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先日、滋賀県の彦根まで、国宝・彦根城を見に行ってきました。上の写真は天守閣に登る途中にある大堀切。石垣が素晴らしい。雰囲気抜群です。本丸にある彦根城の天守閣。天守閣の前には「ひこにゃん」が立っていました。ちょうど、野外学習のシーズンなのか、小学生の団体がお城見物に来ていました。国宝の城は、全国で5つしかありません。全部、見て回りたいと思っています。
2016年06月11日
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今年はあまり取材にも釣りにも行かなかった。正確に言うならば、時間がなくて出かけられなかったのです。そんなことで、ブログも書けない、話題が少ない年となってしまいました。本年もあと二日ですが、未だにデスクの前で仕事に励んでおります。原稿書きって、これで完成ということがないので、思い切って見切り発車しないと、いつまでたっても終わりませんね。来年は、釣りにも行きたいし、フライも巻きたい。取材にも出かけたい。果たして、どれだけかなえられるでしょうか。どうぞ皆さん、良い年をお迎えください。
2014年12月30日
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この風格ある老木は、樹齢1000年のオリーブの木です。1万キロの航海の末に、ギリシャのアンダルシア地方から、小豆島まで運ばれてきました。移殖した当初は、実もならず枯れそうでしたが、今では葉も生い茂り実もたくさん実るようになったそうです。馬齢を重ねるにしても、このように歳を取りたいものだと思ったものでした。
2014年11月11日
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上の写真は瀬戸内海。高松港から小豆島の池田港に向かっている途中の風景です。天気は良し、波も穏やかで、気持ちの良い日でした。 約1時間の航海で、前方に見えてきたのが小豆島の池田港。小さくのどかな雰囲気の港でした。 池田港から宿がある土庄(とのしょう)港へ移動。港の広場にあったのが「波止場しぐれ」の歌碑です。石川さゆりが唄っていた演歌で、歌詞のなかに土庄の名前がでてきます。ボタンを押すとメロディーと歌詞が流れてきました。 小豆島で有名なのが映画「二十四の瞳」とオリーブです。今回はオリーブの取材です。 収穫されたオリーブです。きれいな緑ですね。 上の写真は水路ではありません。「土渕海峡」という、立派な海峡です。小型船やボートも通過できます。ギネスにも認定された「世界一狭い海峡」で、長さ2500m、最小幅が約9m足らずです。夕食後、酔い覚ましに宿から30分歩いて見に行ってきました。
2014年11月09日
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ワイフがロシアから帰ってきた。お土産が、各種ウオッカ。一口に「ウオッカ」といっても、いろいろな種類があるようです。上の「ウォッカ」はベルーガという、まるでシロイルカのような名前がついています。瓶のボディーに「チョウザメ」のプレートが貼り付けてあり、ワイフ曰く「最高級のウオッカ」とか。う~ん、いつ飲むか。「今でしょ!」上の写真は、白樺の木肌に熱したコテで焼いて画いた絵です。渋いです。ロシアというと、北国のサブイ国というイメージですが。食べ物は旨いし、地下鉄などもパリの地下鉄に比べると、落書きもなく実にきれいだったそうです。でも、政府による情報統制があり、国情の事実は国民に知らされていないことも多いそうです。
2014年09月26日
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昨日につづいて、東京は猛暑です。夕方、6時になっても30度以下になっていません。川にザブンとつかっていたい心境です。
2014年07月26日
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先日、京都まで出かけたとき、山陰本線の日吉という集落の人に、さらに山奥にある美山町まで案内していただいた。住所は京都府南丹市美山町北。68棟の建物がある集落ですが、そのうち33棟が茅葺で、約4割が江戸時代からの建物だそうです。五箇山の「白川郷」より懐かしい感じがしたのは、何故でしょうか?日本の原風景を見たような感じがするからでしょうかね。上に写真は由良川源流域です。京都大学の演習林があり、イノシシと鹿とサルと隣り合って人が棲んでいるような場所です。由良川にはアマゴが生息しています。6月1日はアユも解禁になると地元の人が言っていました。竿を持って行かなかったので、釣りはできませんでした。
2014年05月02日
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先週、京都方面へ出張した帰りに、京都駅で東京行きの新幹線をホームで待っていたら、「回送電車が入ってきます」のアナウンス。入って来たのは「ドクターイエロー」でした。もう何十回となく新幹線にお世話になっていますが、黄色く塗装された「ドクターイエロー」を見たのは初めてでした。この新幹線の顔は、なんとなくユーモアがあって親しみがわきますね。全部で5~6両の長さでしょうか。室内にはレールや架線、電気の流れなどをチェックする機械が、たくさん積まれているのでしょうね。この新幹線は正式には「新幹線電気軌道総合試験車」というそうです。
2014年04月28日
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台風も去って、秋が深まってきた感じですね。秋になると、京都では恒例の「時代祭」が開催されます。明治から順に平安時代まで、時代時代で活躍した人物、話題になった人物の衣装を着て、京都御苑から平安神宮まで歩きます。上はそんな一場面。前を行くのは源義朝の愛妾だった常磐御前。後ろから歩いて行くのは、乙若丸とのちに源義経になった牛若丸です。なかなか雰囲気があります。
2013年10月28日
