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はんらは、土・日、1泊2日のバスツアーに参加してきた。ひとりで。実は、次男のよしくんは満4歳だというのに「夜泣き」をする。だから、なかなか泊りがけでは出かけられない。連れても行けないし、預けても行けない。でも、さすがに夜泣き歴が長くなって、よしくんが泣いていても、はんらもノギさんもコーちゃんもすやすや寝ていられるようになった。それで、おとといは生まれて初めて(勿論、よしくんが生まれて)はんらはひとりでお出かけしちゃったのである。日曜日の朝9時半頃、家に電話してみると、コーちゃんが取って「オンマ、お腹すいたよ~」なんて言ってる!大丈夫か?ノギさんと子供たち!でも午後になると、コーちゃんのほうから電話が来て、「オンマー、今、ヌンソルメ(雪そり)場!」と楽しそうな声が聞こえた。ノギさん、お父さんの株を上げようと頑張っていたようである。夕方、道路が混んでいて遅くなるかもと思って電話すると、「もうご飯食べたからー。オンマ、ゆっくり帰ってきていいよー。」なんて言ってる。「オンマ、いまどこ?」なんてコーちゃんが聞いてくるのだが、はんらには右も左も、どこがどこだかさっぱりわからない。わからないよー、と言うと、コーちゃん、「窓の外見て。何の看板がある?」「チョアン何とか事務所」とか言うのが見えたのでそう言うと、「ああ、チョアンね!」なんて言ってる。さすがは我が家の地図博士である。夜、家に着くと、おや?ノギさんがいない!お父さんは?と聞くと、何とひとりで銭湯に行ったと言う。まったく~。でも、家の中はきれいで、子供たちもきれいだった。よしくんは、土曜日の朝、はんらが着せた洋服をそのまま着てたけど・・・ノギさん、ご苦労様でした。^^
2005/01/17
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月曜日から、第2王子 よしくんの調子が悪い。病院に行くと、のど風邪と診断された。熱も出て、のどが痛い、頭が痛い、おなかが痛いと、超機嫌が悪い。メソメソ泣いてばかり。ところが、薬を飲ませて効いてくると、コロッと元気になって、お外に遊びに行くといってきかない。家の中でも走り回ったりして散々遊んで 散々飲み食いした挙句、薬のきれるころになると、また超機嫌が悪くなる。疲れる~~~久しぶりに、「ニコニコ薬局」(10月16日の日記参照)にも行った。ニコニコ薬局は、すっかりお客を取り戻していた。そのため、10分以上待たされることになった。しかし今では、薬剤師も受付嬢も ほがらかで、ただでカフェオレも飲めるので、待たされても腹は立たない。きょうは、来年のカレンダーまでもらってきた。^^やっと、よしくんが寝て、日記を書いている。きょうは、月1回のコンサモ(10月21日の日記参照)の集まりの日だったが、よしくんのために行けなかった。実は、よしくんだけでなく、月曜日から「じいさんパソコン」の調子も悪い。これは、ノギさんが会社からくすねて、あ、いや、黙ってお借りしてきたノートパソコンで打っている。使い慣れていないので、とっても使いにくい。そのため、リンクのタグも貼れなかった。よしくんの回復とともに、じいさんパソコンの回復も祈るばかりである。
2004/12/15
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はんらは、きのう体調不調で、1日ゴロゴロして過ごした。それには、深い(深くないか)理由があった。はんらは、一昨日、知人と会ってランチした。近くに船の形のステキなレストランがある。普通に食べると、1人前が2~3万ウォンもするが、ランチメニューでは5千ウォンくらいのサービスメニューがある。その中の「とんかつ定食」を注文して、おいしく食べて帰宅した。さて、夕方になって夕食の準備を始めようとすると、長男のコーちゃんが「きょうは、とんかつが食べたい」と言い出すではないか。はんらは何も言わなかったのだが、はんらの体からとんかつの匂いが漂っていたのかもしれない。「きょうは違う材料を買ってきてあるからダメよ。」と言ったが、コーちゃんは、どうしても食べたいと言う。おつかいに行って来るから とんかつにしてくれと言い張る。はんらは リッチなレストランでとんかつ定食を食べてきて、コーちゃんは学校給食を食べてきたんだと思うと、ちょっと後ろめたくて、とうとう、OKしてしまった。夕食もとんかつが食卓に並んだ。はんらは、キムチだの付け合わせの野菜だのを中心に食べたが、結局 とんかつも一緒に食べた。なぜ?!そんな無謀なことを!?!と思われるかもしれないが、はんらは昔から胃腸が丈夫で、油物が続いても 結構平気だったのである。ところが、きのうの明け方、ムカムカムカムカムカムカムカムカ・・・・・・・して、目覚めてしまった。そして、きのう1日中、ムカムカして気持ち悪かった。やはり、若い頃とは全然違う。とんかつを2食続けたのは、無謀だったなあ・・・きのうは、おかゆをちょっとだけ食べて、過ごした。本当は きのうの日記に書こうかと思っていたのだが、「とんかつ」という文字を見ただけで気持ち悪くなり、タイトルだけ書いて消してしまった。はんらマンションには、毎年12月になると、正門のところにある木に、クリスマスツリーのようなデコレーションをする。高さ7、8メートルくらいの大きなツリーである。夜になると、ライトが点滅して、すごくきれいで、クリスマスの雰囲気が倍増している。しかし、今年のクリスマスはもう、ケーキだチキンだピザだと子供たちと一緒に調子に乗っていてはいけない。気持ちは少女のままだが、はんらの体は確実に中年になっている。第2のとんかつ事件を起こしてはいけない。
2004/12/10
