遊心六中記

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2017.11.07
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カテゴリ: 歩く [再録]
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「伊丹スカイパーク」の北エントランスを出たところで、大阪国際空港・南東方向側を東から西に半周歩いてきたことになります。飛行機が離発着するコース線上で一番接近できる絶景スポットから、メイン滑走路全体をを側面から眺められる伊丹スカイパークへと周り、2つの視点からの離発着を堪能できました。 そこで空港を離れて、伊丹市内の史跡スポットをいくつか訪れて、JR伊丹駅をウォーキングの終着点とするコースとなりました。

 冒頭の画像にある通り、 北エントランスからまずは猪名川の堤防に出て、神津大橋からその北に位置する興津橋を目指します。右の写真は興津橋上から見た神津大橋です。

興津橋から北方向の景色 を遠望しながら、一旦福知山線の高架下をくぐり、 
駄六川に架かる雲正橋を渡ります
橋のところの標識によると、 この橋からJR伊丹駅は300m の距離のようです。ウォーキングとしてはこの橋から逆に北方向をめざしぐるりと回り込んでから終着点として伊丹駅にむかうことになります。
この近辺の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

「伊丹1」交差点を横断して、宮ノ前地区に入ります。

金剛院の門前 、市立図書館の前を北に歩むと、猪名野神社です。
金剛院の門柱には「宇多天皇勅願所 真言宗御室派」という標札が片側に掛けてあります。山号は「有應山」です。


「猪名野神社」の石造鳥居 の傍に、「御由緒略記」が掲げてあります。古くは野ノ宮、天王ノ宮と呼ばれていたそうですが、明治2年の神仏分離令の発布された折に、猪名野神社と改称されたようです。 伊丹郷町の氏神として祀られてきた神社。

鳥居の前の狛犬はぎょろっとした目に特徴がある感じです。前懸がかけてあるのもおもしろい。こういうのはあまりみかけません。

鳥居をくぐり真っ直ぐに進むと、 本殿

唐破風屋根の向拝の木鼻や蟇股はシンプルなデザインです。

屋根の尖端隅に獅子があたかも鯱のような姿勢で置かれているのも興味深いところです。

                     兎毛通の中心に菊の紋が彫られています。



目に入った範囲の境内社はすべて石造鳥居が建立されているのも立派です。
上の画像の左から順に、天満神社、厳島神社、猿田彦神社です。(資料1)
愛宕神社


そして一隅に 「鬼貫 (おにつら) 句碑」 が建立されていました。

     鳥ハ末 口もほとけず 初桜

この句碑は嘉永7年(1854)に建立されたものだそうです。 俳人・鬼貫の句碑は伊丹市内に14ヶ所、他地域に4ヶ所、少なくとも20ヶ所は建立されている模様です。 (資料2)

鬼貫の名前は知っていましたが、それほど意識したことがありません。この句碑をみて少し調べてみました。江戸時代中期の俳諧師で、1661年、摂津国川辺郡伊丹郷で酒造家・上島宗次(屋号・油屋)の三男に生まれ、1738年、大坂鰻谷で死去、享年78歳。享保3年(1718年)『獨言 (ひとりごと) 』を刊行し、その中で 「まことの外に俳諧なし」 と述べるに至ったと言います。 「東の芭蕉、西の鬼貫」 と称されたそうです。 (資料3,4)

資料併読で課題が残りました。一書には、「・・・8歳のころから俳句を始めた。西山宗因門で誹諧を学んだが、談林誹諧に飽き足らず、25歳の時『まことの外に誹諧なし』と悟って、伊丹風を樹立した」 (資料6) と記されています。
この記述と上掲の刊行本の記載事実を対比すると、鬼貫が「まことの外に俳諧なし」という考えを確立したのはいつ頃なのか? という疑問です。「13歳で松江維舟 (いしゅう) の門に入り、16歳ごろには芭蕉にも影響を与えた西山宗因を尊敬するようになります。」 (資料4) という記述から、松江維舟に入門したことが西山宗因門につながることなのだろうと理解しました。鬼貫が維舟門につらなる池田宗旦の俳諧塾・也雲軒で学び (資料4,5) 、「鬼貫はしだいに遊戯的・享楽的な伊丹風俳諧に疑問を抱き、25歳ごろ、大坂に出ます。」 (資料4) という説明があります。この点を考えると、「伊丹風を樹立」という表現は複数の使い方が実際にされているということでしょうか。文学研究的視点ではどういう解釈が一般的なのかという関心です。

別の視点で興味深いのは、「明治36年、河東碧梧桐 (かわひがしへきごとう) が雑誌『ホトトギス』で、募集句の題を『鬼貫忌』として以後、秋の季語として定まりました。」 (資料4) とあります。上掲歳時記には「鬼貫忌」を秋の季語として掲載しています。そこから上記の疑問が課題となったのです。一方、手許にある『改訂版 ホトトギス新歳時記』を繙くと、「鬼貫忌」は秋の季語に取り上げられていないのです。 (資料7) これもおもしろいと感じました。
現在、芭蕉ほどには鬼貫の名前すら目にする機会が少ないのはなぜか? これも新たな関心事に加わりました。