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先週の金曜日から、2泊3日の予定で京都へ行ってきました。京都へ行くたびに、かねがね京都名物の「ニシンそば」を食べたいと思っていましたが、今回、念願の「ニシンそば」を食べることができました。行った店は聖護院門跡の傍にある「河道屋 養老」という老舗のそば処です。操業100年。建物は140年前の農家を移築したもの、ということです。門を入り玄関まで行く途中には、きれいに手入れされた庭もあります。通されたのは上の日本間。このような座敷がいくつかあり、他の部屋から人の声が聞こえてきましたから、ほかにもお客さんがいたようですが、静謐な気配に満ちていて、いかにも京都らしい気配がただよっています。上の写真が「ニシンそば」(900円)。甘辛く炊いた身欠きニシンが、ソバの上に乗り、あとは刻みネギがついているというシンプルさです。ソバは白くもちもちして、ややうどんのような食感ですね。一口すすった瞬間は、味がしないように感じましたが、食べ進めるうちにじんわりとダシのよく効いた美味しさが伝わってきました。最後はスープまですっかり飲み干してしまいました。ソバそのものは関東甲信越地方の、色のやや黒いそばの方が旨いかもしれませんが、京都の「ニシンそば」も、歴史があるだけに納得できる味でした。
2013年10月07日
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日光の中禅寺湖にある水産総合研究センターの増養殖研究所に用事があり、昨日、出かけてきました。午前中、時間があったので久しぶりに日光湯川で、ロッドを振ってきました。湯川で釣りをするのは20年ぶりくらいです。戦場ヶ原を流れる湯川は、標高1400メートルの高地を流れる、日本の渓流には珍しいゆったりとした流れのチョークストリームです。かつてはフライマンのメッカ的な川でしたが、現在はどうなのでしょうか?この川にはホンマス、ニジマス、ブルック(川鱒)が自然繁殖しています。湯ノ湖から流れる水が落ちる湯滝。湯川の最上流で、湯川で釣りをするには下流の赤沼茶屋から入るか、湯滝から釣り下るかのいずれかです。気温が上がる前は、ライズはなくやむなくニンフを流したところ、最初にきたのか上のブルック。17センチ。小ぶりです。やがて10時半ころになると川虫がハッチしはじたので、14番のエルクにかえたところ、早速出たのが上のブルック。20センチ。川虫を大量に食べているせいか、太っていました。そして、同じエルクできたのが上のブルック。28センチ。派手な水しぶきを上げながらフライに飛びついてきました。ブルックトラウトはイワナの仲間で、貪欲なわりに警戒心が強い魚ですね。普段は倒木や沈んだ大木の陰などに潜んでいます。このブルックはフライをくわえると、ぐいぐいと引いて沈んだ倒木の陰に入ってしまいました。ロッドが満月になるくらい、やや強めに引いてもピクリともしません。そこで奥の手です。ラインを張りつめたまま、ロッドのバット部分をトントンと叩いて、振動を魚に伝えます。するとそれに驚いた魚が出てくるというわけですね。沈木の陰から出てきた魚をネットですくい取り、写真を撮ってリリース。上はブルックの顔です。湯川は数年前だと思いますが、リリース専門の川になりビクなどを持って入ることができない川になりました。ブルックは日本のイワナと比較すると、魚体の色が濃い。しかし、写真では分かりにくいのですが、体側に鮮やかなピンクとイエローの斑点が散らばっていて実にきれいな魚です。現在、毎年、増養殖研究所で釣り師の協力を得て、湯川に生息する魚の調査をつづけています。その関係からか数年前から湯川には魚は放流されていません。したがって釣れる魚は自然繁殖した魚というわけです。3時間ほどロッドを振った後、川から上がってくる途中で見かけたのがアオダイショウ?1メートル以上はあったと思います。近づくととぐろを巻いて攻撃意欲まんまんです。右へ行くと首を右へ、左に移動すると首を左に向けて、対象から目をそらしません。一般的にアオダイショウは、人家の近くにいることが多いし、おとなしい蛇なのですが、攻撃的な様子といい、人家など全くないような場所にいるなんて、どうしたことでしょうか?これはアオダイショウで間違いないのか、疑問に思ってもやもやしています。どなたか蛇に詳しい方、是非、教えて下さい。
2013年06月07日
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この春に隅田川の最下流に架橋されている「勝鬨橋」へ取材に行き、川の水面下にある機械室に入ってきました。「勝鬨橋」は、ご存知の通り大型船舶が川を遡って航行するさいに、橋の中央が「ハ」の字型に跳ね上がる、わが国最大の「双葉跳開橋」です。「勝鬨橋」を取材した際の小生の記事が(公益財団法人)東京都道路整備公社が発行している『TRーmag』という季刊誌に掲載されています。小冊子ではありますが、「東京を楽しむパブリック・マガジン」というサブ・タイトルがついているだけに、なかなか盛りだくさんの内容で構成されています。「勝鬨橋」は、昭和45年11月29日を最後に開くことはなくなり、跳ね上がったときの雄姿は見ることができなくなりました。小生が小学生のころ、遠足で橋が上がるのを見に行ったような覚えがあります。そういった年代の人たちから、再度、上げて欲しいという声が出ていますが、残念ながら、たぶん二度と上がることはないと思います。ちなみに「勝鬨橋」は、技術的に完成度の高い橋であることから、平成19年6月18日に、国の重要文化財に指定されています。
2013年05月29日