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男の子のいるお宅では、トーマスのおもちゃ、絵本、グッズのあるお宅が多いでしょうね。特に 日本では。このトーマス、もう随分昔からいたようだ。はんらの子どもの時も、確かにいた。幼いはんらは、機関車に顔があるのを見て、たまげてしまった。すっごく不気味で、ホラーのように見えた。本が大好きで、教科書まで読んでいたはんらだったが、機関車トーマスの絵本だけは、絶対に読まなかった。はんらは、3人姉妹だったので、他の兄弟がトーマスグッズを持ち込むということもなく、はんらとトーマスの因縁は、そこまでのようだった。長男コーちゃんが生まれて、はんらは里帰りした。初孫にメロメロになった、コーちゃんのばあちゃんは、「男の子はコレね!」と言って、機関車トーマスの線路セット(プラレール)を買ってくれた。トーマスの絵柄の服まで買ってくれた。それ以来、はんら家には、トーマスがあふれかえっている。コーちゃんが、トーマスにすっかりハマりこんだからだ。日本のばあちゃんから、妹たちから、友人から、「子どもたちへのプレゼント、何がいい?」と聞かれると、「トーマスグッズなら何でもいい。」と答え、日本に行くという在韓の友人にも、いつもトーマスの土産を頼んできた。最近では、韓国のおもちゃ売り場でもプラレールを売っている。日本からの輸入品のように見えるものでも、なぜか 日本の定価より安い。中国製のような、英語の説明書のついた、ちょっと怪しげなものもある。これで、はんら家のトーマスは、ますます増えることになった。よしくんに至っては、生まれたときからトーマスに囲まれて成長してきたので、すっかりトーマスっ子である。「アッパ(パパ)」より早く、「ダック」という言葉が言えるようになった。「ダック」とは、トーマスの機関車仲間の名前である。これには、アッパもちょっとショックだったようだ。トーマスには、たくさんの機関車仲間がいる。パーシーだの、エドワードだの、ヘンリーだの、ゴードンだの、色と顔と番号が違う機関車が山ほどいる。「大きい・小さい」や「長い・短い」もまだよく把握できていないよしくんが、トーマス仲間の機関車だけは、すごくよくわかっている。おそるべし、機関車トーマス!一体何がこんなに男の子たち(噂では、大人のプラレールのコレクターもいるとか?)を引き付けるのか、女のはんらには、今でも理解できないままである。
2004/12/04
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数日前から足首が痛いと言っていたノギさんが、土曜日、午前中の勤務を終えて帰宅してから、本格的に寝込んでしまった。漢方医院に行って、針治療もした。整形外科にも行って、レントゲン写真も撮った。多分、どこかでひねったのでしょう、と言われたそうだ。ノギさんが思い当たるのは、銭湯であかすりをしたあとに、マッサージをしてもらったのだが、その時 マッサージ師が、足でノギさんの脚全体を踏み踏みしながらマッサージしたのが、かなり強烈だったそうだ。骨には異常が無いそうだが、激痛に、ノギさんは日常生活を放棄して、1日半、ただ寝て過ごした。ノギさんは、非常に頑強そうでいて、意外と弱かったりもする。以前 親知らずを抜く時も、4時間もかかってしまい、その後 高熱を出して寝込んでいた。4時間も抜けない親知らずを持っているということは 頑強なのか、それで高熱を出してしまうのは 弱いのか・・・?親知らずが4本とも あっさり抜けた はんらには、ちょっと不思議な気分だった。1年に必ず2~3回風邪をひくはんらと違って、ノギさんは、風邪をひくということは、ほとんど無い。忙しくて、風邪をひいている暇が無いそうだ。そういうのを聞いても ちょっと不思議な気分だ。忙しすぎたら、風邪ひきそうなものだが。一番ありがたいのは、病院とは ほとんど縁の無い、巨大な長男、コーちゃんである。彼は、だてに太ってはいない。どんなに風邪が流行しても、たとえ うつされてしまったとしても、薬を1日飲めば 次の日にはケロッとしている。「数日通院してくださいね。」と言っていた医者の首をかしげさせるのが、コーちゃんの特技である。翌日、病院に行けば、ほとんど必ず「もう来なくて結構です。」と言われることになる。きょう、ノギさんは、痛む足で会社に向かった。クラッチ、踏めるかなぁ?と心配していたが、どうやら会社には無事到着したようなので、クラッチが踏み込めたようである。ノギさんもはんらも、だんだん年を取るにつれて、こうして寝込むことも増えてくるのかなぁ・・・
2004/11/29
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asouakemiさんの日記に、最近「血液型性格判断」が載っている。いつも、面白く 拝見している。そこで紹介されていたB型による B型のための B型の研究は、また面白かった。なぜなら、はんらはいつも、B型の夫と一緒に暮らしていて、今後も一緒に暮らしていくと思うからだ。以前、はんらが このB型の夫に振り回されていることは 日記に書いたが、一番これが裏目に出ているのは、料理の面だと思う。なにしろ ノギさんは、どんなにいろいろなおかずを置いておいたとしても、自分の気に入ったおかずしか食べない。栄養面を考えて、自分の嫌いなものも食べるようにする、といったことは、絶対にしない。その結果、焼き魚だけをおかずに ご飯を食べるなんてことも、しょっちゅうである。思い込みも激しいので、「日本人の作った韓国料理 = まずい」と思っているので、食べてみようともしない。時々、韓国人からキムチをもらってきて、食卓に乗せておいても、はんらが作ったキムチだと思って、箸をつけようともしない。「これ、キムチが上手だという評判の韓国人のおばさんからもらってきたんだよ。」と言うと「おっ?! そう?!?」と言って、はじめて箸をつける。そして「やっぱり、韓国人の作ったキムチはおいしい」と言っている。でも、もし口に合わないと思ったら、そういうキムチでも絶対に食べない。実はノギさんは、姑の作ったものも、あまり食べない。姑は 昔の人だから、肉類や魚介類を入れたものをあまり作られないので、ノギさんはおいしくないと思い込んでいるようだ。