に行って、映画を見て来た。はんらは 韓国に住んでいるので、映画を見るとなるとこうなる。1、洋画 : 英語(あるいは他の外国語)でしゃべって、韓国語の字幕はんらは、中・高・大学合わせて10年間 英語を勉強したが、自慢じゃないが、全く聞き取れない。 韓国語の字幕は読めるのか、というと、これまた自慢じゃないが、読んでる途中で どんどん画面が変わっていくぅぅぅ・・・だいたい、あの字幕が大きすぎると思いませんか?日本語字幕では気にならないが、韓国語字幕では、文字が大きすぎて 読むのに時間がかかる気がしてしまう。{字幕のせいにするなって?^^)2、韓国映画 : もちろん、韓国語でしゃべっている。はんらは、韓国に来て長くなったので、映画でしゃべっている韓国語は ほぼ問題無く聞き取れる。一番 問題なのは、女子高生のしゃべるのとか、田舎の年配の人が方言でしゃべるの。3、日本映画 : 日本語でしゃべって、韓国語字幕日本文化が開放になって、日本の映画が入ってくるようになった。これは、はんらにとっても、とても嬉しいこと。子どもが生まれてからは、なかなか映画館にも行けなかったが、次男が保育園に行くようになってからは、時々、映画館に行く。大きな画面、大音量もいいが、何といっても 集中して見れるのがいい。家でビデオを見てると、電話はかかる、人は来るで、あんまり集中できないからだ。とはいっても、ここは 小都市 天安。ちゃんとした映画館は、はんらの知る限り、1軒。1軒の中に小さな上映館が8つ入っていて、いつも8つの映画を上映している。金額は、他の都市は知らないが、ここでは 6千ウォン。携帯電話の顧客優待カードなどで 割引になる。はんらが使っている SKテレコムのリーダーズカードでは、2千ウォン割り引いてもらえる。きょうは、悩んだ挙げ句、韓国映画の「家族」を見た。平日の日中なので、観客は少なかったが、なぜか 女子高生の集団がいた。多分、学校で観るようにと言われたのではないだろうか。貧乏で 子育てにも失敗し、健康まで失ってしまった父親が、命懸けで 家族を守る姿に感動した。女子高生たちも全員 すすり泣いていた。最近流行りの トップスターを起用した映画ではないが、こういったテーマの映画は、ぜひどんどん作り続けていってほしいと思った。
2004/10/07
コメント(20)
はんらは 今、韓国で無料パソコン教室に通っている。30代~50代のアジュンマ(おばさん)たちと一緒に習っている。パソコンを習ったり、おばさんたちと交流したりできるのは、とても楽しいことだが、はんらは今更ながら気づいたことがある。それは、韓国人のおばさんたちは、 人の話を全然聞いていない ということである。それも、先生の言うことも 全然聞いていない!先生が「2番の課題はもういいですから、3番の課題に移りましょう。」とおっしゃってても、いつまでも2番の課題をやっていたりする。そして「わからないわぁ!」と言っているのである。はんらの場合は、パソコンもわからないし、韓国語もやっと聞き取っている状態なので、先生が「ここをクリックして~」と言えば ここをクリックするし、「ツールバーの中にある何々を選択して~」と言えば 選択するのである。しかし、周りのおばさんたちは、何か違うことをやっている。「ここをクリックして~」と言われても、クリックしていない。当然、授業から 取り残されたりしている。そして、「はんらちゃん、スゴイ! パソコン、上手ねぇ。家で相当、練習して来たわね!」と言うのである。@@たった今、先生が説明したことを はんらがやっていると、「スゴイ! はんらちゃん、教えて!」と、隣のおばさんから声がかかる。はんらもこれまでは、パソコンにはじめて触わる主婦ばかりだから、仕方ないのかも、と思って来たが、どうやらそうではない。先生の言ってることを そのまま素直に 聞いていないのだ。心が、人の言うことを素直に受け入れられないのか?思い込みが激しいのか??主体性が強すぎるのか???そんなわけで、きょうも しっちゃかめっちゃかになって終わった教室・・・日本のパソコン教室には通ったことがないが、きっと、雰囲気は全然違うのではないだろうか。あの韓国のおばさんたちも 家に帰ると、子供たちに「先生のおっしゃることをちゃんと聞きなさい」とか「どうして親の言うことを聞かないの!」などと言って怒ってるんだろうと思うと、何か愉快である。
2004/10/06
コメント(24)