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昨日の土曜日、ワイフの親戚で法事があり、山梨県まで行って来ました。ワイフが法事に参加している間の3時間あまり、時間があったので富士川支流のF川まで、釣りに行ってきました。F川は子供たちが小さい時分に、夏休みになると泳ぎに連れていった清流の川です。シーズンになるとアユを釣りに県外からも多くのアユ釣り師たちがやってきます。ですが、アマゴについては以前のように、あまり放流されていないようで魚影の薄い渓流になってしまいました。しかも、以前のF川の様相に比較すると、川全体が荒れているような感じがします。でも、水色がきれいなのが救いですね。川に沿った道を走りながら、中流域で降りられそうなところを見つけて入渓。18番のエルク・ヘアー(BL)を使用。ポイントごとにエルクを流しながら遡っていきますが、魚の反応がありません。これは駄目かな、と思いつつ青く澄んだ流れ込みに投射したとき、川底からゆっくりと浮上し、なんのためらいもなくパクッとくわえてくれたのが下のアマゴです。サイズは24センチ。写真ではよくわかりませんが、オレンジ色の朱点のきれいなアマゴでした。このとき、たまたま道路の上から地元の人が見ていて、釣り上げると水辺まで降りて来ました。「ほ~、きれいなアマゴだな。これは、天然ものだな。まだ、こんな魚がいるんだな~」としきりに感心していました。「まだ、こんな魚がいるんだな~」と感心するなんて、どんだけ魚の少ない川になってしまったんだい、とこちらが別の意味で驚いてしまった。せっかくなので、アマゴの顔のアップも撮ってみました。やさしい顔つきなのでメスのようです。件の地元のおじさんは、小生が写真を撮っているのを眺めながら、「刺身で喰ったら旨いだろうな」と、不穏なことをつぶやくので、「いや、写真を撮ったらリリースします」「ほー、そうかい。もったいないな」などとつぶやきながら帰っていきました。上の写真が、このアマゴが出たポイントです。写真を撮り、「もう、釣られるなよ」と声をかけてリリースすると、アマゴちゃんは一瞬とまどったような動きをみせましたが、ハタと気がつくと猛ダッシュで流れに帰っていきました。内水面でも渓流域に生息する天然のイワナ、ヤマメ、アマゴの再生産能力は、海にくらべてかなり低いので、いつまでもきれいな渓流魚釣りが楽しめる環境を維持するためにも、無闇なキープはするまいと、小生は思っています。
2013年05月19日
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京都の桜です。上は琵琶湖疏水の桜。満開でした。琵琶湖疏水を行く「十国船」。観光客でいっぱいです。平安神宮前の公園にあった「八重紅枝垂桜」。見事です。「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」(良寛和尚)今年の桜のシーズンも、東京以西は終わりですね。
2013年04月10日
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春真っ盛りの京都へ行ってきました。東京から片道450キロのドライブです。まず向かったのが、京都のはずれにある大原の寂光院。山里の大原にある古刹です。このお寺は、平清盛の次女で、高倉天皇の中宮だった建礼門院・徳子のお墓があることで知られています。壇ノ浦の戦いで平家がほろんだ時、子供の安徳天皇と入水しますが、徳子だけは源氏に救われ、洛北の山里にあった寂光院に庵を結び、一族の菩提を弔いながら生涯を終えます。上の写真が徳子のお墓。宮内庁の管轄になっていて、柵に囲まれ近づくことができません。格子の間から見たところ五輪塔ではないかと思います。徳子が生きていた時代は淋しい里だったに違いありません。上は大原の里。ここには後鳥羽天皇陵、来迎院、三千院などの古刹があります。「大原女(おおはらめ)」は、この里から黒木や木工品を頭の上にのせて、京都市内まで売りに来たのですね。
2013年04月08日
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東京都の中央区や江東区の境を流れる隅田川。この川の最下流で築地と月島の結んでいるのが勝鬨橋です。小生が小学生のころ、遠足で勝鬨橋が開閉するのを見に来たような覚えがあります。勝鬨橋は跳開橋としては、東洋一の規模を誇り、1000トンクラスの船舶が、東京湾から隅田川の遡るとき「ハ」の字型に開閉しました。開くときは橋の運転室付近に取り付けられている信号が赤になり、約20分間、市電も車もストップしなくてはなりませんでした。勝鬨橋は、昭和15年に竣工して以来、終戦を越えて昭和45年まで開閉していました。しかし、昭和45年11月29日の開閉を最後に、開くことはなくなりました。勝鬨橋は晴海通りに架けられていて、ひっきりなしに車が往来しています。開閉する部分の先端に立っているときに、大型車両が通過すると、かなりの揺れが伝わってきます。勝鬨橋の築地側の橋詰に変電所の建物を利用した「かちどき橋の資料館」が設けられています。上の写真は資料館のなかにある勝鬨橋の100分の1の模型で、ボタンを押すと橋が開きはじめ、汽船がくぐっていきます。良くできた模型です。ガイドさんの案内で、橋の下の機械室に入ってみました。テニスコート1面の広さ、高さ9メートルの大きな空間があります。床は隅田川の水面よりもかなり下です。橋が開くと、このスペースに面さ1100トンもの「カウンターウエイト」という巨大な重りがおりてきて、トラニオン軸を境に橋の先端が開閉します。写真はモーターの歯車と、カウンターウエイト側の歯車がかみ合っているカットです。モーターが回り始めると、歯車が回転しカウンターウエイトが下がり始め、それとともに橋が開く仕組みになっているわけです。写真は橋の下から隅田川を行く遊覧船を撮ったカットです。船の中の人と一瞬、目があった時、「どうしてそんな所にいるの?」「どうやって入ったの?」という顔をしていました。勝鬨橋をもう一度開けてほしいという要望がたくさんあるそうですが、交通事情や機械の老朽化で、ほとんど開く可能性はないそうです。しかし、電気を通して、設備のメンテナンスを行えば、動かすことは可能だといわれていますが、相当の経費が掛かるそうです。
2013年03月24日
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下の写真の魚は鯉ではありません。ニジマスのアルビノです。約40センチはあるでしょうか。アルビノといっても、肉や味は普通のニジマスとは何の変りもありません。アルビノのニジマスと普通のニジマスを掛け合わせると、必ずアルビノが生まれます。つまり、遺伝子的にアルビノの方が優勢なんですね。しかし、食べる気がしないのは何故なのでしょうか?