どんなに姑から習ったりして、食卓に何品ものナムルを乗せていても、ノギさんが食べるのは焼き魚だけ、とかいうことが数回続けば、誰でも 頑張って料理する気持ちを失ってしまうだろう。はんらの母親は、結婚したとき、お米の砥ぎ方も知らないくらい、台所のことは何も出来なかったそうである。それで、料理の本を見ながらあれこれ作っていたらしいが、はんらの父親(A型!)はどんなものが出されても「おいしい。おいしい。」と言って、全部平らげていたそうである。かなり失敗作、というものでも、全部平らげてくれたそうである。それで、はんらの母親は、料理をするのが楽しくなって、毎日毎日料理の本を見ながらいろんなものを作っていたので、今では とても料理上手である。ギブ アンド テイク である。やはり、食べてくれる人の反応があってこそ、頑張ろうと思えるし、力も出てくるものである。とっても負けず嫌いな人は「なにくそ! いつかはおいしいと言わせてみせる!」と燃えるのかもしれないが、はんらには出来ない。第一、箸もつけてもらえないのでは、とても頑張って作ろうという気持ちにはなれない。ノギさんは「はんらが日本人だから、キムチがおいしく漬けれない」と思っているようだが、はんらは、はんらがキムチを漬けないのは、ノギさんのせいだと思っている。キムチが無くても 平和なはんら一家なんだけど・・・
2004/11/26
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小4のコーちゃんの学校では、今ゲームが流行っているらしい。コンピューターゲームも勿論流行っていると思うが、今コーちゃんが熱中しているのは、昔ながらの、ゲーム盤を2人~4人で囲んで サイコロを振って コマを動かしていくものである。学校にまで持って行ったり、友達の家でやったりしているが、家でもよくゲームの相手をさせられる。コンピューターゲームに熱中しなくて幸い、と、はんらも 快く相手になってやる。その名も「世界特級 ホテル王ゲーム」!各者がサイコロの目の数ずつコマを動かし、止まったところの土地や建物やホテルを持ち金で買い取りながら、進んでいく。他の人の持ち物の土地やホテルで止まったら、その持ち主に「土地使用料」「ホテル宿泊費」などを払わなければならない。小学生用の 単純なゲームだが、何回かしているうちに、はんらは、結構シビアなゲームだなぁ、と背筋が寒くなってきた。つまり、ホテルや土地をたくさん買い占めた者は、どんどん使用料や賃貸料が入ってきて、どんどん潤って さらに多くのホテルを買い占めていくのである。ホテルや建物をたくさん持たない者は、行けども行けども 賃貸料を払うばかりで、ますます貧しくなっていく。賃貸料が払えなくて、数少ない 手持ちの土地や建物さえ、競売にかけられて金持ちに買い取られていく。金持ちは どんどん金持ちに、貧乏人は どんどん貧しくなっていって、再起の道はない。ああ、なんてシビア!小学生のコーちゃんにとっては、ただのゲームに過ぎないので、「金持ちになった!」「破産した!」と、楽しそうにやっているが、はんらは 現実がちらついてしまう。はんらが小さい頃楽しんだゲームも、こんなにシビアなものだったっけ?!
2004/11/17
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きょうは 陰暦で 10月4日、はんら家の長男 コーちゃんの陰暦の誕生日である。こう言うと たいてい「陽暦じゃなくて、陰暦でお祝いするの?」と聞かれる。答えは、「いいえ」である。はんら家では、陰暦と陽暦の両方、お祝いすることになっているのだ。コーちゃんの陽暦の誕生日は 11月17日だから、あさってである。今年はたまたま 陰暦と陽暦の誕生日が近いが、年によっては、陰暦の誕生日が 10月に来ることもある。そんな時は、そのままその日を何事も無く過ごしてしまうのが 気が引けて(?^^)なんとなく 両方 お祝いするようになった。バースディケーキを買ってくるのは どちらか1回だけで、もう1回は、ピザをデリバリーするとか、外食するとかして お祝いする。コーちゃん2回、よしくん2回、はんら2回、ノギさん1回と、はんら家の誕生日は計7回である。なんでノギさんだけ1回なのかというと、ノギさんの陽暦の誕生日を誰も知らないからである。ところで、はんら家の誕生日は冬に集中している。陽暦で言うと、コーちゃんの 11月に始まり、よしくん 12月、ノギさん1月、はんら3月である。12月には、クリスマスケーキを食べる機会もあるし、2月のバレンタインデーも、はんら家ではチョコレートケーキを家族全員で食べることにしているので、この期間、しょっちゅうケーキが食べられる。反面、4月~10月は、家族でケーキを食べる機会のない 淋しい時期である。また、コーちゃんの陽暦の誕生日、11月17日は、不思議なことに、韓国の大学入試の日とほぼ毎年のように重なる。(今年も)その日は、ピザをデリバリーしようとしても、2時間くらい待たないと来なかったりもする。入試が終わった打ち上げで、みんな ピザや何かをデリバリーするらしい。ところで、コーちゃんが小4にしてはでかすぎる(体重 53キロ)のとか、はんらが急激にしわが増えて老け込んでいるのは、1年に2回ずつも誕生祝いをしているせいなんだろうか・・・?^^
2004/11/15
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小4のコーちゃんの宝物と言ったら、毎年買い替えている「韓国 全国道路地図」である。なぜ毎年 買い替えているかというと、あんまり熱心に朝から晩まで 抱えたり 広げたりしているため、1年も経つとボロボロになっているからである。テープで修正しても効かなくなるほど、ボロボロになったら、買い時である。コーちゃんがどこかへ出かけるとき、背中には必ず でっかいリュックサックを背負っている。中には大事な「全国道路地図」が入っている。厚さ2センチほどもある、1冊2万ウォン前後もする、でかくて重い地図帳である。コーちゃんが4歳ころの1998年頃から、毎年 最低1冊は買ってきた。道路地図のほかに、「全国観光地図」だの「ソウル・首都圏地図」だの「テグ・慶尚北道 地図」だの「天安地図」だの「全国高速道路地図」だの、はんら家には地図が溢れている。旅行に行く時、コーちゃんと このリュックサックさえあれば、怖いもの無しである。道がわからなくなれば、コーちゃんがすぐに地図を広げて 解決してくれる。コーちゃんは、韓国国内の地理については、とても詳しい。都市名、山や河の名前や位置、高速道路や鉄道の位置などについて、知らないことはない。しかし・・・・・・・・・・・・なぜか、社会科の成績が一番悪いのよね~どうして!?!^^今年もコーちゃんの誕生日が近づき、地図を買い替える時期となった。
