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2017.11.07
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カテゴリ: 歩く [再録]
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緑ヶ丘公園からまず西方向にある「瑞ヶ池公園」に向かいます。
この道標が、次の池の左側、道路が交差する角に立っています。

この池が 「瑞ヶ池 (ずがいけ) です。周りが金網で囲われていて、道路沿いに歩きながら眺めると方形の感じに見えるかなり大きな池です。 池の周囲が1.6kmのトリムランニングコースになっている そうで、公園の広さは19.3ヘクタールだとか。 (資料1)
かつては「摂津の国小池」として農耕のための池 だったようです。それが昭和45年(1970)5月に水の公園として整備され 現在は伊丹市の上水の水源として活用されている貯水池 になっているのです。 (資料2)

池の左側を右折して回り込んで行きます。


少し前進したところで、 彫刻の置かれた花園があり憩いの場所が広がっています。この彫刻像は公園の完成記念碑なのです。


「日米修好の桜」 というのが植樹されています。伊丹産の桜がワシントンに植樹され、今度はその桜の苗木が里帰り桜として2003年に日本に贈られたのだと言います。
この公園内には、「オオシマザクラ、ヤマザクラ、シダレザクラ、カンヒザクラなど10種類600本のサクラがあります。」 (資料3)



花が咲きそっていると気持ちがなごみます。


そして、 「昆陽池公園」が1km余り先にあるのです。ウォーキングには最適のエリアです。
この公園は、 大きな昆陽 (こや) 池を中心にしてその周辺が散策路を配した公園 になっています。おもしろいのは、 昆陽池の中に、日本列島の形が作られている ようなのです。
もともと、この昆陽池は天平3年(731)に行基の指導により農業用のため池として作られたのだとか (天平5年/733年、行基65歳の時という説もあります)。昭和43年(1968)に伊丹市が一部公園し、その後段階的に拡張してきたそうです。農林水産省のため池百選に選定されています。現在の公園は、広さ27.8ヘクタール(そのうち自然池12.5ヘクタール、貯水池4.5ヘクタール)だとか。 (資料4,5)



公園に入り、小川の流れる傍の小径を進んで行くと、 「伊丹市昆虫館」 があり、公園マップの案内板があります。

昆虫館を横目に見ながら 「ふるさと小径」 を歩んでいくと、この公園で見られる 野鳥の説明板 などもあり、バードウォッチングの趣味人には楽しめる公園。 関西屈指の渡り鳥の飛来地だそうです。


さらに、その先には 慈円(1155~1225)の歌碑 があります。

   ゑにかきて今唐土(もろこし)の人に見せむ 霞わたれる昆陽の松原

山本紅雲筆「拾玉集」より写されたもののようです。





昆陽池内の日本列島の形になった島々らしきものを見られる展望箇所があります。
しかし、その形は上空からみないと???です。
ここでもまた蒼空を横切っていく飛行機を眺めました。このあたりも障害物がないので、上空を行く飛行機を撮るには良い場所になりそうです。
飛行機の機内から、この池の日本列島が見えるかもしれません。


このスポットの近くに、 「夏目甕麿の歌碑」 も目に止まりました。自筆写本「七月の記」よりというもの。

    遠つあふみ 入江の月の おもかけも 思ひそ出る 昆陽の大池

夏目甕麿という人をこの碑で初めて知ったのですが、江戸時代後期の国学者。「遠江浜名郡白須賀(付記:現・湖西市)の名主で酒造業を営む家に生まれた」そうで、本居宣長の門人にもなった人。 



また 様々な彫刻が置かれたエリア があります。 この公園は多目的に楽しめそうです。



さらに池に沿った小径を歩むと、公園内の展望が広々と開放的になります。大きく池を見渡せ、近くには大きな公園案内板が設置されています。

夏目甕麿は地名の語学的研究や近畿の山稜研究を行ったそうです。この各地を転々とし、昆陽にも住み、1822年、昆陽池で遊んで溺死。船から月を取ろうとしたという逸話が残るようです。享年50歳。 (資料6)


昆陽池についての説明板も別にあり、 池中の日本列島を上空から撮った写真も案内板に載せてあります。 誰がこんなアイデアを思いついたのでしょうか。


この後はJR伊丹駅を目指します。その駅前にあるのが「有岡城跡」。今回のウォーキング最後の立ち寄りスポットです。


途中、こんな彫刻が市中で目にとまりました。膝を抱えて座り込む二人の少女と一匹の犬、何を眺めているのでしょう・・・・。

こんな建物も。 「旧岡田家酒蔵」 の表札が掛けてありました。平成4年(1992)に国の重要文化財に指定されています。


店舗・釜屋・酒蔵からなる建物 。店舗は江戸時代・ 延宝2年(1674)の建築で兵庫県最古の町家 であり、酒蔵は現存し年代が判明するものとしては日本最古なのだそうです。
「江戸時代の伊丹の酒造家松屋与兵衛が建て、岡田家の所有となったのは明治33年。・・・解体修理を経て平成13年(2001)6月24日より一般公開」 (資料7) に至っています。