2013年02月18日
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フライマンにとって、もうすぐ渓流釣りが解禁になります。きっと、今シーズンの準備でフライをタイイングしているフライ・フアンも多いことと思います。小生もストックしておいたドライ・フライが少なくなってきたので、早く準備をしなければ、と思いつつ、まだ取り掛かれずにいます。写真は今月22日に発売になったばかりの『フライロッダーズ』3月号です。特集では解禁日に使いたい、有名フライマンたちがお勧めするフライの数々が、たくさん紹介されています。ところで、この号から小生が「未来のフライフィールドについて考える」という連載を始めました。第一回のテーマは「内水面の釣り場の法律と規則」です。昨年の暮れに農林水産庁の釣人専門官と内水面調整担当のお二人に、「漁業権」の話や「都道府県漁業調整規則」の話、はたまた全国にある漁業協同組合の権利と義務、そして渓流で釣りにするには、なぜ遊漁券を買わなくてはならないのか、など釣りに関する法律や規則についてインタビューをしてまとめた記事です。釣人専門官のNさんは、九州の出身で子供のころから釣りに親しんできました。九州で農林水産庁の役人になり、九州、東京、北海道と転勤し、数年前に霞が関の本庁勤務となった人です。Nさんは「子供のころ釣り券の存在すら知らなかったし、この部署にくるまで、なぜ遊漁券を買わなければならないのか分からなかった」と言っていました。内水面漁場は、再生産能力が低いので、獲るままではすぐに枯渇してしまいます。渓流魚も大切な資源です。それが枯渇しないように再生産の手助けをしてあげなければなりません。それには費用がかかります。そこで釣りを楽しむ人は相応の負担をしなければならない、というのが根本の考え方です。そんなことは知っている、という人が多いのでしょう。では、徴収されたお金は、どのように使われているのでしょうか?そんなもろもろの話を書いてあります。興味がありましたら、ご一読を……。
2013年01月22日
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富士山は、やはり日本一の山だという気がします。上の写真は、我が家から近い世田谷の不動橋から見た富士山です。今の時期、富士山の向こう側に夕日が沈むので、シルエットになってよく見えます。昼間、富士山に雲がかかっていなければ、真っ白な高嶺も眺めることができます。「あばたもえくぼ」で、富士山はそばまで行くとごつごつして不細工ですが、遠くから眺めると実に優麗な美人に見えますね(^―^;
2013年01月16日
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2013年 元旦明けましておめでとうございます。元旦は久しぶりに、良い天気の穏やかな一日でした。早くも松の内は終わろうとしています。7日から普段通りの生活に戻らねば、と思っておりますが、なかなか正月気分から抜けきれないかもしれません。この二日に用事で富士市から身延町まで行ってきましたが、帰りは新清水から新東名高速に乗りました。御殿場を過ぎて大井松田までは順調でしたが、大井松田から海老名SAまで、なんと60キロの大渋滞。これまで、東名高速では何度も渋滞に遭遇していますが、60キロの自然渋滞は初めての経験でした。普段なら新清水から用賀まで、1時間半もあれば行ける距離なのに5時間もかかってしまったのです。年明け早々、初めての出来事を体験するとは、小生に取って今年は良い年になるのか、波乱の多い年になるのか、少々、気なるところです。まあ、そうは言っても、とにかく明るい良い年になることを願うばかりです。本年もどうぞよろしく、お願いいたします
2013年01月06日
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昨日、某出版社で日本最大の部数を誇っていた月刊誌の編集長をされていたYさんと、久しぶりに新宿で飲みました。Yさんとは40年来の友人で、現役の時は月に2回の飲み会を欠くことはありませんでした。で、話題になるのは、病気と不健康と、酒がめっきり弱くなったという話ばかり。まあ、四捨五入すれば、お互いに古稀なのですから無理もないのですが、「俺なんか高脂血症で、高血圧で、しかもメタボなんだぜ」と言う話をお互いに交していると、何か病気自慢をしているような気になりました(^-^;
2012年12月26日
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先日、芦ノ湖を訪れたときに、復元された箱根の関所を見学してきました。箱根の関所は、「入り鉄砲と出女」を取り締まったり、将軍様のおひざ元である江戸の警護のために、旧東海道に設けられていた関所の一つ。この関所は芦ノ湖と山に挟まれた、街道の一番狭い場所に設けられていて、江戸と京都を行き来する旅人たちを、厳しく取り締まっていました。この建物は2007年に、資料を基に忠実に復元されたもので、江戸の昔の雰囲気をよく伝えてくれています。上は京都側の出入り口の門ですね。写真上の右の建物のなかには、取締りの役人が対座していました。街道に面した小高い山の上には物見の櫓があり、街道を行き来する人々を監視していたとか。物見の高台まで登ってみると、眼下に復元された関所の建物。その向こうに、冬の芦ノ湖が広がっていました。
2012年12月22日
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娘夫婦が韓国で開催されたイルカ関係のシンポジュウムで発表のために、2泊3日でソウルに行ってきました。その間、3歳半の孫(男の子)を預かることになり、時間つぶしに池袋の「サンシャイン水族館」へ行って来ました。土曜日だけに、小さなお子さんを連れた家族連れでにぎわっていました。「サンシャイン水族館」は、二度目ですがリニューアルしてからは初めてです。頭上の水槽の中にはクラゲがのんびりと泳いでいます。泳ぐ姿を眺めていると、癒されますね。エイは下から眺めると、口と鼻が見えてまるで顔のようです。ユーモアがありますね。上はアオリイカでしょうか。半透明のボディーが、とてもきれいです。イカを見ると、ついつい小生の好きな「塩辛」を思い浮かべてしまいます。これだけ新鮮だとうまいだろーな~、なんてね。久々の水族館でしたが、孫よりも大人の方が楽しんでしまいました。
2012年11月12日
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先日、山梨県内船へ墓参に行く途中で、静岡県富士宮市稲子にある史跡「平維盛」のお墓を見てきました。稲子は富士川支流の稲子川に沿ったひなびた集落で、川沿いの両側は小高い山が連なっています。土地が狭いので、昔から棚田がつくられてきました。「平維盛」の墓は、そんな棚田の中腹に、一基だけポツリと建っています。この武将は姿かたちが美しく「桜梅少将」ともいわれ、現代では「光源氏の再来」と、歴史好きな「歴女」に、絶大の人気を誇っています。しかし、昔から「優男、金と力はなかりけり」と言われるように、平家一門の武将ですから金はあったでしょうが、とにかく戦に弱かった。源頼朝と「富士川の戦」で対陣したとき、水鳥がはばたく音に驚いて逃げ帰っています。「屋島の戦」では、敗れたのちに那智で入水自殺したとも、病死したともいわれています。平維盛はとにかく伝説の多い人で、死因などもはっきりしていません。「優男」には「伝説」が、よく似合うようです。では、なぜ維盛の墓が稲子にあるのでしょうか。戦いに敗れた維盛は、文治元年、紀州沖で水死したと見せかけ、「清水某」と名をかえ、家来の佐野主殿を伴い、稲子に移り住み生涯を終えたと伝えられています。現在の墓は天保11年に再建されたもので、「佐野弘」という人が所有しています。稲子には今でも「佐野」姓の人が、数多く暮らしています。