2004/11/13
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はんらの夫、ノギさんは、以前にも日記に書いたが、韓国の慶尚道人にしては穏やかな人である。カッカと怒り出したり、大声を出したり、ということもない。高速道路を走っていて どんどん他の車に抜かされても、全くへっちゃらである。韓国人で、慶尚道出身で、B型なのに珍しいと言われることもあるが、やはり、自分の思いが強いところは、その通りである。はんらが韓国に来たばかりのとき、ノギさんがプレゼントしてくれると言って、一緒に服を見に行ったことがある。「はんらさんが、好きなものを選んで。」と言っていたくせに、はんらが 無難なデザインのブラウスを選ぶと、ノギさんは きっぱりと 「それは、はんらさんには似合わない。」と言った。それで別なのを選ぶと「それも、はんらさんのイメージではない。」と、きっぱりと 言う。はんらが迷っていると、ノギさんは ツルツル ピカピカのサテン地みたいなのに スパンコールがい~っぱいついたド派手なブラウスを見つけてきた。「これが、はんらさんのイメージにピッタリ!」とニコニコしている。はんらには、とっても気に入らなかったが、ノギさんがあんまり「似合う!似合う!!」と押すので、とうとう買ってしまった。韓国に来た当時は、ノギさんに押し切られる形で、はんらの服は、スパンコールのビッシリついたド派手な服ばかりだった。当時、そういう服が韓国では流行していたようである。今でも、自分の意見を通してしまうところは、変わっていない。食事に行くときも、「なんでも はんらの好きなものを」と言って 出発するくせに、車の到着するところは、ノギさんの思い通りのところである。最初のころは、こういうノギさんを見て、「なんて男らしい!」とシビレていた はんらだが、今でも あんまり不満はない。はんらが協調性のあるA型であるためか、夫婦であまりぶつかることもなくて、これ幸いである。
2004/11/11
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きのうの日記で、はんらはコーちゃんを迷子にしないために、ベビーカーを使っていたと書いているが、実は すっかり迷子にしてしまったことがある。コーちゃんは、生まれて9ヶ月と10日で歩きはじめた。10ヶ月の頃には、靴を履いて 外を走り回っていた。よく食べ、よく歩く子で、好奇心も旺盛だった。ドアがあれば開けてみるし、階段があれば上ってみるし、穴があれば入ってみる、というような子どもだった。はんらは、そんなコーちゃんに振り回される毎日だった。コーちゃんがもうすぐ2歳というある日、ほんの ほんの ほんの 少~しの短い時間、1・2分 目を離したすきに、コーちゃんはいなくなっていた。家の前で遊んでいたのだが、はんらがちょっと家の中に入って 出てみると、もういなかった。慌ててそのへんを捜したが、いない。近所の人や 道ゆく人に聞いてみたが、見ていないと言う。10分、20分・・・・・・・と時間が経過し、はんらは焦りはじめた。頭の中に、すっかりおじさんになったコーちゃんと30年ぶりに再会、というテレビ番組に出演するはんらの姿が思い浮かんだ。当時は、韓国ではまだまだ「人身売買がある」と言われていた時代である。どこかの外国に 奴隷として売られていくコーちゃんの姿が、脳裏に浮かびもした。半泣きになったはんらの目に、韓国のパトカーが走ってくるのが見えた。はんらは思わず、パトカーに走り寄って、ドアをガンガン叩いた。警官が驚いてパトカーの窓を開けたので、はんらは、子どもがいなくなったと わめいた。すると、警官たちは「ハハァ~ン」と顔を見合わせて 笑っているではないか?!その子って、赤いジャンパーを来て、白い毛糸の帽子をかぶっているんじゃないか?と言うので、その通りだと言うと、「あっちの方にいたよ。」その言葉を聞いて、はんらは パトカーに飛び乗った。「アジョシ、カプシダ!(行きましょう!)」と叫ぶと 警官たちはちょっとビックリしていたが、すぐパトカーを出発させてくれた。警官たちが言うには、さっき、ひとりでウロウロしている子どもを見かけたため、不審に思って、話し掛けたそうだ。「ボク、ママは?」「おうっ!」(← コーちゃんの返事)「ボクのおうちは?」「おうっ!!」コーちゃんが泣きもせず、元気いっぱいでスタスタ歩いて行くため、警官たちは安心して、そのままほってきたらしい。現場に到着してみると、ワンワン泣いているコーちゃんが・・・ヒシッと抱き合う はんら母子・・・はんら母子はまたタクシー、じゃなかった、パトカーに乗り込み、「アジョシ、カプシダ!」と言って、警官たちに自宅まで送ってもらった。とても親切な警官だったな~。そして、コーちゃん、外国に売られて行かなくて、良かったよ~。
2004/11/10