鬼面の句をいくつかの情報源から集めてみました。見つけた順番での羅列です。
  にょっぽりと秋の空なる富士の山
  古寺に皮むく椶欄の寒け也
  行水 (ぎょうずい) のすてところなし虫の声
  月なくて昼ハ霞むやこやの池
  古城 (ふるじろ) や茨くろなる蟋蟀 (きりぎりす)
  面白さ急には見えぬ 薄 (すすき) かな
  後の月入りて貌よし星の空
  此塚に柳なくとも あわれ也
  賃とらで象も田をかえす動き哉
  春と夏と手さへ行きかふ更衣 (ころもがえ)
  なでしこよ河原に石のやけるまで

大きく脇道にそれました。軌道修正します。

境内の裏手から「伊丹緑道」の道標が立つ道を、まずは伊丹坂の方向に向かいます。
この辺りの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。




その途中に 歌碑や「白洲屋敷跡」という説明碑 が目に止まりました。
この説明碑の上あたりが、白洲次郎とゆかりのある地 だったのです。
白洲次郎は随筆家として有名な白洲正子の夫です。日本の実業家であり、吉田茂の側近であるとともに、様々な分野で活躍した人物。
現在の春日丘4丁目あたり に、白洲次郎の父、白洲文平が4万坪の敷地に博物館付きの豪華な屋敷をたてていたところだったのです。白洲次郎もここに住んでいたことがあるそうで、妻正子との婚姻届は昭和5年に伊丹市で提出しているのだとか。


緑道を進む一方、見上げると蒼空を飛行機が横切っていきます。

「西国街道」の道標
六地蔵尊石像

緑道の道標をみつつ、緑ヶ丘公園をめざします。

 小道を進み、171号線を横断し、


「天満神社」の傍を通過して、


かなり大きな池の畔に至りました。
この近辺の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


この池には、 中国風の東屋が池の中に張り出して建てられいます 。ちょっとした異国情緒に溢れる一隅です。
近くまで行ってみました。





「賞月亭」という扁額が掛けられています。



この池の側に、 「伊丹市公館 鴻臚館」という説明板の建てられた建物が一般公開されています 。ウォーキング主体のため、今回はここも通過地点でした。

池沿いに歩いて行くと、この案内板に行きつきました。現在地という白字抜きの赤い長方形の場所に立っています。 裏手からこの公園の表入口に至った のです。

この案内板の左上に2つの建物の概説が記されています。

(ちん) と記された 「賞月亭」は 伊丹市が友好都市締結をしている 中国の佛山市から5周年記念の折に寄贈されたもの (平成2年/1990年)だとか。 佛山市の中山公園内の「迎春亭」がモデルに なった亭なのだそうです。なるほど・・・中国風ではなく、 中国建築そのものでした。

一方、 「鴻臚館」は 平安時代の外国の賓客接待施設として京都や太宰府に設置された「鴻臚館」の名前を使い、 公館として建てられたもの だそうです。「日本建築の伝統・技術の保存、継承のため、市内在住の大工、左官、建具師など技能功労者として市表彰された人たちの技術を結集して建設されました」 (説明板より) のだとか。機会があれば拝見したいものです。



この入口傍には、 「緑ヶ丘神社」という小祠 と、「 緑ヶ丘」を上の五に冠した句碑と思える碑 があります。説明は付されていません。私には下部に記された文字を判読しかねています。ネット検索でこれも調べてみましたが、不詳。ここにも課題が残りました。

そして、駄六川に架かる橋を渡って、「昆陽池」に向かいます。
このあたりは駄六川の上流にあたるのでした。

つづく

参照資料
1) ​ 2 猪名野神社(宮ノ前) 伊丹の神社 ​  :「我が町伊丹.jp」 
2) ​ 俳人・鬼貫 [5] 猪名野神社境内 句碑 ​ :「我が町伊丹.jp」 
3) ​ 上島鬼貫 ​  :ウィキペディア
4) ​ 俳人・上島鬼貫 ​  :「伊丹市」
5) ​ 鬼貫の俳句短冊 ​  :「池田市」
6)『合本 現代俳句歳時記』 角川春樹編  角川春樹事務所 p815
7) 『改訂版 ホトトギス新歳時記』 稲畑汀子編  三省堂 2002年1月1日 改訂3刷

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
俳聖・鬼貫 -生誕350年 ​  :「伊丹の歴史グラビア」
鬼貫の句碑 ​  :「大阪再発見!」
第六章 鬼貫と伊丹風俳諧 ~伊丹の文芸活動~ ​ 瀬川照子氏 :「伊丹歴史探訪」
鬼貫 句碑めぐり ツアー
緑ヶ丘公園の梅 ​  :「伊丹市」
白洲文平 ​  :ウィキペディア
白洲次郎 ​  :ウィキペディア
白洲正子 ​  :ウィキペディア
白洲次郎 プリンシプルのない日本 ​  :「松岡正剛の千夜千冊」
白洲次郎と伊丹 ​  :「伊丹再発見シリーズ」
仏山市 ​ :ウィキペディア
佛山市の観光情報 ​  :「楽旅中国」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

歩く [再録] 大阪国際空港ぐるり -1 離着陸プロセスの絶景スポット へ
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 歩く [再録] 大阪国際空港ぐるり -4 伊丹市内へ(瑞ヶ池公園・昆陽池公園・有岡城跡)へ





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Last updated  2017.11.07 21:54:25
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