2012年08月25日
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フライフィッシングの専門誌『フライロッダーズ』9月号です。ここに「放射能汚染と渓流魚」に関する記事を書きました。今回で第三弾です。前にも書いたかもしれませんが、海水魚が放射能物質を体外に排出する特性があるのに対してて、淡水魚は塩類を体内に取り込む性質があるので、放射性物質を蓄積しやすいといわれています。福島第一原発の事故が起きてからもうすぐ1年半になろうとしていますが、フライフィッシングのメッカである中禅寺湖のヒメマス、ブラウンなどから、国が決めた出荷基準の100ベクレルを越える放射性セシウムが、未だに検出されています。それでも「試行」という名目で、中禅寺漁協ではフライ・ルアーに限って、8月31日まで舟釣りが許されています。「今回の『試行』の結果を、来年からの対応の参考にします」と、漁協サイドでは語っていました。セシウムの半減期は30年といわれています。ですからそう簡単に、この汚染が解消されることはないでしょう。その他、福島や群馬県などの渓流でも、放射能に汚染された魚は採捕されたために、釣りが禁止されている河川もありますし、ホットスポットの箇所も指摘されたりしています。渓流釣り師も放射能汚染に無関心でいるわけにはいかないようです。
2012年07月24日
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先日、山梨県身延町一色という集落に、ホタルを観に行ったとき、時間があったので身延町の下部川で、ロッドを振ってきました。下部川は武田信玄の隠し湯として知られる「下部温泉」に沿って流れている渓流で、かつては小説家の井伏鱒二氏なども、アマゴ釣りによく通った川です。10年ほど前にも、この川に入ったことがあり、その時は20センチほどのアマゴが出ました。その後、上流で川の護岸工事が進んでいて、釣りには不向きな川になってしまいました。先日、出かけたときも崩れた護岸の工事が行われ、上流で作業員が仕事をしている姿が見えました。けれど、水に濁りはなくきれいな水色です。16番のエルクを投射すると、すばやい反応があり魚はいそうです。小さな落ち込みにキャストして釣れたのが、上のちびアマゴ。写真では朱点がはっきりしませんが、実際は鮮やかなオレンジ色の斑点があります。「よしよし」とネットに取り込むと、網の目から抜けてしまいました。つまりそれだけ小さかったということですね(^―^;キャスト、飛びつく、合わせる、勢い余って後方に飛んでいく。そんな魚ばかり、同じポイントで5匹あまりも出たでしょうか。無邪気に毛バリに飛びつくちびアマゴを、そんなにいじめることもないか、と思い直し50メートルほど釣りあがったところで川に沿って入渓地点まで戻りました。戻る途中で山クワの実を見つけました。熟した実をほうばると、甘酸っぱい自然の味が口の中に広がってきました。
2012年06月22日
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先日、山梨県身延町までホタルを観に行ったとき、完成して間もない新東名高速道路を御殿場から新富士インターまで走ってみました。トンネルはやや多かったのですが、旧東名よりも道幅が広くて、実に走りやすい道路でした。行く途中で立ち寄ったのが「駿河湾沼津サービスエリア」。このサービスエリアは、レストランといい、土産物屋といい、非常に充実していて、わざわざ観光に訪れるほどで、この日も観光バスが並んでおりました。テラスからは手前に茶畑、その向こうに駿河湾、さらにその向こうに伊豆の山々が見えて、天気がすっきりしていれば、とても良い景色だろうな。ちなみに地元の人に言わせると、上り線側より下り線側のサービスエリアの方がレストランも、土産も充実していると言うことです。
2012年06月21日
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6月17日は「父の日」でした。昨年は「ウエストハイ」のウエーダー、一昨年は、ウエーディング・シューズをプレゼントしてもらいました。で、今年はというと写真のhazukiルーペです。これは1,6倍の大きさに拡大してくれますので、老眼の小生には、視野が広がりそうです。はたして細かいフライも、このルーペのおかげで、きれいに巻けるでしょうか。
2012年06月19日
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ホタルが出始めて、早くも後半になってしまいました。近年、農薬を使わず水がきれいになったおかげで、各地でホタルが復活してきたようです。ということで、先日、山梨県身延町一色という集落が「ホタルの里」として売り出しているということで、車を飛ばして行ってきました。ホタルが観賞できるのは、県道沿いの川です。「川にヤマメはいるんですか」と聞いたら、水が暖かいのでヤマメはいないとのこと。でもだからホタルの生息には適した環境だ、ということです。三脚を用意してホタルの乱舞を撮影しようとやってみましたが、なかなか撮影は難しいですね。4秒間隔くらいで光りますが、あちこちで点滅していても、まとまって光ってくれせん。もう少し露光時間を長くしてやればよかったのですが、真っ暗な中の手さぐり状態では思うにまかせません。80カットちかくシャッターを押して、ようやく撮影できたのが上の写真です。どなたか上手に撮影できるノウハウをご存知でしたら、教えてくださいな。
2012年06月17日
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西洋から伝わってきたフライフィッシングと異なり、日本古来の毛バリ釣りであるテンカラ。使うのは竿と、テンカラ・ラインにハリス、それに毛バリというシンプルさです。小生もフライと同時にテンカラもやるのですが、釣れるときは向こうアワセなので、簡単に釣れてしまいます。おまけにリーチが長いので、ポイントにフライを投入しやすいという利点もあります。フライの毛バリと違い、テンカラ鈎は構造がシンプルなのがいいですね。上の写真は「渓の翁」ことテンカラ名人の瀬畑雄三さんから頂戴した瀬畑フライです。瀬畑さんはバイスも使わず、指先にフライフックをつまんだままで、5分ほどで1本の毛バリを、器用に巻いてしまいます。スレッドは女性の黒いパンティーストッキングほぐした糸です。非常に細いけれど、実に丈夫なので愛用しているということ。上は岐阜の益田川沿いの国道で民宿ドライブイン「あまの」を経営している天野勝利さんから頂戴したテンカラの「逆さ鈎」です。ボディにゼンマイの綿が巻かれていて、ハックルがアイの方を倒れています。水圧を受けて、この羽根が微妙な動きをして魚を惹きつける、というわけですね。天野さんはテンカラで大ヤマメを釣る名人ですが、アユの友釣り名人でもあります。もう14年くらい前になるでしょうか。天野さんを訪れて、民宿に一泊しながら天野さんに、釣りの話を聞いたのが懐かしい思い出に名なっています。こうやって名人たちが巻いた毛バリを見ると、何となく味があるというか、風格が漂っているように感じられませんか?