史跡 有岡城跡



石段を上がったところに、説明板があります。

発掘調査が行われ、ここを昭和58年度(1983)から始まり平成5年度に完了した史跡公園整備により現在の姿になったのです。
この城は南北朝時代から伊丹氏の城として発展してきた伊丹城です 。天正2年(1574)に当時織田信長の武将だった 荒木村重が伊丹氏を破り入城し、「有岡城」と改名します そして、「総構」という城下町の地域全域を囲う巨大な土塁と堀を築いたのです 。その総構は東端に本曲輪(本丸)があり、西に侍町が囲み、その西に町屋が広がり、北(岸の砦)と南(ひよどり塚砦)に砦を設けるという形です。その全周囲を、堀の深さ3~7m・幅7~18m、土塁の高さ3~5mで囲んでいたといいます。そして、危急時には本曲輪が領民の避難所にもなり、城籠りができるように造ったとされています。 (資料8,9)

現在、JR伊丹駅のすぐ前に残る城跡は、当時の本丸の10分の1位の規模にすぎないようです。
明治26年に鉄道が開設されるにあたり、城跡の東側が削り取られたのです。昭和50年(1975)より発掘調査が行われ、中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになったといいます。

石段を上がって行くと、左方向に見えるのが礎石と井戸の跡です。

       右方向は本曲輪跡の広場です。


右方向に真っ直ぐに行くと、そこが現存する有岡城跡の石垣だと分かりました。
その石垣をよく見ると、石積みの中には石塔の基壇石だったものも確認できます。
発掘調査により出土した荒木村重時代の石垣を復元されたもののようです。

       石垣側から眺めた礎石・井戸の跡がある方向

側面に土塁跡の表示があります。

この本曲輪跡には、あらきたしが村重につかわした歌と荒木村重が返した歌の二首を一石に刻んだ歌碑が建てられています。

  霜がれに残りて我は八重むぐらなにはのうらのそこのみくづに   あらきたし
  思ひきやあまのかけ橋ふみならしなにはの花も夢ならんとは    荒木村重

「たし」は「ダシ」と読むそうです。
この歌は『信長公記』巻十二の「伊丹の城にこれある年寄ども、妻子兄弟置き捨て退出の事」の条に記載された二人が歌のやりとりをしたものです。 (資料10)
織田信長の命令で塚口郷(丹羽長秀)をはじめ12ヶ所以上に有岡城に対する付城を築かせ、完全包囲作戦を実行している状況の中で、村重が尼崎城に夜陰にまぎれて脱出したのです。興味深いのは、この見出しが事実なら、完全包囲網が敷かれた状況の中で、なおかつ有岡城と尼崎城で歌の交換をするくらいの人の行き来が行われていたということです。
『信長公記』にはその続きに、次の歌も記録しています。

あこ → たし
  ふたり行(ゆく)なにかくるしきのりの道かぜはふくともねさへたへずば
お千代 → 村重
  此(この)ほどの思ひし花はちり行(ゆき)て形見になるぞ君が面(おも)かげ
村重 → お千代
  百年(ものとせ)に思ひし事は夢なれやまた後(のち)の代(よ)の又後の世は

開城された伊丹城(有岡城)には、織田信澄が入城します。荒木村重が尼崎・花隅両城の開城説得に向かった荒木久左衛門の説得に応じません。そのため、村重の正室をはじめ一族37人は京に護送され、六条河原で斬殺されるに至ります。この洛中引き回しの上での処刑の状況が上掲書に記載されています。
その前に、「たし歌あまた読み置き候」として、他の一族の人々の歌を併せて記載する冒頭に4首を記録しているのです。 (資料10)

  きゆる身はおしむべきにも無き物を母のおもひぞさはりとはなる
  残しおくそのみどり子の心こそおもひやられてかなしかりけり
  木末よりあだにちりし桜花さかりもなくてあらしこそふけ
  みがくべき心の月のくもらねばひかりとともににしへこそ行(ゆけ)