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今 はんらマンションでは、外壁や内壁を塗り替えたりする、メンテナンスの真っ最中である。玄関の外に置いてある、自転車や三輪車、その他のものを整理してくれというアナウンスが入り、はんらは ついに長年苦労してくれたベビーカーを捨てることにした。次男のよしくんは、来月 4歳になるのだが、たくさん歩かない。それで、折り畳み式の軽いベビーカーを つい最近まで 愛用していた。このベビーカーは、長男のコーちゃん(今月 11歳)が生まれたときに、日本のおばあちゃんに買ってもらって、今まで 世界をまたに掛けて(?)大活躍してきた。飛行機や船に乗って 日本に行くこと 数知れず。コーちゃんは、歩きはじめた頃から、ちょっと目を離すと どこかへ消えてしまっていた。市場で「おじさん、これいくら~?」と、ちょっとコーちゃんから目を離すと、もう20メートルくらい先をひとりで走って行ってしまっている、そんな子どもだった。それで、このベビーカーをよく利用していた。迷子にしないためである。よしくんは、すぐに「あんよがイタイタ」と座り込んでしまうので、これまたよくベビーカーを利用した。アルバムの写真を見れば、どの写真の片隅にも、ほとんどこのベビーカーが写っている。これだけ よく利用したので、もう、寿命だという気がする。よしくん、これからは、ちゃんと歩いてね~!もうベビーカーは無いよ。。。
2004/11/09
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きのうの日記を読んで、「はんらさんったら、日曜日にどうしてノギさん(はんらの夫)を置いて、子どもたちと出かけたのかしら?ノギさんは 一体どうしたの?」と思った、ノギさんファンがいたかもしれない。(いないか?^^)ノギさんは実は、12月に行われる 日本語能力試験「1級合格」を目指して、猛勉強中なのである。ノギさんは、はんらと出会った頃、東京に留学?していた。というか、東京で留学の準備中だった。日本の大学か大学院で勉強しようという夢を持って、東京のランゲージスクールで日本語を勉強していた。しかし、慣れない外国生活で体を壊し、1年半のち、無念の帰国をしたのであった。その後、日本語とはあまり縁のない職場に入り、妻が日本人でありながら、家庭内ではほとんど日本語を使わない生活をしてきた。ところが、会社内での人事異動で、少し 日本と関連のある部に来てから、突然 日本語熱がよみがえってきたようである。東京にいた頃は、バリバリの東京弁を操っていた ノギさんであるが、この十数年のうちに、すっかり日本語を忘れてしまっていた。でも、勉強するうちに、どんどん記憶がよみがえってきたようだ。一昨年 3級、昨年 2級、と合格し、今年は1級だ!と毎日 一生懸命である。それで毎日、会社の業務が終わった後、遅くまで会社に残って 勉強してくる。家では 子供たちもいて、勉強できないからだ。土・日も勉強していることが多い。帰宅すると「タダイマ~」「ミンナ、元気ダッタカナ~?」と、日本語で話し出す。この前、日本から はんらの友人たちが来たときも、「小泉サンハ 大変デスネ~。郵政民営化トカ、難シイ 問題デスネ~。ドウ 思イマスカ?」と 日本の政治の話なんか持ち出して、友人たちを困らせていた。でも、何歳になっても、目標を持って努力する姿は美しいと思う。さすがは はんらの夫である。^^過去の日本語教師・はんらの目から見ると、ノギさんが今年1級に合格するのは、ちょっと難しいかもしれないが・・・
2004/11/02
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はんらの夫、ノギさんは 最近 ダイエットと健康作りに目覚めはじめた。ことの始まり(?)は、ノギさんが 週末農園で 真夏、雑草と格闘しながらいい汗をいっぱいかいたことであった。秋夕の時も、親戚一同から「痩せたんじゃ?」と言われて、すっかり 自信をつけた。毎日、会社の外を走ったり、運動をしているんだそうだ。いいことである。特に、はんらは外国暮らしであるから、ノギさんに突然 ポックリ逝かれてしまっては、ヒジョーに困る。いつまでも 健康で長生きしてほしいものである。ところで、燃えているノギさんは、はんらにも運動して痩せろ、と強要するようになってきた。これも、ちょっと困る。はんらは、運動して太ったので、運動して痩せるとは思えないのだ。はんらは、 幼少のころ とても痩せていた。小3までは・・・小4のとき、近所の友達が「スイミングクラブに入りたいんだけど、一人じゃ嫌だから、一緒に入って」と言って来た。内気で気の弱かったはんらは、断りきれずにスイミングクラブに入った。友達は、あっという間にやめてしまった。内気で気の弱かったはんらは、やめると言い出せずにズルズルと小学校卒業まで、スイミングクラブに通い続けた。給食を半分も食べられなかったはんらであるが、水泳のあとは、すごくお腹がすいた。クラブのあとで配られる菓子パンをペロリとたいらげた。家に帰って間食を食べ、夕食もガンガン食べた。はんらは、急激に太りだした。ガリガリだったはんらが、中学校入学式の写真では、真ん丸の顔をしている。そんなわけで、はんらは、「うちの子、痩せてて太らないのよね~」と心配するお母さんには「何か 運動させなさいよ。太るから。」なんて言っている。今のはんらは、運動しても「ああ、運動したあとのご飯はおいしいわー!!!」というふうになってしまい、ダイエットにはつながらないと思う、絶対。実は、ノギさんも痩せてはいないのである。体重計に乗って、いつも「おかしいなあ~?」と首をひねっている、ノギさん。体が締まってきたんだとは思うが。そんなノギさんに、はんらは言う。「お相撲さんを見なさいよ~。たくさん食べて、たくさん寝て、たくさん運動すれば、あんな体になるんだよ。」と。やっぱり、カロリー摂取量を減らさないと・・・でも、運動することは、体には 絶対いい。虚弱だったはんらが こんなに健康になれた理由のひとつは、スイミングクラブのおかげだと思っている。はんらも ぐうたらしていないで、ノギさんと一緒に 健康作りを始めてみようかな・・・
2004/10/13