2012年06月09日
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港区の竹芝桟橋の広場で、「伊豆諸島、小笠原諸島」の島々の特産品などを集めて販売、展示した「島じまん2012」が開催されたので、天気も良いので行ってきました。東京都には小笠原諸島(父島、母島)、八丈島、青ヶ島、神津島、三宅島、御蔵島、大島、利島、新島、式根島などの離島があります。これらが全部、東京都だと思うと随分、広いですね。竹芝桟橋からは毎日、こういった島々へ渡る定期船が出港しています。広場には大きなマストが、目印として掲げられています。天気の良い行楽日とあって、会場は大賑わい。大盛況でした。タレントを連れたテレビの取材クルーなんかも来ていて、大変盛り上がっていました。舞台では、大島からやってきたおばさんたちの踊りが披露されています。各島の工夫を凝らしたブースでは、特産品や民芸品などが販売されていましたが、美味しかったのが御蔵島の「みくらっ子丼」(400円)。地魚のサワラ、シイラなどのフライ、ミズ菜、レタスをアシタバ御飯の上に乗せて甘辛のタレをかけた、島のオリジナル丼です。御蔵島はイルカの群れが定住しているので、イルカウォッチングでもよく知られていますが、今度、釣りもかねて出かけてみたいものだと思っています。
2012年05月27日
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この高層ビルは、渋谷駅の近くにオープンした「渋谷ヒカリエ」という複合商業施設です。昔、ここには東急文化会館という映画館やプラネタリウムが入った建物があり、学生時代、時々、映画のロードショーなどを観に行ったものです。それが取り壊されて、この高層ビルが出現したというわけですね。連休の初日、渋谷に出かける用事があり、ついでにヒカリエに登ってきました。丁度、昼時でもあり、ビル内のレストランンは大混雑。エスカレータも長蛇の列です。とりあえず、一般の観光客が入れる11階までエレベーターで登ってみました。周囲にあまり高層ビルがないので、眺望はよく新宿の高層ビル群が手に取るように見えました。技術の進歩とともに、人はより高みへ行きたがるようですね。人間の傲慢さの象徴である、天にも届きそうなバベルの塔の工事を、神は止めさせました。はたしてどこまで人は高みへと、登ろうとするのでしょうか?そしてこの際限のない行為をやめさせる神は、はたして現代の世に存在するのでしょうか?行く末を見てみたいと思いますが、それまでは長生きするのは難しいでしょうね。
2012年05月03日
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東京は世田谷区内にある、民家園の茅葺屋根の農家です。こういう家が、30年くらい前には世田谷区にあったようです。典型的な日本の風景。子供のころを思い出して、しみじみと懐かしくなります。
2012年05月01日
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腕ならし,足ならしに、秋川支流の養沢川へ行ってきました。午後から夕方まで釣れば、十分なのでのんびりと出かけました。ポイントを拾いながら釣るには適度な渓流です。この日はやや水が少なく、あまり活性が高くないようでした。養沢の魚は。こんな落ち込みに集まっているものです。この川は毛バリ専用なのでフライマンが多いのですが、そのおかげでドライでは、なかなか出てくれません。そこで半沈みのウエットフライを使ったところ、一投目で出たのが上のヤマメ。ポイントをかえて二投目で出たのが、上のヤマメです。何故かこの日は、やけにヤマメが活発でした。
2012年04月18日
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新宿の歌舞伎町と言えば、日本一の繁華街として、つとに有名です。友人たちと、よく飲みにも出かけた町でもあります。東口には有名な「ゴールデン街」、西口には「思い出横丁」といった、飲み屋が軒を連ねている一画もあります。飲み屋ばかりでなく、大人の歓楽街ともいえる歌舞伎町のど真ん中に、猫の額ほどの「歌舞伎町公園」があります。真昼間にホームレスのおじさんが、日向ぼっこなどもしている公園ですが、そこのあるのが上の写真の「歌舞伎町弁財天」。女性の神様です。江戸時代、ここには大きな池があり、その島に弁天様が祀られていました。その名残が、この弁天様なのだそうです。40年近くも歌舞伎町とその周辺で、友人と飲み歩いていましたが、こんな由緒?ある場所が、ネオンきらめく町の真ん中にあるとは、つい先日まで知りませんでした。町は歩いてみないと、わからないものですね。
2012年04月03日
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なかなか春らしくなりませんが、先日、珍しく暖かな日に、我が家の近くの野川を歩いていたら、カメが群れて甲羅干しをしているのを見つけました。カメは何をな考えているんだか、のんびりした光景です。
2012年03月23日
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赤坂に近い、東宮御所の前に、高橋是清記念公園があります。かつてこの地に「だるま宰相」といわれた高橋是清の自宅がありました。丸いふくよかな顔立ちから「だるま」といわれたました。高橋是清は、アメリカに渡ったときに、だまされて奴隷に売られそうになったといエピソードがありますね。「2・26事件」で殺害されたのは、実に残念でした。
2012年03月15日
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先週、取材で大阪まで一泊二日で行ってきましたが、仕事が終わったあとに、大阪の日本橋(にっぽんばし)まで足を延ばし、黒門市場まで行ってきました。黒門市場は、市場と言っても築地市場のような雰囲気ではなく、大きな商店街といった感じです。この市場には「ふぐ屋」「魚屋」「惣菜屋」「フグ料理専門店」などが軒を並べています。上は大きなマグロのディスプレー。銀色に光っています。これはイセエビですね。そして、フグ。フグ屋が多いということは、大坂が「食道楽」の町だからなのでしょうか。市場を歩いていると、惣菜屋が数軒、目に入りました。特に道端で「おでん」を炊いている光景は、東京ではめったに見受けられないのではないでしょうか。暖かそうな湯気をあげている「おでん」が、いかにも大阪という町を象徴しているような気がしてなりませんでした。