懐古園の石碑が建てられていて、その碑文の意訳説明板もその傍に立っています。
この城跡の土地は何時の頃からか竹内という人の所有となり、その人が亡くなった後、未亡人の方が昔を偲ばれた思いを太田北山が書いた碑文だそうです。太田北山とは、小西酒造の小西新右衞門氏が私塾として「弘深館」を造ったときに招かれた初代の先生だとか。 (資料11)



道路を隔てた反対側にも、有岡城の主郭部についての説明板が設置されています。
こちらにも歌碑があります。

  春秋の花と月とをときならて 見はてぬ夢の暁はうし  伊丹之親 (ゆきちか)



有岡城とは直接関係がありませんが、 伊丹駅前に「フランドルの鐘」の塔が建てられています
伊丹市と姉妹都市であるベルギー王国のハッセルト市から平和と友好の象徴として贈られた「カリヨン」だそうです。国際姉妹都市提携5周年と伊丹市制施行50周年を記念して、1990年に寄贈されました。 「フランドルの鐘」は一般公募で決定した記念塔の愛称だとか。
「カリヨン(Carillon)」 はラテン語で「4個で1組」という言葉を語源とする 「組鐘」 のことで、「教会の塔や鐘楼に設置された複数の鐘を巨大なシリンダー式のドラムで自動演奏したり、奏者が鍵盤とペダルで演奏する楽器」。この記念塔のカリヨンは「大小43個の鐘を手動バトン(鍵盤)により4オクターブの音色を奏でることができます。」 (資料12)

大阪空港駅前を起点としたウォーキングは伊丹駅を終点として終了しました。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) ​ 瑞ヶ池公園 ​  :「伊丹市」
2) ​ 公園情報第3回 瑞ヶ池公園 ​  :「いたみん」
3) ​ 伊丹瑞ケ池公園  花見特集 ​ :「いつもNAVI」
4) ​ 昆陽池公園 ​  :「伊丹市」
5) ​ 昆陽池公園 ​  :ウィキペディア
6) ​ 夏目甕麿 ​  :「本居宣長記念館」
7)​ 旧岡田家住宅・酒蔵  ​ :「伊丹市」
8) 「村重一筋の郷土史研究家による『村重Q&A』」
  当日、有岡城跡でボランティア・ガイドさんからいただいた資料集まとめ
9) ​ 有岡城跡 ​    :「伊丹市」
10)『新訂 信長公記』 太田牛一  桑田忠親校注  新人物往来社 p275、p285-286
11) ​ 第十七章 伊丹の史跡と文化財  ​ 村上敏展氏 :「伊丹歴史探訪」(小西酒造)
12)​ フランドルの鐘(カリヨン) ​  :「伊丹市」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
2012年(兵庫県:伊丹市)瑞ヶ池公園の桜と「米国より贈られた里帰り桜」 ​  :YouTub
昆陽池公園パンフレット ​  伊丹市
第三章 行基と昆陽の大池 ~行基の活動と足跡~ ​  藤井直正氏 :「小西酒造」
(その60)課題「いけ(池)」ー文学苑庭「昆陽池公園」ー ​ :「磯城島綜藝堂」
昆陽池(こやいけ)公園にある文学碑を訪ねて…  伊丹<<再>>発見・・・その4
夏目甕麿 ​ :ウィキペディア 
甕麿址・諸平生誕地 ​  :「人力」
荒木村重 ​  :ウィキペディア
第八章 近世の伊丹の姿 ~発掘でみる有岡城~ ​  川口宏海氏
   :「伊丹歴史探訪」(小西酒造株式会社)
  ​ 寛文9年(1669)  伊丹郷町絵図(八木 1982年に加筆)
30年目の有岡城跡(国指定史跡) ​  :「伊丹の歴史グラビア」  
第四章 伊丹城の城主 伊丹氏  ~伊丹氏の足跡~ ​  伊丹 茂氏
   :「伊丹歴史探訪」(小西酒造株式会社)
加藤伊丹氏系図
carillon ​  From Wikipedia, the free encyclopedia
World Carillon Federation ​ ホームページ
 Travelling Carillonsは、可搬式カリヨンの実例がいろいろ掲載されるページ
有岡城の戦い ​  :ウィキペディア
【特集】荒木村重と有岡城 ​   :YouTube

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

歩く [再録] 大阪国際空港ぐるり -1 離着陸プロセスの絶景スポット へ
歩く [再録] 大阪国際空港ぐるり -1 離着陸プロセスの絶景スポット へ
歩く [再録] 大阪国際空港ぐるり -3 伊丹市内へ(猪名野神社・白洲屋敷跡・緑ヶ丘公園) へ


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Last updated  2017.11.07 20:00:06
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