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長男のコーちゃんは、キャンプに行った。夫のノギさんは、墓掃除のために、田舎に行った。明日の夕方までは、次男 よしくん 3歳と2人きりである。午後は 2人で子供ミュージカルを見に行った。韓国の都市部では、子供ミュージカルというのをよくやっている。文化会館や市民会館、デパートなどで、だいたい 45分~1時間、5千ウォン~1万ウォンくらいでやっている。地方の小さな劇団がやるのは安くて、ソウルの方から全国公演で回って来るのは、本格的で、1万ウォン以上する。天安で今やってるのは、「王子と乞食」1万ウォンと、「眠れる森の美女」6千ウォン。はんらたちは、質より安さを選んだ。コーちゃんは長い間 一人っ子だったので、はんらは しょっちゅうコーちゃんを連れて、お出かけしたものだ。でも、よしくんは あんまりこうして連れて出たことがない。コーちゃんと 年が離れ過ぎて、同じ映画やミュージカルを見せるわけにいかないからだ。コーちゃんは 小さい頃から怖がりで、子供ミュージカルを見せても、会場の電気が消えたと言っては騒ぎ、悪役がコワイと言っては泣いていた。よしくんはというと、糸巻きが刺さって倒れたお姫様を前に、黒いマントを着た 恐ろしげな魔女が「ひーっひっひっひ」と高笑いするのに合わせて、大笑いしていた。そして、集中力に欠けているのか、その他の場面では、立ったり 座ったり、ウロウロしたりしていた。風邪気味で、家で風邪薬を飲んで来ていたはんらは、ちょうど薬が効いてきて、やわらかな椅子の上で、「眠れる森の美女」と化していた。ウロウロしていた よしくんと、ウトウトしていた はんら。この2人で、1万2千ウォンは、お金をどぶに捨てたようなものだったかもしれない。さて、子供とデートといえば、定番はマクドナルドかロッテリアであろう。はんらたちも 御多分に漏れず、ハンバーガーとコーラで デートを締めくくった。
2004/09/18
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はんらは 某所のコメント欄で、「クォン・サンウのファン」と宣言している。ブレイクした「天国の階段」でファンになったのではない。そのず~っと前から ファンだった。そのワケがある。2年以上も前、うちに、教え子(当時高校生)が遊びに来た。その高校生がうちのよしくん(次男)を見て「この子、クォン・サンウに似てる~!」と言ったのである。実物のよしくんを知っている人たちの「えええぇ~!」というブーイングが聞こえるような気がする・・・^^;当時、クォン・サンウは まだ人気が出る前で、「よしくんがモムチャン(ナイスバディ)」だとか「カッコイイ」という意味で そう言われたのではない。「ハンサムではないけど、なんか母性本能をくすぐる」という意味で言ったそうだ。ところが 人間というものは不思議なもので、その時以来、すっかり はんらは、クォン・サンウに親近感を抱いてしまったのである。(はんらに親近感なんて抱かれたくないか・・・)クォン・サンウがテレビに出演すると、よしくんが出演したかのように嬉しくなり、応援していた。かの「天国の階段」が始まったときも、夫のノギさんと一緒に「ホラホラ、よしくんに似た クォン・サンウだよ。」と一生懸命 見ていた。人気が出ると、よしくんがブレイクでもしたかのように 嬉しく、誇らしかった。^^ところで、長男のコーちゃんは、ノギさんの会社の人から、俳優のパク・サンウォンに似ている、と言われたことがある。1992年に一世を風靡したドラマ「ヨミョン エ ヌントンジャ(黎明の瞳)」で、最後に死ななかったほうの男優だ。話が古すぎた。今では、背広のパークレンド(PARK LAND)の専属モデルでチラシに載っている。チャン・ドンゴンではないほうのおじさんである。また、えええぇ~!というブーイングが遠くから 聞こえて来る。でも、素朴でおじさんっぽいところが コーちゃんに似てるかも。^^;あれ以来、はんらは ひそかに パク・サンウォンも応援している。ノギさんも、服を買う時は なんとなくパークレンドである。はんらは、10年以上も前、日本語を教えていた時、学生たちから「イ・ミヨン」に似ていると言われたことがある。「純愛中毒」に出てた、元ミス・ロッテの美貌のイ・ミヨンでは 勿論、ない。昔、歌手のチョン・ヨンロクと結婚していた イ・ミヨンである。1997年に離婚した。また話が古すぎた。検索したら、写真が出て来た。ああ、また実物のはんらを知っている人たちが嘲笑しているのが見えるようだ・・・だから、10年以上も前のことだってば。背が低いのと、目が大きくて二重なのが似ているかも・・・^^;彼女にも 情が行って、テレビに出てると見てしまう。最近、外国人と再婚したが、幸せになって欲しいものだと しみじみ思っている。じゃあ、ノギさんは誰に似てるかって?それが、誰にも似てないらしく、そういうことを言われたことがなかった。数日前、ノギさんがとても機嫌よく帰って来た。「ノ・ムヒョン大統領に似てる、って言われた」んだそうだ。実物のノギさんを知っている人は、大笑いしているに違いない・・・どこが似ているのか?!でも、いかにも田舎の農村出身、といった雰囲気は似ているかも!?いつもノ・ムヒョン政権を批判していたノギさんであるが、最近は あたたかい目で ノ大統領を見守っているようだ。
2004/09/16