2012年03月12日
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東京の各所を歩き回っていると、「こんなところに」と思われる意外な場所に、歌碑が残されています。すでにこのブログで紹介した歌碑もあるかもしれませんが、とにかく幾つかご紹介。上野駅前にある「ああ上野駅」の歌碑。井沢八郎が唄って大ヒットしましたね。集団就職で東北から上京した「金の卵」たちの心情を唄った歌で、どこか懐かしげな雰囲気がありました。上は数寄屋橋交差点に近い歩道にある、石原裕次郎が唄った「銀座の恋の物語」の歌碑。歌碑全体がベンチになっていて、恋人同士が並んで座ると、真ん中に碑が収まるようになっています。歌碑の上にあるのが、何代目かの「銀座の柳」です。青山学院大学構内のチャペルの前にある、「学生時代」の歌碑です。青学の学生だったペギー葉山さんが唄い、大ヒットしました。しみじみと、青春時代を思い起こさせてくれますね。新宿、花園神社境内にある、芸能浅間神社の前にある「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑。藤圭子さんが、暗い声で唄ったクライ歌でした。江戸川を渡る「矢切の渡しは」都内で唯一となった渡し船です。その乗り場にあるのが「矢切の渡し」の歌碑。こういう歌を聞いて「いいな~」と思うと、日本人であることを、自覚させられます。上も数寄屋橋交差点に近いマリオンの前にある「有楽町で逢いましょう」の歌碑です。低音の魅力のフランク永井さんが唄って大ヒットしましたね。いずれも小生が若いころに、一世を風靡したヒット曲ばかりです。
2012年02月24日
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江東区にある富岡八幡宮。江戸時代から有名な神社ですが、本殿に向かう参道の入り口に、伊能忠敬の像があります。伊能忠敬は、全国を歩き回って、正確な日本地図をつくったことで有名ですが、旅に出るときは、富岡八幡宮に無事を祈願したそうです。伊能忠敬の本職は、酒造業でしたが、早くに隠居し趣味で全国を調査。作成した地図を幕府に献上したというのですから、こういう日本人がいたことを、大いに誇りに思っても良いのではないかと思います。
2012年02月15日
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下の写真は、小石川後楽園内の隅の方に、ひっそりと建っている「藤田東湖先先護母致死乃処」の石碑です。小石川後楽園は、かつての水戸藩の上屋敷があった場所で、大名庭園の趣を残しています。松平斉昭(最後の将軍、徳川慶喜の父)が藩主のとき、儒学者の藤田東湖は水戸藩に登用され、「天保の改革」を推進。斉昭の側用人として活躍します。安政2年、江戸をマグニチュード7~7・5の大地震が発生しました。このとき、水戸藩邸も大きな被害をこうむり、家臣たちの家屋が倒壊します。藤田東湖は、崩れてきた家を支え、母親を救いますが、自分は家の下敷きになって圧死します。享年49でした。東湖の親を思う気持ちは、いつの時代でも尊いものとして、後世に残したいという気持ちが石碑として結実したのでしょう。数日前、東京大学の地震研から、4年以内にM7クラスの地震が発生する可能性が、70パーセントと発表されました。このところ、東京周辺でも細かな地震が発生しています。いざという時のために、しっかりと準備をしておきたいと自戒している昨今です。
2012年02月02日
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東京ラーメンが大好きなので、外出する先に、旨いラーメン屋がないかをネットなどで調べてから出かけます・先日、古書店街で知られる神田神保町へ出かけました。駿河台から神田神保町にかけて大学が多く、その関係から昔から多くの古書店が並んでいます。それに、貧乏学生相手の安い飲食店が多いのも確かだし、今でも学生やサラリーマン相手の、安い飲食店が数多く点在しています。そんな中で昔から値段も味も変わらないのが、「伊峡」という店の醤油ラーメン。神田の裏路地にあり、もう40年以上は同じ場所で営業しているのではないでしょうか。ラーメンは、神田という都心にありながら、430円という嬉しくなるような値段です。最近、漬け麺、油の濃いラーメン、まるでラーメンとは思えないような価格の高いラーメン屋が多い中で、この値段とシンプルさは貴重です。細麺に煮干しのスープがマッチし、このラーメンのフアンが多いのも確かです。具はチャーシューにシナチク、海苔が一枚、刻みネギだけというシンプルさで、しばらくするとまた食べに行きたくなりす。古書店を巡って小腹がすいたころ、ちょと立ち寄って食べたくなる味でした。
2012年01月30日
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先日、新横浜まで出かけたとき、ついでにラーメンを食べようかと、新横浜ラーメン博物館に立ち寄ってきました。今回で3回目なので、中の様子は良く知っています。ラーメン博物館の内部は、昭和33年の盛り場を再現しています。したがって、写真のような映画の看板も掲げてあるわけです。東宝のSF映画『地球防衛軍』は、1957年に公開された作品です。当時、小生は小学生でしたが、巨大なロボットなどが登場し、その画面に目を釘付けになったものでした。現在のようなCGを駆使したリアルな画像とは、比べられないほどちゃちなものだったに違いありませんが、当時のSF映画としては、胸を高鳴らせるに十分な出来だったように思います。団塊の世代にとっては「オールディズ」の懐かしい時代です。
2012年01月07日