孫でも生まれましたか、って?まさか。長男は まだ小4である。前にも日記に書いたように、夫のノギさんは、舅が56歳のときに生まれた末っ子である。一番上のお姉さんは、ノギさんより 30歳近く年上である。そのため、はんらたちには、はんらたちより年上の 甥・姪がいるのである。40代半ばの姪が、はんらに向かって「おばさん、お元気でしたか?」などと挨拶してくる。はんらは、その40代半ばの中年女性に向かって「おお、お前、よく来たな」とか言わないといけないんだが、はんらより しわの多い顔を見てると、そんな言葉が出てこない。「おお、よく来ましたね~」とか、しどろもどろになって、「いやだ、はんらおばさんったら、そんな丁寧な言葉、使わないでくださいよ~」なんて、笑われてしまう。その姪は 早く結婚して、もう大学生の息子がいる。その大学生が、はんらたちを呼ぶときには「ハラボジ(おじいさん)、ハルモニ(おばあさん)」ということになってしまう。反対に、ノギさんは 結婚が遅く、その上 遅くに子どもが生まれたので、次男のよしくんはまだ3歳である。しかし、その大学生から見れば、よしくんも れっきとした「おじさん」である。「おお、ぼうず! 大きくなったなあ。保育園は楽しいか?」などと言ってもらってはいけない。「よしおじさん、大きくなられてなによりです。保育園のほうはいかがでしょうか?」と言ってもらわなければならない。^^昔は 兄弟が多かったので、日本でもこういうケースは よくあったことなのかもしれないが、韓国はなんといっても、親戚付き合いが濃厚で、しょっちゅう集まって 夜中まで 話したり 遊んだりするので、この年上の姪にも、大学生の孫(?)にも、しゅっちゅう会うことになる。親戚が集まるたびに、めっきり歳をとった気持ちになってしまう。また、名節(旧盆、旧正月)で田舎に行くと、ノギさんの小学校の同窓会が 毎年 開かれる。田舎では、早く結婚した人が多い。ノギさんの友達も、そろそろ娘が嫁に行く、なんていう人もチラホラいるそうである。もう はんらたちも そんな歳なのね~、と、ドッと老け込んだ気持ちになる。天安では、「園児 よしくんのお母さん」として、一回りも年下のお母さんたちと交わっている はんらであるが、本当は 孫が生まれても おかしくないような 年齢に近づきつつあるのね・・・^^
2004/10/05
コメント(16)
9月29日まで 秋夕(旧盆)の連休だったが、9月30日から10月3日までは、はんらの住む天安市の祭りだった。連休前の9月24日は、はんらの住むマンションの住民祭りだった。すごく慌ただしい。しかし、慌ただしいからといって、祭りに出かけない はんらたちではない。早速、行って来た。天安市の名物は「ホドカジャ」というくるみ菓子であるが、天安市の祭りは「ホドカジャ祭り」ではない。「フンタリョン祭り」という。「フン」とは「興」であろうか?「タリョン」とは「打令」で、音曲のひとつである。「~節」といったかんじか?開かれるのは、天安市のちょっぴりはずれのほうにある「サムゴリ(三叉路)公園」である。昔、天安は 交通の要所で、ソウルから下ってくると、天安から南の方に行く道と東の方に行く道が分かれたという。このサムゴリ公園は、そんな交通の分岐点にあったらしい。サムゴリ公園には、こんな伝説がある。 ************昔、息子と2人暮らしの父親に、国を守るための兵隊に入隊せよ、という召集令状が来た。出発の日、父親は 天安サムゴリに柳の木を植えながら、息子に言った。「お父さんは 国を守るために行かねばならない。3年後、この柳の木の下で会おう。」父親と息子にとって、長く長い3年間が過ぎた。父親と息子は、柳の木の下で、涙の再会を果たした。その後、サムゴリには柳の木がたくさん植えられ、旅人たちが一休みして行ける場所となった。 ************ 今でも、天安サムゴリというと、韓国では有名な場所である。ところで、このフンタリョン祭り、この伝説ともあんまり関係がない。もちろん、名物のホドカジャとも関係がない。今回のテーマは「みんなで楽しく踊ろう」ということだった。ダンスチームが多数参加して、踊りの実力を競うのが、メインの見ものだった。韓国は、日本と比べると、祭りにしても、駅弁にしても、何にしても、地方色とか その地域の特色というものが あまりない。これは、ちょっと残念なことである。もっと、天安らしさをアピールした祭りだったら いいのに、と はんらは思う。
2004/10/04
コメント(4)
田舎から 帰ってくるなり、パソコンが壊れてしまった。よしくんがイジってたからかもしれない。まだ 3歳のよしくん・・・仕方ない・・・・・・・それに、6~7歳にもなった じいさんパソコン・・・仕方ない・・・・・・・・・・・・でも、4万ウォンの修理費で 無事 復活して帰ってきた じいさんパソコン。良かったよぉ~。修理屋のおじさんからは、「もう いい加減 買い替えたらどうですか? 次 壊れたら、もう修理は不可能だと思いますよ。」と言われたが、まだまだ 使うもんね。実は、夫 ノギさんが 会社から ノートパソコンを1台、くすねて来た。いや、ちょっと借用して来た。でも、もともと ノートパソコンを使い慣れていない はんらには、ちょっと使いにくい。ぶっ壊れるまでは、この じいさんパソコンを 使おうと思っている。というわけで、「はんらさん、旧盆の疲れで 倒れているのかしら?!」と心配して下さっていた皆さん!(あ、そんな人、いないって?^^)はんらは、ちゃんと 食べ過ぎて さらに丸々太って 帰って来ており、ぶっ倒れていたのは、じいさんパソコンだったのでした。1週間ぶりに みんなの日記にも これから お邪魔します。何だか、すっかり 浦島たろ子の気分である。^^
2004/10/02
コメント(30)
全23件 (23件中 1-23件目)
1