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はんらは、今のマンションに引っ越して来る前は、ほとんど1階に住んでいた。子どもが生まれる前の ごく短い期間、2階や3階に住んだこともあるが、それ以外の 10数年間は 1階生活である。一度でいいから 高層マンションの高層で、素晴らしい景色を眺めながら 暮らしてみたい、というのが はんらの夢だった。天安に引っ越すことが決まって、はんらは その夢をぜひとも実現させようと燃えていた。最初は マンションの 14階や 15階あたりを一生懸命さがした。家の中を見せてもらった。ベランダに出ると、めまいがして、クラクラになった。やはり、1階から急に15階、というのは、低血圧のはんらには無理そうだった。洗濯物を干すたびに 気絶しているわけには いかない。どんどん降りて来て、ついに7階で はんらは妥協した。ここなら、めまいでひっくり返ることもないだろう。景色や日当たりはイマイチだが、仕方がない。ところで、生活してみて、7階くらいにしておいてよかった、と思うことがある。それは、エレベーターのせいである。きょうも、外出先から帰ると、エレベーターを点検していた。点検しないで 落ちても困るから、文句も言えないが、高層の人は 大変困っていた。7階くらいなら 「運動だ」と思って 階段で登ってこれるが、うちのマンションは23階建てである。23階まで、さすがに階段で登る気にはなれないだろう。それから、エレベーターの中に 何かの匂いがこもっていることがある。チキンやピザの匂い ならいいが、「臭う」ときは、かなり苦しい。夏などは そういうことも 時々ある。7階までなら、息を止めて 上ってこれる。23階まで息を止めたら、危ないだろう。さらには、ちょっと怪しそうなおじさんと2人きりでエレベーターに乗り合わせた時。長時間 乗っているのは コワイし、嫌である。向こうも、「怪しげなおばさんと一緒だ」なんて思ってるのかも しれないが。ところで、うちの次男は、引っ越して来る前は、数字を知らなかったが、エレベーターのおかげで あっという間に数字を覚えた。エレベーターの中で 毎日「1、2、3・・・」 と数字を見ながら読んでいたので、1から7までは、すぐに覚えられた。しかし、7階で降りてしまうので、今でも8以上の数字は よくわからない。ああ、せめて 10階に住めばよかったかしら・・・^^
2004/09/15
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うちの次男、よしくんは、とってもいい子である。あんまり手がかからない。しかし、はんらは このよしくんが生まれてから、泊りがけでどこかへ行く、ということに躊躇するようになった。というのも、よしくんは「たくさん歩かない」「夜泣きする」「お便所 見知りをする」という「三重苦」を抱えているからである!^^よしくんは、暑い日、上り坂、目的地が遠い、というような時に「イタイタ」になって歩けなくなるという、便利な足を持っている。歩かなくなると、頑として動かなくなる。しかし、はんらは よしくんのお友達のママたちより、一回りも年上なのよ。抱っこ、おんぶは はんらの老体にはキビシイ。そして、もうすぐ4歳になるというのに、まだ夜泣きをする。それにしても、長男のコーちゃんのときは、ちょっとでも泣けば、はんらは飛び起きたものだ。泣き止まないと、どこか重大な病気でも潜んでいるんじゃないかと心配になり、真夜中に「赤ちゃんの病気 大百科」なんかを広げて、この病気か、あの病気か、と心配しまくっていた。ノギさんも起きだして、大丈夫か、大丈夫か、と心配していた。しかし今では、よしくんの夜泣きがはじまると、はんらは「ノギさんが起きてくれないかしら」と思って、知らん振りして寝続ける。ノギさんは「当然、はんらが起きるでしょ」と思っているようだ。美しき 夫婦の 譲り合い。長男と次男では、こうも親の態度が変わってしまうものか。(うちだけか?)さらに、「お便所 見知り」だ。よしくんは、うち以外のトイレで、大きい方ができない。同じマンションの他のお宅に行くと、大きさも形も同じトイレであるが、インテリアや雰囲気が違っている。と、もう よしくんはできない。座らせても出てこない。日帰りの時はいいが、泊りがけになると、よしくんがピンチになる。もよおす → トイレに行く → 出ない → 出そう → トイレに行く → 出ない → 出そう → ・・・・・・・というのを、1日中、永遠に繰り返すことになる。どうせ出ないんだから、ほおっておいてみたら?と思うでしょう。はんらもそう思って、一度 ほおっておいた。見事に パンツの中にされてしまった。パンツには「パンツ 見知り」しないらしい。そんなわけで、よしくんのお友達のママたちより 一回り年上のはんらには、このよしくんを連れて、泊りがけでどこかに行く、というのは、とても考えられないことなのである。いつになったら、この三重苦から解放されるのだろうか・・・
2004/09/09
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はんらとノギさんが一緒に暮らし始めて、もうすぐ13年めに突入する。はんらたちは、韓国で新婚生活を始めたので、勿論、家具も電化製品も 大部分、メイド・イン・コリア である。日本では「安くて劣悪」の代名詞のような サムスンの家電。(ああ、サムスンさん、ごめんなさい)でも、はんら家の電化製品は、見事に10年以上、はんら家のために働き続けてくれている。テレビも洗濯機も冷蔵庫も12年使った。さすがに冷蔵庫は、今年、買い替えた。まだ使えるぞーと思っていたが、なにしろ、極貧時代に買ったので、小さかった。200リットルだった。日本ではちょっと小さ目だが、韓国では独身者でも もっと大きい冷蔵庫を使っている。キムチも入れないといけないし、すいかも丸ごと買うからである。今度は576リットルという、韓国では普通サイズである。が、はんらの家は急に狭くなった。テレビと洗濯機と電子レンジはまだまだ いけるぞー。ところで、この楽天日記を書くのにかかせないPCも、我が家のは 随分オンボロである。うちに来たのは確か、1998年か1999年。その時に もう既に中古だった。インターネットカフェで使われていたのを、知り合いを通して20万ウォンくらいで譲ってもらったのである。人間の歳で言えば、もう、かなりな じいさんなのではないだろうか。そのせいか、突然気を失ってしまったり(フリーズ)、昇天してしまったり(強制終了)する。じいさんPCなので、仕方が無い。でも、日記を書く時などは、一気に書くようにしている。途中で電話がかかってきたり、人が訪ねてきたりすると、じいさんPCが機嫌を損ねて また気を失ってしまうのでは、と気が気でない。特に、長~い日記を書いた日などは・・・
2004/09/08