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遅まきながら、明けまして、おめでとうございます。アッと言う間に新年を迎え、そしてもう仕事始めです。毎年、月日が過ぎていくのが、早くなっていくような感じがします。30数年、親しく交際してきた友人も、すでに3名が逝ってしまいました。あと、どのくらい元気で活動できるのか。そう思うと、毎日、充実した時間を過ごさねば、と一層強く思うようになってきました。生涯、現役でいたいので、体力と相談しながら、そこそこに頑張ろうと思います。今年もよろしくお願いいたします。
2012年01月04日
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先日、用事があって東京駅まで出かけてきました。時間があったので、駅の八重洲口の構内を見て回っていたとき、見つけたのが下の写真のお菓子です。東京土産専門の売店に置いてありました。「野田でどーだっ」というお菓子です。確か850円くらいだったと思います。サブ・コピーに「どじょうもすくうが日本も救う」と書いてあります。本当にこの「どじょう総理」で、日本は救われるのでしょうか。何となく頼りなさげな印象にうつるのは、小生だけでしょうか。
2011年11月26日
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写真は、大河ドラマで放送している二代将軍の秀忠と、お江の方のお墓です。芝増上寺の本堂の裏手には、徳川将軍家の墓所があり、二、六、七、九、十二、十四代と将軍家生母側室の墓が集められています。かつては荘厳な御霊屋が増上寺の敷地内にあったのですが、戦災で焼失し昭和33年に荼毘にふされ、現在の地に集められたものです。それでも将軍家の墓所だけに、厳かな雰囲気がただよっておりました。
2011年11月21日
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我が家の近くを流れている野川で、営巣しているカワセミです。夏のころはあまり見かけませんでしたが、秋も深まってきた今日この頃、川筋に沿ってすばらしい速さで飛び交っています。餌をとるときは、川面に張り出した茎や小枝の上にとまり、小魚を見つけるとダイブして捕食します。背中の瑠璃色の羽根が、実に美しい小鳥ですね。
2011年10月30日
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先日、法事で山梨県の南部町に行ってきました。その帰り、東名高速に乗る途中、富士宮市内の浅間神社に立ち寄って来ました。上が浅間神社の本堂ですが、富士山登山路の表門戸になっている、由緒ある神社です。なかなか雰囲気のある神社で、全国から観光客が集まってくるようです。神社の境内にあるのが「湧玉池」。富士山の湧水が湧いていて、大きな池になっています。水量が豊富です。地元の人の話だと、「先日の地震で、湧き出す水量が増えた」ということ。そういえば、東北の大震災のあと、富士宮市でも比較的大きな地震があり、東南海地震の前兆ではないかとも、噂になりました。今回の大地震では、温泉が湧き出したところもあったりして、地下水の流れに大きな影響を与えたようですね。湧玉池に湧き出した水は、池からあふれ神田川という川に流れ込んでいきますが、池も川も全国名水百選に選ばれているほどきれいです。この池と川に棲んでいるのが鴨とニジマス。上の写真でみるとそんなに大きくは見えませんが、40~50センチはあるニジマスがたくさん泳いでいました。駐車場のおばちゃんに、「ここの鱒は釣ってもいいの?」と聞いたら、「今は禁漁になったけど、解禁期間中なら漁券を買えば釣ってもいいさ」という返事。そして「私はよう川魚は食べんわ。川の匂いもするし、アユも食べないんよ」と、聞きもしないことを、付け加えていました。ということで、釣っても良いことは分かりましたが、ハタと考えてしまいました。この場所は、いかにも釣りづらいぞ、、、、と。なぜなら、ニジマスが神社の境内という聖地から湧き出る水のなかで暮らしていること。それに、観光客がたくさん通る衆目のなかでロッドを振っていて、なかなか釣れないとなると「へたくそ」と、白い目で見られるのではないかという恐れがあるからです。つまり釣りをする環境としては、最低と思わざるを得ないからです。釣れればかなりファイトしてくれるだろうな、と思いつつ川面を見ていると、お母さんと一緒の子供が、パンをちぎって川面に投げました。すると、見事な体型の鱒が、ジャンプしてパンに飛びついておりました。
2011年10月21日
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写真の少女は「きみちゃん」といいます。野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルになった少女の像です。「きみちゃん」は、家庭の事情からアメリカ人宣教師の養女になる予定でした。しかし、病気にかかり、当時、麻布長坂町にあった孤児院で亡くなりました。明治44年9月、わずか9歳でした。産みの母親は、娘がアメリカに渡って幸せに暮らしているものと思い、その話を雨情に語りました。母親の話を聞いて、雨情が書いたのが、「赤い靴はいていた、 女の子ー、いーじんさにい連れられて 行っちゃった、、、、」の詩でした。「きみちゃん」の像は、港区麻布十番の小さな公園の一画にあります。
2011年10月05日
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今週の火曜日は、急に暑さがぶりかえして、ちょっと歩くと汗が噴き出すほどでした。そんななか、電車で錦糸町まで出かけ、のんびりと歩いて亀戸天神まで行ってきました。これで何回目の訪問になるでしょうか。亀戸天神は学問の神様・菅原道真を祀ってある神社で、春の梅、初夏の藤の花で有名です。亀戸天神は江戸前期に大宰府天満宮から、亀戸に分祀された由緒ある神社ですが、その向こうに最新の技術を駆使して建設されている、東京スカイツリーが見えました。新旧の構築物が混在していました。時代を越えた風景が、実に不思議に見えました。江戸の情緒が急速に失われていく東京ですが、とどまることなく新しい風景へと変貌を遂げていくんですね。
2011年08月25日
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