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収穫の秋を迎えようとしている。ノギさんの週末農園も、いろんなものがとれる。韓国では、日本ではあまり食べない(食べる地方もあるんだとは思うが)部分まで食べるので、実がなるまで じ~っと待たなくてよい。例えば、サツマイモの茎、唐辛子の葉っぱ、かぼちゃの葉っぱ、ゴマの葉っぱなども食べる。最初は、草食動物になったような気がして、あまり食べられなかったが、今では、はんらの好物になった。特に、唐辛子の葉っぱのナムルは大好きだし、ゴマは、ゴマを収穫するよりも、葉っぱを食べようと思って植えている。そして、きのうは はじめて 落花生とサツマイモを少しだけ収穫してみた。はんらも、落花生を収穫するのなんて、はじめてである。本当に、土の中に出来るのね~、なんて、息子たちと感動した。きのうの晩御飯は、きゅうり、唐辛子、サンチュ(味噌をつけて)、サツマイモの天ぷら、ゴマの葉のヤンニョム漬け、にらのキムチ、ナスのナムル、サツマイモの茎の炒め煮、ズッキーニのテンジャンチゲ、間引きした大根の葉っぱのナムル、というかんじで、とりたての野菜で食卓がいっぱいになった。食後には、落花生を茹でて、みんなで食べた。これで 食費はゼロなんですよ、奥さん。ほっほっほー。味の方はどうだったのか?って??そこのところは、新鮮さで勝負です。^^
2004/09/06
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はんら一家は、週末農園をやっている。夫、ノギさんの会社の近くに、ほったらかしになっている会社の土地があるのだ。ここ、天安市の近くは、「行政首都」が移転してくるとかなんとか言って、数年前から地価が急上昇した。その時に、会社が買い占めて、そのままになっている土地だ。最初は、子どもたちの自然学習にもなるし、無農薬の野菜が食べられるし、まあ、ちょっと植えてみよう、というかんじで気軽に始めたのだが、元農家出身のノギさんの血が熱く騒ぎ出し、今では100坪くらいある土地の大部分が耕された。これまで植えたのは、きゅうり、とうがらし、かぼちゃ、ズッキーニ、にら、とうもろこし、ほうれん草、ブロッコリー、トマト、トラジ、サンチュ、ナス、落花生、サツマイモ、ジャガイモ、などなどなど・・・結果は、予選1回選 敗退が、ブロッコリーとほうれん草。銅メダルはトマト。銀メダルはジャガイモ。そして、栄光の金メダルは「きゅうり」!今年の暑い夏、毎日新鮮なきゅうりを3~4本ずつ食べられたのは、とても幸せだった。ジャガイモ掘りも楽しかったし・・・はんら一家は、ほとんど毎週日曜日の午後、この畑に行っている。春は楽しい週末農園も、真夏になると、大変になった。炎天下、そして、雑草の生い茂るのの早いこと!はんらとコーちゃんは、「あ~れ~。よしくんが蚊に刺されてたいへ~ん!」とか何とか言って、よくエアコンのきいた車の中で休んでいた。ノギさんは、燃えまくって、ひとりで何時間も雑草を抜き、世話をしていた。何でも話を聞くと、平日でも会社で時間ができると、畑に行って、農作業をしているらしい。半分、兼業農家のようである。そんなことしてて、会社を首にならないか,ノギさん!?ちょっと前に大根を植え、もうしばらくしたら、白菜も植えるそうだ。元農家出身の血は熱くたぎっている。毎日農作業をして汗を流しているためか、最近ノギさんのズボンのベルトの穴がひとつ移動して、ズボンもゆるくなってきた。収穫物を料理し、食べるのが専門のはんらとコーちゃんは、ドスコイ体型を維持したままだ。
2004/08/27
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韓国に住んでいると、よく「淋しいでしょ?」「日本に帰りたいでしょ?」と聞かれる。「そうですね。」と答えてはいるが、本音を言うと別にそうでもない。これは、韓国での生活が長くなったためと、ここで新しい家族ができたためだと思う。日本の両親、妹たちは、勿論、すごく大切な存在だ。そして、今、ここにいる私の家族たちも、すごくすごく大切な存在である。はんらの旦那さん、ノギさんを紹介しよう。「ノギ」というのは、旦那さんの小さい頃のニックネームだ。今でも田舎に行くと幼なじみで、「ノギ オッパ」(ノギ お兄ちゃん、という意味)と呼ぶ人もいる。末っ子のノギさんは、お母さんから今でも「ノギちゃん」(韓国語で「ノガ~」)と呼ばれている。^^このノギさん、ちょっと韓国人っぽくないところがある。せっかちでないのだ。ドライブに行くと、最初から最後まで、追い越されっぱなしである。横や後の座席にいる私たちが、イライラしてくるほどだ。子どもたちに対しても、大きな声をあげたことがない。穏やかな人である。今、日本語の勉強中で、今年「日本語能力試験」の1級を受けようと、老体?に鞭打って、毎日猛勉強している。はんらが子どもたちを叱っている。ぜ~んぜん聞いてない息子たち。爆発しそうなはんら!そこへ、ノギさんやってきて一言、「ウマ ノ ミミ ニ ネンブツ デスネ~」この一言で冷静になるはんら。ノギさん、ありがとう。^^
2004/08/12
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はんらのプロフィールを書き入れながら、考えた。私の特技&趣味?なんだろ~。ソファの隣には、今整理中の子供たちのアルバムが置いてある。そうそう、私はこの作業が大好きだっけ。10歳の長男のアルバムは、今13冊め。3歳の次男のアルバムは、もうすぐ6冊め。デジカメやビデオではなく、ひたすら昔ながらのカメラで撮り続けている私。夏休みは、あちこち出かける機会が多いので、あっというまにアルバム1冊うまってしまう。はんらのダーリンは、膨大な量のアルバムを見ながら「これ、後でどうするつもりなんだー?!」と言うが、「安くつく趣味で良かったでしょ?」
2004/08/06
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